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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

幸せの牛乳

(ふうむ…)
 無いのか、とハーレイは棚を覗き込んだ。
 仕事帰りに寄った、いつもの食料品店。備え付けの籠にあれこれ入れたけれども、足りない品。
 買おうと思った品が見当たらない。端から端まで眺め回しても、何処にも無い。
 四つ葉のクローバーのマークの牛乳。幸せの四つ葉のクローバーがシンボルマークのメーカー。
 その牛乳が一つも無かった。瓶入りはおろか、パック入りまで売り切れたらしい。
 他には色々と並んでいるのに。バラエティー豊かに揃っているのに。



(特にこだわりはしないんだが…)
 美味しい牛乳には違いないけれど。巷での評判も高いけれども、特別高価でもない牛乳。
 値段は他のとさほど変わらないし、高級な牛乳とはまた違う。牧草にまでこだわって育てた牛のミルクというわけでもない、ごくごく平凡なミルクの一種。
 他のメーカーの牛乳も、以前だったら買ったのだけれど。
 どれを買おうと特には決めずに、目に付いたものを買っていたけれど。
 今では少し事情が違った。四つ葉のクローバーのマークを買わねば、と探してしまう。味わいに惹かれたわけではないから、こだわりと言っていいのかどうか。
 それでも、いつも棚から取るのは四つ葉のクローバーのマークの牛乳。
 これにしようと、これを買って家に帰るのだと。



(あいつが飲んでるヤツだからなあ…)
 小さなブルーが飲んでいるミルク。背丈を伸ばそうと祈りをこめて、毎日、せっせと。
 最初の間は笑って聞いていただけだった。「まあ、頑張れ」と。
 何処のミルクかは気にもしなかったし、訊こうとも思わなかったのだけれど。
 ひょんなことからメーカーを知った。
 四つ葉のクローバーのマークなのだと、幸せの四つ葉のクローバーだ、と。
 小さなブルーが庭のクローバーの茂みで見付けた四つ葉。それは嬉しそうに話したものだ。庭にあったと、ハーレイの家にもきっとあるよ、と。
 それを聞いて帰って、翌朝、一番に探してみた。まだ朝露が光っている庭で。
 そうして見付けた幸せの四つ葉のクローバー。幸運の印。自分の家の庭にもあった。前の生では何度探しても、決して見付からなかったのに。
 自分もブルーも、白いシャングリラの公園で何度探したことか。
 けれども四つ葉のクローバーは無くて、何故だか自分たちが探した後の場所で子供たちが探すと見付かっていた。どうしたわけだか、どう頑張っても出会えなかった四つ葉。
 クローバーは予言をしたのかもしれない。前の自分たちの悲しい別れのことを。
 運命に引き裂かれてしまう恋だと、最後まで共にいられはしないと。



 ところが、今度は簡単に見付かった幸せの四つ葉のクローバー。
 ブルーの家の庭にも、自分の家の庭にも、幸せの四つ葉。
 それを探そうとブルーが思い立った切っ掛けが、ミルクの瓶に描かれたマークだったらしい。
 今度は見付けられるかも、と庭に向かったと顔を輝かせていた小さなブルー。
 「ハーレイもきっと見付けられるよ」と言われた通りに、四つ葉のクローバーが見付かった。
 前の自分たちは一度も出会えなかった四つ葉が、幸運の印のクローバーの葉が。
 あれ以来、買うなら四つ葉のマークがついた牛乳。小さなブルーも飲んでいるミルク。
 たまに今日のように買い逃すけれど。
 牛乳が並んだ棚に行っても、売り切れてしまっているけれど。



(…こっちでいいか)
 売れてしまったものは仕方ないから、見覚えのあるものを手に取り、籠へと入れた。
 かつては何度も買ったメーカー。瓶入りも、パック入りもよく買っていた。濃厚な味わいも気に入っていたし、四つ葉のクローバーの牛乳に引けを取らないものだと分かってはいる。
 けれども損をしたような気分。
 幸運を一つ逃したような。四つ葉のクローバーが運ぶ幸運を、一つ落としてしまったような。
(…本物の四つ葉じゃないんだがなあ…)
 そいつは家にある筈なんだが、とレジに向かった。
 本物の四つ葉のクローバーなら自分の家の庭にあるから、牛乳くらい、と。
 たまにはこういう日だってあるさと、大したことではないのだから、と。



 ミルクとして飲む他に、料理などにも使ったから。
 牛乳は早めに減って行ったし、また買わねばと二日後に店に入ってみれば。
(また無いのか…)
 棚に四つ葉のクローバーは無かった。他のメーカーのものは並んでいるのに、四つ葉だけが。
 金曜日の夜に寄ったというのに。
 明日は週末、ブルーの家で過ごす土曜日が待っているのに、無い四つ葉。幸せの四つ葉。
 またしても幸運を逃した気がした。四つ葉のクローバーの幸運を。
(仕方ないがな…)
 売り切れたものは戻って来ないし、牛乳は買わねばならないし。
 諦めて他のメーカーのものを籠に入れると、早めに飲んでしまおうと決めた。
 今日、買って帰るこの牛乳が空になったら、今度は四つ葉。次こそ四つ葉のマークを買おうと、早く飲もうと決心した。



 週末の土曜と日曜日はブルーの家で過ごしていたから、自分の家では朝食だけ。
 それで飲み切れる量の牛乳を買って、朝食用に焼くオムレツにも入れてみたりして。
 四つ葉のマークの無い牛乳はちゃんと減ったから、月曜日の夜に食料品店に出掛けたけれど。
(…またなのか?)
 いったい誰があれを買いに来るというのだろう?
 選んで買って行かれたかのように無い、四つ葉のマーク。瓶入りも、それにパック入りも。
 こうも続くと気になってくるから、店員に訊くことにした。ちょうど補充をしに係が来たから、その男性を捕まえて。
「すみません。四つ葉のマークの牛乳ですが…」
 最近、いつ来ても売り切れなんですが、入荷する量が減りましたか?
「いえ、同じですが」
 たまたまでしょう、と答えが返った。
 今日も朝から入荷しましたと、さっきまでは棚にありましたよ、と。
(…たまたまでもなあ…?)
 三度続けて出会えなかった四つ葉のクローバー。
 本物のクローバーの葉とは違って、瓶やパックに描かれたシンボルマークに過ぎないけれど。
 乳製品の棚を覗けば、同じマークのバターなどが並んでいるのだけれど…。



 これだけ続けば、運が悪いという気がして来た。
 幸運を三度も、三つも逃してしまったのでは、と。たかが牛乳、けれども四つ葉。
 前の生では見付けられなかった幸せの四つ葉のクローバー。
 気にかかったまま、次の日、仕事が早く終わって、ブルーの家に寄れたから。
 小さなブルーと向かい合ったら、牛乳のことを思い出したから、問い掛けてみた。
「お前、ミルクは飲んでるか?」
 頑張って毎朝飲むと聞いたが、今朝も飲んだか?
「うん!」
 帰ってからホットミルクも飲んだよ、ハーレイに教わったシロエ風。
 ママがマヌカをたっぷり入れてくれたよ、薬っぽくなくて美味しいマヌカを。
「そうか、お前は飲んだんだな…」
 フウ、と思わず漏れた溜息。ブルーが気付かない筈がなくて。
「ハーレイ、どうかした?」
「いや…」
 そう答えたものの、心配そうな顔をしているブルー。何かあったかと、赤い瞳が揺れるから。
 大したことではないんだが、と例の事件を打ち明けた。
 四つ葉のマークが見付からないのだと、もう三回も続いていると。



「見付からないって…。売れちゃったの?」
 ハーレイよりも先に誰かが買っちゃった?
「そうらしい。…入荷量は変わっていません、と言われたんだが…」
 俺の運が悪いか、でなけりゃ誰かが気に入って沢山買うようになったか。
 そうだとしたら、いずれ入荷量を増やしてくれるかもしれないが…。一時的なものだってこともあるから、増やしてくれるとしてもいつのことやら…。
 俺は当分、あれに出会えないかもしれないなあ…。
「それなら、家に直接、届けて貰えば?」
 ぼくの家みたいに、とブルーが言った。
 四つ葉のクローバーのミルクは配達の人が朝に運んで来てくれてるから、と。一日おきに家まで届いて、その時に空になった瓶も持って帰ってくれるんだよ、と。
「配達なあ…。俺も知ってはいるんだが…」
 そいつじゃ俺には多すぎるんだ。一日おきの配達でもな。
「そうなの?」
 ぼくの家だと足りなくなっちゃって、ママが買いに行ってることもあるけど…。
 お菓子には沢山使うものね。お料理にだって。
「生憎と、俺は一人暮らしだしな」
 お前の家みたいに毎日のように菓子を作りはしないしなあ…。料理だって一人分だけだ。
 俺が飲む量にしたって、そうそう多くはないからな。
「そっか…」
 ハーレイ、配達、無理なんだ…。あれなら間違いなく届くんだけどな、四つ葉のマークが。
 だけど、無理なら仕方がないね…。



 でも…、と悲しそうに俯くブルー。
 ハーレイとお揃いじゃなくなったんだ、と桜色の唇から零れた言葉。
「はあ?」
 お揃いってなんだ、何がお前とお揃いじゃないんだ?
「ミルク、お揃い…」
 ハーレイが四つ葉のマークのを買ってくれていたら、お揃いのミルクが飲めるのに。
 この間までお揃いで飲めていたのに、ミルク、お揃いじゃなくなっちゃった…。
「ミルクがお揃いって…。お前の頭ではそうなるのか?」
 持ち物がお揃いだったら分かるが、なんでミルクでお揃いなんだ。
 飲んじまったらそれでおしまいだぞ、手元には瓶かパックだけしか残らないんだが?
 その瓶とかだって返しに行くしな、次のミルクを入れるために回収してるだろうが。
「でも、ハーレイだってそうなんでしょ?」
 お揃いとは思ってなさそうだけれど、ぼくが飲んでるから四つ葉のマーク。
 前は違うのを買っていたなら、お揃いのつもりで買っているんだと思うんだけどな…。
「そう……かもしれんな」
 俺に自覚は全く無かったが、お前に合わせて買っているなら、そうなるのか?
「そうだよ、お揃いのミルクなんだよ」
 四つ葉のマークのミルクだったら、ぼくとお揃い。ぼくが毎朝、飲んでるミルク。



 早く買えるといいね、と言われた。
 ハーレイとお揃いのミルクがいいから早く買ってね、と。
(…言われなくてもな?)
 今度こそは見付けて買ってやる、と次に出掛けた食料品店。
 他の買い物は後回しにして、真っ先にミルクの棚に向かえば、最後の一本に出くわした。幸せの四つ葉のクローバーのマーク。ブルーの家に届くミルクとお揃いの瓶。
(うん、こいつだ!)
 やっと見付けた、と幸運を籠に突っ込んだ。
 他の誰かに取られてなるかと、この幸運は俺のものなのだから、と。
 それから肉や野菜などを選んで、弾んだ心で颯爽とレジへ。牛乳の瓶が籠から出されて、買った品物を入れるための袋に移される時も心が躍った。
 今日は四つ葉を見付けられたと。幸運の印を持って帰れると。
 何より、ブルーとお揃いのミルク。
 幸せを運んでくれそうに見えて来た。とびきりの幸せをこいつが運んでくれそうだ、と。



 その週末。土曜日にブルーの家に出掛けてゆくと、真っ先に訊かれた。「牛乳、買えた?」と。
「ハーレイ、四つ葉のクローバーの牛乳、買えたの?」
「お蔭様でな」
 なんとか買えたぞ、お前とお揃いのミルクをな。
 最後の一本だったが買えた、と報告したら。
「そうなんだ…。じゃあ、配達にすればいいのに」
 四つ葉のクローバーに決めてるんなら、それが一番確実だよ。
「だから俺には多すぎるんだと言っただろう」
 一人暮らしで牛乳を頼んでも、どうにもならん。ドカンと使った時なら別だが…。
 余っちまうだけだ、そいつをどうして使ったもんかと悩む羽目になるのが見えてるからな。
「ううん、コースがあるんだって」
 一人暮らしの人用の、とブルーは得意げに説明し始めた。
 三日に一本、大きな瓶入りの牛乳が届く。ブルーの家に二日毎に届くのと同じものが。
 一人暮らしにはピッタリの量だけれども、それでも余ったりはする。そうした時には配達を一回休めるコース。逆に、多めに欲しい時には増やして貰うことも出来るらしい。
 牛乳が届く専用の箱にメモを入れるだけで。
 一回休みでとか、次は多めにとか。



 ブルーがスラスラと淀みなく話すものだから。
 まるで自分が牛乳配達の仕事をしているかのように、仕組みを教えてくれるものだから。
「お前、やたらと詳しいな」
 この間は「無理だね」って頷いてたくせに、何処で調べて来たんだ、そんなの。
「ママに話をしたんだよ。ハーレイが牛乳、買えないみたい、って」
「おい…。お揃いと言ってはいないだろうな?」
 俺がお前とお揃いの牛乳を飲みたがってる、とお母さんに喋っちゃいないだろうな、お前?
「そんな失敗、ぼくはしないよ。絶対、しない」
 ハーレイと恋人同士だってことがママにバレたら、大変なことになっちゃうもの。
 お揃いだなんて言いやしないよ、それがホントのことでもね。
 四つ葉の牛乳が気に入ったみたいと言っておいたよ、と微笑むブルー。
 そうしたら母が訊いてくれたと、配達をする店に尋ねてくれたのだと。



「ハーレイ、配達、頼んでみる?」
 一人でもこれなら余らないでしょ、沢山欲しい時だって頼めば増やして貰えるし…。
 牛乳を沢山使ってお料理したい、って思った時にも大丈夫だよ。先に予定が決まっていれば。
 その日に急に思い付いたら、買いに行くしかないけれど…。それはママだって同じだもの。
「そうだなあ…」
 確実に買えるって言うんだったら、そいつがいいかもしれないな。
 今までは普通に店で買えていたから、たまに品切れでも何とも思わなかったんだが…。
 あれだけ続けて手に入らないと、どうもツイてない気がしてな。
 俺は幸運を一つ逃したんじゃないかと、知らずに逃げられたんじゃないかと思っちまうんだ。
 この際、頼んでみるとするかな、アレの配達。
「ホント!? 配達、頼むことにするの?」
「ああ。俺もお揃いにしたい気持ちになって来たしな」
 お前が言った通りに、俺もお揃いだと何処かで思っていたんだろう。
 お前が飲んでいるのと同じミルクだと、これを買おうと四つ葉のマークを探してた、ってな。
「じゃあ、ハーレイの分、頼んであげる」
「頼む?」
 どういう意味なんだ、頼むってのは?
「ハーレイ、配達のお店、知らないでしょ?」
 調べれば分かるとは思うけど…。
 ママがね、ハーレイが頼むんだったら、コースを選べる申込書を貰ってくれるって。
 直ぐに送って来てくれるから、書き込んでぼくの家から送っていい、って。



 ぼくの家の通信機を使ってよ、と期待に満ちたブルーの瞳。
 ハーレイがお揃いの牛乳の配達を頼むんだったら、ぼくの家から申し込んで、と。
「そしたら申し込みまでお揃いになるよ、ぼくの家のと」
 同じ通信番号を使って申し込むんだもの、配達の始まりからもうお揃いだよ?
「おいおい…。お前の家の通信機を使うのはいいんだが…」
 その申込書を送るのは俺で、書き込む通信番号も住所も俺のなんだが?
 店にしてみれば、何処から送られた通信だろうが、気にしていないと思うがな…?
「ぼくがこだわりたいんだよ!」
 ハーレイの家に四つ葉の牛乳を届けて貰うための申込書だよ、ぼくの家から送りたいよ!
 ぼくの家から送りたいから、ハーレイの分を頼ませてよ!
「うーむ…。お前がそこまで言うならなあ…」
 どうせ頼もうかと思ってるんだし、そいつも悪くはないかもな。
「ぼくの家から頼んでくれる?」
「うむ。お前、最初からそのつもりだろ?」
 俺に配達の話を持ち出した時から、頼もうと思っていたんだろうが。
 実際に通信機で送ってくれるのは、お前のお母さんってことになるんだろうがな。
「やった!」
 申し込みからお揃いに出来るよ、四つ葉の牛乳。
 ママに申込書を頼まなくっちゃ!



 飛び跳ねんばかりに喜んだブルー。
 「ママー!」と階下へ駆けて行ったブルー。
 ハーレイが「参ったな…」と苦笑している間に、ブルーは一枚の紙を手にして戻って来た。
 四つ葉のクローバーのマークが描かれた牛乳配達の申込書を。
「えーっとね…。ここにコースが書いてあるから…」
 届けて貰う日と、何本届けて貰うのか、と。ママが言ってた一人暮らし用は…。
「これだな、このコースをこっちに書けばいいんだな」
 ふむ、とハーレイは申込書を読んでみた。配達用のコースは色々、どうせならブルーの家に届く日と重なっている曜日のコースがいい。
 そう考えて「お前の家には何曜日と何曜日に届くんだ?」と訊くと、ブルーは「えっとね…」と指を折ってから。
「ハーレイ、それも合わせてくれるの?」
「そいつも揃えたいだろう? 三日に一度と二日に一度じゃ、そうそう上手くは重ならんが…」
 この日はお前の家にも届いたんだな、って思える日に受け取りたいじゃないか。
 同じ配達を頼むんならな。
「だったら、これだよ、こっちのコース!」
 これ、とブルーが申込書を指差した。自分の家に届くコースがこっちなのだから、曜日が重なるコースはこれだ、と。
「なるほどな。…それじゃ申込書を書くとするか」
 お前のペンを借りるとするかな、そうすりゃペンまでお揃いだしな?
「やだ! ハーレイ、ペンは持ってるでしょ!」
 お休みの日でも、いつものあのペン。手帳と一緒に持ってるってこと、知ってるもの!
 あれで書いてよ、あれで書いた字を通信機で送りたいんだよ…!



 小さなブルーは頑として譲ろうとしないから。
 「そこはお揃いでなくていいのか?」とクックッと笑いながら愛用のペンを取り出した。
 ずっと昔に気に入って買った、瑠璃色のペン。人工のラピスラズリで出来たペン。一目惚れして買った時には夜空のようだと思っていた。散らばった金色の粒が星のようだと。
 その星空の中に星座は無いのか、と小さなブルーに尋ねられたのはいつだったか。地球の星座が無いということは知っていたのだが、ブルーに問われて見詰め直したら。
 ペンの中の夜空に星座があった。小さなブルーも、前のブルーも知らない星座が。
 今の自分も見たことは無くて、今の時代にはもう無い星座が。
 星が動いたという意味ではない。その星座が見えた星が消えてしまった。跡形もなく砕け散ってしまったナスカの星座。赤いナスカで仰いだ星座。
 それは種まきの季節に昇った七つの星だった。前の自分が見上げていた。赤いナスカで何度も、何度も。あの星の地上で、その季節に夜を迎える度に。



 ナスカの星座が鏤められたペンは、小さなブルーもお気に入りで。
 ハーレイ自身も「この星座が自分を呼んだのか」と、今となっては感じているペン。同じペンが何本もあった中からこれを選んだ。これが手に馴染むと、一番いいと。
 そうして小さなブルーと出会って、「星座は無いの?」と無邪気に訊かれて。
 地球の星座の他にも星座はあるからと、アルテメシアやノアの星座も、と言われるままに調べてナスカの星座を見付け出した。あの星座だと。
 前の自分がそれを仰いだ頃、前のブルーは深く眠っていたのだけれど。
 一度もナスカに降りることなく、前のブルーはメギドに飛んでしまったのだけれど…。
 赤いナスカも砕けてしまって、あの星座はもう見られない。
 種まきの季節を迎える星が無いから、昇るための空を持たないから。



 今はもう無い、七つの星を結んだ星座。それが隠されたペンで申込書を書き込んだ。
 まずは希望の配達コースを、それから住所と自分の名前に通信番号。
(…ナスカに居た頃には、こんな日が来るなんて夢にも思わなかったよなあ…)
 青い地球に住んで、地球で育った牛のミルクが自分の家に届く生活。
 それを申し込むための紙をブルーの家で書いている。ブルーの部屋のテーブルで。
 ナスカであの星座を仰いだ時には、長い眠りに就いてしまっていたソルジャー・ブルー。まるで魂が失われたかのように思えて、その魂を探していた。
(虹のたもとを追い掛けてな…)
 七色に輝く虹の橋のたもとには宝物が埋まっていると言うから。そこに辿り着けばブルーの魂が埋まっているかと、雨上がりの虹を追って歩いた。赤い星の上を。
(…前の俺は見付けられなかったが…)
 やっと目覚めてくれたブルーも、メギドへと飛んでしまって失くした。失くしてしまった。
 けれども、ブルーは小さくなって帰って来てくれて。
 自分と一緒に青い地球の上に生まれて来てくれて、今はワクワクと眺めている。牛乳配達を頼むためにと申込書に書き込む自分を。
 ナスカの星座が隠れているペンで、住所や名前を書く自分を。



「…よし、こんなトコだな」
 書けたぞ、とブルーに見せると、「ママに渡して来る!」と部屋を飛び出して行った。申込書をしっかり掴んで、階下の母に送って貰うために。
 階段を駆け下りて行った足音が消えて、お茶を飲みながら待っていると。
「送って来たよ! これはハーレイが持って帰ってね!」
 はい、と申込書を渡された。これが控えになるから、と。
「すまんな、お母さんに世話をかけちまって…」
「ううん、ママがね、お役に立てて嬉しいです、って!」
 これでハーレイ、いつでも飲めるよ、四つ葉のクローバーのマークの牛乳。
 週明けからホントのホントにお揃いで配達になるんだから!
「そうなるなあ…。ちゃんと曜日も合わせたしな?」
「重ならない曜日もあるけどね」
 だけど覚えたよ、週の最初の配達日はハーレイの家とおんなじなんだよ。
 ぼくの家に牛乳の瓶が届いたら、ハーレイの家にも届くんだよ。
 牛乳もお揃い、配達もお揃い。それにハーレイ、ぼくの家から申し込んでくれたし…。
 すごく楽しみ、あの牛乳が届くのが。
「そりゃ良かったな。頑張って牛乳、飲むんだぞ?」
 背を伸ばすんだろ、しっかりと飲んで。その割にサッパリ伸びないけどな。
「これでも頑張ってるんだよ!」
 毎朝、ミルクは飲んでるし…。シロエ風のホットミルクも飲むし!
 きっとその内にグングン伸びるよ、ハーレイとお揃いのミルクを飲めば…!



 ハーレイはとても背が高いもの、と称賛の眼差しで見詰められた。
 そのハーレイとお揃いのミルクを飲んでいたなら背丈も伸びるに違いない、と。
「お前なあ…。俺はお前が四つ葉のクローバーの牛乳だっていうのを聞いて以来、だ」
 ずっとそいつを買ってたわけだが、お前の背丈は伸びてないだろうが。
 お揃いの牛乳だった筈だぞ、もう長いことな。
「それはね、ぼくが気付いてなかったからだよ、きっと」
 お揃いだって分かったんだし、これからはお揃いで届くんだし…。きっと伸びるよ、ハーレイとお揃いのミルクだから。
「そいつに関しては、俺は責任、持たないからな?」
 お前の家から申し込んでは貰ったが…。お前の背丈が伸びるかどうかは責任は持てん。
 まあ、あれだ。お前の努力次第ってヤツだな、背の方はな。
「頑張らない筈がないじゃない!」
 お揃いのミルクが飲めるんだから。うんと頑張って背を伸ばすんだよ、出来るだけ早く。
 でないとハーレイとキスが出来ないし、ぼくだってとても困るんだから…!



 きっと背丈を伸ばしてみせる、とブルーは宣言していたけれど。
 そうそう上手くいかないだろう、と夕食を御馳走になっての帰り道でハーレイはクスリと笑う。
 牛乳で簡単に伸びるのであれば、とっくに伸びていそうだから。前のブルーと同じ背丈とまではいかないとしても、何センチかは確実に。
(ゆっくり大きくなるんだぞ、って言ってあるしな…)
 前のブルーと同じ姿を早く見たいとは思うけれども、その一方で、今のブルーも愛おしかった。
 小さなブルー。愛くるしいブルー。
 幸せそうな笑顔を眺めていたい、と思ってしまう。ゆっくり、ゆっくり育って欲しいと。
 牛乳配達がお揃いになると、お揃いのミルクが飲めるようになると手放しで喜んでいたブルー。
 申し込むなら自分の家の通信機からと、そうすれば申し込みまでお揃いになるから、と強請ったブルー。小さなブルー。
 申込書は持って帰ってしまうのに。通信機の中を通過して行っただけなのに。
(ああいう所も可愛らしいんだ…)
 ブルーのペンを借りて書いたのならば、そのペンを宝物にして仕舞い込みそうなくせに、それは嫌だと、いつものペンで、と主張したのも愛らしくて。
(…あいつの中では何処までがお揃いで、どの辺までが俺専用ってことになるんだろうな?)
 まるで予想がつかない所が子供らしくて、可愛くて。
 そんなブルーを見ていたいと思う。十四歳の小さなブルーを、その愛らしい発想を。



(…うん、確かに来たな、四つ葉の幸せ)
 最後の一本だった四つ葉のクローバーの牛乳の瓶がくれた幸せ。
 とびきりの幸せが来たと思える。
 ブルーの家で牛乳配達の申込書を貰って、書いて。その場で送って貰うことが出来た。
 もうこれからは「品切れなのか…」とガッカリすることも無いだろう。幸運を一つ逃した気分になることも。
 お揃いの牛乳が届くのだから。ブルーの家に届く牛乳と同じものが、いつも。
 一人暮らし用のコースだけれども、四つ葉のクローバーのマークが描かれた牛乳の瓶が。



 日曜日もブルーの家に出掛けて、過ごして。
 週明けの朝、庭に出てみると家の前に配達用のケースが置かれていた。
 四つ葉のクローバーのマークのケース。蓋を開けてみれば、四つ葉のクローバーの牛乳の瓶。
 よく冷えたそれを取り出しながら、ふと思い出した。
(そういや、あいつの家の前にも…)
 あったのだった、同じ箱が。ブルーの家の前に、この箱が。
 それだけで心が温かくなった。
 ブルーに一歩近付けたような気持ちがした。
 今はまだチビで小さなブルーで、愛くるしい子供の姿だけれど。
(あいつと結婚した後も…)
 前のブルーと同じに育ったブルーがこの家にやって来た後も、この箱が活躍するのだろう。
 配達して貰う量や回数を今より増やして、二人分で。
 毎朝のミルクに、日々の料理に。
 前の生では見付けられなかった四つ葉のクローバーのマークの牛乳。
 そうして二人、幸せに笑い合って生きてゆく。この地球の上で、手をしっかりと繋ぎ合って…。




          幸せの牛乳・了

※ハーレイが買い損ねてしまった牛乳。三度も続くと、やはり気になってしまうもの。
 それが御縁で、ブルーの家と同じ牛乳の配達が来ることに。幸運の四つ葉のマークの牛乳。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









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