シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「ブルー、予約をしておいたわよ?」
「えっ?」
母の言葉にキョトンとしてしまったブルーだけれど。
学校から帰ったばかりなのだけれど、母はブルーにこう告げた。
「髪の毛、伸びているでしょう? そろそろ切りに行かなくちゃね」
美容室に予約を入れてあるという。ブルーの都合もあるだろうから、時間に少し幅を持たせて。
母は笑顔で畳み掛けるように。
「おやつにするの? それとも先にカットに行ってくる?」
どっちでもいいのよ。予約してあるから、行ったら直ぐに切ってくれるわ。
「そんな…」
今日なの、とブルーは驚いたけれど。いきなり宣言されても困るのだけれど。
予約されたものは仕方ないから、ダイニングに暫し突っ立った後で。本当だったら、テーブルでおやつの筈だったのに、と恨めしそうに何の用意も出来ていない其処を眺めた後で。
「先に行く!」
「やっぱりね…」
行ってらっしゃい、と送り出された。カットの代金が入った財布を持たされて。
おやつも食べていないのに。制服から着替えたというだけなのに。
(でも、おやつを先に食べてしまったら…)
カットに行くのが遅くなる。帰って来る時間も当然、おやつを食べていた分だけ遅れる。
(ぼくがカットに行ってる間に、もしもハーレイが来ちゃったら…)
仕事帰りに寄ってくれたら、留守にしていたら大変だから。
ハーレイが母とお茶を飲みながら待っていてくれるとは限らない。留守だと聞いたら、さっさと帰ってジムへ泳ぎに行くかもしれない。
そうなってからでは手遅れなのだし、おやつよりも、カット。
カットも時間がかかるけれども、ハーレイが来るよりも先に終わってくれる筈だから。
(早く行ったら、早く終わるよ…!)
急がなくちゃ、と財布を入れたポケットをポンと押さえて早足で急いだ。住宅街の中を、歩いて数分の美容室へと。
母も行っている美容室。お洒落なガラス張りになった店。美容師も多くて、いつ行っても先客が何人かいる。カットしている間にも客が次々と入って来るのが当たり前の店。
(うー…)
来ちゃった、とブルーは店の手前で立ち止まって中を窺ってみた。順番待ち用の椅子に腰掛けた人が数人、つまりは客が多いということ。
予約してあるから、其処に座れば間もなく呼んで貰えるのだとは分かっていても…。
(今日もいっぱい…)
誰もいなければ良かったのに、と思い切って店に入ってゆけば。
「いらっしゃいませー!」
美容師たちが一斉に振り向いた。おまけに椅子に座った客たちも。
そしてそのままブルーを見ている、美容師ならぬ他の客たち。あからさまにではなく、前の鏡に映ったブルーを見詰めていたり、雑誌に目を落としながらチラチラと見たり。
(…今日もだよ…)
この雰囲気が苦手なのだけれど。
美容師たちの間に流れる弾んだ空気も困るのだけれど。
手が空いているのは誰だろうか、と目と目で牽制し合っている気配。ブルーは係を指名したりはしないものだから、誰でもカットもシャンプーも出来る。手が空いていれば。
バチバチと見えない火花が飛び散った後で、一人の女性が前に出て来た。
ブルーも顔馴染みの若い女性だけれど、物心ついた頃から全く姿が変わっていない。年を止めてしまっているということで、他の美容師たちも似たようなもの。若いけれども、年齢は不明。
「今日はいつもの?」
にこやかに尋ねられたから。
「うん…。ううん、はいっ!」
子供だと思われないように、と「はい」と言い直した途端に「可愛い!」と上がった声。仕事をしている美容師たちや、他の客たちの間から。
(…また言われちゃった…)
これが嫌なのに。
ウッカリ声を上げようものなら、たちまち店中の注目の的。カットの最中の客と美容師との間で始まるブルーの話題。可愛らしいとか、まるでソルジャー・ブルーだとか。
(…酷いんだから…!)
小さな頃から苦手だったけれど、記憶が戻ったら余計に苦手になった。
自分は自分で、人気俳優とは違うのに。どんなに騒いで貰ったとしても、いいことなどは何一つ無いのに。カット代がタダになるというわけでもないし…。
(好きでやってる顔なんじゃないよ…!)
ハーレイのためなら、この顔が必要なのだけれど。
前の生からの恋人と向き合うためには必要な顔で、これでなければいけないけれど。
(…ぼく、見世物じゃないんだってば…)
そうは思っても、口に出すだけの度胸は無かった。小さい頃から、ずっとそう。
だから未だに美容師たちに可愛がられて、ブルーの係は奪い合い。
勝ち抜いたスタッフにシャンプーして貰って、さっきの美容師が待つ鏡の前の椅子に座って。
あれこれと話し掛けられる間にもテキパキと仕上がってゆく、いつものソルジャー・ブルー風。
要するに前と変わっていないのだけれど。
鏡に映る自分を見たって、何処がどう変わったのか、サッパリ分からないのだけれど。
それでも床には、着せられた理髪マントの上には切られた銀糸が落ちているから。
プロの目で見れば、それに「カットに行きなさい」と言った母もきっと見分けがつくのだろう。前と変わったと、これでスッキリしたのだと。
家では使わない艶出し用のヘアスプレーを吹き付けられて、ブラッシングされて、カット終了。
鏡の前の椅子から解放されて代金を支払い、ドアに向かうと美容師たちの声。
「ありがとうございましたー!」
カットしてくれた美容師が表まで見送りに来てくれたけれど。
(やっぱり嫌だ…)
出てゆく時まで注目される。待っている人や、カット中の人の視線が追ってくる。それに声も。
小さなソルジャー・ブルーが出来たと、可愛らしいと、賑やかな声。
本当に恨めしい気分だけれども、時間がけっこう経ったから。カットした分だけ、過ぎたから。
(ハーレイが来ちゃう…!)
美容室にかまっていられるものか、と急いで家へと歩き始めた。
ハーレイが来てくれるとは限らなくても、チャンスを逃したくはないから。
出掛けているなら、と帰られてしまってはたまらないから…。
家に帰り着いて、手を洗ってきちんとウガイもして。
キッチンを覗くと、「ママ、おやつ!」と叫んだけれど、振り返った母は時計を指差して。
「ハーレイ先生は?」
いらっしゃるとしたら、もうすぐよ。おやつ、食べるの?
「…そっか…」
駄目だよね、と素直に納得した。
もしもハーレイが来てくれたならば、必ず出されるお茶とお菓子と。
こんな時間におやつを食べてしまえば、ブルーの分はお茶だけになってしまうだろう。その後の夕食に差し支えないように、紅茶だけ。
それでは寂しい。ハーレイと一緒にお菓子を食べたい。
おやつを食べるのは諦めよう、と部屋に戻ろうとしたら、「このくらいはね」と母はシロエ風のホットミルクを作ってくれた。マヌカの蜂蜜で甘みをつけて、シナモンを振って。
それだけを飲んで、「御馳走様」と母にカップを返して。
二階の自分の部屋に戻ると、おやつが足りないと訴えるお腹を抱えて待った。
(ハーレイ来るかな?)
来てくれるかな、と首を長くしていれば、チャイムの音。この時間ならば、と窓に駆け寄ると、手を振るハーレイ。
(良かった、先にカットに行って…!)
おやつを食べてから出掛けていたなら、まだ戻ってはいなかったろう。ホットミルクだけ飲んで部屋に戻って、さほど時間は経っていないから。
自分の選択は正しかった、とハーレイに大きく手を振り返した。待っていたよと、早く部屋まで上がって来てねと。
仕事帰りに寄ってくれたハーレイと、テーブルを挟んで向かい合わせ。
母がお茶と一緒に置いて行ったケーキは、ブルーの分がいつもより明らかに大きめで。おやつを抜いた分を加えておいてくれたのだろう。
ハーレイが鳶色の目を細めて。
「ほほう…。うんうん、カットに行って来たんだな?」
「分かるの?」
どうして、と驚くブルーに、ハーレイは「分かるとも」と片目を瞑った。
「匂いとケーキのサイズでな」
お前の髪から普段とは違う香りがしてるし、ついでにケーキのサイズが大きい。おやつを食べる代わりにカットに出掛けていたんだな、と簡単に推理出来るってな。
「…見た目じゃないんだ…」
見た目で違うって分かったのかと思ったのに…。ぼくは自分でも分からないのに。
「お前の髪型でそうそう変わるか」
まるで別のにしちまったんなら、少し切っても分かるだろうが…。
いつもと同じじゃ分からんな。ソルジャー・ブルー風がジョミー風になったら別なんだが。
俺だって全く変わらないだろうが、と言われればそうで。
いつ見てもキャプテン・ハーレイ風のヘアスタイルだから訊いてみた。
「ハーレイはこの前、いつ切ったの?」
その髪、切りに行ったのはいつ?
「先週だが?」
お前の家には寄れなかった日だな、仕事の帰りに行って来たが。
「気が付かなかった…!」
短くなったなんて分からなかったよ、ぼくはちっとも…!
「ほらな、そういうモンだってな」
伸びて来たな、と思ったから切って来たんだが…。
お前にしてみりゃ気付かなかったわけで、それと同じだ。俺にもお前の髪が伸びたかどうかは、見た目だけでは分からないなあ…。
うんと伸びれば分かるだろうが、とハーレイが腕組みをしているから。
そのハーレイの髪は、前のハーレイとまるで変わりはしないから。キャプテン・ハーレイだった頃とそっくりだから、興味が出て来た。ハーレイはどんな店でカットをするのだろうか、と。
興味津々、疑問をそのままぶつけてみる。
「ハーレイは何処で切ってるの?」
髪の毛、何処へ切りに出掛けてるの、どうやって髪型、注文するの?
「ん? 行きつけの店があってな、俺の家の近くに」
黙っていたってこうされる、と短い金髪を指差すハーレイ。
いつでもキャプテン・ハーレイ風だ、と。
「なんで?」
どうしてキャプテン・ハーレイ風になるわけ、何も注文しなくっても?
「ああ、それはな…。店主の趣味というヤツだ。ファンなんだそうだ」
「誰の?」
「前の俺のだ、いわゆるキャプテン・ハーレイだ」
「えーっ!」
前のハーレイのファンって、珍しくない?
それじゃ、キャプテン・ハーレイにそっくりのハーレイが来たから、その髪型なの?
キャプテン・ハーレイにしようと思ってカットしてるだなんて、なんだか凄すぎるんだけど…!
そういう趣味の持ち主もいるのか、とブルーが仰天していると。
ハーレイは「それだけじゃないぞ」とニヤリと笑った。
「お前の髪も切りたいそうだぞ、その店主」
俺よりも年上の紳士って感じの店主なんだが、そう言ってるな。
「ぼく? 何処からぼくが出て来るの?」
どうしたらぼくの髪の毛を切りたいってことになるわけ、そのおじさんは?
「お前が俺の恋人だからだ。二人セットでカットしたいと言ってたが…」
「それだけなの?」
「いや。お前の髪型にこだわりがあってな、ソルジャー・ブルー風にしたいそうだ」
ショートカットが嫌いでなければやってみたい、という話だが。
「ソルジャー・ブルー風って…。どうしてソルジャー・ブルーになるの?」
前のぼくの髪型、それも大好きなおじさんなのかな…?
「店主が言うには、似合いだそうだぞ」
「何が?」
「前の俺と、お前」
並んでいると絵になる二人だ、とても似合いだと熱く語ってくれてたなあ…。
「えっ…?」
絵になるって、それ…。似合うだなんて、前のぼくとハーレイが並んでいたら…?
それって恋人同士に見えるっていう意味なの、そういうこと…?
バレちゃってるの、とブルーは目を真ん丸にしたけれど。
前の生では隠し通したハーレイとの恋を見抜かれたのか、と息を飲んだのだけれど。
「いや、まだそこまではバレてはいない」
固い信頼関係で結ばれた二人で、並ぶと絵になると言っていただけだ。けしからぬ仲だったとは思わないとも話していたから、恋人同士だったという所までは気付いていないな。
ただしだ、お前をあの店に連れて行ったら…。
いずれバレるかもしれないが、と鳶色の瞳が柔らかくなった。
恋人同士で顔を出せばと、二人一緒に出掛けてゆけば、と。
「そうなんだ…。ぼくの顔、ソルジャー・ブルーだものね…」
バレてしまうかもね、前のハーレイと前のぼくともホントは恋人同士だった、って。
「まあな。だが、あの店主は喋らんだろうさ」
気付いたとしても誰にも喋りはしないな、そういうタイプの人間だ。
自分だけが気付いた歴史の秘密だ、と大切に仕舞い込んでおくのさ、発表せずにな。
「良かったあ…」
それならバレても大丈夫だよね、歴史の本だって変わらないよね。
ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイは実は恋人同士でした、って書かれないよね…。
ホッと安堵の吐息をついて、ブルーは尋ねた。
「じゃあ、ぼくもいつかはそのお店でカットすることになるの?」
ハーレイの家から近いんだったら、そのお店になる?
「そうなるだろうな、俺の趣味だけにレトロな店だが…」
店主が一人でやっているだけで、手伝いの人もいないんだが…。
腕は確かな店主だからなあ、客はけっこう来るみたいだぞ?
「そっちの方が今より良さそう!」
ぼくが行ってるお店、美容師さんが一杯で…。ぼくの係を取り合いなんだよ、いつ行っても。
他のお客さんだって「ソルジャー・ブルーだ」ってジロジロ見てるし、カットに行くのが苦手になって…。今日だって仕方ないから行って来たんだ、ママが予約を入れちゃったから。
でも、ハーレイが行ってるお店なら、そういうことにはならないよね。
断然、そっちのお店がいいよ。行くなら、そっち!
たとえソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイが恋人同士とバレたって、と嬉しくなった。
その店主ならば誰にも喋らないようだし、前の自分たちの恋を大切に思ってくれそうだから。
誰にも言えずに終わってしまった恋を誰かに知って貰うのも、きっと悪くはないだろうから。
(それに、ソルジャー・ブルー風にしてみたい、っていうほどの人だしね?)
自分を見たなら、この銀色の髪を見たなら、きっと見事に仕上げてくれるのだろう。
今と変わらないソルジャー・ブルー風に、前の自分と同じ髪型に。
鏡の前の椅子に座れば、それは手際よく、かつ丁寧に。
今の店と違って騒ぎ立てる客もいそうにないから、カットが好きになるかもしれない。仕方なく出掛けてゆくのではなくて、自分から「行きたいな」と思うくらいに。
ハーレイに「そろそろカットして貰いに行こうよ」と声を掛けたくなるくらいに。
(キャプテン・ハーレイのファンのおじさんだものね)
ハーレイをこの髪型にしちゃうなんて…、と出会った頃を思い浮かべた。
記憶が戻っていなかったというのに、ハーレイは今の髪型だった。キャプテン・ハーレイと寸分違わぬ、撫で付けられた短い金髪。
まるで別の髪型をしていたとしても、ハーレイだと気付きはしたのだろうけれど…。どうせなら同じ方がいい。この地球の上で巡り会うなら、前のままのハーレイの髪型がいい。
そう考えてから気が付いた。前のハーレイの髪型は最初から今と同じものではなかったことに。
アルタミラで初めて出会った時には違っていた。今よりも長く、波打っていた。
あれは前のハーレイの好みだったろうか?
自分と同じで成人検査を受ける前から、あの髪型をしていたのだろうか?
十四歳の子供には似合わないような気もするのだけれども、その頃のハーレイの顔立ちだったら似合う髪型だったのだろうか…?
気になり始めたら、確かめてみたい。前の自分も知らなかったハーレイの髪型のこと。
三百年以上も一緒に居たのに、気にもしていなかったハーレイの髪型。
前の自分は成人検査の前からずっと同じで、一度も変わりはしなかったから。
アルタミラの研究所で檻に居た頃は、係がそのように切っていた。勝手に切られて、成人検査の前と同じで暮らしていた。
だから誰もがそうだと思い込んでいて、尋ねようとも思わなかった。
ハーレイも、ゼルも、ブラウも、エラも。ヒルマンだって成人検査の前から髪型は同じなのだと信じ込んでいて、そのままになってしまったけれど。
今にして思えば、ゼルたちはともかく、ハーレイは十四歳の子供らしくはなかったような…。
この際だから、とゴクリと唾を飲み込んだ。
訊いてみようと、確かめようと。
髪型の話になったついでに。
「えーっと…。前のハーレイの髪型のことなんだけど…」
「ん?」
なんだ、と鳶色の瞳が穏やかな光を湛えているから。
「ハーレイの髪型、成人検査を受ける前からアレだった?」
「はあ?」
アレって、どれだ? 何の話だ?
「ぼくたちが初めて会った時の…。アルタミラで会った時のだよ」
ハーレイ、ずっとあの髪型をしていたの?
成人検査を受ける前から、アレだった? あの髪型が前のハーレイのお気に入りだった?
「いや?」
「違うの、あれじゃなかったの?」
あの髪型をしてたんじゃないの、成人検査を受けた時には?
「うむ。その頃はもっとガキっぽかったな、あれよりももっと短めでな」
見た目はまるで違った筈だぞ、あんな髪型ではなかったな、うん。
「じゃあ、成長に合わせて髪型が変わっていったわけ?」
「そのようだ」
俺の記憶もそんなにハッキリしてはいないし、あの髪型がいつからか、って訊かれても覚えちゃいないんだが…。成人検査の時には違った。それだけは間違いないってな。
「…そうだったんだ…」
知らなかった、とブルーは溜息をついた。前の自分も知らなかったと、初めて聞いたと。
「ぼくはそのままだったから…。みんな同じだと思ってた…」
だから訊こうとも思わなかったよ、前のハーレイはどんな髪型をしていたの、って。
ゼルたちだってそうだったのかな、会った時とは違う髪型で成人検査を受けてたのかな…?
「そうだろうなあ、俺も確認しちゃいないがな」
お前の場合は、全く成長しないんだから…。髪型だって同じでいい、ってことだったろうさ。
しかし、俺みたいにデカく育ったヤツがだ、ガキの頃だった髪型のままだと似合わんぞ?
いくら実験動物にしても、研究者だって気持ちよく研究したいよな?
まるで似合わない髪型をした、みっともない動物を扱うよりかは、見た目がもっとマシなもの。そういった動物を使いたかっただろうと思うぞ、同じ実験をするのならな。
「見た目にマシって…。髪型、誰が決めてたんだろう?」
伸びて来たから切らなくちゃ、っていうんだったら分かるけど…。
切るだけじゃなくて、似合わなくなってきたから変えよう、って、誰が決めたのかな?
コンピューターが決めてたのかな、それとも人間だったのかな…?
「さてなあ…。どっちが決めてたんだか…」
データを入力されてた機械がこうだと弾き出したか、あるいは現場の人間だったか。
実験動物の髪を切るのを仕事にしていたヤツもいただろうしな、そいつの感覚かもしれん。この動物にはこれが良さそうだと、これにするかと思い付きでな。
もっとも、機械が決めてたにせよ、人間にせよ、だ。
肝心の俺たちに選ぶ自由が無かったってことだけは確かだがな。
「そうなの?」
選べなかったの、自分の髪の毛のことなのに?
「お前、選ばせて貰えたか?」
「ううん、なんにも考えてなかった…」
切りに来たな、って思ってただけ。こうして欲しいとか、これがいいとか思わなかったよ。
ハサミを持った人間が待っているから、今日は髪を切る日なんだな、って思っていただけ。
「…お前、本当に何もかも止めてしまっていたんだなあ…」
成長も、心も、感情も。
自分の髪の毛が切られるっていうのに、ボーッとしていただけだなんてな…。
「ハーレイは髪型、選びたかったの?」
勝手にチョキチョキ切られるんじゃなくて、あれこれ注文したかったの?
「特にそうとも思わなかったが、髪の毛の持ち主の俺を放って切られてしまうというのはなあ…」
どうなってるのか、どうされるのか。
ハサミの音がしているだけではまるで分からん、落ちた髪の毛を見たってな。
極端な話、丸坊主にでもされない限りは、自分のことなのに分からないわけだ。俺の好みとか、そういう以前の問題だな。自分の姿が把握出来ないのは歯痒いんだ。
せめて鏡に向かいたかった、とハーレイが自分の顔を指差すから。
どういう髪型にされつつあるのか、鏡を前にして見ていたかった、と金色の髪を撫でるから。
「鏡の前で切って貰えてたら美容室だよ、研究所じゃなくて」
有り得ないけど、一部屋、そういう部屋があったらアルタミラ美容室って言うのかな?
御大層な名前がついてそうだよ、「今日は美容室だ」って係に引き摺って行かれるんだよ。
「今の俺は美容室じゃなくって、理髪店だがな」
アルタミラ理髪店ってことになるなあ、俺が引き摺って行かれる時にはな。
しかしだ、どんな場所であっても、鏡さえ其処にあったらなあ…。
それだけで気分が違ったろうに、と言われたから。
殺風景な研究所の中であっても鏡があれば、という言葉は確かに当たっていたから。
「そういえばそうだね、鏡があるだけで違うよね…」
ぼくの顔だ、って見ながら髪を切られているのと、そうじゃないのと。
どっちがいいか、って尋ねられたら、鏡がある方。
その方がきっとホッとするもの。もうすぐ切り終わるのかどうかも分かるし…。
どんな風に切ろうとしているのかな、って想像することも出来るしね。
「そういう自由は俺たちには全く無かったがな」
鏡を前にして美容室だの理髪店だの、そんな気分にさせちゃくれなかった。
そもそも鏡が無かったってな、髪を切る時でなくてもな。
自分を客観的に見られるチャンスなんぞは作らんだろう、と指摘されれば、そうだった。
実験動物だったミュウが自我をしっかり持ったなら。
サイオンを持った生き物なだけに、余計な力を得るかもしれない。サイオンは精神の力だから。心と結び付いていると分かっていたのだから。
自分が何者であるかを教えてはならない。自我など確立させてはいけない。
彼らの方針が功を奏して、ブルーですらもアルタミラが滅ぼされたあの日までサイオンを揮いはしなかった。自分の中に眠る力を知らずに成長すらも止めてしまったまま、檻の中に居た。
前のブルーの力があったなら、研究所くらい粉微塵にしてしまえただろうに。
指先一つで研究者たちの息の根を止め、仲間を救って脱出することも出来ただろうに。
そうさせないために、鏡さえも無かったアルタミラ。
自分の姿を見ることさえも叶わなかった、実験動物として生きていた日々。
「それじゃ、前のハーレイは育っていく自分…」
髪型もそうだけど、身体だって。
どんな風に大きくなっていったか、変わって行ったか、自分じゃ分からなかったんだ…?
「ああ。…断片的にしか知らないな」
手とか足とか、目に入る部分は分かるんだが…。
顔や身体は分からなかったな、見ようにも鏡が無いんだからな。
検査機器とかに映った時にだ、今の俺はこういう姿なのか、と気付く程度だ。
こんな風になったかと、デカくなったな、とチラッと思うが、直ぐにそいつも忘れてしまう。
実験が始まれば、感慨なんぞは完全に吹っ飛んじまうからなあ…。
飛び飛びにしか覚えていないんだ、と語るハーレイは少し寂しそうで。
ブルーは「ごめん…」と謝ったけれど、「いいさ」と答えが返って来た。優しい声で、いつものハーレイの顔で。
「前の俺の成長記録ってヤツは、無いに等しいようなモンだが…」
その分、今の俺の記録が山ほどあるってな。記憶も写真も、それこそ山ほど。
「だけど、その頃のハーレイ、記憶は戻っていなかったじゃない」
当たり前みたいに育っただけでしょ、前のハーレイの記憶は無いんだから。
「育つ最中にはそうだったが、だ。今はすっかり思い出したしな」
記憶が戻ればグンとお得だ、前の俺もきっとこうだったんだ、と思えるだろうが。
全く同じ姿形に育ったからには、育つ途中も似たようなものに違いない。
成人検査で失くしちまった子供時代からズラリと続いた成長記録だ、途切れちゃいないぞ。前の俺が失くした記憶の分まで、今度はしっかり持ってます、ってな。
髪型だってだ、生まれたての赤ん坊の時から今に至るまで分かるってわけで…。
お得でなければ何だと言うんだ、今の俺の記憶と成長の記録。
「そうかもね…」
ぼくは前と同じで髪型、一回も変えていないけど…。
ちっちゃな頃からソルジャー・ブルー風でそのままだけれど、ハーレイは色々選べたんだね。
「うむ。今の店でもコレになる前は違ったからなあ」
アルタミラでお前に出会った頃のアレさ、あの髪型の俺だった。
それよりも前は…。まあ、色々とやってみたよな、自分に似合う髪型ってヤツを探してな。
もっとも、これから先はもう変えないが…。
お前と釣り合う髪型にするなら、キャプテン・ハーレイ風しか無いんだからな。
アルタミラでは選べなかった髪型。鏡で見ることも出来なかった髪型。
それを今度は好きに選んで、ハーレイは今の髪型になって。
ブルーはずうっと同じだけれども、これから先も。
ハーレイの行きつけの店に行くようになって、鏡の向こうの自分を見ながら髪を切って貰う。
今はこの辺りを切っているのだ、と鏡に映った自分の姿を眺めながら。
「ねえ、ハーレイ。…鏡を見ながら切って貰えるって、幸せだよね?」
それに鏡にハーレイも映るね、ハーレイと一緒にカットに行くなら。
…今はカットは嫌いだけれども、そのお店、きっと好きになるよ。
「そりゃ良かったな。お前を連れて行く甲斐があるってな」
あそこの店主も待ってるらしいし、ソルジャー・ブルー風で仕上げて貰えよ?
俺とお前と、どっちが先に切って貰うかも考えなきゃなあ…。
「うんっ!」
それは交代でもいいんじゃないかな、ハーレイとぼくと、交代で先に。
だけど最初にお店に行く時はどうしよう…?
ハーレイが切って貰うのを見てからがいいかな、ぼく、そのお店は初めてだしね?
「よしきた、まずは紹介からだな」
俺の恋人はこいつです、って紹介するから、俺が切って貰ってる間に話して仲良くなるんだな。
そうすりゃ切って貰う時にもリラックスしていられるだろう?
ソルジャー・ブルーにそっくりですね、って言いながら切ってくれるぞ、丁寧にな。
「その前にビックリ仰天じゃない?」
だって、行く頃にはチビじゃなくって、前のぼくと同じに育っているもの。
キャプテン・ハーレイがソルジャー・ブルーを連れて来た、って、ビックリだよ、きっと。
連れてってくれるのを楽しみにしてる、とブルーは笑顔になった。
前の自分たちが恋人同士だったと気付くかもしれない、ハーレイお気に入りの理髪店の店主。
その人に早く会ってみたいと、美容室は早く卒業したいと。
ハーレイと結婚か、婚約するまでは連れて行って貰えない理髪店。
其処へ行けばきっと、カットが好きになるだろう。
「そろそろ髪を切りに行こうよ」とハーレイを誘いたくなるほどに。
今は苦手なカットだけれども、ハーレイお気に入りの店に行けば、きっと…。
苦手な美容室・了
※ブルーの苦手な美容室。注目の的になってしまうからですけれど、ふと気付いたこと。
前の生では、ハーレイたちの髪型はどうなっていたのか、と。今ならではの疑問なのかも。
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