シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
別の人生なら
「こらあっ、そこ!」
手を上げろ、と飛んだハーレイの声。古典の授業の真っ最中に。
ハーレイの指が指した生徒は、ブルーの席から数列前にいる男子生徒で。
「そう、お前だ。そのまま両手を上げてろよ?」
動くんじゃない、と睨むハーレイ。鋭い視線で、教室の前の教卓から。
(えっと…?)
何事だろう、と窺った男子生徒の様子。居眠りなどしてはいなかった筈で、隣と喋ったわけでもない。それに授業中の私語を咎めるのならば、誰かが一緒に指されるだろう。「お前もだ」と。
けれど何かが起こったからこそ、ハーレイが命じた「手を上げろ」。「動くな」とも。
いったい何が原因なのかと、男子生徒の席を後ろから眺めていたら…。
(机の下…!)
其処から出て来た一冊の本。膝の上に置いて読んでいたのか、教科書の陰にあったのか。後ろの方から見ているからこそ、それに気付いた。ふうわりと浮いて、彼の背後に回り込む本に。
サイオンで浮かせているらしい本。今は運んでいる所。何処かに向けて。
(…何処に隠すの?)
本の存在がバレないようにと、努力している男子生徒。後ろの生徒に頼む気だろうか、思念波でコッソリ連絡をして。「暫く、持っていてくれ」と。
問題の彼は、今も手を上げたままだから。まるで動けはしないのだから。
(凄い…)
本だけ逃がすつもりなんだ、と驚かされた証拠隠滅。いくらハーレイが発見したって、その本が何処にも無かったならば、「読んでいた」と叱ることは出来ない。「先生の見間違いです」と彼が主張したなら、そういうことになるだろう。本は見当たらないのだから。
(咄嗟にあんなの、思い付くなんて…)
きっと昔から常習犯。下の学校に通う頃から、何度もやったに違いない。こういう時は、と頭に入っている手順。そうでなければ、直ぐには動けないだろうから。
(サイオンは心と繋がってるから…)
パニックになれば、上手く操れなくなるもの。今のように叱られたりすれば。不意打ちされたらビックリするから、本を隠すなどまず不可能。「どうしよう?」と慌てる間に没収で。
慣れてるんだ、と感心した男子生徒の行動。褒められたことではないのだけれども、間違いなく持っている度胸。「バレた時には隠せばいい」と、「後ろの生徒に頼もう」と。
けれど、彼より上手だったのがハーレイの方。教卓を離れて歩き出しながら…。
「動くんじゃないと言ったがな? 手を上げたままで」
大股で歩く机の間。男子生徒の席に向かって。
「動いてません!」
「なら、これは何だ?」
捕まえたぞ、とハーレイの手が掴んだ本。後ろの生徒が机の下で受け取る前に。「没収だ」と。褐色の手は、証拠の本を捕まえた。それは見事に、逃げられない内に。
その場でパラパラめくった後には、教卓に戻って「刑は重いぞ」という宣告も。教卓に置かれた問題の本。それの表紙をポンと叩いて。
「素直に没収されてりゃいいのに、隠そうとした所がなあ…。刑を重くもしたくなるだろ?」
これは今日中には返してやらん。俺の授業が次にある日まで、預かっておく。いつだっけな?
その日の授業が終わった後に、俺の所へ取りに来い。宿題と引き換えに渡してやるから。
お前だけのために宿題プリントをサービスしよう、とニヤニヤ笑い。宿題が嫌なら、没収されたままでいろ、とも。
「そんな…!」
困ります、と彼は叫んだけれども、ハーレイは涼しい顔で返した。「俺は少しも困らんぞ」と。
「お前の本が職員室の備品になろうが、知ったことではないからな。まだ本棚に空きはある」
俺が貰って読むのもいいなあ、この本はまだ読んでないから。…子供向けだしな?
たまには若いヤツらに人気の本を読むのもいいだろう。書斎でゆっくり、コーヒーも飲んで。
恨むんだったら、自分の愚かさを恨むんだな、と男子生徒を見据える瞳。いつもの穏やかな光の代わりに、ちょっぴり怖い色を湛えて。
「せ、先生…」
すみません、と男子生徒が頭を下げても、まるで聞く耳を持たないハーレイ。教卓に置いた本を眺めて、腕組みをして。
悪いのは明らかに生徒だから。誰に訊いても彼が悪くて、ハーレイは悪くないのだから。
次の授業まで没収だ、と繰り返してから、ハーレイがぐるりと見渡した教室。「注意しろよ」という風に。「お前たちだって、こうなるのかもしれないぞ?」と。
「俺は容赦はせんからな? 授業の時間に読んでいい本は教科書だけだ」
それと参考書なら問題は無いが、無関係な本は許さんぞ。証拠隠滅を図るようなら尚更だ。
もっとも、瞬間移動で飛ばされた時は、現場を押さえるのは難しいんだが…。いくら俺でも。
やりやがったな、と気が付いたって、飛んでった先が掴めないんじゃな。しかしだ…。
このクラスには…、と名簿をチェックしたハーレイ。「瞬間移動が出来る生徒はいないな」と。
(…タイプ・ブルーは、ぼく一人だけ…)
前の自分が生きた頃より増えたとはいえ、珍しいのがタイプ・ブルー。いるとなったら、話題に上る。「ウチのクラスにいるらしい」と。
だから誰もが知っていること。タイプ・ブルーの生徒がいるのも、それは誰かも。
ところが、とびきり不器用な自分。タイプ・ブルーは名前ばかりで、瞬間移動で本の一冊さえも飛ばせはしない。クラスメイトも承知なのだし、弾けた笑い。「このクラスにはいないな」というハーレイの声で。本当は一人いるのだけれども、いないのと変わらないのだから。
(あーあ…)
カッコ悪いよ、とガッカリな気分。下の学校の生徒だった頃から不器用なのだし、慣れっこにはなっているけれど…。
(今だと、遥かに情けないってば…)
自分が誰かを思い出したから、情けない。前の自分はソルジャー・ブルー。使いこなせた強大なサイオン、今の時代も名前が残る大英雄。同じ魂を持っているのに、全く駄目、と。
どうしてぼくは駄目なんだろう、と不器用すぎるサイオンのことを嘆いていたら…。
「おい、ブルー」
「え?」
隣の席の男子生徒に呼び掛けられた。思念波ではなくて、ヒソヒソ声で。今度は何、と彼の方を見たら、彼は親切に教えてくれた。教室の前を指差しながら。
「当てられてるぞ、さっきから」
「ええっ!?」
ちょっと待って、と見上げた先にハーレイの顔。さっきみたいに腕組みをして。
隣の生徒の声に気付くまで、知らなかった「当てられている」事実。もう本当に赤っ恥。
ハーレイにも失笑されてしまった。「上の空とは、お前もなかなかいい度胸だな?」と、没収の刑を食らった生徒と並べられて。
(聞こえてなかった…)
自分のサイオンのことに夢中で、授業が再開されたことにも気付かない始末。ハーレイが投げた質問が何かも分からないから、隣の生徒に訊くしかなかった。「何だったの?」と。
やっとのことで、肩を落として答えた解答。蚊が鳴くような声で、俯いたままで。
そんな具合で終わった授業。ショックが抜け切らない内に。大好きなハーレイの授業で大失敗をやったわけだし、放課後になっても悲しい気持ち。
(…今日は散々…)
せっかくハーレイの授業だったのに、とションボリ帰って行った家。路線バスでも俯き加減で。バス停から家まで歩く道でも、足元ばかりを見てしまって。
家に帰り着いて、おやつの間も思い出す授業中の光景。上の空で恥をかいてしまった原因の方が大いに問題。タイプ・ブルーに生まれたくせに、瞬間移動も出来ない自分。
タイプ・ブルーなら、瞬間移動は簡単なのに。ハーレイの授業で叱られた男子、彼がサイオンで本を運ぼうとしていたみたいに、タイプ・ブルーなら出来る瞬間移動。あそこまで、と頭に描いた場所へ、一瞬で。手を触れもせずに、とんでもなく遠い所へだって。
前の自分なら、たやすく出来た。息をするようにサイオンを操り、使いこなしていたのだから。瞬間移動で物を動かすことも出来たし、自分自身を飛ばすことだって。
(シャングリラの中でも、何処でも飛べたよ…)
行こうと思えば、一瞬の内に船の外へも出てゆけた。ハッチの一つも開けはしないで、宇宙船の堅固な外壁を抜けて。間に挟まる幾つもの部屋、それらも通り抜けさえしないで。
(外へ出るんだ、って思ったら外…)
ついでに船の外に出たって、同じように移動してゆけた。気が遠くなるほどの距離だって。
宇宙船を使って飛んでゆくなら、かなり時間がかかる距離でも、ほんの一瞬。あそこまでだ、と狙いを定めて飛びさえしたら。
空を飛ぶようにも飛べたけれども、瞬間移動ならもっと速くなる。ワープみたいに越える空間。ワープドライブは使いもしないで、サイオンの力だけを使って。
意志の力で何処までも飛べたソルジャー・ブルー。前の自分なら、星と星との間でさえも、瞬間移動で飛べたほど。最後にメギドへ飛んだ時にも、瞬間移動で距離を稼いでいたのだから。
もしも弱っていなかったならば、一瞬で飛んで行けたろう。赤いナスカから、忌まわしい兵器を陰に隠したジルベスター・エイトまでの距離。それこそメギドの制御室までも。
けれども弱った身体では無理で、相当に無駄にした時間。メギドに着いて制御室まで歩く間も、それまでに飛んだ宇宙でも。…本当だったら、もっと簡単に飛び込めたのに。目的地へと。
弱っていたって、あれだけの距離を瞬間移動で飛んでゆけたのがソルジャー・ブルー。その魂を持っているのが、今の自分の筈なのに…。
(今のぼくだと、赤ちゃん以下…)
人間が全てミュウの今では、生まれた時から誰もが持っているサイオン。赤ん坊だって、漠然とした思念波くらいは紡げるもの。言葉にはなっていなくても。
(だけど、ぼくだと…)
それさえも不器用だったと言うから、どうしようもない。子育てに苦労したらしい母。ミルクが欲しくて泣いているのか、眠いのかさえも分からなくて。
赤ん坊にも敵わない自分。前の生の記憶が戻って来たって、サイオンの方は戻らなかった。今も自分の中で眠って、一向に目覚めてはくれない。タイプ・ブルーなら使える筈の力は。
一度だけ出来た瞬間移動は、神様の奇跡だったのだろう。メギドの悪夢を見て怯えていたから、特別にたった一度だけ。「ハーレイに会わせてあげよう」と。
目が覚めたら、ハーレイのベッドだったから。眠ったままでハーレイの家に飛んでいたから。
(あの時だけで、普段はなんにも出来ないし…)
瞬間移動で飛べないどころか、おやつのケーキに添えて貰った紅茶。母が淹れてくれたカップの中身を見詰めてみたって、紅茶には小さな波さえ立たない。
前の自分が持っていたサイオン、あれは水との相性が良かった筈なのに。ひっくり返って零れた水さえ、コップに戻せたほどだったのに。
(だから青の間に貯水槽…)
サイオンを高めるためには水だ、と船の仲間たちに説いた長老たち。それにキャプテン。お蔭で巨大な貯水槽があった、前の自分が暮らしていた部屋。
本当はこけおどしだけれど。ただの演出、あんな水など無くても力を使えたけれど。
今の自分だと、瞬間移動は一度きり。おまけに自覚もまるで無いから、何の参考にもならない。もう一度やってみたくても。…ハーレイの家まで瞬間移動をしたくても。
(クローゼットに印を書いてた時も…)
前の自分の背丈は此処、と床から測って鉛筆で微かに引いた線。其処まで大きくならない限り、ハーレイはキスをしてくれない。けれど、其処まで育ったら…。
(前のぼくだった頃と全く同じに、ハーレイと過ごせるんだから…)
これが目標、と書き込んだ印。母に見付かって叱られないよう、ごくごく薄く。その線を引いた日、サイオンで浮いていた自分。「この高さだよ」と頭を其処に合わせるように。
前の自分の視線の高さで、部屋のあちこちを見回してみた。「育った時にはこう見えるよ」と。床に下りてはまた浮き上がって、何度も確かめていた視点。前の自分の背丈の高さで。
浮いたり下りたりしたのだけれども、あれだって前の自分の仕業。…今から思えば。
新しい命と身体を貰って、きっとはしゃいでいたソルジャー・ブルー。前の自分が身体の中からヒョイと出て来て、サイオンを使ったのだろう。新しい身体の使い心地を確かめるように。
(今のぼくだけど、中身は前のぼくだから…)
同じ魂が入っているから、そういうことも起こる筈。無意識の内に瞬間移動をやったみたいに、知らずに使っていたサイオン。あの時は少しも不思議に思いもしなかったから。
(もし気付いてたら、大事件…)
サイオンが不器用な自分にとっては一大事件で、大感激だったことだろう。「ぼくも出来た」と大喜びで、クローゼットに書いた印の意味も忘れて…。
(ママを呼びに走って行っちゃいそう…)
この高さまで浮けるんだから、と自慢したくて。浮いたり下りたり出来る自分を、母にも褒めて欲しくって。「ほらね」と何度もやって見せては、得意になって。
けれど自分は気付かなかったし、母は今でも知らないまま。クローゼットの印はもちろん、印を書いた日に一人息子がサイオンを使いこなしたことも。…床から浮いて下りるだけでも。
(前のぼくでないと駄目なんだよね…)
瞬間移動も、身体を床から浮かせることも、色々なサイオンの使い方。前の自分は鮮やかに使いこなしたけれども、自分は赤ちゃん以下だから。
タイプ・ブルーに生まれて来たって、何一つ出来はしないのだから。
おやつを食べ終えて部屋に帰っても、零れる溜息。何もかもまるで駄目な自分。勉強机に頬杖をついて、振り返ってみる不器用さ。勉強はともかく、サイオンだったら赤ん坊以下。
(今のぼくだと、ソルジャーになんかなれないよ…)
瞬間移動はとても無理だし、生身で宇宙に出られもしない。白いシャングリラを守るどころか、今の自分が暮らす部屋さえ、風からだって守れはしない。窓を開けている時に突風が来たら、もう一瞬でメチャクチャになる。軽い紙などが飛んでしまって、床の上などに散らばって。
(自分の部屋も守れないんじゃ、ソルジャーは無理…)
絶対に無理、と考えていたら、ふと思ったこと。
今の不器用な自分ほどではないにしたって、前の自分が普通のミュウに生まれていたら、どんな人生だっただろう、と。
タイプ・ブルーではなくて、平凡なミュウ。ハーレイみたいなグリーンでもいいし、イエローやレッドでもかまわない。どれも突出してはいないし、攻撃力も持っていないから。
(えーっと…?)
前の自分が普通のミュウなら、成人検査用の機械は壊れていないだろう。ハーレイたちは壊していないし、他のミュウも壊していない筈。…前の自分が知る限りは。
(記憶を消されるのが嫌で、叫んでたって…)
機械が壊れないのだったら、何かエラーが出た程度。検査室とガラスで隔てられた部屋、其処に白衣の大人たちがいるのが見えたけれども…。
(見てたモニターの表示が変になるとか、そんな感じで…)
成人検査は、きっと中止になったろう。正常に終わりはしなかったのだし、恐らくは保留。日を改めて実施するとか、そういうケースもあったのだから。
(…家には帰れないんだろうけど…)
それだけのことで、ミュウだとバレない可能性もある。検査を受けたその場で、直ぐには。
(ぼくが初めてのミュウなんだから…)
他に前例の無いケース。表示されたエラーが何故そうなったか、係の者にも分からないだろう。別の日にまた検査してみて、同じエラーで中止になったら、やっと変だと思い始める。
それでもバレない自分の正体。人類ではなくてミュウだということ。
彼らはミュウを知らないから。SD体制の時代に入った後には、ミュウは生まれなかったから。
多分、謎だったろうエラーの理由。成人検査が上手くいかなくて、中止になってしまう原因。
アルタミラにもあったのだろう、マザー・システムの端末に尋ねてみるまでは。成人検査が失敗ばかりの子供が一人、とエラーになってしまう理由を。
其処で答えが出なかったならば、地球に据えられたグランド・マザーに問い合わせるとか。
(…そこまでされたら、バレちゃうよね…)
どうしてエラーばかりになるのか、その原因が。
SD体制に入る前の時代に、ミュウは生まれていたのだから。研究者たちは何度も検討した末、ミュウの因子を排除しないで残そうと決断したのだから。
それを知るのがグランド・マザーで、当然、ミュウも知っている。成人検査を受けさせたなら、どんな結果になるのかも。
だから係の者に伝える、「その子はミュウだ」という事実。人類とは違う種族で異分子、社会に出してはならないもの。何故なら世界は人類のもので、ミュウのものではないのだから。
SD体制の時代だったら、抹殺すべき存在がミュウ。けれど、最初に発見されたミュウの自分が無害だったら、人類はどう扱ったのか。
(成人検査は、パスさせて貰えないけれど…)
どうなったのだろう、その後の自分は。
成人検査を何度も受ける間に、子供時代の記憶をすっかり失くしてしまっていそうな自分。前の自分がそうだったように、養父母の顔も忘れてしまって。
けれど、それだけ。成人検査の機械も壊さず、大人しく検査を受け続けただけ。促されるままに何回も。記憶を消されるのがどんなに嫌でも、機械を壊せはしないのだから。
(逃げ出すことだって出来ないし…)
仕方ないよね、と諦めて検査を受けさせられていたのだろう。「今度は何を忘れるだろう」と、失うことだけを恐れ続けて。色々なことを忘れさせられる、検査の度に悲しみながら。
たったそれだけ、前の自分が普通のミュウに生まれていたら。
前の自分のような危険は、まるで無さそうな大人しい子供。ミュウの子供だというだけで。
それが発見第一号なら、人類はどう扱っただろう?
前の自分は問答無用で撃たれたけれども、それは機械を壊したから。看護師が「殺さないで」と叫んだくらいに、危険すぎるサイオンを持っていたから。
そういうミュウでなかったら。タイプ・ブルーではない普通のミュウなら、前の自分はどういう道を辿っただろう。…成人検査を通過し損ねた後は。
(あそこの施設で観察なのかな…?)
研究所ではなく、成人検査のために出掛けた施設。成人検査をやり直すケースがあった以上は、その子供たちを待機させる部屋もあったろう。前の自分もミュウと断定される前なら、その部屋に留め置かれた筈。養父母の家には帰せないから。
(その部屋に入れて、様子を見るとか…?)
特に危険が見られないなら、そういうことになるかもしれない。人類が初めて目にするミュウ。それはどういう生き物なのかと、社会には出さず、ただ観察をするだけで。
(ただの子供で、思念波だって…)
相手が思念波を持たない人類ばかりだったら、わざわざ使いはしないだろう。成人検査を受ける前には、そんな力は持たない子供だったから。人類と同じに言葉で会話していたのだから。
(人体実験をする価値、無いよね…?)
普通のミュウに生まれていたなら、どうなるのかな、と考えていたら、聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、一気に引き戻された気分。大恥をかいた授業の時間に。
だからハーレイとテーブルを挟んで向かい合うなり、まずは授業の話。
「今日のハーレイ、凄かったね。手を上げろ、って」
ビックリしたけど、流石ハーレイだと思ったよ。本を読んでた生徒に気が付いちゃうんだから。
それにサイオンで隠そうとしたの、隠すよりも前に見破ったしね。
本を没収しちゃったじゃない、と褒めたハーレイの勘の鋭さ。きっと武道で鍛えたお蔭で、身についたものだと思うから。…サイオンなどとは無関係に。
「そう言うお前は、大いに間抜けだったがな」
俺の授業中に上の空とは恐れ入ったぞ。俺に見惚れていたなら許すが、違うようだし…。
ボーッとしていて質問さえも聞いてないんじゃ、考え事っていう所だろ?
いったい何をやっていたんだ、今日のおやつが気になってたのか、晩飯なのか?
少なくとも俺のことではないだろうと踏んでいるんだがな…?
俺が関係していたのならば、もっと真っ赤になる筈だ、というのがハーレイの指摘。同じように真っ赤になっていたって、教科書さえも取り落とすほどに慌てるだとか。
「どうなんだ、おい? 上の空だったお前の頭の中身は…?」
お母さんが焼くケーキのことか、とハーレイはまるで気付いていない。前の自分と今の自分の、あまりにも違いすぎる能力の差に頭を悩ませていたのだとは。
「それなんだけど…。ママのケーキとか、晩御飯は関係ないんだってば」
関係があるのはハーレイの授業で、授業って言うより「手を上げろ」の方…。
ハーレイに本を没収された子、サイオンで本を隠そうとしていたけれど…。ぼくの席からだと、よく見えたんだよ。手を上げたままで、サイオンで本を運ぶのが。
隠す前にハーレイにバレちゃってたけど、あれって絶対、常習犯だよね。パニックになったら、サイオンは上手く使えないから。…「バレちゃった」って慌てていたんじゃ、絶対に無理。
それで、とっても感心してて…。今のぼくって、サイオンがうんと不器用だから。
前のぼくとは違うよね、って考えてたんだよ、あれから後も。
ハーレイが本を没収しちゃって、「瞬間移動なら現場を押さえにくい」って言った後もね。
今のぼくだと、瞬間移動は無理だから…。タイプ・ブルーだから出来る筈なのに…。
不器用すぎて出来ないもの、と項垂れた。それが自分の考え事で、上の空になっていたのだと。
「瞬間移動は無理だ、って…。お前、そんなの気にしてたのか?」
そいつが今のお前ってヤツで、俺はすっかり慣れちまったが…。前のお前とは違うよな、と。
不器用なお前も可愛いもんだし、悪くないと思っているんだが…?
今度こそ守ってやれるからな、とハーレイは言ってくれるけれども、授業の時は違ったから。
「でも…。ハーレイも、クラスのみんなも笑うんだもの…」
ぼくのクラスには瞬間移動が出来る生徒はいない、ってトコで。…名簿にはちゃんと書いてあるでしょ、クラスのみんなのサイオン・タイプ。…タイプ・ブルーのぼくがいることも。
タイプ・ブルーなのにカッコ悪いよ、って思ってた間に当てられちゃった…。ハーレイに。
「おいおい、理由は分かったが…。それにしたって、授業中だぞ」
考え事と余所見は良くないってな。いくらお前が優等生でも、授業は聞かなきゃ駄目だろうが。
「うん…。それは分かっているけれど…」
だから真っ赤になっちゃったんだし、大恥だってかいたんだけど…。
それでね、とハーレイにも話してみた。さっき自分が考えていた、別の話を。
前の自分が普通のミュウに生まれていたなら、どうだったろう、と。
「…普通のミュウだと?」
タイプ・ブルーじゃないって意味なのか、前のお前のサイオン・タイプが。…攻撃力が無い他のタイプで、俺みたいなグリーンとか、エラみたいなレッドとか、そういうことか…?
まあ、イエローでも必死になれば凄いわけだが…、とハーレイが挙げるサイオンの力。ごくごく普通のミュウの場合も、追い詰められれば反撃する。でないと死んでしまうのだから。
そうした時の力が強いのがイエロー、けれど普段は大人しい。自分から攻撃したりはしないし、あくまで反撃するというだけ。自分の方から仕掛けてゆくのは、タイプ・ブルーしかいなかった。
前の自分は、不幸にもそれに生まれただけ。一番最初のミュウだったのに。
「…そうだよ、不器用なタイプ・ブルーっていうわけでもなくて、ホントに普通」
そういうミュウなら、成人検査用の機械を壊していないだろうから…。
記憶を消されそうになって叫んでも、攻撃力が無いんだものね。殺されそうなら反撃したって、そこまではされていないんだから…。泣き叫ぶくらいが関の山だし、思念波だけでしょ?
そしたら出るのはエラーくらいで、機械は壊れはしなくって…。
最初の間は成人検査のやり直しとかで、その内に、ぼくがミュウだってことが分かっても…。
前のぼくの時みたいに撃ち殺そうとしたりはしないで、暫く観察になるのかな、って…。
ミュウはどういう生き物なのか、部屋に閉じ込めて様子を見るとか。
どう思う、と尋ねてみたら、ハーレイは「ふむ…」と顎に手を当ててみて。
「その可能性は大きいだろうな。殺さなきゃいけない理由が無いし…」
前のお前の場合だったら、殺さなければ殺される、と考えて撃って来たんだろうが…。
お前が何もしないとなったら、観察したくもなるだろう。初めて発見されたミュウだし。
俺たちが成人検査を受けた施設に足止めじゃないか、外の世界には出せないからな。成人検査をパスした子供が行ける場所には送り出せない。…ミュウである以上。
ならば、あそこの施設が一番妥当だろう。かなり大きな建物だったし、一度目の検査で不合格になった子供たちを待機させておく部屋だってあっただろうしな。
「やっぱり…?」
いきなり檻に入れるんじゃなくて、普通の部屋が待っていたのかな…。普通のミュウなら。
ハーレイもそう考えるのなら、有り得たかもしれない別の人生。前の自分がタイプ・ブルーではなくて、他のサイオン・タイプだったら。…攻撃力が無い普通のミュウなら。
「…部屋に閉じ込めて観察だけなら、もしかして、人体実験も無し?」
ミュウだってことがバレてしまっても、何も出来ないミュウなんだから…。
頭の中身を無理やり調べてみたって、考えてるのは御飯のこととか、そんなのばかり。役に立つことは何も入っていなくて、普通の人間と変わらなくって…。
それに機械を壊すことさえ出来ないミュウだよ、人体実験をする価値なんて無さそうだけど…。
下手にやったら死んじゃいそう、と前の自分を思い浮かべた。タイプ・ブルーだったからこそ、繰り返された過酷な実験。低温実験や高温実験、様々な薬物の投与なども。
けれど、普通のミュウだったなら。…銃弾を受け止めることも出来ないようなミュウなら、酷い実験をすれば直ぐに死ぬ。虚弱に生まれついた身体は、頑丈に出来ていないのだから。
「実験か…。そいつも無かったかもしれん。…お前というミュウに害が無いなら」
タイプ・ブルーじゃなかったんなら、人類の方も身の危険ってヤツを感じないからな。人類とは違う種族がこれか、と考えるだけで終わっただろう。まるで怖くはないんだから。
前のお前がやったみたいに、成人検査の機械を壊してしまうとか…。銃弾を全部止めてしまって無傷だったとか、そんなのがあれば、ミュウを恐ろしいと思ったろうが…。
そういったことがまるで無ければ、異分子が発生しただけのことだ。社会からは抹殺すべきものでも、社会に出さなきゃいいんだし…。
どうやってミュウを退治すればいいか、それを慌てて考えなくてもいいからな。
お前を閉じ込めておくだけで済むし、とハーレイの意見も似たようなもの。人体実験をする必要などは無くて、ミュウという生き物を観察するだけ。
「普通のミュウなら、そうなったかな…?」
人体実験なんかはしないで、ぼくを閉じ込めておくってだけ。…出られないように。
「そうだったんじゃないか? なにしろ初めてのミュウだ」
SD体制が始まる前にも実験室では生まれたと言うが、前の俺たちが生きた頃にはいなかった。
そいつが目の前に現れたんなら、どんな生き物かを探ろうと考えはするんだろうが…。
ミュウの特徴の思念波なんかも調べるだろうが、それも酷くはなかっただろう。
実験というよりテストみたいなものかもしれんぞ、色々な質問をしてみたりしてな。
人類にとって脅威にならない普通のミュウなら、閉じ込めておくだけで観察対象だった可能性。前の自分がやられたように、殺されそうにはならないで。
酷い実験もされることなく、「ミュウというのはこういうものか」と研究者たちが眺めるだけ。たまにテストをされる時でも、機械を使った拷問ではなくて、言葉を使った質問だとか。
「…そっちだったら、前のぼく、幸せだったかも…」
大人の社会に出られないから、不幸には違いないけれど…。閉じ込められたままなんだけど。
それに記憶も失くしてしまって、パパもママも思い出せなくて…。
自分の家が何処にあったかも、思い出せなくなっちゃって…。
それでも、前のぼくより幸せ。人体実験なんかは無くって、檻じゃなくて部屋で暮らせるなら。部屋の外には出られなくっても、ちゃんとベッドや椅子があるなら…。
幸せでも、チビだろうけれど。大人になれなかったショックか、「人間じゃない」って言われたショックで、ビックリして年を止めちゃって。
…大きくなっても、いいことは何も無いんだから。…前のぼくほどじゃないけどね。
心も身体も育つのをやめてしまいそう、と言ったらハーレイも頷いた。
「そうかもなあ…。いくら平和に暮らしていたって、お前、繊細そうだから」
育っても何もいいことは無い、と気付いた途端に成長を止めてしまいそうではある。前のお前がそうだったように、チビのまんまで。…ミュウは誰でも、外見の年齢を止められるからな。
そうやって成長を止めていたって、酷い目には遭わずに済んだだろう。…どういう仕組みで年を取らなくなっちまったかも、病院の検査の親戚くらいで終わっただろうな。
定期的に血の検査をするとか…、というハーレイの読みは正しいと思う。思念波くらいしか力が無いなら、そのくらいしか調べる要素が無い。他の部分は人類と変わらないのだから。
「血液検査で済みそうだよね…。ぼくが育たなくなっちゃっても」
後は食べ物を変えてみるとか、その程度。栄養がつくものを食べさせてみたら、育ち始めるかもしれないから。…栄養不足で育たないのか、って勘違いして。
「栄養不足か…。人類だったら思い付きそうなことではあるな」
ミュウがすくすく育つためには、人類よりも沢山の飯が必要なんだ、という誤解。
もっと沢山食べてみろ、と山のような量の飯をお前に食わせるだとか。量が沢山入らないなら、栄養価の高い食い物ばかりを与えるとかな。
飯も美味くて好待遇か、とハーレイが笑う「もしも」の世界。前の自分がタイプ・ブルー以外のミュウに生まれていたなら、あったかもしれない別の人生。
閉じ込められてチビのままでも、人体実験などは無い生活。研究者たちが観察するだけ、たまに検査をされるだけ。採血をしたり、思念波のテストをやってみたりと。
「お前がタイプ・ブルーでなければ、同じミュウでも、幸せに暮らせていたんだろうが…」
前のお前の人生よりかは、遥かに恵まれていたんだろうが…。
しかし、時間の問題だぞ。お前がのんびり暮らせる世界が終わっちまうのは。
いつまでも平和に暮らせやしない、とハーレイが言うから驚いた。前の自分がチビのままでも、普通のミュウには違いない。人類にとって脅威になりはしないのだから。
「…どういうこと?」
前のぼくは何もしたりしないよ、育たないだけで。…サイオンも強くなったりしないし、普通のミュウのままなんだから。…閉じ込めておけば充分なんだし、ぼくも文句は言わないし…。
逃げ出そうともしない筈だよ、と首を傾げた。平和な日々が終わる理由が分からないから。
「簡単なことだ。…前のお前がタイプ・ブルーじゃなかったとしても…」
前のお前みたいなミュウが、いずれ出てくる。危険なタイプ・ブルーのミュウが。
そしたら、お前も檻に押し込まれて、平和な日々はおしまいだ。
「ミュウは危険な生き物なんだ」と人類が思い知るからな。タイプ・ブルーが出てくれば。
そうなればお前も同じミュウだし、のんびり飼ってはいられない。ミュウは纏めて檻の中でだ、チビのお前も檻に入れられちまうってな。
無害なままで何年生きていようが、そいつは考慮されないぞ、と告げられた終わり。前の自分が普通のミュウでも、いつか終わりが来るのだと。
「そんな…! ぼくは、なんにもしていないのに…!」
ずっと大人しく生きていたのに、それでも檻に入れられちゃうの…?
危険なんか無いって分かってるくせに、ぼくまで檻に閉じ込められるの…?
「ミュウが進化の必然だったら、そうなるさ。…いつかはタイプ・ブルーが出てくる」
そいつが来たなら、お前だけを特別扱いは出来ん。どんなに無害なミュウでもな。
人類ってヤツは小さな子供も殺していたんだ、ミュウというだけで。
そうなったのも、ミュウは危険だと分かったからだろ、アルタミラで滅ぼし損なっちまって。
もっとも、檻に入れられたとしても、最初のミュウなら別扱いかもしれないが…、という話。
他のミュウとは違う区画に入れておくとか、その程度の違いなのだけど。
ただ、それまでは平和に暮らしたチビのミュウ。普通のミュウに過ぎない前の自分が、メギドの炎で燃えるアルタミラから無事に逃げられたかどうか…、とハーレイは首を捻っている。
ミュウを殲滅しようとメギドが持ち出された時、何処のシェルターにいたかで分かれた運。命を拾った者たちもいれば、死んでしまった者たちも。
「お前が一番最初のミュウでも、きっと容赦はしなかったろうし…」
今後の研究に役立てようと、連れて逃げたりもしなかっただろう。研究者どもは。
そうなると、お前もシェルターに閉じ込められるわけだが…。そのシェルターの場所が問題だ。
地震で壊れちまったヤツが幾つもあったろ、押し潰されたり、地割れに飲まれてしまったり。
あんな具合に壊れたシェルターの中にいたなら、お前、自分を守れないぞ。
タイプ・ブルーじゃないんだからな、と聞かされてゾクリと寒くなった背筋。のんびりと平和に暮らしたミュウなら、シールドも張れはしないだろう。張ってみたことも無いのだから。
現にアルタミラで死んだ仲間は、皆、ミュウだったのに、自分を守れなかった。死が迫っても。
「本当だ…。ぼく、そんな場所だと死んじゃうよ…」
シェルターごと潰されちゃった仲間みたいに、ぼくも死んじゃう。自分の身体を守る方法、何も分かっていないんだから…。
「俺と一緒のシェルターにいれば、俺が守ってやるんだが。…潰されないように」
お前を見たならチビの子供だと思い込むから、俺の身体で庇ってやって。「こっちに来い」と。
後は火事場の馬鹿力だよな。俺のサイオンが働いてくれれば、シールドも張ってやれるから。
お前を守ってやらないと、という一念だけでシールドを張れれば、もう大丈夫だ。
タイプ・グリーンの防御力ってヤツは、タイプ・ブルーに匹敵するしな、と話すハーレイなら、やり遂げてくれることだろう。地割れに飲まれてゆく中でも。上から押し潰されそうな中でも。
「きっとそうだよ、ハーレイと一緒」
前のぼくが普通のミュウだったとしても、ちゃんとハーレイが助けてくれるよ。
ぼくの力じゃ生きられなくても、ハーレイがいてくれるから…。
同じシェルターの中にハーレイがいるよ、ぼくを助けてくれるためにね。
きっとハーレイがいるんだから、と笑顔で見詰めた恋人の顔。前の生から愛し続けて、今もまた一緒に生きている人。…この地球の上で。
そのハーレイなら、前の自分が普通のミュウでも、きっと助けてくれる筈だと思ったのに。
「どうだかなあ…。俺はお前を助けてやりたいんだが、俺の運命が許してくれるかどうか…」
お前を助けてやることを、とハーレイが言うからキョトンと見開いた瞳。
「運命って?」
ハーレイの運命が何だって言うの、ぼくを助けるのと、どう関係があるって言うの…?
「いや、俺は…。未来のソルジャーってヤツと一緒に、他の仲間を助けに行くのが俺だから…」
前のお前とそれをやったろ、シェルターを端から開けて回って。
だから、お前の他に未来のソルジャーがいるんだったら、俺はそっちに行くのかもな、と…。
タイプ・ブルーのミュウが他にいるなら、そいつが未来のソルジャーだろうが。
「えーっ!?」
そんなの嫌だよ、ハーレイが他の誰かと行ってしまうだなんて…。
ぼくを助けてくれる代わりに、他の誰かと一緒に走って行くなんて…。
そうなっちゃったら、アルタミラから脱出できても、ハーレイの側にはその人がいて…。
ハーレイはその人を手伝うわけでしょ、ぼくの側にはいてくれないで…?
「俺だって嫌だ、そんな運命が待ってるのはな」
お前と一緒に閉じ込められて、お前と一緒に逃げたいもんだ。…普通のミュウのお前でも。
あの船じゃただのミュウの二人で、ソルジャーでもキャプテンでもなかったとしても。
断然そっちの方がいい、とハーレイが口にした人生。二人揃って、ただのミュウ。
「ねえ、ハーレイ…。それって、とっても幸せじゃない?」
ただのミュウ同士なら、恋人同士になっても平気。ずっと幸せに生きていけるよ、あの船で。
「まあな。幸せに生きてはゆけるんだろうが、その後のことが問題で…」
平凡に生きて死んだだけだと、こうして生まれ変われるかどうか…。
俺たちの絆はきちんとあっても、今の時代に、青い地球まで来られたかどうかが気になるな…。
「そっか…」
二人一緒に天国に行って、それでおしまいかもしれないね。
前のぼくが普通のミュウに生まれて、ハーレイもキャプテンにならなかったら…。
やっぱりソルジャーでなくちゃ駄目かな、とハーレイの鳶色の瞳を見詰めた。前の自分は、その運命を生きるべきだったろうか、と。普通のミュウには生まれないで。
「…前のぼく、やっぱりタイプ・ブルーでなくちゃ駄目…?」
とても酷い目に遭っちゃったけれど、あの人生でなくちゃ駄目かな…?
「多分な。こうして二人で、青い地球まで来るためには」
前のお前が頑張ったお蔭で、今のサイオンが不器用なお前と、教師の俺が地球にいる、と。
青く蘇った地球に二人で生まれて、一緒に生きてゆけるってわけだ。うんと平和に。
いつかはお前と結婚できるし、いつまでも一緒なんだから。
そうなるためにも、前の俺たちの人生はあれで良かったんだ、と言われたらそう思えるから。
ハーレイと一緒に此処にいられる今がいいから、前の自分はあれでいい。
ソルジャーとして生きた人生はとても辛かったけれど、ハーレイという人に会えたから。
前のハーレイと恋をして生きて、今は二人で青い地球の上にいるのだから…。
別の人生なら・了
※前の自分がタイプ・ブルーではなかったら、と考えたブルー。人体実験などは無いかも。
人類が初めて目にしたミュウというだけ、観察対象で済んだ可能性。危険だと分かるまでは。
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手を上げろ、と飛んだハーレイの声。古典の授業の真っ最中に。
ハーレイの指が指した生徒は、ブルーの席から数列前にいる男子生徒で。
「そう、お前だ。そのまま両手を上げてろよ?」
動くんじゃない、と睨むハーレイ。鋭い視線で、教室の前の教卓から。
(えっと…?)
何事だろう、と窺った男子生徒の様子。居眠りなどしてはいなかった筈で、隣と喋ったわけでもない。それに授業中の私語を咎めるのならば、誰かが一緒に指されるだろう。「お前もだ」と。
けれど何かが起こったからこそ、ハーレイが命じた「手を上げろ」。「動くな」とも。
いったい何が原因なのかと、男子生徒の席を後ろから眺めていたら…。
(机の下…!)
其処から出て来た一冊の本。膝の上に置いて読んでいたのか、教科書の陰にあったのか。後ろの方から見ているからこそ、それに気付いた。ふうわりと浮いて、彼の背後に回り込む本に。
サイオンで浮かせているらしい本。今は運んでいる所。何処かに向けて。
(…何処に隠すの?)
本の存在がバレないようにと、努力している男子生徒。後ろの生徒に頼む気だろうか、思念波でコッソリ連絡をして。「暫く、持っていてくれ」と。
問題の彼は、今も手を上げたままだから。まるで動けはしないのだから。
(凄い…)
本だけ逃がすつもりなんだ、と驚かされた証拠隠滅。いくらハーレイが発見したって、その本が何処にも無かったならば、「読んでいた」と叱ることは出来ない。「先生の見間違いです」と彼が主張したなら、そういうことになるだろう。本は見当たらないのだから。
(咄嗟にあんなの、思い付くなんて…)
きっと昔から常習犯。下の学校に通う頃から、何度もやったに違いない。こういう時は、と頭に入っている手順。そうでなければ、直ぐには動けないだろうから。
(サイオンは心と繋がってるから…)
パニックになれば、上手く操れなくなるもの。今のように叱られたりすれば。不意打ちされたらビックリするから、本を隠すなどまず不可能。「どうしよう?」と慌てる間に没収で。
慣れてるんだ、と感心した男子生徒の行動。褒められたことではないのだけれども、間違いなく持っている度胸。「バレた時には隠せばいい」と、「後ろの生徒に頼もう」と。
けれど、彼より上手だったのがハーレイの方。教卓を離れて歩き出しながら…。
「動くんじゃないと言ったがな? 手を上げたままで」
大股で歩く机の間。男子生徒の席に向かって。
「動いてません!」
「なら、これは何だ?」
捕まえたぞ、とハーレイの手が掴んだ本。後ろの生徒が机の下で受け取る前に。「没収だ」と。褐色の手は、証拠の本を捕まえた。それは見事に、逃げられない内に。
その場でパラパラめくった後には、教卓に戻って「刑は重いぞ」という宣告も。教卓に置かれた問題の本。それの表紙をポンと叩いて。
「素直に没収されてりゃいいのに、隠そうとした所がなあ…。刑を重くもしたくなるだろ?」
これは今日中には返してやらん。俺の授業が次にある日まで、預かっておく。いつだっけな?
その日の授業が終わった後に、俺の所へ取りに来い。宿題と引き換えに渡してやるから。
お前だけのために宿題プリントをサービスしよう、とニヤニヤ笑い。宿題が嫌なら、没収されたままでいろ、とも。
「そんな…!」
困ります、と彼は叫んだけれども、ハーレイは涼しい顔で返した。「俺は少しも困らんぞ」と。
「お前の本が職員室の備品になろうが、知ったことではないからな。まだ本棚に空きはある」
俺が貰って読むのもいいなあ、この本はまだ読んでないから。…子供向けだしな?
たまには若いヤツらに人気の本を読むのもいいだろう。書斎でゆっくり、コーヒーも飲んで。
恨むんだったら、自分の愚かさを恨むんだな、と男子生徒を見据える瞳。いつもの穏やかな光の代わりに、ちょっぴり怖い色を湛えて。
「せ、先生…」
すみません、と男子生徒が頭を下げても、まるで聞く耳を持たないハーレイ。教卓に置いた本を眺めて、腕組みをして。
悪いのは明らかに生徒だから。誰に訊いても彼が悪くて、ハーレイは悪くないのだから。
次の授業まで没収だ、と繰り返してから、ハーレイがぐるりと見渡した教室。「注意しろよ」という風に。「お前たちだって、こうなるのかもしれないぞ?」と。
「俺は容赦はせんからな? 授業の時間に読んでいい本は教科書だけだ」
それと参考書なら問題は無いが、無関係な本は許さんぞ。証拠隠滅を図るようなら尚更だ。
もっとも、瞬間移動で飛ばされた時は、現場を押さえるのは難しいんだが…。いくら俺でも。
やりやがったな、と気が付いたって、飛んでった先が掴めないんじゃな。しかしだ…。
このクラスには…、と名簿をチェックしたハーレイ。「瞬間移動が出来る生徒はいないな」と。
(…タイプ・ブルーは、ぼく一人だけ…)
前の自分が生きた頃より増えたとはいえ、珍しいのがタイプ・ブルー。いるとなったら、話題に上る。「ウチのクラスにいるらしい」と。
だから誰もが知っていること。タイプ・ブルーの生徒がいるのも、それは誰かも。
ところが、とびきり不器用な自分。タイプ・ブルーは名前ばかりで、瞬間移動で本の一冊さえも飛ばせはしない。クラスメイトも承知なのだし、弾けた笑い。「このクラスにはいないな」というハーレイの声で。本当は一人いるのだけれども、いないのと変わらないのだから。
(あーあ…)
カッコ悪いよ、とガッカリな気分。下の学校の生徒だった頃から不器用なのだし、慣れっこにはなっているけれど…。
(今だと、遥かに情けないってば…)
自分が誰かを思い出したから、情けない。前の自分はソルジャー・ブルー。使いこなせた強大なサイオン、今の時代も名前が残る大英雄。同じ魂を持っているのに、全く駄目、と。
どうしてぼくは駄目なんだろう、と不器用すぎるサイオンのことを嘆いていたら…。
「おい、ブルー」
「え?」
隣の席の男子生徒に呼び掛けられた。思念波ではなくて、ヒソヒソ声で。今度は何、と彼の方を見たら、彼は親切に教えてくれた。教室の前を指差しながら。
「当てられてるぞ、さっきから」
「ええっ!?」
ちょっと待って、と見上げた先にハーレイの顔。さっきみたいに腕組みをして。
隣の生徒の声に気付くまで、知らなかった「当てられている」事実。もう本当に赤っ恥。
ハーレイにも失笑されてしまった。「上の空とは、お前もなかなかいい度胸だな?」と、没収の刑を食らった生徒と並べられて。
(聞こえてなかった…)
自分のサイオンのことに夢中で、授業が再開されたことにも気付かない始末。ハーレイが投げた質問が何かも分からないから、隣の生徒に訊くしかなかった。「何だったの?」と。
やっとのことで、肩を落として答えた解答。蚊が鳴くような声で、俯いたままで。
そんな具合で終わった授業。ショックが抜け切らない内に。大好きなハーレイの授業で大失敗をやったわけだし、放課後になっても悲しい気持ち。
(…今日は散々…)
せっかくハーレイの授業だったのに、とションボリ帰って行った家。路線バスでも俯き加減で。バス停から家まで歩く道でも、足元ばかりを見てしまって。
家に帰り着いて、おやつの間も思い出す授業中の光景。上の空で恥をかいてしまった原因の方が大いに問題。タイプ・ブルーに生まれたくせに、瞬間移動も出来ない自分。
タイプ・ブルーなら、瞬間移動は簡単なのに。ハーレイの授業で叱られた男子、彼がサイオンで本を運ぼうとしていたみたいに、タイプ・ブルーなら出来る瞬間移動。あそこまで、と頭に描いた場所へ、一瞬で。手を触れもせずに、とんでもなく遠い所へだって。
前の自分なら、たやすく出来た。息をするようにサイオンを操り、使いこなしていたのだから。瞬間移動で物を動かすことも出来たし、自分自身を飛ばすことだって。
(シャングリラの中でも、何処でも飛べたよ…)
行こうと思えば、一瞬の内に船の外へも出てゆけた。ハッチの一つも開けはしないで、宇宙船の堅固な外壁を抜けて。間に挟まる幾つもの部屋、それらも通り抜けさえしないで。
(外へ出るんだ、って思ったら外…)
ついでに船の外に出たって、同じように移動してゆけた。気が遠くなるほどの距離だって。
宇宙船を使って飛んでゆくなら、かなり時間がかかる距離でも、ほんの一瞬。あそこまでだ、と狙いを定めて飛びさえしたら。
空を飛ぶようにも飛べたけれども、瞬間移動ならもっと速くなる。ワープみたいに越える空間。ワープドライブは使いもしないで、サイオンの力だけを使って。
意志の力で何処までも飛べたソルジャー・ブルー。前の自分なら、星と星との間でさえも、瞬間移動で飛べたほど。最後にメギドへ飛んだ時にも、瞬間移動で距離を稼いでいたのだから。
もしも弱っていなかったならば、一瞬で飛んで行けたろう。赤いナスカから、忌まわしい兵器を陰に隠したジルベスター・エイトまでの距離。それこそメギドの制御室までも。
けれども弱った身体では無理で、相当に無駄にした時間。メギドに着いて制御室まで歩く間も、それまでに飛んだ宇宙でも。…本当だったら、もっと簡単に飛び込めたのに。目的地へと。
弱っていたって、あれだけの距離を瞬間移動で飛んでゆけたのがソルジャー・ブルー。その魂を持っているのが、今の自分の筈なのに…。
(今のぼくだと、赤ちゃん以下…)
人間が全てミュウの今では、生まれた時から誰もが持っているサイオン。赤ん坊だって、漠然とした思念波くらいは紡げるもの。言葉にはなっていなくても。
(だけど、ぼくだと…)
それさえも不器用だったと言うから、どうしようもない。子育てに苦労したらしい母。ミルクが欲しくて泣いているのか、眠いのかさえも分からなくて。
赤ん坊にも敵わない自分。前の生の記憶が戻って来たって、サイオンの方は戻らなかった。今も自分の中で眠って、一向に目覚めてはくれない。タイプ・ブルーなら使える筈の力は。
一度だけ出来た瞬間移動は、神様の奇跡だったのだろう。メギドの悪夢を見て怯えていたから、特別にたった一度だけ。「ハーレイに会わせてあげよう」と。
目が覚めたら、ハーレイのベッドだったから。眠ったままでハーレイの家に飛んでいたから。
(あの時だけで、普段はなんにも出来ないし…)
瞬間移動で飛べないどころか、おやつのケーキに添えて貰った紅茶。母が淹れてくれたカップの中身を見詰めてみたって、紅茶には小さな波さえ立たない。
前の自分が持っていたサイオン、あれは水との相性が良かった筈なのに。ひっくり返って零れた水さえ、コップに戻せたほどだったのに。
(だから青の間に貯水槽…)
サイオンを高めるためには水だ、と船の仲間たちに説いた長老たち。それにキャプテン。お蔭で巨大な貯水槽があった、前の自分が暮らしていた部屋。
本当はこけおどしだけれど。ただの演出、あんな水など無くても力を使えたけれど。
今の自分だと、瞬間移動は一度きり。おまけに自覚もまるで無いから、何の参考にもならない。もう一度やってみたくても。…ハーレイの家まで瞬間移動をしたくても。
(クローゼットに印を書いてた時も…)
前の自分の背丈は此処、と床から測って鉛筆で微かに引いた線。其処まで大きくならない限り、ハーレイはキスをしてくれない。けれど、其処まで育ったら…。
(前のぼくだった頃と全く同じに、ハーレイと過ごせるんだから…)
これが目標、と書き込んだ印。母に見付かって叱られないよう、ごくごく薄く。その線を引いた日、サイオンで浮いていた自分。「この高さだよ」と頭を其処に合わせるように。
前の自分の視線の高さで、部屋のあちこちを見回してみた。「育った時にはこう見えるよ」と。床に下りてはまた浮き上がって、何度も確かめていた視点。前の自分の背丈の高さで。
浮いたり下りたりしたのだけれども、あれだって前の自分の仕業。…今から思えば。
新しい命と身体を貰って、きっとはしゃいでいたソルジャー・ブルー。前の自分が身体の中からヒョイと出て来て、サイオンを使ったのだろう。新しい身体の使い心地を確かめるように。
(今のぼくだけど、中身は前のぼくだから…)
同じ魂が入っているから、そういうことも起こる筈。無意識の内に瞬間移動をやったみたいに、知らずに使っていたサイオン。あの時は少しも不思議に思いもしなかったから。
(もし気付いてたら、大事件…)
サイオンが不器用な自分にとっては一大事件で、大感激だったことだろう。「ぼくも出来た」と大喜びで、クローゼットに書いた印の意味も忘れて…。
(ママを呼びに走って行っちゃいそう…)
この高さまで浮けるんだから、と自慢したくて。浮いたり下りたり出来る自分を、母にも褒めて欲しくって。「ほらね」と何度もやって見せては、得意になって。
けれど自分は気付かなかったし、母は今でも知らないまま。クローゼットの印はもちろん、印を書いた日に一人息子がサイオンを使いこなしたことも。…床から浮いて下りるだけでも。
(前のぼくでないと駄目なんだよね…)
瞬間移動も、身体を床から浮かせることも、色々なサイオンの使い方。前の自分は鮮やかに使いこなしたけれども、自分は赤ちゃん以下だから。
タイプ・ブルーに生まれて来たって、何一つ出来はしないのだから。
おやつを食べ終えて部屋に帰っても、零れる溜息。何もかもまるで駄目な自分。勉強机に頬杖をついて、振り返ってみる不器用さ。勉強はともかく、サイオンだったら赤ん坊以下。
(今のぼくだと、ソルジャーになんかなれないよ…)
瞬間移動はとても無理だし、生身で宇宙に出られもしない。白いシャングリラを守るどころか、今の自分が暮らす部屋さえ、風からだって守れはしない。窓を開けている時に突風が来たら、もう一瞬でメチャクチャになる。軽い紙などが飛んでしまって、床の上などに散らばって。
(自分の部屋も守れないんじゃ、ソルジャーは無理…)
絶対に無理、と考えていたら、ふと思ったこと。
今の不器用な自分ほどではないにしたって、前の自分が普通のミュウに生まれていたら、どんな人生だっただろう、と。
タイプ・ブルーではなくて、平凡なミュウ。ハーレイみたいなグリーンでもいいし、イエローやレッドでもかまわない。どれも突出してはいないし、攻撃力も持っていないから。
(えーっと…?)
前の自分が普通のミュウなら、成人検査用の機械は壊れていないだろう。ハーレイたちは壊していないし、他のミュウも壊していない筈。…前の自分が知る限りは。
(記憶を消されるのが嫌で、叫んでたって…)
機械が壊れないのだったら、何かエラーが出た程度。検査室とガラスで隔てられた部屋、其処に白衣の大人たちがいるのが見えたけれども…。
(見てたモニターの表示が変になるとか、そんな感じで…)
成人検査は、きっと中止になったろう。正常に終わりはしなかったのだし、恐らくは保留。日を改めて実施するとか、そういうケースもあったのだから。
(…家には帰れないんだろうけど…)
それだけのことで、ミュウだとバレない可能性もある。検査を受けたその場で、直ぐには。
(ぼくが初めてのミュウなんだから…)
他に前例の無いケース。表示されたエラーが何故そうなったか、係の者にも分からないだろう。別の日にまた検査してみて、同じエラーで中止になったら、やっと変だと思い始める。
それでもバレない自分の正体。人類ではなくてミュウだということ。
彼らはミュウを知らないから。SD体制の時代に入った後には、ミュウは生まれなかったから。
多分、謎だったろうエラーの理由。成人検査が上手くいかなくて、中止になってしまう原因。
アルタミラにもあったのだろう、マザー・システムの端末に尋ねてみるまでは。成人検査が失敗ばかりの子供が一人、とエラーになってしまう理由を。
其処で答えが出なかったならば、地球に据えられたグランド・マザーに問い合わせるとか。
(…そこまでされたら、バレちゃうよね…)
どうしてエラーばかりになるのか、その原因が。
SD体制に入る前の時代に、ミュウは生まれていたのだから。研究者たちは何度も検討した末、ミュウの因子を排除しないで残そうと決断したのだから。
それを知るのがグランド・マザーで、当然、ミュウも知っている。成人検査を受けさせたなら、どんな結果になるのかも。
だから係の者に伝える、「その子はミュウだ」という事実。人類とは違う種族で異分子、社会に出してはならないもの。何故なら世界は人類のもので、ミュウのものではないのだから。
SD体制の時代だったら、抹殺すべき存在がミュウ。けれど、最初に発見されたミュウの自分が無害だったら、人類はどう扱ったのか。
(成人検査は、パスさせて貰えないけれど…)
どうなったのだろう、その後の自分は。
成人検査を何度も受ける間に、子供時代の記憶をすっかり失くしてしまっていそうな自分。前の自分がそうだったように、養父母の顔も忘れてしまって。
けれど、それだけ。成人検査の機械も壊さず、大人しく検査を受け続けただけ。促されるままに何回も。記憶を消されるのがどんなに嫌でも、機械を壊せはしないのだから。
(逃げ出すことだって出来ないし…)
仕方ないよね、と諦めて検査を受けさせられていたのだろう。「今度は何を忘れるだろう」と、失うことだけを恐れ続けて。色々なことを忘れさせられる、検査の度に悲しみながら。
たったそれだけ、前の自分が普通のミュウに生まれていたら。
前の自分のような危険は、まるで無さそうな大人しい子供。ミュウの子供だというだけで。
それが発見第一号なら、人類はどう扱っただろう?
前の自分は問答無用で撃たれたけれども、それは機械を壊したから。看護師が「殺さないで」と叫んだくらいに、危険すぎるサイオンを持っていたから。
そういうミュウでなかったら。タイプ・ブルーではない普通のミュウなら、前の自分はどういう道を辿っただろう。…成人検査を通過し損ねた後は。
(あそこの施設で観察なのかな…?)
研究所ではなく、成人検査のために出掛けた施設。成人検査をやり直すケースがあった以上は、その子供たちを待機させる部屋もあったろう。前の自分もミュウと断定される前なら、その部屋に留め置かれた筈。養父母の家には帰せないから。
(その部屋に入れて、様子を見るとか…?)
特に危険が見られないなら、そういうことになるかもしれない。人類が初めて目にするミュウ。それはどういう生き物なのかと、社会には出さず、ただ観察をするだけで。
(ただの子供で、思念波だって…)
相手が思念波を持たない人類ばかりだったら、わざわざ使いはしないだろう。成人検査を受ける前には、そんな力は持たない子供だったから。人類と同じに言葉で会話していたのだから。
(人体実験をする価値、無いよね…?)
普通のミュウに生まれていたなら、どうなるのかな、と考えていたら、聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、一気に引き戻された気分。大恥をかいた授業の時間に。
だからハーレイとテーブルを挟んで向かい合うなり、まずは授業の話。
「今日のハーレイ、凄かったね。手を上げろ、って」
ビックリしたけど、流石ハーレイだと思ったよ。本を読んでた生徒に気が付いちゃうんだから。
それにサイオンで隠そうとしたの、隠すよりも前に見破ったしね。
本を没収しちゃったじゃない、と褒めたハーレイの勘の鋭さ。きっと武道で鍛えたお蔭で、身についたものだと思うから。…サイオンなどとは無関係に。
「そう言うお前は、大いに間抜けだったがな」
俺の授業中に上の空とは恐れ入ったぞ。俺に見惚れていたなら許すが、違うようだし…。
ボーッとしていて質問さえも聞いてないんじゃ、考え事っていう所だろ?
いったい何をやっていたんだ、今日のおやつが気になってたのか、晩飯なのか?
少なくとも俺のことではないだろうと踏んでいるんだがな…?
俺が関係していたのならば、もっと真っ赤になる筈だ、というのがハーレイの指摘。同じように真っ赤になっていたって、教科書さえも取り落とすほどに慌てるだとか。
「どうなんだ、おい? 上の空だったお前の頭の中身は…?」
お母さんが焼くケーキのことか、とハーレイはまるで気付いていない。前の自分と今の自分の、あまりにも違いすぎる能力の差に頭を悩ませていたのだとは。
「それなんだけど…。ママのケーキとか、晩御飯は関係ないんだってば」
関係があるのはハーレイの授業で、授業って言うより「手を上げろ」の方…。
ハーレイに本を没収された子、サイオンで本を隠そうとしていたけれど…。ぼくの席からだと、よく見えたんだよ。手を上げたままで、サイオンで本を運ぶのが。
隠す前にハーレイにバレちゃってたけど、あれって絶対、常習犯だよね。パニックになったら、サイオンは上手く使えないから。…「バレちゃった」って慌てていたんじゃ、絶対に無理。
それで、とっても感心してて…。今のぼくって、サイオンがうんと不器用だから。
前のぼくとは違うよね、って考えてたんだよ、あれから後も。
ハーレイが本を没収しちゃって、「瞬間移動なら現場を押さえにくい」って言った後もね。
今のぼくだと、瞬間移動は無理だから…。タイプ・ブルーだから出来る筈なのに…。
不器用すぎて出来ないもの、と項垂れた。それが自分の考え事で、上の空になっていたのだと。
「瞬間移動は無理だ、って…。お前、そんなの気にしてたのか?」
そいつが今のお前ってヤツで、俺はすっかり慣れちまったが…。前のお前とは違うよな、と。
不器用なお前も可愛いもんだし、悪くないと思っているんだが…?
今度こそ守ってやれるからな、とハーレイは言ってくれるけれども、授業の時は違ったから。
「でも…。ハーレイも、クラスのみんなも笑うんだもの…」
ぼくのクラスには瞬間移動が出来る生徒はいない、ってトコで。…名簿にはちゃんと書いてあるでしょ、クラスのみんなのサイオン・タイプ。…タイプ・ブルーのぼくがいることも。
タイプ・ブルーなのにカッコ悪いよ、って思ってた間に当てられちゃった…。ハーレイに。
「おいおい、理由は分かったが…。それにしたって、授業中だぞ」
考え事と余所見は良くないってな。いくらお前が優等生でも、授業は聞かなきゃ駄目だろうが。
「うん…。それは分かっているけれど…」
だから真っ赤になっちゃったんだし、大恥だってかいたんだけど…。
それでね、とハーレイにも話してみた。さっき自分が考えていた、別の話を。
前の自分が普通のミュウに生まれていたなら、どうだったろう、と。
「…普通のミュウだと?」
タイプ・ブルーじゃないって意味なのか、前のお前のサイオン・タイプが。…攻撃力が無い他のタイプで、俺みたいなグリーンとか、エラみたいなレッドとか、そういうことか…?
まあ、イエローでも必死になれば凄いわけだが…、とハーレイが挙げるサイオンの力。ごくごく普通のミュウの場合も、追い詰められれば反撃する。でないと死んでしまうのだから。
そうした時の力が強いのがイエロー、けれど普段は大人しい。自分から攻撃したりはしないし、あくまで反撃するというだけ。自分の方から仕掛けてゆくのは、タイプ・ブルーしかいなかった。
前の自分は、不幸にもそれに生まれただけ。一番最初のミュウだったのに。
「…そうだよ、不器用なタイプ・ブルーっていうわけでもなくて、ホントに普通」
そういうミュウなら、成人検査用の機械を壊していないだろうから…。
記憶を消されそうになって叫んでも、攻撃力が無いんだものね。殺されそうなら反撃したって、そこまではされていないんだから…。泣き叫ぶくらいが関の山だし、思念波だけでしょ?
そしたら出るのはエラーくらいで、機械は壊れはしなくって…。
最初の間は成人検査のやり直しとかで、その内に、ぼくがミュウだってことが分かっても…。
前のぼくの時みたいに撃ち殺そうとしたりはしないで、暫く観察になるのかな、って…。
ミュウはどういう生き物なのか、部屋に閉じ込めて様子を見るとか。
どう思う、と尋ねてみたら、ハーレイは「ふむ…」と顎に手を当ててみて。
「その可能性は大きいだろうな。殺さなきゃいけない理由が無いし…」
前のお前の場合だったら、殺さなければ殺される、と考えて撃って来たんだろうが…。
お前が何もしないとなったら、観察したくもなるだろう。初めて発見されたミュウだし。
俺たちが成人検査を受けた施設に足止めじゃないか、外の世界には出せないからな。成人検査をパスした子供が行ける場所には送り出せない。…ミュウである以上。
ならば、あそこの施設が一番妥当だろう。かなり大きな建物だったし、一度目の検査で不合格になった子供たちを待機させておく部屋だってあっただろうしな。
「やっぱり…?」
いきなり檻に入れるんじゃなくて、普通の部屋が待っていたのかな…。普通のミュウなら。
ハーレイもそう考えるのなら、有り得たかもしれない別の人生。前の自分がタイプ・ブルーではなくて、他のサイオン・タイプだったら。…攻撃力が無い普通のミュウなら。
「…部屋に閉じ込めて観察だけなら、もしかして、人体実験も無し?」
ミュウだってことがバレてしまっても、何も出来ないミュウなんだから…。
頭の中身を無理やり調べてみたって、考えてるのは御飯のこととか、そんなのばかり。役に立つことは何も入っていなくて、普通の人間と変わらなくって…。
それに機械を壊すことさえ出来ないミュウだよ、人体実験をする価値なんて無さそうだけど…。
下手にやったら死んじゃいそう、と前の自分を思い浮かべた。タイプ・ブルーだったからこそ、繰り返された過酷な実験。低温実験や高温実験、様々な薬物の投与なども。
けれど、普通のミュウだったなら。…銃弾を受け止めることも出来ないようなミュウなら、酷い実験をすれば直ぐに死ぬ。虚弱に生まれついた身体は、頑丈に出来ていないのだから。
「実験か…。そいつも無かったかもしれん。…お前というミュウに害が無いなら」
タイプ・ブルーじゃなかったんなら、人類の方も身の危険ってヤツを感じないからな。人類とは違う種族がこれか、と考えるだけで終わっただろう。まるで怖くはないんだから。
前のお前がやったみたいに、成人検査の機械を壊してしまうとか…。銃弾を全部止めてしまって無傷だったとか、そんなのがあれば、ミュウを恐ろしいと思ったろうが…。
そういったことがまるで無ければ、異分子が発生しただけのことだ。社会からは抹殺すべきものでも、社会に出さなきゃいいんだし…。
どうやってミュウを退治すればいいか、それを慌てて考えなくてもいいからな。
お前を閉じ込めておくだけで済むし、とハーレイの意見も似たようなもの。人体実験をする必要などは無くて、ミュウという生き物を観察するだけ。
「普通のミュウなら、そうなったかな…?」
人体実験なんかはしないで、ぼくを閉じ込めておくってだけ。…出られないように。
「そうだったんじゃないか? なにしろ初めてのミュウだ」
SD体制が始まる前にも実験室では生まれたと言うが、前の俺たちが生きた頃にはいなかった。
そいつが目の前に現れたんなら、どんな生き物かを探ろうと考えはするんだろうが…。
ミュウの特徴の思念波なんかも調べるだろうが、それも酷くはなかっただろう。
実験というよりテストみたいなものかもしれんぞ、色々な質問をしてみたりしてな。
人類にとって脅威にならない普通のミュウなら、閉じ込めておくだけで観察対象だった可能性。前の自分がやられたように、殺されそうにはならないで。
酷い実験もされることなく、「ミュウというのはこういうものか」と研究者たちが眺めるだけ。たまにテストをされる時でも、機械を使った拷問ではなくて、言葉を使った質問だとか。
「…そっちだったら、前のぼく、幸せだったかも…」
大人の社会に出られないから、不幸には違いないけれど…。閉じ込められたままなんだけど。
それに記憶も失くしてしまって、パパもママも思い出せなくて…。
自分の家が何処にあったかも、思い出せなくなっちゃって…。
それでも、前のぼくより幸せ。人体実験なんかは無くって、檻じゃなくて部屋で暮らせるなら。部屋の外には出られなくっても、ちゃんとベッドや椅子があるなら…。
幸せでも、チビだろうけれど。大人になれなかったショックか、「人間じゃない」って言われたショックで、ビックリして年を止めちゃって。
…大きくなっても、いいことは何も無いんだから。…前のぼくほどじゃないけどね。
心も身体も育つのをやめてしまいそう、と言ったらハーレイも頷いた。
「そうかもなあ…。いくら平和に暮らしていたって、お前、繊細そうだから」
育っても何もいいことは無い、と気付いた途端に成長を止めてしまいそうではある。前のお前がそうだったように、チビのまんまで。…ミュウは誰でも、外見の年齢を止められるからな。
そうやって成長を止めていたって、酷い目には遭わずに済んだだろう。…どういう仕組みで年を取らなくなっちまったかも、病院の検査の親戚くらいで終わっただろうな。
定期的に血の検査をするとか…、というハーレイの読みは正しいと思う。思念波くらいしか力が無いなら、そのくらいしか調べる要素が無い。他の部分は人類と変わらないのだから。
「血液検査で済みそうだよね…。ぼくが育たなくなっちゃっても」
後は食べ物を変えてみるとか、その程度。栄養がつくものを食べさせてみたら、育ち始めるかもしれないから。…栄養不足で育たないのか、って勘違いして。
「栄養不足か…。人類だったら思い付きそうなことではあるな」
ミュウがすくすく育つためには、人類よりも沢山の飯が必要なんだ、という誤解。
もっと沢山食べてみろ、と山のような量の飯をお前に食わせるだとか。量が沢山入らないなら、栄養価の高い食い物ばかりを与えるとかな。
飯も美味くて好待遇か、とハーレイが笑う「もしも」の世界。前の自分がタイプ・ブルー以外のミュウに生まれていたなら、あったかもしれない別の人生。
閉じ込められてチビのままでも、人体実験などは無い生活。研究者たちが観察するだけ、たまに検査をされるだけ。採血をしたり、思念波のテストをやってみたりと。
「お前がタイプ・ブルーでなければ、同じミュウでも、幸せに暮らせていたんだろうが…」
前のお前の人生よりかは、遥かに恵まれていたんだろうが…。
しかし、時間の問題だぞ。お前がのんびり暮らせる世界が終わっちまうのは。
いつまでも平和に暮らせやしない、とハーレイが言うから驚いた。前の自分がチビのままでも、普通のミュウには違いない。人類にとって脅威になりはしないのだから。
「…どういうこと?」
前のぼくは何もしたりしないよ、育たないだけで。…サイオンも強くなったりしないし、普通のミュウのままなんだから。…閉じ込めておけば充分なんだし、ぼくも文句は言わないし…。
逃げ出そうともしない筈だよ、と首を傾げた。平和な日々が終わる理由が分からないから。
「簡単なことだ。…前のお前がタイプ・ブルーじゃなかったとしても…」
前のお前みたいなミュウが、いずれ出てくる。危険なタイプ・ブルーのミュウが。
そしたら、お前も檻に押し込まれて、平和な日々はおしまいだ。
「ミュウは危険な生き物なんだ」と人類が思い知るからな。タイプ・ブルーが出てくれば。
そうなればお前も同じミュウだし、のんびり飼ってはいられない。ミュウは纏めて檻の中でだ、チビのお前も檻に入れられちまうってな。
無害なままで何年生きていようが、そいつは考慮されないぞ、と告げられた終わり。前の自分が普通のミュウでも、いつか終わりが来るのだと。
「そんな…! ぼくは、なんにもしていないのに…!」
ずっと大人しく生きていたのに、それでも檻に入れられちゃうの…?
危険なんか無いって分かってるくせに、ぼくまで檻に閉じ込められるの…?
「ミュウが進化の必然だったら、そうなるさ。…いつかはタイプ・ブルーが出てくる」
そいつが来たなら、お前だけを特別扱いは出来ん。どんなに無害なミュウでもな。
人類ってヤツは小さな子供も殺していたんだ、ミュウというだけで。
そうなったのも、ミュウは危険だと分かったからだろ、アルタミラで滅ぼし損なっちまって。
もっとも、檻に入れられたとしても、最初のミュウなら別扱いかもしれないが…、という話。
他のミュウとは違う区画に入れておくとか、その程度の違いなのだけど。
ただ、それまでは平和に暮らしたチビのミュウ。普通のミュウに過ぎない前の自分が、メギドの炎で燃えるアルタミラから無事に逃げられたかどうか…、とハーレイは首を捻っている。
ミュウを殲滅しようとメギドが持ち出された時、何処のシェルターにいたかで分かれた運。命を拾った者たちもいれば、死んでしまった者たちも。
「お前が一番最初のミュウでも、きっと容赦はしなかったろうし…」
今後の研究に役立てようと、連れて逃げたりもしなかっただろう。研究者どもは。
そうなると、お前もシェルターに閉じ込められるわけだが…。そのシェルターの場所が問題だ。
地震で壊れちまったヤツが幾つもあったろ、押し潰されたり、地割れに飲まれてしまったり。
あんな具合に壊れたシェルターの中にいたなら、お前、自分を守れないぞ。
タイプ・ブルーじゃないんだからな、と聞かされてゾクリと寒くなった背筋。のんびりと平和に暮らしたミュウなら、シールドも張れはしないだろう。張ってみたことも無いのだから。
現にアルタミラで死んだ仲間は、皆、ミュウだったのに、自分を守れなかった。死が迫っても。
「本当だ…。ぼく、そんな場所だと死んじゃうよ…」
シェルターごと潰されちゃった仲間みたいに、ぼくも死んじゃう。自分の身体を守る方法、何も分かっていないんだから…。
「俺と一緒のシェルターにいれば、俺が守ってやるんだが。…潰されないように」
お前を見たならチビの子供だと思い込むから、俺の身体で庇ってやって。「こっちに来い」と。
後は火事場の馬鹿力だよな。俺のサイオンが働いてくれれば、シールドも張ってやれるから。
お前を守ってやらないと、という一念だけでシールドを張れれば、もう大丈夫だ。
タイプ・グリーンの防御力ってヤツは、タイプ・ブルーに匹敵するしな、と話すハーレイなら、やり遂げてくれることだろう。地割れに飲まれてゆく中でも。上から押し潰されそうな中でも。
「きっとそうだよ、ハーレイと一緒」
前のぼくが普通のミュウだったとしても、ちゃんとハーレイが助けてくれるよ。
ぼくの力じゃ生きられなくても、ハーレイがいてくれるから…。
同じシェルターの中にハーレイがいるよ、ぼくを助けてくれるためにね。
きっとハーレイがいるんだから、と笑顔で見詰めた恋人の顔。前の生から愛し続けて、今もまた一緒に生きている人。…この地球の上で。
そのハーレイなら、前の自分が普通のミュウでも、きっと助けてくれる筈だと思ったのに。
「どうだかなあ…。俺はお前を助けてやりたいんだが、俺の運命が許してくれるかどうか…」
お前を助けてやることを、とハーレイが言うからキョトンと見開いた瞳。
「運命って?」
ハーレイの運命が何だって言うの、ぼくを助けるのと、どう関係があるって言うの…?
「いや、俺は…。未来のソルジャーってヤツと一緒に、他の仲間を助けに行くのが俺だから…」
前のお前とそれをやったろ、シェルターを端から開けて回って。
だから、お前の他に未来のソルジャーがいるんだったら、俺はそっちに行くのかもな、と…。
タイプ・ブルーのミュウが他にいるなら、そいつが未来のソルジャーだろうが。
「えーっ!?」
そんなの嫌だよ、ハーレイが他の誰かと行ってしまうだなんて…。
ぼくを助けてくれる代わりに、他の誰かと一緒に走って行くなんて…。
そうなっちゃったら、アルタミラから脱出できても、ハーレイの側にはその人がいて…。
ハーレイはその人を手伝うわけでしょ、ぼくの側にはいてくれないで…?
「俺だって嫌だ、そんな運命が待ってるのはな」
お前と一緒に閉じ込められて、お前と一緒に逃げたいもんだ。…普通のミュウのお前でも。
あの船じゃただのミュウの二人で、ソルジャーでもキャプテンでもなかったとしても。
断然そっちの方がいい、とハーレイが口にした人生。二人揃って、ただのミュウ。
「ねえ、ハーレイ…。それって、とっても幸せじゃない?」
ただのミュウ同士なら、恋人同士になっても平気。ずっと幸せに生きていけるよ、あの船で。
「まあな。幸せに生きてはゆけるんだろうが、その後のことが問題で…」
平凡に生きて死んだだけだと、こうして生まれ変われるかどうか…。
俺たちの絆はきちんとあっても、今の時代に、青い地球まで来られたかどうかが気になるな…。
「そっか…」
二人一緒に天国に行って、それでおしまいかもしれないね。
前のぼくが普通のミュウに生まれて、ハーレイもキャプテンにならなかったら…。
やっぱりソルジャーでなくちゃ駄目かな、とハーレイの鳶色の瞳を見詰めた。前の自分は、その運命を生きるべきだったろうか、と。普通のミュウには生まれないで。
「…前のぼく、やっぱりタイプ・ブルーでなくちゃ駄目…?」
とても酷い目に遭っちゃったけれど、あの人生でなくちゃ駄目かな…?
「多分な。こうして二人で、青い地球まで来るためには」
前のお前が頑張ったお蔭で、今のサイオンが不器用なお前と、教師の俺が地球にいる、と。
青く蘇った地球に二人で生まれて、一緒に生きてゆけるってわけだ。うんと平和に。
いつかはお前と結婚できるし、いつまでも一緒なんだから。
そうなるためにも、前の俺たちの人生はあれで良かったんだ、と言われたらそう思えるから。
ハーレイと一緒に此処にいられる今がいいから、前の自分はあれでいい。
ソルジャーとして生きた人生はとても辛かったけれど、ハーレイという人に会えたから。
前のハーレイと恋をして生きて、今は二人で青い地球の上にいるのだから…。
別の人生なら・了
※前の自分がタイプ・ブルーではなかったら、と考えたブルー。人体実験などは無いかも。
人類が初めて目にしたミュウというだけ、観察対象で済んだ可能性。危険だと分かるまでは。
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