シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「よし、今日はコレだ」
知ってるだろう、とハーレイが教室の前のボードに描いた相合傘のマーク。生徒たちの集中力が切れてしまわないよう、絶妙のタイミングで繰り出される楽しい雑談の時間。
愉快な話の時もあったり、薀蓄だったり、聞き逃すと損をしてしまうから、居眠りしかけていた生徒もガバッと起きる。これは聞かねば、と。
ハーレイは満足そうに頷き、「由緒正しいおまじないだぞ」と相合傘の絵をコンと叩いた。
傘のマークの下に名前は無いけれど。「此処に名前だ」と丸が幾つか書かれたけれど。
ハーレイ曰く、相合傘のマークはSD体制が始まるよりも遠い遥かな昔に生まれたおまじない。この地域の辺りにあった小さな島国、日本で幾つも、幾つも描かれた相合傘の絵。それに名前も。
「この人と両想いになれますように」と祈りをこめて相合傘と、自分の名前と、相手の名前。
念願叶って恋が実ったカップルも描いた相合傘。「カップルなんです」と誇らしげに。喫茶店や旅先などで、「自由に何でもお書き下さい」というノートに会ったりした時に。
由緒ある日本のおまじない。恋の成就を祈って描くのが相合傘。
描き方は色々、傘の上にハートのマークを描いたり、傘の柄の線を伸ばしたものが傘の真ん中を横切っていたり、横切る線は無かったり。
傘の真ん中を線が横切ると傘が二つに断ち切られるから、「別れるマークだ」と嫌っていた人もあったという。
今の時代は好みだけれど。真ん中の線を描く人もいれば、描かない人も。
ただし、必ず傘のマークは一筆描きで。それが大切な決まり事だから、上手に相合傘を描くなら真ん中の線はあった方がいい。バランスが取れた傘が描けるし、相合傘の見栄えが良くなるから。
傘の下にはそれぞれの名前、傘の柄を挟んで自分と好きな人の名前と。
それを書く場所も、自分の名前が左だったり、女性が右だと言い張る人があったり、傘を横切る線と同じで入り乱れた説。
こちらも今では決まり事は無くて、どう書くのも自由。
相合傘の下に名前を書きさえすれば。恋する相手と自分自身と、二人分の名前を並べて書けば。
「そして、こいつは俺の学校でのオリジナルだった相合傘のおまじないだが…」
オリジナルと聞いて身体を乗り出すクラスメイトたち。オリジナルなら他所には無いのだから。
おまけにオリジナルとして伝わっているなら、きっと効果は抜群だから。
ハーレイは「おいおい、正直なヤツらだな」と苦笑しながら、「よく聞けよ?」と話し始めた。
今の学校の上の学校、義務教育を終えた十八歳から後に進む学校。
かつてハーレイが通っていた学校もそれの一つで、その学校の運動部員たちの間のオリジナル。相合傘を使った恋のおまじない。
オムライスの上にケチャップで描いた相合傘。傘のマークと、二人分の名前と。
相合傘を描いたオムライスは残さず綺麗に食べ切る、それが運動部員たちが使ったおまじない。
オムライスの上にこのマークだ、とハーレイがコンと叩いたボード。
「相合傘はともかく、名前も書かなきゃ駄目だしなあ…。こいつがなかなか難しいんだ」
思った通りに上手くは描けんものだぞ、お前たちも自分でやってみれば分かる。
何が何でも描いてやるんだ、と特大のオムライスを作って描いてたヤツなんかもいたな。
運動部員ならではってトコだ、こんなにデカいオムライスを一人で食わなきゃいけないんだぞ。残しちまったら、相合傘を描いた意味が全く無いんだからな。
「そのおまじないは効くんですか?」
オムライスのは効きますか、とサッと手を挙げたクラスのムードメーカーの男子。
「効くんだろうなあ、そういう噂だったからこそ伝わってたんだし」
そうでなければ何処かで消えてしまっただろうさ。あんなのはただの遊びなんだ、と。
「ハーレイ先生もやりましたか?」
オムライスに描いた相合傘、と興味津々の男子だったけれど。
「さてなあ…? そいつはコレとは関係無いしな、このマークとは」
授業に戻るぞ、と相合傘のマークが消されて終わった雑談。
けれどもブルーの胸にしっかり刻み込まれた、相合傘のマークとオムライスを使うおまじない。
ハーレイが通った学校には変わったおまじないがあったようだと、相合傘を食べるのかと。
心に残ったハーレイの雑談、相合傘のおまじないの話。
学校が終わって家に帰っても、忘れ去ってはいなかった。ダイニングでおやつのケーキと紅茶を味わう時にも、相合傘が頭にぽっかり浮かんで来たから。
ハーレイがボードに描いていた絵と、おまじないとが鮮明に浮かび上がって来たから。
(ぼくは相合傘、描かなくっても…)
もうハーレイとは両想いなのだし、結婚すると決まっているから、相合傘のマークは必要無い。おまじないなどはしなくていい。
自分の名前とハーレイの名前を並べた相合傘を描くとしたなら、授業中に聞いた喫茶店だの旅先だので出会った記念のノート。「ご自由にお書き下さい」と置かれているノート。
でも…。
(ちょっとおまじない、しておきたいかも…)
念のために、と思うわけではないけれど。
相合傘のおまじないが無くても結婚出来るし、とっくの昔に両想い。
前の自分たちが生きた頃から両想いだった恋の続きで、今度こそ晴れて結婚式。前の生では隠し続けた恋を明かして、二人で誓いのキスを交わして。
その日が早く来るといいから、早く来て欲しいと思うから。
祈りをこめて相合傘だ、と考えた。せっかくハーレイの授業で教わったのだし、と。
そうと決まれば、相合傘のおまじないはハーレイの学校のオリジナル。
同じやるならハーレイに習ったそれをやりたい、オムライスの上に描く相合傘。綺麗に食べれば恋が実ると伝わる素敵な相合傘。
まずはオムライスが必要だから、と空になったケーキのお皿やカップをキッチンの母に渡して、何食わぬ顔で訊いてみた。
「ママ、晩御飯は何?」
もう決まってるの、晩御飯のメニュー。…決めてないなら…。
「どうしたの、何かリクエストなの?」
食べてみたいお料理が急に出来たの、晩御飯に作って欲しいものが?
「うん、オムライスが食べたいなあ、って…」
「あらまあ…」
学校で誰かが話してたのかしら、それとも食べたい気分になって来たとか…。
いいわよ、ブルーが「これが食べたい」ってリクエストすることは珍しいものね。
オムライスくらいはお安い御用よ、晩御飯、楽しみにしていて頂戴。
いともあっさり、オムライス作りを引き受けてくれた優しい母。
夕食はそれにしておくわね、と。
(やった!)
小躍りしながら部屋に戻った、今夜はオムライスが食べられるから。
母が作ってくれるオムライス、それに相合傘を描こうと。赤いケチャップで相合傘。ハーレイの名前と自分の名前を並べて書いて、おまじない。
(上手に描いて、しっかり食べて…)
そうすれば恋が叶うから。とうに叶っている恋の場合は、きっと絆が固くなるから。
結婚式の日が早く来るとか、プロポーズの日が早まるだとか。オムライスの素敵なおまじない。
(ふふっ、相合傘…)
名前を書きたいハーレイは寄ってくれなかったけれど、今日はその方が都合がいい。夕食の席にハーレイがいたら、とても恥ずかしくて相合傘を描けはしないから。
「お前、早速やっているのか?」と笑われるだろうし、からかわれたりもするだろう。
普段だったら、ハーレイが寄ってくれなかった日はガッカリだけれど、今日は特別、いない方が嬉しい気がするハーレイ。
おまじないをする所を見られたくないし、でも、おまじないはしておきたいし…。
そんなことまで考えたのに。「ハーレイが来なくて良かった」と胸を撫で下ろしたのに。
いざ、夕食になって、母に呼ばれて勇んでダイニングに出掛けて行ったら。
「はい、召し上がれ」
ブルーのリクエストのオムライスよ。パパはこれだと物足りないでしょ、コロッケもどうぞ。
「おっ、悪いな、ママ。…わざわざコロッケ作らなくても、デカいオムライスで良かったのに」
ブルーみたいにオムライスだけで、と笑顔の父。ブルーのリクエストとは珍しいな、と。
オムライスは作って貰えたけれども、両親も一緒の夕食の席。同じテーブルに着いている両親、当然、ブルーの前に置かれたオムライスの皿は丸見えで…。
(…これじゃ無理だよ…)
描けるわけがなかった、ハーレイと自分の名前を並べた相合傘。
両親が側に居たのでは。ケチャップでそれを描いていたなら、もう絶対に見られるのだから。
これでは描けない、相合傘も、大好きなハーレイの名前ですらも。
オムライスに描いた相合傘のおまじないは出来ない、ハーレイが此処にいなくても。
描くに描けない相合傘。両親の前では描けはしなくて。
(うー…)
なんということになったのだろう、とショックだけれども、リクエストまでしたオムライス。
これさえあったら、とても素敵なおまじないが出来る筈だったオムライス。
けれど描けない、相合傘は。おまじないに使う傘のマークは。
(でも、何か…)
こうして作って貰ったからには、真似事くらいはしておきたい。相合傘は無理でも、何か。何かケチャップで描いておきたい、オムライスを使ったおまじない。
自分の名前だけでも書いておこうか、と思ったけれども、ハーレイの名前が無くては片手落ち。自分の分しか書けない名前は少し癪だし、ウサギを描こうと決意した。
(ぼくも、ハーレイも、ウサギ年…)
お揃いだった生まれ年の干支。
お互いの前世はウサギだったかも、という話もした。前の自分たちに生まれる前には、ウサギのカップルだったのかも、と。
白いウサギと茶色いウサギで、同じ巣穴で仲良く暮らしたウサギのカップル。最後は一緒に肉のパイになったかもしれない、白いウサギと茶色いウサギ。
だからウサギ、とケチャップの容器を手に取った。
オムライスにおまじないをかけておくなら、ウサギのカップル。ウサギ年の恋人同士だよ、と。
オムライスの上、真っ赤なケチャップで描いたウサギの顔。一つだけしか描けなかったけれど。
「あら、ウサギ?」
もしかして、それが描きたかったの、ウサギの絵が?
「そういや、ブルーは小さい頃には、ウサギになるって言ってたっけなあ…」
思い出したのか、将来の夢を?
それでウサギの絵なのか、ブルー?
こいつはなんとも傑作だよなあ、今頃になってウサギか、うん。
しかしだ、上手く描けたじゃないか。ウサギになるって言ってた頃には描けなかったのに。
「そうねえ、失敗してたわねえ…」
ウサギの耳しか描けなかったり、顔を描いたら耳を描く場所が無かったり…。
あの頃よりもずっと上手よ、ちゃんとウサギに見えるものね。
ウサギの絵が描きたくなったからオムライスなのね、と母が微笑み、父も笑っているけれど。
「絵が描きたかったのなら、もっとデカいのにすればウサギを丸ごと描けたぞ」などと言われたけれども、描きたかったものは相合傘。ウサギの全身を描いても何の意味も無いから。おまじないにはなってくれなくて、ただのウサギというだけだから。
欲しかったのはオムライスそのもので、絵は二の次だと嘘をついておいた。今日はオムライスが食べたい気分で、だからオムライス、と。
ケチャップの絵は、子供の頃に描こうとしたのを思い出したからやってみただけ、と。
ウサギの絵つきのオムライス。相合傘は無いオムライス。
食べ終えて母に御礼を言ってから、部屋に帰って。
(失敗しちゃった…)
オムライスで出来るおまじない。相合傘を描いたオムライスをペロリと平らげるおまじない。
ハーレイが通っていた学校に伝わっていたと聞いたオリジナル、それを試してみたかったのに。
オムライスの上にケチャップで描いた相合傘。
自分の名前とハーレイの名前、傘の柄を挟んで並べて描いてみたかったのに…。
(相合傘、描けなかったっていうことは…)
まさか、両想いになれる代わりに、別れてしまうという意味にはならないだろうけど。
そんな結末になりはしないと思うけれども、少し恐ろしくなってきた。
相合傘を描こうとオムライスを用意したというのに、描けずに終わってしまったから。相合傘の欠片も描けずに、ウサギの絵になってしまったから。
(まさかね…?)
大丈夫だよね、と自分に言い聞かせるけれど、募る心配。
オムライスのおまじないが失敗したなら、その恋はどうなってしまうのだろうか、と。
描けなかったケチャップの相合傘。出来なかったオムライスのおまじない。
恋の行方が気掛かりになって、次の日になっても忘れられなくて。
(どうなっちゃうの…?)
ぼくとハーレイ、と勉強机の前に座って溜息をついていたら、そのハーレイが来てくれたから。仕事の帰りに寄ってくれたから、いつものテーブルを挟んで向かい合わせで切り出した。
「あのね、ハーレイ…。昨日、授業で言ってた相合傘のおまじない…」
もしもオムライスに相合傘が描けなかったら、どうなるの?
そういう時には別れてしまうの、相合傘に名前を書こうとしていた二人は?
「いや、そうじゃないな。相合傘を描かないことには恋が実らないっていうだけだが?」
ついでにオムライスも綺麗に平らげないとな、相合傘を描いたら終わりじゃなくて。
「じゃあ、相合傘を描こうとしていたのに描けなかったら?」
相合傘を描くんだ、ってオムライスを用意したのに、相合傘を描けなくなっちゃった時は…?
「描けなくなった、という時か…。そいつは望みが無いってことになるかもなあ…」
相合傘を描くだけ無駄だ、という意味になるのかもしれん。最初から描けないわけなんだし。
二人の名前を並べて描ける日なんかは絶対に来ない、ってことで、望みは無し、と。
俺はその手の噂は知らないが、とハーレイは付け加えてくれたけれども。
描けなかったケースは聞いていないし、あくまで俺の推測だから、と言ってはくれたけれども。
(望みが無い…?)
それはショックな一言だった。
別れるどころか、望み無し。二人の名前を相合傘に並べて描ける日などは来ない、と。
恋が実ってカップルになったら、色々な所で相合傘を描けるのに。
喫茶店やら、旅先やらで見付けたノートに相合傘。二人で来ました、と恋の記念に。誇らしげに二人の名前を並べて、描いて置いてゆく相合傘。
そういう素敵な相合傘を描ける日は来ないというのだろうか?
ハーレイの名前と自分の名前を並べられる日は来ないのだろうか…?
(もしかしたら、ぼくの恋、実らないの…?)
大きくなったら結婚出来ると信じていたのに、その日を夢見て生きているのに。
今度こそハーレイと結婚式だと、二人一緒に暮らせるのだと信じて疑いもしなかったのに。
けれど、冷静に考えてみれば、自分もハーレイも男同士で、普通の結婚とは違うから。
両親に強く反対されてしまって、結婚は無理だというのだろうか?
ハーレイとも会えなくなってしまうのだろうか、両親に見張られて、家にも鍵をかけられて…。
(…そんな…)
まさか望みが無いなんて、と落ち込んでしまった気持ちと心。
砕けてしまいそうな自分の未来と、ハーレイと二人で築く筈だった幸せな未来。
「どうしたんだ?」
おい、急に黙ってしまって、どうした、ブルー?
「…なんでもない…」
「なんでもないって顔じゃないぞ、お前」
お先真っ暗って感じの顔だが、いったい何があったんだ?
俺が来た時から、心配そうな顔つきには見えていたんだが…。そういや、お前、オムライス…。
例のおまじないがどうこうと俺に訊いていたよな、もしかして、アレか?
相合傘がどうかしたのか、とハーレイに尋ねられたから。
「うん…。ハーレイが言ってた、オムライスに描く相合傘…」
描けなかったんだよ、描こうとしたのに。
ハーレイが言った「望み無し」だよ、ぼくとハーレイの名前、相合傘の下には書けないんだよ。
最初から並べて書ける望みが無いから、オムライスに相合傘を描くのは無理だったんだよ…。
昨夜、描き損なっちゃった、と白状した。
オムライスの夕食をリクエストしたのに、同じテーブルに着いた両親。相合傘などは描ける筈もなくて、挑戦する以前の問題だった、と。
「なるほどなあ…。それで代わりにウサギを描いた、と」
しかしだ、お前のオムライスじゃなあ…。
相合傘と二人分の名前はサイズ的に描くのに無理がないか、と言われてみれば。
そうかもしれない、昨夜の自分用のオムライス。
父のオムライスは大きかったけれど、自分の胃袋に合わせて母が作ってくれたオムライスは…。
小さめだったオムライスの上には、相合傘を描くのは無理かもしれない。ウサギの顔を描くのが精一杯で。
(…余計に無理…)
絶望的だ、と肩を落とした相合傘。オムライスを使った恋のおまじない。
それが出来ない自分の場合は、ハーレイとの恋は「望み無し」。
二人分の名前を相合傘の下に書ける日などは永遠に来ない、喫茶店でも、旅先でも。
「ご自由にお書き下さい」と置かれたノートを見る度に泣くのだろうか、いつか、自分は。
これにハーレイと二人で描きたかったと、相合傘を描く筈だったのに、と。
思わず零れ落ちそうになった涙をグイと拭ったら。
今から泣いていては駄目だと、あれはハーレイの推測だから、と泣きそうになる自分の心に言い聞かせようとしていたら…。
「お前、相合傘、描きたいのか?」
オムライスの上に、相合傘。…望み無しだ、と言われないように。
「…うん…」
だけど無理だよ、ぼくのオムライスには相合傘は描けなかったんだもの。
パパとママがあそこにいなかったとしても、ぼくのオムライスは本当に小さすぎるから…。
「分かっているさ。大丈夫だ、土曜日の昼飯にリクエストしとけ、オムライス」
「え?」
土曜日のお昼御飯って…。ハーレイが来る日?
「そうだ、その日だ。相合傘、俺が描いてやる」
お前のオムライスに、ちゃんと相合傘。そしたら望みが無いってことにはならないだろうが。
「ホント!?」
本当に描いてくれるの、相合傘を?
ぼくのオムライスは小さいのに…。ホントのホントに、ウサギくらいしか描けないのに…。
このくらいのサイズなんだけど、と両手を使って作ってみせたオムライスの大きさ。
ハーレイと一緒に食べたことも何度もあるのだけれども、改めて伝えておきたかったから。
「任せておけ。なんたって、俺はプロだからな」
相合傘くらいはお安い御用だ、お前の望み通りに立派なのを描いてやるってな。
「…ハーレイ、相合傘、描いていたの?」
オムライスにケチャップで相合傘。
授業中に訊かれた時には、「さてな?」って答えただけだったけど…。
「いや? 俺は一度も描いていないが」
おまじないをしたい相手がいなかったしなあ、いつも見ているだけだったが。あのおまじない。
「でも、プロだって…」
「勘違いするなよ、相合傘の方のプロじゃない。単に料理のプロだってだけだ」
今の俺はプロの料理人ってヤツをやってはいないが、前の俺は厨房にいたろうが。
あの頃の俺と比べて腕は鈍っていない筈だぞ、むしろ上達してるんじゃないかと思うわけだが。
「そっか、ケチャップの使い方…!」
ぼくよりも上手く描ける筈だよね、ケチャップを使った模様とか。
やっとウサギが描けるようになったぼくなんかよりも、ずっと凄いのが描けるんだものね…!
首を長くして待った土曜日、母にオムライスをリクエストしておいた日。
朝食のテーブルで母に訊かれた、「またウサギ?」と。
「えーっと…。ウサギになるかな、この間は上手に描けたから…」
もっと上手に描いてみたいけど、パパが言ってたみたいにウサギを全部描くのは無理かも…。
尻尾が描けなくなってしまうとか、耳がはみ出してしまうとか。
「ハーレイ先生と遊びたいのね、オムライスの絵で」
きっと先生の方が上手よ、先生はお料理なさるんだから。
「そうだぞ、それにハーレイ先生のオムライスはグンと大きいからな」
お前よりも絵を描ける部分がグッと広いし、見栄えのする絵が描けそうだ。
ウサギの絵、お前、負けるだろうなあ、きっとハーレイ先生に。
負けても悔しがったりするなよ、最初から勝ち目は無いんだからな。
両親はウサギか何かのケチャップ絵で勝負をするらしいと思い込んでしまった昼食。
その方がずっと都合がいいから、「頑張るね」と笑顔で返しておいた。
やがてハーレイが訪ねて来てくれて、待ちに待っていた昼食の時間。母が作ってくれたふんわり金色のオムライスが二つ、ハーレイ用の大きなものと、ブルー用の小さなオムライスと。
それにケチャップ、相合傘を描くための。
母はウサギだと信じている絵。オムライスの上にケチャップで描いて食べる絵。
「ハーレイ、これに描いてくれるの?」
ぼくのオムライス、と尋ねたら。
「そのオムライス、皿ごと、こっちに寄越せ」
「え?」
お皿ごとって…。何をするの?
今の場所だと描きにくいの、とオムライスの皿を手渡してみたら、ハーレイは「よし」と。
「こう並べて、だ…。俺の皿が此処で」
いいか、ここからが肝心なんだ。
こっちが俺ので、こっちがお前で。相合傘、描いてやるから、よく見ていろよ…?
半分ずつ描くのがポイントなんだ、と二人分の皿を並べたハーレイ。
オムライスの間を隔てる距離が出来るだけ短くなるように。二つ仲良く並ぶように。
こうだ、とハーレイが手にしたケチャップの容器、引いてゆかれる赤い線。
まずは相合傘の傘から、「一筆書きとはいかないんだがな」と断りながら。「そいつをやったらテーブルも皿も汚れちまうし、気分だけは一筆書きってことで」と。
ハーレイの分と、ブルーの分。オムライスの上に相合傘の傘の部分が半分ずつ。
それが描けたら隣り合ったオムライスが並んだ部分に、「本来、こいつは一本なんだが」と傘の柄が描かれた、オムライスの端に引かれた線。
早い話が、相合傘が二つに分かれた、ブルーの皿とハーレイの皿のオムライスの上に半分ずつ。
「…さてと、お次は名前だな」
これはオムライスの持ち主の名前でいいだろ、こっちにブルー、と。俺のがハーレイ、と。
…でもって、最後にコレをつけんと。
ハートのマークも半分ずつだ、と描いて貰った相合傘。
二つのお皿に分かれたけれども、相合傘はきちんと描けた。傘の上にハートのマークもつけて。
「わあ…!」
凄いね、ハーレイ。ホントに本物の相合傘だよ、オムライスのおまじないの相合傘…!
ぼくのオムライスだと絶対無理だと思っていたのに、相合傘、ちゃんと出来ちゃった…!
「俺はプロだと言っただろうが。…相合傘の方のプロじゃないがな」
もう安心だろ、オムライスの上に相合傘は描けたんだ。
お前が泣くほど心配していた「望み無し」ってヤツにはならんさ、こうして描けた以上はな。
後はおまじないの方の仕上げだ、このオムライスを残さないで綺麗に平らげる方だ。
この相合傘、俺もお前も全部ペロリと食わんとな。
お前のオムライス、いつもと同じで小さいんだから、お前、充分、食べられるだろ?
「うんっ!」
オムライスの大きさも大切だけれど、相合傘を描いて貰ったし…。
これでおまじないが出来るわけだし、全部しっかり食べるよ、ぼく。
綺麗に食べたら恋が叶うっておまじないでしょ、頑張らなくちゃ。
望み無しかと思っちゃった分、うんと幸せに食べられるよ。だって、相合傘、出来たんだもの。
一度は諦めかけてしまった相合傘。
オムライスのおまじないが出来ない自分は「望み無し」だと、絶望しそうになった相合傘。
ハーレイと二人で描けはしないと、それを描ける日は来ないのだと。
それなのにハーレイに描いて貰えた、相合傘を。二人で一つの相合傘を。
(ハーレイとぼくと、半分ずつ…)
なんて幸せなんだろう、とオムライスをパクリと頬張っていたら。
ケチャップで描かれた相合傘が消えるのが惜しくて、塗り付けないでそのままスプーンで掬って口へと運んでいたら、ハーレイも同じことをしながら。
自分の名前も相合傘も、ハートのマークも壊さないようにと、模様のままで掬いながら。
「うん、やっぱり二人で一緒に食ってこそだよな、相合傘のオムライス」
おまじないで一人で食うのもいいがだ、そいつが叶った後にはなあ…。
一人で食うより、やっぱり二人だ。
オムライスの相合傘で叶った恋なら、こうして二人で食わないとなあ、相合傘のオムライス。
この食べ方をやってたヤツらを見たことがある、と微笑むハーレイ。
俺が学生だった時代に、通ってた学校の食堂でな、と。
「食堂って…。ホント?」
そんな所で相合傘なの、学校の食堂だったら他にも人が大勢いそうな気がするけれど…。
だけど二人で相合傘を描いたオムライスだったの、これみたいな…?
「うむ。これよりもずっと凄かったがなあ、あのオムライスは」
俺の友達の中の一人だ、オムライスの相合傘のお蔭で出来た彼女だ、と食堂に連れて来てな。
やたらデカい皿を持って来たな、と思っていたらだ、オムライスを二つ注文したんだ。二つだ、自分の分と彼女の分だ。
そいつが出来たらデカい皿の出番で、その上にオムライスを二つ並べてくっつけちまった。
後は分かるな、ケチャップでデカデカと相合傘だ。
俺たちのヤツは二つの皿に分かれちまってて、傘の柄が二本あるわけなんだが…。
デカい皿の上でくっつけてあれば、柄は一本で足りるだろうが。
実に見事な一筆書きで仕上がっていたぞ、デカい相合傘。
俺たちのと同じでハートマークが上に描いてあって、友達と彼女の名前を並べて書いて。
本当に凄い相合傘だった、とハーレイが語る、二つ並んだオムライス。
恋人同士だった二人は、それを半分ずつ、仲良く食べていたと言うから、すっかり綺麗にお皿を空にしたと言うから。
「凄いね…。周りに他の人もいるのに、ハーレイだって見てたのに…」
だけど二人でオムライスなんだね、相合傘が描いてあるヤツ。二つ並べて。
「そりゃもう、熱々のカップルだったってな」
この食堂のオムライスの相合傘が結んでくれた御縁だから、って食べに来たんだ、二人でな。
食堂で相合傘のオムライスを一人で食っていたのは、俺の友達だけなんだが…。
おまじないをしたのはそいつだけでだ、彼女の方は相合傘のおまじない、しなかったんだが…。
それでも相合傘のオムライスを食べに付き合おうってほどの彼女だからなあ、最高の仲だ。
もちろん結婚したんだぞ。学校を卒業した後にな。
だからだ、オムライスの相合傘は効くぞ、俺が保証する。
こうして二人で食べたからには、「望み無し」には絶対ならんさ。
お前は俺と結婚するんだ、そして目出度く相合傘をあちこちで描いて回れるってな。
「ご自由にお書き下さい」と書いてあるノートを見付けた時とか、好きに何でも描き殴っていい落書きだらけの壁だとか…。
そういった所に二人で描くんだ、俺とお前の名前が並んだ相合傘をな。
ハーレイが「いつか描ける」と保証してくれた相合傘。二人の名前を並べて書ける相合傘。
それもいつかは描きたいけれども、今は半分ずつで柄が二本もある相合傘。その柄を一本だけにしてみたい、ハーレイに聞いた熱々のカップルがやっていたように。
大きなお皿にオムライスを二つ、くっつけて並べて、柄が一本の相合傘を一筆書きで。
「ねえ、ハーレイ。オムライスを二つ、お皿の上で並べたヤツ…」
相合傘を一筆書きで描けるオムライス、ぼくもやりたいよ。
ハーレイと二人で食べてみたいよ、大勢の人が見てる食堂では恥ずかしいから嫌だけど…。
二人だけしかいない所でハーレイに大きく描いて欲しいな、今日みたいに。
「ふうむ…。いつかお前との結婚が決まったら、やってみるとするか」
今日みたいに半分ずつに分かれちまって、一筆書きでもないヤツじゃなくて、正真正銘、本物の相合傘ってヤツを。
オムライス二つに一筆書きで描くってわけだな、俺が昔に見てたみたいに。
「やろうよ、二人で半分ずつの相合傘!」
半分ずつでも、二つ並べたら本当に一個の相合傘。
今日のおまじないが叶いました、ってオムライスを二つくっつけて並べて相合傘だよ…!
「よし、その時は俺が作ろう、オムライスを」
二人だけで食べたいと言うんだったら、それが一番いい方法だ。
店に行ったら人が見てるし、お前の家でも「大きな皿は何に使うのか」と不思議がられるし…。
オムライスを二つくっつけるんなら、そいつは俺が作ってやるさ。
俺の家でな、とハーレイがパチンと片目を瞑るから。
「お前の胃袋に丁度いいサイズに作ってやろう」と、ドンと引き受けてくれたから。
いつかは大きな一枚の皿に、二人分の並んだオムライス。
ハーレイのオムライスは大きなサイズで、自分のオムライスはきっと小さめ。
今日のよりは幾らか大きくなってはいるだろうけれど、ハーレイの分には敵わない。
そのオムライスを二つくっつけて、並べて置いて。
ハーレイがケチャップで相合傘を見事に描いてくれるのだろう。
一筆書きで、ハートマークもつけて。
それを二人で食べた後には、もう幾つでも描ける相合傘。
何処へ出掛けても、描いていい場所があったなら。
ハーレイと自分の名前を並べて、傘の上にハートのマークも描いて、幾つも幾つも相合傘を…。
描きたい相合傘・了
※今のハーレイの学校にあった、オリジナルの恋のおまじない。オムライスに描く相合傘。
ブルーの挑戦は失敗でしたけど、ハーレイが描いてくれたのです。二人の恋は叶いますよね。
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