シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「ブルー、首の所…」
赤いわよ、とママに指差された。学校から帰って、ママとおやつの真っ最中に。
「えっ?」
椅子から立って、ダイニングの壁の鏡を覗き込んだら、ちょっぴりプクッと首に赤いもの。
「…刺されたのかな?」
「どうかしら…」
ママも立ち上がって、近付いて来て。ぼくの首筋を横から覗いてみたんだけれど。
「あら、虫刺されじゃないわね、これは」
毛穴が詰まってしまったのね、と虫刺されの薬を持ってたママが笑ってる。きっとダイニングに置いてたんだろう、庭仕事をすると刺されることだってよくあるから。
「これじゃ薬が違うわね」
取ってくるわね、と吹き出物用の薬を取りに出掛けたママは直ぐに戻って来た。
小さなチューブの塗り薬。
ぼくは薬を塗られたんだけど…。
(うーん…)
簡単には引いてくれない、赤み。
おやつを食べ終わって部屋に戻っても、まだ赤い。壁の鏡を見てみたら赤い。
顔じゃなくって良かったと思う。鼻の頭にプックリと赤く出来てたら嫌だ。
(だって…)
そんな時に限ってハーレイが来るに決まっているんだ、「仕事が早く終わったからな」って。
鼻の頭に赤い吹き出物が出来た顔なんかを見られたら…。
(笑われるんだよ!)
ハーレイだったら絶対に笑う。容赦なく笑い飛ばしてくれる。
出来たのが首で本当に良かった、と思ったんだけど。
(あれ…?)
首筋にプックリ、赤い吹き出物。何かが記憶に引っ掛かる。
(えーっと…)
なんだったっけ、と鏡に映ったぼくを見るけど、分からない。
(…前のぼく…?)
そうなのかな、と一瞬、考えたけれど、それだけは無い。
前のぼくがいつも着ていた服だと、この辺りはきっと隠れてしまうと思うから。
(もっと上の方じゃないと分からないしね?)
同じ首でも、もっと上。服で隠れてしまわない場所。
だから違うよ、さっきから引っ掛かってる首の記憶は前のぼくが持ってたヤツじゃない。
(小さい頃に虫に刺されたとか…?)
家の庭とか、幼稚園とか。
それでとんでもなく痛かったとか、とても痒かったとか。
(何なのかなあ…?)
思い出せないから、余計に気になる。
気分転換したら分かるかな、って空気を入れに窓を開けようとした瞬間に。
(思い出した…!)
首筋にぷっくり、赤い吹き出物。
それは一つじゃなかったんだ。
「…吸血鬼?」
ハーレイの報告に目を丸くした、前のぼく。
一緒に朝食を食べながらの「朝の報告」っていう方じゃなくって、ブリッジでの勤務が終わった後に青の間に来ての真面目な報告。
朝の報告は「一日の予定とかを報告している」とシャングリラ中が思い込んでたけど、ホントは嘘でただの朝食。二人で甘い夜を過ごして、朝御飯を仲良く食べていただけ。
本物の報告は夜にしていた。
ハーレイと二人、ベッドに行く前にきちんと済ませた。
恋人同士としてじゃなくって、ちゃんとソルジャーとキャプテンとして。
ハーレイがその日の出来事をぼくに伝えて、次の日の予定の報告なんかもするんだけれど。
其処で出て来た、吸血鬼。
キャプテンの貌で、大真面目な目をしたハーレイの口から。
「なんだい、それは?」
そうとしか言えなかった、ぼく。
「吸血鬼ですが」
ソルジャーは御存知ありませんか、と吸血鬼の説明を始めたハーレイ。
夜の間に血を吸う怪物。人の生き血を啜る化け物。
やっぱりそれで合っているのか、と自分の知識を頭の中で確認してから。
「それで、その吸血鬼がどうしたって?」
「出るのだそうです」
「何処に?」
「このシャングリラの中にです、ソルジャー」
嘘だろう、と絶句したぼく。
なんでそんなものがシャングリラに…。
吸血鬼なんか、いるわけがない。あれは大昔の作り話で、伝説の怪物なんだから。
「ですが、ソルジャー…」
子供たちの多くが怯えております、次は自分の番なのだと。
「どういうことだい?」
「それが、最初は…」
ハーレイは困惑し切った様子で、キャプテンとしての任務を続けた。
シャングリラに出るという吸血鬼について、ソルジャーであるぼくに報告するために。
保護したミュウの子供たち。
ミュウと判断されて殺される前に、前のぼくや専門の救出班が助けて連れて来た子たち。
年齢に合わせて、保育部や養育部で面倒を見ているんだけれど。
よちよち歩きの小さな子供から、ヒルマンたちが教える教室に通う大きな子まで。
そうした子供が増えたシャングリラは、活気溢れるミュウの楽園。
名前の通りに楽園だったシャングリラの中、元気に駆け回る子供たち。公園も居住区も、子供の声が響いてた。歓声だったり、泣き声だったり、それは賑やかに。
なのに…。
ある日、小さな女の子の首筋に赤い傷痕が出来ていた。それも二つも。
吸血鬼だ、と大騒ぎになった。
如何にも牙で血を吸われたような具合に、二つ並んで出来た傷痕。赤く存在を主張する傷。
吸血鬼が出たに違いない、と決めてかかった子供たち。
ライブラリーにはSD体制よりも前の時代の本も沢山揃ってた。子供向けの伝説の本も沢山。
楽しい話に、ためになる話。それに怖くて不思議な話も。
伝説のドラゴンなんかも人気だったけど、子供たちは怖い話も大好きだから。
怖すぎて夜に眠れなくなっても、ついつい読んじゃう、怖い本。
そういった中に、吸血鬼ももちろん入ってる。
「ハーレイ、それは…」
虫刺されとは違うのかい?
「そういう虫がいますか、ソルジャー?」
シャングリラでは有害な虫は飼っておりません。
刺す虫と言えばミツバチですが、あれは「悪戯をすると刺されて痛い目に遭う」と自然の脅威を教えるための面もありますから…。
あえて針のあるものを飼っておりますが、悪戯をした子供くらいしか刺されませんね。
何もしていない子供の首を二ヶ所も刺すような虫は、シャングリラにはいない筈ですが。
「…ごめん、ぼくは外にも出るものだから…」
外にはいるしね、そういった虫も。
マザー・システムは有害な生物を排除している筈だけれども、あれは一種のご愛嬌かな。
で、その類の虫がいないとなったら、吹き出物じゃないかと思うんだけどね?
たまたま二つ、綺麗に並んでしまっただけで。
「常識で考えればそうなのですが…」
時期と場所とが悪すぎました。
ちょうど吸血鬼の本が流行っていたのと、首筋に二つという所です。
「だけど、一人に出来ただけなら吹き出物だろう?」
「いいえ、ソルジャー。…吸血鬼にやられたと主張している子供は一人だけではないのです」
「えっ…」
まさか、と驚いたぼくだったけれど。
増えているらしい、首に赤い傷痕が二つある子供。
まるで吸血鬼に噛まれたみたいに、首に並んだ二つの傷痕。
そういう子供が増えているのだ、とハーレイが真顔で報告するから。
「…どうしてそんなことに…」
吸血鬼だなんて、君は信じちゃいないだろうね?
「最初に傷痕が出来た子供の友達が酷く怯えていたのだそうです」
次は自分がやられるかも、と。ベッドが隣同士だから、と。
「なるほどね…」
子供たちが小さい間は個室じゃなくって、相部屋とでも言うのかな?
何人かの子供が同じ部屋で寝る。
集団生活を学ぶという意味でも、大いに役立つ共同生活。
隣同士で並んだベッドは普段だったら素敵だろうけど、吸血鬼が出たら話は別。
ハーレイは真面目な顔で続けた。
「吸血鬼が出たと騒がれた次の日の朝、隣のベッドの子供の首にも同じ傷痕が…」
例の怯えていた子です。その子の首に。
「出来過ぎってヤツじゃないのかい?」
「偶然だろう、と養育部の係やヒルマンたちが納得させたのですが…」
その次の朝は、同じ部屋に居た別の子供が。
四人部屋だった全員の首に同じ傷痕が出来たのはその翌朝のことです、ソルジャー。
「それで、現在の状態は?」
「被害は拡大し続けております。被害者は主に女の子ですが…」
最初の間は面白半分だった男子も、小さな男の子が被害に遭ってからは怯えております。
次は自分だと、自分の番かもしれないと。
「もちろんノルディには診せたんだろうね?」
「吹き出物だという診断ですが、原因の方が不明です」
必ず首に二つ並んで。
しかも吹き出物の薬を塗っても効果は見られず、最初に発症した子も治らないままです。
「…心理的なものなのかな?」
最初の子は多分、ホントに偶然だったんだろうけど…。
それから後は恐怖が引き金になって、蕁麻疹が出来るみたいな感じで引き起こされて。
「恐らくは」
治らないのも、思い込みから来ているのでしょう。
吸血鬼に目を付けられたのだと、この傷痕は治らないのだと。
ノルディもそういう見立てですから、いずれ落ち着けば消えるだろうと…。
とはいえ、放ってもおけないようです。
子供たちと接する保育部や養育部の若い女性の間にも恐怖感が次第に広がりつつあり…。
「ミュウの悪い癖っていうヤツだね…」
サイオンを持ち、思念波で会話が出来るミュウ。
心を共有出来る力は、こういう時には裏目に出る。
一人が「怖い」と思えば広がる、「怖い」気持ちが広がってしまう。
枯草に火を放ったみたいに、アッと言う間に燃え広がるんだ、「怖い」気持ちが。
平和だしね、と溜息をついた、前のぼく。
アルタミラの地獄は遠い昔になり、今のシャングリラはアルテメシアの雲海の中。
文字通りミュウの楽園となった白い鯨が、雲の海の中を泳いでいる。
此処しか知らないミュウの方が増えた。
アルテメシアの育英都市から救い出されて、この船で大きくなった者たち。
生き地獄だったアルタミラを体験していない分、精神的には強くない。
そういえば、と思い当たる節なら一応あった。
シャングリラの中に張り巡らせてある、ぼくのサイオン。目には見えないサイオンの糸。
船を守るために、仲間たちのために、見守るために張ったサイオンの糸。
その糸を通してぼくに伝わる、船の中の様子。
漠然としたものに過ぎないけれど。ハーレイの報告で「これだったのか」と気付く程度の。
そうやって感じる、シャングリラの中。
この間から何かザワついてはいた。子供たちの心がざわめいていた。
だけど普通の喧嘩か何かなんだ、と放っておいた。ハーレイに訊きもしなかった。
子供の喧嘩に大人が出るのは良くないから。
ソルジャーともなれば論外だから。
だけど…。
(吸血鬼ねえ…)
本物の吸血鬼に出会ったことはないけど、似たようなのならアルタミラに居た。
実験と称して、ぼくの血を山ほど抜いてくれたヤツら。
透明な管を、ぼくの赤い血が流れてゆく。どんどん、どんどん身体の外へと流れてゆく。
意識が少しずつ遠のいていって、ぼくは「死ぬんだな」って思うんだけれど。
ふと気が付いたら、ちゃんと生きてる。治療用のベッドの上で目覚める。
輸血したのか、抜いた血をぼくに戻していたのか。
そんなこと、ぼくには分からなかったし、意識が無い間に何が起こったのかも分からない。
何のために血を抜いていたのか、何の実験だったのかも。
(あの時は、確か…)
吸血鬼が噛むっていう首じゃなくって、腕とか足の血管から抜かれていたけれど。
成長を止めていた小さなぼくの、細っこい手足に透けて見えていた血管から。
(…首から抜かれたこともあったかな?)
そういう場合もあった気もする。
首に刺された管を通って流れてゆく血を見てた気もする。
吸血鬼に血を吸われた人間は、同じ吸血鬼になってしまうと言うけれど。
ぼくは白衣の研究者なんかにはなっていないし、あれは吸血鬼じゃなかったわけで。
血を抜いていただけの、ただの人間。
ぼくにとっては充分に怖い、吸血鬼よりも遥かに怖くて恐ろしい怪物だったけれども…。
吸血鬼なんて、いやしない。
本物が存在するわけがない、と分かっているからハーレイに言った。
「…そもそも吸血鬼なんて、いないだろう?」
実在するとか、しないとか。
そんな話は置いておくとしても、このシャングリラには乗せていないよ、そういうものは。
「ですから、外から来るのだと」
窓をすり抜けて入って来るのだ、と子供たちは怯えておりますが。
「…外からねえ…」
吸血鬼は蝙蝠の姿に化けて空を飛ぶとは言うのだけれど。
その蝙蝠が飛んで来た上に、シャングリラの窓から入るだなんて。
吹き出物の傷痕が派手に伝染するくらいだから、想像力にはキリが無いらしい。
おまけに今では子供ばかりか、若い女性までが怖がり始めている状態。
放っておいたらマズそうではある。
だから…。
ふふっ、と思い出し笑いをしていた所へ、来客を知らせるチャイムの音。
前のぼくに吸血鬼の報告をしに来たハーレイじゃなくて、今のハーレイがやって来た。
ぼくの先生、ぼくの守り役で、ぼくの恋人。
ママが運んで来たお茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで、向かい合わせに腰掛けて。
「見て、これ」と首を指差した、ぼく。
まだ赤いままの、ぷくりと小さな吹き出物。
「吹き出物か?」
珍しいな、お前が吹き出物なんて。
「これ、もう一つあったら思い出さない?」
「何をだ?」
怪訝そうなハーレイに「此処」って、吹き出物の横の辺りをつついて見せて。
「…吸血鬼」
「ああ、シャングリラの吸血鬼か…!」
吹き出物が二つ並んで出来たら吸血鬼な。
何でもかんでも共有しちまう、子供ならではの事件だったが…。
楽しかったな、ってハーレイが笑う。
そう、前のぼくたちは、シャングリラに出る吸血鬼を退治することになったんだ。
白いシャングリラの窓という窓に、ニンニクを幾つも束ねて吊るした。
展望室の大きな窓はもちろん、公園やブリッジの上にあるドームみたいな強化ガラスにも。
それだけの窓に吊るすニンニクは流石に船じゃ賄えないから。
栽培してたら間に合わないから、久しぶりにぼくが奪いに出掛けた。
アタラクシアだったか、エネルゲイアの方だったか。
白い雲海の下の都市に潜入して、野菜を流通させるための建物から箱を山ほど失敬して来た。
ニンニクをたっぷり詰め込んだ箱。
蓋を開けただけで強い匂いが辺りに漂う、ニンニクが行儀よく詰まった箱を。
それに、十字架。
前のぼくたちの時代にも居た、唯一の神様のシンボルだった十字架。
これはハーレイが頑張った。
木彫りの腕を生かしてせっせと作った木の十字架。
手先の器用なクルーも総動員して、「早く作れ」と激を飛ばしながら。
その十字架を出来た端から窓に取り付け、子供たちの部屋の扉にも付けた。
「もう大丈夫。これで来ないよ」
ぼくは公園に集まった子たちの頭を撫でながら、上を見上げた。
強化ガラスのドームは遥かな上にあるから、吊るしたニンニクも、付けた十字架も、サイオンを使ってよく眺めないと見えないけれど。
それでもきちんと付けてあるからと、窓という窓は全てこうしたから、と。
「でも、ソルジャー…」
吸血鬼に血を吸われてしまったら吸血鬼になる、とまだ言ってる。
自分たちは吸血鬼になってしまうのだと、いつか吸血鬼になるのだと。
「怖いわ、ソルジャー。吸血鬼になったら、どうなっちゃうの?」
「私たち、死んじゃう?」
「ソルジャー、吸血鬼はシャングリラから放り出されちゃう?」
ねえ、どうすればいいの、ソルジャー。
吸血鬼にならないで済む方法は一つだけしか無いんでしょ?
血を吸った吸血鬼を見付けて退治しないと、私たち、死んだら吸血鬼でしょ…?
怖い、と震えている子供たち。ぼくを見上げている子供たち。
首に二つの吹き出物を並べて、怯えた色が浮かんだ瞳で。
吸血鬼が外から来なくなっても、それじゃ駄目だと言う子供たち。
自分たちは吸血鬼になってしまう、と信じ込んでいる子供たち。
ニンニクを山ほど吊るしてみたって、十字架を沢山付けておいたって、まだ足りない。
子供たちの恐怖を拭い去るには足りないんだ、というわけで…。
(仕方ない…)
前のぼくは子供たちの前で宣言した。
「分かった。じゃあ、ぼくが吸血鬼を退治するから」
アルテメシアに下りて、吸血鬼の墓を見付けて倒すよ。
そうすれば吸血鬼は二度と来ないし、君たちも吸血鬼になる心配が無くなるからね。
「退治するって…」
ソルジャー、ホントに大丈夫?
吸血鬼なんだよ、相手は普通じゃないんだよ?
首に傷痕の無い男の子たちまでが、ぼくを心配してくれたけれど。
「大丈夫、ぼくなら心配要らない」
ソルジャーだからね。
吸血鬼なんかに負けるようでは、ソルジャーをやってはいられないよ。
これがホントの嘘八百。
ハーレイが作った木の杭を持って、ぼくはシャングリラから飛び立った。
吸血鬼を退治するには、墓を暴いて心臓に木の杭を打ち込むこと。
トネリコかサンザシの木で作った杭が一番いいと言うから、それの杭だよ、って。
もちろんそんな木、簡単に用意が出来るわけない。
ただの木の杭、倉庫にあった木材をハーレイが適当に選んで削っただけ。
でも、子供たちは気付きやしない。
ぼくが抱えて持って来たってだけで信頼の眼差し、本物だって信じてる。
吸血鬼を倒せる最強の杭だと、トネリコかサンザシの木の杭なんだと。
杭を抱えて「行ってくるよ」って微笑んだ、ぼく。
いつもは瞬間移動でシャングリラの外へ出るんだけれども、わざわざ船のハッチから出た。
ちゃんと出てった、って印象付けなきゃいけないから。
それから船の周りをクルリと飛んで、展望室に並んで見送る子たちに手を振って、下へ。
雲海の下のアルテメシアへ…。
(吸血鬼退治か…)
人類だってビックリだろうな、とクスクス笑いながら杭を抱えて都市の上を飛んだ。
まさかミュウの長が吸血鬼退治に出て来ただなんて、誰も思いやしないだろう。
ぼくの宿敵の、テラズ・ナンバー・ファイブでさえも。
でも、吸血鬼は退治しなくちゃならない。
思い込みで生まれた吸血鬼だって、退治しないとシャングリラが不安と恐怖に包まれるから。
(さて、と…)
退治した証拠が要るんだよね、と山の中に下りた。
吸血鬼が眠っていそうな墓地じゃなくって、ただの山の中。ハイキング向けの郊外の山。
ぼくのお気に入りの隠れ場所がある山で、潜入する時に時間潰しに下りたりもする。
森の中にぽっかり開けた、小さな空地。木を切り倒した後に生まれた空地。
其処で木の杭をサイオンで燃やして、灰を持って来たハンカチに包んだ。
吸血鬼は死ぬと灰になるから、灰になって散ってしまうと言うから。
それから、ぼくは白いシャングリラへと戻って行った。
ミュウの長が吸血鬼退治をしていたとも知らないテラズ・ナンバー・ファイブが潜む洞窟の奥は覗きもしないで、青く澄んだ空を飛び、雲海の中へ。
瞬間移動で公園に飛び込んだぼくを、遊んでいた子供たちがワッと一斉に取り囲んで。
「ソルジャー、やったの!」
退治して来たの、吸血鬼を!
「うん、もちろん」
木の杭を持っていないだろう?
ちゃんと吸血鬼の心臓に打ち込んだからね。
「吸血鬼は?」
「灰になったよ、ほら、これが証拠」
「こわーい!」
怖い、と子供たちは叫んだけれども、ハンカチに包んだ灰の効果は絶大だった。
吸血鬼は心臓に杭を打ち込まれると死ぬ。灰になって散り、跡形もなく滅びてしまう。
そしてシャングリラから吸血鬼は消えた。
子供たちの首に二つ並んでいた牙の跡も、吹き出物の傷痕も綺麗に消えた。
窓という窓に取り付けてあった、ニンニクと十字架をドッサリ残して。
「ねえ、ハーレイ」
あれから暫く、ニンニクの料理が続いたっけね…。
何かって言えばガーリック風味で、そういう味付けの出来る料理は何でもニンニク。
「どれも美味かったが?」
ローストチキンも、煮込み料理も。炒め物だってニンニクが入ると味が深くなるしな。
「うん、今だってガーリック風味のお料理、美味しいよね」
「ああ、美味いな。しかしだ、お互い…。いや、なんでもない!」
不自然に断ち切られた話。
「なあに?」
何がなんでもないの、と首を傾げたけど、ハーレイの顔が赤いから。
ひょっとしたら、と、ピンと来た。
これは訊いてみる価値があるな、って閃いた、ぼく。
だから、ハーレイの鳶色の瞳をじいっと見上げて、それから不意打ち。
「…お互い、ガーリック味のキスで良かった、って?」
「読んだのか!?」
お前、読めたのか、不器用なのに!?
いつの間に読んだ、俺の心を!
「ふふっ、引っ掛かった!」
無理だよ、ぼくのサイオンは不器用なんだから。
それにハーレイ、タイプ・グリーンでしょ、防御と同じで遮蔽も凄く強いじゃない。
読めやしないよ、って、ぼくが笑ったら、ハーレイは真っ赤。
トマトみたいに真っ赤な顔して、「チビに鎌を掛けられて引っ掛かるとは…」って呻いてる。
俺としたことが、と、チビにまんまとしてやられた、と。
(大当たりだよね、冴えてるよ、ぼく)
吸血鬼のことを思い出したお蔭で、今日は素敵な拾い物。
前のぼくとハーレイが交わしてたキス。
ガーリック味のキスは生憎、全く覚えていないんだけれど。
今夜の料理にもしもニンニクが使ってあったら、ちょっぴり嬉しい。
だって、ハーレイのキスの味。
ハーレイのキスの味の一つはガーリックだよ、って幸せな気持ちで食べられるから…。
吸血鬼・了
※シャングリラで起きた吸血鬼騒ぎ。ミュウならではの出来事ですけど、問題は子供たち。
ソルジャーとキャプテンの吸血鬼退治、そんな事件もあったらしいのがシャングリラ。
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