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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

風と風待ち
(今は追い風…)
 反対になったら向かい風、とブルーの頭に浮かんだこと。
 学校の帰り、バス停から家まで歩く途中の道で。何のはずみか、頭にポンと。
 吹きっ晒しの野原ではなくて、住宅街。だからそれほど強くないけれど、背中に風。後ろ側から吹いてくる。追い風だから、人間ではなくて船ならば…。
(速く進んでゆけるんだよね?)
 帆に一杯の風をはらんで、大海原をゆく昔の帆船。風の力で海を旅していた時代。
 今はエンジンのついた船だけれども、昔の文化も大好きなのが蘇った地球の住人たちだから…。
(観光用とかの帆船もあるし、風だけで走るヨットだって…)
 青い海の上に浮かんでいるよ、と考えたらとても素敵な気分。
 エンジンなどには頼らなくても、追い風で速く進める海。帆を張れば波の上を走れる。そういう船たちが海にいる地球に来ちゃったよ、と。
(前のぼくだと、帆船なんか…)
 目にしたことすら一度も無かった。アルテメシアの海に帆船は無かったから。
 雲海に覆われた星の上には、テラフォーミングされた人工の海。そんな所に帆船は無い。帆船があった時代でも無い。あの時代を治めた機械はあくまで効率優先、風で走るような船は要らない。
(…ヨットくらいなら…)
 走っていたかもしれないけれども、生憎とまるで記憶に無い。
 アルテメシアは育英都市だし、ヨットは無かったかもしれない。大人たちの殆どは養父母たち。自分の趣味より、子育ての方が優先された場所だから。
(ヨットに乗せて貰える子供と、そうでない子がいたら駄目だし…)
 きっと公平に、何処の家にも無かったヨット。借りて乗ることも無かっただろう。まるで技術が無い大人だと、上手くヨットを操れない。養父母になるのに、操船技術は必須ではないし…。
(やっぱりヨットは無かったかもね…)
 観光用の帆船さえも、あの時代には無かったから。
 帆に風を受けて走る船など、アルテメシアの海には浮かんでいなかったから。



 前の自分が生きた時代はそうだったけれど、今では青い海に帆船。それにヨットも。
 おまけに此処は地球なんだから、と足取りも軽く歩いた道。追い風を受けて、気分は帆船。
(人間は風だけで走らないけど…)
 普段よりも軽く感じる足。風が背中を押してくれる、と思ったら。帆船になった気分でいたら。
 家に帰って制服を脱いで、ダイニングでおやつを食べる間も外を眺めて…。
(風が吹いてる…)
 庭の木たちが教えてくれる。枝や葉が揺れて、風があることを。…花壇に咲いている花たちも。
 何処からともなく吹いてくる風。大気が動くと、風が生まれてくるものだから。
 シャングリラでは、風は人工の風だったのに。前の自分が生きていた船、ミュウの箱舟。なのに今では本物の風で、地球の大気が生み出した風。前の自分が夢に見た星に吹いている風。
 それにクルクル変わる風向き、これも本物の風ならでは。
 白いシャングリラで吹いていた風は、気まぐれに向きを変えたりはしない。気まぐれに見えても計算されていたプログラム。「向きをランダムに変えるように」と。
 けれど、本物の風たちは違う。地球の大気の気分次第で、好きな方から吹いてくるもの。
(木の揺れ方で…)
 どちらから来た風なのか分かる。南からか、それとも北なのか。
 南風が主な季節にしたって、北風が吹かないわけではない。西風も、東風も吹く。ザアッと渦を巻く風だって。つむじ風とは違うけれども、ぐるりと回るように吹く風。
(吹き流しだとか、風見鶏があれば…)
 もっとよく分かる風の方向。
 吹き流しは風に合わせて揺れるし、風見鶏は向きを変えてゆく。名前の通りに風を見る鳥。
(生きた鶏じゃないけれど…)
 くるり、くるりと方向を変えて、風が来る方を教えてくれる風見鶏。
 そういうものが庭にあったら、目に見える風。
 木の枝や葉でも分かるけれども、もっと正確に「こっちから吹いている風だ」と。



 たまに目にする風見鶏。郊外の農場の屋根にもあったし、個人の家の屋根の上にも。
 多分、暮らしている人の趣味。「風見鶏が似合う」と思った場所には、風が吹く方へと回る鶏。
(風見鶏…)
 うちには無いよね、と戻った二階の自分の部屋。おやつを美味しく食べ終えた後で。
 部屋の窓から眺めたけれども、吹き流しだって庭には無い。屋根の上にも風見鶏は無くて、風の向きを教えてくれそうなものは…。
(鯉のぼり…)
 あれなら吹き流しもセット、と思い浮かべた空を泳ぐ鯉。大きな真鯉と、小さめの緋鯉。もっと小さな子供の鯉も一緒に、風をはらんで空高く泳ぐ鯉のぼりたち。一番上には吹き流し。
 小さい頃にはあったのだけれど、大きくなったら姿を消した。下の学校の途中辺りで。
(男の子が生まれたら、鯉のぼりだよね?)
 きっと自分が生まれて直ぐから、鯉のぼりは庭にあったのだろう。三月の末に生まれたのだし、充分に用意出来るから。
 小さい間は、父が揚げていた鯉のぼり。夕方に母が下ろしていた。空模様が怪しい時だって。
 けれど子供が大きくなったら、出番が無くなる鯉のぼり。家に帰る時間が遅くなるから、あまりゆっくり見ていられない。家で遊ばずに出掛けて行ったら、帰る頃には…。
(もう鯉のぼりは、下ろしちゃった後で…)
 肝心の子供が見ないわけだし、何処の家でも揚げなくなる。「もう鯉のぼりは卒業だ」と。
 幼かった自分のための鯉のぼりも、そうして引退していった。母のことだから、物置にきちんと片付けてあって、直ぐに出せるだろうけれど。庭に竿さえ立ててやったら、あの鯉たちは…。
(きっと、ちっとも皺なんか無くて…)
 色も今でも鮮やかなままで、悠々と空を泳ぐのだろう。
 そうは思っても、あの鯉たちは鯉のぼり。一年中、空を泳ぎはしない。
(…今の季節に探しても…)
 何処の庭にも泳いではいない。季節外れも甚だしいから、竿さえも立っていない筈。
 鯉のぼりは端午の節句のものだし、春に青空を泳ぐもの。男の子が生まれた家の庭やら、小さな男の子がいる家の庭で。



 風見鶏も無ければ、吹き流しも無い自分の家。鯉のぼりだって、とうに卒業。あったことさえ、殆ど忘れていたくらい。真鯉も緋鯉も、子供の鯉も。
(風、見えないね…)
 ぼくの家では、と残念な気持ち。風見鶏も無いし、吹き流しも庭に無いのだから。
 木の葉や枝の揺れ方でしか、風の動きは分からない。どちらから吹いて来たのかも。葉を揺らす風が、南からの風か北風なのか、せわしなく向きを変えているかも。
 せっかく地球の風があるのに、青い地球の上にいるというのに。前の自分が焦がれた星に。
 海に行ったら、帆船だって走る星。帆に一杯の風をはらんで、青い海の上を何処までも。
 きっと素敵な旅なのだろう、帆に受けた風で進む海。思い通りに進めなくても、それも楽しい。
 追い風が吹かずに向かい風だとか、まるで無風で少しも走れはしないとか。
 そんな旅でも、今の時代は誰もが喜ぶ。先を急ぐなら、帆船などには乗らないから。帆船で旅をしたい人なら、風を待つのも旅の楽しみの内だから。
(シャングリラだと…)
 風待ちどころか、風向きだって少しも関係無かった船、と思ったけれど。
 アルテメシアの雲海の中に長く潜んだ白い鯨は、帆船とは違うと考えたけれど…。
(ちょっと待って…!)
 今のは間違い、とパチンと叩いた自分の頬っぺた。「忘れちゃってた」と、叱り付けて。
 白いシャングリラと、外の風向き。アルテメシアに吹いていた風。
 関係はちゃんとあったのだった。あの星の大気が生み出した風と、白い鯨の間には。
 いくら消えない雲海とはいえ、万一ということもある。風に吹かれて雲が流れて、雲海の場所が変わること。そうでなければ雲が千切れて、雲海が消えてしまうとか。
 白い鯨の隠れ場所だった、雲の海。其処から姿を見せてしまったら、人類に直ぐに発見される。レーダーに映りはしない船でも、目視されたらそれでおしまい。
(そうならないように、ちゃんと観測…)
 常に調べていた外の風向き。風はどちらに吹いているのか、この先はどう吹きそうかと。
 観測してデータを弾き出しては、より良い方へと取っていた進路。雲の海から出ないようにと。
 前のハーレイが指揮を執ったり、自ら舵を握ったりもして。



 キャプテンだった、前のハーレイ。白いシャングリラを纏める船長。
 まるで帆船の船長みたいに、いつだって風を読んでいた。データを睨んで、風向きを。これから先の風の行方を。
(今のハーレイだと…)
 もう風向きは気にしなくていい。船の舵など握っていないし、今ではただの古典の教師。向かい風だろうが、追い風だろうが、ただ風向きが変わるだけ。ハーレイの周りの大気の流れが。
 船を守るという役目が無ければ、風を眺めるのも好きになっただろうか?
 「いい風だよな」と風に吹かれて、その向きを追ってみたりもして。北風とか、南風だとか。
 どうなのかな、と考えていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合わせで訊いてみた。
「あのね…。ハーレイ、風を見るのは好き?」
「はあ? 風って…」
 何の風だ、と怪訝そうな顔になったハーレイ。「風と言っても色々あるが…」と。
「風は風だよ、風向きのこと。風見鶏とかで分かるでしょ?」
 どういう風が吹いているのか、どっちから吹く風なのか。ちゃんと目で見て。
「なんだ、そういう風のことか。本物の風向きのことなんだな」
 お前が言ってる風のこと。風見鶏とかで見えるんだったら、もう間違いなくそれだってな。
「え? 本物って…」
 風を見るなら、本物の風しかなさそうだけど…。今のハーレイだと。
 前のハーレイなら、シャングリラの中には人工の風があったけれどね。
 あれの他にも風があるの、とキョトンと瞳を見開いた。施設によっては、人工の風が吹いていることもありそうだけれど。…植物園の温室とかなら、必要があれば。
「知らないか? よく「風向きを見る」って言うだろ、様子見すること」
 みんなの意見がどっちに行くのか、自分はどちらにつくべきかと。あれも風だぞ。
 そっちの方かと思っちまった。いきなり「風を見るのは好きか」と訊かれりゃ、そうなるよな?
「風向きを見るって…、それは好きなの?」
「場合によるな。どちらかと言えば、あまり見たくはない方だ」
 自分の意見はきちんと話して、それが駄目なら諦める。様子見が楽しい時は別だが。



 何を食べるかなどでワイワイガヤガヤ、そういう時なら面白いという。どちらについても、別に困りはしないから。様子見していたハーレイの参加で風が変わっても、それも話の種だから。
「お前が言いさえしなければ、と苦情が出るのも愉快なもんだ」
 とんだ料理を食う羽目になった、と文句を言ってるヤツらの隣で、「これが美味い」と大喜びをしているヤツら。ああいうのを見ると、様子見をしてた甲斐があったと思っちまうわけで…。
 もっと真面目な会議とかだと、様子見なんぞは御免だがな。自分の意見は話すべきだし…。
 だが、本物の風は好きだぞ。風を見るのも。
 見なくても指で分かるんだがな、というハーレイの言葉で驚いた。
「指?」
 どうして風が指で分かるの、指に目なんかついていないよ?
 見なくても分かるって言うんだったら、指に目玉は無くてもいいんだろうけれど…。
 どうやるの、と瞬かせた瞳。風を見るには、目を使っても吹き流しとかが必要なのに。風見鶏や木の葉の動きを眺めて、ようやく風が見えてくるのに。
「俺は嘘なんかついちゃいないぞ、本当に指で分かるんだ」
 ガキの頃に親父に教わったんだが…。指を使った風向きの見方。
 指を濡らしてやればいいんだ、そうすりゃ指がひやっとする。風が吹いてくる方だけな。
 微かな風でも感じ取れるし、真っ暗な中でも役に立つ。サイオン無しでも、どう進んだら出口があるのか分かるから。
 たとえば、この部屋の中でも、だ…。そこの入口のドアをだな…。
 こう、と椅子から立って行って、ドアを細めに開けたハーレイ。「これで良し」と。
 それから笑顔で促された。「ちょっとやってみろ」と、「指を口に入れて濡らすんだ」と。
(ふうん…?)
 少し行儀が悪いけれども、ハーレイが「やれ」と命じたのだから、いいだろう。
 口に入れてみた右手の人差し指。温かい口の中で濡らして、そうっと指を引っ張り出したら…。
「あっ…!」
 風だ、と声を上げていた。
 ドアの方から冷たい風。頬にも微かに感じるけれど、濡れた指だとハッキリ分かった。ひやりと指を掠めた風。あちらからだ、とドアの側から吹いて来て。



 風だったよね、と見詰めた指。食べていたケーキの甘い味がついていそうだから、と洗面所まで洗いに出掛けて、戻って来る時も指は風を感じた。わざと水気を拭わずにおいた人差し指が。
(ぼくが動くから、向かい風…)
 歩く方から吹いて来るよ、と感心しながら戻った部屋。椅子に腰掛けて、ハーレイに言った。
「ドアは閉めたから、もう風なんか来ないけど…。凄いね、指で分かっちゃうんだ…」
 ちょっと濡らしたら、どっちから風が吹いて来るのか、ホントに簡単に分かるみたい。
 ハーレイのお父さん、いろんなことを知ってるね。釣りの時には役に立ちそう。
 前のハーレイだと、風向きを見るのが仕事だけれど…。趣味じゃなくって。
「どっちの風向きを見るのもな」
 船の中の様子も見なきゃならんし、本物の風も注意して見ておかないと…。
 両方とも俺の仕事だったぞ、キャプテンの大切な役目ってヤツだ。
 仲間たちの意見がどうなっているか、不平や不満が出ていないか。何か問題が起こりそうなら、どういった風に対処するのか、風向きをきちんと見なくちゃならん。俺が入るか、入らないか。
 キャプテンが出て行った方がいい時もあれば、放っておくのが最善って時もあるからな。
 本物の風だと、やっぱり俺の判断が決め手になっちまうから…。シャングリラの航路。
 あっちでもミスは出来やしないな、一つ間違えたら雲海の外に出ちまうんだし。
 実に大変な仕事だった、とハーレイが思い出すキャプテンの役目。風向きを見ること。
「じゃあ、仕事でなくなった今は幸せ?」
 本物の風を見るのは好きって言っていたでしょ、風を見ている時は幸せ?
 指を使って調べなくても、木の枝とかが揺れているだけでも…?
「そうだな、どういう風が来たって、庭の心配をする程度ってことになるんだし」
 たまにあるだろ、風が強くなりそうです、っていう天気予報。
 ああいう時には心配になるな、枝が折れなきゃいいんだが、と。
 鉢植えだったら家の中に入れてやれるんだがなあ、庭の木だとそれは出来ないから。
「そうだよね…。ママも時々、心配してるよ。「大丈夫かしら?」って」
 風が止んだら、急いで庭に出て行っちゃう。昼間だったら。
 夜の間に吹いた時には、朝一番だよ。折れちゃった枝や花があったら、取って来なくちゃ。
 放っておいたら萎れちゃうから、花瓶に生けて世話をしてるよ。折れた枝とかが元気な内に。



 前のハーレイの仕事は風を見るのが大変だったけれど、今のハーレイは風を見るのも好き。
 風が吹いても心配するのは庭くらいだ、と聞かされると尋ねてみたくなる。
「ねえ、ハーレイ…。今は風を見るのも大好きだったら、帆船の船長とかもやりたい?」
 あれなら風を使って航海出来るし、地球の海だし、楽しそうだよ?
 前とおんなじキャプテンだけれど、今の帆船ならシャングリラと違って観光用の船だもの。
 風が吹かなくて遅れちゃっても、誰も文句は言わないし…。
 ああいう船なら、舵だってきっと、シャングリラと同じで舵輪だものね。
 ハーレイ、やってみたいんじゃない、と興味津々。古典の教師のハーレイだけれど、前の記憶が戻った今なら、帆船の船長になってみたいかも、と。
「いや、風を読むのを仕事にしたいって所までは…」
 考えないなあ、風を見るのは好きだがな。こういう風が吹いて来たなら、天気が変わる、と風で天気の先を読むのも。…それも親父に仕込まれたんだが。
 そういや、風か…。
 風だったっけな、と僅かに翳った鳶色の瞳。楽しい話の筈なのに。
「どうかした?」
 ハーレイ、なんだか悲しそうだよ。…風を見るのは好きなんでしょ?
 だけど悲しい思い出でもあるの、風が吹いたら大事な何かが飛んじゃったとか…?
「そういうわけじゃないんだが…。今の俺じゃない、前の俺だな」
 風向きってヤツを、シャングリラが堂々と気にするようになった頃には、お前がだ…。
「前のぼく…?」
「お前、何処にもいなかったんだ。…船の何処にも」
 メギドに飛んで行ってしまって、それっきりだった。…二度と戻りやしなかった。
 それこそ風に持って行かれてしまったみたいに、俺の前から消えちまったんだ。
 風の匂いがしたお前はな。
 もっとも俺には、風の匂いってヤツが何だか、まるで分かっちゃいなかったんだが…。
 レインのヤツが何度も言うから、「そうか」と思っていただけで。
 今のお前と話をするまで、雨上がりの風の匂いだったとは、考えさえもしなかったがなあ…。



 あの匂いがした前のお前がいなかった、とハーレイがついた深い溜息。
 白いシャングリラにいた、風の匂いがしたソルジャー。そのソルジャーがもういなかった、と。
「前のぼくって…。なんだか変だよ、その話」
 シャングリラが風向きを気にしていたのは、いつもだよ?
 雲海が動いちゃったら困るし、消えてしまったら大変だし…。雲の中が隠れ場所だったから。
 いくらステルス・デバイスがあっても、目視されたらおしまいだものね。
 人類に姿を見られないよう、風向きを見ては航路を決めて…。いつもそうしていたじゃない。
 前のぼくがいなくなった後なら、もう隠れてはいなかったんだし…。
 風向きなんかは関係無いでしょ、堂々とって、何のことなの?
 人類と戦うと決めた船なら、風向きなんか見なくても…。
 良かった筈だよ、と指摘したのだけれども、ハーレイは「そうでもないぞ」と返して来た。
「気にしてた場所は、宙港だ」
 宙港ってヤツは今もあるだろ、今のお前は宇宙に出て行ったことは無いそうだが…。
 それじゃ気付いていそうにないしな、前のお前に訊いてみるとするか。
 お前、アルテメシアの宙港にも行っていただろう?
 人類軍の動きを見るとか、色々な用で降りていた筈だ。身体ごとでも、思念体でも。
 出掛けていたなら、知らないか?
 あそこにあった風向計を。
「えーっと…?」
 風向計って言ったら、風見鶏みたいなものだよね?
 風見鶏よりも、ずっと正確なんだけど…。それに飾りでもないんだけれど。
 そんなの見たかな、アルテメシアで…?
 風向計だよね、と傾げた首。前の自分の遠い記憶を手繰ってみる。
 アルテメシアにあった宙港、育英都市からは離れた所に。人類軍の船も使っていたから、子供が暮らす世界とは距離が取られていた。戦闘機などの物騒なものを、子供が見なくて済むように。
 その宙港で見たものの中に、風向計の記憶は無い、と思ったけれど。
 風向きを調べるための機械は、目にしていないと思うけれども。
(あったかな…?)
 広い宙港の端っこの方に。旅客ターミナルからは離れた所に、風向計。



 あったのかも、と記憶を探り当てたら、他にもあった。宙港のあちこち、宇宙船で旅をする人が立ち入らない場所。そういった所に風向計があって、風向きを観測していた筈。
「風向計…。確かにあったよ、忘れてたけど」
 前のぼくとは、関係無かったものだから…。風向計には用が無いしね、見に行ったって。
 あれがどうかしたの、前のぼくだった頃の記憶を引っ張り出させて、風向計って…?
 古い記憶が何の役に立つの、と掴めないハーレイの質問の意図。どうして風向計なのか。
「分からないか? 俺が言うのは風向計だぞ」
 いったい何に使うんだ、あれは?
 何をするために風向計が置いてあるんだ、そこの所を考えてみろ。
 風向計だ、と繰り返されても分からない。風見鶏よりも遥かに精度が高いもの、としか。
「んーと…?」
 あれって風向きを調べるものでしょ、風見鶏とかとおんなじで。…もっと正確なんだけど…。
 風見鶏だと、風向計みたいに沢山のデータを観測するのも無理だけど…。
「そいつが必要だったんだ。宙港という所には」
 理屈は帆船とかと変わらん、風向きや風の強さなんかが分かっていないと駄目なんだ。
 そういうデータは、宇宙船が宙港に降りる時には欠かせない。無論、離陸する時にもな。
 ギブリみたいな小型艇だと、必要不可欠と言ってもいい。より安全に発着したいのならば。
 シャングリラほどのデカブツになると、もはや関係無いんだが…。
 デカすぎるから、風の影響を受けるも何も…、とハーレイは苦笑するけれど。
 それでも管制官が指示したという。どのコースから降下するのか、何処へ降りるか。
「…シャングリラにも?」
 ミュウの船だよ、なのに管制官から指示って…。管制官は人類だよね…?
「当然だろうが。俺がキャプテンだった頃には、ミュウの管制官なんかはいない」
 アルテメシアを落とした時には、半ば強引に降りたんだが…。とにかく降りろ、と。
 しかし、それよりも後は、けっこう気にしていたもんだ。
 同じ降りるなら、友好的に、と。
 こういうコースで降下してくれ、と言って来たなら、出来るだけ聞いてやらんとな?
 それが人類のやり方なんだし、宙港に降りるルールなんだから。



 管制官たちの指示を受けてから、降下したというシャングリラ。…制圧した星の宙港に。
「ルール、きちんと守ってたんだ…」
 人類が守るためのルールで、シャングリラみたいに大きな船だと無関係でも。
 風の影響を受けたりしないで、どんな時でも降りられたのに…。
「ルールがあるなら、守るってことも必要だ。…それを守れる余裕がある時にはな」
 もっとも、ジョミーは「余計なことだ」と顔を顰めていたんだが…。
 「さっさと降りろ」と睨み付けられたこともあったが、船のキャプテンは俺なんだしな?
 知ったことか、と笑うハーレイは、風待ちをしたこともあるという。
 シャングリラには全く必要無いのに、降りようとしていた人類側の小型艇を優先してやって。
「そうなんだ…。その船、戦争をしてると知らずに来たんだね?」
 でなきゃ、到着前に戦争が始まっちゃったか。…それで降りられずに何処かで退避。
「そんなトコだな。他所の星とか基地に行くには、燃料不足だったんだろう」
 ただでも燃料が足りないだろうし、早く降ろしてやらないと…。条件が揃っているのなら。
 管制官はシャングリラを優先しようとしたがだ、「先に降ろせ」と返信させた。
 武装してない小型艇にまで、喧嘩を売らなくてもいいじゃないか。
 気付いた以上は、先に降ろしてやるべきだ、とハーレイが言うものだから。
「…そういうの、評価されてたかな?」
 人類はちゃんと分かってくれていたかな、ミュウが譲ってくれたこと。戦争してても、人類ってだけで、全員を敵だと思ってたわけじゃなかったこと…。
「評価して貰えたと思いたいがな、俺たちの気遣い。…待ってやった船と管制官には」
 そういや、人類軍の方だと…。相当に無茶をしていたようだな、航路を占有しちまったりして。
「航路って…。占有されたら、どうなっちゃうの?」
「降りられないんだ、もちろん離陸も出来ないってな」
 国家騎士団が使うから待て、と連絡される。…管制官から、全部の船舶に向けて。
「それじゃ、キースも?」
「当然のようにやってただろうな、偉くなってからは」
 ナスカに来た頃のあいつだったら、無理だったろうが…。
 あそこで特進しちまった後は、航路は占有するのが普通だっただろう。…何処へ行くにも。



 ノアでもそうしていただろうな、と話すハーレイ。ノアは当時の首都惑星だし、沢山の船が発着した筈の場所。其処をキースが出入りする度、航路が占有されたなら…。
「うーん…。キースの船が来たっていうだけで、大勢の人が迷惑しそう…」
 他の船の都合も考えないで、強引に発着するんだろうし…。飛べない船とか、降りられない船、山ほど出て来てしまいそう。…軍の船だと、予定なんか決めていないんだから。
 人類軍がそうしていたなら、シャングリラが風待ちしてたのは…。
 敵なのに行儀がいい船だよね、とハーレイに言った。「人類軍の方がずっと酷いよ」と。
「そうかもなあ…。降りるから他の船は全部引っ込めておけ、と言いはしなかったから…」
 もちろん飛び立つ時にしたって、航路を占有しちゃいない。他の船だって離着陸してた。
 あれは高評価だったのかもしれんな、前の俺はそこまで計算しちゃいなかったが…。
 人として判断してたってだけで、人類軍のヤツらと比べちゃいなかったんだが…。
 ミュウの船でも行儀がいい、と思っていたかもしれんな、管制官のヤツら。
 同じ時に宙港を発着していた、他の宇宙船に乗ってた客やパイロットも。
「流石、ハーレイ!」
 前のぼくは其処まで頼んでないのに、シャングリラにルールを守らせたんだね。
 地球に着くまで、何処の宙港に行った時でも、管制官たちにミュウの船が嫌われないように…。
 ありがとう、とピョコンと頭を下げた。前の自分がいなくなった後も、深い絶望と孤独の中でも頑張ってくれたキャプテンに。
「褒めて貰えて嬉しいが…。今のお前の言葉にしたって、もう充分に嬉しいんだが…」
 お前だったら、どうしてた?
 前のお前が生きていたなら、ソルジャー・ブルーがシャングリラで地球を目指していたら。
 手に入れた星に降りる時にだ、シャングリラの他にも小型艇が降下を待ってたら…。
 その小型艇を先に行かせて風待ちするか、ジョミーみたいに苦い顔をするか。
 「あんな船など待っていないで、さっさと降りろ」と俺を叱って。
 いったい、お前はどっちなんだ、と問い掛けられた。風待ちするのか、強引に行くか。
「…どうだろう…?」
 前のぼくだよね、シャングリラをそのまま待機させるか、降ろすのか。
 シャングリラよりもずっと小型で、風の影響を受けそうな船がいるのなら…。



 どうするだろう、と考えたけれど、きっと待たせたような気がする。
 前のハーレイに「待て」と指示して、小型艇が先に降りるまで。燃料に余裕が無いかもしれない小さな船なら、先に行かせてやりたいと思う。安全に降りられる条件が揃っている間に。
 相手は人類の船だけれども、武装していない民間船なら敵ではない。
 白いシャングリラの敵でさえもない小型艇。しかも乗員は一般人だし、シャングリラよりも先に降ろすべき。彼らが困らない内に。
(…だって、航路を占有されたら…)
 その間に風向きが変わったりしたら、暫く降りられないかもしれない。…燃料がどんどん減ってゆくのに、足りなくなるかもしれないのに。戦場と知らずにやって来たなら、有り得ること。
 燃料不足に陥ったならば、乗員の身にも危険が及ぶ。救助艇が飛び立ったとしても…。
(間に合うだろうけど、怖いよね…?)
 救助されるのを待っている間も、そうなる前に燃料がぐんぐんと減っていた時も。
 いくら人類でも、そんな目に遭わせたくはない。軍人でないなら、民間人が乗った船なら。
 ジョミーと違って、アルタミラなどで苦労し続け、文字通り何度も死にかけた自分。
 他の誰かに、同じ苦しみを味わわせたいとは思わない。…人類だとしても。
 何の罪も無い人類たちを、踏み躙って前へ進めはしない。
 シャングリラの降下を遅くするだけで、小型艇が無事に降りてゆけるなら、それでいい。
 きっと宇宙から見送るのだろう。「無事に降りた」と、「先に降ろしてやって良かった」と。
 それを見届けてから、シャングリラを降ろす。他にも似たような船がいないか、確かめてから。



 前の自分ならそうするだろう、と出て来た答え。人類の船を先に行かせる。
「ぼくだと、風待ち…。ハーレイがやっていたのと同じ」
 だけど、それだと地球に行くのは無理だと思う。
 風待ちと同じで、人類に気を遣いすぎちゃって…。戦いを始めることも出来なくて。
 ジョミーは風待ちをしないタイプで、だから地球まで行けたんだよ。
 人類を何人犠牲にしたって、地球まで辿り着かなくちゃ、って。…降伏して来た船だって全部、沈めたのがジョミーだったんだもの。
 ぼくだと駄目だよ、そこまで出来ない。どうしても甘くなってしまって。
 そのせいで地球まで行けないまま。…ホントに行けなかったんだけど。
 ジョミーよりもずっと長生きしていたのにね、と零した溜息。「ぼくには無理な道だった」と。
「性格の違いというヤツか…」
 お前、風待ちしすぎたんだな、様子見するっていう方の風を。
 風向きがミュウに味方するのを、じっと我慢して待ってる間に、寿命が尽きてしまった、と。
 前のお前は慎重すぎて…、とハーレイが口にする通り。前の自分は待っていただけ。
「うん、性格の違いだと思う…」
 強引に出ては行けなかったよ、前のぼくはね。…それが必要だと分かっていても。
 やっぱりジョミーでなくちゃ駄目だね、地球に行くには。
 ミュウに必要だったソルジャーはジョミーで、前のぼくだと時代の流れは変えられなくて…。
 戦いも始められなかったくらいに、甘すぎるソルジャーだったから。
「どうなんだかなあ…」
 そればっかりは謎だと思うぞ、ジョミーだけでもどうにもならん。
 トォニィたちが揃っていたって、シャングリラが無いとまるで話にならないし…。
 そのシャングリラを改造させたのは前のお前で、元になった船は何処から来たんだ?
 前のお前が、アルタミラから俺たちを脱出させていなけりゃ、何も始まりはしなかった。
 甘すぎるソルジャーだったとしてもだ、前のお前が全ての始まりなんだから。



 今の平和な世界があるのは時代の流れで、結局は風が決めたんじゃないのか、と今のハーレイは言うけれど。「甘すぎるソルジャーでも良かったんだ」と慰めてくれるのだけれど…。
「それは今だから言えることでしょ、ジョミーが頑張ってくれたから…」
 命懸けでSD体制を倒して、人類とミュウが一緒に暮らせる時代を作ってくれたから。
 …ジョミーだけじゃなくて、キースもだけれど。
 前のぼくは風待ちしていたけれども、風待ちっていうのは、し過ぎちゃっても駄目なんだよ。
 ジョミーくらいで丁度良くって、ハーレイは、ぼくとジョミーの中間。
「なんだ、そりゃ?」
 どうして俺の名前が出るんだ、とハーレイは不思議そうだけれども。
「本物の風待ち、してあげたんでしょ。…宙港でね」
 ジョミーが「行け」って怒っていたって、シャングリラを宇宙で待機させて。
 風待ちをしないと降りられない船が、安全に先に降りられるように。
 そんなハーレイが船にいたから、人類はミュウを嫌わずに受け入れてくれたのかも…。
 侵略者だけど、怖くはない、って。…ルールも守るし、人類軍より親切だ、ってね。
 航路を占有したりはしないし、逆に譲ってくれるんだから。
「まあ、その辺は俺も注意を払ったからなあ…」
 ジョミーが強引に行きたがる分、俺が重石にならないと、と。
 俺で抑えが利いてる間は、ジョミーはもちろん、他のヤツらにも目を配らんとな?
 トォニィたちが無茶をしようが、物騒な台詞を吐いていようが。
「ありがとう、ジョミーを支えてくれて」
 前のぼくがいなくなった後まで、いろんな所に気を配って…。人類にまでね。
「お前、そいつを頼んだしな?」
 ジョミーを支えてやってくれ、と言われたからには頑張るしかない。
 前のお前を失くしちまって、抜け殻みたいになっていたって、俺はキャプテンなんだから。
 お前の最後の頼みなんだし、何が何でも、叶えないとな…?



 そのためだけに俺は生きていたんだ、とハーレイは強調するけれど。
 ソルジャー・ブルーの最後の頼みを聞いただけだ、と今も繰り返し言うのだけれど。
「…頼まなくても、ハーレイならやってくれたでしょ?」
 ジョミーのことだけ頼んでいたのに、風待ちまでしてたハーレイだから。
 その方がきっといいだろうから、ってジョミーが「行け」って怒っていたって、放っておいて。
 頼んだ以上のことをやってくれたよ、とハーレイの瞳を覗き込んだ。
 「だから、ハーレイなら、きっと」と。
 ジョミーを支えてやってくれ、という言葉が無くても、色々なことをしてくれた筈、と。
「…俺の性格からして、そうなんだろうが…」
 そうなったろうが、貧乏クジな気がするな。前のお前を失くしちまっても、頑張るだなんて。
「好きだよ、ハーレイのそういう所」
 うんと優しいから、出来るんだよ。…前のハーレイも、今のハーレイも。
 だけど、今は風待ち、しなくていいね。帆船の船長もやっていないし、風待ちは無し。
「いや、しているが?」
 今も風待ちしているんだ、と返った答えに驚かされた。心当たりが何も無いから。
「待ってるって…。何の風待ち?」
「お前と結婚するってことだな、当分は此処で待機だってな」
 ちっとも風が吹きやしない、とハーレイは今も風待ち中。結婚という名の風が吹くのを。
「待たなくっても、結婚出来るよ?」
 ぼくは結婚、早くてもいいし、今すぐでもかまわないけれど…?
「お前、背丈も足りていないし、年もだろうが!」
 前のお前と同じ背丈に育つまではだ、キスも駄目だし、デートも駄目だ。
 それで結婚出来るのか?
 ついでに、年も足りていないぞ。お前、十四歳だろう?
 十八歳にならんと結婚出来んし、どう考えても俺は待機で、風待ちなんだ…!



 結婚出来る日はまだまだ先だ、と今のハーレイも風が吹くのを待っているらしい。
 今はまだ、見えもしない風。
 いつになったら吹いて来るのか、何処から来るかも分からない風を。
 その風がいつか、吹いて来たなら…。
(ハーレイと結婚式なんだよ…)
 真っ白なドレスか、白無垢を纏って結婚式。
 ハーレイと誓いのキスを交わして、左手の薬指に嵌める指輪を交換して。
 嵌める指輪が、白いシャングリラの思い出だといい。
 白い鯨だった金属から出来た、シャングリラ・リングを嵌められたらいい。
 前の生では、風を気にしていたキャプテン。
 アルテメシアの雲海の中でも、人類の宙港に降りる時にも。
 前はキャプテン・ハーレイだった人と、いつか結婚して幸せに暮らす。
 今も風待ちをしているという、前の生から愛し続けた愛おしい人と、青い地球の上で…。




           風と風待ち・了


※宇宙船が宙港に降りる時には、風向きも重要。シャングリラほどの船だと不要ですけど。
 それでも人類の船を先に降ろそう、と決断した前のハーレイ。ジョミーが不機嫌になっても。
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