シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(んーと…)
キョロキョロとテーブルを見回した、ぼく。
学校から帰っておやつの時間で、ケーキを食べようとしてるんだけど。
ケーキのお供にママが淹れてくれた熱い紅茶とティーポット。それに小さなミルクピッチャー。
ママに「紅茶はレモンかミルクかどっち?」と訊かれて、ミルク。
特に考えたわけじゃなくって、なんとなくミルク。
プレーンなシフォンケーキにはどっちでも合うし、ミルクでもレモンでもかまわなかったんだ。
だけど突然、ふと思ったこと。
(もっと大きめ…)
ケーキは充分な大きさだけれど、ミルクピッチャー。小さいサイズのミルクピッチャー。
これじゃ足りない、という気がしてきた。大きなミルクピッチャーがいい、と。
朝御飯の時とか、パパも一緒のお茶の時間に置いてある大きなミルクピッチャー。カップ一杯分くらいのミルクが楽々と入るミルクピッチャー。
(あれがいいんだけど…)
ほんのちょっぴりしか入らないような、小さなミルクピッチャーじゃなくて。
もっとしっかり、どっしりとした大きなミルクピッチャーがいい。
(ミルクが沢山入るのがいいよ)
何故だか紅茶にミルクをたっぷり入れたくなった。
普段はそんなに入れないのに。
ママが用意してくれた量のミルクで丁度いいのに。
(確か、この辺…)
食器棚の中を覗き込んでいたら、ママがダイニングに入って来た。
「どうしたの? 何か探し物?」
「ミルクピッチャー…」
「出してあるでしょ? ミルクも入れて」
ちゃんとあそこにあるじゃない、って不思議そうなママ。でも…。
「もっと大きいのが欲しいんだけど…」
ミルクが沢山入るのがいい、って言った、ぼく。大きいミルクピッチャーがいいよ、と。
「ああ、あれね」
此処よ、ってママは直ぐに棚から取り出してくれた。白い陶器のミルクピッチャー。飾りなんか無くて実用本位の、たっぷりと入るミルクピッチャー。
テーブルに置いて、冷蔵庫からミルクを持って来た。幸せの四つ葉のクローバーが描かれた瓶に入ったミルク。ぼくが毎朝、飲んでいるミルク。
大きな瓶から、ミルクピッチャーになみなみと入れて…。
よし、とテーブルに着いて、カップに熱い紅茶を注いだ。それからミルクもたっぷりと。
お砂糖を入れて、一口飲んで。
(うん、この味!)
紅茶は薄くなっちゃったけれど、ミルクの風味がうんと優しい。柔らかで甘い口当たり。飲むとなんだか懐かしい気分。この味だよ、って心が跳ねてる。
だけど、紅茶を飲むぼくを見ていたママは。
「ミルクを沢山って…。背を伸ばしたいの?」
「えーっと…。なんにも思っていなかったけれど…」
そうなのかも、っていう気もした。
ミルクと言ったら、背を伸ばすもの。背を伸ばしたくて、ぼくが毎朝飲んでいるもの。
(懐かしい気がするってことは…)
ミルクたっぷりの紅茶は多分、前のぼくのお気に入りなんだろう。
ぼくと同じで背を伸ばすため?
前のぼくも背丈を伸ばしたくって、紅茶にミルクをたっぷりだった…?
(どうだったのかな…?)
おやつを食べる間中、ぼくは半分、うわの空。
シフォンケーキを頬張る間も、ミルクたっぷりの紅茶をコクリと飲み込む時も。
前のぼくの遠い記憶を探って、お茶の時間の記憶も探って。
なのに掴めない、紅茶の記憶。
紅茶が薄くなってしまうほどに沢山、ミルクを注いで飲んでいた記憶。
食べ終わっても記憶は戻って来なくて、キッチンのママにお皿とカップを返しに行った。大きなミルクピッチャーも。
「御馳走様」って渡したけれども、記憶はやっぱり戻らなかった。
ミルクたっぷりの紅茶の記憶。うんと沢山のミルクを紅茶に入れてた記憶。
部屋に帰ってから勉強机の前に座って考えたけれど、思い出せない。戻らない記憶。
気になるけれども、前のぼくって。
前のぼくは背なんか伸ばしたかった?
紅茶にミルクをたっぷりなほどに、頑張って背丈を伸ばしたかった…?
(頑張らなくても勝手に伸びたよ?)
アルタミラでは長いこと成長を止めてたぼくだけれども、脱出した後は順調に伸びた。止めてた反動なんかじゃなくって、ごくごく自然に伸びていった背丈。
しっかり食べろよ、ってハーレイに言われて。
チビだったぼくに「食わなきゃ大きくなれないからな」って何度も言っては、自分が厨房で工夫した料理をあれこれ盛り付けて食べさせてくれた。いろんな料理を。
食材が偏ってキャベツ地獄やジャガイモ地獄になった時でも、ちゃんと料理が色々出て来た。
(もっと食えよ、って、おかわりも盛り付けられちゃったっけ…)
ハーレイは配膳係じゃなかったけれども、係を呼び止めて「こっちも頼む」って入れさせてた。ぼくが少しでも多く食べるよう、一緒に食べながら目を光らせてた。
ハーレイがキャプテンになっちゃった後も。
自分で料理をしなくなった後も、「しっかり食えよ」って。
そのお蔭だろうか、前のぼくの背はぐんぐんと伸びて、チビじゃなくなったんだった。
(じゃあ、なんでミルク?)
ミルクも飲めよ、ってハーレイに言われた記憶は無い。
前のぼくがいつも聞いてた言葉は、「しっかり食べろよ」とか「もっと食べろ」とか。
ハーレイは食事をうるさく言っていたけど、ミルクについては覚えが無い。
(…前のぼくの好み?)
ミルクをたっぷり入れた紅茶は前のぼくが好んだものだったろうか?
そうやって飲むのが好きだったろうか?
(前のぼくが紅茶を飲んでいた時は…)
お茶の時間をゆっくり楽しむようになった頃には、青の間に居た。
ソルジャー専用のミュウの紋章入りのカップやポットで、のんびりと紅茶を飲んでいた。紅茶はもちろんシャングリラ産。白い鯨の中で栽培したもの。
(ストレートの紅茶も、レモンティーも…)
ミルクティーも、それぞれ気分で選んだ。その日の気分や、お菓子に合わせて。
この飲み方が特に好きだ、っていうのは無かった筈なんだけど。
無かったように思うんだけれど…。
(でも、ミルクたっぷり…)
あの味が懐かしいと思うからには、きっと何かがあったんだ。
それが何だか思い出せない、と頭を悩ませていたら、チャイムが鳴った。窓に駆け寄ったぼくの目に映った、手を振るハーレイ。庭を隔てた門扉の向こうで、大きく右手を振ってるハーレイ。
(ハーレイだったら覚えてるかな?)
どうなのかな、って思ったけれども、ぼくでさえ分からない記憶。
いつのものかも分からないんだし、ハーレイにだって無理に決まってる。
(せめて時期でも分かっていればね…)
前のぼくがそれを好きだった時期。
だけど覚えていないし、訊けない。ハーレイだって困ってしまうだろう。
諦めよう、って思ったけれども。
ハーレイを部屋まで案内して来たママがテーブルの上に置いてった紅茶。お菓子と一緒に並べた紅茶。今日はミルクティー、ポットの隣に少し大きめのミルクピッチャー。
二人分のミルクが入るサイズのそれを目にしたら、閃いた。
(そうだ!)
もう一度ミルクたっぷりで飲んだら、今度は思い出せるかも。
前のぼくの恋人のハーレイも目の前に居るし、さっきよりかは条件がいい。
だから…。
「ねえ、ハーレイ。ハーレイ、ミルクはあっても無くてもいいんだよね?」
紅茶に入れるミルク。ミルク無しでも飲めるんだよね?
「そうだが?」
「じゃあ、ちょうだい。ハーレイの分のミルク」
ぼくにちょうだい、ハーレイの分も。
「それはかまわないが、何なんだ?」
「えーっと…」
見れば分かるよ、ぼくがしたいこと。ハーレイの分のミルクを欲しがった理由。
ぼくはカップに紅茶を半分だけ淹れて、もう半分はミルクを注いだ。
ミルクピッチャーの中身のミルクをたっぷり、濃いめの紅茶が薄くなるほどに。
「お前、そんなに入れるのか?」
いつもそんなに沢山入れてたか、ミルク?
「入れたくなった…」
なんでかな、って思い出したくて、もう一度。
おやつの時間に急に飲みたくなったんだ。ミルクをたっぷり入れた紅茶が。
ママに頼んで、ミルクピッチャー、大きいのを出して貰ったよ。
それでミルクが沢山入った紅茶を飲んだら、とても懐かしい気分になって…。
前のぼくだ、って直ぐに分かった。
でもね、どうしてミルクたっぷりの紅茶なのかが分からないんだ。
そういう紅茶が好きだった、って記憶が全く無いんだよ。
考えていたらハーレイが来たし、もう一度、って試してみたんだけれど…。
「ふうむ…。で、思い出せたか?」
どうだ、戻って来そうか、記憶?
前のお前が飲んでいたらしい、ミルクたっぷりの紅茶とやらは?
「駄目みたい…。ハーレイも覚えてなさそうだよね?」
「すまんが、俺の記憶にも無い。前のお前は確かに紅茶が好きではあったが…」
こうでなければ、という飲み方のこだわりとなったら全く知らん。
とにかく紅茶が好きだったな、という程度でしかない。
「ぼくもなんだよ、自分のことなのに覚えてなくて…。何なんだろう、ミルクたっぷりって…」
この味が好きって、紅茶よりもミルクが大事だったとしか思えないんだけれど…。
「うむ。そんな感じの飲み方ではあるな」
紅茶よりもミルク、そういった感じが強いんだが…。
前のお前は今のお前ほど、ミルクにこだわる理由なんか無いと思うがな?
身長を伸ばそうとしていたわけでもあるまいし、ってハーレイも同じ意見だけれど。
それでもミルクが大事だったらしい、前のぼく。
紅茶よりもミルク、って思ってたらしい、ミルク沢山の紅茶の飲み方。
そうなってくると…。
「ハーレイ。シャングリラの紅茶、ミルクたっぷりで誤魔化さなきゃいけない年ってあった?」
「はあ?」
「紅茶の出来だよ、シャングリラの紅茶は香りが高いってわけじゃなかったし…」
味まで駄目だった年があるのかな、色だけなんです、っていう酷い出来。
やたら渋いとか、そんなのだったらミルクたっぷりで飲むしか道が無かったかも…。
「そいつは無いだろ、流石にな」
出来が悪くても、紅茶は紅茶だ。飲めないほどの出来になったら覚えているさ。
キャプテンの所には農作物の出来に関する情報も上がってくるからな。
今年は駄目だと、とても飲めないと言って来たなら、流石の俺も…。
ん…?
待てよ、ってハーレイは首を捻った。顎に手を当てて、考え込んでる。
ぼくの紅茶の記憶の端っこ、ハーレイは見付け出したんだろうか?
そうだといいな、とドキドキしながら考え事の邪魔をしないようにしていたら…。
「そいつは紅茶の記憶じゃないな。ミルクの方だ」
「ミルク?」
なんでミルク、って、ぼくの瞳は真ん丸になった。
前のぼくもやっぱり、背丈を伸ばそうとミルクを飲んでいたんだろうか、って。
そしたらハーレイは「そうじゃないさ」と笑みを浮かべて話の続きを教えてくれた。
「自給自足の生活を始めて、船で牛を飼って。ミルクが取れるようにはなったが…」
船のみんなに充分な量が行き渡るようになるまで、ミルクティーなんかには使えなかった。
余分に使えるミルクってヤツが出来て初めて紅茶に回せるようになったろ?
「うん」
最初の間は飲む分だとか、料理用だとか…。
紅茶に入れてもいいんです、ってミルクが取れるようになるまで、暫く時間がかかったね。
「そのミルクが、だ。沢山取れるようになったから、と前のお前にドッカンと…」
「ああ、あった…!」
思い出したよ、その話。
とても沢山のミルクを貰ってしまったんだっけ…。ぼくの紅茶用に。
シャングリラでの牛の飼育が軌道に乗ってから、どのくらい経った頃だっただろう?
青の間に食事を運ぶ係がトレイに乗っけて、恭しく運んで来たミルク。
いつもの小さな器じゃなくって、ぐんと大きなミルクピッチャー。
それにたっぷり入ったミルクが届けられた。
紅茶用のミルクをお持ちしましたと、ご自由にお使い下さいと。
報告がてらハーレイまでがくっついてたから、何事なのかと思って尋ねた。
「これはまた…。ずいぶん多いけど、一日分かい?」
今日はミルクティーを何度も楽しめそうだね、ありがとう。
「いいえ、ソルジャー。一回分です」
お使いになれるようでしたら、午前中のお茶にお使い下さい。午後になりましたら、また新鮮なものを運ばせますから。
「一回分って…。こんなに沢山?」
「ミルクはまだまだございますので、午後の分も夜の分もお持ち出来ます」
牛たちが立派に育ってくれました。宇宙船での生活にも慣れて元気一杯に暮らしております。
ミルクの生産も安定しました、これからは毎日ミルクを三回運ばせますから。
量はこれだけ、それを三回です。
もしも多すぎるとお思いでしたら、その時は調整いたします。
飲み切れなかったら冷蔵で保存しておいて下さい、と言われたミルク。
ハーレイと係が出て行った後で、早速、使ってみることにした。
お湯を沸かして、ポットに紅茶の葉を入れて。熱いお湯で紅茶の葉が開くのを待って、カップに半分注いでみた。濃い目の紅茶をカップに半分。
其処にミルクをうんとたっぷり、紅茶が冷めない程度にたっぷり。
今まで飲んでたミルクティーとはまるで違った、ミルクが勝っているほどの紅茶。ミルクの白に紅茶の色を混ぜたような、優しい色合い。
いつもと同じ量の砂糖を落として、スプーンで混ぜてから口に運んだら。
(美味しい…!)
ぼくが知ってたミルクティーとは違った味わい。ミルクのコクがふんわり広がってゆく。
柔らかい味って言うのかな?
同じミルクを入れた紅茶でも、前のと全然違うんだ。優しくて甘くて、温かい味。一度飲んだら癖になる味、やみつきになってしまう味。
ぼくはすっかり虜になって、その日はもちろん、その次の日も。
そのまた次の日も沢山のミルクを運んで貰って、ミルクティーばかりを楽しんでいた。レモンの存在なんかは忘れて、ストレートで飲むことも忘れてしまって。
それからレモンやストレートの紅茶を思い出すまで、ミルクたっぷりで飲んでいたぼく。
ハーレイと紅茶を楽しむ時にも、ミルクたっぷりのミルクティーをせっせと勧めていたぼく。
まだハーレイとは友達同士で、恋人同士じゃなかったけれど。
そうやってハーレイにミルクティーを御馳走してたら、ある日、訊かれた。
「ソルジャー、ミルクが後ですか?」
「駄目なのかい?」
二つ並べた紅茶のカップにミルクを注ごうとしていた、ぼく。
ミルクは先に注ぐものだったのか、と驚いて手を止めてしまったんだけれど。
「いえ、後だと駄目だというわけではなく…。食堂で少し論争が」
食堂でも、こういうミルクティーを楽しめるようになりましたから。
そうしたら二通りに分かれてしまったのです、ミルクを入れるのが先か後かに。
先に入れる者たちは「絶対に先だ」と言って譲らず、後の者たちは「絶対、後だ」と。どちらも自分のやり方が正しいと主張し、日々、論争の種になっていましたね。先だ、後だと。
結局、ヒルマンとエラが調べて、なんとか落ち着いたのですが…。
「そうだったんだ…。それで、正解はどっちだったの?」
「正解と言うべきかどうかが難しいのですが…」
元々、紅茶は特権階級の飲み物だったとのことで、その階級ではミルクは後に入れるもの。後に庶民に広がった時に先に入れる方法が生まれたそうです。
理由は定かではないらしいですが、熱い紅茶でカップが割れてしまわないよう、先にミルクだという説などもあったとか。
もっとも、SD体制に入ろうかというような頃には先も後も無かったそうですけどね。それこそ個人の好み次第で、後でも先でも、どちらも間違いではなかったという話でした。
「なるほど、正解は後だけれども、今の時代はどちらでもいい、と」
ぼくはたまたま正解なんだね、誰に習ったわけでもないんだけれど…。
なんとなく後だという気がしていて、後に入れてただけなんだけれど…。
でも、そういうのでもめるんだ…?
ミルクは先なのか、後なのか、って食堂で毎日論争になって、ヒルマンとエラまで引っ張り出す騒ぎになっちゃったんだ?
「半分以上は論争と言うより、お祭り騒ぎだったんですがね」
誰に教わったわけでもないのに、先に入れるか後に入れるかの二つに分かれる。自分はこれだと思い込んでいて、変えるつもりにならない入れ方。
これは失くした記憶なんだろう、と皆が喜んでいるのですよ。
育った家の記憶はすっかり失くしてしまったけれども、こんな所に残っていたと。
身体が覚えていてくれていたのだと、紅茶のミルクは先か後かを。
「そういうことか…。だったら、ぼくのも育ててくれた人たちの入れ方なんだ…」
ミルクは後で、っていう人たちがぼくを育ててくれたんだね。
紅茶のミルクは後で入れてた、その入れ方が好きな人たちの家で大きくなったんだ、ぼくは。
「恐らくは。でなければ特に考えもせずに、自然に後にはならないでしょう」
ミルクの量が少なかった頃には、誰もが後から入れたのですが…。
たっぷりと入れられるようになった途端に、先と後とに綺麗に分かれてしまいましたからね。
「じゃあ、ハーレイはどっちなんだい?」
紅茶のミルクは、先なのか後か。君はどっちが好きだったんだい?
「後のようです」
沢山あっても、ついつい後に…。キャプテンですから、どちらにもつかずに中立で、と思ってはいても身体が勝手に動くのですよ。ミルクは後だ、と。
「それなら、ぼくと同じだね」
ハーレイもぼくと同じなんだね、ミルクは後から入れるんだね。
ふふっ、って嬉しくなった、ぼく。
まだ恋人同士ではなかったけれども、ハーレイと同じ入れ方だというのがお気に入りで。
ハーレイもぼくもミルクは後だと、紅茶のミルクは後に入れるのだと喜んでいた。
そうして紅茶にたっぷりとミルク。
ハーレイが青の間にいない時でも、一人でゆっくりと紅茶にミルクを注いでた。
ミルクは後から、って。
これはハーレイも同じなんだと、同じ好みの人たちに育てられたんだ、って。
「思い出した…!」
ミルクだった、と叫んだ、ぼく。
紅茶にミルクをたっぷり入れてた前のぼくの記憶は、紅茶じゃなくってミルクの方。
ミルクを沢山入れられる時代がやって来た時に、せっせとミルクを入れては飲んでいたんだ。
その味ももちろん好きだったけれど、ハーレイと同じミルクの入れ方。
ぼくもハーレイもミルクは後だと、後からなんだと噛み締めるようにミルクを紅茶の後から。
そうして生まれたカップの中身をスプーンで混ぜては、幸せ一杯。
ハーレイもぼくもこれで育ったと、こういう習慣の人たちに育てられたんだ、と。
「思い出せたか、そりゃ良かったな」
前のお前に付き合わされて、ミルクティーばかり飲んでた甲斐があったってな。
お前、あれから暫くの間、紅茶と言ったらミルクをたっぷり入れていたしな。
ミルクたっぷりの紅茶が好きだと言うわけじゃなくて、ミルクの入れ方の問題だったが。
「…そんな理由だったから思い出せないんだよ…」
ああいう紅茶が好きだったのなら、簡単に思い出せただろうけど…。
ミルクの入れ方なんて無理だよ、それこそ身体の記憶なんだもの。身体が覚えていたんだもの。
前のぼくの記憶はすっかり消されていたのに、ミルクの入れ方は覚えていたもの…。
「そうかもしれんな、食堂で派手にもめたくらいに大切な記憶らしいんだがな」
育ての親と育った家の記憶だ、うんと大事なものなんだろうが…。
意識して覚えていたわけじゃないし、生まれ変わったら余計に記憶から抜けちまうってな。
それに、今のお前。
前のお前と全く同じで、ミルクは後かららしいしな?
「うん…。小さい頃からずっとこうだよ、パパもママも後から入れているしね」
ハーレイは今度はどっちなの?
今はミルクは先なの、後なの、今の家ではどっちだったの?
「気になるか?」
「ならない筈がないじゃない!」
たっぷりのミルクを出したことが無いから分からないよ、どっち?
「今も後だな。親父もおふくろもそうだったからな、俺も釣られて自然にな」
「じゃあ、同じだね」
今度もハーレイと同じなんだね、ミルクの入れ方。
紅茶にミルクを入れる順番、今度もハーレイとおんなじなんだね…。
今度も同じ、って心がほんのり温かくなった。
前のぼくとハーレイを育てた人たちの記憶は、お互い、失くしてしまったけれど。
機械に消されてしまったけれども、ミルクの入れ方を身体が覚えていてくれた。紅茶にミルクを後から入れる人たちが育ててくれていたんだ、って覚えてた。
そのぼくたちが生まれ変わっても、おんなじミルクの入れ方の家。前のぼくたちの養父母と同じ習慣を持った人たちの子供に生まれて来た。
ぼくもハーレイも、前と同じに育ってる。
見た目の姿もそうだけれども、ミルクの入れ方。
紅茶にミルクを入れる順番が前と全く同じだったなんて、もう嬉しくてたまらない。
神様はちゃんと選んでくれたと、ぼくたちが何処に生まれるべきかを選んでくれていたんだと。
ハーレイもぼくも、基本の部分は前とおんなじ、そうなるように生まれ変わって…。
「ハーレイ、紅茶にミルクをたっぷり…じゃないよね?」
そういう飲み方が好きってわけではないよね、今のハーレイも?
「お前にミルクを譲れるくらいの人間だからな」
譲ってくれと言うから譲ってやったが、まさか前のお前の記憶を探していたとはなあ…。
俺の記憶が役に立ったようで何よりだが。
「ハーレイが好きなの、コーヒーだもんね…」
シャングリラでもコーヒー、飲んでたし…。
あれは代用品だったけれど。キャロブのコーヒーだったんだけれど…。
「ガキの頃には流石に違うがな」
いくら本物のコーヒーが飲める世界に来てもだ、ガキの舌にはコーヒーは合わん。
親父たちが飲んでいるのを強請って後悔したことが何度もあったな、これは飲めんと。
だから多少はお前の気持ちってヤツが分かるさ、コーヒーが苦手なお前の気持ち。
そうは言ったけど、育ったら前のハーレイと同じでコーヒー好きになってしまったハーレイ。
寝る前に飲んでも全く平気で、夜の書斎で大きなマグカップに一杯の熱いコーヒー。
前と全くおんなじハーレイ。
コーヒーが好きで、紅茶にミルクを入れるんだったら後だと思っているハーレイ。
でも…。
「ねえ、ハーレイ。ぼくたち、前のぼくたちと色々な所がそっくりだけれど…」
前とは違うって所も沢山あるよね、今のぼくたち。
何処が違うのか、咄嗟には何も出てこないけれど…。
「多分な。何より今度は結婚だろ?」
結婚だけは前の俺たちには不可能だったぞ、逆立ちしてもな。
「そうだっけ!」
うんと違うね、結婚だものね。
前のぼくたちには出来ないどころか、恋人同士っていうのも秘密。
それが今度は結婚なんだし、前のぼくたちとは違うんだよね…。
今度のぼくたちは結婚する。結婚式を挙げて、一緒に暮らす。
そこが一番、大きな違い。
前のぼくたちとの大きな違い。
結婚して二人で歩いてゆくんだ、手を繋ぎ合って離れないで。
何処までも二人一緒の未来。ハーレイと二人、いつまでも一緒。
(ハーレイと二人で暮らすんだよ…)
もう少ししたら、ぼくの背丈が前のぼくと同じになったなら。結婚出来る年になったなら。
前と同じに育った後にやってくる、前よりもずうっと大きな幸せ。
恋人同士ってだけじゃなくって、ちゃんと結婚出来るんだ。
そう、ぼくたちは前とは違う。
紅茶にミルクを入れる順番は変わらなくっても、前と違って幸せな未来があるんだから…。
紅茶とミルク・了
※ブルーが思い出した、ミルクティーのこと。紅茶にミルクを入れるのは、先か後なのか。
前のハーレイとは「お揃い」だったミルクの入れ方。今度もやっぱりお揃いです。
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