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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

大きくなりたい

「やっぱり全然、変わらないよ…」
 鏡を覗き込んだブルーは溜息をついた。鏡の向こうの自分も溜息をつくが、憂い顔と呼ぶにはあまりに幼いその顔立ち。脹れっ面とまでは言わないまでも、不満たらたらな十四歳の少年の顔が其処に映っていて。
(……育ってるかと思ったんだけどな)
 念のために、とクローゼットの横に立ってみる。
「……ホントに駄目かぁ……」
 母に見付かって叱られないよう、鉛筆で微かに付けた印はブルーの頭の天辺よりも二十センチほど上だった。それはブルーの前世であったソルジャー・ブルーの背の高さ。
 十四歳になって間もないブルーは百五十センチしか無かったけれども、前世では百七十センチはあった。その高さまで背を伸ばすことがブルーの目標だったりする。



 前世から遙かな時を経て生まれ変わった平和な星、地球。
 同じく地球に生まれ変わっていた前世での恋人、ハーレイと出会い、共に記憶を取り戻したまでは良かったのだが、ハーレイはブルーの倍以上もの年を重ねた大人であった。
 おまけにブルーが通う学校の教師。
 かつて恋人同士だったブルーを前世と変わりなく愛し慈しみ、大切に扱ってくれるハーレイとは何度も逢瀬を重ねて来た。しかし、前世とは決定的に違う点がある。ブルーは子供で、ハーレイは大人。それゆえにキスさえしては貰えず、それ以上の仲は夢のまた夢。
「…ハーレイが言うのも分かるんだけど…」
 でも、とブルーは再び鏡を覗き込む。
(子供なのは姿だけだよ、ハーレイ。…ぼくは全てを思い出したし、君と一緒に過ごした時間も覚えてる。それなのにキスさえ出来ないだなんて、悲しくてたまらないんだけれど…)
 昨夜もハーレイの夢を見た。今の生ではなく、前世のハーレイ。青の間と呼ばれたブルーの部屋で愛し合う夢で、それは幸せで満ち足りた気分で目を覚ましたのに、鏡に映った自分は子供。
(…酷いよ、こんなの残酷すぎだよ…)
 夢の中に居た自分の姿と変わらないほどに育たない限り、ハーレイと前世のような時間は決して持てない。ブルーはクローゼットに付けた印の方を眺めて何度目か分からない溜息をつき、諦めて朝の着替えを始めた。
 そもそも前世での愛の営みを夢に見たのに、身体に何の変化も来たさない辺りがブルーの子供たる所以だったが、それにすら全く気付かないほどにブルーは幼く、無垢だった。
 ハーレイはとうにそれと見抜いてキスも許さず、十四歳のブルーを壊れ物のように扱っている。その恋人の心も知らずに己の現状に不満一杯、早く大きくなりたいブルーの心と身体との間のギャップはまだまだ埋まりそうにもなかった。



「おはよう、ブルー。遅かったのね」
 階下のダイニングに行くと、母が朝食の用意を整えていた。父はとっくにテーブルに着いて分厚いトーストに齧り付いている。
「どうした、朝から変な顔して? 何処か具合でも悪いのか?」
 見詰めてくる父に「ううん」と答えて、ブルーは自分の席に座った。
「…パパ。背がうんと高くなるのって、いつ頃?」
「えっ? そうだな、パパはお前くらいの頃だったかなあ…。学校に入ってすぐの年には面白いくらいに伸びたもんだが」
 懐かしそうに語る父は、大柄なハーレイには及ばないものの長身の部類に入るだろう。母だって決して低くはないのに、ブルーは同じ年頃の少年たちに比べると小さく、背の順で並べばクラスどころか学年中でさえも一番前だ。
「…ぼくも大きくなれるかな?」
「そりゃあ、パパとママとの子供だからな。そのままってことはないと思うぞ、伸びる時には伸びるものさ」
「…それって、いつ?」
 ブルーは「もうすぐさ」という返事を期待した。けれど…。
「さあなあ、遅い子は遅いらしいしなあ…。どう思う、ママ?」
「そうねえ…。ママのクラスにも卒業間近で伸びた子がいたし、そればっかりは分からないわね」
「そ、卒業って…。そんなに先かもしれないの?」
 ショックを受けたブルーだったが、両親はまるで気にしていない。個人差だから、と笑い合いながら「早く大きくなりたかったら食べることだ」と聞き飽きた台詞を口にする。
「お前はあんまり食べないからなあ…。それじゃパパみたいに大きくなれないぞ」
「そうよ、朝御飯もしっかり食べなさい。ミルクも飲むのよ」
「…分かってる…」
 両親の言葉は正しかったが、ブルーが知りたいのは「いつになったら前世と同じ高さほどに背が伸びるのか」と「早く大きくなる方法」。もしかしたら卒業間近まで無理かもしれない、と聞かされた気分はドン底だった。
(……卒業って、まだまだ先なのに……)
 ブルーが通う学校は義務教育の最終段階。かつてSD体制と呼ばれた時代の教育システムを引き継ぎ、十四歳で入学してから四年間を過ごす学校。一年生のブルーにとっては卒業は遙か先のことだ。それまで背が伸びないかもしれないだなんて、どうすればいいというのだろう?


 
 すっかりしょげてしまったブルーは学校が日曜日で休みということもあって、朝食の後は自分の部屋のベッドに突っ伏していた。
(どうしよう…。これじゃハーレイの恋人どころか、また子供だって言われるよ…)
 そのハーレイはブルーをきちんと恋人扱いしているのだけれど、ブルーにはそれが理解出来ない。恋人同士ならばキスは当たり前、今日の夢で見たような関わりを持つのが当然だと思い込んでいる。前世ではそういう仲であったし、それでこそ真の恋人同士と言えるのだ、と。
 ブルーに決して手を出すまいと懸命に自制しているハーレイの心など知りもしないのが十四歳の子供の真骨頂。なまじ前世の記憶があるから、自分では恋の酸いも甘いも噛み分けていると頭から信じて疑わない。
 自分自身の外見だけが恋の障害でハードルなのだ、と勘違いをして背を伸ばしたいと願うブルーは正真正銘お子様だった。三世紀以上も生きた前世の精神構造をそのまま引き継いだわけではなくて、今の生の記憶と融合する過程で十四歳仕様にカスタマイズされたことなど気付く筈もなく。
(…ハーレイ、ちゃんと待っててくれるかな…。ぼくの背が伸びるまで待ってくれるかな?)
 それまでに結婚してしまうかも、とブルーはベッドで頭を抱える。
 ついこの間も父が会社の部下の結婚式に招かれて行ったのだけれど、お土産の花嫁手作りの菓子に添えられた写真の新郎はハーレイよりもかなり若かった。学校の他の先生だって、ハーレイくらいの年の男性はほぼ全員が結婚している。
(…年を取るのは止めるって言ってくれたけど…。それでもホントの年は取るよね)
 今のハーレイの年齢にプラス数年。結婚したって可笑しくはないし、むしろその方が自然だろう。ブルーが本物の恋人になれない以上は、似合いの女性を見付けて結婚ということも充分あり得る。
(どうしよう…。そうなっちゃったら、ぼくは独りになっちゃうのに…!)
 そんなこと、考えたくもない。
 ハーレイのいない人生なんて絶対嫌だし、ハーレイと一緒に生きてゆきたい。
 なのに自分は恋人失格、ハーレイを繋ぎ止めておくだけの魅力どころか外見すらも持ってはおらず、恋人に相応しい姿がいつ手に入るのか見通しすらも立たないわけで……。
(…せっかく会えたのに、離れ離れになっちゃうなんて…)
 しかもハーレイには新しい恋人、愛する妻という存在が出来てのお別れ。ハーレイは満ち足りているだろうけれど、残された自分は独りぼっちでどうやって生きていけばいいのか。
 あんまりだ、と思考の泥沼に囚われてしまったブルーは部屋の扉がノックされたことにも気付かなかった。扉が何度もノックされた末に、「寝てるのかしら?」と呟いた母が「お茶の用意をしてきますから」と客人を扉の前に残して階段を下りて行ってしまったことも。



 ブルーの部屋の前に立った客人。
 学校へ着て行くスーツではなく、ブルーの家を訪ねて来る時の常でラフな格好をしたハーレイは扉の奥から感じる気配に苦笑していた。
 前世のブルーは高い能力とソルジャーの立場ゆえに心を固く遮蔽していたが、十四歳のブルーは違う。感情が高ぶると心の中身が零れがちだ。もっとも、それを感じ取れる者はどうやらハーレイだけらしい。現にブルーの母は気付かず、寝ているものだと思ったようだし…。
「おい、ブルー。いい加減、入るぞ」
 声を掛けても返事は返らず、ハーレイは鍵のかかっていない扉を開けた。ブルーがベッドに突っ伏している。枕に埋められた表情は見えず、相当に落ち込んだ雰囲気だけが漂っていて…。
「ブルー。…おい、ブルー?」
 開け放った扉を再度叩いても顔を上げようとしないブルーにハーレイは半ば呆れつつ、ベッドに近寄る。ブルーの母はまだ暫くは来ないだろう。ならば…、と前世で幾度も愛撫してやったブルーの耳元に唇を寄せた。
「…ブルー。お前、そんなに俺を人でなしにしたいのか?」
「………ハ、ハーレイっ!?」
 ガバッと飛び起きたブルーは文字通り耳の先まで真っ赤になった。
 これが前世のブルーだったら、耳まで真っ赤に染まった後には恋人同士の睦言に傾れ込む所だけれども、生憎と今の十四歳のブルーは恥ずかしさで赤くなったに過ぎない。それが分かるから、ハーレイは必死に笑いを堪える。
「何をぐるぐる考えていた? 筒抜けだったぞ、お母さんにバレたらどうするつもりだ?」
「え? えっ、ママ、来てた?!」
「来ていたさ。寝ているのかも、とお茶の用意をしに行ったが?」
「……そ、そうなんだ……」
 だったら直ぐに戻って来るね、とブルーは両手で頬を押さえる。
「ど、どうしよう…。顔、赤い? まだ赤い?」
「真っ赤だな。…安心しろ、ねぼすけの末路にありがちなことだ。涎が垂れていたとかな」
「ちょ、ハーレイ…!」
 ひどい、と抗議するブルーの頭の中から先刻までのマイナス思考は綺麗サッパリ消え失せていた。ハーレイが家に来てくれたというだけで嬉しかったし、耳元で言われた言葉も嬉しい。
 ハーレイはきっと結婚したりはしないだろう。ブルーが充分な背丈になるまで、その肉体の年齢を止めて待っていてくれるに違いない…。



「…ねえ、ハーレイ…」
「なんだ?」
 母が紅茶と焼き菓子とを置いて立ち去った後、ブルーはハーレイをまじまじと見詰めた。
「ぼくの背って、いつになったら伸びると思う?」
「さあな…。アルタミラから後は普通に大きくなったと思うが」
「そうだよねえ? だからそろそろ伸びてもいいと思うのに、全然、ちっとも伸びないんだけど」
 前の時はもっと早かった、と呟くブルーの記憶の中ではアルタミラ脱出の直後が一番の成長期。流石に一年で二十センチも伸びてはいないが、今の自分に当てはめてみれば一ヶ月に一センチ弱くらい伸びてもいい気がする。
「お前、何かを忘れていないか? アルタミラで初めて会った時のお前と今のお前は同じくらいだが、お前、あの時、十四歳か?」
「えっ……」
 思わぬ問いに、ブルーは記憶を遡る。前世でアルタミラの研究施設に囚われていた自分は確かに十四歳の頃の姿だったが、その姿で何年過ごしただろう? 五年? 十年? あるいはもっと…?
「…も、もしかして…。まだまだ全然伸びないわけ? 卒業どころか、もっと先まで?!」
 それは困る、と涙が溢れそうになる。
 いくらハーレイが待っていてやると言ってくれても、それでは自分の心が持たない。恋人だなんて名前ばかりで、キスさえ出来ずにこのままだなんて…!
「ブルー、落ち着け」
 ポロリと涙を零したブルーの頬にハーレイの温かな手が優しく触れた。
「此処はアルタミラじゃないんだ、ブルー。…お前は本物の十四歳で、家族もいるし暖かな家も飯もある。あの頃みたいに成長が止まるわけじゃない。時が来たら自然に伸びるさ、少しずつでも」
「……本当に?」
「ああ。いつかは知らんが必ず伸びる。だからしっかり飯を食うんだな」
 そして大きくなるんだぞ、と大きな手でクシャクシャと頭を撫でられ、ブルーはまた少し複雑な気分が蘇ってきた。
 前世でこんな風に頭を撫でられた記憶は殆ど無いのに、何かと言えば撫でられる。つまりは立派な子供扱い、やっぱり自分はハーレイからすれば恋人ですらない子供なわけで…。



「…こら! お前、何度言わせるつもりなんだ」
 いきなり強く、息が止まるほどに抱き締められた。でも、ここまで。抱き締めて貰えてもキスは貰えず、背中を優しく撫でられるだけか、そっと頭を撫でられるか。
(…ほら、今だって子供扱い…)
「悪かったな!」
 コツン、と頭を小突かれた。
「お前は本当に子供なんだし、それなりにしか扱わん。…だがな、俺はお前しか欲しくはないし、何十年だって待つだけの覚悟はあるさ。それだけの価値があるからな」
「…えっ?」
「お前がどんな姿に育つか、俺は覚えているんだぞ? あんな美人を俺は知らない。これから先も、お前の育った姿以外に目にすることは絶対に無い。…だから、お前も信じて待て。何を焦っているのか知らんが、お前はとっくに恋人なんだぞ」
 こんな小さな子供でもな、とハーレイは豪快に笑ってみせた。
「俺の悩みを教えてやろうか? いつかお前が育った時にな、お前の両親に何て言おうかと…。どう言ってお前を貰えばいいのかと、そればっかりを考えているさ」
 ……昼も夜もな。
 そう告げられて熱く見詰められ、ブルーの頬が真っ赤になった。
(…そうだった…。パパとママがいたんだったっけ)
 本物の恋人同士になった時には、何処で過ごせばいいのだろう? ハーレイの家で一緒に暮らす? それともこの家にハーレイが…? パパとママには何て言えば…?
(駄目、ダメ、ダメーーーっ!)
 どうしたらいいか分からないよ、と軽くパニック状態になる。此処で慌てふためいていることこそが子供の証明、ブルーがどんなに背伸びしてみても大人ではない確たる証拠で。
「ほら見ろ、お前は子供なんだよ。…背丈だけじゃない、いろんな意味でな。今の扱いで我慢しておけ、俺は恋人だと思っているから」
 それがハッキリ分からない内は子供ってことだ、と頭を撫でられて唇を尖らせそうになったけれども、ハーレイの瞳は穏やかながらも真剣だった。そのハーレイが「待て」と言うのなら…。
「…分かった。待つよ、きちんと大きくなるまで」
 沢山食べるのは苦手だけれども、ちゃんと食事してミルクも飲もう。背が伸びて昔みたいな姿になったら、ハーレイと本物の恋人同士。その日まで我慢して待たなくちゃ…。



 結局のところ、ハーレイが真面目に話して聞かせても、ブルーは理解していなかった。
 背丈が伸びれば大人になれる、と子供ゆえの純真無垢さで考える。
 心に身体がついてゆかないだけだと信じる十四歳の一途なブルーに、ハーレイは己の欲望との戦いも含めて悩まされることになるのだけれど、それもまたハーレイにとっては至上の喜び。
 甘美な悩みに苦しめられつつブルーを大切に想うハーレイと、ハーレイを慕い続けるブルーと。
 生まれ変わって出会えたからこそ紡がれる恋は、蘇った地球の息吹と共に………。




           大きくなりたい・了










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