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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

角砂糖の火

(ふうむ…)
 久しぶりに、とハーレイはコーヒーを淹れながら考えた。
 ブルーの家に寄れずに帰って来たから、食後の時間はたっぷりとある。こんな夜には…。
 長らくやらなかったカフェ・ロワイヤル。
 小さなブルーと再会してからは、多分、一度も。
 ブランデーに浸した角砂糖に火を点け、溶けた砂糖を入れて飲むコーヒー。目で、舌で楽しめる洒落た飲み物。ゆっくりコーヒーを飲みたい時にはピッタリなのだが…。
(暖かかったからな)
 五月の三日にブルーと出会った。前の自分の記憶も戻った。
 それから季節は初夏へ、夏へと移り変わって、暖かいどころか暑すぎたほど。そういう季節には思い出さない、飲みたい気分にならない飲み物、カフェ・ロワイヤル。
 けれども、今の季節には合う。秋の夜長によく似合う。これから訪れる寒い冬にも。
 熱いコーヒーも悪くないのだが、ひと手間かけて楽しみたいならカフェ・ロワイヤル。



(豪快にやるのが俺流なんだ)
 専用のスプーンを置いているような店で出される、お洒落なソーサーつきのカップも来客用にと揃えてはある。しかし、それよりマグカップ。愛用の大きなマグカップがいい。
(寛いで飲むなら普段のカップがいいってな!)
 此処は自分の家なのだから。好きな時間にコーヒーが飲める場所なのだから。
 カフェ・ロワイヤル用のスプーンも要らない。
 マグカップの上に渡して置いてもバランスを崩さない、大きめのスプーンがあればいい。
 何度も家で作っているから、どのスプーンが一番使いやすいかも分かっているし…。
(うん、こいつだな)
 銀色のスプーンを一本取り出し、コーヒーを満たしたマグカップと一緒にトレイに載せた。
 それに角砂糖と、小さな器にブランデーを少し。
(後は、と…)
 カフェ・ロワイヤルにはこれだ、とトレイにそれを載せたら出発だ。
 リビングもいいが、やっぱり書斎。あそこの机がいいだろう。小さなブルーにプレゼントされた羽根ペンが置かれている机。ブルーと二人で写した写真も飾ってある机。
 其処が落ち着く、とトレイを手にして歩いて行った。
 この秋、初めてのカフェ・ロワイヤル。それを飲むならあの部屋がいいと。



 書斎に運んだマグカップ。それを机に置き、明かりを落とした。足元を照らす常夜灯だけ。
 カップの上にスプーンを渡して、角砂糖を一個、スプーンに載せて。
 その角砂糖の上からブランデーをそうっと注いでやる。スプーンが一杯になるだけの量を。
(ボトルから直接っていうのは駄目なんだよなあ…)
 最初の頃はそれで失敗したものだ。どうしてもついてしまう勢い、スプーンが傾いて落っこちてしまう角砂糖。カフェ・ロワイヤルにはなってくれずに、ただのブランデー入りのコーヒー。
 失敗を重ねて、諦めた。この部分だけは自分流では無理なようだと、店で供される時の淹れ方に倣ってやるしかないと。ブランデーを小さな器に移して、そこから静かに注ぐべきだと。
(何回、失敗したんだか…)
 スプーンごとコーヒーに落下して行った角砂糖は幾つあったのか。
 今ではすっかり慣れたものだし、そんな失敗も過去の笑い話になったけれども。
 角砂糖とブランデーを載せたスプーンは、マグカップの上で平衡を保っているけれど…。



 準備が出来たら、ライターの出番。
 煙草の類はやらないけれども、家には常に置いている。蝋燭などに火を灯したいならライターが無くては話にならない。今の時代でも、火を点けるためのライターはあった。
(…こいつはマッチじゃいけないんだ)
 今でもマッチはあるけれど。
 箱で擦れば火が点くマッチはレトロなアイテムとして人気だったし、自分も持っているけれど。
(その辺りは前の俺と似てるな)
 わざわざマッチを買いたがるというレトロ趣味。
 前の自分が木で出来た机や羽根ペンを好んだのとよく似ている、と頬が緩んだ。
 カフェ・ロワイヤルにもマッチが似合うと素人は思うだろうけれど。
 暗くした部屋で角砂糖に火を点けるのだったら、そういった道具が似合いそうだと考えがちではあるのだけれど。
(そいつは絶対、厳禁だってな)
 カフェ・ロワイヤルにはマッチは合わない。
 マッチの匂いが角砂糖に移ってしまうから。せっかくの風味を台無しにしてしまうから。



 ライターの火を角砂糖に近付け、火を点けて。
 そこから上がった青い炎に息を飲んだ。
(ブルー…!)
 前のブルーのサイオン・カラー。
 それを思わせる炎が揺れる。ブランデーが燃える青い炎が、角砂糖を包んだ青い炎が。
(前のあいつだ…)
 ブルーの色だ、と青い炎に魅せられた。
 暗い宇宙を駆けてゆく時、ブルーの身体を包んでいた色。青く輝くサイオンの光。
 その青を纏っていたブルー。前の自分が愛したブルー。
 小さなブルーは愛らしいけれど、前のブルーは気高く、そして美しかった。
 誰よりも愛したソルジャー・ブルー。メギドで逝ってしまったブルー…。



 炎が消えて、我に返って。
 溶けた角砂糖をコーヒーに入れて、部屋の明かりを点けた所でふと考えた。
(あいつと飲めば良かったなあ…)
 青い炎を上げるカフェ・ロワイヤルを、前のブルーと。
 机の引き出しの中、日記を上掛けに被せてやっている写真集の表紙に刷られたブルーと。
 『追憶』というタイトルがついたソルジャー・ブルーの写真集。表紙には青い地球を背景にした前のブルーの写真があった。
 正面を向いた、一番有名なブルーの写真が。悲しみと憂いを秘めた瞳のブルーの写真が。
 その写真集を出して、一緒にカフェ・ロワイヤルを楽しめば良かった、前のブルーと。あの青い炎を、前のブルーのサイオン・カラーを思わせる色を。
 失敗だったな、と思ったけれど。
(いや、あいつは…)
 コーヒーも酒も駄目だったな、と苦笑した。
 どちらも苦手で好まなかったソルジャー・ブルー。
 カフェ・ロワイヤルなどを飲めと言っても、きっと喜ばないだろう。顔を顰めるだけだろう。
 こんな飲み物はとても飲めないと、コーヒーと酒を合わせたものなど、と。
(あいつは飲みやしないよなあ…)
 嫌そうな顔が見えるようだ、と前のブルーを思い浮かべてみたのだけれど。
 これを見たならどんな顔をするのだろうか、と遠い記憶の中のブルーの、それらしい表情を探し求めようとしたのだけれど。



(そうだ、あいつが点けてくれたんだ)
 不意に蘇って来た記憶。思い出しさえしなかった記憶。
 前の生で飲んだカフェ・ロワイヤル。
 それを飲む時、前のブルーが角砂糖に火を点けてくれていた。いつも、いつも、いつも。
 最初はただの友達として。
 面白そうなことをしているから、とカフェ・ロワイヤルを飲む時は、いつも。



 遥か時の彼方、白いシャングリラで暮らしていた頃。
 青の間で好奇心一杯で尋ねたブルー。
「ハーレイ、何を始めるんだい?」
 コーヒーだってことは分かるんだけどね、ブランデーだのライターだのって…。
 ブランデーはともかく、コーヒーを飲むのにライターなんかが要るのかい?
「そのようです。こういう飲み方を見付けまして…」
 カフェ・ロワイヤルと呼ぶそうです。
 面白そうな飲み方ですから、あなたにもお見せしようかと…。まだ試してはいないのですが。
「ふうん…?」
 ぼくの分までは作らなくていいよ、コーヒーは好きじゃないからね。
 だけど見学させて貰うよ、カフェ・ロワイヤルとかいうものを。



 ブリッジでの勤務が終わった後のティータイム。
 ソルジャーだったブルーに一日の報告を済ませ、青の間で二人でお茶を飲むのが常だった。
 ブルーは紅茶で、自分もそれに付き合ったけれど、たまにはコーヒー。
 そんな日々の中、データベースで見付け出して来たカフェ・ロワイヤル。同じ試すならブルーの前で、とブランデーとライターを用意して行った。
 シャングリラにコーヒーの木は無かったから、代用品のキャロブのコーヒー。ブランデーも合成だったけれども、カフェ・ロワイヤルは作れる筈だと、それをブルーと二人で見ようと。



 ソーサーつきのカップにコーヒーを淹れて、カップの上にスプーンをそうっと渡した。その上に角砂糖を一つだけ載せ、小瓶に入れて来たブランデーを注ぐ。スプーンの縁まで、ひたひたに。
 青の間の照明は元々強くはなかったけれども、更に落として、それからライター。
 角砂糖に火を灯した途端に、上がった炎。青の間の光でも青と分かる炎。
「へえ…!」
 これは凄いね、角砂糖に火が点くなんて。
「綺麗な火ですね、ここまでとは…」
 百聞は一見に如かずと言いますが、こんなに美しい火だとは思いませんでした。
 もっと赤いかと、炎らしい色かと思ったのですが…。



 角砂糖を包み込んで揺れていた、青かった炎。
 ぼくの色だ、とブルーが笑った。
 ぼくのサイオン・カラーとまるで同じだと、角砂糖がタイプ・ブルーになったと。
 炎が消えた後、溶けて崩れた角砂糖を落としてかき混ぜて出来たカフェ・ロワイヤル。ブルーは味見だと飲みたがったものの、やはり一口で音を上げた。
「見た目は綺麗だったんだけど…。味はやっぱりコーヒーだよ」
 おまけにブランデーの味までするし…。いつものコーヒーよりも倍は酷いね、この味はね。
「そうでしょうか?」
 私には味わい深いのですが…。コーヒーも酒も好きですからね。
「君の好みは理解しかねるよ、こと飲み物についてはね」
 なんだってコーヒーなんかがいいのか、お酒なんかが好きなのか…。
 ぼくには全く理解出来ないし、分かりたいとも思わないね。
 でも…。



 次からはぼくが点けてあげるよ、とブルーは笑顔で言った。
 この飲み物は苦手で飲めないけれども、君が気に入ったと言うのなら、と。
「それに見た目は悪くないからね、カフェ・ロワイヤル」
 ぼくのサイオン・カラーと同じ色だし、角砂糖が燃えるというのも面白いし…。
 君が準備をするんだったら、次からはぼくが手伝うよ。
 もうライターは用意しなくていいからね。
 持って来なくてもいい、と笑みを浮かべたブルー。
 そしてサイオンで火を点けてくれた。
 カフェ・ロワイヤルの用意をする度に、指先一つで。角砂糖をスッと指差すだけで。
 自分は決して飲まなかったけれど。
 苦くて酒の味までするから嫌だと、この趣味は理解出来ないと。



 けれど、恋人同士になって暫く経った頃。
 身も心も結ばれ、二人きりで過ごす時には手袋をはめなくなったブルーの手に、ライター。
 カフェ・ロワイヤルの用意をしていた間に、何処からか取り出したらしいライター。
 ブルーならば瞬間移動で簡単に持って来られるとは思うけれども。
「それで点けるのですか?」
 サイオンではなく、と訊いてみれば。
「ひと手間かけたいと思うじゃないか」
 恋人のために、と返った答え。
 指先一つで点けていたのでは有難味が無いと、ここはライターを使うべきだと。
「あなたのサイオンでも同じですよ」
 サイオンを使って頂くのですから、同じことです。
 ライターよりも簡単だなどと、手間を惜しんでサイオンなのだと私は思いはしませんが…。
「でも、やってみたい」
 君のためだからね、ライターの力を借りてみたいよ。
 ぼくの手を使って操作しないと、ライターでは火は点かないんだしね。



 そうは言ったものの、ブルーは普段にライターを使いはしないから。
 火を点けたことなど無いに等しいから、おっかなびっくり、点けていたブルー。
 角砂糖に火が点いて炎が上がると、文字通り後ろに飛び退いた。
 手が焦げるとでも思ったのだろうか、その目は丸く見開かれていて、こう言ったものだ。
 やはりサイオンの方が楽だと、ライターで点けるのは少し怖いと。
「怖いだなどと…。ライターが怖いと仰るのですか?」
 それとも燃え上がった火の方でしょうか、ほんの小さな炎ですよ?
 蝋燭の炎とさほど変わらないと思うのですが…。
 もっと大きな炎であっても、あなたの身体を傷つけることなど出来ないでしょうに。
「うん。ぼくなら火傷はしないんだけどね」
 アルタミラでも散々に実験されたし、あそこから逃げる時にも炎をくぐって走っていたし…。
 今だってアルテメシアに降りる時には、炎を隠れ蓑にしたりもするよ?
 でも…、と手袋をはめていない白い右手に左手で触れていたブルー。
 手袋が無いと少し怖いと、怖いような気がするのだと。
 ソルジャーの衣装は炎や爆風からブルーの身体を保護するように出来ていたから、そう思うのも無理は無いだろう。手袋など無くとも大丈夫なのに、無いと頼りなく思えるのだろう。
 真空の宇宙を生身で駆けてゆける力を持っているのに、手袋などよりブルー自身が持つ防御力の方がずっと上なのに。



 けれども、手袋が無いことを怖がるブルー。それはブルーが守られたいと思っている証。
 ソルジャーとして守る立場に立ち続けて来たブルーだけれども、ブルーも同じ人間だから。弱い部分も持っているのだから、守りたい。守ってやりたい。
 だから、その手の甲に口付けた。恭しく。
「なんだい、ハーレイ?」
 急に芝居がかったことをして…。これは何かの悪戯かい?
「火を点けて下さった御礼ですよ」
 サイオンではなくて、ライターで。
 怖い思いをなさったのでしょう、そこまでのことをして下さった御礼をさせて頂きました。勇気溢れる、あなたの右手に。
「ぼくの右手に…?」
 君が御礼を言ってくれるんだ、ぼくは火を点けただけなのに。
 サイオンじゃなくてライターだったし、火を点けたのはライターなんだけれどね…?



 手の甲への口付けが本当に嬉しかったのだろう。
 それからもカフェ・ロワイヤルの用意をする度、怖いと言いつつライターで点けていたブルー。
 火が上がると慌てて逃げていたけれど、サイオンはたまにしか使わなかった。
 ひと手間かけたいと、君のためにとライターにこだわっていたブルー。
 カフェ・ロワイヤルは飲まなかったけれど。
 苦くて酒の味もするからと、味見さえも滅多にしなかったけれど。
(今のあいつなら…)
 小さなブルーなら、どうなるのだろう?
 前と同じにコーヒーが苦手な小さなブルー。酒が飲める年でもないブルー。
(しかしだ、思い出したなら…)
 またライターを持ち出すのだろうか、そして怖いと騒ぐのだろうか?
 悪戯心が頭を擡げる。
 明日は土曜日だから、やってみようか、ブルーの家で?
 前のブルーが火を点けてくれたカフェ・ロワイヤルを、小さなブルーの目の前で。



 次の日、午前中からブルーの家に出掛けて、ブルーと二人でのんびり過ごして。
 両親も交えての夕食の後で、ブルーの母に頼んだコーヒー。小さなブルーはコーヒーが駄目だと分かっているから、自分の分だけ。
 カフェ・ロワイヤルをして見せたいので、用意をお願い出来ますか、と。
 ソルジャー・ブルーとの思い出です、と、シャングリラでもやっていたのです、と。
(嘘をついてはいないしな?)
 そう、全くの嘘ではない。
 前のブルーと友達同士であった頃から、カフェ・ロワイヤルを飲んでいたのだから。
 火を点ける道具が途中で変わってしまっただけで。
 前の自分とブルーとの仲が、恋人同士に変わっただけで…。



 夕食を食べたダイニングから二階のブルーの部屋に戻って、待っている間に用意が出来て。
 ブルーの母がトレイにコーヒーの入ったカップと、紅茶のカップとを載せて来た。
 ソーサーつきのコーヒーカップの隣に置かれたブランデー入りの器や、大きめのスプーン。
 それらを並べた母が「ごゆっくりどうぞ」と出て行った後で、ブルーが紅茶を前にして訊いた。
「カフェ・ロワイヤルって、何?」
 コーヒーだろうけど、何か特別なコーヒーなの?
「忘れちまったか?」
 前のお前は何度も見ていた筈だがなあ…。俺が飲むのを。
 手伝ってもくれていたんだけれどな、お前は覚えていないかもなあ…。



 カップの上にスプーンを渡して、角砂糖を載せて。
 ブランデーを注いで準備する間に、どうやらブルーは思い出したらしく。
 部屋の明かりを消して常夜灯だけになった途端に、サッとライターを手に取った。
「ぼくが点けるよ」
 点けてあげるよ、前のぼくがいつも点けていたでしょ?
 ハーレイがカフェ・ロワイヤルを飲みたい時には、いつだって、ぼくが。
「怖いくせに」
 火が点いた途端に逃げていたくせに、チビのお前に点けられるのか?
 前のお前でも怖がったんだぞ、もっとデカイ火でも軽くシールド出来たくせにな。
「それは覚えているけれど…。でも…」
 ライターで点けるの、ぼくだったよ。前のぼくもライターで点けてたってば、怖くっても。
 ぼくの係、と譲らなかったブルーだけれど。
 ブランデーが染み込んだ角砂糖にライターで火を点けたけれども。
「火…!」
 悲鳴にも似た声が上がって、引っ込められた小さな手。
「ほら見ろ、やっぱり…」
 怖いんだろうが、そいつは一気に燃え上がるからな。アルコールだけに早いんだ。



 しかし角砂糖に火は点いた。
 コーヒーカップの上で青い炎が揺らめいている。角砂糖を包んで溶かしながら。
「綺麗な青だね…」
 ちょっとビックリしちゃったけれども、とっても綺麗。
「お前の色さ」
 前のお前のサイオン・カラーはこいつに似ていた。お前も自分の色だと言ったぞ、この色がな。
「そうだけど…。そう言ったけれど…」
 今のぼくには出せない色だよ、サイオンが上手く使えないから。
 こんなに綺麗な青が見えるほどの、強いサイオンは出せないみたい…。
「そうらしいな?」
 飛べないどころか、思念波も上手く使えないレベルと来たもんだ。
 前のお前と全く同じなタイプ・ブルーに生まれたくせにな。



 火が消えて、明かりをもう一度点けて。
 崩れた角砂糖をコーヒーに溶かし込んでいたら、ブルーが呟く。
「あれがぼくの色…」
 青い火の色とおんなじ色…。
「そうさ。多分、今のお前には出せない色がだな」
 頑張ってみても、前のお前と同じってわけには行きそうにないし…。
 しかしだ、今度のお前はそれでいいんだ。守らなければならないものなど無いんだからな。
 俺が何度も言っているだろ、今度は俺がお前を守るんだ、って。
「うん…」
 それはとっても嬉しいけれども、ハーレイに守って欲しいけど…。
 でも、とブルーはカフェ・ロワイヤルが入ったコーヒーカップを見詰めた。
 サイオンで点火は無理だけれども、今度も点けてあげたいと。
 ハーレイがカフェ・ロワイヤルを作る時には、ライターで自分が火を点けるのだと。
 今日もなんとか点けられたのだし、これからだって、と。



「ハーレイのために点けてあげたいよ」
 だって恋人なんだから、と差し出された手。小さな白い手。
 キスが欲しいと、この手の甲にと。
 いつもハーレイはキスをくれたと、前の自分がライターで火を点けた時にはいつも、と。
「そこまで思い出しちまったのか…!」
 ライターで点けたってトコまでじゃなくて、そんなのも思い出したのか…!
「うん、思い出した。ちゃんとライターで火を点けてあげたよ」
 だからちょうだい、ハーレイのキス。
 手の甲だったら唇じゃないし、貰えそうだと思うんだけど…。駄目…?
「なんだってチビの手の甲なんぞに俺がキスしないといかんのだ!」
 お前へのキスは頬と額だけだ、何度もそう言った筈だがな?
 手の甲は頬でも額でもないし、当然、駄目だと決まってるってな。
「ハーレイのケチ…!」
 ぼくは頑張って火を点けてたのに、ハーレイ、御褒美くれないんだ?
 チビだって言うだけで御褒美も無しで、ハーレイだけ美味しくカフェ・ロワイヤルを飲むって、あんまりじゃない…!
「知らんな、お前が勝手にやったんだしな」
 どうしても御褒美を寄越せと言うなら、味見させてやるが。
 美味いぞ、お前が火を点けてくれたカフェ・ロワイヤル。飲むんだったら分けてやるがな?
「そんな御褒美、要らないよ!」
 前のぼくだって苦手だった飲み物、ぼくが飲めるわけないじゃない!
 酷いよ、ハーレイ、チビだと思って馬鹿にして…!



 小さなブルーは膨れたけれども、放っておいた。
 手の甲に恭しくキスを贈るにはまだ早すぎる、小さなブルー。十四歳にしかならないブルー。
 素知らぬふりをしてカフェ・ロワイヤルのカップを傾けていたら、赤い瞳に見詰められて。
 いつかハーレイと結婚したら、とブルーが強請る。
 ライターで火を点けてみていいかと、キスをくれるかと。
「ハーレイがカフェ・ロワイヤルの準備をしてたら、火を点けていい?」
 ちゃんとライターで火を点けてあげるから、手の甲にキスをしてくれる…?
「結婚した後なら、別にかまわないが…」
 キスは駄目だと止める理由も無いからな。
 火を点けてくれるというのも大いに有難いがだ、そいつは俺からキスを貰うためか?
 手の甲にキスを貰いたいから、お前が火を点けにやって来るのか…?
「ううん、そういうつもりじゃないよ」
 もちろんキスは欲しいけど…。
 今のぼくはサイオンでは火を点けられないから、どうしてもライターになっちゃうんだよ。
 ちょっと火傷が怖いけれども、頑張ればきっと上手になるよ。
 逃げなくっても、慌てなくっても、角砂糖に火を点けられるようになってみせるよ。



 そうなれるように練習するよ、と微笑まれた。
 ハーレイのために、と。
「だって、ハーレイのためなんだもの。前のぼくだってそう言っていたよ」
 ひと手間かけたいって、恋人のためだからそうするんだ、って。
 サイオンで一瞬で点けていたのを、ライターに切り替えて頑張ってたもの、前のぼくだって。
「うーむ…。お前が練習なあ…」
 どうしてもやりたいと言うんだったら、止めはしないが。
 キスだってきちんと贈ってやるがだ、気を付けて練習してくれよ?
 お前は前のお前と違って、小さな火だって避けられそうにないんだからな。



 強大な防御能力を持っていながら、手袋が無いと火を怖がっていたソルジャー・ブルー。
 前の自分と二人きりの時だけ、手袋を外していたブルー。
 けれども今のブルーは手袋などははめていなくて、今も小さな白い手が見える。
 いつかは前と同じに華奢で細い指の、それは美しい手になるのだろうけれど。
 今はまだ幼さが残る子供の手。十四歳の子供に似合いの手。
 この手が大きく育ったところで、サイオンの扱いが上達するとは思えない。前のブルーと同じになるとは思えない。
 ライターを持って火を点ける時に、失敗したなら火傷しそうな手なのだけれど。
 角砂糖と一緒に炙られてしまって「熱い!」と大騒ぎしそうだけれど。



(…そいつもいいかな)
 何度か失敗をやってしまって、痛い目に遭ってもブルーは懲りはしないだろう。
 頑固な所は前のブルーと変わらないから。こうと決めたら、きっと譲りはしないだろうから。
 おっかなびっくり、ライターで火を点けてくれるブルー。
 カフェ・ロワイヤルは飲まないくせに。
 苦い上に酒の味までがすると、自分は決して飲まないくせに。
(それでも、きっとこいつなら…)
 目の前で瞳を輝かせている小さなブルー。
 ハーレイのために練習するのだと、ライターを持って頑張るのだと決意しているブルーならば、きっと本当に点けてくれるだろう。
 カフェ・ロワイヤルを飲もうと準備する度に、火傷しながらでも角砂糖に火を。
 自分は飲めないと、それは苦手だと、言いつつも味見するのだろう。
(でもって、苦いと文句を言うんだ)
 自分には理解出来ない趣味だと、とんでもない味の飲み物だと。
(そうなった時は、口直しをさせてやらんとな…?)
 ブルーが好きそうな甘いもの。
 角砂糖でもいいし、キャンディーでもいい。それを口へと落とし込んでやって、ブルーの口から苦さが消えるのを待ってやる。
 カフェ・ロワイヤルを味わいながら、ブルーを見守り、待っていてやる。



 そうして、笑顔が戻ったならば。
 もう苦くないと笑みが戻って来たなら、顎を捉えて、キスを交わして。
 甘い甘い二人きりの夜が始まる。
 カフェ・ロワイヤルの苦味など欠片も残らない、甘い甘い夜が。
 そんな夜を二人で、何度も、何度も。
 青い地球の上で、いつまでも二人、何処までも共に。
 今度こそ二人離れることなく、何度も何度もカフェ・ロワイヤルの角砂糖に火を灯しながら…。




           角砂糖の火・了

※前のブルーが、火を怖がりながらも使っていたライター。ハーレイのためにと。
 生まれ変わったブルーも頑張りましたが、ご褒美のキスは未来にお預けらしいです。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv








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