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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

手袋の合図

(あれ…?)
 何かが違う、とブルーは首を傾げた。
 お風呂に入ってパジャマに着替えて、部屋でのんびりしていたけれど。本を読んだりもしたのだけれども、そろそろベッドに入らねば、と始めた準備。
 明日の朝は気温が少し低いと天気予報で聞いていたから、夜中に冷えてくるかもしれない。
 まだ秋とはいえ、そういった夜も珍しくはない。眠っている間に気温が下がると、恐ろしい夢がやって来る。メギドの悪夢が。
 前の生の最後に失くしてしまった、右の手に持っていたハーレイの温もり。
 独りぼっちになってしまったと泣きじゃくりながら死んだソルジャー・ブルー。前の生の自分。
 右手が冷えるとそれを思い出すし、夢の中なら、夢はメギドに置き換わる。
 ソルジャー・ブルーが死んでいった場所に。泣きながら死んだ悲しい記憶に。



 秋に入ってから立て続けに見た、メギドの悪夢。
 右手が冷えてしまうからだ、と手袋をはめて眠ってみたりもしてはみたのに、防げなくて。
 どうにもならないと嘆いた自分に、ハーレイがくれたサポーター。医療用の薄いサポーター。
 通気性がいいから眠りを妨げないと言われた。
 その上、ハーレイが右手を握ってくれる時の力加減を再現したとも。
(…ハーレイに手を握って貰ってるみたいなんだけど…)
 そんな感じがするサポーター。
 初めて着けた日は、メギドの悪夢の最後にハーレイが来てくれた。凍えた右手に温もりを届けに来てくれた。
 幻のハーレイだったけれども。
 遠いシャングリラから、ハーレイの想いだけが宇宙を駆けてメギドまでやって来たのだけれど。
 それでも温もりは右手に戻って、夢の終わりは悲しくなかった。もう一人ではないのだと。
(サポーターのお蔭なんだけど…)
 あれ以来、メギドの悪夢は劇的に減った。夢そのものを滅多に見なくなったから、冷える夜にはサポーター。悪夢の予防にサポーター。
 なのに…。



(何か変…?)
 いつものように右手に着けようとしたら、感じた違和感。
 そうではないと、それを着けるのではないのだと。
(なんで…?)
 サポーターが無ければ夢を見る。右手が冷えてしまった夜には何が起こるか分かっている。
 着けずに眠るなど、とんでもないのに。出来もしないのに、何故、違うのだと思うのか。
(そんなこと…)
 自分がこれを着けたがらない筈が無い。けれども「違う」と感じる心。
 それが何故だか分からないから、サポーターを着けてみたけれど。
 右の手が温もりに包まれたけれど、ハーレイの手に握られているようで幸せだけれど。
(やっぱり違う…)
 こうじゃなくて、と訴える心。
 着けるのではないと、こうするのではないのだと。
(どうしてなの?)
 これが無ければ困るのに、と途惑いながらも、一度外してみることにした。
 そうすれば分かるかもしれない、とサポーターを左手で外した途端に掠めた記憶。
 右手から抜いた、その瞬間に。



(そうだ、手袋…!)
 前の自分がはめていた手袋。ソルジャーの衣装の一部でもあった、両手を包んでいた手袋。
 あれを自分は外したのだった、眠る時に、手から。
 たった今、サポーターを右手から外したのと同じに、手袋を外して肌を晒した。
 常にはめていた、あの手袋。あれを外した、今やったように。
 眠る時には。もっと正確には、眠るよりも前に。
(…ハーレイの前で…)
 そう、ハーレイの前でだけ。
 自分がソルジャーではなくなった時に。ソルジャーではなくて、ただのブルーに戻った時に。
 もちろん本当にソルジャーの称号を返上したわけではなかったけれど。
 そんなことなど出来もしなくて、ソルジャー・ブルーのままだったけれど。
 心だけは「ただのブルー」になった。ブルーに戻れた。
 手袋を外せば、その下の肌を空気に晒せば。



(あの手袋…)
 いつからあれをはめ始めたのか。両手を覆って肌を見せなくなったのか。
 考えずとも答えは直ぐに出て来た。
 ソルジャーの制服が出来た時。やたら仰々しく、マントまで付いた立派すぎる衣装。仕上がると同時に着せられてしまい、もう脱ぐことは出来なくなった。
 ソルジャーだからと、皆を導くソルジャーにはこれが相応しいからと皆に言われて。
(それでも最初の間はまだ…)
 デザインだけは最後まで同じだったけれど、衣装の素材は変わっていった。
 より良いものへと、より着けやすくて防御力の優れた素材へと。
 シャングリラが白い鯨になった頃には、ソルジャーの衣装も完全なものとなっていた。ミュウの特性を生かし、心地良い熱や温もりは通しても、爆炎のような害をなす熱は通さない素材。
 手袋もそういう材質だった。
 着けたままでも不自由がないよう、肌の一部であるかの如くに作り上げられた。



(あれなら外さなくてもね…?)
 初期の衣装だった頃は手袋を外していることも多かったけれど、完成品ともなったら違う。
 一度はめたら、外す方が却って面倒なほど。
 外せば置く場所が必要になるし、置き場が無ければ手に持つしかない。それでは片手が塞がってしまう。両手で何かをするには向かない。
(よく出来てたんだよ、あの手袋は)
 ティーカップを持っても滑らない。何をするにも困らない。
 仲間たちと握手を交わす時にだって、手の温もりが伝わって来た。相手にも自分の手の温かさが伝わるわけだし、手袋ははめていないも同じ。
 そんなわけだから、いつしか手袋に慣れてしまって、眠る時しか外さなくなった。
 バスルームに行こうという時に外して、朝を迎えてパジャマを脱いだら、またはめた。
 手袋の下の素肌を見る者は誰もいなくて、それが普通だと思っていた。
 ハーレイが青の間に来ていた時も。
 キャプテンとしての訪問ではなくて、一番の友として来てくれた時も。
 ハーレイのためにと紅茶を淹れたりしていたけれども、手袋は外さないままで。
 はめたままでのティータイムだった。
 手袋をはめた手で二人分のカップに紅茶を注いで、自分のカップも手袋をはめた手で持って。
 何の不自由も感じなかったし、楽しくお茶の時間を過ごした。



 そうしていたのに、ふと物足りなくなってしまって。
 「また今度」と握手する時に、間に挟まった一枚の布。薄い手袋。
 それがあるのがもどかしくなって、これは要らないと心の何処かで思い始めて。
(あの頃から、恋…)
 自分では気付いていなかったけれど、今にして思えば、きっとその頃。
 ハーレイの手にじかに触れてみたいと、温かくて大きな手に触れたいと願い始めた恋の始まり。
(恋だとは思っていなかったけどね)
 まるで気付きもしなかった自分。
 ハーレイは一番の友達なのだと、大切な友だと思い込んだままでいたけれど。
 それでも時々、手袋を外してハーレイとお茶を飲むようになった。
 一日の報告に来てくれた後や、遊びに訪ねて来てくれた時に。
 手袋は要らないと外してしまって、「また今度」と握手して見送っていた。
 自分では友達を見送るつもりで、一番の友達に手を振るつもりで。



 けれど、恋だとついに気付いて。
 想いが叶ってハーレイとキスを交わすようになったら、手袋はもう、はめていたくなかった。
 ハーレイの前では、キャプテンとしての職務が終わったハーレイの前では。
 だからはめなくなった手袋。ハーレイの前では外した手袋。
 結ばれた後には、もう手袋は…。



(あれが切り替え…)
 青の間で夜にハーレイから一日の報告を聞いて、手袋を外せば恋人同士の時間の始まり。
 ソルジャーではない、という印。
 ただのブルーだと、ハーレイに恋をしているブルーなのだと。
 その背にマントを着けていようが、ソルジャーの白い上着を纏っていようが、もう違った。
 あの手袋さえ外してしまえば、前の自分はソルジャーなどではなかった。
 ハーレイに恋をしていたブルー。
 ただのブルーで、ミュウの長でもなんでもなかった。
 青の間に住まっているというだけ、ただそれだけのミュウで、人間だった…。



(手袋で切り替えていたなんて…!)
 ソルジャーだった自分と、一人のミュウとしての自分とを。
 それもハーレイの前でだけ。
(あの手袋…)
 わざと外してみせたこともあった。
 ハーレイの報告がなかなか終わらない時に、焦れながら。
 早く終わらせろと言わんばかりに。
 ゆっくりと手から手袋を取った。
 報告はまだ終わらないのかと、自分の用意はとうに整っているのに、と。
 マントも上着も、きちんと着込んで着けたままで。
 ソルジャーとしての表情は全く動かさないまま、手袋だけをこれ見よがしに手から外して。



(前のぼくの合図…)
 あの手袋が。
 それを外すということが。
 今からはただのブルーなのだと、ハーレイの恋人のブルーなのだと知らせる合図。
 もう手袋は外したのだから、そのように扱ってくれと知らせた。
 ソルジャーではないと、恋人なのだと。



(ハーレイ、覚えているのかな…?)
 前の自分がしていた合図を、手袋を外すという意味を。
 ハーレイの前でだけやっていたことを、それにこめられた自分の想いを。
(…覚えてるのか、確かめたいけど…)
 気になるけれども、肝心要の手袋なるもの。
 今の自分は手袋などをはめて暮らしてはいない。もうソルジャーではないのだから。あの手袋は要らないのだから。
 十四歳になったばかりの普通の子供に手袋は要らず、冬用のものしか持ってはいない。
 冷たい北風が吹きつける季節にはめるものしか。
 けれど…。



 ゴソゴソとクローゼットの中を探った。手袋が仕舞ってある場所を。
 そこを覗き込み、一組、取り出してみたけれど。
 前の自分の手袋にそっくりのものがあるわけがなくて、色だってまるで同じではなくて。
 遠目に見たなら似たようなものかと、白いアンゴラの手袋を一組。
 アンゴラだけにフワフワしていて、ソルジャーの手袋とは似ても似つかないものだけれども。
(…これでいいかな?)
 水色や紺の手袋よりかはマシだろう。いくらフワフワでも、少しはそれらしく見えるだろう。
 明日は土曜日、ハーレイが来る時にはめていようか?
 この手袋をはめてハーレイを待とうか、いつもの椅子に腰掛けて?
 しかし…。



(ママがいたっけ…!)
 いつもハーレイを部屋まで案内して来る母。お茶とお菓子を運んで来る母。
 手袋をはめた自分を見たなら、母は訝しむことだろう。
 冬でもないのに、冬でも家に入る時には手袋を外している筈なのに、と。
(ママ、絶対に変に思うよ)
 それどころか「どうしたの?」と訊かれてしまうに違いない。
 手袋に何の意味があるのかと、怪我でもしたのか、手が冷たいのかと。
 そうなればハーレイの意識もそちらへ向いてしまうし、手袋はただの「変なもの」。季節外れの変な手袋、その認識でおしまいだろう。
 母が部屋まで来てしまうからには、最初からはめてはいられない。
 とはいえ、手袋の合図をハーレイに思い出して貰えるチャンスはあるかもしれないし…。
(見える所に置いておけば…)
 忘れないように、と通学用の鞄の隣に吊るして眠った。
 手袋を思い出す切っ掛けになった、あのサポーターを右手に着けて。



 メギドの悪夢は襲っては来ず、次の日の朝。
 ベッドから起き出して手袋を見るなり、昨夜の出来事が脳裏に浮かんだ。
(そうだ、手袋…!)
 これをはめるんだったっけ、と白いアンゴラの手袋を撫でる。
 前の自分の手袋の合図。ただのブルーだと、ソルジャーではないという合図。
 恋人同士の時間の始まりを告げる合図を、ハーレイの前でもう一度やって見せるのだった。
 この手袋をはめて、前の自分のように外して。
 それが出来るだけのチャンスさえあれば。
(ハーレイが席を外してくれれば…)
 すまん、と階下の母の所へでも出掛けて行ってくれたなら。
 戻って来るまでの間に手袋をはめてしまえばいい。
 ふわふわの白い手袋だけども、前の自分の手袋とはまるで似ていないけれど。
 それでも手袋なのだから。
 微笑みながら外して見せればいい。
 ハーレイが部屋に戻って来たら。「すまなかったな」と部屋に入って来たなら。



(ふふっ、手袋…)
 手袋の合図、と心の中で何度も繰り返しながら、躍る心を抑えながら。
 朝食と部屋の掃除とを終えて、計画を練って練習もした。前の自分の仕草を真似て。
 白いアンゴラの手袋をはめて、こう外すのだと何度も、何度も。
 そうこうする内にチャイムの音がし、ハーレイがやって来たけれど。
 母の案内で部屋を訪れ、テーブルを挟んで向かい合わせに座ったけれど。



「なんだ、あれは?」
 あの手袋は、とハーレイに目を留められた。
 昨夜と同じに鞄と並んで吊られた手袋、ふわふわのモコモコ、季節外れの白い手袋。
 それは奇妙な代物だけれど、今の自分はあれしか持っていなかったから。
 前の自分のような手袋は、ソルジャー・ブルーの持ち物に良く似た手袋は持っていないから…。
 精一杯、澄ました顔で答えた。「手袋だよ」と。
「…手袋?」
 ハーレイは手袋をまじまじと見詰め、それからブルーに向き直って。
「そいつはアレを見りゃあ分かると思うがな?」
 俺が訊いてるのは、あれが手袋かどうかじゃなくて、だ。
 なんだって手袋があそこにあるのか、どういうつもりで出してあるのかということなんだが…。
 まだ手袋の要るような季節じゃないだろ、外へ出るにしても?
 寝る時に手が冷たいって話は前に聞いたし、サポーターをプレゼントしてやった筈だがな?



 あのサポーターでは足りなくなったか、と訊かれたから。
 ブルーは「ううん」と首を横に振って。
「ハーレイ、何かを思い出さない?」
 あそこに手袋が吊ってあったら、あの手袋があるのを見たら。
「クリスマスか?」
 かなり気が早いが、と笑われた。
 クリスマスに向けての広告さえも見かけはしないと、それにあちらは靴下だと。
 吊るしておいたら、夜の間にサンタクロースがプレゼントを入れて行ってくれる靴下。
 それの真似かと、今からクリスマスプレゼントの催促なのか、と。
「違うってば…!」
 クリスマスだなんて言っていないよ、手袋だよ!
 それに靴下とも間違えてないよ、ホントのホントに手袋だってば…!



 ブルーはむきになって主張したけれど、ハーレイは一向に思い出さないようだから。
 ピンと来てさえくれないものだから、椅子から立って例の手袋を取って来た。
 元の椅子へと座り直して、これでも思い出さないのか、とはめて見せたけれど。
 白いフワフワのアンゴラの手袋を両手にはめてみたけれど。
「ほほう、似合うな。ずいぶんと可愛らしいじゃないか」
 ウサギの手みたいで可愛いぞ、うん。
 そういや、お前、将来の夢はウサギだったか、チビだった頃は?
 ウサギになりたいと思ってたって話を聞かされたっけな、手だけなら充分ウサギに見えるぞ。
「そうじゃなくって…!」
 ぼくが言ってるのは手袋なんだよ、この手袋が大事なんだよ!



 こう、と手袋をゆっくり外した。
 右手で左手の手袋を引っ張り、手首から指先へと肌を晒してゆく。
 左手がすっかり露わになったら、今度は右手を。
 前の自分と同じ仕草で、朝から何度も練習していたあの仕草で。
 わざと時間をかけて右手の手袋を外して見せれば、ハーレイがハッと息を飲んだ。
「お前…!」
 それきり、後が続かないから。
 後の台詞が続かないから、ブルーは手袋をテーブルに置いた。一組を綺麗に重ねて揃えて、前の自分の仕草をなぞって。
「…分かった?」
 この手袋の意味が何だったのか、ハーレイ、分かってくれたよね?
 さっきクリスマスって言っていたから、クリスマスにぼくに贈ってくれる?
 ぼくがハーレイから欲しいプレゼントを、と誘うような笑みを浮かべてみせた。
 前の自分がそうやったように、手袋の合図で促した時にそうしたように。



 ブルーは自信たっぷりだったし、通じた筈だと思ったのに。
 もう間違いなく通じたのだと思っていたのに、ハーレイの返事はこうだった。
「うむ。そいつに似合うマフラーだな」
 手袋はあるからマフラーが欲しいと、そう言うんだな?
「えっ?」
 思わぬ言葉にブルーの瞳は丸くなったけれど、ハーレイは至極真面目な顔で。
「違うのか? 俺はてっきりマフラーかと…」
 それとセットで持ちたいのかと思ったんだが、マフラーじゃないなら何なんだ?
 ちゃんと言葉で言ってくれんと、ファッションってヤツには疎くてなあ…。
「ぼくが欲しいのは、褐色の…!」
 褐色の肌をした恋人なのだ、と言うだけの度胸は流石に無くて。
 「褐色の」だけで止めたものだから、それを聞いていたハーレイの方は。
「ああ、褐色のマフラーな」
 白よりもそっちの方が好みか、色の指定があったんだな。
 褐色か…。そういう色をしたウサギもいるしな、お前が着けても似合うだろうさ。
 そういやアンゴラはウサギだったか、褐色のアンゴラのマフラーだな、うん。



 覚えておこう、とハーレイのポケットから取り出された手帳。それに愛用の瑠璃色のペン。
 手帳をパラパラとめくるハーレイは、本当に書き付けそうだから。
 瑠璃色のペンで、ナスカの星座が鏤められているペンで、覚え書きを残しそうだから。
(ぼくにクリスマスプレゼント、って…!)
 書かれたら最後、ハーレイは約束をきちんと守るに違いない。
 まだ先だけれど、クリスマスに備えてプレゼントを買おうと出掛けて行って。
 あちこちの店で色々比べて、自分がいいと思ったマフラー。
 白いアンゴラの手袋に合うと、ブルーに似合うと思ったマフラーを選んでくるだろうから。
 褐色のマフラーを綺麗に包んで貰って、「プレゼントだ」と贈ってくれそうだから。



「違うんだってば…!」
 マフラーじゃないよ、ぼくが欲しいのはマフラーじゃなくて!
 ハーレイだよ、と訴えた。
 クリスマスプレゼントをくれるんだったらハーレイがいいと、その意味なのだと。
 褐色はハーレイの肌の色だと、それを贈って欲しいのだと。
 息もつかずに言い終えた後は、もう耳までが赤かったけれど。
 それでも言えたと、ちゃんと言えたとブルーは上目遣いでハーレイを見る。
 このプレゼントは貰えそうかと、クリスマスに贈ってくれるだろうかと。
 白いアンゴラの手袋だったけれど、合図は送った。
 こうだと、今の自分の想いはこうなのだと。



 手袋の合図が伝わるように。
 伝わって欲しい、と頬も耳も染めて、祈るような気持ちで恋人を見詰める。
 どうか分かってと、前の自分の手袋の合図を思い出して、と。
 手袋を外せば、恋人同士の時間の始まり。
 クリスマスにはそれが欲しいと、クリスマスプレゼントはハーレイがいいと。
 こうして向かい合わせで座るだけでなくて、膝の上に座ったり、抱き締めて貰うのでもなくて。
 前の自分がそうだったように、本当に恋人同士だからこそ持てる時間を。
 褐色の肌を纏った身体に包まれ、ただ幸せに酔っていたいと。
 今の自分はキスさえ許して貰えないけども、せめてクリスマスのプレゼントには、と。
 ほんの一夜の夢でいいから、サンタクロースがトナカイの橇で駆けてゆく間の、イブの夜だけの夢でかまわないから…、と。



「やっぱりか…」
 あれだったのか、と深い溜息。
 ハーレイが手帳とペンとをポケットに仕舞い、眉間に皺が刻まれた。普段よりも深く寄せられた皺が、まるで心と呼応するような深めの皺が。
 鳶色の瞳は白い手袋とブルーの顔とを交互に眺めて、呆れ果てたような色だから。
 子供の相手など出来るものかと、していられるかと言わんばかりの様子だから。
 ブルーの期待はたちまち萎んで、シュンと項垂れるしかなくなって。
「…気付いてたの?」
 ぼくが手袋を用意した意味、気付いてた?
 わざわざ外して見せなくっても、もしかしなくても、手袋だけで?
「最初からな」
 俺は前から言ってるだろうが、お前の心はお見通しだと。
 普段はそこまで酷くはないがな、お前、気持ちが高ぶってる時は中身がすっかり零れてるんだ。
 今日も初めからそうだった。
 俺がこの部屋に入った途端に、手袋、手袋とはしゃいだ心が弾けていたさ。
 手袋で俺に合図をしようと、あれで合図をしていたと。
 前の自分がやった通りに練習もしたし、きっと俺が釣れる筈だとな。



 馬鹿が、と額を小突かれた。
 十四歳のチビが何をするかと、手袋で誘うには早すぎるのだ、と。
「いいか、お前はキスも出来ないチビでだな…」
 つまりは身体もうんとチビなわけで、手だって子供の手だってな。
 前のお前が白いフワフワの手袋をしてりゃ、俺だってグッと来るかもしれん。
 お前が手袋を外さなくても、そのフワフワの下の手を見てみたくてウズウズしながら、外すのを待っていたかもしれん。まだかと、まだ手袋を取ってくれないのかと。
 だがな、今のお前じゃウサギみたいなチビの手なんだ。どう見たって可愛いだけの手だ。
 キュッと握ってみたくなるのがせいぜいだってな、その手じゃな。
 手袋の中身はどのくらい詰まっているんだろうかと、暖かそうな手袋だが、と。
 同じ手袋をはめてみたって、それをはめる手が違うのさ。
 外した途端に色気が出るのが前のお前で、今のお前じゃ食い気ってトコか。
 こういうフワフワの手袋をしてれば、くっついちまって食えない菓子もあるからなあ…。やっと食えると菓子に飛び付くのが今のお前で、前のお前はそうじゃないってな。
 菓子なんかよりも先にこっちなんだ、と俺に目だけで強請れた筈だ。
 それを寄越せと、そっちを先に食わせろとな。



「お菓子よりも先に食べるものって…」
 なんなの、ハーレイ?
 ハーレイがお茶を淹れてくれるの、そっちの方が先だった?
 確かにポロポロ崩れるクッキーとかなら、お茶を一口飲んでからの方が美味しいけれど…。
「ふむふむ、やっぱり分かっていない、と」
 前のお前が焦れてた時はな、何は無くとも一番にキスだ。そいつで機嫌を直して貰うのが先だ、お前が腹を減らしてたってな。
 キスを忘れてお茶なんぞ淹れに出掛けていたなら、どうなったやら…。
 もっとも、俺の方にしたって、お茶を淹れてるよりキスしたいしな?
 そういう悲劇は起こらなかったな、俺がお茶を淹れる間にお前がすっかり怒ってしまって、青の間からポイと蹴り出されるとか、平手打ちを食らってしまうとかはな。



「…そうだったっけ?」
 ブルーはキョトンとするしかなかった。
 手袋の合図は確かに覚えていたけれど。焦れた自分が手袋を外して見せていたことも、ハッキリ覚えているのだけれど。
 それから後は必ずベッドに直行ではなくて、お茶の時間を持ったりもした。
 美味しいお菓子があるのだから、と二人でゆっくり食べたりもした。
 朝までは二人きりなのだから。
 二人きりの時間を過ごせるのだから、とハーレイを誘って、それは色々な夜の過ごし方。
 「何は無くとも一番にキス」と強請った記憶は何処にも無くて…。
「思い出せないのがガキの証拠ってな」
 お前の記憶は中途半端だ、とハーレイに鼻で笑われた。
 だからお前には菓子が似合いだと、キスよりも菓子の方が似合うと。
 フワフワの手袋を外したら菓子をパッと掴んで、齧って。
 「美味しいね」と笑顔になるのが似合いの子供で、それに見合った手をしていると。
 手袋を外せば色気ではなく、食い気が出て来る子供の手。
 どんなに前の自分の仕草を真似ても駄目だと、それは芝居でしかないと。



 ハーレイは白いアンゴラの手袋を掴み、「小さな手だな」と褐色の手のひらに重ねてみて。
 「フカフカだな」と、「前のお前がはめても似合いそうだな」と微笑んだ後で。
 手袋をテーブルの上に戻すと、小さなブルーに軽く片目を瞑ってみせた。
「もう分かったろ? お前にはマフラーがピッタリなのさ」
 こいつとセットで出来るマフラー、それがお前に似合いだってな。
「酷い…!」
 マフラーじゃないって言ったのに!
 ちゃんと褐色のハーレイが欲しいって言っているのに、マフラーなの?
「当たり前だろ、そういう台詞を口にするには早すぎるんだ、チビ」
 それに、貰えるだけマシだろうが。
 たとえ嬉しくないプレゼントでもだ、俺からのクリスマスプレゼント。
 まだまだ先の話だがなあ、まだ秋だしな?
 …俺もすっかり忘れちまうかもしれないなあ…。マフラーどころか、その手袋もな。
 やっぱり手帳に書いておく方がいいか?
 お前、褐色のマフラーが欲しいと強請ってたってな。
「うー…」
 書かなくていいよ、マフラーなんて!
 ぼくはそんなの欲しがってないし、貰ってもそれは嫌がらせだよ!



 要らないからね、とブルーは叫んだけれど。
 断ったけれど、ハーレイは可笑しそうに笑い転げて白い手袋を何度も指でつついていたから。
 「いい手触りだ」と、「お前に似合う」と繰り返したから、もしかしたら。
 クリスマスが来たら、マフラーを貰ってしまうのかもしれない。
 注文の品だと、お前が欲しがったマフラーを買って来てやったと。
 そんなプレゼントは欲しくないのに、欲しいとも思っていないのに。
(でも…)
 同じマフラーを貰うのだったら、褐色のマフラーもきっと悪くはないだろう。
 ハーレイの肌の色のマフラー。
 誰よりも好きな恋人の肌と同じ色合いの、フカフカで暖かなマフラーがいい。
 白いアンゴラの手袋とセットのマフラー。
 ハーレイに貰ったプレゼント。
 手袋を使って誘惑するには早すぎたけれど、それが包んでくれるのならば。
 褐色の肌をした恋人の代わりに、暖かく包んでくれるのならば…。




           手袋の合図・了

※前のブルーがハーレイに送った、手袋の合図。ソルジャーから「ブルー」に戻る時。
 思い出した小さなブルーですけど、用意した手袋は大失敗。マフラーが貰えるみたいです。
←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









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