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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

重陽の菊

(何故だ?)
 ハーレイは角を曲がるなり、首を捻った。秋晴れの土曜日、家から歩いて五分足らずの場所。
 今からブルーの家に行くのだし、寄ろうというわけではないのだけれど。そんな予定は最初から全く無かったけれども、食料品店の前に行列。いつも馴染みの食料品店。
(特売だったか?)
 チラシは読んで来なかったし…、と眺めた店から鉢を抱えた人が出て来た。食料品入りの鉢ではなくて植木鉢。買い込んだ食料品の袋の他に植木鉢が一つ。大切そうに両腕で持って。
(今日だったのか…)
 「菊の懸崖作りをプレゼント!」と謳ったチラシに見覚えがあった。先日、確かに入っていた。この店の名物、年に一度の恒例行事。それが目当てで行列が出来たというわけだ。



 店の前のスペースにズラリと並べられた鉢。色とりどりの懸崖作りの菊は実に目を引く。どれにしようかと品定め中の客や、早く整理券を貰って買い物を、と行列に加わってゆく人やら。
(綺麗なんだが、貰ってもなあ…)
 今なら充分、貰えそうだけれど。花の色をあれこれ選ぶ余裕もありそうだけれど。
(俺が貰ったら、後は確実におふくろの菊になっちまうしな?)
 花が咲いている間は簡単な世話で済むのだろうが、咲き終わった後。来年も綺麗に咲かせてやるだけの世話が出来そうにない。隣町の実家に鉢ごと届けてプレゼントするしかないだろう。
(咲き終わったヤツでも喜ばれるとは思うんだが…)
 母は庭仕事が好きなタイプだし、父も同じだ。鉢を渡したなら、来年の今頃には実に見事な懸崖作りの菊が咲きそうだとは思うのだが…。
(どうするかな…)
 さて、と考えた所で頭に浮かんだ恋人。これから訪ねる予定の恋人。
 鉢を貰って小さなブルーにプレゼントしたら、とても喜ばれそうな気がするけれど。
 「今日の土産だ」と抱えて行ったら、弾けるような笑顔になるだろうけれど。
 「貰っていいの?」と大喜びで鉢を受け取り、何処に置こうかと思案しながら今日の所は自分の部屋で夜まで愛でて。
 それから鉢の置き場所を決めて、毎朝、毎日、飽きずに眺めて…。



(喜び過ぎだ!)
 せっせと世話をするブルーの姿が目に浮かぶようだ。
 水をやったり、咲き終わった花を摘んでやったり、それは小まめに来る日も来る日も。菊の花の育て方まで調べて、最後の花が萎んだ後もきちんと面倒を見て冬越しのための支度をして…。
 そう、ブルーならそうするだろう。
 この菊の花は貰ったのだと、恋人から花を貰ったと。
(うん、あいつなら間違いなく…)
 食料品店で買い物のついでに貰ったオマケだ、と説明したって花は花。しかも立派な懸崖作りの菊と来た。それを貰おうと行列が出来ているほどに。
(大人でもこの有様だしな?)
 小さなブルーは飛び上がって喜ぶことだろう。素敵な花を貰ってしまった、と。
 たかが野の花でも贈ってやったら狂喜乱舞に違いない恋人。道端で見付けた花を一輪だけ摘んで持って行っても嬉しそうに受け取ると分かっているから、こんな見事な鉢を贈るにはまだ早い。
(もう少し大きく育ってからだな)
 野の花ではなくて薔薇の花束を贈ったとしても似合うくらいの年頃に。そういう姿になるまでは菊の懸崖作りは早すぎる、と結論付けた。
 けれど…。
(前の俺たちは懸崖作りなんて知らないしな?)
 今日の話題にすることにしよう、と店の前にあったチラシだけを取った。先着順にプレゼントと書かれ、菊の鉢が大きく載ったチラシを。



 ブルーの家に着き、テーブルを挟んで向かい合わせに座って「ほら」とチラシを見せれば、手に取った恋人はそれを読むなり。
「ハーレイ、間に合わなかったの?」
「はあ?」
 何のことか、と思う間もなく、小さなブルーは「これ!」と菊の写真を指差した。
「ぼくにくれるつもりだったんでしょ? でも…」
 ハーレイ、菊の鉢、持って来ていないものね。
 先着順って書いてあるから、並びに行くのが遅かったの?
「誰が並ぶか!」
 チラシを見せただけでこの有様だし、貰って来なくて正解だった、とハーレイは思う。花の鉢をプレゼントするために並んでくれたに違いない、と考えるような恋人だから。しかも並んでくれたことへの礼よりも先に「間に合わなかったの?」と問う幼さだから。
 この恋人に花を贈るには早すぎる、と苦笑しながら。
「まだまだ鉢はあったんだがなあ、俺が通り掛かった時にはな」
 選び放題ってくらいにあったぞ、いろんな色をした菊の鉢がな。
「じゃあ、なんで!」
 どうして貰ってくれなかったの、持ってくるには重すぎたとか…?
「お前、喜び過ぎるからだ。こいつは年相応の花じゃないのさ、もっと大きく育たないとな」
 チビのお前には野の花くらいが丁度いいって所だ、うん。
「酷い!」
 貰えた筈なのにチラシだけなんて!
 チビに贈るにはもったいない、って貰わずに通り過ぎちゃったなんて…!



 あんまりだ、と不満そうな恋人にハーレイは「そう怒るな」と片目を瞑ってみせた。
「いずれ貰えるだろ、いつかはな。今年は駄目でも」
「なに、それ…」
「菊のプレゼントはあの店の名物の一つだからだ。毎年、今頃の時期にやってる」
 これから先も続くんだろうし、お前にも似合う年になったら貰えばいいさ。
 結婚するか、婚約するか。それ以降のお楽しみってトコだな。
「えーっ!」
 そんなに先の話だなんて、とブルーは頬を膨らませたけれど。
 暫く膨れていたのだけれども、その顔が不意に綻んで。ふわりと花が開くように笑んで。
「…もしかして、予告?」
 ねえ、そうだったの、それでチラシを持って来てくれた?
 いつかこういうのを貰えるぞ、って。結婚したら毎年、秋にはこれが貰えるんだぞ、って。
「そういうつもりで持って来たわけでもないんだが…」
「それじゃ、どうして?」
 なんでチラシだけ持って来たの?
 贈ってくれるつもりも無くって、予告でもなくて、どうしてチラシを持って来るの…?
「それなんだがな…。前のお前、こんなのは知らないだろうが」
 菊の懸崖作りなんていうもの。知らなかったと思わないか?
「…うん…。言われてみれば…」
 今じゃ当たり前に秋になったら見かけるけれども、菊の花なんかは無かったね。
 菊の花が無いのに、懸崖作りの菊なんか何処にもあるわけないよね…。



 シャングリラには菊というものが無かった。白い鯨の公園に菊の花は無かった。
 それに菊の花があったとしても、こうした細工の文化が無かった。本来ならば真っ直ぐに上へと伸びる筈の茎を手間暇をかけて懸崖作りに仕立てて、愛でる文化が。
 前の自分たちが生きた時代はそういう時代。画一化された文化しか無かった時代。
 ブルーはチラシの菊をしみじみと見詰め、「綺麗だよね」と呟いた。
「こんなに綺麗な菊が買い物のオマケでついてくるなんて…」
 前のぼくたちが聞いたらビックリするよね、花だけで売られていそうなのに。
 シャングリラでは見かけなかった花だし、うんと高いと思いそうだよね、懸崖作り。
「まあな。それに気付いたら驚くだろう、とチラシを貰って来たんだが…」
 しかしだ、今はいい時代だが…。菊にとっては悲しい時代になったもんだな。
「なんで?」
 こうやって大勢の人に見て貰えるんだし、「いい時代になった」の間違いじゃないの?
「誰もがミュウでは意味が無いんだ、菊の存在意義ってヤツが」
 もっとも、そいつも前の俺たちが生きてた頃には消されてた文化なんだがな。
「どういうこと?」
 菊って何か特別な花なの、持ってるといいことが起こるとか?
 うんと縁起のいい花だったとか、そういった何かがあったの、ハーレイ…?



 SD体制の時代には無かった、多様な文化。
 菊の懸崖作りもそうだけれども、菊の存在意義なるものまで消えたと言うから。消されていたとハーレイが言うから、ブルーは首を傾げて尋ねた。それは何かと、どういうものかと。
 古典の教師をしている恋人は古い文化に詳しいから。遠い昔にこの地域にあった日本という名の小さな島国。其処の文化の一つであろう、と恋人の答えが返るのを待てば。
「桃の節句と、端午の節句。むろん七夕も知ってるな?」
「うん。…端午の節句の授業の時には休んでいたから、ハーレイの授業、聞き損ねたけど…」
 聖痕のせいで休んでしまって、柏餅も粽も食べ損ねたけど…。
「七草粥を食べるっていうヤツはどうだ?」
「知ってるよ。ママが毎年作ってくれるよ、七草粥。食べると元気に過ごせるのよ、って」
「七草粥の日と桃の節句と端午の節句と、それに七夕。これで四つになるわけだが…」
 五節句と言ってな、実はもう一つ特別な行事をする日があるんだが。
「そうなの? 五つ目だなんて、聞いたこともないよ?」
「ほらな」
 それ自体が影が薄すぎるんだ。
 いくら消された文化にしたって、こういう時代でなければなあ…。
 きっと定着出来たんだろうに、時代ってヤツに合わなかったのさ、その五つ目は。
「それって、何の日?」
「重陽と言ってな、もう過ぎたが九月九日だ」
 九月九日は菊の節句だ、菊が主役の節句なんだ。
「知らないよ?」
「枕草子にもあるくらいだが。…枕草子の名前くらいは知ってるだろう?」
 古典の授業じゃ必ず教える。それも知らないとは言わないだろうな?
「名前だけなら…。だけど中身は読んでいないよ」
 前のぼくが少し読んでいたかも…。ライブラリーで古い本を読むのが好きだったから。
 でも、菊の節句。そういうのを見た覚えは無いけど…。それに重陽の節句の方も。



 ソルジャー・ブルーだった頃のブルーは遠い昔の本も色々読んでいた。けれども記憶の海の底に沈んだか、それとも出会わなかったのか。菊の節句も重陽の節句も覚えてはいない。記憶に無い。
 そんなブルーに、ハーレイは重陽の節句なるものを教えてやった。
「菊の節句と言っただろう? 菊は不老長寿の薬になると信じられていてな、その節句だ」
 不老長寿と、若返りと。それを祈るための行事だったんだ。
「…みんなミュウだと要らないね、それ…」
 年は好きな所で止めてしまえるし、寿命だって最初からうんと長いし。
「うむ。まったく意味が無くなっちまった、だから菊には悲しい時代だと言ったのさ」
 もっとも、SD体制が始まるよりもずうっと昔。
 既に消えかかっていたという話だなあ、重陽の節句。
 菊に不老長寿の力が無いと分かっちまったせいで影が薄れて、他の四つに負けちまった。
「…不老長寿はお薬か何かなんだろうけど…。若返りだなんて、なんだか凄いね」
 それもお薬だったりするの?
 菊の花を食べたり飲んだりするの?
「ん? 若返りの方は面白いんだぞ、ただの薬とは違うんだ」
 重陽の節句の前の日の内に、菊の花に綿を被せておくのさ。そうすると其処に夜露がつくだろ?
 次の日の朝、露で湿った綿で顔とかを拭いたら若返るんだと思われていた。
 菊の着せ綿っていう名前があってな、今じゃ意味の無いものだよなあ…。



 若返りの方法だという菊の着せ綿。ブルーは「ふうん…」と聞き入っていたのだけれども、ふと思い付いて問い掛けた。
「ねえ、ハーレイ。…もしも、その方法が効いていたなら。本当に若返りの方法だったら…」
 ミュウは怖がられなかったのかな?
 年を取らない化け物だ、って怖がられずに済んでいたのかな…?
「おいおい、年を取らないってこともそうだが、怖がられた理由は他にあるだろ」
「サイオンの方かあ…」
 心を読む、って嫌われたっけね。他の力も怖がられたけれど、それが一番だったっけ。
 年を取らない方は実害は無いと言ったら無いし…。
 そうだ、キース!
「キースがどうした?」
「マツカがいたでしょ、キースの側には。マツカはミュウで、キースは人類」
 どんどん年の差が開いていった、って言われてるじゃない。残っている写真を見てもそうだよ。
「そのようだな。前の俺はマツカを直接知らんが」
 トォニィが失敗して殺しちまった、っていう話くらいしか知らなかったが…。後はナスカだな、キースを助けにやって来たミュウがマツカだった、とトォニィの件で知った程度か。



「もしもキースが重陽の節句を知っていたなら。せっせと着せ綿、やっていたかな?」
 菊にそういう力は無い、って分かっていたって、若返れるかもしれないと。
 何もしないよりかは少しでも、って努力したかな、マツカとの年の差が開かないように。
「そんな男か?」
 そういう男か、あのキースが?
「マツカが気味悪がられないためなら頑張りそうだよ。たとえ言い伝えに過ぎなくっても」
 だってマツカは、ミュウは本当に年を取らないし、サイオンは精神の力だもの。
 信じさえすれば効くかもしれない、って菊の着せ綿。
「…キースってヤツはお前を撃った男なんだが」
 もっとも、俺は今のお前に聞くまで知らなかったが…。そのせいであいつを殴り損ねちまった。知っていたなら殴り飛ばしたぞ、地球で会った時に。
「あの頃のキースは仕方がないよ」
 ぼくを撃った頃にはSD体制に忠実な男だったから。
 自分が信じるもののためには命を懸けるのがキースだったし、仕方ないんだ。
 でもね…。
 その後のキース。それから後のキースだったら、きっと優しい。
 マツカを守ってやれるんなら、って菊の着せ綿だってしたと思うよ、知っていたらね。
 キースはすっかり変わっちゃったから、マツカのお蔭だと思ってる。
 それとシロエかな。シロエが暴いたキースの出生の秘密。真実を知らされたことで揺らいだ心。
「前の俺には知りようも無かったことばかりだがな、どれも」
 マツカを側に置いていた件も、トォニィからの伝聞だしな。
 誤って殺してしまった負い目の分だけ、キースはマツカに優しかったとトォニィが思い込んだという可能性を捨て切れなかった。マツカはキースに利用されていただけなんだ、とな。
「だけど今では常識だよ?」
 キースがマツカをどう扱ったか、シロエがどういう役目を負ったか。
「ああ。スウェナに託されたメッセージってヤツの続きでな」
 前の俺は見られずに死んじまったが。知らないままで死んだんだが…。



 キースが死んだら公開されるという条件だったメッセージ。
 スウェナ・ダールトンにキースが託した二つ目の公的メッセージ。
 其処で全てが明かされていた。
 キースがマツカを大切な部下として、一人の人間として扱っていたということ。ミュウの能力を買ったのではなく、一個人として自らの側に置いたということ。
 それからシロエ。
 ステーション時代にシロエが探り当てた秘密を自分が知るのが遅すぎたことを悔やんだキース。もっと早くに知っていればと、悔やみながら生きた後半生。
 そういった思いが語られたそれは、来たるべきミュウの時代へのメッセージでもあった。人類はミュウへと進化するのだと、それを恐れることなどは無いと。
 もしもキースが生き残ったならば、自分自身で語ったであろうメッセージ。
 それは叶わず、画面の向こうのキースの遺言が全宇宙に中継されたのだけども…。



 二つ目のメッセージが在ったがゆえに、キースという英雄の評価は更に上がった。
 ミュウと人類との最初の架け橋、共存できることを身を以って示した指導者だった、と。
 もちろん学校でもそう教わるから、今のブルーはキースのその後を知っているわけで。
「ぼくが習った、すっかり変わった後のキースだったら、きっと…」
 菊の着せ綿を知っていたなら、気分だけでも。
 これで若返れればマツカとの差が開かないかも、と重陽の度に菊の花に綿を被せていそうだよ。夜露で湿った綿で顔を拭いて、若返らないかと試しそうだよ…。
「皺だけだったら整形手術で消せたんだがな?」
 かなり若返ると思うんだがなあ、皺さえ消してしまったならな。
「そういう男じゃないよ、キースは」
 まして自分の生まれを知った後では、皺を消すための手術だなんて…。
 自然に任せて年老いていって、その自然が許してくれるのならば。その範囲でだけ若返ろう、と菊の着せ綿だよ、年に一度だけ。
「確かにな…」
 そうなんだろうな、キースが若さを保ちたいと願っていたのなら。
 技術が生み出した手術なんぞより、自然が持ってる力の方へと行っただろうなあ…。あまりにも普通じゃない生まれだっただけに、頼るなら自然の力になっただろうな。
 お前の言うとおり、効きはしないと分かっていたって菊の着せ綿。
 整形手術よりも菊の着せ綿だな、キースがマツカを守るためにと若返りを願っていたならな…。



 キースとマツカが生きた時代には重陽の節句も菊の着せ綿も無くて、マツカはトォニィが放ったサイオンからキースを庇って死んで。
 キースもまた地球の地の底で逝った。ジョミーと共にグランド・マザーを、SD体制を根幹から倒して逝ってしまった。
 ブルーにとっては前の自分を撃った男に違いないけれど、彼のその後を知っているから。学校で教わって知っているから、キースを亡くしたことが惜しくて。
「キース…。ジョミーと二人で長生きをして欲しかったのに…」
 メッセージなんかを遺すんじゃなくて、生き残って語って欲しかったのに…。
 スウェナ・ダールトンにインタビューされて、大勢の人から質問を受けて。
 ミュウと人類とは兄弟なんだと、自分もマツカと一緒に生きたと強く語って欲しかったのに…。
 もちろんジョミーとも友達になって、サムのこととかを思い出しながら二人で長生き。
「それだと地球が蘇らんぞ?」
 死の星のままになったんじゃないか、あんな荒療治は出来ないからな。
「やっぱり無理かな?」
「ジョミーとキースが生き残るってことは、地球は燃え上がらなかったってことだ。そんな形でも今の姿に戻っていたとはとても思えん」
 派手にあちこち燃えて、壊れて。全てが入れ替わっちまったからこそ、青い地球へと蘇った。
 ジョミーもキースも、前の俺やゼルやブラウたちも。
 言わば人柱みたいなもんだな、死の星だった地球が蘇るための。
「…そんな人柱、本当に必要だったのかな?」
 人柱っていうのは生贄のことでしょ、地球はホントにそんなものが必要だったのかな?
「どうだかな…」
 それは分からないが、人柱として役に立ったと思っておくのが精神衛生上はいいってな。
 前のお前を失くしちまって早く死にたかった俺はともかく、他のヤツらはまだまだ生きるつもりだったと思うからなあ…。
 いくら覚悟をしていたとしても、ジョミーもキースも、生き残った方が自分が役立つってことは百も承知だったと思わないか?
「…そうだね…」
 死にたい人なんてそうそういないね、普通は生きたいものだよね…。
 ハーレイが言うように人柱だって思っておいたら、死んじゃった人でも救われるよね…。



 地球が蘇るための人柱。
 ジョミーもキースも、地球の地の底で死んだ長老たちも人柱なのだ、と言われればそういう気もしてくる。ただ死んでいったというわけではなく、青い地球が彼らを欲したのだと。
 ならば彼らもハーレイのように地球に還って来たのだろうか?
 青い地球の上で生きただろうか、とブルーは思いを巡らせたけれど、そうした記録は残されてはいない。生まれ変わった彼らの記録は何処にも無い。
 けれど…。



「ハーレイ、もしかしたらジョミーやキースも地球に生まれ変わって来てたのかな?」
 ぼくたちみたいに地球の上で生きて、前の自分の話は何もしないで楽しんでたかな?
「さてなあ…。そいつはどうなんだかな?」
 それは本人にしか分からんさ。前の記憶を忘れ去ったままで一生を終えることもあるだろうし。俺はたまたまお前に会ったし、それで記憶が戻ったんだがな。
「…たまたまなの?」
「いや、会うべくして会ったんだろうが…。出会い自体は偶然みたいなものだっただろう?」
「うん。ぼくも学校でハーレイに会うとは思わなかったよ」
 メギドで独りぼっちで死んで。
 もうハーレイには会えないんだ、って泣きながら死んで、次に会ったら学校だったなんて。
 右の手が冷たい、って泣きじゃくったぼくが、学校の生徒だっただなんて…。
「その点は俺も同じだな。死んだらお前に会えると思って死んだ筈なのに、お前が居たさ」
 チビになっちまって、制服を着て。
 俺が赴任して来た学校の教室にチビのお前が居るなんてことは、本当に夢にも思わなかったな。
 だからだ、ジョミーたちだって。
 きっと何処かで平和に生きたさ、青い地球ってヤツを満喫してな。
 自分が誰かを思い出すことは無かったとしても、うんと楽しい人生をな…。



 ゼルも、ブラウも。ヒルマンもエラも青い地球にきっと来ただろう、とハーレイは語る。
 地球が蘇ってからの長い歳月の内に、もしかしたら一度どころか二度、三度と。
「とにかく青い地球が戻って来て、だ。人間はもれなくミュウになっちまったし…」
 五節句って文化が復活してみても、菊の節句の意味も出番も無くなったってな。
 不老長寿の薬の菊酒とかも要らなきゃ、若返りの着せ綿も要らないんだしな。
「今は菊って、懸崖作りのプレゼントくらいでしか出て来ないかな?」
 好きで育ててる人はいるけど、欲しい人が多いのって、これくらい?
「そうなるなあ…。品評会に出してやるぞ、ってくらいに熱心な愛好家はともかくとして…」
 普通の人が菊を目当てに行列となれば、この手のイベントくらいじゃないか?
 わざわざ鉢植えを買ってまで世話をするのは面倒だが、だ。
 こんな風に買い物のオマケにつくなら貰って来ようと、家に飾っておこうとな。
「平和だね…。不老長寿も若返りも無しで、買い物のオマケ…」
「うむ。元はそういう花だったってことも、菊の節句も忘れ去られているぞ」
 俺も授業で触れてないしな、言った所で真面目に聞いてくれそうもないし…。
 不老長寿が当たり前ではどうしようもないな、重陽の節句。



 今の世の中では重陽の節句はまるで重みが無さすぎる、とハーレイは笑う。
 小さなブルーが口にしたように、キースが若返りを願って着せ綿をしそうな昔はともかく…。
 そのブルーは例のチラシをしげしげと眺め、恒例行事なことをハーレイに確認してから。
「懸崖作りの菊、結婚したら此処へ貰いに行ってもいい?」
 この鉢、重いかもしれないけれど…。重すぎたら、ハーレイ、持ってくれる?
「ああ、持ってやるさ。お安い御用だ」
 お前のと、俺のと、一鉢ずつな。
「一鉢ずつって…。欲張っていいの?」
 そんなに貰ってしまってもいいの、この鉢?
「もちろんだ。買い物をしたら貰えるんだし、一軒に一個とは決まってないしな」
 夫婦で貰いに出掛けるんです、って家も多いぞ。
 こいつが開催された次の日に通ると二つ並べて飾ってある家がけっこうあるんだ、毎年な。
「そうなんだ…。だったら二つ貰ってもいいよね、ぼくの分とハーレイの分と一つずつ」
 じゃあ、何色にしようかな?
 同じ色のを二つがいいかな、それともまるで違う色のを並べておくのが綺麗かな…?
「気の早いヤツだな、今から色を考えるのか?」
「えっ、だって。毎年あるなら早めに決めておいたって…」
 別にいいでしょ、その時に慌てなくても済むし。
 お店の前でどれにしようか悩んでる内に、欲しい色のが無くなっちゃうかもしれないし…!



 だから早めに決めておくのだ、とチラシを手にして捕らぬ狸の皮算用。
 そんな恋人も可愛いと思う。
 まだ菊の鉢をプレゼントするには幼すぎるけれど、愛おしくてたまらない小さなブルー。
 いつかは二人で、菊を二鉢。
 買い物に出掛けて行列に並んで、懸崖作りの菊を二鉢。
 持って帰って、家に飾って。
 そうして仲良く菊を愛でよう。ミュウの時代にはもう出番が無い、不老長寿と若返りの花を…。




          重陽の菊・了

※かつては不老長寿を願った重陽の節句と、菊の着せ綿。今はどちらも要らない時代。
 思わぬことから、キースとマツカが話題になりましたけど…。ブルーの狙いは懸崖作りの菊。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv








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