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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

遠い竪琴

(…ん?)
 この曲は、とハーレイは首を傾げて聴き入った。
 閉店間際の食料品店、流れ始めたいつもの曲。買い物客が慌てないよう、閉店の三十分前からは必ずこの曲、それが繰り返し流れる決まり。
 今日は土曜日、ブルーの家で夕食後もゆっくり過ごしたから。それから歩いて帰って来たから、店に入って暫くしてから流れ始めた閉店の曲。
 まだ半時間は閉まらないけれど、買い物をするには充分だけども。その曲が何故だか懐かしい。耳に馴染んだハープが奏でるメロディ。遅い時間に寄ったら聞く曲。
(よく聞いてるしな?)
 この町に越して来てから何度となく聞いた。耳にして来た。家から近くて便利な店だし、豊富な品揃えも気に入っている。食料品を買うなら此処だ、と決めているから、閉店間際にも何回も。
(こいつが鳴ったら閉店前だ、って分かってるしな)
 そのせいだろう、と考えたけれど、それだけではないような気がしないでもない。
(何処か別の所で聞いたか、これを?)
 今までの勤務先だった学校で流れていただろうか?
 昼休みの終わりや、下校時刻を告げるメロディの一つだったろうか?
 自分にとっては食料品店の曲だけれども、この学校では違う意味だと思って聴いていたろうか?



(どうも分からんな…)
 そもそも音楽全般に疎い。名曲だろうが流行りの曲だろうが、買って聴こうと思わない。楽器の演奏だってからっきしだし、歌も滅多に歌わない。鼻歌はたまに歌うけれども。
(…はてさて、何処で聞いたんだったか…)
 この店以外の何処だったろう、と考えながら野菜や肉などを選んで籠に入れていった。店に備え付けの籠に色々、それをレジへと運んで、会計。
 袋に詰めて貰った食料品を提げて、さて、と出口に向かった時。
(アルフレート…!)
 あの曲だった、と思い出した。遠い記憶が蘇って来た。
 フィシスの世話をしていた楽士。自分よりも濃い肌の色をしていたアルフレート。
 彼が竪琴で奏でた曲だと、彼が作った曲だったと。
(…そうだったのか…)
 袋を提げたまま、出口に立って。曲が終わるまで、何度も繰り返し流れ続けて閉店のチャイムがそれに重なるまで聴いていた。ハープのメロディを聴き続けた。
 この曲だったと、白い鯨で、シャングリラで聞いていたのだった、と。



 買い込んだ食料品を提げて家に帰って、冷蔵庫や棚にそれらを仕舞って。
 一息つこうとコーヒーを淹れて、愛用のマグカップを傾けながら先刻の曲を思い浮かべた。
 前の自分の記憶が戻ってかなり経つのに、あの店にも何度も行ったのに。
 白い鯨で聞いた曲とは気付かなかった。閉店を知らせるメロディだとばかり思っていた。曲名も知らず、あの店で流れる曲なのだ、とだけ。ハープのメロディが流れ始めたら、あと三十分、と。
(俺が今日まで忘れてたってことは…)
 全く気付かず、買い物をしていたということは。
 小さなブルーも同じだろうか?
 アルフレートが奏でていた曲を、白いシャングリラで耳にした曲を忘れたろうか?
 自分よりは多く耳にしていた筈だけれども。
 フィシスの所に出入りする度、あの曲を聞いていただろうけれど。
(それにしたって…なあ?)
 ブルーが所望しない限りは、アルフレートは曲を続けはしなかったろう。ソルジャー・ブルーのご訪問だ、と奥の部屋へと下がっただろう。
 ブルーの目的はフィシスに会うこと、フィシスが抱く地球を見ること。二人で話したり、お茶を飲んだり、そうした時間がブルーの望み。他の人間など要りはしないし、音楽も同じ。
(…そうそう聞いてはいなかったろうな、アルフレートの曲…)
 気に入っていたなら、青の間にも呼んでいただろう。個人的に奏でさせただろう。
 つまりは前のブルーにとっても、さほど興味は無かった曲。忘れてしまった可能性も高い。



(明日、訊いてみるか…)
 せっかくだから、と心に決めた。
 このメロディをお前は覚えているかと、何の曲だか知っているか、と。
 もしも明日まで覚えていたなら、アルフレートの曲を思い出したと、忘れずに目が覚めたなら。
(…しかし…)
 どうやって訊いたものだろう?
 小さなブルーに聞かせようにも、歌は名人の部類ではないし、楽器の方もまるで駄目だし…。
(ハープなんかは論外なんだ!)
 触ったことすら無いハープ。楽器とくればせいぜい縦笛、後はオカリナにハーモニカ程度。早い話が学校で習った楽器が限界、アルフレートのようにはいかない。
 歌も下手ではないのだけれど。音痴とも言われていないけれども、好き好んでは歌わない。耳で聞いただけの曲を歌声に乗せて披露出来るほど、いい声だとも思っていない。
(…そうなってくると、鼻歌か?)
 試しにフフン、と歌ってみた。閉店のメロディの出だしを、さわりを。
(ふむ…)
 これなら出来ないこともない。歌詞も無い曲を野太い声で歌うよりかはマシだろう。
(続きがこうで…)
 こんな曲で、と練習する内、それらしいものになってきた。白い鯨で聞いた竪琴とも、ハープの音色とも違うけれども、アルフレートが奏でた曲に。
 これならブルーに聞かせられるし、明日も忘れていないだろう。練習を重ねてものにした曲は、きっと何処かに残るだろうから。



 日記を書いて、ベッドに入って。次の日の朝、顔を洗おうとして思い出した。
 鏡に映った自分の顔を見て、その鼻を見て。
 昨夜、何度も歌った鼻歌。こう歌うのだ、と淀みなく歌えるようになるまで繰り返した歌。白い鯨で、白いシャングリラでアルフレートが奏でていた曲。
 それをブルーに聞かせるのだったと、覚えているかと訊くのだった、と。
(どんな具合だ?)
 上手く歌えるか、と顔を洗った後、パジャマのままで歌ってみて。
(俺としては上出来の部類なんだが…)
 充分に聞ける出来だと思う。あの曲だと分かって貰えると思う。アルフレートの竪琴とは違って鼻歌だけれど、ハープの音とも違うけれども、あのメロディだと。
 とはいえ、楽器で奏でるのではなくて鼻歌だから。
(あいつに笑われなきゃあいいがな…)
 それだけが少し心配だった。
 小さなブルーが吹き出さないかと、アルフレートの曲だと思い出すより前に、と。



 着替えを済ませて朝食を食べて、天気がいいから今日も歩いてブルーの家へ。
 あの食料品店の前を通って、鼻歌を軽く歌いながら。アルフレートが奏でた曲を。
 生垣に囲まれた家に着いたら、二階の窓から手を振るブルー。
 部屋に通され、ブルーの母がテーブルの上にお茶とお菓子を置いて去って行った後で。
「おい。お前、この曲、覚えているか?」
 下手なんだが、と例の鼻歌を聞かせてやれば。
 小さなブルーは首を傾げて聴き入った。笑う代わりに、赤い瞳をパチクリとさせて。
「…なんだったっけ? 聞いたような気もするけれど…」
 覚えてるか、って言われても…。それ、学校で教わる曲なの、有名な曲?
「本物の曲は鼻歌じゃなくて、ハープなんだが」
「ハープ?」
「竪琴だ、竪琴。こう、弦を張った」
 あるだろ、そういう類の楽器。形は色々あるらしいけどな。
「えーっと…」
 ハープで聴かせる曲なの、それ?
 そんなの、何処かで聞いたかなあ…。えーっと、ハープ…。ハープの曲…。



 ハープの演奏会に出掛けた覚えは無いし、とブルーは考え込んでいたけれど。学校で習った曲の中にも入っていない、と呟いたけれど。
 もう一度、聞かせてやったらば。「こういう曲だ」と鼻歌を披露してやったら。歌い終える前にブルーは叫んだ。思い出した、と。
「アルフレート…!」
 天体の間で聞いたよ、その曲。アルフレートがいつも弾いていたよ。
「そうだ、あいつの曲なんだ」
 俺もすっかり忘れていたがな、しょっちゅう聞いていたのにな?
 昨日、此処から帰る途中で聞いたら思い出したんだ。アルフレートの曲だった、とな。
「帰る途中って…。何処で聞いたの?」
「食料品店だ、俺がしょっちゅう行ってる店だ」
 閉店の三十分前になったら流すのさ。そっちはきちんとハープの音でな。
「食料品店って…。なんで、そんなトコ?」
 どうして食料品店で流れてるわけ、あの曲が?
「さてなあ?」
 店主の趣味だか、どうなんだか…。長年あそこに通ってるんだが、昔からだな。
「一応、有名な曲ではあるの?」
「俺も詳しくないんだが…」
 そいつは調べてくるのを忘れた、鼻歌を練習していたもんでな。
 あの曲をお前に聞かせるには…、と頑張ったんだが、今、気が付いた。思念で伝えりゃハープの曲を伝えられたと、俺の記憶をそのまま流せば良かったと。
 迂闊だったな、サイオンってものを忘れちまってた。普段に使っていないと駄目だな、全く。
 しかしだ、有名な曲だと言うなら、もっと他でもあの曲を聞いているだろう。
 お前よりかは長く生きてるし、食料品店の曲だという形で覚えちゃいないと思うぞ、あれを。



 さほど有名な曲ではないのだろう、と推測を述べた。
 あの店以外で耳にしたなら、よく聞く曲なら、曲名を知らずとも耳に残るに違いないから。何の曲だろうと、本来は何処で披露されるべき曲なのだろうと思うだろうから。
 たとえばハープ奏者の演奏会とか、交響曲の一節だとか。
 好きな人ならピンとくる曲で、知らない人でも「何の曲だった?」と尋ねたくなる曲。そういう曲とは違うようだと、あの店でしか聞かないから、と。



「第一、アルフレートがな…」
 あまり知られていないじゃないか。俺たちは前の記憶があるから、直ぐに分かるが…。
 音楽の教科書にも名前が載ってはいないんじゃないか、アルフレートは?
「そういえば、そうだね」
 音楽の歴史は習うけれども、アルフレートは出てない筈だよ。
 上の学校に行って詳しく習えば、出て来るのかもしれないけれど…。
「そんな感じの扱いだろうな、俺は習っちゃいないがな」
 音楽なんぞとは縁の無い学生生活だったし、その手の授業は受けてないんだ。アルフレートには一度も会わずに来たなあ、あの店で曲を聞いてただけでな。
 もっとも、アルフレートの影が薄いというのは、シャングリラに居た頃も同じだったが。
「うん。目立つ方ではなかったよ」
 みんなの制服とはまるで違うのを着てたけれども、それだけだもの。
 竪琴にしたって、演奏会をやりたいタイプじゃなかったものね。



 前のブルーがアルテメシアで保護した少年。引っ込み思案のアルフレート。
 成人検査を受ける年にはまだ遠かった。養父母の通報でミュウと判断されたけれども、幼かった彼はそれさえも知らず、ユニバーサルの職員に捕えられる直前に救出されてシャングリラに来た。
 右も左も分からない場所に、養父母も友達もいない所に。
 普通はそれでも慣れるものだけれど、アルフレートはそうはいかなくて。
 機嫌を取ろうと「欲しいものは?」「食べたいものは?」と養育部門の者が尋ねても黙るだけ。
 けれども、ブルーがアルフレートに会った時。
 ソルジャーに不可能なことは無いに等しいと教わったからか、俯き加減でこう口にした。
 「竪琴が欲しい」と、この船に竪琴は無さそうだけど、と。
「あいつ、竪琴を習ってたんだよなあ…。通報される前は」
「そう。だから竪琴を欲しがったんだよ、懐かしい思い出に繋がってるから」
 竪琴を教える教室に通ったこととか、そこに居た音楽をやる友達とか。
 家で練習していた時にも、お父さんやお母さんに聞いて貰っていたんだものね…。



 白いシャングリラに竪琴という楽器は無かったけれど。
 話を聞いたゼルが「わしがなんとかしてやるわい」と名乗りを上げた。楽器といえども仕組みは機械と似たようなものだと、設計図どおりに作れば出来ると。
 ヒルマンが竪琴の構造を調べて、ゼルが「金属よりかは柔らかいんじゃ」と木を加工して作った骨組み。ニスを塗って仕上げて、特製の弦を張って音を確かめ、渡してやった。
 「これでどうじゃ」と、「お前の竪琴が出来たんじゃが」と。
 アルフレートは大喜びして、何度も「ありがとう」と頭を下げた。竪琴をくれたゼルに、周りで見守る長老たちとキャプテン、それにブルーに。
 これが欲しかったと、やっと竪琴が弾けるようになったと、アルフレートの顔が語っていた。
 引っ込み思案の子供だったから、「ありがとう」の言葉だけしか言えなかったけれど。



 喧嘩を吹っかけられれば負けるし、それを恐れて子供たちの群れには近付かないし。
 ヒルマンの授業が終わった途端に逃げるように去ってゆく子供だったけれど。
 何かといえば泣いてばかりで、唯一の友は貰った竪琴。
 それを上手に奏でる他には特技も何も持ってはいなくて、おまけに極度の引っ込み思案。
 船での役目もろくに務まりそうにないから、成長した後は天体の間に配属された。
 母なる地球の四季の星座を映し出す部屋。皆の憩いの場でもあるから、音楽係がいるというのもいいだろう、と。それならば竪琴を弾いていられるし、立派な仕事と見做されるから。
 制服も一人だけ、皆とは違ったデザインで。
 間違って仕事を言いつけられたりしないように、とアルフレート専用の衣装が出来た。それさえ着ていれば何処に行っても「音楽係だ」と一目で分かるし、他の用事は頼まれない。
 シャングリラでの仕事は多岐に亘って、手が足りなければ通りかかった者を使いもする。これを取って来て貰えないかと、あるいは伝言を頼めるか、などと。
 アルフレートにはそれも難しそうだ、と音楽係。
 わざわざ制服のデザインまでも変えて、無用のトラブルに巻き込まれることがないように、と。



「そのアルフレートが、だ…」
 フィシスが来てから変わったんだよな、劇的にな。
 竪琴を弾くことだけしか出来ないヤツだと思っていたのに、フィシス専属になるとはなあ…。
 「世話を頼んでもかまわないかい、って言っただけなんだけどね、前のぼくは」
 フィシスの居場所は天体の間がいい、と決めていたから、アルフレートに言わなくちゃ、って。
 小さな女の子が一人増えるから、出来れば世話をしてくれるかな、って。
 断られちゃうと思っていたのに、フィシスを見るなり引き受けちゃったよ、アルフレートは。
「そうなんだよなあ、俺もあれには驚いたもんだ」
 アルフレートだけに、自分の居場所を変えちまうかと思ったが…。
 展望室にでも引越すだろうと思ってたんだが、いともあっさり「はい」と答えたと来たもんだ。
 その後はもう一所懸命にフィシスを世話して、音楽係の方がオマケってな。



 引っ込み思案で人見知りだったアルフレートに託されたフィシス。幼いフィシス。
 アルフレートにとって、フィシスの世話はどうやら天職だったらしくて。
 身の回りの世話は女性の係がついたけれども、その他は全部アルフレートがやっていた。部屋を訪問して来た者を取り次ぐことから、船内を移動する時の付き添いまで。
「お茶を淹れるのもあいつだったよなあ、何をするにも、何処に行ってもフィシス様、と」
 フィシスがこんなに小さな子供の頃から、もうフィシス様、フィシス様でな。
「あれにはぼくも敵わなかったよ、フィシスしか見えていないんだもの」
 前のぼくとアルフレートと、どっちがフィシスを大事に扱っていたんだろう、って訊かれたら。
 圧倒的にアルフレートの勝ちだよ、ぼくよりもね。
「…そうなのか?」
「うん。アルフレートにかかったらフィシスはお姫様だよ」
 ぼくが敵うわけないじゃない。一日中、フィシスの側には居られないしね。
「敵わないって…。あいつのライバル、お前だったが?」
「なんで?」
 どうしてぼくがライバルになるわけ、アルフレートの?
「お前、フィシスの王子様だろうが」
「そうだっけ?」
「自覚、無かったのか…」
 お前には自覚が無かったんだな、王子様のくせに。何処から見たってそう見えたのに…。
 今の時代でも、フィシスと言ったらお前とセットにされてるのにな?



 それにフィシスの方ではそのつもりだったぞ、とハーレイは頭を抱えたけれど。
 自分を助け出してくれて、守ってくれている王子様だと思っていたぞ、と言ったけれども。
 キョトンとしている小さなブルー。
 フィシスは女神だから、そのように扱っていただけだと。
 青い地球を抱く女神らしくと、ミュウの女神に相応しく衣装もそのように、と。
「後は攫って来た負い目かなあ…」
 ぼくがサイオンを与えなかったら、ぼくと出会っていなかったなら。
 失敗作でも、データを次に生かすためにと、寿命を迎えるまで生きられた可能性もあったしね。
 研究者たちしか知らないままでも、ミュウになるのとは別の人生。
 それを潰したのが前のぼくだったんだよ、フィシスの人生を強引に変えてしまってね。
「おいおい、お前がそれを言うのか?」
 どうしても欲しいと攫って来たお前が、フィシスが欲しいと攫ったお前が。
「だって、王子様って言われても…。ぼくには恋人、とっくにいたしね?」
 フィシスを攫って来てもいいか、って相談した相手もその恋人だよ、前のハーレイだよ?
「確かにそうではあるんだが…」
 お前は俺に相談に来たし、俺が許したわけなんだが…。
 フィシスはそうやって船に来たんだが、それにしたって、フィシスの王子様はだな…。



 シャングリラでの評価はお前の言うのとは違っただろう、とハーレイは嘆く。
 ブルーとフィシスで対だったろう、と。アルフレートとフィシスではなくて、と。
「まあ、いい隠れ蓑にはなったがな。…フィシス」
 お前と俺との仲を隠すにはピッタリだったな、フィシスの存在。
「…そうだったの?」
「うむ。俺が必死に顔に出さないよう頑張らなくても、みんなフィシスを見ていたからな」
「フィシスは美人だったしね?」
 誰だってじっと見ていたくなるよ、フィシスが通り掛かったら。
「そうじゃなくてだ、お前の恋人…。俺だとバレたら大変だったが、フィシスが来たら、だ」
 明らかにフィシスの方がお前に似合いだ、誰が見たって似合いの二人だ。美男と美女でな。
 俺なんかは誰も疑いやしない、フィシスって美人が来ちまったらな。
 なにしろ薔薇のジャムが誰よりも似合わん男だ、クジ引きの箱にだって素通りされたんだ。
 そんな俺がお前の恋人だなどと、間違ったって誰も思わんな。フィシスがお前の側にいればな。



 誰の目にもフィシスに似合いだと映っていたブルー。ソルジャー・ブルー。
 アルフレートも例外ではなくて、ブルーにだけは敵わないと思っていたのだろうに。
 生まれ変わった当のブルーは、小さなブルーは自覚も無ければ、それと気付いてもいなかった。
 ハーレイの話にポカンとするだけで、信じられないと驚くだけで。
「…前のぼくがアルフレートのライバルだったなんて…」
 知らなかったよ、今の今まで。
 アルフレートったら、一人で勝手に思い込んでて、勝てないと決めてしまっていたんだ?
 じゃあ、前のぼくが死んじゃった後は、もうアルフレートのものだよね、フィシス。
 ライバルはいなくなったんだから。
 寂しがってるフィシスの世話をして、慰めてあげて…。
 アルフレートが一人占めに出来るよ、前のぼくはもういないんだから。



 きっとそうだ、とブルーが言うから。
 小さなブルーの頭の中では、ハッピーエンドな結末が描かれているようだから。
「お前なあ…。そうなっていたら、アルフレートも伝説だぞ?」
 今みたいに影が薄いどころか、有名人だ。あの曲を作った作曲家な上に、音楽家としてな。
「どうして?」
「有名な幼稚園の先生の旦那様だぞ、フィシスと結婚出来ていればな」
 フィシス先生の像とセットで、アルフレートも竪琴を抱えた像があったろうさ。あちこちの星で子供たちに竪琴を弾いてやっただろうしな、いろんな曲をな。
 フィシスは今でも像があるほど、伝説の幼稚園の先生だろうが。音楽家の旦那様が一緒に旅して回っていたなら、そっちも間違いなく有名人だ。
「…それじゃ、アルフレートは何処に行っちゃったの?」
 何処に消えちゃったの、フィシスと一緒に幼稚園に行かなかったのなら?
「さあなあ、フィシスが作った幼稚園にはカナリヤの子供たちがセットだしなあ…」
 あの子供たちと一緒に幼稚園を作ったんだ、って話は今でも残っちゃいるが…。
 幼稚園で竪琴を弾いてた男がいたとは伝わってないし、アルフレートは何処へ消えたんだか…。
 もしかしたら、竪琴、弾いていたかもしれないけどな。
 フィシスの旦那様なら覚えて貰って有名人になれたんだろうが、ただの竪琴弾きではなあ…。
「…忘れられちゃった?」
 幼稚園の先生になったフィシスの世話をしてても、フィシスと結婚しなかったから。
「そうかもなあ…」
 ちゃんと世話係で、竪琴も弾いて、幼稚園までついて行ったのかもなあ…。
 それなのに忘れられてしまったかもなあ、引っ込み思案のアルフレートだしな?
 目立ちたいタイプとは全く違うし、最後の最後まで裏方のままで消息が途絶えてしまった、と。



 だが、曲だけは今も残っているさ、とハーレイは鼻歌を歌ってやった。
 昨夜、何度も練習した曲。アルフレートが弾いていた曲。
 下手だけどな、と。思念波で伝え直そうか、と。
「ううん、その歌の方がいい。アルフレートの曲も懐かしかったよ」
 でもね…。
 それをハーレイが聴かせてくれた方が嬉しいよ、と小さなブルーが微笑むから。
 ハーレイの鼻歌で聴けて良かったと、思念波で伝えて貰うよりもいい、と顔を綻ばせるから。
「…アルフレートも気の毒なヤツだな、お前がライバルだっただなんてな」
 ライバルどころか、戦う必要さえも全く何処にも無かったんだが…。
 いくらフィシスがお前を見てても、お前の方ではフィシスに恋しちゃいなかったのにな。
「仕方ないよ。ぼくとハーレイとが恋人同士ってことは、誰にも秘密だったんだから」
 フィシスだって気付いていない筈だよ、気付いていたなら、もっと何か…。
 なんだったっけ、占い師は自分のことは占ってはいけないんだったっけ?
 だからフィシスは恋占いは一度もしなかったろうし、前のぼくが誰に恋をしてたかも気付いてはいない筈なんだよね。
 ぼくの恋の行方を占ってみたって、相手が誰かは読めないんだから。
「なるほどなあ…。フィシスとしては、お前の恋の相手は自分のつもりでいられるわけか」
 占ってみても、俺の名前はカードには書いてないからなあ…。
「そういうことだよ。悲しい恋、って出ていたとしても、それだけなんだよ」
 ぼくがメギドで死んでしまって、それでおしまい。占いで出来ることはそこまでだけ。
「すると、あいつは被害者なのか?」
 前のお前をライバル視したのに、そのライバルには俺がいたというオチ。
 俺は恨まれても仕方ないのか、コソコソしてずに表に出て来いと。
 そうすりゃフィシスも目が覚めちまって、自分の方を向いてくれるかもしれないのに、と。
「…そうだったかも…」
 被害者だったかもね、アルフレートは。
 前のハーレイが隠れてたせいで、恋の相手を逃してしまった気の毒な被害者。



「おいおいおい…」
 恨まれたんではたまらないな、とハーレイは苦笑したけれど。
 アルフレートの方は、最後まで気付きもしなかったろう。それにフィシスも。
 自分とブルーが秘密の恋人同士だったことに。
 前のブルーが恋をしていたのはフィシスではなくて、ハーレイだったということに。
 誰が見ても美人のフィシスがブルーには似合いの恋人だけども、ブルーの恋人は薔薇のジャムが似合わないと言われたハーレイ。シャングリラで薔薇のジャムが作られる度に希望者が引いたクジ引きの箱が、前を素通りしていたハーレイ。
 最後まで誰も気付かなかった。
 ブルーの恋人が本当は誰か、誰がブルーの恋した相手だったのか。
 それは今でも知られないままで、ソルジャー・ブルーと対になるのはフィシスのままで。
 だからきっと、アルフレートも知らずに終わって、時の彼方に消えたのだろう。
 前のブルーを恋のライバルだと思い込んだまま、あの曲だけを今に残して。



「前のぼくとハーレイが恋人同士だったってこと…」
 今度も秘密のままなのかな?
 ぼくはハーレイと結婚するけど、前のぼくの記憶を話さなければ、ぼくはぼくだし…。
 ソルジャー・ブルーにそっくりっていうだけの、ただのブルーだし。
 ハーレイだってそうだよね?
 二人揃って黙っていたなら、前のぼくたちのことは知られないままで終わるんだけど…。
「どうするかなあ…。平凡に暮らしたければ、秘密だな」
 記憶のことなんか喋りもしないで、普通に暮らしていれば普通の恋人同士だ。
 前の俺たちとはまるで無関係で、今の平和な時代だけを楽しんでいけばいいってな。
 学者たちにも取り囲まれないし、インタビューされることだって無いし…。
「…そうしようか?」
 黙っていようか、ぼくたちの記憶。
 なんにも知らないふりをしちゃって、知らん顔で生きて行くのがいいかな…?
「お前の好きなようにすればいいさ」
 喋りたければ、喋っちまっていいんだぞ?
 俺はお前に合わせてやるから。黙ってるにしても、喋るにしても。
「うん、そうする」
 今は黙っていたいって気分。
 前のぼくの記憶は懐かしいけれど、ハーレイと二人で懐かしめれば充分だよ、って。



 そして二人で買い物に行こう、とブルーは笑顔になった。
 いつかハーレイと結婚したなら、手を繋いで二人で買い物に行こうと。
 懐かしいアルフレートの竪琴を聴きに、閉店間際の食料品店へ。
 曲を奏でる人はアルフレートではないけれど。きっと別人が奏でたハープの音色だろうけれど。
 あれこれと買い物をしてから家へ帰って、二人でゆっくり夕食を…、と。
 買い込んで来た食材でハーレイが美味しい料理を作って、ブルーと皿に盛り付けて。
 誰にも邪魔をされずに夕食、時にはキスを交わしたりもして。
 そう、今はそんな風に暮らせる平和な世界。結婚して二人で暮らせる世界。
 あの曲を奏でたアルフレートはもう、何処を探してもいないけれども…。




          遠い竪琴・了

※ハーレイが思い出した、アルフレートが奏でていた曲。ゼルに作って貰ったハープで。
 今の時代は曲が残っているだけですけど、食料品店が閉まる前には、いつも流れるのです。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv










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