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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

白いハンカチ

「いたっ…!」
 週末、ブルーの部屋でのお茶の時間の真っ最中。向かい側に座ったブルーが上げた小さな悲鳴。
 右目を擦ろうとしているから。
「どうした?」
 右目、どうかしたのか、痛いのか?
「…何か入ってしまったみたい…」
 チクチクして変な感じだよ。さっきほど痛くはないけれど…。
「見せてみろ」
 椅子から立って、ブルーの隣に行った。屈み込んで小さな顔を覗き込む。
 宝石のように赤い右目の瞼を指でそうっと押さえ、日の光で見ると、銀色の睫毛。
 細い睫毛が白目の部分に貼り付いていた。たった一本、細い細い銀色の睫毛だけれど。
(こいつは痛いな…)
 経験があるから痛さは分かる。
 睫毛にチクリと刺された瞳が痛くなることも、その後に訪れる不快感も。



「…何だった?」
 指を離せば、ブルーの瞳が見上げて来るから。
「睫毛だ。俺が取ってやってもいいんだが…。俺の指ときたら、この太さだし…」
 お前の目にはデカすぎだってな、指のサイズが。
 サイオンで取ってやるにしたって、力加減がどうだかなあ…。
 指もサイオンも加減するのが難しそうだ、とハーレイは苦笑してみせた。
 自分の目ならば何とでも出来るがブルーの目では、と。
「いいよ、ちょっぴり痛くったって」
 ハーレイが取ってくれるんだったら、取れた後には痛くないしね。
「それはそうだが、ウッカリ傷でも出来ちまったら…」
 目の傷ってヤツは侮れないんだぞ、目に見えないような傷がうんと尾を引くこともある。
 しかも自分じゃ気付かない内に悪化するしな、痛いと自分で気付く頃には酷くなってて、病院に何度も通う羽目になったりするもんだ。
 毎日、毎日、目薬を差して、傷が治ったか診て貰って…。
 厄介なことになりたくなければ、そいつは自分で取るべきだな。



「ぼくがやっても同じことだと思うけど…」
 サイオンは無理だし、自分の指で取るしかないよ?
 ティッシュで取るのは難しいんだもの、無駄に擦ってしまうだけで。
「そのまま大きく目を開けておけ」
「えっ?」
「知らないのか、こういった時には王道だろうが」
 目玉をグッと見開いておくんだ、そうすりゃ涙が出て来るからな。
 瞬きが出来ないと自然と涙が流れるもんだ。そいつで目に入ったゴミや睫毛を洗い流す、と。
 騙されたと思って頑張ってみろ。いいか、瞬きするんじゃないぞ。



 瞬きをしたら涙は出ない、とブルーに教えてやったのに。
 小さなブルーは我慢出来ずにパチパチ瞬きしてしまうから、一向に流れ出さない涙。
 それでは睫毛が流れてくれる筈もないから、「指で押さえろ」と指導した。
「目の上と下とを指で押さえてやるんだ、親指と人差し指でグイッと広げてやれ」
 瞬きなんかが出来ないようにな、目玉をしっかり出してやるんだ。
「ハーレイ、やってよ」
 押さえといてよ、ぼくが瞬き出来ないように。
「なんで俺が!」
 確かに力の加減は要らんが、どうしてそこまで面倒を見ることになるんだ、うん?
 幼稚園に行ってるようなガキじゃあるまいし、自分でやれ。
「うー…」
 ハーレイにやって欲しかったんだよ、甘えてみたくなるじゃない!
 目の中に睫毛が入ったんだよ、痛いんだよ?
「知らんな、たかが睫毛だろうが」
 風でゴミでも入ったんなら、俺ももう少し慎重になるが…。
 刺さっちまったかと心配もするが、睫毛と分かれば慌てることもないってな。
 自分の面倒は自分で見ろ。チビと言われたくなければな。
「ハーレイのケチ!」
 いつだってチビって言ってるくせに!
 こんな時だけ一人前に扱うだなんて、ホントのホントにケチなんだから…!



 膨れっ面になったブルーだけれども、言われた通りに自分の指で右目を開いて押さえながら。
「…変な顔じゃない?」
 ぼくの顔、変になってないかな、右目だけグッと開けちゃってるから。
「それはまあ…な。変でない筈がないってな」
 けっこう笑える顔だぞ、お前。顔の作りが台無しってトコだ。
「酷い!」
 ハーレイがやらせているくせに!
 自分でやれって言ったのハーレイのくせに、笑える顔だなんて酷すぎだってば!
「俺がやっても同じことだと思うがな?」
 片方の目だけがデカイわけだし、傍から見てれば変な顔にしか見えないぞ。
 文句を言わずに我慢していろ、ちゃんと涙が出て来るまでな。



 やがて流れてきた涙。
 赤い瞳からポロリと零れて、幾粒も頬を伝って落ちて。
「…ハーレイ、取れた?」
 これだけ涙が出たら睫毛も一緒に流れちゃったかな、目の外に?
「もう痛くないか?」
「うん、多分…」
 ブルーが指を外して右目を何度か瞬かせてみる。どうやら睫毛は取れたようだけども。
「流れ落ちる前に瞬きしてたら、奥の方に入っちまうってこともあるしな」
 下の瞼の縁に入れば痛まないから、後で出て来てまたチクチクとしたりするぞ。
 そいつも困るし、見ておくか。



 ついでに拭くか、とハンカチを出した。
 普段使いの白いハンカチ、それをズボンのポケットから。
 ブルーの顔を濡らした涙を拭って、右目を調べて。
 大丈夫だな、と頷いた。
「よし、取れた。睫毛は何処にも見当たらないから、流れたんだな、涙と一緒に」
 それに涙も普通の涙だ、何も心配ないってな。
「普通って?」
 涙は涙だよ、普通って、なに?
「血じゃないってことだ」
「ああ、右目…」
 そういえば最初は血だったっけね、ハーレイが見たぼくの右目の涙。
 聖痕で流した血の涙だから、ハーレイ、ビックリしちゃっただろうね…。
 記憶が戻る前も、戻った後も。
 ぼくの右目はどうなったんだ、って。



 でも、とブルーは笑みを浮かべた。
 そんなことより、と。血の涙よりも、と。
「…どうかしたか?」
「久しぶりだな、って」
 ホントに久しぶりなんだよ。こうして見るのは。
「何がだ?」
「ハーレイのハンカチ」
「ハンカチ?」
 このハンカチがどうかしたのか、いつもポケットに入れているがな?
 スーツの時にはズボンじゃなくって、上着のポケットにも入れたりするが…。
「そうじゃなくって…。持っていたでしょ、前のハーレイ」
 ハンカチを上着のポケットに入れて、いつでも持っていたじゃない。
「あれか…。あれなら確かに久しぶりだろうな、お前、長いこと寝ちまってたしな」
 アルテメシアから逃げ出した直後に眠っちまって、十五年か…。
 目が覚めたらナスカの騒ぎの真っ最中だったし、お前はメギドに行っちまったし…。
 俺のハンカチには出会わず終いで飛んじまったなあ、メギドにな。
「前のハーレイが持ってたハンカチ、白かったけど…」
 今のも白いね、白いハンカチだね。
 だから思ったのかな、久しぶりだって。これはハーレイのハンカチなんだ、って。



 見せて、とブルーは元の椅子に戻ったハーレイの方へと手を伸ばした。
 ハンカチを見せてと、よく見たいからと。
 そうして強請って、渡してやったハンカチを両手で広げてみて。
「名前、書いてないよ?」
 何処にもハーレイって書いてないけど、このハンカチ。
「おいおい、子供じゃあるまいし…」
 名前なんかを書くわけないだろ、俺みたいなデカイ大人がな。
 お前だって書いてはいないだろうが、持ち物全部に自分の名前。ノートとかには書いてあってもハンカチにまでは書かないだろう?
「そうだけど…。ぼくもハンカチには書いてないけど…」
 でも、イニシャルの刺繍とかは?
 大人の人だってイニシャルを入れていることはある筈だけど…。
「そんな上等のじゃないからな」
 イニシャル入れのサービスがあるほど高いハンカチは買ってない。ハンカチは使えれば充分だ。高級品なんかを選ばなくても、普通の白のでいいってな。
「前のハーレイのには、ついていたのに…」
「あれはイニシャルではなくてだな…!」
 もっと偉そうなハンカチだった、と苦笑いした。
 イニシャルの代わりに紋章入りのハンカチだったと、紋章の刺繍が入っていたと。
「そうだよ、ミュウの紋章だったよ」
 前のハーレイのハンカチの刺繍、ミュウの紋章だったよね…?



 白いシャングリラの船体にも描かれていた紋章。
 フェニックスの羽根を表す金色の中に、前のブルーの瞳の赤。ミュウにとってのお守りの赤。
 それは本来、ソルジャーだったブルーの持ち物にだけ入る紋章。
 なのに…。
「お前が入れさせたんだろうが!」
 あの紋章を俺のハンカチに!
 お前専用の紋章の筈が、俺のハンカチに刺繍させやがって!
「だって…。ぼくばかりだと恥ずかしいじゃない」
 ぼくの持ち物だけが紋章入りだなんて、ぼくはそんなに偉くはないのに…。
 そう言ってるのに、食器にまで紋章を入れられちゃって、ソルジャー専用にされちゃって。
 仲間たちと食事会を開く度にエラが説明するんだ、ぼく専用の食器なんだ、って。
 お蔭で来た人はカチンコチンで、どうにもこうにもならないから…。
 ハーレイにいつも頼んでいたでしょ、ちょっと空気を和ませてくれ、って。
「やらされてたなあ、わざと失敗するんだったな」
 切った肉が皿から飛んで行くとか、そういったヤツを。
 しかしだ、お前専用の紋章が恥ずかしいからと、俺まで巻き込まなくてもなあ…?



 ソルジャー・ブルーだった頃のブルーの食器。
 今の時代も復刻版が出ている食器は全て紋章入りだった。
 食器もそうだし、青の間にあったベッドの枠にも紋章が刻み込まれていた。
 あちこちに鏤められた紋章。ソルジャーだけが使える紋章。
 それをブルーは恥ずかしがって、ある日とうとう、こう言い出した。
「ハーレイ、紋章のことなんだけど…。君の持ち物にも入れるべきだよ」
 ぼくだけじゃなくて、君が使う物にもミュウの紋章。そうするのがいいと思うけれどね?
「何故です?」
 あれはソルジャーでらっしゃるからこそ、入れると決まった紋章ですが?
 皆を導く立場におられるソルジャーだからこそ、あの紋章をお使いになれるわけですし…。
 それを私の持ち物に入れるなど、変ではないかと思うのですが。
「おかしくはないよ、ハーレイには入れる権利があるよ」
 このシャングリラのキャプテンじゃないか、君がいないとシャングリラは前に進めない。
 ソルジャーの次に偉いと思うよ、キャプテンはね。
 だからあの紋章を入れてもかまわないと思うんだけどな、君の持ち物に。
「いいえ、キャプテンはただのキャプテンです」
 慣れれば誰でも出来る仕事です、ソルジャーとは全く違います。
 それに居場所はブリッジですから、と逃げを打った。
 キャプテンの私室は青の間のように広くもないし、紋章を入れるような立派な家具は無いと。
 食事会にしてもキャプテン主催のものなどは無いし、専用の食器も必要無いと。



 けれどブルーは諦めなかったらしく。
 紋章の話をしていたことなど忘れ果てた頃に、青の間で二人でお茶を飲んでいたら。
「ハーレイ、この前に話した紋章だけどね」
 覚えているかな、君の持ち物にもミュウの紋章を入れるべきだ、っていう話。
「まだ仰るのですか?」
 あの紋章をあしらうような家具も無ければ、食器も要らないと申し上げていた筈ですが…。
 相応しい持ち物が無いのですから、紋章を入れる必要は無いと考えますが。
「それなんだけど…。丁度いいのがあったんだよ」
 紋章を入れるのにピッタリのものが。誰もが納得しそうなものが。
「何なんです?」
「君のハンカチ」
 これ、とポケットから引っ張り出された。
 自分の椅子から立って来たブルーに、ポケットの中身のハンカチを。



 ブルーはハンカチを手にして椅子に戻って、広げてみせた。
 何の変哲もない白いハンカチを、模様すらも無いシンプルなものを。
「ぼくの服にはポケットが無いし、こういうハンカチを持ち歩いたりはしないしね?」
 つまり、ぼくにはハンカチなんかは特に必要無いわけで…。
「それで?」
「これに入れればいいんじゃないかと…。ミュウの紋章」
「なんですって!?」
 あの紋章はソルジャー専用の、と言ったけれども、ミュウの紋章だと躱された。
 それを個人的に使える立場がソルジャーなだけで、ソルジャー専用と決まったわけではないと。
 ソルジャーがハンカチを持たない以上は、シャングリラでソルジャーに次ぐ立場だと皆が認めるキャプテン、そのキャプテンのハンカチにミュウの紋章を入れるべきだと。

「エラも言ったよ、こういったものにも刺繍をすると」
 持ち主が誰か、一目で分かるようにとね。ハンカチにも紋章を刺繍していたのだ、と。
「誰がです?」
 ハンカチにまで紋章だなどと、持ち主だなどと…。誰がそんなことを?
「昔の人だよ、SD体制が始まるよりもずっと昔の王様や貴族」
 そういう人たちにとっては、自分の持ち物に紋章を入れさせるのは当然だったらしいけど?
 ハンカチにだって、紋章の刺繍が入っているのが当たり前ってこと。
「私はそんなに偉くないのですが!」
 ただのキャプテンで、王様でも貴族でもありません。それなのに真似てどうするのです!
「それを言うなら、ぼくだってね」
 偉くもないのに真似てるんだけどね、昔の王様や貴族たちの真似。
 ソルジャー専用の食器なんかは極め付けだよね、そこまで偉くもないくせにね。



 専用の紋章入りの食器はそういう人種の持ち物だろう、とブルーは言った。
 遠い昔の王侯貴族。彼らが作らせ、それを使っていたのだと。
 どうやら、あれからエラと二人で悪だくみをやらかしていたらしい。現時点ではブルーだけしか使っていないミュウの紋章を、キャプテンにも使わせることが出来はしないかと。
 あれこれ調べて、選ばれたものがハンカチだったといった所か。
「…というわけでね、エラもヒルマンたちも賛成なんだよ」
 君のハンカチにミュウの紋章を入れること。
 模様を染めるよりも刺繍にしようと、ハンカチに紋章を入れる時には刺繍だったから、と。
 君は白いハンカチが好みらしいし、刺繍も同じ白い糸でね。
「それは決まっているのですか!?」
 やたらと話が具体的ですが、決まっているのではないでしょうね?
「とうに決定事項だけれど?」
 キャプテン抜きの秘密会議でね。
 メンバーはもちろん長老たちとぼくで、シャングリラの最高機関ということになる。
 たとえキャプテンが抜けていたって、そのキャプテンについての会議なんだし…。
 何の問題も無いと思うよ、キャプテン抜きで決めていたってね。
 キャプテンの処分を決める会議に、キャプテンが必要無いのと同じで。



 秘密会議とやらが何処で開かれたものかは知りたくもなかった。
 調べた所で、彼らは尻尾を出さないだろうけれど。
 そして…。
「ほら、君のハンカチ」
 出来たと言うから、青の間に届けさせたんだ。君の部屋の方に届けさせたら、見なかったことにしかねないしね、君の場合は。
 ソルジャーのぼくから手渡されたら、使うより他に無いだろう?
 明日からポケットに入れて出たまえ、ブリッジにね。
 ちゃんと中身を確認して、とブルーから手渡された箱。一日の終わりの報告のためにと出掛けた青の間で渡された箱。
 それはハンカチを入れてあるにしては、妙に大きな平たい箱で。
 けれど重さはさほど無かったから、広げた形で入っているのだろうと蓋を開けたハーレイは目を剥いた。
 白地に白い糸でミュウの紋章を刺繍した部分が見える形で畳まれたハンカチ、白い刺繍の紋章がズラリ。ずらして詰められたハンカチの数は二枚や三枚ではなくて…。
「こんなにですか!?」
 ハンカチはこんなに要らないのですが、五枚もあれば充分ですが…!
「基本はダースだとエラが言ったよ、王様や貴族がこういったものを作らせる時はね」
 毎日、取り替えるものだろう?
 そういう品物はダースで作っておくものらしいよ、だから今回はそれだけ作った。
 とりあえず、それで様子を見てみて…。次からはもっと増やしてもいいね、作らせる数を。



 箱に一杯、一ダースもあったミュウの紋章入りのハンカチ。
 ブルーに直接手渡されては、知らなかったふりなど出来はしないし、隠せもしない。次の日からポケットにそれを入れたけれど、引っ張り出す度に気恥ずかしかった。
 白いハンカチに白い糸だし、目立つわけではないのだけれど。
 それでも何処か恥ずかしいもので、そそくさとポケットに突っ込んだものだ。
(…なんたって紋章入りなんだしな?)
 そんなハンカチは誰一人として持ってはいないし、ブルーが言うには王侯貴族の習慣なるもの。
 ただのキャプテンには過ぎた品だと、贅沢すぎると気が引けもした。
 しかしブルーは許してはくれず、毎日、あのハンカチを持っているかと尋ねてはチェック。服のポケットから出させて調べて、使っていることを確認していた。
(…くたびれてくる前に次のを発注されちまったんだ)
 使用状況をチェックされていたから、新しいハンカチが作られて届き、今度もダースで。十二枚もの新品を前にして狼狽えていても、ブルーは涼しい顔だった。
 「ぼくの気持ちが少しは分かって来ただろう?」と。
 専用の紋章を作られてしまった恥ずかしさを君も味わうといいと、そのハンカチはこれから先も君専用に作らせるからと。
(まったく、前のあいつときたら…)
 それでもいつしか、慣れて普通になったけれども。
 白いハンカチに白い刺繍でミュウの紋章、それが自分のハンカチなのだと。
 前の自分にそれを押し付けたブルーの涙も、幾度となく拭っていたのだけれど…。



(キャプテン・ハーレイのハンカチか…)
 そういうハンカチを持っていたなと、白地に白の刺繍だったなと思い出していたら。
 遠い記憶の彼方から出て来たハンカチの手触りを懐かしく思い返していたら。
「ねえ、ハーレイ。あのハンカチの復刻版ってあるのかな?」
 前のぼくの食器は復刻版が出てるよ、シャングリラの食堂の食器もね。
 キャプテン・ハーレイのハンカチなんかも売られているかな、デパートとかに行けば?
「あのハンカチなあ…。そいつは多分、無いんじゃないか?」
 探すだけ無駄だと俺は思うぞ、あのハンカチの復刻版は。
「なんで?」
 ミュウの紋章入りのハンカチなんだよ、シンプルだから使えそうだけど…。
 食器なんかよりも出番も多いし、値段も高くはならないだろうし。
 ハンカチ売り場に並べておいたら、きっと人気の商品になると思うのに…。
「人気商品も何も、存在自体が知られていないぞ」
 あのハンカチのことを航宙日誌に書いてはいないし、俺しか使っていなかったしな。他の誰かに貸し出すようなものでもないだろ、ハンカチは?
 俺のハンカチにあの紋章が入っていたこと、知らなかったヤツらも多いんじゃないか?
 同じシャングリラで暮らしていたって、白いハンカチを愛用しているって程度の認識でな。
「もったいない…!」
 あのハンカチは記録に残らなかったわけ?
 ハーレイ専用に作らせてたのに、すっかり忘れられちゃったわけ…?
 ミュウの紋章入りの白いハンカチ、前のぼくもとっても気に入ってたのに…!



 それじゃ注文して作ろうよ、と小さなブルーは言い出した。
 復刻版が無いと言うなら注文で刺繍を入れればいいと、あのハンカチをもう一度、と。
「作れないことはないでしょ、ハーレイ?」
 ミュウの紋章は今もデザインとしてきちんと残ってるんだし、大きさとかを指定すれば。
 こんなハンカチを作りたいんです、って注文したって、きっと不思議だとは思われないよ。あのデザインが好きな人なんだな、って勝手に思い込んで作ってくれるよ。
「…それは確かにそうなんだが…」
 あれに良く似たハンカチを探して、刺繍する場所や大きさを決めれば出来るだろうが、だ。
 そんなものを作って何にするんだ、どう使うんだ?
「ぼく専用」
「ぼく専用って…。今度はあれをお前が持つのか?」
「ううん、今日みたいに使って欲しいな、って」
 ハーレイのポケットからヒョイと出て来て、ぼくのためだけに。
 ぼくの涙を拭いてくれたり、他にも色々。
 何処かに出掛けて、手を洗った時に「使え」って渡してくれるとか…。



「ふうむ…。お前専用のハンカチなあ…」
 そうは言われても、俺のポケットに入っている以上は、いろんな相手に使うと思うが。
 同僚の先生に「ちょっと貸してくれ」と言われて手を拭くために貸すとか、クラブのガキどもに貸してやるとか。
 いくらお前が自分専用だと主張したって、そいつは無駄だと思うんだがな?
 デートの時しか使わない、って決まりにするなら話は別だが。
「うー…」
 それじゃ駄目なんだよ、とっておきのハンカチってわけじゃないんだから!
 いつもハーレイのポケットにあって、いつでも出せるのがいいんだよ!
 ハーレイ専用のハンカチだけれど、ぼく専用。
 そういうハンカチにしたいんだから…!



 前のぼくみたいにしたかったのに、とブルーが唇を尖らせるから。
 あのハンカチで何度も涙を拭いて貰ったと、今日のように優しく拭いてくれたと膨れるから。
「そのこと自体は否定しないが…。俺だって忘れたわけではないが、だ」
 子供の鼻だって拭いてやったぞ、公園や通路で転んじまってベソをかいてた子供のな。
 涙どころか鼻水まで出て、そりゃあ凄まじい泣き顔だったが、それを拭くのもあのハンカチだ。俺のポケットにはアレしか入っていないんだからな?
「えっ…!」
 そういえばハーレイ、よく子供たちの涙を拭いていたっけ…。
 だけど涙や鼻水でグシャグシャになったハンカチ、ぼくは一度も見てないよ?
 ハーレイがあのハンカチを持ってるかどうかをチェックしていた頃にも見てないけれど…。
「当たり前だろ、誰が汚れたハンカチをそのまま持ち続けるんだ」
 汚れちまったら、新しいヤツと取り替える。でなきゃハンカチを持つ意味が無い。使いたい時に使えないようじゃ、全く話にならないだろうが。
 幸か不幸か、お前、いつでもダースで作らせてくれていたしな?
 スペアは山ほど持っていたんだ、ブリッジにも予備が置いてあったぞ。いつでも部屋まで取りに帰れるとは限らないしな、そういった時に備えてな。



 だから俺のハンカチはいつでも綺麗だったんだ、と腕組みしてニヤリと笑ってみせた。
 汚れたハンカチは洗濯に回して、新品同様になって戻ってくる。それをポケットに忍ばせる。
「つまりだ、お前の涙を拭いてたハンカチ、その前の日にはガキの鼻水を拭いてたかもな?」
 流石に前の日ってことはないかもしれんが、いちいち印を付けちゃいないし…。
 運が良ければ、お前にしか使わなかったヤツが一枚か二枚くらいはあったかもしれん。
 しかしだ、どう考えてもガキの鼻水とお前の涙の両方を拭いたハンカチが圧倒的多数ってことになるんだろうなあ、ガキの方がしょっちゅう泣いてたからな。
「そうなっちゃうわけ…?」
 ぼく専用だと思っていたけど、洗って綺麗になった段階でぼくに使っていただけで…。
 前の日には転んだ子供の涙や鼻水を拭いたハンカチだったの、ねえ、ハーレイ…?
「今頃になって気付いたのか、お前?」
 俺のハンカチの使い道くらい、きちんと把握するべきだったな。
 持ち物チェックをやっていたなら、使い道の方もしっかりチェックをしておかないとな…?
「そんなことまで気が回らないよ…!」
 ハーレイ専用のハンカチだよね、って見てただけだよ、ぼくの涙を拭いてくれた時に…!
 ぼくが大泣き出来る場所って、ハーレイの前しか無かったから…。
 ぼくの涙を拭いてくれる人も、ハーレイだけしかいなかったから…!



 自分専用のハンカチだったと思っていたのに、と盛大に嘆くブルーだけれど。
 そのハンカチの使用状況を指摘されればその通りだから、ブルーはグウの音も出ない。そうではないと、それは違うと反論することは出来ないわけで。
「分かったな? あのハンカチの復刻版を作ったとしても、お前専用にはならないさ」
 前のお前の時と同じだ、ガキの鼻水もお前の涙も一緒くただ。
 今度はガキどもが少しデカくて、鼻水じゃなくて洗った手を拭くって違いくらいだな。
「酷いよ、ハーレイ…!」
 何度も鼻水って言わなくってもいいじゃない…!
 前のぼくの涙も子供たちの顔も同じハンカチで拭いていた、って言い方だって出来るのに…!
 何度も何度も鼻水、鼻水、って、ハーレイ、ぼくを馬鹿にしていない…!?



 あんまりだよ、と文句をつけるブルーだけれど。
 ハンカチの思い出が台無しになったと苦情も述べているのだけれども、あのハンカチ。
 白地に白い糸の刺繍の、ミュウの紋章入りのハンカチに未練はたっぷりとあるようだから。
 もう一度あのハンカチを目にしてみたいと、自分専用に出来るならばと考えているのが手に取るように分かるから。
(またあのハンカチを作られるのか…?)
 キャプテン・ハーレイだけが持っていた白いハンカチ。ミュウの紋章入りのハンカチ。
 まさか作りはしないだろう、と思うけれども、いつかブルーと結婚したなら。
 ある日、ブルーが笑顔で差し出してくるかもしれない。
 軽いけれども大きな箱を。包装された平たい箱を。
 あのハンカチを注文したのだと、君専用だと、一ダースほども。
 今度はぼくのためだけに使ってくれるよね、と甘えた声で念を押しながら…。




          白いハンカチ・了

※キャプテン・ハーレイが持っていた白いハンカチ。ミュウの紋章が刺繍された品。
 前のブルーの涙を拭ったハンカチですけど、他にもあった使い道。子供たちのお世話用。
  ←拍手して下さる方は、こちらからv
  ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv










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