シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(ハーレイ先生、か…)
可愛いもんだな、と笑みが零れる。夜の書斎で、小さなブルーを思い浮かべて。
今日は仕事で遅くなったから、ブルーの家には寄れなかったけれど。
(…しかし、教師の特権ってヤツだ)
ちゃんと会えた、と熱いコーヒーを満たしたマグカップを傾けた。他の仕事なら会えないままで一日が終わっていたろうに、と。
今年の五月から赴任した学校、其処に小さなブルーが居た。そうとも知らずに着任した。思いもよらない再会を遂げた、前の生から愛した恋人。ソルジャー・ブルーの生まれ変わり。名前も前と同じにブルーで、姿形もそっくりそのまま。十四歳の少年なだけで。
学校に行けばブルーに出会える、ブルーが休んでいなければ。前と同じに弱い身体が、ブルーをベッドに縛らなければ。
だからこの仕事に感謝している、教師の道を選んだことに。小さなブルーが通う学校に、自分を転任させてくれた神にも。
今朝も学校で出会えたブルー。
柔道部の朝の練習を終えて、柔道着のままで歩いていたらバッタリ出会った。
いや、自分ではいきなり出会ったように思うけれども、多分そうではないだろう。ブルーが先に自分を見付けて、急ぎ足でやって来たのだろう。
「ハーレイ先生!」と呼び掛けられて、「おはようございます!」とペコリと下げられた頭。
銀色の髪がふわりと揺れて、お辞儀が済んだら赤い瞳がキラキラと煌めいて見上げて来た。背の高さが相当に違うのだから、首が痛くなりそうなほどに上を向いて。爪先立ちしそうな勢いで。
「おはよう、今日は元気そうだな」と言ってやったら、それは嬉しそうな笑顔になったブルー。
「はい!」と答えて、「朝御飯もちゃんと食べて来ました!」と元気に報告してくれた。朝から何を食べて来たのか、どのくらいの量を食べたのか。
訊いてもいないのにスラスラと話した、トーストにミルクにオムレツを半分、と。
「オムレツは半分だけなのか?」と赤い瞳を覗き込んだら、「チーズ入りでしたから」と返った答え。「普通のオムレツだったら全部食べられますけど、チーズ入りだと半分です」と。
食の細いブルーが朝食に食べる卵料理は、オムレツだろうが目玉焼きだろうが、卵一個分。一個よりも多いと残してしまうと聞いているから、チーズ入りでも同じこと。ボリュームが増えた分を胃に収め切れず、今朝は半分だったのだろう。
なるほどな、と頷いていたら、「ハーレイ先生は何を召し上がったんですか?」と尋ねられた。御飯でしたか、パンでしたか、と。
そんなことまで気になるらしいブルー、愛らしいブルー。
「俺か? 俺はな…」と朝食のメニューを披露してやると、小さなブルーはもっと訊いてきた。トーストの厚みはどのくらいですかと、何枚ですか、と。野菜サラダの中身の野菜も。
互いの朝食を巡って立ち話。
トーストにはマーマレードを塗って食べたと教えてやったら、「同じですね」と喜んだブルー。ぼくもマーマレードで食べて来ましたと、ハーレイ先生に頂いたマーマレードです、と。
他の生徒たちが次々に登校して来る中で、懸命に話していたブルー。
自分の家で話す時とは違って、「ハーレイ先生」の時には必須の敬語を使って。
たかがトーストやオムレツの話題で、ブルーが敬語。背筋をシャンと伸ばして丁寧な敬語、別れ際には「失礼します!」と頭を下げていたブルー。
失礼したのはハーレイの方で、「そろそろ着替えないとマズイしな?」と言ったのに。
「俺は行くから」と、「じゃあな」と軽く手を振ったのに、ブルーの方が「失礼します」。頭を下げて見送ってくれた、手を振る代わりに。名残惜しげに突っ立ったままで。
(すっかり逆になっちまったな…)
前の俺たちとはまるで逆だ、と熱いコーヒーを口へと運んだ。
小さなブルーが苦手なコーヒー、前のブルーも苦手だったコーヒー。ブルーの好みは前と同じで変わらないけれど、見た目も中身も幼いことを除けば前とそっくり同じだけれど。
(言葉遣いが違うんだ…)
正確に言えば、ブルーと自分の立場が逆で。
前は自分がブルーに対して敬語を使った、今のブルーとは全く逆に。
前のブルーは先生どころか、ミュウの長でソルジャーだったから。シャングリラの誰よりも上の立場で、キャプテンだった前の自分よりも上。
ソルジャー・ブルーと話す時には誰もが敬語で、それが当然のことだった。白いシャングリラの中の決まりで、ソルジャー・ブルーと話すなら敬語。
前の自分もそれに倣った、ブルーがソルジャーになった時から。それまでは一番古い友人として親しく言葉を交わしていたのを、敬語へと。
その上、自分はキャプテンだったから、船の仲間の手本になるべく、余計にけじめ。
ソルジャーを敬い、礼儀正しくと、常に敬語で話し続けた。公私を分かたず、いつも敬語で。
それまでの口調を殆ど変えることが無かったブラウやゼルたちとは違って、必ず敬語。
(俺のお仲間はエラだけだったな)
長老と呼ばれた五人の中では、エラだけが常に敬語を使っていた。ブルーに対して。礼儀作法にうるさかったエラは、長老同士で話す時にも敬語が基本だったくらいなのだから、ソルジャーともなれば敬語以外では話さなかった。
(その辺も俺と似てたんだ…)
性格は似ていなかったんだが、と苦笑する。
前の自分も生真面目な方ではあったけれども、エラにはとても敵わなかった。あそこまでは無理だと今も思うし、当時も思った。とはいえ、公の場では自分もゼルたちに敬語を使っていたから、エラと似ている。
肩書きの上では同じ長老、キャプテンである分、自分の方が上。それでも敬語だったから。長老同士でさえ敬語で話したのだから、ソルジャーには敬語。
エラは「ソルジャーと話す時には必ず敬語で」と徹底させたし、仲間たちも守っていたけれど。
ゼルやブラウは守らなかった。ヒルマンも守りはしなかった。
前の自分とエラだけが敬語で話し続けた、前のブルーと。
それまでの口調を一変させて。アルタミラから共に旅をして来た仲間同士の言葉遣いを捨てて。
(前のあいつと恋人同士になった後だって…)
崩せなかった敬語、ソルジャーであるブルーを敬う言葉。
抱き締める時も、キスを交わす時も、睦言でさえも。
「ソルジャー」を「ブルー」と言い換えるだけで、敬語を崩したことは無かった。一度も崩さず守り続けた、ソルジャーに対する言葉遣いを。
恋人同士だったからこそ、一層気を付け、敬語で話した。どんな時でも。
うっかりそれを崩してしまって、外で崩れたら大変だから。
キャプテンの自分がそれをしたなら、まず間違いなく悪目立ちする。人の耳に入る。
エラに咎められるくらいで済めばいいけれど、何度もやったら勘ぐられることも充分有り得た。前のブルーと自分との間に何があったかと、船の仲間たちに。
敏い者なら気付いたかもしれない、ブルーとの仲が変わったことに。
けれども、知られるわけにはいかない。ソルジャーとキャプテンが恋仲だなどと、皆には決して明かせはしない。
だから敬語を使い続けた、ブルーと二人で過ごす時にも。
ベッドで熱い愛を何度も交わして、共に眠りに就く時でさえも。
(それが今では逆なんだ…)
自分ではなくて、ブルーが敬語。小さなブルーが敬語で話し掛けてくる。
しかもブルーの家で会った時には普通の言葉で話しているのを、学校でだけは切り替えて敬語。きちんと「ハーレイ先生」と呼んで、それに相応しい言葉遣いで。
家で普通に話す言葉と、学校で話す時だけの敬語。
切り替えるブルーは大変だろうと考えてしまう、相手は同じなのだから。赤い瞳が捉える自分の姿は常に一つで、学校と家とでコロリと変わりはしないのだから。
もちろん、服装は週末だったら変わるけれども。ブルーの家を訪ねてゆくのにスーツを着込んで行きはしないし、ネクタイだって締めてはいない。ラフな格好で出掛けるけれども、普段は違う。
学校の帰りに寄った時ならスーツ姿だし、夏でも長袖のワイシャツにネクタイだった。
つまり、ブルーは服装で見分けることも出来ない。この服だったら敬語を使う、という方法ではミスをする。仕事帰りに寄った自分に、敬語で話し掛けるとか。
けれどもブルーは上手く切り替え、一度も間違えたことが無かった。
記憶に残らない程度の小さなミスなら少しくらいはあるだろうけれど、聞いていた人が気付いてしまうほどのミスは一度も無い。授業中にも、休み時間にも。
何処で会っても「ハーレイ先生!」と声を掛けて来る敬語のブルー。
(…前の俺より器用だな)
実に器用だ、と思ってしまう。
前の自分は避けて通った、ソルジャー・ブルーと恋人だったブルーで言葉を使い分けるのを。
けして失敗出来ないからこそ、そうしたのではあるけれど。
使い分けようという努力をしないで、最初から放棄したとも言える。出来はしないと、挑みさえせずに最初から。失敗したならどうするのだ、と自分自身に言い訳しながら。
(それを、あいつは…)
小さなブルーは楽々とこなす、家と学校とで切り替える。
「ハーレイ先生」に会ったら敬語で話して、ただのハーレイで恋人となったら普通の言葉。
学校で会う度、顔を合わせる度、「ハーレイ先生!」とやって来るブルー。
そう、今朝のように、近付いて話し掛けようと。
(必死なんだな、あいつときたら)
会ったからには話したい。姿が見えたら、話し掛けたい。きっとそんな所。
少しでも二人で話がしたいと、懸命になっているのだろう。
敬語でなければ話せないのに、切り替えなければ何も話せはしないのに。
(黙っているって選択は絶対しないんだ…)
学校で会ったら、行き合わせたら、真っ直ぐにやって来るブルー。
朝でも、休み時間でも。
廊下でも、グラウンドでも、何処であっても。
声を掛けて話が出来そうであれば、小さなブルーは近付いてくる。「ハーレイ先生!」と。
ほんの少しでも話せればいいと、何か話したいと、それこそ朝食のメニューについての話でも。
物怖じしないでやって来るブルー、敬語でせっせと話し掛けるブルー。
家での言葉と見事に切り替え、最後まで「失礼します!」と敬語で。
(前の俺だったら…)
白いシャングリラの通路で出会ったソルジャー・ブルー。ソルジャーの衣装を纏ったブルー。
すれ違う時に黙って会釈だけをしたこともあった、それも一度や二度ではなかった。
周りに誰もいなくても。
紫のマントを着けたブルーが、もの言いたげな時であっても。
(なにしろ自信が無かったからなあ…)
そういう瞳をしているブルーと話し始めたら、言葉遣いも怪しくなりそうで。自分を固く戒めた敬語が崩れてしまって、昔の口調に戻るとか。あるいは、言葉遣いは崩れなくても、キャプテンの顔が崩れてしまって、ブルーを抱き締めてしまうとか。
それが怖くて、ブルーを避けた。話すのを避けて会釈しておいた。
後でブルーに「君はつれないよ」と恨み言を言われるのが常だったけれど、それでも会釈。
(なんたって、しくじれないからな?)
ソルジャーへの礼を失するわけにはいかない、自分はキャプテンだったのだから。
それにブルーと恋人同士だと知られるわけにもいかなかったから。
たとえ周りに誰もいなくとも、シャングリラの通路は公の場で。
ブルーの私室だった青の間や前の自分の部屋とは違って、恋人同士で過ごせる場所ではなくて。
だからこそ避けた、ブルーとの会話。会釈だけで済ませて通り過ぎた。
自分に自信が無かった時には、ブルーをソルジャーとして扱える自信が持てない時には。
そうして何度ブルーを避けたか、会釈だけで済ませて通ったことか。
(あいつの方は遠慮が無かったが…)
ソルジャー・ブルーを避けて通った自分とは逆に、キャプテン・ハーレイを追い掛けたブルー。
誰もいない通路を歩いていた時、瞬間移動で背後に現れ、背中からいきなり不意打ちだとか。
腕を一杯に広げて抱き付かれた背中、何の前触れもなく飛び付いたブルー。
驚いて振り返れば悪戯っぽい笑顔でキスを強請られた、「大丈夫、誰も見ていないから」と。
この通路には今は誰もいないと、暫くは誰も通りはしないと。
遠慮など無かった前のブルーの急襲、通路で無理やり強請られたキス。心臓にはとても悪かったけれど、甘美な思い出でもあった。
ブルーの方から仕掛けられなければ出来なかったキス、通路でのキス。
ただし、前の自分の心臓はいつも竦んで縮み上がっていたけれど。
誰か現れたらどうしようかと、その辺りの扉を開けて突然、誰かが出ては来ないかと。
けれどもブルーは懲りはしなくて、何度も後ろを取られたもので…。
(あいつ、その分のツケを今、払ってるってか?)
今の自分を追い掛けたければ、使わなくてはいけない敬語。「ハーレイ先生」を追うなら敬語。普通の言葉で話せはしなくて、学校で自分と話したければ必ず敬語。
前の生で自分を散々困らせたツケを払っているのか、と可笑しくなって来たけれど。
思わず笑いが込み上げるけれど、きっとブルーは思ってもいまい。ソルジャー・ブルーがやったことのツケを自分が支払っているなどとは。
(うん、絶対に思いもしないな)
自分がやりたいからやっているのだ、と小さなブルーは言うだろう。敬語でも話したいからと。
家と学校とで言葉遣いを懸命に切り替え、それでも話したくてやって来るブルー。
黙って会釈をしておく代わりに「ハーレイ先生!」と声を掛けて来る、どんな時でも。
会釈だけなどとんでもない、と小さなブルーは叫ぶのだろう。ハーレイと話したいのに、と。
可愛くて、いじらしいブルー。
学校でも話が出来るようにと、敬語を使い続けるブルー。
(俺だったら黙る方だがなあ…)
近付いて話し掛けるよりかは黙って会釈だ、と前の自分を思い出す。
何度もそうして歩いた通路を、ソルジャー・ブルーとすれ違った白い鯨の中の通路を。
自分は黙ってすれ違う方の道を選んだ、ソルジャー・ブルーとの距離の取り方を、言葉遣いを、失敗したくはなかったから。
ミスをするわけにはいかなかったから、前の自分は。
(しかし、あいつは…)
臆することなく、「ハーレイ先生!」と自分から近付いてくるブルー。
敬語を使って話したがるブルー、前の自分とは比較にならない、その勇気。
(あいつの場合は、失敗したって…)
家と同じ言葉で話し掛けても、話してしまっても、自分はブルーの守り役だから。
普段からブルーの家を訪ねていることを誰もが知っているから、平気なのかもしれないけれど。守り役だけに親しげな口の利き方になるのも無理はない、と周りも許してくれそうだから。
そうは言っても、ブルーは敬語。失敗しないで、切り替えて敬語。
あの努力はとても凄いと思う。前の自分がしなかっただけに、手放しで褒めるより他にない。
いとも鮮やかに切り替えるブルー、小さなブルー。
学校では「ハーレイ先生!」と。
(チビだとはいえ、ブルーが俺に敬語…)
シャングリラの皆が敬語で話したソルジャー・ブルー。小さなブルーの前の生。
そんなブルーが生まれ変わりとはいえ、キャプテン・ハーレイに敬語で話す。前の生とはまるで逆様に、ソルジャー・ブルーがキャプテンに敬語。キャプテンの方は普通の言葉。
(しかも「俺」だと来たもんだ)
私どころか俺なんだ、と今の自分の言葉遣いを顧み、「酷いもんだ」と呟いてみた。エラたちが見たらどう思うやら、と肩を竦めてしまったけれど。
「ソルジャーに対して失礼ですよ!」とエラの声が聞こえた気がしたけれど。
(待てよ…?)
今ではすっかり慣れてしまった、ブルーの敬語。小さなブルーが懸命に話している敬語。
ところが、前のブルーの敬語。
それを自分は聞いたことが無い、ただの一度も。
ソルジャー・ブルーだったブルーでなくても、ソルジャーになる前のブルーにしても。
(…三百年も一緒に生きた筈だが、一回も…)
聞きはしなかった、前の自分は敬語で話したブルーを知らない。見たことがない。
忘れてしまったという筈はなくて、前のブルーに敬語は必要なかったから。
アルタミラから脱出した時点で、既に敬語ではなかったブルー。
自分が一番の年長者であると気付く前から、ブルーは普通に話していた。脱出直後の船の中では誰もが平等、敬語が必要になるような場面は無かったから。
大人ばかりの船の中で一人、少年に見えた前のブルー。
そんなブルーに「敬語で話せ」と、「年長者には敬語で話すものだ」と命じる者は誰一人としていなかったから。
前のブルーは一度も話さず、聞いた者さえ無かった敬語。誰も知らないブルーの敬語。
それを今、自分が山ほど聞いている。「ハーレイ先生!」と、学校で声を掛けられる度に。
小さなブルーが言葉を切り替え、話をしようとやって来る度に。
(もしかして、俺は幸せ者か?)
そこまでしてでも話したいのだ、と思ってくれるブルーに愛されて。
前の生では一度も使いもしなかった敬語で話そうとするほどに、小さなブルーに想われて。
(…前の俺の方は…)
敬語で話し続けたけれども、今のブルーがやっているように切り替えたりはしなかったから。
それは出来ないと決めてかかって、挑もうとさえもしなかったから。
(あいつは尊敬に値する…)
チビなんだが、と改めて深く感動した。
前の生でも使わなかった敬語だったと気付いたからには、褒めてやるしかないだろう。
明日は土曜日だから、小さなブルーを。
お前の敬語は実に凄いと、前の俺よりもずっと立派だと。
一晩眠っても忘れないまま、土曜日が来て。
(今日はあいつの敬語を褒めてやらんと…)
凄いのだから、と小さなブルーを思い返しながら朝食を食べて、青い空の下を歩いて出掛けて。
生垣に囲まれたブルーの家に着き、ブルーの部屋で二人、向かい合わせに座って切り出した。
「おい、俺はお前を尊敬するぞ」
「え?」
何の話、とブルーの瞳が真ん丸くなる。
「学校でのお前のことなんだが…。実に凄いと気が付いたからな」
「…成績の話?」
「いや、言葉遣いというヤツだ」
「言葉…?」
言葉遣いがどうかしたの、とブルーがキョトンとしているから。
敬語だ、と指摘してやった。
「お前、学校で俺に会ったら敬語だろう? この家で俺と話す時とはまるで違って」
あの切り替えは見事すぎるぞ、俺にはとても真似など出来ん。
前の俺にも出来なかったな、最初からしようとしていなかったが…。
「…そうだったっけ?」
前のハーレイ、敬語と切り替え、していなかった…?
「俺はいつでも敬語だったが?」
お前がソルジャーになっちまう前は、こういう言葉で話していたが…。
ソルジャーになってしまった後はだ、ずっと敬語のままだった。…どんな時でも敬語で通して、お前と二人きりでも敬語。
切り替えどころか、態度も切り替えられる自信が無かったというのが前の俺だな、情けないが。
お前にたまに恨まれたんだ、と謝った。
シャングリラの通路ですれ違った時、何度も会釈だけで済ませてしまった、と。
「その点、今のお前はだな…」
学校の中で俺を見付けたら、逃げる代わりにまっしぐらだろうが。
俺の方では気付いてなくても、お前の方からやって来るんだ。逃げもしないで、敬語に頭を切り替えて。「ハーレイ先生!」と呼びさえしなけりゃ、敬語なんかは要らないのにな?
「だって、ハーレイはハーレイだもの!」
話をしないで見送るなんて出来やしない、と笑顔のブルー。
たとえハーレイ先生でも、と。
「それだ、それ。…お前の敬語の切り替えの凄さ」
そいつを尊敬すると言っているんだ、全く失敗しないよな、お前。
今みたいな言葉が出ては来ないし、見事なもんだと思ってなあ…。気付いちまったら、しっかり褒めてやらんとな。お前は頑張っているんだから。
「…失敗しちゃったら、ハーレイ、怒りそうだもの」
「俺が?」
「うん。…学校ではハーレイ先生だろう、って」
頭をゴツンと叩かれそうだよ、ぼくが失敗しちゃった時は。
「まあな…」
ゴツンとお見舞いするかどうかはともかく、まあ、怒るのは確かだろうな。
学校じゃハーレイ先生だろうと、きちんとけじめをつけるもんだ、と。
「ほらね…。やっぱり、ハーレイ、怒っちゃうでしょ?」
ハーレイ、厳しそうなんだもの。学校の中の決まりとかには。
それにけじめも、厳しい感じ。ずっと柔道とかをやって来たから、礼儀作法にうるさそうだよ。
おまけに失敗してしまった日は、ぼくの家に来てくれそうもない、とブルーが言うから。
きっと罰だと寄ってくれない、と本当に恐れているようだから。
「それはしないが…」
言葉遣いで失敗したくらいで、そんな酷い罰はやらないな。
あれだ、せいぜい、お前が言ってたゴツンと一発、その程度だな。
「…ホント?」
ホントに寄らずに帰ったりしない?
仕事は早くに終わっているのに、ぼくの家に来ないでドライブやジムに行っちゃうだとか…。
「おいおい、俺を何だと思っているんだ」
俺はそこまで薄情じゃないぞ。お前が失敗しちまったって、わざと寄らずに帰りはしない。
仕事で遅くなったら別だが、それはお前への罰ではなくって、ただの偶然というヤツだ。
だからお前は心配しなくていいんだ、少しも。
しかしだな…。
だからと言って油断して失敗するんじゃないぞ、と釘を刺したら。
これからもきちんと切り替えろよ、と念を押したら。
「失敗しないよ、大丈夫だよ」
だって、ハーレイ先生のことも好きだから。
ハーレイ先生でもぼくは大好きだから、と幸せそうなブルーの笑み。
「なんだ、それは?」
どういう意味なんだ、ハーレイ先生でも好きというのは?
お前の中では、普通の俺とハーレイ先生は違うのか?
何か区別があると言うのか、ハーレイ先生の俺と、そうでない俺と。
「あるよ、ホントにちょっぴりだけど」
ほんのちょっぴり、少しだけれど…。
ハーレイ先生は先生だものね、ぼくに教えてくれる先生。ぼくは生徒で、ハーレイは先生。
先生の方が偉いものでしょ、生徒より?
ぼくよりも偉いハーレイが好きだよ、ぼくよりずうっと偉いハーレイ。
前は逆だった、と小さなブルーは赤い瞳を瞬かせた。
白いシャングリラで暮らしていた頃、小さなブルーがソルジャー・ブルーだった頃。
偉くもないのに自分の方が偉く扱われてしまっていた、と。
「そう思わない? 前のぼくはサイオンが強かっただけで、偉くなんかはなかったんだよ」
サイオンで色々と奪ったりしたし、シャングリラを改造する時もシールドを張ったりして守ったけれど…。その後も守ったりしていたけれど。
シャングリラを本当に支えていたのはハーレイの方だよ、前のハーレイ。
前のハーレイが偉かったからシャングリラは無事に地球まで行けたし、前のぼくがいなくなった後でも混乱したりはしなかったんだよ…。
なのに勝手にソルジャーだなんて、前のぼくの方が偉いだなんて。
あれは絶対、間違いなんだよ。
サイオンの強さで決めてしまうから間違ったんだよ、前のぼくよりハーレイの方が偉かったよ。
だって、シャングリラのキャプテンだよ?
キャプテンがいないと船はどうにもならないんだから。
ソルジャーがいても、キャプテンがいないとシャングリラは進路も決められないよ…?
ハーレイの方が偉かったのに、と主張するブルー。小さなブルー。
「やっと逆になったよ、こっちが本当」
ぼくがハーレイに敬語を使って、ハーレイはぼくに普通に話して。
これがホントの関係なんだよ、シャングリラに居た頃が間違いなんだよ。
だからハーレイ先生が好きだよ、ぼくよりもずっと偉いハーレイ。敬語で話さないと駄目だし、失敗したならゴツンだし…。
ぼくよりも偉いハーレイが好き。ハーレイ先生のことが大好き…。
「そうなのか?」
お前、敬語で話したいのか、俺と話す時は?
俺が普通に喋っていたって、お前は敬語の方がいいのか…?
「学校ではね」
ハーレイ先生のいる学校なら、断然、敬語。
ぼくよりも偉い先生なんだ、ってドキドキしながらハーレイを見てるよ、先生だもの。
でもね…。
普段はやっぱりこういう喋り方がいい、とクスッと小さく笑うからには。
こちらが本当のブルーなのだろうけれど、本来の話し方はこうだと思うけれども。
(敬語のブルーも今の特権…)
前の自分は一度たりとも聞けないままで終わったから。
前のブルーは一度も敬語を使いはしなくて、誰一人として聞いていないから。
(ハーレイ先生しか聞けんぞ、これは)
小さなブルーがせっせと敬語で話す間に、切り替えて話してくれる間に満喫しておこう、先生の間だけ聞ける言葉を。ブルーの唇が紡ぐ敬語を。
「ハーレイ先生!」と声を掛けられて、ブルーの敬語をたっぷりと聞いて、耳に刻んでおこうと思う。前の自分は聞けなかった言葉を、ブルーが紡いでくれる敬語を。
それはブルーが生徒の内だけ、この学校を卒業するまでの間だけのもの。
自分が「ハーレイ先生」と呼んで貰える立場にいる今だけしか聞けないもの。
ブルーが卒業してしまったなら、もう聞けない。
自分は「ハーレイ先生」ではなくなるのだから、もう「先生」ではないのだから。
けれど…。
「なあ、ブルー。…たまにはハーレイ先生と呼んでくれるか?」
「えっ?」
ハーレイはハーレイ先生でしょ?
学校ではハーレイ先生なんだし、見付けたらちゃんと呼んでいるけど…?
「今じゃなくてだ、俺と結婚した後だ」
お前の、敬語。…また聞いてみたい気分になった時には、ハーレイ先生に戻ってみたい。
俺が偉そうでもかまわないなら、お前が敬語でもいいのなら。
「いいよ?」
前のぼくはハーレイにずっと敬語で話して貰って、それにすっかり慣れていたけど…。
ぼくはハーレイ先生が好きだよ、ぼくよりもずっと偉い先生。
だから先生って呼んでいいなら、ハーレイ先生って呼んでみたいな。
毎日それだと困るけれども、たまにだったら大歓迎だよ。
いつかハーレイ先生とデートしようね、とブルーは嬉しそうだから。
ハーレイ先生とデートに行くのも、敬語のデートもいいと思っているようだから。
そんなブルーとドライブに食事、「ハーレイ先生」と呼ばれて、敬語で話し掛けられて。
きっとそういう「ごっこ」遊びも楽しい、いつかブルーと出掛けるデート。
結婚した後もハーレイ先生、たまに先生に戻ってみる。
自分たちの間で敬語が本当に要らなくなったら、二度と必要無くなったなら…。
逆になった敬語・了
※今のハーレイには当たり前なのが、ブルーの敬語。「ハーレイ先生!」と呼び掛ける声も。
けれど、前のブルーが敬語で話したことは一度も無かったのです。今のハーレイだけの特権。