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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

ヒマワリの迷路

(ヒマワリの花…?)
 こんな季節に、とブルーは新聞の記事を覗き込んだ。
 学校から帰って、おやつを食べた後に開いた新聞。紅茶のおかわりを口にしながら。
 その新聞に広がる鮮やかな黄色。見渡す限りの一面のヒマワリ、ヒマワリの畑。
(…ヒマワリだよね?)
 まだ肌寒くはなっていないけれど、とうに秋。ヒマワリと言えば夏の花。太陽さながらに明るい黄色の花を咲かせる、背の高いものではなかったろうか。
(今の季節だと、もう萎れてるよ?)
 夏の終わりには種が実ってきて、重い頭を垂れるヒマワリ。太陽に顔を向けてはいない。実った種が重すぎるからか、夏の間中、上を向きすぎた首が疲れるからか。
 下を向いてしまったヒマワリの花は花びらも萎れて、陽気だった黄色も色褪せてしまう。ピンと張っていた葉だって元気を失い、濃い緑色を失くしてしまうのではなかったか。
(たまに咲いてることもあるけど…)
 咲く時期を間違えてしまったものか、同じ花壇のヒマワリよりも遅れて秋に咲いているのを目にすることもあるけれど。時期を逸した花だけあって、何処かヒョロリとしているものだ。その茎も花も。同じヒマワリでも逞しさが無い。
 夏の日射しを弾き返せそうにないヒマワリの花。暑い夏には萎れてしまいそうな、何処か危うい秋のヒマワリ。



(だけど、この花…)
 記事の写真のヒマワリの花は、夏のヒマワリそのものだった。一面に広がるヒマワリの畑。
 どのヒマワリもすっくと背筋を伸ばして天を仰いで、それは見事な太陽の花。夏の盛りの焦げるような日射しに染め上げられた黄色の氾濫。
(今の写真だよね?)
 日付が昨日になっているから、間違いなく今のものだろう。撮影場所もそう遠くない。
 特別な種類のヒマワリなのかと思ったけれども、記事を読んでみればそうではなかった。普通のヒマワリ、夏に見かけるのと同じヒマワリ。
 種を蒔く時期をずらして咲かせたものだという。この季節ならば充分に咲くと書かれてあった。夏のものより手がかかるけれど、手間さえかければ夏と同じに花開くのだと。



(ふうん…?)
 面白いことをするものだ、と読み進めていけば、ただのヒマワリ畑ではなかった。人を呼ぼうと秋に咲かせたヒマワリの畑。物珍しさで訪れる人が目当てのヒマワリ畑。
(写真好きな人とかが喜びそうだよ)
 それに小さな子供だって、と顔を綻ばせたら、更なる仕掛けが施されていた。ヒマワリ畑の中は迷路で、自由に歩いていいのだという。入場料さえ払えば、誰でも。
 週末ともなれば家族連れで賑わうヒマワリの迷路、長く続いているイベントらしい。車で気軽に出掛けられる場所で、田園地帯ならではの土産物なども買って帰れるから。
(迷路…?)
 それに一面のヒマワリ畑。
 何かが心に引っ掛かる。さっきまでは季節外れのヒマワリしか気にしていなかったけれど、そのヒマワリが迷路になっていると知った途端に。
 自分はこれに出掛けただろうか、幼い頃に?
 記憶には残っていないけれども、父の運転する車に揺られて、母も一緒に。



「ママー!」
 キッチンに居た母に声を掛けた。空になったおやつのカップや皿を手にして。
「あら、どうしたの?」
「あのね、新聞に載っていたんだけれど…」
 ヒマワリの迷路。毎年、秋にやっているんだって書いてあったけれど、ぼく、それに行った?
 小さい頃にパパとママに連れてって貰ってたのかな、ヒマワリの迷路。
 覚えてないけど、とカップなどを手渡しながら尋ねてみれば。
 確かに連れて出掛けたという。今よりもずっと幼い頃に。
「幼稚園の頃だったわねえ…。ヒマワリだ、って喜んでたわよ」
 もう、ピョンピョンと飛び跳ねちゃって。
 早く入ろう、って、早く行こうって大騒ぎだったわ、パパとママの手を引っ張ってね。
「そっか、やっぱり行ったんだ、ぼく」
 ヒマワリだけでは気付かなかったけど、迷路になってるっていうのを読んだら行ったのかもって気がしてきて…。きっとホントに凄かったんだね、ヒマワリの迷路。



 幼かった自分が大喜びしたというヒマワリの迷路。早く入ろうと両親の手を引っ張った迷路。
(でも…)
 そんなに楽しい記憶だったら、もっと温かい、懐かしい気持ちがしないだろうか?
 いくら幼くて忘れてしまったことであっても、ヒマワリの迷路の記事に出会ったなら。心の端に引っ掛かるという頼りなさより、心が弾むとか、そういったこと。
 どうしてその時の高揚した気分の欠片も出ては来ないのだろう、と訝しんでいたら。
「ブルーは迷子になっちゃったのよ」
「えっ?」
 迷子って、ぼくが、ヒマワリ畑で?
 パパやママとはぐれて迷子になったの、あの迷路で?
「そうよ、ブルーったら、ヒマワリがよっぽど好きだったのね。とても背が高い花だったから」
 あんなに高い所に咲いてる、って見上げて、それから見回して。
 ぼくの背よりもずっと高いよ、大きなヒマワリが一杯あるよ、って大喜びで。



 はしゃぎながらヒマワリの迷路に入った幼いブルー。
 中に入れば、見渡すばかりのヒマワリだから。上を見れば大きなヒマワリの花で、周りには太いヒマワリの茎。重なり合った葉の向こう側など見えないくらいに茂った迷路。
 けれども小さな子供の身体は、植えられた茎や茂った葉の間を抜けてゆくことが出来るから。
 最初はヒョイと隣の通路へ移動した。大きな葉の間から両親に手を振り、「ここだよ」と叫んで得意げだった。両親よりも一足先へ進んだと、両親はまだ此処に着かないと。
 「そんなことをしていると迷子になるぞ」と、「戻って来なさい」と父が言ったけれども。
 「平気だよ」と笑っていたブルー。迷子なんかになりはしないと、先に迷路を抜けるのだと。
 そうして次のヒマワリの壁もくぐって、ブルーは見えなくなってしまった。
 小さな子だから出来る壁抜け、両親の身体では出来ない壁抜け。無理に通ればヒマワリが折れてしまうと分かっているから、幼いブルーを追ってはゆけない。
 それでも思念で居場所は分かるのだから、と迷路を辿って追いながら様子を眺めていたら。
 ブルーは突然、火が付いたように泣き出したのだという。
 ママがいないと、ママもパパも何処にも見えなくなったと。



「ママたちからはサイオンで見えていたけど、ブルーの力では無理だったのよ」
 ここよ、って思念を送ったけれども、「ここって、どこ?」って泣きじゃくるだけで。
 あんまり泣くから思念も受け取れなくなってしまって、もう本物の迷子だったわ。
「…それ、今だって出来ないから…!」
 ぼくは透視は全く駄目だし、今でも迷子になれると思うよ、ヒマワリ畑。
「それは無いでしょ、もう大きいから迷路の壁をくぐり抜けては行けないわ」
 小さかったから出来たのよ。今だとヒマワリが折れてしまうわ、ブルーが間を通ればね。



 幼い子供だけの特権、ヒマワリの迷路の壁を抜けること。
 両親はブルーがいる場所へ辿り着こうと急いだけれども、如何せん、迷路。ヒマワリがびっしり植えられた迷路。隣の通路が透けて見えては面白くない、とヒマワリの壁は二列、三列。
 おまけに工夫がこらされた迷路に最短距離などありはしなくて、やっとの思いで追い付いた時、ブルーは監視員に保護されていた。パパとママがいないと泣きじゃくりながら。
「あれで懲りちゃったのかしらね。二度と行きたいとは言わなかったわ」
 ヒマワリの花は好きだったのに、と母が微笑む。
 大好きだったヒマワリは嫌いになったりしなかったけれど、迷路が苦手になったのだろうと。
 遊園地の迷路も入りたがらなかったと、迷路は嫌だと言っていたと。



(そっか、迷子になっちゃったんだ…)
 楽しかった記憶が残っていないのも無理はない、と部屋に戻って勉強机の前で考えた。
 覚えてはいない、迷子の記憶。両親と一緒に入ったヒマワリの迷路。
 ヒマワリの壁をくぐって先へ先へと進んだ自分は、得意満面だったのだろう。両親よりも自分の方が早いと、先に迷路を抜けるのだと。
 けれども広すぎたヒマワリの畑。大きすぎた迷路。
 出口に着く前に力尽きたか、あるいは気が散ってしまったのか。一休みして見回したヒマワリの畑に両親はいなくて、見当たらなくて。
 慌てて探しに走り回ったか、その場で泣いたか、今となっては分からない。
(迷路が苦手になっちゃったなんて…)
 それも覚えてはいなかった。
 迷路は嫌だと言ったことさえ、入りたがらなかったという遊園地の迷路の入口さえも。



 両親が何処にいるのか分からず、ヒマワリ畑で泣き出した自分。
 母の思念も届かなくなるほど、大泣きして監視員に保護された自分。
(前のぼくなら…)
 ヒマワリ畑がどんなに広くてヒマワリが深く茂っていたって、簡単に透視することが出来た。
 両親の居場所も直ぐに分かるし、迷路が如何に複雑だろうと瞬間移動で飛べば一瞬で戻ってゆくことが出来る。迷子にはならず、きっと何度も先に行っては戻ったりして遊んでいたに違いない、と思ってからハタと気が付いた。
(小さかった頃には、ミュウじゃない筈…)
 成人検査を受ける前の自分は何処にでもいる普通の子供だった。金色の髪に青い瞳の子供。今の自分のようなアルビノではなくて、ミュウでもなかった。だから養父母が育ててくれた。
(ミュウの子供なんかは育てないよ…)
 前の自分に付けられた名前、タイプ・ブルー・オリジン。最初に発見されたミュウ。
 成人検査でミュウと判明するよりも前は、ごくごく普通の子供時代を送った筈で。
 今のハーレイが「アルテメシアを落とした後に手に入れたデータだ」と教えてくれた記憶の中の写真で見た養父母に育てられ、十四歳までの日々を過ごした筈で。
 ならば普通の子供だった前の自分も迷っただろうか、養父母と出掛けた何処かの迷路で。
 そして嫌いになったのだろうか、自分が迷子になった迷路が?



(だったら、とっても素敵だよね…)
 迷子が素敵だとは思わないけども、迷子になってしまった経験。
 養父母という育ての親でも、両親と迷路ではぐれてしまって泣きじゃくる気持ちは同じだろう。
 心細くて、一人ではどうにもならなくて。泣くことしか出来ない、幼い自分。
 監視員が来て保護された後も、両親が迎えに来てくれるまでは泣きやむことが出来ない子供。
(前のぼくだって、きっとそうだ…)
 成人検査と、その後に続いた人体実験。記憶はすっかり失くしたけれども、あったかもしれない迷路の記憶。迷子になってしまった記憶。
 そんな体験をしたかもしれない、と思い浮かべれば、前の自分の子供時代と繋がったようで。
 失くした記憶が戻ったようで。
 心がじんわりと温かくなる。前の自分ももしかしたら、と。



 その日、ハーレイは来てくれなくて。仕事帰りに寄ってはくれなくて。
 寂しかったけれど、ヒマワリの迷路で迷った思い出。迷子になってしまった思い出。
 それがあるから、心は夢の世界へと飛んだ。ベッドで眠れば見るだろう夢へ。
(前のぼくの記憶、戻るかも…)
 幼かった頃に迷路で迷った時の記憶が。
 今の自分の遠い記憶と混ざってしまったものであっても、欠片でもいいから戻れば嬉しい。前の自分が取り戻せないままに終わってしまった、失くした記憶が戻るのならば。
(記憶、戻ってくれるといいな…)
 アルタミラを脱出した後、三百年以上も生きていたのに戻らないままで終わった記憶。
 ほんの小さな欠片でいいから、夢の中で見付けて拾い上げたい。
 そんな思いでベッドにもぐって眠りに就いた。
 お気に入りの枕に頭を預けて、上掛けを被って丸くなって。
 そして…。



(あれ?)
 気付けば一面に広がるヒマワリの中に立っていた。
 夢の中だとは思わなかったし、ブルーにとってはそれが現実。パジャマ姿でも本当のこと。今の自分に起こっていること。
 見上げるようなヒマワリの花が幾つも重なった上に、ぽっかりと覗いた青い空。
(誰もいないの?)
 しんという音が聞こえそうなほど、静まり返ったヒマワリ畑。
 見回してもただ、ヒマワリだけ。夏の太陽を思わせる花が見渡す限りに咲き誇るだけ。人の声はおろか、鳥の声さえ、風の音さえ聞こえてはこない。
 しかも小さくなっている自分。
 ヒマワリの間をくぐり抜けても、葉の一枚さえ損ねないほどに幼い身体の自分。
 ガサガサと大きな葉を両手で掻き分け、向こう側へと出てみたけれど。畝の向こうへと出てみたけれども、風景はまるで変わらない。
(どこ…?)
 此処は何処なの、と見回していたら、思い出した。
 そうだ、両親と一緒に来たのだ。父が運転する車の座席に母と並んでチョコンと座って。
 「ヒマワリの迷路に連れて行ってやるぞ」と笑顔だった父の車に乗って。
 果てが見えないヒマワリ畑に歓声を上げて、先頭に立って走ったことは覚えているけれど…。



(はぐれちゃった…?)
 ヒマワリを掻き分けて走る間に。あっちへ、こっちへと気の向くままに迷路をくぐる間に。
(確か、こっちから…)
 こっちの方から来たのだと思う、と真っ直ぐに幾つもの畝を突っ切ったけれど。ヒマワリの間を抜けて行ったけれど、両親の姿は何処にも見えない。他の人にも出会わない。
「パパ、ママ…!」
 精一杯の声で叫んだけれども、声は返って来なかった。風さえも吹きはしなかった。ヒマワリの花が咲いているだけ、太陽のような花が遥か上から見下ろすだけ。
(ぼく、迷子なのに…)
 どうしたの、と訊いてくれる大人も現れないから、どうにもならない。
 自分で出口を探すしかなくて、運が良ければ何処かで両親とバッタリ会うかもしれなくて。
(きっと、こっち…)
 こちらへ行くのが近そうだから、と方向を決めて駆け出した。畝を突っ切るのは、もうやめて。
 道の通りに走っていたなら、いつかは出口に着く筈だと。



 ヒマワリの畝に左右を囲まれた道を走って、曲がって、また曲がって。
 懸命に走っても、いくら走っても出ることが出来ないヒマワリの畑。
 気付けば元に戻っているから。見覚えのある場所に戻ってしまって、其処には自分の小さな靴の足跡が確かに刻まれて残っているから。
(ちゃんと進んでた筈なのに…!)
 何処で間違えてしまったのだろうか、曲がり角を右へ曲がる所を?
 それとも右だと思っていたのが間違いの元で、角は左に曲がるのだったか。
 迷路を抜けるには片方の壁から手を離さないのが鉄則だけれど、夢の中だけに覚えてはおらず、曲がり方だと勘違いをしてブルーは進んだ。右に曲がるか、左に曲がるか、そのどちらかが正しいのだと。右だ、左だと決めて走ってゆくものの、夢の世界ではそれも曖昧で。
(これも左だった…?)
 そうだよね、と曲がっては元に戻ってしまう。元の場所へと戻ってしまう。



(迷路…)
 出られないよ、と幼いブルーは走るけれども。両親を、出口を探して走るけれども、どうしても先へ進めない。今度こそ、と走り出しても、気付けば最初の所へと戻る。
(パパ、ママ、どこ…?)
 息が切れても、泣きじゃくっても。
 迷子になったと泣きながら迷路を走り続けても、誰も来なくて、ヒマワリが咲いているだけで。
 鮮やかな黄色の大輪の花が幾つも幾つも現れるだけで、人影も終点も見えては来ない。
 どんなに走っても、右へ、左へと懸命に曲がり続けても。
 その足元に転がっていた小石、それを踏んづけたと思った瞬間、崩したバランス。
 ぐらりと傾いだ小さな身体。



(あっ…!)
 踏み止まれずに転んだはずみに、打ち付けた右手。
 膝や胸にも土が沢山ついたのだけれど、何故だか右手が痛かった。擦り剥きそうになった膝小僧やら、強かに打った胸よりも、右手。
 土を払えば怪我はしていないようだけれども、皮も剥けてはいないのだけれど。
 僅かな血さえも滲んでいなくて、痣も出来てはいないけれども、右の手が痛くてたまらない。
(冷たいよ…)
 地面が冷たかったのだろうか、右の手が凍えて酷く冷たい。走る気力ももう無くなった。痛くて冷たい、と泣きながらトボトボと歩き続ける。
 もう帰れないかも、とヒマワリの中を。二度と家へは戻れないかも、と冷たく凍える右手に息を吹きかけながら。温まってはくれない右手を左手で擦り、重たい足を引き摺りながら。
 そうしたら…。



「ブルー!」
 やっと見付けた、と声が聞こえた。ヒマワリの壁の向こうから。
「パパ…!」
 そちらへと身体ごと振り向いた途端、ヒマワリを掻き分けて現れた人影。大人が通るには無理がある筈のヒマワリの壁を傷つけもせずに抜けて来た人影。
 その長身の大きな影は父ではなくて…。
「ハーレイ…!」
 褐色の肌に鳶色の瞳。それが誰だか、直ぐに分かった。
 手が冷たいよ、と泣きながら言えば、右の手が凍えて痛いと泣きじゃくりながら訴えれば。
「ああ、分かってる」
 転んじまったんだな、可哀相に。
 温めてやるから、もう泣くな。俺が来たから、大丈夫だからな。



 右手がそっと大きな両手に包まれた。片手だけで右手を覆えそうな手に。
 優しい温もりが凍えた右手を溶かしてゆく。打ち付けた痛みが癒えてゆく。
「よく我慢したな、転んでも歩き続けるなんてな」
 偉いぞ、お前。小さいけれども我慢強いな、ちゃんと歩いていたんだからな。
「でも、ぼく…。泣いちゃっていたよ、それでも強い?」
「強いさ、もう歩けないと泣いていたわけじゃないだろう?」
 手が冷たくて泣くのは仕方ないんだ、転んじまったら誰だって痛い。そいつを我慢しろとは誰も言わんさ、こうして治療も必要になる。
 右手、痛いか? まだ冷たいか…?
 こいつはきちんと治さないとな、痛くも冷たくもないようにな。



 ハーレイの大きな手の温もりはよく効いた。あんなに冷たくて痛かった右手がみるみる温まってゆくのが身体中で分かる。凍えた辛さも、打ち付けた痛みも嘘だったように和らいでゆく。
(あったかい…)
 ハーレイの手は魔法みたいだ、と褐色の手が与える温もりに酔っていたら。
「治ったか、右手?」
 もう痛くないか、冷たくないか?
「うん。ハーレイが温めてくれたから治ったみたい」
 痛くないよ、冷たかったのも消えたし、もう平気。元々、怪我はしていないしね。
「それは良かった。怪我が無いなら温めておけば、後はすっかり元通りだからな」
 すまんな、早く見付けてやれなくて。お前、長いこと独りぼっちで走ってたんだろ?
「ううん、ハーレイに会えたからいいよ。ずっとあのまま独りだったら悲しいけれど…」
 ハーレイが来てくれたからいいんだよ。ぼく、もう、独りぼっちじゃないしね。
「そうか。…さてと、お前を連れてかないとな」
「何処へ?」
「パパとママの所さ」
 お前、頑張って走ったんだろ、パパとママの所へ行こうとして。
 もう走らなくてもかまわないんだぞ、俺が代わりに運んでやるから。



 ヒョイと肩車で持ち上げられた。ハーレイの逞しい両肩の上に。
(ハーレイ、大きい…!)
 自分の身体が小さすぎるから、余計に大きいハーレイの身体。肩に乗せられるとグンと高くなる自分の視点。見上げるようだったヒマワリの花も、今は頭上で揺れていて。
「見えるか、お前のパパとママ?」
 足首を掴んだハーレイに訊かれた。さっき右手を温めてくれた大きな両手で、しっかりと握られ支えられた足。ブルーが肩の上で動いたとしても、其処から落っこちないように。
 ブルーはハーレイの頭に手を置き、伸び上がったけれど。
 両親の姿が見えはしないかと見回したけれど、ヒマワリの方が背が高かった。さっきまでよりは花の高さに近付いたけども、それでも花は頭の上で。
「んーと…。パパとママ、見付からないよ」
 ヒマワリが邪魔をして見えない、と言った。
 自分の背よりもヒマワリの方がずっと高いから、肩車をして貰っても見えないと。
 けれど…。



「ふうむ…。お前には見えないか」
 だが、あっちなんだ。パパとママはあっちの方にいるんだ。
 向こうの方だ、と片方の足首を握っていた手を離して指差すハーレイ。
 握る手は片方になったけれども、肩車は揺らぎはしなかった。頼もしいハーレイの肩車。
「あっちなの?」
「うむ、あっちから声がするからな」
 声と言うより、こいつは思念か…。お前を探しているようなんだが、聞こえないか?
「ぼく、そういうのは駄目なんだよ…」
 ちゃんと聞こえる時もあるけど、大抵、聞こえてないんだよ。
 パパとママの声、ハーレイには聞こえているんだね?
「まあな。お前よりも長く生きている分、こういう探し物は得意だってな」
 直ぐに連れてってやるからな、とズンズン歩いてゆくハーレイ。
 ブルーの両方の足首をしっかり握って、落っことさないように背筋をシャンと伸ばして。
 何処までも広がるヒマワリの中を、ブルーが迷った迷路の中を迷いもせずに。



 何か目印でもあるというのか、でなければ抜けるコツでもあるか。
 角に差し掛かる度に右へ、左へと曲がるハーレイ。「こっちだな」と少しもためらわずに。
 ハーレイの肩の上から眺めるヒマワリ畑の長い迷路は、怖いものではなくなっていた。次の角は右に曲がるのだろうか、それとも左へ行くのだろうか。
(あれっ、右なの?)
 ぼくは左だと思っていたのに、と遥か下にある地面を見下ろせば、幾重にもついた自分の足跡。闇雲に走り続ける間につけた足跡は全て左へと向かっていた。
(これじゃ出られるわけないよ…)
 全ての角で右と左とを試したつもりが、どうやらそうではなかったらしい。今、左へ行くのだと考えたように、この角に来る度、自分は左へ曲がってしまっていたのだろう。
(だけど、ハーレイ、やっぱり凄い…!)
 自分があれほど間違えた道を、迷いもしないで歩いてゆく。正解を選んで進んでゆく。
 それにハーレイの肩車。
 あの広い肩がこんなに素敵な座り心地の椅子に、乗り物になるなんて。
 自分の背よりもずっと高い場所から周りを見られて、ヒマワリの花だって、こんなに頭から近い所で幾つも幾つも揺れているだなんて…。



(もっと…)
 もっと歩いていたいと思った。ハーレイの肩車に乗って、ヒマワリの中を。
 「パパとママ、見えたか?」と訊かれる度に「ううん」と答えを返しながら。
 ハーレイと二人、もっともっと、いつまでも歩いていたい、と思ったのに。
「ブルー!」
 角を曲がったら、母がこちらへ駆けて来た。もちろん父も。
「ハーレイ先生、すみません!」
 息子がお手数をおかけしてしまって…。
 ブルー、一人で先に行ったら迷子になるぞ、と言っただろう?
「ごめんなさい、パパ…」
 ハーレイが見付けてくれたんだよ。ぼくが迷子になっちゃっていたら。
 転んで右手が痛かったけれど、ハーレイが治してくれたんだよ。
「あらあら…。ハーレイ先生、本当にご迷惑をおかけしまして…」
 この子ったら、言っても聞きませんのよ、主人と二人であんなに駄目だと止めたのに…。
「いえ、いいんですよ。これも私の役目ですしね、探すのも右手を治すのも」
 お気になさらず、とハーレイが笑う。
 どちらも自分の役目なのだからと、それを果たしたまでのことだと。
「じゃあな、ブルー。二度と迷子になるんじゃないぞ」
 ヒマワリの迷路には気を付けるんだぞ、お前、迷ったら出られなくなるみたいだからな。
 そういう時は俺が探しちゃやるがだ、ほどほどにしとけよ、ヒマワリの迷路。



 「またな」と軽く手を振って、ハーレイはヒマワリの迷路の向こうへと消えた。
 肩車から降りたブルーを両親に託して、ヒマワリの迷路の角を曲がって。
「ハーレイ…!」
 待って、と叫んだ自分の声で目が覚めた。
 カーテン越しに朝の柔らかな光が部屋に射し込み、庭で小鳥がさえずっている。
(夢…)
 ヒマワリの迷路は夢だったのか、とようやく気付いた。
 右手が凍えて痛かった理由が、転んだからではないことにも。
(ハーレイが探してくれるんだ、ぼくを…)
 あの夢のように独りぼっちで泣きじゃくっていても、右手が冷たいと泣いていても。
 そう、ハーレイならばきっと見付けてくれるのだろう。
 自分が何処で迷っていたって、独りぼっちになっていたって。
 前の生の記憶の欠片を夢で拾うことは出来なかったけれど、もっと嬉しい夢を見た。ヒマワリの迷路は怖かったけれど、ハーレイが来るまでは独りぼっちで泣いていたけれど。



(ハーレイの肩車で歩いていたんだよ、ぼくは)
 一面に広がるヒマワリの迷路を、ハーレイの肩に乗っかって。
 今よりももっと小さくて幼い自分だったけれど、ハーレイの肩に揺られて歩いた。
(もっと、もっと…)
 ヒマワリの中をもっと歩いていたかった。
 肩車に乗って、ハーレイと二人。
(…ヒマワリの迷路…)
 いつかハーレイに強請ってみようか、ヒマワリの迷路に行ってみたいと強請ろうか?
 ハーレイの肩車でヒマワリの迷路を歩いてみたいと、ぼくは迷路が苦手だからと。



(肩車で歩くには大きすぎだ、って言われそうだけれど…)
 迷路に来ている他の人にも笑われてしまいそうだけど。
 でも、ハーレイは力持ちだから。
 前と同じに大きく育ったブルーの身体も、ヒョイと肩車が出来そうだから。
 その肩車で歩いてみたい、とブルーは夢見る。
 まだ他の人は誰もいないような朝の早い時間に、ハーレイの肩車でヒマワリの中を、と。
 「次は右だよ」と、「いや、左だな」などと言い交わしながら、二人で迷路。
 入口から出口までの長い長い迷路を、ヒマワリで出来た迷路の中を…。




            ヒマワリの迷路・了


※小さかった頃に、ヒマワリの迷路で迷子になったらしいブルー。そう聞いた日の夜の夢。
 迷子になってしまった迷路で、助けに現れたハーレイ。肩車で歩けて、幸せですよね。
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