シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
終わりの稲光
「あれっ…。雨になりそう?」
暗くなってきたよ、とブルーが眺めた窓の外。
ハーレイと過ごす休日の午後に、俄かに曇り始めた空。さっきまで晴れていた筈なのに。いつの間にやら湧いていた雲が、青かった空を覆い尽くそうとしているのが今。
「そうだな、こいつは降りそうだな」
ひと雨来るぞ、とハーレイも窓の向こうの空を見ている。「すっかり曇っちまったな」と。
「雨になっちゃうんだ…。酷くなる?」
酷い雨になったら、ハーレイが帰る時が大変…。今日は車じゃないんだもの。
傘はパパのを貸してあげられるけれど、バス停に着くまでに濡れちゃいそうだよ。
酷い雨だと、地面からも跳ねてくるもんね、と心配になった。叩き付けるように降る土砂降りの雨は、地面で跳ねて靴やズボンを濡らすから。
傘では防げない、地面の上で跳ねる雨粒。シールドを張れば防げるけれども、ハーレイはそれを好まない。今の時代はサイオンを使わないのがマナーで、子供はともかく、大人なら…。
(濡れて大変、って分かっていたって…)
雨の中では張らないシールド。急な雨で傘を持っていなければ雨宿り。余程でなければ、大雨の中をシールドで走る大人はいない。仕事でとても急いでいるとか、そんな時だけ。
だから夜まで雨が止まなければ、ハーレイだって困るだろう。何ブロックも離れた家まで、雨の中を歩いて帰るのは無理。路線バスを使って帰るにしたって、バス停までに濡れる靴やズボン。
せっかくハーレイが来てくれたのに、と見上げる雲。大雨にならなきゃいいけれど、と。
「そう酷い雨にはならんだろう。ザッと降るかもしれないが…」
いきなり大粒で来そうな雲だが、まあ、その内に止むんじゃないか?
直ぐに止むとは言えないが…。
俺が帰るような時間までには、充分に止むと思うがな…?
こいつは夜まで降り続ける雨じゃないだろう、というのがハーレイの読み。土砂降りの雨でも、多分、長くは降らない雨。早ければ一時間も経たない間に、雲ごと何処かへ去ってゆく。
「そんなトコだと思うんだが…。雲の感じと、流れ方でな」
よく見ろ、一面の雲に見えても止まっちゃいない。凄い速さで流れてるから。
こういう雲だと、行っちまうのも早いんだ。
雨も雲ごと行っちまうから、とハーレイが指した空の雲。確かに雲は流れている。
「ホントだ、凄い速さで流れてる…。空を丸ごと蓋したみたいに見えるのに」
それじゃ降っても、直ぐ止むんだね。雲と一緒に行っちゃうから。
良かった、夜まで降る雨じゃなくて。ハーレイの予報は、よく当たるもの。
「俺だって外すこともあるがな、人間だから」
プロがやってる天気予報でも外れるんだし、仕方ない。未来が見えるわけでもないしな。
はてさて、どんな雨になるやら…。
じきに降るぞ、というハーレイの言葉通りに、暫く経ったら、もう真っ暗になった外。日が沈むにはまだ早いのに、まるで夕方になったかのよう。
(…昼間なのに、夜になっちゃった…)
明るかった空を覚えているから、夜が来たような気がするよね、と思っている間に、大粒の雨が降り出した。庭の木々や屋根に大きな雨粒が一つ、二つと落ちる音がして、それが始まり。
みるみる内に外は一面の雨で、ザーザーと激しく降り注ぐ音。窓ガラスにも雨の雫が流れる。
「ハーレイの予報、大当たりだね」
いきなり降ってくるって所も、大粒なのも。ホントに凄い雨だけど…。
この雨、じきに止むんだっていう方の予報も当たる?
「さてなあ…? そいつは空の気分次第で…」
こういった雲が次から次へと湧いて来るなら、直ぐには止まん。
今の雲が他所へ流れて行っても、次の雲が流れて来ちまうから…。雨を降らせるような雲がな。
其処までは俺も読めやしないし、どうなんだかなあ…。
天気予報を見て来た感じじゃ、そうはならんと思うんだが。
おっと、光った…!
空を切り裂いた稲光。そして雷鳴。
ゴロゴロと轟いた音が消えたら、「思った通りか…」と空を見ているハーレイ。
「雲の具合からして、来るんじゃないかと思ったが…。やっぱり雷つきだったな」
派手に鳴ったな、とハーレイは雷まで予想していたらしい。流れて来る雲を見ただけで。
「凄いね、雷が鳴るっていうのも分かるんだ…」
これって、近い?
今の雷、もう直ぐ側まで来ているの…?
「来ているだろうな、だから木の下は危ないぞ」
雨宿りをしに入っちゃいかん、とハーレイが指差す庭にある木たち。葉を茂らせた木たちは雨を防いでくれそうだけれど、こういう雨の時には危険。
家よりも高くなっている木は、雷を招きやすいから。いわゆる落雷。
「…落ちるんだ…。木の下にいたら、雷が…」
避雷針が近くにあっても駄目なの、やっぱり落ちる…?
「当然だろうが、雷ってヤツは気まぐれなんだ。…こういう雲と同じでな」
避雷針みたいに高くなってりゃ、気の向いた場所にドカンと落ちる。選んじゃくれんぞ。
あっちに避雷針があるから、と避けて行ってはくれないってな。
ついでに言うなら、お前みたいにシールドも出来ないガキの場合は心配ないが…。
「…何かあるの?」
雷とシールド、何か関係あったりするわけ…?
まさか雷を呼びやすいってことはないよね、シールドはそういう性質じゃないし…。
でも危ないの、と丸くなった目。シールドの何処が落雷の危機を招くのだろう?
「シールドそのものが駄目ってことではないんだが…」
なまじシールドが上手いガキだと、こんな雨の中で傘が無くても濡れないからな。
それで安心して、「雨が止んだらまた遊ぼう」というのが危ない。
家に帰ったり、軒下に入って雨を避ける代わりに、そのまま其処に突っ立ってると…。
その場所がうんと見晴らしが良くて、周りに何も無いようなトコ。
野原だの、広いグラウンドや河原だったりするとだな…。
そいつに向かって真っ直ぐ落ちて来ちまうぞ、とハーレイが軽く広げた手。
周りに高い木などが無ければ、人間めがけて落ちる雷。其処が一番高いわけだし、たかが子供の背丈くらいでも落ちて来る。雷は高い所に落ちやすいから、ポツンと立つ子は格好の餌食。
もっとも、雷が落ちた場合は、シールドの方も本能的に強化されるから…。
「衝撃で倒れるとか、飛ばされるとか…。そんな程度ではあるんだが」
打ち身や軽い擦り傷ってトコだ、ショックの方はデカイがな。
いきなりドカンと来ちまうわけだし、気絶するのが普通だから…。シールドは消えて、すっかりずぶ濡れな末路なんだが。
「ずぶ濡れでもいいよ、その程度の怪我で済むんなら」
良かった、もっと大変なのかと思っちゃった。雷が落ちると、木だって裂けたりするんでしょ?
子供に落ちたら大怪我するとか、死んじゃうだとか…。
そうならないなら安心だよね、と言ったのだけれど。
「勘違いするなよ、今の時代だから安心なだけだ。子供に雷が落ちた時でも、今だから無事だ」
みんなサイオンを持ってるお蔭で、雷の危険もグンと減ったというわけだな。
ずっと昔は、落雷のせいで死んじまう人も多かったんだ。
前の俺たちが生きてた頃でも、ゼロじゃなかったかもしれないなあ…。
きちんと対策していなかったら、人類は危なかったろう、とハーレイが言うものだから。
「サイオンが無いと落雷で死んじゃうんなら…。ぼくも危ない?」
人類と変わらないくらいに不器用なんだよ、ぼくのサイオン。…シールドも無理。
ぼくに落ちたら、死んじゃうのかな…?
「お前の場合も、本能ってヤツでいけるだろ。命の危機なら、サイオンの方で出て来るさ」
シールドしよう、と思わなくても、それよりも前に。お前が自覚しなくても。
なんと言っても最強のタイプ・ブルーなんだし、一度とはいえ瞬間移動もしてるしな。
あの時は俺もビックリしたが…。目を覚ましたら、お前が俺のベッドの中にいるんだから。
「…あれ、もう一回やりたいんだけど…」
ハーレイの家まで行ってみたいよ、寝てる間に。そしたら、一緒に朝御飯…。
「勘弁してくれ、俺にとっては大迷惑なサプライズだから」
チビのお前じゃ、手がかかるだけだ。…ちゃんと育ったお前だったら歓迎だがな。
来るんじゃないぞ、と釘を刺されてしまった、ハーレイの家への瞬間移動。
前の自分と同じ背丈に育たない限り、ハーレイの家には行けない決まり。出掛けて行っても中に入れては貰えない。チャイムを押しても、きっと無視されるだけ。
(でなきゃ、「帰れ」って言われちゃうんだよ)
チビだから仕方ないけどね…、と心の中で溜息をついているのに、ハーレイの方は雨見物。
「おっと、また光った」
派手に光ったぞ、お前、見てたか…?
「今の、近いね。さっきのより」
光って直ぐに音がしたもの、さっきは少し間があったよ。稲光を見てから、音がするまでに。
「その通りだな。雷は音で分かりやすいんだが…」
近いのかどうか、近付いて来ているかどうかも、音が目安になるんだが…。
それがだ、青空でも落ちることがあるから危ないんだぞ。何の前触れも無いってヤツだ。
「青空なのに雷なの…?」
どういう仕組み、と質問してみた、青空の時に落雷するケース。やはり、何処かに雷雲が隠れているらしい。人間の目には遠い距離でも、雷にとってはほんの少しで、遠い所から飛んで来る。
怖いけれども、自然は凄い、と感心していたら尋ねられた。
「お前、雷は怖くないのか?」
好奇心一杯って顔をしてるが、怖いと思わないのか、雷…?
「平気だよ、なんで?」
そりゃ、落雷は怖いけど…。シールドも全然自信が無いから、落ちて欲しくはないけれど…。
「今はそうだろうが、ガキの頃だな」
怖くなかったのか、雷ってヤツ。
今みたいに急に暗くなってだ、ゴロゴロと鳴り出すわけだから…。
チビには怖い代物だろうが、雷の仕組みも全く分かっていないんだしな。
小さかった頃はどうなんだ、とハーレイに訊かれた雷のこと。もちろん怖いものだった。両親にくっついて泣いていたほど、恐ろしかったものが雷。
「小さい頃なら、ぼくだって怖いに決まってるじゃない…!」
パパやママにくっついて泣いてたくらいで、雷なんか大嫌い。うんと怖くて、苦手だったよ。
今は平気になったけど…。もう子供とは違うから。
「そうだろうなあ、大抵のガキと犬は雷が駄目なモンだし」
お前も怖くて当然だってな。俺は怖かった覚えは無いがだ、物心つくまでは駄目だったろう。
いくら俺でもガキはガキだし、犬と似たようなモンだろうから。
「犬って…?」
なんで犬なの、どうして犬が出て来るの…?
雷の話をしているんだよ、と傾げた首。幼い子供の方はともかく、犬というのは何だろう?
「犬か? 犬ってヤツは、あの音が苦手らしいんだ。ガキと同じで」
雷には音が付き物だしなあ、昼間だろうが、夜に来ようが。…ゴロゴロ鳴るのが雷だろ?
犬の耳には、不愉快すぎる音らしい。逃げ出したくて、鎖を切っちまうくらい。
お前も音だろ、苦手だったの。
今じゃ全く平気なようだが、雷が怖くて泣いてた頃は…?
「えーっと…」
どうだったのかな、雷だよね…?
ピカッと光って、ゴロゴロ鳴ってて、うんと怖くて泣きじゃくってて…。
パパとママの側にいたんだっけ、と手繰ってみた記憶。幼かった自分が嫌った雷。
(…ゴロゴロ鳴るから…)
早く何処かに行って欲しくて、両親にしがみついていた。雷は大嫌いだったから。
鳴っている間はピカピカ光るし、もう恐ろしくてたまらない。うっかり顔を上げた途端に、空を切り裂いてゆく稲妻。
(…昼でも光るし、夜だともっと強く光って…)
あの稲光が怖かった。窓の向こうで走る稲妻、その後で音がやって来る。
けれど、音より稲妻の方。音はしないで、夜に遠くで光る稲光も怖かったから。夜空を真っ白に染める光も、雲を切り裂くような光も。
怖かったものは稲光。雷鳴よりも、ずっと怖かった光。
ゴロゴロと鳴る音が聞こえなくても、夜ならば見える稲光。その光だけで身体が竦んだ。じきにピカピカ光り出すから、雷がやって来るのだから。
「…ぼくの苦手は、雷の音じゃなかったみたい…」
音も怖いけど、その前に光。雷の音は光の後に鳴り始めるから、光ほどには…。
多分、怖くはなかったと思う、と話したら。
「はあ? 光って…」
雷と言えば音だろうが、とハーレイは怪訝そうな顔。「犬も子供も、音が苦手だ」と。
「違うよ、ぼくは稲光だよ」
音よりもずっと怖かった筈で、音がしなくても怖かったから。…光っただけで。
夜の雷だと、うんと遠くで鳴っていたって、光だけ見えることがあるでしょ?
ゴロゴロいう音は聞こえなくても、雲がピカピカ光ってる時。
…ああいう光も、ぼくは嫌いで怖かったから…。ホントに光が苦手だったんだよ、音よりも。
「稲光だってか、あの音じゃなくて…?」
お前、何か勘違いってヤツをしてないか?
フクロウの鳴き声も駄目だったんだろ、小さかった頃は。…この前まで苦手だったくらいに。
前の俺がヒルマンに頼まれて彫ったフクロウ、アレの話をしてやるまでは。
フクロウの声でメギドの夢を見ちまったろうが、と指摘されたけれども、それとは別。
「あれはオバケだよ、フクロウの声は。…オバケの声だと思ったんだもの」
雷はオバケじゃなくて雷。どんなにゴロゴロ音が凄くても、雷はオバケじゃないものね。
だから鳴っても、光ほど怖くなかったんだよ、と説明したら。
「それは分かったが、雷がオバケじゃないのなら…」
どうして光が苦手になるんだ、怖がらなくてもいいだろうが。
音とセットで怖がってたなら話は分かるが、光だけでも怖かったなんて変だぞ、お前。
それとも雷は光のオバケか、お前にはそう見えていたのか…?
「さあ…?」
どうだったんだろう、雷、光のオバケなのかな?
それなら怖くて当然だけれど、光のオバケの怖い絵本があったとか…?
雷の音より、稲光の方が恐ろしかった幼い自分。すっかり忘れていたけれど。
(なんで光が怖かったわけ…?)
ハーレイにも変だと言われたけれども、自分でも不思議に思うこと。どうして稲光だったのか。雷を怖がる子供だったら、音が苦手なのが普通だろうに。
(ホントに光のオバケの絵本があったのかな…?)
空から降ってくる光のオバケ。そういう絵本に出会っていたなら、稲光が苦手でも分かる。光はとても怖いものだし、あれはオバケ、と震える子供。
(だけど、怖い絵本なんかを小さい子供に…)
読ませるとは、とても思えない。幼稚園にも、きっと置いてはいなかっただろう。子供が怖がる本を置くなど、幼稚園の先生たちがするわけがない。
(下の学校の図書室だったら、怖い絵本もあったけど…)
それは「怖さ」を楽しめる年の子供たちのためで、幼稚園から上がったばかりの子たちは、ただ怖そうに見ていただけ。「あの棚の本は、表紙を見ただけでもオバケが出そう」と。
(学校に行くようになる前から、雷、怖かったんだし…)
図書室で読んだ本のせいではない。光のオバケの怖い絵本があったとしても。
稲光が怖くて泣いていたのは、もっと幼くて小さい頃から。幼稚園の頃にはとうに怖くて、空が光るのが嫌だった。音を連れて来る昼の稲光も、夜に遠くで光っているだけの稲光でも。
(やっぱり光が怖いんだよね…?)
何故、と更に遡ってみた記憶。ずいぶんおぼろな記憶だけれども、怖かったことは覚えている。稲光がピカピカするのが怖くて、泣き叫んでいた子供時代。
(パパやママにギュッとくっついて…)
見ないでいようとした稲光。
あれが光ったら、全部おしまい。何もかも全部消えてしまって、おしまいだから。
そう思って震えていた自分。稲光で空が光った時には、「全部おしまいになっちゃうよ」と。
それだ、と思い出したこと。稲光が怖いと思った理由。
「稲光…。あれが光るとおしまいなんだよ、そう思ったから怖くて泣いてた…」
パパもママも、世界も全部おしまい。全部消えちゃう、って怖くって…。
だから稲光が怖かったんだよ、音じゃなくって光の方が。
世界が消えてしまうんだもの、とハーレイに話した、幼かった頃の自分が感じた恐怖。雷の音が聞こえなくても、稲光だけで震えていた自分。
「おいおい、世界が消えちまうって…。そいつは神様のお怒りか?」
神様がお怒りになった時には、雷が鳴ると言うんだが…。
この世界が終わっちまう時にも、神様の怒りで雷が轟くとは言うが…。
お前、そんなの知っていたのか、今よりもずっとチビなのに…?
幼稚園の先生が聖書の話でもしたか、絵本があったか。そんなトコだと思うんだが…。
「パパとママもそう言ったけど…。「それは神様の本の中だけ」って」
悪い子じゃないから、神様は世界を消したりしない、って言ってくれたけど…。
雷が来ても大丈夫、って教えてくれたんだけれど、やっぱり駄目。
稲光を見たら、怖くて泣いてた。あれが光ると、全部おしまいになっちゃいそうで…。
ずっと怖かったよ、何も起きないって分かる年になるまで。
稲光で空が光っていたって、世界はおしまいになったりしない、って。
「なるほどなあ…。稲光が光ると、世界が終わっちまうのか…」
それで音よりも光の方が怖かった、と。
雷が苦手な子供は多いもんだが、光が駄目とは、珍しいタイプだったんだな、お前。
少なくとも俺は一度も聞いたことがないぞ、音よりも稲光が怖いだなんて話は。
「ハーレイも珍しいと思うんだ…」
ぼくって変かな、自分でも忘れていたけれど…。雷の音より、光の方が怖かったこと。
でもね、本とかのせいじゃないような気がするよ。
幼稚園で聞いた話や、読んだ絵本にあったことなら、きっと、あんなに怖くないから。
パパとママが「それはお話の中だけだから」って言ってくれたら、「そうなんだ」って思うよ、きっと。元が絵本や、先生のお話だったらね。
怖い気持ちは消えていた筈、と育った自分でも分かること。
稲光が光ると世界が消えてしまうのだ、と絵本や先生の話で知識を仕入れたのなら、両親が違う話を聞かせてくれたら、それを信じる筈だから。
「絵本にはこう書いてあったけど、違うんだよ」と。幼稚園の先生に聞いたとしたって、両親が違うと言ってくれたら、小さな子供のことだから…。
(パパとママの話が本当だよ、って…)
疑いもなく信じることだろう。幼い子供が暮らす世界では、先生よりもずっと大きな存在なのが両親。その両親が「大丈夫」と言ってくれたら、何も怖くはなくなるもの。
最初の間は無理だとしたって、繰り返す内に。「光ってるけど、パパもママもいてくれるよ」とギュッと抱き付いて、「ここは安全」と。
(だけど稲光、パパやママがいても、怖かったんだし…)
おまけに世界が消えてしまうと思っていたのが、幼かった自分。稲光を見る度に怖くて怖くて、音よりもずっと恐ろしくて…。
もしかしたら、と気付いたこと。幼かった頃の自分は、何も覚えていなかったけれど…。
「前のぼくかな、稲光がとても怖かったのって…?」
記憶は戻っていないままでも、稲光で怖い思いをしたこと、何処かに残っていたのかも…。
「お前、とんでもない嵐の時でも飛んでたろ」
アルテメシアで、ミュウの子供を助けに飛び出して行った時には。
船の周りが雷雲だろうが、飛んで行く先が酷い雷雨だろうが。
第一、そうやって飛んで行っても、世界が終わりはしないじゃないか。助け損なった子供たちもいたが、世界が滅びはしなかった。…シャングリラは無事に飛んでたからな。
待てよ…?
アルテメシアじゃなくてだな…、とハーレイは顎に手をやった。
「どうかした?」
何か思い出したの、前のぼくと稲光のことで…?
「…心当たりというヤツなんだが…」
今、確証を探してる。本当にそれで合っているのか、違うのか、前の俺の記憶を。
ハーレイが追っているらしい記憶。アルテメシアでなければ何処の稲光なのか。
(…稲光が空に見えるような星に、行ってはいない筈なんだけど…)
シャングリラが他の惑星に降りたことなど、数えるほどしか無かった筈。白い鯨に改造する時、どうしても重力が必要だから、と降りた星には…。
(雲なんか無くて、星が見えるだけで…)
そういう惑星を選んでいた。下手に大気を持った星だと、有毒な雨が降ったりもする。人体や、船を構成する金属には毒になる雨。それは困るし、いっそ大気は無い方がいい。
(大気が無いから、雲だって無くて…)
稲光が光るわけがないのに、と考えていたら…。
「あれだ、アルタミラだ…!」
間違いない、とハーレイが口にしたから驚いた。
「え?」
アルタミラって…。アルタミラだよね、前のぼくたちが逃げ出した星。
「そうだ、あそこで見たんだが…。覚えていないか、あの星で見た稲光」
光ってたぞ、と言われたけれども、生憎と炎の記憶しかない。アルタミラといえば炎の地獄で、空も炎の色に染まっていたのだから。
「アルタミラの空は、燃えてたよ?」
メギドで星ごと焼かれたんだし、空まで真っ赤。空は煙と赤い雲だけ。
「それなんだがな…。心当たりと言っただろうが」
俺もナスカが燃えるまで忘れちまっていた上、そのまま放っておいた記憶だ。…今日までな。
前のお前を失くしちまって、ナスカごと封印しちまったから。
ナスカがメギドにやられた時にだ、俺たちは地上をモニターしてた。通信が繋がっていた間は。
それで見たんだ、ナスカの空に稲光が光っていたのをな。
メギドの炎は、星を丸ごと滅ぼすついでに、稲光も連れて来るらしい。大気も乱れちまうから。
たまに光るのを見ている間に、気が付いた。
俺はアルタミラでも見ていたんだ、と。
メギドが呼んだ稲光をな…、とハーレイが掴んだ稲光の記憶。アルタミラで見たという稲光。
けれど、その光を自分は覚えてはいない。空は真っ赤に燃えていただけ。
「稲光って…。いつ?」
ぼくは少しも覚えていないよ、ハーレイだけが見たんじゃないの…?
前のぼくがシェルターを壊して直ぐなら、ぼくはポカンと座り込んでただけだったから。
「違うな、あれよりも後のことだ。お前と一緒に走っていた時」
一人でも多く助け出そう、とシェルターを開けに急いだだろうが。…あの時の空だ。
雷の音は覚えちゃいないが、こう、空を切り裂いて光ってた。
それこそ神様が怒ったみたいに、炎の色の空を横切ったり、地上に向けて落ちていったり。
「そうだっけ…!」
忘れちゃってた、と蘇って来た時の彼方の記憶。前の自分が燃えるアルタミラで目にした光景。
炎の地獄の中で見たのだった、空を引き裂く稲光を。
(ピカッと光って…)
其処から空が裂けてゆくように思えた、忌まわしい光。メギドの炎が呼んだ稲妻。
ハーレイと二人、閉じ込められた仲間たちを救おうとして、走るのに懸命だったけれども…。
(終わりの光だ、って…)
そう感じていた稲光。あれが光ると、滅びに一歩近付くのだと。
激しい地震で揺れ動く地面とは、また別のこと。空が裂かれて消える気がして、稲光が空を引き裂く度に、空が無くなってしまうような気がして。
空が無くなったら、もう呼吸は出来ない。誰も生きてはいられない。
(そうなっちゃう前に…)
一人でも多く助けなければ、とハーレイと二人で走り続けた。稲光に裂かれる空の下を。
そうやって開けた、最後のシェルター。「早く」と中の仲間を逃がした。
彼らと一緒に駆け込んだ船で、ギリギリまで待った生き残り。もう全員が乗った筈だけれども、誰か逃げては来ないかと。…間違った方へ逃げた仲間がいるなら、待たねばと。
その船からも見ていた終わりの光。
空を引き裂き、天から地へと落ちる滅びの稲妻。
神ではなくて人がやったのだけれど、星の終わりを連れて来たのは稲光だった…。
あれだったのか、と気付いた世界の終わり。幼かった自分が「全部おしまい」と思い込んでいた稲光。それが光れば全て終わると、世界が消えてしまうのだと。
「…稲光が怖かったの、前のぼくの記憶?」
雷の音は覚えてないけど、きっと聞こえなかったんだろうね。地震が何度も起こっていたから、揺れる音やら崩れる音で。
稲光だけが記憶に残って、世界の終わりだと思ってて…。
前のぼくはホントに世界の終わりを見たから、今のぼくも稲光が怖かったのかな…?
「そうなんだろうな、それ以外には何も思い付かないし…」
前のお前は稲光の怖さを克服してたが、今のお前に出ちまったか。雷の音よりも稲光が苦手な、珍しい子供になっちまって。
前のお前みたいに育っていなくて、チビだったからかもしれないな。
生まれてから、ほんの数年しか経っていないチビ。
世界の終わりをその目で見るには、まだ小さすぎるようなチビなんだしな…?
「なんだか凄いね。記憶は戻っていなかったのに、稲光は覚えていたんだ、ぼく…」
稲光が光ったら、世界が終わってしまうこと。…全部なくなって消えてしまうこと…。
それで怖くて泣いてたんなら、他のことも覚えていたかったよ。
ほんのちょっぴりだけでいいから、ハーレイのことも覚えていてもいいのに…。
稲光よりも、そっちがいい、と恋人の鳶色の瞳を見詰めた。同じ持つなら、ハーレイの記憶。
「俺だって?」
記憶が戻っていない時でも、俺を覚えていたかったってか…?
「うん。ハーレイなんだ、って分からなくても、見たら大好きになっちゃうんだよ」
稲光は嫌いだったけれども、ハーレイなら好きに決まっているもの。
公園とかでジョギング中のハーレイを見付けて、気に入ってしまって、追い掛けるとか。
大好きなんだもの、捕まえなくちゃね、ハーレイを。
「追い掛けるって…。お前、倒れちまうぞ、そんな無茶をしたら」
俺のスピード、幼稚園児が追い掛けられるような速さじゃないぞ。今のお前でも無理そうだが。
「だから呼ぶってば、お兄ちゃん、って」
頑張って追い掛けて走るけれども、ちゃんと声だって出して呼ぶから。
そしたら止まってくれるでしょ、と笑みを浮かべた。小さな子供が呼んでいるなら、ハーレイは放って行ったりはしない。いくら知らない子供でも。「何処の子供だ?」と首を捻っても。
「ハーレイ、絶対、行っちゃわないよ。ぼくが追い掛けて走っていたら」
子供の声でも、「待ってよ」って大きな声で呼んだら。「お兄ちゃん、待って」って。
ハーレイだったら止まる筈だよ、と自信たっぷりで言ったのに。
「お兄ちゃんなあ…」
お兄ちゃんか、と複雑そうな顔の恋人。「止まってやるさ」と答える代わりに。
「…どうかしたの?」
ハーレイ、止まってくれないの?
ぼくが「お兄ちゃん」って呼んでいたって、聞こえないふりをして行ってしまうの…?
「いや、行っちまいはしないがな…。それよりも前の問題なんだ」
可愛い声でだ、「お兄ちゃん」と呼ばれる代わりに、「おじちゃん」と呼ばれそうなんだが…。
お前が幼稚園児の頃なら、俺はまだ二十代なのにな…?
後半だが、というハーレイの言葉。たとえ後半でも、二十代なら「おじちゃん」は酷だろう。
けれど、幼稚園児の目から見たなら、きっと「おじちゃん」。「お兄ちゃん」と呼べる相手は、今の学校の生徒くらいまでだろうと思うから…。
「そうかもね。お兄ちゃんじゃなくて、おじちゃんかも…」
おじちゃんだったら、ハーレイは嫌?
「ショックではあるが、お前、可愛いから許してやる。おじちゃんでもな」
お兄ちゃんだ、と言い直させるかもしれないが。
「ホント? ハーレイにも、ぼくが分かるわけ?」
ぼくがハーレイを大好きになって追い掛けるみたいに、ハーレイもぼくに気付いてくれるの?
「お前なんだ、とは分からんだろうが、可愛い子だな、とは思うだろう」
俺のことを「おじちゃん」呼ばわりされても、「お兄ちゃん」と呼んでくれなくてもな。
「それじゃ、一緒に遊んでくれる?」
「もちろんだ。しかし、出会えていないようだし…」
出会う運命では無かったんだろうな、同じ町に住んでいたってな…。
時が来るまで会えない運命だったんだろう、とハーレイは残念そうな顔。
「おじちゃんでもいいから、チビのお前に会いたかったな」と、公園はよく走るのに、と。
「まったく、どうして駄目だったんだか…。公園、お前もお母さんと行っていたらしいのに」
すれ違いさえもしなかったなんて、神様も意地悪なことをなさるもんだな。
ちょっと会わせてくれればいいのに、俺たちが知り合いになれるように。
「いつもそういう話になるよね、もっと早くに出会えていたら、って」
赤ちゃんのぼくには会ったかもしれない、って聞いたけど…。
生まれた病院を退院する時、ハーレイが見たっていう赤ちゃん。…ストールにくるまって、春の雪が降る日に退院した子。
「あれも記憶はハッキリしてはいないしなあ…」
同じ雪の日に退院してった、他の赤ん坊かもしれないからな。
なにしろ雪が舞っていたんだ、ストールでくるもうと思う母親、多いだろうから。
「それはそうだけど…。赤ちゃんが風邪を引いたら困るし、暖かくしてあげるんだろうけど…」
ハーレイが見たのが、ぼくだとしたなら、なんでその時は会えたのかな?
それから後は一度も会えなくなってしまったのに、どうして退院した日だけ…?
「神様のお計らいってことだろ、お前が初めて外に出た日だ」
生まれた時には病院なんだし、外の世界に出るのはその日が初めてだろうが。
俺に出会える最初のチャンスで、その瞬間に通り掛かるよう、神様が決めて下さったんだ。俺が走って行く速さやら、どういうコースで走るのかを。
「だから会えたの?」
神様のお蔭で、ぼくが初めて外に出た日に…?
「お前だったとすれば、だがな」
まさに運命の出会いというヤツで、お前は外の世界に出た瞬間に俺と出会ったわけだ。
それっきり二度と会えないままでも、うんと劇的な出会いだぞ。
病院の外はこんな世界、と出て来た途端に、未来の恋人が前を走ってゆくんだから。
そういう出会いも洒落てるじゃないか、とハーレイが目をやった窓の外。
「あの日は雪で、今日は雨で…」と、眺めたガラス窓の向こうは…。
「おっ、止んで来たな、凄い雨だったが」
雷もそんなに鳴らなかったな、お前の声が聞き取れないほどに酷くはなかったし。
じきに止むぞ、という言葉通りに止みそうな雨。空もすっかり明るくなって。
「ハーレイの予報、当たったね」
酷い雨でも、そんなに長くは降らないだろう、って。
それに雷が鳴ったお蔭で、稲光がとても怖かった謎も解けちゃった。小さかった頃には怖かったことも忘れていたけど、あれって、前のぼくだったんだ…。
稲光が光ったら、全部おしまいだと思ってたのは。
「お前がアルタミラの稲光を覚えていたとはな…」
それもすっかり克服した筈の、メギドの炎が呼んだ稲光の怖さってヤツを。
人間の記憶は分からんものだな、何がヒョッコリ顔を出すやら…。
「他にも何かあるのかな?」
アルタミラで見てた稲光の他にも、前のぼくの記憶を引き摺ってること。
ぼくはちっとも気付いてなくても、怖いものとか、好きなものとか。
「俺たちのことだ、きっと山ほどあるんだろう」
自分じゃ全く知らない間に、前の自分だった頃の記憶を重ねてしまっていること。
お前も、もちろん俺の方でも。
まあ、そういうのを探しながら、だ…。
のんびりと生きていこうじゃないか、とパチンと片目を瞑ったハーレイ。
これからも時間はたっぷりとあるし、「今日は思わぬ雷見物も出来たしな」と。
「まさかお前が、稲光が怖いチビだったとは…」
今じゃすっかり平気なようだが、稲光が光ると世界の終わりが来るんだな?
「そう思っていたみたいだけど…。今のぼくは少しも怖くないから」
またハーレイと二人で見たいな、稲光。…雷の話を聞いたりして。
犬は雷が嫌いだなんて、ぼくはちっとも知らなかったから。
「お前、今度も克服したんだな。稲光の怖さを」
全部おしまい、と怖くて泣いてたチビの子供が、今じゃ雷見物か。また見たいとは、恐れ入る。
稲光が遠くで光るだけでも、お前、駄目だったと聞いたのに…。
「育ったからね、あの頃よりも」
じきに前のぼくとそっくり同じに育つよ、ちゃんと背が伸びて。
そしたらハーレイとデートに行けるし、キスだって…。
「其処は急ぐな。急がなくてもいいんだ、お前は」
稲光が怖い子供のままだと可哀相だから、育ってくれて良かったが…。
これから先はゆっくり育て、とお決まりの台詞。「子供時代を、うんと楽しめ」と。
(…チビのぼくだって、早く卒業したいのに…)
稲光が怖い子供を卒業したように、チビの自分も早く卒業したいけど。
前の自分と同じ背丈に、早く育ちたいと思うけれども、ハーレイの気持ちも分かるから…。
焦らずにゆっくり大きくなろう。
神様が背丈を前と同じにしてくれるまでは、子供時代を楽しもう。
今日の稲光で一つ思い出したように、ハーレイと二人で前の自分たちの思い出を集めながら。
幾つもの記憶の欠片を拾い集めながら、幸せな日々を過ごしてゆこう。
青い地球では、稲光が幾つ光ったとしても、世界が終わりはしないのだから…。
終わりの稲光・了
※幼かった頃のブルーが怖がった雷。けれど、音ではなくて稲光の方が怖かったのです。
「あれが光ると、全部おしまい」と思わせたのは、アルタミラで見た稲光。不思議ですよね。
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暗くなってきたよ、とブルーが眺めた窓の外。
ハーレイと過ごす休日の午後に、俄かに曇り始めた空。さっきまで晴れていた筈なのに。いつの間にやら湧いていた雲が、青かった空を覆い尽くそうとしているのが今。
「そうだな、こいつは降りそうだな」
ひと雨来るぞ、とハーレイも窓の向こうの空を見ている。「すっかり曇っちまったな」と。
「雨になっちゃうんだ…。酷くなる?」
酷い雨になったら、ハーレイが帰る時が大変…。今日は車じゃないんだもの。
傘はパパのを貸してあげられるけれど、バス停に着くまでに濡れちゃいそうだよ。
酷い雨だと、地面からも跳ねてくるもんね、と心配になった。叩き付けるように降る土砂降りの雨は、地面で跳ねて靴やズボンを濡らすから。
傘では防げない、地面の上で跳ねる雨粒。シールドを張れば防げるけれども、ハーレイはそれを好まない。今の時代はサイオンを使わないのがマナーで、子供はともかく、大人なら…。
(濡れて大変、って分かっていたって…)
雨の中では張らないシールド。急な雨で傘を持っていなければ雨宿り。余程でなければ、大雨の中をシールドで走る大人はいない。仕事でとても急いでいるとか、そんな時だけ。
だから夜まで雨が止まなければ、ハーレイだって困るだろう。何ブロックも離れた家まで、雨の中を歩いて帰るのは無理。路線バスを使って帰るにしたって、バス停までに濡れる靴やズボン。
せっかくハーレイが来てくれたのに、と見上げる雲。大雨にならなきゃいいけれど、と。
「そう酷い雨にはならんだろう。ザッと降るかもしれないが…」
いきなり大粒で来そうな雲だが、まあ、その内に止むんじゃないか?
直ぐに止むとは言えないが…。
俺が帰るような時間までには、充分に止むと思うがな…?
こいつは夜まで降り続ける雨じゃないだろう、というのがハーレイの読み。土砂降りの雨でも、多分、長くは降らない雨。早ければ一時間も経たない間に、雲ごと何処かへ去ってゆく。
「そんなトコだと思うんだが…。雲の感じと、流れ方でな」
よく見ろ、一面の雲に見えても止まっちゃいない。凄い速さで流れてるから。
こういう雲だと、行っちまうのも早いんだ。
雨も雲ごと行っちまうから、とハーレイが指した空の雲。確かに雲は流れている。
「ホントだ、凄い速さで流れてる…。空を丸ごと蓋したみたいに見えるのに」
それじゃ降っても、直ぐ止むんだね。雲と一緒に行っちゃうから。
良かった、夜まで降る雨じゃなくて。ハーレイの予報は、よく当たるもの。
「俺だって外すこともあるがな、人間だから」
プロがやってる天気予報でも外れるんだし、仕方ない。未来が見えるわけでもないしな。
はてさて、どんな雨になるやら…。
じきに降るぞ、というハーレイの言葉通りに、暫く経ったら、もう真っ暗になった外。日が沈むにはまだ早いのに、まるで夕方になったかのよう。
(…昼間なのに、夜になっちゃった…)
明るかった空を覚えているから、夜が来たような気がするよね、と思っている間に、大粒の雨が降り出した。庭の木々や屋根に大きな雨粒が一つ、二つと落ちる音がして、それが始まり。
みるみる内に外は一面の雨で、ザーザーと激しく降り注ぐ音。窓ガラスにも雨の雫が流れる。
「ハーレイの予報、大当たりだね」
いきなり降ってくるって所も、大粒なのも。ホントに凄い雨だけど…。
この雨、じきに止むんだっていう方の予報も当たる?
「さてなあ…? そいつは空の気分次第で…」
こういった雲が次から次へと湧いて来るなら、直ぐには止まん。
今の雲が他所へ流れて行っても、次の雲が流れて来ちまうから…。雨を降らせるような雲がな。
其処までは俺も読めやしないし、どうなんだかなあ…。
天気予報を見て来た感じじゃ、そうはならんと思うんだが。
おっと、光った…!
空を切り裂いた稲光。そして雷鳴。
ゴロゴロと轟いた音が消えたら、「思った通りか…」と空を見ているハーレイ。
「雲の具合からして、来るんじゃないかと思ったが…。やっぱり雷つきだったな」
派手に鳴ったな、とハーレイは雷まで予想していたらしい。流れて来る雲を見ただけで。
「凄いね、雷が鳴るっていうのも分かるんだ…」
これって、近い?
今の雷、もう直ぐ側まで来ているの…?
「来ているだろうな、だから木の下は危ないぞ」
雨宿りをしに入っちゃいかん、とハーレイが指差す庭にある木たち。葉を茂らせた木たちは雨を防いでくれそうだけれど、こういう雨の時には危険。
家よりも高くなっている木は、雷を招きやすいから。いわゆる落雷。
「…落ちるんだ…。木の下にいたら、雷が…」
避雷針が近くにあっても駄目なの、やっぱり落ちる…?
「当然だろうが、雷ってヤツは気まぐれなんだ。…こういう雲と同じでな」
避雷針みたいに高くなってりゃ、気の向いた場所にドカンと落ちる。選んじゃくれんぞ。
あっちに避雷針があるから、と避けて行ってはくれないってな。
ついでに言うなら、お前みたいにシールドも出来ないガキの場合は心配ないが…。
「…何かあるの?」
雷とシールド、何か関係あったりするわけ…?
まさか雷を呼びやすいってことはないよね、シールドはそういう性質じゃないし…。
でも危ないの、と丸くなった目。シールドの何処が落雷の危機を招くのだろう?
「シールドそのものが駄目ってことではないんだが…」
なまじシールドが上手いガキだと、こんな雨の中で傘が無くても濡れないからな。
それで安心して、「雨が止んだらまた遊ぼう」というのが危ない。
家に帰ったり、軒下に入って雨を避ける代わりに、そのまま其処に突っ立ってると…。
その場所がうんと見晴らしが良くて、周りに何も無いようなトコ。
野原だの、広いグラウンドや河原だったりするとだな…。
そいつに向かって真っ直ぐ落ちて来ちまうぞ、とハーレイが軽く広げた手。
周りに高い木などが無ければ、人間めがけて落ちる雷。其処が一番高いわけだし、たかが子供の背丈くらいでも落ちて来る。雷は高い所に落ちやすいから、ポツンと立つ子は格好の餌食。
もっとも、雷が落ちた場合は、シールドの方も本能的に強化されるから…。
「衝撃で倒れるとか、飛ばされるとか…。そんな程度ではあるんだが」
打ち身や軽い擦り傷ってトコだ、ショックの方はデカイがな。
いきなりドカンと来ちまうわけだし、気絶するのが普通だから…。シールドは消えて、すっかりずぶ濡れな末路なんだが。
「ずぶ濡れでもいいよ、その程度の怪我で済むんなら」
良かった、もっと大変なのかと思っちゃった。雷が落ちると、木だって裂けたりするんでしょ?
子供に落ちたら大怪我するとか、死んじゃうだとか…。
そうならないなら安心だよね、と言ったのだけれど。
「勘違いするなよ、今の時代だから安心なだけだ。子供に雷が落ちた時でも、今だから無事だ」
みんなサイオンを持ってるお蔭で、雷の危険もグンと減ったというわけだな。
ずっと昔は、落雷のせいで死んじまう人も多かったんだ。
前の俺たちが生きてた頃でも、ゼロじゃなかったかもしれないなあ…。
きちんと対策していなかったら、人類は危なかったろう、とハーレイが言うものだから。
「サイオンが無いと落雷で死んじゃうんなら…。ぼくも危ない?」
人類と変わらないくらいに不器用なんだよ、ぼくのサイオン。…シールドも無理。
ぼくに落ちたら、死んじゃうのかな…?
「お前の場合も、本能ってヤツでいけるだろ。命の危機なら、サイオンの方で出て来るさ」
シールドしよう、と思わなくても、それよりも前に。お前が自覚しなくても。
なんと言っても最強のタイプ・ブルーなんだし、一度とはいえ瞬間移動もしてるしな。
あの時は俺もビックリしたが…。目を覚ましたら、お前が俺のベッドの中にいるんだから。
「…あれ、もう一回やりたいんだけど…」
ハーレイの家まで行ってみたいよ、寝てる間に。そしたら、一緒に朝御飯…。
「勘弁してくれ、俺にとっては大迷惑なサプライズだから」
チビのお前じゃ、手がかかるだけだ。…ちゃんと育ったお前だったら歓迎だがな。
来るんじゃないぞ、と釘を刺されてしまった、ハーレイの家への瞬間移動。
前の自分と同じ背丈に育たない限り、ハーレイの家には行けない決まり。出掛けて行っても中に入れては貰えない。チャイムを押しても、きっと無視されるだけ。
(でなきゃ、「帰れ」って言われちゃうんだよ)
チビだから仕方ないけどね…、と心の中で溜息をついているのに、ハーレイの方は雨見物。
「おっと、また光った」
派手に光ったぞ、お前、見てたか…?
「今の、近いね。さっきのより」
光って直ぐに音がしたもの、さっきは少し間があったよ。稲光を見てから、音がするまでに。
「その通りだな。雷は音で分かりやすいんだが…」
近いのかどうか、近付いて来ているかどうかも、音が目安になるんだが…。
それがだ、青空でも落ちることがあるから危ないんだぞ。何の前触れも無いってヤツだ。
「青空なのに雷なの…?」
どういう仕組み、と質問してみた、青空の時に落雷するケース。やはり、何処かに雷雲が隠れているらしい。人間の目には遠い距離でも、雷にとってはほんの少しで、遠い所から飛んで来る。
怖いけれども、自然は凄い、と感心していたら尋ねられた。
「お前、雷は怖くないのか?」
好奇心一杯って顔をしてるが、怖いと思わないのか、雷…?
「平気だよ、なんで?」
そりゃ、落雷は怖いけど…。シールドも全然自信が無いから、落ちて欲しくはないけれど…。
「今はそうだろうが、ガキの頃だな」
怖くなかったのか、雷ってヤツ。
今みたいに急に暗くなってだ、ゴロゴロと鳴り出すわけだから…。
チビには怖い代物だろうが、雷の仕組みも全く分かっていないんだしな。
小さかった頃はどうなんだ、とハーレイに訊かれた雷のこと。もちろん怖いものだった。両親にくっついて泣いていたほど、恐ろしかったものが雷。
「小さい頃なら、ぼくだって怖いに決まってるじゃない…!」
パパやママにくっついて泣いてたくらいで、雷なんか大嫌い。うんと怖くて、苦手だったよ。
今は平気になったけど…。もう子供とは違うから。
「そうだろうなあ、大抵のガキと犬は雷が駄目なモンだし」
お前も怖くて当然だってな。俺は怖かった覚えは無いがだ、物心つくまでは駄目だったろう。
いくら俺でもガキはガキだし、犬と似たようなモンだろうから。
「犬って…?」
なんで犬なの、どうして犬が出て来るの…?
雷の話をしているんだよ、と傾げた首。幼い子供の方はともかく、犬というのは何だろう?
「犬か? 犬ってヤツは、あの音が苦手らしいんだ。ガキと同じで」
雷には音が付き物だしなあ、昼間だろうが、夜に来ようが。…ゴロゴロ鳴るのが雷だろ?
犬の耳には、不愉快すぎる音らしい。逃げ出したくて、鎖を切っちまうくらい。
お前も音だろ、苦手だったの。
今じゃ全く平気なようだが、雷が怖くて泣いてた頃は…?
「えーっと…」
どうだったのかな、雷だよね…?
ピカッと光って、ゴロゴロ鳴ってて、うんと怖くて泣きじゃくってて…。
パパとママの側にいたんだっけ、と手繰ってみた記憶。幼かった自分が嫌った雷。
(…ゴロゴロ鳴るから…)
早く何処かに行って欲しくて、両親にしがみついていた。雷は大嫌いだったから。
鳴っている間はピカピカ光るし、もう恐ろしくてたまらない。うっかり顔を上げた途端に、空を切り裂いてゆく稲妻。
(…昼でも光るし、夜だともっと強く光って…)
あの稲光が怖かった。窓の向こうで走る稲妻、その後で音がやって来る。
けれど、音より稲妻の方。音はしないで、夜に遠くで光る稲光も怖かったから。夜空を真っ白に染める光も、雲を切り裂くような光も。
怖かったものは稲光。雷鳴よりも、ずっと怖かった光。
ゴロゴロと鳴る音が聞こえなくても、夜ならば見える稲光。その光だけで身体が竦んだ。じきにピカピカ光り出すから、雷がやって来るのだから。
「…ぼくの苦手は、雷の音じゃなかったみたい…」
音も怖いけど、その前に光。雷の音は光の後に鳴り始めるから、光ほどには…。
多分、怖くはなかったと思う、と話したら。
「はあ? 光って…」
雷と言えば音だろうが、とハーレイは怪訝そうな顔。「犬も子供も、音が苦手だ」と。
「違うよ、ぼくは稲光だよ」
音よりもずっと怖かった筈で、音がしなくても怖かったから。…光っただけで。
夜の雷だと、うんと遠くで鳴っていたって、光だけ見えることがあるでしょ?
ゴロゴロいう音は聞こえなくても、雲がピカピカ光ってる時。
…ああいう光も、ぼくは嫌いで怖かったから…。ホントに光が苦手だったんだよ、音よりも。
「稲光だってか、あの音じゃなくて…?」
お前、何か勘違いってヤツをしてないか?
フクロウの鳴き声も駄目だったんだろ、小さかった頃は。…この前まで苦手だったくらいに。
前の俺がヒルマンに頼まれて彫ったフクロウ、アレの話をしてやるまでは。
フクロウの声でメギドの夢を見ちまったろうが、と指摘されたけれども、それとは別。
「あれはオバケだよ、フクロウの声は。…オバケの声だと思ったんだもの」
雷はオバケじゃなくて雷。どんなにゴロゴロ音が凄くても、雷はオバケじゃないものね。
だから鳴っても、光ほど怖くなかったんだよ、と説明したら。
「それは分かったが、雷がオバケじゃないのなら…」
どうして光が苦手になるんだ、怖がらなくてもいいだろうが。
音とセットで怖がってたなら話は分かるが、光だけでも怖かったなんて変だぞ、お前。
それとも雷は光のオバケか、お前にはそう見えていたのか…?
「さあ…?」
どうだったんだろう、雷、光のオバケなのかな?
それなら怖くて当然だけれど、光のオバケの怖い絵本があったとか…?
雷の音より、稲光の方が恐ろしかった幼い自分。すっかり忘れていたけれど。
(なんで光が怖かったわけ…?)
ハーレイにも変だと言われたけれども、自分でも不思議に思うこと。どうして稲光だったのか。雷を怖がる子供だったら、音が苦手なのが普通だろうに。
(ホントに光のオバケの絵本があったのかな…?)
空から降ってくる光のオバケ。そういう絵本に出会っていたなら、稲光が苦手でも分かる。光はとても怖いものだし、あれはオバケ、と震える子供。
(だけど、怖い絵本なんかを小さい子供に…)
読ませるとは、とても思えない。幼稚園にも、きっと置いてはいなかっただろう。子供が怖がる本を置くなど、幼稚園の先生たちがするわけがない。
(下の学校の図書室だったら、怖い絵本もあったけど…)
それは「怖さ」を楽しめる年の子供たちのためで、幼稚園から上がったばかりの子たちは、ただ怖そうに見ていただけ。「あの棚の本は、表紙を見ただけでもオバケが出そう」と。
(学校に行くようになる前から、雷、怖かったんだし…)
図書室で読んだ本のせいではない。光のオバケの怖い絵本があったとしても。
稲光が怖くて泣いていたのは、もっと幼くて小さい頃から。幼稚園の頃にはとうに怖くて、空が光るのが嫌だった。音を連れて来る昼の稲光も、夜に遠くで光っているだけの稲光でも。
(やっぱり光が怖いんだよね…?)
何故、と更に遡ってみた記憶。ずいぶんおぼろな記憶だけれども、怖かったことは覚えている。稲光がピカピカするのが怖くて、泣き叫んでいた子供時代。
(パパやママにギュッとくっついて…)
見ないでいようとした稲光。
あれが光ったら、全部おしまい。何もかも全部消えてしまって、おしまいだから。
そう思って震えていた自分。稲光で空が光った時には、「全部おしまいになっちゃうよ」と。
それだ、と思い出したこと。稲光が怖いと思った理由。
「稲光…。あれが光るとおしまいなんだよ、そう思ったから怖くて泣いてた…」
パパもママも、世界も全部おしまい。全部消えちゃう、って怖くって…。
だから稲光が怖かったんだよ、音じゃなくって光の方が。
世界が消えてしまうんだもの、とハーレイに話した、幼かった頃の自分が感じた恐怖。雷の音が聞こえなくても、稲光だけで震えていた自分。
「おいおい、世界が消えちまうって…。そいつは神様のお怒りか?」
神様がお怒りになった時には、雷が鳴ると言うんだが…。
この世界が終わっちまう時にも、神様の怒りで雷が轟くとは言うが…。
お前、そんなの知っていたのか、今よりもずっとチビなのに…?
幼稚園の先生が聖書の話でもしたか、絵本があったか。そんなトコだと思うんだが…。
「パパとママもそう言ったけど…。「それは神様の本の中だけ」って」
悪い子じゃないから、神様は世界を消したりしない、って言ってくれたけど…。
雷が来ても大丈夫、って教えてくれたんだけれど、やっぱり駄目。
稲光を見たら、怖くて泣いてた。あれが光ると、全部おしまいになっちゃいそうで…。
ずっと怖かったよ、何も起きないって分かる年になるまで。
稲光で空が光っていたって、世界はおしまいになったりしない、って。
「なるほどなあ…。稲光が光ると、世界が終わっちまうのか…」
それで音よりも光の方が怖かった、と。
雷が苦手な子供は多いもんだが、光が駄目とは、珍しいタイプだったんだな、お前。
少なくとも俺は一度も聞いたことがないぞ、音よりも稲光が怖いだなんて話は。
「ハーレイも珍しいと思うんだ…」
ぼくって変かな、自分でも忘れていたけれど…。雷の音より、光の方が怖かったこと。
でもね、本とかのせいじゃないような気がするよ。
幼稚園で聞いた話や、読んだ絵本にあったことなら、きっと、あんなに怖くないから。
パパとママが「それはお話の中だけだから」って言ってくれたら、「そうなんだ」って思うよ、きっと。元が絵本や、先生のお話だったらね。
怖い気持ちは消えていた筈、と育った自分でも分かること。
稲光が光ると世界が消えてしまうのだ、と絵本や先生の話で知識を仕入れたのなら、両親が違う話を聞かせてくれたら、それを信じる筈だから。
「絵本にはこう書いてあったけど、違うんだよ」と。幼稚園の先生に聞いたとしたって、両親が違うと言ってくれたら、小さな子供のことだから…。
(パパとママの話が本当だよ、って…)
疑いもなく信じることだろう。幼い子供が暮らす世界では、先生よりもずっと大きな存在なのが両親。その両親が「大丈夫」と言ってくれたら、何も怖くはなくなるもの。
最初の間は無理だとしたって、繰り返す内に。「光ってるけど、パパもママもいてくれるよ」とギュッと抱き付いて、「ここは安全」と。
(だけど稲光、パパやママがいても、怖かったんだし…)
おまけに世界が消えてしまうと思っていたのが、幼かった自分。稲光を見る度に怖くて怖くて、音よりもずっと恐ろしくて…。
もしかしたら、と気付いたこと。幼かった頃の自分は、何も覚えていなかったけれど…。
「前のぼくかな、稲光がとても怖かったのって…?」
記憶は戻っていないままでも、稲光で怖い思いをしたこと、何処かに残っていたのかも…。
「お前、とんでもない嵐の時でも飛んでたろ」
アルテメシアで、ミュウの子供を助けに飛び出して行った時には。
船の周りが雷雲だろうが、飛んで行く先が酷い雷雨だろうが。
第一、そうやって飛んで行っても、世界が終わりはしないじゃないか。助け損なった子供たちもいたが、世界が滅びはしなかった。…シャングリラは無事に飛んでたからな。
待てよ…?
アルテメシアじゃなくてだな…、とハーレイは顎に手をやった。
「どうかした?」
何か思い出したの、前のぼくと稲光のことで…?
「…心当たりというヤツなんだが…」
今、確証を探してる。本当にそれで合っているのか、違うのか、前の俺の記憶を。
ハーレイが追っているらしい記憶。アルテメシアでなければ何処の稲光なのか。
(…稲光が空に見えるような星に、行ってはいない筈なんだけど…)
シャングリラが他の惑星に降りたことなど、数えるほどしか無かった筈。白い鯨に改造する時、どうしても重力が必要だから、と降りた星には…。
(雲なんか無くて、星が見えるだけで…)
そういう惑星を選んでいた。下手に大気を持った星だと、有毒な雨が降ったりもする。人体や、船を構成する金属には毒になる雨。それは困るし、いっそ大気は無い方がいい。
(大気が無いから、雲だって無くて…)
稲光が光るわけがないのに、と考えていたら…。
「あれだ、アルタミラだ…!」
間違いない、とハーレイが口にしたから驚いた。
「え?」
アルタミラって…。アルタミラだよね、前のぼくたちが逃げ出した星。
「そうだ、あそこで見たんだが…。覚えていないか、あの星で見た稲光」
光ってたぞ、と言われたけれども、生憎と炎の記憶しかない。アルタミラといえば炎の地獄で、空も炎の色に染まっていたのだから。
「アルタミラの空は、燃えてたよ?」
メギドで星ごと焼かれたんだし、空まで真っ赤。空は煙と赤い雲だけ。
「それなんだがな…。心当たりと言っただろうが」
俺もナスカが燃えるまで忘れちまっていた上、そのまま放っておいた記憶だ。…今日までな。
前のお前を失くしちまって、ナスカごと封印しちまったから。
ナスカがメギドにやられた時にだ、俺たちは地上をモニターしてた。通信が繋がっていた間は。
それで見たんだ、ナスカの空に稲光が光っていたのをな。
メギドの炎は、星を丸ごと滅ぼすついでに、稲光も連れて来るらしい。大気も乱れちまうから。
たまに光るのを見ている間に、気が付いた。
俺はアルタミラでも見ていたんだ、と。
メギドが呼んだ稲光をな…、とハーレイが掴んだ稲光の記憶。アルタミラで見たという稲光。
けれど、その光を自分は覚えてはいない。空は真っ赤に燃えていただけ。
「稲光って…。いつ?」
ぼくは少しも覚えていないよ、ハーレイだけが見たんじゃないの…?
前のぼくがシェルターを壊して直ぐなら、ぼくはポカンと座り込んでただけだったから。
「違うな、あれよりも後のことだ。お前と一緒に走っていた時」
一人でも多く助け出そう、とシェルターを開けに急いだだろうが。…あの時の空だ。
雷の音は覚えちゃいないが、こう、空を切り裂いて光ってた。
それこそ神様が怒ったみたいに、炎の色の空を横切ったり、地上に向けて落ちていったり。
「そうだっけ…!」
忘れちゃってた、と蘇って来た時の彼方の記憶。前の自分が燃えるアルタミラで目にした光景。
炎の地獄の中で見たのだった、空を引き裂く稲光を。
(ピカッと光って…)
其処から空が裂けてゆくように思えた、忌まわしい光。メギドの炎が呼んだ稲妻。
ハーレイと二人、閉じ込められた仲間たちを救おうとして、走るのに懸命だったけれども…。
(終わりの光だ、って…)
そう感じていた稲光。あれが光ると、滅びに一歩近付くのだと。
激しい地震で揺れ動く地面とは、また別のこと。空が裂かれて消える気がして、稲光が空を引き裂く度に、空が無くなってしまうような気がして。
空が無くなったら、もう呼吸は出来ない。誰も生きてはいられない。
(そうなっちゃう前に…)
一人でも多く助けなければ、とハーレイと二人で走り続けた。稲光に裂かれる空の下を。
そうやって開けた、最後のシェルター。「早く」と中の仲間を逃がした。
彼らと一緒に駆け込んだ船で、ギリギリまで待った生き残り。もう全員が乗った筈だけれども、誰か逃げては来ないかと。…間違った方へ逃げた仲間がいるなら、待たねばと。
その船からも見ていた終わりの光。
空を引き裂き、天から地へと落ちる滅びの稲妻。
神ではなくて人がやったのだけれど、星の終わりを連れて来たのは稲光だった…。
あれだったのか、と気付いた世界の終わり。幼かった自分が「全部おしまい」と思い込んでいた稲光。それが光れば全て終わると、世界が消えてしまうのだと。
「…稲光が怖かったの、前のぼくの記憶?」
雷の音は覚えてないけど、きっと聞こえなかったんだろうね。地震が何度も起こっていたから、揺れる音やら崩れる音で。
稲光だけが記憶に残って、世界の終わりだと思ってて…。
前のぼくはホントに世界の終わりを見たから、今のぼくも稲光が怖かったのかな…?
「そうなんだろうな、それ以外には何も思い付かないし…」
前のお前は稲光の怖さを克服してたが、今のお前に出ちまったか。雷の音よりも稲光が苦手な、珍しい子供になっちまって。
前のお前みたいに育っていなくて、チビだったからかもしれないな。
生まれてから、ほんの数年しか経っていないチビ。
世界の終わりをその目で見るには、まだ小さすぎるようなチビなんだしな…?
「なんだか凄いね。記憶は戻っていなかったのに、稲光は覚えていたんだ、ぼく…」
稲光が光ったら、世界が終わってしまうこと。…全部なくなって消えてしまうこと…。
それで怖くて泣いてたんなら、他のことも覚えていたかったよ。
ほんのちょっぴりだけでいいから、ハーレイのことも覚えていてもいいのに…。
稲光よりも、そっちがいい、と恋人の鳶色の瞳を見詰めた。同じ持つなら、ハーレイの記憶。
「俺だって?」
記憶が戻っていない時でも、俺を覚えていたかったってか…?
「うん。ハーレイなんだ、って分からなくても、見たら大好きになっちゃうんだよ」
稲光は嫌いだったけれども、ハーレイなら好きに決まっているもの。
公園とかでジョギング中のハーレイを見付けて、気に入ってしまって、追い掛けるとか。
大好きなんだもの、捕まえなくちゃね、ハーレイを。
「追い掛けるって…。お前、倒れちまうぞ、そんな無茶をしたら」
俺のスピード、幼稚園児が追い掛けられるような速さじゃないぞ。今のお前でも無理そうだが。
「だから呼ぶってば、お兄ちゃん、って」
頑張って追い掛けて走るけれども、ちゃんと声だって出して呼ぶから。
そしたら止まってくれるでしょ、と笑みを浮かべた。小さな子供が呼んでいるなら、ハーレイは放って行ったりはしない。いくら知らない子供でも。「何処の子供だ?」と首を捻っても。
「ハーレイ、絶対、行っちゃわないよ。ぼくが追い掛けて走っていたら」
子供の声でも、「待ってよ」って大きな声で呼んだら。「お兄ちゃん、待って」って。
ハーレイだったら止まる筈だよ、と自信たっぷりで言ったのに。
「お兄ちゃんなあ…」
お兄ちゃんか、と複雑そうな顔の恋人。「止まってやるさ」と答える代わりに。
「…どうかしたの?」
ハーレイ、止まってくれないの?
ぼくが「お兄ちゃん」って呼んでいたって、聞こえないふりをして行ってしまうの…?
「いや、行っちまいはしないがな…。それよりも前の問題なんだ」
可愛い声でだ、「お兄ちゃん」と呼ばれる代わりに、「おじちゃん」と呼ばれそうなんだが…。
お前が幼稚園児の頃なら、俺はまだ二十代なのにな…?
後半だが、というハーレイの言葉。たとえ後半でも、二十代なら「おじちゃん」は酷だろう。
けれど、幼稚園児の目から見たなら、きっと「おじちゃん」。「お兄ちゃん」と呼べる相手は、今の学校の生徒くらいまでだろうと思うから…。
「そうかもね。お兄ちゃんじゃなくて、おじちゃんかも…」
おじちゃんだったら、ハーレイは嫌?
「ショックではあるが、お前、可愛いから許してやる。おじちゃんでもな」
お兄ちゃんだ、と言い直させるかもしれないが。
「ホント? ハーレイにも、ぼくが分かるわけ?」
ぼくがハーレイを大好きになって追い掛けるみたいに、ハーレイもぼくに気付いてくれるの?
「お前なんだ、とは分からんだろうが、可愛い子だな、とは思うだろう」
俺のことを「おじちゃん」呼ばわりされても、「お兄ちゃん」と呼んでくれなくてもな。
「それじゃ、一緒に遊んでくれる?」
「もちろんだ。しかし、出会えていないようだし…」
出会う運命では無かったんだろうな、同じ町に住んでいたってな…。
時が来るまで会えない運命だったんだろう、とハーレイは残念そうな顔。
「おじちゃんでもいいから、チビのお前に会いたかったな」と、公園はよく走るのに、と。
「まったく、どうして駄目だったんだか…。公園、お前もお母さんと行っていたらしいのに」
すれ違いさえもしなかったなんて、神様も意地悪なことをなさるもんだな。
ちょっと会わせてくれればいいのに、俺たちが知り合いになれるように。
「いつもそういう話になるよね、もっと早くに出会えていたら、って」
赤ちゃんのぼくには会ったかもしれない、って聞いたけど…。
生まれた病院を退院する時、ハーレイが見たっていう赤ちゃん。…ストールにくるまって、春の雪が降る日に退院した子。
「あれも記憶はハッキリしてはいないしなあ…」
同じ雪の日に退院してった、他の赤ん坊かもしれないからな。
なにしろ雪が舞っていたんだ、ストールでくるもうと思う母親、多いだろうから。
「それはそうだけど…。赤ちゃんが風邪を引いたら困るし、暖かくしてあげるんだろうけど…」
ハーレイが見たのが、ぼくだとしたなら、なんでその時は会えたのかな?
それから後は一度も会えなくなってしまったのに、どうして退院した日だけ…?
「神様のお計らいってことだろ、お前が初めて外に出た日だ」
生まれた時には病院なんだし、外の世界に出るのはその日が初めてだろうが。
俺に出会える最初のチャンスで、その瞬間に通り掛かるよう、神様が決めて下さったんだ。俺が走って行く速さやら、どういうコースで走るのかを。
「だから会えたの?」
神様のお蔭で、ぼくが初めて外に出た日に…?
「お前だったとすれば、だがな」
まさに運命の出会いというヤツで、お前は外の世界に出た瞬間に俺と出会ったわけだ。
それっきり二度と会えないままでも、うんと劇的な出会いだぞ。
病院の外はこんな世界、と出て来た途端に、未来の恋人が前を走ってゆくんだから。
そういう出会いも洒落てるじゃないか、とハーレイが目をやった窓の外。
「あの日は雪で、今日は雨で…」と、眺めたガラス窓の向こうは…。
「おっ、止んで来たな、凄い雨だったが」
雷もそんなに鳴らなかったな、お前の声が聞き取れないほどに酷くはなかったし。
じきに止むぞ、という言葉通りに止みそうな雨。空もすっかり明るくなって。
「ハーレイの予報、当たったね」
酷い雨でも、そんなに長くは降らないだろう、って。
それに雷が鳴ったお蔭で、稲光がとても怖かった謎も解けちゃった。小さかった頃には怖かったことも忘れていたけど、あれって、前のぼくだったんだ…。
稲光が光ったら、全部おしまいだと思ってたのは。
「お前がアルタミラの稲光を覚えていたとはな…」
それもすっかり克服した筈の、メギドの炎が呼んだ稲光の怖さってヤツを。
人間の記憶は分からんものだな、何がヒョッコリ顔を出すやら…。
「他にも何かあるのかな?」
アルタミラで見てた稲光の他にも、前のぼくの記憶を引き摺ってること。
ぼくはちっとも気付いてなくても、怖いものとか、好きなものとか。
「俺たちのことだ、きっと山ほどあるんだろう」
自分じゃ全く知らない間に、前の自分だった頃の記憶を重ねてしまっていること。
お前も、もちろん俺の方でも。
まあ、そういうのを探しながら、だ…。
のんびりと生きていこうじゃないか、とパチンと片目を瞑ったハーレイ。
これからも時間はたっぷりとあるし、「今日は思わぬ雷見物も出来たしな」と。
「まさかお前が、稲光が怖いチビだったとは…」
今じゃすっかり平気なようだが、稲光が光ると世界の終わりが来るんだな?
「そう思っていたみたいだけど…。今のぼくは少しも怖くないから」
またハーレイと二人で見たいな、稲光。…雷の話を聞いたりして。
犬は雷が嫌いだなんて、ぼくはちっとも知らなかったから。
「お前、今度も克服したんだな。稲光の怖さを」
全部おしまい、と怖くて泣いてたチビの子供が、今じゃ雷見物か。また見たいとは、恐れ入る。
稲光が遠くで光るだけでも、お前、駄目だったと聞いたのに…。
「育ったからね、あの頃よりも」
じきに前のぼくとそっくり同じに育つよ、ちゃんと背が伸びて。
そしたらハーレイとデートに行けるし、キスだって…。
「其処は急ぐな。急がなくてもいいんだ、お前は」
稲光が怖い子供のままだと可哀相だから、育ってくれて良かったが…。
これから先はゆっくり育て、とお決まりの台詞。「子供時代を、うんと楽しめ」と。
(…チビのぼくだって、早く卒業したいのに…)
稲光が怖い子供を卒業したように、チビの自分も早く卒業したいけど。
前の自分と同じ背丈に、早く育ちたいと思うけれども、ハーレイの気持ちも分かるから…。
焦らずにゆっくり大きくなろう。
神様が背丈を前と同じにしてくれるまでは、子供時代を楽しもう。
今日の稲光で一つ思い出したように、ハーレイと二人で前の自分たちの思い出を集めながら。
幾つもの記憶の欠片を拾い集めながら、幸せな日々を過ごしてゆこう。
青い地球では、稲光が幾つ光ったとしても、世界が終わりはしないのだから…。
終わりの稲光・了
※幼かった頃のブルーが怖がった雷。けれど、音ではなくて稲光の方が怖かったのです。
「あれが光ると、全部おしまい」と思わせたのは、アルタミラで見た稲光。不思議ですよね。
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