シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(ふうむ…)
美味いんだよな、とハーレイが眺めた麩饅頭。
ブルーの家には寄れなかった日、いつもの食料品店で。食材を買いに行ったのだけれど、入って直ぐの特設売り場に麩饅頭。艶々とした笹の葉でクルンと包まれて。
生麩の中に餡が入った麩饅頭。美味だけれども、何処にでも売っている菓子ではないから…。
(買って帰るか)
久しぶりに見たぞ、と「一個下さい」と注文した。麩饅頭は日持ちしない菓子だし、一個だけ。店員も充分に分かっているから、嫌な顔もしないで包んでくれた。会計だって。特設売り場だと、会計は其処でするものなのに。「レジでどうぞ」とは言えないのに。
「またどうぞ」と笑顔で渡してくれた店員。「うちの店の人気商品です」と。
気分良く買えて、他の食材なども揃えて帰った家。夕食を済ませて、片付けの後に緑茶を一杯。急須から注いだ、熱いのを。
(麩饅頭には、こいつが合うんだ)
ほうじ茶よりも、断然、緑茶。コーヒーなどは論外、酒だってまるで話にならない。
せっかくの味が台無しだから。麩饅頭ならではの繊細な持ち味、それを殺してしまうから。
緑茶に限る、と一口飲んで喉を潤し、剥がし始めた麩饅頭を包んだ濃い緑色。艶やかな笹の葉、それを綺麗に巻いて仕上げた三角形。まるで笹の葉のおにぎりみたいに。
こうやって、と解いた笹の葉の包み。中から出て来た麩饅頭。こちらはコロンと丸い饅頭。
美味そうだな、と齧り付いたら、笹の香りと柔らかな生麩。滑らかな舌触りの生麩の皮に、いい素材だと分かる絶妙な味の小豆餡。
(大当たりだぞ、これは)
なんとも美味い、と頬張った。菓子作りだって得意だけれども、麩饅頭は家では作れない。餡は作れても、皮の生麩は無理だから。
やってやれないことはなくても、途方もない手間がかかるから。
買って食べるに限るんだ、と味わって食べた麩饅頭。美味かった、と空になった笹の葉を畳んでいった。クシャリと潰してゴミに出すのは、申し訳ない気がしたから。
大きな笹の葉、艶やかな緑。麩饅頭には笹の葉がつきもの、これでこそだと折り畳んでいて…。
(ん…?)
待てよ、と眺めた濃い緑色。当たり前のように剥いた笹の葉。麩饅頭を包んだパッケージ。この笹の葉はそういったもので、麩饅頭用の個別包装。キャンディーの包み紙のようなもの。
笹の葉は粽などにも使うし、笹の葉で包んだ寿司なども多い。殺菌力があるから、食品に合うと聞いている。中の粽や麩饅頭などや、寿司の類が傷まないように保存出来るから。
挙げていったら多い笹の葉、七夕飾りも笹だけれども。七夕の頃には、あちこちの家で笹飾りを目にするのが普通だけれど…。
(笹の葉、あったか?)
今では当たり前の笹の葉、それを自分は見ていたろうか。前の自分が生きた時代に、遠く遥かな時の彼方で。
(シャングリラに笹は無かったが…)
ブリッジが見える一番大きな公園はもちろん、居住区に幾つも鏤められていた公園だって。どの公園でも笹を見てはいないし、笹の仲間の竹も無かった。
(笹はともかく、竹は大いに迷惑だしな?)
宇宙船には向いちゃいないんだ、と断言出来る。シャングリラの中で竹を育てるのは無理、と。
青竹の藪は美しいけれど、心が和む景色だけれど。
風が通れば届く葉擦れの優しい音や、しなやかに曲がる姿に似合わず、竹は逞しすぎる植物。
竹の地下茎、地面の下でぐんぐんと伸びる根の破壊力は凄いもの。遮断用にと入れた鉄板、その下だって潜って通る。固い地面や床を破って、ある日ニョッキリ顔を出すのがタケノコだから。
あんな代物は植えられない、と考えれば直ぐに分かるのが竹。いくら姿が美しくても。
地下茎を伸ばしての破壊活動、けして楽観視は出来ない。公園だけで止まる筈だ、とは。
(しかし、却下した覚えというのも…)
記憶に無い笹、ついでに竹。
キャプテンとして「駄目だ」と言ってはいないし、「駄目じゃ」と止められた覚えも無い。白い鯨に改造する時、何度も会議を重ねたのに。何を植えようか、育てようかという会議。
どうして笹は無かったろうか、と首を捻って、気付いたこと。
そもそも無かったのだった。笹や竹を植えて観賞しようという文化。それが無かった、白い鯨の時代には。前の自分が生きた頃には。
(今じゃすっかり馴染みなのにな…)
竹も、笹の葉も。こうして麩饅頭を包んであるほど、よく見掛けるのが緑の笹の葉。笹で包んだ寿司があるほど、粽などの菓子が売られるほどに。
(日本の文化というヤツか…)
その一つだな、と頷いた。竹取物語を生み出した日本。遠い昔の小さな島国。
七夕飾りも、考えてみたら、元は笹ではないのだから。別の植物だったのだから。
(前にブルーと七夕の話をしたんだが…)
七夕の頃に、授業で教えた催涙雨。七夕の夜に降る雨のこと。
それについてブルーと話していた時、「天の川も泳いで渡ってやる」と約束をした。二人の間を天の川で隔てられたなら。一年に一度しか会えない恋人、そんな二人になったなら。
七夕の夜に、天の川に架かるカササギの橋。何羽ものカササギが翼を並べて作る橋。
けれど、その夜、雨が降ったら溢れてしまう天の川。カササギの橋は架からない。
そうなった時は、泳いで渡るとブルーに誓った。どんなに広い天の川でも、泳いで渡ると。
ブルーにはそう言ったのだけれど…。
(あいつ、笹飾りだと思っているな?)
七夕の季節に飾られるものは、笹飾り。遥かな昔は、笹飾りではなかったのに。
それにブルーは、白いシャングリラに笹が無かったことにも気付いていない。あの時、竹の話はしたのだけれども、「シャングリラには竹は無かった」で終わりだった筈。
(竹があったら、大迷惑だと俺が話して…)
地下茎を伸ばして破壊活動をする竹は、キャプテンとして許可出来ないと。植えられないぞ、と笑い合っていたという記憶。それで終わって、笹の話はしていなかった。
(…麩饅頭でも買って行くかな)
小さなブルーに、「土産だ」と持って行ってやる麩饅頭。きっと喜ぶことだろう。
幸い、明日は土曜日だから。
麩饅頭を売っていた特設売り場は、明日も営業しているから。
次の日の朝、目覚めた時にも覚えていたのが麩饅頭。それに笹の話。
いい天気だから歩いて出掛けて、途中で昨日の食料品店に立ち寄った。特設売り場で、麩饅頭を二つ。艶やかな笹の葉に包まれたもの。
それを提げてのんびり散歩しながらブルーの家まで、出て来た母に「買って来ました」と渡しておいた。「午前のお茶の時にお願いします」と。
ブルーは二階の窓から目ざとく見ていて、「お土産は?」と訊いて来るものだから。
「じきに出て来るさ、お母さんに頼んでおいたから」
そう言っている間に、届いた緑茶と麩饅頭。ブルーの赤い瞳が輝いて…。
「これがお土産?」
「昨日、買ったら美味かったからな」
絶品だぞ、と褒める言葉は嘘ではない。本当に美味しい麩饅頭だし、笹の葉の話が絡まなくても土産に持って来たいほど。「食べてみろ」と促したら、ブルーは早速、笹の葉を剥いて。
「ホントだ、美味しい…!」
皮も美味しいし、中の餡だって…。それに笹の香りがとっても素敵。
ありがとう、と笑顔で頬張るから。
「その菓子、何か気が付かないか?」
「えーっと…?」
なあに、とキョトンとするブルー。「何か特別な麩饅頭なの?」と。
「特別じゃなくて、平凡なんだが…。麩饅頭と言えば、そういうモンだし」
笹の葉で包んであるもんだろうが、麩饅頭ってヤツは。そうすりゃ皿にもくっつかないし…。
その笹の葉だな、粽も笹の葉で包んであるだろ?
「粽…。今は季節じゃないけれど…」
そうだ、粽、食べ損なっちゃった…!
ハーレイの授業で粽が出た時、ぼくは食べ損なったんだよ…!
端午の節句、と叫んだブルー。端午の節句は五月の五日。
聖痕が現れて救急搬送されたのが五月三日で、念のためにと学校を休まされていたから、端午の節句の粽は食べていないのだ、と。
「…ハーレイの授業だったのに…。古典の時間に、他のみんなは食べたのに…」
ぼくは食べられなかったよ、粽。ハーレイの話も聞き損なっちゃって、後からプリント…。
「そういや、そうか…。端午の節句も俺の管轄だしな」
とんだ藪蛇というヤツか。そいつはすっかり忘れちまってた、あの時の粽。
「…その話じゃないの?」
粽だって言うし、笹の葉の話らしいから…。粽なのかな、って…。
「違う、粽の中身じゃなくって、外側の方だ」
この麩饅頭と同じで、粽を包んでいる笹の葉。あっちは包み方が全く違うわけだが…。
粽だと笹の葉は一枚じゃなくて、何枚も使って巻き上げるんだが…。
笹の葉ってヤツを、前のお前は知っていたのか?
シャングリラの公園とかもそうだし、アタラクシアだのエネルゲイアだの。
何度も地上に降りてたわけだが、前のお前は、笹の葉、何処かで目にしてたのか…?
「…笹の葉…。シャングリラの中には無かったね…」
アルテメシアの山の中でも見ていないかも…。町の中だって。
前のぼく、笹の葉、見たことがないよ。…全然気付いていなかったけど。
「ほらな、お前でも知らないってな」
今じゃ馴染みの植物なんだが、あの時代の文化じゃ、笹の葉ってヤツは使われない。
麩饅頭だの、粽だのはだ、何処にも無かった時代だからな。
ついでに七夕、と挙げた例。笹の葉が欠かせない、今の時代の七夕飾り。
「七夕の時には笹飾りだが、シャングリラには七夕、無かったろうが」
笹も無ければ、七夕も無い。そういう時代だったんだな。…前の俺たちが生きた時代は。
「そうだけど…。今はあるでしょ、七夕がちゃんと」
ハーレイ、ぼくに言ってくれたよ。
もしも、ぼくたちの間に天の川が出来ちゃったら…。七夕の夜に溢れちゃったら、どうするか。
カササギの橋が架からなかったら、ハーレイ、泳いでくれるって…。
ぼくの所まで、天の川、泳いで渡って来てくれるって…。
「覚えてたんだな、その話は」
端午の節句の粽の授業は、綺麗に忘れていたくせに。…俺のプリントを読んだ程度で。
粽を食い損なった事件も、すっかり忘れちまっていたのに。
「だって、七夕の時にお祈りしたもの」
催涙雨が降りませんように、って。雨が降ったら、天の川、溢れちゃうんだから…。
彦星と織姫がちゃんと会えますように、ってお祈りしたから忘れないよ。
「そうなのか?」
お前、彦星と織姫のために、雨が降らないようにとお祈りしてたのか…?
「会えないなんて可哀相でしょ、カササギの橋が架からなくって」
彦星、ハーレイみたいに泳いで渡れはしないだろうし…。天の川、とっても広そうだから。
でもね、そういうお願いしてたら、ぼくのお願い、忘れちゃった…。せっかく七夕だったのに。
短冊に書いてお願いをしたら、叶えて貰える日だったのに…。
「忘れちまったって…。何を頼みたかったんだ?」
「ぼくの背、伸びてくれますように、って…」
前のぼくと同じ背丈にして下さい、って短冊に書けば良かったのに…。
「お前の背丈か、そいつは切実な願い事だな」
チビのままだとどうにもならんし、願い損なったのは残念だったと言うべきか。
だがな…。
願い事ってヤツは、元は短冊に書くものじゃないぞ、とニヤリと笑った。
「あまり知られちゃいないがな」と。
「七夕と言えば、今は短冊になっちまったから…」
SD体制が始まるよりも前の時代に、もう短冊になっていたしな。
「え…?」
まだ七夕があった頃から、短冊になっていたって、なあに?
元は短冊に書くんじゃないなら、願い事は何に書いて吊るしていたの…?
「梶の葉ってヤツだ、桑の葉に少し似ているが…」
もっとデカくて立派な葉だ。それに書くんだ、サトイモの葉についた夜露を集めてな。
夜露そのもので書くんじゃないぞ?
あの時代は筆の時代だからなあ、夜露を使って墨を磨るんだ。他の水では駄目だったそうだ。
そうやって願い事を書いたら、梶の葉を祭壇に吊るしておく。笹飾りじゃなくて、祭壇だった。
芸事が上達しますように、と楽器を飾ったり、五色の糸を飾り付けたり。
「…そうだったの?」
短冊じゃなくて梶の葉っぱで、笹飾りだって無かったの…?
「最初の頃の七夕はな。それが日本の文化だった」
平安時代に貴族が始めて、優雅に歌を詠んだりしたのが七夕なんだ。蹴鞠もしてな。
そいつが何処かで変わっちまって、いつの間にやら、笹飾りと短冊になっちまった、と。
「七夕、変わっちゃったんだ…」
それじゃ、ホントにお願いを聞いて欲しかったら、梶の葉っぱに書かないと…。
ぼくのお願い、お星様にきちんと届けるんなら。
みんなは短冊に書いてるんだし、梶の葉っぱに書いて頼んだら、お願い、聞いて貰えそう…。
正しいお願いのやり方だったら、願い事も叶えて貰えそうだ、と小さなブルーは大真面目な顔。七夕の日にお願いするなら、短冊よりも梶の葉っぱ、と。
「お前なあ…。そこまで頑張らなくてもな?」
梶の葉っぱを探すトコから始めなくっちゃいけないんだぞ。あまり植わっていない木だから。
それにだ、今のお前の願い事なんか、本当に知れたモンだろうが。
せいぜい背丈を伸ばす程度で、叶わなくても困りやしない。…いつかはちゃんと育つんだしな。
前のお前の願い事なら、多分、切実だっただろうが…。
アルテメシア中を端から探し回ってでも、梶の葉っぱに書いて頼みたかっただろうが…。
「うん…。前のぼくなら、そうしたと思う」
それで願いが叶うんだったら、梶の葉っぱを探しに行ったよ。…サトイモの葉についた夜露も。
七夕の時にちゃんと書いたよ、地球へ行くことと、ミュウの未来と…。
「そんなトコだろうな、前のお前は」
梶の葉っぱを探し当てたら、大喜びで書いたんだろう。…これで叶ってくれれば、と。
「それとハーレイだよ!」
「はあ?」
俺って、どうして俺が出てくるんだ?
キャプテンの命令で梶の葉っぱを探せと言うのか、アルテメシアに降りる潜入班のヤツらを動員して。「こういう葉っぱを探して来い」と。
「違うよ、ハーレイそのものだよ」
ハーレイと幸せに暮らしたかったよ、シャングリラで地球まで辿り着いて。
恋人同士だってことも誰にも隠さずに済んで、ハーレイと一緒に暮らすんだよ…。
それをお願いしたかった、と揺れるブルーの瞳。二粒の赤く澄んだ宝玉。
シャングリラに七夕があれば良かったと、梶の葉に願いを書きたかった、と。
「梶の葉も何も…。あの時代には七夕自体が無かったんだぞ?」
笹飾りをする笹も無かったわけでだ、今日はそういう話をしようと麩饅頭をだな…。麩饅頭には笹の葉なんだし、ついでに本物の七夕の話もしてみるか、と。
「本物でも時代で変わったんでしょ、七夕の中身!」
願い事を梶の葉に書いて吊るしていたのが、笹飾りになって短冊だよ?
同じ七夕でも中身が変わっていったんだったら、シャングリラでも七夕、出来たんだよ。
梶の葉っぱに書いてお願い出来たら一番いいけど、それとは違う形でも。
「これがシャングリラの七夕です」って、彦星と織姫にお願いくらいは…。
どんな形になっていたかは知らないけれど。
笹飾りの代わりに何を使ったか、短冊が何になっていたかは分からないけど…。
「うーむ…。シャングリラの七夕か…」
シャングリラ風だか、シャングリラ流だか、とにかくそういう七夕だな?
俺たちの船ではこうやるんです、と強引に七夕をやるってわけか…。
それは思ってもみなかった、と腕組みをして唸ったけれど。とても驚かされたのだけれど。
確かにブルーが言う通り。
本物の日本の七夕でさえも、時代に合わせて変わって行った。梶の葉を吊るしていた祭壇から、短冊を吊るす笹飾りへと。いつの間にやら。
だからシャングリラでも、やろうと思えば七夕は出来た。そういう行事を知ってさえいれば。
シャングリラ風にアレンジして。笹が無いならこれを使おう、と。
「…やってやれないことはなかったな、確かにな…」
だが、前の俺たちは知らなかったんだ。七夕っていう行事そのものを。
知らない行事は出来ないからなあ、誰もやろうと言い出さないから。
「そうだけど…。それは分かっているんだけれど…」
願い事が叶うのが七夕なんだよ、とても素敵な行事じゃない。叶わなくても夢が一杯。
そういう行事は何か無かったの、七夕じゃなくても願い事を叶えて貰える行事。
「…万能のは無かったんじゃないのか?」
今でもそうだが、願い事と言えば目的別だろ、おまじないにしても。
この願い事を叶えたいなら、こういうおまじないをする、って具合に。
「うーん…。だったら、やっぱり七夕が一番?」
前のぼくたちは知らなかったけど、夢があるのは七夕だった…?
「夢があるヤツなあ…。あの時代にも、あったかどうかは知らないが…」
幸せになれる菓子ってヤツなら、心当たりがあるってな。
中に入れてあるフェーヴっていう小さな陶器の飾り。そいつが当たれば、一年間は幸運が来る。
そう言われてる菓子がガレット・デ・ロワで、元はフランスの菓子なんだが…。
クリスマス・プディングにも、似たような話がある筈だ。
作る前に中に色々な物を仕込んでおいて、食べる時に出て来た物で未来を占うってヤツ。
金持ちになれたり、運命の相手が見付かったりすると聞いてるな。
そんな菓子だから、中に仕込む物を入れた後には、順番に一度ずつかき混ぜるそうだ。いい物が当たりますように、と。いい物、つまり幸せな物が当たるようにと祈りながらな。
そういう菓子なら今の時代の名物だが、と教えてやったら、「他には?」と訊いた小さな恋人。もっと他にも、幸せになれる行事の類は無いのか、と。
「七夕みたいなのは無さそうだけど…」
何をお願いしてもいいのは、七夕だけしか無いみたいだけど…。
もっと他にも、幸せが来る行事は無いの?
前のぼくたちが生きてた頃でも、何かあったら良かったのに…。
「他には知らんな、俺もそれほど詳しくはない」
そういう研究をしてるわけじゃないし、本とかで読んで「面白いな」と思って覚えただけで…。
前の俺だと、まるで管轄外だろうが。教師じゃなくてキャプテンなんだし。
ヒルマンやエラなら、その手のことにも詳しそうではあるんだが…。
だが、あいつらも…。
七夕は知らなかっただろう。知っていたなら、やっただろうしな。
さっき、お前が言った通りに、夢を託せる行事なんだし…。
一年にたった一度だけでも、好きなことを願える日なんだから。
それこそシャングリラ風にアレンジだろうな、ヒルマンとエラが気付いていたら。
ブリッジが見える一番デカイ公園、あそこに笹飾りの代わりに何かをドカンと立てて。
船の全員が短冊だか、いろんなカードだかを書いて吊るせるように。
全員分の願い事なんだし、小さな笹飾りじゃ間に合わん。どうせ笹なんかは無い船なんだ。笹の代わりに公園の木の出番だな。でなきゃ、専用のポールみたいなのを立てるとか。
大々的に七夕を始めそうだが、全くやっていなかったんだし…。
七夕も知らなきゃ、ガレット・デ・ロワも、クリスマス・プディングの幸運ってヤツも…。
あいつらは知らなかったんじゃないのか、と口にした途端に掠めた記憶。
シャングリラにも幸運の来る行事があった、と。ヒルマンとエラは知っていたんだ、と。
「…あったぞ、ブルー。前の俺たちの船にもな。…幸運が来る行事というヤツが」
一つだけだが、あったんだ。…残念ながら、俺たちのためには無かったが…。
全員の分の幸運は無くて、ごくごく一部に限られていたが。
「一部だけって…。あったって、何が?」
どういう行事があったって言うの、シャングリラに?
誰かが幸運を貰えるんだよね、一部だけでも。…船のみんなの分は無くても。
「うむ。本当にほんの一部だけでだ、相当に運がいいヤツだけしか幸運は貰えない行事だが…」
さっき言ったろ、今の時代の名物の菓子。ガレット・デ・ロワだ。
「えっと…?」
フランスのお菓子だって言ってなかった、それ…?
シャングリラにあったの、今のフランスの名物のお菓子が?
「どういう理由で生まれたのかは知らないが…。俺も覚えちゃいないんだが…」
人類の世界でやっていたのを取り入れたのか、ヒルマンとエラが探し出した行事だったのか。
それは謎だが、ガレット・デ・ロワは確かにあった。
新年の菓子で、一月六日に食べるんだったか…。今の時代は一月六日だし、シャングリラの頃も同じだったろう。どっちもガレット・デ・ロワなんだから。
王様の菓子って意味の名前だ、子供たちのための菓子だった。
ミュウの未来を担うのは子供たちだしなあ…。子供たちを優先してやらんとな?
フェーヴの入ったパイだったぞ、と話してやった。子供たちの人数に合わせて焼かれた、新年の菓子のガレット・デ・ロワ。ただし人数分を焼くのではなくて、それよりもっと少なめに。
「一個のパイにフェーヴが一個。…パイを分ける子供は六人だったか、八人だったか…」
そいつも多分、年によって変わっていたんだろう。食べる資格のある子供の数で。
子供たちだけが切って貰って食べた菓子だが…。
そういや、お前、あの中に混ざっていなかったか?
いつも子供たちと遊んでいたから、「ソルジャーも食べよう」って誘われちまって。
覚えていないか、こう、王冠を被った菓子で…。
王冠と言っても紙で出来たヤツで、金色の紙で作った王冠。それを乗っけたパイなんだが。
「あったっけ…!」
思い出したよ、ガレット・デ・ロワ。
幸運のお菓子で、中のフェーヴが当たった子供は、一年間、幸運が来るんだったっけ。
紙の王冠を被せて貰って、その日は一日、王様になれて…。女の子だったら女王様。
一番偉い子供になるから、好きな遊びをしていいんだよ。その日だけは。
「覚えてたか…。今から思えば、ちょいと怪しい菓子だったかもしれないが…」
俺はもう厨房を離れていたから、ガレット・デ・ロワのレシピは知らん。
だから確かめようがないんだ、本物のガレット・デ・ロワを作っていたのか、偽物だったか。
シャングリラ風にアレンジされてた菓子だったかもしれないなあ…。
中にフェーヴが入るってトコが重要なんだし、菓子の方はそれのオマケだから。
パイの形に焼いておいたらいいだろう、と味や作り方はシャングリラ風。
その可能性は大いにあるなあ、見た目は立派に本物のガレット・デ・ロワだったんだが。
シャングリラ風の七夕ならぬガレット・デ・ロワだ、と浮かべた苦笑い。
今の時代は、ガレット・デ・ロワのコンクールがあるほどだから。人間が地球しか知らなかった時代と全く同じに、その菓子を作る腕だけを競うコンクール。
遠い昔のフランスを名乗る地域だったら、菓子職人になるための試験の課題になるとも聞いた。この菓子を上手く焼けないようでは、菓子職人になる資格は無い、と。
それほどの菓子がガレット・デ・ロワで、多分、決まりも多いのだろう。材料も味も、見た目も細かく吟味されそうな菓子がガレット・デ・ロワ。
白いシャングリラで本物を作れたとは思えない。作れたとしても、素人料理の域を出ないもの。菓子職人の試験には合格しなくて、コンクールなどは夢のまた夢。
(…きっと、そういうトコなんだ…)
今の自分が作る所を目にしたならば、「ちょっと待て!」と言いたくなるような。
「其処はそうじゃない」と、「俺が知ってるレシピじゃ、こうだ」と口を挟みたくなるような。
それでも立派にガレット・デ・ロワ。…白いシャングリラの中だったなら。
陶器で出来た小さなフェーヴを一個仕込んで、オーブンで焼かれたガレット・デ・ロワ。
焼き上がったら、きちんと冷まして、一月六日に子供たちの前へ。
紙で作った金色の王冠、それを被せられて誇らしげだったガレット・デ・ロワ。
囲む子供たちの顔も輝いていた。フェーヴは誰に当たるだろうかと、王様は誰になるのかと。
フェーヴが何処に入っているのか、誰も透視はしないようにと、サイオンは禁止された菓子。
子供たちが取り囲んで見守る中で、養育部門の係の女性が切り分けた。紙の王冠を外してから。一つのパイを分け合う子供の人数分に、均等に。
(切り分ける間は、一番のチビがテーブルの下…)
そういう決まりになっていた。これまた今の時代と同じ。遠く遥かな昔の地球とも。
一番年が小さな子供は、テーブルの下に入るのが役目。切り分ける所が見えないように。
ガレット・デ・ロワが切り分けられたら、テーブルの下から出て来る子供。その子が決めていた菓子の配り方。「これは、あの子」と、「こっちは、この子」と。
(…切る係だって、フェーヴの在り処は見てないからなあ…)
サイオンを封印して切ってゆくのだし、ナイフがフェーヴに当たることもある。そんな時には、押し込まれるフェーヴ。「こっちに入れよう」と選んだ一切れの内側に。
テーブルの下に入っていた子は、それを見ていないものだから…。
(ちゃんと公平に配れるわけだ)
全く何も知らないからこそ、「これは、こっち」と無邪気に決めて。
そうやって菓子を配り終えたら、子供たちが一斉に手にするフォーク。食べ始めた菓子の中からフェーヴが出たなら当たりで、その日の王様、女王様。
それに一年間の幸運、どの子もドキドキしていた行事。
子供だけのイベントだったのだけれど、ただ一人だけ混じっていたのがブルー。
誘われるままに、子供たちと一緒にパイを囲んで。「ソルジャーは、これ」と渡して貰って。
いつもあいつが混じっていたな、と懐かしく思い出していて…。
「あのフェーヴ…。お前、当たっちまっていたぞ」
俺の記憶じゃ一度だけだが、子供たちに誘われて食べに出掛けて。
お前が食べてたパイの中から、見事にフェーヴが出ちまったとかで…。
「あったっけね…。そういう年が」
ぼくもサイオンは使ってないから、まさか入ってるとは思わなかったし…。
ビックリしたけど、ホントにフェーヴ。
子供たちは拍手してくれたけれど、子供たちの幸運、ぼくが貰うわけにはいかないから…。
「譲ろうとしたって言ってたっけな、お前と同じパイを切って貰っていた子に」
何人いたのか忘れちまったが、皆でクジ引きでもするように、とな。
「そうなんだけど…。誰も貰ってくれなかったんだよ」
ぼくは大人だから要らないんだ、って説明したって、子供たちの方が上だったよ。
「それなら、今年は大人用の幸運なんだ」って、「誰かにあげるなら、大人の人」って。
どうしても貰ってくれなくて…。ぼくの幸運…。
「だからと言って、俺の所に持って来なくても…」
お前が貰っておけばいいのに、わざわざ届けに来るんだから。王様の印の紙の王冠。
これはキャプテンに、って俺の頭に被せやがって…。
「あの時も言ったよ、ぼくより君が相応しいんだよ。一年分の幸運だから」
君はキャプテンだったわけだし、船のみんなの幸せを守っていく立場。
シャングリラの一年間の幸運になると思うよ、キャプテンの君が受け取ったらね。
「これを貰って」と、ブルーに被せられた王冠。「シャングリラの一年間の幸運だから」と。
金色の紙で出来た王冠、それを一日、被っていた。ブリッジでも、通路を歩く時でも。
前のブルーがくれた幸運。「シャングリラのために」と貰った幸運。
「…お前の幸運、俺が貰ってしまったのに…」
すっかり忘れちまっていたなあ、今の今まで。
あの日は一日、王冠を被ったままだったのに…。船の仲間も笑ったりしないで、シャングリラの幸運を喜んでくれていたのになあ…。これで一年間、いいことがある、と。
「ぼくも忘れてしまっていたよ。…ガレット・デ・ロワも、ぼくにフェーヴが当たったことも」
ハーレイに幸運をプレゼントしたのも、何もかも、全部。
きっと子供たちのための遊びだったからだね、大人用じゃなくて。…ガレット・デ・ロワは。
こんな風に忘れてしまうほどだし、シャングリラで七夕、やりたかったね。
七夕だったら、大人だって願い事が出来たのに…。好きなことをお願い出来たのに…。
ガレット・デ・ロワだと、幸運を貰えるのは一つのパイに一人だけだよ?
それじゃ駄目だよ、そんな行事だから、ホントに忘れてしまうんだよ。
…大人のくせに、フェーヴが当たっても。
ガレット・デ・ロワで貰える幸運、キャプテンのハーレイに譲りに行っても。
「仕方ないだろ、お前も自分で言ってるだろうが。子供用だと」
遊びみたいなものだったんだし、忘れる程度の行事ってことだ。…一年分の幸運でもな。
「でも、七夕なら、船のみんながお願い事…」
叶うかどうかは分からないけど、色々お願い出来たんだよ?
ガレット・デ・ロワより、七夕の方が、ずっと良かったと思うんだけど…。
どうして無かったんだろう、とブルーはとても残念そうで。「シャングリラ風で良かったのに」などと繰り返しているから、「過ぎたことだろ」とチョンとつついた緑の笹の葉。
麩饅頭を包んでいた艶やかな葉は、少し乾いて来ているけれども、まだ充分に綺麗な緑。
「前の俺たちが生きてた時代は、七夕という文化自体が無かったんだから、仕方がないさ」
ヒルマンもエラも気付かないままで、シャングリラ風の七夕は生まれないままになっちまった。
だが、俺たちは地球に来ただろ、短冊は書いていないのに。
…俺もお前も、七夕の星に何も頼んでいなかったのにな?
それでも地球まで来られたわけで、今じゃ本物の七夕だ。七夕の時には短冊だろうが。
「短冊もいいけど…。梶の葉、探して書いてもいい?」
サトイモの畑も見付けて来ないと駄目だけど…。夜露を集めて墨を磨らなくちゃ。
梶の葉に書くのが本当なんでしょ、七夕の時のお願い事は…?
「その通りだが、何と書くんだ?」
約束事をきちんと守って、梶の葉にサトイモの葉に溜まった夜露の墨で…。
どういう願い事を書くつもりなんだ、そこまで律儀に頑張ってまで…?
「ぼくの身長…」
うんと急いで伸びますように、って書くんだよ。
今のままだと、ハーレイとキスが出来るようになるの、まだまだ先になりそうだから…。
前のぼくと同じ背丈になれるの、何年先だか分からないから…。
「もっとマシなのを思い付け!」
背くらい、いずれ伸びるだろうが、放っておいても!
梶の葉とサトイモの夜露に失礼すぎるぞ、そんなつまらん願い事は!
同じ書くなら、前のお前の願い事のように大きいのを書け、と叱ったけれど。
「ミュウの未来とまでは言わんが、背丈を頼むのは失礼すぎる」と言ったら、ブルーはプウッと膨れてしまったけれど。
(…身長なあ…)
それが梶の葉を探し出してまで頼むことか、と呆れてはいても、ブルーの夢なら叶えたい。
ブルーの願い事だというなら、大きな夢でも、小さな夢でも。
(背丈ばかりは、俺にもどうにも出来ないんだが…)
いつかブルーが大きくなったら、願い事を全て叶えてやりたい。どんな大きな夢だって。
そして自分も願い事をしよう、七夕の時には笹飾りをして。
梶の葉ではなくて短冊に書いて、ほんの小さな願い事でも、ブルーと二人で吊るしてみよう。
「お前の願い事はそれか」と、「ハーレイはそれ?」と笑い合いながら。
短冊を二つ並べて吊るして、他にも飾りを色々とつけて。
今は笹の葉がある時代だから。七夕があって、笹飾りが出来る時代だから。
願い事を書いて吊るしておいたら、叶えて貰える時代だから。
ブルーの夢は、きっと自分が叶えよう。
短冊に書かれた願い事を読んで、「今年はこれか」と、七夕の星たちよりも先に自分が。
誰よりも愛おしい人だから。
前の生から愛し続けて、これからもずっと愛してゆくから…。
笹と七夕・了
※シャングリラには無かった七夕の行事。幸運が来るお菓子を楽しんだのも、子供たちだけ。
もしもあったら、素敵なイベントになっていたのでしょう。本物の笹が無かった船でも。
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