シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
除夜の鐘を撞きにきた人の列はキース君が言っていた通り午前一時まで続きました。いったい何回鐘が鳴ったのか、テントの中の私たちにも分かりません。一番最後に並んだ人が撞き終わった後、会長さんが鐘に向かって両手を合わせ、一礼してからゴーンと鳴らして…年越しの行事は無事に終了。甘酒のお接待もおしまいです。会長さんが私たちのテントにやって来て…。
「寒かっただろう? お疲れ様。じゃあ、本堂の方に行こうか」
え? 本堂って…宿坊に帰るんじゃないんですか?
「まだ修正会があるんだよ。君たちも一緒にお参りしたまえ」
「「「シュショウエ?」」」
「新しい年を迎えて、社会の平安と人々の幸福を願う今年最初の法要のことさ。熱心な檀家さんも参加する」
さあ、と有無を言わさぬ口調の会長さん。キース君も「参加してくれて当然」という顔で頷いてますし、アドス和尚は本堂の方に行っちゃいましたし…もう諦めるしかないでしょう。私たちの新年はお線香の煙と共に始まりました。鐘や木魚が打ち鳴らされて、本堂に響く読経の声。会長さんも真面目にお経を唱えています。厳かな修正会は一時間も続き、やっと解放された時には足が痺れて立てませんでした。
「いたたたたた…」
ジョミー君が足を擦っています。でもシロエ君とマツカ君、それにサム君は平然として。
「柔道では礼儀作法を重んじますしね。正座くらいは常識ですよ」
「ぼくは茶道も習ってますので…」
「俺もブルーの家で週に一度は座ってるしな。初めの頃に苦労したから、家でも座る練習してるぜ」
うーん、やっぱり日頃の鍛練が必要みたい。スウェナちゃんと私は転ばないよう注意しながら立ち上がりました。修正会に参加していた檀家さんたちは既に出口に向かっています。アドス和尚と会長さん、「そるじゃぁ・ぶるぅ」、それにキース君は座ったまま。私たちは一般の人が帰るまで本堂の出口付近で待って、それからキース君に連れられて宿坊に戻ったのでした。
「おふくろが食事を用意してるから、先に食堂へ行っといてくれ。俺は庫裏で着替えてくる」
キース君が出てゆくと会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も部屋に着替えに行きました。先に食堂へ…とは言われましたけど、気おくれして玄関付近にたむろしている間に会長さんはすっかり普段着に。「そるじゃぁ・ぶるぅ」はいつものソルジャー服のミニチュア版です。
「おやおや、こんな所にいたのかい? 食堂で待っていればいいのに」
精進料理じゃないみたいだよ、と会長さん。
「宿坊って言ってもね…。最近じゃ肉も魚もオッケー、お酒だって用意している所が多いんだ。時代に合わせて変化するものさ。元老寺だって同じだよ」
「えっ? でも、去年の夏も今日のお昼も精進料理だったんだけど」
ジョミー君の問いに会長さんはクスッと笑って。
「去年…いや、もう一昨年か。あの夏休みは修行体験、今日のお昼はこけおどし。…君たちはアドス和尚にハメられたんだよ」
「「「えぇぇっ!?」」」
ひどい、と叫ぶ私たち。前の夏休みのお寺ライフは演出されたものでしたか…。
「貴重な体験が出来たんだからいいじゃないか。ここの宿坊は璃慕恩院にお参りするお客さんが多いんだ。璃慕恩院にも宿坊はあるけど、街から離れているからね…。こっちの方が何かと便利で、けっこう繁盛しているんだよ」
なるほど。お手伝いの人を何人も雇っている理由が分かりました。会長さんが言うには、普通のお客さんは掃除も朝晩のお勤めも参加しないでいいのだそうです。単に「お寺に泊まる」というだけ。もちろん食事は肉も魚も、それにお酒も…。
「ぼくたち、騙されちゃったんですね」
やられました、とシロエ君。キース君とは先輩後輩の付き合いですけど、宿坊の内部事情までは知らなかったらしいです。非日常体験という会長さんの言葉に乗せられ、抹香臭くなってしまった一昨年の夏休み。今回も順調に抹香臭くなりつつあるものの、もしかして…?
「とりあえず今夜は普通のおもてなしさ。未成年だからお酒は無理だけどね」
会長さんについて食堂の方へ歩いて行くと、美味しそうな匂いがしてきました。精進料理では考えられない香りです。夕食が早かったせいでお腹はペコペコ。これは期待しちゃっていいかも~!
食堂ではイライザさんが待っていました。
「みなさん、お疲れ様でした。お腹が空いてらっしゃるでしょう? たくさん召しあがって下さいね」
幅の狭い机を幾つかくっつけて並べ、大きな机にしてあります。その上にはお寿司やピザやフライドチキン、サイコロステーキなんかも乗っかっていて、何種類かのサラダが山盛り。正座スタイルは変わりませんけど、このノリならば足を崩しても平気そうです。
「なんじゃ、まだお座り頂いていなかったのか」
ドスドスドス…とアドス和尚が作務衣姿で入って来ました。後ろにはセーターを着たキース君が続いています。アドス和尚は会長さんを上座に据えようとしましたが…。
「いいじゃないか、適当で。それに色々と話もしたいし、キースはそこで…お父さんとお母さんはここがいいかな。他のみんなは好きな所でいいと思うよ」
そういうわけで私たちは好みの場所に座布団を置き、楽しく食事を始めました。もちろんジュース飲み放題です。ワイワイと騒いでいると、アドス和尚がいきなりコホンと咳払いをして。
「キース、楽しい正月になって嬉しいだろう。友達と一緒に年を越せたし、どうだ、思い切って頭を剃っては? 檀家さんにアピールするのも重要だぞ」
「…えっ…」
一気に青ざめるキース君。私たちも青ざめましたが、アドス和尚は御機嫌でした。
「お前も知っておるだろう。三が日は檀家さんが初詣に来る。本堂でお迎えするのは住職の大事な務めの一つで、お前は次の住職だ。お前が寺を継ぐと決心したんで檀家さんは期待しとるぞ。大学生になったことだし、今年はきちんと頭を剃って檀家さんをお迎えしろ」
「で、でも…。俺はまだ住職の位が無いし…」
「そんなことは分かっとる。だがな、檀家さんは坊主というだけで安心なさるものなんだぞ。同じ墨染の衣を着ても、有髪と剃髪とでは有難味が全然違うと思わんか、キース」
「……うう……」
グウの音も出ないキース君を他所に、ジョミー君が首を傾げました。
「…ウハツって、なに?」
「髪の毛があるっていう意味だよ」
有る髪と書く、と会長さんが説明してから自分の髪を指差して。
「盛り上がってるところを悪いけどさ。…アドス和尚の説からいくと、ぼくは有難味がないってことかな?」
「え。…あ、ああっ、これは失礼を…!」
アドス和尚は蛙のように平たくなって会長さんに謝りまくり、イライザさんも一緒になって謝ります。会長さんは苦笑しながら「気にしないで」と二人を座り直させ、銀色の髪を引っ張って。
「…ぼくはね、修行時代と剃髪必須の期間だけしか剃ってないんだ。それでも今じゃ緋の衣さ。坊主の価値は外見で決まるものじゃない。大切なのは中身なんだよ。キースもいつかは剃髪しなきゃいけないけれど、その時期だって押しつけるのは良くないと思う」
順調に行けば来年の暮れには道場入りで剃髪だけど、と残酷な現実を口にしつつも会長さんは大真面目でした。
「キースは今も剃髪に抵抗があるようだ。剃髪を受け入れられる心境にならない間は、道場に行っても無駄かもしれない。短く切るのさえ嫌みたいだし、この秋の修行道場だってどうなるか…。でもね、大切なのはキース自身の心なんだよ。キースが自分で決めるんでなけりゃ、道は決して開けやしない」
「…そういうものでございますか…」
アドス和尚の寂しそうな声に、会長さんは深く頷いて。
「そういうこと。仏の道に進みたい、仏様の教えを受け入れたい、と心の底から思うようになれば、髪を下ろそうと考える筈さ。修行には邪魔なものだからね。…一通りの修行を済ませた後で有髪に戻るのも一つの選択。雑事に心乱されない境地を目指すんだったら有髪を選ぶのもいいと思うよ」
「せがれにはまだまだ先の話のようですが…」
「まあね。元老寺を継ぐには住職の位がを貰わないといけないし、そのための道場入りには剃髪しないといけないし。…越えなきゃいけない壁は高いけど、キースならきっと越えられるさ。自分から乗り越えようという気構えになるまで、無理強いしない方がいい。強制されて坊主になっても、外見だけでは意味がないんだ」
人を救うのが仕事だからね、と会長さんは微笑みました。
「自分の中に迷いがあるのに、人を導けると思うかい? キースを立派なお坊さんにしたいんだったら、迷いが消えるまで暖かく見守ってあげたまえ。…そうは言っても檀家さんの手前もあるし、一日も早く形だけでも…と思う気持ちは分かるけどね」
「はあ…。分かったような気がいたします。せがれの器も考えませんで、身なりばかりにこだわっていたとは…私もまだまだ未熟者で」
アドス和尚は会長さんに丸めこまれたようでした。キース君はホッとした顔をしています。会長さんのせいで剃髪させられてしまうかも…と私たちを助っ人に招集したのに、剃髪だと言いだしたのはアドス和尚で、それを止めたのが会長さんとは…。キース君、会長さんに大きな借りが出来たみたいですけど、高僧としての見解ですし、世俗とは無縁で貸し借りなんて関係ないかな?
剃髪の危機を免れたキース君は嬉しそうでした。一方、論破されたアドス和尚は…。
「お教え、心に留めておきます。…しかし私も修行の足りぬ身、せがれの長髪を目にする度にムカムカするのは事実でしてな。それに比べて、同じ有髪でも貴方のお姿を拝見しますと自然と頭が下がります。せがれから三百年以上も生きておられる、と聞いておりますし、いつぞやは掛軸の件で大変お世話になりまして…」
「ああ、そういう話もあったねえ。あれは愉快な掛軸だった」
会長さんがニッコリと笑い、私たちも思い出しました。アドス和尚が檀家さんから預かったという「いわくつき」の掛軸、『月下仙境』。そこに描かれた月の中から「ぶるぅ」が飛び出して来たんでしたっけ。しかしアドス和尚は怪訝な顔。
「…愉快とは…。あの掛軸がどうかいたしましたか? 明星の井戸のお水で書いて頂いた光明真言のお蔭で、もう化け物は出てこない…と、せがれが申しておりましたが」
「うん。実は、あれの御縁で素敵な友達が出来たんだよ。三百年以上生きたぼくでも思いもよらない友達が…ね」
「………。魑魅魍魎の類ですかな?」
「いや、化け物ってわけじゃないけど。…でも、あの掛軸と出会わなかったら会うこともなかった友達だ。ぼくに任せてくれて感謝してるよ」
別の世界から来たソルジャーについて話すのかな? と思いましたが、会長さんは語りませんでした。アドス和尚も首を捻って「はあ…」と言うより他はなく。
「私のような凡人などでは一生会えそうにありませんな。もっと修行に励みませんと…。ところで、明星の井戸と聞いた時から気になっていたことがございまして。…それを直接お聞きしたくて、お招きさせて頂きました」
「なんだい?」
どうぞ、と先を促す会長さんに、アドス和尚は姿勢を改めて。
「…明星の井戸は璃慕恩院の奥の院にあり、高僧の中でも入れる方は少ないのだと聞いております。そこのお水が手に入る上に、銀色の髪でお名前がブルー。おまけに三百年以上も生きておられるとなると、どうしても…。そのぅ、とある御方が思い浮かびまして…。もしや、あなたは銀青様では…?」
「あーあ、とうとうバレちゃったか」
「やはり…! これ、キース、イライザ、お辞儀をせんか!」
深々とお辞儀するアドス和尚に、会長さんは困ったように溜息をついて言いました。
「いいんだってば、ただのブルーで。それにキースはもう知ってるよ、ぼくが銀青だったってこと。…銀青の名前は記録から消えて百年以上も経っている。その銀青が今も生きていると知っている人はごく少数だ。何百年も姿が変わらず、時々姿を現す謎の高僧の噂は流れていると聞くけどね」
「…私も修行中に耳にしました。まさか、その高僧が銀青様とは…。しかも我が家に来て下さるとは、なんとも有難いお話で…」
「だから、特別扱いは要らないってば。そういうのはあまり好きじゃないんだ。緋の衣には誇りがあるけど、銀青の名はどうでもいいのさ。…キースの友達で、何故か高僧。その辺にしといてくれないかな」
ぼくは人生を楽しみたいし、と会長さんはアドス和尚に釘を刺します。
「いいかい、ぼくの正体は他言無用だ。でないとキースを苛めるよ? 知らないふりをしててくれれば、キースの役に立つこともある。…取引としては悪くないんじゃないかな、ぼくは本山に顔が利くから」
「分かりました。そう仰るなら、気付かなかったことにいたします。…ですので、せがれをどうぞよろしく」
「そんなにお辞儀しなくっても…。今までどおりの調子で頼むよ、でないと肩が凝りそうだ」
ねえ? と私たちにウインクしてみせる会長さん。私たちは一斉に頷き、アドス和尚はイライザさんと顔を見合わせてから、照れたように笑い出したのでした。
正体は会長さんだという伝説の高僧、銀青様。アドス和尚とキース君、イライザさんはどんな人だかよく知っているようなのですが、私たちにはサッパリです。お坊さんの名前なんてエラ先生の歴史で習った幾つかの宗派の開祖くらいしか知りません。…うーん、とっても気になります…。
「銀青様って、偉いんですか?」
ズバリ切り出したのはサム君でした。会長さんに弟子入りしているだけに、好奇心を抑えきれないみたい。アドス和尚は「それはもう…」と言ってしまってから会長さんの顔色を窺い、不機嫌でないことを確認して。
「皆さんご存じないようですし、少しお話ししておきますか。色々と教えなども残しておられるのですが、そちらは素人さんにお聞かせするにはちょっと難しすぎますな。…修行時代の逸話くらいがちょうどいいかと」
よろしいですか、と尋ねられた会長さんはクスッと小さく笑いました。
「いいけどね。誰も信じてくれそうにないよ」
「そうでしょうな。…実際、私も信じられない気持ちです。あの伝説の銀青様が、お元日からフライドチキンを美味しそうに食べてらっしゃるなんて…」
「人生を楽しみたいって言ったじゃないか。だから銀青の公式記録をキッチリ途絶えさせたんだ。死んだと思われてる方が暮らしやすいし」
精進料理なんて御免だよ、とサイコロステーキを頬張る会長さん。アドス和尚は「同感ですな」とフライドチキンに齧り付きながら、愉快そうに話し始めました。
「…銀青様の凄い所は、本来ならば必要のない修行をなさったことでして。元老寺が南無阿弥陀仏なのはご存じでしょう。璃慕恩院の教えも南無阿弥陀仏の一語に尽きます。ですが、開祖の上人様は別のお寺で長年修行をなさっておられました。…これは歴史では習いませんかな?」
「知りませんでした…」
マツカ君が素直に答えます。開祖だけなら授業で習っているのですが。
「学校ならそんな所でしょう。その上人様が修行なさったお寺というのが、恵須出井寺です」
「…エスデイデラ…」
棒読みで呟いたのはジョミー君でした。恵須出井寺はアルテメシアの郊外に聳える一番高い山の頂上にあって、昔は山法師と呼ばれる僧兵で有名だったお寺です。卒業旅行で回ったソレイド八十八ヶ所を開いたお大師様と喧嘩別れした人を開祖と仰ぎ、千日回峰という荒行なんかで知られていたり…。
「へえ…。あの人、千日回峰とかもやったのかぁ…」
感心しているサム君に、アドス和尚が。
「上人様は千日回峰はやっておられませんよ。ですが、恵須出井寺の修行は厳しいんです。そこで修行を積んだ末に、普通の人々を救う道を求めて山を降りられ、南無阿弥陀仏をお教えになった。…銀青様はその上人様と同じ修行を志されて、恵須出井寺まで行かれたんですな」
「「「えぇっ!?」」」
あのグータラな会長さんが…わざわざ厳しい修行をしに?
「修行だけでも大変なものだと思うのですが、当時はもっと大変でした。璃慕恩院と恵須出井寺は宗派が違いますからな…。璃慕恩院で出家なさった銀青様が修行したいと申し出られても、そう簡単には通りません。十日間に亘る問答の末に、ようやく許可が出たのだそうで」
今は試験に通れば誰でも修行できるシステムですが、とアドス和尚は言いました。
「銀青様は恵須出井寺で二年も修行なさって、璃慕恩院に戻られたのです。皆さんはご存じないでしょうが、恵須出井寺では、こう…印を結んで御真言を唱える他に、座禅なんかもやるんですな。つまり仏教の有名どころの要素を押さえている。その辺りも銀青様が入門なさった理由だったと聞いております」
「まあね。…色々と興味があったから」
会長さんは否定しませんでした。と、いうことは…。本当に二年も修行三昧、荒行三昧…?
「起床は午前一時だったよ。一番厳しかった修行の時は」
「「「一時!?」」」
「うん。起きたらすぐに水をかぶって、お経を唱えながら山道を歩いて、仏様にお供えする水を汲みに行くんだ。帰ってきたら午前二時から朝の五時まで座禅をやって、それから護摩の焚き方とか印の結び方とか、とにかく寝るまで勉強しかない」
「「「…………」」」
サラッと言ってのけてますけど、聞いただけで気絶しそうな凄まじいハードスケジュールです。いくらサイオンが…最強のタイプ・ブルーのサイオンがあっても、これではどうにもならないのでは…。
『水をかぶる時はシールドしてた』
私たちにだけ伝わる思念波を送ってよこして、会長さんが微笑みました。
「アドス和尚は感激しているようだけど…ぼくにとっては修行も興味の延長線上。璃慕恩院の修行は楽だって言われているんだよね。それは昔も今も同じさ。だから厳しい修行をやってみたいと思ったわけ。せっかくだから極めたいじゃないか」
「お言葉ですが、誰にでも出来るものではございませんぞ。せがれでも無理かと存じます」
アドス和尚の言葉に必死で頷くキース君。うかつに何か言ったりしたら、会長さんが修行したのと同じ道へ送り込まれそうな気がしたのでしょう。会長さんは「そうだろうね」と笑みを浮かべて。
「…ぼくみたいな修行をやってみろとは言わないよ。でも、気が向いてチャレンジするなら助言はするさ。キースに限らず、ジョミーでも…そしてサムでも、やりたくなったらいつでも言って」
「「「!!!」」」
凄い勢いで首を横に振るキース君たち。アドス和尚はサム君を見詰め、「ほほう…」と息を漏らしました。
「あなたも仏門を目指しておられるのですな。せがれも心強いことでしょう。いや、シャングリラ学園にお世話になって本当によかったと思いますなぁ…」
うんうん、と感慨深げなアドス和尚。サム君はともかくジョミー君は仏門なんか全く目指していないのですが、どんどんヤバイ方に向かって話が転がって行ってるような…?
銀青様こと会長さんの過去の偉業は認めざるを得ませんでした。サイオンで多少ズルをしてても、やり遂げたことは確かです。アドス和尚が語ってくれる恵須出井寺と璃慕恩院の修行メニューに耳を傾けていると…。
「ぼくのことばかり話していないで、元老寺の話もしてほしいな」
会長さんがニコニコ顔で割り込みました。
「この子たちも元老寺には興味津々なんだよ。…キースの法名限定だけどさ」
「さようですか…。キース、まだ友達には教えてないのか?」
「………」
沈黙しているキース君。法名というのはキース君のお坊さんとしての名前です。漢字二文字で、分かっているのは『ス』という音が入ることだけ。アドス和尚は苦笑いをし、イライザさんがコロコロと笑って。
「駄目ですよ、キース。お友達に尋ねられたら、ちゃんと答えるものでしょう?」
「…それは…」
「あなた、大学でもキースのままで通しているの?」
「…え、ええ…」
しどろもどろのキース君。優しそうなお母さんですけど、それだけに逆らいにくいのかな…。でも大学で名前がキースじゃダメなんでしょうか? お坊さんを育てる大学ですし、そういうこともあるのかも…。
「大学で使う名前は、別にどっちでもいいんだよ」
会長さんが言いました。
「法名を使う学生もいるし、そうでない人も沢山いる。…キースのお父さんはどうだったのかな?」
「もちろん法名でしたのよ」
ニッコリ微笑むイライザさん。
「私、キースと同じ大学でしたの。一人娘でしたし、お坊さんと結婚できなかったら尼さんになって寺を継げ…って父に言われて焦ってましたわ」
なんと! この美人のお母さんが尼さんになるかどうかの瀬戸際に…? イライザさんはキース君の肩をポンと叩いて。
「尼さんに比べたら、お坊さんなんて大したことではないでしょう? でもキースったら嫌だ、嫌だ…って言うんですのよ。お坊さんの勉強は始めたものの、坊主頭は嫌なんですって」
仕方ない子ね、と溜息をつくイライザさんですが、キース君が可愛くて仕方ないのは分かります。キース君だって「おふくろは俺に甘い」と言ってましたし。
「…でもね、きっとなんとかなりますわ。銀青様…いえ、素晴らしい先輩にお会い出来たのが運のいい証拠。私だってもう駄目だ、と諦めてたのにクリームちゃんに会えたんですもの」
「「「クリームちゃん???」」」
クリームちゃんって…なんですか、それ? 誰もがポカンとしている中で、イライザさんは…。
「もちろん主人のことですわ。法名だったと言いましたでしょ?」
え。会長さんが言っていたことが本当ならば、アドス和尚の法名は『ス』の字が入っている筈です。クリームちゃんだと、どう転んでも『ス』の字は入り込めません。私たち、会長さんに騙されましたか…?
「母さん。…クリームちゃんって渾名の方だろ」
おふくろは親父にぞっこんだから、とキース君が額を押さえました。
「みんな呆れているじゃないか。頼むから早く訂正してくれ」
「あらあら、私、うっかりしてて…。ごめんなさいね、クリームちゃんは大学でついた渾名ですの」
「ちゃん付けはお前だけだったろうが」
アドス和尚が恥ずかしそうにイライザさんを見ています。
「そうだったかしら? 初めて聞いた時は意味がさっぱり分からなくって、坊主頭なのにヘアクリームを使ってるのかと思いましたわ」
大学時代に剃髪していたアドス和尚。どおりでキース君の長髪に我慢ならないわけですが…クリームって、なに?
「アイスクリームの略なんですって」
おかしいでしょ、とイライザさんは口元を押さえて笑いました。
「最初は法名だったらしいんですけど、途中で誰かが渾名をつけて…私が出会った時にはクリーム。法名がアイスだからクリームだなんて、本当にお茶目な話ですわね」
「「「アイス!?」」」
確かに『ス』の字が入っています。…アドス和尚の法名はアイス? でもってアイスがアイスクリームで、アイスクリームがクリームちゃんで…。キース君が必死に隠す法名ってヤツも、ネタにされそうな名前ですか~?