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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

落とし物の星座

 土曜日の夜。ハーレイが帰って行った後、ブルーの部屋で夕食後のお茶に使われたティーカップなどの片付けをして、テーブルを拭いて。溜息をつきながらハーレイの椅子を元の位置に戻すと、ブルーはベッドに腰掛けた。
(…帰っちゃった…)
 何ブロックも離れた家へと帰って行ってしまったハーレイ。「またな」と軽く手を振って。
 明日になったら来てくれるけれど、今夜はもう顔を見られない。明日までの間、暫しのお別れ。前の生であれば、これからが二人の時間なのに。恋人同士で過ごすための時間だったのに…。
(…朝までハーレイと一緒だったのに…)
 同じベッドで眠っていたのに、と嘆いたところでどうにもならない。
 今のブルーは十四歳の子供でしかなく、ハーレイはキスすら許してくれない日々なのだから。
 ブルーを独りで此処に残して、「またな」と帰ってしまったハーレイ。
 残念でたまらないけれど、どうしようもない。ブルーは本当に独りではないし、両親と暮らしているのだから。ハーレイがブルーを置いて帰るのが当たり前な状況なのだから。
 どんなに一緒に帰りたくても、ブルーの家は今いる場所。
 何ブロックも離れたハーレイが一人で住んでいる家は、ブルーとは何の関係も無い。ハーレイと一緒に暮らせる日々が訪れるまでは、連れて帰って貰えそうもない。



(あーあ…)
 ハーレイと一緒に、あの家に帰りたかったのに。
 遊びにも行けないハーレイの家。たった一度しか呼んで貰えず、たった一度だけ瞬間移動をして飛び込んでしまったハーレイの家。二回だけしか入ったことがないハーレイの家…。
(…ハーレイと一緒に帰りたかったよ…)
 叶うわけもない、自分の願い。我儘に過ぎないブルーの願い。
 願っても無駄だと分かっているから、ベッドにコロンと横倒しに倒れて、部屋の床をぼんやりと眺めていたら。
(…あれ?)
 ハーレイと二人、向かい合わせで過ごしたテーブルの下に何かあるのを見付けた。細長い棒状をしたものが床の上に落ちて転がっている。
(…???)
 何だろう、とブルーは瞬きをした。ハーレイが来る前に掃除をした時、床だってきちんと掃除を済ませた。落ちている物があったとしたなら、その時に気付く筈なのだけれど。
(…ぼく、見落としてた?)
 それとも掃除を済ませた後で落としたのか。
 とにかく拾って片付けなければ、とベッドから起き上がり、テーブルの下を覗き込んで。
「あっ…!」
 思わず声を上げてしまった。
 床の上に転がった棒状のもの。瑠璃色をしたそれはハーレイの愛用品だった。



 テーブルの陰になって黒っぽくも見える、瑠璃色のペン。ハーレイがいつも持ち歩いている筈の万年筆がテーブルの下に転がっている。
 昼間に「予定を思い出した」と手帳に何か書き込んでいたから、その後で落としたのだろう。
(…落っこちたの、気付かなかったんだ…)
 落ちた時の音にも、落としたことにも気付かなかったに違いない。恐らくはブルーがハーレイの向かいに座っていたから。二人で過ごす時間に心地よく酔って、そちらに夢中になっていたから。
 そう考えると、なんだか嬉しい。
(きっとペンより、ぼくだったんだよね)
 ブルーは唇に笑みを浮かべると、手を伸ばしてペンを拾い上げた。思ったよりもズシリと重たい感触。ブルーが使っているペンよりもずっと重さがあるペン。
(…ハーレイのペンだ…)
 あの褐色の大きな手ならば、このくらいの重さがよく馴染みそうだ。最近ではブルーが誕生日にプレゼント出来た羽根ペンも使っているらしいけれど、学校や家の外で過ごす時間はこの万年筆がハーレイのペン。教師を始めた頃から使っていると聞く万年筆。



 ブルーはペンを手にしてベッドに腰掛け、ドキドキしながら眺めてみた。
 瑠璃色の地にポツリポツリと星のように散らばる金色の粒。不規則に鏤められた星。
 ペンの表を覆う瑠璃色は合成のラピスラズリという石なのだとハーレイに聞いた。
 宇宙を思わせるそれが気に入って、ずいぶん昔に買ったものだと。
(やっぱりハーレイはキャプテン・ハーレイなんだよ)
 前世の記憶が無かった頃でも宇宙に惹かれていたハーレイ。
 本物の宇宙は瑠璃色ではなくて漆黒だけれど、散らばる星は確かに宇宙に似ている。
 でなければ、夜空。
 幾つもの星が煌めく夜空も、このペンの見た目によく似ているから。
(星座は無いかな?)
 見慣れた星の配置とそっくりな金色が隠れているかも、とブルーは調べてみることにした。何か隠れているかもしれない。今の季節の空の星座とか、過ぎてしまった夏の星とか。
(……うーん……)
 ためつすがめつ探してみたけれど、それらしき金色は見当たらなかった。
 地球の星座も、遠い遠い昔にアルテメシアで見ていた星も。
 そう、アルテメシアにも星座はあった。雲海の中だけを進むシャングリラからは見ることさえも叶わなかったが、ブルーは何度も目にしていた。
 シャングリラで暮らすミュウたちもまた、どんな星座が空にあるかを知っていた。展望室の外は一面の雲海だったけれども、その代わりに投影されていた星。展望室ではなくて天体の間で、子供たちのためのプラネタリウムで、あるいは居住区の休憩室で。
 まだ見ぬ遠い地球の星座も、アルテメシアの空に輝く星座も、誰もが見上げて憧れていた。
 いつの日か肉眼で星を見ようと、地に足を付けて夜空を仰いでみようと。



(…どっちの星座も隠れてないんだ…)
 ブルーはペンを翳してみる。もしも星座が隠れていたなら、とても素敵なペンだったのに、と。
 もっとも、これが星座を隠していたならハーレイが話してくれただろう。
 宇宙を思わせるペンだから気に入って買った、とブルーに教えてくれた時に。
(だけど何処かにあるのかもね?)
 地球の星座もアルテメシアの星座も隠れていないけれども、他の星たち。
 キャプテンだった頃のハーレイが何処かの宇宙で見た星の配置。
 それを見ていたハーレイ自身も気付いてすらいない、何処かの宇宙。
(…補給のために寄った星とか、地球を探していた頃とか…)
 ブルーが知らない、十五年間もの長い眠りに居た間の旅。
 あるいはブルーが死んでしまった後、地球に辿り着くまでの長い長い旅路。
 そうした旅の途中の何処かで、ハーレイは星を見たかもしれない。
 このペンに散らばる金色の粒が描き出す星を、広い宇宙の中の何処かで。



 ハーレイも知らない星が隠れた瑠璃色のペン。
 そんなペンもいいな、と考えながら蓋を開けてみれば、しっとりと金色に輝くペン先。
 万年筆には縁が無いけれど、ちょっと使ってみたくなる。
(…ちょっとくらいなら借りてもいいよね?)
 ほんの少しだけ、本当にちょっと書いてみるだけ。
 ブルーは勉強机の前に移動し、引き出しから真っ白な紙を一枚出した。
(…ちょっとだけだよ)
 自分のペンよりも重たい瑠璃色のペン。ハーレイ愛用の万年筆。
 それを握って、白い紙にペン先を走らせてみた。スラスラと書ける気がしていたのに、意外にも紙に引っ掛かる。いつものペンのようにはいかない。
(…力の加減が分からないよ、これ)
 案外、使いにくいものだと思う。初めて使った万年筆。
 このペンですらこういう使い心地だから、前のハーレイが愛用していた羽根ペンとなればもっと扱いづらいだろう。今のハーレイが羽根ペンの購入を躊躇っていたのもよく分かる。



(…ホントのホントに書きにくいよ、これ…)
 でも、と試し書きをしながら考えてみた。使い勝手の問題ではなくて、別のこと。
 このペンは自分の、ブルーの名前を綴ったことがあるのだろうか。
 ハーレイ自身の名前は数え切れないほど書いているだろうが、ブルーの名前は?
(…書いてくれたことがあるのかな?)
 少なくとも、このペンで書かれたであろう教師としての文字の中には一度も無かった。テストや宿題に書き込まれる文字は大抵、赤色。それ専用の別のペンの字。
 そういった赤い文字とは別に、評価をつける時があるのだけれど。その文字はこのペンで書いているのだと思うけれども、単なる評価。ブルーの名を記す必要など無い。
(…一回も書いていなかったりして…)
 教師専用の記録などには、あるいは書いたかもしれないけれど。
 その手の記録用のものであったなら、わざわざハーレイが綴らなくとも、ブルーも含めた全ての生徒の名前が最初から書かれていそうだ。温かみのある手書きではなく、機械が打ち出した揃った文字で。同じ文字ならピタリと同じに綴られてしまう機械の文字で。
(きっとそうだよ、先生用のは)
 ハーレイは生徒としてのブルーの名前なんかは書いていないに違いない。
 そうなると書いて貰えそうな機会はググンと激減、皆無ではないかという気がする。
(…日記だって、覚え書き程度だって言ってたもんね…)
 ブルーと再会した日のことさえ、ハーレイは「生徒の付き添いで病院に行った」と書いただけ。それを聞かされて「酷い!」と叫んでしまったくらいに、ハーレイの日記は覚え書き程度。
(…ぼくの家に来た日も特に書かないって言ってたし…)
 一度も書いて貰ってないかな、と溜息をつくブルーは知らない。
 ハーレイが羽根ペンを手に入れたその日に、白い羽根ペンを誕生日プレゼントにブルーの手から受け取ったその日に、ブルーの名前を幾つも幾つも書いていたことを。
 戯れに試し書きをするよりもいい、とブルーの名前を何度も綴り続けたことを。



(一度くらい書いてて欲しいんだけどな…)
 それに、とブルーは考える。
 自分のサイオンがもっとマシであれば、読み取れたであろう万年筆が宿した記憶。
 瑠璃色のペンにハーレイが残した残留思念。
 このペンとどんな風に日々を過ごしているのか、家で、学校で、出掛けた先で。
 ハーレイのお供で移動してゆく万年筆。ハーレイの側で過ごしているペン。
(凄く残念…)
 前の自分が手に取ったならば、それは素晴らしい記憶媒体。
 細長い瑠璃色の、ペンの形をした記憶媒体。
 それを手にして集中するだけで、ハーレイの色々な思いを読み取れた筈。
(…本当はやっちゃ駄目なんだけどね?)
 そうしたサイオンの使い方はルール違反で、落とし物の持ち主を探す時くらいしか許されない。
 前の生で暮らしたシャングリラでも誰もがそれを自制していて、ブルー自身もそうだった。
 違ったのは子供くらいなもの。
 無邪気な子供たちは遠慮なく読み取り、大人たちの失敗談を眺めて笑っていたりした。
(今のぼくなら子供なんだけどな…)
 あの時代には十四歳は成人検査の歳だったけれど、今の世界なら十四歳でも立派な子供。
 ちょっとくらいのルール違反は叱られる程度で済む子供。
(…でも、出来ないよ…)
 とことん不器用になってしまったブルーのサイオン。
 瑠璃色をしたペンを相手に頑張ってみても何も見えない。
 ハーレイの思いの欠片さえ捉えることが出来ない。
 素晴らしい記憶媒体が手の中にあるというのに、何ひとつとして読み取れなかった。



 どうにも不器用な自分のサイオン。
 ブルーは残念でたまらなかったが、瑠璃色のペンからハーレイの記憶を引き出して楽しむことは諦めざるを得なかった。
 ハーレイの日常を垣間見る絶好のチャンスを手にしていながら、手も足も出ない。
(…だけど、せっかくの落とし物だしね?)
 貴重なチャンスを活用するべく、ブルーはペンを握り直した。
 蓋を外して、金色のペン先をまじまじと見て。
 それから試し書きをしていた白い紙の上に自分の名前を書いてみた。
 ハーレイ愛用の瑠璃色のペンで、ブルーには少し扱いづらい万年筆の先でしっかりと。
(これがぼくの名前。…覚えておいてよ?)
 忘れないでね、とペンに向かって呼び掛ける。
 ぼくの名前を忘れないで、と。



 そうして、せっかくのハーレイの愛用品だから。
 握って一緒に眠ってみようかと思ったけれども、うっかり壊したら大変だからと枕の下に入れて眠った。
 枕の下にそうっと忍ばせ、ハーレイの夢が見られますように…、と。
 それなのにブルーは夢も見ないで眠ってしまって、気付けば朝で。
 心の底からガッカリしながら枕の下に入れておいたペンを取り出して、勉強机の上のペン立てに自分のペンや鉛筆と一緒に仕舞った。
(…ちょっとの間だけ、一緒なんだよ)
 ぼくのペンと一緒、とブルーは微笑む。
 ほんの少しの間だけれども、ハーレイ愛用のペンと一緒に並んだ自分のペンや鉛筆たち。
 けれど、いつかはそれがごく当たり前の日常になる。
 ハーレイと一緒に暮らすようになったら、ペンだってきっと一緒に置ける…。



 未来の自分たちを思い描いて、それから部屋の掃除を済ませて。
 ブルーが窓から見下ろしていれば、現れた待ち人。母が開けた門扉をくぐって来たハーレイは、「俺は落とし物をしていなかったか?」とブルーの部屋を訪れた。
 途中の道に落としていないか、探しながら歩いて来たと言う。
 直ぐに渡そうかとも思ったけれども、ハーレイの大切な落とし物。母がお茶の支度を整えて出て行った後にしようと考え、テーブルにお茶やお菓子が揃って母の足音が階下に消えてから、ペンを取って来て差し出した。
「ハーレイ、これ…」
「ああ、すまん。お前が拾ってくれていたのか。…ん?」
 向かい側の椅子に座ったブルーをハーレイの鳶色の瞳が見詰める。
 瑠璃色のペンを手にしたハーレイ。
 見詰められたブルーに、思い当たる節は山ほどあった。
 ペンを飽きずにじっと眺めていたとか、試し書きをしたとか、残留思念を読もうとしたとか。
 自分の名前も覚えてくれるようにと書いて呼び掛けて頼んでいたし…。
(…そ、それより、一緒に寝たってば…!)
 握ってではなく、枕の下に入れて、だけれど。
 それでもハーレイ愛用のペンなのだから、と特別な気持ちで一緒に眠った。
 ハーレイの夢が見られるようにと胸を高鳴らせ、今夜はハーレイと一緒なのだ、と。



 あまりにも恥ずかしすぎる昨夜の出来事。
 どれをハーレイに指摘されても、きっと耳まで真っ赤に染まるに違いない。
(…ど、ど、どうしよう…!)
 言われる前に話題を逸らさなければ。
 不自然になってしまわないよう、この場に相応しい別の話題で、でもペンのことで。
(…ペンの話で、でも別のことで…)
 何か無いか、とブルーは懸命に頭を回転させる。ペンに纏わる話題で、何か…。
(…そうだ!)
 あれだ、と思い付いて慌てて口にした。
「ハーレイ、そのペン…。ホントに星空みたいだけれども、星座は一つも無いんだね」
「なんだ、探したのか?」
「うん」
 これで自分の残留思念は誤魔化せるだろう、とブルーは思う。
 もっともハーレイはブルーの気配を感じただけで、それ以上は読んでいないのだけれど。
 それはルールに反することだし、ブルーは子供でも恋人だから。
 大切な自分の恋人なのだから、読んだりはしない。
 自分のペンをとても大切に扱っていたらしいブルーの気持ちは、もう充分に伝わったから。



 そうとも知らずにブルーは星座の話を続けた。
 瑠璃色のペンの夜空に散らばる金色の粒の話を、星座のように見える金色たちの話を。
「ねえ、ハーレイ。…そのペンに地球やアルテメシアの星座は一つも無いけど、他の星はあるかもしれないね」
「…他?」
 何だそれは、と問うハーレイに、「他の星だよ」とペンを指差す。
「ハーレイが旅をしていた宇宙で見た星。…ぼくが眠っていた間もそうだし、ぼくがいなくなった後の旅でも」
「ふむ…」
 どうだろうな、とペンを眺めていたハーレイだったが。
「おっ…!」
 此処を見てみろ、とブルーにペンの表面を指先でつついてみせた。
 瑠璃色の地にポツリポツリと散った金色。それが七つほど不規則に並び、星座のように見えないこともない。大きめの金色と小さな金色、散らばった七つの金色の粒。
 ブルーにはそれが何かは分からなかったのだけれど、ハーレイの目が懐かしそうに細められた。
 遠い昔へと記憶を遡ってゆく鳶色の瞳。
「ナスカでこいつを見ていたな。…いつの星だったか…」
 いつだったか、と七つの金色の粒の記憶をハーレイは追って。
「そうだ、種まきをする季節の星だ」
 春の頃だ、と歴史の彼方に消えた悲劇の赤い星を語る。
「種まきの頃のナスカの星だ。…特に名前も付けてなかったが、こいつが昇って来る頃がナスカの春だったんだ」



 ナスカの星だ、とハーレイの褐色の指が示した金色の粒にブルーは見入った。
 自分の知らないナスカの星。降りることすら無いままに消えた、メギドに砕かれた赤い星。
 その星の春に昇った星座がハーレイのペンにあるという。
「これがナスカの星なんだ…。じゃあ、この万年筆、ハーレイの所に来たかったのかもね?」
 ブルーは本当にそう思ったから。
 瑠璃色のペンがハーレイの所に来たがったような気がしたから、そう尋ねてみたら。
「そうかもしれん。このペンは合成のラピスラズリだが、合成でも模様は全部違うからな」
 俺を選んで来たかもしれんな。いや、選んだのは俺の方か…。
「ハーレイがこれを選んだの?」
「ああ。同じ買うなら選びたいじゃないか、自分の手に合うペンってヤツをな」
 売り場で何本も出して貰って、その中から選んだ一本なのだとハーレイは言った。
 試し書きをしたり、握ってみたり。
 どれも同じに見えるペンだし、実際、模様の部分を除けば違いは無い筈なのだけれど。
 それでも何処かが違うものだと、自分の手に一番馴染む一本を選んで買った、と。



 ハーレイの話を聞きながら、ブルーはしみじみと瑠璃色のペンを見詰めた。
 褐色の手に見合った重さの瑠璃色のペン。
 前の生での白い羽根ペンも似合っていたけれど、この瑠璃色のペンもハーレイに似合う。
 それに…。
(やっぱりハーレイはキャプテン・ハーレイなんだよ)
 何処かで前の生と繋がっている、とブルーは思わずにいられない。
 手に馴染むからと選んだ一本のペンに、ナスカの星座があっただなんて。
 前の生の記憶を取り戻す前に買ったペンなのに、ちゃんとナスカの星座を選んでいたなんて…。
 そんなハーレイの大きな手の中に、ナスカの星座。
 瑠璃色のペンに鏤められたナスカの星座…。
「ハーレイ。本物のナスカの星座って、どんなのだったの?」
 ブルーの問いに、ハーレイは「ほら」と右手を伸ばした。
「手を握ってみろ。見せてやるから、俺の記憶を」
「うんっ!」
 褐色の手と、ブルーの白い手が絡められた。
 遠い遠い遙かな昔に、シャングリラでブルーがしていたように。
 そうやってフィシスと手を絡め合って、青く美しい地球を見ていたように…。



「見えるか、ブルー?」
「…うん。うん、ハーレイ…」
 握り合った手からブルーの心に伝わって来る、ハーレイが前の生で仰いだ夜空。
 種まきをする春の季節に、ナスカの夜空に昇ったという七つの星たち。
 それは確かに星座と呼ぶのに相応しかった。無数の星たちの中で目立って輝く七つの星たち。
 ブルーが知らないままで終わったナスカの夜空。
 仰ぐことさえないままに逝った、ソルジャー・ブルーが守りたかった赤い星の夜空。
(…ハーレイはこれを見てたんだ…)
 ナスカは失われてしまったけれども、ハーレイは地球に生まれ変わった。
 前の生の記憶をちゃんと抱いて、青い水の星の上にブルーと二人で生まれて来た。
 そのハーレイが愛用している万年筆にナスカの星座。
 種まきの頃のナスカの星座がハーレイの万年筆に在る。
 偶然と呼ぶにはあまりに不思議な瑠璃色のペンの金色の粒…。



(…きっと偶然なんかじゃないよ)
 ハーレイはペンを選んだんだよ、とブルーは手を絡め合ったままでナスカの夜空を仰いだ。
 前の自分が見られずに終わった星を見せてくれる恋人の手をキュッと握って。
(この星がハーレイのペンにあるのは偶然じゃなくて、運命なんだよ)
 自分がハーレイともう一度出会えたように。
 地球の上で再び巡り会えたように。
 そうしてナスカの空を見ている。失われた筈のナスカの夜空をハーレイと二人で見上げている。
(なんて幸せなんだろう…)
 青い地球に来られて、ハーレイに会えて。
 そのハーレイの瑠璃色のペンには、ナスカの春の夜空に昇っていた星座の煌めきがあって…。
 きっと、もっと沢山の不思議な偶然と運命の糸が繋がっている。
 幾つも幾つも、何百本もの糸があるのだとブルーは思う。
 前の生と今の生とを繋いでくれて、幸せな気持ちを運んで来てくれる魔法の糸が…。




         落とし物の星座・了

※ハーレイの愛用のペンに隠れていた、ナスカの星座。記憶を見せて貰ったブルー。
 不思議な偶然は、きっと幾つもあるのでしょう。このペンの中の星座の他にも、山ほど。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv





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