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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

思い出の七月・第3話

昔、沖合にアルタミラがあったという町、カンタブリア。温泉旅館での一夜が明けると海の幸がふんだんに使われた朝食が並び、会長さんや男の子たちは朝風呂にも入ってきたとかで温泉気分を満喫しているみたい。二泊三日の旅行ですから、今日はゆっくり観光かな? あまり見る場所、無さそうですけど。
「朝ご飯が済んだら出掛けるからね」
会長さんの言葉に頷く私たち。今回の旅のスポンサーは会長さんですし、そうでなくてもカンタブリアの名所なんかはサッパリです。朝食を終えて宿の外に出ると、雲ひとつない夏空でした。
「泳ぎたくなるお天気だよね」
ジョミー君が水着を持って来るべきだったとぼやいています。けれど会長さんはクスッと笑って。
「海水浴の予定は無いから、水着の用意とは言わなかったよ? この辺りには海水浴場が少ないんだ。広い砂浜が無いんだよね。地元の人が泳ぐ程度の小さいのしか…。それに今日は地元の人は海に入らない日になってるし」
漁もお休み、と言われて漁港の方を見下ろしてみると漁船が停泊しています。漁火漁の船は夜しか出漁しないとしても、海があるからには夜の漁だけではないでしょう。確かに休漁日っぽいですけども、休漁日だと海に入るのも禁止ですか?
「漁業権とかの関係かな。海に潜って貝を採るのも漁の内さ」
会長さんに言われて納得しかけた私たちですが。
「…ふふ、君たちは実に素直でいいね。今日は何の日か、もう忘れちゃった? 7月28日だけは海に入るなって言われてるんだよ、三百年ほど昔から…ね」
「「「あ…」」」
今日はアルタミラが海に沈んでしまった日。その日に海に入るのが禁じられているということは…。
「そう、海に入るとアルタミラで亡くなった人たちの霊に引っ張り込まれる。船の場合も同じことさ。だから地元の人は漁に出ないし、アルタミラがあった辺りの漁業権はカンタブリアの漁協が押さえているからね…。今夜は漁火も見えない筈だよ、他の地区の船も来ないから」
「それであんたが供養に来たのか?」
キース君の問いに、会長さんは「まあね」と曖昧な笑みを浮かべて。
「本当の所は引っ張り込むような霊はいないよ、とっくの昔に。だけどアルタミラの記憶が消えてしまうのは悲しいじゃないか。だから地元の人が自粛してくれる間は甘えておくのもいいかなぁ…って。これから行くのもそういう所」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は温泉街を奥へと向かい、完全に民家ばかりになっても更に奥へと歩いていきます。裏山に突き当たりそうになった所で道は山沿いに折れ、家は無くなってしまいました。いったい何処へ、と私たちが小声で話し合っていると…。
「ほら、見えてきた。あそこだよ」
温泉街よりも一段高くなった海を見晴らせる場所に建っていたのはお寺でした。観光寺院には見えませんけど、そこそこ立派な佇まいです。山門には『称念寺』と書かれた看板が掛けられていて、キース君が。
「ここも俺たちと同じ宗派か?」
「うん。この名前だと分かりやすいよね。100%とは言えないけどさ」
称念という言葉には『南無阿弥陀仏と唱える』との意味があるのだそうです。璃慕恩院は南無阿弥陀仏のお寺ですから、称念寺を名乗るお寺は会長さんやキース君と同じ宗派の確率が高いらしいんですけど、南無阿弥陀仏と唱える宗派は他にもあって…。
「あそこの開祖は璃慕恩院で修行したんだよ。だからあっちもお念仏なんだ」
かなり毛色が違うけどね、と会長さん。
「とにかく、ぼくは璃慕恩院。この称念寺も璃慕恩院。アルタミラが栄えていた頃から此処にあった。…来てごらん」
会長さんに連れられて入った境内の一角に見上げるような自然石の石碑がありました。歳月を経た石ならではの風格があり、表面に大きく彫られているのは『アルタミラ供養塔』の文字。いつの間にか「そるじゃぁ・ぶるぅ」が白百合の花束を抱えていて…。
「はい、ブルー」
「ありがとう」
花束を受け取った会長さんは供養塔の前にそれを供えて両手を合わせ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も小さな両手を合わせています。キース君とサム君も神妙な顔で合掌中。私たちも慌てて拝みました。えっと…南無阿弥陀仏でいいんですよね?

会長さんが供養塔に向かって唱えたのはお念仏だけではありませんでした。長くて難解なお経でしたが、キース君が淀みなく唱和したのは流石というか…。読経を終えた会長さんは百合の花束を指差して。
「フィシスが用意してくれたんだよ。ぶるぅはそれを取り寄せただけさ」
「「「え?」」」
「暑い時期だし、朝一番に仕入れた花が最高だよね。カンタブリアにも花屋はあるけど、フィシスが引き受けてくれるならその方がいい。なんと言ってもぼくの女神だ」
アルタミラの記憶も持っているから、と会長さんは得意そうです。フィシスさんは先祖のものらしいアルタミラの記憶を受け継いでいて、それを会長さんに見せてあげることが出来るのでした。だからこそ会長さんはガニメデ地方の何処かの町に生まれたフィシスさんをシャングリラ学園に連れてきたわけで…。
「おい」
キース君が会長さんに尋ねました。
「供養の旅に連れてくるのは本当に俺たちで良かったのか? フィシスさんとか、長老の先生方とか、相応しい人がいるだろうに」
「みんな何度か来てるんだよ。…君たちはぼくの初めてのクラスメイトだってハーレイたちも言ってるだろう? 友達には見せておきたいじゃないか、ぼくの故郷を」
海に沈んでしまった島だけどね、と水平線の彼方を見詰める会長さん。この供養塔にお参りするのが今回の旅の目的でしょうか? これなら確かに夜の間に瞬間移動で来れば済むことです。花束を供えて、お経を上げて…。でも、お寺の人は誰がやっているのか知ってるのかな?
「次はあっち」
私の疑問を読み取ったように会長さんが庫裏を指差しました。
「御挨拶をしておかないとね。ぼくの用事はこっちなんだ。花束よりもずっと大切」
そう言った会長さんの手には袱紗包みが。スタスタと庫裏まで歩いて行って声をかけると、白い髭の老僧が法衣を纏って現れて。
「これはこれは…。昼間においでになるのは何年ぶりになりますかのう?」
「いつも夜中に邪魔してごめんよ。今年は上手く時間が取れた。後ろの連中はぼくの友達」
「ほほう…。それでは、お仲間ですかな?」
「うん。そうでなければ連れて来ないよ」
事情を知っているらしい老僧に、会長さんは袱紗包みから厚い熨斗袋を取り出すと。
「今年も宜しくお願いするね。…いつも供養塔を守ってくれてありがとう」
「いえいえ、当然のことをしているまでで…。このようなお気遣いは御無用ですのに」
「ぼくにとっても当然のことさ。続けられる間は届けに来るよ」
「私どもも頑張ってお守りさせて頂きます。せがれと孫は夜の準備に出ておりまして…」
御挨拶も出来ませんで、と恐縮している老僧に、会長さんは「かまわないよ」と微笑みかけて。
「畏まられると困っちゃうな。一番最初にお世話になったのはぼくの方だし、その時の御恩は忘れてないし…。アルタミラの供養を続けてくれるお寺があるのも嬉しいからね」
ありがとう、と頭を下げた会長さんは、老僧が「どうぞ中へ」と言うのも聞かずにクルリと踵を返しました。
「ぼくの用事はこれでおしまい。…暑い最中にウロウロすると疲れちゃうから帰ろうか」
庫裏を離れた会長さんは、もう一度アルタミラ供養塔に手を合わせてからお寺の門を出てゆきます。此処へ来た目的はさっきの熨斗袋だったようですけども、あれの中身って、やっぱりお金…? 温泉街へと戻る途中で私たちがヒソヒソ話し合っていると。
「お金の話はしないで欲しいな、回向を頼んだだけだから。…ぼくがわざわざ頼まなくても、お寺の行事になってるけどね」
毎年7月28日の夜にアルタミラ供養の法要が執り行われているのだそうです。
「ぼくも昔はそんな行事は知らなかったよ。…ぶるぅと二人きりになってしまって、食べていくのが精一杯で。お金を貯めて旅に出てから、命日に合わせてカンタブリアに来てみたら…さっきのお寺の当時の御住職が供養の船を出していたんだ」
後でゆっくり話してあげる、という会長さんが帰り道に立ち寄ったのは昨日のお菓子の店でした。私たちも今は由来を知っているので、また食べられるのは大歓迎。会長さんに勧められるままに丸い形のと、好みのサイズに切り分けるのとを買って貰って、いざ宿へ。…夏の海に来て海水浴が無しというのは残念ですけど、アルタミラが沈んだ日だというなら遠慮するのが筋ですよね。

昼食は会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお気に入りだという宿のレストランの鉄板焼き。新鮮なアワビやホタテがとても美味しく、カンタブリアに来た目的を思わず忘れてしまいそう! 会長さんもアルタミラの話ではなく普通の話題をしてますし…。けれど、食事を終えて会長さんの部屋に集まった所でキース君が。
「人目も無いから、もういいだろう。…あんたが届けた回向料は半端じゃなかったと思うがな。俺たちの旅の費用も出してると言うし、そこまでする理由を知りたいんだが」
「…回向料はお世話になっているから。旅の費用を負担したのは、思い出話をしたかったからさ。…ぼくがどうして仏の道に足を踏み入れることになったのか……とかね」
「「「えぇっ!?」」」
回向料はともかく、会長さんが出家したことに理由があるとは驚きでした。単に面白そうだったから、なんて言っていたのに、実は動機があったんですか? 顔を見合わせる私たちに、会長さんは苦笑しながら。
「もう話してもいい頃だろう? いくらサイオンが使えるとはいえ、生半可な覚悟で修行は出来ない。キースが住職の位を取るための道場入りも迫っているし、そろそろ話しておかないとね。それに…」
アルタミラを知って貰いたかった、と会長さんは続けました。
「ぼくとぶるぅがアルタミラを失くしてから、何年くらい後のことだったかな…。まだハーレイとは出会ってなくて、二人で旅を続けてた。一度アルタミラの跡に行ってみようかって話になって、どうせなら7月28日に…と思ってさ。その頃にカンタブリアに来たら、7月28日だけは船は出せないって言われたんだよ」
「船を沈められるんですよね?」
シロエ君が窓の外の海に視線をやって。
「それって作り話でしょう? もし本当なら、話題の心霊スポットですよ」
「…今も続いているならね」
会長さんの答えに私たちは仰天しました。まさか本当に幽霊が? 海に出た船は本当に沈められたとか…?
「沈められた船は多かったんだ。7月28日に限らず、アルタミラがあった辺りで網を入れた船が沈むわけ。漁をしていた船じゃなくって財宝目当ての船なんだけど」
アルタミラは豊かな島でしたから、金銀財宝が引っ掛かるかも、と考えた不届き者がいたのだそうです。船の漕ぎ手にカンタブリアの人が雇われていたことも多く、そのためにアルタミラが沈んだ7月28日だけは漁に出ても駄目だと言われ始めて…。
「ぼくもぶるぅもビックリしたよ。それが本当なら、尚のこと…アルタミラへ行かなきゃいけないじゃないか。船を沈めるってことは島の住人が成仏してない証拠だしね。船が駄目なら瞬間移動で、とも考えた。だけどアルタミラに行って、何が出来る? お念仏くらいは唱えられるけど、それでなんとか出来るのか…って」
会長さんがカンタブリアの宿で悩んでいた時、耳にしたのが一隻だけ出航するという噂。さっき行ってきた称念寺の住職を乗せた供養の船が7月28日の夜に港を出るというのです。
「当時の御住職はアルタミラが沈んで以来、毎年、船を出していたのさ。君たちも供養塔を見ただろう? あれを建立したのもその人。…それを聞いて、ぼくは急いでお寺に行った。ぶるぅと一緒に船に乗せて貰えませんか…って頼みにね」
アルタミラの生き残りだと語った会長さんの願いを住職は快く聞き入れてくれ、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は夜に出航した船で沖合へ。住職がお経を上げ、乗り組んだ人たちが幾つもの灯籠を海に浮かべてゆくのを会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は静かに見ていたそうなのですが…。
「お経を唱え終わった御住職が、ぼくたちを振り向いて言ったんだ。…おいでになっていますよ、とね」
「「「は?」」」
「ぼくにもぶるぅにも見えなかったけど、両親たちの霊が来ていたらしい。あの噴火から逃れていたとは思わなくって、ぼくたちのことが心配で……それが心残りになって成仏できずにいたんだってさ。無事に会えたからもういいんだ、って喜んでるって言われてもね…。見えないだなんて悲しいじゃないか」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は住職が示す辺りを必死に探したらしいのですけど、家族の姿は見えないまま。住職に促されてお念仏を唱えた時に、微かな光が空に向かって昇ってゆくのを目にしただけで…。
「お浄土に旅立って行かれましたよ、と言われて無性に涙が出た。どうして会えなかったんだろう…って。ぼくにもそういう力があったら、最後に姿を見られたのにね。声だってきっと聞けたと思う。それが悔しくて悲しくてさ…。サイオンなんか役に立たない、あんな力が欲しい…って」
そう思ったのが最初かな、と会長さんは深い溜息をつきました。
「それからも何度かアルタミラ供養の船に乗ったよ。御住職は毎年、何人もの霊を成仏させているようだった。自分の命がある間に全部の霊をお浄土へ送って差し上げなければ、と口癖のように言っておられてね…。だけど相変わらず、ぼくには何も見えなくて。…これはサイオンの問題じゃないな、と確信した」
その頃には既にシャングリラ学園の基礎が出来つつあって、サイオンを持った仲間も集まり始めていたそうです。けれど死んだ人の霊が見える仲間は一人もおらず、会長さんの力も年々強くなっていたのに霊は一つも見えはせず…。
「だから御住職に尋ねたんだよ。その力は生まれつきですか…って。そしたら修行を積んだお蔭だと教えて下さって、アルタミラの供養をしたいのだったら喜んで力になりますよ…とも仰った。結局、ぼくが悩んでる間に、アルタミラの人たちは全部成仏しちゃったけども」
出遅れちゃった、と肩を竦める会長さん。アルタミラ供養の船が出ることはなくなり、港で行われる法要と灯籠流しがそれに代わったそうなのですが、家族の霊をその目で見送れなかったことと住職の言葉は会長さんの心の中に消えずにずっと残っていて…。
「御住職が隠居なさった時にやっと決心がついたんだ。あの力をぼくも身に付けよう…って。サイオンだけでは補えないものがこの世にあるってことだろう? 手に入れればきっと役に立つ。そう思ったから御住職に頼んで、仏門に入ることにした」
そうやって今のぼくがいるわけ、と会長さんは微笑みました。
「家族の霊も、アルタミラの御近所さんの霊も送ってあげられなかったけれど…。あの世で幸せに暮らして欲しいし、そのためには供養しないとね。だから毎年、回向料だけは届けに来るんだ」
自分で回向に出向くのが一番だけど、と会長さんは言っていますが、私たちと夏休みを満喫してればそれは出来ない相談でしょう。夏休みの方を取るのが如何にもと言うか、なんと言うか…。会長さんらしいと言ってしまえばそれまでですけど。

思いもよらない会長さんの出家の動機に私たちは暫く無言でした。そんなに深い理由があるとは誰も想像しなかったでしょう。キース君ですら腕組みをして難しい顔。
「…あんた、なんで今まで黙っていたんだ」
俺だって誤解していたんだぞ、とキース君は食ってかかりました。
「銀青様の話は残っているがな、何故仏門に入られたのかは今もハッキリしていないんだぞ? お寺に御縁のある人だった、ということだけしか分からない。だから、あんたが面白そうだったから修行してみたら高僧になれた、と言っていたのを本気で信じてしまったじゃないか!」
「それだと何か不都合でも?」
会長さんの問いに、キース君は。
「大いにある! サイオンさえ強かったら簡単に高僧になれるんだな、と俺は思っていたんだぞ! 残念ながら俺はタイプ・イエローらしいが、場合によってはタイプ・ブルーを凌ぐ力が出せるというから思い切り期待してたのに…。あんたのさっきの話からして、サイオンと修行は関係ないと?」
「全く無いとは言わないよ。修行でズルをしたこともあるし、何よりも髪の毛を誤魔化すのがね…。ぼくは一度も坊主頭にしたことがないと言っただろう?」
ねえ? と私たちを見回す会長さん。その話は何度も耳にしています。女の子を口説くのに髪の毛はポイントが高いとか何とか、色々と…。うんうん、と頷いているとキース君が。
「それくらいのことは俺でも分かる! カナリアさんの道場入りでは役に立ったし、サイオンは確かに便利なものだ。だが、その程度のものなのか? 仏の道を極める上では俺も親父も同じ立場か!?」
「君の父上は仲間になったと思ったけどな」
会長さんの鋭い指摘に、キース君はグッと詰まって。
「し、しかし…! 親父は思念波も操れないし、俺の方が断然有利なのかと…。もしかして、俺よりも先に出家している親父の方が高僧になるのは早いのか!?」
「順番から言えばそうなるねえ…」
のんびりした口調の会長さん。
「お寺の世界は年功序列。よほど優れた部分が無ければ大抜擢とかは無いわけだし? 君のお父さんも頑張ってるし、順調に位が上がっていけば君よりも先に緋の衣だ」
「…くっそぉ…。俺が親父に負けるのか?!」
「勝ち負けの問題じゃなくて、そういうものだと言ってるんだよ。ただし、君の努力次第で流れは大きく変わるだろうね。ぼくという大先達もいるんだからさ、がむしゃらに修行してみたら? 丸坊主になって頑張ってみれば凄い成果が出る……かもしれない」
「憶測で話を進めるなぁ!」
騙されないぞ、とキース君は眉を吊り上げています。けれど会長さんが高僧なのは疑いようもない真実で…。
「ぼくの言葉を信じるも良し、信じないも良し。坊主頭の件はともかく、努力は大いに関係するよ。後は本人の素質かな…。その点で言えば君よりもサムに分があるね。なんと言っても霊感有りだ」
会長さんに視線を向けられたサム君は…。
「そ、そりゃあ…。見えちゃったことはあるけど、見ようと思って見えるモノでもないわけで…。ど、どうなのかな? 修行したら見えるようになるのかな…」
「多分ぼくよりは早いと思うよ。キースと一緒に…って言うのは無理だし、ジョミーと一緒に本格的に修行してみる? キースはスタートが早かったしね」
お寺の息子だったから、と会長さん。サム君が今から努力したってキース君には追いつけません。でも、それは住職の資格を得るまでの話。そこから先は努力次第で…。
「どうだい、ジョミー? サムと高僧を目指すかい?」
会長さんに話を振られてジョミー君は震え上がりました。
「い、嫌だってば、お坊さんなんて! …ぼくは普通でいいんだから! 供養する人も特にいないし!」
「そりゃあ、直接はいないだろうねえ…。御両親も御健在だし、シャングリラ・プロジェクトに賛成して下さった今となっては君と一緒に長生きだし。でもね、世の中には色々と…。それに君はタイプ・ブルーで、素質はあると思うんだけどな」
「絶対イヤだーっ!!!」
アルタミラなんて知ったことか、とジョミー君は真っ青です。この流れでいくと会長さんのペースに巻き込まれて危険な道へと進まされるのは明白でした。今日は7月28日、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の故郷が海に消えた日で…。会長さんの思い出話にほだされていると、仏門行きになってしまう可能性が高いんですよね。

ジョミー君はアルタミラから伝わったお菓子をおやつに食べる間も「仏門入りは嫌だ」と騒いでいました。会長さんも「仕方ないね」と諦め切った様子です。キース君はサイオンが修行に役立たないと知ってショックを受けていましたけれど、会長さんが仏門を志した理由が真っ当なものだと分かったことは嬉しいようで…。
「灯籠流しは今でもやっているんだな。あんたは行くのか?」
フロントで貰ったというチラシを見ているキース君。アルタミラの供養から始まった灯籠流しはいつの頃からかカンタブリアの先祖供養の意味合いも兼ねて港で行われるようになったそうです。二千もの灯籠を流すというので見物に行く宿泊客も多く、この旅館からもマイクロバスでの送迎が…。
「せっかく7月28日に来たんだしね。もちろん行こうと思っているよ。…実は送迎も頼んであるんだ」
この宿を予約した時からね、と会長さんはウインクして。
「観光客が飛び入りで灯籠を頼むのは禁止だけれど、予め頼んでおけば流せる仕組み。なんと言っても先祖供養だ。だから人数分、お願いしてある」
「「「えぇっ!?」」」
「本当は……ぼくの家族に見せたいんだよね、ぼくと一緒に灯籠を流してくれる友達が沢山できました…って。そりゃ、ぼくだって高僧だしさ…。わざわざ灯籠なんか流さなくても、ちゃんと報告済みなんだけど…」
でもね、と会長さんは窓越しに海を眺めながら。
「アルタミラが海に沈んだ日だから、特別なことをしたいじゃないか。フィシスがシャングリラ学園に来てくれた時にはフィシスを連れて来たんだよ。…フィシスはそれからも何度も来てるし、ハーレイだって…長老のゼルたちとセットではあるけど何度か来てる。ぼくの家族に会わせたい人を連れて来る所なんだよ、此処は」
「「「………」」」
そう言われると誰も断れませんでした。さっきまで大騒ぎしていたジョミー君ですら、しんみりとした顔をしています。そんなこんなで、夕食を終えた私たちは暗くなった宿の前から貸し切りのマイクロバスに乗り込んで…。
「かみお~ん♪ こっち、こっち!」
港に着くと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が岸壁にある灯籠の受付場所へ連れて行ってくれました。会長さんが頼んだ灯籠を受け取って一基ずつ私たちに渡してくれます。蝋燭が灯った灯籠には『先祖供養』の文字と、何やら難しい謎の記号が。
「ああ、それか?」
キース君が首を捻っている私たちに。
「梵字だな。卒塔婆とかに書いてあるだろう? これはキリーク、阿弥陀如来を指す文字だ」
「ふうん…南無阿弥陀仏の代わりなわけ?」
灯籠を検分しているジョミー君に、会長さんが満足そうに。
「身も蓋もない言い方だけど、そんなとこかな。君も分かってきているようで嬉しいよ。…シーッ、こんな所で大声で喚かないように」
注目の的になっちゃうよ、と注意されてジョミー君はゴクリと声を飲み込みましたが、「お坊さんなんて嫌だ!」と叫びたかったに違いありません。とはいえ、会長さんに託された灯籠の重みは誰もが感じ取っていて…。

「これって、ちゃんと届くんでしょうか?」
シロエ君が揺らめく蝋燭の焔を見詰め、マツカ君が。
「ええ、多分…。そうですよね、キース?」
「…お浄土に、だよな? 届くものだと言われている。そうでなければ俺たち坊主の意味が無い」
ブルーの家族に届けるとなると大仕事だが、とキース君。
「なにしろ戒名も謎だからな…。迷子探しをするようなものだ。それでも確実に届けてこその坊主なんだが、俺にはそこまで出来る自信が無いし…。今日の所は本職の力に頼るとするさ。あっちで読経が始まるようだぞ」
昼間に訪ねた称念寺の老僧と、その息子さんとお孫さんらしきお坊さんたちが岸壁に設えられた祭壇で厳かにお経を読み始めました。それを合図に灯籠が次々に海へと浮かべられてゆきます。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も一基ずつ抱えていた灯籠を海に下ろして…。
「ほら、君たちも。…ぼくの家族にって思ってくれるのなら、アルタミラはあっち」
会長さんは真っ暗な海の彼方を指差しました。昨夜は沢山あった漁火が一つも見あたりません。本当に海に出てはいけない日だったのだ、と私たちは改めて思い知らされ、海に消えた島を思いながら。
「「「………」」」
浮かべた灯籠に両手を合わせて、そっと心で『南無阿弥陀仏』と唱えましたが、正式には十回でしたっけ? キース君とサム君が小声で唱えているのを聞くとそうみたいです。スウェナちゃんやマツカ君、シロエ君、あんなに文句を言い続けていたジョミー君も静かに両手を合わせていました。
「…ありがとう。ぼくの家族も喜ぶと思う」
きっと届くよ、と会長さんが柔らかい笑みを浮かべてみせて。
「ぶるぅ、みんなが浮かべてくれた灯籠をアルタミラまで運ぼうか。こんなに沢山浮かんでいるんだ、少しくらい減っても分からないさ」
「そうだね! 今日は波も無いもん、沖でもきっと大丈夫だね」
そんな言葉が交わされた次の瞬間、私が浮かべた灯籠がフッと海の上から消え失せて…他のみんなの灯籠も。
『…ごらん、あそこに浮かんでるから。…あれがアルタミラのあった場所』
会長さんの思念と一緒に遙か沖合に揺れる九つの灯籠がフワリと脳裏を掠めてゆきます。それは会長さんがサイオンで中継してくれたもの。私たちの力では捉えられない、遠い遠い距離を越えてきた光。
『みんなを連れて来られて良かった。ぼくとぶるぅが生まれた島はもう無いけれど、ぼくの家族に紹介できて良かったよ。…会いに来てくれてありがとう。やっぱり直接会わせたいしね』
それには今夜、この場所でないと…、と続く会長さんの思念に、灯籠の灯が滲みました。スウェナちゃんもそっと涙を拭っています。会長さんに言われるままに軽い気持ちで来たミステリー・ツアーの最後の夜は灯籠流し。明日はアルテメシアに戻りますけど、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が生まれた島の名前がいつまでも残りますように…。小さな小さな港町のこと、決して忘れはしませんからね~!



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