シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
夏休みに入って間もない、暑い日の午後。柔道部の指導を終えたハーレイは、昼食後にプールで軽く泳いでからブルーの家へと向かっていた。身体の弱いブルーはバス通学だが、普通の生徒なら徒歩で充分通える距離。ハーレイも急ぎでない時は歩いて出掛けることにしている。
(今日も暑いな)
眩しい日射しに目を細めつつも、ハーレイは暑さなど物ともしない。濡れたまま撫でつけた髪が直ぐ乾くのも夏ならではだ。
夏は水の季節。水泳が好きなハーレイにとっては最高の季節。ブルーと出会っていなかったなら海へ出掛けていただろう。去年までは頻繁に車で海まで走っていた。
(…今年はあんまり行けそうもないが…)
この夏休みはブルーとの逢瀬が最優先。それでも柔道部の生徒を海へ連れてゆくし、海の側での研修もあった。二回くらいは海で泳げそうだから、贅沢を言えば罰が当たる。
(ブルーも海も両方ってわけにはいかんしなあ…)
焦らずとも、いずれ両立出来る日が来ることは分かっていた。ブルーと暮らせるようになったら二人で出掛けてゆけばいい。その時まで海は暫しお預け、プールで満足しておかなければ。
そんなことを考えながらの道すがら。
アイスクリームの看板を見付けた。普段は見かけない看板があって、子供たちや大人が何人も。誰もがアイスクリームのカップやソフトクリームを手にしている。移動販売車が来ているのだ。
(ほほう…)
見れば、看板と車に自然の中での放牧で知られた農場の名前。産地直送のアイスクリーム。その農場はミルクで名高く、入荷すれば即、売り切れると聞く。
(…ミルクだったら良かったんだがな)
身長を伸ばそうと懸命にミルクを飲んでいるブルー。成果は一向に現れないまま、今もブルーは再会した時と変わらない百五十センチの背丈を保っていた。小さなブルーは可愛らしいが、本人は不満でたまらない所がまた可愛い。少しでも早く大きくなりたい、と頑張るブルー。
此処でミルクを売っていたなら、買うのだが。
からかい半分に「土産だ」と提げて行ったらどんな顔をするのだろうか、と眺めていて。
(…ん?)
ミルクではなく、アイスクリームが頭の隅っこに引っ掛かった。
何故だ、と記憶を探ってみても定かではなくて。
(アイスクリームを買う予定だったか?)
嫌いではないし、夏にはよく買う。しかも先日買ったばかりで、冷凍庫に入れてある筈だ。何か特別なアイスクリームでも買いに行こうとしていただろうか、と考えてみても分からない。
(…買って食ったら思い出せるか?)
食べながら歩いて行くのもいいかもしれない。ブルーの家までは大通りではなく、移動販売車が来られるような道を選んでの散歩道。ソフトクリーム片手に歩くのもいいだろう。
しかし、相手は有名な農場の移動販売車。あの農場は通信販売はやっていないと聞いている。
こだわりの放牧、そして品質。大量生産は不可能だから、決まったルートへの出荷と移動販売車での販売のみ。今日はたまたま出会ったけれども、次の機会は無いかもしれない。
自分一人で買って食べるより、ブルーにも買っていくべきだろうか?
(…待てよ。ブルーにも…?)
クイと記憶に引っ掛かる感触。
ブルーにも。…ブルーにも……。アイスクリーム…。
(そうか!)
そうだったのか、とハーレイは移動販売車に近付いて行った。並んでいる子供の肩越しに車内を覗き込み、どれにしようかと思案する内にハーレイの番。
「二つ下さい」
カップに入ったアイスクリームを二個買った。イチゴやラムレーズンなども並んでいたけれど、定番のバニラ。同じ買うなら素材の良さが一番際立つものがいい。保冷バッグがついてくるから、ブルーの家まで充分に持つ。
ハーレイでさえ忘れてしまっていた記憶の彼方のアイスクリーム。
小さなブルーはきっと覚えていないだろう。
生垣に囲まれたブルーの家に着いて、門扉の脇のチャイムを鳴らして。開けに出て来たブルーの母に「アイスを買って来ましたから」と保冷バッグを持ち上げて見せれば、「それなら最初はお茶だけですわね」と微笑みながら二階へ案内してくれた。
ブルーの部屋に入る時には保冷バッグを背後に隠す。ブルーの母がアイスティーを置いて階下に去っていった後、ハーレイはテーブルを挟んで向かい側に座ったブルーに声をかけた。
「おい、ブルー。今日は付き合って貰うからな」
「えっ?」
怪訝そうな顔をするから、隠してあった保冷バッグを取り出す。
「ほら、土産だ」
「わあっ! 何処で売ってたの?」
保冷バッグに印刷された農場の名前。顔を輝かせて手を伸ばして来るブルーに「待て」と一言。
「歩いてくる途中で移動販売車に会ったんだ。だから土産にと買って来たんだが…。その前にだ、これは俺との約束だからな。…お前、忘れているんだろうがな」
「何を?」
案の定、ブルーはキョトンとしている。ハーレイは保冷バッグをテーブルに置くと、鳶色の瞳でブルーを見詰めた。
「やっぱり忘れちまっていたか…。俺と一緒にアイスクリームを食う約束だ」
「アイスクリーム…? そんなの、あった?」
ハーレイと一緒にアイスクリームを食べる約束。全く思い出せないらしいブルーに「あった」と自信たっぷりに告げた。
「あったとも。前のお前が逝っちまってから生まれ変わってくるまでの間はカウントしないとしておいても、だ。…お前が俺に約束してから十五年は経つ」
十五年だ、と繰り返すとブルーは「…何、それ…」と目を丸くしたのだけれど。
ハーレイには確かに覚えがあった。
今の小さなブルーではなく、前の生でのソルジャー・ブルー。
気高く美しかったブルーと交わした、アイスクリームを一緒に食べるという約束。
赤い瞳をパチクリとさせて、ブルーの視線はアイスクリームの保冷バッグとハーレイとを忙しく何度も往復したのだが…。
「…ホントに思い出せないんだけど…。ホントのホントに、アイスクリーム?」
「アイスクリームだ。間違いない」
ハーレイはどっしりと椅子に腰掛け、「よく聞けよ?」と昔語りを始めた。
遠い遠い昔、シャングリラがまだアルテメシアの雲海に隠れていた頃。自らの寿命が残り少ないことを悟ったブルーは後継者としてジョミーを選んだ。
けれどジョミーはブルーを拒絶して家に戻った挙句に捕まり、辛くも成層圏まで逃げのびた彼を救い出すためにブルーが出てゆき、シャングリラも囮となるべく人類の前に姿を晒した。
シャングリラの存在を知った人類はミュウを駆逐しようと動き始める。数年後、ついに発見され猛攻を浴びたシャングリラ。致命的な傷を負い、宇宙に出られなくなる前に、とブルーが決断し、重力圏内でのワープという荒技を使ってアルテメシアから脱出したものの。
「宇宙へ出てから暫くの間、あちこちに影響が出ていただろうが。畜産部門も安定しなくて牛乳の量が酷く減ったぞ、動物は環境の変化に敏感だからな」
「…そういえば…」
ブルーもそれは記憶していた。殆どベッドを離れられない日々だったけれど、船内の様子は常に把握し、必要とあらば指示を下した。
食料の確保を最優先に、とハーレイに伝えたことを覚えている。アルテメシアを離れたからには人類側から奪えはしないし、一刻も早く生産体制を元の水準まで戻すように、と。
「確か、ミルクが精一杯だったっけ? 最初の間は」
「ああ。皆が飲む分が採れただけでも幸いだった。バターの備蓄が底を尽く前に、なんとか作れるようになったから良かったが…」
不味い飯は士気が下がるからな、とハーレイは当時を思い返して苦笑した。
アルタミラの地獄を知っている者は何も文句を言わなかったが、それよりも後に来た若いミュウたちは初めて味わう食糧難の時代。食料は充分に足りていたのに口に合わないとの苦情が相次ぎ、厨房担当のクルーたちは頭を悩ませたものだ。
毎日の調理にバターは欠かせず、切りつめて使えば「不味い」と言われる。もしも完全に消えていたなら、どんな騒ぎになっただろうか…。
「ようやっと安定したから、嗜好品も作れるようになってだな、アイスクリームの第一号が」
「うん、それで?」
そういった物も作っていたな、とブルーは懐かしく思い出す。アルタミラから脱出した直後には食料さえも自給出来なかった自分たち。それが文字通り楽園という名のシャングリラを手にして、牛乳どころかアイスクリームまで作って食べられる環境になった。
もっとも、そんな中でもブルーの一番の好物はハーレイの野菜スープだったのだけれど。基本の調味料だけでコトコト煮込んだ、素朴すぎるスープだったのだけれど…。
今の生でもブルーが寝込むとハーレイが作ってくれる「野菜スープのシャングリラ風」。
懐かしいスープの調理人が「いいか、アイスだ」とブルーの瞳を覗き込む。
「せっかく出来たアイスクリームだ。…お前にも食べさせてやろうと思って二人分貰って、勤務の後で持って行ったら、お前は俺に言ったんだ」
「なんて?」
「昼間にジョミーと食べてしまったから、一日に二つというのはちょっと…、と」
「あっ…!」
ブルーの頭に蘇る記憶。青の間でジョミーが持って来てくれたアイスクリームを二人で食べた。やっとアイスが作れたんだよ、と誇らしげだった次の時代を担う金色の髪のソルジャーと。
「思い出したか? お前、明日一緒に食べようと俺に約束しただろう? 明日はジョミーが持って来たって断るから、と」
「…うん…」
「それで、お前はその約束をどうしたんだっけな?」
「……どうしたんだろう?」
其処から先の記憶が無かった。ハーレイと確かに約束をしたが、アイスクリームを一緒に食べた記憶が無い。「明日食べるから、残しておいてよ」と奥のキッチンに仕舞って貰った。キッチンへ向かうハーレイの背中は覚えているのに、アイスクリームはどうなったろう…?
「やっぱり綺麗に忘れちまったか…」
十五年だしな、とハーレイが苦い笑みを浮かべた。
「アイスクリームを片付けた後で、お前は俺と一緒に眠った。…もちろんお前は弱っていたから、ただ腕に抱いて眠っただけだ。次の日の朝、お前は「また夜に」と俺を送り出してくれた」
「……まさか……」
あの頃のブルーのお決まりの言葉。ブリッジに行くハーレイを見送る時には「また夜に」。また夜に会おう、という意味でもあり、「また夜に来て」という意味でもあった。
それをハーレイに言った自分は、もしかして…。
「…そのまさかさ。お前は俺がいない間に眠ってしまって、ノルディに呼ばれて駆け付けた時にはもう思念すらも届かなかった。…お前は目覚めなかったんだ」
アイスクリームを食べる約束もそれっきりになっちまった、と深い溜息をつくハーレイ。
「今日は起きるか、明日は起きるかと…。アイスクリームがすっかりガチガチに凍っちまっても、お前はとうとう目覚めなかった。そして十五年が経って、お前がやっと目覚めた時には…」
アイスクリームどころじゃなかった。もっとも、俺も覚えてはいなかったがな。
だから、とハーレイはアイスクリームの入った保冷バッグを指差す。
「思い出した以上は、俺と一緒に食って貰うぞ。アイスクリームは別物になっちまったが」
「…それでアイスクリームを買って来たの?」
「そういうことだ。お前、普段から右手が凍えただの、冷たかっただのと言ってはいるが、だ。…アイスクリームは別物だろうが?」
再会してから今日までの逢瀬でブルーの好みは把握していた。好き嫌いは無いけれど、食の細いブルー。それでもお菓子は大好物で、暑くなってからはアイスクリームも喜んで食べる。
ブルーはハーレイの予想どおりにコクリと愛らしく頷いた。
「うん、アイスクリームは大好きだよ」
「だったら、付き合え。…十五年越しの約束だからな」
「それと今日までの分なんだね」
凄い約束、とブルーが笑う。
死の星だった地球が青い水の星として蘇るほどの長い歳月、踏み倒されたままで過ぎた約束。
気が遠くなるような年月を越えてきた末に果たされる約束の中身がアイスクリーム。
アイスクリームを一緒に食べよう、という約束が長い長い時を越えるなんて、と。
長すぎる時を越えて果たすにしては馬鹿馬鹿しすぎる小さな約束。
アイスクリームを二人で一緒に食べるだけのこと。
それでも思い出したことが嬉しく、それを果たせることが嬉しく、奇跡のようで。
ハーレイが「ほら」と保冷バッグから取り出したアイスクリームのカップをブルーは笑顔で受け取った。
シャングリラで食べずに終わったアイスクリームとは違う容器に入ったアイスクリーム。いつか行きたいと願い続けた地球に在る牧場で作られているアイスクリーム。
「おっ、ちゃんとスプーンも入ってるんだな」
これで食べるか? と牧場のロゴが刻まれたスプーンが出て来る。地球で育った木から作られた使い捨ての軽いスプーンだけれども、産地直送のアイスクリームにはよく似合う。
「うん、これがいいよ」
小さなスプーンでバニラアイスを掬って、口へ。冷たくて甘い、極上の味。
「美味しい!」
ホントに美味しい、と味わうブルーと向かい合ってハーレイもアイスクリームを食べる。
移動販売車に出会わなかったら、今も忘れていたであろう約束。ブルーと交わした小さな約束。
それが叶ったことが嬉しい。長い時の果てに、こんなにも幸せな光景の中で。
「ねえ、ハーレイ」
ブルーが御機嫌でアイスクリームを口にしながら、右手に持ったスプーンを示した。
「スプーンが右手だから冷たくないよ、ぼくの右の手」
メギドで冷たく凍えてしまったブルーの右の手。最後にハーレイに触れた右手に残った温もりをキースに撃たれた痛みで失くして、右手が冷たいと泣きながら死んだ前の生のブルー。
その右の手が冷たくない、と微笑むブルーがハーレイはたまらなく愛おしい。
「そりゃ良かったな。…踏み倒してくれた約束も思い出せたしな?」
「うんっ! それに美味しいアイスもついたよ」
「ああ、本当に美味いアイスだ。人気が高いのも当然だな」
移動販売車が運んで来たアイスクリームは、遠い約束のアイスクリームとは比べようもなく美味だった。限られたスペースしか無かったシャングリラに居た牛とは違って、地球の広い牧場の青い草の上をのんびりと歩いて育った牛たち。最高の環境で生まれたミルクのアイスクリーム。
ハーレイとブルーが交わした約束は思いがけない形で果たされ、青い地球までがついてきた。
あの日、アイスクリームが再び作れるようになった時には地球など見えもしなかったのに。
何処にあるのか、その座標さえも掴めていなかった星だったのに…。
向かい合わせで二人、アイスクリームを食べながら今の幸せに酔う。
悲しすぎた前の生での別れを越えて、青い地球の上で再び出会うことが出来た。
果たせずに終わった小さすぎる約束をこんなにも素敵な形で果たせて、思い出すことが出来て。
なんて幸せなのだろうか、とブルーはアイスクリームをそっと掬って、口の中で溶かした。
「ねえ、ハーレイ。…こんな風に忘れちゃってる約束って他にもあるのかな?」
「あるかもな」
思い出したら果たして貰うぞ、とハーレイが笑う。
どんなつまらない約束だろうと、思い出したからには果たして貰う、と。
「時効って、無いの?」
「無いな。少なくとも俺は認めてはやらん」
そう言いつつも、ハーレイは「ただし」と付け加えた。
「ただし、幸せな記憶に限り…、だ。前の俺たちだと悲しい約束もしていそうだしな?」
「…そうかも…。ぼくが倒れてても叩き起こせとか、色々あったね」
「そうだろう? その手のヤツは全部時効だ、悲しいことは忘れりゃいいんだ」
約束に限らず忘れてしまえ、とブルーに向かって微笑みかける。
「お前の右手はいつになったら時効だろうなあ、早く忘れて欲しいんだがな…。覚えていても辛いだけの記憶だ」
「そうでもないよ、今は」
大丈夫、とブルーは笑みを返した。
「だって、温めてくれる手が側にあるもの。幸せだよ、ぼくは」
こんな風にアイスクリームを思い出してくれるハーレイとずっと一緒だもの。
ぼくはアイスクリームの約束なんて忘れていたのに。
思い出してちゃんと買って来てくれたハーレイがいるから、幸せだよ…。
アイスクリームはバニラ風味なのに、それは幸せの味がした。
また食べたいと、もっと食べたいと思うくらいに甘くて優しい味わいだった。
すっかり綺麗に食べ終えた後で、ブルーは牧場のロゴが入ったスプーンを名残惜しげにペロリと舐めて。
「ふふっ、美味しかった! …また会えるかな、移動販売車」
「どうだかな? この夏はもう無理じゃないかな、明日はまた別の町だろう」
「そっか…。ちょっと残念」
美味しかったのに、とブルーがカップと保冷バッグを眺めているから。
「なら、いつか二人で牧場に行くか? 作りたてならもっと美味いぞ、こういうものはな」
「ホント!?」
ブルーの赤い瞳が煌めいた。
「じゃあ、約束! 時効は無しで!」
「お前が忘れていなかったらな」
結婚するまでちゃんと覚えていろよ、とハーレイはパチンと片目を瞑った。
「俺たちが二人で出掛けられるようになるのは、結婚してからのことだしな?」
「うん! 今度は絶対に忘れないから!」
「十五年後でもか?」
「それよりも前に結婚してるよ!」
だから行こう、とブルーは強請る。
二人一緒に、ハーレイがハンドルを握る車で、アイスクリームを食べに出掛けてゆこうと。
他の幸せな約束も思い出してくれたら必ずきちんと果たすから、と。
きっとまだまだ沢山ある。
前の生で約束を交わしていながら、忘れてしまった小さなこと。
長い時を越えた今なら、前よりも遙かに幸せな形で約束を果たして幸せになれる。
そう、ハーレイが買って来てくれた、今日のアイスクリームみたいに…。きっと……。
アイスクリーム・了
※前のブルーが眠ってしまう前にハーレイと交わした、小さな約束。また明日に、と。
けれど果たされなかった約束。二人で食べたアイスクリームは、きっと幸せの味。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv