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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

クルトンの記憶

(たまにはコレが美味いんだ)
 うん、とハーレイが大きく頷いたシーザーサラダ。平日の夜に、自分の家のダイニングで。
 たっぷりの新鮮なロメインレタスに、海老や茹で卵なども加えてメインディッシュに。もちろんドレッシングは手作り、クルトンだって。
 パルメザンチーズを振ってから豪快に混ぜた、食べる直前に混ぜるのがシーザーサラダの醍醐味だから。気の利いた店だと、客の目の前で混ぜてサービスするのがシーザーサラダ。
 今日はブルーの家に寄るには遅くて、けれども時間はあったから。
 こんな日にはメニューを考えながらの買い出し、シーザーサラダが食べたくなった。クルトンを作る所から始めて、海老や卵も茹でて入れて…、と。



 パンを小さなサイコロ形に切ってカリッと焼き上げたクルトンは多めに作ったから。ついでだと食パン二枚分をクルトンにしたから、シーザーサラダに沢山入れても…。
(明日の朝にも使えそうだな)
 朝食のスープに浮かべてみるとか、レタスと混ぜてシーザーサラダもどきと洒落込むか。
 これは美味いし、と取り分けたシーザーサラダを頬張る。大きな器に盛ったサラダは、そのまま食べたい気分だけれど。どうせ一人しかいない食卓、食べ切るのだからかまわないけれど。
(…やっぱり行儀というヤツがだな…)
 学生時代に水泳や柔道の先輩たちから叩き込まれた礼儀作法。一人の時でも「いただきます」と合掌するのを忘れないのと同じくらいに、気になる食事のマナーというもの。
 大皿から直接食べるなどは論外、必ず器に取り分けろ、と何度も言われた、先輩たちに。羽目を外していい時だったら一興だけども、普段にやっては絶対駄目だ、と。



 そんなわけだから、適量を取り分けて口に運ぶサラダ。フォークでパクリと。
 思った通りになんとも美味しい、決め手はドレッシングとクルトン。ガーリックを刻んで入れたドレッシングもいいのだけれども、さっき作ったばかりのクルトン。これが無くては決まらない。
 レタスやドレッシングと一緒に味わうカリッとした味、口の中でサクッと砕けるクルトン。
 食べる直前に混ぜるからこそクルトンが生きるシーザーサラダ。出来たての味。
 これがいいんだ、と顔が自然に綻ぶクルトン、ポタージュスープにも浮かべておいた。サラダとスープと、どちらもクルトン。
 明日の朝にも使いたいクルトン、多めに作ったのだから。
 スープか、朝からシーザーサラダか。悪くないな、と眺めた器に盛ったクルトン。



(ガキの頃は嬉しかったんだ)
 クルトンを入れて貰うのが。パンを四角く切って焼いただけなのに、何故だか、これが。
 自分の家でもクルトンが入れば嬉しかったし、たまに連れて行って貰ったレストラン。スープが器に注がれた後に、スプーンで加えてくれるクルトン。
 特に決まりは無かったのだろうか、浮かべてくれる量はまちまちで。多めに入れて貰えた時には心が弾んだ、「今日はクルトンがこんなにある」と。
 クルトンを入れてくれる人を見詰める子供時代の自分の瞳が輝いていたのか、あるいは無意識の内に心が零れて「もっと!」と叫んでいたものか。
 常よりも沢山入れて貰えたことが何度か、それはもう得をした気分。
 大喜びで味わったクルトンたっぷりのスープ、たかがパンをカリッと焼いただけのものなのに。レストランならば幾らでもある、少し固くなったパンを使ったものだったろうに。



 子供だった頃の憧れのクルトン、レストランでスープを飲むならクルトン。
 多いといいなと、沢山入れて貰えるといいなと、何度ウェイターの顔を見上げたことか。多めに入れてくれそうな人か、気前よく入れてくれるだろうかと。
(懐かしいなあ…)
 両親と出掛けたレストランでの、幸せな思い出。スープに浮かべて貰ったクルトン。
 今ではスープも、クルトンも自分で作れるようになってしまって、凝ったシーザーサラダまで。入れ放題になったクルトン、なにしろ自分で作るのだから。沢山作っていいのだから。
(ここはだな…)
 せっかく思い出したからには、やらねばなるまい。
 もう一杯、とポタージュスープをおかわりして来て、クルトンをたっぷり、スプーンで掬って。惜しげもなく入れた、四角く切って焼き上げたパンを。
(よし!)
 ガキの頃の夢だ、と満足感が湧き上がるスープ。ここまでの量のクルトンは入れて貰った覚えが無い。自分の家での食事はともかく、レストランでスープを飲んだ時には。
 もう最高に贅沢な気分、子供時代の自分の夢。熱いスープにクルトンたっぷり、パラリと一匙の量と違ってドッサリと。



 流石にスープよりもクルトンが多くはならないけれど。所詮はスープの浮き身だけれど。
 やっぱり美味いと、シーザーサラダもスープもクルトンがあってこそだと味わっていたら、心をフイと掠めた記憶。
(…待てよ?)
 前にもこうしてクルトンを入れた。器からスプーンで掬って、たっぷり。
 ポタージュスープが入った器に、パラッと飾りに振るのではなくて、もっと多めに。
(…なんたって俺の夢だしな?)
 子供時代の憧れのクルトン。自分で好きに入れられるのだから、きっと前にもやったのだろう。今夜のように子供だった頃の自分がヒョイと顔を出して、クルトンの思い出が蘇ったはずみに。
(スープはしょっちゅう作るしなあ…)
 クルトンだって、と納得しかけて「違う」と気付いた。
 あれは自分の器ではなかった、自分はクルトンを掬って入れていたというだけ。誰かのスープにたっぷりクルトン、子供時代の夢そのままに。
 普通はこれだけの量だけれども、ここは沢山入れなくては、と。



 自分のものではなかったスープと、それにドッサリ加えたクルトン。今の自分のスープと同じ。レストランなどでは貰えない量、こんなには入れて貰えない。
 それを自分が誰かのスープに入れたとなると…。
(俺の家で作ったスープだよな?)
 レストラン勤めの経験は無いし、柔道や水泳の合宿には無いお洒落なクルトン。スープを作ったことはあってもクルトンまでは作ってはいない、見た目よりも量が大切だという場所だったから。クルトンを作る暇があったら、同じパンで一品作って来い、と言われそうな世界だったから。
(…俺の家で作るスープとなったら…)
 教え子たちがやって来る時にも、たまに料理はするけれど。
 ドカンと大皿で出すような料理が定番、それにスープをつけただろうか?
 パエリアなどの類だったら、多分、つけてはいるだろうけれど。ろくに味わいもせずガツガツと平らげる運動部員たちを相手に、洒落たクルトンなどをわざわざサービスしてやるだろうか?



 はて…、と考えたけれど、分からない。
 とはいえ、料理が好きなのが自分。たまに気まぐれでお洒落に演出したかもしれない、こういうスープも作れるんだぞ、と。クルトンも俺が作ったんだ、と。
 ただ、そうやって作ったスープ。それにクルトンを入れてやるなら…。
(公平にだぞ?)
 生徒の扱いは公平にするのが大原則。見込みがあると目を掛けてやっている教え子がいたって、食事の席で贔屓はしない。あくまで平等、スープの量も、それに加えるクルトンも。一人分だけを多くするなど、有り得ない。
 けれども、自分が他の誰かにスープを振舞うとしたなら、それくらい。
 教え子たちを家に招いての食事、他には全く思い付かない。友人たちも招くけれども、そうした時には食事よりも酒、そちらの方がメインになるから。スープにクルトンと洒落ているより、同じパンからカナッペでも作って出した方がよほど喜ばれるから。



 そうなってくると、あの記憶はやはり教え子との食事。ポタージュスープにクルトンたっぷり。生徒を贔屓はしないけれども、そんな教師ではないけれど。
(…クルトン好きのヤツでもいたのか?)
 家を訪ねて来た教え子の中に。手作りのスープを御馳走してやった運動部員たちの団体の中に。
 クルトンを入れに回っていた時、その子に頼まれただろうか。「多めに下さい」と、クルトンが大好物なんです、と。
(それだったら…)
 多分、喜んで入れてやっただろう。おかわりを頼まれるのと変わらないのだし、多めに掬って。
 「もっと入れるか?」などと冗談交じりに、山ほど掬って見せたりして。
 ついでに記憶に残っていそうでもある、それを頼んだ生徒の顔が。
 クルトン好きとは実に面白いと、遠慮しないで頼む所が気に入った、と。



 誰だったのだろう、あの生徒は。クルトンを沢山欲しがった子は。
(…誰だ…?)
 愉快な奴だ、と記憶を手繰るけれども、その子の顔が浮かんで来ない。「多めに下さい」と注文した子が思い出せない、今まで教えた子供たちの顔は一つも忘れていないのに。
 その中にいない、クルトンを多めに入れてやった子。こいつだ、とピンと来ない顔。
 けれども確かにクルトンを入れた、スプーンでドッサリ掬ってやって。
(俺がスープを作ってだな…)
 それに入れた、と思った途端。
 手作りのスープに手作りのクルトン、気前よく振舞ってやったのだった、と思った途端。
(シャングリラか…!)
 この家のことじゃなかったのか、と気が付いた。遠い記憶が蘇って来た。
 前の自分が暮らしていた船、シャングリラ。あの船の中で、前の自分が入れていた。クルトンをスプーンで掬ってたっぷり、ブルーのスープに。
 今の自分の教え子ではなくて、前のブルーのスープのために。



 遠い遠い昔、シャングリラがまだ白い鯨ではなかった頃。
 前の自分もキャプテンではなくて、厨房で料理をしていた頃。あれこれと工夫を凝らして様々な料理を作った、その時々の食材で。
 シャングリラはまだ、自給自足の船になってはいなかったから。前のブルーが人類の輸送船から奪った食料、それを頼りに生きていたから。
 そうは言っても、ブルーの能力は非常に高くて、食材が偏ってジャガイモだらけになったりした時代はほんの初期だけ。「急いで奪って急いで戻れ」とうるさく言われた時期を過ぎたら、楽々と奪いに出掛けたブルー。輸送船の積荷を短時間で見抜いて、食料も物資も充分な量を。



 人類の船から失敬して来た食材で作っていた料理。
 同じ食事なら心が豊かになるものを、とデータベースで色々調べて、ポタージュスープの演出に使えそうだと思ったクルトン。少し固くなったパンも活用できるし、美味そうでもあるし…。
 やってみよう、とパンを小さなサイコロ形に切る所から始めた試作。オーブンを使うほどの量は無いから、とフライパンを用意していたら、厨房を覗きに来たブルー。小さなブルーと似たような姿だったブルーが、刻まれたパンを指差して訊いた。
「何が出来るの?」
 こんなに小さく切ってしまって、何を作るの、このパンで…?
「スープがお洒落に変身するのさ、こいつを作って入れてやればな」
 その筈なんだ、とフライパンでカリッと焼き上げたクルトン。一つ食べてみて、その香ばしさに成功作だと確信したから、試食用にと作ってあったポタージュスープを器に注いで。
 こんな具合に使うもんだ、とクルトンをパラリと入れて見せたら。
「へえ…!」
 スープの真ん中に浮かべるものなんだね。飾りみたいに?
「な、お洒落だろ?」
 ちょっと豪華に見えてこないか、いつものスープと同じヤツでも。
「うん、そうだね!」
 それに食べたらカリッとしていてとても美味しい、と笑顔になったブルー。
 パンが素敵に変身したね、とクルトンをそのままで一つ食べてみて、次はスープに入れてみて。
 「スープに入れるのが断然美味しい」と大喜びで、「もっと沢山入れていい?」と尋ねられた。スープは今の量でいいから、四角いパンをもっと入れてもいいか、と。
「もちろんだ」
 此処で食ってるの、俺とお前しかいないしな?
 試作品だし、好きなだけ食え。お前、あんまり食わないんだから、これくらいはな。
 こいつだって元はパンだし、栄養はちゃんとある筈なんだ。それに立派な名前もあるぞ。由来は知らんがクルトンだそうだ、ポタージュスープにはクルトンだってな。



 どうやらブルーは、クルトンが気に入ったらしいから。
 試作品だったクルトンをせっせと自分のスープに入れては、嬉しそうに口に運んでいたから。
(あいつが喜んで食ってくれるんなら、って思ったんだよなあ…)
 今と同じで食が細かった、前のブルー。おかわりなどはしなかったブルー。
 そのブルーが自分から進んで食べたがったパン、正確にはパンの加工品。パンそのものなら少し食べれば「御馳走様」と言っていたくせに、クルトンは沢山食べてくれたから。スープに浮かべてやった量より、もっと余計に五つ、六つと追加で食べてくれたから…。
(あいつのスープには、沢山入れてやっていたんだ…)
 食堂で皆にポタージュスープを出した日、クルトンを披露して、大評判を取った後。
 船の仲間たちが「あれは美味かった」と、「また作ってくれ」とクルトンの味を覚えた後。
 何度も作ってはポタージュスープに浮かべたクルトン、それをブルーには多めに入れた。食堂の給仕係は他にいたから、クルトンの日だけは「俺がやる」と入れる役目を引き受けて。
 前のブルーの席に行ったら、スプーンで掬ってたっぷりと入れてやったクルトン。他の者よりもずっと多い量を、軽く二倍はあったろう量を。もっと多めの時だってあった。
(嬉しそうな顔して見ていたからなあ…)
 自分のスープにプカプカと浮かんだクルトンを。「もっと貰える?」と声に出しこそしなかったけれど、クルトンを入れる前の自分の手元を、顔を見上げる瞳が輝いていた。宝石のように。
 だから幾つも入れてやったクルトン、贔屓だと言う者はいなかった。
 ブルーのクルトンだけが多かったとしても、クルトンの元はブルーが調達して来た食料だから。それが無ければクルトンは出来ず、ポタージュスープも出来ないのだから。



(そうか、クルトン…)
 前のあいつの思い出だったか、とシーザーサラダを頬張った。これも決め手はクルトンだな、とサクサクと砕ける食感を楽しみ、ポタージュスープにもクルトンを追加。
 白いシャングリラで作ったクルトン、前のブルーにたっぷりと入れてやったクルトン。
 小さなブルーにも、これを食べさせてやりたいけれど。「覚えてるか?」とポタージュスープにクルトンを浮かべてやりたいけれども、手料理を持って行くのは無理で。
 ブルーの母に気を遣わせるから、自分で作って行けはしなくて。
(しかし、クルトンを買って行くのもなあ…)
 いつも行く食料品店の棚にはクルトンも置いてあるけれど。忙しくて作っている暇が無い時は、便利に使える品だけれども。ブルーの母は手作り派だった、よく御馳走になるから分かる。其処へ店で買ったクルトンを持って行くというのも失礼すぎるし…。
(こうなってくると…)
 ブルーの母に頼むしかないか、と腹を括った。
 土曜日が来るまでに通信でも入れて、と。
 小さなブルーと二人で食事が出来るのは週末の昼食だから。そこで思い出のクルトンを山ほど、ブルーのスープに入れて食べさせてやりたいから。



 そう考えていたら、上手い具合に次の日、寄れたブルーの家。
 仕事帰りに訪ねられたから、門扉を開けに出て来てくれたブルーの母に挨拶を済ませ、玄関へと二人で歩く途中に頼んでみた。
「すみません。厚かましいとは思うのですが…。今度の土曜日のことでお願いが…」
 昼御飯にポタージュスープを作って頂けないでしょうか、材料は何でもいいですから。
「えっ?」
 どうしてポタージュスープなのだろう、と驚いているらしいブルーの母。食材を指定すれば少しマシだったろうか、と反省しつつも、二人で入った玄関のスペースで説明をした。
「本当にスープの味は何でもいいんです。…スープよりもクルトンが大切でして…」
 クルトンを入れてあげたいんです、ブルー君に。
 実はシャングリラで私が厨房にいた頃、何度も入れてあげたのだった、と思い出しまして…。
 シャングリラの思い出の味なんです。
 ご無理をお願いして申し訳ありませんが、作って頂けるようでしたら…。
「分かりましたわ、それなら普通のポタージュスープが良さそうですわね」
 ごくごく基本のポタージュスープ。それとも、これだというスープが何かあるんでしょうか?
「いえ、普通ので充分です。こだわりたいのはクルトンですから」
 そして、クルトンは浮かべずに器に入れておいて頂けますか?
 私が掬って入れるというのが、シャングリラの思い出になりますので。
「ええ。別の器にクルトンですのね」
 それなら多めに用意いたしますわ、その方が見栄えも良くなりますし…。
 ブルーがなかなか思い出せなくても、クルトンが無くなりはしないでしょうし。



 快く引き受けてくれたブルーの母。「忘れずに、土曜日のお昼御飯にお出ししますわ」と。
 玄関スペースでそんな遣り取りをしていただけに、少し遅れたブルーの部屋へと移動する時間。
 小さなブルーが「ハーレイ、ママと話してた?」と尋ねるから。
「少しだけな」
 なあに、大したことじゃない。お前の成績のことでもないさ。
 ちょっとした時候の挨拶ってヤツだ、たまにはそういうことも大事だ、いい天気ですねと。
「ふうん…?」
 いいお天気が続いているけど、大人って、ちょっぴり面倒かもね。
 ぼくなんか、友達の家に行っても、「こんにちは」って挨拶してるだけだよ、それで充分。
 …前のぼくだと、「こんにちは」では済まなかったけど…。
「ほらな、そいつと同じだ、同じ」
 大人ってヤツには色々あるんだ、チビと違って。たかが天気の話でもな。
 だから…、と誤魔化しておいたブルーの母との立ち話。
 クルトンのことは話さなかった。もちろんポタージュスープのことも。
 ブルーの母にも「ブルー君を驚かせたいので」と口止めしたから、秘密は漏れはしないだろう。前の自分たちの記憶を呼び戻すクルトンのことは。小さな四角いクルトンの遠い思い出話は。



 そうしてブルーが何も気付かないまま、土曜日が来て。
 クルトンの名前も、ポタージュスープも、まるで関係無いことをブルーと話して、笑い合って。
 やがて迎えた昼食の時間、運ばれて来たポタージュスープ。約束通りに、クルトンを別の小さな器にたっぷりと入れて、スプーンもつけて。
 小さなブルーはニコニコとして、昼食の皿が並んでゆくのを見ていたけれど。野菜のキッシュやパンのお皿が全て揃うのを待っていたけれど、用意が整って母が出て行った後。
 赤い瞳でテーブルの上をまじまじと眺め、困ったように呟いた。
「ママ、忘れたまま行っちゃった…」
 クルトンを入れずに出て行っちゃったよ、ごめんね、ハーレイ。
 お客様に自分で入れさせるなんて、あんまりだから…。ぼくが入れるよ、ママの代わりに。
「いや、お母さんは忘れたんじゃない。俺が頼んだんだ」
 クルトンは別に出して下さいと、この前、俺が来た時にな。
「え? なんでクルトン…」
 どうしてクルトンが別なのがいいの、スープに入れて直ぐのが好きなの?
 キッチンからママが入れて来たんじゃ、湿ってしまって美味しくないとか…?
「おいおい、そういう贅沢を言うと思うか、この俺が?」
 好き嫌いが無いというのも売りだが、今では前の俺の記憶もあるってな。
 グルメなんかを気取ってられるか、キャプテン・ハーレイなんだぞ、俺は。
 クルトンは入れたばかりでないと、なんて食通ぶりを発揮するどころか、すっかり冷めたスープだってだ、「美味しいですね」と言える自信があるんだが?
 その俺だ、前の俺の話だ。
 思い出さんか、このクルトンとポタージュスープを見たら…?



 お前のスープにはクルトン多めだ、とパチンと片目を瞑ってみせた。
 キャプテン・ハーレイの話ではなくて、俺が厨房にいた頃なんだが、と。
「クルトンの時だけは、俺が給仕に回ったんだが…。普段はやってはいなかったけどな、配膳係」
 俺がクルトンの器を持って回って、端から順に入れていくんだ、スプーンでな。
 前のお前の所まで来たら、うんと多めに掬ってやって。
 …そうだな、こんな具合だったな、前のお前のスープにだけは。
 ほら、と掬って入れてやったクルトン。ブルーのスープに、スプーンで掬って。
 小さなブルーは目を丸くしてから、「ああ…!」と顔を輝かせた。
「思い出したよ、ハーレイのクルトン!」
 いつも沢山入れてくれたよ、ぼくのスープに。
 最初は試作品を作っていたよね、厨房でパンを小さく切って。フライパンで焼いて、クルトンが出来て…。スープに入れたのを貰ったんだっけ、ぼくが一番最初に。
 あれからクルトンが食堂に出来て、ハーレイが配って回ってて…。
 ぼくのスープには、いつでも沢山。
 もっと欲しいな、って思った分だけ、いつもドッサリくれていたんだよ、何も言わなくても。
 前のぼくは思念も飛ばしてないのに、ハーレイは分かってくれていたっけ。
 嬉しかったんだ、あのクルトン。
 ぼくだけオマケでうんと沢山貰ったけれども、材料は固くなったパンだったしね。



 他の食べ物と違って遠慮しないでドッサリ貰えた、と小さなブルーは笑顔だから。
 材料が何か分かっていたから、好物を沢山食べられたっけ、と懐かしそうにスープを掬うから。クルトンを食べて、「うん、この味!」と本当に嬉しそうだから…。
「ふうむ…。ガキはクルトンが好きなんだよなあ…」
「え…?」
 ガキってぼくのことなの、ハーレイ?
 それとも、前のぼくのことかな、クルトンを沢山入れて貰って喜んでた頃の。
 ハーレイがキャプテンになった後にはクルトンの係は代わっちゃったし、「もっと入れて」って頼まなかったから…。
 みんなと同じ量のクルトンがあれば充分だったし、前のぼくが今と同じでチビだった頃…?
「そうじゃなくてだ、ガキっていうのは俺のことだ」
 今の俺がガキだった頃に好きだったんだ、このクルトンが。
 レストランで多めに入れて貰えたら嬉しかったし、もっと入れて欲しいと思ってたもんだ。
 そいつを懐かしく思い出してて、スープにクルトンをドカンと入れて…。
 ガキの頃の夢だと、こいつがやりたかったんだ、と食っていたら思い出したんだよなあ、前にもこういうことがあったな、と。
 クルトン多めだとスープに入れたと、あれはいつだったかと考えていて…。
 今の教え子かと思ったんだが、そうじゃなかった。前のお前のスープに入れていたんだ、お前の好物だったからな。入れてやったら嬉しそうだから、山ほど、クルトン。



 ガキはクルトンが好きらしいな、と話してやった自分の子供時代。
 前のお前が好きだったのも、子供だったせいかもしれないな、と言ったのだけれど。
「それ、違うかもしれないよ。…ハーレイ、ぼくのことを覚えていたとか…」
 クルトンが好きだった前のぼくのこと、ハーレイ、覚えていたんじゃないの?
 それで沢山入れて貰うと嬉しかったっていうことはない?
 前のハーレイの記憶は戻ってなくても、クルトンは沢山入れるんだ、って。
「まさか…。いくらなんでも、偶然だろう」
 俺は本当にクルトンが好きで、沢山入れて貰った時には得をした気分で。
 今だってガキの頃の夢だと山ほど食ったぞ、この記憶が戻って来た日の夜に。
 シーザーサラダとポタージュスープで、クルトン、沢山食っていたしな?
 お前もシーザーサラダは知っているだろ、アレはクルトンが無いと全く話にならないだろうが。
 だから関係無いと思うぞ、前の俺の記憶というヤツは。
 前のお前の好物がアレだと覚えていたとは思えないがな、クルトンが多めだったってこと。



 そうは言ったものの、そうかもしれない。
 自分でもまるで気付かない内に、前のブルーの好みを真似していたかもしれない。
 前の自分が愛したブルー。最後まで恋をしていたブルー。
 その恋人が子供の姿をしていた頃に好きだったクルトン、それはこうして食べるものだと。
 ポタージュスープにたっぷりと入れて、カリッとしたのを心ゆくまで。
 多いほどいいと、嬉しいものだと、それを好んだ人の真似をして。無意識の内に恋人を追って。
 前の自分が失くしてしまった愛おしい恋人、その恋人が好んだクルトン。
 それが欲しいと、それが食べたいと、前の自分がヒョッコリ出て来ていたかもしれない。
 なにしろ自分は好き嫌いが無かったのだから。
 クルトンの量など、さほどこだわらなくてもいいのに、何故か多めが良かったクルトン。
 これが好きだと、今日は多めだと嬉しかったのは、きっと…。



 前の自分か、と思い当たった。今頃になって。
 クルトンが沢山入ったスープが好きだった子供時代の自分は、前のブルーを真似ていたのかと。
「そうか、俺は…。知らずにお前の真似をしてたんだな、前のお前の」
 スープにクルトンを入れるんだったら多めでないと、と前のお前を見てたってわけか…。
 前のお前を俺はすっかり忘れていたのに、お前の食べ方、覚えていたのか…。
「きっとそうだよ、ハーレイだもの」
 ぼくにクルトンを多めにくれてた頃から…。ううん、アルタミラで初めて会った時から。
 ハーレイはぼくの特別だったし、ハーレイもそれは同じでしょ?
 だから忘れていなかったんだよ、前のぼくのこと。
 クルトンを沢山入れたスープが好きだったことも、ハーレイが多めに入れてくれたことも。
「そうなんだろうな、俺は忘れていなかったんだな…」
 前のお前がいたってことを。スープに沢山、クルトンを入れてやってたことを。
 …そう言うお前はどうなんだ?
 今もクルトンは多めがいいのか、さっきたっぷり入れてやったが。
「クルトン…。多めがいいな、って思うほど沢山食べられないから…」
 パパやママとレストランで食事をしたって、すぐにお腹が一杯になるし…。
 最初に出て来るスープの時から「多めがいいな」って思ったりはしないよ、クルトンだけでも。
 お料理、全部食べ切れるかな、って心配ばかりで、多めなんかは絶対に無理。
 もっと少ない量でいいのに、って考えながら飲んでるスープに、クルトンは沢山要らないよ。



 小さなブルーに、クルトンは多めがいいと思った記憶は無いと言うから。
 前の自分とは違うようだと首を振り振り、クルトンたっぷりのスープを掬っているから。
「そりゃ残念だな、こうして用意をしてやったのにな?」
 わざわざお前のお母さんに頼んで、前のお前の好物を出して貰ったのに…。
 今のお前はクルトンはどうでも良かったんだな、前と違って…?
「そうみたいだけど…。前のぼくが好きだったことは、すっかり忘れたみたいだけれど…」
 でも、ハーレイが覚えてくれていたなら、充分だよ。
 子供の頃から、ずっと覚えてて、クルトンは多めがいい、って思って食べて…。
 ハーレイのお蔭で思い出せたよ、前のぼくのこと。
 自分でも忘れてしまっていたのに、ハーレイ、覚えていてくれたんだ…。



 凄く嬉しい、とブルーが微笑むから。
 前の記憶が戻る前から真似をしてくれていたなんて、と幸せそうな笑みを浮かべているから。
「明日には忘れちまっているかもしれないんだがな、クルトンのことは」
 たまたま思い出したっていうだけなんだし、いつまで覚えているやらなあ…。
 次にクルトンを食った時には、綺麗サッパリ忘れているってこともあるよな、前の俺のことは。
「うん、ぼくも…」
 ハーレイみたいにクルトンに特別な思い出が無い分、ハーレイよりも早く忘れそう。
 ママが「クルトンの思い出って、なんだったの?」って訊いてくれても、「なんだっけ?」って言ってそうだよ、明日になったら。
 ぼくよりもパパとかママの方がずっと頼りになるかも、クルトンのことは。
 今日の間に訊いてくれたら、二人とも、ちゃんと覚えていそうだから…。
 前のぼくの思い出、今のぼくのと同じくらい大事にしてくれてるから、パパとママは。
 …ぼくが話した思い出は、全部。



 ハーレイと恋人同士だってことは話していないよ、と肩を竦めるブルーだけれど。
 前のブルーの思い出話のクルトンのことを、ブルーの両親が耳にして覚えてくれるかどうかは、まるで予想がつかないけれど。
 もしも、今夜の夕食の席でクルトンの話題が出ずに終わって、ブルーも自分も、それをすっかり忘れたとしても、またいつか思い出すだろう。
 結婚して二人で暮らし始めたら、食卓にクルトンも出るだろうから。
 スープの皿に入れようとして思い出すとか、入れて貰って思い出すだとか。
「クルトンか…。お前と結婚した後に思い出したら、たっぷりと入れてやらんとな」
 今日のスープみたいに、お前の皿に。このくらいだったな、と景気よくな。
「うん、お願い」
 ハーレイが入れてくれるんだったら、沢山が好き。前のぼくと同じで多めのがいいよ。
「よし。ついでにシーザーサラダも作るか」
 クルトンを沢山作るとなったら、シーザーサラダも是非、作らんとな。
「ハーレイ、得意?」
「うむ。シャングリラには無かったような豪華版だぞ、現にこの前のもそうだった」
 海老をドッサリ入れていたんだ、シャングリラに海老はいなかったろうが。
 あれは養殖していなかったし、白い鯨になった後には海老の料理は無理だったってな。
 海老に限らず、シーザーサラダは色々あるしな、美味いのを作って食わせてやるか。



 前の俺には作れなかったヤツを作ってやろう、と約束した。
 ふんだんに手に入る地球の食材、それを使ってうんと豪華に、と。
「きっと美味いぞ、地球の食材は何でも美味いんだからな」
 そいつを沢山使って作れば、もう最高に美味いシーザーサラダの出来上がりだ。
 ポタージュスープもシーザーサラダもクルトンたっぷり、前のお前の大好物を山ほどな。
「いつかやろうね、そういうクルトン一杯の食事」
 ハーレイと二人きりで食べられるんだし、前よりもずっと美味しいよ、きっと。
「だろうな、今度はお前と結婚出来るんだしな」
 俺たちの家で二人で食べよう、クルトンのことを思い出したら。
 前のお前は好きだったよな、と多めにたっぷり入れていたことを今みたいに思い出したらな…。



 今日のクルトンは忘れてしまうかもしれないけれど。
 自分もブルーも、また忘れるかもしれないけれど。
 いつか結婚して二人で暮らし始めたらきっと、忘れてもまた思い出す。
 何度忘れても、また思い出して、クルトンを作って、二人で食べて。
 そしてポタージュスープとシーザーサラダが揃う食卓が、定番になってゆくのだろう。
 何度もクルトンを作っている内に、シャングリラの思い出が刻み込まれて。
 子供時代の自分の中にも、前の自分がいたように。
 クルトンが沢山入ったスープが好きだった人を、無意識に真似ていたように。
 その恋人とまた巡り会って、恋をして、共に生きてゆく。
 今度こそ二人離れることなく、この青い地球で、しっかりと手を繋ぎ合って…。




           クルトンの記憶・了

※前のブルーが大好きだったクルトン。前のハーレイがブルーにだけ多めに配ったもの。
 残念なことに、今のブルーに好みは継がれていませんでしたが…。いつか二人でたっぷりと。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv











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