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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

好きだった帽子

(ぼくみたい…)
 昔のぼく、とブルーが眺めてしまった子供。幼稚園くらいの男の子。
 学校が普段よりも早く終わった日の帰り道のこと、バス停から家まで歩く途中で出会った光景。
 これから何処かへ出掛けようというのか、でなければ子供が勝手に外してしまったのか。小さな頭に見合った帽子を母親が被せてやっていた。つばが広い帽子を。
 夏ほど日射しは強くないのに、男の子ならばスポーツ選手風の帽子の方が多いのに。
 だから思った、幼かった頃の自分のようだと。あの頃の自分がそうだったから。



(あの頃のぼく…)
 いつも被っていた帽子。母が頭に被せた帽子。
 幼稚園へと出掛ける時には、制服に合わせた揃いの帽子だったけれども、普段は違った。両親と一緒に出掛ける時や、母と散歩に行ったりする時は別の帽子を被せられていた。
 日射しがそれほど強くなくても、うららかに晴れた春の日などでも。
(あんまり好きじゃなかったけれど…)
 幼稚園での帽子を除けば、被っている子はあまりいなかったから。
 ファッションで帽子を被ろうという感覚が幼稚園児にあるわけがない。スポーツ選手風の帽子にしたって、ファッションではなくて憧れから。憧れの選手と同じ帽子だ、と被った子たち。
 それ以外の子たちは帽子なんかは滅多に被っていなくて、親も被せてはいなかったろう。帽子を被らせて送り出しても、忘れてくるのがオチだから。公園か何処かで脱いでしまって、その辺りにポンと置いておいたら、それっきり。家に帰る時には持って帰らず、頭に帽子は被っていない。
(公園のベンチに置いていたって…)
 其処から何処かへ移動したなら、帽子は置いてゆかれてしまう。子供には多い忘れ物。遊ぶ方が子供にとっては大切、遊び道具にもならない帽子は要らない存在。幼い子供には被せるだけ無駄、失くしてしまうか、忘れて帰るか。
(被ってない子が多かったんだけどな…)
 それなのに自分は被せられていた、他の子供が滅多に被っていない帽子を。
 おまけにスポーツ選手風ではなくて、つばの広い帽子。ぐるっとつばが取り巻く帽子。
 ぼくは帽子は好きじゃなかった、と母親と手を繋いだ子供を見送った。あの男の子も被せられた帽子が嫌いだろうか、と考えながら。



 家に着いても、頭に残っていた光景。帽子を被っていた子供。幼かった頃の自分のように。
 帽子だっけ、と遠い子供時代を思い返した。ダイニングでおやつを食べながら。
 遠い昔と言ってはみても、前の自分が生きた歳月の記憶を思えば、ほんの一瞬なのだけど。ついこの間の出来事に過ぎず、大して昔ではないのだけれど。
(ぼくは身体が弱かったから…)
 強い日射しは良くないから、と父と母とが被らせた帽子。日射しが柔らかい春や秋でも。まるで太陽から隠すかのように、つばが大きく広がった帽子。



 日射しが身体に悪いというのは、アルビノだったからではない。
 SD体制があった時代までは、人間が全てミュウになるよりも前の時代は、アルビノに生まれてしまった人間は大変だったと聞いている。日射しを受ければ酷い日焼けで、瞳も光に弱かった。
 ところが前の自分は違った、途中からアルビノに変化したのに。
 あの忌まわしい成人検査を受ける前までは金髪に青い目、アルビノなどではなかったのに。
 突然に起こった急激な変化、赤い瞳に銀色の髪。普通だったら、人体実験云々以前に困難に直面したことだろう。赤い瞳は光に弱くて、実験室の強い光で痛みを覚えていただろう。
 けれども、そうはならずに済んだ。肌も瞳も、光に焼かれはしなかった。
 サイオンが守ってくれていたから。無意識の内に身体をガードし、光の害を防いでいたから。
 研究所で嵌められた首のサイオン制御リングも、その力だけは封じなかった。あまりにも自然に身体の中を巡るサイオン、それまでは封じられなかった。
 アルビノゆえの欠点を補うための本能、ブルーの身体に備わった機能。呼吸などと同じで封じることなど出来はしないし、ブルー自身にも全く無かったサイオンを使っている自覚。
 今の自分もそれと同じで、肌も瞳も太陽を避ける必要は無い。避けなくてもいい、陽の光を。



(その点だけはサイオンに感謝…)
 とことん不器用なサイオンだけれど、身体だけはきちんと守ってくれた。
 本来は光に弱い筈のアルビノ、太陽は大敵の筈なのだけども、それで不自由をしたことは無い。前の自分と全く同じに、強い光でも平気な瞳。酷い日焼けを起こさない肌。
(ちゃんと補ってくれているんだよね)
 生まれた時から。産声を上げた瞬間から。
 アルビノの子供は今は誰でもそのための能力を備えているから、母たちも心配していなかった。ブルーがこの世に生まれる前から、母のお腹にいた時から。
 病院の検査でアルビノの子だと分かったけれども、両親は「男の子だから、ブルーという名前がいいだろう」と同じアルビノだった偉大なソルジャー・ブルーを連想しただけ、その程度のこと。
(それに、タイプ・ブルー…)
 これも検査で分かっていた。ソルジャー・ブルーと同じなのだと、最強のサイオンを持っている子が生まれて来ると。名前の候補は「ブルー」しか無かった、その時点で既に。



 偉大な英雄、ソルジャー・ブルー。
 彼と同じにアルビノの子供、タイプ・ブルーの男の子。生まれたならば名前は「ブルー」。
 両親がそう決めて待っていた子供、生まれる日を待ち侘びていた息子。
 どんなに器用にサイオンを使いこなすだろうかと思ったらしいが、それは外れた。ものの見事に外れてしまって、親戚の誰もが笑ったくらいに不器用な子供が生まれて来た。
 タイプ・ブルーの赤ん坊でなくても、少しくらいは思念波を使えるものなのに。泣き叫ぶ時には感情の欠片が零れて来るから、泣いている理由が漠然と分かるものなのに。
 赤ん坊だったブルーときたら、泣き叫ぶばかりで、母はお手上げ。簡単な意思表示が出来る頃になるまで、とんちんかんなことをしていたらしい。
 お腹が空いたと泣いているのに、オモチャを使ってあやすとか。眠くなってぐずっていることに気付かず、ミルクを与えて大泣きだとか。
 それくらいに使えなかったサイオン、タイプ・ブルーに生まれたというだけ。
(アルビノをカバー出来ただけでも…)
 マシだと思おう、それまで不器用だと目も当てられない。
 カバー出来なければ、太陽の光を受ければ酷い日焼けで、瞳は光に弱いのだから。



(そんなのだったら、帽子無しだと出歩けないよ)
 春や秋どころか、真冬でも、きっと。一番日射しの弱い冬でも。
 曇りや雨の日ならばともかく、太陽が顔を出している日は頭に帽子。つばがぐるりと取り巻いた帽子。幅の広いつばが。
 両親が一年中、被らせたろう帽子。幼いブルーには意味が分からず、嫌いだったろうに。それが身体を守るとも知らず、被っている子供が少ないからと被せられる度に嫌がったろうに。
(そうでなくても…)
 嫌いだった帽子。日射しは身体に良くないから、と被せられるのが嫌だった帽子。
 一年中被ったわけではないのに、冬は被らなくて済んだのに。
 でも…。



(あれ?)
 好きではなかった帽子の記憶。被せられるのが嫌だった帽子。
 そんな帽子の思い出だけれど、遠い記憶の中に一つだけ。お気に入りの帽子が一つだけあった。自分から進んで被った帽子が、御機嫌で被っていた帽子が。
(なんで…?)
 嫌いだった筈の帽子の中にお気に入り。好きだった帽子。
 何処かが他のと違ったろうか?
 その帽子だけは特別だったろうか、と考えたけれど、デザインが違った覚えは無い。つばの広い帽子で、素材もきっと似たようなもの。違う所があったとしたら…。
(リボンの色…?)
 帽子にくるりと巻き付けてあった、飾りのリボン。鮮やかな水色のリボンの帽子。
 それがついた帽子が大のお気に入り、小さくなって頭が入らなくなるまで被っていた。外に行く時は自分で被って、得意で頭の上に乗っけた。
 好きだった帽子、いつでも被っていたかった帽子。嫌いだった筈の帽子なのに。



(でも、次のも…)
 お気に入りの帽子が見付かったのなら、その次からは母は同じ帽子を買っただろう。デザインや素材がそっくりのものを、「これがブルーの好きな帽子」と。
 けれども記憶に無い帽子。好きだった帽子はあの一つだけで、他の帽子の思い出は無い。喜んで被った帽子の記憶も、得意だったという記憶も。
 お気に入りの帽子は本当に一つ、あの一つだけ。水色のリボンが鮮やかだった帽子。
(水色のリボン…)
 はっきりと記憶に残っているのはリボンの色だけ、他はぼやけているけれど。
 何故、気に入っていたのだろうか?
 リボンの色が好みだったか、被り心地が良かったのか。
 嫌いな筈の帽子たちの中の特別な一つ、それが特別になった理由がどうにも不思議で、探っても全く掴めないから。手掛かりさえも見付からないから、困っていた所へ通り掛かった母。
 これはチャンスだと呼び止めて訊いた。「ぼくの帽子を覚えている?」と。



 お気に入りだった、水色のリボンがくっついた帽子。自分から進んで被った帽子。
 母は帽子を覚えていた。そういう帽子が確かにあった、と。
「ママ、その帽子…。ぼくがどうして好きだったのかも知っている?」
 ぼくは全然覚えてないけど、ママは理由を知ってるの?
「ええ、もちろん。初めて被った日のせいなのよ」
「えっ?」
 思いもよらない意外な答え。初めて帽子を被ったその日に、ブルーは機嫌が良かったらしい。
 それ以来、帽子がお気に入りになって、外へ行く時には被りたがったと話す母。
「どうしてかしらね、あの日のブルーは本当に御機嫌だったのよ」
 公園に出掛けただけなんだけれど…。
 あの帽子を初めて被せてあげた日は、公園に寄ったのと病院だけよ。



 初めて帽子を被った日。水色のリボンがついた帽子を初めて被せて貰った日。
 ブルーが生まれた病院の近くの大きな公園、そこへ遊びに行ったという。母に連れられて病院へ出掛け、小児科の健診を受けた帰りに。一年ごとの健診だったらしいから。
「じゃあ、春なの?」
 ぼくは三月生まれだし…。三月の末だし、その頃のこと?
「そうなるわねえ…。誕生日が過ぎてから行く決まりだから、四月だけれど」
 四月の間に行けばいい健診、注射をされるわけではなかった。身長や体重を測ったりするだけの健診だけれど、ブルーは機嫌が悪くなるから。白衣の医者を見ただけで御機嫌斜めだから。
 健診の帰りは公園に寄って、遊んで帰る。公園の鳩に餌をやったり、ブランコに乗ったり。
 たったそれだけ、特別な何かがあったわけではないらしい。幼いブルーが大喜びしそうな遊具があるとか、公園ならではのお菓子を買って貰っただとか。
 人気の遊具で遊ぶにはブルーは小さすぎたし、お菓子はとても食べ切れないから。
 ただ公園へ行ったというだけ、鳩に餌をやって、ブランコに乗って…。



「それじゃ、帽子は…」
 どうしてその日に被っていたの?
 特別なお出掛けってわけじゃないのに、その日から初めて被ったなんて…。
「お誕生日を過ぎてすぐのことでしょ、使い初めに丁度いいじゃない」
 帽子を被る季節が始まる頃だし、お誕生日を元気に迎えたからこそ健診に行けるわけでしょう?
 新しいものをおろす時には、特別でなくても素敵な日。
 ブルーにもママにも記念の日だから、新しい帽子を被せたのよ。健診の記念。
「…水色のリボンは?」
 ぼくはそれしか覚えてないけど、水色、あれが初めてだった?
「違うわ、水色のリボンはいつもと同じよ」
 ブルーの名前には青って意味もあるでしょう。それに男の子だものね。だからリボンは水色よ。最初の帽子からずっと水色、色の濃さもいつでも同じくらいで。
「それなら、ぼくが気に入ってた帽子…」
 他の帽子と何も違いは無かったわけ?
 デザインがいつもと違っていたとか、違う素材の帽子だったとか。
「それがねえ…。本当に特に何も無いのよ、これというのを思い付かないの」
 あの日に初めて被せて行ったら、とても御機嫌が良かっただけで。それも公園に行った後。
 だから公園でよっぽど嬉しいことがあったのよ、ブルーにとっては。
 ママには全く分からないけれど、子供ってそういうものでしょう?
 大人から見たらなんでもないこと、それが嬉しくてたまらないとか、楽しいだとか。



 結局、母にも謎だった帽子。お気に入りの理由。
 おやつの後で部屋に戻って考えたけれど、手掛かりは公園くらいなもので。
(鳩の餌やりとか、ブランコは定番…)
 滑り台などもよく遊んでいた。楽しかったけれども、特別とまでは思えない。被っていた帽子がお気に入りになるほど、素晴らしい思い出をくれたとまでは。
(……公園……)
 あそこの公園、と風景を思い浮かべていたら、頭を掠めていった考え。公園は人がいる場所で。
(まさか、ハーレイ?)
 会ったのだろうか、今よりもずっと若い姿のハーレイに。
 幼い自分が健診の帰りに母と寄った日に、あの公園で。
 前にハーレイから聞いていた。ジョギングコースの一つなのだと、公園を走ってゆくのだと。
 もしかしたらハーレイと出会っただろうか、あの帽子の日に、それと知らずに。
 手を振って貰った思い出の帽子だったろうか、お気に入りだったあの帽子は…?



(そうだったの…?)
 ゼロとは思えない可能性。
 あの病院から退院した日も、春の雪の中、生まれて初めて外に出た日も、ハーレイと病院の前で出会っていたかもしれないと聞いた。それらしき子供をジョギングの途中に見たというハーレイ。母親の腕の中、ストールに包まれた赤ん坊を。
(…公園でだって、会っていたかも…)
 確かめてみたい、と思い始めた所で聞こえたチャイム。来客を知らせるチャイムの音。鳴らした人は、と窓から見下ろせば、手を振るハーレイ。
 応えて大きく手を振り返しながら、訊こうと思った。帽子を被った自分に会ったか。



 部屋に来たハーレイとテーブルを挟んで向かい合わせ。お茶とお菓子もそこそこにして、自分の向かいのハーレイに訊いた。
「ハーレイ、水色のリボンの帽子を覚えてる?」
「はあ?」
 俺はリボンがついた帽子を持っちゃいないが…。お前か、夏に被ってたっけか?
 俺の前では被っちゃいないが、帽子があるのは確かに見たな。あれのことなのか、その帽子?
「…ううん、今の帽子のことじゃなくって…」
 小さい頃だよ、今よりもうんと小さくてチビだった頃。
 ぼくは帽子が嫌いだったけど、お気に入りの帽子が一つだけ…。それのリボンが水色なんだ。
 幼稚園の頃に、ママに連れられて生まれた病院へ健診に行って…。
 帰りに公園で遊んだんだよ、ママが連れてってくれたから。新しい帽子を初めて被って。
 その時に公園でいいことがあって、帽子がお気に入りになっちゃったみたい。
 だけどママには心当たりが何も無くって、ぼくにも無くて…。
 考えている内に思い出したんだ、あの公園はハーレイのジョギングコースの一つだってこと。
 ハーレイ、ぼくを見かけなかった?
 四月なんだよ、水色のリボンがついた帽子を被った小さな子供に出会わなかった…?



「ふうむ…。あの公園で四月頃か…」
 ついでに水色のリボンの帽子のチビか、と腕組みをして考え込んだハーレイ。
 四月頃なら桜もあるとか、花壇の花は何があるかと挙げてゆくから。
「…思い出した?」
 花のついでに、ぼくの帽子のこと。水色のリボンがくっついた帽子。
 えっとね、今のと同じでつばの広い帽子だったんだけど…。ぐるっとつばが取り巻いた帽子。
「…いや…。生憎と帽子は覚えていないな…」
 ファッションチェックをしながら走っているわけじゃないし、出会った人間も数えてないし。
 俺の目の前ですっ転んだとか、そういうのがあれば覚えもするが…。
 公園を走っていてチビが目に付く時ってヤツはだ、噴水に入って水遊びだとか、そういうのだ。でなきゃ木登り、とにかく元気のいいヤツらだな。
 チビのくせして頑張ってるな、と思えば自然と目も行くもんだが…。
 お前、どっちもやってないだろ、噴水に入るのも、木に登るのも。



 帽子を被って大人しくしているような子供は目に付きにくい、と言ったハーレイだけれど。
 水色のリボンの帽子も覚えていないと言われたけれども、「しかし…」と口にした言葉。自分が走っていた可能性はあると、それも比較的高いのだ、と。
「その時期だったら、けっこう走っていたからな」
 なにしろさっきも挙げた通りに公園に花が溢れる季節だ。見物がてら走って行くのに丁度いい。
 おふくろは花が好きだからなあ、俺もそこそこ分かるんだ。
 知らない花でも札を見ればいいし、春になったと実感出来るし…。春はやっぱり公園だな。他のコースを走りに行っても、方向を変えて寄ってみたりな。
「学校の仕事は?」
 健診があった日、平日なんだと思うけど…。
 春休みの間なら会えるだろうけど、その他の日だと駄目だよね?
「そうと決まったわけでもないぞ。休みの日だってあるもんだ」
 年度初めでも、特に忙しいって仕事が無ければ休みは取れる。もちろん他の時期でもな。お前のクラスの担任の先生、休んでいないか?
 その気になったら週に一回、休みを取れるって決まりなんだが。
「そういえば…。研究日です、って聞いているけど、あれがお休み?」
 先生は研究をしてるんじゃなくて、ホントのホントにお休みだったの?
 それでお土産が貰えたりするの、クラスのみんなにお菓子だとか。
「…お前、研究だと信じていたのか…」
 先生が勉強に出掛ける方なら研修だ。研究日ってヤツは自分の自由に使える日。研究好きなら、本気で研究するんだろうが…。大抵はただの休暇だな。日帰り旅行に出掛けてみたり。
 俺だって休もうと思えば休める、週に一回。
 お前に出会ってからは一度も休んでないがな、お前に会える可能性を捨てたくないからな。
 研究日で休んでお前の家に行くっていうのはあんまりだしなあ、だから休んでいないだけだ。



 どうやら週に一回くらいは取れるらしい休み。
 ハーレイはそれを使って走っていたという。年度初めの平日でも。幼かったブルーがあの帽子を被って公園にいた日も、ジョギングしていた可能性があると。
「じゃあ、あの日のぼくはハーレイに…」
 走って来たハーレイに公園で会ったの、ぼくは覚えてないけれど。
 ハーレイも見覚えは無いって言うけど、会ってないとも言えないんだね?
「うむ。可能性がゼロってわけではないしな、会ったかもしれん」
 花壇の側だか、鳩が沢山いる辺りだか。それともブランコか滑り台か…。
 花の季節なら公園の中を隈なく走ったりもするし、お前が何処に居たって出会える。ブランコに乗ってるチビがいるなと、鳩に餌をやってるチビもいるなと、ただ走ってゆくだけだがな。
「ぼく、ハーレイに手を振ったかな?」
 走って来る人がいるって分かったら、ブランコから降りて手を振ったかなあ?
 鳩の餌やりの途中でも。鳩がビックリして飛び立っちゃっても、頑張って走っている人は凄いと思って眺めるだろうし、手を振るのかな?
 何処まで行くのか分からないけど、頑張って元気に走って行ってね、って。
「チビのお前か…。手を振って貰ったのなら、振り返したな」
 俺は応援には応える主義だ。どんなチビでも、礼儀正しく応えないとな?
 振って貰った手に振り返せないような、余裕の無い走り方はせん。応援されたら笑顔を返すし、もちろんきちんと手を振って行くさ。



 少し遠くから振られてもな、と穏やかな笑みを浮かべたハーレイ。
 自分に応援の声が届けば、手を振る姿を目にしたならば、必ず応えて手を振ってゆくと。どんな小さな子供であろうが、無視して走って行きはしないと。
(あ…!)
 それを聞いて蘇って来た記憶。幼かった頃の自分の記憶。
 出会った場所は多分、公園。帽子の自分に手を振りながら颯爽と走って行った人。リズミカルに地面を踏みしめながら、タッタッとペースを乱しもせずに。
(だけど、笑顔で手を振ってくれたんだよ)
 手を振った自分に笑顔で応えてくれた人。眩しかった笑顔と、振って貰った手と。
 生憎と顔は思い出せなくて、肌の色さえ覚えていなくて。
 あの帽子を初めて被った日なのか、別の日だったか、それすらも定かではないけれど…。
「ぼく、走ってた人に手を振ったよ」
 あそこの公園だったんじゃないかな、なんだかそういう気がするから。
 笑顔で手を振り返してくれた人だったんだよ、そして元気に走って行ったよ。
「ほほう…。そいつは俺だったか?」
 チビのお前に手を振って行ったの、俺みたいな肌の人間だったか?
「分からない…。全然、覚えていないんだけど…」
 男の人だったことと、笑顔と、手を振り返して貰ったことしか。
 それだって今まで忘れてたほどで、ハーレイだったのか、別の人なのか、分からないよ。
 とても残念、ハーレイだったら良かったのにね…。



 もしもあの時の出会いがハーレイならば、と惜しくてたまらない気持ち。
 肌の色も顔立ちも、体格さえも覚えていない自分がもどかしい。
 けれども、幸せだった思い出。幼かった胸が弾んだ思い出。
 自分の姿を見て貰えたと、一人前に扱って貰えたのだと。
 幼くてチビで、幼稚園に通う自分だけれども、ちゃんと手を振って貰えたと。まるで大人と同じ扱い、一人前に見て貰えたと。
(それで帽子…!)
 手を振った後で、振り返して貰って、走ってゆくその人の後姿を見送った後で。
 頭の帽子を持ち上げて被り直したのだった、この帽子で気付いて貰えたのだ、と。他の子供とは少し違った帽子で、被っている子が少ない帽子。水色のリボンもよく目立つから。
(帽子のお蔭なんだ、って…)
 いつもは嫌々被る帽子を自分で被った、被り直した。一人前の扱いをして貰えた帽子。頼もしい帽子。この帽子は特別な帽子なんだ、と得意になって。
 その日から帽子はお気に入り。何処に行くにも喜んで被った、被って出掛けた。
 手を振ってくれた人にまた会えるかも、と。
 また会えたら元気一杯に大きく手を振らなくてはと、あの人に手を振るんだから、と。



(あの帽子なんだ…!)
 幼かった自分のお気に入りの帽子。水色のリボンがついていた帽子。
 似たような帽子はその前も、後にも被ったけれども、どの帽子も好きにはなれなくて。どんなに形が似通っていても、どれも嫌いな帽子ばかりで。
 たった一つだけ好きだった帽子は、公園でいいことが起こった帽子。初めて被って健診のために出掛けた帰りに、病院の近くの公園で出会った素敵な出来事。
 母は覚えていなかったけれど、自分も忘れていたけれど。
 公園で走っていた人に向かって手を振った。その人が笑顔で振ってくれた手、子供扱いしないで振ってくれた手。
 それが嬉しくて、帽子のお蔭だと頭から信じて、お気に入りになったあの帽子。
 また会いたいから、手を振りたいから、お気に入りの帽子を被っていた。
 この特別な帽子を被れば一人前だと、あの人の目には一人前に映るのだから、と。



「ハーレイ、思い出したよ、ぼくの帽子のこと…!」
 水色のリボンがくっついた帽子。
 あの帽子を初めて被って公園に行ったら、走って来た人に会ったんだ。ぼくは手を振って、その人も笑顔で手を振ってくれて…。
 間違いなくあの日のことだったんだよ、初めて帽子を被った日。
 帽子のお蔭で一人前に扱って貰えたんだ、って嬉しくて…。それで帽子がお気に入りになって。
 またあの人に会えるかも、って自分で帽子を被っていたよ。帽子は嫌いだったのに…。
 あの帽子だけがホントに特別、またあの人に会いたいよ、って被って待っていたんだ、ぼくは。
 わざわざ待ってたくらいなんだもの、あれはハーレイだったんだよ。
 ぼくは覚えていないけれども、肌の色も顔も覚えてないけど、あれはハーレイ。
 きっとハーレイだったと思うな、嫌いだった帽子がお気に入りになるくらいなんだから。



「なるほどなあ…。チビのお前が俺にまた会おうと待っててくれた、と」
 そいつは実に光栄だな。出会った時の帽子までが気に入りになっちまうほど、チビのお前が感激した出会いだったんならな。
「やっぱりハーレイに会ったんだと思う?」
 顔も肌の色も思い出せなくても、あの日に会ったのはハーレイだった?
 チビだったぼくに手を振ってくれて、笑顔で走って行っちゃった人。
「お前がもう一度会いたいと思ってたんなら、俺なんじゃないか?」
 走りながら手を振るヤツは多いが、お前がそこまで感動しちまったんならなあ…。
 帽子のお蔭だと思い込んじまって、その帽子をせっせと被り続けて。
 また会いたいと思っていてくれたんなら、俺だったんだと考えるのが自然だろう。
 いくらチビでも、赤の他人をそこまで頑張って追い掛けはせんさ。
 お前も俺も記憶が無くても、前の記憶が無い状態でも、そいつがいわゆる運命ってヤツだ。
 俺とお前は一瞬とはいえ、運命の出会いをしたんだな。お互い、気付いていなくってもな…。



「あの帽子を被って待っていたぼく…」
 また会いたいな、って待っていたぼく、ちゃんとハーレイに会えたのかなあ?
 何処かの街角とか、あの公園とかを走るハーレイ、ぼくはもう一度会えたのかな?
「どうだかなあ…?」
 そいつは俺にもサッパリ分からん。
 そもそも、お前の気に入りの帽子。それの記憶が無いからなあ…。
 お前と運命の出会いを果たしたつもりではいるが、俺の方には何の記憶も残っちゃいない。
 四月の公園、走った回数は数え切れないくらいだし…。日記にもコースは全く書いていないし、お前が健診に出掛けた日付が分かった所で、何の証拠も見付からないぞ。
 休みを取って走っていたなら、なおのこと書いちゃいないんだ。俺の日記は覚え書きだしな。
「そっか…。もう一度会えたかも分からない上に、あれがハーレイだっていう証拠だって…」
 出て来ないんだね、探してみても。
 ぼくが健診に行ったっていう日、ママに訊いたら分かるだろうけど…。
 ハーレイの方に記録が無いんじゃ、休みと綺麗に重なっていても、公園に行ったかどうかが全く謎ってわけだね。何処かを走っていたかも、ってだけで。



 見付かりそうにない証拠。あの日、ハーレイに出会ったのだと確認することは出来ないけれど。
 証拠は何処にも無いのだけれども、お気に入りの帽子だったから。
 あの日、初めて被った帽子は忘れられない思い出の帽子、それを被って待っていたから。
 被っていればまた出会えると、手を振ってくれたあの人に会おうと待っていたから。
(きっとハーレイ…)
 顔も、肌の色さえも覚えていないけれど、あの時に会ったと思いたい。
 笑顔で手を振って走ってゆく人に、前の生から恋した人に。
(うん、ハーレイに会ったんだよ…)
 ハーレイが言うように運命の出会い、一瞬だけ交差して、手を振って別れた。
 互いに気付いていなかったけれど、それでもきっと出会っていた。
 お気に入りになった帽子を初めて被った、あの春の日に。
 ハーレイが公園を走っていた日に、広い公園の中の何処かできっと…。




           好きだった帽子・了

※被せられる帽子が好きではなかった、幼かった頃のブルー。被らなくてはいけなくても。
 けれど、一つだけあったお気に入りの帽子。きっとハーレイに出会えたのです、被った日に。
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