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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

追憶の夜

 夕食を終え、片付けを済ませて、シャワーも浴びて。覚え書きのような日記をつけたハーレイは書斎から離れられずにいた。
 机の上に広げられたソルジャー・ブルーの写真集。『追憶』というタイトルのそれは、ブルーと再会して暫く経ってから買ったもの。
 書店に出掛けた目的はシャングリラの写真集だった。前の生で自分が舵を握り、ブルーが守った白い船。今はもう無い船を見たくて買いに行ったが、其処で目にした本が『追憶』であった。
 ソルジャー・ブルーの最期を捉えた写真を何枚も載せた写真集。人類軍が撮影していた映像から起こした写真はサイオンの青い尾を曳いて宇宙空間を飛翔するブルーで始まる。ブルーの命の最後の輝き。前の生では見たことが無かった、ハーレイの知らないブルーの姿。
 メギドの装甲を破って入り込んでからのブルーは写っていない。監視カメラが映した映像ごと、メギドは沈んでしまったから。
 ブルーの最期を収めた写真たちは爆発するメギドの青い閃光で終わっていた。


 書店で見た時は最初の一枚で心が挫け、買って帰って書斎の机で続きを捲った。初めて目にしたブルーの最期。自分の知らない暗い宇宙で、独りきりで逝ってしまったブルー。
 あまりの衝撃に心は過去へと引き戻されてしまい、ブルーを亡くした苦しみに泣いた。ブルーを喪い、孤独と悲しみの内に終わった前の生の記憶に飲み込まれて泣いた。
 気付けば自分は今の書斎に居て、この家から数ブロック離れた先にブルーの家が在り、十四歳の子供の姿で暮らしている。
 ハーレイもブルーも前世で目指した青い地球の上に生まれ変わって、新しい生を生きていた。
 遠い日に失くしたブルーは戻って来たし、もう前の生に囚われる必要は無いのだけれど。
 辛く苦しかった日々を思い出させる写真集など、持っていなくとも良いのだけれど。
 ソルジャー・ブルーという副題がついた『追憶』の名を持つ写真集。
 捨てることなど出来る筈もなく、目に入らない場所に押し込んで忘れることも出来そうになく。
 どうしたものかと考えた末に、日記と同じ引き出しに入れた。
 其処ならブルーも寂しくない。
 一日に一度は座る場所だし、日記を出す時に必ず目にする。
 ブルーの最期を突き付けて来る最後の章を見ることはとても辛かったけれど、たまに今のように取り出して机に広げてページを捲る。
 ブルーを追えなかった自分の弱さに気付かされた時に。
 失くしてしまった時の辛さを思い出した時に。
 ブルーは確かに今の生を生きているのだけれども、それでも時折、前の生のブルーがハーレイの心を掠めてゆく。
 サイオンの青い尾を長く曳いて暗い宇宙を駆け抜け、メギドへと一直線に飛んで行ってしまったソルジャー・ブルーが。


「…なあ、ブルー。…お前は本当にあれで良かったんだろうか」
 ハーレイはぽつりと呟いた。開いたページに青い閃光。気高く美しかったソルジャー・ブルーの身体をこの世から消し去ってしまった爆発。
 その瞬間までブルーが生きていたのか、息絶えていたのかは定かではない。
 生まれ変わりである十四歳のブルーに訊いても、恐らく分かりはしないだろう。前の生で自分がいつ死んだのかなど、ブルーには些細なことだったから。死よりも悲しく辛い思いに包まれ、涙の中でブルーの前の生は終わったのだから。
 後悔した、とブルーは言った。
 死が待つメギドへ飛んだことは何も後悔していないけれど、右の手がとても冷たかった、と。
 キャプテンだったハーレイの腕に最後に触れた時に感じた温もり。それを最期まで大切に抱いて持ってゆくつもりでいたのに、撃たれた痛みで失くしてしまって右手が冷たく凍えたのだ、と。
 右の手が冷たいと泣きじゃくりながら死んでいったソルジャー・ブルー。
 本当にあれで良かったのか、と何度思ったことだろう。
 ブルー自身は「仲間たちを救えたから、それでいい」と微笑んだけれど、本当にそれで良かったのか、と考えずにはいられない。
 ソルジャーだったブルーにとっては「良かった」と言える最期であっても、ブルー自身の思いはどうだったのか。ハーレイの温もりを失くしたと泣いて、後悔したと語ったブルーは…。
 そのブルーが生まれ変わって話したからこそ、ハーレイはそれを知っているのだけれど。
 何ブロックも離れた場所だとはいえ、ブルーは同じ町に暮らしているのだけれど。
 こんな夜には、ふと辛くなる。思い出してしまって悲しくなる。


 ハーレイは写真集を閉じて立ち上がり、棚から酒を取り出した。シャングリラでは酒といっても合成のものが殆どだったが、今はこの地球の水で仕込まれた酒が手に入る。
 気に入りの酒と、それからグラス。気のおけない友人たちと飲むために使うグラスの中から二つ取り出し、それぞれに酒を満たしてから。
 一つを『追憶』の手前にコトリと置いた。もう一つのグラスは自分の前に。
 『追憶』の表紙には背景に青い地球を合成してあるブルーの顔写真。
 真正面を向いたブルーの写真は、数多いブルーの写真の中でも最も知られたものだった。背景は何を合わせるのも自由だったから宇宙などもあるが、地球を合成したものが一番多い。青い地球がとてもよく似合うブルー。
(…よくも探して来たものだ、これを)
 ソルジャー・ブルーの存命中に公式の肖像写真は無かった。誰も作ろうと言わなかったし、その必要も感じなかった。シャングリラを優しく包み込むブルーの思念。ただそれだけで充分だった。
 ブルー亡き後は戦いに次ぐ戦いの日々で、先の指導者を偲ぶための遺影の選定どころではなく、誰もが自らの心に刻まれた在りし日のブルーを思っていただけ。
 ハーレイもまたブルーを亡くした悲しみにくれる中、恋人の面影を求めてデータベースを隈なく捜し回ったが、其処に求めるものは無かった。ソルジャーとしてのブルーなら幾らでもあるのに、個人的な肖像写真と呼べそうな表情のブルーは見付からなかったと記憶している。
 けれど『追憶』の表紙に刷られたブルーは気高さと凛々しさの奥に深い憂いを秘めていた。見る者を惹き付ける強い瞳に僅かに見てとれる悲しみの色。ブルーの孤独を思わせるそれ。
 誰がいつ、何処で見付けたものか。由来も発見者の名も時の流れに消えてしまって分からないのだが、よくぞ見付けたものだと思う。恐らくは映像の中のほんの一瞬、この表情をしたのだろう。
 ハーレイだけが知るブルーの孤独と悲しみ。それを捉えた一枚の写真。
 魂の奥底に訴えかけるような眼差しをしているがゆえに、この写真がどれよりも有名になった。ソルジャー・ブルーの名を冠した本には必ず入っている写真。ハーレイが前の生で探して探して、いくら探しても見付けられなかった真のブルーを捉えた写真。
 その写真が刷られた『追憶』の表紙に語りかける。グラスに注いだ酒を押しやりながら。
「…一杯やるか? お前は酒に弱くて滅多に飲まなかったが、たまには付き合え」


 自分の分のグラスを軽く掲げて口に運んでから、苦笑した。
「…すまん、ソルジャーのお前に叩く口では無かったな。だが、もうこの口調で慣れてしまった。だから「お前」で許してくれ」
 前の生ではブルーを「あなた」と呼んでいた。常に敬語で話していたのに、今ではまるで違っていた。十四歳のブルーに「お前」と呼び掛け、砕けた言葉遣いで話す。
 ブルーは十四歳の子供の姿で戻って来た。ハーレイの前に戻って来た。なのに…。
「…俺は何をしているんだろうな?」
 こんな風に酒まで置いて、と『追憶』の表紙のブルーを見詰める。
「お前は十四歳の子供で、こんな時間にはぐっすり眠っている筈なのに…。暖かいベッドで眠っている筈なのに、酒なんか供えてどうするんだろうな?」
 両親と暮らす家のベッドで眠っているだろう小さなブルー。グラスに注いだ酒が届く筈もなく、届いたところでブルーは飲めない。
 前の生のブルーは酒に弱くてすぐに酔ったし、二日酔いをすることも多かった。ハーレイが酒を美味そうに飲むからと欲しがった挙句、よく酷い目に遭っていた。
 今のブルーも恐らく酒には弱いのだろうが、それ以前にまだ十四歳の子供に過ぎない。未成年に酒は飲ませられないし、ハーレイの仕事柄、勧めたと知れれば厳重注意では済みそうもない。
「まったく…。お前を酒に付き合わせるなんて、最低最悪な教師なんだが…」
 だが、とソルジャー・ブルーの写真を苦しげな顔で眺めて言った。
「…すまん、とてもお前を忘れられそうにない。メギドで逝ってしまったお前を…」


 写真集の側に置かれたグラスの酒は少しも減らなかったが、ハーレイのグラスは空になった。
 暫し考えてから酒のボトルを手に取り、もう一度自分のグラスに注ぐ。この写真の中のブルーと飲む時、一杯で済んだ試しが無い。
 前の生でブルーを喪った後は、酒に逃げている暇など無かった。生きていることすら辛いと思う生であっても、ブルーが遺した言葉のとおりに皆を支えねばならなかった。
 どうしても眠ることが出来ない夜に「明日に備えて疲れを取らねば」とほんの僅かな寝酒を口にし、ベッドにもぐり込んだだけ。グラスに一杯分もの酒は数えるほどしか飲まなかった。
 あの頃の反動が出るのだろうか、と思うくらいに、写真集の表紙のブルーを前にして酒を飲むと二杯、三杯とグラスを重ねてしまう。辛い思い出を酒で消すように、何杯もの酒を呷ってしまう。
(…これもいつかは笑い話になるんだろうが…)
 ブルーと一緒に暮らすようになったら、こんな夜を過ごさなくてもよくなるのだろう。この写真そっくりの面差しのブルーが同じ屋根の下に居るようになったら、こんな思いをしなくてもいい。
 写真と同じ顔立ちであっても、今のブルーは悲しみに満ちた瞳をしてはいないだろう。ただただ幸せそうに微笑み、自分の隣に居ることだろう。
 もしもブルーがこの写真集を見たならば…、と思いを巡らせてみた。
 懐かしそうにページを捲るのだろうか?
 それとも自分の写真ばかりで埋め尽くされた本を見て真っ赤になってしまうのだろうか…。
(そうだな、お前はもしかしたら笑うかも知れないな。…俺には辛すぎる最後の章で)
 メギドへと飛ぶブルーは全く気付いていなかっただろう。人類軍が映像を記録していることなど考えもせずに、メギドを止めることだけを思って宇宙を駆けたに違いない。
 だから、ブルーがメギドへと飛ぶ自分の姿の写真を見たならば…。
(笑い出しそうだな、「隠し撮りをされていたなんて知らなかったよ!」と)
 そして十四歳のブルーなら…、と今の小さなブルーを思い浮かべる。
 ハーレイと一緒に暮らせるほどに大きく育ったブルーだったら「隠し撮りだね」と楽しむ余裕もありそうだったが、小さなブルーは脹れっ面になりそうだった。
(あいつなら、きっと「酷いや!」と言うな)
 ぼくは必死に飛んでいたのに、と怒るブルーが目に見えるようだ。
 死を覚悟して駆けてゆく姿を隠し撮りされた上に、写真集まで出されてしまっていた、と。


「…そうだな、お前なら文句たらたらだな」
 うん、と頷いてグラスに残った酒を飲み干したハーレイだったが、新たな酒は注がなかった。
 写真集の表紙のブルーのためにと満たしたグラスの酒の方は「…うーむ…」と少し考えてから。
「供えた酒を捨てるのもなあ…。まあ、このくらいはまだ問題ないか」
 それにブルーの分だしな、と言い訳してから一息に呷る。実のところ、ハーレイは酒には強い。一人でボトルを空けてしまっても、翌日まではまず残らない。
 しかし同じ酒なら楽しい酒にしたかった。前の生の辛く悲しい記憶を打ち消すための一人きりの酒宴は、文字通り酒に逃げるもの。何度もそういう夜を過ごしたが、今夜は逃げ切れそうだった。
「…ブルー、お前のお蔭だな」
 写真集の表紙にではなく、心に浮かんだ小さなブルーにそう声を掛ける。
「ありがとう、ブルー。…小さなお前の脹れっ面を思い出したら元気が出たさ」
 お前は確かに生きているんだな、とブルーがベッドで眠っているだろう家の在る方角へと視線をやった。何ブロックも離れている上、今の世界ではどの家も思念を遮蔽する加工が施されている。そのせいで気配を感じることさえ出来ないけれども、ブルーがこの町に生きている。
 隠し撮りをされたと怒りそうなブルーが。
 前の生の自分の悲しい最期を収めた写真集を見て、脹れっ面をしそうなブルーが…。
(うんうん、右の手が冷たかったことも、泣いていたことも忘れて怒るな)
 子供だからな、と可笑しくなった。
 そして今よりも成長したなら、きっと笑ってくれるだろう。こんな隠し撮りをされていた上に、本まで出されてしまった、と。「まるで有名人みたいだね」とクスクス笑って、「恥ずかしいな」と頬を染めるのだろう。
 前の生の最期に凍えた右手を「温めてよ」と差し出しながら……。


(さて、片付けを済ませたら寝るか)
 明日も学校に行かねばならない。教師の自分が居眠るなどは言語道断、柔道部の朝練習もある。朝一番での走り込みに備えてしっかり休んで、きびきびと指導しなければ。
 酒のボトルは棚に戻して、二つのグラスは綺麗に洗って…。
 だが、その前に。
「…おやすみ、ブルー」
 写真集の表紙のブルーの写真の向こうに小さなブルーの顔を重ねた。
「ちゃんといい夢を見るんだぞ? メギドの夢なんか見るんじゃないぞ」
 いいな、と小さなブルーに言い聞かせてから、引き出しを開けて写真集を入れた。
 その上にそっと自分の日記を乗せる。
 まるで上掛けを被せるかのように、写真集に大切に覆い被せる。
「…ゆっくり眠れよ。こうして俺が守ってやるから」
 俺がお前を守ってやるから、と前の生では叶わなかった願いを祈るように口にし、自分の日記で写真集をすっぽり覆い隠した。
 こんな風にブルーを守りたかった、と思いをこめて、祈りをこめて。
(…今度こそ俺がお前を守る)
 この身体で、俺の全身全霊を懸けてお前を守る。
「ブルー、お前は俺の影に隠れていればいい。いいか、決して出るんじゃないぞ」
 守らせてくれ、と日記の下の写真集の表紙のブルーに告げて引き出しを閉めた。
 今度は俺が全力でお前を守ってやるから、と……。




           追憶の夜・了


※『追憶』という写真集の表紙を飾るブルーの写真は、劇場版ポスターのイメージです。
 ハーレイの日記を被せて貰って、大切にされて。前のブルーもきっと幸せ一杯です。

 聖痕シリーズの書き下ろしショート、40話超えてますです、よろしくです!
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