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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

ひ弱な花

(あっ…!)
 ブルーが思わず目を瞑った突風。いきなり吹き抜けていった風。学校の帰り、バス停から家まで歩く途中で。何の前触れもなく、身体の周りを凄い速さで。
 ザアッと響いた、木々の葉っぱが風に靡く音。揃って同じ方向へ。耳の直ぐ側を通った風と、風の音。一瞬の内に。
 顔に、身体に吹き付けた風は、アッと言う間に去ってしまったようだから…。
(ビックリした…)
 行っちゃったかな、と開いた瞳。パチクリと何度か繰り返した瞬き。もう平気かな、と。
 いつもより風があるとは思ったけれども、予想もしていなかった突風。空を見上げたら、真っ青なのに。天気が変わるわけでもないのに。
 雲の流れは少し速いだろうか、空の上だと風はもっと強くて速いものだから。前の自分が飛んでいた空、アルテメシアの空の上でもそうだったから。
 晴れていたって、こういう急な風が吹く日も、たまにある。風は気まぐれだし、青い地球だって気分は色々。突風で人を驚かせるとか、突然に雨を降らせるだとか。
(埃、目に入らなくって良かった…)
 風が巻き上げる、とても細かな埃や砂。目を瞑るのが少し遅れていたなら、入ったかもしれない小さな異物。目玉を苛める、青い地球の欠片。
 地球は丸ごと好きだけれども、目の中にまでは欲しくない欠片。痛いし、それに涙だって出る。涙で上手く流れなかったら、痛いだけでは済まなくて…。
 ぼくの目、真っ赤になっちゃうんだから、と竦めた肩。目の中に入った地球の欠片は、コロコロ転がって目を赤くする。白い部分に細い血管を浮き上がらせて。
 ただでも赤い瞳なのだし、白目まで赤くなってしまってはたまらない。
(見た人、みんなビックリだよ)
 丸ごと赤い瞳なんて、とパチパチ瞬きをしておいた。念のために、と。
 瞬きをすれば、もしも埃が入っていたって、早い間に流れて何処かへ行くだろうから。



 もう突風は大丈夫かな、と歩き始めた家までの道。風はやっぱり普段より強い。さっきのような風には気を付けなくちゃ、と思いながらもキョロキョロしながら歩いていたら…。
(お花…)
 ふと目に留まった、道端の家。生垣の向こう、花壇に幾つも咲いている花。種類は様々、それに色だって。今の季節に咲く花たちを揃えて植えてある花壇。
 綺麗だよね、と眺めたけれども、その花たち。柔らかそうな花びらなのに、どの花も吹いている風に揺れているものだから…。
(破れちゃわない?)
 薄い花びら、と心配になった。茎ごと揺れる花と花びら、どれも繊細そうだから。手で触ったら傷みそうなほどで、まるで蝶たちの翅のよう。
 もしも突風に襲われたならば、裂けて破れてしまいそう。まだ破れてはいないけれども、次のが来たら無事に済むとは思えない。
(…もう吹かないといいんだけれど…)
 あんな風は、と見守る間に、聞こえたゴオッという響き。顔を上げたら、庭の向こうから木々を揺らして吹いて来る風。花たちに襲い掛かるかのように。
(破れちゃう…!)
 お花、と思わず目を瞑りそうになったのだけれど。
 風が花壇を抜けてゆくから、「もう駄目だ」と心で悲鳴を上げたのだけれど。



(あれ…?)
 なんともないよ、と見詰めた花壇。乱暴な風が行ってしまった後で。
 風と一緒に靡いた花たち、折れてしまいそうに見えた細い茎。風が過ぎたら元に戻った。風など吹きもしなかったように、シャンと真っ直ぐ。
 それに破れていない花びら。薄くて風で裂けそうなのに、どの花もまるで傷んではいない。茎も一つも折れていなくて、怪我をしていない花壇の花たち。
(…弱そうなのに…)
 ほんの少しの風で破れてしまいそうなのに、頑丈だった幾つもの花。風に襲われても、どの花も元気に咲いているから…。
 なんだか凄い、と感心した。ぼくよりもずっと強いみたい、と。
 風が巻き上げた地球の欠片が目に入ったら、大変なのが自分だから。白目は真っ赤で、目だって痛くて涙がポロポロ零れるのだから。
 そんな自分より、花たちの方がよっぽど強い。見た目はとても弱そうなのに。
 これならばきっと、もっと強い風が吹いてきたって、花びらが破れはしないのだろう。花びらを支える茎も傷んでしまいはしなくて、今みたいに元に戻るのだろう。
 頼りなく見えても、丈夫な花たち。花びらも茎も、チビの自分より、ずっと頑丈らしいから…。
(これからも、元気で頑張ってね?)
 風に負けずに綺麗に咲いてね、と生垣越しに手を振った。
 見かけと違って、強くて丈夫な花たちに。思いがけない逞しさを見せた花びらや茎に。



 家に帰って、制服を脱いで、おやつの時間。一階のダイニングに下りて行って。
 おやつのケーキと紅茶が置かれたテーブルの上には、母が生けた花。庭で咲いた花たちに、緑の葉たちを幾つか添えて。さっきの花壇で見掛けた花も混じっているから…。
(この花も、うんと頑丈だよね?)
 それに他のも、此処には無い庭の花たちも。強い風でも破れない花びら、折れない茎。
 きっと元から丈夫な花たち、そんな気がする。花たちの種類のせいではなくて。同じ種類でも、弱い花なら、種の間に駄目になるのだろう。
 蒔いてやっても、芽を出さないとか。芽が出たとしても、育たないとか。
(…自然の中だと、勝手に駄目になっちゃうし…)
 花壇の花なら、手入れする人が「これは弱いから」と抜いたりもする。混み合っていたら、他の花たちの邪魔になるから。弱い花のせいで、強い花まで駄目になるから。
 そういった風に丈夫な株が残って、雨や風にも鍛えられて…。
(グンと丈夫になるんだよね?)
 ひ弱そうに見えても、風で破れない強い花びらを持つ花に。倒れない茎を持っている花に。
 だから突風でも大丈夫。頑丈に育った花たちなのだし、そう簡単には負けないから。



 それを思うと、人間だって同じだろう。持って生まれた身体の他にも…。
(日頃のトレーニングが大切…)
 きっとそうだよ、と頬張ったケーキ。人間だって花と同じ、と。
 ハーレイを見ていれば良く分かる。前のハーレイは「身体がなまっちまうしな?」と言っては、せっせと走っていた。まだシャングリラの名前も無かった頃から、船の中を。
 今のハーレイも子供の頃から鍛えているから、前よりも遥かに強い身体を持っている。プロ級の腕を誇る柔道と水泳が、その証拠。鍛えたからこそ、プロの選手にも負けない身体。
 それに比べてチビの自分は、今度も前と同じに弱い。ほんの少しの運動でさえも、身体が悲鳴を上げるくらいに。体育の授業は見学の方が多いくらいに。
(ぼくだって、ちゃんと運動したなら、今より丈夫になれそうだけど…)
 そういう気持ちがしてくるけれども、何回となくそれで失敗したから、もう懲りた。ハーレイのようには強くなれない。今になってから頑張ってみても、身体を壊してしまうだけ。
 弱い身体は、丈夫な友人たちの動きについていけないから。加減を掴めもしないから。
 もっと小さな頃から鍛えておいたなら、と思うけれども…。
(そうしていたなら、今よりマシかも…)
 日々の積み重ねだもんね、と風にも負けない花たちを思う。種の頃から頑張った結果、と。
 だから自分も幼い頃から頑張っていれば、丈夫になっていたかもしれない。今よりも、ずっと。
 けれど、手遅れ。
 鍛えようとしないで大きくなったら、弱い自分が出来上がったから。
 基礎になる身体が全く出来ていないのに、運動しようという方が無理。…今頃になって。



 仕方ないよね、と溜息をついて戻った部屋。座った勉強机の前。
 頬杖をついて、花たちのことを考える。あんなに強い風が吹いても、破れなかった薄い花びら。元が丈夫に出来ているから、傷つきさえもしなかった。花びらも、茎も。
 花たちの強さは、種の頃から培ったもの。芽が出た時には弱かった株が強く育つことも、自然の中ならありそうなこと。「これは弱い」と、他の株のために人間が抜いてしまわなければ。
(…勝手に生えて来たんだったら、混んでない場所もあるだろうしね…)
 運良くそういう場所に生えたら、弱い株でも頑張り次第。雨や風に負けずに力をつければ、強い株にもなれるだろう。頑丈な茎をシャンと伸ばして、繊細そうでも丈夫な花を咲かせて。
(花だって、強くなれるのに…)
 今の自分は丈夫な身体になれそうもないし、あの花たちのようにはいかない。弱く育ったから、風が吹いたら破れてしまう花びらの花。折れて倒れてしまう茎。
 ぼくはホントに弱い花だ、と零れる溜息。見た目通りに弱くて駄目、と。
 何処から見たって、丈夫そうには見えない自分。細っこくてチビで、おまけにアルビノ。色素を持たない真っ白な肌は、弱そうな印象を強くするだけ。
(おんなじように弱く見えても…)
 本当は丈夫な花だったならば、きっと素敵に生きられたのに。
 今よりもグンと大きく広がる可能性。自分が丈夫に育っていたなら、強い身体を作っていたら。



 小さい頃から鍛えて丈夫だったなら、と描いた夢。同じチビでも違う筈だよ、と。
 もしも鍛えた身体だったら、一番最初にやりたいことは…。
(柔道部に入って…)
 ハーレイと一緒に過ごせる時間を増やすこと。柔道部に入れば、ハーレイが教えてくれるから。
 柔道の経験が全く無くても、入れるクラブが柔道部。今の学校から始めた生徒も多い柔道。
(…ハーレイと出会ってからだって…)
 きっと入部は出来る筈。五月三日に再会したから、時期としてはまだ早い方。直ぐに「入る」と言ったなら。入部手続きを頼んだならば。
(初めて柔道をやる生徒とだったら…)
 一ヶ月も差は開いていないし、充分についていけるだろう。後から入った自分でも。
 柔道部に入れば、ハーレイと一緒に朝から練習。走り込みとか、体育館での練習だとか。授業が終わって放課後になれば、本格的な練習の時間。ハーレイの指導で汗を流して。
 それが済んだら、ハーレイの車に乗せて貰って家まで帰る。同じ時間までクラブなのだし、後に会議などの仕事が無い日だったら、ハーレイは家に来てくれるのだから。
(今だと、ぼくは家で待つしかないけれど…)
 柔道部員になっていたなら、ハーレイと一緒の帰り道。車の助手席にチョコンと座って、家まで二人で話しながら。
 家に着いても、ガレージから二階の自分の部屋までハーレイと一緒。
 母が門扉を開ける代わりに、「ちょっと待ってね」と自分が開けて。「入って」と、ハーレイを庭に招き入れて。
 「ただいま」と家に入って行ったら、ハーレイも後から入ってくる。二人一緒に階段を上って、部屋に入る時もハーレイと二人。
(…制服を着替えてる間だけ…)
 外に出て貰うことになるのか、気にせずにエイッと着替えるか。それはハーレイ次第だろう。
 「俺は出ていた方がいいよな」と行ってしまうか、「早くしろよ?」と椅子に座っているか。
(…そのまま部屋にいるかもね?)
 柔道部の練習は柔道着。それに着替えるなら、ハーレイも同じ更衣室かもしれないから。
 いつも着替えを見ているのならば、いくら恋人同士でも…。
 気にしないよね、と浮かんだ笑み。チビが着替えているだけなのだし、問題無し、と。



 ホントに素敵、と夢は広がる。ハーレイと一緒にクラブ活動、家に帰る時は乗せて貰える車。
 今の自分には出来ないことが、簡単に出来る柔道部。…入ることさえ出来たなら。
(お昼御飯も…)
 柔道部員たちがやっているように、たまには食堂でハーレイを囲んで昼御飯。ワイワイ賑やかな彼らの姿を、いつも羨ましく見ているけれど…。
(ぼくだって、あれの仲間入り…)
 大盛りランチをペロリと平らげ、放課後の部活に備えるのだろう。前に食堂で頼んだけれども、自分には多すぎた大盛りランチ。…ハーレイに食べて貰ったランチ。
 けれど柔道部にいる自分だったら、きっと綺麗に食べられる。ランチだけでなくて、授業の間の休み時間にもお弁当。運動部の生徒たちは、そうしているから。
(お弁当、買いに行かなくちゃ…)
 家から持って来たお弁当では、短い時間に食べられない。だからパンとか、おにぎりだとか。
 ハーレイだって、そういうものを買って来ている。昼食の他にも、何処かの店で。
(学校に行く途中で買えばいいんだよね?)
 それが一番、という気がする。
 柔道部に入るほど元気なのだし、バスには乗らずに歩いて通学。きっと走って行ったりもする。別に遅れたわけでもないのに、それこそ元気一杯に。走り込みの前から自主練習。
 そうやって学校まで出掛ける途中で、その日の気分で買うお弁当。パンやおにぎり、道の途中にある店に入って。
 お弁当を買ったら、学校に向かって真っ直ぐ走ってゆくのだけれど…。
(スピードウィルなんか要らないよ)
 ジョミーが学校へ急いで行こうと、履いて走っていた靴なんか。裏に車輪がついた靴。
 そんな靴など履かなくっても、丈夫だったら、サムみたいに走っていけばいい。体力自慢だったサムはジョミーに追い付いたから。
 あれと同じに、みんな追い越して、ぐんぐんと。二本の足の力だけで。



 颯爽と走って学校に着いたら、もうハーレイがいるかもしれない。「おっ、早いな!」と笑顔を向けてくれて。「今日も朝から張り切ってるな」と。
 柔道着を着たら、ハーレイも一緒に走り込み。それが済んだら、体育館で朝の練習。ハーレイに指導して貰って。「こうだ」と手本も見せて貰って。
(いいよね…)
 そんな風に始まる、学校の朝。もしも自分が丈夫だったら、きっと叶っただろう夢。弱い身体に生まれて来たって、ちゃんと鍛えておいたなら…。
 手遅れだけど、と考えていたら、聞こえたチャイム。柔道部の指導を終えたハーレイが、仕事の帰りに来てくれたから、もう早速に切り出した。テーブルを挟んで向かい合うなり。
「あのね、ハーレイ…。ぼくが丈夫だったらいいと思わない?」
 ぼくの身体だよ。弱いけれども、そうじゃなくて丈夫だったなら、って。
「はあ? なんでまた…」
 いきなりそういう話になるんだ、お前、いったい何をしたんだ?
 新聞に体力作りの記事でもあったか、それに影響されちまっのたか?
「えっとね…。新聞はちっとも関係無くて…」
 今日の帰りに歩いていたら、凄い風が吹いて来たんだよ。ビックリして目を瞑っちゃうほど。
 その後、花壇の花を見掛けて…。
 花びらがとても弱そうだったから、次の風で破れちゃうかと思って心配してて…。
 そしたらホントに強い風が来て、もう駄目だ、って思ったんだけど…。
 花びら、破れなかったんだよ。茎だって少しも傷まなくって、風が行っちゃったら元通りで…。



 弱そうな花が見た目よりもずっと丈夫だった、と説明した。
 あの花みたいに、自分が今と全く同じ姿をしていたとしても、丈夫な身体だったなら、と。
「見掛けは今と同じなんだよ、弱いチビのぼく…」
 でもね、ホントはうんと丈夫で、弱い身体じゃないってこと。
「ほほう…。そいつは愉快だな」
 同じチビでも、今よりも丈夫に出来てるんだな?
 直ぐに倒れて寝込んだりはしない、丈夫な身体を持ったお前か…。
「そう! 素敵でしょ、それ?」
 丈夫なんだし、柔道部にだって入れるよ。今の学校から始めた生徒も多いんでしょ?
 だからね、ぼくも柔道部。ハーレイに会って、ちゃんと記憶が戻った後は。
 他のみんなより遅いけれども、入部届を出しに行くよ。一ヶ月も遅れていないもの。
 柔道部に入ったら、朝の練習からハーレイと一緒。
 放課後の部活はもちろん一緒で、家に帰る時はハーレイの車に乗せて貰って…。
 いいでしょ、ハーレイといつだって一緒。…ぼくの身体が丈夫だったら。
「そりゃいいかもなあ…。お前が柔道部に入ってくれるのか」
 少なくとも帰り道の分だけ、二人で過ごせる時間が増えるな。
 車に乗ってる時間はうんと短いわけだが、それまでの時間も一緒だしな?
 部活が済んだら、お前と二人で駐車場まで歩いて行く、と。
 帰る前に職員室に寄る時も、「ちょっと待ってろ」と、廊下までは一緒に行くわけで…。
 うん、なかなかに素敵じゃないか。お前が言ってる通りにな。



 合宿だって一緒だしな、と言われて胸がときめいた。夏休みにあった、柔道部の合宿。あの時は家でガッカリしていたけれども、柔道部員なら合宿に参加するのが当然。
 そうなってくると、ハーレイの家でのバーベキューとかにも…。
「ねえ、合宿に行けるんだったら、ハーレイが家でやってるヤツ…」
 柔道部員を呼んでるバーベキューとか、ピザを頼んだりするパーティーだとか…。
 ああいうのにも、ぼくも行けるんだよね?
 おやつは徳用袋のクッキーだっていう、ハーレイの家でみんながワイワイ集まる時も…?
「そりゃあ、断る理由は無いな」
 お前が一人で来るんだったら、今と同じで「駄目だ」と言うが…。
 柔道部のヤツらが一緒だったら、事情は全く違うしな?
 そうか、お前が柔道部なあ…。
 入ってくれたら楽しいだろうな、俺としても指導のし甲斐があるし。…お前だけにな。
「ぼくって…。なんで?」
 恋人だからなの、いつも一緒にいられるから?
 練習の時も、家まで車で帰る時にも。
「そいつも大いに魅力的だが、俺がやりたいのは、お前を強くすることだ」
 柔道部に入ってくれた生徒は、全力で指導するというのが俺の信条だしな?
 伸ばせる力は、大いに伸ばしてやらないと…。
 お前に柔道の才能があったら、原石を磨く楽しみってヤツが倍増だ。
 いや、倍どころの騒ぎじゃないな。…なんたって、原石はお前なんだから。



 きっと凄いぞ、とハーレイがパチンと瞑った片目。「騒ぎが目に見えるみたいだな」と。
「こんなに可愛いチビが強いとなったら、間違いなく注目の的ってヤツだ」
 たちまち人気者になるんだろうなあ、大勢がドッと押し掛けて来て。
「え…?」
 人気者って、どういうこと?
 ぼくが強かったら、なんで人気が出るっていうの…?
「簡単なことだ、お前にファンがつくってことさ」
 チビなのに強い選手というのは、柔道の世界じゃ人気だぞ?
 その上、お前は可愛いし…。ソルジャー・ブルーの子供時代にそっくりだしな。
 人気が出ないわけがない。評判を聞いて、ファンが沢山やって来るぞ。
「ぼくのファンって…。学生時代のハーレイみたいに?」
 試合や練習を見に来る人が増えるってこと…?
「そういうこった。まだ義務教育の生徒だからなあ、俺の時ほど凄くはないが…」
 学校に入るには許可も要るしな、上の学校のようにはいかん。
 しかし、学校の外での試合となったら、見に来るヤツらも多いと思うぞ。
 でもって、お前は育ってゆくほど、どんどん美人になっていくから…。
 そうなったら、もう引っ張りだこだな。…俺の出番も無くなりそうだ。
 インタビューとかは、いつもお前ばかりで。俺は後ろで見ているだけで。



 その光景も見えるようだな、と腕組みをして頷くハーレイ。「主役はお前だ」と。
「まさしくヒーローというヤツだよなあ、俺の出番は全く無いぞ」
 お呼びじゃないってことになっちまって。…とにかくお前、っていうことでな。
「そんなことないでしょ?」
 ハーレイだって、柔道の腕は凄いじゃない。ぼくでも勝てそうにないけれど…。
 いくら強くても、まだ学校の生徒なんだし…。
「それはそうだが、考えてもみろ。学校新聞の取材をしてるの、誰なんだ?」
 生徒だろうが、自分たちで取材して新聞を発行しているわけで…。
 教師の俺を取材したって仕方ないしな、読むのは生徒なんだから。
 生徒の視線で書くとなったら、お前を取材しないと駄目だ。…インタビューして記事を書く。
 そいつを読んだ女子生徒たちが、ドッと押し掛けて来るってな。お前目当てで、体育館に。
 柔道部にも、マネージャー希望のヤツらが殺到しちまいそうだよなあ…。
 今の時期は募集していません、と張り紙を出さなきゃ断れないほど、それは大勢。
「マネージャー希望って…。そうなっちゃうの?」
 ぼくがいるだけで、マネージャーになりたい人が増えるの?
「世の中、そういうモンなんだぞ?」
 カッコいい男子が入っている運動部は、マネージャーに苦労しないってな。
 わざわざ募集しに行かなくても、向こうからやって来るもんだから…。
 それと同じで、お前が柔道部にいるってだけでも、マネージャーになりたいヤツがいそうだ。
 しかも、お前は強いわけだし…。
 お前がチビのままだったとしても、人気はきっと凄いと思うぞ。
 学校新聞の記者が来た時は、俺なんか押しのけて取材だ、取材。お前の記事を書かないと…。
 新聞を読んで貰いたかったら、俺の記事よりお前の記事だ。
「…それはちょっと…」
 取材に来られても、ぼく、困るかも…。
 ハーレイの方は見向きもしないで、ぼくだけ取材をして貰っても…。



 なんだか嫌だ、という気がする。自分だけが注目を浴びること。
 ハーレイと一緒にインタビューなら、嬉しいのに。記事にもハーレイの名前が出るなら、写真も一緒に撮ってくれるのなら。
「…ぼくに柔道を教えてくれるの、ハーレイだよ?」
 強くしてくれたのも、ハーレイなんだし…。それに恋人…。
 ホントは恋人同士だってこと、秘密だけれども、記事は一緒でなくちゃ嫌だよ。
「ふうむ…。まあ、師匠抜きでは語れないしな、柔道は」
 その辺を記者に説いてやったら、俺の出番もありそうだが…。記事の隅っこの方でもな。
 お前が上手く説明したなら、俺の記事も大きくなるかもしれん。学生時代の活躍ぶりとか。
 …それで、柔道が強いお前の話なんだが…。
 どうするんだ、プロの道に行くのか?
「…プロ?」
 それってプロの選手ってことなの、プロになれって?
「なれる可能性は充分、高いだろうと思うがな?」
 強いってことは、柔道の素質があるってことだ。そうでなければ、教えても伸びん。
 素質があって強いとなればだ、柔道の指導に力を入れてる上の学校に行ってだな…。
 其処で一層腕を磨けば、プロになるのも夢じゃない。もちろん、俺も教えてやるし…。
 休みの時には、柔道部にいた頃と同じようにだ、個人指導をしてやるってな。
「そんな道には行かないよ!」
 上の学校にも、プロの道にも、ぼくは絶対、行かないってば!
「行かないって…。お前、どうする気だ?」
 せっかくプロになれそうなのに、いったい何をするつもりなんだ?
「決まってるじゃない、ハーレイのお嫁さんになるんだよ!」
 卒業したら、結婚してハーレイのお嫁さん。ぼくはそれしか、やりたいと思ってないんだから!



 プロの選手になるなんて…、と膨らませた頬。プロになったら、きっと大変だろうから。
 ハーレイと結婚出来たとしたって、毎日、試合と練習ばかり。ろくに一緒に過ごせはしなくて、ただ忙しいだけの日々。家にいたって、ハーレイと練習かもしれない。
「…ハーレイ、ぼくがプロになったら、練習しろって言いそうだよ…」
 もっと強くなるには練習だから、って、お休みで家にいたって練習…。
「それはまあ…。そうなるだろうが、お前、そいつは嫌なんだな?」
 だからプロにはならない、と…。どんなに才能があったとしても。
 ということは、お前、俺と一緒にいるだけのために、柔道部に入部するってか?
「…駄目なの?」
 入っちゃ駄目なの、柔道部には…?
 強くなったらプロの選手になろうって人しか、入っちゃ駄目…?
「駄目とは言わんが…。プロになれないのが殆どなんだし、其処の所は気にしないんだが…」
 もったいないな、と思ってな。…お前に凄い才能があっても、捨てちまうのかと…。
 その才能が欲しくてたまらないヤツ、きっと大勢いるんだろうにな。
 もっとも、俺もそいつを言えた義理ではないんだが…。
 プロの選手になるっていう道、捨てて教師になっちまったから。…柔道も、それに水泳もな。



 あまり強くは言えないか…、とハーレイが苦笑しているから。
 それでもやっぱり「もったいないと思うがなあ…」とも言うものだから。
「えっとね…。プロの選手にならなくっても、丈夫なぼくなら、いいこともあるよ」
 だって、柔道が出来るくらいに丈夫なんだし…。
 結婚した後も、ハーレイに迷惑かけないよ。病気になったりしないんだもの。
 今のぼくだと、しょっちゅう寝込んで、ハーレイが困ってしまいそう…。
「丈夫なお前だと、俺が楽だってか?」
 確かにそうなんだろうがな…。丈夫だったら寝込みもしないし、仕事に行くにも安心だが…。
 俺としてはだ、守り甲斐がある方が嬉しいな。
 強いお前も悪くないんだが、今みたいに弱いお前の方が。
「…弱いぼくって…。ホントに弱くて、ちょっと無理をしたら倒れちゃうよ?」
 ハーレイ、そっちの方が好きなの?
 ぼくの身体が丈夫だったら、迷惑かけたりしないのに…。
 仕事に行く前に、寝込んでしまったぼくの世話とか、食事の用意とかしなくていいのに…。
「そういう面倒は要らんだろうな、お前が丈夫に出来ていたなら」
 ついでに心配も要らないわけだし、仕事の間中、ずっとお前を気にしなくてもいいんだが…。
 昼休みとかに学校を抜けて、具合はどうかと家に帰らなくてもいいんだろうが…。
 強いお前よりは、弱いお前の方がいい。
 …前のお前が強すぎたからな、今度は弱いお前がいいんだ。



 俺の好みはそっちの方だ、と言われたけれど。前の自分も、今と同じに弱かった。ひ弱な身体を持っていたから、何かと言えばハーレイに迷惑をかけていた自分。
 食事が喉を通らない時には、ハーレイがスープを作ってくれた。青の間の奥のキッチンで。
 恋人同士になるよりも前から、何度も作って貰ったスープ。白い鯨が出来る前から。
 何種類もの野菜を細かく刻んで、基本の調味料だけでコトコト煮込んだ、優しいスープを。
 そんな自分が、強かった筈がないわけだから…。
「前のぼく…。ちっとも強くなかったよ?」
 今と同じで、弱かったよ。…しょっちゅう寝込んで、ハーレイに野菜スープを作って貰ってた。
 野菜スープのシャングリラ風だよ、今も作ってくれてるじゃない。
 ぼくが寝込んでしまった時には、仕事の帰りに、わざわざ作りに来てくれたりして。
「前のお前も、身体は間違いなく弱かった。今のお前と、其処は全く同じにな」
 チビの間も、育った後にも、前のお前はとても弱くて、強いとは言えやしなかったが…。
 強かったのは、お前の中身だ。長いことソルジャーをやっていた分、お前の心は強すぎた。
 誰にも弱みを見せはしなくて、俺の前でしか泣きはしなかったほどに。
 だから、お前は飛んでっちまった。…たった一人で、メギドへな。
 俺に「さよなら」のキスもしないで行っちまうくらい、前のお前は強かったんだ。
 後でメギドで泣いたらしいが、それでも後悔してないだろうが?
「…うん、してない…」
 ハーレイの温もりを失くしちゃったことは、辛かったけど…。
 とても悲しくて泣きじゃくったけど、メギドに飛んだことは後悔してないよ。
「…今でも俺にそう言えるくらい、強かったのが前のお前だな。…何度メギドの夢を見たって」
 今のお前はメギドの夢が怖いチビだが、前のお前は違うんだ。強すぎたってな。
 強すぎると、お前、無茶をするから…。
 そうならないよう、弱いお前の方がいい。俺が何度も面倒を見る羽目になっても。
 学校に「少し遅れます」と連絡をしては、お前を病院に連れて行くのが当たり前でも。
 病院から連れて帰ったお前をベッドに寝かせて、昼飯を作ってから仕事に出掛けて…。昼休みになったら、飯を食わせに家に帰らなきゃいけなくても。
 …そういう弱いお前でいいんだ、その方がいい。
 強いお前だと、俺はまたしても、とんでもない目に遭いそうだからな。



 あんな思いはもう沢山だ、とハーレイが呻くメギドのこと。前の自分が一人で出掛けて、二度と戻らなかった場所。
 …ハーレイを置いて逝ってしまった自分。白いシャングリラに、独り残して。
 前の自分は、確かに強かったのだろう。今の自分には無い強さ。とても持てない、強すぎる心。
 だから「大丈夫だよ」と微笑んだ。
「今のぼくなら、平気だってば。…身体が丈夫に出来ていたって」
 だって、弱虫なんだもの。一人でメギドに行けやしないし、ハーレイがいないと寂しいし…。
 そんなぼくだから、大丈夫。柔道がとても強いぼくでも。
「どうだかなあ…。メギドには行けそうもないんだが…」
 それは分かるが、妙な所で頑固だろ、お前。…前と同じで。
 丈夫だったら、たまに風邪でも引いたりした時に…。俺に心配かけちゃ駄目だ、と隠して黙って頑張った末に、すっかりこじらせちまうとか。
 さっさと病院に行けばいいのに、「大したことはないよ」と我慢しすぎて。
「…それはあるかも…」
 ぼくは弱いから、直ぐに倒れて寝込んじゃうけど…。
 強かったとしたら、頑張りそう。ハーレイは仕事で忙しいんだし、我慢しなくちゃ、って。
「ほら見ろ、言わんこっちゃない。俺が思った通りだろうが」
 そうなっちまうから、お前は弱い方がいい。弱い身体のままのお前で。
 弱くても充分、無茶をするだろ、今のお前も。
 熱があるのに学校に行こうと頑張ってみたり、体育の時間に無理をしすぎたり。
「そうだけど…。そうなっちゃうのは、ぼくの身体が弱いからで…」
 小さい頃からきちんと鍛えて、強い方がいいかと思ったのに…。
 柔道部にだって入れるんだし、結婚したって、ハーレイに迷惑かけずに済むから。
「お前なあ…。俺は何回、お前にこれを言ったんだか…」
 今度は俺が守るんだ、とな。…今度こそ、俺がお前を守ると。
 前の俺はお前を守ると何度も言ったが、いつでも言葉だけだった。…俺は守られていた方だ。
 守ると言いつつ、前のお前に守られて生きていたってな。シャングリラごと。
 だから、今度はお前を守る。…守るほどの危険が無いような世界に来ちまったがな…。



 見掛け通りのお前でいい、と握られた右手。メギドで冷たく凍えた右の手。ハーレイの温もりを失くしてしまって、前の自分が泣きじゃくった手。
 それをハーレイは両手で包んで、温かな笑みを浮かべてみせた。
「お前は、弱いお前でいいんだ。…ひ弱な今のお前のままで」
 強くなろうなどと、思わなくてもいい。強くないお前で充分だってな。
 柔道部に入って貰えないのは残念ではあるが、いつかは一緒に暮らせるんだし。
「本当に…?」
 弱くてもいいの、強いぼくなら色々なことが出来そうなのに…。
 ハーレイと一緒に柔道が出来て、ジョギングにだって行けそうなのに。
「お前、柔道、続けるつもりは無いんだろ? 凄い才能があったとしても」
 俺と結婚するために放り出しちまうんなら、そんな強さも才能も要らん。
 今のお前は、俺と旅行に行ける程度の強さがあればいいってな。
 それだって足りなきゃ、俺が背負って歩いてやるから。…旅先で倒れちまったら。
「うん…!」
 弱いぼくでもかまわないなら、柔道部のことは諦める…。
 とっても素敵な夢だけれども、夢は夢だから、うんと素敵に見えるんだものね…。



 前のぼくだって、地球に幾つも夢を見てたよ、と握り返したハーレイの手。右手でキュッと。
 遠く遥かな時の彼方で、前の自分が描いていた夢。
 それはこれから、ハーレイと二人で叶えてゆく。生まれ変わって来た、この地球の上で。
 青い地球の上で生きる今の自分は、ひ弱な花でもいいらしい。
 帰り道に見た花たちのような強さは無くても、風でペシャンと潰れる花でも。
 今度は守って貰えるから。
 ハーレイがいつも守ってくれるし、弱い身体のままでいい。
 鍛え損なった身体だけれども、ハーレイは弱い身体の方がいいと言ったから。
 強い風が吹いたら、負けてしまう花でかまわない。
 今の自分は、弱い花。頑張らなくてもペシャンと潰れて、世話をして貰えばいいのだから…。




              ひ弱な花・了


※丈夫な身体なら素敵だったのに、と考えたブルー。柔道部に入ることも出来そうです。
 けれど、ハーレイの好みは「弱いブルー」。今度こそブルーを守りたいのです、前と違って。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv










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