シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
胡桃割り人形
(賢いんだ…)
カラス、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
今が旬の胡桃、それを割ろうとするカラスたち。中の美味しい実を食べたいから。
けれど、取り出せない中身。固すぎて割れない胡桃の殻。カラスのクチバシでは歯が立たない。足を使っても、割れてくれない。
そこで頭を使ったカラス。胡桃を殻ごと咥えて飛んで、固い道路に落としてやる。空の上から。道路も同じに固いわけだし、上手い具合に割れる殻。ヒビが入ってパッチンと。
一度で駄目なら、二度、三度。咥えて空から落とすのだけれど、それでも頑固に割れない殻も。そうなった時には、其処で待つのがカラスたち。もう自分では割ろうとしないで。
カラスが待っているのは車。人間が運転してやって来る車。
それに轢かせたら、どんな胡桃もパチンと割れてしまうから。中の実までが砕け散っても、味が変わりはしないから。
車が走り去った後には、美味しく食べられる胡桃。クチバシでヒョイと拾っては。砕けた欠片を次から次へと、全部すっかり無くなるまで。
(ずっと昔から…)
そうやって割っていたらしいカラス。自分では割れない胡桃を運んで。
まずは道路にぶつけてみる。駄目なら車が来るのを待つ。車は確実に胡桃を割ってくれるから。
地球が滅びてしまう前から、カラスは胡桃を割っていた。道路で、人間が運転する車で。
やがて胡桃は自然の中では育たなくなって、カラスたちが飛べる空も無くなった。人間は地球を離れて行ったし、胡桃もカラスも他の星へと。
そして訪れた機械が統治する時代。前の自分たちが生きていた世界。
SD体制が敷かれた時代のカラスたちには、青い地球も野生の胡桃も無かった。人間と同じに、保護されて生きていたというだけ。滅びないように。
SD体制の時代が終わって、長い時が流れて蘇った地球。其処に自然が戻って来たら、カラスは胡桃を割り始めた。ずっと昔のカラスたちがやっていたように。
面白いことに、そっくりそのまま。森から胡桃をせっせと運んで、道路にぶつけて割ってみる。それでも割れてくれない胡桃は、人間の車に轢かせて割る。
(きっと、車が一番なんだよ)
そうに違いない、と思った固い胡桃の割り方。固い道路と、其処を走る車で割る胡桃。
他に便利な方法があれば、それで割ろうとするだろうから。昔のカラスとは違うやり方で。
サイオンを持たないカラスだけれども、何かいい手が見付かれば。今の時代のカラスたちには、とても似合いの方法が。
(車の他には…)
何かあるかな、と思った固い胡桃を割れるもの。
カラスは自分で割れないのだから、道具を使うしか無いだろう。けれど道具を持っていないのがカラスたち。車と道路に頼るしかない。道具が無いなら、その二つに。
それで車に割って貰うんだ、と納得して帰った二階の部屋。母に空になったお皿を返して。
勉強机の前に座って、考えてみたカラスたちのこと。今も昔も、車に胡桃を割らせるカラス。
地球が滅びて蘇った後も、同じことをやっているカラスたち。胡桃を割るなら車が一番、と。
(車よりも上手く割れそうなもの…)
道具を使えないカラスでも、と考えるけれど、思い付かない。固い胡桃の殻を割るなら、道路でなくても良さそうだけれど。…岩にぶつけても割れそうだけれど。
(岩にぶつけて割れなかったら…)
次の方法が見付からない。辛抱強く咥えて飛んでは、割れるまで岩に落とすだけしか無い方法。二度や三度では済まなくても。十回ぶつけても割れなくても。
それに比べて便利な道路。一度でパチンと割れたりもするし、駄目でも車を待てばいい。自分で割るのに疲れたら。「もう嫌だよ」と思ったら。
田舎の道でも、車は走って来るものだから。「疲れちゃった」と翼を休める間に、車のタイヤが割る胡桃。パチンと、ほんの一瞬で。
(ホントに頭がいいよね、カラス…)
人間の車を道具の代わりにするなんて。自分の力で割れない胡桃は、車に割って貰うだなんて。
わざわざ道路に運んで来てまで、人間の車を利用する。多分、車がカラスの道具。固い胡桃を、パチンと楽に割るための。
同じ胡桃を人間が割るには、やっぱり道具が必要になる。車ではなくて、専用の道具。
(胡桃割り人形…)
そういう道具があるとは聞いているのだけれども、実物は見たことが無い。同じ名前の、有名なバレエも見ていない。
人間の自分も胡桃割り人形を知らないのだから、カラスが車を思い付いたのは凄い。固い胡桃を割るなら車、と。
きっと車が、カラスの胡桃割り人形。カラスにとっては、胡桃割り用の道具なのだから。
人間の形はしていないけどね、と思った車。胡桃割り人形は人形なのだし、人の姿を真似ている筈。その人間は胡桃割り人形で胡桃を割って、カラスの場合は…。
(胡桃割り車…)
名付けるのならば、そういう名前になるのだろう。
カラスたちが胡桃を割らせる車は。車の色や形なんかは関係無くて、胡桃の殻さえ割れればいい。どんな車でも、立派な胡桃割り車。
(…ハーレイの車でも、カラスが見たら…)
胡桃割り車になるんだよね、と想像してみたら愉快な気分。ハーレイの車は、胡桃割りのために買った車とは違うのに。ハーレイが乗って、色々な所へ行こうとしている車なのに。
(だけど、やっぱり胡桃割り車…)
胡桃を割りたいカラスからすれば、ハーレイの車も胡桃割り車。濃い緑色のが走って来た、と。前のハーレイのマントの色の車だから。…カラスは全く知らないけれど。
いつかハーレイの車で胡桃を割ってみようか、カラスのために。秋になったら二人でドライブ。胡桃を割って欲しいカラスが、「まだかな?」と車を待っている場所へ。
キャプテン・ハーレイのマントの色をした、胡桃割り車に二人で乗って。ハーレイがハンドルを握って走って、自分は助手席に乗っかって。
そんなドライブも素敵だよね、と浮かんだ考え。ハーレイの車が胡桃割り車に変身する。道路でカラスが待っていたなら。「これをお願い」と、胡桃を置いていたならば。
(胡桃割り車のドライブ、いいかも…)
タイヤの下で砕ける胡桃。車はちょっぴり揺れるのだろうか、それとも音がするだけだろうか?
固い胡桃がパチンと弾ける、カラスが喜ぶ胡桃割り車。「やっと割れた」と。
胡桃割り車をやってみたいな、と思っていたら、聞こえたチャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり切り出した。
「あのね、ぼくがハーレイと一緒にドライブに行けるようになったら…」
大きくなったら、秋には胡桃割り車をお願いしてもいい?
ハーレイの車でも出来る筈だもの、胡桃割り車。
「はあ? 胡桃割り車って…」
なんだそりゃ、と丸くなってしまったハーレイの瞳。「そんな車は知らないが?」と。胡桃割り人形の方ならともかく、車というのは初耳だ、と。
「えっとね、胡桃割り車は、ぼくが考えた名前だから…。カラス専用の道具なんだよ」
カラスは車で、固い胡桃を割るんだって。道路に落としても割れない胡桃は、車に轢かせて。
それって胡桃割り人形じゃなくて、胡桃割り車だと思うから…。
「あれか、俺も噂は聞いてるな。カラスは知恵が回るんだよなあ…」
俺の親父も割らされたらしいぞ、釣りの帰りに走っていたら。
「ホント? それなら、其処に行ったら割ってあげられるね」
胡桃の木があって、カラスがいるってことだもの。其処で出来るよ、胡桃割り車。
「俺の車でやりたいのか? 胡桃割り車というヤツを」
カラスが道に置いてる胡桃を、タイヤで轢いて。…まさしくカラスの思う壺だな、胡桃割り車。
「だって、楽しいと思わない?」
ちゃんと道路で待ってるんだよ、カラスは隠れているかもだけど…。胡桃だけ置いて。
「まあ、愉快ではあるかもなあ…」
お前はそいつを見たいわけだし、割った後には車を停めればカラスが食うのも見られるし…。
俺の車は胡桃割り車になるってわけだな、カラスのために胡桃を割りました、と。
胡桃を割るために買った車じゃないんだが、とハーレイは苦笑しているけれど。カラスのためにドライブなのか、とも言うけれど。
「胡桃割り車でいいじゃない。ぼくが行きたいドライブなんだよ、胡桃割り車は」
カラス、とっても頭がいいよね。ずっと昔から、やり方はおんなじらしいけど…。
人間が乗ってる車に胡桃を割らせるんだよ?
ちゃんと道具にしちゃってるんだよ、車をね。胡桃を割るなら車なんだ、って。
人間は胡桃割り人形を使うけれども、カラスは車。
胡桃割り人形、ぼくは本物、見たこと一度も無いんだけれど…。
「俺はあるんだが、この地域では使えんぞ。胡桃割り人形というヤツは」
飾って眺めておくだけだってな、胡桃割り人形を買って来たって。
「使えないって…。どういう意味?」
胡桃を割るための人形なんでしょ、使えない筈がなさそうだけど…。道具なんだし…。
「それがだ、胡桃の殻の固さが全く違うらしいぞ」
この地域で採れる胡桃の殻は固いんだそうだ。胡桃割り人形の方が壊れるくらいに、桁違いに。
胡桃の種類が違うわけだな、地域によって。
胡桃割り人形を考え出した地域の方だと、胡桃の殻はもっと割れやすい。胡桃割り人形で簡単に割れるが、この地域だと駄目なんだ。…飾り物にしかならないんだな、胡桃割り人形は。
「へえ…!」
知らなかったよ、そんなこと…。胡桃の固さが違うだなんて。
人間が胡桃を割るんだったら、車じゃなくって胡桃割り人形だよね、って思ってたのに…。
カラスが胡桃の殻を割るには、人間の車が通るのを待つ。タイヤで割ってくれるから。
人間の方は胡桃割り人形を使って割るのだと思っていたのに、この地域では違うらしい。胡桃の殻が固すぎるから、胡桃割り人形は壊れてしまう。他の道具を使うしかない。
「胡桃割り人形、此処だと飾りになっちゃうんだ…。なんだか不思議」
道具があっても役に立たないなんて…。地球は広いね、胡桃の固さも違っちゃうんだ。何種類も胡桃があるんだろうけど…。
あれっ、それならシャングリラの胡桃はどっちだろ?
食べていたよね、白い鯨で。…胡桃の木だって植えていたから、実が出来たら。
あの胡桃は固い胡桃だったのか、そうじゃない胡桃だったのか、どっち…?
「そういや、あったな。胡桃の木も」
酒のつまみにも食っていたもんだ、あの胡桃。美味かったんだが、はて、どっちだか…。
俺も胡桃には詳しくないしな、それにシャングリラでは胡桃だと思っていただけで…。
いや待て、あれは人形で割れたんだ。…ということは、柔らかい方の胡桃だったんだな。
「えっ、人形って?」
「そのものズバリだ。胡桃割り人形、あったじゃないか」
ちゃんと本物の胡桃割り人形が。そいつで割ったぞ、シャングリラで採れた胡桃の殻を。
「そうだっけ…?」
胡桃割り人形なんかを奪って来たかな、前のぼく…?
何かに紛れて奪っちゃったのを、ハーレイ、倉庫に仕舞っていたとか…?
「俺は確かに関係してたが、お前が奪った胡桃割り人形を管理していたわけじゃない」
作ったんだ、胡桃割り人形を。胡桃の殻を割るためにな。
「…作ったって…。ハーレイが胡桃割り人形を?」
ハーレイ、そんなに器用だった?
木彫りのナキネズミがウサギにされてしまったくらいに、器用じゃないと思うんだけど…。
「言わないでくれ。俺にとっても、其処は情けない思い出なんだ」
俺の独創性ってヤツは一切抜きでだ、とことん注文通りにだな…。こう作れ、と。
「思い出したよ…!」
胡桃割り人形、あったっけね…。前のハーレイが作ったんだっけ…!
ホントにあった、と思い出した胡桃割り人形。前のハーレイが作った木彫りの人形。
事の起こりは、シャングリラに植えた胡桃の木。白いシャングリラが出来上がった後に、公園や農場に何本も植えていた胡桃。実は食べられるし、長期保存にも向いていたから。
胡桃の殻は手で割ることが出来たのだけれど、ヒルマンが欲しがったのが胡桃割り人形。それがあったら子供たちが喜ぶだろうし、情操教育にもなりそうだ、と。
長老たちが集まる会議で話が出た時、前の自分も面白そうだと考えたけれど…。
「欲しいのだがねえ…。しかし、ハーレイの腕ではだね…」
木彫りはハーレイがやっているだけで…、と言葉を濁したヒルマン。続きはゼルが引き継いだ。
「作れんじゃろうな、どう考えても」
こういう人形は無理に決まっておるわ、と指差された資料。ヒルマンが持って来た写真。
「あたしも全く同感だね。これはハーレイには作れやしないよ」
まるで才能が無いんだからさ、とブラウも容赦なかったけれども、「しかしだ…」とヒルマンが挟んだ意見。「才能の方はともかくとして」と。
「こういった物を作らせた時は、ハーレイの腕は話にならないのだがね…」
スプーンとかなら、実に上手に作るじゃないか。芸術方面の才能が無いというだけだ。
木彫りの腕がまるで駄目なら、ああいう物も作れないだろう。だからだね…。
使いようだ、とヒルマンが述べた、前のハーレイの木彫りの腕前。
胡桃割り人形を作るのだったら、設計図の通りに木を削るだけ。ハーレイの仕事は部品作りで、組み立てなどの作業はゼルでどうだろうか、という提案。
「ほほう…。わしとハーレイとの共作なんじゃな、その胡桃割り人形は?」
「殆どは君に任せることになるだろうがね」
設計も、それに組み立ても…、とヒルマンとゼルが頷き合う中、ハーレイは仏頂面だった。
「私は削るだけなのか?」
それだけなのか、と眉間に皺が寄せられたけれど。
「あんた、自分の腕を全く分かっていないとでも?」
それこそ他人の、あたしにだって分かることなんだけどね?
あんたが一人でこれを作ったら、人形どころかガラクタが出来るだけだってことは。
そうじゃないのかい、とブラウが鼻を鳴らしたくらいに、酷かった前のハーレイの腕前。下手の横好きという言葉そのまま、芸術作品には向いていなかった。木を削ることは得意でも。
「…確かに否定は出来ないが…」
難しいことは認めるが、と胡桃割り人形の写真を見詰めるハーレイを他所に、ヒルマンの方針はとうに決まっていた。「ハーレイは削るだけだよ」と。
「ゼルに設計を任せておくから、君はその通りに木を削りたまえ」
寸法などをきちんと測って、少しも狂いが出ないようにね。それなら問題無いだろう?
君の腕でも充分出来るよ、胡桃割り人形の部品が立派に。
「そうじゃ、そうじゃ! わしに任せておくのがいいんじゃ」
腕によりをかけて、素晴らしい図面を描かんとのう…。他にも資料はあるんじゃろ?
最高の胡桃割り人形を作ってやるわい、子供たちが楽しんで使えるヤツを。
任せておけ、と胸を叩いたゼル。子供たちが喜ぶ胡桃割り人形を作り上げるから、と。
ブラウもエラもそれに賛成、胡桃割り人形はハーレイとゼルとの共作にする。ハーレイの仕事は部品作りで、下請け作業なのだけれども。
それが一番いいということは、前の自分にも分かっていた。ハーレイの木彫りの腕前だって。
もう恋人同士になっていただけに、ハーレイには少し可哀相だとは思ったけれども、私情を挟むわけにはいかない。たかが胡桃割り人形のことにしたって。
此処でハーレイの肩を持ったら、ソルジャー失格。
子供たちのことより、恋人を優先するようでは。自分の感情を交えた言葉で、長老たちの意見を否定するようでは。
だから駄目だ、と守った沈黙。「ぼくもその方がいいと思うよ」と、自分の心に嘘をついて。
こうして決まった、胡桃割り人形を作ること。計画通りにゼルが設計に取り掛かった。どういう人形が喜ばれそうか、資料を色々用意して。子供好きだけに、あれこれ検討して。
デザインが決まれば、次は設計。ハーレイの腕でも、素晴らしい人形が出来るようにと。
数日が経って、青の間で暮らす前の自分にも、噂が聞こえて来たものだから…。
「図面を貰ったんだって?」
例の胡桃割り人形の、とハーレイの部屋を訪ねて行った。シャングリラの中はとうに夜。通路の照明などが暗くなっていて、展望室から外を見たなら、雲海も闇の中だろう。
ハーレイは机に向かっていたのだけれども、顔を上げて苦い笑みを浮かべた。
「実に屈辱的ですがね。…この通りですよ」
御覧下さい、と指された設計図。机の上に広げられた図面には、本当に細かすぎる指示。此処はこういう寸法で、だとか、角度はこうだ、と注文が山ほど。
それほどうるさく書いてあるのに、ハーレイの仕事は木を削るだけ。部品作りの下請け作業。
出来上がったら部品をゼルに届けて、色を塗ったりするのもゼル。
完成した時は、遠い昔の兵隊の姿になる人形に。大きな口で胡桃の殻を割る人形に。
「…君は、組み立てもさせて貰えないんだね…」
出来たパーツには、触るなと書いてあるんだし…。バラバラのままで届けに来い、と。
「そのようです。…全く信用されていません」
部品によっては、仮に組んでみれば完成度が上がりそうなのですが…。
微調整ならゼルにも出来るそうでして、手出しするなと釘を刺されてしまいましたよ。
私はゼルの部下らしいです、とハーレイが嘆くものだから…。
「そんな風にも見えるけど…。実際、そうかもしれないけれど…」
でも、この部品を作り出すのは君なんだ。木の塊を注文通りに削ってね。
それは君にしか出来ない作業で、とても大事な仕事だよ。…君の考えでは動けなくても。
「…そうでしょうか?」
ただの下請けで、ゼルにいいように使われているとしか思えませんが…。
これだけ細かく注文されたら、能無しと言われた気もしますしね。
私は本当に削るだけで…、とハーレイは溜息をついたけれども。この先の空しい作業を思って、眉間の皺も普段より深いのだけれど…。
「そんなにガッカリしなくても…。君が一番肝心な部分を担っているんだと思うけれどね?」
船で言うなら、エンジンという所かな。…これから出来る胡桃割り人形の心臓の部分。
此処に書いてあるパーツが無いと、胡桃割り人形は作れないんだから。どれが欠けても、人形は完成しやしない。全部のパーツが揃わないとね。
それを作れるのは君だけなんだよ、ゼルに出来るのは微調整だけだ。肝心のパーツは作れない。
最初にパーツありきなんだし、君がいないと胡桃割り人形は出来上がらない。
そう考えたら、下請けだろうが、これは最高に素晴らしい仕事だと思えてこないかい…?
「…そうですね…。どの部品が欠けても、胡桃割り人形は作れませんね」
出来た部品が欠陥品でも、同じ結果になるでしょう。…ゼルが修正出来なかったら。
下請けも大切な作業なのですね、少しやる気が出て来ましたよ。
溜息ばかりをついていないで、狂いの無いパーツを作らないと、と。
「それは良かった。…やる気になってくれたのならね」
でも、ハーレイ…。頑張ってパーツを作るというのはいいけれど…。
部品作りに夢中になって、ぼくのことを忘れてしまわないでよ?
「ご心配なく。青の間では作業しませんよ」
あそこで部品を削っていたなら、木屑が落ちてしまいますから…。
私が青の間にいたというのがバレます、掃除しに来た係の者に。…あなたとの仲を疑われたら、大変なことになりますし…。作業はこの部屋だけですよ。
「それは分かっているけれど…。だから注意をしているんだよ」
青の間に来るのが遅くなるとか、来るのを忘れて朝まで作業を続けるだとか…。それは困るよ。
「まるで無いとは言い切れませんね…。細かい作業になりそうですから」
ご心配なら、あなたがおいでになりますか?
今のように、私の部屋の方まで。…青の間でお待ちになるのではなくて。
「それも素敵だね。君の部屋に泊まるというのも好きだし…」
君の作業を見られるのも、とても楽しそうだよ。たとえ下請け作業でもね。
そんな遣り取りがあったものだから、胡桃割り人形の部品の制作中は、ハーレイの部屋に何度も泊まった。青の間の自分のベッドは放って、瞬間移動で出掛けて行って。
作業をしているハーレイの姿を熱心に眺めて、差し入れだって。
ソルジャー用にと夜食を注文しておいて、それが届いたら、青の間からハーレイの部屋に運んで行って。もちろん誰にも見付からないよう、瞬間移動で飛び込んで。
そうやって夜食を持って行ったら…。
「ほら、ハーレイ。…サンドイッチ」
今日のは色々作って貰って、卵やハムもあるんだよ。…お腹が空いた、と注文したからね。
どれから食べたい、やっぱりハムの?
「いえ、お気持ちは嬉しいのですが…。今は作業の真っ最中で…」
手が汚れたら、木まで汚れてしまいますから。…無垢の木は汚れやすいので…。
「その心配は要らないよ。ぼくが食べさせてあげるから」
君は横を向いて齧ればいいだろ、食べこぼしで木を汚さないように。…こんな風にね。
口を開けて、と差し出していたサンドイッチ。卵やハムや、キュウリなどのを。
ハーレイの好みを訊いては、「はい」と。モグモグと動く口に合わせて、食べやすいように。
(うん、他にも…)
色々と差し入れしたんだっけ、と蘇った前の自分の記憶。作業中だったハーレイに夜食。
今のハーレイに「覚えてる?」と尋ねてみたら、「そうだったなあ…」と懐かしそうで。
「ああいうのは当分、出来ないな…」
お前の手から食べるというヤツ。…どれも美味かったが…。サンドイッチも、グラタンとかも。
「ママが作った料理で良ければ、いつでも食べさせてあげるけど?」
週末は二人でお昼御飯だもの、ママたちがいないから大丈夫。…この部屋だしね?
今度の土曜日に食べさせてあげるよ、注文があるならママに頼んでおいてもいいし…。
ハーレイ、お昼に何を食べたい?
「お前のアイデアは悪くないんだが…。そいつは駄目だな」
チビのお前に食べさせられたら、馬鹿にされた気分になっちまう。子供扱いされたみたいで。
「えーっ!?」
ぼくはハーレイの恋人なのに…。チビだけど、ちゃんと恋人なのに…!
酷い、と頬を膨らませたけれど、胡桃割り人形のことは素敵な思い出。全部のパーツが完成するまで、何度も泊まったハーレイの部屋。木の塊から削り出すのを眺めに、飽きもしないで。
夜食も何度も運び続けて、最後のパーツが出来上がって…。
「お疲れ様。…これで完成だね、胡桃割り人形のパーツ」
此処から先はゼルの仕事で、組み立てるのも、色を塗ったりするのもゼルで…。
君の出番は今日でおしまい。明日からはゼルが作業の続き。
「そうなりますね。明日の夜までには、届けに出掛けますから」
胡桃割り人形が完成するまで、ゼルの部屋で御覧になりますか?
この先の作業は、私がやっていたような単調なものとはガラリと変わるのでしょうし…。
きっと面白いと思いますよ。見学に出掛けてゆかれたなら。
「作業はそうかもしれないけれど…。問題は部屋の住人だよ」
ゼルの部屋に泊まってもつまらないからね。…夜食を運ぼうとも思わないよ。
食べさせてあげたい気持ちもしないし、後の作業は見なくてもいいって気分だけれど?
「そう仰ると思いました。…あなたが熱心に通っておられた理由は、見学とは違いましたから」
私があなたを忘れないようにしておくことと、夜食を食べさせに通うこと。
どちらも今日で要らなくなった理由です。
私の作業は終わりましたし、これで青の間に戻れますよ。作業のことを気にしないで。
「そうだね。でも…」
此処に通うのも楽しかったけどね、ただ泊まるのとは違っていたから。
君がキャプテンの仕事をしているだけなら、夜食を横から食べさせたりは出来ないし…。
「ええ。…そういう不真面目な態度で仕事をしたくはないですね」
夜食を食べることはあっても、あなたに食べさせて頂くなどは…。それはあまりに…。
「不謹慎だって?」
そうなるだろうね、ソルジャーとキャプテンなんだから。
誰にも秘密の恋人同士で、仕事の時には、お互い、恋は封印だしね…?
だから胡桃割り人形のパーツ作りは楽しかったよ、と交わしたキス。今夜でおしまい、と。
次の日、ハーレイは出来上がったパーツをゼルに届けて、続けられた胡桃割り人形作り。今度はゼルが組み立てをして、色を塗って、顔なども描いて。
作業が終わって完成した時は、会議の席で披露されたのだけれど…。
「凄いね、これは。…ハーレイが作ったとは思えない出来栄えだよ」
パーツはハーレイが作ったのに、と褒めた前の自分。兵隊の姿の胡桃割り人形は、本当に見事な出来だったから。
そうしたら…。
「殆どはワシじゃ、わしの仕事じゃ!」
組み立てて、色も塗ったんじゃし…。顔を描いたのも全部、わしなんじゃから。
ちゃんとサインも入れてあるんじゃぞ、わしが作ったと、背中にな。
「え…?」
誇らしげだったゼルの宣言。まさか、と机の上に置かれた胡桃割り人形を調べてみたら、ゼルのサインが入っていた。人形の背中の、よく見える場所に。
「あるじゃろうが、其処にワシのサインが」
どうじゃ、とゼルが自慢するから、ソルジャーとして訊いてみた。ハーレイの恋人ではなくて、ソルジャー・ブルー。…白いシャングリラで暮らすミュウたちの長として。
「…サインを入れたい気持ちは分かる。仕上げたのは確かに君なんだから」
でもね…。ハーレイの立場はどうなるんだい?
パーツを作ったのはハーレイなんだよ、それが無ければ胡桃割り人形は作れなかったわけで…。
そのハーレイの存在を無視して、君の名前だけを書くというのは…。
どうかと思う、と苦言を呈したけれど。
「大部分はワシの仕事じゃろうが!」
わしが設計図を書かなかったら、パーツを作ることだって出来ん。…そうじゃろうが?
ハーレイはワシの指図で仕事をしておっただけで、ただの下っ端に過ぎんのじゃ!
そんな輩に、サインを入れる資格があるとは思えんがのう…。
下っ端のサインは入らんものじゃろ、ただ手伝っただけの能無しのは…?
ハーレイのサインなんぞは要らん、と言い放ったゼル。会議に出ていたヒルマンたちも、文句を言いはしなかった。ゼルの言葉も、まるで間違いではないのだから。
そういうわけで、子供たちに人気があった胡桃割り人形はゼルの作品。せっせとパーツを作っていたのは、前のハーレイだったのに。
立派な人形が出来上がるよう、細心の注意を払ってパーツを幾つも削り出したのに。
「…前のハーレイ、手柄を横取りされちゃったね…」
胡桃割り人形、ゼルが作ったってことになっちゃった…。ゼルのサインが入ってたから。
「仕方あるまい、相手がゼルでは俺だって勝てん」
若い頃からの喧嘩友達なんだぞ、勝ち目が無いってことくらい分かる。…あの状況ではな。
それに屁理屈が上手いのもゼルだ、どう転がっても俺のサインは無理だっただろう。
実際、ゼルの図面が無ければ、俺はパーツを作れなかったわけなんだしな。
「だけど、ハーレイが作業していた時間の方が長かったのに…」
幾つも部品を作ってたんだよ、何度も寸法を測ったりして。…角度も合わせて。
ゼルはパーツを組み立てただけで、色を塗ったりしただけじゃない…!
「いいんだ、お前がいてくれたからな。…俺が作業をしていた時は」
何度も部屋まで来てくれていたし、俺は一人じゃなかったから。…作業自体は下請けでもな。
「ホント?」
「ああ、最高に幸せだったさ。あの時の俺は」
お前が側で見ていてくれて、夜食も色々食べさせてくれて。「ほら」と口まで運んでくれてな。
お蔭で忙しくて手が離せなくても、腹が減って困りはしなかったわけで…。
「…お嫁さんが隣にいたような気分?」
ぼくが作った夜食じゃないけど、食べさせてあげていたんだから。「はい」って、色々。
「嫁さんか…。そういう発想は無かったんだが…」
そうだったんだろうな、今から思えば。…お前が嫁さんみたいな気分になっていたんだ。
「今度も食べさせてあげるよ、色々」
サンドイッチも、おにぎりだって。…ハーレイが食べさせて欲しいんだったら。
「もちろん、頼みたいんだが…。育ってからだぞ?」
チビのお前じゃ話にならんし、さっきも言ったが、馬鹿にされてる気分だからな。
一人で飯も食えないのか、と。
まずはお前が育つことだ、と念を押された。ハーレイに「ほら」と食べさせたって、恋人同士に見える姿に。今の大人と子供ではなくて。
ただし、ゆっくり育つこと。…急いで大きくならないこと。「分かるな?」とハーレイの鳶色の瞳が見詰めてくるから、「うん」と素直に頷いた。
「分かってる…。子供時代をゆっくり楽しめ、って言うんでしょ?」
早く大きくなりたいけれども、ハーレイが言いたいことだって、ちゃんと分かるから…。
それでね、いつか大きくなったら、ハーレイと結婚出来るでしょ?
胡桃割り人形、今度も作る?
ぼくたちが住んでる地域の胡桃は、胡桃割り人形では割れない胡桃らしいけど…。
「作って飾りにするってか? ゼルじゃなくて俺のサインを入れて…?」
「そう! ハーレイが作った胡桃割り人形、家に飾れたら素敵じゃない?」
前のとおんなじ人形でもいいし、違う色とか顔でもいいよね。兵隊さんの顔が違うとか。
「作るって…。設計図が無いぞ、ゼルがいないんだから」
あちこち探せば、作り方が分かる本があるかもしれないが…。俺には木彫りの趣味が無いんだ。前の俺みたいに器用にパーツを作れやしないし、胡桃割り人形は絶望的だな。
胡桃割り車で勘弁してくれ、カラスが持って来る胡桃なら幾つでも割ってやるから。
「そうだ、今度はそれがあったね…!」
一番最初は、それをお願いしてたんだっけ…。ハーレイの車で胡桃を割ること。
カラスのために胡桃割り車でドライブしようよ、胡桃を割りたいカラスが待っている場所へ。
もしもカラスが来ていなかったら、待ってる間に、ハーレイにお弁当、食べさせてあげるよ。
前のぼくがやっていたのと同じに、サンドイッチとかを横から「はい」って。
「いいかもなあ…。お前が食わせてくれるんならな」
胡桃割り車でドライブするなら、美味い弁当を用意して行こう。
俺が色々作ってもいいし、途中の店で山ほど買って行くのも楽しいぞ、きっと。
胡桃割り人形は作ってやれんが、弁当作りは任せてくれ。胡桃割り車の運転もな。
お前が大きくなったなら、とハーレイは約束してくれたから、いつか二人でドライブに行こう。
胡桃割り人形を作る代わりに、胡桃割り車を利口なカラスにプレゼントしに。
カラスが来るのを待っている間は、ハーレイにあれこれ食べさせてあげて。
ハーレイが作ったお弁当やら、途中で買って来た美味しいものを。
「もうすぐ来ると思うから…」と、待ち時間が長くなったって。
胡桃を割りたいカラスが来るまで、うんと時間がかかったとしても。
前の自分も、胡桃割り人形のパーツが出来上がるまで、ハーレイの世話をしていたから。
夜食を運んで食べさせていただけでも、二人とも幸せだったから。
その思い出を語り合いながら待とう、胡桃を咥えたカラスが道路にやって来るまで。
胡桃割り車の出番が来るまで、ハーレイの車でカラスの胡桃をパチンと割ってやれる時まで…。
胡桃割り人形・了
※前のハーレイが部品を作った、胡桃割り人形。けれどサインを入れたのは、設計者のゼル。
そして木彫りの趣味が無いのが、今のハーレイ。今度はカラス用の胡桃割り車でドライブを。
ハレブル別館、毎週更新は今回が最後になります。
2022年からは月に2回更新、毎月、第一月曜と第三月曜の予定です。
よろしくお願いいたします~。
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カラス、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
今が旬の胡桃、それを割ろうとするカラスたち。中の美味しい実を食べたいから。
けれど、取り出せない中身。固すぎて割れない胡桃の殻。カラスのクチバシでは歯が立たない。足を使っても、割れてくれない。
そこで頭を使ったカラス。胡桃を殻ごと咥えて飛んで、固い道路に落としてやる。空の上から。道路も同じに固いわけだし、上手い具合に割れる殻。ヒビが入ってパッチンと。
一度で駄目なら、二度、三度。咥えて空から落とすのだけれど、それでも頑固に割れない殻も。そうなった時には、其処で待つのがカラスたち。もう自分では割ろうとしないで。
カラスが待っているのは車。人間が運転してやって来る車。
それに轢かせたら、どんな胡桃もパチンと割れてしまうから。中の実までが砕け散っても、味が変わりはしないから。
車が走り去った後には、美味しく食べられる胡桃。クチバシでヒョイと拾っては。砕けた欠片を次から次へと、全部すっかり無くなるまで。
(ずっと昔から…)
そうやって割っていたらしいカラス。自分では割れない胡桃を運んで。
まずは道路にぶつけてみる。駄目なら車が来るのを待つ。車は確実に胡桃を割ってくれるから。
地球が滅びてしまう前から、カラスは胡桃を割っていた。道路で、人間が運転する車で。
やがて胡桃は自然の中では育たなくなって、カラスたちが飛べる空も無くなった。人間は地球を離れて行ったし、胡桃もカラスも他の星へと。
そして訪れた機械が統治する時代。前の自分たちが生きていた世界。
SD体制が敷かれた時代のカラスたちには、青い地球も野生の胡桃も無かった。人間と同じに、保護されて生きていたというだけ。滅びないように。
SD体制の時代が終わって、長い時が流れて蘇った地球。其処に自然が戻って来たら、カラスは胡桃を割り始めた。ずっと昔のカラスたちがやっていたように。
面白いことに、そっくりそのまま。森から胡桃をせっせと運んで、道路にぶつけて割ってみる。それでも割れてくれない胡桃は、人間の車に轢かせて割る。
(きっと、車が一番なんだよ)
そうに違いない、と思った固い胡桃の割り方。固い道路と、其処を走る車で割る胡桃。
他に便利な方法があれば、それで割ろうとするだろうから。昔のカラスとは違うやり方で。
サイオンを持たないカラスだけれども、何かいい手が見付かれば。今の時代のカラスたちには、とても似合いの方法が。
(車の他には…)
何かあるかな、と思った固い胡桃を割れるもの。
カラスは自分で割れないのだから、道具を使うしか無いだろう。けれど道具を持っていないのがカラスたち。車と道路に頼るしかない。道具が無いなら、その二つに。
それで車に割って貰うんだ、と納得して帰った二階の部屋。母に空になったお皿を返して。
勉強机の前に座って、考えてみたカラスたちのこと。今も昔も、車に胡桃を割らせるカラス。
地球が滅びて蘇った後も、同じことをやっているカラスたち。胡桃を割るなら車が一番、と。
(車よりも上手く割れそうなもの…)
道具を使えないカラスでも、と考えるけれど、思い付かない。固い胡桃の殻を割るなら、道路でなくても良さそうだけれど。…岩にぶつけても割れそうだけれど。
(岩にぶつけて割れなかったら…)
次の方法が見付からない。辛抱強く咥えて飛んでは、割れるまで岩に落とすだけしか無い方法。二度や三度では済まなくても。十回ぶつけても割れなくても。
それに比べて便利な道路。一度でパチンと割れたりもするし、駄目でも車を待てばいい。自分で割るのに疲れたら。「もう嫌だよ」と思ったら。
田舎の道でも、車は走って来るものだから。「疲れちゃった」と翼を休める間に、車のタイヤが割る胡桃。パチンと、ほんの一瞬で。
(ホントに頭がいいよね、カラス…)
人間の車を道具の代わりにするなんて。自分の力で割れない胡桃は、車に割って貰うだなんて。
わざわざ道路に運んで来てまで、人間の車を利用する。多分、車がカラスの道具。固い胡桃を、パチンと楽に割るための。
同じ胡桃を人間が割るには、やっぱり道具が必要になる。車ではなくて、専用の道具。
(胡桃割り人形…)
そういう道具があるとは聞いているのだけれども、実物は見たことが無い。同じ名前の、有名なバレエも見ていない。
人間の自分も胡桃割り人形を知らないのだから、カラスが車を思い付いたのは凄い。固い胡桃を割るなら車、と。
きっと車が、カラスの胡桃割り人形。カラスにとっては、胡桃割り用の道具なのだから。
人間の形はしていないけどね、と思った車。胡桃割り人形は人形なのだし、人の姿を真似ている筈。その人間は胡桃割り人形で胡桃を割って、カラスの場合は…。
(胡桃割り車…)
名付けるのならば、そういう名前になるのだろう。
カラスたちが胡桃を割らせる車は。車の色や形なんかは関係無くて、胡桃の殻さえ割れればいい。どんな車でも、立派な胡桃割り車。
(…ハーレイの車でも、カラスが見たら…)
胡桃割り車になるんだよね、と想像してみたら愉快な気分。ハーレイの車は、胡桃割りのために買った車とは違うのに。ハーレイが乗って、色々な所へ行こうとしている車なのに。
(だけど、やっぱり胡桃割り車…)
胡桃を割りたいカラスからすれば、ハーレイの車も胡桃割り車。濃い緑色のが走って来た、と。前のハーレイのマントの色の車だから。…カラスは全く知らないけれど。
いつかハーレイの車で胡桃を割ってみようか、カラスのために。秋になったら二人でドライブ。胡桃を割って欲しいカラスが、「まだかな?」と車を待っている場所へ。
キャプテン・ハーレイのマントの色をした、胡桃割り車に二人で乗って。ハーレイがハンドルを握って走って、自分は助手席に乗っかって。
そんなドライブも素敵だよね、と浮かんだ考え。ハーレイの車が胡桃割り車に変身する。道路でカラスが待っていたなら。「これをお願い」と、胡桃を置いていたならば。
(胡桃割り車のドライブ、いいかも…)
タイヤの下で砕ける胡桃。車はちょっぴり揺れるのだろうか、それとも音がするだけだろうか?
固い胡桃がパチンと弾ける、カラスが喜ぶ胡桃割り車。「やっと割れた」と。
胡桃割り車をやってみたいな、と思っていたら、聞こえたチャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり切り出した。
「あのね、ぼくがハーレイと一緒にドライブに行けるようになったら…」
大きくなったら、秋には胡桃割り車をお願いしてもいい?
ハーレイの車でも出来る筈だもの、胡桃割り車。
「はあ? 胡桃割り車って…」
なんだそりゃ、と丸くなってしまったハーレイの瞳。「そんな車は知らないが?」と。胡桃割り人形の方ならともかく、車というのは初耳だ、と。
「えっとね、胡桃割り車は、ぼくが考えた名前だから…。カラス専用の道具なんだよ」
カラスは車で、固い胡桃を割るんだって。道路に落としても割れない胡桃は、車に轢かせて。
それって胡桃割り人形じゃなくて、胡桃割り車だと思うから…。
「あれか、俺も噂は聞いてるな。カラスは知恵が回るんだよなあ…」
俺の親父も割らされたらしいぞ、釣りの帰りに走っていたら。
「ホント? それなら、其処に行ったら割ってあげられるね」
胡桃の木があって、カラスがいるってことだもの。其処で出来るよ、胡桃割り車。
「俺の車でやりたいのか? 胡桃割り車というヤツを」
カラスが道に置いてる胡桃を、タイヤで轢いて。…まさしくカラスの思う壺だな、胡桃割り車。
「だって、楽しいと思わない?」
ちゃんと道路で待ってるんだよ、カラスは隠れているかもだけど…。胡桃だけ置いて。
「まあ、愉快ではあるかもなあ…」
お前はそいつを見たいわけだし、割った後には車を停めればカラスが食うのも見られるし…。
俺の車は胡桃割り車になるってわけだな、カラスのために胡桃を割りました、と。
胡桃を割るために買った車じゃないんだが、とハーレイは苦笑しているけれど。カラスのためにドライブなのか、とも言うけれど。
「胡桃割り車でいいじゃない。ぼくが行きたいドライブなんだよ、胡桃割り車は」
カラス、とっても頭がいいよね。ずっと昔から、やり方はおんなじらしいけど…。
人間が乗ってる車に胡桃を割らせるんだよ?
ちゃんと道具にしちゃってるんだよ、車をね。胡桃を割るなら車なんだ、って。
人間は胡桃割り人形を使うけれども、カラスは車。
胡桃割り人形、ぼくは本物、見たこと一度も無いんだけれど…。
「俺はあるんだが、この地域では使えんぞ。胡桃割り人形というヤツは」
飾って眺めておくだけだってな、胡桃割り人形を買って来たって。
「使えないって…。どういう意味?」
胡桃を割るための人形なんでしょ、使えない筈がなさそうだけど…。道具なんだし…。
「それがだ、胡桃の殻の固さが全く違うらしいぞ」
この地域で採れる胡桃の殻は固いんだそうだ。胡桃割り人形の方が壊れるくらいに、桁違いに。
胡桃の種類が違うわけだな、地域によって。
胡桃割り人形を考え出した地域の方だと、胡桃の殻はもっと割れやすい。胡桃割り人形で簡単に割れるが、この地域だと駄目なんだ。…飾り物にしかならないんだな、胡桃割り人形は。
「へえ…!」
知らなかったよ、そんなこと…。胡桃の固さが違うだなんて。
人間が胡桃を割るんだったら、車じゃなくって胡桃割り人形だよね、って思ってたのに…。
カラスが胡桃の殻を割るには、人間の車が通るのを待つ。タイヤで割ってくれるから。
人間の方は胡桃割り人形を使って割るのだと思っていたのに、この地域では違うらしい。胡桃の殻が固すぎるから、胡桃割り人形は壊れてしまう。他の道具を使うしかない。
「胡桃割り人形、此処だと飾りになっちゃうんだ…。なんだか不思議」
道具があっても役に立たないなんて…。地球は広いね、胡桃の固さも違っちゃうんだ。何種類も胡桃があるんだろうけど…。
あれっ、それならシャングリラの胡桃はどっちだろ?
食べていたよね、白い鯨で。…胡桃の木だって植えていたから、実が出来たら。
あの胡桃は固い胡桃だったのか、そうじゃない胡桃だったのか、どっち…?
「そういや、あったな。胡桃の木も」
酒のつまみにも食っていたもんだ、あの胡桃。美味かったんだが、はて、どっちだか…。
俺も胡桃には詳しくないしな、それにシャングリラでは胡桃だと思っていただけで…。
いや待て、あれは人形で割れたんだ。…ということは、柔らかい方の胡桃だったんだな。
「えっ、人形って?」
「そのものズバリだ。胡桃割り人形、あったじゃないか」
ちゃんと本物の胡桃割り人形が。そいつで割ったぞ、シャングリラで採れた胡桃の殻を。
「そうだっけ…?」
胡桃割り人形なんかを奪って来たかな、前のぼく…?
何かに紛れて奪っちゃったのを、ハーレイ、倉庫に仕舞っていたとか…?
「俺は確かに関係してたが、お前が奪った胡桃割り人形を管理していたわけじゃない」
作ったんだ、胡桃割り人形を。胡桃の殻を割るためにな。
「…作ったって…。ハーレイが胡桃割り人形を?」
ハーレイ、そんなに器用だった?
木彫りのナキネズミがウサギにされてしまったくらいに、器用じゃないと思うんだけど…。
「言わないでくれ。俺にとっても、其処は情けない思い出なんだ」
俺の独創性ってヤツは一切抜きでだ、とことん注文通りにだな…。こう作れ、と。
「思い出したよ…!」
胡桃割り人形、あったっけね…。前のハーレイが作ったんだっけ…!
ホントにあった、と思い出した胡桃割り人形。前のハーレイが作った木彫りの人形。
事の起こりは、シャングリラに植えた胡桃の木。白いシャングリラが出来上がった後に、公園や農場に何本も植えていた胡桃。実は食べられるし、長期保存にも向いていたから。
胡桃の殻は手で割ることが出来たのだけれど、ヒルマンが欲しがったのが胡桃割り人形。それがあったら子供たちが喜ぶだろうし、情操教育にもなりそうだ、と。
長老たちが集まる会議で話が出た時、前の自分も面白そうだと考えたけれど…。
「欲しいのだがねえ…。しかし、ハーレイの腕ではだね…」
木彫りはハーレイがやっているだけで…、と言葉を濁したヒルマン。続きはゼルが引き継いだ。
「作れんじゃろうな、どう考えても」
こういう人形は無理に決まっておるわ、と指差された資料。ヒルマンが持って来た写真。
「あたしも全く同感だね。これはハーレイには作れやしないよ」
まるで才能が無いんだからさ、とブラウも容赦なかったけれども、「しかしだ…」とヒルマンが挟んだ意見。「才能の方はともかくとして」と。
「こういった物を作らせた時は、ハーレイの腕は話にならないのだがね…」
スプーンとかなら、実に上手に作るじゃないか。芸術方面の才能が無いというだけだ。
木彫りの腕がまるで駄目なら、ああいう物も作れないだろう。だからだね…。
使いようだ、とヒルマンが述べた、前のハーレイの木彫りの腕前。
胡桃割り人形を作るのだったら、設計図の通りに木を削るだけ。ハーレイの仕事は部品作りで、組み立てなどの作業はゼルでどうだろうか、という提案。
「ほほう…。わしとハーレイとの共作なんじゃな、その胡桃割り人形は?」
「殆どは君に任せることになるだろうがね」
設計も、それに組み立ても…、とヒルマンとゼルが頷き合う中、ハーレイは仏頂面だった。
「私は削るだけなのか?」
それだけなのか、と眉間に皺が寄せられたけれど。
「あんた、自分の腕を全く分かっていないとでも?」
それこそ他人の、あたしにだって分かることなんだけどね?
あんたが一人でこれを作ったら、人形どころかガラクタが出来るだけだってことは。
そうじゃないのかい、とブラウが鼻を鳴らしたくらいに、酷かった前のハーレイの腕前。下手の横好きという言葉そのまま、芸術作品には向いていなかった。木を削ることは得意でも。
「…確かに否定は出来ないが…」
難しいことは認めるが、と胡桃割り人形の写真を見詰めるハーレイを他所に、ヒルマンの方針はとうに決まっていた。「ハーレイは削るだけだよ」と。
「ゼルに設計を任せておくから、君はその通りに木を削りたまえ」
寸法などをきちんと測って、少しも狂いが出ないようにね。それなら問題無いだろう?
君の腕でも充分出来るよ、胡桃割り人形の部品が立派に。
「そうじゃ、そうじゃ! わしに任せておくのがいいんじゃ」
腕によりをかけて、素晴らしい図面を描かんとのう…。他にも資料はあるんじゃろ?
最高の胡桃割り人形を作ってやるわい、子供たちが楽しんで使えるヤツを。
任せておけ、と胸を叩いたゼル。子供たちが喜ぶ胡桃割り人形を作り上げるから、と。
ブラウもエラもそれに賛成、胡桃割り人形はハーレイとゼルとの共作にする。ハーレイの仕事は部品作りで、下請け作業なのだけれども。
それが一番いいということは、前の自分にも分かっていた。ハーレイの木彫りの腕前だって。
もう恋人同士になっていただけに、ハーレイには少し可哀相だとは思ったけれども、私情を挟むわけにはいかない。たかが胡桃割り人形のことにしたって。
此処でハーレイの肩を持ったら、ソルジャー失格。
子供たちのことより、恋人を優先するようでは。自分の感情を交えた言葉で、長老たちの意見を否定するようでは。
だから駄目だ、と守った沈黙。「ぼくもその方がいいと思うよ」と、自分の心に嘘をついて。
こうして決まった、胡桃割り人形を作ること。計画通りにゼルが設計に取り掛かった。どういう人形が喜ばれそうか、資料を色々用意して。子供好きだけに、あれこれ検討して。
デザインが決まれば、次は設計。ハーレイの腕でも、素晴らしい人形が出来るようにと。
数日が経って、青の間で暮らす前の自分にも、噂が聞こえて来たものだから…。
「図面を貰ったんだって?」
例の胡桃割り人形の、とハーレイの部屋を訪ねて行った。シャングリラの中はとうに夜。通路の照明などが暗くなっていて、展望室から外を見たなら、雲海も闇の中だろう。
ハーレイは机に向かっていたのだけれども、顔を上げて苦い笑みを浮かべた。
「実に屈辱的ですがね。…この通りですよ」
御覧下さい、と指された設計図。机の上に広げられた図面には、本当に細かすぎる指示。此処はこういう寸法で、だとか、角度はこうだ、と注文が山ほど。
それほどうるさく書いてあるのに、ハーレイの仕事は木を削るだけ。部品作りの下請け作業。
出来上がったら部品をゼルに届けて、色を塗ったりするのもゼル。
完成した時は、遠い昔の兵隊の姿になる人形に。大きな口で胡桃の殻を割る人形に。
「…君は、組み立てもさせて貰えないんだね…」
出来たパーツには、触るなと書いてあるんだし…。バラバラのままで届けに来い、と。
「そのようです。…全く信用されていません」
部品によっては、仮に組んでみれば完成度が上がりそうなのですが…。
微調整ならゼルにも出来るそうでして、手出しするなと釘を刺されてしまいましたよ。
私はゼルの部下らしいです、とハーレイが嘆くものだから…。
「そんな風にも見えるけど…。実際、そうかもしれないけれど…」
でも、この部品を作り出すのは君なんだ。木の塊を注文通りに削ってね。
それは君にしか出来ない作業で、とても大事な仕事だよ。…君の考えでは動けなくても。
「…そうでしょうか?」
ただの下請けで、ゼルにいいように使われているとしか思えませんが…。
これだけ細かく注文されたら、能無しと言われた気もしますしね。
私は本当に削るだけで…、とハーレイは溜息をついたけれども。この先の空しい作業を思って、眉間の皺も普段より深いのだけれど…。
「そんなにガッカリしなくても…。君が一番肝心な部分を担っているんだと思うけれどね?」
船で言うなら、エンジンという所かな。…これから出来る胡桃割り人形の心臓の部分。
此処に書いてあるパーツが無いと、胡桃割り人形は作れないんだから。どれが欠けても、人形は完成しやしない。全部のパーツが揃わないとね。
それを作れるのは君だけなんだよ、ゼルに出来るのは微調整だけだ。肝心のパーツは作れない。
最初にパーツありきなんだし、君がいないと胡桃割り人形は出来上がらない。
そう考えたら、下請けだろうが、これは最高に素晴らしい仕事だと思えてこないかい…?
「…そうですね…。どの部品が欠けても、胡桃割り人形は作れませんね」
出来た部品が欠陥品でも、同じ結果になるでしょう。…ゼルが修正出来なかったら。
下請けも大切な作業なのですね、少しやる気が出て来ましたよ。
溜息ばかりをついていないで、狂いの無いパーツを作らないと、と。
「それは良かった。…やる気になってくれたのならね」
でも、ハーレイ…。頑張ってパーツを作るというのはいいけれど…。
部品作りに夢中になって、ぼくのことを忘れてしまわないでよ?
「ご心配なく。青の間では作業しませんよ」
あそこで部品を削っていたなら、木屑が落ちてしまいますから…。
私が青の間にいたというのがバレます、掃除しに来た係の者に。…あなたとの仲を疑われたら、大変なことになりますし…。作業はこの部屋だけですよ。
「それは分かっているけれど…。だから注意をしているんだよ」
青の間に来るのが遅くなるとか、来るのを忘れて朝まで作業を続けるだとか…。それは困るよ。
「まるで無いとは言い切れませんね…。細かい作業になりそうですから」
ご心配なら、あなたがおいでになりますか?
今のように、私の部屋の方まで。…青の間でお待ちになるのではなくて。
「それも素敵だね。君の部屋に泊まるというのも好きだし…」
君の作業を見られるのも、とても楽しそうだよ。たとえ下請け作業でもね。
そんな遣り取りがあったものだから、胡桃割り人形の部品の制作中は、ハーレイの部屋に何度も泊まった。青の間の自分のベッドは放って、瞬間移動で出掛けて行って。
作業をしているハーレイの姿を熱心に眺めて、差し入れだって。
ソルジャー用にと夜食を注文しておいて、それが届いたら、青の間からハーレイの部屋に運んで行って。もちろん誰にも見付からないよう、瞬間移動で飛び込んで。
そうやって夜食を持って行ったら…。
「ほら、ハーレイ。…サンドイッチ」
今日のは色々作って貰って、卵やハムもあるんだよ。…お腹が空いた、と注文したからね。
どれから食べたい、やっぱりハムの?
「いえ、お気持ちは嬉しいのですが…。今は作業の真っ最中で…」
手が汚れたら、木まで汚れてしまいますから。…無垢の木は汚れやすいので…。
「その心配は要らないよ。ぼくが食べさせてあげるから」
君は横を向いて齧ればいいだろ、食べこぼしで木を汚さないように。…こんな風にね。
口を開けて、と差し出していたサンドイッチ。卵やハムや、キュウリなどのを。
ハーレイの好みを訊いては、「はい」と。モグモグと動く口に合わせて、食べやすいように。
(うん、他にも…)
色々と差し入れしたんだっけ、と蘇った前の自分の記憶。作業中だったハーレイに夜食。
今のハーレイに「覚えてる?」と尋ねてみたら、「そうだったなあ…」と懐かしそうで。
「ああいうのは当分、出来ないな…」
お前の手から食べるというヤツ。…どれも美味かったが…。サンドイッチも、グラタンとかも。
「ママが作った料理で良ければ、いつでも食べさせてあげるけど?」
週末は二人でお昼御飯だもの、ママたちがいないから大丈夫。…この部屋だしね?
今度の土曜日に食べさせてあげるよ、注文があるならママに頼んでおいてもいいし…。
ハーレイ、お昼に何を食べたい?
「お前のアイデアは悪くないんだが…。そいつは駄目だな」
チビのお前に食べさせられたら、馬鹿にされた気分になっちまう。子供扱いされたみたいで。
「えーっ!?」
ぼくはハーレイの恋人なのに…。チビだけど、ちゃんと恋人なのに…!
酷い、と頬を膨らませたけれど、胡桃割り人形のことは素敵な思い出。全部のパーツが完成するまで、何度も泊まったハーレイの部屋。木の塊から削り出すのを眺めに、飽きもしないで。
夜食も何度も運び続けて、最後のパーツが出来上がって…。
「お疲れ様。…これで完成だね、胡桃割り人形のパーツ」
此処から先はゼルの仕事で、組み立てるのも、色を塗ったりするのもゼルで…。
君の出番は今日でおしまい。明日からはゼルが作業の続き。
「そうなりますね。明日の夜までには、届けに出掛けますから」
胡桃割り人形が完成するまで、ゼルの部屋で御覧になりますか?
この先の作業は、私がやっていたような単調なものとはガラリと変わるのでしょうし…。
きっと面白いと思いますよ。見学に出掛けてゆかれたなら。
「作業はそうかもしれないけれど…。問題は部屋の住人だよ」
ゼルの部屋に泊まってもつまらないからね。…夜食を運ぼうとも思わないよ。
食べさせてあげたい気持ちもしないし、後の作業は見なくてもいいって気分だけれど?
「そう仰ると思いました。…あなたが熱心に通っておられた理由は、見学とは違いましたから」
私があなたを忘れないようにしておくことと、夜食を食べさせに通うこと。
どちらも今日で要らなくなった理由です。
私の作業は終わりましたし、これで青の間に戻れますよ。作業のことを気にしないで。
「そうだね。でも…」
此処に通うのも楽しかったけどね、ただ泊まるのとは違っていたから。
君がキャプテンの仕事をしているだけなら、夜食を横から食べさせたりは出来ないし…。
「ええ。…そういう不真面目な態度で仕事をしたくはないですね」
夜食を食べることはあっても、あなたに食べさせて頂くなどは…。それはあまりに…。
「不謹慎だって?」
そうなるだろうね、ソルジャーとキャプテンなんだから。
誰にも秘密の恋人同士で、仕事の時には、お互い、恋は封印だしね…?
だから胡桃割り人形のパーツ作りは楽しかったよ、と交わしたキス。今夜でおしまい、と。
次の日、ハーレイは出来上がったパーツをゼルに届けて、続けられた胡桃割り人形作り。今度はゼルが組み立てをして、色を塗って、顔なども描いて。
作業が終わって完成した時は、会議の席で披露されたのだけれど…。
「凄いね、これは。…ハーレイが作ったとは思えない出来栄えだよ」
パーツはハーレイが作ったのに、と褒めた前の自分。兵隊の姿の胡桃割り人形は、本当に見事な出来だったから。
そうしたら…。
「殆どはワシじゃ、わしの仕事じゃ!」
組み立てて、色も塗ったんじゃし…。顔を描いたのも全部、わしなんじゃから。
ちゃんとサインも入れてあるんじゃぞ、わしが作ったと、背中にな。
「え…?」
誇らしげだったゼルの宣言。まさか、と机の上に置かれた胡桃割り人形を調べてみたら、ゼルのサインが入っていた。人形の背中の、よく見える場所に。
「あるじゃろうが、其処にワシのサインが」
どうじゃ、とゼルが自慢するから、ソルジャーとして訊いてみた。ハーレイの恋人ではなくて、ソルジャー・ブルー。…白いシャングリラで暮らすミュウたちの長として。
「…サインを入れたい気持ちは分かる。仕上げたのは確かに君なんだから」
でもね…。ハーレイの立場はどうなるんだい?
パーツを作ったのはハーレイなんだよ、それが無ければ胡桃割り人形は作れなかったわけで…。
そのハーレイの存在を無視して、君の名前だけを書くというのは…。
どうかと思う、と苦言を呈したけれど。
「大部分はワシの仕事じゃろうが!」
わしが設計図を書かなかったら、パーツを作ることだって出来ん。…そうじゃろうが?
ハーレイはワシの指図で仕事をしておっただけで、ただの下っ端に過ぎんのじゃ!
そんな輩に、サインを入れる資格があるとは思えんがのう…。
下っ端のサインは入らんものじゃろ、ただ手伝っただけの能無しのは…?
ハーレイのサインなんぞは要らん、と言い放ったゼル。会議に出ていたヒルマンたちも、文句を言いはしなかった。ゼルの言葉も、まるで間違いではないのだから。
そういうわけで、子供たちに人気があった胡桃割り人形はゼルの作品。せっせとパーツを作っていたのは、前のハーレイだったのに。
立派な人形が出来上がるよう、細心の注意を払ってパーツを幾つも削り出したのに。
「…前のハーレイ、手柄を横取りされちゃったね…」
胡桃割り人形、ゼルが作ったってことになっちゃった…。ゼルのサインが入ってたから。
「仕方あるまい、相手がゼルでは俺だって勝てん」
若い頃からの喧嘩友達なんだぞ、勝ち目が無いってことくらい分かる。…あの状況ではな。
それに屁理屈が上手いのもゼルだ、どう転がっても俺のサインは無理だっただろう。
実際、ゼルの図面が無ければ、俺はパーツを作れなかったわけなんだしな。
「だけど、ハーレイが作業していた時間の方が長かったのに…」
幾つも部品を作ってたんだよ、何度も寸法を測ったりして。…角度も合わせて。
ゼルはパーツを組み立てただけで、色を塗ったりしただけじゃない…!
「いいんだ、お前がいてくれたからな。…俺が作業をしていた時は」
何度も部屋まで来てくれていたし、俺は一人じゃなかったから。…作業自体は下請けでもな。
「ホント?」
「ああ、最高に幸せだったさ。あの時の俺は」
お前が側で見ていてくれて、夜食も色々食べさせてくれて。「ほら」と口まで運んでくれてな。
お蔭で忙しくて手が離せなくても、腹が減って困りはしなかったわけで…。
「…お嫁さんが隣にいたような気分?」
ぼくが作った夜食じゃないけど、食べさせてあげていたんだから。「はい」って、色々。
「嫁さんか…。そういう発想は無かったんだが…」
そうだったんだろうな、今から思えば。…お前が嫁さんみたいな気分になっていたんだ。
「今度も食べさせてあげるよ、色々」
サンドイッチも、おにぎりだって。…ハーレイが食べさせて欲しいんだったら。
「もちろん、頼みたいんだが…。育ってからだぞ?」
チビのお前じゃ話にならんし、さっきも言ったが、馬鹿にされてる気分だからな。
一人で飯も食えないのか、と。
まずはお前が育つことだ、と念を押された。ハーレイに「ほら」と食べさせたって、恋人同士に見える姿に。今の大人と子供ではなくて。
ただし、ゆっくり育つこと。…急いで大きくならないこと。「分かるな?」とハーレイの鳶色の瞳が見詰めてくるから、「うん」と素直に頷いた。
「分かってる…。子供時代をゆっくり楽しめ、って言うんでしょ?」
早く大きくなりたいけれども、ハーレイが言いたいことだって、ちゃんと分かるから…。
それでね、いつか大きくなったら、ハーレイと結婚出来るでしょ?
胡桃割り人形、今度も作る?
ぼくたちが住んでる地域の胡桃は、胡桃割り人形では割れない胡桃らしいけど…。
「作って飾りにするってか? ゼルじゃなくて俺のサインを入れて…?」
「そう! ハーレイが作った胡桃割り人形、家に飾れたら素敵じゃない?」
前のとおんなじ人形でもいいし、違う色とか顔でもいいよね。兵隊さんの顔が違うとか。
「作るって…。設計図が無いぞ、ゼルがいないんだから」
あちこち探せば、作り方が分かる本があるかもしれないが…。俺には木彫りの趣味が無いんだ。前の俺みたいに器用にパーツを作れやしないし、胡桃割り人形は絶望的だな。
胡桃割り車で勘弁してくれ、カラスが持って来る胡桃なら幾つでも割ってやるから。
「そうだ、今度はそれがあったね…!」
一番最初は、それをお願いしてたんだっけ…。ハーレイの車で胡桃を割ること。
カラスのために胡桃割り車でドライブしようよ、胡桃を割りたいカラスが待っている場所へ。
もしもカラスが来ていなかったら、待ってる間に、ハーレイにお弁当、食べさせてあげるよ。
前のぼくがやっていたのと同じに、サンドイッチとかを横から「はい」って。
「いいかもなあ…。お前が食わせてくれるんならな」
胡桃割り車でドライブするなら、美味い弁当を用意して行こう。
俺が色々作ってもいいし、途中の店で山ほど買って行くのも楽しいぞ、きっと。
胡桃割り人形は作ってやれんが、弁当作りは任せてくれ。胡桃割り車の運転もな。
お前が大きくなったなら、とハーレイは約束してくれたから、いつか二人でドライブに行こう。
胡桃割り人形を作る代わりに、胡桃割り車を利口なカラスにプレゼントしに。
カラスが来るのを待っている間は、ハーレイにあれこれ食べさせてあげて。
ハーレイが作ったお弁当やら、途中で買って来た美味しいものを。
「もうすぐ来ると思うから…」と、待ち時間が長くなったって。
胡桃を割りたいカラスが来るまで、うんと時間がかかったとしても。
前の自分も、胡桃割り人形のパーツが出来上がるまで、ハーレイの世話をしていたから。
夜食を運んで食べさせていただけでも、二人とも幸せだったから。
その思い出を語り合いながら待とう、胡桃を咥えたカラスが道路にやって来るまで。
胡桃割り車の出番が来るまで、ハーレイの車でカラスの胡桃をパチンと割ってやれる時まで…。
胡桃割り人形・了
※前のハーレイが部品を作った、胡桃割り人形。けれどサインを入れたのは、設計者のゼル。
そして木彫りの趣味が無いのが、今のハーレイ。今度はカラス用の胡桃割り車でドライブを。
ハレブル別館、毎週更新は今回が最後になります。
2022年からは月に2回更新、毎月、第一月曜と第三月曜の予定です。
よろしくお願いいたします~。
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