シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
ハーレイは実に美味しそうに食べる。
大きな身体に見合った胸のすくような食べっぷりもさることながら、食べている時のその表情。ブルーの母が作る料理はもちろん、お菓子の類もそれは嬉しそうな顔で味わって食べる。
幸せそうなハーレイの顔。前の生でもハーレイは食べることが好きだったろうか、と遠い記憶を遡ってみても、思い当たる節は無いのだけれど。
今のハーレイは本当に何でも美味しそうに食べているから、見ているブルーまで幸せな気持ちになってくる。中でも特に嬉しそうに見えるのがパウンドケーキを口にする時。
これが好物だと聞いているから、ハーレイの家を訪ねた時にも焼いて貰って持って出掛けた。
しかし、前の生のハーレイはパウンドケーキが好きだったろうか?
そんな記憶はブルーには無い。ハーレイが菓子を好んでいたという記憶も無い。
シャングリラにも菓子はあったし、紅茶を淹れてのティータイムもハーレイと一緒に楽しんだ。紅茶は香り高くはなくて、菓子の材料も豊富にあったわけではない。それでも心癒されるひと時。栄養を摂るための食事とは違う、魂に栄養を与える時間。
ハーレイと過ごすティータイムは前の生のブルーが好んだものだが、暖かく優しい時間が流れる其処に美味しそうに食べるハーレイの姿はあっただろうか?
もちろん不味そうに食べていたわけがないし、笑みを絶やしはしなかったけれど。笑みはブルーだけに向けられたもので、今の表情とはまた違ったもの。
食事を嬉しそうに味わって食べるハーレイは今の充実した生をそっくりそのまま表しているように思えてくるから、ブルーは好きでたまらなかった。
美味しいものを沢山食べて頑丈な身体を作って、幸せに生きて来たハーレイ。何を食べていても嬉しそうだけれど、一番幸せそうに見えるパウンドケーキにはどんな思い入れがあるのだろう?
今日も母が焼いたパウンドケーキを美味しそうに味わっているハーレイ。その表情を見ていたら訊きたくなった。どうしてパウンドケーキが一番なのかを。
「ねえ、ハーレイ。パウンドケーキが一番好き?」
「…パウンドケーキ?」
唐突な質問にハーレイが怪訝そうな顔をする。
「パウンドケーキがどうかしたのか?」
「お菓子の中では一番好きなの? パウンドケーキ」
「いやまあ…。お前のお母さんが作ってくれる菓子はどれも美味いが、どうしたんだ?」
「ハーレイの顔だよ」
ブルーはニッコリ笑ってみせた。
「パウンドケーキを食べている時が一番幸せそうなんだ。だから一番好きかと思って」
「なるほどな。…うん、お前のお母さんの菓子の中では一番かもなあ」
「やっぱりパウンドケーキなんだ…」
当たっていた。ブルーの胸にじんわりと充足感が広がってゆく。ハーレイの一番の好物が何か、それを知ることが出来て嬉しい。
ブルー自身は口当たりの軽いシフォンケーキの方が好きだが、ハーレイはパウンドケーキが好みだと言う。母に強請って次からはパウンドケーキばかりにしたいくらいだけれども、続きすぎたら飽きがくるかもしれないし…。
「なんでパウンドケーキなの?」
ブルーの問いにハーレイが「ん?」と口に入れたパウンドケーキを噛み締めながら。
「…おふくろの味とそっくりなんだ。ガキの頃から食っていたのと同じ味なのさ」
ケーキやクッキー、パイにプディング。様々な菓子を作ってくれたというハーレイの母。ブルーの母が作る菓子たちの中で、ハーレイが家で食べていた味にそっくりなものがパウンドケーキ。
「これを食べると子供の頃に戻ったような気がしてなあ…。景色まで浮かんでくるほどだ」
「景色?」
「俺がこいつを食ってた頃のリビングだとかキッチンとかさ」
今も大して変わっていないが、と懐かしそうな瞳をするハーレイ。隣町にあるというハーレイが生まれて育った家。ハーレイの幸せな記憶と結び付いた味。
もっと聞きたい、と願うブルーの気持ちが顔に現れていたのだろう。ハーレイは好物のケーキを口に運びながら、思い出話をしてくれた。
ハーレイの大好きなパウンドケーキ。
幼い頃から食べていたという、ハーレイの母が焼くパウンドケーキ。
「おふくろは色々と作ってくれたが、お前のお母さんのパウンドケーキを食った時には驚いたな。おふくろの味を此処で食えるとは思わなかった」
「そんなに似てる?」
「ああ。おふくろがコッソリ持って来たのかと思うくらいに同じ味だな、嬉しいもんだ」
本当に美味い、とハーレイはブルーが大好きな表情でパウンドケーキをじっくりと味わう。
「…お前はまだ小さいから分からんだろうが、俺くらいの年になってくるとな、ふとしたはずみに食いたくなる味が出来てくるんだ。あれをもう一度食ってみたいとか、そういうのだな」
「その気持ち、ぼくにもちゃんと分かるよ、ハーレイ。…ハーレイの野菜スープの味」
ブルーが寝込んでしまった時にハーレイがたまに作ってくれる。前の生でブルーのためにと青の間の小さなキッチンで作ってくれた野菜スープと同じ味。何種類もの野菜を細かく細かく刻んで、基本の調味料だけで煮込んだスープ。ハーレイ曰く、「野菜スープのシャングリラ風」。
「アレか…。そうだな、あれと似ているかもな」
「でしょ? 食べたら幸せな気持ちになれるよ、ハーレイのスープ」
「そうか。…お前はチビだが、そういえば普通のチビとはちょっと違ったな」
「チビじゃないってば!」
抗議するブルーに「いや、チビだ」と答えを返して「チビといえば…」とハーレイは続けた。
「お前、ミーシャを知ってるよな? おふくろが飼ってた真っ白な猫だ」
「うん。写真を見せて貰ったよ」
「おふくろが材料を計る横でな、ミーシャがおねだりしていたもんだ。ミルクをくれって鳴いてるんだな、パウンドケーキにミルクは入れないのにな?」
ケーキ作りの区別がついていなかったんだろう、とハーレイは笑った。ハーレイの母が粉や卵を用意していると足元でミャーミャー鳴いていたミーシャ。牛乳を使うケーキも沢山あるから、その一つだと思い込んでいたのだろうと。
「そういう時の俺の役目がミルクを出してやることだったさ。でないと踏んづけちまうしな」
「…踏むの?」
「おふくろがパタパタ動き回るんだぞ、その足元でおねだり攻撃だ」
「それは確かに踏んづけちゃうかも…」
ハーレイの母と猫のミーシャと、ミルクを入れてやる子供時代のハーレイと。温かなキッチンが目に浮かぶようだ。幸せに溢れたハーレイが育った隣町の家。
其処で焼かれたパウンドケーキ…。
ハーレイの母が作るケーキと同じなのか、と思うとパウンドケーキが特別なものに思えて来た。しかしハーレイは「特別か?」と言いつつ、名残惜しそうに最後の一口を味わってから。
「なんてこったない、ごくごく単純なレシピだからな? 誰が作っても……と言いたいトコだが、どうやらそうではないらしいぞ」
俺が焼いても何処かが違う、と聞かされたブルーは驚いた。ハーレイが料理をすることは知っていたのだが、まさか菓子まで手作りだとは…。
「おいおい、いつでも作っているわけじゃないぞ? たまにな、そういったものも作りたくなる。せっかくオーブンまで揃っているんだ、使わないとキッチンが可哀相だろうが」
嫁さんがいない分、俺が使ってやらないと。
ハーレイはパチンと片目を瞑った。ブルーの瞳がまん丸になる。
(え? …えっと…。お嫁さんがいないからハーレイが焼いているっていうことは…)
…ということは、ブルーがハーレイと結婚したなら、パウンドケーキを焼くのだろうか? 母が焼くパウンドケーキがハーレイの母の味と同じ味なら、期待をされているかもしれない。ブルーもハーレイが大好きな味のパウンドケーキを焼けるであろう、と。
(…ど、どうしよう……)
ブルーはパウンドケーキを上手に焼けるどころか、料理の腕すらも実は危うい。家庭科の授業に調理実習なるものが無ければ包丁も上手く使えなかった可能性が大だ。教えて貰ったことは無難にこなすが、レシピを見ながら作るとなると覚束ない。
(……でも……。ハーレイは期待してるかもだし、パウンドケーキ……)
母に教わるべきだろうか、と困った顔になったブルーにハーレイは笑ってこう言った。
「ははっ、お前にパウンドケーキを焼いてくれとは言わないさ。…料理の腕も期待してないぞ? お前、ソルジャー・ブルーだった頃には何も作っていなかったしな?」
「…そうなんだけど…。ハーレイは作ってくれていたよね、野菜スープを」
野菜スープのシャングリラ風。
青の間のキッチンはブルーのための食事を作る場所であって、ブルーが作る場所ではなかった。今と同じ虚弱体質だったブルーに少しでも栄養のあるものを、と料理の仕上げをするための場所。遠い食堂から運ぶ間に味が落ちぬよう、食事担当のクルーが心を砕いていた場所。
ハーレイは其処でブルーのためにと野菜のスープを作っていた。キャプテンの任務を終えた後の時間に、あるいは多忙な仕事の合間にブリッジを少しだけ留守にして。
その頃を思い出すと胸が熱くなる。目頭も熱くなってくる。
自分たちは今、どれほど幸せなのかと。どれほど幸せで穏やかな世界に生まれたのかと…。
遠い前の生に思いを馳せるブルーに、ハーレイが「おい、ブルー」と声を掛けてきた。
「昔を懐かしんでいるのは分かるんだがな…。あの頃は菓子は作っていないぞ」
「そうだったっけ?」
ハーレイなら作っていそうな気がした。
前の生でもミュウらしからぬ丈夫な身体をしていたハーレイ。アルタミラからの脱出直後は確か調理も担当していた。ブルーは何ひとつ作れなかったけれど、ハーレイは船にあった雑多な食材を使って色々な料理を作ったものだ。
どんな仕事でも器用にこなせる腕を見込まれ、ハーレイはキャプテンに選ばれた。船がどういう状態にあるか、必要とされる物資は何で、するべき作業はどれなのか。船の状況を把握し、適切な判断を下すためには総合的な知識が欠かせない。料理も、もちろん航宙学も。
そういう経緯を知っていたから、菓子の類も作っていたかと思ったのに。
「お前な…。菓子が作れるくらいに落ち着いた頃には、俺はとっくにキャプテンだったが?」
「それはそうだけど…。趣味か何かで作ってないの?」
「作っていたなら、食わせない筈がないだろう? まずはそういうプレゼントからだ」
「えっ?」
キョトンとするブルーに、ハーレイがクックッと可笑しそうに喉を鳴らした。
「お前を釣るためのプレゼントさ。甘いものには目が無かったろう?」
「ちょ、ハーレイ…!」
ブルーの頬が赤く染まった。
前の生でまだ結ばれてはいなかった頃に、ハーレイが何度も訪ねて来ていた。ブルーの口に合う菓子が出た日に「俺の分も食べろ」と分けてくれたり、ついでに紅茶を淹れてくれたり。他愛ない話をしながらのほんの僅かな時間だったが、ブルーにとっては心安らぐ幸せな時で…。
思えばあの頃、自分は既にハーレイに心惹かれていたのだろう。菓子や紅茶に釣られたわけではなかったけれども、あれこれと細やかに気遣ってくれるハーレイがとても好きだった。
「思い出したか? 俺の手作りの菓子だと言ったら、一発で釣れた筈なんだがな?」
「ハーレイっ!」
ぼくは魚じゃないってば!
照れ隠しに叫んだブルーの頭をハーレイの大きな手がポンポンと叩いた。
「分かった、分かった。…というわけで、菓子は作っていなかったんだが…。これからは、だ」
「これから?」
何のことだろう、と首を傾げるブルーに、ハーレイは優しく微笑みかけた。
「さっきの料理とパウンドケーキの話だ、ブルー。…お前は自信がサッパリらしいが、安心しろ。お前の代わりに俺が作ってやるから」
ハーレイが料理をして、パウンドケーキも焼くと言う。
それはもちろん、今現在の話などでは無いだろう。いつかブルーと共に暮らせる日が訪れたら、ハーレイが料理をするという意味。
ブルーは驚きに目を見開いたが、ハーレイは「いいな?」と笑みを浮かべた。
「お前は俺が作った料理を美味しそうに食べてくれればいい。それだけで俺は充分なんだ」
「で、でも…。でも、ハーレイ…」
結婚してハーレイに貰ってもらう立場がブルーなのに。男同士のカップルの場合もそう言うのかどうか分からないけれど、「お嫁さん」にあたる立場になるのがブルーなのに。
それなのに料理をしなくていいなどと言われても…、とブルーは酷く途惑ったのだけれども。
「それでいいのさ、俺はお前が居るだけでいい。お前と暮らせるだけでいいんだ」
それにお前が突然、料理をするなどと言い始めたなら、お前のお母さんが何と思うか…。
お前はこんなに小さいんだから、一人暮らしに向けての準備なんだとも言えんしな?
その上、パウンドケーキの焼き方を教わりたいとなったら怪しすぎだ。
パウンドケーキが好物とくれば俺が真っ先に疑われる、とハーレイが笑う。
「出入り禁止にはなりたくないしな。お前は当分、大人しくしてろ」
俺がお前を貰いに来るまでは妙な真似をして先走るな、と。
「いいか、ブルー。…お前さえいれば何も要らない」
「でも…。でも、ハーレイの好きなパウンドケーキ…」
ハーレイの大好きな味なのに、と言い募るブルーの髪をハーレイの手がクシャリと撫でた。
「俺の好きな味か? いいんだ、お前が最高の御馳走だからな」
「えっ?」
「お前だよ、ブルー。大きく育って食べ頃になったら俺と一緒に暮らすんだろう?」
「……食べ頃?」
訊き返した後でその意味に気付いたブルーは耳まで真っ赤になったけれども、ハーレイの表情はそれは幸せそうだった。
嬉しそうに食事をする時の顔。大好物のパウンドケーキを美味しそうに食べている時の顔。
あまりに幸せそうな顔だったから、ブルーは「バカッ!」と叫ぶ代わりに飲み込んだ。
こういう顔をするハーレイが好きだ。
大好きなパウンドケーキを食べている時でも、食事をしている時の顔でも。
たとえ「食べ頃」とやらに育った自分を指しているのであっても、美味しいと顔じゅうで語っているから。見ている方まで幸せな気持ちに巻き込んでしまう、この表情が大好きだから…。
(……ぼく、美味しいといいんだけれど……)
今はまだ食べ頃になっていないらしい自分の細い手足を眺めて、ブルーは少し心配になった。
期待させておいて裏切ってしまわなければいいが、と思うけれども…。
きっとハーレイは、今度の生では幸せそうな顔だけをしてブルーを抱いて愛するのだろう。
何でも美味しそうに食べる今のハーレイ。
そのハーレイに相応しく、幸せそうな顔だけをしてブルーを食べにかかるのだろう。
(…うん、きっとそうだ…)
ブルーがハーレイの好みの味ではなかったとしても、今度の生は前とは違う。
前の生では二人で過ごす甘い時間の合間に、切なそうな顔をするハーレイを幾度となく見た。
それは戦いに疲れたブルーを気遣う顔であったり、もう朝なのかと短く呟く時であったり。
どんなに幸せな時を過ごしても、切ない顔をさせてしまった。
明日は無いかもしれなかったから。明けた夜が二人の最後の夜かもしれなかったから。
けれど今度の生では違う。
たとえブルーが美味しくなくても、ハーレイには明日も明後日もある。
いつか美味しくなるのだろう、と待てる時間が今のハーレイにはたっぷりとある。
だからハーレイはガッカリせずに食べてくれるに違いない。
ブルーの大好きなあの表情で、幸せそうな顔だけをして。
今のハーレイには切ない顔は要らないのだから。
「今夜で最後なのかもしれない」。
そんな悲しい思いを抱いて離れなくてもいいのだから。
ハーレイと二人、繋いだ手をしっかりと握り合わせて何処までも共に歩んでゆくのだから……。
パウンドケーキ・了
※ハーレイの母が焼くパウンドケーキと、ブルーの母のパウンドケーキは同じ味。
ブルーも焼けるといいんですけどね、お母さんと同じ味のを。
聖痕シリーズの書き下ろしショート、少しずつ増えてきております。
増えても告知はしてませんので、たまに覗いてみて下さいねv
そうそう、3月31日はブルー君のお誕生日です。桜、咲くかな?
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