シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
造花と本物
(本物そっくり…)
凄い、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
造花だという花たちの写真。様々な種類の花たちだけれど、本物と区別がつかないほど。写真のせいではないらしい。側で見ないと、造花だとは気付かないという。
植木鉢に植わった花にも驚きだけれど、透明な花瓶も凄かった。
(水まで入っているんだけど…)
その水までが作り物。本物の水とは違って塊、倒れても水は零れない。花瓶ごとゴトンと倒れるだけで、起こしてやれば元通り。これが本物の花瓶だったら、辺り一面、水浸しなのに。
満たした水も無事だけれども、花たちも無傷。倒れたはずみに花びらが傷むことはない。
(ペットを飼っている家に…)
お勧めらしい造花たち。
家の中で人間と一緒に暮らすペットは色々、中には悪戯者もいる。部屋をあちこち走り回って、花瓶を倒すことだって。テーブルにヒョイと飛び移ったら、代わりに花瓶が落っこちることも。
花瓶が倒れる事故の他にも、花たちを見舞う不幸な出来事。
(齧っちゃうんだ…)
小鳥が花を齧るのだったら分かるのだけれど。…花の蜜が好きで、吸う鳥たちも多いから。
そういう鳥とは食べ物の好みが全く異なる、猫や犬たち。彼らが齧ってしまう花。植木鉢のも、花瓶に生けてある花も。
(きっとオモチャで…)
食べたいわけではないだろう。美味しいとは思えない花びら。
人間だったら、食べるための花も栽培しているとはいえ、そのままで食べはしない筈。お菓子に入れたり、サラダにしたり、工夫を凝らして口に入れるもの。
人間でさえもそうなのだから、猫や犬たちが花を喜ぶわけがない。「美味しいよね」と。
つまり齧られる花はオモチャで、歯ごたえが楽しいだけのこと。端から毟って減ってゆくのも、愉快なのかもしれないけれど…。
それをやられたら、人間の方は肩を落として眺めるしかない。齧られてしまった花たちを。
倒されてしまう花瓶も困るし、蹴散らされる植木鉢だって。齧られて駄目になる花も。その手の悲劇を防ぐためにと、代わりに造花。本物そっくりに出来ているのを。
よく出来ている、と思った造花。今ではペットを飼っている家にお勧めだけれど…。
(元々は…)
違ったらしい、造花の歴史。新聞の記事は、そちらがメイン。どうして造花が生まれたのか。
SD体制が始まるよりも前の時代に、作り出された造花たち。
その原型はかなり古くて、人間が地球しか知らなかった時代に既に存在したという。本物の花が咲かない季節も、家の中で花を愛でられるように。
そうして生まれた造花だけれども、今もある形が完成したのは地球が滅びに向かう頃。
(材料、色々…)
どれが最適かを色々試して、選び出された特殊な布。花たちはそれで出来ている。
本物の花の色そっくりに自由自在に染めることが出来て、専用のコテで花びらなどの姿を作ってゆける布。カーブさせたり、縮れさせたり。
(緑が自然に育たなかったから…)
大気が汚染された地球では、特殊な設備を設けない限り、育てられなくなった植物。
緑の木々も、人間が食べるための野菜も、日々の暮らしに彩りを添える花たちも。それでも家に緑が欲しい、と作られたのが造花たち。
本物の花を育てることは、既に個人の家では難しかったから。
人間が暮らす家の中では育てられても、何種類もの花を植えようとしたら足りないスペース。
それでは花を絶やさないことは難しい。様々な花を、年中、咲かせておくことは。
(代わりに四季の花を作って、季節で入れ替え…)
今の季節はこの花が咲く頃だから、と生ける造花たち。春の花やら、秋の花やら。
造花だったら何種類でも作り出せるし、ふんだんに生けて楽しめる。花瓶から溢れそうなほど。本物の花では、もはや不可能になった贅沢を。
後は気分や場面に合わせて、好きに飾っていた造花たち。冬の最中でも、夏の花とか。
(今だって、やっているものね?)
もちろん本物の花だけれども、温室などで調整して。
緑が育たなくなった地球の人間も、それを造花でやっていた。暮らしに花は欠かせないから。
造花を作るのが主婦の仕事になっていたほど。
市販のものより、気の利いたものを。他所の家には無い花たちを、と作って生けて。
そうだったのか、と驚かされた造花の歴史。遠い昔は、本当に必要だった花たち。家でペットを飼っていなくても、花が欲しいと思うなら。…自分の家だけの花が欲しかったなら。
(ぼく、サイオンは不器用だけど…)
手先は器用な方なのだから、こういう花なら作れそう。専用の布を買って来て染めて、庭にある花の真似をして。「薔薇の花なら、こんな風」と。
前の自分は最強のサイオンを誇ったけれども、裁縫も下手な不器用さ。きっと造花も作れない。どう頑張っても、ソルジャー・ブルーだった前の自分には。
(これなら勝てるよ!)
造花作りの腕前だったら、前のぼくに、と考えたけれど。
サイオンではとても敵いはしない前の自分に、造花作りなら勝てる筈だと思ったけれど…。
(いつ作るわけ?)
ソルジャー・ブルーに勝てそうな造花。「ほらね」と作って誇らしげに。
作れるだろうと思うけれども、今の時代は造花作りはただの趣味。青く蘇った水の星では、緑は自然に育つもの。零れて地面に落ちた種でも、美しい花を咲かせるもの。
(特別な設備は何も要らなくて…)
野原でも、山でも、海辺に広がる砂浜でだって、植物たちが生きている。動物の影さえ見えない砂漠に行っても、其処に適応した植物たち。
(雨が降ったら、花畑だって…)
生まれるらしい、砂漠という場所。ほんの短い間だけ出来る、夢のような砂漠の中の花園。
そんな時代に造花をわざわざ作らなくても、花はいくらでも手に入る。家の庭でも、沢山の花を扱う花屋でも。…野原や山に咲く花が欲しいなら、其処へ出掛けてゆきさえすれば。
今だと造花は、趣味で作って楽しむもの。欠かせない場所があるとしたなら、ペットのいる家。この記事にも「お勧めです」と書かれているから、買っている人も多いだろう。
けれど…。
(ハーレイと暮らす家にペットは…)
多分いないし、造花の出番は全く無い。本物の花を生けた花瓶を蹴倒すペットがいないなら。
まるで必要ない造花などを、作っても褒めて貰えるかどうか。…あのハーレイに。
きっと上手に作れるだろうに。前の自分には作れそうにない、とても素敵なものなのに。
この写真のも作れそう、と眺めた新聞にある造花たち。本物そっくり、それを作ってハーレイに披露してみても…。
(綺麗に出来たな、って言われておしまい…)
そんな感じ、とガッカリしながら食べ終えたおやつ。新聞を閉じて二階の自分の部屋に戻って、造花のことを考える。勉強机の前に座って。
前の自分に勝てそうだけれど、作ってみても出番が全く無い造花。
家でペットを飼っていないなら、造花を飾る必要は無い。本物を飾っておけば済むこと。花瓶にドッサリ生けておいても、倒されることも、齧られることも無いのだから。
同じ花なら、造花よりも本物の花の方がいいに決まっている。地球の光や水が育てた花。生命の輝きをたっぷり宿した、本物の花が。
それに…。
(前のぼくが作っていないから…)
作った所で、比べようもない造花作りの腕前。今の自分の自己満足。「器用なんだよ」と。
前の自分が酷い出来のを作っていたなら、今度は見事な造花を作って威張れるのに。サイオンはまるで不器用だけれど、造花作りならソルジャー・ブルーに負けはしない、と。
(…比べるものが無いんだもの…)
どんなに上手に作り上げても、ハーレイに褒めて貰えるだけ。「頑張ったな」という程度。
今の自分の裁縫の腕なら、ハーレイも認めてくれたのだけれど。
(…今のお前は器用なもんだな、って…)
言って貰えた、裁縫の腕。取れかかっていたシャツのボタンを縫い付けた時に。
ハーレイのシャツの袖口についていたボタン。「取れかかってるよ」と気付いて言ったら、毟り取ろうとしたハーレイ。知らない間に取れてしまって、落として失くすと困るから。
「待って」と止めて、上手に縫い付けた。家庭科で使う裁縫セットで。
(前のぼくだと、失敗なんだよ)
ソルジャー・ブルーがやった大失敗。前のハーレイの上着の袖のほころび、それを直そうとして上手くいかなくて…。
(失敗したから、からかわれて…)
縫い目も針跡も無いシャツを作ってプレゼントした。スカボローフェアの恋歌のシャツを。歌に出て来る言葉通りに、縫い目も針跡も無い亜麻のシャツを見事に作り上げて。
前の自分がサイオンで作った奇跡のシャツ。縫い目も針跡も無かった亜麻のシャツはもう、今の自分には作れない。とことん不器用になったサイオン、前の自分の真似は出来ない。
けれど、今度は器用な手先。裁縫だって上手くなったし、前の自分よりも遥かに上。
(造花、ぼくなら作れそうなのに…)
きっと出来ると思うけれども、比べようもない前の自分の腕前の方。造花は作らなかったから。
ついでに、造花を作ってみたって、それの出番が無い始末。ペットを飼っていないのならば。
(迷子の子猫を見付けて飼っても…)
じきに飼い主が迎えに来る。小さな子猫が花に悪戯する前に。「造花にしなきゃ」と家中の花を取り替える前に、元の家に帰ってゆく子猫。お母さん猫がいる家へ。
(…造花の出番はホントに無さそう…)
残念だけど、と溜息を零していたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが来てくれたけれど、造花の腕前は自慢出来ない。まだ作ってもいないわけだし、これからも作る予定は無いし…。
考え込むから、途切れた言葉。テーブルを挟んで、向かい合わせで話していても。
「どうした、何か悩み事か?」
黙っちまって、とハーレイに尋ねられたから、思い切って言ってみることにした。
「ハーレイ、造花を知っている?」
「はあ?」
造花って何だ、いきなり何を言い出すんだ…?
分からんぞ、と瞬く鳶色の瞳。「造花がどうかしたのか?」と。
「造花だってば、本物そっくりに出来た花だよ。今日の新聞に載っていて…」
元々は地球が滅びそうだった時代に、緑が欲しくて造花を作ったらしいけど…。
今は本物の花があるから、ペットがいる家にお勧めだって。
ペットは花に悪戯するしね、と記事の受け売り。花瓶を倒したり、花を齧ったりするペット。
「ああ、あれなあ…!」
本物と区別がつかんヤツだな、すぐ側に行って観察しないと。葉っぱの虫食いまで真似るから。
俺の家にもあったっけな、とハーレイは顔を綻ばせた。
まだハーレイが子供だった頃で、隣町の家には猫のミーシャも。ハーレイの母が飼っていた猫、真っ白で甘えん坊だったミーシャ。
その頃だったら俺の家にもあったんだ、とハーレイは懐かしそうだから。
「あったの、造花?」
本物みたいに見える造花が、ハーレイの家にもあったわけ…?
「そりゃまあ、なあ…? ミーシャもやっぱり猫だから…」
甘えん坊でも、猫ってヤツには違いない。猫にしてみれば、飾ってある花はオモチャだしな?
人間様の都合なんかは考えないぞ、と言うだけあって、遊んで駄目にしてしまう花。
齧って花をボロボロにしたり、花瓶ごと引っくり返したり。
普段はそれでもいいのだけれども、来客があった時には困る。楽しんで貰おうと、玄関や客間に飾った花たち。それが台無しになったなら。…油断して目を離した隙に。
そうならないよう、用意されたのが造花たち。本物そっくりに出来ている花。
「…造花、お客様用の花だったんだ…」
いつも造花ってわけじゃなくって、お客様の時だけ飾る花…。
「おふくろは花が好きだからなあ、飾るのも、庭で育てるのも」
綺麗な花が咲いた時には、家の中でも見たいもんだし…。本物の花が一番だ。齧られてもな。
しかし、誰かが来るとなったら、齧られた花じゃみっともないし…。倒れた花瓶は論外だ。
それじゃマズイから、おふくろがせっせと作っていたぞ。
庭の花を切って来たように見せて、玄関や客間に造花ってな。
「ハーレイのお母さん、作れちゃうの?」
本物そっくりに見える造花を作っていたの…?
ミーシャが家にいた頃は、と丸くなった目。ハーレイの母が、造花作りの大先輩だなんて。腕のいい先輩がいるとなったら、挑戦するのもいいだろうか、と考えたのに…。
「すまん、言い方が悪かった。おふくろは生けていただけだってな」
「え?」
生けてただけって…。それじゃ、作っていたんじゃないの?
「そういうこった。お前も新聞で読んだんだろうが、ペットのいる家にお勧めだと」
おふくろだって知っていたから、セットになってる花を買わずに、色々なのを買ってだな…。
そいつを上手く生けていくんだ、花瓶とかに。
庭から切って来たばかりです、といった感じに見えるようにな。
ハーレイの母が買っていた造花。水が入っているように見える花瓶つきの花や、植木鉢がついているのは避けて。庭に咲いている季節の花と同じ種類のを、何本も。
来客の時は、ミーシャが齧りそうな場所には、そういう造花。大きな花瓶に沢山生けたり、一輪挿しに一輪だとか。
「ミーシャが齧ったりしないように造花…」
それに花瓶も、倒されちゃっても大丈夫なように。造花だったら水は要らないものね。
やっぱりペットがいないと駄目かあ…。家に造花を飾るのは…。
ハーレイの家にミーシャが住んでいた頃も、普段は本物の花を飾っていたみたいだし…。
「どうしたんだ、お前?」
やたらと造花を気にしているが、と覗き込んでくる鳶色の瞳。「欲しいのか?」と。
「えっとね…。読んでた記事に、作り方とか歴史が書いてあったから…」
前のぼくだと造花を作るのは無理そうだけれど、今のぼくなら作れそう、って…。
今なら裁縫もちゃんと出来るし、ああいう造花も作れそうだと思わない?
「なるほどな。前のお前は不器用だったし…」
裁縫の腕は不器用すぎて、俺の方が遥かにマシだったからな。お前が下手に努力するより、俺がやった方が早かったんだ。
前のお前が「出来る」と言い張った挙句に出来たの、縫い目も針跡も無いシャツだったから…。
俺にからかわれたのを根に持っちまって、仕返しに作り上げたっけな。
「そう。…前のぼくだと、ああいうことになっちゃうんだよ」
今のぼくはサイオンが不器用になってしまって、あんなシャツは作れないけれど…。
造花は上手に作れそうだよ、作り方をちゃんと覚えたら。
「だろうな、教室もあるそうだから」
今じゃ人気の趣味の一つで、通ってる人も多い筈だぞ。
本物の花を育てるのもいいが、ただの布から本物そっくりの花を作るのも楽しいらしい。
ちょいと工夫すりゃ、自分だけの花が作れるからな。
「だよね、庭に咲いてる花をお手本にすればいいんだから」
そういう教室に通って習えば、凄いのが作れそうだけど…。
でも…。
作っても家では出番が無いよ、と零れた溜息。いつかハーレイと暮らす家では、ペットは飼っていないだろうから。
「そうでしょ、ペットを飼おうっていう話は出てないし…」
ペットを飼ったら、ぼくはペットに嫉妬しちゃいそう。ハーレイが可愛がってるのを見て。
撫でて貰ったり、抱っこされてたり、ハーレイの膝に乗っかってたり…。
そんなのを見たら、「どいて」ってペットを放り出しそう。「ぼくの場所だよ」って。
「…やりかねないよな、お前だったら」
ミーシャに負けない甘えん坊だし、子猫相手でも本気で怒りそうではある。俺を盗られたと。
もっとも、俺の方でも同じことなんだがな。
お前がペットを飼い始めたなら、俺はペットに嫉妬するぞ。お前の愛情がそっちに向くから。
つまりだ、俺もお前も、ペットを飼うには不向きなんだよなあ…。
ちょっと預かるくらいならいいが、という話。誰かが留守にしている間に、預かるペット。
「そのくらいなら…。可愛いだろうし、じきに帰ってしまうんだから…」
ぼくも嫉妬はしないと思う。ハーレイを放って、夢中で世話していそうだけれど…。
だけど、ホントに少しの間だけだから…。造花が無いと、って思うほどではないものね…。
とても残念、と項垂れた。
造花を上手に作れそうな自分。前の自分よりも優れた部分を発見したのに、出番なしになる造花作りの腕前。いくら見事に作り上げても、飾るべき場所も場面も無いから。
「ふうむ…。造花作りの腕前なあ…」
お前が腕を誇りたいなら、場所を作ってやってもいいが。…どうやら家じゃ無理そうだしな。
俺もお前も、ペットを飼う気は無いんだから。
「場所って?」
どういう場所を作ってくれるの、ぼくたちの家じゃないのなら…?
ハーレイの学校とかなのかな、と首を傾げたら、「それに近いな」という返事。
「造花ってヤツは本物と違って頑丈だからな。夏の真っ盛りの暑い時でも萎れないし…」
カンカンと陽が照り付ける場所に飾っておいても、少しも傷みやしないから…。
今の俺は柔道部の顧問なんだが、赴任してゆく学校によっては、水泳部を任されることもある。
俺が水泳部の顧問になった時にだ、夏の大会用の花束をだな…。
造花で作ればいいじゃないか、というのがハーレイが用意してくれる場所。
暑い夏は水の季節なのだし、水泳の大会も開催される。その大会で好成績を収めた生徒が貰える花束。優勝はもちろん、自分の学校の水泳部の中では優れた戦果を挙げた生徒も。
会場になるプールが屋外だったら、燦々と降り注ぐ真夏の日射し。花束には過酷すぎる環境。
大会の間に萎れないよう、置かせて貰える部屋が設けてあるのだけれども、造花だったらプールサイドに飾っておいても萎れない。応援している生徒と一緒に、太陽の下。
「勝ったらコレだ、と花束を掲げて士気を鼓舞するわけだな」
応援ついでに振り回したって、造花は散ったりしないから…。丁度良さそうだぞ、大会用に。
俺が水泳部の顧問になったら頑張ってくれ、と注文された花束作り。造花を束ねて、真夏の太陽にも負けない花束。見た目は本物そっくりなのに、萎れる心配が無い花束。
「そういう風にしか使えないよね…。ぼくが造花を作っても」
ハーレイだって、あんまり褒めてくれそうにないし…。いくら上手に作っても。
大会用の花束だったら、生徒にあげてしまうんだから。
出来上がったら、直ぐに車に積んじゃいそう、と溜息をついた。ろくに眺めてくれもしないで、車のトランクに仕舞うハーレイ。トランクでなければ、後部座席に乗せるとか。
「お前なあ…。出番さえあれば、いいってわけではないんだな?」
だったら俺たちの家に飾ればいいじゃないか。腕前を披露したいのならば。
ペットなんぞは飼ってなくても、お前の趣味の作品ってことで。
そういう人も少なくないぞ、とハーレイは許してくれたのだけれど。本物の花を飾る代わりに、造花を幾つも飾っておいてもいいらしいけれど…。
「ぼくはあんまり楽しくないかも…。造花は作ってみたいけれどね」
家に飾っておくんだったら、本物の花が一番でしょ?
造花よりかは、本物だってば。
ああいう造花が出来た時代は、家に沢山の花を飾るんだったら、造花しか無かったんだけど…。
色々な花を育てたくても、個人の家でやるのは無理だったんだけど…。
今は好きなだけ育てられるよ、庭の花壇でも、鉢植えでも。
本物の花が山ほどあるのに、造花だなんて…。
自分では上手く育てられなくても、花屋さんに行ったら、花はいくらでもあるんだから。
本物があるのに造花なんて、と賛成出来ないハーレイの意見。
造花作りの腕はともかく、家に飾るなら、本物がいいと思うから。造花よりも断然、本物の花。
「だってそうでしょ、今のぼくたちは地球にいるんだよ?」
前のぼくたちが生きてた頃には、青い地球は何処にも無かったけれど…。
今は本物の青い地球だし、其処で育った花が一杯。…造花を飾るより、地球の花だよ。
本物の地球の花がいいよ、と反対意見を述べた。造花作りは魅力的でも、家に飾るための花なら本物。ペットが悪戯しないなら。齧ってしまうペットがいないのならば。
「そう来たか…。お前が言うのも、分からないではないんだが…」
おふくろがミーシャを飼ってた頃でも、普段は本物の花を飾っていたからな。
俺たちだけしか見ないんだったら、齧られていようが、花瓶ごと倒れて水浸しだろうが、問題は何も無いわけだから…。ミーシャはおふくろの猫だったんだし、おふくろがそれでいいのなら。
おふくろ、何度も拭いてたっけな、花瓶が引っくり返った床を。
それでも花は本物に限る、と家の誰もが思っていたから、造花は客が来る時だけでだな…。
待てよ、前のお前も同じことを言っていなかったか?
花は本物に限るってヤツだ、とハーレイが訊くから、キョトンとした。
「なに、それ?」
前のぼくが花の話だなんて、いつのことなの?
ぼくは少しも覚えていないよ、本物の花がいいなんて話をしたことは。
それに造花の話も知らない、問い返した言葉は嘘とは違う。本当に記憶に残っていないし、今の自分は何も知らない。前の自分が本当にそれを口にしたのか、そうでないのかも。
「いつだっけかな…」
ちょっと待ってくれ、俺の記憶もハッキリしてはいないんだ。
聞き覚えがあるな、と思った途端に、前のお前の顔が浮かんで来ただけで…。お前だった、と。
確かにお前だったと思うが、前後がサッパリ思い出せない。
本物の花に限るんだ、と言ったのは前のお前の筈だが…。いったい何処から花の話に…。
前のお前と花見なんかをしてはいないと思うんだがな?
花見ってヤツに出掛けようにも、前の俺たちにはシャングリラだけしか無かったし…。
花見に行くのは無理だったぞ、とハーレイは考え込んでいる。「いつの話だ?」と。
「造花と本物の花を比べていたってことはだ…」
本物の花の方が素敵だ、と前のお前は思ってたんだし、両方があった時代のことか…。
それとも、造花しか無かったか。…本物の花は、船には無くて。
「白い鯨になる前かな?」
あの頃だったら、花なんかは育てていないから…。改造直前の試験期間には、畑もあったけど。
それよりも前は、食料も物資も奪い取るもので、花は物資の中に紛れていた程度…。
本物も造花もたまに混ざっていたよね、食堂とかに飾っていたよ。
みんなが楽しめる場所に、と思い出す遠い昔のこと。あの時代に言った言葉だろう、と。
「そうだと思うが…。花が貴重な頃だったしな」
同じ花なら、本物の方がずっといい、と前のお前が言いそうな時代ではあった。花を奪って飾る余裕は無かった船だし、同じように物資に紛れてるんなら、本物がいいに決まってるしな。
いや、違う…!
白い鯨の時代だった、とハーレイがポンと手を打ったから、「まさか」と見開いた瞳。白い鯨になった船なら、花は充分あったから。どの公園にも、季節の花たち。
「白い鯨って…。ハーレイ、勘違いしていない?」
あの船だったら、花は沢山あったじゃない。造花なんかを作らなくても、いくらでも。
みんなが摘んで帰っちゃったら、すっかり無くなりそうだけれども…。
きちんとルールが決まっていたでしょ、摘んでいい花とか、駄目な花とか。
クローバーの花は摘み放題だよ、と逞しかった花の名前を挙げた。子供たちが摘んでは、花冠を作ってくれた。「ソルジャーにあげる」と、競うようにして。
薔薇や百合などの観賞用の花も、皆が集まる場所に飾るなら切っても良かった。切った後にも、充分な花が残るなら。
白いシャングリラには、幾つもあった花が咲く場所。
ブリッジが見える一番広い公園の他にも、居住区のあちこちに鏤められていた小さな公園。どの公園にも花が咲いたし、造花の出番は無かった筈。
前の自分が「本物の花に限る」と言い出さなくても、本物の花たちが船で育っていたのだから。
きっとハーレイの勘違いだ、と思った前の自分のこと。「本物の花の方がいい」と造花と比べていたのだったら、白い鯨になる前だろう、と。
けれどハーレイは、「間違えちゃいない」と自信たっぷり。「よく聞けよ?」と。
「本当に、白い鯨が出来上がってからの話だったんだ。俺はすっかり思い出したぞ」
船の公園で色々な花が育ち始めて、花があるのが普通になった。
公園は幾つもあったんだからな、何処かで花が咲いてるもんだ。花が終わった場所があっても。
お蔭で、みんなが花を眺めて、「いい時代だ」と喜ぶようになったんだが…。
どんなに花たちが愛されていても、場所によっては花は育てられない。飾ることもな。
此処にも花があればいいのに、と思いはしたって、無理な環境はあるもんだ。
花瓶や植木鉢を置いても、室温がやたらと高い場所では、アッと言う間に萎れてしまう。機関部とかだな、代表格は。
「…それで?」
花が無理だというのは分かるよ、機関部ならね。あそこには高温の場所も沢山あったから。
だけど、前のぼくとどう結び付くわけ、花には向かない場所の話が…?
「そういう所にも花を飾れないか、って声が出て来ちまって…」
花がある暮らしが普通になったら、人間、欲が出てくるってな。此処でも見たい、と。
公園や農場の係だったら、いつだって花は見放題だ。…だが、違う持ち場の仲間も多いから…。
何か方法が無いだろうか、とエラたちが検討し始めてだな…。
考え出したのが造花だった、という昔話。前の自分たちが、白いシャングリラで生きた頃。
人類の船から奪った物資で暮らした時代に、何度か目にしていたのが造花。コンテナに詰まった物資に紛れて、本物そっくりの造花もあった。
あれを作ろう、と思い付いたエラたち。
本物の花が無理な場所には、本物そっくりの造花がいい。造花だったら萎れはしないし、高温の場所でも枯れはしないで咲き続けるから。
データベースで調べた通りに作られた布。思い通りの色に染められて、造花を作ってゆける布。
専用のコテなどもきちんと揃えて、女性たちが器用に作った造花。
それは元々、女性の作業だったから。地球が滅びに向かう時代に、花たちで家を飾ろうと。
白いシャングリラの女性たちが始めた、本物そっくりの造花作り。公園に咲いた本物の花たちを参考にしては、薔薇も百合も見事に作り上げた。布を染めたり、コテを使ったりして。
後には子供たちも手伝うようになった、様々な造花を作ること。複雑なものは作れないけれど、簡単な花なら作れる子たちもいたものだから。
「お前、そいつに混ざり込んだんだ」
子供たちのための造花教室。…遊びを兼ねて開かれてたヤツに、「ぼくもやるよ」と。
ソルジャーお得意の我儘だってな、と笑うハーレイ。「子供たちと遊ぶのも仕事だったし」と。
「思い出した…!」
出来そうな気がしたんだってば、造花を作ることくらい…。
裁縫の腕とは関係無いしね、布を切ってコテで花びらとかに仕上げていくんだから。
小さな子だって作ってたんだし、ぼくにも出来ると思ったんだよ。
教室で教える花くらいなら…、と言ったけれども、そう思ったのは前の自分の勘違い。不器用な手でも作れるだろう、と勇んで参加してみたものの…。
「ソルジャー、大丈夫?」
ちゃんと花びら、作れそうなの、と覗き込んで来た子供たち。格闘中の前の自分の手許を。
「うん、多分…」
大丈夫だと思うけれど、と答えたものの、上手く扱えなかったコテ。こうだろうか、と花びらを曲げてゆこうとしたって、変な具合に曲がってしまう。とても花びらとは思えない風に。
「曲がっちゃったの? それ、直せない…?」
手伝ってあげる、と横から伸びて来た小さな手。「こう直すの」と、「コテをこう当てて」と。
下手くそな出来になっていたのを、それは器用に直してくれた子供たち。まだ小さいのに。
負けてたまるか、と何度も教室に参加したけれど、惨憺たる成績だったソルジャー。
いつも子供たちが手伝ってくれて、失敗したのを直してくれたり、助けたり。
どう頑張っても、一人では完成させられなかった造花たち。ごくごく基本の花さえも。
そんな有様だから、前のハーレイが青の間に来ては笑っていた。
「また失敗をなさったそうで」と。
造花教室が開かれることは、キャプテンも承知していたから。誰が教室に参加したかも、造花をきちんと仕上げることが出来たのかも。
キャプテンの所に届いた報告。造花教室を開催したこと、ソルジャー・ブルーが参加したこと。講師を務めた女性たちが律儀に報告したから、前の自分の失敗談は筒抜けだった。
ただし、女性たちの名誉のために言うなら、報告の中身はソルジャー・ブルーの失敗ではない。子供たちがソルジャーのために尽力したこと、そういう報告。
「どの子たちも、よく頑張りました」と。与えられた課題以上のことをやったと、他の参加者の分も手伝い、それは見事に完成させた、と。
女性たちはそう書いたのだけれど、前のハーレイには直ぐに分かった。「他の参加者」とは誰のことなのか、どうして手伝いが必要なのかも。
それをハーレイに笑われる度に、仏頂面で言っていた自分。
「造花なんてね…。あんなのは紛い物だから。そっくりに見えても、よく見たら布だ」
本物の花が一番なんだよ、布で出来てる花じゃない。自然が作った本物の花が最高なんだ。
この船に自然は無いと言っても、花の命までは作れないだろう?
だから自然の産物なんだよ、この船で咲く花たちも。…あれが本物で、同じ花でも全部違うよ。
本物の花たちを真似ようとするのが間違っているね、真似られないぼくが正しいんだ。
人間の身では神様の真似は出来ないだろう、と屁理屈ばかりこねていた。
「自然に敬意を抱いているから、本物そっくりの造花は作れない」と。
そっくりの造花を作るというのは、神と自然への冒涜だとも。
「お前、そう言ったわけなんだが…」
前のお前は確かに言ったぞ、造花作りに出掛けて失敗してくる度に。
俺が笑わずに教室のことを黙ってた時は、そんな話は全く出ては来なかったんだが…。
本物そっくりの造花が何処にあろうが、機関部の視察で目にしようがな。
「これは駄目だ」とは言わなかっただろうが、と今のハーレイが言う通り。
ソルジャーとキャプテン、その組み合わせで出掛けた視察。機関部に行くことも何度もあった。
其処で造花を目にした時には、「いいものだね」と語り合ったほど。
「こんな所にも、花を置こうと思える時代になって良かった」と。
皆の心に余裕が無ければ、花が欲しいとは思わないから。
本物の花が置けない場所でも、「造花でいいから花があれば」と考えたりはしないのだから。
白いシャングリラの機関部にあった、本物そっくりの様々な造花。季節に合わせて、替えていた造花。春らしい花が置かれていたり、高温の場所とも思えない冬の花があったり。
「前のお前は自然に敬意を抱いていたから、造花を作れなかったらしいが…」
いくら挑んでも、本物そっくりの造花作りは、ついに成功しなかったんだが…。
今のお前がそいつを作れるってことはだ、お前、自然に敬意を抱いていないのか?
青い水の星に戻った地球に来たのに、自然はどうでもいいってか…?
とても上手に造花を作れるらしいじゃないか、とハーレイが浮かべた意地の悪い笑み。前よりも上手に作れるのなら、自然への敬意が無いんだな、と。
「酷いよ、ハーレイ!」
それ、揚げ足を取るって言わない?
前のぼくが言ってたことを持ち出して、今のぼくと比べて苛めるだなんて…!
「これか? より正確に表現するなら、言葉尻を捉えると言うんだが…」
揚げ足を取るって言い方よりかは、そっちの方が正しいぞ、うん。
で、どうなっているんだ、今のお前の敬意の方は?
自然への敬意は前に比べて、どうしようもなく減っているのか…?
青い地球にまで来ておきながら…、と面白そうな顔で見ているハーレイ。「どうなんだ?」と。
「ちゃんと敬意を抱いてるってば…!」
前のぼくよりもずっと多いよ、本物の地球に来たんだから…!
テラフォーミングされた星じゃなくって、生き返った青い地球なんだから…!
「だったら、本物そっくりの造花ってヤツは、作らなくてもいいだろう」
ペットを飼ってて、必要になって来たというなら話は別だが…。
前のお前にも造花作りは無理だったんだし、今のお前が続きを頑張らなくてもな…?
無理をしなくてもいいじゃないか、とハーレイは明らかに楽しんでいる。造花作りのことを。
「前のぼくのは…。あの頃はホントに作れなかったわけで、今のぼくなら…!」
手先がずっと器用になったし、造花だって綺麗に作れるよ。きっと、本物そっくりに。
また教室に行って習えば、今度は本物そっくりの造花…。
「ほほう…? 本物そっくりに作れるとなると…」
自然への敬意ってヤツはどうした、前のお前が抱いていた敬意はどうなったんだ…?
今のお前の自然への敬意は、前のお前より劣るのか、とハーレイに苛められたから。
ソルジャー・ブルーだった頃にこねた屁理屈、それを持ち出されてしまったから。
(今のぼくなら、前のぼくより器用で凄い筈なのに…)
前は作れなかった造花を、本物そっくりに仕上げて自慢出来そうなのに。
「こんなに上手に作れたんだよ」と、ハーレイにも見せびらかしたいのに。
もしも器用に作り上げたら、自然への敬意がどうこうと言った、前の自分が足を引っ張る。
今の自分も自然に敬意を抱いているというのに、それが台無し。…前の自分の屁理屈のせいで。
(前のぼく…)
なんて余計なことを前のハーレイに言ったんだろう、と悔しいけれども、とうに手遅れ。
前の自分は訂正しないで死んでしまって、今のハーレイが思い出したから。
(生まれ変わるなんて、思わなかったし…)
不器用な手先が器用になるとも、まるで思っていなかったのだし、仕方ない。
前の自分に勝てるつもりが、無残に負けた。
造花作りなら、ソルジャー・ブルーだった頃の自分に、鮮やかに勝てる筈だったのに。
前よりもずっと見事に作って、「ぼくの勝ちだ」と誇れる筈だったのに…。
ソルジャー・ブルーは、今の自分に戦わずして勝ちを収めた。
不器用すぎた前の自分の必死の言い訳、それをハーレイが覚えていたから。
今の自分が造花を作ると、自然への敬意が無いことになってしまうから。
(…後悔先に立たず…)
ホントに先に立たなかったよ、と情けない気分。ハーレイのニヤニヤ笑いを前に。
今頃だなんてスケールの大きな後悔だよねと、前のぼくにも未来は見えなかったから、と…。
造花と本物・了
※造花作りなら前の自分に勝てる、と思ったブルー。それは間違いなかったのですが…。
前のブルーが失敗する度、こねていた屁理屈。今のブルーには、造花を作ることは無理そう。
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凄い、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
造花だという花たちの写真。様々な種類の花たちだけれど、本物と区別がつかないほど。写真のせいではないらしい。側で見ないと、造花だとは気付かないという。
植木鉢に植わった花にも驚きだけれど、透明な花瓶も凄かった。
(水まで入っているんだけど…)
その水までが作り物。本物の水とは違って塊、倒れても水は零れない。花瓶ごとゴトンと倒れるだけで、起こしてやれば元通り。これが本物の花瓶だったら、辺り一面、水浸しなのに。
満たした水も無事だけれども、花たちも無傷。倒れたはずみに花びらが傷むことはない。
(ペットを飼っている家に…)
お勧めらしい造花たち。
家の中で人間と一緒に暮らすペットは色々、中には悪戯者もいる。部屋をあちこち走り回って、花瓶を倒すことだって。テーブルにヒョイと飛び移ったら、代わりに花瓶が落っこちることも。
花瓶が倒れる事故の他にも、花たちを見舞う不幸な出来事。
(齧っちゃうんだ…)
小鳥が花を齧るのだったら分かるのだけれど。…花の蜜が好きで、吸う鳥たちも多いから。
そういう鳥とは食べ物の好みが全く異なる、猫や犬たち。彼らが齧ってしまう花。植木鉢のも、花瓶に生けてある花も。
(きっとオモチャで…)
食べたいわけではないだろう。美味しいとは思えない花びら。
人間だったら、食べるための花も栽培しているとはいえ、そのままで食べはしない筈。お菓子に入れたり、サラダにしたり、工夫を凝らして口に入れるもの。
人間でさえもそうなのだから、猫や犬たちが花を喜ぶわけがない。「美味しいよね」と。
つまり齧られる花はオモチャで、歯ごたえが楽しいだけのこと。端から毟って減ってゆくのも、愉快なのかもしれないけれど…。
それをやられたら、人間の方は肩を落として眺めるしかない。齧られてしまった花たちを。
倒されてしまう花瓶も困るし、蹴散らされる植木鉢だって。齧られて駄目になる花も。その手の悲劇を防ぐためにと、代わりに造花。本物そっくりに出来ているのを。
よく出来ている、と思った造花。今ではペットを飼っている家にお勧めだけれど…。
(元々は…)
違ったらしい、造花の歴史。新聞の記事は、そちらがメイン。どうして造花が生まれたのか。
SD体制が始まるよりも前の時代に、作り出された造花たち。
その原型はかなり古くて、人間が地球しか知らなかった時代に既に存在したという。本物の花が咲かない季節も、家の中で花を愛でられるように。
そうして生まれた造花だけれども、今もある形が完成したのは地球が滅びに向かう頃。
(材料、色々…)
どれが最適かを色々試して、選び出された特殊な布。花たちはそれで出来ている。
本物の花の色そっくりに自由自在に染めることが出来て、専用のコテで花びらなどの姿を作ってゆける布。カーブさせたり、縮れさせたり。
(緑が自然に育たなかったから…)
大気が汚染された地球では、特殊な設備を設けない限り、育てられなくなった植物。
緑の木々も、人間が食べるための野菜も、日々の暮らしに彩りを添える花たちも。それでも家に緑が欲しい、と作られたのが造花たち。
本物の花を育てることは、既に個人の家では難しかったから。
人間が暮らす家の中では育てられても、何種類もの花を植えようとしたら足りないスペース。
それでは花を絶やさないことは難しい。様々な花を、年中、咲かせておくことは。
(代わりに四季の花を作って、季節で入れ替え…)
今の季節はこの花が咲く頃だから、と生ける造花たち。春の花やら、秋の花やら。
造花だったら何種類でも作り出せるし、ふんだんに生けて楽しめる。花瓶から溢れそうなほど。本物の花では、もはや不可能になった贅沢を。
後は気分や場面に合わせて、好きに飾っていた造花たち。冬の最中でも、夏の花とか。
(今だって、やっているものね?)
もちろん本物の花だけれども、温室などで調整して。
緑が育たなくなった地球の人間も、それを造花でやっていた。暮らしに花は欠かせないから。
造花を作るのが主婦の仕事になっていたほど。
市販のものより、気の利いたものを。他所の家には無い花たちを、と作って生けて。
そうだったのか、と驚かされた造花の歴史。遠い昔は、本当に必要だった花たち。家でペットを飼っていなくても、花が欲しいと思うなら。…自分の家だけの花が欲しかったなら。
(ぼく、サイオンは不器用だけど…)
手先は器用な方なのだから、こういう花なら作れそう。専用の布を買って来て染めて、庭にある花の真似をして。「薔薇の花なら、こんな風」と。
前の自分は最強のサイオンを誇ったけれども、裁縫も下手な不器用さ。きっと造花も作れない。どう頑張っても、ソルジャー・ブルーだった前の自分には。
(これなら勝てるよ!)
造花作りの腕前だったら、前のぼくに、と考えたけれど。
サイオンではとても敵いはしない前の自分に、造花作りなら勝てる筈だと思ったけれど…。
(いつ作るわけ?)
ソルジャー・ブルーに勝てそうな造花。「ほらね」と作って誇らしげに。
作れるだろうと思うけれども、今の時代は造花作りはただの趣味。青く蘇った水の星では、緑は自然に育つもの。零れて地面に落ちた種でも、美しい花を咲かせるもの。
(特別な設備は何も要らなくて…)
野原でも、山でも、海辺に広がる砂浜でだって、植物たちが生きている。動物の影さえ見えない砂漠に行っても、其処に適応した植物たち。
(雨が降ったら、花畑だって…)
生まれるらしい、砂漠という場所。ほんの短い間だけ出来る、夢のような砂漠の中の花園。
そんな時代に造花をわざわざ作らなくても、花はいくらでも手に入る。家の庭でも、沢山の花を扱う花屋でも。…野原や山に咲く花が欲しいなら、其処へ出掛けてゆきさえすれば。
今だと造花は、趣味で作って楽しむもの。欠かせない場所があるとしたなら、ペットのいる家。この記事にも「お勧めです」と書かれているから、買っている人も多いだろう。
けれど…。
(ハーレイと暮らす家にペットは…)
多分いないし、造花の出番は全く無い。本物の花を生けた花瓶を蹴倒すペットがいないなら。
まるで必要ない造花などを、作っても褒めて貰えるかどうか。…あのハーレイに。
きっと上手に作れるだろうに。前の自分には作れそうにない、とても素敵なものなのに。
この写真のも作れそう、と眺めた新聞にある造花たち。本物そっくり、それを作ってハーレイに披露してみても…。
(綺麗に出来たな、って言われておしまい…)
そんな感じ、とガッカリしながら食べ終えたおやつ。新聞を閉じて二階の自分の部屋に戻って、造花のことを考える。勉強机の前に座って。
前の自分に勝てそうだけれど、作ってみても出番が全く無い造花。
家でペットを飼っていないなら、造花を飾る必要は無い。本物を飾っておけば済むこと。花瓶にドッサリ生けておいても、倒されることも、齧られることも無いのだから。
同じ花なら、造花よりも本物の花の方がいいに決まっている。地球の光や水が育てた花。生命の輝きをたっぷり宿した、本物の花が。
それに…。
(前のぼくが作っていないから…)
作った所で、比べようもない造花作りの腕前。今の自分の自己満足。「器用なんだよ」と。
前の自分が酷い出来のを作っていたなら、今度は見事な造花を作って威張れるのに。サイオンはまるで不器用だけれど、造花作りならソルジャー・ブルーに負けはしない、と。
(…比べるものが無いんだもの…)
どんなに上手に作り上げても、ハーレイに褒めて貰えるだけ。「頑張ったな」という程度。
今の自分の裁縫の腕なら、ハーレイも認めてくれたのだけれど。
(…今のお前は器用なもんだな、って…)
言って貰えた、裁縫の腕。取れかかっていたシャツのボタンを縫い付けた時に。
ハーレイのシャツの袖口についていたボタン。「取れかかってるよ」と気付いて言ったら、毟り取ろうとしたハーレイ。知らない間に取れてしまって、落として失くすと困るから。
「待って」と止めて、上手に縫い付けた。家庭科で使う裁縫セットで。
(前のぼくだと、失敗なんだよ)
ソルジャー・ブルーがやった大失敗。前のハーレイの上着の袖のほころび、それを直そうとして上手くいかなくて…。
(失敗したから、からかわれて…)
縫い目も針跡も無いシャツを作ってプレゼントした。スカボローフェアの恋歌のシャツを。歌に出て来る言葉通りに、縫い目も針跡も無い亜麻のシャツを見事に作り上げて。
前の自分がサイオンで作った奇跡のシャツ。縫い目も針跡も無かった亜麻のシャツはもう、今の自分には作れない。とことん不器用になったサイオン、前の自分の真似は出来ない。
けれど、今度は器用な手先。裁縫だって上手くなったし、前の自分よりも遥かに上。
(造花、ぼくなら作れそうなのに…)
きっと出来ると思うけれども、比べようもない前の自分の腕前の方。造花は作らなかったから。
ついでに、造花を作ってみたって、それの出番が無い始末。ペットを飼っていないのならば。
(迷子の子猫を見付けて飼っても…)
じきに飼い主が迎えに来る。小さな子猫が花に悪戯する前に。「造花にしなきゃ」と家中の花を取り替える前に、元の家に帰ってゆく子猫。お母さん猫がいる家へ。
(…造花の出番はホントに無さそう…)
残念だけど、と溜息を零していたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが来てくれたけれど、造花の腕前は自慢出来ない。まだ作ってもいないわけだし、これからも作る予定は無いし…。
考え込むから、途切れた言葉。テーブルを挟んで、向かい合わせで話していても。
「どうした、何か悩み事か?」
黙っちまって、とハーレイに尋ねられたから、思い切って言ってみることにした。
「ハーレイ、造花を知っている?」
「はあ?」
造花って何だ、いきなり何を言い出すんだ…?
分からんぞ、と瞬く鳶色の瞳。「造花がどうかしたのか?」と。
「造花だってば、本物そっくりに出来た花だよ。今日の新聞に載っていて…」
元々は地球が滅びそうだった時代に、緑が欲しくて造花を作ったらしいけど…。
今は本物の花があるから、ペットがいる家にお勧めだって。
ペットは花に悪戯するしね、と記事の受け売り。花瓶を倒したり、花を齧ったりするペット。
「ああ、あれなあ…!」
本物と区別がつかんヤツだな、すぐ側に行って観察しないと。葉っぱの虫食いまで真似るから。
俺の家にもあったっけな、とハーレイは顔を綻ばせた。
まだハーレイが子供だった頃で、隣町の家には猫のミーシャも。ハーレイの母が飼っていた猫、真っ白で甘えん坊だったミーシャ。
その頃だったら俺の家にもあったんだ、とハーレイは懐かしそうだから。
「あったの、造花?」
本物みたいに見える造花が、ハーレイの家にもあったわけ…?
「そりゃまあ、なあ…? ミーシャもやっぱり猫だから…」
甘えん坊でも、猫ってヤツには違いない。猫にしてみれば、飾ってある花はオモチャだしな?
人間様の都合なんかは考えないぞ、と言うだけあって、遊んで駄目にしてしまう花。
齧って花をボロボロにしたり、花瓶ごと引っくり返したり。
普段はそれでもいいのだけれども、来客があった時には困る。楽しんで貰おうと、玄関や客間に飾った花たち。それが台無しになったなら。…油断して目を離した隙に。
そうならないよう、用意されたのが造花たち。本物そっくりに出来ている花。
「…造花、お客様用の花だったんだ…」
いつも造花ってわけじゃなくって、お客様の時だけ飾る花…。
「おふくろは花が好きだからなあ、飾るのも、庭で育てるのも」
綺麗な花が咲いた時には、家の中でも見たいもんだし…。本物の花が一番だ。齧られてもな。
しかし、誰かが来るとなったら、齧られた花じゃみっともないし…。倒れた花瓶は論外だ。
それじゃマズイから、おふくろがせっせと作っていたぞ。
庭の花を切って来たように見せて、玄関や客間に造花ってな。
「ハーレイのお母さん、作れちゃうの?」
本物そっくりに見える造花を作っていたの…?
ミーシャが家にいた頃は、と丸くなった目。ハーレイの母が、造花作りの大先輩だなんて。腕のいい先輩がいるとなったら、挑戦するのもいいだろうか、と考えたのに…。
「すまん、言い方が悪かった。おふくろは生けていただけだってな」
「え?」
生けてただけって…。それじゃ、作っていたんじゃないの?
「そういうこった。お前も新聞で読んだんだろうが、ペットのいる家にお勧めだと」
おふくろだって知っていたから、セットになってる花を買わずに、色々なのを買ってだな…。
そいつを上手く生けていくんだ、花瓶とかに。
庭から切って来たばかりです、といった感じに見えるようにな。
ハーレイの母が買っていた造花。水が入っているように見える花瓶つきの花や、植木鉢がついているのは避けて。庭に咲いている季節の花と同じ種類のを、何本も。
来客の時は、ミーシャが齧りそうな場所には、そういう造花。大きな花瓶に沢山生けたり、一輪挿しに一輪だとか。
「ミーシャが齧ったりしないように造花…」
それに花瓶も、倒されちゃっても大丈夫なように。造花だったら水は要らないものね。
やっぱりペットがいないと駄目かあ…。家に造花を飾るのは…。
ハーレイの家にミーシャが住んでいた頃も、普段は本物の花を飾っていたみたいだし…。
「どうしたんだ、お前?」
やたらと造花を気にしているが、と覗き込んでくる鳶色の瞳。「欲しいのか?」と。
「えっとね…。読んでた記事に、作り方とか歴史が書いてあったから…」
前のぼくだと造花を作るのは無理そうだけれど、今のぼくなら作れそう、って…。
今なら裁縫もちゃんと出来るし、ああいう造花も作れそうだと思わない?
「なるほどな。前のお前は不器用だったし…」
裁縫の腕は不器用すぎて、俺の方が遥かにマシだったからな。お前が下手に努力するより、俺がやった方が早かったんだ。
前のお前が「出来る」と言い張った挙句に出来たの、縫い目も針跡も無いシャツだったから…。
俺にからかわれたのを根に持っちまって、仕返しに作り上げたっけな。
「そう。…前のぼくだと、ああいうことになっちゃうんだよ」
今のぼくはサイオンが不器用になってしまって、あんなシャツは作れないけれど…。
造花は上手に作れそうだよ、作り方をちゃんと覚えたら。
「だろうな、教室もあるそうだから」
今じゃ人気の趣味の一つで、通ってる人も多い筈だぞ。
本物の花を育てるのもいいが、ただの布から本物そっくりの花を作るのも楽しいらしい。
ちょいと工夫すりゃ、自分だけの花が作れるからな。
「だよね、庭に咲いてる花をお手本にすればいいんだから」
そういう教室に通って習えば、凄いのが作れそうだけど…。
でも…。
作っても家では出番が無いよ、と零れた溜息。いつかハーレイと暮らす家では、ペットは飼っていないだろうから。
「そうでしょ、ペットを飼おうっていう話は出てないし…」
ペットを飼ったら、ぼくはペットに嫉妬しちゃいそう。ハーレイが可愛がってるのを見て。
撫でて貰ったり、抱っこされてたり、ハーレイの膝に乗っかってたり…。
そんなのを見たら、「どいて」ってペットを放り出しそう。「ぼくの場所だよ」って。
「…やりかねないよな、お前だったら」
ミーシャに負けない甘えん坊だし、子猫相手でも本気で怒りそうではある。俺を盗られたと。
もっとも、俺の方でも同じことなんだがな。
お前がペットを飼い始めたなら、俺はペットに嫉妬するぞ。お前の愛情がそっちに向くから。
つまりだ、俺もお前も、ペットを飼うには不向きなんだよなあ…。
ちょっと預かるくらいならいいが、という話。誰かが留守にしている間に、預かるペット。
「そのくらいなら…。可愛いだろうし、じきに帰ってしまうんだから…」
ぼくも嫉妬はしないと思う。ハーレイを放って、夢中で世話していそうだけれど…。
だけど、ホントに少しの間だけだから…。造花が無いと、って思うほどではないものね…。
とても残念、と項垂れた。
造花を上手に作れそうな自分。前の自分よりも優れた部分を発見したのに、出番なしになる造花作りの腕前。いくら見事に作り上げても、飾るべき場所も場面も無いから。
「ふうむ…。造花作りの腕前なあ…」
お前が腕を誇りたいなら、場所を作ってやってもいいが。…どうやら家じゃ無理そうだしな。
俺もお前も、ペットを飼う気は無いんだから。
「場所って?」
どういう場所を作ってくれるの、ぼくたちの家じゃないのなら…?
ハーレイの学校とかなのかな、と首を傾げたら、「それに近いな」という返事。
「造花ってヤツは本物と違って頑丈だからな。夏の真っ盛りの暑い時でも萎れないし…」
カンカンと陽が照り付ける場所に飾っておいても、少しも傷みやしないから…。
今の俺は柔道部の顧問なんだが、赴任してゆく学校によっては、水泳部を任されることもある。
俺が水泳部の顧問になった時にだ、夏の大会用の花束をだな…。
造花で作ればいいじゃないか、というのがハーレイが用意してくれる場所。
暑い夏は水の季節なのだし、水泳の大会も開催される。その大会で好成績を収めた生徒が貰える花束。優勝はもちろん、自分の学校の水泳部の中では優れた戦果を挙げた生徒も。
会場になるプールが屋外だったら、燦々と降り注ぐ真夏の日射し。花束には過酷すぎる環境。
大会の間に萎れないよう、置かせて貰える部屋が設けてあるのだけれども、造花だったらプールサイドに飾っておいても萎れない。応援している生徒と一緒に、太陽の下。
「勝ったらコレだ、と花束を掲げて士気を鼓舞するわけだな」
応援ついでに振り回したって、造花は散ったりしないから…。丁度良さそうだぞ、大会用に。
俺が水泳部の顧問になったら頑張ってくれ、と注文された花束作り。造花を束ねて、真夏の太陽にも負けない花束。見た目は本物そっくりなのに、萎れる心配が無い花束。
「そういう風にしか使えないよね…。ぼくが造花を作っても」
ハーレイだって、あんまり褒めてくれそうにないし…。いくら上手に作っても。
大会用の花束だったら、生徒にあげてしまうんだから。
出来上がったら、直ぐに車に積んじゃいそう、と溜息をついた。ろくに眺めてくれもしないで、車のトランクに仕舞うハーレイ。トランクでなければ、後部座席に乗せるとか。
「お前なあ…。出番さえあれば、いいってわけではないんだな?」
だったら俺たちの家に飾ればいいじゃないか。腕前を披露したいのならば。
ペットなんぞは飼ってなくても、お前の趣味の作品ってことで。
そういう人も少なくないぞ、とハーレイは許してくれたのだけれど。本物の花を飾る代わりに、造花を幾つも飾っておいてもいいらしいけれど…。
「ぼくはあんまり楽しくないかも…。造花は作ってみたいけれどね」
家に飾っておくんだったら、本物の花が一番でしょ?
造花よりかは、本物だってば。
ああいう造花が出来た時代は、家に沢山の花を飾るんだったら、造花しか無かったんだけど…。
色々な花を育てたくても、個人の家でやるのは無理だったんだけど…。
今は好きなだけ育てられるよ、庭の花壇でも、鉢植えでも。
本物の花が山ほどあるのに、造花だなんて…。
自分では上手く育てられなくても、花屋さんに行ったら、花はいくらでもあるんだから。
本物があるのに造花なんて、と賛成出来ないハーレイの意見。
造花作りの腕はともかく、家に飾るなら、本物がいいと思うから。造花よりも断然、本物の花。
「だってそうでしょ、今のぼくたちは地球にいるんだよ?」
前のぼくたちが生きてた頃には、青い地球は何処にも無かったけれど…。
今は本物の青い地球だし、其処で育った花が一杯。…造花を飾るより、地球の花だよ。
本物の地球の花がいいよ、と反対意見を述べた。造花作りは魅力的でも、家に飾るための花なら本物。ペットが悪戯しないなら。齧ってしまうペットがいないのならば。
「そう来たか…。お前が言うのも、分からないではないんだが…」
おふくろがミーシャを飼ってた頃でも、普段は本物の花を飾っていたからな。
俺たちだけしか見ないんだったら、齧られていようが、花瓶ごと倒れて水浸しだろうが、問題は何も無いわけだから…。ミーシャはおふくろの猫だったんだし、おふくろがそれでいいのなら。
おふくろ、何度も拭いてたっけな、花瓶が引っくり返った床を。
それでも花は本物に限る、と家の誰もが思っていたから、造花は客が来る時だけでだな…。
待てよ、前のお前も同じことを言っていなかったか?
花は本物に限るってヤツだ、とハーレイが訊くから、キョトンとした。
「なに、それ?」
前のぼくが花の話だなんて、いつのことなの?
ぼくは少しも覚えていないよ、本物の花がいいなんて話をしたことは。
それに造花の話も知らない、問い返した言葉は嘘とは違う。本当に記憶に残っていないし、今の自分は何も知らない。前の自分が本当にそれを口にしたのか、そうでないのかも。
「いつだっけかな…」
ちょっと待ってくれ、俺の記憶もハッキリしてはいないんだ。
聞き覚えがあるな、と思った途端に、前のお前の顔が浮かんで来ただけで…。お前だった、と。
確かにお前だったと思うが、前後がサッパリ思い出せない。
本物の花に限るんだ、と言ったのは前のお前の筈だが…。いったい何処から花の話に…。
前のお前と花見なんかをしてはいないと思うんだがな?
花見ってヤツに出掛けようにも、前の俺たちにはシャングリラだけしか無かったし…。
花見に行くのは無理だったぞ、とハーレイは考え込んでいる。「いつの話だ?」と。
「造花と本物の花を比べていたってことはだ…」
本物の花の方が素敵だ、と前のお前は思ってたんだし、両方があった時代のことか…。
それとも、造花しか無かったか。…本物の花は、船には無くて。
「白い鯨になる前かな?」
あの頃だったら、花なんかは育てていないから…。改造直前の試験期間には、畑もあったけど。
それよりも前は、食料も物資も奪い取るもので、花は物資の中に紛れていた程度…。
本物も造花もたまに混ざっていたよね、食堂とかに飾っていたよ。
みんなが楽しめる場所に、と思い出す遠い昔のこと。あの時代に言った言葉だろう、と。
「そうだと思うが…。花が貴重な頃だったしな」
同じ花なら、本物の方がずっといい、と前のお前が言いそうな時代ではあった。花を奪って飾る余裕は無かった船だし、同じように物資に紛れてるんなら、本物がいいに決まってるしな。
いや、違う…!
白い鯨の時代だった、とハーレイがポンと手を打ったから、「まさか」と見開いた瞳。白い鯨になった船なら、花は充分あったから。どの公園にも、季節の花たち。
「白い鯨って…。ハーレイ、勘違いしていない?」
あの船だったら、花は沢山あったじゃない。造花なんかを作らなくても、いくらでも。
みんなが摘んで帰っちゃったら、すっかり無くなりそうだけれども…。
きちんとルールが決まっていたでしょ、摘んでいい花とか、駄目な花とか。
クローバーの花は摘み放題だよ、と逞しかった花の名前を挙げた。子供たちが摘んでは、花冠を作ってくれた。「ソルジャーにあげる」と、競うようにして。
薔薇や百合などの観賞用の花も、皆が集まる場所に飾るなら切っても良かった。切った後にも、充分な花が残るなら。
白いシャングリラには、幾つもあった花が咲く場所。
ブリッジが見える一番広い公園の他にも、居住区のあちこちに鏤められていた小さな公園。どの公園にも花が咲いたし、造花の出番は無かった筈。
前の自分が「本物の花に限る」と言い出さなくても、本物の花たちが船で育っていたのだから。
きっとハーレイの勘違いだ、と思った前の自分のこと。「本物の花の方がいい」と造花と比べていたのだったら、白い鯨になる前だろう、と。
けれどハーレイは、「間違えちゃいない」と自信たっぷり。「よく聞けよ?」と。
「本当に、白い鯨が出来上がってからの話だったんだ。俺はすっかり思い出したぞ」
船の公園で色々な花が育ち始めて、花があるのが普通になった。
公園は幾つもあったんだからな、何処かで花が咲いてるもんだ。花が終わった場所があっても。
お蔭で、みんなが花を眺めて、「いい時代だ」と喜ぶようになったんだが…。
どんなに花たちが愛されていても、場所によっては花は育てられない。飾ることもな。
此処にも花があればいいのに、と思いはしたって、無理な環境はあるもんだ。
花瓶や植木鉢を置いても、室温がやたらと高い場所では、アッと言う間に萎れてしまう。機関部とかだな、代表格は。
「…それで?」
花が無理だというのは分かるよ、機関部ならね。あそこには高温の場所も沢山あったから。
だけど、前のぼくとどう結び付くわけ、花には向かない場所の話が…?
「そういう所にも花を飾れないか、って声が出て来ちまって…」
花がある暮らしが普通になったら、人間、欲が出てくるってな。此処でも見たい、と。
公園や農場の係だったら、いつだって花は見放題だ。…だが、違う持ち場の仲間も多いから…。
何か方法が無いだろうか、とエラたちが検討し始めてだな…。
考え出したのが造花だった、という昔話。前の自分たちが、白いシャングリラで生きた頃。
人類の船から奪った物資で暮らした時代に、何度か目にしていたのが造花。コンテナに詰まった物資に紛れて、本物そっくりの造花もあった。
あれを作ろう、と思い付いたエラたち。
本物の花が無理な場所には、本物そっくりの造花がいい。造花だったら萎れはしないし、高温の場所でも枯れはしないで咲き続けるから。
データベースで調べた通りに作られた布。思い通りの色に染められて、造花を作ってゆける布。
専用のコテなどもきちんと揃えて、女性たちが器用に作った造花。
それは元々、女性の作業だったから。地球が滅びに向かう時代に、花たちで家を飾ろうと。
白いシャングリラの女性たちが始めた、本物そっくりの造花作り。公園に咲いた本物の花たちを参考にしては、薔薇も百合も見事に作り上げた。布を染めたり、コテを使ったりして。
後には子供たちも手伝うようになった、様々な造花を作ること。複雑なものは作れないけれど、簡単な花なら作れる子たちもいたものだから。
「お前、そいつに混ざり込んだんだ」
子供たちのための造花教室。…遊びを兼ねて開かれてたヤツに、「ぼくもやるよ」と。
ソルジャーお得意の我儘だってな、と笑うハーレイ。「子供たちと遊ぶのも仕事だったし」と。
「思い出した…!」
出来そうな気がしたんだってば、造花を作ることくらい…。
裁縫の腕とは関係無いしね、布を切ってコテで花びらとかに仕上げていくんだから。
小さな子だって作ってたんだし、ぼくにも出来ると思ったんだよ。
教室で教える花くらいなら…、と言ったけれども、そう思ったのは前の自分の勘違い。不器用な手でも作れるだろう、と勇んで参加してみたものの…。
「ソルジャー、大丈夫?」
ちゃんと花びら、作れそうなの、と覗き込んで来た子供たち。格闘中の前の自分の手許を。
「うん、多分…」
大丈夫だと思うけれど、と答えたものの、上手く扱えなかったコテ。こうだろうか、と花びらを曲げてゆこうとしたって、変な具合に曲がってしまう。とても花びらとは思えない風に。
「曲がっちゃったの? それ、直せない…?」
手伝ってあげる、と横から伸びて来た小さな手。「こう直すの」と、「コテをこう当てて」と。
下手くそな出来になっていたのを、それは器用に直してくれた子供たち。まだ小さいのに。
負けてたまるか、と何度も教室に参加したけれど、惨憺たる成績だったソルジャー。
いつも子供たちが手伝ってくれて、失敗したのを直してくれたり、助けたり。
どう頑張っても、一人では完成させられなかった造花たち。ごくごく基本の花さえも。
そんな有様だから、前のハーレイが青の間に来ては笑っていた。
「また失敗をなさったそうで」と。
造花教室が開かれることは、キャプテンも承知していたから。誰が教室に参加したかも、造花をきちんと仕上げることが出来たのかも。
キャプテンの所に届いた報告。造花教室を開催したこと、ソルジャー・ブルーが参加したこと。講師を務めた女性たちが律儀に報告したから、前の自分の失敗談は筒抜けだった。
ただし、女性たちの名誉のために言うなら、報告の中身はソルジャー・ブルーの失敗ではない。子供たちがソルジャーのために尽力したこと、そういう報告。
「どの子たちも、よく頑張りました」と。与えられた課題以上のことをやったと、他の参加者の分も手伝い、それは見事に完成させた、と。
女性たちはそう書いたのだけれど、前のハーレイには直ぐに分かった。「他の参加者」とは誰のことなのか、どうして手伝いが必要なのかも。
それをハーレイに笑われる度に、仏頂面で言っていた自分。
「造花なんてね…。あんなのは紛い物だから。そっくりに見えても、よく見たら布だ」
本物の花が一番なんだよ、布で出来てる花じゃない。自然が作った本物の花が最高なんだ。
この船に自然は無いと言っても、花の命までは作れないだろう?
だから自然の産物なんだよ、この船で咲く花たちも。…あれが本物で、同じ花でも全部違うよ。
本物の花たちを真似ようとするのが間違っているね、真似られないぼくが正しいんだ。
人間の身では神様の真似は出来ないだろう、と屁理屈ばかりこねていた。
「自然に敬意を抱いているから、本物そっくりの造花は作れない」と。
そっくりの造花を作るというのは、神と自然への冒涜だとも。
「お前、そう言ったわけなんだが…」
前のお前は確かに言ったぞ、造花作りに出掛けて失敗してくる度に。
俺が笑わずに教室のことを黙ってた時は、そんな話は全く出ては来なかったんだが…。
本物そっくりの造花が何処にあろうが、機関部の視察で目にしようがな。
「これは駄目だ」とは言わなかっただろうが、と今のハーレイが言う通り。
ソルジャーとキャプテン、その組み合わせで出掛けた視察。機関部に行くことも何度もあった。
其処で造花を目にした時には、「いいものだね」と語り合ったほど。
「こんな所にも、花を置こうと思える時代になって良かった」と。
皆の心に余裕が無ければ、花が欲しいとは思わないから。
本物の花が置けない場所でも、「造花でいいから花があれば」と考えたりはしないのだから。
白いシャングリラの機関部にあった、本物そっくりの様々な造花。季節に合わせて、替えていた造花。春らしい花が置かれていたり、高温の場所とも思えない冬の花があったり。
「前のお前は自然に敬意を抱いていたから、造花を作れなかったらしいが…」
いくら挑んでも、本物そっくりの造花作りは、ついに成功しなかったんだが…。
今のお前がそいつを作れるってことはだ、お前、自然に敬意を抱いていないのか?
青い水の星に戻った地球に来たのに、自然はどうでもいいってか…?
とても上手に造花を作れるらしいじゃないか、とハーレイが浮かべた意地の悪い笑み。前よりも上手に作れるのなら、自然への敬意が無いんだな、と。
「酷いよ、ハーレイ!」
それ、揚げ足を取るって言わない?
前のぼくが言ってたことを持ち出して、今のぼくと比べて苛めるだなんて…!
「これか? より正確に表現するなら、言葉尻を捉えると言うんだが…」
揚げ足を取るって言い方よりかは、そっちの方が正しいぞ、うん。
で、どうなっているんだ、今のお前の敬意の方は?
自然への敬意は前に比べて、どうしようもなく減っているのか…?
青い地球にまで来ておきながら…、と面白そうな顔で見ているハーレイ。「どうなんだ?」と。
「ちゃんと敬意を抱いてるってば…!」
前のぼくよりもずっと多いよ、本物の地球に来たんだから…!
テラフォーミングされた星じゃなくって、生き返った青い地球なんだから…!
「だったら、本物そっくりの造花ってヤツは、作らなくてもいいだろう」
ペットを飼ってて、必要になって来たというなら話は別だが…。
前のお前にも造花作りは無理だったんだし、今のお前が続きを頑張らなくてもな…?
無理をしなくてもいいじゃないか、とハーレイは明らかに楽しんでいる。造花作りのことを。
「前のぼくのは…。あの頃はホントに作れなかったわけで、今のぼくなら…!」
手先がずっと器用になったし、造花だって綺麗に作れるよ。きっと、本物そっくりに。
また教室に行って習えば、今度は本物そっくりの造花…。
「ほほう…? 本物そっくりに作れるとなると…」
自然への敬意ってヤツはどうした、前のお前が抱いていた敬意はどうなったんだ…?
今のお前の自然への敬意は、前のお前より劣るのか、とハーレイに苛められたから。
ソルジャー・ブルーだった頃にこねた屁理屈、それを持ち出されてしまったから。
(今のぼくなら、前のぼくより器用で凄い筈なのに…)
前は作れなかった造花を、本物そっくりに仕上げて自慢出来そうなのに。
「こんなに上手に作れたんだよ」と、ハーレイにも見せびらかしたいのに。
もしも器用に作り上げたら、自然への敬意がどうこうと言った、前の自分が足を引っ張る。
今の自分も自然に敬意を抱いているというのに、それが台無し。…前の自分の屁理屈のせいで。
(前のぼく…)
なんて余計なことを前のハーレイに言ったんだろう、と悔しいけれども、とうに手遅れ。
前の自分は訂正しないで死んでしまって、今のハーレイが思い出したから。
(生まれ変わるなんて、思わなかったし…)
不器用な手先が器用になるとも、まるで思っていなかったのだし、仕方ない。
前の自分に勝てるつもりが、無残に負けた。
造花作りなら、ソルジャー・ブルーだった頃の自分に、鮮やかに勝てる筈だったのに。
前よりもずっと見事に作って、「ぼくの勝ちだ」と誇れる筈だったのに…。
ソルジャー・ブルーは、今の自分に戦わずして勝ちを収めた。
不器用すぎた前の自分の必死の言い訳、それをハーレイが覚えていたから。
今の自分が造花を作ると、自然への敬意が無いことになってしまうから。
(…後悔先に立たず…)
ホントに先に立たなかったよ、と情けない気分。ハーレイのニヤニヤ笑いを前に。
今頃だなんてスケールの大きな後悔だよねと、前のぼくにも未来は見えなかったから、と…。
造花と本物・了
※造花作りなら前の自分に勝てる、と思ったブルー。それは間違いなかったのですが…。
前のブルーが失敗する度、こねていた屁理屈。今のブルーには、造花を作ることは無理そう。
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