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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

イビキ

(ハーレイが来る日…!)
 土曜日の朝、ちょっぴり早めに目が覚めたぼく。
 ハーレイが来てくれる日なんだ、と思った途端にパチリと冴えた目、起きていそいそ顔を洗って着替えも済ませて、ママが朝御飯の支度をしているキッチンへ。
 ダイニングのテーブルにサラダとかの用意は出来ていたけど、誰も座っていなかったから。
 今日はまだ起きていなかったパパ。大抵の朝は起きて新聞を読んでいるのに。
 キッチンのママは後は卵やソーセージを焼くだけ、って準備万端だから。
「ママ。パパがまだ来ていないけど…。起こしてくる?」
「そうね。その内、起きてくるとは思うけど…」
 もう起きてるかもしれないけれども、行きたいんなら行ってらっしゃい。
「はーい!」
 起こしてくるね、と駆け出した。
 パパは放っておいても起きるんだけれど、たまには起こしてみたいから。



 二階に上がって、寝室の中を覗いてみたら。
 よく寝てる、パパ。
 昨夜は遅くまで起きてたのかな、枕元に開いたままの本。あと少し、って所で挫折したみたい。最後まで読みたくて頑張った気持ちはよく分かる。推理小説なんだもの。
(こういうのって、一気に読んじゃいたいものね)
 クライマックスに差し掛かっちゃったら、一休みなんかしたくない。そうなる前に栞を挟めば、続きは次の日、って思えるけれど。パパはタイミングを逃したんだな、って可笑しくなった。
「パパ?」
 起きて、って声を掛けたら、パパの身体がゴソッと動いて。
「ぐおーっ!」
 いきなり飛び出した、大きなイビキ。さっきまでイビキは無かったのに。
 きっと起きると思ってただけに、ビックリしちゃった、パパのイビキ。
(えーっと…)
 ぐおーっ、ってイビキは止まらない。こういう時には鼻をつまんで…、とつまんでやった。
 プスッって止まった大きなイビキ。面白いほどピタリと止まった。



(静かになった…)
 でも、起きて貰わなくっちゃいけないから。
 枕元の目覚まし時計がもうすぐ鳴るけど、せっかく起こしに来たんだから。
 目覚まし時計は鳴らないようにと止めてしまって、パパの肩を揺さぶることにした。パパ、って何度か揺するとパパは目を覚まして。
「うーん…。なんだ、ブルーか」
 おはよう、ブルー。起こした御褒美、欲しいのか?
「ううん、来ただけ」
 早く目が覚めたから、ちょっと起こしてみようと思って…。ホントにそれだけ。
 御褒美なんかは要らないよ、パパ。
 じゃあね、って部屋を出て、ダイニングに行こうと階段を下りた。
 パパの御褒美は朝御飯の追加。
(貰ってもあんまり…)
 嬉しいどころか却って迷惑、朝からそんなに食べられやしない。ぼくの胃袋、小さいんだもの。
 なのに…。



「ほら、ブルー。今朝の御褒美だ」
 起こしてくれたろ、パパが寝てたら。
 パパの分を分けてやるからな、ってソーセージが一本、ぼくのお皿にやって来た。オムレツしか載っていないお皿に、卵一個分のオムレツが精一杯のぼくのお皿に。
「これは御褒美じゃないってば!」
 ぼくはトーストとオムレツがあれば充分なんだよ、それとミルクと!
 ソーセージが増えたら、サラダが入らないんだけれど!
「こらこら、御褒美を断っていたら、次から御褒美、貰えなくなるぞ?」
 それに食べないと大きくなれないじゃないか。ミルクだけでは背も伸びないしな。
 朝から沢山食べるのがいいんだ、お前の食事は少なすぎだ。
「うー…」
 ホントのホントに、これだとぼくには多すぎるのに!
 酷いよ、パパ!
「御褒美、足りなかったのか?」
 もっと欲しいか、それじゃソーセージをもう一本だ。
 ママ、ソーセージの追加を頼む。ブルーに二本も譲ったからなあ、あと三本焼いてくれるかな。
 こいつは美味いし、多めに食べたい気分なんだ。
(パパ、もっと食べるの…?)
 ぼくに譲った分だけ足すなら分かるんだけれど、追加に一本。
 それだけ沢山食べられるパパに文句を言ったら、ソーセージはもっと増えそうだから。ううん、ソーセージどころかサラダも大盛りにされちゃいそうだし、諦めるしか…。



 御褒美を断り損なった、ぼく。
 いつもは食べないソーセージが二本、一本でも多いのに二本もお皿に載せられちゃった。
 なんとか頑張って食べたけれども、朝御飯でもうお腹が一杯。
(消化を早くするには、運動…)
 だけど走ったり出来やしないし、ぼくに出来るのは部屋の掃除くらい。それでお腹が減るわけがない。模様替えでもしようって勢いでやれば、お腹も空くかもしれないけれど。
(…もうすぐハーレイが来てくれるのに…)
 掃除がすっかり終わっちゃっても、少しも減ってくれないお腹。満杯になった胃袋の中身。
 こんな日にお土産があったら悲劇。
 ハーレイがぼくにくれるお土産、今の所は食べ物限定なんだから。
 ママのお菓子はお腹に空きが出来てくるまで待ってくれるけど、お土産の方はそうはいかない。
(…時間が経っても食べられるものならいいんだけれど…)
 出来立てが美味しい食べ物だとか、温め直して熱々だとか。そんなのは困る。とっても困る。
 ぼくの胃袋、言うことを聞いてくれないから。まだスペースが空いてないから。
(ハーレイがお土産を持って来ませんように…)
 神様にそうお祈りをした。普段だったらお土産が欲しいとお願いするのに、まるで逆のことを。



 少しでもお腹が減りますように、と椅子から立ったり、座ったり。
 これも運動には違いないし、と椅子から椅子へも移動した。ハーレイと座る窓辺の椅子と、勉強机の椅子との間を。
 そうしている間にチャイムが鳴って、窓に駆け寄ってみたんだけれど。
 生垣の向こう、門扉の所で手を振るハーレイの手にお土産と分かる荷物は無かった。
(良かった、なんにも持ってないみたい…)
 だけど油断は出来ないから。荷物の中からヒョイと取り出す可能性だってゼロではないから。
 ハーレイが部屋に来てくれて、テーブルの上にママが置いてったお菓子。
 ママが焼いたと分かるお菓子が出て来て、ホッと一安心。



 ぼくはよっぽどお菓子のお皿を気にしてるように見えたんだろう。向かい側に座ったハーレイがお菓子を指差して、訊いた。
「どうかしたのか、今日の菓子が?」
 大好物だ、と喜んでるようでもなさそうなんだが、この菓子は何か特別なのか?
「そうじゃなくって…。ママのお菓子で良かったな、って」
 ハーレイのお土産のお菓子だったらどうしよう、って凄く心配だったから…。
「何故だ?」
 お前、土産は大好きだろうが。たまに持って来たら、尻尾を振らんばかりだが?
 おやつを貰った子犬みたいにパタパタ、パタパタ、振ってる尻尾が見えるようだがな?
「だって、御褒美…」
 パパに御褒美を貰っちゃったんだよ、朝御飯の時にソーセージを余分にドッカンと!
 ぼくのお皿に載せて来たから、ぼく、要らないって断ったのに…。
 そしたら「足りないのか」って追加が来たんだ、ソーセージを二本も食べたんだよ!



 お菓子なんてとても入らない、と嘆いた、ぼく。
 ソーセージは一本でもお腹が一杯になるのに、それが二本も来たんだから、と。
「ははっ、起こした御褒美か!」
 お前がお父さんを起こした時には、そういう御褒美が出るんだな?
「うん…」
 運が良かったら断れるけれど、大抵は駄目。パパは御褒美、くれるんだよ。
 あんな御褒美、貰っても嬉しくないんだけどな…。
「ふうむ…。だったら、俺もその手でいくかな」
「何の話?」
「お前と結婚した後さ」
 俺が起こして貰った朝には、お前に御褒美をやることにしよう。
 俺の皿からソーセージだとか、オムレツだとか。お前のお父さんを見習ってな。



 ぼくが少ししか食べない日が続いたなら、狸寝入りをして御褒美だって。
 ハーレイを起こしたぼくに御褒美、ぼくのパパみたいに朝御飯の追加。
「酷い…!」
 なんでそういう御褒美になるわけ、おまけに狸寝入りだなんて…!
「酷いだと? そこは嬉しいの間違いだろ?」
 御褒美はもれなく俺の手作りだからな、って言われれば、そう。
 ハーレイが作る朝御飯。一度だけ御馳走になったことがある、あの朝御飯。
(…メギドの夢を見ちゃった時だよ…)
 怖くて泣きながら眠ってしまって、朝、気が付いたらハーレイの家で。
 朝御飯を作って貰って食べた後、車で家まで送って貰った。あの幸せな朝は忘れられない。
 ハーレイと食べた朝御飯。ハーレイが作ってくれたオムレツ。
 結婚して一緒に暮らしてるんなら、朝御飯の中身もきっと色々、ハーレイが作る朝御飯。ぼくのお皿に「御褒美だ」って載せられるものだって、きっと色々。
 ハーレイは料理が好きだと言うから、貰える御褒美も朝御飯にしては凝っているかも…。
「…いいかも…」
 思わずポロリと零した言葉に、ハーレイが「な?」と笑顔になった。
 うんと美味しい御褒美をやるから、頑張って俺を起こすんだぞ、って。



(…ハーレイの御褒美…)
 お腹は一杯になるだろうけれど、素敵かも、って考えた所で気が付いた。
 ハーレイがするのは狸寝入り。つまり、ハーレイはとっくに起きているってことで。
(ぼくより寝坊はしないわけ?)
 いくら御褒美を食べさせるためでも、そのためだけに早起きってことはないだろう。元から早く起きる習慣があって、目は覚めてるのに狸寝入り。
(柔道とかだと、朝練、あるしね…)
 今の生活でついた癖なのかな、と最初は思った。柔道と水泳が大好きな今のハーレイだから。
 でも…。
 そういえば、前のぼくたちが生きていた頃も…。
(ハーレイ、いつだって先に起きてた!)
 本物の恋人同士になって、青の間やハーレイの部屋で同じベッドで眠ったけれど。
 ハーレイはいつも、ぼくよりも先に起きていた。目を覚ましていた。
 イビキなんか聞いた覚えが無い。
 鼻をつまんでイビキを止めたことも、うるさかったことも、ただの一度も。
 目覚まし時計はあったけれども、それよりも早く起きたハーレイ。
 そんな時計は要らないとばかりに、止められたアラームは部屋に響きはしなかった。



(なんで…?)
 やたらと早起きだったハーレイ。
 前のハーレイの頃から早起きだなんて、どうしてなのか分からない。今のハーレイなら朝早くに起きて練習ってこともあっただろうけど、前のハーレイには朝練なんて無かったのに。
(…早起きしなくちゃいけない理由が見付からないよ?)
 目覚まし時計はあったんだから。それが鳴るよりも前に起きる必要は無いんだから。
(運動部だったら、先輩よりも早く起きなきゃ叱られるってこともありそうだけど…)
 シャングリラならば、ハーレイがキャプテンだった頃なら、誰もハーレイを叱りはしない。時間厳守は大切だけれど、そのためにあった目覚まし時計。
(あれが鳴ったら、ハーレイの仕事の準備に取り掛かる時間…)
 前のぼくとの恋人同士の時間は終わりで、キャプテンの貌になる時間。
 もっとも、本当は終わりじゃなかったけれど。
 ソルジャーへの朝の報告っていう建前で、二人一緒に朝御飯を食べていたんだけれど。
 とはいえ、ハーレイはキャプテンの制服をカッチリと着込んでマントもつけてた。ソルジャーのぼくも服とマントを着けるわけだし、着替えのための時間が必要。それに合わせて目覚まし時計。
(あの目覚ましが鳴ってから起きても、充分に…)
 時間の余裕はあった筈。
 それなのに早起きをしていたハーレイ。目覚ましよりも、前のぼくよりも早く。



 不思議だったから、ハーレイに訊いた。
 前のぼくよりも先に起きていたのはどうしてなの、って。
「目覚まし時計が鳴ってからでも良かったのに…。どうしてあんなに早かったの?」
 起きて、目覚まし時計を止めて。
 ぼくが起きなきゃ、目覚まし時計の代わりにぼくを起こしていたよね、どうしてなの?
「それはまあ…。キャプテンだったからな?」
 船じゃ朝一番に起きるモンだろ、夜勤のヤツらとの引き継ぎってヤツも必要だしな。
 いくらブリッジのヤツらが先に済ませていると言っても、キャプテンがベッドの中ではなあ…。
「そういうものなの?」
 他の仲間に悪いから、って早起きしてた?
 ブリッジの人たちの朝の交代、時間はかなり早かったしね…。みんなとっくに起きているのに、って急いでいたわけ、前のハーレイ?
「それもあるがだ、寝坊してたら前のお前との関係だってバレちまうしな?」
 俺の部屋なら誰も来ないが、青の間はマズイ。お前と二人でベッドの中ってわけにはいかん。
 朝食係が来てただろうが。あれよりも早く起きないとな?
(…そうだ、朝御飯の係が来てたんだっけ…)
 前のぼくとハーレイ、二人分の朝御飯を青の間で仕上げて出すために。
 ウッカリ二人で眠ったままだと、朝食係はぼくを起こそうとしてベッド周りのカーテンを開けに来るだろうから、それは大変なことになる。ぼくの隣で寝ているハーレイ。
(それに二人とも…)
 寝間着なんか着てはいなかったんだし、どういう仲かも即座にバレる。
 そういったことを防ぐためには、ハーレイが起きてベッドを出るのが一番だけれど。



(だけど…)
 ホントにそれだけの理由で早起きだったんだろうか、ハーレイは?
 よく考えてみれば、夜中にだって…。
(うん、ハーレイは夜中も起きてた…)
 夜通し起きていたわけがないのに、ぼくが起きた時はハーレイも必ず起きていた。
 前のぼくがたまに見ていた、アルタミラの夢。
 まるでメギドの悪夢みたいに、現実だとしか思えなかった恐ろしすぎる人体実験の夢。あるいは檻に独りぼっちで、周りに誰もいない夢。
 悲鳴を上げたわけじゃなくても、飛び起きたらハーレイが起きてくれてた。
 あの夢の方が現実なのかと、今の日々は夢に過ぎないのかと怯えるぼくを抱き締めてくれた。
 力強い腕で、広い胸の中に。温かくて逞しい胸の中に。
 そう、いつだって。
 いつ目覚めてもハーレイの腕が、胸があったから怖くなかった。
 「大丈夫ですよ」と、「私が側にいますよ」と。
 夜中でも起きてくれてたハーレイ。ぼくよりも先に起きてたハーレイ。
 あれはキャプテンだからって理由じゃ片付かない。きっと他にも何かある筈。



「ハーレイ、夜中もぼくより先に起きてなかった?」
 前のぼくが怖い夢を見て飛び起きた時は、ハーレイ、必ず起きてたよ?
 起きて、って、ぼくが起こさなくても、いつだって先に。
 どうしてああいうことが出来たの?
 寝ないで起きてたわけでもないのに、ぼくの悲鳴で起きたってわけでもなさそうなのに…。
「お前の心は分かるのさ」
 怖い夢に捕まってしまっているのも、その夢に苦しめられているのも。
 ただ、夢っていうヤツは一瞬の内に見るものだしな?
 俺が気付いて起きた時には、起こすまでもなくお前は勝手に目覚めちまったが…。
「前のぼくなら、心はいつでも遮蔽してたよ?」
 仲間に不安を与えないよう、ぼくの悩みや悲しみを零してしまわないように。
 眠っている時にもそうしていたから、ぼくの夢なんかが流れ出す筈が無いんだけれど…。
「それでもだ。それでこその恋人同士ってヤツだ」
 僅かな息の乱れや、鼓動の速さや。
 そういったもので気付いていたんだろうなあ、悪い夢を見てうなされていると。
 一度気付けば、眠りの中でも意識が一気に目覚めるってわけだ、起きなければと。
 だからお前よりも先に起きていたのさ、俺の方がな。



 実の所は普段もそうだ、とハーレイは言った。
 ぼくよりも先に目を覚ましたのは、ぼくの心が目覚める方へと向かっていたから。
 ぼくが起きた時に、直ぐに瞳を覗き込めるよう、「おはよう」と笑い掛けられるように先に目を覚まして待っていたと。自分が眠ったままでいたなら、ぼくが寂しい思いをするからと。
「お前を守ると誓っただろうが、前の俺もな」
 しかし、実際はそうもいかない。守られていたのは俺の方だった、お前の力に。
 だったら、お前が眠っている間くらいは守りたいじゃないか。
 お前自身ですらどうにもならない、捕まってしまう恐ろしい夢。
 それは夢だと、俺が此処に居ると前のお前に教えてやるのが恋人の役目ってモンだろう?
 前の俺はそのために起きていたのさ、お前よりも先に。
 そうでない日も先に起きた理由は、お前を寂しがらせないためだ。お前は一人じゃないってな。
 お前が眠っている間だけが、俺がお前を守ってやれる時間だったんだ。



 早起きの理由は前のお前を守るためだ、って言われちゃったけれど。
 じゃあ、今のぼくだとどうなるんだろう?
 前のぼくみたいに強くないけど、ハーレイはやっぱり、ぼくよりも先に起きるんだろうか?
 どうなるのかな、って尋ねてみたら。
「当然、起きるに決まってるだろう」
 お前よりも先だ、夜中も朝もな。先に起きて待つのが俺の役目だ。
「やっぱり恋人同士だから?」
 それでハーレイが先に起きるの、ぼくを守るために?
「もちろんだ。今度こそ守ると俺は言ったぞ」
 前の俺と違って、今度の俺は本当にお前を守れるんだからな。
 お前はサイオンも上手く使えないし、身体だって前と同じに弱い。そんなお前を守らんとな?
 ぐっすり寝こけてしまってるようじゃ、全く話にならないってな。



(そっか…。今度もハーレイ、ぼくよりも先に起きるんだ…)
 頼もしいな、と思ったけれど。とても嬉しいとも思ったんだけれど、ふと思い出した。
 今朝のパパのイビキ。「ぐおーっ」って響いた大きなイビキ。
 ハーレイが必ず、ぼくよりも先に起きるってことは…。
「それじゃ、ハーレイのイビキは聞けない?」
「はあ?」
 イビキって何だ、俺のイビキがどうかしたのか?
「ぼく、聞いたことがないんだよ。ハーレイのイビキ」
 いつだって先に起きていたから、ただの一度も。
 長い長い間、ずうっとハーレイと一緒に眠っていたのに。ハーレイの腕の中にいたのに…。

 ぼくは本当にハーレイのイビキを一度も聞くことが無かったから。
 聞いてみたいんだよ、ってハーレイに言った。
 パパのイビキを聞かなかったら、思い付きはしなかったかもしれないけれど。
 凄いイビキを、「ぐおーっ」と部屋に響いたイビキを聞いたばかりだから、聞きたくなった。
 前のぼくが知らない、ハーレイのイビキ。
 寝息さえも一度も聞きはしなかった、ハーレイのイビキ。



「ふうむ…。俺のイビキなあ…」
 そんなものを聞きたいだなんて、お前、ずいぶん変わった趣味だな。
「変わった趣味って…。恋人のことなら何でも知りたいと思わない?」
 それにハーレイ、ぼくよりも先に起きてばっかりだったから。
 イビキなんて夢にも思わなかったよ、どんなイビキをかいてるのかも。
 ハーレイ、イビキはかかないの?
 期待するだけ無駄なんだったら、別に聞かなくてもいいんだけれど…。イビキをかかないなら、どう頑張っても聞けないしね。
「自分のことだから、俺にはどうとも分からんが…」
 俺と一緒の部屋で寝たことのあるヤツらによるとだ、たまにかいてるらしいんだが…。
 どういう時にかいているのか、それはハッキリしないんだがな。
「それ、聞きたい!」
 ハーレイのイビキ、聞いてみたいよ、かいてるんなら!
「それはお前の自由だが…。俺のイビキを聞きたかったら、だ」
 お前が起きないことにはな?
 でないと聞けんぞ、俺のイビキは。
「大丈夫だってば、イビキで起きるよ」
 ぼくはイビキが聞きたいんだから、イビキの音がしているな、って気付いたら目が覚めるしね。
「そいつは甘いな、そう簡単にはいかないってな」
 お前が起きたら、俺だって目が覚めるんだ。そうすりゃイビキは当然、止まる。
 どんなに聞き耳を立てていたって、俺が起きてりゃイビキは聞けん。
「そんな…!」
 酷いよ、ハーレイ!
 ぼくに御褒美を食べさせるための狸寝入りはするくせに!
 どうしてイビキを聞かせてくれずに、そこでアッサリ目を覚ますわけ!?



 一度くらいはイビキを聞かせてくれたって、って駄々をこねたら。
 狸寝入りじゃなくてホントに眠ってイビキを聞かせて欲しいのに、と強請っていたら。
「それなら、俺を酔っ払わせるんだな」
 何処から見ても酔っ払いだ、と分かるくらいに酒を飲ませろ。
「えっ?」
 どうしてお酒が出てくるの?
 ぼくが聞きたいのはハーレイのイビキで…。
「そのイビキ。どういう条件でかいているのか分からない、と言っただろうが」
 だが、酔っ払ったなら、確実にかく。こいつは証人が何人もいるな、両手の指じゃ足りないな。
 ついでに起きないかもしれん。
 酔っ払いだし、眠っちまったら朝までイビキをかき続けるってな。
「分かった、頑張る…!」
 ハーレイにお酒を飲ませるんだね、酔っ払うまで?
 それでイビキが聞けるんだったら、ぼく、おつまみだって作ってみるよ。
 ハーレイ、どういうおつまみが好き?
 教えてくれたら、ちゃんと頑張って作るから…!



「ふむ、素晴らしい心掛けだな」
 俺の酒のために、つまみまで作ってくれるのか。そいつはいい酒が飲めそうだ。
 いい酒と言っても、酒が上等だという意味じゃないぞ?
 楽しい酒と言うか、飲んで嬉しい酒だと言うか…。
 お前は酒はまるで駄目だが、俺には注いでくれるんだろう?
「決まってるじゃない!」
 ハーレイに酔っ払って貰わないとイビキが聞けないんだから、いくらでもお酒を注がなきゃ。
 おつまみも作るし、本当にうんと頑張るんだから…!
「そして俺のイビキを存分に聞いて楽しむ、と」
 だが、その前に。酔った俺がお前を離すと思うか?
 酔えば酔うほど、俺はお前を側に置きたがると思うんだがな?
 つまみなんかはもう要らないから此処へ座れと、黙って此処に座っていろと。
 ただし、言葉通りに座っているだけで済むかどうかは分からないがな、酔っ払いだしな?
 お前という極上のつまみがあるのに、他のつまみを食ってどうする。
 いくらお前の手作りでもだ、お前の方がよほど美味いってな。
 俺が言っている意味は分かるな、うん…?
 お前、チビだが、ただのチビではないんだからな。



「あっ…!」
 ニヤリと笑ったハーレイの前で、ぼくは耳まで真っ赤になった。
 ハーレイが本当に酔っ払ったら、腕の中に閉じ込められちゃうらしい、ぼく。
 おつまみの代わりに此処へ座れと、来いと言われて食べられてしまうらしい、ぼく。
(…そうなっちゃうの!?)
 前のハーレイはキャプテンだったから、酔っ払うほどには飲まなかったけれど。
 今のハーレイはそうじゃないから、酔っ払ったら何が起こるか分からない。
 イビキ目当てにハーレイを酔っ払わせたら、ぼくはとんでもないことになる。
(ハーレイに美味しく食べられちゃうんだ…!)
 そうなったらイビキを聞くどころじゃない。ぼくの方が先に疲れて寝ちゃうに決まってる。
 だって、相手は酔っ払い。手加減なんかがあるわけがなくて、やめてと言っても止まらない。
 ハーレイのイビキを聞くよりも前に、ぼくはすっかり意識なんかは吹っ飛んじゃって…。
(ど、どうしよう…?)
 これじゃ聞けない、ハーレイのイビキ。
 確実にイビキをかくというのに、ぼくが寝たんじゃ話にならない。
 なんとかしてイビキを聞く方法は…、と悩んでるのに、ハーレイときたら。



「酔うと人間、正直だしな?」
 そりゃあもう、普段以上にお前に溺れてしまうってな。
 たとえ次の日に予定があろうが、そんなことすら見事に忘れちまって夢中でお前を食うだけだ。
 こんなに美味いつまみがあったと、最高のつまみが転がっていたと。
「それじゃ、イビキは…?」
 ハーレイがイビキをかくっていうから、ぼくは酔っ払わせようと思ったのに…!
 酔っ払わせたらそういうことになるんじゃ、ぼくはイビキを聞けないじゃない…!
「なあに、簡単なことだ、そいつは」
 酔っちまった俺よりも先に起きればいいだけのことだ、酔っ払いは当分、起きないからな。
 その酔っ払いに貪り食われちまって、疲れていなければの話だがな。
「無理だってば…!」
 手加減無しのハーレイなんでしょ、ぼくが敵うわけないじゃない…!
 疲れて眠ってそれっきりだよ、目が覚めたらハーレイが起きてるんだよ!
 「おはよう」だとか、「遅かったな」だとか、ニコニコしながら朝御飯とかを作ってるんだ。
 そういう結末、見えているから!
 イビキなんかはとっくの昔に止まってしまって、起きたハーレイがいるだけなんだよ…!



 酔っ払ったハーレイは確実にイビキをかくらしいけれど。
 お酒で酔わせてイビキを聞くのはかなり難しいかも、って思った、ぼく。
 ハーレイがイビキをかくよりも前に、ぼくが眠ってしまうから。
 酔ったハーレイに食べられてしまって、ぼくの方が先に夢の世界の住人になってしまうから。
(…この作戦は成功するわけないよ)
 何度やっても、ぼくが負けるに決まってる。
 頑張っておつまみを作ってみたって、お酒をせっせと注いでみたって。
 連戦連敗、勝てそうもないぼくだけれども。
 酔っ払ったハーレイにも勝てやしなくて、おつまみ代わりにされるんだけれど。
(でも、人生はうんと長いしね…?)
 それに、今度のハーレイは古典の先生、キャプテンの仕事なんかは無いから。
 「早く起きなきゃいけないからな」って言わなきゃいけない立場じゃないから。
 一度くらいは聞かせて欲しいな、ハーレイのイビキ。
 安心してぐっすり寝ているんだって分かるイビキを、前のぼくは聞かずに終わったイビキを…。




            イビキ・了

※前のハーレイのイビキを聞いたことが無い、と気付いたブルー。ただの一度も。
 今度は聞いてみたいのですけど、聞けるでしょうか。こればっかりは運の問題かも…?
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv








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