シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
ヘタレの抗体
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
寒い季節がやって来ました。今年の冬は意外に早くて、残暑が終わってからの秋が短め。気付けばすっかり冬な雰囲気、風邪だって流行り始めています。私たち七人グループの中でも流行を真っ先に取り入れた人が…。
「ハーックション!」
くっそぉ…、と口を押さえるキース君。早々と風邪を引いてしまって、三日も欠席。ようやっと登校して来たのが今日で、それでもクシャミを連発です。
「…移さないでよね、その風邪」
私たちだって困るんだから、とスウェナちゃん。放課後は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に来てるんですけど、キース君のクシャミがあるわけで…。
「かみお~ん♪ キースの周りはブルーがシールドしているから大丈夫だよ!」
ウイルスは通さないもんね! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「キースも病院に行くんだったら、シールドして行けば良かったのに…」
「「「は?」」」
キース君は既に風邪を引いています。治療のために病院に行くなら、他の人たちに移さないようマスクでしょうけど、そこをシールドでクリアですか?
「それもあるけど…。シールドしてたら、風邪は引かなかったと思うの!」
だってブルーがそう言ってたもん、ということは…。キース君の風邪は病院仕込み?
「悪かったな! 病院仕込みで!」
そんなつもりは無かったんだ、とキース君は仏頂面。
「俺はこれからのシーズンに備えて予防接種に行っただけで…」
「それってインフルエンザかよ?」
サム君が訊くと、「ああ」と返事が。
「坊主が引いたら話にならんし、毎年、受けているんだが…。それを受けに行って貰って来た」
マスクを持って行くのを忘れた、と無念そう。
「俺の隣に明らかに風邪なご老人が座ってしまってな…。あからさまに席を移れもしないし…」
それは坊主としてどうかと思う、という姿勢は正しいですけど、そのご老人から貰ったんだ?
「そうなるな。…予防接種の副作用かと思ったんだが、どうやら違った」
本物の風邪だ、とまたまたクシャミ。全快するまでは遠そうですねえ…。
流行の最先端を行ってしまったキース君。インフルエンザに罹ってしまえばお坊さんの仕事は出来ませんから、予防接種は当然でしょう。けれど、受けに行った先で風邪を貰って三日も休んだのでは本末転倒とか言いませんか?
「そうなんだが…。月参りにも行けなかったし、親父が文句をネチネチと…」
「「「あー…」」」
気の毒に、と合掌してしまった私たち。キース君は月に何度か遅刻して来て、そういう時には月参りです。檀家さんの家をお坊さんスタイルで回って来た後、制服に着替えて登校なパターン。それがズッコケちゃったんですねえ、風邪のせいで?
「風邪もそうだが、声の方がな…。掠れてしまって出なかったわけで、どうにもならん」
「喉は坊主の命だからねえ…」
マスクしてても声さえ出ればね、と会長さん。
「一人しかいないお寺なんかだと、マスクで月参りもしたりするから…」
「親父にもそう言われたんだ! 情けないヤツだと!」
ついでに親父に借りまで出来た、と呻くキース君。行く予定だった月参りをアドス和尚が引き受けた結果、凄い借りが出来てしまったのだそうで…。
「どういう形で返すことになるのか分からんが…。最悪、お盆まで持ち越しかもな」
「「「お盆?」」」
「卒塔婆だ、卒塔婆! あの時の貸しだ、と俺に卒塔婆書きのノルマがドカンと…」
「「「…卒塔婆書き…」」」
それは毎年、夏になったらキース君を苦しめている作業。山ほどの卒塔婆をアドス和尚と手分けして書いているそうですけど、そこまで借りを返せないままだと…。
「…もしかして全部も有り得ますか?」
シロエ君の言葉に、キース君は。
「…大切な檀家さんの分は親父が書くんだろうが…。最悪のケースも考えないと…」
出来ればそれまでに分割の形で返しておきたい、と苦悶の表情。
「とにかく風邪は二度と御免だ、気を付けないと…」
なんだってこうなったんだか、と言いたい気持ちは分かります。インフルエンザの予防接種に出掛けて風邪って、空しいにも程がありますよねえ…。
とはいえ、無事に終わったのがキース君の予防接種で、次の週には風邪も全快。土曜日も会長さんの家に集まってダラダラ過ごしていたんですけど。
「こんにちはーっ!」
キースの風邪が治ったってね、と現れた別の世界からのお客様。「ぼくにもおやつ!」と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に注文をつけていますけれども、野次馬ですか?
「うーん…。野次馬ってわけでもないんだけれど…」
予防接種のことでちょっと、と妙な台詞が。
「「「予防接種?」」」
「うん。…キースは風邪を引いちゃったけれど、インフルエンザには罹らないんだよね?」
「それはまあ…。多分、としか言えないが」
罹る時には罹るらしいし、とキース君。
「あんたの世界ではどうだか知らんが、俺たちの世界では当たり外れがあるからな」
「当たり外れって?」
「打ったワクチンと同じウイルスなら罹らないんだが、別物だと罹る」
インフルエンザのウイルスには種類が幾つかあるからな、とキース君が説明を。
「運が悪いと、別のを端から貰ってしまって罹るケースも皆無ではない」
俺の知り合いにもコンプリートをしたヤツが…、と恐ろしい実話。お坊さん仲間の人らしいですけど、去年の冬にインフルエンザをコンプリートしたらしいです。ワクチンを打ったヤツ以外の。
「…それはある意味、強運だとか言いませんか?」
普通はそこまで出来ませんよ、とシロエ君が言うと。
「俺もそう思う。そいつ自身もそう思ったらしくて、宝くじを大量に買ってみたそうだ」
「へえ…。当たったのかよ、その宝くじ」
サム君の問いに、キース君は。
「当たったらしいぞ、金額は教えて貰えなかったが…」
「「「…スゴイ…」」」
宝くじが当たるんだったら、インフルエンザのコンプリートもいいでしょう。熱とかで多少辛かろうとも、大金がドカンと入るんですしね?
話は宝くじへと向かいましたが、横から止めに入ったソルジャー。「ぼくはワクチンの話をしたいんだけど」と。
「ワクチンって…。何さ?」
君の世界ならインフルエンザのワクチンもさぞかし完璧だろう、と会長さん。
「こっちの世界じゃ、今年はコレが流行りそうだ、っていうのを作って予防接種だけど…」
「あんたの世界の技術だったら、全部纏めていけるんじゃないか?」
医療は進んでいるんだろう、とキース君も。
「それで嘲笑いに来たというわけか。ただでも風邪を貰ってしまった俺の場合は、ワクチンの方もハズレを引いていそうだと!」
「…そうじゃなくって…。ぼくの世界にも無いワクチンについての話なんだよ」
「「「無い!?」」」
ザッと後ろへ下がりそうになった私たち。椅子さえなければそうなったでしょう。
「き、君はどういうウイルスについて語りたいわけ!?」
悲鳴にも似た会長さんの声、私たちも気分は同じです。ワクチンが無いような感染症がソルジャーの世界のシャングリラで流行してるんだったら…。
「頼む、帰ってくれ!!」
俺たちにそれを移す前に、とキース君。
「ウイルスってヤツは侮れないんだ、健康保菌者というのもいるんだ!」
「そうだよ、君は罹っていないつもりでいてもね、実は罹っていてウイルスを撒き散らしているってこともあるから!」
シールドだって効くのかどうか…、と会長さんは震え上がっています。
「どんなウイルスか分からないけど、君子危うきに近寄らず! 用心に越したことはないから!」
「そうです、とにかく帰って下さい!」
話の方は落ち着いたらまた聞きますから、とシロエ君も。
「初期段階での封じ込めってヤツが大切なんです、終息してから来て下さい!」
「シロエが言ってる通りだってば、早く帰ってくれたまえ!」
この部屋は直ぐに消毒するから、と会長さん。別の世界のウイルスだなんて怖すぎな上に、ワクチンが無いと聞いたら恐怖は倍どころか無限大ですから~!
こうして追い出しにかかっているのに、ソルジャーは悠然とソファに腰掛けたままで。
「移る心配なら大丈夫! 移った人は一人も無いしね」
「だけど患者がいるんだろう!」
残りは全員、君も含めて健康保菌者ということも…、と会長さんが指を突き付けました。
「君のシャングリラでは耐性のある人が多いとしてもね、こっちの世界は別だから!」
「そうだぞ、俺は風邪だけで沢山なんだ! この冬は!」
これ以上の感染症は御免蒙る、とキース君も言ったのですけど。
「…アレは普通は移らないと思うよ、罹ってるのはずっと昔から一人だけだし」
「そういう油断が怖いんだよ!」
感染症には色々あるから、と会長さん。
「潜伏期間が二十年とかいうのもあるしね、おまけにワクチンは無いんだろう?」
「そうなんだよねえ、そもそも作ろうと思っていなかったから!」
「「「は?」」」
「ワクチンって方法を思い付かなかったんだよ、対症療法しか考えてなくて!」
それと精神論だろうか、と言ってますけど、病気の人に精神論って、気力で克服しろっていう意味ですか?
「そんなトコだね、精神を鍛えれば克服できると! ヘタレくらいは!」
「「「ヘタレ?」」」
「そう、ヘタレ! 患者はぼくのハーレイなんだよ、君たちも知っている通り!」
どうしようもなくヘタレなのがハーレイ、とソルジャー、ブツクサ。
「ぶるぅが覗きに来たら駄目だし、そうでなくてもヘタレるし…」
「…それは感染症とは違うんじゃないかと思うけど?」
君のハーレイだけの問題だろう、と会長さん。
「第一、ワクチンを作るだなんて…。あれはウイルスの抗体ってヤツを作るわけでさ、ウイルスも無さそうなヘタレの抗体をどうやって作ると?」
「…ウイルスだとは限らないけど、抗体だったら作れそうだと思うんだよ!」
キースの風邪のお蔭で思い付いた、とソルジャーが目を付けた予防接種だのワクチンだの。キャプテンのヘタレにワクチンだなんて、そんなのホントに作れますか…?
ソルジャーが感染症を持ち込んだわけではないらしい、と分かってホッと一息ですけど、今度はワクチンが問題です。キャプテンのヘタレに効くワクチンが作れるかどうかも問題とはいえ、既に発症してるんだったら、ワクチンを作っても無駄なんじゃあ…?
「それがそうでもないんだよ。劇的に効くって例もあるから!」
ワクチンを後から接種しても、と言うソルジャー。
「こっちの世界はどうか知らないけど、ぼくの世界じゃとにかくワクチン! 駄目で元々、ガンガン打つって方向で行くねえ、感染症には!」
なにしろ宇宙は広すぎるから…、という話。新しい惑星に入植するにはリスクがつきもの、未知のウイルスが潜んでいることもあるそうです。そういう時にはワクチン開発、患者にどんどん打つらしくって。
「これが効くってこともあるんだよ、だからワクチンは後からでもいける!」
「…まあ、ぼくたちの世界でも、そういう例は皆無じゃないけど…」
たまに奇跡のように治ってしまう人が…、と会長さん。打つ手が無いという感染症の重症患者にワクチン接種で、治るという例。
「でもねえ…。ヘタレはウイルスじゃないし、本人の気の持ちようだから…」
「あながちそうとも言い切れないよ? 何か原因があるかもだしね!」
だから抗体を作りたいのだ、と言ってますけど、どうやって…?
「簡単なことだよ、ハーレイは二人いるからね!」
こっちの世界に更にヘタレなハーレイが! とソルジャーは教頭先生の家の方へと指を。
「あのハーレイを使ってワクチン製造! 抗体を作る!」
「…それなら、わざわざ作らなくても…。とうに抗体、出来ていそうだよ?」
三百年以上もヘタレてるんだし、と会長さん。
「ヘタレ続けて三百年以上、きっと抗体もある筈で…」
「それじゃ駄目なんだよ、その程度だったら、ぼくのハーレイも抗体を持っていそうだし!」
あれも元からヘタレだから、と言われてみればその通りです。キャプテンにだって出来ていそうな抗体、それでもヘタレのままだとなると…。
「そう、もっと強力な抗体ってヤツが必要なんだよ!」
より重症なヘタレに対応出来る抗体! とグッと拳を握るソルジャー。より重症なヘタレに対応って、そんなワクチン、作れますか…?
ソルジャー曰く、キャプテンに打つためのワクチンは教頭先生を使って製造。しかも強力な抗体が必要、より重症なヘタレに対応出来るように、ということですが…。
「…君はいったい何をする気さ、ハーレイに?」
ぼくにはサッパリ分からないけど、と会長さんが尋ねて、私たちも「うん」と。ソルジャーは「そうかなあ?」と首を傾げて。
「簡単なことだと思うけど? ハーレイが重症なヘタレになったら、抗体だって出来るしね!」
「「「…重症?」」」
今でも充分に重症だろうと思いますけど、まだ足りないと?
「足りないねえ! ヘタレ具合じゃ、ぼくのハーレイとどっこいと見たね!」
環境のせいで余計にヘタレて見えるだけだ、と言うソルジャー。
「ブルーがハーレイを受け付けないから万年童貞、それが災いしているだけ! もしもブルーとデキていたなら、ヘタレ具合は似たようなものかと!」
こっちのハーレイがヤレる環境にいたとしたなら、鼻血体質もとっくに克服しているだろう、とソルジャーはキッパリ言い切りました。
「ぼくのハーレイも、最初の間は、何かと遠慮がちだったしねえ…」
今のようなハーレイになれるまでには色々と…、とソルジャーは昔語りモードに入ろうとしましたけれども、会長さんが素早くイエローカードを。
「その先、禁止! 今はワクチンの話だから!」
「…そうかい? これからが面白いんだけど…。でもまあ、いいか…」
大切なのはワクチンだから、とソルジャーは気持ちを切り替えたようで。
「要は、こっちのハーレイを今よりヘタレに! その状態になれば、強い抗体が出来るんだよ!」
「…今よりヘタレって、どんな具合に?」
ちょっと想像つかないんだけど、と会長さんが訊くと。
「それはもちろん、ヘタレMAX! 君の顔もまともに見られないとか、そういうレベル!」
出会っただけで顔を赤くして俯くだとか…、とブチ上げるソルジャー。
「その辺はサイオンでどうとでも出来るよ、ハーレイの精神をチョイと弄れば!」
「…わざとヘタレにしてしまうと?」
「その通り! 君にも悪い話じゃないから!」
ハーレイで色々と苦労をしてるじゃないか、と笑顔のソルジャー。それは確かに間違ってませんねえ、教頭先生の思い込みの激しさはピカイチですしね?
教頭先生をサイオンで重度のヘタレに仕立てて、ヘタレの抗体を作ろうというソルジャーの案。日頃から教頭先生に一方的に愛されている会長さんからすれば、悪い話ではないわけで…。
「なるほど、ハーレイが今よりヘタレにねえ…」
そうなればぼくも追われないだろうか、という呟きにソルジャーが。
「まるで追われないとは言わないけれど…。君への愛は消えないからね! でもさ…」
せいぜい「読んで下さい」とラブレターを渡して逃げ去る程度、と溢れる自信。
「そのラブレターだって、小学生だか幼稚園児だか、ってレベルになるのは間違いないね!」
「そうなんだ? だったら、ぼくは当分の間、平和に生活出来るってことか…」
「お金を毟るのは難しいかもしれないけどね!」
ヘタレたら貢ぐ度胸があるかどうか、と言ってますけど、会長さんは。
「お金に不自由はしてないし…。ハーレイが静かになると言うなら、多少のことは我慢するよ。どうせいつかは治るんだろう? 重度のヘタレも」
「そりゃあ、永遠にっていうわけじゃないよ」
ワクチンが出来たら用済みだから、とソルジャー、アッサリ。
「で、作ってもいいのかな? ヘタレのワクチン」
「面白そうだし、やってみたら? …ヘタレの抗体があるかどうかは謎だけど」
「ありがとう! それじゃ早速…」
「ハーレイに相談しに行くのかい?」
ワクチン作りの、と会長さんが訊いたのですが。
「相談なんかをするとでも? 逃げられるに決まっているじゃないか!」
自分がヘタレになるだなんて、とソルジャーは指を左右にチッチッと。
「ぼくはハーレイに会いに行くだけ、そして話をしてくるだけ!」
「…それでどうやったらヘタレになるのさ?」
「サイオンで意識の下に干渉! 細かい作業をするなら会わないとね!」
遠隔操作では上手くいかないものだから…、と本気のソルジャー。
「ぼくと楽しくお茶を飲んでから送り出したら、ヘタレ発動! もう重症の!」
それは凄いヘタレが出来るであろう、とソルジャーはソファから立ち上がりました。
「行ってくるから、サイオン中継で様子を見ててよ。ヘタレのワクチン、頑張らなくちゃ!」
善は急げ、と瞬間移動で消えたソルジャー。行き先は教頭先生の家ですよね?
会長さんの家に残された私たちの前には、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサイオン中継の画面を出してくれました。教頭先生のお宅が映っています。ソルジャーがチャイムを押していますが…。
「どちらさまですか?」
「ぼくだけど?」
それだけで分かったらしい教頭先生、いそいそと玄関の扉を開けに出て来て。
「これはようこそ…! 寒いですから入って下さい」
「ありがとう。…君の家にホットココアはあるかな?」
「ああ、好物でらっしゃいましたね。…直ぐにご用意いたしますから」
リビングへどうぞ、と教頭先生はソルジャーを招き入れてキッチンでホットココアの用意を。クッキーも添えて歓迎モードで、自分用にはコーヒーで。
「…それで、本日の御用件は?」
「ちょっとね、ぼくのハーレイの健康のことで相談が…。かまわないかな?」
「もちろんです。私で分かることでしたら」
「助かるよ。…実は体質のことで悩んでいてさ…。あれって改善できるものかな?」
君は頑丈そうだけれども、ぼくのハーレイの方はちょっと…、と言うソルジャー。
「君ほど体力とかは無いだろうしね、もっと頑丈になってくれたら色々と…」
「何か問題でもあるのですか?」
「夫婦の時間のパワーってヤツだよ、頑丈になれば長持ちするかと…」
あっちの方も、と意味深な台詞に、教頭先生は「そうですねえ…」と顎に手を当てて。
「生憎と私は、そちらの方では経験が無くて…。ですが、可能性としては有り得ますね」
「じゃあ、君の体力をぼくのハーレイが身に付けたならばパワーの方も…」
「増してくるかもしれません。…断言することは出来ませんが…」
「分かった。だったら、ちょっと協力してくれるかな?」
データを取ってみたいから、とソルジャーが何処からか出した注射器。教頭先生は「血液の方のデータですか?」と目を剥きましたが、ソルジャーは。
「ぼくの世界は医療も進んでいるからねえ…。血液検査で色々なことが分かるんだよ」
「そうでしたか。では、どうぞお好きなだけお取り下さい」
教頭先生が袖をまくって、ソルジャーが「そんなに沢山は要らないから」と採血を。注射器に一本分っていう量ですねえ、教頭先生には大した量でもないんでしょうね。
ソルジャーは教頭先生に「献血の御礼」と頬にキスして帰って来ました。瞬間移動で。教頭先生は感激の面持ちで頬を触っていらっしゃいます。ちっともヘタレていませんよ?
「それはどうかな? その場でヘタレちゃ、つまらないしね」
じきに効果が、とソルジャーが指差している中継画面。教頭先生、嬉しそうに頬を撫でていらっしゃったのが、いきなりボンッ! と真っ赤な顔に。
「「「???」」」
何事なのか、と思いましたが、教頭先生は両方の頬に手を当てると…。
「…き、キスをして貰えたとは…。まさか頬に…」
嬉しいけれども恥ずかしすぎる、と教頭先生とも思えぬ台詞が。
「ど、どうすればいいのだ、私は…! か、顔がどんどん熱くなるのだが…!」
なんという恥ずかしい、いや嬉しい、と怪しすぎる反応、いったいどうなっているのでしょう?
「ほらね、ヘタレに拍車がかかった! たったあれだけで顔が真っ赤に!」
後はどんどんヘタレてゆくだけ、とソルジャーはニヤニヤしています。
「ヘタレる前の血液は採ったし、キッチリと保存しておいて…。重症のヘタレに抗体が出来た頃にもう一度採血してから比較して、と…」
「そうか、比べれば分かるんだ? 違いがあれば」
ヘタレの抗体があるのかどうかは知らないけれど、と会長さんが大きく頷いています。
「抗体らしきものが見付かったら、それでワクチンを作るんだね?」
「そういうこと! ぼくは頑張るから!」
ワクチンなんかは作ったこともないんだけれど、と言うソルジャーはド素人でした。そんなのでワクチンが作れるでしょうか、素人なのに…?
「任せといてよ、ダテにソルジャーはやってないから!」
「「「は?」」」
「ソルジャー稼業をやってる間に、研究所にだって潜入したから!」
研究者たちと一緒に仕事もしたから大丈夫! と自信たっぷり、あちらの世界のドクター・ノルディの情報も参考にするそうです。ただしコッソリ忍び込んで。
「さっき採ったハーレイの血液だってね、メディカルルームで分析だから!」
そしてヘタレのワクチンを作ろう! と拳を突き上げているソルジャー。ヘタレの抗体だの、ワクチンだのって、どう考えても無理じゃないかと思いますけどね…?
そんなこんなで始動してしまった、ヘタレのワクチンを作るプロジェクト。ソルジャーに重症のヘタレになるよう仕掛けをされた教頭先生は…。
「…ずいぶんヘタレて来たよね、あれは」
ぼくに会ったら俯くんだから、と会長さんがクックッと笑う週末。今や教頭先生は会長さんの前では恋に恋する乙女さながら、視線を上げることすら出来ない始末。会釈しながら脇を通り過ぎ、頬を真っ赤に染めて通過で。
「あんた、面白いからと頻繁に出歩いているだろうが!」
普段だったら学校の中は滅多に歩いていないくせに、とキース君。
「わざわざ教頭室のある本館まで行ったり、教頭先生の授業が終わった頃合いで出て来たり…」
「出歩かないと損だろう? あんなハーレイ、そうそう見られやしないんだから!」
楽しんでなんぼ、というのが会長さんの持論です。教頭先生は自分がどうしてヘタレたのかも分かっておられず、自分で集めた会長さんの写真や抱き枕も正視出来ない状態らしくて。
「ぼくの写真はまだマシなんだよ、ブルーの写真は完全にアウト」
見るだけで鼻血、とクスクスと。
「ブルーがせっせと贈ったからねえ、きわどいのを…。今までだったら夜になったら楽しんでオカズにしていたけれども、もう駄目でさ」
「「「おかず?」」」
「けしからぬ気分になりたい時の必須アイテム!」
それを見ながら盛り上がるのだ、と説明されて分かったような、分からないような。…ともあれ、今の教頭先生はオカズとやらも要らない状態なんですね?
「そうらしいねえ、孤独に噴火するだけの度胸も無いようだね!」
「かみお~ん♪ ブルーの写真に「おやすみ」のキスも出来ないみたい!」
頬っぺたが真っ赤になって駄目なの! と言う「そるじゃぁ・ぶるぅ」も覗き見をしているみたいです。いつもだったら会長さんが止めているのに、それをしないということは…。
「…お子様が見ていても大丈夫なレベルにヘタレちゃいましたか…」
凄いですね、とシロエ君が教頭先生の家の方角へ目を遣り、サム君も。
「そこまでっていうのが半端じゃねえよな、ラブレターも来ねえっていうのがよ…」
「渡せる度胸は既に無さそうだよ?」
俯いて横を通るようでは、とジョミー君。日を重ねるごとに酷くなるヘタレ、果たして何処までヘタレるのやら…。
教頭先生がヘタレまくって二週間。もはや会長さんと会ったらサッと物陰に隠れるレベルで、熱い視線だけが届くそうです。心拍数も上がりまくりで、口から心臓が飛び出しそうなほどにドキドキな恋する乙女だとか。
「…まだヘタレるのかな?」
もう相当に重症だけど、とジョミー君が首を捻っている土曜日、会長さんの家のリビング。空気がユラリと揺れたかと思うと、ソルジャーがパッと御登場で。
「こんにちは! そろそろヘタレの抗体が出来ていそうだからねえ!」
今日は採血に来てみましたー! と注射器を持参。でも、教頭先生はヘタレまくりで、ソルジャーとお茶なんかを飲める状態ではありませんけど?
「そこの所は、ぼくもきちんと考えた! ぼくなりに!」
この姿で行けば無問題! とソルジャーの姿がパッと変わってキャプテンに。えーっと、サイオニック・ドリームですかね、その姿って…?
「そうだけど? この格好なら、ハーレイだって気にしないからね!」
ちょっと行ってくる! と瞬間移動で消えたソルジャー、いえ、キャプテン。私たちが「そるじゃぁ・ぶるぅ」の中継画面を覗き込んでいると、ソルジャーは例によってチャイムを鳴らして。
「こんにちは、お邪魔致します」
「…は?」
どうしてあなたが、と出迎えた教頭先生はキャプテンの正体に気付かないまま、リビングでコーヒーなんかを出しておられます。ソルジャーは怪しまれないように熱いコーヒーを傾けながら。
「…いえ、先日、ブルーがこちらで相談に乗って頂いたとかで…。体質のことで」
「そういえば…。血液検査の結果はどうだったのでしょう?」
「とてつもなく健康でいらっしゃることが分かりましたね、もう驚きです」
私などではとてもとても…、とキャプテンの演技を続けるソルジャー。
「それでですね、追加の検査をしたいそうですが、ブルーは時間が取れないのだそうで…」
「ああ、それで代理でいらっしゃったというわけですか」
「はい。ブルーに送って貰いました。…そのぅ、失礼ですが…」
「血ですね、どうぞご遠慮なく」
お取り下さい、と袖をまくった教頭先生。キャプテンならぬソルジャーとも知らずに血液提供、後はコーヒー片手に健康談義。ヘタレるのは会長さんやソルジャー相手だけなんですねえ、まったく普通に見えますってば…。
キャプテンのふりをして出掛けたソルジャーは、やがて嬉しそうに帰って来ました。
「やったね、ハーレイの血液をゲット!」
あれだけあったら比較も出来るし、と教頭先生の血はソルジャーの世界へ送られたようです。帰ったら直ちに分析開始で、ヘタレの抗体が見付かった時はワクチン作りに入るとか。
「無事に見付かるといいんだけどねえ、ヘタレの抗体!」
「…ぼくにはあるとは思えないけどね?」
そんな代物、と会長さんが頭を振っていますが、ソルジャーは「きっとある筈!」と譲りません。
「あれだけ酷いヘタレなんだよ、今のハーレイは! そうでなくてもハーレイはヘタレだし、二人ともそうだし…。調べれば何かが見付かる筈で!」
「それが見付かったらどうするわけ?」
「決まってるだろう、もう最初からの目的通り! ぼくのハーレイにワクチンを打つ!」
そしてヘタレを克服なのだ、とソルジャーの主張。本当にヘタレの抗体があるなら、ワクチンも夢ではないんでしょうけど…。
「抗体さえあれば、ワクチンは出来る! もう別人のように生まれ変わったハーレイだって出来る筈だよ、それでヘタレが治るんだから!」
どうしてこんな簡単な方法に今まで気付かなかったんだろう、とソルジャーは自分の頭をコツンと叩いて。
「キースの風邪には感謝してるよ、お蔭でアイデアが生まれたからね!」
「い、いや…。俺は普通に予防接種に出掛けただけで、だ…」
「それは毎年行っているだろ、ぼくだって知っていたんだし…。風邪を貰ってくれたからこそ、予防接種とワクチンに注目出来たんだよ!」
君が今回の功労者だ、とキース君の手をグッと握って握手なソルジャー。
「ワクチンが見事に完成したなら、君に感謝状を贈らないとね!」
「い、要らん! 俺はそういうつもりで風邪を引いたわけではないんだし…!」
明らかに腰が引けているのがキース君。それはそうでしょう、ソルジャーからの感謝状なんて、欲しいような人は誰もいませんし…。
「要らないのかい? …ぼくのシャングリラじゃ凄く有難がられるけどねえ…」
ソルジャーからの感謝状は、と重ねて言われても「要らん」と断るキース君。ソルジャーは「欲が無いねえ…」と呆れて帰ってゆきました。おやつも食事も食べずにです。ワクチン作りをするつもりですね、そのために急いで帰りましたね…?
重症のヘタレな教頭先生の血液を採って帰ったソルジャー。今頃はヘタレる前の血液のデータと比較検討中だろうか、とワクチンの話に花が咲いている夕食の席。今夜は会長さんの家にお泊まり、寒いですから豪華寄せ鍋でワイワイと。其処へ…。
「あった、あったよ、ヘタレの抗体!」
もう間違いなくアレに違いない、とソルジャーが姿を現しました。白衣ですけど、本気で研究してたんですか?
「当たり前じゃないか、ちょっとノルディの意識を弄って、メディカルルームの設備を借りて!」
分析していたら前は無かったものを発見! と頬を紅潮させるソルジャー。
「アレこそヘタレの抗体なんだよ、あれを増やしてぼくのハーレイに打ってやればね!」
「…ヘタレが治ると?」
会長さんが自分の器に肉を入れながら尋ねると。
「そうだと思うよ、だってヘタレの抗体なんだし! こっちのハーレイの重症のヘタレから生まれた奇跡の産物、あの抗体から夢のワクチン!」
「はいはい、分かった。…寄せ鍋は食べて行くのかい?」
締めはラーメンと雑炊だけど、と会長さんが誘ったのですが、ソルジャーは。
「そんな時間は無いってね! こんな時こそ、ぼくの普段の食生活の出番!」
栄養剤だけで充分足りる、と消えてしまったソルジャーの姿。寸暇を惜しんでワクチン開発、そんな所だと思われます。でも、ヘタレの抗体って本当に存在するんでしょうか?
「…どうなんだか…。確かに今のハーレイは重症のヘタレだけれど…」
ヘタレはウイルスじゃないと思う、と会長さん。
「俺もそう思う。…ウイルスなら感染しそうだからな」
でもって、あいつが確実に感染している筈だ、とキース君。
「あれだけ濃厚に接触していれば、移らないわけがないと思うぞ。…ヘタレのウイルス」
「そうですねえ…。でも、移ってはいないようですしね?」
ヘタレるどころか逆ですから、とシロエ君も。
「健康保菌者という線もありますけれど…。それにしたって、感染してれば多少はヘタレが…」
「…出そうだよねえ?」
あんなにパワフルなわけがない、とジョミー君だって言っていますし、私だってそう思います。ソルジャーがヘタレていないからには、ヘタレのウイルスは無いでしょう。抗体だって無いと思いますけど、ソルジャーは何を発見したと…?
存在しない筈のヘタレのウイルス、ついでに抗体。けれどソルジャーは教頭先生の血液から何かを発見した上、ワクチンを開発したわけで…。
「聞いてよ、ついに出来たんだよ!」
ヘタレのワクチン! とソルジャーが降ってわいた一週間後。例によって会長さんの家で過ごしていた週末、ソルジャーは最高に御機嫌で。
「完成したのが二日前でさ、直ぐにハーレイに打ったわけ!」
「ちょ、ちょっと…! 安全性も確かめないで!?」
いきなり使ってしまったのか、と会長さんが慌てましたが、ソルジャーはケロリとしたもので。
「え、問題は無いだろう? こっちのハーレイが持ってた抗体なんだし、最初から人間が持ってたわけで…。しかも瓜二つのハーレイだからね!」
そのまま使って問題無し! と胸を張ったソルジャー。
「それにさ、ワクチンは凄く効いたんだよ! もうハーレイはヘタレ知らずで!」
「ま、まさか…」
「本当だってば、現に昨日もガンガンと! あまりの凄さにぶるぅが土鍋から出て来ていたけど、見られていたってヘタレなかったし!」
大満足の夜だったのだ、とソルジャーは意味不明な言葉をズラズラと並べ始めました。会長さんが柳眉を吊り上げ、レッドカードを叩き付けて。
「退場!!!」
「言われなくても、帰るから! ヘタレが治ったハーレイと楽しく過ごしたいしね!」
特別休暇も取ったんだから、とソルジャーは得意満面です。
「あ、そうだ。…こっちのハーレイはワクチンを作る必要があるから、まだまだ当分、ヘタレのままで置いておくからね!」
「…ワクチンはもう出来たんだろう?」
「もっと強力なのが欲しいじゃないか! もっとヘタレたら、抗体だって凄いのが!」
君もハーレイがヘタレてる間は楽が出来るし…、とソルジャーは一方的に語りまくって姿を消してしまいました。ヘタレのワクチンは完成した上、効果もあったみたいです。あのソルジャーが大満足なレベルとなると…。
「…おい、ヘタレのウイルスは存在したのか?」
「そうらしいね…」
この世界にはまだまだ謎が多い、と会長さんが深い溜息。ヘタレのウイルス、あったとは…。
次の日は日曜、ソルジャーは再び会長さんの家に現れ、ワクチンの効能を熱く語りまくり。会長さんがレッドカードを叩き付けたら、「おっと、続き!」と慌てて帰りましたけど…。
「…途中で抜けて来やがったのか…」
迷惑な、とキース君。ソルジャーはキャプテンがシャワーを浴びている間に来たのです。
「…続きってことは、まだまだやるってことですよねえ…」
シロエ君が大きな溜息、サム君が。
「汗をかいたらシャワーだって言ってやがったしなあ、また来るぜ、きっと」
「体力勝負の運動なんだって言っていたしね…」
汗もかくよね、とジョミー君。ソルジャーが言うにはキャプテンのパワーは上がりまくりで、熱棒とやらもガンガン熱くなりつつあるとか。発熱してなきゃいいんですけど…。
「…待てよ、発熱…?」
もしかしたら、と会長さんが考え込んで。
「…キース、それからシロエにマツカ。…ハーレイは先週、鼻風邪を引いてなかったかい?」
「そういえば…。何度か鼻をかんでいらっしゃったな」
「ええ、そうです。それが何か?」
ただの鼻風邪でしたけど、と答えるシロエ君たち。会長さんは「それか…」と腕組みをして。
「それだよ、ヘタレの抗体とやら! ハーレイが持ってた風邪のウイルス!」
「「「ええっ!?」」」
「ブルーはそれを培養したわけ、でもって感染したのが向こうのハーレイで…。風邪で頭がボーッとしちゃって、ヘタレな気持ちが消えたと見たね!」
「「「あー…」」」
ボーッとしてれば、有り得ないこともやりかねません。それじゃキャプテン、只今、順調に発熱中だというわけですか?
「うん、多分…。風邪が治れば、きっと正気に戻ってヘタレになるかと…。鼻風邪の症状が出ていないから分からないんだよ、風邪だってことが!」
だけどブルーはワクチンの効果だと思っているから…、と頭を抱える会長さん。
「効いたと信じているってことはさ、またワクチンを作ろうとするんだよ、ハーレイで!」
「…これからが風邪のシーズンだしなあ、抗体とやらも出来ていそうだな…」
ヤツの勘違いに過ぎないんだが、とキース君が呻いてもソルジャーは聞く耳を持たないでしょう。まあ、会長さんには平和な状態が続くんですから…。
「…冬の間は教頭先生、ヘタレっぱなしかよ?」
「そうなってしまうみたいですねえ…」
風邪のウイルスだと気付かない限りは、とサム君とシロエ君が顔を見合わせ、私たちも。
「…これでいいのかな?」
「あいつがヘタレの抗体なんだと思っているんだ、放っておこう」
俺たちには実害が無いようだから、とキース君。会長さんにも教頭先生からの熱いアタックとかが一切無いわけですし…。
「それじゃ、ヘタレのウイルスは存在していたってことでいいですね?」
シロエ君が纏めにかかって、会長さんが。
「ブルーが自分で気付くまではね、真実に」
いつかは派手な風邪のウイルスに当たって気付くであろう、という見解。その日が来るまで、キャプテンは風邪のウイルスでパワーアップな日々らしいです。教頭先生はワクチン作りのためにヘタレにされたままですけれども、それで平和になるんだったら重症のヘタレも大歓迎です~!
ヘタレの抗体・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
キース君が貰った風邪から、ソルジャーが思い付いたのがヘタレのワクチンを作ること。
そして開発したわけですけど、抗体の正体はまるで別物。まあ、平和ならそれでいいかも…?
次回は 「第3月曜」 6月20日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、5月といえばGWですけど、連休が終わった後の話で…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
寒い季節がやって来ました。今年の冬は意外に早くて、残暑が終わってからの秋が短め。気付けばすっかり冬な雰囲気、風邪だって流行り始めています。私たち七人グループの中でも流行を真っ先に取り入れた人が…。
「ハーックション!」
くっそぉ…、と口を押さえるキース君。早々と風邪を引いてしまって、三日も欠席。ようやっと登校して来たのが今日で、それでもクシャミを連発です。
「…移さないでよね、その風邪」
私たちだって困るんだから、とスウェナちゃん。放課後は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に来てるんですけど、キース君のクシャミがあるわけで…。
「かみお~ん♪ キースの周りはブルーがシールドしているから大丈夫だよ!」
ウイルスは通さないもんね! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「キースも病院に行くんだったら、シールドして行けば良かったのに…」
「「「は?」」」
キース君は既に風邪を引いています。治療のために病院に行くなら、他の人たちに移さないようマスクでしょうけど、そこをシールドでクリアですか?
「それもあるけど…。シールドしてたら、風邪は引かなかったと思うの!」
だってブルーがそう言ってたもん、ということは…。キース君の風邪は病院仕込み?
「悪かったな! 病院仕込みで!」
そんなつもりは無かったんだ、とキース君は仏頂面。
「俺はこれからのシーズンに備えて予防接種に行っただけで…」
「それってインフルエンザかよ?」
サム君が訊くと、「ああ」と返事が。
「坊主が引いたら話にならんし、毎年、受けているんだが…。それを受けに行って貰って来た」
マスクを持って行くのを忘れた、と無念そう。
「俺の隣に明らかに風邪なご老人が座ってしまってな…。あからさまに席を移れもしないし…」
それは坊主としてどうかと思う、という姿勢は正しいですけど、そのご老人から貰ったんだ?
「そうなるな。…予防接種の副作用かと思ったんだが、どうやら違った」
本物の風邪だ、とまたまたクシャミ。全快するまでは遠そうですねえ…。
流行の最先端を行ってしまったキース君。インフルエンザに罹ってしまえばお坊さんの仕事は出来ませんから、予防接種は当然でしょう。けれど、受けに行った先で風邪を貰って三日も休んだのでは本末転倒とか言いませんか?
「そうなんだが…。月参りにも行けなかったし、親父が文句をネチネチと…」
「「「あー…」」」
気の毒に、と合掌してしまった私たち。キース君は月に何度か遅刻して来て、そういう時には月参りです。檀家さんの家をお坊さんスタイルで回って来た後、制服に着替えて登校なパターン。それがズッコケちゃったんですねえ、風邪のせいで?
「風邪もそうだが、声の方がな…。掠れてしまって出なかったわけで、どうにもならん」
「喉は坊主の命だからねえ…」
マスクしてても声さえ出ればね、と会長さん。
「一人しかいないお寺なんかだと、マスクで月参りもしたりするから…」
「親父にもそう言われたんだ! 情けないヤツだと!」
ついでに親父に借りまで出来た、と呻くキース君。行く予定だった月参りをアドス和尚が引き受けた結果、凄い借りが出来てしまったのだそうで…。
「どういう形で返すことになるのか分からんが…。最悪、お盆まで持ち越しかもな」
「「「お盆?」」」
「卒塔婆だ、卒塔婆! あの時の貸しだ、と俺に卒塔婆書きのノルマがドカンと…」
「「「…卒塔婆書き…」」」
それは毎年、夏になったらキース君を苦しめている作業。山ほどの卒塔婆をアドス和尚と手分けして書いているそうですけど、そこまで借りを返せないままだと…。
「…もしかして全部も有り得ますか?」
シロエ君の言葉に、キース君は。
「…大切な檀家さんの分は親父が書くんだろうが…。最悪のケースも考えないと…」
出来ればそれまでに分割の形で返しておきたい、と苦悶の表情。
「とにかく風邪は二度と御免だ、気を付けないと…」
なんだってこうなったんだか、と言いたい気持ちは分かります。インフルエンザの予防接種に出掛けて風邪って、空しいにも程がありますよねえ…。
とはいえ、無事に終わったのがキース君の予防接種で、次の週には風邪も全快。土曜日も会長さんの家に集まってダラダラ過ごしていたんですけど。
「こんにちはーっ!」
キースの風邪が治ったってね、と現れた別の世界からのお客様。「ぼくにもおやつ!」と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に注文をつけていますけれども、野次馬ですか?
「うーん…。野次馬ってわけでもないんだけれど…」
予防接種のことでちょっと、と妙な台詞が。
「「「予防接種?」」」
「うん。…キースは風邪を引いちゃったけれど、インフルエンザには罹らないんだよね?」
「それはまあ…。多分、としか言えないが」
罹る時には罹るらしいし、とキース君。
「あんたの世界ではどうだか知らんが、俺たちの世界では当たり外れがあるからな」
「当たり外れって?」
「打ったワクチンと同じウイルスなら罹らないんだが、別物だと罹る」
インフルエンザのウイルスには種類が幾つかあるからな、とキース君が説明を。
「運が悪いと、別のを端から貰ってしまって罹るケースも皆無ではない」
俺の知り合いにもコンプリートをしたヤツが…、と恐ろしい実話。お坊さん仲間の人らしいですけど、去年の冬にインフルエンザをコンプリートしたらしいです。ワクチンを打ったヤツ以外の。
「…それはある意味、強運だとか言いませんか?」
普通はそこまで出来ませんよ、とシロエ君が言うと。
「俺もそう思う。そいつ自身もそう思ったらしくて、宝くじを大量に買ってみたそうだ」
「へえ…。当たったのかよ、その宝くじ」
サム君の問いに、キース君は。
「当たったらしいぞ、金額は教えて貰えなかったが…」
「「「…スゴイ…」」」
宝くじが当たるんだったら、インフルエンザのコンプリートもいいでしょう。熱とかで多少辛かろうとも、大金がドカンと入るんですしね?
話は宝くじへと向かいましたが、横から止めに入ったソルジャー。「ぼくはワクチンの話をしたいんだけど」と。
「ワクチンって…。何さ?」
君の世界ならインフルエンザのワクチンもさぞかし完璧だろう、と会長さん。
「こっちの世界じゃ、今年はコレが流行りそうだ、っていうのを作って予防接種だけど…」
「あんたの世界の技術だったら、全部纏めていけるんじゃないか?」
医療は進んでいるんだろう、とキース君も。
「それで嘲笑いに来たというわけか。ただでも風邪を貰ってしまった俺の場合は、ワクチンの方もハズレを引いていそうだと!」
「…そうじゃなくって…。ぼくの世界にも無いワクチンについての話なんだよ」
「「「無い!?」」」
ザッと後ろへ下がりそうになった私たち。椅子さえなければそうなったでしょう。
「き、君はどういうウイルスについて語りたいわけ!?」
悲鳴にも似た会長さんの声、私たちも気分は同じです。ワクチンが無いような感染症がソルジャーの世界のシャングリラで流行してるんだったら…。
「頼む、帰ってくれ!!」
俺たちにそれを移す前に、とキース君。
「ウイルスってヤツは侮れないんだ、健康保菌者というのもいるんだ!」
「そうだよ、君は罹っていないつもりでいてもね、実は罹っていてウイルスを撒き散らしているってこともあるから!」
シールドだって効くのかどうか…、と会長さんは震え上がっています。
「どんなウイルスか分からないけど、君子危うきに近寄らず! 用心に越したことはないから!」
「そうです、とにかく帰って下さい!」
話の方は落ち着いたらまた聞きますから、とシロエ君も。
「初期段階での封じ込めってヤツが大切なんです、終息してから来て下さい!」
「シロエが言ってる通りだってば、早く帰ってくれたまえ!」
この部屋は直ぐに消毒するから、と会長さん。別の世界のウイルスだなんて怖すぎな上に、ワクチンが無いと聞いたら恐怖は倍どころか無限大ですから~!
こうして追い出しにかかっているのに、ソルジャーは悠然とソファに腰掛けたままで。
「移る心配なら大丈夫! 移った人は一人も無いしね」
「だけど患者がいるんだろう!」
残りは全員、君も含めて健康保菌者ということも…、と会長さんが指を突き付けました。
「君のシャングリラでは耐性のある人が多いとしてもね、こっちの世界は別だから!」
「そうだぞ、俺は風邪だけで沢山なんだ! この冬は!」
これ以上の感染症は御免蒙る、とキース君も言ったのですけど。
「…アレは普通は移らないと思うよ、罹ってるのはずっと昔から一人だけだし」
「そういう油断が怖いんだよ!」
感染症には色々あるから、と会長さん。
「潜伏期間が二十年とかいうのもあるしね、おまけにワクチンは無いんだろう?」
「そうなんだよねえ、そもそも作ろうと思っていなかったから!」
「「「は?」」」
「ワクチンって方法を思い付かなかったんだよ、対症療法しか考えてなくて!」
それと精神論だろうか、と言ってますけど、病気の人に精神論って、気力で克服しろっていう意味ですか?
「そんなトコだね、精神を鍛えれば克服できると! ヘタレくらいは!」
「「「ヘタレ?」」」
「そう、ヘタレ! 患者はぼくのハーレイなんだよ、君たちも知っている通り!」
どうしようもなくヘタレなのがハーレイ、とソルジャー、ブツクサ。
「ぶるぅが覗きに来たら駄目だし、そうでなくてもヘタレるし…」
「…それは感染症とは違うんじゃないかと思うけど?」
君のハーレイだけの問題だろう、と会長さん。
「第一、ワクチンを作るだなんて…。あれはウイルスの抗体ってヤツを作るわけでさ、ウイルスも無さそうなヘタレの抗体をどうやって作ると?」
「…ウイルスだとは限らないけど、抗体だったら作れそうだと思うんだよ!」
キースの風邪のお蔭で思い付いた、とソルジャーが目を付けた予防接種だのワクチンだの。キャプテンのヘタレにワクチンだなんて、そんなのホントに作れますか…?
ソルジャーが感染症を持ち込んだわけではないらしい、と分かってホッと一息ですけど、今度はワクチンが問題です。キャプテンのヘタレに効くワクチンが作れるかどうかも問題とはいえ、既に発症してるんだったら、ワクチンを作っても無駄なんじゃあ…?
「それがそうでもないんだよ。劇的に効くって例もあるから!」
ワクチンを後から接種しても、と言うソルジャー。
「こっちの世界はどうか知らないけど、ぼくの世界じゃとにかくワクチン! 駄目で元々、ガンガン打つって方向で行くねえ、感染症には!」
なにしろ宇宙は広すぎるから…、という話。新しい惑星に入植するにはリスクがつきもの、未知のウイルスが潜んでいることもあるそうです。そういう時にはワクチン開発、患者にどんどん打つらしくって。
「これが効くってこともあるんだよ、だからワクチンは後からでもいける!」
「…まあ、ぼくたちの世界でも、そういう例は皆無じゃないけど…」
たまに奇跡のように治ってしまう人が…、と会長さん。打つ手が無いという感染症の重症患者にワクチン接種で、治るという例。
「でもねえ…。ヘタレはウイルスじゃないし、本人の気の持ちようだから…」
「あながちそうとも言い切れないよ? 何か原因があるかもだしね!」
だから抗体を作りたいのだ、と言ってますけど、どうやって…?
「簡単なことだよ、ハーレイは二人いるからね!」
こっちの世界に更にヘタレなハーレイが! とソルジャーは教頭先生の家の方へと指を。
「あのハーレイを使ってワクチン製造! 抗体を作る!」
「…それなら、わざわざ作らなくても…。とうに抗体、出来ていそうだよ?」
三百年以上もヘタレてるんだし、と会長さん。
「ヘタレ続けて三百年以上、きっと抗体もある筈で…」
「それじゃ駄目なんだよ、その程度だったら、ぼくのハーレイも抗体を持っていそうだし!」
あれも元からヘタレだから、と言われてみればその通りです。キャプテンにだって出来ていそうな抗体、それでもヘタレのままだとなると…。
「そう、もっと強力な抗体ってヤツが必要なんだよ!」
より重症なヘタレに対応出来る抗体! とグッと拳を握るソルジャー。より重症なヘタレに対応って、そんなワクチン、作れますか…?
ソルジャー曰く、キャプテンに打つためのワクチンは教頭先生を使って製造。しかも強力な抗体が必要、より重症なヘタレに対応出来るように、ということですが…。
「…君はいったい何をする気さ、ハーレイに?」
ぼくにはサッパリ分からないけど、と会長さんが尋ねて、私たちも「うん」と。ソルジャーは「そうかなあ?」と首を傾げて。
「簡単なことだと思うけど? ハーレイが重症なヘタレになったら、抗体だって出来るしね!」
「「「…重症?」」」
今でも充分に重症だろうと思いますけど、まだ足りないと?
「足りないねえ! ヘタレ具合じゃ、ぼくのハーレイとどっこいと見たね!」
環境のせいで余計にヘタレて見えるだけだ、と言うソルジャー。
「ブルーがハーレイを受け付けないから万年童貞、それが災いしているだけ! もしもブルーとデキていたなら、ヘタレ具合は似たようなものかと!」
こっちのハーレイがヤレる環境にいたとしたなら、鼻血体質もとっくに克服しているだろう、とソルジャーはキッパリ言い切りました。
「ぼくのハーレイも、最初の間は、何かと遠慮がちだったしねえ…」
今のようなハーレイになれるまでには色々と…、とソルジャーは昔語りモードに入ろうとしましたけれども、会長さんが素早くイエローカードを。
「その先、禁止! 今はワクチンの話だから!」
「…そうかい? これからが面白いんだけど…。でもまあ、いいか…」
大切なのはワクチンだから、とソルジャーは気持ちを切り替えたようで。
「要は、こっちのハーレイを今よりヘタレに! その状態になれば、強い抗体が出来るんだよ!」
「…今よりヘタレって、どんな具合に?」
ちょっと想像つかないんだけど、と会長さんが訊くと。
「それはもちろん、ヘタレMAX! 君の顔もまともに見られないとか、そういうレベル!」
出会っただけで顔を赤くして俯くだとか…、とブチ上げるソルジャー。
「その辺はサイオンでどうとでも出来るよ、ハーレイの精神をチョイと弄れば!」
「…わざとヘタレにしてしまうと?」
「その通り! 君にも悪い話じゃないから!」
ハーレイで色々と苦労をしてるじゃないか、と笑顔のソルジャー。それは確かに間違ってませんねえ、教頭先生の思い込みの激しさはピカイチですしね?
教頭先生をサイオンで重度のヘタレに仕立てて、ヘタレの抗体を作ろうというソルジャーの案。日頃から教頭先生に一方的に愛されている会長さんからすれば、悪い話ではないわけで…。
「なるほど、ハーレイが今よりヘタレにねえ…」
そうなればぼくも追われないだろうか、という呟きにソルジャーが。
「まるで追われないとは言わないけれど…。君への愛は消えないからね! でもさ…」
せいぜい「読んで下さい」とラブレターを渡して逃げ去る程度、と溢れる自信。
「そのラブレターだって、小学生だか幼稚園児だか、ってレベルになるのは間違いないね!」
「そうなんだ? だったら、ぼくは当分の間、平和に生活出来るってことか…」
「お金を毟るのは難しいかもしれないけどね!」
ヘタレたら貢ぐ度胸があるかどうか、と言ってますけど、会長さんは。
「お金に不自由はしてないし…。ハーレイが静かになると言うなら、多少のことは我慢するよ。どうせいつかは治るんだろう? 重度のヘタレも」
「そりゃあ、永遠にっていうわけじゃないよ」
ワクチンが出来たら用済みだから、とソルジャー、アッサリ。
「で、作ってもいいのかな? ヘタレのワクチン」
「面白そうだし、やってみたら? …ヘタレの抗体があるかどうかは謎だけど」
「ありがとう! それじゃ早速…」
「ハーレイに相談しに行くのかい?」
ワクチン作りの、と会長さんが訊いたのですが。
「相談なんかをするとでも? 逃げられるに決まっているじゃないか!」
自分がヘタレになるだなんて、とソルジャーは指を左右にチッチッと。
「ぼくはハーレイに会いに行くだけ、そして話をしてくるだけ!」
「…それでどうやったらヘタレになるのさ?」
「サイオンで意識の下に干渉! 細かい作業をするなら会わないとね!」
遠隔操作では上手くいかないものだから…、と本気のソルジャー。
「ぼくと楽しくお茶を飲んでから送り出したら、ヘタレ発動! もう重症の!」
それは凄いヘタレが出来るであろう、とソルジャーはソファから立ち上がりました。
「行ってくるから、サイオン中継で様子を見ててよ。ヘタレのワクチン、頑張らなくちゃ!」
善は急げ、と瞬間移動で消えたソルジャー。行き先は教頭先生の家ですよね?
会長さんの家に残された私たちの前には、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサイオン中継の画面を出してくれました。教頭先生のお宅が映っています。ソルジャーがチャイムを押していますが…。
「どちらさまですか?」
「ぼくだけど?」
それだけで分かったらしい教頭先生、いそいそと玄関の扉を開けに出て来て。
「これはようこそ…! 寒いですから入って下さい」
「ありがとう。…君の家にホットココアはあるかな?」
「ああ、好物でらっしゃいましたね。…直ぐにご用意いたしますから」
リビングへどうぞ、と教頭先生はソルジャーを招き入れてキッチンでホットココアの用意を。クッキーも添えて歓迎モードで、自分用にはコーヒーで。
「…それで、本日の御用件は?」
「ちょっとね、ぼくのハーレイの健康のことで相談が…。かまわないかな?」
「もちろんです。私で分かることでしたら」
「助かるよ。…実は体質のことで悩んでいてさ…。あれって改善できるものかな?」
君は頑丈そうだけれども、ぼくのハーレイの方はちょっと…、と言うソルジャー。
「君ほど体力とかは無いだろうしね、もっと頑丈になってくれたら色々と…」
「何か問題でもあるのですか?」
「夫婦の時間のパワーってヤツだよ、頑丈になれば長持ちするかと…」
あっちの方も、と意味深な台詞に、教頭先生は「そうですねえ…」と顎に手を当てて。
「生憎と私は、そちらの方では経験が無くて…。ですが、可能性としては有り得ますね」
「じゃあ、君の体力をぼくのハーレイが身に付けたならばパワーの方も…」
「増してくるかもしれません。…断言することは出来ませんが…」
「分かった。だったら、ちょっと協力してくれるかな?」
データを取ってみたいから、とソルジャーが何処からか出した注射器。教頭先生は「血液の方のデータですか?」と目を剥きましたが、ソルジャーは。
「ぼくの世界は医療も進んでいるからねえ…。血液検査で色々なことが分かるんだよ」
「そうでしたか。では、どうぞお好きなだけお取り下さい」
教頭先生が袖をまくって、ソルジャーが「そんなに沢山は要らないから」と採血を。注射器に一本分っていう量ですねえ、教頭先生には大した量でもないんでしょうね。
ソルジャーは教頭先生に「献血の御礼」と頬にキスして帰って来ました。瞬間移動で。教頭先生は感激の面持ちで頬を触っていらっしゃいます。ちっともヘタレていませんよ?
「それはどうかな? その場でヘタレちゃ、つまらないしね」
じきに効果が、とソルジャーが指差している中継画面。教頭先生、嬉しそうに頬を撫でていらっしゃったのが、いきなりボンッ! と真っ赤な顔に。
「「「???」」」
何事なのか、と思いましたが、教頭先生は両方の頬に手を当てると…。
「…き、キスをして貰えたとは…。まさか頬に…」
嬉しいけれども恥ずかしすぎる、と教頭先生とも思えぬ台詞が。
「ど、どうすればいいのだ、私は…! か、顔がどんどん熱くなるのだが…!」
なんという恥ずかしい、いや嬉しい、と怪しすぎる反応、いったいどうなっているのでしょう?
「ほらね、ヘタレに拍車がかかった! たったあれだけで顔が真っ赤に!」
後はどんどんヘタレてゆくだけ、とソルジャーはニヤニヤしています。
「ヘタレる前の血液は採ったし、キッチリと保存しておいて…。重症のヘタレに抗体が出来た頃にもう一度採血してから比較して、と…」
「そうか、比べれば分かるんだ? 違いがあれば」
ヘタレの抗体があるのかどうかは知らないけれど、と会長さんが大きく頷いています。
「抗体らしきものが見付かったら、それでワクチンを作るんだね?」
「そういうこと! ぼくは頑張るから!」
ワクチンなんかは作ったこともないんだけれど、と言うソルジャーはド素人でした。そんなのでワクチンが作れるでしょうか、素人なのに…?
「任せといてよ、ダテにソルジャーはやってないから!」
「「「は?」」」
「ソルジャー稼業をやってる間に、研究所にだって潜入したから!」
研究者たちと一緒に仕事もしたから大丈夫! と自信たっぷり、あちらの世界のドクター・ノルディの情報も参考にするそうです。ただしコッソリ忍び込んで。
「さっき採ったハーレイの血液だってね、メディカルルームで分析だから!」
そしてヘタレのワクチンを作ろう! と拳を突き上げているソルジャー。ヘタレの抗体だの、ワクチンだのって、どう考えても無理じゃないかと思いますけどね…?
そんなこんなで始動してしまった、ヘタレのワクチンを作るプロジェクト。ソルジャーに重症のヘタレになるよう仕掛けをされた教頭先生は…。
「…ずいぶんヘタレて来たよね、あれは」
ぼくに会ったら俯くんだから、と会長さんがクックッと笑う週末。今や教頭先生は会長さんの前では恋に恋する乙女さながら、視線を上げることすら出来ない始末。会釈しながら脇を通り過ぎ、頬を真っ赤に染めて通過で。
「あんた、面白いからと頻繁に出歩いているだろうが!」
普段だったら学校の中は滅多に歩いていないくせに、とキース君。
「わざわざ教頭室のある本館まで行ったり、教頭先生の授業が終わった頃合いで出て来たり…」
「出歩かないと損だろう? あんなハーレイ、そうそう見られやしないんだから!」
楽しんでなんぼ、というのが会長さんの持論です。教頭先生は自分がどうしてヘタレたのかも分かっておられず、自分で集めた会長さんの写真や抱き枕も正視出来ない状態らしくて。
「ぼくの写真はまだマシなんだよ、ブルーの写真は完全にアウト」
見るだけで鼻血、とクスクスと。
「ブルーがせっせと贈ったからねえ、きわどいのを…。今までだったら夜になったら楽しんでオカズにしていたけれども、もう駄目でさ」
「「「おかず?」」」
「けしからぬ気分になりたい時の必須アイテム!」
それを見ながら盛り上がるのだ、と説明されて分かったような、分からないような。…ともあれ、今の教頭先生はオカズとやらも要らない状態なんですね?
「そうらしいねえ、孤独に噴火するだけの度胸も無いようだね!」
「かみお~ん♪ ブルーの写真に「おやすみ」のキスも出来ないみたい!」
頬っぺたが真っ赤になって駄目なの! と言う「そるじゃぁ・ぶるぅ」も覗き見をしているみたいです。いつもだったら会長さんが止めているのに、それをしないということは…。
「…お子様が見ていても大丈夫なレベルにヘタレちゃいましたか…」
凄いですね、とシロエ君が教頭先生の家の方角へ目を遣り、サム君も。
「そこまでっていうのが半端じゃねえよな、ラブレターも来ねえっていうのがよ…」
「渡せる度胸は既に無さそうだよ?」
俯いて横を通るようでは、とジョミー君。日を重ねるごとに酷くなるヘタレ、果たして何処までヘタレるのやら…。
教頭先生がヘタレまくって二週間。もはや会長さんと会ったらサッと物陰に隠れるレベルで、熱い視線だけが届くそうです。心拍数も上がりまくりで、口から心臓が飛び出しそうなほどにドキドキな恋する乙女だとか。
「…まだヘタレるのかな?」
もう相当に重症だけど、とジョミー君が首を捻っている土曜日、会長さんの家のリビング。空気がユラリと揺れたかと思うと、ソルジャーがパッと御登場で。
「こんにちは! そろそろヘタレの抗体が出来ていそうだからねえ!」
今日は採血に来てみましたー! と注射器を持参。でも、教頭先生はヘタレまくりで、ソルジャーとお茶なんかを飲める状態ではありませんけど?
「そこの所は、ぼくもきちんと考えた! ぼくなりに!」
この姿で行けば無問題! とソルジャーの姿がパッと変わってキャプテンに。えーっと、サイオニック・ドリームですかね、その姿って…?
「そうだけど? この格好なら、ハーレイだって気にしないからね!」
ちょっと行ってくる! と瞬間移動で消えたソルジャー、いえ、キャプテン。私たちが「そるじゃぁ・ぶるぅ」の中継画面を覗き込んでいると、ソルジャーは例によってチャイムを鳴らして。
「こんにちは、お邪魔致します」
「…は?」
どうしてあなたが、と出迎えた教頭先生はキャプテンの正体に気付かないまま、リビングでコーヒーなんかを出しておられます。ソルジャーは怪しまれないように熱いコーヒーを傾けながら。
「…いえ、先日、ブルーがこちらで相談に乗って頂いたとかで…。体質のことで」
「そういえば…。血液検査の結果はどうだったのでしょう?」
「とてつもなく健康でいらっしゃることが分かりましたね、もう驚きです」
私などではとてもとても…、とキャプテンの演技を続けるソルジャー。
「それでですね、追加の検査をしたいそうですが、ブルーは時間が取れないのだそうで…」
「ああ、それで代理でいらっしゃったというわけですか」
「はい。ブルーに送って貰いました。…そのぅ、失礼ですが…」
「血ですね、どうぞご遠慮なく」
お取り下さい、と袖をまくった教頭先生。キャプテンならぬソルジャーとも知らずに血液提供、後はコーヒー片手に健康談義。ヘタレるのは会長さんやソルジャー相手だけなんですねえ、まったく普通に見えますってば…。
キャプテンのふりをして出掛けたソルジャーは、やがて嬉しそうに帰って来ました。
「やったね、ハーレイの血液をゲット!」
あれだけあったら比較も出来るし、と教頭先生の血はソルジャーの世界へ送られたようです。帰ったら直ちに分析開始で、ヘタレの抗体が見付かった時はワクチン作りに入るとか。
「無事に見付かるといいんだけどねえ、ヘタレの抗体!」
「…ぼくにはあるとは思えないけどね?」
そんな代物、と会長さんが頭を振っていますが、ソルジャーは「きっとある筈!」と譲りません。
「あれだけ酷いヘタレなんだよ、今のハーレイは! そうでなくてもハーレイはヘタレだし、二人ともそうだし…。調べれば何かが見付かる筈で!」
「それが見付かったらどうするわけ?」
「決まってるだろう、もう最初からの目的通り! ぼくのハーレイにワクチンを打つ!」
そしてヘタレを克服なのだ、とソルジャーの主張。本当にヘタレの抗体があるなら、ワクチンも夢ではないんでしょうけど…。
「抗体さえあれば、ワクチンは出来る! もう別人のように生まれ変わったハーレイだって出来る筈だよ、それでヘタレが治るんだから!」
どうしてこんな簡単な方法に今まで気付かなかったんだろう、とソルジャーは自分の頭をコツンと叩いて。
「キースの風邪には感謝してるよ、お蔭でアイデアが生まれたからね!」
「い、いや…。俺は普通に予防接種に出掛けただけで、だ…」
「それは毎年行っているだろ、ぼくだって知っていたんだし…。風邪を貰ってくれたからこそ、予防接種とワクチンに注目出来たんだよ!」
君が今回の功労者だ、とキース君の手をグッと握って握手なソルジャー。
「ワクチンが見事に完成したなら、君に感謝状を贈らないとね!」
「い、要らん! 俺はそういうつもりで風邪を引いたわけではないんだし…!」
明らかに腰が引けているのがキース君。それはそうでしょう、ソルジャーからの感謝状なんて、欲しいような人は誰もいませんし…。
「要らないのかい? …ぼくのシャングリラじゃ凄く有難がられるけどねえ…」
ソルジャーからの感謝状は、と重ねて言われても「要らん」と断るキース君。ソルジャーは「欲が無いねえ…」と呆れて帰ってゆきました。おやつも食事も食べずにです。ワクチン作りをするつもりですね、そのために急いで帰りましたね…?
重症のヘタレな教頭先生の血液を採って帰ったソルジャー。今頃はヘタレる前の血液のデータと比較検討中だろうか、とワクチンの話に花が咲いている夕食の席。今夜は会長さんの家にお泊まり、寒いですから豪華寄せ鍋でワイワイと。其処へ…。
「あった、あったよ、ヘタレの抗体!」
もう間違いなくアレに違いない、とソルジャーが姿を現しました。白衣ですけど、本気で研究してたんですか?
「当たり前じゃないか、ちょっとノルディの意識を弄って、メディカルルームの設備を借りて!」
分析していたら前は無かったものを発見! と頬を紅潮させるソルジャー。
「アレこそヘタレの抗体なんだよ、あれを増やしてぼくのハーレイに打ってやればね!」
「…ヘタレが治ると?」
会長さんが自分の器に肉を入れながら尋ねると。
「そうだと思うよ、だってヘタレの抗体なんだし! こっちのハーレイの重症のヘタレから生まれた奇跡の産物、あの抗体から夢のワクチン!」
「はいはい、分かった。…寄せ鍋は食べて行くのかい?」
締めはラーメンと雑炊だけど、と会長さんが誘ったのですが、ソルジャーは。
「そんな時間は無いってね! こんな時こそ、ぼくの普段の食生活の出番!」
栄養剤だけで充分足りる、と消えてしまったソルジャーの姿。寸暇を惜しんでワクチン開発、そんな所だと思われます。でも、ヘタレの抗体って本当に存在するんでしょうか?
「…どうなんだか…。確かに今のハーレイは重症のヘタレだけれど…」
ヘタレはウイルスじゃないと思う、と会長さん。
「俺もそう思う。…ウイルスなら感染しそうだからな」
でもって、あいつが確実に感染している筈だ、とキース君。
「あれだけ濃厚に接触していれば、移らないわけがないと思うぞ。…ヘタレのウイルス」
「そうですねえ…。でも、移ってはいないようですしね?」
ヘタレるどころか逆ですから、とシロエ君も。
「健康保菌者という線もありますけれど…。それにしたって、感染してれば多少はヘタレが…」
「…出そうだよねえ?」
あんなにパワフルなわけがない、とジョミー君だって言っていますし、私だってそう思います。ソルジャーがヘタレていないからには、ヘタレのウイルスは無いでしょう。抗体だって無いと思いますけど、ソルジャーは何を発見したと…?
存在しない筈のヘタレのウイルス、ついでに抗体。けれどソルジャーは教頭先生の血液から何かを発見した上、ワクチンを開発したわけで…。
「聞いてよ、ついに出来たんだよ!」
ヘタレのワクチン! とソルジャーが降ってわいた一週間後。例によって会長さんの家で過ごしていた週末、ソルジャーは最高に御機嫌で。
「完成したのが二日前でさ、直ぐにハーレイに打ったわけ!」
「ちょ、ちょっと…! 安全性も確かめないで!?」
いきなり使ってしまったのか、と会長さんが慌てましたが、ソルジャーはケロリとしたもので。
「え、問題は無いだろう? こっちのハーレイが持ってた抗体なんだし、最初から人間が持ってたわけで…。しかも瓜二つのハーレイだからね!」
そのまま使って問題無し! と胸を張ったソルジャー。
「それにさ、ワクチンは凄く効いたんだよ! もうハーレイはヘタレ知らずで!」
「ま、まさか…」
「本当だってば、現に昨日もガンガンと! あまりの凄さにぶるぅが土鍋から出て来ていたけど、見られていたってヘタレなかったし!」
大満足の夜だったのだ、とソルジャーは意味不明な言葉をズラズラと並べ始めました。会長さんが柳眉を吊り上げ、レッドカードを叩き付けて。
「退場!!!」
「言われなくても、帰るから! ヘタレが治ったハーレイと楽しく過ごしたいしね!」
特別休暇も取ったんだから、とソルジャーは得意満面です。
「あ、そうだ。…こっちのハーレイはワクチンを作る必要があるから、まだまだ当分、ヘタレのままで置いておくからね!」
「…ワクチンはもう出来たんだろう?」
「もっと強力なのが欲しいじゃないか! もっとヘタレたら、抗体だって凄いのが!」
君もハーレイがヘタレてる間は楽が出来るし…、とソルジャーは一方的に語りまくって姿を消してしまいました。ヘタレのワクチンは完成した上、効果もあったみたいです。あのソルジャーが大満足なレベルとなると…。
「…おい、ヘタレのウイルスは存在したのか?」
「そうらしいね…」
この世界にはまだまだ謎が多い、と会長さんが深い溜息。ヘタレのウイルス、あったとは…。
次の日は日曜、ソルジャーは再び会長さんの家に現れ、ワクチンの効能を熱く語りまくり。会長さんがレッドカードを叩き付けたら、「おっと、続き!」と慌てて帰りましたけど…。
「…途中で抜けて来やがったのか…」
迷惑な、とキース君。ソルジャーはキャプテンがシャワーを浴びている間に来たのです。
「…続きってことは、まだまだやるってことですよねえ…」
シロエ君が大きな溜息、サム君が。
「汗をかいたらシャワーだって言ってやがったしなあ、また来るぜ、きっと」
「体力勝負の運動なんだって言っていたしね…」
汗もかくよね、とジョミー君。ソルジャーが言うにはキャプテンのパワーは上がりまくりで、熱棒とやらもガンガン熱くなりつつあるとか。発熱してなきゃいいんですけど…。
「…待てよ、発熱…?」
もしかしたら、と会長さんが考え込んで。
「…キース、それからシロエにマツカ。…ハーレイは先週、鼻風邪を引いてなかったかい?」
「そういえば…。何度か鼻をかんでいらっしゃったな」
「ええ、そうです。それが何か?」
ただの鼻風邪でしたけど、と答えるシロエ君たち。会長さんは「それか…」と腕組みをして。
「それだよ、ヘタレの抗体とやら! ハーレイが持ってた風邪のウイルス!」
「「「ええっ!?」」」
「ブルーはそれを培養したわけ、でもって感染したのが向こうのハーレイで…。風邪で頭がボーッとしちゃって、ヘタレな気持ちが消えたと見たね!」
「「「あー…」」」
ボーッとしてれば、有り得ないこともやりかねません。それじゃキャプテン、只今、順調に発熱中だというわけですか?
「うん、多分…。風邪が治れば、きっと正気に戻ってヘタレになるかと…。鼻風邪の症状が出ていないから分からないんだよ、風邪だってことが!」
だけどブルーはワクチンの効果だと思っているから…、と頭を抱える会長さん。
「効いたと信じているってことはさ、またワクチンを作ろうとするんだよ、ハーレイで!」
「…これからが風邪のシーズンだしなあ、抗体とやらも出来ていそうだな…」
ヤツの勘違いに過ぎないんだが、とキース君が呻いてもソルジャーは聞く耳を持たないでしょう。まあ、会長さんには平和な状態が続くんですから…。
「…冬の間は教頭先生、ヘタレっぱなしかよ?」
「そうなってしまうみたいですねえ…」
風邪のウイルスだと気付かない限りは、とサム君とシロエ君が顔を見合わせ、私たちも。
「…これでいいのかな?」
「あいつがヘタレの抗体なんだと思っているんだ、放っておこう」
俺たちには実害が無いようだから、とキース君。会長さんにも教頭先生からの熱いアタックとかが一切無いわけですし…。
「それじゃ、ヘタレのウイルスは存在していたってことでいいですね?」
シロエ君が纏めにかかって、会長さんが。
「ブルーが自分で気付くまではね、真実に」
いつかは派手な風邪のウイルスに当たって気付くであろう、という見解。その日が来るまで、キャプテンは風邪のウイルスでパワーアップな日々らしいです。教頭先生はワクチン作りのためにヘタレにされたままですけれども、それで平和になるんだったら重症のヘタレも大歓迎です~!
ヘタレの抗体・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
キース君が貰った風邪から、ソルジャーが思い付いたのがヘタレのワクチンを作ること。
そして開発したわけですけど、抗体の正体はまるで別物。まあ、平和ならそれでいいかも…?
次回は 「第3月曜」 6月20日の更新となります、よろしくです~!
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こちらでの場外編、5月といえばGWですけど、連休が終わった後の話で…。
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