シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
暑いという言葉をすっかり聞かなくなった秋。残暑も終わって爽やかな秋晴れの土曜日のこと。ブルーは朝から部屋の掃除を済ませてハーレイが来るのを待っていた。
天気のいい日はハーレイは徒歩。まだか、まだかと二階の窓から見下ろしていた生垣の向こうの通りに颯爽と歩くハーレイの姿。大きく手を振れば、窓を見上げて振り返してくれる。
(…ふふっ)
今日もいい日になりそうだ、と母が門扉を開けに出掛けてハーレイを部屋まで案内してくるのを待った。庭のテーブルでお茶もいいけれど、今の季節は午後でも充分、外でお茶に出来る。だから午前中は自分の部屋でいい。ハーレイと向かい合わせで座って、ゆっくりと。
母がハーレイを連れて来てくれて、テーブルの上にお茶とお菓子と。部屋の扉が外からパタンと閉められ、母の足音が階段を下りて消えたら二人きりの時間。軽い足音がトントンと階段を下りてゆく間、聞き耳を立てるのがブルーの習慣。
ハーレイと微笑み交わしながら耳を澄ます時も、赤い瞳は恋人をじっと見詰めている。前の生で運命に引き裂かれてしまった記憶があるから、どんな時でもハーレイの姿を見ていたい。
もっとも、何度もこうして会っている内に、余裕も出来てはきたのだけれど。ハーレイが居ても窓の外の何かに気を取られたり、目の前のお菓子に夢中になったりもするのだけれど。
それでも二人きりの時間の始まりは見詰めることから。
今日のハーレイはどんな風だろうか、と表情を眺めたり、服装を見たり。其処でブルーはハタと気付いた。
(あっ……)
ハーレイが着ているラフなシャツの袖。
窓から手を振っていた時は全く意識していなかった。学校では普通に見かける格好だから。
夏休みが終わって学校が再開された時から、ハーレイは長袖のワイシャツだった。半袖の教師も少なくないのに、長袖を着て、ボタンも襟元まできちんと留めて。
思えば夏休みに入るまでの暑い間もハーレイのワイシャツは長袖だったし、ボタンも全部留めていた。ブルーの家を訪れる時には半袖のシャツを着ていたのだから、学校で着る長袖はハーレイの流儀。教師たるもの、服装も隙の無いように。恐らく、そういう考えなのだろう。
前の生でもキャプテンの制服を常にカッチリと着込んでいた。長老たちだけの寛いだ席では他の者たちがマントを外すこともよくあったけれど、ハーレイは上着を脱がなかった。その頃の記憶が意識の底に在るのだろうか、とブルーに思わせた夏の間のハーレイの長袖。
そのワイシャツではないが、長袖のシャツがハーレイの腕を覆っていた。半袖のシャツから外に出ていた褐色の腕が、逞しい腕が見えなくなってしまった…。
夏休みの間中、半袖姿を見慣れていたハーレイ。
それが学校が始まった途端、学校では夏休み前と同じ長袖のワイシャツになってしまったから。「暑くないの?」と尋ねてみたら「柔道着に半袖なんかは無いぞ」と涼しげな答えが返った。
それでもブルーの家を訪ねて来る時は半袖だったから、やはり暑いものは暑いのだろう。そんな暑さでも学校では長袖で通すハーレイを「ハーレイらしい」と思ったものだ。
キャプテンだった頃と変わっていないと、前のハーレイと同じハーレイなのだ、と。
そのハーレイがついにプライベートでも長袖になってしまった事実。
ブルー自身はとうに長袖になっていたけれど、ハーレイの腕が全く見えないことは悲しい。
すっかり見慣れた、筋肉を纏ったガッシリした腕。細っこいブルーの腕とはまるで太さが異なる腕。ハーレイの動きに合わせて筋が動いて、時には筋肉が盛り上がっていた。
夏休みの最後の日に二人で写した記念写真。
庭で一番大きな木の下で、ハーレイの腕に両腕でギュッと抱き付いて撮った。
あの時の感触をブルーは今でも忘れられない。
逞しかったハーレイの腕。弾力があるのに、同時に硬くて頼もしさを感じた強い腕。
写真は大切に机の上に飾ってあったし、写真のハーレイは変わらず半袖。
なのに目の前のハーレイは違う。あの腕は長袖に隠れてしまって、手しか見えない…。
母の足音が聞こえなくなった後も、ブルーはハーレイの腕に見入ったまま。
言葉の一つも口にしないから、ハーレイが不審そうに「どうした?」と訊いた。その声で現実に引き戻されたブルーは、ハーレイの腕を見ながらポツリと呟く。
「…ハーレイの袖…」
「ん?」
一瞬、意味を掴みかねたハーレイだったが、直ぐに「ああ」と思い当たって。
「長袖のことか。…流石にこういう季節になったら半袖はな」
ジョギングにでも行くならともかく、とハーレイはブルーに言ったのだけれど。
ブルーは「うん」と頷く代わりに、違う言葉を紡ぎ出した。
「……腕が見えない」
「そりゃ見えんだろう、長袖だぞ?」
「なんだか寂しい!」
そう叫ぶなり、ブルーが立ち上がる。テーブルの横をぐるりと回って移動し、ハーレイの椅子の所まで行くと、恋人の膝の上に座って腕を掴んだ。
まずは右腕。両手でしっかり捕まえておいて、袖をグイグイとまくってゆく。
「お、おい…」
何をするんだ、と慌てるハーレイを無視してグイグイまくって、肘の辺りまでまくり上げると、次は左の腕を捕えた。そちらの袖も肘までまくって、「よし!」と満足そうな笑顔をみせる。
「この部屋の中は暖かいから、これでいいよ」
こうしていてよ、とブルーは自分がまくり上げた袖から覗いた腕をポンと叩いた。
(ハーレイの腕が戻って来たよ)
半袖と違って肘から先しか見えないけれども、ハーレイの腕。
褐色の肌の下にしっかり筋肉をつけた、鍛え上げられたハーレイの腕。
それを再び見られることをブルーは喜び、大満足で自分の椅子へと戻った。しかし…。
「お前なあ…」
変わるもんだな、とハーレイに感慨深げに言われてキョトンとする。
「何が?」
「お前だ、お前」
ハーレイはブルーと視線を合わせた。鳶色の瞳の奥に宿った悪戯っぽく輝く光。宿した煌めきを隠そうともせずに、笑みまで浮かべてブルーに問う。
「俺が初めて半袖のシャツで此処に来た時、お前は俺に何て言ったんだ?」
「えっ?」
ブルーは答えを返せなかった。質問の意味は理解できるが、何の記憶も残ってはいない。初めてハーレイが半袖で来た日がいつだったのかも覚えていないし、何があったのかも分からない。
(…えーっと…。夏休みよりも前だったのは確かだけれど…)
其処から先が思い出せない。その日に何があったのだろう、と懸命に記憶を遡ってみても欠片も出て来ず、「うーん…」と顎に手を当てる小さなブルー。
本当に覚えていないらしいブルーの姿に、ハーレイはクックッと喉を鳴らして。
「忘れちまったか? 「デリカシーに欠けているってば!」と叫んだぞ、お前」
「あっ…!」
その言葉を耳にして鮮やかに蘇る記憶。
(そ、そうだったっけ…!)
前の生では愛し合う時しか見ることが無かったハーレイの腕。褐色の皮膚に覆われた逞しい腕。それを惜しげもなく晒すハーレイの半袖姿に頬が熱くなり、なのに全く気付きもしないで両の手で頬に触れて来た恋人に文句を言わずにはいられなくなって…。
(…八つ当たりしちゃったんだよ、ハーレイに…!)
ブルーは耳まで真っ赤になった。
あの日、確かにハーレイに向かって言い放ったのだ。
さっきハーレイが言ったとおりに、「デリカシーに欠けているってば!」と。
恥ずかしさのあまり俯くしかないブルーを前にして、ハーレイは余裕の腕組みをした。
「思い出したか? …俺に言わせれば、お前の方がよほどデリカシーに欠けているがな? よくも俺の服を脱がせやがって」
コレだコレ、とハーレイが袖をまくられた両方の腕を腕組みをしたまま軽く叩いてみせるから。ブルーは真っ赤に染まった顔で、消え入りそうな声で言い返した。
「……脱がせてないよ……」
ハーレイの服を脱がせた覚えなど無い。
腕が見たくて両方の袖をまくり上げただけで、断じて服を脱がせてはいない。
言いがかりだ、と抗議したいけれども、まだ恥ずかしくて滑らかに喋れそうもない。
もの言いたげにモゴモゴと唇だけを動かすブルーを、ハーレイが楽しそうに観察しながら。
「ふうむ、脱がせてないってか? まあ、脱がせ方としては間違ってるな。こんなやり方では全く脱がせられない」
俺の脱がせ方、覚えているだろ?
袖はまくり上げるんじゃなくて肩から抜くんだ。
前のお前の服の場合は、まずファスナーを下げてだな…。
「…あ、あれは…!」
もちろんブルーも覚えていた。
白地に銀の模様があったソルジャーの上着も、黒いアンダーも褐色の手がファスナーを下げて、それから胸と肩とを露わにされて…。
(ダメダメダメ~~~っ!)
考えただけで恥ずかしすぎる。
自分はハーレイのシャツの袖をまくり上げただけで、脱がそうなどとは考えていない。
それなのに服の脱がせ方など、わざわざ話してくれなくたって…!
茹でダコのようになってしまったブルー。
元の顔色に戻るまでにはかなりかかって、その間中、ハーレイはずっと笑っていたのだけれど。
ようやくブルーが落ち着いた頃に、「なあ、ブルー」と優しく微笑みかけた。
「デリカシーに欠けることではあるが、だ。…だが、俺としては嬉しくもある」
この袖まくり、と肘まで見える左腕を同じ状態の右腕の指先でトントンと叩き。
「お前が俺の腕に馴染んでくれていたことと、見えなくて寂しいと思ってくれたことと…な」
光栄だな、と笑顔のハーレイ。
そこまでこの腕を気に入ってくれてとても嬉しいと、鍛え上げておいた甲斐があったと。
「しかしだ。今日みたいな普段着の時ならかまわないんだが、学校帰りにワイシャツで来た日には絶対にやってくれるなよ?」
皺になったら厄介なんだ。
ワイシャツは俺の仕事着だからな。
「…ハーレイ、自分でプレスしてるの?」
ブルーは驚いて目を丸くした。
今の時代はワイシャツのプレスは全自動。ブルーの父でもそうなのだけれど、専用のハンガーに掛けてセットしておけば襟まで綺麗に仕上がる。洗うのだって機械任せで、よほどこだわりのある人くらいしか自分でプレスしたりはしない。専門のクリーニング店だってあるし…。
ハーレイはこだわるタイプだったのか、とシャツをまじまじと見詰めていれば。
「いや、俺は放り込むだけなんだが…。後は機械の仕事なんだが、俺はきちんとしたい口でな」
皺だらけのままで突っ込みたくない。
目についた皺は出来るだけ伸ばして、それから入れたいタイプなんだ。
「ハーレイ、それって…。キャプテンだった頃と同じだね」
「そうだな、全く変わっていないな。…言われてみれば」
専用の係がちゃんといたのに、キャプテンの制服を自分でプレスしようとしていたハーレイ。
何度も泊まりに行っていたから、ブルーも鮮明に覚えている。
(やっぱりハーレイはハーレイなんだ…)
そういうことなら、ワイシャツの袖をグイグイまくって皺だらけにしてはいけないだろう。
普段着だったらかまわないとは言われたけれども、それは自分の我儘だから。
ハーレイが長袖を着る季節になったからには、また慣れるしか…。
褐色の逞しいハーレイの腕。
肘から先だけしか見えていなくても、充分に強そうなハーレイの腕。
それを見られるのは今日でおしまいなのか、とブルーは名残惜しげに眺めながら。
「…そっか…。ハーレイの腕と暫くお別れなんだ……」
「俺は腕まくりでも気にはしないが、半袖の服が見たけりゃ来年の夏まで待ってることだな」
「夏…!?」
ついこの間、終わったばかりの夏という季節。
次に半袖の夏が巡ってくるまで、いったい何ヵ月あるというのか。
愕然としたブルーは「長すぎるよ、それ…!」と嘆きの声を上げたが、ハーレイの方は。
「長いって…。今日のシャツはまだ薄い方だが、今にもっと生地が分厚くなるぞ。…それに上から服だって着る。そうなったら袖はそう簡単にはまくれないな」
袖をまくっても上着の袖が被さってくるとか、そういう季節がやって来るさ。
秋の次には冬が来るだろうが。
「そうだよね…。その内に、キャプテンの制服を着てた頃みたいになっちゃうんだね…」
ブルーは残念でたまらなかった。
恋人同士として愛し合う夜にしかハーレイの腕を見られなかった頃。
半袖の服を着たハーレイは何処にも居なくて、キャプテンの制服ばかりだった頃。
けれど、その頃でも夜になったら見ることが出来た。
自分を抱き締めてくれる逞しい腕を、褐色の肌に覆われた筋肉が盛り上がるハーレイの腕を…。
(……来年まで見られないなんて……)
あの腕を来年まで見られないなんて、と肘から先だけを無理やり袖から引っ張り出してしまった褐色の腕をブルーは見詰める。
もう袖をグイグイとまくることはすまい、と決心したけれど、やっぱり寂しい。
今日で見納めになるのかと思うと、本当に寂しくてたまらなくなる。
(…ハーレイの腕…)
もっと見ていたい。
もっともっと触れて、もっと触って、腕の硬さを確かめてみたい。
前の生では毎晩のように触れて眺めて、抱き締めて貰った腕だから。
いつだって自分の直ぐ側にあって、それがどんなに力強いかを身体中が知っていた腕だから…。
その腕がもう見られなくなる。
来年の夏まで、また半袖の季節が来るまで見られなくなる…。
しょんぼりと項垂れるブルーの頭を、ハーレイの手が伸びて来てクシャクシャと撫でた。
「おいおい、そんなに名残りを惜しまなくても、あと数年の辛抱だろうが」
結婚したら見放題だぞ、俺の腕くらい。
半袖の季節を待たなくっても、年がら年中、見放題だろうが。
前と違って夜に限ったことでもないしな、俺たちの仲を隠さなくてもいいからな?
家に鍵さえかけておけばだ、真昼間だって見ていいんだぞ?
「…真昼間…?」
ハーレイの言葉をオウム返しに訊き返してから、ブルーの顔はまたしても真っ赤に染まった。
昼日中からハーレイと二人、恋人同士で愛し合う時間を持つなんて…!
前の生では全く考えられなかったことだけれども、確かに今なら不可能ではない。
それは恥ずかしくもあり、また嬉しくもあったのだけれど、それはそれ。
今よりもずっと未来の話で、今のブルーには夢物語。
ハーレイとキスさえ交わすことが出来ない、背丈が百五十センチしかないブルーにとっては夢のまた夢。
だからブルーは悲しくなる。
ハーレイの腕との別れを思って、寂しくて悲しくてたまらなくなる…。
「どうした、ブルー? 俺と結婚するんだろうが? でもって腕も見放題だぞ」
な? とハーレイが頭を撫でてくれるから。
寂しい気持ちを訴えたくて、ブルーは赤い瞳を揺らして見上げる。
「…そうだけど…。そうなんだけど……」
だけど、それまでは待つしかないもの。
次の半袖の季節が来るまで、ハーレイの腕は見られないもの…。
「うん? そりゃまあ、そういうことにはなるんだが…。結婚するまではそうなんだが…」
だが、とハーレイは片目をパチンと瞑ってみせた。
「そうしょげるな。来年の夏くらい、直ぐにやって来るさ」
うんと幸せに暮らしていればな、アッと言う間に日が経つもんだ。
楽しい時間は直ぐに過ぎると言うだろう?
それと同じだ、じきに来年の夏になる。
お前、充分に幸せだろうが。前のお前の時と違って、幸せ一杯の毎日だろうが?
違うのか、ブルー…?
ハーレイに穏やかに諭されたけれど、ブルーにはピンと来なかった。
毎日が幸せで溢れた今。
前の生とはまるで違って、幸せだけで出来ているような暖かく、そしてまろやかな時間。
それはブルーをふうわりと包み、ゆっくりとゆったりと流れてゆく。
今日の続きにはまた明日があって、明日が来ることが当たり前の平和な世界。
シャングリラの中だけが世界の全てだった頃と違って、明日が来ないことを恐れることなど全く必要ない世界。
そんな世界に生まれて来たから、充分すぎるほどに豊かな時間はとても長くて、果ての見えない大河のよう。二十四時間の一日でさえも、前の生での一ヶ月とも一年だとも感じるくらいに。
三百年以上もの長い時を生きた前の自分が刻んだ時より、十四歳の自分の方が長く生きたと思うくらいに…。
だからブルーは首を傾げる。
「そうなのかな? ぼくにはうんと長かったけど…」
ハーレイに会ってから今日までの長さ。
うんと幸せだったけれども、全然、短くないんだけれど…。
幸せすぎると時間って長く感じるものだよ。
前のぼくが生きてた間の幸せな時間を全部合わせても、ハーレイと会ってからの分の半分くらいしか無かったような気がするよ…。
「ふうむ…。幸せすぎると時間が長いか」
ハーレイは「うむ」と頷くと、ブルーの大好きな笑顔になった。
「なら、幸せをうんと楽しんでおけ。毎日が長いのはいいことだ、うん」
前のお前の分まで楽しめ。
三百年以上も生きたお前が幸せだった分の倍以上をもう味わったのなら、何十倍も何百倍も。
そうやって幸せに生きていたなら、人生、うんと値打ちが出るしな。
だから幸せな時間を楽しんで生きろ。
「俺の腕なんかにこだわらずに……な」
そう囁かれて、ブルーは即座に「やだ!」と叫んだ。
「ハーレイの腕だって幸せの内だよ、見られたのも幸せの内なんだってば!」
大好きな腕だもの、こだわりたいよ。
好きなだけ見られた今日までの時間も幸せだったし、来年の半袖も楽しみなんだよ!
絶対こだわる、とブルーが小さな拳を握ると、ハーレイが「うーむ…」と難しい顔で。
「お前、とことん変わったなあ…。確かに言われた筈なんだが?」
デリカシーに欠けている、と、お前の声で。
夏の初めの話だったと記憶しているが、記憶違いか?
「その話は無し! もう時効!」
時効なんだから、とブルーは懸命に主張する。長い時間が流れ去ったから、もう時効だと。
「お前にとっては長かったのかもしれないが…。生憎と年寄りは時間が経つのが早くてな」
二十四歳も年上の俺にとっては一瞬だったし、時効どころか昨日ぐらいの感覚だな。
「酷い!」
ハーレイ、酷い、とブルーは声を張り上げたけれど、時効は成立しなかった。
十四歳の小さなブルーの倍以上もの年を重ねた恋人は可笑しそうに笑い続けるだけ。
デリカシーに欠けると怒っていたブルーも変わったものだと、人間、変われば変わるものだと。
「うー…」
膨れっ面になってしまったブルー。
それでもハーレイの逞しい腕を、ブルーがまくり上げた袖から覗いた褐色の腕を見ないで過ごすことは出来ない。今日で見納め、来年の夏まで見られない腕。
(…ハーレイ、意地悪なんだから…!)
まだ笑っている恋人を睨むと、「おっ、もうおしまいにしていいのか?」と折角まくっておいた袖を元に戻そうとするふりをするから、そうそう睨むわけにもいかない。
睨みたいけれど、睨めない。
それに笑われても、時効ではないと笑いの種にされても、褐色の肌をしたハーレイが好きだ。
ハーレイも、ハーレイの褐色の腕も、何もかもが好きでたまらない。
だから笑われても、苛められても、ハーレイをじっと見ていたい。
今日で見納めになる逞しい腕はもちろん、笑い続ける意地悪な恋人のハーレイの顔も。
そしてまた、ハーレイに笑われる。
デリカシーに欠けると叫んだブルーも、本当に変われば変わるものだと……。
秋に着る物・了
※ハーレイの服の袖をせっせとまくったブルー。腕が見たくて頑張る所が可愛いですよね。
なのにハーレイには笑われる所が可哀相と言うか…。いじらしいと思うんですけれど。
「デリカシーに欠ける」と叫ぶお話は、第26弾の『夏に着る物』です。
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