シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「これからの季節もお勧めだぞ」
留鳥ってヤツを狙うなら、ってハーレイの雑談。巣箱の話。
授業中に生徒が退屈してきたら、絶妙のタイミングで色々な話をするんだけれども、今日の話は小鳥の巣箱。古典とはまるで関係ないけど、みんな瞳を輝かせてる。
巣箱を掛けるのにいい場所だとか、時期だとか。渡りをしないで一年中住んでる留鳥だったら、冬の間から巣を作る場所の下見をするから、今の時期もお勧めなんだって。夏に来る小鳥のために掛けてやるなら、春がいい。夏鳥と言っても巣作りが夏、春の終わりには来るものだから。
それと、巣箱に欠かせないもの。蛇除けの工夫。蛇に卵を盗られないように。
「蛇は卵が好物だからな、これは気を付けてやらんといかんぞ」
せっかくの幸運が逃げて行っちまう、って話すから。
卵が幸運のシンボルなのかと考えたけれど、そうじゃなかった。幸せを運んで来るのは鳥の巣の方。庭に小鳥が巣作りをすると、幸運がやって来るんだって。
ずうっと昔の風水っていうヤツ、中国から来て日本でも都を作る時とかに取り入れた思想。その風水だと、庭で小鳥が巣作りをすると吉兆になる。いいことが起こるという前触れ。
「風水の都は分かっているよな?」と話は古典の世界に戻った。四神相応の場所に造られた都、それが平安京なんだぞ、って。玄武に青龍、朱雀と白虎。ハーレイは凄く話が上手い。居眠ってる生徒は誰もいないし、授業をするのに丁度いい雰囲気になったから。
四神相応の都なんかより、ぼくの頭に残った巣箱。小鳥のために作ってやる家。
(巣箱…)
ハーレイの雑談の中身からして、ハーレイも掛けていたみたい。隣町の家に住んでた頃に。庭に夏ミカンの大きな木がある、お父さんとお母さんが暮らしてる家で。
そのせいかどうか、心に残ってしまった巣箱。学校が終わってバスで帰って、バス停から家まで歩く途中の家の庭には巣箱は無かった。裏庭とかにあるかもしれないけれども、ぼくが歩いて帰る道から見える庭には、ただの一つも。
(やっぱり無いよね…)
あったらとっくに気付いてると思う、庭を見るのは好きだから。花も木も、それに来ている鳥や虫たちも。小鳥のための巣箱なんかは、きっと最高に気に入るだろうし…。
(巣箱、あったらいいのにな…)
ハーレイも掛けていたっていうのが大切なところ。風水の吉兆なんかよりも。
本物の巣箱を見てみたいのに、何処の家にも巣箱は無いから、ちょっぴり残念。ぼくの好奇心は巣箱で一杯、だけど何処にも無い巣箱。本物に出会えない巣箱。
でも…。
家に着いて、門扉を開けて入った庭。あそこに巣箱があったらいいのに、って見上げた木の上。庭で一番大きな木。白いテーブルと椅子の上に枝を広げている木。
きっと巣箱が似合いそう、って下から順に見ていった枝。何処に掛けるのが一番だろう、って。
そうしたら…。
(あれ…?)
あったような気がする、あそこに巣箱。どの枝なのかは分からないけれど、巣箱が一つ。小鳥のために作ってある家、お洒落なのが。真っ白なのが。
そういう巣箱が枝にチョコンと、幹から枝が伸びる所に一つ乗っかっていたような…。
だけど、どの枝かが思い出せない。本当に巣箱があったかどうかも。
もしかしたら、ぼくの家じゃなくって、他所の家の庭で見たかもしれない。巣箱だな、って。
どうにも思い出せない巣箱。ぼくの家だったか、そうじゃないのか。
真っ白な巣箱は覚えているのに、お洒落だったってことは覚えているのに…。
(巣箱、本当にあったっけ…?)
だんだん自信が無くなってきたから、おやつの時間にママに訊いたら、やっぱりあった。
ぼくが今よりずっと小さくて、幼稚園に通っていた頃に。ぼくの記憶にあった通りに、庭で一番大きな木の枝に、パパが作ってくれた巣箱が一つ。
「ママ、その巣箱、うんとお洒落な巣箱だよね?」
お洒落でも鳥は入ったの?
小鳥はちゃんと入ってくれたの、お洒落な巣箱でも気にしないで。
「来ていたわよ。何度も覗いて、下見をして…。それから中に巣を作って」
でも、お洒落って…。パパが作ったのよ、巣箱の作り方を調べて。
普通の巣箱だったわよ、って答えたママ。お洒落なんかじゃなさそうだけど、って。
「…どんな巣箱?」
「こんなのよ」
手を出して、ってママが思念で見せてくれた記憶、絡めた手を通してぼくの頭に流れ込んで来た記憶。庭で一番大きな木の幹、枝の上に置かれて掛けてあった巣箱。ごくごく普通の木の巣箱。
そういえばこういう巣箱だっけ、って思い出した。自然の木目が温かそうな巣箱。
丸い穴から小鳥が外をキョロキョロ見ている記憶もあった。飛び立つ所も、戻る所も。
それを見ていたママの目を通して。小鳥を見守る、ママの優しい気持ちと一緒に。
ありがとう、って御礼を言って部屋に戻ったけれど。
ぼくの記憶に残ってた通り、庭で一番大きなあの木に巣箱は掛かっていたんだけれど。
(真っ白じゃなかった…)
お洒落で真っ白な巣箱じゃなかった、ぼくの家の木にあった巣箱は。
ぼくの記憶と違った巣箱。真っ白な巣箱はご近所さんの家のだっただろうか?
今では巣箱を掛けてないけど、ぼくが小さかった頃は掛けていたとか…。
(でも、真っ白でも、鳥って入るの…?)
ハーレイは色については話さなかったし、お洒落な白でも入るんだろうとは思うけど。そういう記憶なんだから。真っ白に塗られた、お洒落な巣箱。小鳥のために作られた家。
だけど、ぼくの家の巣箱じゃない。パパが作った巣箱は普通で、木目がそのまま。
小さかった頃は、ご近所さんの家にも何度も遊びに行ったけど。ママと行ったり、一人で歩いて出掛けたり。おやつを貰って、庭で遊んだりもしていたけれど…。
(巣箱を眺めに、しょっちゅう通っていたんなら…)
もっとハッキリしていそうなのに、巣箱の記憶も、何処の家の庭で見ていたのかも。
ママだって「お洒落な巣箱」と聞いたら思い出しそうなのに。ぼくが気に入って何処かの家まで見に出掛けてた、って。
真っ白な巣箱があった家。お洒落な巣箱を掛けていた家。あれは何処だったんだろう?
(あの巣箱を見て、ぼくの家にも巣箱だったの…?)
パパに強請って作って貰って、庭で一番大きな木に巣箱。ぼくも小鳥の家が欲しい、って。
そうなんだろうか、と思ったけれど。
小さい頃なら、何度も眺めに通う間に、自分の家にも巣箱を欲しがりそうだけど…。
それはともかく、ぼくが巣箱を見ていた家。真っ白な巣箱が掛けてあった木。
何処だったのかがホントに気になる、ぼくの記憶に残ってる巣箱。
(んーと…)
首が痛くなるほど見上げたっていう記憶は無い。巣箱は大抵、高い所にありそうだけど。ママの記憶で見せて貰った、ぼくの家の巣箱も上の方の枝に乗っけてあった。
低めの場所に掛かってたとしても、幼稚園くらいだった頃のぼくなら…。
(見えにくいよね?)
きっと遠くて見えにくいんだ、目が悪いことはなくっても。子供の背はうんと低いんだから。
小鳥が出入りをしていたとしても、巣箱から顔を覗かせていても。
なのに飽きずに眺めていたぼく。
双眼鏡なんかは持っていないのに、巣箱だってきっと、高い所にあっただろうに。
(何の鳥だっけ…?)
ぼくが見上げていた鳥は。お洒落な巣箱に住んでいた鳥は。
それが何だか思い出せたら、色々と思い出せそうだから。巣箱のあった家のこととか、通ってた頃の弾んだ心も鮮やかに蘇りそうな気持ちがするから、頑張っていたら。
どんな鳥だったか思い出そうと記憶をせっせと手繰り寄せていたら、ハーレイの言葉が浮かんで来た。巣箱の雑談をしていた時の。
幸せを運んで来るんだぞ、って。庭に巣を作ってくれる鳥は。巣箱に入ってくれる小鳥は。
(そうだ、青い鳥…!)
幸せを運ぶ、青い鳥。それが入っていた、あの巣箱には。真っ白でお洒落な巣箱には。
ぼくは青い鳥を眺めに通っていた。幸せを運ぶ青い小鳥を。
青い小鳥が住んでる巣箱を見上げに、お洒落な巣箱があった家まで。
やっと見付かった、小さな手掛かり。ぼくが見ていた青い鳥。
(オオルリかな?)
青い小鳥ならオオルリだろうか、ぼくの家に来た青い鳥。
ぼくがおやつを食べていた時、ダイニングの窓にぶつかった小鳥。怪我はしなかったけど、暫く飛べずに羽根を膨らませて立っていた。ビックリしちゃって、真ん丸になって。
お医者さんに連れて行かなくちゃ、って思っていた所へハーレイが来たんだ、あの時は。
ハーレイがいつもより早く来てくれるっていう幸せをぼくにくれた鳥。ぼくの幸せの青い鳥。
オオルリだな、ってハーレイが名前を教えてくれた鳥。
青い小鳥はオオルリくらいしか見たことがないし、巣箱の小鳥もきっとそうだと思ったけれど。
オオルリはいつの季節の鳥なんだろう、と調べかけたけれど。
巣作りをする時期が分かれば、もっと色々思い出せると考えたけれど…。
(ちょっと待って…!)
違う気がする、ぼくじゃない、って。
青い小鳥を眺めていたのは、お洒落な巣箱を見上げていたのは、ぼくじゃないんだ、って。
幼稚園の頃の小さなぼくとは違うぼく。ご近所さんの家で遊んでいたのとは違うぼく。
(前のぼく…?)
ぼくじゃないなら、前のぼくしかいないんだけど。その他にぼくはいないんだけど。
でも、シャングリラに小鳥はいなかった。白い鯨に空を飛ぶ鳥はいなかった。
船の中だけが全ての世界で、小鳥は役に立たないから。蝶と同じで目を楽しませるだけ、そんな生き物は飼えなかった船。自給自足の日々を送る船に、余計な生き物は乗せておけない。
卵を産んでくれる鶏だけしかいなかった白いシャングリラ。
巣箱なんかは必要無かった。それに入る鳥はいないから。巣を作る小鳥はいなかったから。
(だけど、巣箱…)
真っ白に塗られたお洒落な巣箱は確かにあったし、青い鳥だ、っていう記憶。
巣箱に住んでた青い鳥。ぼくの記憶はそうなっている。前のぼくの遠い遥かな記憶の中では。
青い鳥なんて、シャングリラには一羽もいなかったのに。
前のぼくが欲しくて、飼いたいと願った青い鳥。幸せを運ぶ、地球と同じ青い羽根を持った鳥。でも、シャングリラの中では飼えない。青い小鳥は何の役にも立たないから。
青い小鳥が飼えなかったから、代わりにナキネズミだったのに…、って思った途端。
どの血統のナキネズミを育てるか、って話が出た時、青い毛皮のを選んだっけ、って青い小鳥とナキネズミの繋がりを頭に思い浮かべた途端。
(そうだ、ナキネズミ…!)
お洒落な巣箱は青いナキネズミのために掛けたんだった。真っ白な巣箱の正体はそれ。
前のぼくがナキネズミに入って欲しくて、巣箱を掛けようと思い付いた。
ナキネズミは小鳥じゃないんだけれども、気分だけでも青い鳥、って。
木に掛けた巣箱に住んでいたなら、青い小鳥を見ているような気持ちになれそうだ、って。
前のぼくが巣箱を掛けたがった時にはみんなが笑った、ナキネズミが入るわけがないと。巣箱を作るだけ時間の無駄だと、それこそ文字通りに無駄骨だと。
長老たちを集めた会議の席で遠慮なく笑い飛ばされた。ゼルもヒルマンも、ブラウもエラも。
傑作すぎると笑い転げたゼルにブラウに、困ったような顔で笑ったヒルマンとエラ。
「リスなら巣箱もあるのだがね…」
飼う時にもケージに巣箱をセットするし、と髭を引っ張っていたヒルマン。
ナキネズミを開発する段階で飼っていたリスも、巣箱で眠っていたのだから、と。リスの巣箱は小鳥用の巣箱と共通点も多いのだがね、と。
遠い昔の地球の上では、小鳥用にと掛けた巣箱にリスが入って住み着くケースも珍しくなくて、リスは巣箱が好きらしいことは確かだけれど。
「ナキネズミは違うんじゃないのかい?」
見た目からしてまるで違うよ、と笑ったブラウ。大きさだって違うじゃないかと。
それにナキネズミは巣箱で暮らしていないし、巣箱が欲しいと言って来たことも一度も無いと。
「そうじゃな、ヤツらは現状に大いに満足しておるわい」
巣箱が欲しいと言いもせんわ、とゼルも呆れ顔で。エラも「聞いてはいませんね」と頭を振っていた。ナキネズミからそういう要望は無いと、ナキネズミと暮らす子供たちからも巣箱が欲しいと聞いたことは無いと。
もう散々に笑われたけれど、笑い物になってしまったけれど。
ナキネズミのために巣箱だなんてと、誰もが可笑しそうだったけれど。
たった一人だけ、穏やかに微笑んで聞いていたのがハーレイだった。それは変だと笑う代わりに浮かべていた笑み、みんなと違って意見を述べもしなかった。ナキネズミに巣箱は必要無いとも、きっと入りはしないだろうとも。
ハーレイ以外の四人が笑ってくれたけれども、それでも掛けてみたかった巣箱。
青い小鳥を飼ってる気分で、ナキネズミに住んで欲しかった巣箱。
地球が滅びるよりも前の時代は、小鳥用の巣箱にリスが入ったとヒルマンに聞いてしまったから余計に諦め切れない。ナキネズミはリスとネズミを元にして開発された生き物だったんだから。
リスよりはかなり大きいけれど。小鳥よりも遥かに大きいけれど。
それでも巣箱…、とデータベースで資料を調べた、リスが入ったという例を。ヒルマンが話した通りに幾つも出て来た、小さな巣箱から大きなものまで。
フクロウ用なんていう巣箱もあって、それにもリスが住んでいたから。フクロウは身体の大きい鳥で、ナキネズミでも充分に入れそうな巣箱で暮らしていたから。
これは使えそうだと思ったぼく。ナキネズミだって巣箱に入るだろうと。
フクロウ用の巣箱があったと言うなら、その中にリスが住んでいたのなら。
リスの血を引くナキネズミだって、巣箱は嫌いじゃないかもしれない。ゼルたちは笑ってくれたけれども、ぼくの夢は現実になるかもしれない。
青い鳥の代わりにナキネズミ。ぼくが思い描いた通りの景色を、白いシャングリラで。
そう思ったから、ハーレイに頼んで巣箱を作って貰った。木彫りじゃなくて悪いんだけど、と。
「いいえ、木の扱いなら慣れていますからね」
木彫りの評判は相変わらずですし、実用品以外はまるで駄目だと言われていますが…。
実用品ならお任せ下さい、巣箱だったら木彫りよりもずっと簡単ですよ。
削る必要があるのは入口の所だけですし、他の部分は板の寸法を測って切るだけですし…。
組み立てる方も釘さえ打てれば、子供だって作れそうなものですからね。
ハーレイは気軽に引き受けてくれた、ナキネズミのための巣箱作りを。
キャプテンの仕事が終わった後の自由時間に板を切ったり、削ったりして作ってくれた巣箱。
それを真っ白に塗って貰った、シャングリラの白に。
青い小鳥が住む家にするなら、その色がいいと思ったから。楽園という名の船の色が。
そうして巣箱が出来上がったら、「本気だったのか」と呆れてしまったブラウたち。ハーレイと二人で巣箱を見せに行ったら、長老たちの休憩用の部屋へ運んで披露したら。
「まさか本気でやらかすとはのう…」
わしは入らんと思うんじゃが、とゼルが唸って、ブラウも「入りっこないよ」と肩を竦めた。
ヒルマンもエラも「無理だと思う」と言ったけれども、巣箱は出来てしまったから。
真っ白に塗られたお洒落な巣箱が出来ていたから、シャングリラの色をした巣箱なら…、と絵を描いてくれた、フェニックスの羽根のミュウの紋章を。金と赤との羽根の模様を。
エラが器用に、出入り口の上に。
ハーレイが丸く滑らかに削って仕上げた、巣箱の出入り口にミュウの紋章。
巣箱はぐんとお洒落になった。真っ白な色も素敵だけれども、紋章までついているんだから。
完成した巣箱は、ハーレイが公園の木に梯子を架けて取り付けてくれた。
ぼくと二人で掛ける木を選んで、「此処でいいですか?」って枝に乗っけて、幹に固定して。
とても絵になる場所に掛けた巣箱、青い鳥に相応しいお洒落な巣箱。
毎日、毎日、公園まで覗きに出掛けてゆくのに、ナキネズミは入ってくれなくて。
ぼくの自慢の真っ白な巣箱は、いつまで経っても空家のままで。
「ハーレイ、あの巣箱、やっぱり駄目かな…」
ゼルたちが笑い飛ばした通りに、ナキネズミに巣箱は無理だったかな?
いいアイデアだと思ったけれども、未だに入ってくれないし…。中を覗く姿も一度も見ないし、せっかく作って貰ったけれども、無駄骨になってしまったかな…?
「それはまあ…。無理もないでしょう、公園にはナキネズミがいませんからね」
一匹も住んではいませんよ。住んでいないものは巣箱に入りはしません。何かのはずみに興味を引かれて覗き込みはしても、恐らくそれっきりでしょう。
「そういえば…」
よく見掛けるから忘れていたよ。
ナキネズミは公園にいるものなんだと思っていたけど、あれは住んではいないんだっけね…。
ブリッジが見える広い公園。お洒落な巣箱を掛けた場所。
公園に行けばナキネズミの姿はあるんだけれども、其処に住んでるわけじゃなかった。他の場所から来ていただけ。子供たちのお供で公園まで。
ナキネズミは思念波を上手く扱えない子供たちをサポートするために作った生き物、子供たちと一緒に暮らすのが仕事。ナキネズミを必要とする子に一人一匹、その子の部屋がナキネズミの家。
だから公園まで遊びに来たって、子供と一緒に帰ってゆく。自分が暮らしている部屋に。
そんなナキネズミが巣箱を見たって、住もうと思うわけがない。
ぼくが見ていない間に入口から中に入ったとしても、遊び場所だと考えるだけ。一休みするのにいい場所があったと思ったとしても、住んではくれない。自分の家は別にあるんだから。
失敗だった、ぼくの考え。ナキネズミには必要無かった巣箱。
それじゃ入らない、って溜息をついた、ナキネズミは住んでくれないと。ナキネズミ用の巣箱は無駄だったんだ、って肩を落としたら。
「大丈夫でしょう、場所を変えれば入りますよ」
ブリッジから何度か見掛けましたからね、ナキネズミが巣箱を覗いているのを。
入る所を見てはいませんが、嫌いではないと思います。ですから、巣箱の場所を変えれば入ると私は考えますが…。
「変えるって…。何処へ?」
「農場ですよ。暇なナキネズミはあそこで暮らしていますからね」
子供たちのサポートをしていない時は、ナキネズミは農場に住んでいるでしょう?
牛小屋にいたり、飼料置き場に入り込んでいたり、自分好みの場所を見付けて勝手気ままに。
一匹くらいはきっといますよ、巣箱を気に入るナキネズミも。
巣箱はそっちへ移してみましょう、ナキネズミが住んでいる所へ。
ハーレイは公園の木にまた梯子を架けて登って、巣箱を外して農場の方に移してくれた。農場に植えてあった木を端から調べて回って、此処にしましょう、って。
収穫の時以外は手のかからない木を一本選んで、その木に梯子を架けて登って。
何の木だったかは忘れたけれども、大きかった木。頑丈な幹にお洒落な巣箱が取り付けられた。真っ白なシャングリラの色の巣箱が、ミュウの紋章つきの巣箱が。
次の日に様子を見に行ってみたら、もうナキネズミが巣箱の中を覗いてた。ぼくが下から見てる間に、どんな具合かと出たり入ったりし始めた。大きなフサフサの尻尾を揺らして。
ナキネズミの尻尾が巣箱の中へと消えて行ったり、入口から顔を覗かせて外を見回してみたり。巣箱を見付けたそのナキネズミは、お洒落な巣箱が気に入ったようで。
邪魔をしないよう、そうっと帰って、また次の日に出掛けて行ったら、ナキネズミは一匹増えていた。昨日のナキネズミのお嫁さんが来てた、白い巣箱に。
(それで住み着いて…)
フクロウ用の巣箱だったから、お嫁さんも一緒に充分入れた。お洒落な巣箱はナキネズミが住む家になってくれて、前のぼくは満足したんだった。
青い鳥の巣箱がシャングリラに出来たと、青い鳥が巣箱で暮らしていると。
本当は青い鳥じゃなくって、青い毛皮のナキネズミが住んでいたんだけれど…。お洒落な巣箱の住人はナキネズミの夫婦だったけど。
(ハーレイのお蔭…)
ナキネズミ用の巣箱作りも、ナキネズミがちゃんと巣箱に入ってくれたのも。
ゼルもヒルマンも、ブラウもエラも「無理だ」と笑ったナキネズミの巣箱。巣箱なんかに入りはしないと皆が言ったのに、ハーレイは無理だと言いもしなくて、笑いもしなくて。
巣箱まで作って、木に取り付けてくれて、前のぼくの自己満足に付き合ってくれた。青い小鳥を飼いたかったぼくの、ナキネズミ用の巣箱なんていう無茶な思い付きに。
ハーレイが手伝ってくれたお蔭で叶った夢。前のぼくの夢。
ナキネズミが見事に住み着いた巣箱は、もう笑われはしなかった。ゼルもブラウも農場にあった巣箱を見上げて、「次は子供の出番だ」なんて話をしていた。きっとその内に可愛いナキネズミの子供が生まれて、巣箱から顔を出すんだろうと。外へ出て来る日が楽しみだと。
真っ白でお洒落な巣箱に住んでたナキネズミ。前のぼくの夢の青い鳥。
ハーレイのお蔭で飼うことが出来た、青い鳥の巣箱を何度も何度も眺めにゆけた。ナキネズミの子供も無事に生まれて、巣箱を見上げたら小さいのが外を見てたりもした。
とても幸せだった、ぼく。青い鳥の巣箱が此処にあるんだ、って。
(御礼、言わなきゃ…)
あの巣箱の御礼を、ハーレイに。
前のぼくはもちろん御礼を言ったけれども、今のぼくからも。巣箱のことを思い出したからには御礼を言いたい、今のハーレイに。あの時は巣箱をありがとう、って。
そう思っていたら、チャイムが鳴って。仕事帰りのハーレイが寄ってくれたから。
ぼくの部屋で二人、お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで向かい合わせで、笑顔を向けた。
「あのね…。思い出したよ、ハーレイの巣箱」
ハーレイが作った巣箱のことをね、今日の雑談のお蔭で思い出せたよ。
「はあ?」
なんでお前が俺の巣箱を知っているんだ、今の家では作っていないぞ。親父の家で暮らしていた頃に作って掛けはしたがだ、その話、お前にしていたか?
俺は話した覚えなんか無いが、何かのついでに話したっけか…?
「ううん、今のハーレイの巣箱じゃないよ。前のハーレイだよ」
ハーレイが作って掛けてくれたよ、ナキネズミの巣箱。
ゼルたちは笑い転げたけれども、ハーレイだけは笑わなくって…。フクロウ用の大きなサイズの巣箱を作って、真っ白に塗ってくれたんだよ。
「ああ、あれなあ…!」
あったな、ナキネズミの巣箱。やたらお洒落で、ミュウの紋章まで描いてあったのが。
最初は公園の木に取り付けたっけな、あそこにナキネズミは一匹も住んでいなかったのにな?
前のお前が「入ってくれない」ってガッカリしていて、農場の木に取り付け直して。
そしたら直ぐに住み着いたんだったな、ナキネズミが二匹。可愛い子供まで生まれちまって。
「あの巣箱…。嬉しかったんだよ、ありがとう」
青い鳥を飼ってる気分になれたよ、ナキネズミの巣箱はハーレイのお蔭。
ハーレイが作って掛けてくれなきゃ、ぼくは巣箱を持てなかったし…。青い鳥を飼う夢はきっと叶わなかったよ。ナキネズミだったけど、あれは青い鳥。前のぼくの青い鳥だったんだよ。
「いや…。そんなに礼を言ってくれなくても…」
俺も充分、楽しんだしなあ、あの巣箱作り。俺の木彫りは評判がいいとは言い難かったが、あの巣箱は皆に褒められたしな?
洒落た巣箱も作れるんじゃないか、と辛口のブラウにまで言って貰えたし…。
いい思い出ってヤツだ、ナキネズミの巣箱。ちゃんとナキネズミも住んでたからな。
今度はいいのか、ってハーレイに訊かれた。俺の巣箱は要らないのか、って。
「…巣箱?」
またハーレイが作ってくれるの、前みたいに?
「うむ。青い鳥、今ならいけるかもしれんぞ」
巣箱を作って掛けておいたら、青い鳥が入ってくれるかもしれん。
「ホント!?」
本当に本物の青い鳥なの、青い鳥が巣箱に住んでくれるの…?
「運が良けりゃな。前に見ただろ、俺と一緒に青い鳥を。オオルリってヤツを」
あのオオルリも巣箱の中に巣を作るんだ。何処に巣を作ろうかと探している時に、上手い具合に巣箱に出会えりゃ、いいものがあったと中に入って。
ただなあ、山の中で暮らすことが多い鳥だしな…。オオルリだけを狙って巣箱を掛けにゆくなら山の中ってことになっちまうんだが。
「山の中って…。それじゃ滅多に見に行けないよ、入ってくれても」
家の庭だとオオルリは無理かな、巣箱を掛けても来てはくれない?
「まるで駄目ではないかもしれんな」
お前の家でガラスにぶつかっていたし、住宅街でも気にしないオオルリもいるかもしれん。緑と餌とが充分にあれば、生きてゆくのに困りはしないし…。
まずは巣箱を掛けることだな、オオルリに来て欲しければな。
巣箱さえあったら鳥が入るさ、って。オオルリでなくても、青い鳥とは違っても。
「お前の家でも入ってたんだろ、あそこの木に巣箱があった頃には?」
白い巣箱ではなかったようだが、お前のお父さんが作った巣箱。
「うん。普通の巣箱だったけど…」
ママの記憶で見せて貰ったよ、住んでた小鳥が飛んでゆくのを。巣箱に帰ってくる所も。
「ほらな、そんな具合で巣箱を掛ければ小鳥はやって来るもんだ」
今度は本物の鳥に入って貰って、幸せの鳥といこうじゃないか。
今日の授業で話してやったろ、庭で鳥が巣を作るというのは吉兆だ、とな。
青い鳥でなくても幸せが来るんだ、巣箱に小鳥が住んでくれれば。
前のお前の願い通りに青い鳥が巣箱に入ってくれれば最高なんだが、さて、どうなるか…。
巣箱が好きで住宅街も好きなオオルリ、飛んで来てくれるといいんだがな。
俺が巣箱をまた作ってやる、って片目を瞑ってくれたハーレイ。
今のハーレイは木彫りをやっていないけど、前のハーレイが作ってくれた巣箱みたいにお洒落な巣箱を。シャングリラと同じに真っ白な巣箱を、もう一度。
「…ねえ、白い巣箱でも鳥は入ってくれるよね?」
ナキネズミじゃなくって、本物の小鳥。…白は駄目だってことはないよね?
「その点は全く心配要らんな、真っ白な巣箱も売られてるからな」
真っ白どころか、赤とか青とか。そりゃあカラフルで洒落た巣箱が売られてるってな。
つまりは鳥は入るってことだ、白い巣箱でも、赤でも青でも。
「じゃあ、前と同じで真っ白がいいな」
シャングリラの白に塗ろうよ、巣箱。ハーレイが真っ白に塗ってくれたら、絵はぼくが描くよ。
「絵というと…。エラが描いてたあの紋章か」
前の俺たちのミュウの紋章なんだな、今度はお前が描いてくれる、と。
そいつが出来たら、巣箱を掛ける木を二人で選んで、俺が梯子を架けるわけだな。
「此処でいいか」って、お前に訊いて。
鳥が住みやすそうな場所で、俺たちからもよく見える場所。そこに巣箱を掛けに登る、と。
オオルリが入ってくれるといいな、ってハーレイも本物の青い鳥を期待してくれているから。
ぼくも本物の青い鳥が住んでる巣箱を何度も見上げたいから、いつかは巣箱。
お洒落な巣箱を青い地球の上で木の上に掛けよう、ハーレイと二人で暮らす家で。
幸せが来るという庭の鳥の巣、それを巣箱で青い鳥に作って欲しいから。
前のぼくが見ていた真っ白な巣箱、ミュウの紋章つきのお洒落な巣箱。
結婚したらそれを二人で作って、青い鳥を待とう。
青い鳥でなくても、幸せの鳥がきっとやって来る、ナキネズミじゃなくて本物の鳥。
ハーレイと二人で巣箱を見上げて、幸せな日々。
本物の地球に来られたんだと、今度こそ何処までも二人一緒に行けるんだから、と…。
青い鳥の巣箱・了
※前のブルーが欲しがった巣箱。シャングリラに小鳥はいなくても、気分だけでも、と。
そして巣箱に入ってくれたナキネズミ。今度は地球の木に、本物の鳥が入る巣箱を。
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