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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

金柑

「それ、お土産?」
 ワクワクしながら訊いた、ぼく。
 土曜日の朝、ハーレイが提げて来た紙袋。ロゴとかは入っていないけれども、お土産っぽい。
 だって、普段はこんな袋は持って来ないもの。どうなのかな、って頬が緩んじゃう。
 お土産だといいな。そうだといいな。



 ハーレイは苦笑いしながら、自分が座ってる椅子の脇の床に置いた紙袋にチラリと目を遣って。
「そんなトコだな」
 これも一種の土産だろう、うん。
「食べるものなの?」
「もちろん食えるが」
「わあっ!」
 ぼくの心はたちまち跳ねてしまって、嬉しさ一杯。ハーレイのお土産、食べられるお土産。
 お菓子なの、って尋ねてみた。ドキドキしながら訊いてみた。
 袋の外からじゃ分からない。テーブルのせいで、ぼくの席からは袋の中身を覗けない。
 ハーレイと向かい合わせに座るテーブル、今日はちょっぴり邪魔者な気分。
 そのテーブルにはママがお茶とお菓子を置いて行ったから、紙袋の中身はぼく専用のお菓子?
 ハーレイと二人で食べるものなら、ママに渡して「今日はこれです」って言いそうだもの。
 そういうお土産を貰う日もある。
 お菓子だったり、お昼御飯に食べられるような何かだったり。



(ママに渡していないってことは…)
 ぼくの部屋に大事に仕舞っておいて、一人で取り出して食べられるお菓子とか?
 個別包装のクッキーだとか、もしかしたら甘いチョコレートだとか。それともキャンディー?
 どんどん想像が膨らんでゆく中、耳に届いたハーレイの声。
「菓子なのか、と訊かれれば…。菓子にしている人もいるがな」
 人それぞれだな、こいつの場合は。
「なに、それ…」
 ハーレイのお土産、いったい何なの?
「お前の年では菓子じゃないだろうな」
「えっ?」
「多分、菓子という認識じゃないさ。手を加えれば立派に菓子になるがな」
 ほら、とハーレイが手を突っ込んだ紙袋から出て来たガラスの瓶。
 テーブルに置かれたガラスの瓶。
 中にびっしり、金色の丸い実。親指と人差し指をくっつけて作る丸よりも小さな丸い実。それにシロップ、金色を映したシロップに浸かった金色の実たち。



「えーっと…。これって、金柑?」
 金柑の実なの、瓶に一杯…。
「おっ、知ってたか?」
 知らないかもな、と思ってたんだが、知っていたのか、金柑の実を。
「おせちに少しだけ入っていない?」
 ほんのちょっぴり、三つくらい。こういうシロップ漬けの金柑。
「まあ、世間的にはそうしたモンだな、その程度の付き合いの家が多いな、金柑」
 わざわざ買ってまで甘煮にしよう、って人も少なきゃ、こういった甘煮を瓶で買う人も無いな。彩りにするには何個かあれば充分なんだし、おせちの季節に少しってトコか。
 同じ買い込んで甘煮にするなら普通は栗だな、栗の甘露煮って家が多いだろう。あっちの方なら使い道も多いし、なにより見た目にデカくて立派だ。



 だが、ってハーレイは金柑の瓶を指差した。
「この金柑。こいつを持って来たのは俺だが、これは親父たちからのプレゼントだぞ」
 もちろん、お前へのプレゼントだ。昨日、親父が届けに来てくれたんだ。
「ホント!?」
 ハーレイのお父さんたちからのプレゼントなの? ぼくに?
「お前、夏ミカンのマーマレードを取られちまったってしょげてたろう?」
 先に開けられて食べられていたと、一番最初に食べ損ねたと。お前のお父さんたちも気に入ってしまったから、このままだと直ぐに無くなりそうだと。
 マーマレードはあれから何度も追加の瓶を届けちゃいるが、だ。
 親父たちはお前が「取られちゃった」とガッカリしたのを知っているしな、それで金柑だ。
 お前の身体が弱いというのも知っているから、そっちの意味でもプレゼントなんだが。
「それ、お薬なの?」
「金柑の甘煮は風邪に効くんだ、喉にもいいぞ」
 食べれば風邪の予防にもなる。菓子代わりに食って風邪を防ごう、って人もいるくらいだ。俺の家でも親父とおふくろが冬になったら食ってるなあ…。
「もしかして、手作り?」
「おふくろのな」
 金柑の実が色づき始めたら、こいつを作る。黄色くなった実から順に採ってな。



 庭に金柑の木があるんだ、ってハーレイはぼくに教えてくれた。
 隣町の、ハーレイのお父さんとお母さんが住んでいる家の庭。其処に金柑。
 夏ミカンの木ほどには大きくないけど、ハーレイの背よりも大きな木。枝を広げた金柑の木。
 金柑の木にしては大きい部類に入るんだって。
「今年はこれからがシーズンだな。こいつが最初のヤツなんだ」
 最初に採った分で作ったから、って親父が届けに来たわけだ。
「そうなの?」
 いっぺんに黄色くなるわけじゃないの、金柑の実って?
「陽の当たり具合とかで変わってくるのさ、実が色づいていく順番もな」
 小さい木ならば、全部が黄色く色づいた後に採るんだろうが…。
 デカイ木だしなあ、黄色くなったヤツだけを先に選んで採っても充分な量があるってな。
「うん…。この瓶、けっこう大きいよね」
「マーマレードの瓶ほどにはデカくないがな」
 金柑の実が色づき始めたら、色づいた分から順に採ってだ、おふくろが甘煮にするわけだ。砂糖たっぷりで煮た甘露煮だな。
 実を食えば風邪の予防で、薬。このシロップだって喉にいい。
 実を食って良し、シロップを飲んでも良し、っていう優れものだぞ、金柑の甘煮。
 こいつはホントにお前用なんだ。マーマレードと違って薬だからな。



 しっかり食えよ、ってハーレイは金柑が詰まった瓶の蓋を指でトンと叩いた。
 これはお前のだと、親父たちからのプレゼントだと。
(貰っちゃった…!)
 ハーレイのお父さんとお母さんから、ハーレイのお嫁さんになるぼくへのプレゼント。夏休みの最後の日に貰ったマーマレードもそうだったけれど、あれは表向きはぼくの家への贈り物だった。
 だからパパとママに先に開けられちゃったし、遠慮なく食べられちゃったけれども。
 今度はお薬。ぼくへのお薬、身体が弱いぼくのための薬。
 そういう理由で貰ったんなら、独占したって怪しまれない。お薬なんだし、それで当然。
 パパやママには取られない金柑。
 ぼくだけのための金柑の甘煮。
 ハーレイのお母さんが作った甘煮で、ハーレイのお父さんが届けてくれた。
 ぼくのために、って、金柑の瓶。ハーレイのお嫁さんになるぼくのために、って金柑の甘煮。
(すっごく幸せ…)
 うんと大事にしなくっちゃ、って金柑の金色を見詰めていたら。
「おい。幸せそうな顔をしてるのはいいが、大事にし過ぎて風邪を引くなよ」
 風邪の予防になるんだからな。後生大事に取っておかずに、ちゃんと早めに食うんだぞ。
「うんっ!」
 風邪を引きそうになったら食べるよ、引かないように。
 せっかく貰ったお薬なんだもの、風邪の予防に食べなくっちゃね。



 風邪のお薬になる金柑。食べれば風邪の予防にもなる、金柑の甘煮。
 ハーレイは「そいつは食べるものなんだからな」と念を押して帰って行ったんだけれど。
 でも…。
「ブルー、いいもの頂いたわね?」
 ぼくが夜に金柑の瓶を持ってダイニングに行ったら、ママが早速声を掛けて来た。ぼくの部屋にあるのをママは知ってたから、ハーレイに御礼も言っていた。
 だけど、この金柑はぼくのだから。
「ぼく専用の金柑だよ?」
 取らないでね、って言った、ぼく。マーマレードで懲りているから。
 そうしたらママも、見ていたパパも「薬は取らない」って笑ってる。ただの金柑の甘煮だったらつまむけれども、お薬用までは取らない、って。
「お前の薬は食べないさ。ハーレイ先生に頂いたんだろ?」
「ママも食べないわよ、そんなに心配しなくてもね」
 その代わり、きちんと食べるのよ。金柑は風邪に効くんだから。
「はぁーい!」
 分かってるよ、って返事した、ぼく。
 金柑の瓶を何処に置こうか、考えるために部屋から下りて来た、ぼく。
 暖かすぎる場所は駄目だとハーレイに聞いたから、ぼくの部屋では駄目なんだ。ぼくの身体には優しい暖房、寒くなったら入れる暖房。それが金柑の瓶には大敵。
 ママに相談して、キッチンの貯蔵用の戸棚に仕舞った。其処なら充分に涼しいから。



 大切な金柑の置き場所を決めて、部屋に戻って。
 明日もハーレイが来てくれるから、って早めにお風呂で、パジャマに着替えてベッドの端っこに腰を下ろした。ハーレイと二人で座る椅子とテーブルが見える場所。
 ハーレイに貰った金柑の瓶が置いてあったテーブルが見える場所。
 金柑の瓶はキッチンに引っ越したけれど…。
(ぼく専用…)
 ハーレイのお母さんが作った金柑の甘煮。ハーレイのお父さんが届けてくれたという瓶。
 金色のまあるい実が幾つも詰まった素敵な瓶は、マーマレードと違って、ぼく専用。
 パパもママも絶対、食べやしないし、ぼくだけが食べる金柑の甘煮。
 だけど、金柑の甘煮には問題が一つ。
 入れてるシロップの濃さのせいなのか、それとも金柑がデリケートなのか。
 金柑の甘煮はマーマレードみたいに一年間も持たないらしいんだ。
 三月に最後の実を取った後は、夏になるまでに食べ切ってしまわないと駄目。傷むんだって。
(そこから今頃までってことは…)
 新しい実が熟し始める頃まで、かなり長い間、金柑は無し。
 金柑の甘煮は手に入らない。欲しいと思っても、届いてくれない。
 夏には風邪なんか、よっぽどでないと流石のぼくでも引かないけれど。
 それとこれとは別問題。風邪のお薬になるっていうのと、金柑の甘煮の存在は別。
 夏になる前にお別れしなくちゃいけない、ぼく専用の金柑の甘煮。
(大事にしないと…)
 一年中、いつでも会えるってわけじゃないんだから。
 味見に一個、って気軽に食べられる感じじゃない。そんな食べ方、もったいない。
 必要な時しか食べちゃいけない、って思っちゃう。
 期間限定、夏になるまでに「さよなら」が待ってる金柑だから…。



 明くる日もハーレイと楽しく過ごして、日曜日をうんと満喫した。
 パパとママも一緒の夕食の後も、ぼくの部屋でお茶を飲んだりして。
 「またな」って帰ってゆくハーレイを見送りに外へ出た時、風がちょっぴり冷たかったけど。
 夜中に強い風が庭の木や窓を鳴らしたりして、なんだか冷え込んで来たんだけれど。
(右の手…)
 冷えてメギドの夢を見ちゃったら困るものね、って右手にサポーターを着けて眠った。医療用の薄いサポーター。ハーレイに貰ったサポーター。
(ハーレイが握ってくれてるみたいだ…)
 右手がじんわり暖かい。ハーレイの手が握ってくれる時の強さで出来てるサポーターだから。
 これで安心、って油断した、ぼく。
 少し寒い、って思ってたくせに、右手がしっかり暖かかったから安心し切って眠ってしまった。
 厚めのパジャマに着替えたりもせずに、上掛けを追加したりもせずに。



 メギドの悪夢はサポーターのお蔭で襲って来なくて、朝は御機嫌で目が覚めた、ぼく。
 顔を洗って制服に着替えて、いつものように学校に行って…。
「クシャン!」
 授業中に口から飛び出したクシャミ。
 風邪かな、と思ったんだけど。
 そういえば昨夜は寒かったかも、と思い出したんだけれど。
(風邪の予防に…)
 効くんだぞ、ってハーレイが言ってた金柑。瓶に詰まった金柑の甘煮。
 帰ったらあれを食べてみようか、風邪を引く前に。
(でも、もったいない…)
 食べたら減ってしまうもの。
 一個食べたら、一個分、減る。二つ食べたなら、二つ分。
 食べた分だけ減っちゃう金柑。
 今はいいけど、夏が来る前に「さよなら」しなくちゃいけない金柑の甘煮。
 もったいなくって、食べられやしない。たった一回くらいのクシャミで。



 こんな程度じゃ食べないんだから、って決心した、ぼく。
 学校では二度とクシャミは出なくて、やっぱり風邪ではなかったみたい。
 家に居たなら、あそこで金柑を一個出して食べてしまっていたかも、と思うと学校で良かった。風邪でもないのに大事な金柑、食べちゃっていたらもったいないもの。
(ホントに学校でクシャミで良かった…!)
 家じゃなくってホントに良かった、と思ったのに。
 学校が終わって家に帰って、着替えた途端に立て続けにクシャミ。
(なんで?)
 今のクシャミはママにも聞こえていたかもしれない。風邪なんだろうか?
(金柑…)
 そう思った時、気が付いた。制服を脱いだら、ちょっぴり寒かったんだっけ。部屋の空気が。
 出掛けてる間に部屋が冷えてて、きっとそのせいで出たクシャミ。
 急に温度が下がったよ、って身体がビックリしちゃったんだ。
(うん、風邪じゃないよ)
 そういうクシャミが出る日もあるから。いきなり冷えたら、クシャンと出るから。
 だから金柑は食べなくていい。大事な金柑、食べずに残しておく方がいい…。



 食べないんだから、って階段を下りてダイニングに行った。ママのおやつが待ってる時間。
 そしたら、ママはぼくのクシャミを聞いてたみたいで。
「ブルー、ハーレイ先生の金柑、食べたら?」
 風邪に効くのよ、予防にもなるし…。引き始めだったら良く効くわよ?
「ううん、あれは風邪で出たクシャミじゃないから」
 制服を脱いだら部屋が冷えてて、それで出たクシャミ。だから金柑、要らないよ。
「そう? 寒かったんなら、身体をしっかり温めないとね」
 ママはホットミルクを作ってくれた。
 シナモンを入れてマヌカ多めで、いわゆるセキ・レイ・シロエ風。
 ハーレイに教えて貰って初めてママに頼んだ時には、お薬っぽい味がして困ったんだけど。今はマヌカの種類が変わって、お薬の味はしなくなった。少し癖があるだけの蜂蜜入りのミルク。
 マヌカも風邪にはいいって言うから、何かと言えばママが作ってくれる。
 シロエ風のホットミルクをお供におやつを食べて。
 それっきりクシャミもすっかり忘れていたんだけれど…。



(あれ…?)
 夜中にちょっぴり、喉に違和感。
 そんな気がして目が覚めた。
(喉…?)
 変な感じにくすぐったい。喉の奥がザラザラしている感じ。
 痛みは無くって、痒いとでも言えばいいのかな?
 やたらと唾を飲み込みたくなる、喉の入口から奥にかけての妙な感じが喉をくすぐる。こういう時には大抵の場合、数時間も経てば…。
(喉をやられて風邪を引いちゃう…)
 なんとかしなくちゃ、と思った、ぼく。
(金柑…)
 風邪に効くっていう、金柑の甘煮。
 キッチンに出掛けて一粒か二粒、それだけでかなり違うと思う。
 でも、夜中。
 せっかくの金柑を夜中になんて。初めて食べるのが夜中だなんて。
(キッチンだって真っ暗なんだよ…)
 明かりを点ければ昼と変わらない明るさになるけど、窓の外。庭が真っ暗。
(もったいないよ…)
 金色の金柑を食べるんだったら、お日様の光が射してる昼間。
 そうでなければ、パパやママの居る時がいい。あったかい雰囲気が漂う部屋が。
 こんな真っ暗な夜中にキッチンで独り、頬張るのはもったいなさすぎる。
(そんなの、嫌だよ…)
 ハーレイに貰った大事な金柑、ハーレイのお父さんとお母さんからぼくへの贈り物。
 うんと大切に、特別な時に食べなくっちゃ、と思ったから。
 夜中のキッチンで食べたくないな、と思ってしまって、そのまま眠りに捕まった、ぼく。起きてウガイさえしなかった、ぼく。



 朝、目が覚めたら風邪だった。
 身体が重くて喉も痛くて、疑いようもない風邪の症状。微熱だけれども、熱まであった。とても学校に行けるわけがなくて、休んじゃうことになった、ぼく。
(ハーレイに会えなくなっちゃった…)
 学校を休んだら、ハーレイに会えない。学校でハーレイに会えない一日。
 ハーレイの仕事が早く終われば、お見舞いに寄ってくれるだろうけど…。
(どうなっちゃうの…?)
 来てくれるかどうかは分からないハーレイ。
 きっとハーレイにだって分かりやしない。仕事が終わる時間にならなきゃ、分かりやしない…。



(金柑、食べておけば良かった…)
 夜中に変だと思った時に。
 もったいないだなんて思っていないで食べれば良かった、とベッドで丸くなっていたら。
「ブルー、これも食べておきなさい」
 お薬だけより早く治りそうよ、ってママが金柑を持って来てくれた。
 小さなお皿に乗っけて、三個。
 此処に置くわね、って、ぼくの枕元に。
(……金柑……)
 ママが部屋から出て行った後で、それを眺めて悲しくなった。
 ぼくが貰った贈り物。ぼくだけの金柑の甘煮の瓶。
 ぼくじゃなくって、ママが蓋を開けて最初の金柑を出しちゃったんだ。ぼくの瓶なのに。ぼくが貰った瓶だったのに…。
(また失敗…)
 自分で瓶さえ開けられなかった。胸を弾ませて開ける予定の金柑の瓶を。
 全部、自分が悪いんだけれど。
 もったいないから、って食べなかったぼくが悪いんだけれど…。



 すっかり手遅れ、開けられてしまった金柑の瓶。
 だけど中身はぼくだけの金柑の筈だから、って気を取り直して、寝たまま一粒口に入れてみた。
 ママが刺しておいてくれた爪楊枝で運んで、口の中へ。
 甘いけれども、ほろ苦い味。夏ミカンのマーマレードの味に何処となく似てる。
(…甘いんだけど…)
 金柑の風味なんだろう。ほんの少しの、この苦味は。
 苦味が風邪に効くんだろうか、それとも甘みの方なんだろうか。
 痛い筈の喉を優しくスルリと滑り落ちてゆく、金柑の味。金柑の甘煮。
 熱っぽいのも、喉の痛みも引いてゆきそうな気がするけれど…。



(ベッドに寝たまま金柑だなんて…)
 こんな状態で初めての金柑。ハーレイに貰った大事な金柑。
 なんだか情けなくって悔しい。
 風邪でやられた喉で味わうのが、最初の金柑になっちゃったなんて。
(ハーレイのお母さんの金柑なのに…)
 ぼくのために、ってプレゼントしてくれたのに。
 ハーレイのお母さんが作った甘煮を、ハーレイのお父さんが届けてくれたと聞いたのに。
(ぼくって馬鹿だ…)
 ポロリと涙が零れてしまった。
 今日はハーレイの授業は無いけど、ハーレイはきっと知ってるだろう。
 ぼくが休んだと、風邪なんだと。ハーレイはぼくの守り役だから。



(金柑は効かなかったのか、って思っていそう…)
 ハーレイをガッカリさせてしまったかも、って涙がポロポロ零れて落ちた。
 貰ったお薬を、風邪の予防にもなる金柑の実を無駄にした、ぼく。
 大事にしなくちゃ、と思うあまりに食べるタイミングを逃した、ぼく。
 もっと早くに食べれば良かった。ベッドで初めて食べるよりかは、よっぽどマシ。大切な金柑の瓶をママに開けられてしまった結末よりもマシで、遥かにマシ。
 予防に食べるくらいで良かった。昨日のおやつの時に食べれば良かったんだ。
(そしたら瓶だって、自分で開けて…)
 蓋が固すぎて開けられなかったかもしれないけれど。
 ママに頼むことになっていたかもしれないけれども、自分で挑戦したんだったら、それでいい。力不足で開かなかっただけ、自分で開けられなかっただけ。
 ぼくがベッドで寝ている間にママが開けるのとは全然違う。目の前で開けて貰うんだから。
(ぼくのバカ…)
 欲張って失敗しちゃった、ぼく。
 金柑の甘煮を大事にし過ぎて、食べるタイミングも開けるチャンスも逃してしまった。
 だけど後悔先に立たずで、風邪の薬になる金柑の甘煮はお昼にも三個、ママが持って来た。あの瓶から出して、お皿に乗っけて、爪楊枝を刺して。
 朝とお昼とで六個も食べてしまった金柑。
 それが効いたのか、喉はマシになって来たけれど…。随分と楽になったんだけれど。
 やっぱり自分は馬鹿だと思う。
 もっと早くに食べていたなら、半分の三個で風邪を防げたかもしれないのに…。



 ぼくがしょげていたら、夕方、ハーレイが仕事の帰りに来てくれて。
 部屋に入るなり、第一声がこれだった。
「お前、やっぱり欲張ったな?」
 おふくろの金柑、食わずに残しておいたんだってな?
 お母さんに聞いたぞ、昨日にクシャミを連発したのに食わなかった、と。
 早めに食えって言っただろうが。
 朝からきちんと食ってるんなら、喉もいつもよりマシになるのが早い筈だと思うがな?
「そうだけど…。だけど金柑、六個も減ったよ…」
 朝に三個で、お昼も三個。喉は楽にはなって来たけど、金柑、六個も減っちゃった…。
「瓶にはまだまだある筈だぞ? 第一、早めに食っていたなら、もう少しだな…」
 治りも早いと言うもんだ。休むトコまで行っちまったから、もっと食わんといけないが…。
 引き始めだったら、六個も食ってりゃ酷くならずに済んだんじゃないか?
 予防にも食えと言っといたのに…。
「もったいないよ、って思ったから…」
 最初の金柑の瓶なんでしょ?
 予防に食べたら、アッと言う間に無くなりそうだよ…。
「これからが金柑のシーズンなんだと言っただろうが」
 次から次へと黄色くなるんだ、じきに全部が黄色い実になる。
 そいつを親父とおふくろが採って、おふくろが甘煮を作るってわけだ。ドッサリとな。



 いくらでも届けて貰えるから、ってハーレイは言った。
 夏ミカンのマーマレードと違って、ご近所さんには配っていない、って。
「トーストに塗ったり、ちょいと料理に使ったり、ってわけにはいかないからなあ、金柑」
 貰っちまっても持て余すだろうが、好きで食おうって人は別だが。
 しかし金柑の実はドッサリ実るし、実を採らないで放っておいたら次の年には実らなくなる。
 そんなことをしたら木が可哀相だろ、せっかく実をつけてくれたのにな?
 だから親父たちはせっせと採ってだ、おふくろが端から甘煮にしてる。
 毎年、ドカンと出来るからなあ、風邪を引いた人にはプレゼントするが…。欲しいという人にも分けているんだが、最終的には余っちまってケーキになったりしてるんだ。
 金柑の甘煮が入ったパウンドケーキとか、金柑たっぷりのタルトだとかな。
 いいか、余ればケーキやタルトになっちまうんだぞ?
 もったいないなんて考えてないで、どんどん食っとけ。
 お前が毎日食い続けたとしても、一冬分くらいは充分あるから。



 風邪を引きそうだと思ったら食え、って言われて、また涙が出た。
 ハーレイのお父さんたちが暮らす家で実った金柑の甘煮を、ぼくだけ、特別。
 ご近所さんにも配ってないのに、ぼくだけ、特別…。
「おいおい、毎年、余ってるんだぞ、食い切れないほど」
 最後はケーキやタルトに化けてしまうと言った筈だが?
「でも、特別…」
 風邪を引く前から分けて貰えるのはぼくだけなんでしょ?
 頼んでないのに、風邪なんか引いてもいない内から。
「まあな。俺の未来の嫁さんだしな?」
 親父もおふくろも、お前には元気でいて欲しいのさ。風邪を引かずに元気に、ってな。
 そのために親父が金柑を届けに来たんだ、今年一番最初の分を。
 お前のお母さんには「おふくろの手作りで風邪の薬になりますから」としか言ってないがな。
 守り役でキャプテン・ハーレイですから、これくらいは当然の務めです、ってな。
 いいな、金柑、しっかり食えよ?
 おふくろは次から次へと作るし、親父もせっせと届けにやって来る筈だからな。
 チビで弱いお前が風邪を引かないよう、引いても早めに治るようにな。



 それじゃスープを作ってくる、って出てったハーレイ。
 ぼくが寝込んだ時の特別なスープ、野菜スープのシャングリラ風を。
 「喉が大丈夫なら風邪引きスペシャルにはしなくていいな」って。
 何種類もの野菜を細かく刻んで、基本の調味料だけでコトコト煮込んだ優しいスープ。
 卵を落として、とろみもつけた風邪引きスペシャルではないらしいけれど。
(ハーレイのスープ…)
 野菜スープのシャングリラ風を乗っけたトレイの脇には、きっと。
 また金柑の甘煮が三個、しっかりくっついてくるんだろう。
 「こいつも食って早く治せよ」って。
 そうやって部屋に運ばれて来たなら、ハーレイに頼んで食べさせて貰おうか、金柑の甘煮。
 爪楊枝で刺して、「ほら」って、口に。
(うん、いいかも…)
 食べさせて貰ったら、きっと美味しい。何倍も、何百倍も美味しい。
 冬に向かって、ちょっぴり特別、金柑の甘煮。
 ほんの少しだけ苦いけれども、ぼく専用の甘い素敵な風邪薬…。




         金柑・了

※ブルーが貰った、金柑の甘煮。マーマレードと違って、ブルーだけのための贈り物。
 大事にし過ぎて逃してしまった、食べるタイミング。次からは早めに食べるべきですね。
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