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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

言い訳の雫

 ハーレイは寝室で風呂上がりの一杯を楽しんでいた。季節はそろそろ初夏だったから、喉越しのいい酒に氷を浮かべてゆったりと。ビールも好きだが、寝る前に飲むにはあまり向かない。今日は仕事が忙しかったし、早めに休もうと寝室での一杯と相成った。
(ブルーの家にも寄れなかったな…)
 小さな恋人の顔を思い浮かべる。平日でも時間が取れた時にはブルーの家を訪ねる習慣。だが、今週は対外試合を控えた柔道部の指導と仕事の両立で時間が取れずに週の半ばに至っていた。
(明日には寄ってやりたいんだが…)
 そのためには仕事の段取りをどうするか、と頭の中で計画を立てる。早めに出勤して仕事をしてから柔道部の朝練をするべきか。校門が開くのは何時だったか、家を何時に出ればいいのか。
(…確か六時には開いてる筈だな、すると五時半に起きて朝飯で…)
 今から寝れば睡眠時間は充分に取れる。もう一時間早く起きても平気なくらいに早い時間。
「よし、それでいくか」
 ブルーに会うためにも早く寝よう、とグラスの酒を一気に呷ろうとして。
「しまった…!」
 勢いをつけすぎた酒がグラスと唇の間から僅かに伝って、ポトリと一滴、滴り落ちた。真っ白なシーツに琥珀色の染み。ほんの一雫だが、白いシーツだけによく目立つ。
「………。ロクなことにならんな」
 つい、うっかり。
 寝室のソファとテーブルで飲めば良かったものを、風呂上がりにキッチンで注いで二階の寝室に持って上がって来たから、そのままベッドに腰掛けた。部屋に入ってすぐにドッカリと。
「しかしなあ…。ベッドで一杯も捨て難いしな?」
 まあいいか、と空になったグラスをテーブルに置くために立って、直ぐに戻った。琥珀色をした染みは気になるが、どうせシーツは洗う予定をしていたし…。その時にひと手間増えるだけだ。
「つい、うっかり……か」
 ベッドに入る前のひと時、染みを見ていたら思い出した。前の生でのブルーのことを。



 今のブルーよりも背が高く、顔立ちも大人のそれだったブルー。それは美しく、気高かった前の生での恋人。いつからか彼に心惹かれて、親しい友から想いを寄せる人へと変わった。その想いを胸に秘めておくべきか、打ち明けるべきか。
 既にソルジャーと呼ばれ、青の間を居としていたブルーはハーレイが独占出来る存在ではない。常にシャングリラ全体に思念を巡らせ、船を守っているブルー。全てのミュウを愛する彼を自分の欲で一人占めなど出来るわけがない…。
 そう考えたから、躊躇した。募る想いを打ち明けたとしても、ブルーは困惑するだろうから。
 けれども、ふとしたブルーの仕草。ハーレイと二人きりの時しか見せない、その表情。自分だけでは無かったのだ、と気付いた時、どれほど嬉しかったか。ブルーも同じ思いなのだ、と。
 それからゆっくりと時間をかけてブルーの想いを確かめ、ようやく優しいキスを交わした。その日から恋人同士となって、少しずつ想いを深めていって。
 青の間でブルーと結ばれた時は、もうお互いに溢れる想いが止まらなかった。想いのままに腕を絡めて、求め合って。…そうして二人、抱き合ったままで眠ったのだけれど。
 次の日の朝、ブルーよりも先に目覚めたハーレイは身体を起こすなり絶句した。
(……これはあまりに……)
 全身から血の気が引いてゆく。まだ眠っているブルーの身体の下のシーツは酷く乱れて皺だらけだった。もちろんハーレイの下に広がるシーツも。
 しかも恐らく、皺だけで済みはしないだろう。愛し合うことに夢中で何も考えてはいなかった。自分もブルーも何度達したのか覚えていないし、その後始末などは頭に無かった。
(…ま、まずい…)
 ブルーの身体を傷つけたりはしていないと思う。苦痛を与えないように注意したから、血の色の染みは無いとは思う。しかし血の染みは無かったとしても、自分とブルーが放ったものは…。
 その跡は隠しようがない。ブルーのベッドで何があったか、係の者に知られてしまう。ブルーの相手が自分だとまでは知れないとしても、ブルーが誰かと愛を交わしていたことは。
(最悪だ……)
 ソルジャーとして誰もが敬うブルー。そのブルーを自分が引き摺り落とした。誰よりも気高く、凛として高みに立っていたブルーを、恋に溺れる「ただの人」にまで落としてしてしまった…。



 激しい後悔に苛まれ、暗澹たる気分で瞑目していたハーレイの耳に「どうしたの?」と柔らかな声がかかった。目を開けばブルーが横たわったままで見上げている。まだうっとりと酔いを残した瞳で、甘やかな笑みを湛えた唇で。
「…ブルー…」
 言えない。この愛しい人にはとても言えない、とハーレイは起こしていた身体を沈めてブルーを強く抱き締めた。何としてでもブルーを守る、と思ったけれども、どうすれば良いのか。この船の備品は自分の権限で動かせるものの、誰にも見られずにシーツを処分する方法などは…。
「…ハーレイ?」
 言葉にせずとも不安は伝わる。目覚めてから暫くはハーレイに甘え、その胸に身体を擦り寄せていたブルーが半身を起こし、ハーレイの不安の元を探った。ベッドに何かがあるのだ、と。
「あっ…!」
 ハーレイと同じものを其処に見たのだろう。ブルーも言葉を失っていたが、どうしようもない。
「…すみません、ブルー。私が…、私が注意するべきでした…」
 申し訳ありません、とハーレイは身体を起こして詫びた。
「直ぐにシーツを取り替えます。…係の者が替えに来る前に洗いに出せば分からないかと…。青の間の分のシーツのデータは私が何とか誤魔化しますから」
 船長の権限で書き換えられないことはなかった。不審に思う者があってもデータが無ければ思い違いで済むだろう。それしかない、と考えたのだが。
「…大丈夫」
 ブルーが白い指でシーツをそうっと撫でた。
「大丈夫だよ、ハーレイ、こんなものは…ね。こうしてしまえば」
 一瞬、青い光がベッドを覆って、消えた後には染み一つ無い真っ白なシーツ。激しく乱れて皺が寄った跡も何ひとつとして無い、いつもの通りのブルーのベッド。
「……魔法ですか?」
 思わず口をついて出たハーレイの言葉に、ブルーが「まあね」と微笑んでみせる。
「ベッドメイクは見慣れているから、その通りにしてみたんだけれど…。新しいシーツに替えて、前のは洗濯。もう水の中に浸けてあるから誰も汚れに気が付かないよ」
「…で、ですが…。係の者には、いったい何と?」
「多分、ぼくには訊かないだろうと思うけど…。もしも訊かれたら、水を零したと言っておくよ」
 自分が汚したシーツの始末は自分でしないと。ソルジャーでもね、とブルーは笑った。
 誰よりも強いサイオンを持ったブルーにとっては、シーツの入れ替えはほんの一瞬。ハーレイの目には魔法に見えたそれが、青の間で何度繰り返されたことだろう。たまに訊く者が出てくる度にブルーが答えた「水を零した」。その言い訳はいつしか定番になった。



 誰も気付かなかった青の間での秘めごと。初めて二人で過ごした翌朝の小さな事件が二人の間で笑い話になった頃には、ハーレイの部屋でも逢瀬を重ねた。
 キャプテンであるハーレイの部屋もまた、青の間同様、専属の者がベッドメイクをするのが常。此処でもブルーが乱れたシーツをサイオンで取り替え、新しいものを用意した。その手際良さに、ハーレイは目を瞠ったものだ。
「あなたのベッドなら慣れておられるのも分かりますが…。私の部屋のベッドメイクなど、いつの間にご覧になったのです?」
 暇潰しに覗いていたのだろうか、とハーレイは不思議に思ったのだが。
「これかい? 此処のベッドが覚えてるんだよ、どうするのかをね」
「ベッドが…ですか?」
「正確に言えば、係の残留思念かな? こう引っ張って、こっちをこう、と緊張している気持ちがよく分かる。キャプテンの部屋で失礼が無いよう、若いクルーは必死なんだね」
 キャプテンはとても怖いものね、とブルーが赤い瞳を煌めかせてハーレイの眉間に触れた。
「ほら、此処に皺。これを見るだけでも怖いってね」
「そんなことは…!」
「分かっているよ。君は怒鳴りも怒りもしない、って。…だから余計に尊敬される。若いクルーの憧れなんだよ、キャプテンは。そのキャプテンのお部屋係だ、頑張らないと」
 それで、とブルーは小首を傾げた。
「憧れのキャプテンのシーツを取り替えに来てくれた子に、何と言い訳するんだい? 自分で取り替えなければならなくなった不始末とやらは何にするわけ?」
「…私の場合は、水と言うより酒でしょうか…」
 ハーレイは苦笑しながら答えた。
「水を零した、は使用中だと仰るのでしょう? ならば酒しか思い付きません」
「ぼく専用の言い訳だからと独占する気は無いけれど…。オリジナリティは大切かもね。ぼくだと水で、君だとお酒。うん、お酒を零したと言っておいてよ」
 こうしてハーレイの部屋での逢瀬の後は「酒を零した」がハーレイの決まり文句となった。係のクルーは素直に信じて、中には零して減った酒の心配をした者までがあったほどで。
 そんな調子だから、ハーレイはたまにブルーをこう誘った。「酒を零しに来ませんか?」と。
 ブルーは酒に弱くて苦手だったけれど、いつも艶めいた笑みを返して酒を零しに訪れた。肝心の酒は飲みもしないで、ハーレイとの逢瀬に酔いしれるために…。



「本当に零しちまったな…」
 あれから長い長い時を飛び越え、辿り着いた地球でハーレイは呟く。「酒を零した」と言い訳をしていたキャプテンの部屋は今はもう無い。流れ去った時が白いシャングリラごと連れ去った。
 そのシャングリラで辿り着いた地球も、あの時の死に絶えた星ではない。
 青い水の星として蘇った地球。其処に自分は還って来た。死の星だった地球の地の底で息絶えた身体の代わりに今の身体を得て、新しい生を手に入れて。
 同じ地球の上に、今の自分が住む同じ町に、ブルーも生まれ変わって来た。メギドで失った命の代わりに新しい生を得、十四歳の少年として生きている。前よりも幼く、小さなブルー。ブルーに会いにゆくのだった、と思い出す。
 考えごとをしていた間に時が経ったかと時計を見たが、さほど時間は流れていない。テーブルの上の酒のグラスもまだ乾いてはいなかった。飲めるほどには残っていないが、グラスの底に残った液体。シーツに小さな染みくらいなら作れるかもしれない、ほんの僅かな量の酒。
 その酒のお仲間がシーツに拵えた染みを見ながら、ハーレイはフッと笑みを零した。
「…酒を零してくれるどころか、水も零せはしないんだがな…。今のあいつは」
 十四歳の小さなブルー。恋人なのだと主張しはしても、あまりに幼い身体のブルー。ハーレイと結ばれる日を夢見てはいるが、身体も心も幼すぎてどうにも話にならない。
「あいつが酒を零してくれる代わりに、俺が零してしまったか…。まだまだ待てと言われたようで縁起でもないが、ゆっくり育って欲しいからなあ…」
 前世のブルーが失くしてしまった幼い時代の幸せな記憶。ブルーにはそれを取り戻して欲しい。前の分を補ってなお余りある幸福な時間を過ごして欲しい。そのためならば何十年でも待てる、と思っているのだけれど。
「はてさて、あいつが酒だの水だの、零してくれるのはいつのことやら…」
 前の生での誘い文句をブルーは覚えているのだろうか?
 小さなブルーに「俺の家へ酒を零しに来ないか?」と言おうものなら、「行ってもいいの?」と喜びそうだ。その意味すらも考えはせずに、遊びに来ていいと許可を貰ったと歓声を上げて。
(…酒を零して遊ぶというのは、いったいどういう状況だろうな?)
 サッパリ分からん、と小さなブルーが考えそうな中身を想像してみる。スポーツ選手が祝賀会でやるシャンパンシャワー。その手のものしか思い付かない。学生時代に何度かやったが、なかなか高揚するものではある。ブルーに浴びせたら喜ぶだろうか?
(はしゃぎそうだが、酒は零してくれんしなあ…)
 ずぶ濡れになったブルーの姿はハーレイの心臓に悪そうだ。シャツがうっかり透けたりしたなら理性が危うくなってくる。これ以上はもう考えるな、とハーレイは自分にストップをかけた。



 年相応に無垢で愛らしい小さなブルー。無邪気な笑顔を思い浮かべれば邪心を抱ける筈もない。前の生では同じ姿でも一人前の戦士だったし、サイオンも比類ない強さだったけれど。
「…今のあいつには出来そうもないな、零す以前の問題だな」
 シーツに出来てしまった琥珀色の染みを指先でつつく。
 水や酒を零したと言い訳をしては、一瞬の内にシーツを取り替えた前世のブルー。魔法のように見えたその技を今のブルーは持ってはいない。瞬間移動が出来ないのだから、その応用とも言える例の魔法を使うことなど無理なのだ。
「あいつが自分のベッドに水を零したら、まずはママだな」
 大慌てで駆けてゆく姿は想像するのに難くない。「ママ、零しちゃった!」と叫びながら部屋を飛び出し、転がるように階段を下りて母の所へと一直線に。
 サイオンの扱いに長けるどころか、不器用かもしれない小さなブルー。それもまたハーレイには嬉しかった。ブルーが力を伸ばさなくてもいい世界だという証明だから。
(…そんなあいつが、あれを見たなら…)
 クックッとハーレイは笑い始めた。
 青の間で初めて二人一緒に過ごして、翌朝、愕然と眺めたベッド。前の生のブルーはソルジャーならではの冷静さと技で対処し、微笑んでさえいたのだけれど。
(あいつは間違いなくパニックだな)
 そう、あのベッドを見せられたならば小さなブルーはパニックだろう。どうしてベッドがそんな状態に陥ったのかも分かりはしないに違いない。そう考えると可笑しくなる。
 何かと言えば「本物の恋人同士になりたい」と口にする小さなブルー。ハーレイに向かって何度「キスしていいよ?」と誘ってきたかも数え切れないくらいだったが、中身は正真正銘の子供。
(うんうん、あいつは覚えていないぞ、肝心のことは)
 そうに違いない、とハーレイは思う。
 前世の記憶を全て思い出した、とブルーは言うし、実際、記憶は持っているらしい。だからこそ本物の恋人同士になれる日を待ち焦がれ、早く育ちたいと願うのだが…。
(本当に色っぽい記憶となったら抜け落ちているか、ぼやけているかだ)
 現に誘われたことがない。あの懐かしい誘い文句をブルーから聞いたことがない。
 ハーレイの部屋に行きたいと強請る代わりに、前世のブルーが笑みを浮かべて囁いた言葉。
 桜色の唇が歌うように紡いでいた言葉。
「ハーレイ? 最近、お酒を切らしているようだけど?」と。
 滅多に誘われなかったからこそ覚えている。普段は自分が誘っていたから。
 そう、彼の人から誘われる前に「酒を零しに来ませんか?」と。



 今のハーレイの家に、ブルーは遊びに来られない。ハーレイ自身がそう決めた。それをブルーはきちんと守って、ハーレイの方から訪ねて来るのを待っている。
 ハーレイの家に来たい筈なのに、前世での口実の酒を持ち出さないブルー。
 まだ十四歳の小さな子供で、法律でも酒は飲めないブルー。
 小さな身体と無垢で幼い心に合わせて、記憶もきっとぼやけるのだろう。背伸びしている子供と同じで大人びたことを口にしてはいても、ブルーは何も分かってはいない。
(…あのベッドだって確実に忘れているな)
 前の生で初めての朝を迎えたベッド。
 小さなブルーに、そういう記憶は、きっと、無い。
 それでもブルーが愛おしい。この地球の上で巡り会えたブルーが愛おしい…。
「…寝るか、明日はあいつの家まで行ってやらんとな」
 ついでに少しからかってみるか、とハーレイはシーツに残った琥珀色の染みに視線を落とす。
 懐かしい誘い文句を忘れたであろう小さなブルー。
 ハーレイが「昨夜、うっかり酒を零してな」と白状したなら、何と答えを返すだろう?
 「酔っ払ったの?」か、それとも「もったいないよ」か。
 どちらにしても、前の生のブルーの艶やかな笑みと言葉は返らない。
 「それじゃ今夜はぼくが行くよ」と微笑んだブルー。
 あの頃のブルーとそっくり同じに育ったブルーを手に出来る日はまだ遠いけれど。
(…うん、今のあいつも可愛らしいんだ)
 待っていろよ、とハーレイはベッドにもぐり込んだ。
 明日はお前の家に行くから、と……。




           言い訳の雫・了


※前のハーレイとブルーの秘めごと。小さなブルーは覚えていない、前の自分の誘い文句。
 今度は言い訳の要らない二人ですけど、二人きりで過ごせる夜はまだ遠いようです…。
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