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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

蜘蛛の子の旅

(わあ…!)
 綺麗、と小さなブルーが眺めた窓の外。土曜日の朝に、目覚めて直ぐに。
 今日はハーレイが来てくれるから、と張り切ってシャッと開けたカーテン。よく晴れてる、と。部屋は二階だから、空も庭も窓から見えるのだけれど。
 窓から近い庭の木々の間、其処に見付けた素敵なもの。夜の間に蜘蛛が張った巣、それに朝露。朝の日射しにキラキラと光る、とても細かなレース模様。
 蜘蛛が紡いだ糸のレースは、露の玉を纏って輝くよう。夢の国から来たみたいに。
(ホントに綺麗…)
 見惚れてしまうレースだけれども、露が幾つもつかなかったら、きっと気付いていないだろう。露を煌めかせる、朝の日射しが無かった時も。
 偶然生まれた、自然の造形。光るレースの芸術品。細い細い糸と、くっついた露と、朝の光と。
(これだったら、虫も大丈夫…)
 蜘蛛が巣を張って狙っている虫。その虫たちも安全な筈。
 露を纏った光のレースは目立つから。これだけキラキラ輝いていたら、遠くからでも蜘蛛の巣があると分かるから。
 罠があるのだと分かっていたなら、きっと引っ掛かる虫などはいない。光のレースがある場所を避けて、上手く躱して飛んでゆく筈。
 蜘蛛に食べられてしまわずに。粘りを持つ糸に絡め取られて、御馳走にされてしまわずに。
 死が待つ罠ではないというなら、蜘蛛が張った巣は芸術品。窓から眺めて楽しめるもの。
(ハーレイにも見せてあげたいな…)
 とても綺麗で素敵だから。蜘蛛が編み上げて、露が飾った自然のレースなのだから。
 そう思ったのに…。



 顔を洗って着替えも済ませて、朝食を食べて戻った部屋。
 窓の向こうを覗いてみたら、もう消えていた蜘蛛の巣の露。太陽の光が消してしまって。幾つもあった露の玉たち、それをすっかり蒸発させて。
 夏の日射しには敵わなくても、太陽の光はやっぱり強い。蜘蛛の巣の露を消せるのだから。
 露の玉たちを失くしたレースは、ただの蜘蛛の巣。細くて、頼りないほどの糸。
(これじゃ、ハーレイには見て貰えないよ…)
 せっかく綺麗だったのに。光り輝くレースが庭を飾っていたのに。
 残念、と溜息をついて始めた掃除。いつもの習慣。
 床を掃除して、窓辺のテーブルを拭いて、ハーレイと自分が座る椅子の位置を整えていて。
(蜘蛛の巣も掃除しちゃおうかな?)
 ふと思い付いた、蜘蛛の巣の掃除。窓の向こうにあるのだから。
 あんなに大きな蜘蛛の巣なのだし、あったら虫が可哀相。露の光は消えてしまったから、今では虫を捕える罠。虫たちの目に映らないよう、細い細い糸で編まれた死を運ぶ罠。
 引っ掛かったらそれでおしまい、蜘蛛に見付かって糸を巻き付けられて。生きたままでバリバリ食われてしまうか、後で食べようと糸で包んでおかれるか。
(あれがあったら、殺されちゃう…)
 蝶とかが食べられてしまうんだよ、と蜘蛛の巣を取ろうと思ったけれど。
 掃除のついでに死の罠の糸を切ろうと考えたけれど、窓からは手が届かない。どう頑張っても、長い物差しまで引っ張り出しても。
(ぼくって駄目だ…)
 掃除出来ない蜘蛛が張った巣。虫たちの命を奪う罠。
 風に揺れるのが見えているのに、自分にはどうすることも出来ない。支える糸を一本切ったら、あの巣は半分壊れるのに。それだけで危険を減らせるのに。
 けれどサイオンもまるで使えないから、こうして眺めているしかない。何も出来ずに。
 虫たちが引っ掛かりませんように、と祈ることだけが精一杯で。



 ハーレイが訪ねて来てくれてからも、気になる蜘蛛の巣。
 向かい合わせで座るテーブル、それは窓辺にあるのだから。ついつい外へと向きがちな瞳。話の合間に、蜘蛛の巣の方へ。虫が引っ掛かったら大変だよ、と。
 何度も視線を外へ遣るから、「どうかしたのか?」と尋ねられた。鳶色の瞳の恋人に。
「さっきから窓が気になるようだが、其処から何か見えるのか?」
 庭に猫でも入って来たのか、俺は全く気付かなかったが。
「えっとね…。蜘蛛の巣があるんだよ」
 あそこ、と指差した大きな蜘蛛の巣。
 ハーレイに見せたかったことも思い出した。「ほほう…?」と外を見る恋人に。
「あれか、けっこうデカイ巣だな」
 ジョロウグモだな、あの大きさだと。
「朝はとっても綺麗だったよ、それで蜘蛛の巣に気が付いたんだよ」
 露が一杯ついていたから、キラキラ光ってレースみたいで…。
 ハーレイにも見せたかったんだけれど、朝御飯を食べたりしてる間に消えちゃった…。露が。
「蜘蛛の巣なあ…。露がつけば確かに綺麗だよな」
 あんな所にあったのか、と見惚れちまうくらい見事なもんだ。宝石で出来てるみたいにな。
「見たことあるの?」
 露でキラキラ光っているのを。…朝早く起きて?
「馬鹿にするなよ、俺が何年生きていると思っているんだ、お前」
 早起きしなくても、何度も見てる。ガキの頃にも、今の家に引越しして来てからも。
 そいつを俺に見せられなかったから、あの蜘蛛の巣が気になるのか?
 朝には綺麗だったのに、と。
「ううん、そっちはいいんだけれど…」
 蜘蛛の巣、虫が捕まっちゃうよ。光っていたなら、目立つから虫も避けるだろうけど…。
 今みたいに見えにくい糸になったら、気付かないままで飛んで来るでしょ?
 引っ掛かったら餌にされちゃう、そんなの可哀相じゃない…!



 蜘蛛の巣を取ろうと挑んだけれども駄目だった、とハーレイに話した。掃除のついでに壊そうとしたのに、糸を切ることも出来なかった、と。
「ぼくの手、届かないんだよ。頑張ったけど…」
 長い物差しも使ってみたけど、糸を切ることが出来なくて…。蜘蛛の巣、そのまま…。
 放っておいたら、虫が捕まって食べられちゃうのに…。引っ掛かったら、おしまいなのに。
「おいおい、蜘蛛も必死なんだぞ」
 あのデカイ巣が張ってあるのは、何のためだと思ってるんだ?
 蜘蛛が獲物を捕まえるためだ。蜘蛛だって虫だ、餌が食えなきゃ死んじまう。
 飢え死にしたら大変だろうが、そうならないよう、せっせと糸を張ってだな…。
「分かってるけど…。でも…」
 食べられちゃう虫が可哀相だよ、あの巣が無ければ大丈夫なのに…。
 ぼくが蜘蛛の巣、壊せていたなら、虫は助かる筈だったのに。
 出来なかったから、虫が引っ掛かったら死んじゃうんだよ、と訴え掛けたら。
「仕方ないな…」
 物差し、此処に持って来い。お前が言ってた長い物差し。
「取ってくれるの?」
 ぼくの代わりに壊してくれるの、あの蜘蛛の巣を?
「蜘蛛には可哀相だがな。…巣作りで腹が減ってるだろうに」
 しかしだ、あそこに虫が引っ掛かったら、お前、泣き出しそうだしなあ…。
 お前の力が足りなかったから、虫が捕まって食べられるんだ、と。
 そうなってから虫を助けてやるのも、あの巣を先に壊しておくのも、大して変わらないからな?
 どっちにしたって蜘蛛は飢えるし、それなら先に壊した方が…。
 壊しておいたら、お前の泣き顔、見なくて済むだろ。



 悲しむお前は見たくないから、と物差しを握って、窓から手を一杯に伸ばしてくれたハーレイ。蜘蛛の巣を支える糸を一本、二本と断ち切り、すっかり壊してしまった蜘蛛の巣。
 ついでに、最後の糸にぶら下がっていた蜘蛛も引っ掛けて、ヒョイと放った。物差しで上手く、遠く離れた木の梢へと。
「壊してやったぞ、もう大丈夫だ」
 こいつは返す、と物差しを渡されたけれど、その物差しが遠くへ飛ばした蜘蛛。ポーンと飛んで行っただけだし、きっと木の葉か枝にしっかり掴まっただろう。死にはしないで。
(…生きてるよね?)
 木にぶつかって死んでしまわずに、木の枝か葉に掴まって。「ビックリした」と目を見開いて。
 蜘蛛は生きているに決まっているから、物差しを片付けて椅子に戻って、眺めた庭。あの辺りの木に飛んでったよ、と。
「今の蜘蛛…。飛んでった先で、また巣を張っちゃう…」
 さっきみたいに大きなのを。あそこだと絶対、手は届かないし…。どうしよう…。
「お前なあ…。殺したいのか、あの蜘蛛を?」
 巣を作るな、ってことになったら、俺が殺すか、獲物を獲れずに飢え死にするかのどっちかだ。
 そういう風にしたいのか、お前?
「えーっと…」
 殺したいとは思わないけど…。飢え死にさせようとも思ってないけど…。
「だろうな、深く考えてはいないんだろうが…」
 あの蜘蛛、お母さん蜘蛛かもしれないんだぞ。お腹に卵を抱えてる蜘蛛。
「え…?」
 お母さんだったの、赤ちゃんのために巣を張ってたの…?
「時期にもよるがな。今の季節に卵を産むかは分からんが…」
 そうだとしたなら、あの巣は一匹だけのためじゃないんだ。これから生まれる沢山の卵、それに栄養をつけてやるために獲物を待っていたってな。
「そっか…。ぼく、悪いことをしちゃったかな?」
「知らなかったんだから、仕方がないと思うがな?」
 それに知っていても、目の前で獲物が食われちまうのはキツイもんだし…。
 蜘蛛だってきっと許してくれるさ、殺されちまったわけじゃないから。また頑張ろう、と。



 ハーレイに巣を壊された蜘蛛。遠くの梢に飛ばされた蜘蛛。
 もしも卵を産む蜘蛛だったら、子供たちのためにと新しく作り直す蜘蛛の巣。獲物を捕まえて、育つための栄養がたっぷり詰まった元気な卵を産むために。
「あの蜘蛛、俺が投げちまったが…。あんなにデカくちゃ、もう無理なんだが…」
 知ってるか、ブルー?
 蜘蛛の子供は空を飛ぶんだぞ、風に乗ってな。翅も無いのに。
「…ホント? さっきハーレイが投げたみたいに?」
 空を飛んで行くの、蜘蛛の子供は?
 小さい間は空を飛べるの?
「うんと小さい間だけだが、飛べるそうだぞ。翅の代わりに、蜘蛛の糸でな」
 卵から孵って、糸を出せるくらいに育ったら。
 一緒に孵化した兄弟が全部、一斉に糸を出すらしい。いい風が吹いている日を選んで。
 自分の身体よりもずっと長い糸だ、それがパラシュートになるってわけだ。糸が風に攫われて、蜘蛛の身体ごと空に舞い上がる。赤ん坊の蜘蛛は小さいからな。
「そうなんだ…。赤ちゃんの蜘蛛だから飛べるんだね。重くないから」
 糸と一緒に飛べるくらいに小さい蜘蛛。それって、どのくらい飛んで行けるの?
「風任せだしな、吹く風の気分次第だが…」
 相当な距離を飛ぶらしい。蜘蛛が自分で歩いていたんじゃ、辿り着けそうもない遠い所まで。
 昔、日本があった頃には、そいつを意味する言葉まであった。
 なにしろ沢山の糸が飛ぶんだ、名前がついても不思議じゃないよな?
 雪がよく降る北の方でついた名前だったから、秋に飛んでいたら「雪迎え」。雪の季節を迎える前だし、雪を呼ぶんだと思われていた。
 逆に、雪が消える春に飛んだら「雪送り」。雪の季節は終わりだと見上げていたんだろうな。
 白い蜘蛛の糸だ、雪を連想しやすいじゃないか。ふわふわと沢山飛んでいたなら。



 地球が滅びるよりも前には、世界中にいた空を飛ぶ蜘蛛。小さい間に、糸を使って。風に乗って遠い、遠い旅をして。
 中国では遊糸という名で呼ばれた、大勢の蜘蛛の子供たちの飛行。文字通り空を飛んでゆく糸。
「地球は一度は滅びちまったが…。今はすっかり元通りだしな?」
 昔と同じに、世界中に空飛ぶ蜘蛛の子供がいるってわけだ。日本や中国だけではなくて。
 地球は広いし、同じように空を飛んでいたって、桁外れな場所もあるからなあ…。
 たまにニュースになったりするんだ、こいつがな。
 雪迎えだとか、遊糸なんていう洒落た名前じゃないんだが…。バルーニングと言うんだが。
 物凄い数の蜘蛛が風に乗って飛んで行ってだ、纏めて着地しちまって…。
 辺り一面、真っ白な糸に覆われるってな、そういう時にはニュースになる。糸だらけだ、と。
「凄い…! 蜘蛛の糸でしょ、あんなに細い糸なのに…」
 それが一杯、ってニュースになるほど沢山の糸。頑張ったんだね、蜘蛛の子供たち。
 人間の目に留まるくらいに、凄い数のグループなんだから。
「蜘蛛としては失敗なんだがな。…糸だらけってのは」
 どんなに見た目が見事だとしても、ニュースになっても、大失敗というヤツだ。
 風任せだから仕方ないんだが、纏めて着地しちまわないよう、いろんな場所に散らばらないと。
「なんで?」
 蜘蛛は縄張りとかは無いでしょ、巣を張って獲物を待つだけだから。
 それとも餌が足りなくなるかな、おんなじ所に沢山の蜘蛛が巣を作ってたら。
「餌の問題も大きいが…。生物としての問題もある」
 上手く分散出来てないから、生き残るのが難しいんだ。散っていたなら、チャンスは増える。
 嵐が来たとか、旱魃だとか。自然の中では色々あるだろ、命の危機が。
 散らばっていれば、一つのグループが滅びちまっても、他のグループが生き残れるから。
「そうだね…」
 兄弟が殆ど死んでしまっても、生き残りがいれば滅びちゃうことはないものね。
 子孫を増やせば滅びないんだし、散らばってる方が安心だよね。離れ離れは寂しいけれど。



 大勢の仲間と一緒にワイワイ暮らせていたなら、楽しそうに思える蜘蛛たちの世界。空を飛んで旅をして行った先でも、仲間たちと一緒だったなら。
 けれども、それは人間だから思うこと。蜘蛛の世界では逆が正しい。兄弟たちと離れ離れでも。空の旅の途中で、皆と別れてしまっても。
 ハーレイは「分かったか?」と、バルーニングの失敗例について教えてくれた。
「俺も何度かニュースで見てるが、馬鹿デカイ布でも地面に被せたみたいだぞ」
 レースと言うより、透ける布だな。そいつが辺り一面だ。塵も積もれば山となる、ってトコか。細い糸でも、物凄い数になった時にはああなる、と。
 だが、蜘蛛の方じゃ、固まっちまったらおしまいなんだ。運が悪かったと言うべきか…。
 風に乗って空の旅に出たなら、あちこちに広く散らないと。
 そういう意味では、シャングリラはリスクが高かったよな。…前の俺たちが生きていた船。
「シャングリラ…?」
 どういう意味なの、シャングリラは蜘蛛の子供たちとは違うけど…。
 乗っていたのは人間なんだし、大勢の仲間と助け合える方がいいじゃない。生きてゆくのにも、食べ物や物資を手に入れるにも。
 みんなで協力し合うのがいいよ、でないとミュウは生き残れないよ?
「それはそうだが、考えてみろ。…バルーニングと同じ理屈で」
 蜘蛛の子供たちは散らばることで、生き残るチャンスを増やしてるんだ。滅びないように。
 しかし、シャングリラはそうじゃなかった。皆、纏まって乗っていだろ、あの船に。
 早い話が、シャングリラが沈めば終わりだったろうが。…ミュウという種族は。
 ミュウを乗せた船は、あの船だけしか無かったんだから。あれが沈めば滅びるしかない。
 なのに、人類はシャングリラを退治し損ねた。何度も攻撃して来たのにな。
 アルテメシアから逃げ出した時もそうだし、ナスカだってそうだ。もちろん旅の途中でも。
 たった一隻しか船は無いのに、前の俺たちは生き残った。…滅ぼされずに。
 進化の必然だったとはいえ、珍しいケースなんだと思うぞ。纏まってたのに生き延びたなんて。



 そう思わないか、と尋ねられたら、頷かざるを得ない運の良さ。前の自分たちとシャングリラ。
 蜘蛛の子供たちは滅びないように散ってゆくのに、纏まったままで旅をしていた。大勢の仲間を乗せた箱舟、白いシャングリラに固まったままで。
 考えてみれば、他の星でも生まれていたミュウ。
 SD体制はミュウ因子を排除しなかったのだし、何処でもミュウは生まれていた筈。前の自分やハーレイがいたアルタミラのように、大勢のミュウが発見された星もあったろう。
 けれど、何処からも第二、第三のシャングリラは出て来なかった。シャングリラとは違う名前の船にしたって、ミュウの仲間が集まる船は。
 そういう船は一つも出て来ないままで、白いシャングリラも増えはしないまま。仲間たちを他の船に移して、艦隊を組むことも出来たのに。シャングリラを艦隊の中心に据えて、何隻かで。
 仲間の数が増えていっても、シャングリラはずっと一隻だった。たった一隻で宇宙を旅した。
 人類軍との本格的な戦闘状態に入った後でも、やはり変わらず一隻のまま。
 船が増えたのは、ソル太陽系が目前に迫ってからのこと。
 ゼルとブラウと、エラが指揮官だった船。その三隻が新たに加わったけれど…。



 ハーレイの口ぶりからして、あの船たちは分散するためではなかったのだな、と思ったから。
「えっとね、ハーレイ…。シャングリラとは違う船…」
 ゼルやブラウが指揮していた船、あったでしょ?
 前のぼくがいなくなった後。…もうすぐ地球だ、っていう頃には。たった三隻だったけど。
 だけど、あの船…。あれを増やしたのは、生き残るためじゃなかったんだよね?
 シャングリラが沈められちゃったとしても、エラたちの船が残ってるから、っていう意味の船。
「そういう船とは違ったな。結果的に、あれがコルディッツを救いはしたが…」
 ゼルの船にステルス・デバイスを搭載していたお蔭で、ミュウの仲間は救えたんだが…。
 あの三隻があるからといって、シャングリラが無くても生き残れるってわけじゃなかった。前と全く変わらなかったな、ミュウの事情というヤツは。
 単に戦力を増やすためにだけ、あの三隻を加えたんだし…。あっちに移った重要人物は、ゼルやエラたちだけなんだから。
 そんな船だけ残っていたって、ミュウの未来は無さそうだろうが。
 ソルジャーは辛うじて生き残っていても、キャプテンだった俺はいないし、二番手のシドも…。
 ブリッジクルーも全滅だろうし、シャングリラを支えたヤツらも同じだ。
 それでどうやって生きて行くんだ、自給自足も出来ない船で。
 たった三隻で命からがら逃げ出したとしても、二つ目のナスカも作れやしない。
 残った船には、戦闘員しかいないんだから。でなきゃ機関部担当とかで、料理の腕も怪しいぞ。
 あんな船だけ残っても駄目だ、ミュウは生き延びられないってな。



 艦隊の形を取った時にも、やはりリスクは分散してはいなかった。空を旅する蜘蛛の子供たち、彼らが滅びてしまわないよう、降りる先を変えて散らばるようには。
 地球を擁するソル太陽系が近付いて来ても、相変わらずシャングリラが核だったミュウ。それを失くせば滅びるのに。生き延びる道は無いというのに。
「…前のぼくたち、間違えてたかな、戦法を…?」
 シャングリラだけに固まってたのは、失敗だったみたいだけれど…。
 たまたま上手く行ったってだけで、一つ間違えたら、ミュウの未来も無かったんだけど…。
「まったくだ。実に危うい道ってヤツだな、シャングリラだけで旅をしていたなんて」
 前の俺も気付きもしなかった。危ない橋を渡ってるんだということに。
 本格的な戦闘なんかは、一度もしないままだったしなあ…。一方的に追われるだけで。
 ジョミーが地球を目指すまではだ、防戦一方と言ってもいい。一度も打って出ちゃいない。
 アルテメシアで前のお前たちの代わりに囮になっても、ただそれだけのことだったしな。
 こっちから派手に爆撃するとか、そんなことはしていないんだから。



 前の俺たちは生存本能が薄かったんだろうか、とハーレイがついた大きな溜息。
 お前でさえも死んでしまったし、と。
「前のお前は、俺たちよりかは逞しかった筈なんだ。身体は遥かに弱かったがな」
 それでも、物資を奪いに行ったり、人類の施設に忍び込んだり…。
 身の危険ってヤツは感じた筈だぞ、お前にとっては大した脅威でなかったとしても。
 そんなお前でさえ、メギドを沈めて死んじまった。…生きて戻ろうとは、思いもせずに。
「あれは、みんなを守るためで…!」
 みんなの命を守るためだもの、生き残るためにやったことだよ。ミュウの未来を守るために。
「そうなんだろうが、死んじまったというのがなあ…」
 普通だったら、ああいう時には、自分も一緒に行き残る道を探すだろうが。
 死んでたまるか、と踏ん張るのが生存本能ってヤツで、実際、出来ないわけじゃなかった。
 一人でメギドに出掛ける代わりに、ジョミーも連れて行くとかな。
「そんなことをしたら、危ないじゃない!」
 トォニィたちは船に戻せたとしても、ジョミーも一緒に行くなんて…。
 もしもメギドで、ソルジャーが二人とも死んでしまったらどうするの!
「お前、それほどジョミーが信用出来なかったか?」
 一緒に行ったら足手まといで、何の役にも立たないだとか。…共倒れになってしまうだとか。
「ううん…。ジョミーだったら、ちゃんと戦えたと思う…」
 二人がかりならメギドを沈めて、キースの船ごと壊せたと思う。指揮官を失くして人類軍が混乱している間に、シャングリラまで逃げることだって…。
「ほら見ろ、お前でもその有様だ。…生きようと思えば生きられたのに」
 ナスカに残った連中だってそうだ、シェルターごと押し潰されてしまったキムやハロルド。
 どうしても生きたい、助かりたい、と言うんだったら、あの連中だって助け出せたぞ。
 メギドに襲われた後にしたって、ジョミーはナスカにいたんだから。
 たった一言、「船に戻りたい」と頼めば良かった。そうすりゃ、どうとでもなった。
 ナスカにシャトルを降ろせなくても、ジョミーの力で皆を乗せることなら出来たんだから。



 惑星崩壊を起こしつつあったナスカの大地。揺れ動き、地割れが走る地面にシャトルを降ろせはしない。滑走路が確保出来ないから。
 けれど、ある程度の高度までなら降りられる。ジョミーが其処まで皆を運べば、収容は可能。
 ナスカに残った仲間たちが皆、シェルターを捨てていたならば。脱出の道を選んだならば。
 なのにそうせず、残ってしまった大勢のミュウたち。崩れゆく星では、シェルターの中も恐らく無事ではなかったろうに。明かりも消えてしまったろうに。
「人間ってヤツはパニックになると、頭が真っ白になっちまってだ…」
 目の前の危機を回避する代わりに、どうでもいいようなことをしようとするらしいんだが…。
 逃げればいいのに、崩れそうな家の掃除を始めちまうとか。
 ナスカに残ったヤツらも同じで、シェルターの中で落ちてくる瓦礫の掃除をしたかもしれん。
 思念波で助けを求めりゃいいのに、汚れちまったから床を綺麗にしないと、と。
 その可能性はあったとしたって、それよりも前に、危機感ってヤツが欠けていた。
 あれだけ危険だと警告したのに、残ってしまう辺りがな。
 …そういうヤツらも仲間だったんだ、生存本能は薄かったかもな。
 前の俺たちが生きた時代のミュウは全員、お前も含めて。



 シャングリラだけに固まって生きていただけあって、とハーレイに指摘されたこと。生存本能が薄い種族だったと、生き残る意欲に欠けていたと。
 言われてみれば、前の自分は思い付きさえしなかった。
 自分が生き残ることはもちろん、リスクを分散することも。一撃で滅ぼされてしまわないよう、仲間たちを散らせておくことも。
「…シャングリラ、一つじゃ駄目だったんだ…」
 沈められたらおしまいだものね。幾つかの船に分けておいたら、他の船が残ることもあるのに。
 前のぼく、全然、気付かなかったよ。
 救命艇は欲しかったのに…。意味なんか無いって言われたけれども、いつかは欲しい、って。
「あれだって、船を分けていたなら、意味は充分あっただろうさ」
 非常事態に陥った時は、それで脱出すればいい。他の船が収容しに来るからな。
 夢物語ってわけじゃなかった筈だぞ、シャングリラの他にも船を持つことは。
 前のお前なら、船だって奪えていたんじゃないか?
 適当な船を見付け出したら、乗ってるヤツらを放り出して。…殺さなくても、意識を奪って押し込めておけばいいんだから。お前が欲しかった救命艇に。
 それごと宇宙に放り出したら、船は貰っておけるだろうが。放り出された人類の方も、救命艇の中で気が付いた後は、救難信号を出せば助けが来るんだからな。
「…そうだったかも…」
 もしも欲しいと思っていたなら、船は貰えていたかもね。物資を奪うのと同じ要領で。
 コンテナを盗むか、中の人類を放り出すかの違いだけだし…。前のぼくなら、出来たんだし。
 武装した船だって奪えた筈だよ、白い鯨が出来る前でも。
 ビクビクしながら隠れてなくても、戦える船を持てていたよね、奪っていたら。



 人類を一人も殺さなくても、きっと奪えただろう船。乗員を全部、救命艇で宇宙に捨てて。
 その手を使えば、艦隊は組めた。シャングリラの他にも船を引き連れ、仲間たちを乗せて。
 船を一隻沈められても、ミュウが滅びてしまわないように。
 空を飛んでゆく蜘蛛の子たちが、生き残るために散らばるように。
 それをしないで、シャングリラだけで旅を続けた前の自分たち。リスクを分散させることなく。
「…前のぼくたち、やっぱり駄目だったのかな…」
 頑張って生きてたつもりだけれども、色々、失敗していたのかな。
 人類は逞しく生きていたけど、ミュウは弱くて、生存本能だって薄くって…。
「駄目だったんだろうな、生き物としては」
 蜘蛛の子供でも、散らばって生きようと旅をするのに。…固まっていたら滅びるから、と。
 前の俺たちには本能どころか、立派な脳味噌があったってのに…。
 誰一人として、其処に気付きやしなかった。前のお前も、ヒルマンも、エラも。
 船を分けようと、そうした方が生き残れるチャンスが増えるから、とは。
 だが、そんなミュウでも神様が助けて下さったんだ。生きろと、無事に生き延びろと。
 そのお蔭で今があるってな。
 人間は誰もがミュウになった世界。戦いなんかは無くなっちまった平和な世界が。
「本当だね。滅びちゃっても、文句は言えなかったのに…」
 生き残るための努力をしていたつもりで、間違ったことをしてたのに。
 シャングリラだけに固まって住んで、他にも船を持つことなんか、一度も考えないままで。
 もしもシャングリラが沈んでいたなら、ミュウはおしまいだったのにね…。



 何も知らずにシャングリラだけで生きていたのに、滅びなかった前の自分たち。本当だったら、船を奪って艦隊を作るべきだったのに。
 ミュウという種族を守りたいなら、そのための手段を講じておくべきだったのに。
 糸を頼りに空を旅する、蜘蛛の子供たちも知っていること。固まってしまったら失敗なのだと、滅びないためには散らばらねば、と。
 幸運だったとしか言いようがない、シャングリラで旅をしていたミュウ。滅びの危機に気付きもしないで、たった一隻の箱舟に乗って。
「…そういえば、蜘蛛もシャングリラにはいなかったよね」
 蜘蛛の巣なんかは見たことがないよ、あの船では。大きなのも、隅っこに出来る小さいのも。
「まるで必要無かったからなあ、蜘蛛なんかは」
 虫を食べるっていうだけなんだし、その虫にしても、ミツバチしかいない船ではな…。
 大切なミツバチを食われちまった、と大騒ぎになって直ぐに駆除だな。役に立たん、と。
 しかしだ、もしもシャングリラに蜘蛛がいたなら、ヤツらは空を飛んだだろうし…。
 あの船の中しか行き場が無くても、散ろうと旅をしたんだろうし。
 そいつを見てれば、前の俺たちだって、リスクの分散というヤツをだな…。
 いや、考え付かないか、前の俺たちじゃ。
 今度の蜘蛛はこんなに遠くまで飛んで行った、と記録を取るとか、その程度だな。
 ブリッジにまで飛んで来たとか、どうやって青の間まで飛べたんだか、と首を捻るとか。



 あんな状態でよく生き残れたな、とハーレイも呆れる、生存本能が薄かったミュウ。
 生き残るために努力していたつもりだったけれど、やり方を間違えていたらしいミュウ。一隻の箱舟を沈められたら、それでおしまいだったのに。
 綱渡りのような危うい航路を、最後まで旅して行ったのに。…地球に着くまで。
 それでも滅びなかったミュウ。蜘蛛の子供でも知っていることを、知らずに旅をしていたのに。
 本当に神が味方してくれたのだろう、さっきハーレイが言った通りに。
 「生きろ」と、「ミュウの時代を作れ」と。
 空を旅する蜘蛛の子供の話を聞いたお蔭で、神の助けに気付いたから。蜘蛛の子供が糸を頼りに空を飛ぶことは、窓の外に巣を張っていた蜘蛛のお蔭で聞けたのだから…。
「…ねえ、ハーレイ。さっきの蜘蛛、ちゃんともう一度、巣を張れるかな?」
 ハーレイに投げられちゃったけれども、あの木の所で巣を作れるかな?
 ちゃんと御飯が食べられるように、虫を捕まえられるような巣。…お母さんの蜘蛛なら、お腹の卵もきちんと育ててあげられるのを。
「おっ、考えが変わったか?」
 虫が可哀相だと騒いでいたのに、蜘蛛の心配、することにしたか。
 俺に蜘蛛の巣、すっかり壊させちまったのにな。
「生きてゆくのが大切でしょ?」
 蜘蛛もそうだし、前のぼくたちだって、そうだったんだよ。
 滅びちゃったらおしまいなんだし、頑張って生きていかなくちゃ。…ちょっと失敗していても。
 固まって生きてちゃ駄目ってことには、気付かないままで旅をしてても。



 生きていくには、食事するのも大事だものね、と微笑んだけれど。
 「だから蜘蛛には巣が要るんだよ」と言ったけれども、また蜘蛛の巣が出来たなら。露を纏って光る姿は綺麗だとしても、虫を捕えて食べるための罠が出来たなら…。
(虫、頑張って助けちゃいそう…)
 死の罠に虫が引っ掛からないよう、物差しを伸ばして、巣の糸を切って。
 ハーレイがやってくれていたように、蜘蛛の巣を壊して、蜘蛛だって遠くへ放り投げて。
(物差しを伸ばしても届かなかったら、またハーレイに頼むとか…)
 でなければ父を呼んで来るとか、もっと長い棒が無いかと探しに出掛けてゆくだとか。
 だから蜘蛛には、見えない所で頑張って欲しい。
 この部屋の窓からは見えない所に、虫を捕える巣を張って。餌の虫たちを捕まえて。
 前の自分たちも、隠して貰って生き残ったから。
 人類に滅ぼされてしまわないよう、神様が広げてくれた袖の中に。
 生き残るための努力を間違えていたのがミュウだったのに、神様に助けて貰ったから。
 神様が助けてくれたお蔭で、固まっていても大丈夫だったから、あの蜘蛛も何処か見えない所。
(そういう所で頑張ってよね)
 巣を壊されずに済む場所で。
 自分の目からは見えない所で、いつか卵が孵った時には、糸を飛ばして空の旅をして。
 シャングリラには無かった蜘蛛の糸のレースは綺麗だけれども、虫の命を奪うから。
 虫の命が奪われる前に、きっと助けてしまうから。
 前の自分たちの姿を重ねて、可哀相になって。
 「生きて」と「早く此処から逃げて」と、蜘蛛の都合も考えないで。
 今の自分は幸せだから。
 虫だって幸せに生きて欲しいから、蜘蛛の巣を壊しておかなくっちゃ、と…。




           蜘蛛の子の旅・了


※旅をする蜘蛛の子供の話から、ブルーとハーレイが気付いたこと。シャングリラのリスク。
 一隻の船に集まったままで旅をするのは、危険だったのです。神の采配で生き延びたミュウ。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv












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