シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「あっ…!」
ブルーは小さな悲鳴を上げた。自分の部屋でハーレイと向かい合わせに座ってのティータイム。ハーレイが好きなパウンドケーキを母に強請って焼いて貰ったから、幸せ一杯で過ごしていた。
何でも美味しそうに食べるハーレイだけれど、中でもパウンドケーキは特別。ブルーの母が焼くパウンドケーキはハーレイの母の味と同じなのだそうだ。
「おふくろが焼いてコッソリ持って来たのかと思ったぞ」と前に言っていたくらい、ハーレイの母の味にそっくりらしい。そう聞いたから何度も母に頼んでいたし、今日も頼んだ。それを食べるハーレイを見ているだけで幸せになれる。もう幸せでたまらなくなる。
なんて美味しそうに食べるんだろうと、この味がハーレイの母の味なのかと考えながらの幸せな時間。幸せの味を噛み締めながらパウンドケーキをフォークで口に運んでいたら。
ふとしたはずみに手が滑ったのか、ケーキの欠片を床に落とした。ほんの小さな欠片だけれど、ハーレイの大好きなパウンドケーキ。落とすだなんて、とショックで残念。
(やっちゃった…)
拾い上げて口に入れようかとも思ったのだが、向かいにハーレイが座っている。いくら好物でも床に落ちたものを拾って食べれば「行儀が悪い」と思われそうだ。
(…掃除してあるから綺麗なんだけどな…)
しかし綺麗な床であっても、落とした食べ物を拾って食べればマナー違反。何処かの店でそれをしたなら呆れられるし、とても褒められたものではない。家族と一緒の食卓でしか許されはしない「拾って食べる」という行為。
ハーレイはブルーの前の生からの恋人なのだし、たとえブルーが拾って食べても叱ったりせずに笑ってくれるとは思う。「落としちまったな」と笑うだけなのだろうが、子供らしいと微笑ましく見守る目になっていそうで、それは悲しい。
子供扱いは嫌だったから、床に落ちた欠片は諦めた。一人前の大人ならば床から拾って食べたりしないし、此処は行儀よく振舞わなければ。
「…落っことしちゃった…」
失敗、と椅子から離れて掃除用のシートを取って来た。小さなロールになったシートの表側には細かい埃を貼り付かせるための仕掛けがしてあり、ケーキの欠片をそれにくっつけてからシートを破って屑籠に捨てれば掃除完了。
でも、ゴミにするには惜しいサイズのケーキの欠片。小さな欠片は仕方ないけれど、一番大きな大元の欠片は掃除用シートにくっつけるよりは…。
ブルーは欠片を指で摘むと、窓を開けて二階から庭へと放り投げた。
「はい、お裾分け!」
「お裾分け?」
なんだそれは、とハーレイが訊くから、「お裾分けだよ」と笑顔で答える。
「ハーレイの好きなパウンドケーキ、捨てたりしたらもったいないでしょ? 庭に出しておいたら誰か食べるよ、蟻とか、もしかしたら小鳥とかが」
「なるほどな…。確かにそいつは有意義かもな。食べ物を大切にするのはいいことだ」
遠い昔にシャングリラで食料の確保に苦労した記憶を持つハーレイは窓越しに下の庭を眺めた。
「蟻でも鳥でも、分けて貰ったら喜ぶだろう。美味いケーキだしな」
「でしょ? だけど、こっちはお裾分けは無理…。小さすぎだよ」
残った欠片をシートにくっつけ、零れていないか確認してからシートを千切って屑籠へ。欠片がついた側を中にして包むように丸めて捨てれば密閉状態、虫などは来ない。
「はい、おしまい。…ごめん、話の途中だったのに」
掃除用シートを元の場所に片付けて自分の椅子に戻ると、ハーレイが感心したように。
「慣れたもんだな、お前くらいの年頃の子なら放っておく方が多いと思うが」
「…らしいね、ハーレイも自分で掃除はしなかった?」
「掃除どころじゃなかったからなあ…。柔道と水泳に明け暮れてたから、そういうのはおふくろに任せっ放しの子供だったさ」
「あははっ、理由があるだけマシだよ」
絶対にマシ、とブルーはコロコロと笑う。ブルーの友達は自分で掃除をしない子ばかり。掃除をしろと叱られたってしないで放っておいた挙句に、大切なものをゴミと一緒に捨てられたりする。しかも子供時代のハーレイのように忙しかったわけではなくて、ただ面倒でやらないだけ。
「ぼくの友達、家でゴロゴロしてる日だって掃除はしないよ」
「お前の年ならそっちが普通だ。お前が綺麗好きなんだ」
分かる気はするが、とハーレイの鳶色の瞳が細められた。
「前のお前もそうだっただろ?」
ブルーの前世はソルジャー・ブルー。ミュウの初代の長だった。
アルタミラを脱出した直後は船の中も雑然としていて、ブルーもソルジャーの地位にはいなくて仲間たちの一員というだけのこと。その頃のブルーは自分に割り当てられた部屋を綺麗に掃除し、通路なども率先して片付けていった。
今のブルーと変わらない小さな身体だったブルーが頑張って掃除や片付けをしているのだから、と他の者たちも精神状態が安定した者から順に手伝いをするようになって、船内は予想以上に早く快適な居住環境となった。
そんなブルーだったから、ソルジャーとして青の間に住まうようになっても私的な部分の掃除は自分でしようとした。ベッドの周りや、奥にある小さなキッチンの掃除。部屋付きの掃除係が来てみれば既に掃除が終わった後ということも少なくなかった。
「お前、本当に綺麗好きだったしな。クルーの仕事を奪ってどうする」
「だけど自分の部屋だよ、ハーレイ? 出来ることは自分でしたかったもの」
「それはそうなんだが…」
そうなんだが、とハーレイの声が僅かな翳りを帯びて。
「…綺麗好きなのはいいことなんだが…。お前の言い分もよく分かるんだが、ただ、な……。そのせいで俺は悲しい思いをしたんだ」
「えっ、なんで?」
ブルーは心底、驚いた。前の自分が綺麗好きだったことで、何故ハーレイが悲しむのだろう?
青の間が常に散らかっていたならクルーの仕事が無駄に増えるし、キャプテンの所に苦情が届くこともあり得る。けれど実際は逆だったのだから、何も問題は無さそうなのに…。
遠い記憶を探ってみても答えらしきものは見付からない。いくら考えても分からない。仕方なく尋ねてみることにした。ハーレイに訊くのが一番早い。
「…なんでハーレイが悲しくなるの?」
首を傾げて問い掛けたブルーに、ハーレイは「お前のせいではないんだがな…」と呟いてから。
「お前が逝っちまった後のことさ。…メギドに向かって飛んだお前は二度と帰って来なかった」
「…うん…。そうだけど、それが…?」
悲しかった前世でのハーレイとの別れ。思い出しただけで涙が零れそうになるし、右の手が凍えそうになる。ハーレイの温もりを失くしてしまって、メギドで冷たく凍えた右の手。
その手をキュッと握ろうとしたら、ハーレイの手が伸びて来た。大きな褐色の手がブルーの手を包み、「ほら」と温もりを移してくれる。
両方の手でブルーの右手を包み込みながら、ハーレイは彼方に過ぎ去った時を語った。
「…お前が守ってくれたお蔭で、シャングリラはナスカから逃げることが出来た。だが、ナスカで死んじまった仲間たちもいたし、お前までいなくなっちまった」
シャングリラの中には悲しみと混乱とが渦を巻いていて、それが落ち着くまでハーレイの仕事は多忙を極めた。ジョミーがアルテメシアへの進攻を宣言したため、それに伴う会議や航路の設定もあって、ハーレイは自分のために時間を割けなかった。
「…ようやっとゴタゴタが片付いた後で青の間に行ったら、何があったかお前に分かるか?」
「……ぼくって、何か置いてったっけ?」
そんな記憶はブルーには無い。迫り来る災いから皆を守るため、これが最後だと長い年月を共にした部屋を見回して心で別れを告げた。ハーレイと眠った大きなベッドが何よりも別れ難かった。もう一度だけ其処に腰掛けたい、と願う自分を叱咤し、それきり二度と振り返らなかった。
もしかしたら何か落として行ったのだろうか?
振り向くことをしなかったから、落し物に気付かなかったのだろうか?
(…でも……)
落とすような物を持ってはいなかった。ソルジャーの衣装を纏ってしまえば、戦いに赴くために必要なものは何も無い。それを纏ってベッドを離れた自分に落とすような物は何ひとつ無い。
「…何も無かったと思うんだけど…」
考え込むブルーに、ハーレイは「そうさ」と答えを返した。
「青の間に行っても何も無かった。…綺麗に何も無かったんだ」
ハーレイの顔が苦しげに歪む。まるであの日に、あの場所に引き戻されたかのように。
「…俺はお前に会いたかった。お前がいないと分かってはいても、もう一度会いたかったんだ」
青の間に行けば会えると思った、とハーレイは小さなブルーの手を握り締めた。
「お前が確かに其処に居たんだ、という名残りでいいから会いたかった。お前が腰掛けたベッドの皺でも、出掛ける前に飲んで行った水のグラスでもな」
「…うん……」
何とハーレイを慰めたらいいのか、ブルーには見当もつかなくて。ただ頷いて、ハーレイの手をキュッと握り返すことしか出来なかった。
飛び去ってしまった前の自分を探し求めて青の間に行ったというハーレイ。
ハーレイは其処でブルーの欠片に出会えただろうか?
「…俺はお前に会いに出掛けたのに、綺麗さっぱり何も無かった」
無かったんだ、とハーレイは辛そうに頭を振った。
「…まさかああなるとは思っていなかったんだな、部屋付きのヤツも。…お前はかなり無理をしていたし、帰って来たら直ぐに寝られるように、と気遣って整えたんだろう」
ハーレイが足を踏み入れた部屋に、ブルーの痕跡は何も無かった。
大きなベッドはベッドメイクがすっかり済まされていて、ブルーが眠った跡すら無かった。皺の一つさえ残ってはおらず、枕カバーもシーツも何もかも、洗い立てのものと交換されていた。
枕元に置かれた水差しの水も新しいものと取り替えられて、被せられたグラスも綺麗に洗われてしまった後で。ブルーが最後に水を飲んだのか、飲まなかったのかすらも分からなかった。
「お前は片付いた部屋が好きだったからな…。お前が部屋を出て行って直ぐに、係のヤツが掃除をしたんだろう。…そのせいで何も残らなかった」
お前の髪の一筋さえも、俺には残らなかったんだ…。
項垂れるハーレイはそれを探しに行ったのだろう。ブルーが確かに生きていた証。
ベッドの上に一本くらいは落ちていそうなブルーの髪。銀色のそれを持っていたくて、青の間へ探しに出掛けて行った。それなのに…。
「……ごめん」
ごめん、とブルーは唇を噛んだ。
今と同じで綺麗好きだった前の生の自分、ソルジャー・ブルー。弱り切った身体で戦いの場へと向かった部屋の主が戻ったら心地よく眠れるようにと、部屋付きのクルーが掃除をした。ベッドを整え、水差しの水も新しいものを満たして、グラスを洗った。
もしもブルーが大雑把な性格であったなら。…整い過ぎた部屋は落ち着かないタイプで、部屋の掃除は一日に一度、眠る前のベッドメイクだけで充分な人間であったなら…。
戻ったブルーがリラックスして過ごせるようにと、部屋はそのままだっただろう。眠りの続きに入りやすいよう、ベッドはブルーが眠った痕跡を留め、水差しの水も減ったまま。
そうしておいて、戻ったブルーに尋ねただろう。今から部屋を整えますか、と。
けれどブルーは綺麗好きだったし、整った部屋を好んでいたから、何ひとつ残りはしなかった。ベッドは綺麗にされてしまって、ブルーが気付かずに残したであろう銀色の髪も無くなった。
ハーレイはそれが欲しかったのに。
生きていた間に髪の毛など渡しはしなかったから、青の間に知らず落としていった銀の髪だけがブルーの形見になったのだろうに…。
「…ごめん、ハーレイ…。ぼくのせいだ…」
ぼくが掃除が好きだったから、とブルーは謝る。
まさかそういうことになるとは夢にも思っていなかったから、整った部屋が好きだった。綺麗に掃除をすることが好きで、青の間でさえも自分で出来る部分は掃除してしまう習慣で…。
そのせいでハーレイの手にはブルーの形見が残らなかった。
ブルーがメギドへ飛び立った後に、青の間は掃除されてしまったから。落ちていたであろう髪も掃除されて何処かへ行ってしまって、ハーレイの手には入らなかった…。
「ごめん、ハーレイ…。本当に、ごめん……」
戻ろうにも戻れない、遠すぎる過去。あの日に戻ることが出来るというなら、青の間を出る時、部屋付きの者に「掃除はいいよ」と告げてゆきたい。「直ぐに戻るから、このままがいい」と。
それでも掃除されてしまうのかもしれないけれど、ハーレイのために残しておきたい。
自分が其処に生きた証を、ついさっきまで此処に居たのだとハーレイに教える様々なものを。
どうして気付かなかったのだろう。
ハーレイが自分を求めて来るであろうことに、どうして思い至らなかったのだろう…。
悔やんでも悔やみ切れない、前の生の自分が仕出かしたこと。
今更どうにもならないのだけれど、ブルーはハーレイに「ごめん」と謝る。他には何も出来ないから。謝るより他に何も出来ないから…。
「いや、俺も悪い」
泣くな、と言われて褐色の指がブルーの目元を優しく拭った。知らない間に泣いていたらしい。ハーレイはブルーの涙を拭うと、また右の手を握ってくれた。
「…俺も悪いんだから、もう泣くな。…お前が俺に残した言葉を聞いた後に、直ぐに青の間の係に「部屋をそのままに」と言えば良かった。そうすれば掃除はされなかったんだ」
キャプテンの命令なのだから、とハーレイもまた遠い日の自分の愚かさを悔やむ。
ブルーが二度と戻らないことに気付いていながら、出すべき指示を出さなかったと。
「あの時はそんな発想すらも無かった。お前はメギドへ飛んでっちまうし、ナスカに残った連中は回収し切れていないし、シャングリラの中も大混乱で…。俺の能力の限界をとうに超えてたな」
よくもキャプテンが務まったものだ、とハーレイの瞳に穏やかな色が戻って来た。
「お前のことは頭にあっても、青の間まで頭が回らなかった。すっかり掃除されちまった青の間が誰のせいかと尋ねられたら、俺にも責任の一部はあるんだ。…九割はお前のせいだがな」
綺麗好きめが、とブルーの額が褐色の指にピンと弾かれる。
「割合はともかく、共同責任らしい俺に言わせれば、だ。…俺もお前も自分のことだけで精一杯になっちまったような非常事態の真っ最中にだ、青の間を綺麗にしたヤツの方が余程凄いさ」
自分の責任をキッチリ果たしていたんだからな、とハーレイが笑い、ブルーも笑った。
ソルジャーもキャプテンも自分の責任を果たせたか否か自信が無いのに、青の間付きのクルーは普段と全く変わらず、自分の任務を全うしたと。
シャングリラがどうなるかも分からない中で、きちんと仕事をやり遂げたのだ…、と。
「…よく考えてみたらホントに凄いね、ぼくなら放って逃げていたかも…」
部屋の掃除くらい、とブルーはつくづく感心した。ソルジャーだった自分はともかく、ミュウは大抵、気が弱い。弱すぎて前面に出られない者が部屋係を務めることも多くて、青の間といえども例外ではない。
そういう気弱な部屋係があのナスカでの混乱の最中に仕事をしていた。安全な場所に閉じこもる代わりに青の間を掃除し、ブルーが帰って来る時に備えた。逃げ出したい気持ちを抑えてベッドを整え、水差しの水まできちんと替えて。
「誰だったのかな、あの日の係…」
「さあな? 俺は掃除をされたショックで調べるどころじゃなかったからなあ…」
誰だろうか、と思い当たる顔と名前を二人で挙げてみて、その中の誰であっても凄すぎるという結論に達した。まさに「火事場の馬鹿力」だと。
「…ぼくがメギドを沈めたくらいの勢いだよ、掃除」
「そうだな、そういう感じだな。…メギドと掃除じゃ月とスッポンどころじゃないがな」
そこまで死力を尽くした掃除を恨んでは悪い、と二人揃って笑い合う。
悪いのは自分たち二人であって、部屋係に罪などありはしない、と。
ブルーの綺麗好きが災いしたらしい、ブルー亡き後の青の間の事件。
今でこそ笑っていられるけれども、ハーレイにしてみれば前世での辛く悲しい記憶の一つ。
ブルーを喪い、その形見すらも手に入れられなかった苦しみの記憶。
だからハーレイはブルーに言う。
「おい、ブルー。…綺麗好きもいいが、今度は適当にしといてくれよ?」
「適当?」
「そうだ。ほどほどにしておいてくれ、という意味だ」
お前の気配が綺麗さっぱり無いのは困る、と注文をつければ、ブルーが小さく首を傾げる。
「…たとえば?」
「俺たちが一緒に暮らせるようになったら、ベッドメイクは二人でするとか。食器も二人で一緒に洗うとか、後片付けや掃除はとにかく二人だ」
お前が二人でやりたくないなら俺がやるさ、とハーレイはブルーの瞳を見詰めた。
「…お前の欠片が見当たらない生活は二度としたくはないんだ、俺は」
片付けは一緒に、少しでも欠片が残るように。綺麗に片付いていても、何処かに欠片。
「えーっと…」
ブルーは少し考えてから、「そうだ!」と顔を輝かせた。
「じゃあ、カップ! ぼくのカップを置いておけば? それがあったらぼくが居るんだよ」
「お前のカップか…。いいな、だったらセットで買うか?」
俺のカップと、お前のカップと。模様が違うカップでもいいし、サイズが違うカップでもいい。
洗う時はいつも二つ一緒で、出すのも一緒だ。
どうだ? と問われて、ブルーは笑顔で頷いた。
「うん。ぼくもハーレイのとセットのカップがいいよ。ハーレイが留守で片方だけを使う時でも、もう片方がちゃんと何処かに置いてあるカップ」
「そして使わなかった俺のカップまで洗うつもりか、綺麗好きのお前としては?」
「出して並べてたらちゃんと洗うよ、ハーレイの分のカップだもの」
ふふっ、とブルーは微笑んだけれど。
ハーレイが使ったカップを洗わずに置いておくのもいいな、と思った。
いつか一緒に暮らすようになって、ハーレイが仕事に出掛けた後に残されたハーレイのカップ。
カップの底に残ったコーヒーや紅茶の跡を眺めて、それを飲んでいたハーレイを想う。
(うん、いいかも…)
胸がじんわりと温かくなる。
綺麗好きの自分がカップを洗わずに置いておくなんて、なんだかとても不思議だけれど。
不思議だけれども、ハーレイが飲んでいた跡が残ったカップだと思うと愛おしい。
(…唇で触ってみたくなるかも…)
どんな飲み心地のカップなのかと、確かめたくなって唇で触れるかもしれない。
きっと唇が温かくなる。ハーレイの温もりが唇に触れる。
(そっか、ハーレイが言ってた欠片って、こういうのなんだ…)
其処に居なくても、欠片がハーレイを連れて来てくれる。
ハーレイはブルーの欠片が欲しいし、ブルーもハーレイの欠片があったら幸せになれる。
お互いがちゃんと生きていてさえ、欠片が欲しいと思ってしまう。
(…ハーレイが仕事に行ってる間だけでも、欠片があったら嬉しいんだから…)
…ごめんね、ぼくの青の間のこと……。
掃除されてしまって、ぼくの欠片が一つも残っていなかった部屋。
(ごめんね、ハーレイ…)
だけど今度は、ぼくは何処にも行かないから。
ずっとハーレイと一緒に居るから、出掛ける時にはハーレイの欠片を置いて行ってよ。
ぼくが寂しくならないように、ハーレイの温もりが分かる欠片を……。
無くなった欠片・了
※前と同じに綺麗好きなブルーですけど、綺麗好きだったせいで形見が無かった前のブルー。
今度はハーレイに悲しい思いをさせることなく、二人で幸せになれますように…。
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