シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(あっ…!)
朝、起き上がろうとして覚えた眩暈。ベッドから身体を起こそうとした瞬間に。
ブルーはベッドに引き戻されたけれど。頭が枕に沈んだけれども、少し経ったら。
(…落ち着いた…?)
閉じていた目を恐る恐る開けた。ごくごく普通に天井が見える。見回せば、部屋も。揺れたりはしないし、回りもしない。
(んーと…)
慎重に身体を起こしてみた。両手をついて、そうっと、そうっと。
それから身体の位置をずらして、ベッドの縁に腰掛けてみて。
(…大丈夫だよね?)
気分が悪いとは感じない。立ち上がってみても眩暈はしない。身体が重いわけでもないし…。
本当に具合が悪いのだったら、恐らくこうはいかないだろう。ベッドに座り込むか、力が抜けて床にストンと座ってしまうか。
けれども、両足はきちんと力が入って床をしっかり踏みしめていた。普段と全く変わらない。
(気のせいだったとは思わないけど…)
眩暈は確かに起こしたのだけれど、大したことはない、とブルーは結論付けた。
今日はハーレイが来てくれる日なのだから。
朝から夜まで一緒に過ごせる、土曜日がやっと来たのだから。
(…学校に行く日だったらもう少し…)
慎重に考えもするのだけれど。本当にただの眩暈なのかと、時間をかけて見定めるけれど。
今の自分の体調はどうか、手足を動かして確かめてみたり、軽く体操してみたり。
以前だったら、そんなことすらしなかった。眩暈を起こせば大事を取って休んでいたから、何も行動しなかったけれど、今では違う。学校に行けばハーレイに会うことが出来るから。
(何度も失敗しちゃっているしね…)
ハーレイに会いたくて、ハーレイの授業を聞きたくて。
無理をして登校してしまった後、倒れてしまったり、何日も休む羽目になったり。
結果的にハーレイに会える日が減るという有様、それを重ねれば用心もする。
(でも…)
ハーレイが家に来てくれる方なら、自分は家で待っているだけ。学校に行くより負担も軽い。
それに、さっき眩暈を起こしたこと。
(ママに言ったら連絡されちゃう…)
ハーレイの家に。母は急いで通信を入れて、実はこうだと報告するに違いない。
そしてハーレイは来てはくれないだろう。来ればブルーが休めないから。ベッドで大人しくしているどころか、はしゃいでしまって疲れてしまうに決まっているから。
(絶対、来てはくれないんだよ…)
この家に来ずとも、ハーレイが休日を過ごせる場所は他に幾らでもあるのだから。
ジムへ泳ぎに出掛けてしまうか、柔道の道場へ行ってしまうか。
(内緒…)
眩暈のことを言ってはいけない。両親に知られるわけにはいかない。
両手で頬をパチンと叩いて気合を入れると、背筋をシャンと伸ばして顔を洗いに洗面所へ。鏡に映った自分はいつもと同じで、顔色が悪いわけではなかった。目元も眠たそうではないし…。
(うん、平気!)
これなら決して見破られない、と自信を持った。きちんと着替えてダイニングに行って、両親に朝の挨拶をすると「おはよう」と返って来た笑顔。父も母も全く気付いてはいない。
「ブルー、しっかり食べるんだぞ?」
「朝からそんなに入らないよ!」
パパみたいには食べられないよ、と文句を言いながらの朝食の席。眩暈のことはバレなかった。
お気に入りのマーマレードを塗ったトーストも食べられた。
ハーレイに貰ったマーマレード。ハーレイの母が作った夏ミカンの実のマーマレード。美味しく食べてミルクも飲んだし、自分でも眩暈を起こしたことなど忘れるほど。
食べ終えた後は部屋の掃除で、これも楽々と片付いたから。
(大丈夫!)
もう大丈夫、と嬉しくなった。何処も悪くないと、朝の眩暈は気のせいだったに違いないと。
少しだけ身体が重たいような気もするけれど。
ほんの少しだけ、ほんのちょっぴり。
とはいえ、二度目は起こらない眩暈。身体の重さも、疲れた日ならばよくあることで。
(体育の授業が終わった後だと、こうだよね?)
見学しないで出席した時は、暫く身体が重いと感じる。少し休めば元に戻るし、具合が悪くなるほどでもない。この程度なら…、と身体の重さは気にせず放っておくことにした。
そうして待つ内に、ハーレイが訪ねて来てくれたから。チャイムを鳴らす音がしたから、窓から大きく手を振った。
母の案内で部屋に入って来たハーレイに向かって「おはよう」と元気に挨拶もした。
なのに…。
母がテーブルにお茶とお菓子を置いて去って間もなく、覗き込まれてしまった瞳。
向かい合わせで腰掛けたハーレイの鳶色の瞳が、ブルーの瞳を見詰めるから。
(…バレちゃう?)
眩暈のことがバレてしまってはたまらない。身体が少し重たいことも。
それは困るから、何気ないふりで視線を逸らそうとしたら「駄目だ」と言われた。
嘘をつくなと、その目はそうだと。
「ついていないよ!」
ぼく、嘘なんかはつかないよ!
ホントだってば、ハーレイ、何を言い出すの?
「いや、分かる。…お前のその目は嘘をついてる目だってな」
いったい何を隠してる?
俺には言えないような何かか…?
「何も…」
隠していないよ、嘘じゃないよ。
ハーレイに嘘を言ったりしないよ、ホントだよ!
絶対に嘘をついてはいない、と言い張った。そんなことはないと、ハーレイの思い違いだと。
けれども、本当はそちらの方が嘘だから。言えば言うほど嘘を重ねるわけだから。
何度も重ねて問われる間に、だんだん俯いてしまっていて。
とうとう白状させられた。
朝に起こした眩暈のことを。身体が重いと感じることも。
「馬鹿、寝ておけ!」
そんな時に起きている奴があるか、お前、ただでも弱いんだろうが!
どうしてお母さんたちに言わずに嘘をついたんだ!
「だって…!」
言ったら、ハーレイ、来てくれないから…。
ママがハーレイに連絡しちゃって、ハーレイ、何処かへ行っちゃうから…。ジムとか、道場。
「お前なあ…。俺はそこまで薄情じゃないぞ、お前の具合が悪いというのに遊びに行くほど」
様子を見に来るに決まってるだろう、お前の家まで。
俺はジムには行っちゃいないし、これから出掛けるつもりも無い。
今日は一日、お前の家に居てやるから。
お前がベッドの住人でもな。
だからサッサとベッドに入れ、と叱り付けられた。
お母さんには俺が言ってくるから、と。
「少し具合が悪いようだ、と話してくる。その間にパジャマに着替えておけ」
お前の裸は目の毒だからな、俺にはな。
うっかり見たなら、我慢出来ずに食っちまうかもしれないだろうが。
「ハーレイっ…!」
ブルーは真っ赤になったけれども、ハーレイは悪戯っぽく片目を瞑った。
「冗談に決まっているだろう。お前みたいなチビを食うほど飢えちゃいないが、だ…」
その程度の冗談くらいはサービスしてやるさ、病人だからな。
今ので身体が温まったろ、温かい間に着替えておけよ?
お前のお母さんに話してくるか、とハーレイが部屋を出て行った後。
ブルーはパジャマを取り出したけれど、ふと考えた。
もしも着替えずにいたならば、と。
(…そしたらハーレイの前で着替えだしね?)
シャツもズボンも、下着だってパンツだけを残して他のは全部。脱いでしまって殆ど裸。
お風呂上がりにする時みたいに、そんな姿からパジャマをゆっくり着てみよう。
上から着るのが効果的だろうか、ズボンを先に履くよりも…?
(目の毒…)
パジャマの上だけを着けて足が覗くのと、上半身だけが見えているのと、どちらがいいのか。
よりハーレイの目の毒なのか、と思案を巡らせ、クスクスと笑う。
どちらの着方を選んだとしても、きっとハーレイは目のやり場に困ることだろう。いくら自分が子供であっても、裸は裸。肌の色などは前の自分と全く変わりはしないのだし…。
(ふふっ、ハーレイ、どうするかな?)
さっきの自分がそうだったように真っ赤になるのか、大人の余裕を装うか。
それでもきっと心の中ではドキドキするのに違いない。恋人の裸を見ているのだから。すっかり裸ではないにしたって、限りなくそれに近いのだから。
(どうなるんだろう…?)
楽しみだよね、とパジャマを抱えてベッドの端に腰掛けていたら、ノックの音。
扉が外から軽く叩かれ、ハーレイの声が聞こえて来た。
「グズグズしてないで早く着替えろよ?」
でないと入ってやらないからな。いつまで経っても。
「なんで分かったの!?」
着替えておくって、ぼく、言ったのに…!
「気配ってヤツだ、そいつで分かる」
さっさと着替えろ、そうしないなら俺は帰るぞ?
「待ってよ、それは困るってば!」
ちゃんと着替えるから、帰らないでよ!
ハーレイ、今日は一日いてくれるって言っていたじゃない…!
ブルーの目論見は見事に外れた。ハーレイは何もかもお見通しだった。
渋々、一人きりの部屋でパジャマに着替えて、「もういいよ」と扉の向こうに声を掛ければ。
「よし」と入って来たハーレイ。
それでいいのだと、チビのお前に裸の披露はまだ早いと。
「着替えたんなら、ベッドに入れ」
裸足でボーッと突っ立ってないで、早くベッドに入らんと身体が冷えてしまうぞ。
「うん…」
ゴソゴソとベッドに入って上掛けを引っ張ると、ハーレイが首元まで被せてくれた。その上から大きな手がポンと置かれて、「これでいいか?」と微笑まれる。
上掛けの具合は丁度いいかと、肩までしっかりくるまったかと。
「ありがとう、ハーレイ…」
これくらいでいいよ、あったかいよ。
でも…。
どうして分かるの、ぼくの嘘が?
眩暈を起こしたことを黙っていたのも、着替えないで部屋に居たことも…?
そのことが本当に不思議だったから。
どうして両親にも分からなかった嘘を見抜かれたのかと、着替えなかったことも知られたのかと不思議でたまらなかったから。
ベッドの中から見上げて尋ねると、ハーレイは「それはな…」と椅子を運んで来た。テーブルの所に置いてあった椅子を、いつも自分が座る方の椅子を。
その椅子をベッドの脇に据えると、腰掛けてブルーを見下ろしながら。
「お前、嘘をつくのが下手だからなあ、直ぐに分かるさ」
見てるだけで分かる、これは嘘だと。でなければ何か隠していると。
「心が零れてしまうから?」
ぼくは遮蔽がまるで駄目だから、考えてることが筒抜けなの?
パパやママにはバレなくっても、ハーレイには分かってしまうとか…?
「今のお前はそれもあるがだ、前の時から下手だった」
「前?」
「前のお前さ、ソルジャー・ブルーも嘘をつくのが下手だったんだ」
ただし、そいつは俺限定だったみたいだがな。
他のヤツらは騙されていたし、今のお前のお父さんやお母さんと似たようなものかもしれん。
しかし俺には通じなかった。どんな嘘でも分かっちまったな、嘘だとな。
怪我も病気も見抜いたろうが、とハーレイは言った。
シャングリラの誰もが気付きもしなかった、ブルーが負った怪我や身体の不調。そういった時も自分だけは必ず気付いていたと。ドクターに診せたり、ベッドに送り込んだりしていたと。
「…そう言われればそうだったっけね…」
ハーレイ、いつでも怖い顔をして睨み付けるんだ、ドクターに診て貰いましたか、って。
掠り傷だよ、って言っても連れて行かれたっけ、メディカルルームに。そんなに大した怪我じゃなくても、ちょっと掠っただけの傷でも。
「一事が万事だ、お前はいつでも隠してたからな」
掠り傷だと言われた所で信用できるか、この目で見るまで。実際、包帯を巻くような傷も負っただろうが、掠り傷だと言っていたがな。
「だけど、包帯程度だったよ? 縫うような怪我はしていないってば」
それなのにハーレイ、ホントに大袈裟なんだから…。ノルディに「怪我人です」って言うんだ、ぼくを無理やり引っ張って行って。
「当たり前だろうが、お前は嘘をつくんだからな」
どんな傷でも掠り傷なんだ、俺に信用されなくなっても当然だろうと思うがな?
それに病気の時も同じだ、平気なふりをして歩き回って、無理して悪化させちまうんだ。
誰も気付いちゃいないからなあ、そうなっちまう前にベッドに送り込めるのは俺だけだった。
どうしたわけだか、俺にしてみれば分かりやすい嘘が、他のヤツらは全く分からなかったんだ。
最たるものがメギドだった、とハーレイが零す。
あの嘘だけは見抜きたくなかったと、見抜けたことが辛かったと。
「…誰も気付いちゃいなかったんだ。お前が何を考えていたか」
お前が二度と戻らないこと、戻るつもりが無いということ。
「それは仕方ないよ、ぼくはハーレイにしか言わなかったよ」
ぼくがいなくなってもジョミーを支えてやってくれ、っていうことは。
みんなに知れたらパニックになるし、ハーレイにしか言葉を残せなかった。
ぼくは死ぬとは言わなかったけれど、あの言葉で気付かない方が変だよ、ぼくの気持ちに。
「いや、その前から分かっていたさ」
お前の目でな、とハーレイの顔が辛そうに歪んだ。
あの日に引き戻されたかのように。
ブルーがメギドへと飛んだあの日に、その直前のシャングリラに。
「…ブリッジへ来た時のお前の目。あの目が既に違っていたんだ」
いつものお前の目とは違った。俺には一目で分かっちまった。
お前は決意を固めたんだと、何もかもを捨てるつもりだと。シャングリラも、俺も、お前自身の命も、全部。何も残らない所へ行こうとしているんだと読めちまった。
直ぐにお前を止めたかったが、お前と来たら…。
ナスカへ降りると、ジョミーと一緒に説得に行くとスラスラと嘘をつくんだからな。
「…そうしなければ出して貰えなかったよ、シャングリラから」
あの段階ではメギドだとハッキリしていたわけじゃないけど、とにかく人類軍の攻撃。
それを防ぎに飛んでゆけるのも、命懸けでシャングリラを守って死んでも影響が出ないのも前のぼくしかいなかったし…。
あそこでぼくが出るのを止めたら、シャングリラは沈んでしまうんだから。
「それはそうだが、お前の嘘は上手すぎたんだ」
お蔭でお前が飛んでった後も、誰も気付いちゃいなかった。
お前が戻らないことに。二度と戻りはしないことに…。
それだけに余計、辛かった。
ブリッジの連中が掛けてくる言葉も、ナスカに残ったヤツらへの対処も。
お前が命を捨てようというのに、真っ直ぐに死へと飛んでったのに。俺の周りじゃ、その真実が見えていないヤツらが俺の指示を待っていやがるんだ。
ソルジャー・ブルーが死ぬというのに、長い長いことミュウを守ったお前が死ぬというのに。
…しかもお前は、俺にとってはソルジャー以上の存在だった。
お前が死んだら俺も死ぬんだと、数え切れないほどに誓った、前のお前に。
そのお前が一人で逝っちまうんだぞ、俺をシャングリラに残してな…。
最悪な気分だったんだ、と呻くハーレイ。
あの嘘だけは気付きたくなかったと、少しでも後に知りたかったと。
「お前の目だけで気付くよりはな、言葉の方で気付きたかった」
そうすりゃ少しは、ほんの少しは生き地獄の時間が減ってただろう。
ナスカに降りると嘘をつくお前を見守るヤツらに、イラついたりもしないでな。
お前に置いて行かれちまった俺の地獄は、あの瞬間から始まったようなものなんだ。ブリッジでお前を見送った後は、もう地獄へと一直線だ。
お前を失くして、一人残されて。
…それでも地球まで行くしかなかった、お前の言葉を守ってな…。
「ごめん…」
ぼくのせいだね、嘘をつくのが下手だったから。
ハーレイにも見破れないような嘘をつくべきだったね、普段はともかく、あの時だけは。
「いや、いいさ」
お前が俺に嘘を上手につけないってことを、あの時以外は辛いと思いはしなかったからな。
それまでは散々、役得もあった。だからいいんだ。
「役得?」
なにそれ、ぼくの嘘で何か得でもしてたの、ハーレイ?
「していたとも。数え切れないほどな」
お前の嘘を見抜けたからこそ、ソルジャー・ブルーの世話が堂々と出来た。
恋人同士だと全くバレずに、寝込んじまったお前を見舞って、世話して。
ただのキャプテンだとそうはいかんぞ、何故ソルジャーの世話をするのかと疑われてたな。
ブリッジを抜けて野菜スープを作りに行ってやるだとか…、と例を挙げたハーレイ。
前のブルーが好んでいたスープ。どんなに弱り果てた時でも、それだけは喉を通ったスープ。
何種類もの野菜を細かく刻んで基本の調味料だけでコトコト煮込んだスープは、ハーレイだけが作っていた。厨房の者たちは材料の野菜を用意するだけで、刻む所からハーレイがやった。
普通だったら、そうした仕事は厨房の係がしていただろう。
最初に作ったのがハーレイだとしても、次からはレシピを託された係が作っただろう。
ソルジャー・ブルーが好むスープはこう作るのだと、厨房にレシピが置かれていたことだろう。
けれども、そうはならなかった。
スープを作るのは常にハーレイ、キャプテンだったハーレイだけ。
「少し外す」とブリッジを抜けて厨房に出掛け、野菜を抱えて青の間に行って。奥のキッチンでスープを作っては、ベッドのブルーに食べさせていた。
そう、文字通りに「食べさせた」。
「熱いですよ」とスプーンで掬って、そうっと口へと運んでやって。
ブルーが自分で食べていたことも多いけれども、そうした甘い時間もあった。
ハーレイの手から、一匙ずつ。スープの器が空になるまで、何度も口を開けていたブルー。
誰も気付いてはいなかった。
ハーレイがスープを用意するだけの係ではないということに。
「な? 俺がお前の世話をしてても、誰も変だと思わなかったから出来たんだ、あれは」
まさかお前に食べさせてたなんて、厨房のヤツらでも気付きやしないさ。
俺が野菜を取りに行ったら労ってくれたぞ、「大変ですね」と。
大変どころか、俺はデートに出掛けるんだがな、堂々と仕事をサボッてな。
そういったことが出来たのも、だ…。
俺が最初に見抜くからだな、お前の嘘を。何処も悪くないと平気な顔をしてつく嘘を。
お前をベッドに送り込んでから、ノルディを呼んでいたからなあ…。
ノルディにも一目置かれてたんだぞ、「早めに治療に取り掛かれるので有難いです」と。
病気ってヤツは罹り始めの治療が大切だからな、こじらせてからじゃ遅いしな?
そしてだ、俺はますますお前の専属の係になれたってわけだ、病気の時の。
なんたってノルディのお墨付きだし、俺が一番、お前の体調が分かってるってな。
実に分かりやすい嘘だった、とハーレイが喉の奥で笑うから。
役得だった、と可笑しそうだから、小さなブルーは上掛けの下から問い掛けた。
「じゃあ、今のぼくの嘘は…」
どうなの、ハーレイ?
前のぼくと同じで、やっぱり下手くそ?
「分かりやすいさ、前以上にな」
今日だって見事に見破ったろうが、お前の嘘。
眩暈を起こしたことを黙っていたのも、着替えろと言ったのに聞かなかったこともな。
「それだと、全部バレちゃうの?」
どんなに頑張って嘘をついても、ハーレイにはバレてしまうわけ?
「多分な」
よほど工夫をしない限りはバレるだろうなあ、ついてもな。
工夫したって無駄だという気もしないでもない。前のお前でも俺には敵わなかったんだしな。
余裕たっぷりに言われてしまって、ブルーは唇を尖らせた。
「ぼくだけ嘘がバレちゃうだなんて、不公平だと思わない?」
だって、ぼくにはハーレイの嘘が分からないのに…。
いつだって「冗談だ」って笑われるまで騙されちゃったままだよ、ハーレイの嘘に。
「前のお前の時からそうだな、そいつはな」
俺がついてる嘘ってヤツにだ、気付かないっていうのはな。
「そうだよ、ハーレイ、読ませないんだ。…本当のことは」
読もうとしたって、ガードがうんと固くって。
…その代わり、教えてくれたけれどね。
もう食料が尽きてしまうんだ、って、ぼくにだけとか。
「あったな、そういう事件もな」
お前に教えちまったことを後悔したがだ、結果的には良かったか…。みんな揃って飢え死にってトコを助けられたからな、お前にな。
「ああいう所はいつも読めなかったよ、ずっと後になっても」
「そうか?」
「うん。一度も読めたことがなかった…」
ハーレイが自分一人の胸に収めておこう、って決めた部分は読めなかったんだ。
ぼくがどんなに頑張ってみても、それだけは読めはしなかった。
余計な心配をかけないように、って黙っていたこと、多かっただろうと思うけど…。
シャングリラの中でも、トラブルは色々とあっただろうから。…仲間同士の諍いとかね。
今度もやっぱりそうなのだろうか、とブルーが呟く。
自分の嘘ばかり見抜かれてしまって、ハーレイの嘘は見抜けないのかと。
「今度も同じかな、今日もハーレイにバレちゃったし…」
ハーレイに騙されて笑われちゃってることも多いし、おんなじなのかな…。
「さあな? そいつはどうだかなあ…」
結婚したら一緒に暮らすんだからな、俺が嘘をつく時の癖に気付いたりするかもしれん。
俺は自分じゃ気付いていないが、嘘をついた後にする仕草だとか、そういうのがな。
…だがな、今度は見抜けない方が楽しいぞ?
「なんで?」
ぼくばかりが損をしそうな気がするんだけど…。
「そう悲観するな。ものは考えようってヤツだぞ、嘘によっては分からない方がいいこともある」
今夜の料理は時間が無いから手抜きにするぞ、と言っておいて御馳走を買ってくるとかな。
たまには買って来た飯っていうのも悪くないだろ、家では出来ないようなヤツ。
ドカンと大量に作らなきゃ美味くない料理を何種類もだ、買い込んで来てパーティーだとか。
「ああ…!」
そういうお料理、家で作るなら一種類しか無理だよね…。
沢山作れば同じものばかりを食べることになるし、それじゃ二日で飽きちゃうもんね。
「うむ。だからだ、プロの作った料理を二人前ずつ沢山買うのさ」
そしてズラリと並べ立ててだ、端から味見をするってな。
お互い、好き嫌いが無いのが売りだからなあ、うんと楽しいパーティーになるぞ。
手抜き料理だと思っていたのがパーティーだなんて、嬉しい嘘っていうヤツだろうが?
誕生日だってサプライズだ、とハーレイは笑う。
三月の一番末の日はブルーの誕生日。
何も用意はしていないのだ、と謝っておいて、とびきりのデートに連れ出すとか。
「もちろん用意は周到ってな。店とかにもしっかり予約を入れて」
お前が喜ぶようなプレゼントもきちんと買っておくんだ、お前に気付かれないように。
どういうものを欲しがってるのか、俺はお前に尋ねるわけだが、お前はそうだと分からない。
まるで関係ない話だと思って答えていたのが、実はプレゼントの下調べってわけだ。
そういった嘘を見抜いちまったら、お前、嬉しさ半減だぞ。
「…それじゃ、ハーレイの嘘は分からない方が…」
いいってことかな、今度のぼくは?
「その方がグンとお得だぞ?」
俺はそっちをお勧めするがな、俺にコロリと騙されちまって、最終的にはいい目をする。
それがお勧めコースってヤツだ、素直に嘘を信じておけ。
「うんっ!」
お得だったら、そうするよ。
ぼくが困ってしまうような嘘、ハーレイは絶対、つかないものね…!
前のハーレイもそうだったから、と頷いたブルーだったけれども。
騙されることにしておこう、と決めたけれども、少し心に引っ掛かること。
「でも…。ぼくの嘘の方は損じゃない?」
ぼくの嘘がハーレイにバレちゃうってことは、ぼくはサプライズをしてあげられないよ?
ハーレイのお誕生日とかにコッソリ準備をやっていたってバレちゃうんだけど…。
それは損だと思わない?
ぼくばかりサプライズで喜ばせて貰って、ハーレイはサプライズは無しだなんて…。
「いや、サプライズはもう沢山だ」
メギドだけで、とハーレイが顔を顰めてみせる。
ブルーが目覚めて喜んだのも束の間、メギドへ飛ばれてしまったと。
一生分のをあれでやられたから、サプライズはもう要らないと。
「あれがサプライズって…」
ごめんね、ハーレイ。
嘘が下手な上に、とんでもないサプライズまでやってしまって。
そういうつもりじゃなかったんだけど、ハーレイには酷いサプライズだよね…。
「いいさ、お前は帰って来たしな」
俺よりも年下のチビになっちまったが、ちゃんと帰って来てくれた。
だからいいんだ、謝らなくても。
俺のお前は此処にいるしな…。
嘘の下手なお前、と額をコツンと小突かれて。
少し眠れ、と優しく頭を撫でられる。
俺がついているから少し眠れと、明日は元気になってくれよ、と。
「うん…。うん、ハーレイ…」
帰らないでよ、寝てる間に。ちゃんと夜まで家にいてよ…?
「帰らないさ。約束したろう?」
ジムにも行かんし、道場にも行かん。
その手の嘘はつかないさ。お前の信用を失くしちまうしな、そういった嘘は俺はつかない。
お前が嬉しくなっちまう嘘か、騙されても笑って済むような嘘か。
そんなのだけだな、つくのはな。
今度こそお前を守るんだから、と上掛けをそうっと掛け直されて。
ブルーは「うん」と瞼を閉じた。
ハーレイは決して嘘をつかない。自分が悲しむような嘘はつかない。
目覚めたらきっと、温かな声で「起きたか?」と訊いてくれるハーレイが側にいる筈だから…。
つけない嘘・了
※今も昔も、ハーレイには嘘をつけないブルー。どんな時でも、見抜かれてしまって。
そしてブルーには嘘をつかないハーレイ。今の生では、サプライズという嘘が楽しみかも。
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