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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

右目へのキス

 前の生の最期にハーレイの温もりを失くしたブルー。メギドへと飛ぶ前、ハーレイの腕に最後に触れた右手に残った温もりを抱いて逝くつもりだったのに、撃たれた痛みで失くしたブルー。右の手が冷たいと、独りぼっちになってしまったと泣きながら死んだ前の生のブルー。
 その悲しみを覚えているから、ブルーは右の手をハーレイが握ってやると喜ぶ。温もりが戻って来たと幸せそうな顔で微笑む。
 凍えた右手が前世の最後の記憶だったから、右手を握ることが一番多いのだけれど。ハーレイと再会した時にブルーの身体に浮かび上がったメギドで撃たれた時の傷痕。小さな身体を血に染めた傷痕が現れた場所に手を当ててやることもブルーは好んだ。
 後ろからそっと抱き締められて、両方の肩に、左の脇腹に、順に当てられてゆくハーレイの手。最後に撃たれた右の瞳に手を当ててから、ハーレイはブルーの右の手を握る。傷の痛みで失くしてしまったという温もりを移してやるために。
 メギドでブルーが撃たれた傷痕。キースが弾を撃ち込んだ数も、容赦なく撃ちながら狙った順もハーレイはすっかり覚えてしまった。
 小さなブルーはもちろんだけれど、ソルジャー・ブルーだった頃のブルーも細くて華奢な身体をしていたというのに、そんな身体に何発もの弾を撃ち込むとは、何処まで残虐な男なのか。獲物を狩るような気持ちで楽しみながらブルーを撃ったのだろうか、と考えてしまう。
 死の星だった地球でキースに再会した時は、ブルーの死の真相など知らなかった。だから冷静に会談に臨むことが出来たが、彼がブルーをどう扱ったかを知っていたなら、どうなったことか。
 キャプテンとしての立場も忘れてキースを罵り、あるいは殴っていたかもしれない。八つ裂きにしても足りないくらいに憎いけれども、あの時のハーレイは知らなかった。目の前の男がブルーを撃ったことも、その傷の痛みのせいでブルーがハーレイの温もりを失くしたことも。
 皮肉なことに、ハーレイが全てを知った時にはキースは何処にも居なかった。遙かに過ぎ去った時の彼方で英雄になってしまっていた。人類とミュウとの和解を促し、SD体制を終わらせた男。遠い日にブルーを撃った男は、生ある間にブルーに心で詫びただろうか。
 それすらも今は分からない。自分もブルーも青い地球の上で新たな生を生きているのだし、前の生での恨み言など口にしても仕方ないのだけれど。過ぎたことだと思いたいけれど、ブルーを抱き締めて傷の痕に順に手を当ててゆく時、ハーレイの胸がキリリと痛む。
 ブルーが味わった苦痛と悲しみ。それをブルーに与えた男を殴ることすらしなかった自分。
 知らなかったからと済ませてしまうには、あまりにも苦しい戻れない過去。
 ミュウと人類の懸け橋となったキースを憎むわけにはいかない。ブルーもまたキースを恨んではいない。
 キースを殴れる機会は二度と来ないし、殴るべきでもないのだが…。



 今となってはどうしようもない遠くへ流れ去ってしまった時間。小さなブルーの身体に順に手を当てる時は温もりを移すことだけを…、と考えていても、たまにこうして囚われる。過去に戻ってキースを捕まえ、力の限りに殴りたくなる。
(…どうして気付かなかったんだ…。あいつがブルーに何をしたのか、あの時、俺が気付いていたなら…!)
 思わず腕の中のブルーを強く抱き締め、愚か過ぎた過去の自分を激しく悔やむハーレイの耳に、遠慮がちな声がかけられた。「…ハーレイ?」と呼び掛けてくるブルーの声。
「ねえ、ハーレイ…。どうかしたの?」
 いつから呼ばれていたのだろうか。我に返ったハーレイの顔をブルーが心配そうに見上げる。
「考えごと? 今日はもしかして忙しかった?」
「…いや、なんでもない。すまん、傷の手当てが途中だったな」
 後は右目か、とブルーの左の肩に当てていた手を離し、その手で右目を覆おうとしたら。
「ハーレイ。…キスは額と頬っぺたしかダメ?」
 唐突なブルーの言葉に、ハーレイは驚いて動きを止めた。
「キス?」
「うん。ハーレイ、いつも言ってるよね? ぼくへのキスは頬と額だけだ、って」
「その通りだが?」
 いきなり何を言い出すのか、とブルーを見下ろす。今はブルーがメギドで受けた傷痕を順に辿る途中で、キスをせがまれるような覚えは無かった。しかしハーレイが暗澹たる思いに囚われていた間に、ブルーの方も考えごとをしていた可能性はゼロではなくて。
(…キスというのが怪しいな…)
 ハーレイが傷の痕に手を当ててゆく時、ブルーはいつも目を閉じている。手のひらから伝わってくる温もりを逃してしまわないよう、余さずその身に取り込めるよう。全身で温もりを感じる内に心地よさに酔い、前の生の自分と重ねてしまうのか、キスを強請ってくることもあった。
 そういう時には腕を絡ませてくるのが常なのだけれど、何度も「駄目だ」と叱り付けただけに、戦法を変えて来たかもしれない。此処は軽くあしらっておくに限る、と判断をして。
「なんだ、手の甲にでもキスしろってか?」
 お姫様か、と冗談めかして言えば、「そうじゃなくって…」とブルーが返した。
「手の甲じゃなくて、右目、ダメかな?」
「右目?」
 ハーレイは思わず目を見開いた。



 ブルーが最後に撃たれた右目。サイオンシールドで防ぎ切れなくて撃たれてしまった。その時の痛みがハーレイの温もりを完全に消してしまったという。
 今は傷痕すら無いブルーの右の目。けれどハーレイは小さなブルーの瞳から流れた血の色の涙を覚えている。あれが全ての始まりだった。ブルーの身体に撃たれた傷痕が浮かび上がって、夥しい血が溢れ出して…。駆け寄り、抱え起こした瞬間、自分が誰かを思い出した。
 メギドで撃たれたブルーは右の瞳も、ハーレイの温もりも失くしてしまった。その痕跡を微塵も留めていない瞳で、小さなブルーがハーレイを見詰める。
「次に温めてくれる場所って、右目だよね? ハーレイの手だと大きすぎるよ、いつも言ってる」
「そうだな、文句を言われるな。肝心の目が温まらないから指で触れ、と」
 ブルーの右目を覆って温めてやるには、ハーレイの手は大きすぎた。顔の半分を覆わんばかりの手は額や頬を温めはしても、窪んだ目には届かない。ついつい忘れて手で覆っては苦情を言われ、指を揃えて瞼を温めることになる。
「…それね、指先だけで温めて貰うよりキスがいいな、って思ったんだけど…」
 ダメ? とブルーは小首を傾げた。
「ハーレイ、キスはやっぱり額と頬っぺたにしかしてくれない?」
「…お前の右目か…」
 ハーレイは暫し考え込んだ。ブルーへのキスは頬と額だけだと決めていたけれど、それは唇へのキスを欲しがるブルーを戒めるため。まだ十四歳にしかならないブルーに唇へのキスは早過ぎた。しかし瞼はどうだろう?
(…前は何度もキスしてたんだが…)
 前の生では宝石のようなブルーの瞳が愛おしくて瞼にキスを落とした。おやすみのキスも幾度となく瞼に落としてやった。頬と額へのキスも、瞼へのキスもさして変わりはないとも思える。
(…それに右目だしな…)
 ブルーが最後に撃たれた右の目。
 小さなブルーがそれを語るまで知らなかったが、キースは薄い笑いさえ浮かべて撃ったという。勝ち誇ったように「これで終わりだ」と言い放って。
 あの頃のキースのやり口からして、如何にも最後に撃ちそうな場所。ブルーの息の根を止めるのではなく、ただ悪戯に傷つけ、貶めるために。無意味に苦しめ、優越感を味わうために。
 強い意志を宿して煌めいていたブルーの瞳。
 深い憂いと悲しみとを底に湛えてもなお、美しく澄み切っていたブルーの瞳。
 それを撃つなど狂気の沙汰だ。どうすれば撃つことが出来るというのだ、あの瞳を。
 あの忌まわしいキースしか撃てない。あの悪魔にしか撃てるわけがない…。



「……ハーレイ?」
 またしても自分の思いに囚われてしまったハーレイの心をブルーの声が呼び戻す。十四歳にしかならない小さなブルーが愛くるしい瞳で見上げてくる。
 ソルジャー・ブルーだった頃とは違うけれども、ハーレイを捕えて離さない瞳。撃たれた痕跡を残してはいない、一対の赤く輝く宝石。その宝石の中にハーレイの姿が映っている。
「ハーレイ、右目はやっぱりダメ?」
 少し悲しそうな色を浮かべる赤い瞳は、前の生で潰れてしまった右目。キースに撃たれて潰れた右の目。それを思うとたまらなくなる。その場を見てはいないけれども、この瞳が潰されてしまうなど耐えられはしない。決して潰してはならないと思う。だから…。
「…分かった。右目はキスがいいんだな?」
「うん」
 嬉しそうにブルーが頷いた。
「キスだけでいいよ、じっと温めてくれなくてもいい」
「当たり前だ。…そういうキスをしろと言うなら俺は断る」
 額や頬と同じキスだからな、とハーレイはブルーに念を押した。触れるだけのキスを軽く落とすだけで、温めるためのキスではないと。



「…じゃあ、お願い」
 よろしく、とブルーが瞳を閉じる。それ自体は普段と変わらないもので、傷痕に順に手を当てる時のブルーの習慣。現にさっきまでも目を閉じていたし、何ら問題無いのだが…。
(…お、おい…。この状態でキスなのか?)
 右目へのキスを承諾したものの、ハーレイは窮地に陥った。
 頬や額へのキスと同じつもりでいたのに、何かが違う。ブルーの瞳が閉じているだけで胸の奥が微かに波立ってくる。
(…こ、これは……)
 額や頬にキスを落としてもブルーは目を閉じてしまうけれども、最初から目を瞑ってはいない。目を閉じてキスを待ってはいない。それなのに今は二つの宝石が見えない状態。
 これでは、まるで…。
(…どう見てもキスを待ってるんだが! いや、本当に待っているんだが!)
 ブルーの注文は右目へのキス。右の瞼に落とされるキス。それを待って瞼を閉じているのだが、ハーレイの心はあらぬ方へと向かってしまう。
 前の生でブルーが瞳を閉じてキスを待っている時、それはおやすみのキスでは無かった。
 頬や額へのキスでもなくて、待っていたのは恋人同士が交わすキス。唇を重ねる本物のキス。
(…ま、まずい……)
 こんな筈では、と焦れば焦るほど前世の記憶が蘇ってくる。ブルーと交わした本物のキス。瞳を閉じて待つブルーの顎を捉え、そうっと唇を重ねた記憶。噛み付くようにキスしたこともあった。
 美しかったソルジャー・ブルー。
 幼い顔立ちの小さなブルーとは違うのだ、と分かってはいても重なって見える。その内面を映し出す瞳が見えないせいで余計に二人が重なってしまう。ソルジャー・ブルーと小さなブルー。前の生で愛したソルジャー・ブルーと、今の愛らしい小さなブルーが。
(…こ、これは厳しい…)
 キスをしなければならない右の目。それなのに唇にキスしたくなる。右の瞼にキスする代わりに唇にしてしまいそうになる。そんなハーレイの心を知ってか知らずか、ブルーの唇が小さく動く。
「ハーレイ、まだ?」
「…あ、ああ…」
 キスだったな、と返して咳払いをするのが精一杯だった。
 ブルーには少し待っていて貰おう。ざわめく心が凪いでくるまで、胸の鼓動が鎮まるまで…。



 無理難題を持ち出したブルーの方には、ハーレイを困らせる気など全く無かった。本物のキスを強請る気も無く、右目へのキスが欲しかっただけ。
 前の生の最期に撃たれた右の目。それまでに撃たれた傷の痛みも酷かったけれど、弾を防ごうと張ったシールドを貫かれるとは思わなかった。弾が飛んで来るのが見えていたのに、避けるだけの力がもう残ってはいなかった。
 右の瞳に走った激痛。真っ赤に塗り潰された視界は直ぐ闇に変わり、右目を失くしたと気付いた時には右の瞳よりも大切なものを失っていた。右の手に残ったハーレイの温もり。最期まで抱いていようと思ったハーレイの温もりを痛みで失くした。
 持てるサイオンの全てをぶつけてメギドを破壊したけれど。
 メギドの制御室に満ちた青い光とサイオン・バーストの光との中で、ブルーは独りきりだった。ハーレイの温もりがあれば一人ではないと思ったのに。ハーレイからは遠く離れた場所でも、心は最期まで共に在るのだと思っていたのに。
 ハーレイの温もりを持っていた筈の右手は冷たく凍えて、ブルーは独りぼっちになった。右手が冷たいと泣きじゃくっても、温もりは戻って来なかった。
 独りぼっちになってしまったと、右手が冷たいと泣きじゃくりながらブルーは死んだ。
 あの時、右目さえ撃たれなければ。
 右の瞳さえ撃たれなければ、ハーレイの温もりを持っていられた。傷の痛みの前に薄れて微かなものになってしまってはいても、まだハーレイの温もりは在った。それがあればブルーは一人ではなくて、ハーレイと共に居た筈なのだ…。
(…右目が最悪だったんだよ、うん)
 だから温めて欲しいと思った。ハーレイの武骨な指で温めて貰うのも好きだけれども、たまにはキスが欲しいと思った。額と頬にしか貰えないキス。それでも心が温かくなる。幸せで胸が一杯になる。ハーレイの温かな唇が降ってくるだけで。柔らかな感触が触れてゆくだけで。
(…まだかな、キス…)
 欲しいんだけどな、と待ちくたびれて「ハーレイ、まだ?」と促した。そうしたら…。
「…あ、ああ…。キスだったな」
 ハーレイらしくない少し狼狽えた声と、咳払い。おまけにキスはまだ貰えない。
(……なんで?)
 いったい何がダメなんだろう、とブルーは懸命に考えた。やっぱりキスは頬と額にしか貰えないもので、右目といえども例外ではないということだろうか?
 日頃から唇へのキスを強請っているくせに、小さなブルーは気付かなかった。今の状況が唇へのキスを待っているのとそっくり同じであることに…。



「…ねえ、ハーレイ…」
 やっぱりダメ? とブルーはパチリと目を開けた。ソルジャー・ブルーの瞳とは違う、無邪気な光を湛えた瞳。それは追い詰められていたハーレイを救うには充分すぎる煌めきで。
「こら、目を開けたらキス出来んだろう!」
「ごめんなさいっ!」
 慌ててギュッと瞑った瞼にハーレイのキスが降って来た。
 キースに最後に撃たれた右の目。瞳と一緒にハーレイの温もりまで失くしてしまった悲しすぎる記憶。その右の目を癒すかのように温かな唇が優しく触れて、心がじんわり温かくなった。ほんの一瞬、触れて離れていった唇。それでもとても嬉しくなる。手で温めて貰うよりも…。
(うん、これからは右目にはキス!)
 それがいいな、とブルーは瞳を閉じたままウットリと考えていたのだけれど。
 ハーレイの方は夢見心地のブルーの顔をまともに見られず、不自然に目を逸らしていた。
(…まずいぞ、やっぱりこのパターンはまずい)
 ブルーが子供らしい表情でダメ押しをしたからキス出来たものの、次回は上手く運ぶかどうか。それに毎回、躊躇してはブルーに強請られてキスということになったら、ブルーもいつかは気付くだろう。何故ハーレイがキスを躊躇うのか、その裏に隠された事情なるものに。
(…そうなったら絶対、こいつは調子に乗ってくるんだ)
 何かといえば「キスしていいよ?」と口にするブルー。普段は鼻であしらっているが、右目へのキスにかこつけて目を瞑ったまま言われたら…。
 自分がそれでキスをするとは思わない。そうしないだけの自制心はある。けれど波立ち騒ぐ心をその度に抑えつけ、穏やかな笑みを浮かべ続けることは拷問に近い。だから…。
「…ブルー、悪いが……」
 お前へのキスはやっぱり、頬と額だけだ。
 そう告げられたブルーは心底ガッカリしたのだが、元々、キスはそういう約束。
「…うん、分かった…」
 とても温かかったのに、と残念がるブルーの右の手をハーレイが握る。
「ほら、ブルー。最後は右手を温めるんだろう?」
「うんっ!」
 ハーレイの温もりを失くした右の手。前の生の最期に凍えてしまったブルーの右の手。
 その手にハーレイは温もりを移す。ブルーが気に入ったらしい右目へのキスをしてやれない分の謝罪をこめて。
 どうかブルーの今度の生が幸せなものであるように。
 この手が二度と凍えないよう、何処までも自分が守ってやるから、と……。




           右目へのキス・了


※ブルーの瞳が閉じているだけで、瞼へのキスを躊躇うハーレイ。無理もありませんが。
 その原因に全く気付かないブルー、まだまだ小さなお子様ですね。

※聖痕シリーズの書き下ろしショート、50話を超えました。何処まで行くのやら…。
 ←拍手してやろうという方は、こちらv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






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