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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

眠るための薬

(今じゃすっかりハーブティーだな…)
 ラベンダーにカモミールか、とハーレイは新聞に載っている広告を眺めて苦笑した。
 今日はブルーの家に寄り損ねたから、家で一人で食べた夕食。料理は好きだし、長いこと一人で暮らしていたから寂しい気持ちはさほど無い。
 こんな日もあるさ、と食料品店で目に付いた品を買い込み、一人にしては豪華な食卓。幾つもの皿を並べて気分は豊かに、食べ終わったら片付けを済ませてコーヒーを。
 愛用の大きなマグカップにたっぷりと淹れたコーヒー、それを片手に広げた新聞。ニュースにも目を通したけれども、その下にカラーで刷られていた広告。
(オレンジブロッサムにパッションフラワーなあ…)
 ふと目に留まった、眠りにくい夜のためのハーブティー。
 カモミールとラベンダーは馴染み深い名だが、他にも色々。ブレンドされたものもある。好みで選んでお飲み下さい、というコンセプト。
 ハーブティーだけに薬局でも買えるし、食料品店でも置いているから誰でも気軽に好みの一杯。
 小分けにされたティーバッグもあれば、ハーブをそのまま詰めてある缶も。



(眠れない夜にはハーブティーか…)
 これでは飲み過ぎて死んでしまう前に心地良い眠りに誘われてしまうことだろう。致死量などはとても飲めなくて、代わりに朝までぐっすりの眠り。
(それにハーブティーに致死量なんぞがあるのかどうか…)
 成分によっては危険なものもあるかもしれない。けれども、相手はハーブティー。致死量に至るほど飲もうとしたなら、胃の許容量を確実に超える。飲み切れるような量では死ぬわけもない。
(それに、そこまで飲もうっていう前に眠っちまうしな)
 恐らくは小さな欠伸を幾つか、その内に眠気。そうして気付けば夢の世界で、知らぬ間に翌朝。
 自然な眠りをもたらすためのハーブティーだし、致死量も何もあったものではないわけで。



(ああいう薬は要らない時代になっちまったか…)
 神経が逆立ち、眠れない夜のための睡眠薬。
 前の自分が生きていた頃は、そうした薬が薬局で売られていた筈だ。でなければ医師が処方するもの、病院で貰って帰るもの。
 シャングリラに薬局は無かったけれども、ドクター・ノルディが扱っていた。眠れないと訴える患者に合わせて、必要な量を。不測の事態が起こらないよう、薬そのものも厳重に管理。
 それが今では、ハーブティーが一杯あれば眠れる時代。
 ベッドに入る前に好みのハーブティーを一杯、それだけで気持ち良く眠れてしまう。
(ただなあ…。眠れるっていうだけだしなあ…)
 朝までぐっすりが売りだけれども、あくまで眠れない夜のためのもの。
 小さなブルーをたまに苛むメギドの悪夢を防げはしない。ブルーは眠っているのだから。眠って夢を見ているのだから、ハーブティーではどうにもならない。
(夢を見た後に怖くて眠れない、って時には効きそうなんだが…)
 如何せん、ブルーが悪夢にうなされて目覚めるのは夜中。
 小さなブルーはわざわざ階下に下りて行ってまでハーブティーを飲みはしないだろう。ただでも外は暗いのだから、そんな夜中に独りで湯を沸かし、ハーブティーを淹れたくはないだろう。
(部屋に置いておくっていうのもなあ…)
 熱い湯を満たしたポットとハーブティーとを部屋に置いておけば、夜中でも飲める。キッチンに行かずとも飲めるのだけれど、そんなことをすれば却って悪夢を呼びそうだ。悪夢への備えをしたばかりに。用意を整えておいたばかりに。



(…駄目だな、あいつにハーブティーはな)
 勧めるのはやめておこうと思う。ブルーも新聞は好きな方だし、広告にも気付いているだろう。欲しいと思えば母に強請って、きっと自分で手に入れる。
(しかし、あいつはチビなんだし…)
 大人と違って、そうそう眠れなくなったりはしない。神経が逆立つことはあっても、直ぐに他の何かで覆い隠されて忘れてしまう。今のブルーは十四歳の子供に過ぎないから。
(ハーブティーが要るなら俺の方だな)
 買いはしないが、と棚を眺めた。其処に並べたコレクション。
(俺にはあっちが似合いだってな)
 ハーブティーを買おうと思わない多くの男性と同じく、自分には酒。
 たまに前の自分の悲しい記憶に捕まってしまい、眠れないままに杯を重ねはするけれど。普段は寝付けない時にはこれだ、と軽く呷ってベッドに入れば深い眠りが訪れる。



(睡眠薬なんて名前を聞かない時代になっちまったなあ…)
 前の自分が生きたSD体制が敷かれた時代と違って、管理社会ではなくなった。人は皆ミュウになってしまい、たまに諍いが起こったとしても、思念に切り替えて話し合いをすればほぼ解決。
 人間関係の深い悩みは無くなり、医学の進歩で苦痛もすっかり軽減された。
 そういう世界に睡眠薬など要りはしなくて、眠れない夜にはハーブティー。自分好みのハーブを選んで淹れて一杯、でなければ酒。
 睡眠薬は今でも病院に行けばあるのだろうか?
 少なくとも薬局では全く見かけない時代、名前自体を聞かない時代。
 眠れないと言えばハーブティーを勧められるのが常、子供でも飲めて安全そのもの。
 扱いを間違えれば死に至ることもある睡眠薬のような物騒な薬は見かけない。処方して貰ったという人に出会ったこともない。
 ハーブティーだけで事足りる世界、カモミールやラベンダーなどを淹れて飲むだけで。



(前の俺は持っていたんだが…)
 今は名前すら耳に入らない睡眠薬を。
 前の自分は引き出しに隠し持っていた。愛用していた木で出来た机、その引き出しの奥に。
(文字通り隠し持つってヤツだな)
 管理していたドクター・ノルディの目をも誤魔化し、キャプテン権限で薬の残量のデータを書き換え、こっそりと。処方して貰った薬ではなく、密かに持ち出した睡眠薬。
 眠れなかったからではない。
 死ぬだけのために。
 自分の心臓を止めるためにだけ、致死量を超える睡眠薬を手に入れた。そして引き出しの奥へと隠した。誰にも気付かれないように。それを使う時まで知られぬようにと、奥の奥へと。



 前の自分が愛した恋人、ソルジャー・ブルー。
 かの人の葬儀をキャプテンとして取り仕切り、見送ったなら。
 愛してやまないブルーの魂を宇宙へ送り出したら、眠るように追って逝くつもりでいた。
 そのために持っていた睡眠薬。ブルーを送ったらそれを飲もうと、ブルーを追って旅立とうと。
(俺はそのつもりだったんだ…)
 ブルーとの約束を守るために。
 在りし日にブルーに誓った言葉を守って追い掛けるために。



 白いシャングリラの中、長い歳月を共に暮らして。
 死んでしまう、と泣き出したブルー。
 自分の身体はもう持たない、と。地球に着くまでは生きられないと。
(…あいつ、本当に子供みたいに泣いていたんだ…)
 ハーレイの広い胸に縋ってブルーは泣いた。恋人の腕の中、ただ泣きじゃくった。
 別れたくないと、離れたくないとブルーは泣いて。
 自分もまたブルーと同じ気持ちであったから。
(離れるだなんて、出来るわけがない…)
 ブルーの寿命が尽きるからといって、ただ見送るなど出来はしなくて。
 共に逝こう、とブルーに誓った。
 決してブルーを離しはしないと、命が尽きるなら自分も追ってゆくまでだと。
 そうして何処までも共にゆくのだと、離れはしないと幾度も誓った。
 ブルーが涙を零す度に。死んでしまうと泣きじゃくる度に。
 華奢な背を何度も撫でてやっては、口付けを交わしてはブルーに誓いを立て続けた。何処までも自分が共にゆくからと、離れることなど決してないから、と。



 ブルーを追うには自分の命を絶たねばならない。
 自分の最期が苦痛に満ちたものであったら、ブルーはきっと悲しむから。
 そうならないよう、睡眠薬を持ち出して隠した。眠りながら逝くならいいであろう、と。
(なのに…)
 ブルーは鼓動を止める代わりに長い眠りに就いてしまった。
 いつ目覚めるとも誰にも分からぬ、思念すらも感じ取れない眠り。
 追って逝こうにもブルーの肉体は生きているのだし、どれほどに辛い毎日だったか。行方不明の魂を追って死のうかとすら思ったほどに。
 それでも眠り続けるブルーに子守唄を歌い、いつか来る日を待ち続けた。
 ブルーの鼓動が止まってしまって、彼を見送る日が来るのを。彼の葬儀を終える日を。
 その日が来たら、と薬を持って生きていたのに。睡眠薬を引き出しの奥に隠していたのに…。



(あいつを失くしてしまったんだ…)
 ようやく目覚めてくれたブルーは、再会を喜ぶ時間さえも持てないままで宇宙に散った。
 メギドを沈めに飛んで行ってしまって、二度と帰っては来なかった。
 しかも、メギドへと飛び立つ直前。
 ジョミーを頼む、と言い残されて死ねなくなった。ブルーを追っては行けなくなった。
(あいつに言われちゃ、俺が死ぬわけにはいかないからな…)
 何度も立てた誓いがあっても、優先されるべきは遺言。ブルーが最後に残した言葉。
 ブルーが逝ってしまった時のために、と持ち続けていた薬には意味がなくなった。
 睡眠薬を飲み、ブルーを追ったら、彼の願いを叶えることが出来ないから。
 ジョミーを支えて生きねばならぬ、と唇を噛んで耐えるしかなかった。飲む筈だった引き出しの奥の薬を見詰めて、ブルーに何度も心で詫びた。
 今は行けないと、こうして薬は持っているけれど、今はまだ追っては行けないと。



 もしも薬を持っていたなら、発作的に飲んでしまうかもしれないから。
 ブルーの夢を見て飛び起きてしまった夜中などには追ってゆきたくてたまらないから。
 危険な薬は処分せねば、と涙ながらに宇宙に捨てた。
 夜勤の者以外はいない夜中に、宇宙へ繋がる細い管へと放り込んだ。キャプテンと一部の者しか知らないパスを打ち込み、暗い宇宙に通じる管を開け、薬を漆黒の世界へと撒いた。
 散らばってゆく薬は見えなかったけれど、展望室からその方角を眺めて泣いた。
 ブルーの名を呼び、いつか行くからと。
 いつかはブルーの側にゆくから、その日まで信じて待っていてくれと。



(もう一度、薬を手に入れるつもりだったんだが…)
 地球に辿り着いて、自分が要らなくなったなら。
 ブルーが遺した言葉を守って、ジョミーを支える役目を見事に果たしたなら。
 けれどその日は来なかった。
 睡眠薬の残量のデータを書き換え、盗み出す日は来なかった。それを飲む日も。
(死んじまったからな)
 死の星だった地球の地の底で、落ちて来る瓦礫に押し潰されて。
 何がどうなったのかも分からないまま、前の自分の命は其処で終わってしまった。直ぐ隣に居たブラウを咄嗟に庇ったけれども、死の瞬間には。
(これで行ける、と思ってたよなあ…)
 ブルーの許へと、メギドで独りで逝ってしまったブルーが待っている死の世界へと。



 そしてブルーとまた出会った。
 前の自分が死に際に思った死の世界ではなくて、青い地球の上で。
 アルタミラで初めて出会った時のような少年の姿のブルーに、十四歳のブルーに巡り会えた。
 すっかり子供になってしまったブルーだけれども、愛おしい。ただ愛おしくてたまらない。前のブルーよりも幼いけれども、生きて戻って来てくれたから。腕の中に帰って来てくれたから。
(あいつは知っていたんだろうか…)
 前のブルーは知っていたのだろうか、前の自分が薬を持っていたことを。机の引き出しの奥深く睡眠薬を隠して、それを飲む日を思い描いていたことを。
 ブルーが逝ったら、キャプテンとして葬儀を無事に済ませたら追って逝こうと。二度と目覚めぬ旅に出ようと薬を用意していたことを。
 そういえば話していないかもしれない。
 前のブルーに共に逝こうと誓ったけれども、そのための策を講じたことは。
(明日は土曜か…)
 訊いてみようか、小さなブルーに。
 薬のことを。
 前の自分が隠し持った末に、ブルーの名を呼び、暗い宇宙に捨てるしかなかった薬のことを。



 覚えておかねば、とハーブティーの広告を載せた新聞をダイニングのテーブルに置いて眠った。
 翌朝、見るなり思い出したから、もう大丈夫だとオムレツを焼いて、ソーセージも。コーヒーも飲んで腹ごしらえを済ませ、いい天気だからブルーの家まで歩いて出掛けた。
 道中、ハーブを育てている家の庭を見付けては頬を緩めながら。
 ハーブティーの元になるハーブが生えているなと、このハーブは何に使うのだったかと浮き立つ心で考えながら。
 今の時代は睡眠薬など要りはしなくて、眠れない夜にはハーブティー。
 けれどもハーブの使い道は多く、ラベンダーを植えているからといって住人が眠るためにそれを育てているとは限らない。カモミールもしかり。
 ローズマリーなら一番に浮かぶのが肉料理。小さなブルーの家の庭にも植わっていた。ブルーの母が作ったハーブガーデン、小さなブルーがローズマリーの小枝を使っておまじないもした。
(未来の結婚相手に会おうとしてたな、あいつ)
 そういうおまじないがあるのだ、と知って実践したブルー。
 傑作なことにキースと結婚する羽目に陥ってしまい、夢の話なのに当たり散らしていた。自分を助けに来てくれなかったと、結婚式場から攫う代わりに列席者の立場で祝福されたと。
 そんなブルーに会いにゆく。
 青い地球に生まれ変わったブルーに、幸せな時代に生まれたブルーに。



 物騒な睡眠薬は頭にあったけれども、あちこちに植わったハーブを探しながらの散歩道。終点は小さなブルーが両親と一緒に住んでいる家、緑の生垣に囲まれた家。冬でも葉を落とさない種類の木が植えてあるから、秋といえども艶やかな緑。
 門扉の脇にあるチャイムを鳴らすと、二階の窓からブルーが覗いて手を振った。手を振り返して待っている間に、ブルーの母が門扉を開けにやって来る。そうして二階へ案内されて…。



 ブルーの部屋で二人、お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで向かい合わせ。
 暫くは途中で見て来たハーブの話や、庭の花々の話などをして時を過ごして。やおら話題を切り替えた。前の自分が引き出しの奥深く、隠し持っていた睡眠薬へと。
「ブルー。俺が持っていた薬を知っているか?」
「ハーレイ、病気?」
 小さなブルーは目を丸くした。頑丈そうなのに何の病気かと、薬を飲まねばならないのかと。
「いや、前の俺だ。今の俺は薬なんぞは無縁だ」
「前のハーレイ?」
 病気だったの、前のぼくは聞いていないけど…。
 薬なんかを持っていたくらい、何処か具合が悪かったの?
「ということは、お前、知らないんだな。薬でピンと来ないってことは」
「何を?」
「前の俺が引き出しに持っていた薬だ」
 うんと沢山持ってたんだが、お前、どうやら知らないようだな。
「何の薬?」
 沢山だなんて、やっぱり病気?
 ハーレイ、元気なふりをしてただけで、いつもドクターに診て貰っていたの?



 何の薬かとブルーが問うから、睡眠薬だと答える代わりに持っていた錠剤の名前を告げた。
 これだ、と言えばブルーの顔色が変わる。
 前のブルーは豊富な知識を持っていたから、それが何かも分かったようで。
「なんのために持ってたの、それ」
 ハーレイ、沢山持ってたって言うけれど…。キャプテンの仕事で眠れなかった?
 飲んでいる所を見たことないけど、青の間でもコッソリ飲んでいたの?
「いいや。何のためか、ってことになったら、お前のためだな」
「えっ…?」
 どうしてぼくのために持ってたの、それを?
 ハーレイが持っておかなきゃいけないだなんて、そんなこと…。



 ぼくはきちんと眠れていたよ、とブルーが言うから。
 ハーレイが側に居てくれたお蔭でいつも眠れたと、そうでない時はドクターに薬を貰っていたと言うから。
 何故ハーレイが持っていたのか分からない、と不思議がるから。
「違う、お前に飲ませるための薬じゃないんだ」
 俺がお前を追って行くためだ、うんと沢山必要だろうが。
「ハーレイ、それって…」
 死んでしまうよ、そんな薬を沢山飲んだら。それを飲んでぼくを追い掛けるって…。
「そうさ、お前との約束だった。何処までも一緒だと誓っただろうが」
 お前が破ってしまったがな。
 ジョミーを頼む、と俺に言い残してアッサリと。
 お前だけ独りで逝ってしまって、俺には追うなと言うんだからな。



「ハーレイ…」
 小さなブルーの赤い瞳がゆらゆらと揺れた。今にも涙が零れ落ちそうな瞳の色。
 桜色の唇を小さく震わせ、ハーレイを見上げて尋ねてくる。
「…死ぬために薬を持っていたの?」
 前のぼくが死んだら追い掛けるために、ぼくと一緒に来てくれるために。
「ああ。俺が追い掛けて行ってやらんと、お前は独りぼっちだろうが」
 一緒に行ってやると誓った、何処までもな。
 前のお前が寿命が尽きると泣く度に何度も誓っただろうが、俺も一緒に逝くからと。
 直ぐには逝けんが、お前の葬儀を済ませたら逝こうと決めていた。
 俺が苦しんで死んだらお前はきっと悲しむだろうし、そのために睡眠薬だったんだ。眠ったまま二度と目覚めないなら、何も苦しみはしないだろうが。
 手に入れるために少し苦労したがな、キャプテン権限で薬の残量を書き換えるとかな。ついでにノルディがいない間にメディカルルームに忍び込むとか。
「そうなんだ…。ハーレイ、そこまで考えていてくれたのに…」
 ぼくを追おうとしてくれてたのに、ぼくはなんにも知らなくて…。
 ハーレイが薬を用意していたなんてことも知らずに、ぼくだけ勝手に死んじゃった…。
 それだけじゃなくて、ぼくはハーレイに…。
「仕方ないさ、知らなかったんならな」
 前の俺の覚悟を知らなかったんだから仕方ない。
 俺はお前に話さなかったし、お前も俺の心は読まない。
 気付かなくっても仕方なかったさ、俺が薬を用意していたことなんかはな。



「その薬…。知っていたら、ぼくはどうしただろう?」
 ハーレイが薬を持っていたこと、知っていたならどうしただろう?
「ん? 言えなかったか、ジョミーを頼むと」
 支えてやってくれと頼む度胸は無かったのか?
 俺がお前を追おうと薬を持っていたなら。使うつもりで持っていることを知っていたなら。
「言えなかった……かもしれない」
 だって言えないよ、生きろだなんて。
 ハーレイはぼくを追うつもりなのに。ぼくとの約束、守るつもりで薬まで用意してるのに。
「それでもお前は言ったんだろう? ジョミーを頼むと、俺に向かって」
 俺の方の気持ちは置いておいても、お前の方。
 どんなにお前が俺に追って来て欲しいと思っていたとしても、そうは言わずに。
 薬は使うなと、生きてジョミーを支えてくれと言ったんじゃないのか、ソルジャーとして?
「どうだろう…?」
 あの時はそう言って行ったけれども、ハーレイの覚悟を知っていたなら。
 ソルジャーとしての言葉は言えずに終わっていたかもしれない。
 ハーレイの腕に触れて、その温もりを最後まで持って行こうとしたのが前のぼくだよ?
 そのハーレイは死ぬ気なんだ、と知っていたなら、甘えていたかも…。
 誰もハーレイを引き留めないなら、必要だと泣いて縋らないなら追い掛けて来てと。
 そう言いたいのをグッと堪えて、もうそれだけで精一杯で。
 ジョミーを頼む、と言えたかどうかは分からないよ。
 だって、そう言ったら、ハーレイは決してぼくを追い掛けて来てはくれないんだものね…。



 分からない、とブルーは言ったけれども。
 前の自分が薬の存在を知っていたなら、追って来て欲しいと思ったのかも、と言ったけれども。
 それはもう遠く遥かな昔の話で、今の自分たちは生きているから。
 青い地球の上で巡り会って再び生きているから、小さなブルーはこう念を押した。
「ハーレイ、今度はそんな薬は無しだよ」
 変な薬は用意しないでよ、そんなの必要無いんだから。
「分かってるさ。今度こそ一緒に行くんだろ?」
 俺もお前も、二人一緒に。今度は絶対に離れないで。
「うん。ぼくたちが来た場所へ一緒に戻るんだよ」
 何処に居たのか分からないけれど、此処へ来る前に二人で居た場所。
 其処へハーレイと二人で帰って行くんだ、今の命が終わったら。
 二人一緒だから、薬は無し。
 先も後もなくて同時に命が終わるんだったら、薬なんかは要らないんだもの。
 だから薬は用意しちゃ駄目。そんな悲しい使い方の薬、絶対に用意しないでよね。



「うむ。薬は用意しないと約束するが、だ」
 俺の方が先だと思うがな?
 今度はお前よりも年上なんだし、俺の方が先に寿命が尽きると思うんだが…?
「言わないで! ぼくも一緒に行くから!」
 ハーレイが先だと言うんだったら、ぼくも一緒に連れて行ってよ。
 だけど薬とかを使うんじゃなくて、ホントに一緒。
 ハーレイの心臓が止まる時にはぼくの心臓も同時に止まって、二人一緒に死ねるのがいい。
 そのために心を結んでおいてよ、ぼくとハーレイとの心を一つに。
 ぼくのサイオンは不器用すぎるから、ハーレイにお願い。
 ぼくたちの心の何処かをきちんと結び合わせておいたら、きっと心臓も同時に止まるよ。
「そういう約束、したっけな。…俺とお前の心を結ぶという約束」
 結婚する時に結んでおくか、って言っておいたが、お前、覚えていたんだな。
 心を結ぶなんて方法、サイオンの一部を絡めておくしかないんだろうが…。
 それでいいのか、お前、本当に俺の命に引き摺られるぞ?
 俺の寿命が尽きちまった途端、お前まで死んでしまうんだがな?



「ぼく、本気だよ?」
 もしもハーレイが心を結んでくれないままで、ぼくよりも先に死んじゃったら。
 ぼくは追い掛けて直ぐに死ぬから、そっちの方が可哀相だと思わない?
 いくら直ぐでも、ハーレイが死んじゃって悲しい思いをするんだよ、ぼくは。
 そんなの嫌だし、独りで泣くよりハーレイと一緒。
 寿命が前より短くっても、ハーレイと一緒がいいんだよ。
「そうだろうな」
 お前だったらそうなんだろうな、独りで残って生きていたって仕方がないと言うんだろうな。
 せっかく地球に生まれて来たのに、そいつもアッサリ捨てちまうんだ。
 俺がいなけりゃ意味が無いんだと、地球なんかはもうどうでもいいと。
「ハーレイ、分かっているじゃない」
 それなら、ぼくが薬を用意しなくていいようにしてね、ちゃんと一緒に死ねるように。
 ハーレイが心を結んでくれなきゃ、ぼくは薬を飲むしかないし…。
 泣きながら薬を飲むのは嫌だよ、ハーレイと一緒に行くんだよ。
 もうちょっとくらい生きたかったな、なんて言いはしないから、何処までも一緒。
 ぼくに薬を用意させないでよ、約束だよ?



「そこまで言われちゃ、俺も約束を破るわけにはいかないな」
 前のお前には破られちまったが、だからと言って仕返しに約束を破りはしないさ。
 結婚したなら、お前の望み通りに心を結ぼう。二人で一緒に死ねる仕掛けをしておこう。
 お前が薬を用意しなくても済むように。
 泣きながら独りで飲む羽目になってしまわないように。
 だがな…。今じゃああいう薬は無いぞ。少なくとも普通の病院で貰えるものではないな。
「そうなの? 前のぼくたちの頃でもノルディが管理していたけれど…」
 もっと管理が厳しくなったの、病院で頼んでも貰えないの?
「そうじゃなくてだ、眠れないなら薬の代わりにハーブティーらしい」
 お前みたいなチビが飲んでも安心設計の薬だな。
 いや、ハーブティーだから飲み物か…。
 とにかく色々な種類があってだ、そいつを好みで選んで飲んだら眠れる時代だ。睡眠薬みたいに激しい効き方はしないんだろうな、自然な眠りが売りらしいしな。
 俺はそいつを飲んだことはないが、朝までぐっすり眠れるらしいぞ。
「へえ…!」
 薬じゃなくってハーブティーなんだ、ハーブは元々、薬だったと言うものね。
 ハーブティーを飲むだけでしっかり眠れるんなら、危険な薬はもう要らないよね…。



 それだと何杯必要なの、とブルーが訊くから。
 眠るためのハーブティーの飲み過ぎで死ぬような事故が起こるとしたらどのくらいなの、と興味津々で訊いてくるから。
「前の俺が持っていた薬の量に匹敵するほどの致死量のことか?」
「そうだよ、飲み過ぎで死んじゃうこともあるのかなあ、って」
 ハーブも元はお薬なんでしょ、どうなのかな、と思ったんだよ。
「うーむ…。俺もそれほど詳しくはないが、前の俺がハーブティーを飲んで、前のお前を追い掛けようと考えたならば…」
 死ぬよりも先に眠っちまうことだけは間違いないな。
 なにしろ効き目が自然な上に、何十杯と飲んだくらいじゃ死なないだろうし…。
 飲み過ぎて腹がふくれて来たから一休みだ、と思った途端に寝てるんじゃないか?
 そりゃあ盛大にイビキでもかいて、目覚めた時には朝になってて振り出しに戻るというヤツだ。
「ふふっ、死ねないんだ。ハーブティーだと」
 眠れないって言っても、今の時代は死ねないようなハーブティーしか無いんだね。
 うんと平和な時代なんだね、死ぬための薬が見付からないほど。
「うむ。今はそういう世の中らしい」
 前の俺が必死に探し回っても、薬は何処にも無いってな。
 ついでにお前を追って逝こうと頑張らなくても、お前は帰って来たんだからな。



 いい時代だな、とハーレイは笑う。
 前の自分が持っていた薬は使えないままで捨てるより他に無かったけれども、追えなかった筈のブルーと一緒に青い地球まで来られたから。
 生きて再び、地球の上で巡り会えたから。
 そして今度は置いて逝くことも、置いて逝かれることもしないで二人一緒に。
 この地球の上で幸せに生きて、いつか二人で一緒に旅立つ。
 生まれ変わる前に二人で暮らしていたのであろう、二人きりで幸せに過ごせる場所へと。
 其処へ還ってゆくためにと。
 前の自分が用意していた睡眠薬などはもう要らない。
 眠りたいならハーブティー。
 そんな穏やかな世界でブルーと生きよう。いつか二人で旅立つ日まで…。




            眠るための薬・了

※前のハーレイが用意していた睡眠薬。いつかブルーを追ってゆくために、と。
 それを捨てるしかなかった運命。今のブルーとは、命が終わる時も、その後も一緒です。
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 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv







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