シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(亜空間理論…)
ハーレイが勉強してたヤツ、とブルーが眺めた新聞広告。学校から帰って、おやつの時間に。
ふと目に留まった本のタイトル、宇宙船のパイロットを目指す人たちの必読書らしい。亜空間についての知識が無ければ、ワープなど出来はしないから。
(…前のハーレイなんだけれどね?)
亜空間理論の本を読んでいたのは。「サッパリ分からん」とぼやきながらも。
シャングリラのキャプテンに就任した後、操舵の練習を始めたハーレイ。厨房で料理をしていた頃とは、違う世界に飛び込んで行って。
キャプテンには必要なことだから、と懸命に努力し続けていた。操舵は出来なくてもいいという条件付きで、選任されたキャプテンなのに。「船を纏めてくれればいい」と。
けれどハーレイは、それで良しとはしなかった。船を動かせるキャプテンになろうと、専門書を読んでの勉強から。やがてシミュレーターでの練習、ついには実地。
そうして出来たキャプテン・ハーレイ。誰よりも巧みにシャングリラを動かし、細かい癖だって掴んでいた。白い鯨になる前も、後も。
(こっちの本は参考書…)
パイロット養成校での授業について行くための、何種類もの参考書たち。難解そうなタイトルが幾つも、きっと自分が読んだって…。
(分からないよね?)
参考書に書いてある中身。参考書でも、まるで分からない筈。
学校の成績はトップだけれども、パイロットの勉強はしていないから。義務教育の間は、学校で教えはしないから。
亜空間理論も、他の参考書も。…日々の暮らしに必要無いから、義務教育では習わない。
だから分からない、専門分野。パイロットになりたい人たちだけが学ぶこと。
(この辺りは、前のぼくたちが生きてた時代と同じ…)
遠く遥かな時の彼方の、機械が支配していた時代。歴史の授業で学ぶSD体制の時代。
あの時代でも、そうだった。最初は誰もが全く同じ教育を受ける。今の自分が通う学校、其処で教わる義務教育。
授業の中身はSD体制の時代と全く違うけれども、どの子も同じに学ぶということ、その点では前の自分が生きた時代と変わらない。基本の教育は誰でも同じで、知識も同じ。
けれど、その後が変わってくる。あの時代と、今の時代とでは。
(ぼくは行かないつもりだけれど…)
義務教育を終えた後には、上の学校が待っている。其処へ行きたい子供たちのために。
上の学校に進むのだったら、自分がやりたいことを学べる学校へ。
どんな学校でも自由に選んで、好きなコースに入学出来る。これが前の自分の時代との違い。
(パイロットになるための学校だって…)
卒業後の適性検査で落ちてもかまわないなら、今の自分でも志願は出来る。弱すぎる身体では、とてもなれないパイロット。適性検査で落っことされるに決まっている。
それでも学んでみたいのだったら、入学出来るし、卒業も出来る。
今の時代はそういう時代。
「あなたには向いていませんから」と、門前払いは有り得ない。
実力不足で授業についていくのは無理だ、と判断されたら入れないけれど。無理に入っても後で苦労をするだけなのだし、他の学校を勧められるけれども。
今の自分でも入れそうな、パイロット養成校という所。入学資格は多分、あると思う。宇宙船を実際に動かすつもりもないのに、入る人たちはいるようだから。
そういう分野を勉強したい、と入学する人。其処の出身の作家もいるような時代。本物の知識を使って書いているから、パイロットたちに大人気。本格派の宇宙小説だ、と。
(幼年学校だと、パイロットは…)
あるのだろうか、そういう職業を目指すコースも。
幼年学校は、子供ばかりが行く学校。人間が全てミュウになった時代ならではの子供の学校。
義務教育を終えた後にも、心も身体も子供のままの子、そういった子が通う場所。
専門の知識は学ぶけれども、子供でもついてゆけるようにと、ゆったり組まれたカリキュラム。休み時間を多めに取ったり、遊ぶための時間が設けてあったり。
通う子供が困らないよう、義務教育の時代と変わらない雰囲気が売りらしいけれど…。
(勉強したい分野は色々なんだし…)
パイロットを目指すコースもあるかもしれない。
いつか大きく育った時には、適性検査だけで済むように。子供の身体では合格できない、受験も出来ない適性検査。それさえ受ければ、もう直ぐにだってパイロットになれる知識を、子供の間に身につけておく。幼年学校に通う間に。
(幼年学校は嫌だけどね?)
チビのままで育たなかったとしたって、ハーレイと結婚したいから。
十八歳になったら結婚出来る年になるから、チビの自分でもハーレイと結婚出来る筈。せっかく二人で暮らせるのだから、学校になんか行きたくはない。
幼年学校に通いながらの結婚だなんて、絶対に御免蒙りたい。
(パパとママ、ぼくには向いてるつもりでいるんだから…)
冗談交じりに言われもするから、チビのままだと入学手続きをされてしまいそう。学校へ下見に連れて行かれて、「此処がいいから」と入学するよう勧められて。
それは嫌だし、早く大きくなりたいんだけど、と帰った二階の自分の部屋。
幼年学校には入りたくないし、背丈を伸ばして早く大きくならなくちゃ、と。前の自分と同じに育てば、行かなくて済む幼年学校。子供のための学校だけに、入学資格も無くなる筈。
(幼年学校じゃなくっても…)
他の学校でも、行きたくはない。上の学校に進むよりかは、ハーレイと結婚する方がいい。断然そっちで、とうの昔にそのつもり。「上の学校には行かないよ」と。
これにしたって、前の自分が生きた時代との大きな違い。
自由に選べる、この先の進路。義務教育を終えた後には、何をするかも、どう生きるかも。
(前のぼくたちの時代だったら…)
ミュウだと判断されなかったら、成人検査をパスした子供は大人の社会に向けて旅立つ。直ぐに大人になれはしないし、そのための準備段階から。
教育ステーションに移って、四年間、色々な専門コースの勉強をする。それが済んだら、大人の社会の仲間入り。宇宙に散らばる星へと散って。
(だけど、機械が決めてたんだよ…)
一般人になって養父母にだとか、メンバーズだとか、研究者だとか。
教育ステーションでの成績にも左右されるけれども、それよりも前に、何を学ぶのか。どういう勉強をしてゆくのかを、自由に選べはしなかった。
成人検査の時に機械が調べた適性、それに応じて決められた教育ステーション。
優秀だからメンバーズに、とエリートコースに送り込まれたり、どうやら平凡な子供らしいと、一般人向けのステーションに振り分けられたりと。
子供時代には、誰だって夢があっただろうに。
メンバーズ・エリートになりたいだとか、大きくなったらパイロットだとか。
けれど、機械が決めてしまう進路。夢は無視して、適性だけで。
パイロット希望だった子供が、一般人のコースに送られるとか。自分も子供を育ててみたい、と夢見ていた子が、メンバーズの道に送られるとか。
希望が通りはしなかった時代。望んだ道が待っているとは限らなかったSD体制の時代。
望み通りのコースに進んだ子供もいただろうけれど、夢が潰えた子だって沢山。そういう場合は記憶処理だってしただろう。機械にはそれが出来たのだから。
(もしも、前のぼくが成人検査をパスしていたら…)
ミュウだと判断される代わりに、ちゃんと合格していたならば。
どうなったのだろう、前の自分の人生は。どういう風に生きたのだろう…?
(何も覚えていなかったから…)
子供時代の記憶をすっかり失くしていたから、望みのコースが何だったのかも分からない。前の自分が夢見たコースも、なりたいと望んでいたものも。
(ソルジャーじゃないことだけは確かだけどね?)
今の時代も大英雄のソルジャー・ブルー。前の自分はミュウの初代の長だった。
誰に訊いても、ソルジャー・ブルーの職業は「ソルジャー」なのだけれども、ソルジャーは船の仲間たちが名付けてしまった職業。シャングリラにいたミュウたちが。
昔からあった仕事ではないし、それになりたい筈がない。ソルジャー以前に、ミュウにだって。
社会から弾き出された異分子、見付かれば処分されたのがミュウ。
そんな将来を夢見るような子供はいないし、きっと違う未来を望んでいた筈。
ごくごく平凡に子供を育てる一般人とか、研究者だとか、技術者だとか。
(…パイロットだとか、メンバーズとかは…)
今と同じに弱かったのだし、多分、考えてはいなかったろう。なれる筈など無いのだから。
それでも、あった筈の夢。大人になったら、こういう風に生きていこうと。
前の自分が望んだ道。夢見ていたのに、選ぶことさえ出来なかった道。
いくら機械が決めた時代でも、運が良ければ、その入口に立てただろうに。ミュウにならずに、成人検査をパスしていたら。教育ステーションに入れたならば。
(前のぼくの夢…)
何だったのかな、と考えていたら、聞こえたチャイム。仕事の帰りに来てくれたハーレイ。
前のハーレイなら、将来の夢は何だったろう、と思ったから問いを投げ掛けた。お茶とお菓子が置かれたテーブル、それを挟んで向かい合わせで。
「えっとね…。ハーレイが子供だった時…。大人になったら、何になりたかったと思う?」
どういう夢を持ってたのかな、ハーレイの将来の夢って、何?
「はあ? 何って…。俺は教師だが?」
ガキの頃には、プロの選手を夢見たこともあったんだが…。
教師になろうって夢もあったし、夢はきちんと叶えたぞ。お前も知ってる通り、教師だ。
「今じゃなくって、前のハーレイだよ」
前のハーレイは何になりたかったの、成人検査を受ける前には…?
「おいおいおい…。覚えているわけがないだろう」
今の俺の身体に生まれ変わる前から、そんなの覚えちゃいなかったぞ。
成人検査と、その後の人体実験で記憶をすっかり奪われちまって、何もかも全部。
前のお前もそうだったろうが、子供時代の記憶なんかは無かった筈だ。
「分かってるけど、ちょっと気になっちゃって…」
今だと好きに選べちゃうでしょ、将来は何になりたいか、って。
本当になれるかどうかはともかく、なろうとして頑張ることは出来るよ。それに向かって。
だけど、前のぼくたちが生きた時代は違ったから…。
これになりたい、って夢を持っていたって、機械が「駄目」って言ったらおしまい。
「なりたい」と「なれる」は違った時代、と説明した遠い昔のこと。今とは違った、と。
機械が進路を決めた時代で、個人の希望は通らなかったと。
「前のぼく、何になりたかったか、さっき考えていたんだよ」
もちろん覚えてないけれど…。ハーレイと同じで、何も覚えていないんだけど…。
前のぼくがなりたいと思っていたもの、ソルジャーじゃなかったことだけは確かだから…。
「そりゃそうだろうな、ソルジャーだけは有り得んな」
ソルジャーなんて職業もそうだし、ミュウになるって未来も考えたりしない。
前のお前の将来の夢は、まるで叶わなかったんだな。…何を夢見ていたにしたって。
「でしょ?」
夢とは違いすぎる未来で、きっと想像もしていなかったよ。ミュウの長になる自分なんて。
でも、前のハーレイなら、案外、パイロットになっていたのかも…。
ミュウにならずに、成人検査をパスしていたら。
ぼくが最初に考えてたのは、そっちなんだよ。前のぼくが成人検査をパスしていたなら、どんな未来が待っていたかな、って。
前のぼくが何になっていたかは分からないけど、ハーレイだったらパイロット。宇宙船のね。
成人検査で適正あり、って結果が出ちゃって、そういう教育ステーションに行って。
シャングリラの代わりに、うんと大きな客船とかを動かすんだよ。遠く離れた星から星へ。
「どうだかなあ…。料理人かもしれないぞ」
元は厨房出身なんだし、料理人が向いていたんじゃないか?
パイロットよりかは、前の俺らしい職業のような気がするが…。
「料理人かあ…。その可能性も充分あるよね…」
前のハーレイ、料理も得意だったんだし…。
キャプテンの前は厨房だったし、料理人っていうこともあったかな…?
そっちの道に進んだだろうか、と考えた前のハーレイの未来。成人検査をパスしていたら。
けれど、料理人よりはパイロットの方が優れた人材。社会の役に立つ才能。
機械が判断していたのだから、ハーレイはパイロットになっていたかもしれない。料理人よりも稀有な存在だから。誰にでも出来るものではないから。
「…ハーレイ、やっぱりパイロットになっていたんじゃないの…?」
料理人だと思っていたって、進路は機械が決めてたんだよ?
パイロットの才能を持っているなら、そっちに行かせてしまうんじゃない?
料理が出来る人は沢山いるけど、パイロットになれる人は少ないし…。今の時代も少ないよ。
だから、前のハーレイにパイロットの才能があったら、そのコースになったと思うんだけど…。
「うーむ…。まるで無いとは言い切れないな」
俺の頭の中を探って、パイロット向きだと判断したなら、そういう教育ステーションか…。
パイロットになるための勉強ばかりをするってわけだな、四年間も其処でみっちりと。
「それが前のハーレイの夢だったのかもしれないよ?」
大きくなったらパイロットだ、って宙港とかで飛んで行く船を見上げてたかも…。
その夢を知らずに叶えていたかも、シャングリラで。
前のハーレイはキャプテンだったし、あんなに大きな船を動かしていたんだから。人類の船より遥かに大きい、鯨みたいなシャングリラを。
「いや、俺としては料理人の方だと思うがな?」
前の俺がなりたかったものがあるとしたなら、パイロットよりは料理人だ。
「なんで?」
どうして分かるの、パイロットじゃなくて料理人だ、って。
記憶を全部失くしていたのに、そんなの分からないじゃない。どれがハーレイの夢だったか。
「それがそうでもないってな。…前の俺ってヤツに関しては」
前のお前も知ってた筈だぞ、俺が厨房に入った理由。
厨房で料理をしてるヤツらの手元を見てたら、どうにも危なっかしい気がしてなあ…。
「貸してみろ」って入って行ったら、身体が勝手に動いちまった。こうやって、こう、と。
料理が身体にしみついてたんだ、相当、料理をしていた筈だぞ。…前の俺はな。
パイロットになるのが夢の子供だったら、料理に興味は無いだろう、と言われればそう。
養父母の家でせっせと料理をしている代わりに、きっと宙港に行くだろう。宇宙に飛び立つ船を眺めに、いつか自分もあの船で宇宙を飛んでゆこうと。
「そっか…。じゃあ、前のハーレイが成人検査をパス出来ていても…」
パイロットを育てる教育ステーションに行って勉強しなさい、って言われちゃったら…。
夢が台無しだね、料理人になりたかったなら。…いつもお料理していたんなら。
「きっとガッカリしてたと思うぞ、なんてこった、と」
此処じゃ料理も出来やしない、と溜息の日々というヤツだ。…周りはウキウキだろうがな。
パイロットになれば地球にも飛んで行けるし、憧れの星に一歩近付いたんだから。
「でも、ハーレイはガッカリだよね…。料理人になりたかったんだから」
その進路、変えられないのかな?
途中で変えるの、あの時代だと無理だよね…。パイロットだったら、パイロット。
大きな船を任されるのか、同じパイロットでも下っ端になるかの違いくらいで。
「そんなトコだな。一度決まったら、あくまで其処での成績次第の振り分け程度だ」
もっとデッカイ船が良かった、と思っても、小さな輸送船の交代要員にしかなれないだとか。
でなきゃ、勉強の成果を生かして通信士だとか、整備士だとか…。
進路を丸ごと変えてしまうというのは、結婚以外じゃ無理だった筈だ。
結婚するなら仕方ない、と一般人向けの教育ステーションに送ってくれるってな。
…待てよ、その手があったんだから…。
料理人だって、一般人向けの社会を構成出来たんだから…。
それだ、とハーレイはポンと手を打った。結婚して料理人の養成コースに入ればいい、と。
パイロットになるコースは向いていないから、と一般人向けのコースに切り替え、其処で一生の仕事に決めるのが料理人。元々才能はあったわけだし、なれるだろうと。
「アルテメシアにも料理人は大勢いたからな。育英都市でもレストランは人気だ」
子連れの家族がよく行く場所だし、レストランに勤める料理人の種類も色々だってな。
結婚しないで料理一筋のヤツもいればだ、家に帰れば子供の父親っていうのもいたし…。
つまり、俺でも充分になれた。結婚の道を選んだ時点で、料理人の道も開けるわけだ。
「結婚って…。それで教育ステーションから出て行くだなんて…」
出来るの、途中で変えちゃうなんて?
パイロットになるための勉強を捨てて、一般人向けのコースに移るだなんて…。
「マザーが許してくれればな」
パイロット向けの教育ステーションだと、どういう名前だったか俺は知らんが…。
マザー・イライザしか知らんわけだが、似たようなのがいる筈だ。そいつが結婚の許可を出してくれれば、ステーションから出て行ける。未来の嫁さんと一緒にな。
「だけど…。前のハーレイ、キャプテン・ハーレイになっちゃえるような人材だよ?」
凄い才能を持ってたんだし、無理なんじゃない?
いくら結婚するって言っても、お許し、出そうにないんだけれど…。
「結婚したいと希望を出すのは、進路変更の最強の方法だったという話だが?」
他にも方法はあっただろう。適性あり、と送り込まれても、途中で身体を壊しちまうとか…。
そういう時には仕方ないしな、進路変更もやむをえない。
しかし、自分の我儘を叶えてステーションから出て行くんなら、結婚だ。
そいつが一番強かったわけだ、あの時代に自分の意志で進路を変えるんならな。
スウェナ・ダールトンがそうだったろうが、と挙げられた例。
前の自分は、子供時代しか知らないスウェナ。ジョミーの幼馴染だった少女。
彼女はエリート育成のための教育ステーション、E-1077に行った。其処で幼馴染のサムと再会して、キースと出会った。いつも三人で過ごしたという。
けれど、最後の四年目に変えてしまった進路。メンバーズを目指すエリートをやめて、一般人のためのコースへと。結婚したい相手がいたから、サムやキースに別れを告げて。
「そんなケースでも、マザー・イライザは許可を出したんだ」
本当にスウェナの我儘ってヤツで、それ以外の何でもなかったのにな。
才能だけなら、スウェナは充分、メンバーズになれたそうだから…。サムと違って。
「スウェナって…。あれはマザー・イライザの計算なんじゃあ…?」
サムやシロエもそうだったんでしょ、キースの才能を開花させるためのプログラム。
それだけのために集めた人間、スウェナもその中の一人だったわけで…。
サムと同じで、ジョミーの幼馴染だから。
スウェナをキースに近付けておいて、結婚で離れさせちゃうのも、きっとプログラムだよ。
「そいつは無いな。…キースと出会った方はともかく、離れた方は違うだろう」
もしも計算していたのならば、スウェナがステーションから出て行く時に記憶を処理した。
キースやサムと一緒にいたことは特に処理する必要もないが…。
セキ・レイ・シロエ。…シロエの存在を記憶から消しておかんと、後々、マズイことになる。
なにしろ、ミュウだというだけで選ばれた人間だからな、シロエというのは。
いずれはキースに処分させようと、そのつもりだけで連れて来たんだ。あのステーションに。
その程度の存在だったわけでだ、スウェナがシロエを忘れていたって問題はない。下級生の中の一人に過ぎんし、いつかキースと再会したって、「覚えていない」で済むことだ。
俺がマザー・イライザの立場だったら、計算ずくでスウェナを旅立たせるなら、シロエの記憶は消しておく。特殊な存在を覚えたままだと、万一ってことがあるからな。
現にシロエの記憶を消されないまま、スウェナがいたのが後で厄介なことになるんだから。
「そうだね…」
スウェナがシロエを忘れていたなら、面倒は起きなかったよね…。
前の自分がいなくなった後、ジルベスターからノアに戻ったキース。彼がスウェナから渡されたピーターパンの本。…シロエの遺品。
もしもスウェナが、それに出会った時、シロエを覚えていなかったなら…。
「ピーターパンの本を見たって、スウェナには何の意味も無いよね」
いったいどういう価値があるのか、キースに見せたら何が起こるか。
…スウェナはシロエを覚えていたから、キースが処分したMのキャリアが誰だか分かった。
シロエの名前でピンと来たから、高いお金を支払ってまで本を買い取って…。
だけどスウェナは、シロエの本を知っていたのかな?
ピーターパンの本を持っていたこと、知っていそうにないんだけれど…。シロエの宝物だから。
「そいつは本の持ち主の名前で分かるじゃないか」
あの本をスウェナに売り付けたヤツも、当然、知っていたろうさ。
「セキ・レイ・シロエ」と、シロエが自分で名前を書いておいたんだから。
シロエって名前を聞いちまったら、もう買い取るしかないってな。…スウェナとしては。
「そうだよね…」
キースを動揺させるためには、充分すぎる材料だよ、あれ…。
本にはシロエのメッセージが仕込んであったんだから。キースが誰かを教える映像。
シロエが命懸けで撮影して来た、フロア001の映像…。
前の自分が生きた時代は、まだ伏せられていたその事実。マザー・システムが生きていたから。
だから前のハーレイも知りはしなかった。
セキ・レイ・シロエという少年の名前は、アルテメシアで救い損ねたミュウの子供として覚えていただけ。その後のシロエのことは知らない。彼がどう生きて、何を残したかも。
そのシロエが撮ったフロア001の映像。それがキースに渡ったけれど。
スウェナがシロエを忘れていたなら、そんな事件は起こらない。スウェナはピーターパンの本の価値に気付きはしないし、それを買おうとも思わないから。
けれど、キースは映像を見た後、フロア001へ向かったわけだし…。
「…全部、マザー・イライザの計算だったかもしれないよ?」
スウェナの記憶を消さないままでおいたこと。
後でキースにシロエの本を渡させるように、きちんと計算したんだよ。
だってそうでしょ、キースはシロエのメッセージを見て、フロア001に行ったんだから…。
「お前なあ…。深読みし過ぎだぞ、それは」
いくらマザー・イライザが狡賢くても、相手は紙の本なんだ。…ピーターパンの本は。
そいつがレーザー砲で撃たれた後まで残って、回収されるなんてことは普通なのか?
どう考えても、計算ずくでは有り得ないってな。
しかも宇宙海軍を退役しちまうような、飲んだくれの男がコッソリ隠したままだたったなんて。
そんな所までコントロール出来ると思っているのか、マザー・イライザが?
「…無理そうだね…」
シロエの本が残っていたのもそうだし、回収した人が退役しちゃうのも…。
スウェナが離婚してジャーナリストになっていたのも、宇宙鯨を追い始めたのも。
フロア001のことなら、あの映像が無かったとしても、キースは聞いていたっていうし…。
其処へ行けってシロエに直接言われたらしいし、いつかは自分で行っちゃうよね。
シロエが残した映像なんかは見ないままでも、機会があれば…。
今の時代だから分かること。キースがE-1077を処分したこと。
グランド・マザーの命令で処分しに出掛けた時、キースはフロア001に入った。候補生時代は入る機会が無かった場所へ。…キースが創り出された所へ。
シロエのメッセージが無かったとしても、彼は同じに向かっただろう。其処だとシロエが言っていたから、確かめろと言われていたのだから。
「…キースがフロア001に入れないままで卒業したのも…」
マザー・イライザの計算だものね、まだその時期が来ていないから、って。
入れる時期がやって来たのが、たまたまシロエのメッセージを見た後になっただけだよね…。
「ほらな、やっぱり単なる偶然ってヤツだ」
キースの件は全く絡んでいなかったってな、スウェナの進路変更には。
出会うってトコだけが大切なことで、離れてゆく方はどうでも良かった。…マザー・イライザにとってはな。もう充分に役に立ったし、勝手にしろと言った所だ。
計算ずくなら、シロエの記憶を消してから送り出すからな。…シロエは危険すぎたんだから。
そいつをしないで結婚の許可を出したってことは、機械でも修正不可能だからで…。
恋に囚われちまったヤツらは、言うことを聞きやしないってな。
つまりは、前の俺が結婚しようと考えたなら…。
パイロットのための教育ステーションから、一般人への進路変更は可能ってことだ。
メンバーズになれそうだったスウェナでさえも、結婚を理由にステーションを離れたんだから。
たかがパイロットの卵の俺なら、もっと簡単だったろう。
代わりの人間は幾らでもいるし、パイロットから料理人にはなれる。
運命の相手と恋に落ちたら、パイロットの道にもお別れだってな。
結婚するついでに、料理人になって一般人だ、とハーレイは自信たっぷりだから。
料理人という職業に就いて、何処かの星で平凡な暮らしをするそうだから…。
「ハーレイなら、ホントにやりそうだね」
一般人向けのコースに行くなら、料理人になるのがいい、って。
そういう教育を受けられるステーションに行くって、きちんと料理を勉強する、って。
「おっ、そう思うか?」
前の俺は料理人になれそうだってか?
パイロット向けの教育ステーションを飛び出した後に、一から出直しで勉強をして。
「きっと出来るよ、ハーレイだったら」
厨房で料理を作っていたのに、キャプテンになって船を動かしていたんだもの。
そっちの方がよっぽど凄いよ、料理人からパイロットだよ?
逆の方がずっと、簡単なのに決まっているよ。…難しい本を沢山読んだりしなくてもいいし。
今のぼくが亜空間理論の本を読んでも、意味はちっとも分からないだろうと思うけど…。料理の本なら、多分、分かると思うから。こういう材料で、こう作るんだ、って。
だからね、前のハーレイがパイロットから料理人になるのも、きっと簡単。
料理の基礎は身体が覚えてたんだし、後は勉強するだけだもの。
だけど…。前のハーレイはそれでいいんだけれど…。
どうやら料理人になりかったらしい、前のハーレイ。ただし、パイロットか、料理人か、二つに一つで選ぶのならば。他の選択肢が無かったならば。
前のハーレイの身体が覚えていた料理の基礎とやら。それを生かせる職業が他にもあったとか、単なる趣味に過ぎなかったとか。その可能性もゼロではないから。
とはいえ、前の自分よりは絞り込めそうなのが前のハーレイの夢で、将来、なりたかったもの。料理の腕を生かした職業、料理人というのは大いにありそうだけれど…。
「…前のぼく、何になりたいと思っていたんだろう…?」
ハーレイは料理人の可能性が高いけれども、前のぼくには手掛かりが無いよ。
ホントになんにも覚えていないし、教わらなくても出来る何かも無かったし…。
サイオンは上手く使えたけれども、成人検査を受ける前には、サイオン、使っていないしね…。
「前のお前の将来の夢というヤツか…。今のお前とは違うだろうな」
嫁さんってことはないだろうから、何の参考にもならないぞ。
今のお前は、俺の嫁さんになるっていうのが目標だしなあ、将来の夢で。
「うーん…。前のぼくの夢、お嫁さんではないと思うけど…」
でも、ハーレイには会えたと思うよ。…パイロットでも、料理人だとしても。
ハーレイがどっちをやっていたって、ぼくたち、きっと出会うんだよ。
「違いないな…!」
出会うんだろうな、まさに運命の出会いってヤツで。…きっと何処かで。
でもって、前の俺たちが成人検査をパスして出会うんだったら、お前は年下なんだろう。
俺の方がお前より年上になって、年の差もうんと小さいってな。前のお前と俺よりも。
「…そうなるの?」
ぼくが年下って、どういう理由で…?
「老けたお前じゃ駄目じゃないか。俺とバッタリ出会った時に」
人類同士で出会うんだったら、前の俺たちの年の差だったら、そうなっちまう。
前のお前は、俺より遥かに年上だったわけなんだからな。
成長を止めたチビだったのはミュウだったからだろ、とハーレイは笑う。
人類同士だと、そうはいかないと。身体も心もチビの子供に出会う代わりに爺さんだ、と。
「そいつは困るし、お前は年下でいてくれないと…。俺と釣り合いが取れる程度の」
そしてだ、俺がパイロットから料理人にコース変更しようって時。
結婚相手はお前だろうな。俺より年下に生まれたお前。
何処でお前に出会って惚れて、マザーに申告することになるかは分からんが…。
お前がパイロット養成コースに入れそうな気はしないからなあ、俺が卒業した後だろう。
パイロットになってから、寄った教育ステーションの宙港でバッタリ会うとか、そういうの。
次に来る日は…、と学生のお前に約束しては、デートを重ねて。
結婚しようってことになったら、お前はステーションのマザーに許可を貰う、と。
俺の方は、お前と一緒に暮らせるようにと、パイロットを辞めて料理人の道に行くわけだ。
パイロットのままじゃ、ゆっくり家にはいられないからな。…いつも宇宙を旅してばかりで。
結婚を機会に、料理人になるのが一番だ。そうすりゃ、お前と一緒だしな。
「うん、そうなっていたよね、きっと…!」
前のハーレイとぼくが、成人検査をパスしていても。
…二人ともミュウじゃなかったとしても。
何処かで出会って、結婚して一緒に暮らしていたよね、育英都市は無理だけど…。
男同士のカップルだったら、子供は育てられないから…。
「確かにな。…大人しかいない星に行くしかないな」
咄嗟にはノアしか思い付かんが、他にも幾つもあった筈だし…。
そういう星で二人で暮らして、前のお前は、金髪に水色の瞳なんだな。…アルビノじゃなくて。
「ふふっ、そうだね」
ミュウじゃないなら、そうなるね。…ぼくの目、水色のままなんだよね。
そうなっていたら、今のぼくだって水色の目になっていたのかも…。髪の毛だって金髪で。
でも、ハーレイとは一緒だよね、地球で。…今の青い地球に生まれ変わって。
きっと、どういう道を歩いても、ハーレイと出会ったのだろう。
成人検査をパスしたとしても、教育ステーションに進んだとしても。
何処かで出会って、きっと恋に落ちて、二人で生きて行ったのだろう。互いの進路を、途中から変えてしまっても。
前のハーレイも、前の自分も、機械が決めた進路を変更してでも、結婚の道を選んだだろう。
ハーレイがパイロットから料理人になって、前の自分も教育ステーションを離れてでも。まるで全く違う進路へ向かったとしても、幸せに生きてゆけたのだろう。
そして今度も、ちゃんと出会えた。
ハーレイと二人、青い地球の上に生まれ変わって、また巡り会えた。
だから上の学校に入学したりしないで、ハーレイと一緒に歩いてゆこう。義務教育を終えたら、結婚出来るから。…十八歳になるのだから。
前の自分がなりたかったものは謎だけれども、今でも謎のままなのだけれど。
どんな人生を歩んでいたって、きっと何処かでハーレイと会った。
ハーレイに出会って恋をしたから、今度も二人で生きてゆく道。二人一緒に暮らせる道。
その道を早く選びたいから、上の学校には進まない。
前のハーレイが「結婚したい」と料理人のコースに移るのならば、相手はきっと自分だから。
パイロットを辞めて、前の自分を選んでくれるのがハーレイだから。
そういう出会いは出来なかったけれど、きっと何処かで巡り会う二人。
これから先も離れないから、いつまでも二人、手を繋ぎ合って歩いてゆくのだから…。
学校と進路・了
※前のハーレイとブルーが何になりたかったのかは、あの時代にも、今も謎ですけれど…。
どういう道に進んでいたって、きっと二人は出会えた筈。成人検査をパスしていたとしても。
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