シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
恵みの雨
(レインちゃん…)
あのレインだよ、とブルーが眺めた新聞の写真。学校から帰って、おやつの時間に。
遠く遥かな時の彼方で、ジョミーがペットにしていたレイン。青い毛皮のナキネズミ。レインが新聞にいるのだけれども、同じ名前だというだけのこと。あのレインと。
新聞でお馴染み、自慢のペットの紹介コーナー。其処に掲載されているレイン。でも…。
(似てるの、青い所だけ…)
其処だけだよね、と見詰めたペット。セキセイインコのレインちゃん。水色の羽根は、レインにそっくり。毛皮か羽根かというだけの違い、ただし姿はまるで別物。セキセイインコは鳥だから。
飼い主の指に止まった写真。つぶらな瞳のレインちゃん。
添えられた文に「恵みの雨のレインです」と書いてあるから、間違いなくレイン。ナキネズミのレインも、名前の由来はそうだった。
(セキセイインコなら、肩に乗ったりするもんね?)
きちんと手乗りに育ててやったら、ナキネズミのレインがそうだったように。いつもジョミーの肩に乗っていたレイン、今の時代も写真が幾つも残っている。
セキセイインコのレインはといえば、手乗りでお喋りもするらしい。本物のレインも話すことが出来た。思念波を使って、人間と。
(お喋りさせたくて、レインって名前にしたのかな?)
そうかもしれない、と飼い主の気持ちを想像してみる。「青いからレインじゃないかもね」と。
セキセイインコは色々なのだ、と鳥に詳しい友達に聞いた。下の学校に通っていた頃に。
喋る種類の鳥は多いけれど、セキセイインコは「喋るのもいる」という程度。教えさえすれば、喋るわけではないらしい。どんなに頑張って教えても。
(ちっとも言葉を覚えないのも、手乗りになってくれないのも…)
珍しくないのがセキセイインコ。手乗りにしようと育ててみたって、途中で失敗するだとか。
それで「レイン」と名付けただろうか、「あの有名なレインみたいに仲良くしたい」と。
(レインちゃんは上手くいってるよね?)
ちゃんと手乗りで、飼い主の指と一緒に写っているのがその証拠。お喋りもすると書かれている記事、新聞の中から声は聞こえて来なくても。レインちゃんの声はしなくても。
飼い主の人が願った通りに、ナキネズミのように育った青いセキセイインコ。名前はレイン。
(ナキネズミはもう、いないけど…)
本物のナキネズミは時の流れに消えてしまって、何処にもいない。前の自分たちが作った動物、それがナキネズミだったから。…自然に生まれた動物とは違うものだったから。
(繁殖力が衰えていって、消えちゃった…)
絶滅の危機に瀕していた時、人間は理由に気が付いていた。どうすれば絶滅を防げるかにも。
けれど滅びを止めるためには、遺伝子レベルでの操作が必要。元気な個体を交配したって、もう戻らない繁殖力。ただ衰えてゆくだけで。
それを無理やり元に戻すのは不自然だ、と判断したのがナキネズミを調べた研究者たち。人間が生命に手を加えることは許されない、と。
(ナキネズミはもう、必要の無い時代だったから…)
このまま見守るだけにしよう、と獣医も飼育係も思った。最後の一匹が消えて行っても、彼らが幸せならいいと。ナキネズミの役目はもう終わったから、と。
(最後のナキネズミも、きっと幸せ…)
人間と一緒に仲良く暮らして、思念波を使ってお喋りをして。我儘も言って。
もしかしたら最後にいたナキネズミは、自分を「人だ」と思い込んで生きていたかもしれない。他に仲間を知らないのならば、「ちょっと姿が違う人間」といった具合で。
そういう動物は多いらしいから。犬でも猫でも、鳥なんかでも。
(人が育てたら、自分も人だと思っちゃうんだよ)
鏡を覗いて自分の姿が映っていたって、「誰なの?」という顔をするペット。同じ種類の仲間に会っても、知らんぷり。なにしろ自分は「人間」なのだし、「こんな仲間は知らないよ」と。
(レインちゃんだって、そうかもね?)
生まれた時から人間と一緒で、手乗りだから。お喋りもするセキセイインコだから。
今の時代は幸せなレインたちがいる。ジョミーのペットだったレインよりも、ずっと。
青い地球の上で暮らすレインや、他の星で暮らしているレインやら。
新聞で出会ったセキセイインコのレインの他にも、きっと沢山。
犬やら猫やら、いろんな動物、色々な姿のレインが生きているのだろう。広い宇宙に何匹も。
なんと言っても、「レイン」は人気の名前だから。
人間の子供の名前はともかく、ペットの方では大人気。ジョミーと暮らしたレインのお蔭で。
この町だけでも何匹も暮らしていそうなレイン。ナキネズミのレインと同じ名前のペットたち。種類も様々だろうけれども、犬や猫よりセキセイインコがレインっぽいかな、と考えながら戻った二階の部屋。おやつを美味しく食べ終えた後で。
勉強机の前に座って、さっきの写真を思い浮かべる。青いセキセイインコのレイン。他の色々な動物よりも、ナキネズミに一番近そうな感じ。見た目だったら、リスの方が近いのだけれど。
(思念波じゃないけど、セキセイインコは喋るから…)
それに青くて、手乗りだから肩にも乗っかってくれる。本物のナキネズミがしていたように。
あの飼い主は上手に名前をつけたよね、と感心しきり。レインのように育てたかったか、羽根の色でレインに決めたのか。どちらにしたって、今では立派に「レインみたいなペット」。
同じ名前はペットの名前で人気だけれども、本物のレインを思わせるものは、そうそういないと思うから。喋って、肩にも乗っかってくれて、青い色を纏っているレイン。
セキセイインコのレインは上出来、と思ったけれど。とてもお似合いだと思うけれども。
(…インコじゃなくって、本物のレイン…)
本家本元のレインの方は、気の毒なことに名前を持っていなかった。青い毛皮のナキネズミは。
ずっとジョミーと暮らしていたのに、レインは名前を貰わないまま。
赤いナスカで、トォニィが生まれたその日まで。自分の名前を「お前」だと皆に名乗るまで。
(お前からトォニィにおめでとう、って…)
そう言ったのがナキネズミ。
SD体制が始まって以来、初めての自然出産で生まれたトォニィに。「おめでとう」と。
誰もがトォニィを、母のカリナを祝福するから、ナキネズミだってお祝いしたい。生まれて来た子に、父のユウイが「トォニィ」と名付けたばかりの子供にあげたい「おめでとう」の言葉。
だからナキネズミが紡いだ思念。「赤ちゃんトォニィ、おめでとう」と。
尻尾を振って、トォニィを祝福したナキネズミ。「お前からトォニィにおめでとう、言う」と、何処かおかしな言い回しで。
「お前とは誰のことだろう?」と誰もが思うし、トォニィの母のカリナも思った。
それでカリナが尋ねた名前。「あなた、名前、無いの?」と。まさか、とそれは不思議そうに。
そしたら答えが、「ぼく、名前、お前」。自分の名前は「お前」だと信じていたナキネズミ。
カリナが「それは名前じゃないわ」と言うまで。ジョミーに名前を確認するまで。
誰もが呆れた、名前が無かったナキネズミ。「そりゃ酷いな」と皆が失笑したという。ジョミーときたら、「名前…。つけていなかったっけ」と言ったものだから。
最初から名前が無かったのなら、「お前」にだってなるだろう。ナキネズミの名前。ジョミーも含めて皆が呼ぶのだし、「ぼくの名前は、「お前」なんだ」と。
(名前が無くって、「お前」だなんて…)
あんまりだよね、と可哀想すぎて溜息が出そう。自分の名前を「お前」だと思っていたレイン。十三年もジョミーの側にいたのに、名無しのままで暮らしたなんて。
(今日のペットのコーナーだって…)
セキセイインコのレインの他にも、色々な名前のペットたち。可愛い名前や、かっこいい名前。今のハーレイの母が飼っていた真っ白な猫にも、「ミーシャ」という名前があったのに。
ペットを飼うなら、名前は基本。一番最初に名付けるもの。
(誰かに貰って来たペットでも…)
子猫や子犬を貰って来たって、誰だって名前を付けたがる。「この子の名前は…」と飼っていた家での名前を聞いても、「こっちがいい」と新しい名前を付けるとか。
(イメージじゃないのって、あるもんね?)
こうです、と教えて貰っても。血統書には別の名前があっても、ピンと来ないなら新しい名前。これがいい、と思った名前をつけてやったら、ペットの方でも覚えるから。
(レインの時だって、そうだったのに…)
名前が無かったナキネズミ。それは考えがあったから。…前の自分に。
とうに見付けていたジョミー。青の間から思念で探る間に、「この子だ」と思った後継者。前の自分の命が尽きたら、代わりにミュウを導く子供。白いシャングリラに迎え入れて。
(…ジョミーほど強い子供なら…)
そう簡単にユニバーサルには発見されない。深層心理検査をしようが、ミュウとはバレない。
ただ、その分だけ、厄介なことも生まれるもの。
強すぎるジョミーは、まるで自覚が無いだろうから。「自分は変だ」と気付きもしないで、成人検査に臨む筈。其処で自分が妨害したって、やはり同じに気が付かないまま。異分子なことに。
ミュウの母船に迎え入れても、きっと「異分子」なのだろう。自分がミュウだと悟らないなら、白いシャングリラは箱舟どころか、ジョミーにとっては冷たい牢獄。
そうなるだろう、と前の自分は読んでいた。ジョミーをシャングリラに連れて来たって、きっと馴染みはしないだろうと。あまりにも「人類」に近すぎる子供なのだから。
(そうならないように、ナキネズミ…)
思念波を上手く操れない子供のためにと、白いシャングリラで作り出したのがナキネズミ。側にいるだけで思念を中継してくれるのだし、コミュニケーションの役に立つ、と。
それをジョミーに与えておいたら、その内に分かってくれる筈。シャングリラで暮らすミュウの思考も、ジョミー自身も「思念波を持ったミュウ」の一人であることも。
(ナキネズミを一匹、ジョミーのペットにしなくっちゃ、って…)
船に来たジョミーが孤立しないよう、最初からナキネズミを側に。自然な形で出会った後には、一緒に船に来るように。
そう計算して、地上に降ろしたナキネズミ。名前はあえてつけないままで。
ジョミーのペットになるのだから、と最初から名前は与えなかった。シャングリラで生まれて、すくすく育つ間にも。「この子には名前をつけないように」と、飼育係たちにも命じて。
(きっとジョミーが、素敵な名前をつけるだろうし…)
好みの名前もあるだろうから、名前をつけずにおいたのに。
最初から持っている名前があったら、ジョミーの方でも遠慮するだろうと考えた上で、名無しのままにしておいたのに。
(ジョミー、名前をつけるどころか…)
なんという名前か、尋ねることさえしなかった。
ドリームワールドにあった小さな檻から、自分が逃がしたナキネズミに。自分と一緒に小型艇に乗って、シャングリラまで来たナキネズミに。
ジョミーのことを恋しがるから、とリオが渡して、文字通り「ペット」になった後にも、一度も訊いたりしなかったジョミー。「お前、名前は?」と。後に「お前」になったレインに。
たった一言、質問したなら、「名前?」と首を傾げたろうに。まだ幼かったナキネズミは。
(ナキネズミ、けっこう長生きだから…)
身体は育って一人前でも、ジョミーのペットになった頃には中身は子供。
きっとその頃に尋ねられても、「ぼく、お前」と答えただろう。人類の世界でも、ナキネズミに名前は無かったから。誰も名付けはしなかったから。
ジョミーが「名前は?」と訊きさえしたなら、名前を貰えたナキネズミ。「ぼく、お前」という答えを聞いたら、ジョミーも笑っただろうから。「それは名前じゃないと思うよ」と。
ナキネズミの名前を尋ねなくても、「これでいいかな?」と名前の候補。ジョミーがつけたいと思う名前が、ナキネズミにも喜んで貰えるかどうか。
そんな具合に、名付けただろうと思っていた。ペットになったナキネズミに。
きっとシャングリラに来てから直ぐに。「家に帰せ」と直訴した挙句、船を出てゆくより前に。
(前のぼくでも、其処までは気が付かないよ…)
ジョミーには気を配っていたのだけれども、側に置かせた、あのナキネズミの名前にまでは。
成人検査を妨害した疲れで、殆ど眠っていたのだから。青の間のベッドに横たわって。
(…ジョミーが船から出て行った後は…)
生きて戻れはしないだろう、と覚悟して後を追い掛けた自分。アルテメシアの遥か上空まで。
ジョミーのお蔭で船に戻れても、それからはずっと臥せっていた。あの状態では、ナキネズミの名前のことまではとても…、と考えたけれど。
其処まで気を配る余裕など無いし、余力だって無いと思ったけれど。
(ジョミーが連れて来てたっけ…)
前の自分が暮らした青の間。ベッドから起き上がれないほどに弱っていた頃も、ジョミーが顔を出した時にはナキネズミが一緒。大抵の時は、肩に乗っかって。
そう、何回も連れて来ていた「お前」。レインではなかった、名前を持たないナキネズミ。
(いつも、「お前」って呼んでいたから…)
まるで不思議に思わなかった。名前があっても「お前」と呼ぶのは、誰にでもあることだから。
ペットでなくても、人間だって。
シャングリラで長く共に暮らした仲間たちだって、親しい仲なら「お前」と呼んでいたりする。友達の名前を口にするより、先に出てくるのが「お前」。「お前、食事は?」といった具合に。
前の自分も、仲間たちを「お前」と呼ぶことは無かったのだけど…。
(牛とかだったら、「お前」だもんね?)
元気かい、と声を掛けていたもの。白いシャングリラにいた動物たちに。もちろんナキネズミにだって。「お前の御主人は、今は何処だい?」と訊いたりもして。
前の自分でさえ、何処かでナキネズミにバッタリ会ったら、「お前」と呼ぶのが当たり前。船の子供たちの側にいるものも、農場でのんびりしているものも。
それでも彼らに名前はあったし、ジョミーが「お前」と呼んでいたって、それが名前だと気付くわけがない。未だに名前を貰っていなくて、自分の名前は「お前」だと思っていたなんて。
でも…。
(ぼくはちょっぴり…)
ほんの僅かしかジョミーと一緒に過ごしはしないで、深い眠りに就いてしまった。自分自身でも気付かないまま、何の前触れも無く。
アルテメシアを命からがら脱出してから、どのくらいで眠ってしまったろうか。あの状態では、ナキネズミの名前どころではない。周りの様子は何も分かっていなかったから。
(…前のハーレイが歌っていたのも、ただ聞いていたっていうだけで…)
歌声の主さえ知らずにいたのが「ゆりかごの歌」。トォニィのための、赤いナスカの子守歌。
今のハーレイがよく話題にする、三連恒星からの脱出劇さえ前の自分は全く知らない。人類軍の船に追われて、重力の干渉点から亜空間ジャンプで逃れたという、シャングリラの危機。
危うく宇宙の藻屑だった、と聞かされたって、「あの時かな?」と思いさえしない。深い眠りの底にいたから、船の揺れにも気付かないまま。
それほどの眠りの中にいたなら、もうナキネズミの姿は見えない。名前があろうと、名前無しで放っておいたジョミーが、赤いナスカで皆に笑われていようとも。
けれど、自分ではなくてハーレイならば。…キャプテン・ハーレイだったなら。
(ずっとジョミーを見てた筈だよ?)
前の自分が深く眠ってしまった後にも、キャプテンとして。
船を纏めるキャプテン・ハーレイ、前の自分が恋をした相手。誰よりも信頼していたハーレイ。恋は抜きでも、右腕として。
だからソルジャー候補になったジョミーを、何度もハーレイに会わせていた。いつかジョミーがソルジャーになれば、頼りになるのはキャプテンだから、と。
それにハーレイなら、ゼルのように頭から怒鳴りはしない。エラやヒルマンなら顔を顰めても、ハーレイは眉を寄せる程度で抑える。ブラウみたいに、歯に衣を着せない物言いもしない。
キャプテンは常に、冷静でないといけないから。船の仲間たちに信頼されてこそだから。
穏やかだったキャプテン・ハーレイ。長老たちほど厳しくはないし、感情的なことも言わない。其処まで見据えて、ジョミーに話した。「何かあったら、ハーレイに相談するといい」と。
前の自分が深い眠りに就いた後にも、ジョミーが相談していたハーレイ。人類に向けての思念波通信を思い立った時も、ジョミーはハーレイの所に出掛けた。何処よりも先に。
そう、ハーレイが唯一のジョミーの相談相手。…未来を占うフィシス以外では。
(フィシスもウッカリ者だけど…)
天体の間にもレインを連れて行っていたよね、と思うから。フィシスの前でも、ジョミーは肩に乗っけたナキネズミを「お前」と呼んだのだろうから。…名前ではなくて、「お前」とだけ。
フィシスも気付かないなんて、と溜息が零れてしまうけれども、ハーレイはもっとウッカリ者。何度となくジョミーの相談に乗って、ナキネズミにも出会っていた筈。
なのに名無しだと気付きもしないで、「お前」のままにしておいたなんて。白いシャングリラを纏め上げていたキャプテンのくせに、まるで知らずにいたなんて。
その内にこれでハーレイを苛めてやろう、と考えていたら、聞こえたチャイム。そのハーレイが仕事帰りに来てくれたから、もう早速に切り出した。テーブルを挟んで向かい合うなり。
「あのね、ハーレイ、レインの名前を知っている?」
「はあ? レインって…?」
どうかしたか、とハーレイは怪訝そうな顔。「ジョミーのペットのナキネズミだろう?」とも。
「そのレインだけど…。今はペットに人気でしょ。レインって名前をつけるのが」
今日はセキセイインコだったよ、新聞のペットの紹介コーナー。
青いヤツでね、おまけに手乗りで喋るんだって。…思念波ってわけじゃないけどね。
「ほほう…。上手いこと名付けたもんだな、似てるじゃないか。ナキネズミに」
あれも手乗りのようなモンだし、青くて喋る動物だから。鳥とは全く違うんだがな。
そういや、前のお前が青い毛皮のを選んだんだ、と懐かしそうな瞳のハーレイ。幸せの青い鳥の代わりに、青い毛皮のナキネズミだった、と。
「そうだよ、青い鳥を飼うのは無理だったから…。何の役にも立たないから、って」
だから青いのを選んだんだけど…。ナキネズミの血統を決める時にね。
それは抜きでも、セキセイインコのレイン、とってもいい感じでしょ?
犬とか猫をレインにするより、ずっと本物みたいだから。肩に乗っけて、お喋りが出来て。
ホントの会話は無理だけどね、とクスクス笑った。セキセイインコは覚えた言葉しか喋らない。それに言葉も理解しないし、ナキネズミのように意思の疎通は出来ないから。
「だけど、雰囲気はレインにピッタリ。青いセキセイインコだもの」
それでね、今はレインっていうのはペットに人気の名前だけれど…。
名前の由来に「恵みの雨の」ってくっついていたら、もう間違いなくナキネズミだけど…。
セキセイインコもそのレインだったけど、本物のレインは名無しだよね?
ずっと「お前」だと思ってたんでしょ、自分の名前。…トォニィが生まれて来るまでは。
とても有名な話だよね、と今のハーレイの顔を見詰めた。ナキネズミのレインが名前を持たずに過ごした話は、今の時代も広く知られているから。「レイン」の名前とセットになって。
「その通りだが…。ジョミーも間抜けなモンだよな」
十三年も一緒にいたのに、名前をつけずにいたなんて。…普通は名前をつけるモンだろ?
こいつの名前は何だっけか、と一度も思わなかったというのが凄すぎるぞ。大物だな。
あれくらいでなきゃ、地球まで行けるソルジャーは無理かもしれないが…、とハーレイの考えが他所に向くから、「ジョミーだけじゃないよ」と引き戻した。元の話に。
「ジョミーだけなら、大物なのかもしれないけれど…。間抜けだったの、ハーレイもだよ」
何度も相談に乗っていたでしょ、ジョミーのね。思念波通信の時もそうだし、他にも色々。
ジョミーがハーレイの所に来たなら、レインも一緒にいた筈だけど?
そしたら気付くと思うんだけど…。「もしかしたら、名前が無いんじゃないか?」って。
「…ジョミーのお供か…。くっついていたな、確かにな」
ブリッジに顔を出さなくなった頃にも、俺の部屋には来たりしていた。…たまにだがな。
いつもレインを連れて来ていたが、「お前」と呼んでいたもんだから…。
全く変だと思わなかったな、「お前は其処で待っていろ」といった具合で、自然だったから。
誰だって「お前」と呼んだりするだろ、親しい友達だったりしたら。
前の俺だって、お前がソルジャーになる前は「お前」だったからな、と言われれば、そう。
ソルジャーの肩書きがついた途端に、「あなた」に変わったのだった。ソルジャーと話す時には敬語で、とエラが徹底させたから。
キャプテンは船の仲間の模範になるべき立場なのだし、ハーレイは綺麗に変えてしまった。常に敬語で話さなくては、と「お前」を封印してしまって。
そうだったっけ、と懐かしく思い出したこと。「前のぼくも「お前」だったんだよ」と。自分の名前だとは思っていなかったけれど、あの呼び方が好きだった。「あなた」よりも、ずっと。
(だけど、元には戻せなくって…)
恋人同士になった後にも、「お前」は戻って来なかった。ハーレイはいつも敬語で話し続けて、「お前」ではなくて「あなた」のまま。…今は「お前」と呼んでくれるけれど。
そういう優しい「お前」があるから、ハーレイも気付かなかったのだろう。ナキネズミが名前を持っていなくて、「お前」とだけ呼ばれていたことに。
そうは言っても、無かった名前。前のハーレイが呼ぼうとしても、名前は無かったのだから…。
「ハーレイ、レインだけに会ったことはないの?」
ジョミーと一緒じゃないレイン。…そういうレインには会っていないの、一回も…?
「いや、何回も会ってるが?」
レインだって、いつもジョミーと一緒じゃなかったからな。離れていることもよくあった。
ずっと後にはそれが災いして、トォニィたちに捕まったりもしていたが…。尻尾を掴んで逆さに吊られて、オモチャ代わりにされたりな。
そうなるまでにも、よく一匹で歩いていたぞ。シャングリラの中を、好き勝手に。
視察中の俺と何度も出くわしたな、とハーレイが言うから、訊いてみた。
「その時、なんて呼んでいたわけ?」
無視して通るわけがないでしょ、ジョミーのペットなんだから。…なんて呼んだの?
「呼ぶと言うより、声を掛けるといったトコだな。「お前、一人か?」とか、そんな調子で」
一匹で歩いているわけなんだし、ジョミーの方は何処へ行ったかと思うじゃないか。
ジョミーの様子を尋ねがてらという感じだな、と返った答え。ナキネズミだけに出会った時の、前のハーレイの呼び掛け方。
「…ハーレイも「お前」だったんだね?」
前のぼくがソルジャーになる前は、ぼくのことも「お前」だったから…。それとおんなじ。
ナキネズミに会っても「お前」だったら、ジョミーと少しも変わらないよね…。
「そのようだ。…俺も一役買っちまってたか」
あいつが自分を「お前」だと思い込むまでに。…俺だって名前を呼んでないしな。
ジョミーが「レイン」と名付けた後には、そっちで呼ぶこともあったんだが…。
俺も犯人の一人だったか、とハーレイが苦笑する「お前」。ナキネズミが名前だと思ったもの。皆が「お前」と呼び掛けるから、それが自分の名前なのだと。
「…フィシスはどうかな、「お前」じゃないよね?」
ハーレイが「お前」って呼んでいたのは分かるけれども、フィシスはどうだろ…?
お前って呼ぶかな、いくら相手がナキネズミでも…?
どうだったかな、と遠い記憶を手繰ってみる。幼かったフィシスを農場などに連れて行った時、なんと呼び掛けていただろう。其処にいた牛や鶏たちに…?
「フィシスだったら、「あなた」だろうな」
ナキネズミに敬語は使わなくても、その部分は俺と同じだろうさ。「お前」なんていう呼び方はせずに、丁寧に「あなた」と呼んだと思うぞ。
俺は現場を見てはいないが、目に見えるような光景じゃないか。そう思わんか…?
フィシスなんだぞ、と言われたら納得出来た。幼かったフィシスも、牛や鶏たちを「あなた」と呼んでいたから。見えない瞳で覗き込んでは、「あなた、牛さんね?」と身体を撫でたりして。
「そうだね、フィシスは「あなた」だね…。牛たちをそう呼んでたよ。小さかった頃に」
大きくなっても同じだろうし、ナキネズミにも、きっと「あなた」だよね。
それで余計に、名前が「お前」になっちゃった…?
ハーレイやジョミーに呼ばれる時には「お前」だけれども、フィシスは「あなた」なんだから。
「あなた」は「お前」と全然違うし、そっちは自分の名前じゃないよ、って…。
余計に間違えちゃったのかな、とナキネズミの気持ちを考えてみる。「お前」と呼ぶ人が何人もいる中、「あなた」と呼ぶ人もいるのだったら、「お前」が名前だと思うだろうか、と。
「そいつは大いに有り得るなあ…。名前じゃないのに、そうだと思い込んじまうこと」
船のヤツらが呼び掛ける時は、誰もが「お前」か「あなた」だろうし…。
それに「お前」の方が遥かに多かっただろう。「あなた」と呼んでた人間よりも。
男だったら、前のお前も含めて、みんな「お前」と呼んだだろうしな?
「あなた」なんぞは、女性陣しか使いそうにない呼び名なんだが…。生憎と、その女性がだ…。
ブラウなんかを想像してみろ、あいつが「あなた」と呼ぶと思うか、ナキネズミを?
「…ブラウも、絶対、「お前」だよね…」
お前って呼ぶよ、見掛けた時は。でなきゃ「あんた」で、「あなた」じゃないよね…。
白いシャングリラの仲間たち。彼らがナキネズミをなんと呼んだのか、考えるほどに「お前」が名前でも、おかしくないから酷すぎる。一番酷いのは、名付けなかったジョミーだけれど。
「…ナキネズミの名前、「お前」なんだって間違えていても、仕方ないけど…」
それで少しもおかしくないけど、ジョミー、ホントに酷いよね。名前をつけなかっただなんて。
あんまりだってば、十三年も「お前」で放っておくなんて…。名前を訊いてあげもしないで。
それにレインってつけた名前も、よく考えてつけたんだったらいいけれど…。
思い付きでしょ、レインっていうの。たまたま雨が降っていたから、恵みの雨のレイン、って。
「そうなるんだが…。その場で慌てて考えたんだが、その雨、馬鹿にしたモンでもないぞ」
まさに恵みの雨だったんだ。ナキネズミに名前をつけた時には、まだ降り始めたばかりでな…。
それから後に、ゼルとエラが目撃しちまった。一瞬の内に現れた花園というヤツを。
あのナスカでだ、とハーレイが語った花園。
雨が降る中、シャングリラに戻ろうとシャトルに向かったゼルとエラ。途中で止まって、ゼルは降る雨を体験してみた。シールドを解いて。
そして滑って転んだ話は聞いている。服は泥だらけになったけれども、楽しそうだったとエラが話していたと。エラも一緒にシールドを解いて、雨の中に立ってみたのだとも。
そうする内に上がった雨。二人は其処で花園を見た。何も生えてはいなかった場所に、幾つもの芽が顔を出すのを。見る間に育って、鮮やかな緑の花園が出来上がるのを。
「花園…。雨が止んだら、そんなのが…?」
凄い速さで育ったっていうの、何も無かった場所の土から…?
「ああ。俺も後で見て驚いたが…。いつの間にこんな緑が、と」
砂漠に現れる花園と同じ仕組みだな。雨で芽吹いた種たちだ。
いつか降る雨をじっと待ち続けて、降った途端に一気に芽吹く。砂漠の花園、そうだろうが。
「地球の砂漠はそうらしいけど…。ナスカにもそういう仕掛けがあったの?」
「仕掛けなんかは無いと思うぞ、少なくともミュウの仕業じゃない。誰も植えてはいないから」
あそこは人類が放棄した植民惑星だ。人類が植えて、そのまま撤退したのが芽吹いたんだろう。
もう緑なんか育ちやしない、と捨てて行った星の土からな。
何十年ぶりだか、もっとなんだか…。あの花たちが芽を出せるだけの纏まった雨が降ったんだ。
それで花園が出来たわけだな、みるみる内に。
そりゃあ立派な花園だった、と今のハーレイも覚えている花園。赤いナスカの土から芽吹いた、雨を待ち続けていた古い種たち。人類が其処を離れた時から、見る者は誰も無かった花園。
「そっか…。それじゃホントに恵みの雨だね」
ジョミーが苦し紛れに言ったとしたって、ちゃんと花園が出来ちゃった…。恵みの雨で。
「うむ。ソルジャーの伝説がまた増える、とエラも言っていたから、そうなんだろうな」
トォニィが生まれた途端に雨で、花園が出来たわけだから。…伝説にもなるさ、ソルジャーの。
しかしゼルには辛かったらしい。ジョミーの伝説が増えてゆくほど、地球が遠のいちまうから。
皆がナスカにしがみついて…、とハーレイは溜息をつくけれど。
「ううん、雨って凄いと思うよ。それに恵みの雨が降ってくるナスカもね」
前のぼくは思いもしなかったもの…。ミュウのために星を手に入れるなんて。
雨が降る地面は欲しかったけれど、ミュウだけのための星があったら出来たことだよ。その星に降りて暮らし始めたら、いくらでも雨は降るんだから。
どうして思い付かなかったんだろう、と頭を振った。ジョミーは思い付いたのに、と。
「それはお前がミュウの未来にこだわったからだ。…シャングリラの仲間だけじゃなくてな」
アルテメシアを離れちまったら、もうミュウの子供は救出できない。
そうでなくても、前のお前は気にしてた。他の星にもミュウの子供がいるだろうに、と。
人類のいない星に行くなど、ミュウの未来を見捨てて行くのと同じだろうが。
シャングリラの仲間たちは良くても、それから後に生まれて来るミュウの子供たち。誰も助けてくれはしなくて、死んじまうしかないんだから。
「…そのせいなのかな、一度も思い付かなかったの…」
地球に行くことしか考えてなくて、雨を見るなら地球で見るんだ、と思ってたのも。
前のぼくは地球の雨を見たかったよ、青い空から降ってくるのを。
みんなにも見せてあげたかったけれど、ジョミーがみんなに見せちゃったね。赤いナスカで。
それも奇跡の花園付きで…、と思い浮かべたナスカの花園。どんなに鮮やかだったろう、と。
どれほど皆が惹かれただろうと、本当に恵みの雨だったのだ、と。レインの名前の由来の雨は。
「まあな…。ジョミーは恵みの雨を見せたな、船の中しか知らなかったヤツらに」
それで余計に、ナスカを離れたがらない連中が増えてしまったが…。
撤退命令に従わなかった連中のせいで、前のお前まで失くしてしまうことになったんだがな…。
メギドの攻撃を食らった後まで残りやがって…、とハーレイが眉間に寄せた皺。恵みの雨が降る星に必死にしがみついた挙句に、幾つ命を無駄にしたんだ、と。
地獄の劫火を受けた後には、星は滅びるしかないというのに。その現実さえ見えないくらいに、あの雨は皆を惹き付けたのか…、と。
「恵みの雨も善し悪しだ。いい方に転べば花園が出来るが、裏目に出たなら滅びるってな」
そういや、メギド…。あれは徹底的に破壊兵器だな、間違いなく。…恵みの雨どころか。
焼いて滅ぼすだけの兵器だ、と急に話を変えたハーレイ。雨から地獄の劫火の方へ。
「ハーレイ、いきなりどうしたの?」
恵みの雨が降っちゃったせいで、ナスカを離れない仲間がいたのは分かるけど…。メギドが惑星破壊兵器なのは、誰が見たって間違いないよ。わざわざ今頃、言わなくたって。
「そうでもないぞ。…お前、アルタミラで雨を見てたか?」
炎の地獄の中にいた時だ、俺と一緒に走っていた時。お前、雨粒を目にしてたのか…?
「雨って…。そんなの見てないよ?」
稲光は見たのを思い出したけど、雨なんて…。降っていたっけ?
覚えてないよ、とキョトンとした。燃えるアルタミラに、空から雨は降っただろうか…?
「いいや、一粒も降ってはいない。ナスカでも雨は降ってないんだ、稲光だけで」
其処がメギドの破壊兵器たる所以だな。あれだけ燃えても、雨は一粒も無しってトコが。
「…どういうこと?」
燃えるのと雨が関係あるわけ、燃えたら雨が降ってくるわけ…?
雨なんか降って来ないでしょ、と傾げた首。炎の地獄と恵みの雨は、正反対のものなのだから。
「それがそうでもないってな。…山火事の時には雨が降るんだ、昔からよく知られてた」
山火事の激しい炎と煙で、雲が出来ると言われてる。モクモクと空に湧き上がってな。
火山が爆発した時にだって、雲が出来たりするんだが…。
そういう雲を火災積雲、雷がゴロゴロ鳴り出す雲なら、火災積乱雲と呼ぶ。
デカイ雲だから、そいつが出来たら雨が降り出すことがあって、だ…。
火が消えちまうこともあるんだ、なんたって凄い雨が降るから。
もう文字通りに叩き付けるような激しい雨だし、どんな火だって水には勝てやしないだろうが。
人間が地球しか知らなかった頃から、火災積雲は知られていたという。雷を伴う火災積乱雲も。
けれど星を滅ぼすメギドの炎は、大規模な火災積乱雲を生み出しただけ。
空を覆った炎の色の雲は、ただ雷鳴を轟かせるだけで、雨を降らせはしなかった。たった一粒の雨粒さえも、地上に落としはしなかった雲。あれだけの雲が湧いていたのに、降らなかった雨。
「多分、其処まで計算済みの兵器だったんだ。…メギドってヤツは」
絶対に雨を降らせないよう、計算ずくで星を焼くんだな。雨が降ったら火が消えるから。
元は惑星改造用のシステムだったのを、国家騎士団が破壊兵器に転用したって話だが…。
どうやら本当らしいな、うん。あれだけ燃やして雷が鳴っても、雨は無しなら。
普通だったら雨になるから、とハーレイが言うメギドの炎が生み出した雲。空を切り裂く稲光は確かに見たのだけれども、雨は降ってはいなかった。アルタミラの炎の地獄では。
「…アルタミラで雨…。もしも降っていたら、恵みの雨に見えたかな?」
花園なんかは出来なくっても、空から雨が降って来てたら。
「そりゃそうだろう。降れば少しでも火が消えるからな、地面の熱もマシになるんだし…」
星の滅びは止められなくても、救われた気分にはなっただろうさ。少しだけでも。
しかし、恵みの雨は無かった。メギドってヤツが、そういう風に出来ていたせいで。
「メギド…。あんなの、なんで作ったんだろうね?」
惑星改造用だったんなら、テラフォーミングの道具だろうに…。星を滅ぼしてどうするの?
何の役にも立たないじゃない、と零れた溜息。砕けた星は、元には戻せないのだから。
「さあな? いったい、何だったんだか…」
今となっては謎だらけだが、あんなものは二度と作られやしない。作るヤツらもいないから。
「要らないよね、今の時代には。…メギドなんかは」
ナキネズミだって、いないくらいの時代だもの。
本物のナキネズミは何処を探しても、もう一匹もいないんだもの…。
「不自然なものは必要ない、っていうのが今の時代だからな」
ナキネズミがどんなに可愛らしくても、ペットとしては優れものでも、もう作らない。
それと同じで自然に手だって加えやしないし、メギドも作られないわけだ。
ナキネズミとメギドじゃ違いすぎるし、ナキネズミのレインは恵みの雨って名前でだ…。
メギドの炎が作った雲だと、恵みの雨さえ降らないんだがな。
今の時代はセキセイインコのレインくらいで丁度いいんだ、とハーレイが微笑む。
同じレインという名前でも、自然に生まれて来た生き物。青い羽根を持った。
思念波でお喋りは出来ないレインで、肩に乗って好きに喋るだけ。自分が覚えた言葉だけを。
そういうレインがお似合いの今。青い毛皮を持ったナキネズミは、もう生まれなくて。
今は平和で、青い地球まで宇宙に戻った時代だから。
誰もが自然を愛しているから、不自然に手は加えないから。
メギドが生み出す火災積雲、そんなものは無くて自然の積雲。ムクムクと空に湧き上がる雲。
それが生まれて雨が降るのが、今の地球。宇宙に散らばる他の星でも。
恵みの雨が何処の星にも降り注ぐのが、平和になった今の宇宙。
レインの名前と同じ雨たちが、奇跡の花園を乾いた砂漠に生み出したりもする恵みの雨が…。
恵みの雨・了
※ジョミーが名前を付けないままで、十三年も放っていたナキネズミ。恵みの雨のレイン。
けれど名前が無かった理由は、今から思えば、そう不自然でもないのです。呼ぶ機会がゼロ。
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あのレインだよ、とブルーが眺めた新聞の写真。学校から帰って、おやつの時間に。
遠く遥かな時の彼方で、ジョミーがペットにしていたレイン。青い毛皮のナキネズミ。レインが新聞にいるのだけれども、同じ名前だというだけのこと。あのレインと。
新聞でお馴染み、自慢のペットの紹介コーナー。其処に掲載されているレイン。でも…。
(似てるの、青い所だけ…)
其処だけだよね、と見詰めたペット。セキセイインコのレインちゃん。水色の羽根は、レインにそっくり。毛皮か羽根かというだけの違い、ただし姿はまるで別物。セキセイインコは鳥だから。
飼い主の指に止まった写真。つぶらな瞳のレインちゃん。
添えられた文に「恵みの雨のレインです」と書いてあるから、間違いなくレイン。ナキネズミのレインも、名前の由来はそうだった。
(セキセイインコなら、肩に乗ったりするもんね?)
きちんと手乗りに育ててやったら、ナキネズミのレインがそうだったように。いつもジョミーの肩に乗っていたレイン、今の時代も写真が幾つも残っている。
セキセイインコのレインはといえば、手乗りでお喋りもするらしい。本物のレインも話すことが出来た。思念波を使って、人間と。
(お喋りさせたくて、レインって名前にしたのかな?)
そうかもしれない、と飼い主の気持ちを想像してみる。「青いからレインじゃないかもね」と。
セキセイインコは色々なのだ、と鳥に詳しい友達に聞いた。下の学校に通っていた頃に。
喋る種類の鳥は多いけれど、セキセイインコは「喋るのもいる」という程度。教えさえすれば、喋るわけではないらしい。どんなに頑張って教えても。
(ちっとも言葉を覚えないのも、手乗りになってくれないのも…)
珍しくないのがセキセイインコ。手乗りにしようと育ててみたって、途中で失敗するだとか。
それで「レイン」と名付けただろうか、「あの有名なレインみたいに仲良くしたい」と。
(レインちゃんは上手くいってるよね?)
ちゃんと手乗りで、飼い主の指と一緒に写っているのがその証拠。お喋りもすると書かれている記事、新聞の中から声は聞こえて来なくても。レインちゃんの声はしなくても。
飼い主の人が願った通りに、ナキネズミのように育った青いセキセイインコ。名前はレイン。
(ナキネズミはもう、いないけど…)
本物のナキネズミは時の流れに消えてしまって、何処にもいない。前の自分たちが作った動物、それがナキネズミだったから。…自然に生まれた動物とは違うものだったから。
(繁殖力が衰えていって、消えちゃった…)
絶滅の危機に瀕していた時、人間は理由に気が付いていた。どうすれば絶滅を防げるかにも。
けれど滅びを止めるためには、遺伝子レベルでの操作が必要。元気な個体を交配したって、もう戻らない繁殖力。ただ衰えてゆくだけで。
それを無理やり元に戻すのは不自然だ、と判断したのがナキネズミを調べた研究者たち。人間が生命に手を加えることは許されない、と。
(ナキネズミはもう、必要の無い時代だったから…)
このまま見守るだけにしよう、と獣医も飼育係も思った。最後の一匹が消えて行っても、彼らが幸せならいいと。ナキネズミの役目はもう終わったから、と。
(最後のナキネズミも、きっと幸せ…)
人間と一緒に仲良く暮らして、思念波を使ってお喋りをして。我儘も言って。
もしかしたら最後にいたナキネズミは、自分を「人だ」と思い込んで生きていたかもしれない。他に仲間を知らないのならば、「ちょっと姿が違う人間」といった具合で。
そういう動物は多いらしいから。犬でも猫でも、鳥なんかでも。
(人が育てたら、自分も人だと思っちゃうんだよ)
鏡を覗いて自分の姿が映っていたって、「誰なの?」という顔をするペット。同じ種類の仲間に会っても、知らんぷり。なにしろ自分は「人間」なのだし、「こんな仲間は知らないよ」と。
(レインちゃんだって、そうかもね?)
生まれた時から人間と一緒で、手乗りだから。お喋りもするセキセイインコだから。
今の時代は幸せなレインたちがいる。ジョミーのペットだったレインよりも、ずっと。
青い地球の上で暮らすレインや、他の星で暮らしているレインやら。
新聞で出会ったセキセイインコのレインの他にも、きっと沢山。
犬やら猫やら、いろんな動物、色々な姿のレインが生きているのだろう。広い宇宙に何匹も。
なんと言っても、「レイン」は人気の名前だから。
人間の子供の名前はともかく、ペットの方では大人気。ジョミーと暮らしたレインのお蔭で。
この町だけでも何匹も暮らしていそうなレイン。ナキネズミのレインと同じ名前のペットたち。種類も様々だろうけれども、犬や猫よりセキセイインコがレインっぽいかな、と考えながら戻った二階の部屋。おやつを美味しく食べ終えた後で。
勉強机の前に座って、さっきの写真を思い浮かべる。青いセキセイインコのレイン。他の色々な動物よりも、ナキネズミに一番近そうな感じ。見た目だったら、リスの方が近いのだけれど。
(思念波じゃないけど、セキセイインコは喋るから…)
それに青くて、手乗りだから肩にも乗っかってくれる。本物のナキネズミがしていたように。
あの飼い主は上手に名前をつけたよね、と感心しきり。レインのように育てたかったか、羽根の色でレインに決めたのか。どちらにしたって、今では立派に「レインみたいなペット」。
同じ名前はペットの名前で人気だけれども、本物のレインを思わせるものは、そうそういないと思うから。喋って、肩にも乗っかってくれて、青い色を纏っているレイン。
セキセイインコのレインは上出来、と思ったけれど。とてもお似合いだと思うけれども。
(…インコじゃなくって、本物のレイン…)
本家本元のレインの方は、気の毒なことに名前を持っていなかった。青い毛皮のナキネズミは。
ずっとジョミーと暮らしていたのに、レインは名前を貰わないまま。
赤いナスカで、トォニィが生まれたその日まで。自分の名前を「お前」だと皆に名乗るまで。
(お前からトォニィにおめでとう、って…)
そう言ったのがナキネズミ。
SD体制が始まって以来、初めての自然出産で生まれたトォニィに。「おめでとう」と。
誰もがトォニィを、母のカリナを祝福するから、ナキネズミだってお祝いしたい。生まれて来た子に、父のユウイが「トォニィ」と名付けたばかりの子供にあげたい「おめでとう」の言葉。
だからナキネズミが紡いだ思念。「赤ちゃんトォニィ、おめでとう」と。
尻尾を振って、トォニィを祝福したナキネズミ。「お前からトォニィにおめでとう、言う」と、何処かおかしな言い回しで。
「お前とは誰のことだろう?」と誰もが思うし、トォニィの母のカリナも思った。
それでカリナが尋ねた名前。「あなた、名前、無いの?」と。まさか、とそれは不思議そうに。
そしたら答えが、「ぼく、名前、お前」。自分の名前は「お前」だと信じていたナキネズミ。
カリナが「それは名前じゃないわ」と言うまで。ジョミーに名前を確認するまで。
誰もが呆れた、名前が無かったナキネズミ。「そりゃ酷いな」と皆が失笑したという。ジョミーときたら、「名前…。つけていなかったっけ」と言ったものだから。
最初から名前が無かったのなら、「お前」にだってなるだろう。ナキネズミの名前。ジョミーも含めて皆が呼ぶのだし、「ぼくの名前は、「お前」なんだ」と。
(名前が無くって、「お前」だなんて…)
あんまりだよね、と可哀想すぎて溜息が出そう。自分の名前を「お前」だと思っていたレイン。十三年もジョミーの側にいたのに、名無しのままで暮らしたなんて。
(今日のペットのコーナーだって…)
セキセイインコのレインの他にも、色々な名前のペットたち。可愛い名前や、かっこいい名前。今のハーレイの母が飼っていた真っ白な猫にも、「ミーシャ」という名前があったのに。
ペットを飼うなら、名前は基本。一番最初に名付けるもの。
(誰かに貰って来たペットでも…)
子猫や子犬を貰って来たって、誰だって名前を付けたがる。「この子の名前は…」と飼っていた家での名前を聞いても、「こっちがいい」と新しい名前を付けるとか。
(イメージじゃないのって、あるもんね?)
こうです、と教えて貰っても。血統書には別の名前があっても、ピンと来ないなら新しい名前。これがいい、と思った名前をつけてやったら、ペットの方でも覚えるから。
(レインの時だって、そうだったのに…)
名前が無かったナキネズミ。それは考えがあったから。…前の自分に。
とうに見付けていたジョミー。青の間から思念で探る間に、「この子だ」と思った後継者。前の自分の命が尽きたら、代わりにミュウを導く子供。白いシャングリラに迎え入れて。
(…ジョミーほど強い子供なら…)
そう簡単にユニバーサルには発見されない。深層心理検査をしようが、ミュウとはバレない。
ただ、その分だけ、厄介なことも生まれるもの。
強すぎるジョミーは、まるで自覚が無いだろうから。「自分は変だ」と気付きもしないで、成人検査に臨む筈。其処で自分が妨害したって、やはり同じに気が付かないまま。異分子なことに。
ミュウの母船に迎え入れても、きっと「異分子」なのだろう。自分がミュウだと悟らないなら、白いシャングリラは箱舟どころか、ジョミーにとっては冷たい牢獄。
そうなるだろう、と前の自分は読んでいた。ジョミーをシャングリラに連れて来たって、きっと馴染みはしないだろうと。あまりにも「人類」に近すぎる子供なのだから。
(そうならないように、ナキネズミ…)
思念波を上手く操れない子供のためにと、白いシャングリラで作り出したのがナキネズミ。側にいるだけで思念を中継してくれるのだし、コミュニケーションの役に立つ、と。
それをジョミーに与えておいたら、その内に分かってくれる筈。シャングリラで暮らすミュウの思考も、ジョミー自身も「思念波を持ったミュウ」の一人であることも。
(ナキネズミを一匹、ジョミーのペットにしなくっちゃ、って…)
船に来たジョミーが孤立しないよう、最初からナキネズミを側に。自然な形で出会った後には、一緒に船に来るように。
そう計算して、地上に降ろしたナキネズミ。名前はあえてつけないままで。
ジョミーのペットになるのだから、と最初から名前は与えなかった。シャングリラで生まれて、すくすく育つ間にも。「この子には名前をつけないように」と、飼育係たちにも命じて。
(きっとジョミーが、素敵な名前をつけるだろうし…)
好みの名前もあるだろうから、名前をつけずにおいたのに。
最初から持っている名前があったら、ジョミーの方でも遠慮するだろうと考えた上で、名無しのままにしておいたのに。
(ジョミー、名前をつけるどころか…)
なんという名前か、尋ねることさえしなかった。
ドリームワールドにあった小さな檻から、自分が逃がしたナキネズミに。自分と一緒に小型艇に乗って、シャングリラまで来たナキネズミに。
ジョミーのことを恋しがるから、とリオが渡して、文字通り「ペット」になった後にも、一度も訊いたりしなかったジョミー。「お前、名前は?」と。後に「お前」になったレインに。
たった一言、質問したなら、「名前?」と首を傾げたろうに。まだ幼かったナキネズミは。
(ナキネズミ、けっこう長生きだから…)
身体は育って一人前でも、ジョミーのペットになった頃には中身は子供。
きっとその頃に尋ねられても、「ぼく、お前」と答えただろう。人類の世界でも、ナキネズミに名前は無かったから。誰も名付けはしなかったから。
ジョミーが「名前は?」と訊きさえしたなら、名前を貰えたナキネズミ。「ぼく、お前」という答えを聞いたら、ジョミーも笑っただろうから。「それは名前じゃないと思うよ」と。
ナキネズミの名前を尋ねなくても、「これでいいかな?」と名前の候補。ジョミーがつけたいと思う名前が、ナキネズミにも喜んで貰えるかどうか。
そんな具合に、名付けただろうと思っていた。ペットになったナキネズミに。
きっとシャングリラに来てから直ぐに。「家に帰せ」と直訴した挙句、船を出てゆくより前に。
(前のぼくでも、其処までは気が付かないよ…)
ジョミーには気を配っていたのだけれども、側に置かせた、あのナキネズミの名前にまでは。
成人検査を妨害した疲れで、殆ど眠っていたのだから。青の間のベッドに横たわって。
(…ジョミーが船から出て行った後は…)
生きて戻れはしないだろう、と覚悟して後を追い掛けた自分。アルテメシアの遥か上空まで。
ジョミーのお蔭で船に戻れても、それからはずっと臥せっていた。あの状態では、ナキネズミの名前のことまではとても…、と考えたけれど。
其処まで気を配る余裕など無いし、余力だって無いと思ったけれど。
(ジョミーが連れて来てたっけ…)
前の自分が暮らした青の間。ベッドから起き上がれないほどに弱っていた頃も、ジョミーが顔を出した時にはナキネズミが一緒。大抵の時は、肩に乗っかって。
そう、何回も連れて来ていた「お前」。レインではなかった、名前を持たないナキネズミ。
(いつも、「お前」って呼んでいたから…)
まるで不思議に思わなかった。名前があっても「お前」と呼ぶのは、誰にでもあることだから。
ペットでなくても、人間だって。
シャングリラで長く共に暮らした仲間たちだって、親しい仲なら「お前」と呼んでいたりする。友達の名前を口にするより、先に出てくるのが「お前」。「お前、食事は?」といった具合に。
前の自分も、仲間たちを「お前」と呼ぶことは無かったのだけど…。
(牛とかだったら、「お前」だもんね?)
元気かい、と声を掛けていたもの。白いシャングリラにいた動物たちに。もちろんナキネズミにだって。「お前の御主人は、今は何処だい?」と訊いたりもして。
前の自分でさえ、何処かでナキネズミにバッタリ会ったら、「お前」と呼ぶのが当たり前。船の子供たちの側にいるものも、農場でのんびりしているものも。
それでも彼らに名前はあったし、ジョミーが「お前」と呼んでいたって、それが名前だと気付くわけがない。未だに名前を貰っていなくて、自分の名前は「お前」だと思っていたなんて。
でも…。
(ぼくはちょっぴり…)
ほんの僅かしかジョミーと一緒に過ごしはしないで、深い眠りに就いてしまった。自分自身でも気付かないまま、何の前触れも無く。
アルテメシアを命からがら脱出してから、どのくらいで眠ってしまったろうか。あの状態では、ナキネズミの名前どころではない。周りの様子は何も分かっていなかったから。
(…前のハーレイが歌っていたのも、ただ聞いていたっていうだけで…)
歌声の主さえ知らずにいたのが「ゆりかごの歌」。トォニィのための、赤いナスカの子守歌。
今のハーレイがよく話題にする、三連恒星からの脱出劇さえ前の自分は全く知らない。人類軍の船に追われて、重力の干渉点から亜空間ジャンプで逃れたという、シャングリラの危機。
危うく宇宙の藻屑だった、と聞かされたって、「あの時かな?」と思いさえしない。深い眠りの底にいたから、船の揺れにも気付かないまま。
それほどの眠りの中にいたなら、もうナキネズミの姿は見えない。名前があろうと、名前無しで放っておいたジョミーが、赤いナスカで皆に笑われていようとも。
けれど、自分ではなくてハーレイならば。…キャプテン・ハーレイだったなら。
(ずっとジョミーを見てた筈だよ?)
前の自分が深く眠ってしまった後にも、キャプテンとして。
船を纏めるキャプテン・ハーレイ、前の自分が恋をした相手。誰よりも信頼していたハーレイ。恋は抜きでも、右腕として。
だからソルジャー候補になったジョミーを、何度もハーレイに会わせていた。いつかジョミーがソルジャーになれば、頼りになるのはキャプテンだから、と。
それにハーレイなら、ゼルのように頭から怒鳴りはしない。エラやヒルマンなら顔を顰めても、ハーレイは眉を寄せる程度で抑える。ブラウみたいに、歯に衣を着せない物言いもしない。
キャプテンは常に、冷静でないといけないから。船の仲間たちに信頼されてこそだから。
穏やかだったキャプテン・ハーレイ。長老たちほど厳しくはないし、感情的なことも言わない。其処まで見据えて、ジョミーに話した。「何かあったら、ハーレイに相談するといい」と。
前の自分が深い眠りに就いた後にも、ジョミーが相談していたハーレイ。人類に向けての思念波通信を思い立った時も、ジョミーはハーレイの所に出掛けた。何処よりも先に。
そう、ハーレイが唯一のジョミーの相談相手。…未来を占うフィシス以外では。
(フィシスもウッカリ者だけど…)
天体の間にもレインを連れて行っていたよね、と思うから。フィシスの前でも、ジョミーは肩に乗っけたナキネズミを「お前」と呼んだのだろうから。…名前ではなくて、「お前」とだけ。
フィシスも気付かないなんて、と溜息が零れてしまうけれども、ハーレイはもっとウッカリ者。何度となくジョミーの相談に乗って、ナキネズミにも出会っていた筈。
なのに名無しだと気付きもしないで、「お前」のままにしておいたなんて。白いシャングリラを纏め上げていたキャプテンのくせに、まるで知らずにいたなんて。
その内にこれでハーレイを苛めてやろう、と考えていたら、聞こえたチャイム。そのハーレイが仕事帰りに来てくれたから、もう早速に切り出した。テーブルを挟んで向かい合うなり。
「あのね、ハーレイ、レインの名前を知っている?」
「はあ? レインって…?」
どうかしたか、とハーレイは怪訝そうな顔。「ジョミーのペットのナキネズミだろう?」とも。
「そのレインだけど…。今はペットに人気でしょ。レインって名前をつけるのが」
今日はセキセイインコだったよ、新聞のペットの紹介コーナー。
青いヤツでね、おまけに手乗りで喋るんだって。…思念波ってわけじゃないけどね。
「ほほう…。上手いこと名付けたもんだな、似てるじゃないか。ナキネズミに」
あれも手乗りのようなモンだし、青くて喋る動物だから。鳥とは全く違うんだがな。
そういや、前のお前が青い毛皮のを選んだんだ、と懐かしそうな瞳のハーレイ。幸せの青い鳥の代わりに、青い毛皮のナキネズミだった、と。
「そうだよ、青い鳥を飼うのは無理だったから…。何の役にも立たないから、って」
だから青いのを選んだんだけど…。ナキネズミの血統を決める時にね。
それは抜きでも、セキセイインコのレイン、とってもいい感じでしょ?
犬とか猫をレインにするより、ずっと本物みたいだから。肩に乗っけて、お喋りが出来て。
ホントの会話は無理だけどね、とクスクス笑った。セキセイインコは覚えた言葉しか喋らない。それに言葉も理解しないし、ナキネズミのように意思の疎通は出来ないから。
「だけど、雰囲気はレインにピッタリ。青いセキセイインコだもの」
それでね、今はレインっていうのはペットに人気の名前だけれど…。
名前の由来に「恵みの雨の」ってくっついていたら、もう間違いなくナキネズミだけど…。
セキセイインコもそのレインだったけど、本物のレインは名無しだよね?
ずっと「お前」だと思ってたんでしょ、自分の名前。…トォニィが生まれて来るまでは。
とても有名な話だよね、と今のハーレイの顔を見詰めた。ナキネズミのレインが名前を持たずに過ごした話は、今の時代も広く知られているから。「レイン」の名前とセットになって。
「その通りだが…。ジョミーも間抜けなモンだよな」
十三年も一緒にいたのに、名前をつけずにいたなんて。…普通は名前をつけるモンだろ?
こいつの名前は何だっけか、と一度も思わなかったというのが凄すぎるぞ。大物だな。
あれくらいでなきゃ、地球まで行けるソルジャーは無理かもしれないが…、とハーレイの考えが他所に向くから、「ジョミーだけじゃないよ」と引き戻した。元の話に。
「ジョミーだけなら、大物なのかもしれないけれど…。間抜けだったの、ハーレイもだよ」
何度も相談に乗っていたでしょ、ジョミーのね。思念波通信の時もそうだし、他にも色々。
ジョミーがハーレイの所に来たなら、レインも一緒にいた筈だけど?
そしたら気付くと思うんだけど…。「もしかしたら、名前が無いんじゃないか?」って。
「…ジョミーのお供か…。くっついていたな、確かにな」
ブリッジに顔を出さなくなった頃にも、俺の部屋には来たりしていた。…たまにだがな。
いつもレインを連れて来ていたが、「お前」と呼んでいたもんだから…。
全く変だと思わなかったな、「お前は其処で待っていろ」といった具合で、自然だったから。
誰だって「お前」と呼んだりするだろ、親しい友達だったりしたら。
前の俺だって、お前がソルジャーになる前は「お前」だったからな、と言われれば、そう。
ソルジャーの肩書きがついた途端に、「あなた」に変わったのだった。ソルジャーと話す時には敬語で、とエラが徹底させたから。
キャプテンは船の仲間の模範になるべき立場なのだし、ハーレイは綺麗に変えてしまった。常に敬語で話さなくては、と「お前」を封印してしまって。
そうだったっけ、と懐かしく思い出したこと。「前のぼくも「お前」だったんだよ」と。自分の名前だとは思っていなかったけれど、あの呼び方が好きだった。「あなた」よりも、ずっと。
(だけど、元には戻せなくって…)
恋人同士になった後にも、「お前」は戻って来なかった。ハーレイはいつも敬語で話し続けて、「お前」ではなくて「あなた」のまま。…今は「お前」と呼んでくれるけれど。
そういう優しい「お前」があるから、ハーレイも気付かなかったのだろう。ナキネズミが名前を持っていなくて、「お前」とだけ呼ばれていたことに。
そうは言っても、無かった名前。前のハーレイが呼ぼうとしても、名前は無かったのだから…。
「ハーレイ、レインだけに会ったことはないの?」
ジョミーと一緒じゃないレイン。…そういうレインには会っていないの、一回も…?
「いや、何回も会ってるが?」
レインだって、いつもジョミーと一緒じゃなかったからな。離れていることもよくあった。
ずっと後にはそれが災いして、トォニィたちに捕まったりもしていたが…。尻尾を掴んで逆さに吊られて、オモチャ代わりにされたりな。
そうなるまでにも、よく一匹で歩いていたぞ。シャングリラの中を、好き勝手に。
視察中の俺と何度も出くわしたな、とハーレイが言うから、訊いてみた。
「その時、なんて呼んでいたわけ?」
無視して通るわけがないでしょ、ジョミーのペットなんだから。…なんて呼んだの?
「呼ぶと言うより、声を掛けるといったトコだな。「お前、一人か?」とか、そんな調子で」
一匹で歩いているわけなんだし、ジョミーの方は何処へ行ったかと思うじゃないか。
ジョミーの様子を尋ねがてらという感じだな、と返った答え。ナキネズミだけに出会った時の、前のハーレイの呼び掛け方。
「…ハーレイも「お前」だったんだね?」
前のぼくがソルジャーになる前は、ぼくのことも「お前」だったから…。それとおんなじ。
ナキネズミに会っても「お前」だったら、ジョミーと少しも変わらないよね…。
「そのようだ。…俺も一役買っちまってたか」
あいつが自分を「お前」だと思い込むまでに。…俺だって名前を呼んでないしな。
ジョミーが「レイン」と名付けた後には、そっちで呼ぶこともあったんだが…。
俺も犯人の一人だったか、とハーレイが苦笑する「お前」。ナキネズミが名前だと思ったもの。皆が「お前」と呼び掛けるから、それが自分の名前なのだと。
「…フィシスはどうかな、「お前」じゃないよね?」
ハーレイが「お前」って呼んでいたのは分かるけれども、フィシスはどうだろ…?
お前って呼ぶかな、いくら相手がナキネズミでも…?
どうだったかな、と遠い記憶を手繰ってみる。幼かったフィシスを農場などに連れて行った時、なんと呼び掛けていただろう。其処にいた牛や鶏たちに…?
「フィシスだったら、「あなた」だろうな」
ナキネズミに敬語は使わなくても、その部分は俺と同じだろうさ。「お前」なんていう呼び方はせずに、丁寧に「あなた」と呼んだと思うぞ。
俺は現場を見てはいないが、目に見えるような光景じゃないか。そう思わんか…?
フィシスなんだぞ、と言われたら納得出来た。幼かったフィシスも、牛や鶏たちを「あなた」と呼んでいたから。見えない瞳で覗き込んでは、「あなた、牛さんね?」と身体を撫でたりして。
「そうだね、フィシスは「あなた」だね…。牛たちをそう呼んでたよ。小さかった頃に」
大きくなっても同じだろうし、ナキネズミにも、きっと「あなた」だよね。
それで余計に、名前が「お前」になっちゃった…?
ハーレイやジョミーに呼ばれる時には「お前」だけれども、フィシスは「あなた」なんだから。
「あなた」は「お前」と全然違うし、そっちは自分の名前じゃないよ、って…。
余計に間違えちゃったのかな、とナキネズミの気持ちを考えてみる。「お前」と呼ぶ人が何人もいる中、「あなた」と呼ぶ人もいるのだったら、「お前」が名前だと思うだろうか、と。
「そいつは大いに有り得るなあ…。名前じゃないのに、そうだと思い込んじまうこと」
船のヤツらが呼び掛ける時は、誰もが「お前」か「あなた」だろうし…。
それに「お前」の方が遥かに多かっただろう。「あなた」と呼んでた人間よりも。
男だったら、前のお前も含めて、みんな「お前」と呼んだだろうしな?
「あなた」なんぞは、女性陣しか使いそうにない呼び名なんだが…。生憎と、その女性がだ…。
ブラウなんかを想像してみろ、あいつが「あなた」と呼ぶと思うか、ナキネズミを?
「…ブラウも、絶対、「お前」だよね…」
お前って呼ぶよ、見掛けた時は。でなきゃ「あんた」で、「あなた」じゃないよね…。
白いシャングリラの仲間たち。彼らがナキネズミをなんと呼んだのか、考えるほどに「お前」が名前でも、おかしくないから酷すぎる。一番酷いのは、名付けなかったジョミーだけれど。
「…ナキネズミの名前、「お前」なんだって間違えていても、仕方ないけど…」
それで少しもおかしくないけど、ジョミー、ホントに酷いよね。名前をつけなかっただなんて。
あんまりだってば、十三年も「お前」で放っておくなんて…。名前を訊いてあげもしないで。
それにレインってつけた名前も、よく考えてつけたんだったらいいけれど…。
思い付きでしょ、レインっていうの。たまたま雨が降っていたから、恵みの雨のレイン、って。
「そうなるんだが…。その場で慌てて考えたんだが、その雨、馬鹿にしたモンでもないぞ」
まさに恵みの雨だったんだ。ナキネズミに名前をつけた時には、まだ降り始めたばかりでな…。
それから後に、ゼルとエラが目撃しちまった。一瞬の内に現れた花園というヤツを。
あのナスカでだ、とハーレイが語った花園。
雨が降る中、シャングリラに戻ろうとシャトルに向かったゼルとエラ。途中で止まって、ゼルは降る雨を体験してみた。シールドを解いて。
そして滑って転んだ話は聞いている。服は泥だらけになったけれども、楽しそうだったとエラが話していたと。エラも一緒にシールドを解いて、雨の中に立ってみたのだとも。
そうする内に上がった雨。二人は其処で花園を見た。何も生えてはいなかった場所に、幾つもの芽が顔を出すのを。見る間に育って、鮮やかな緑の花園が出来上がるのを。
「花園…。雨が止んだら、そんなのが…?」
凄い速さで育ったっていうの、何も無かった場所の土から…?
「ああ。俺も後で見て驚いたが…。いつの間にこんな緑が、と」
砂漠に現れる花園と同じ仕組みだな。雨で芽吹いた種たちだ。
いつか降る雨をじっと待ち続けて、降った途端に一気に芽吹く。砂漠の花園、そうだろうが。
「地球の砂漠はそうらしいけど…。ナスカにもそういう仕掛けがあったの?」
「仕掛けなんかは無いと思うぞ、少なくともミュウの仕業じゃない。誰も植えてはいないから」
あそこは人類が放棄した植民惑星だ。人類が植えて、そのまま撤退したのが芽吹いたんだろう。
もう緑なんか育ちやしない、と捨てて行った星の土からな。
何十年ぶりだか、もっとなんだか…。あの花たちが芽を出せるだけの纏まった雨が降ったんだ。
それで花園が出来たわけだな、みるみる内に。
そりゃあ立派な花園だった、と今のハーレイも覚えている花園。赤いナスカの土から芽吹いた、雨を待ち続けていた古い種たち。人類が其処を離れた時から、見る者は誰も無かった花園。
「そっか…。それじゃホントに恵みの雨だね」
ジョミーが苦し紛れに言ったとしたって、ちゃんと花園が出来ちゃった…。恵みの雨で。
「うむ。ソルジャーの伝説がまた増える、とエラも言っていたから、そうなんだろうな」
トォニィが生まれた途端に雨で、花園が出来たわけだから。…伝説にもなるさ、ソルジャーの。
しかしゼルには辛かったらしい。ジョミーの伝説が増えてゆくほど、地球が遠のいちまうから。
皆がナスカにしがみついて…、とハーレイは溜息をつくけれど。
「ううん、雨って凄いと思うよ。それに恵みの雨が降ってくるナスカもね」
前のぼくは思いもしなかったもの…。ミュウのために星を手に入れるなんて。
雨が降る地面は欲しかったけれど、ミュウだけのための星があったら出来たことだよ。その星に降りて暮らし始めたら、いくらでも雨は降るんだから。
どうして思い付かなかったんだろう、と頭を振った。ジョミーは思い付いたのに、と。
「それはお前がミュウの未来にこだわったからだ。…シャングリラの仲間だけじゃなくてな」
アルテメシアを離れちまったら、もうミュウの子供は救出できない。
そうでなくても、前のお前は気にしてた。他の星にもミュウの子供がいるだろうに、と。
人類のいない星に行くなど、ミュウの未来を見捨てて行くのと同じだろうが。
シャングリラの仲間たちは良くても、それから後に生まれて来るミュウの子供たち。誰も助けてくれはしなくて、死んじまうしかないんだから。
「…そのせいなのかな、一度も思い付かなかったの…」
地球に行くことしか考えてなくて、雨を見るなら地球で見るんだ、と思ってたのも。
前のぼくは地球の雨を見たかったよ、青い空から降ってくるのを。
みんなにも見せてあげたかったけれど、ジョミーがみんなに見せちゃったね。赤いナスカで。
それも奇跡の花園付きで…、と思い浮かべたナスカの花園。どんなに鮮やかだったろう、と。
どれほど皆が惹かれただろうと、本当に恵みの雨だったのだ、と。レインの名前の由来の雨は。
「まあな…。ジョミーは恵みの雨を見せたな、船の中しか知らなかったヤツらに」
それで余計に、ナスカを離れたがらない連中が増えてしまったが…。
撤退命令に従わなかった連中のせいで、前のお前まで失くしてしまうことになったんだがな…。
メギドの攻撃を食らった後まで残りやがって…、とハーレイが眉間に寄せた皺。恵みの雨が降る星に必死にしがみついた挙句に、幾つ命を無駄にしたんだ、と。
地獄の劫火を受けた後には、星は滅びるしかないというのに。その現実さえ見えないくらいに、あの雨は皆を惹き付けたのか…、と。
「恵みの雨も善し悪しだ。いい方に転べば花園が出来るが、裏目に出たなら滅びるってな」
そういや、メギド…。あれは徹底的に破壊兵器だな、間違いなく。…恵みの雨どころか。
焼いて滅ぼすだけの兵器だ、と急に話を変えたハーレイ。雨から地獄の劫火の方へ。
「ハーレイ、いきなりどうしたの?」
恵みの雨が降っちゃったせいで、ナスカを離れない仲間がいたのは分かるけど…。メギドが惑星破壊兵器なのは、誰が見たって間違いないよ。わざわざ今頃、言わなくたって。
「そうでもないぞ。…お前、アルタミラで雨を見てたか?」
炎の地獄の中にいた時だ、俺と一緒に走っていた時。お前、雨粒を目にしてたのか…?
「雨って…。そんなの見てないよ?」
稲光は見たのを思い出したけど、雨なんて…。降っていたっけ?
覚えてないよ、とキョトンとした。燃えるアルタミラに、空から雨は降っただろうか…?
「いいや、一粒も降ってはいない。ナスカでも雨は降ってないんだ、稲光だけで」
其処がメギドの破壊兵器たる所以だな。あれだけ燃えても、雨は一粒も無しってトコが。
「…どういうこと?」
燃えるのと雨が関係あるわけ、燃えたら雨が降ってくるわけ…?
雨なんか降って来ないでしょ、と傾げた首。炎の地獄と恵みの雨は、正反対のものなのだから。
「それがそうでもないってな。…山火事の時には雨が降るんだ、昔からよく知られてた」
山火事の激しい炎と煙で、雲が出来ると言われてる。モクモクと空に湧き上がってな。
火山が爆発した時にだって、雲が出来たりするんだが…。
そういう雲を火災積雲、雷がゴロゴロ鳴り出す雲なら、火災積乱雲と呼ぶ。
デカイ雲だから、そいつが出来たら雨が降り出すことがあって、だ…。
火が消えちまうこともあるんだ、なんたって凄い雨が降るから。
もう文字通りに叩き付けるような激しい雨だし、どんな火だって水には勝てやしないだろうが。
人間が地球しか知らなかった頃から、火災積雲は知られていたという。雷を伴う火災積乱雲も。
けれど星を滅ぼすメギドの炎は、大規模な火災積乱雲を生み出しただけ。
空を覆った炎の色の雲は、ただ雷鳴を轟かせるだけで、雨を降らせはしなかった。たった一粒の雨粒さえも、地上に落としはしなかった雲。あれだけの雲が湧いていたのに、降らなかった雨。
「多分、其処まで計算済みの兵器だったんだ。…メギドってヤツは」
絶対に雨を降らせないよう、計算ずくで星を焼くんだな。雨が降ったら火が消えるから。
元は惑星改造用のシステムだったのを、国家騎士団が破壊兵器に転用したって話だが…。
どうやら本当らしいな、うん。あれだけ燃やして雷が鳴っても、雨は無しなら。
普通だったら雨になるから、とハーレイが言うメギドの炎が生み出した雲。空を切り裂く稲光は確かに見たのだけれども、雨は降ってはいなかった。アルタミラの炎の地獄では。
「…アルタミラで雨…。もしも降っていたら、恵みの雨に見えたかな?」
花園なんかは出来なくっても、空から雨が降って来てたら。
「そりゃそうだろう。降れば少しでも火が消えるからな、地面の熱もマシになるんだし…」
星の滅びは止められなくても、救われた気分にはなっただろうさ。少しだけでも。
しかし、恵みの雨は無かった。メギドってヤツが、そういう風に出来ていたせいで。
「メギド…。あんなの、なんで作ったんだろうね?」
惑星改造用だったんなら、テラフォーミングの道具だろうに…。星を滅ぼしてどうするの?
何の役にも立たないじゃない、と零れた溜息。砕けた星は、元には戻せないのだから。
「さあな? いったい、何だったんだか…」
今となっては謎だらけだが、あんなものは二度と作られやしない。作るヤツらもいないから。
「要らないよね、今の時代には。…メギドなんかは」
ナキネズミだって、いないくらいの時代だもの。
本物のナキネズミは何処を探しても、もう一匹もいないんだもの…。
「不自然なものは必要ない、っていうのが今の時代だからな」
ナキネズミがどんなに可愛らしくても、ペットとしては優れものでも、もう作らない。
それと同じで自然に手だって加えやしないし、メギドも作られないわけだ。
ナキネズミとメギドじゃ違いすぎるし、ナキネズミのレインは恵みの雨って名前でだ…。
メギドの炎が作った雲だと、恵みの雨さえ降らないんだがな。
今の時代はセキセイインコのレインくらいで丁度いいんだ、とハーレイが微笑む。
同じレインという名前でも、自然に生まれて来た生き物。青い羽根を持った。
思念波でお喋りは出来ないレインで、肩に乗って好きに喋るだけ。自分が覚えた言葉だけを。
そういうレインがお似合いの今。青い毛皮を持ったナキネズミは、もう生まれなくて。
今は平和で、青い地球まで宇宙に戻った時代だから。
誰もが自然を愛しているから、不自然に手は加えないから。
メギドが生み出す火災積雲、そんなものは無くて自然の積雲。ムクムクと空に湧き上がる雲。
それが生まれて雨が降るのが、今の地球。宇宙に散らばる他の星でも。
恵みの雨が何処の星にも降り注ぐのが、平和になった今の宇宙。
レインの名前と同じ雨たちが、奇跡の花園を乾いた砂漠に生み出したりもする恵みの雨が…。
恵みの雨・了
※ジョミーが名前を付けないままで、十三年も放っていたナキネズミ。恵みの雨のレイン。
けれど名前が無かった理由は、今から思えば、そう不自然でもないのです。呼ぶ機会がゼロ。
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