シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(うー…)
暑い、とブルーが思わず零した学校からの帰り道。路線バスを降りて家まで歩く途中で、口からポロリと漏れた一言。本当に暑く感じるから。
夏の季節はとうに終わって、秋と呼ぶのが相応しい今。カレンダーでも、日々の気温も、草木の様子も空の色も。なのに何故だか暑く思えてしまう今日。長袖の制服が身体に絡み付くよう。
(…ホントに暑い…)
ハーレイは今日の古典の授業で「小春日和」と言っていたけれど。秋らしくない暖かすぎる日、それを指すのが小春日和という言葉。遥かな遠い昔にこの地域にあった小さな島国、日本の言葉。アメリカでは「インディアン・サマー」と呼ばれていたらしい、遠い昔に。
小春日和は晩秋のものだとかで、こう付け加えていたハーレイ。「正確には、小春日和ってヤツには少しばかり早いんだがな」と、「季節外れの残暑と言うべき所かもな」と。
(小春日和でも、季節外れの残暑でも…)
気温が高すぎ、と零れる溜息。学校や路線バスは空調が効いていたけれど、外へ出たなら空調は無くて。日射しが痛いとまでは思わなくても、夏が戻って来た気分。
実際の気温は、きっと夏には及ばないけれど。真夏だったら涼しく感じる程だろうけれど。
(…でも、暑いよ…)
この季節には珍しい、汗ばむ陽気。制服が夏服でない分、余計に。
あまりに暑くて、家に帰ったら冷たいものが欲しいけれども。
(アイスは無理…)
ひんやりと溶けるアイスクリームが食べたいけれど、母は買ってくれてはいないだろう。作ってくれているわけもない。
夏の盛りの頃ならともかく、今は秋。本来だったら涼しい季節にアイスクリームを食べるなど、身体に悪いと母は考えるに決まっているから。丈夫ではないのが自分だから。
それでも冷たい何かが欲しい、と祈るような気持ちで家まで帰って。
門扉を開けて庭を通り抜け、玄関の扉に辿り着くなり、中に入るなり「ただいま」の続きに奥に向かって叫んでしまった、「お帰りなさい」と出て来た母に。
「暑かったー!」
とても暑かったよ、もうヘトヘトだよ…!
「そうねえ、暑い日になっちゃったわね。疲れたでしょう、早く着替えていらっしゃい」
冷たいものを用意してあげるから、と笑顔の母。着替えたらダイニングにいらっしゃい、と。
「ありがとう、ママ!」
一気に元気が湧き上がって来た。家までの道は暑かったけれど、冷たいものが待っているらしいダイニング。おやつの時間を過ごすテーブル。
(もしかして、アイス?)
母がわざわざ口にするからには、その可能性もあるだろう。買い物に行ったか、庭仕事なのか、外の暑さをじかに感じて、その中を帰って来る自分のために用意してくれたとか…。
(買ってくれたのかな、それとも作った?)
どちらにしたって期待出来る、と大喜びで着替えを済ませた。半袖は流石に叱られそうだから、薄手の長袖。制服よりはずっと涼しくなった。
後は冷たいアイスクリームで身体の中から冷やすだけ、と階段を下りて行ったのだけれど…。
ダイニングのテーブルに着いて、ワクワクしながら待った自分の前にコトリと置かれたグラス。心を躍らせたアイスクリームの代わりにグラスで、パフェなどの類にも見えないから。
「なにこれ…」
これはなあに、と指差したグラス。うっすらと露はついているけれど、氷も入っていないから。
「ミルクセーキよ。ちゃんと冷たい牛乳を使って作ったのよ」
シロエ風のホットミルクよりいいでしょう、と微笑む母。今日は暑いから、これの方が、と。
確かにシロエ風のホットミルクよりはいいけれど。マヌカの蜂蜜がたっぷり入った温かい牛乳を出されるよりかは、この方がずっとマシだけれども。
「…アイスじゃないんだ…」
うんと暑かったから、アイスクリームが欲しかったのに…。
冷たいものってママが言うから、もしかしたら、って期待してたのに…。アイスクリーム。
「あら、材料は似たようなものよ。アイスクリームも、ミルクセーキも」
どっちも牛乳と卵とお砂糖で出来るの、作り方と冷やし方の違いで変わるのよ。
アイスクリームも作れるけれども、それじゃ身体に悪いでしょう?
暑いのは今だけ、夕方になったら一気に冷えてくると思うわ。だから身体を冷やしちゃ駄目よ。
ミルクセーキに氷も入れていないでしょう。このくらいがいいのよ、ブルーの身体とお腹には。
冷やしすぎは本当に良くないの、という母の心遣いに我儘は言えないから。
今のハーレイの好物だというパウンドケーキも焼いてくれてあるから。
文句は言えない、アイスクリームが出て来なくても。ミルクセーキしか無いテーブルでも。
仕方なく飲むことにしたミルクセーキ。氷も浮かんでいないグラス。
外側に露がついていたって、きっとそれほど冷えてはいない。冷たい牛乳を使った分だけ、その分だけの冷たさなのに違いない。
そう考えたら悔しくなる。同じ材料で出来ると言うなら、アイスの方が良かったのに、と。
(でも、今日はハーレイが好きなパウンドケーキ…)
母が焼くパウンドケーキは、ハーレイの母が作るパウンドケーキと同じ味だと聞いている。別の人が作ったとは思えないほどに似ていると。それを知って以来、特別なパウンドケーキ。
ミルクセーキをお供に食べるおやつは、パウンドケーキなのだから。
それに小春日和という言葉をハーレイの授業で教わったから。
いい日なんだと、きっと幸せな日なのだろうと思うことにして、ミルクセーキをグラスから一口飲んだら。コクリと喉へと送り込んだら。
(あれ…?)
知っている味、と弾んだ心。
この味をぼくは知っているよ、と。
(…当たり前でしょ?)
味は知っていて当然だもの、と呆れてしまった自分の反応。喜んでいる自分の舌と喉。
ミルクセーキなら幼い頃から何度も何度も飲んでいるのだから、お馴染みの味。暑い夏が過ぎて御縁が無くなっただけで、この夏だって何度も飲んでいた筈。
それをそこまで喜ばなくても、と自分の単純さに驚かされる。小春日和の暑い日に飲んだ冷たい飲み物、それだけで嬉しくなるのだろうか、と。
でも…。
(ハーレイ…?)
何故だか浮かぶハーレイの顔。パウンドケーキが好きな恋人の顔。
ミルクセーキを夏休みに二人で飲んだだろうか?
夏休みでなくても、ミルクセーキが似合いの季節に。初夏の頃とか、残暑だとか。
(そうなのかも…)
部屋では確かに飲んだ筈。今日のよりも冷たいミルクセーキを、氷が浮かんでいたものを。部屋だけでなくて、きっと庭でも飲んだのだろう。庭で一番大きな木の下、白いテーブルと椅子がある場所、初めてのデートの思い出の場所で。お気に入りの庭のテーブルと椅子。
あそこだったら、何でも特別に思えるから。デートの気分で過ごしているから、ミルクセーキも素敵な味がしたのだろう。今日のデートはミルクセーキ、と。
(…でも…)
一度は納得しかけたけれども、それにしては妙に懐かしすぎる。ミルクセーキの味わいが。喉をスルリと滑り落ちて行った味が、滑らかで甘い独特のコクが。
舌と喉とが喜んだ味が、その記憶が何故か遠すぎる。庭のテーブルと椅子で飲んでいたのなら、間違いなく夏のことなのに。夏の終わりでも残暑の頃でも、一つ前の季節のことなのに。
けれど遥かに遠い気がする、さっき心が弾んだ味。ミルクセーキの味を知っているのだと喜んだ心、飛び跳ねた心は夏よりも前のものに思えて。
(なんで…?)
ミルクセーキは夏のものなのに。それにハーレイとミルクセーキを飲んだ夏なら、今年の夏しか無い筈なのに。
どうしてそういう風に感じるのか分からない、とミルクセーキをもう一口。
まさか前のぼくだったわけでもあるまいし、と。
そうしたら…。
牛乳と卵黄、それから砂糖。滑らかになるまで泡立て器で混ぜたミルクセーキ。喉の奥へと滑り落ちた味、舌に残った優しい甘さ。
(ハーレイのだ…!)
思い出した、と蘇った記憶。遠い遠い昔、遠く遥かな時の彼方で飲んだミルクセーキ。白い鯨になる前の船で、シャングリラと呼ばれていた船で。
あの船の厨房で、前のハーレイがミルクセーキを作ってくれた。まだキャプテンの任に就いてはいなくて、あそこで料理をしていた頃に。
「まあ、飲んでみろ」とハーレイが差し出したミルクセーキ。作り立てのものを。
(…あの味だっけ…)
知っている筈だ、とミルクセーキを味わってみる。この味だったと、同じ味だと。
(…牛乳と卵と、それからお砂糖…)
たったそれだけの材料で出来る飲み物だけれど。今の自分には珍しくもないものだけど。
シャングリラで飲んだミルクセーキの味は、とても大切な思い出だから。
(此処のテーブルで考えてるより…)
部屋で懐かしい記憶を追いたい、時の彼方の遠い記憶を手繰り寄せたい。ミルクセーキの味だけ舌に残して戻って、部屋でゆっくり。
(うん、この味…)
こういう甘さで、この舌触り、と舌と喉とに覚え込ませて。ハーレイが好きなパウンドケーキも慌てずにしっかり味わってから、空になったお皿やグラスをキッチンの母に返しに行って。
「御馳走様」と二階へと続く階段を上った、一刻も早く戻らなくては、と。
そうして戻った自分のお城。青の間とは比べようもない小さな部屋でも、今の自分が住んでいるお城。勉強机の前に座って、頬杖をついて遠い記憶の中に浸った。
(ハーレイのミルクセーキ…)
あの味だった、と舌と喉とに残っている味を思い出す。あれとおんなじ、と。
シャングリラが自給自足の船ではなかった、ハーレイが厨房にいた時代。食料は全て前の自分が人類の輸送船から奪って手に入れ、ハーレイはそれを料理していた。食材が偏ってしまった時でも工夫を凝らして、皆を飽きさせないように。あれこれ試作し、様々なものを。
何かと言えば試作品を作っていたハーレイに、ある時、「厨房に来ないか」と声を掛けられた。栄養のつくものを飲ませてやろう、と。
栄養を摂るなら料理だとばかり思っていたから、新作のスープかシチューだろうと思ってついて行ったのに。飲むならそれだと考えたのに。
「…なあに?」
ハーレイが用意した材料はたったの三つで、しかも一つは砂糖だから。砂糖の入ったシチューやスープは知らないけれど、と首を傾げて何が出来るのか尋ねたら。
「いいから、見てろ」
こいつはだな…。シチューでもスープでもなくてだな…。
ハーレイがパカリと割った卵は、白身は使わないようで。他の器に入れて冷蔵庫の中へ片付けてしまった、「こっちは何に使うかな…」などと言いながら。
牛乳と卵黄、それから砂糖。ボウルの中で泡立て器でシャカシャカ手際よく混ぜて、「ほら」と作ってくれた飲み物。ガラスのコップにたっぷりと注いで渡された。
「ミルクセーキだ、そういう名前の飲み物なんだ」
ちょっと美味いぞ、この前、コッソリ作ってみたからな。少しだけの量で。
卵の料理を作っていた時に、とハーレイが悪戯小僧のような笑みを浮かべて保証するから。
「ふうん…?」
ミルクセーキって言うんだ、これ?
卵の黄身しか使わないなんて、なんだかとっても贅沢そうだね…。
興味津々でミルクセーキなるものをコクリと飲んだら、甘くて、卵黄のせいかコクがあって。
ハーレイが自信を持って勧めたわけだと、誘われたわけだと嬉しくなった。餌と水しか無かったアルタミラ時代のせいで好き嫌いは全く無いのだけれども、美味しいものは分かるから。美味しい食べ物を口にしたなら、幸せが胸に広がるから。
「美味しいね、これ。…ミルクセーキ」
ハーレイ、ぼくのために作ってくれたの、コッソリ試してみてたってことは?
「偶然、レシピを見付けたからな。しかしだ、この通り、材料がなあ…」
卵の白身は使わないと来た、飲み物にしては贅沢すぎだ。他のヤツらには出せんぞ、これは。
だが、栄養はたっぷりあるし…。背も伸びそうだから、お前に作ってやることにした。
「背が伸びるって…。ホント?」
ミルクセーキでぼくの背が伸びるの、本当に?
「作るのを見てたろ、牛乳が入っているからな。背を伸ばすんなら牛乳だぞ」
おまけに骨も丈夫になるんだ、お前にピッタリの飲み物じゃないか、ミルクセーキは。
頑張って早く大きくならんとな、と大きな手でクシャリと撫でられた頭。
お前はずっと子供の姿でいたんだから、と。
もう成長を止める必要は無いし、こいつを飲んで大きくなれよ、と。
(ミルクセーキで背が…)
伸びるぞ、と微笑んでくれたハーレイ。卵黄で栄養もつくからと。
ただ、材料が贅沢だから。食堂で他の仲間たちにも飲ませていたなら、卵白が余りすぎるから。嗜好品とも言える飲み物にそれは出来ない、と頭を振っていたハーレイ。食料事情が安定しないと作れはしないと、この船の中で牛乳も卵も賄えるようになれば別なんだが、と。
それでも、ハーレイはミルクセーキを作ってくれた。「一人分ならなんとかなるさ」と、何度も厨房に呼んでくれては、「コッソリだぞ」と念を押して。「お前の分しか無いんだから」と。
(そうだったっけ…)
他の仲間が厨房にいない、試作の時間。ハーレイが好きに厨房を使える時間。
そういう時に何度も作って貰った、ミルクセーキを。「作ってやるから」と厨房に呼ばれて。
牛乳と卵黄と砂糖から作る栄養たっぷりの甘い飲み物、背が伸びるというミルクセーキ。何度も飲ませて貰っていたのに、ハーレイが厨房にいなくなったら、ミルクセーキはなくなった。
シャングリラのキャプテンになったハーレイはもう、厨房には立たなかったから。厨房で試作をすることは無くて、ミルクセーキをコッソリ作れはしなかったから。
飲めなくなってしまったミルクセーキ。作ってくれるハーレイがいなくなったから。ハーレイは前と変わらずいたのだけれども、居場所が変わってしまったから。
(あれっきりだっけ…?)
ミルクセーキは消えてしまったんだっけ、と遠い記憶を探ってみる。前の自分の背はぐんぐんと伸びて、年齢を止める所まで育ったけれど。ミルクセーキの助けは無かった、背が伸びる美味しい飲み物はもう貰えなかった。
(…他の栄養で伸びたんだよね?)
前のぼくの背、と溜息をつく。ミルクセーキが無くても栄養は充分に摂れたし、牛乳も卵も他の食べ物に入っていたのだから、と。
ハーレイが作るミルクセーキで伸ばせなかったことは寂しいけれど。あれで育ったのなら幸せも大きかっただろうに、と思うけれども、ハーレイは別の所で助けてくれたから。
キャプテンとして船を纏めて、リーダーと呼ばれていた自分を補佐してくれたし、ソルジャーになった後にもずっと右腕でいてくれたのだし、ミルクセーキを残念がっても仕方ない。
「コッソリだぞ?」と作ってくれていたミルクセーキよりも、ずっと自分の役に立つことをしてくれていたのがハーレイだから。キャプテン・ハーレイだったのだから…。
そうは思っても、寂しい心。ハーレイが作るミルクセーキは消えたのだった、と。
(あんなに優しい味だったのに…)
前のハーレイのミルクセーキ、と遠い遥かな記憶を手繰れば、不意に現れたハーレイの笑顔。
とびきりの笑顔のハーレイが青の間に立っていた。「懐かしいでしょう?」と。
キャプテンの制服をカッチリと着込んだハーレイの手にあった、厨房のトレイ。青の間へ食事を運ぶ係が使っているものと同じトレイで、上にはグラス。ミルクセーキが入ったグラスが二つ。
持って来てくれたのだった、懐かしい飲み物を厨房から。
こういう贅沢な飲み物が作れるくらいに、シャングリラの食料事情は安定しましたよ、と。
「覚えていらっしゃいますか、ブルー?」
ミルクセーキですよ、私が厨房の責任者だった頃には何度も作っていたものですが…。
これを堂々と作れる時代になりました。卵も牛乳も、もう当たり前のものになりましたからね。
「…君が作ってくれたのかい?」
グラスは二つあるようだけれど、君の分まで作れたのかい?
ぼくが作って貰っていた頃には一人分だけで、君は味見に少し飲んでいただけだったのに。
「いえ、残念ながら…。材料は豊富にあるのですが…。私の分まで作れるのですが…」
ここで私が「自分でやるから」と作り始めたら、大変なことになりますよ。
いくら厨房の出身だったと知られていたって、初めての筈のミルクセーキを慣れた手つきで作り始めたら、昔のコッソリがバレますからね。作る機会がいつあったんだ、と。
「それもそうだね、君の手際が良すぎるわけだね」
あれだけ何度も作ってたんだし、わざと失敗してみせたのでは不自然すぎるし…。
バレないためには作らないのが一番いいよね、ミルクセーキは。
ハーレイが厨房でコッソリ作っていたミルクセーキ。シャングリラの中だけで卵も牛乳も賄える時代になった今では、バレても時効で笑い話で済みそうだけれど。
キャプテンが盗みはやっぱりマズイと、ソルジャーが一人だけ贅沢な飲み物を飲んでいたこともマズイだろうと、ミルクセーキの話は隠しておくことになった。
「犯罪者は私だけなのですが…」
厨房で盗みを働いていたのは私一人で、あなたはミルクセーキを飲んでらっしゃっただけで…。
「コッソリなんだと知っていて飲んでいたわけだからね、共犯と言うんじゃないのかな?」
ぼくが「作って」と頼んだわけではないけれど…。「作るな」とも言っていないから。
「なるほど、止めてらっしゃらないなら、共犯なのかもしれませんね」
卵の貴重さは、あなたも充分に御存知でしたし…。
飲み物に仕立ててしまうよりかは料理するのが本当だろうと、承知しておられたわけですし。
それでも「やめろ」と仰らないまま、作る所を御覧になっていらっしゃったということは…。
犯罪行為を放っておいでになったのですから、リーダーらしからぬ行動ですね。
「そうだろう?」
だから共犯だよ、ぼくだって。
一生隠しておくしかないってことなんだろうね、君が本当はミルクセーキを作れることは。
どうやら二人して犯罪者らしい、と笑い合って飲んだミルクセーキ。
ハーレイが作ったものではなかったけれども、とても懐かしい味がする、と。
牛乳と卵黄、それから砂糖。白い鯨になったシャングリラだからこそ出来る贅沢、誰もが飲めるミルクセーキ。ずっと昔に飲んでいたとは言えはしないと、作っていたことも秘密にせねばと。
(あれから何度も…)
頼んだのだった、ハーレイが青の間へ来る時に「ミルクセーキを持って来て」と。
とっくに背丈は伸びていたのに、とうの昔に年齢も止めてしまっていたのに。
だから笑っていたハーレイ。ミルクセーキを満たしたグラスを持ってくる度に。
「これを飲んでも、あなたの背丈はもう伸びませんよ?」
私があなたに作っていた頃とは、すっかり事情が違うのですが…。
シャングリラの食料事情も変わってしまいましたが、あなたのお身体にもミルクセーキはとうに必要ないのでは…?
「骨を丈夫にするんだよ。牛乳が入っているんだから」
牛乳と言えばカルシウムだろう、骨が丈夫になる筈だよ。ミルクセーキを飲んでいればね。
そんな屁理屈を言いながら飲んだ。年齢を止めてしまった身体の骨が丈夫になるなどと言えば、ノルディに笑い飛ばされたろうに。「そういうことはありませんよ」と、「カルシウムはとっくに足りているものと思われますが」と。
それでも、かつてはハーレイが作ってくれていたミルクセーキ。その懐かしい味が飲みたくて、何度もハーレイに注文していた。「本当は君が作ったミルクセーキが飲みたいのに」と。
恋人同士になった後にも、何度その望みを口にしたことか。
「君が作ったのが飲みたいな…」
共犯だったことがバレてもいいから、またあのミルクセーキを作って欲しいな。
こうしてミルクセーキを飲むとね、君が作ってくれていた頃を思い出すんだよ、今でもね。
「野菜スープが限界ですよ」
ソルジャーのためにキャプテンが何か作るとなったら、あれくらいです。
あのスープでしたら、誰もが承知しておりますし…。ブリッジを抜けて作りに行っても、変だと思う者は一人もいませんが…。
ミルクセーキとなったら話は別です、ソルジャーのお好きな飲み物を何故キャプテンがわざわざ作りに行くのです?
野菜スープは私のレシピだと知られていますから、誰かに「任せる」と言わない限りは作るのは私の仕事でしょうが…。ミルクセーキは既にレシピがあるのですからね、厨房に。
それを私が作っていたなら恋人同士なのがバレますよ、と指摘されればそうだから。他の仲間に仲を疑われ、本当にバレるかもしれないから。
ハーレイが作るミルクセーキを味わえないことは、仕方ないとは思ったけれど。
「でも、いつかまた飲んでみたいよ」
君が作れそうなチャンスが来たなら、あの懐かしいミルクセーキを。
「では、シャングリラが地球に着いたら作りましょう」
地球に着いたら、ソルジャーもキャプテンも、お役御免になるでしょうから。
肩書きが無くなってただのミュウになれば、恋人同士だと皆に明かしても大丈夫ですし…。
私たちの仲を隠さなくても良くなったならば、また作りますよ。地球に着いたら。
あなたのためにミルクセーキを、とハーレイは約束してくれたけれど。
地球の牛乳や卵黄や砂糖、それを使って作ると言ってくれたのだけれど。
(…ぼくの寿命が…)
尽きると分かって、夢は儚く消えてしまった。地球へ行く夢。白いシャングリラで辿り着く夢。
自分がシャングリラを守り続けて、ハーレイが舵を握って、いつか。青い地球まで。
その夢は消えて、ミルクセーキも頼まなくなった。飲めば悲しくなってしまうし、胸がツキンと痛くなるから。「ハーレイが作るミルクセーキはもう飲めない」と涙が零れてしまうから。
(それっきり…)
ハーレイに「ミルクセーキを持って来て」とは頼まなくなって、やがてジョミーを船に迎えて。
前の自分は深い眠りに就いてしまって、目覚めた時には永遠の別れが待っていた。たった一人でメギドへと飛んで、別れてしまった前のハーレイ。
飲めなくなったミルクセーキ。
前の自分は死んでしまって、ミルクセーキを頼むことさえ出来なくなってしまったから…。
幸せな思い出も沢山あるのだけれども、最後は悲しい思い出しか無いミルクセーキ。
前のハーレイにもう一度作って貰えないまま、終わってしまったミルクセーキ。
(…ハーレイ、覚えているのかな?)
今も覚えてくれているのだろうか、あの懐かしい飲み物を。皆には内緒でコッソリ作って、前の自分に飲ませてくれていたミルクセーキを。
訊いてみたい、と窓の方へと視線を向けたら、聞こえたチャイム。窓に駆け寄れば、門扉の所で手を振るハーレイ。
最高のタイミングで来てくれた恋人、仕事の帰りに寄ってくれたハーレイ。母がお茶とお菓子をテーブルに置いて去ってゆくなり、勢い込んで問い掛けた。
「あのね、ハーレイ。…ミルクセーキを覚えてる?」
「ミルクセーキ?」
覚えてるかって…。俺にわざわざ訊くってことはだ、レシピの話ってわけじゃなさそうだな?
たまに作って飲んではいるがだ、そいつのことではないんだろうな…?
「…今も作るの、ミルクセーキを?」
前のハーレイが作ってたんだよ、まだ厨房にいた頃に。卵の黄身しか使わないなんて、凄く贅沢だった時代に。…飲み物のためにだけ、そういう使い方をしたらマズイだろう、っていう頃に。
前のぼくのために作ってくれたよ、「コッソリだぞ」って。ぼくの分しか無いんだから、って。
「ああ、あれなあ…!」
ミルクセーキを作っていたんだっけな、前の俺もな。
前のお前がチビだった頃に、厨房に呼んでは「背が伸びるぞ」って。
だが、キャプテンになっちまった後は、コッソリ作りには行けなくて…。シャングリラの改造が済んでミルクセーキが作れるようになった時には、コッソリがバレるから作りに行けなくて。
バレてもいいから作ってくれ、って前のお前が言い出した頃には、お前との仲がバレそうで…。
地球に着いて恋人同士だと言えるようになったら、作ってやるって約束したんだっけな…。
とうとう作ってやれなかったな、とハーレイも思い出したから。
「前のお前は、ミルクセーキを頼むことさえしなくなっちまって、それっきりだったな」と深い溜息をついたから。
「…それは仕方ないよ、前のぼくの寿命が尽きると分かってしまったら…」
もう頼みたくはなかったんだよ、ハーレイが作るミルクセーキは二度と飲めないんだから。
厨房の誰かが作ったヤツでも、飲んだらハーレイのミルクセーキを思い出しちゃうし、飲めずに死んでしまうんだってことを思い知らされちゃうんだし…。
だから飲まなくなっちゃったんだよ、ミルクセーキは。
ハーレイに届けて貰ったとしても、思い出よりも悲しさの方が強くなるのに決まっているから。
「…そうだったな…。俺が約束を果たしてやれる日が来ない以上は、辛いだけだな…」
いつか必ず作ってやるから、と言ってやれた間は温かな思い出の味だったろうが…。
そんな日は来ないと分かっちまったら、悲しい味にしかならないからな…。
「うん。…それで頼まなくなっちゃったけれど、それまでは大好きだったんだよ」
誰が作ったミルクセーキでも、前のハーレイが作ってくれてたミルクセーキを思い出すから。
あの味だった、って幸せだったし、コッソリ作ってくれてた姿も覚えていたから。
…前のハーレイは、前のぼくにもう一度作ってくれないままで終わってしまったけれど…。
前のぼくがメギドで死んでしまって、それっきりになってしまったけれど。
…今度はぼくに作ってくれる?
今のハーレイのレシピでいいから、またミルクセーキ。
「作ってもいい時が来たらな」
俺がお前に手料理ってヤツを御馳走するとか、家に呼んでやることが出来る日が来たら。
お前が前のお前とそっくり同じ姿に育って、キスもデートも出来るようになったら、またアレを作って飲ませてやろう。
コッソリじゃなくて、堂々とだ。材料はあるし、俺たちの仲も隠さなくてもいいんだからな。
今は駄目だぞ、と言われたけれど。
前と同じに育たない内は、ミルクセーキも作ってやらないと釘を刺されたけれど。
「…まあ、焦らずにゆっくり育つことだな、今度は約束を守ってやれるんだし」
お前がきちんと大きくなったら、うんと美味いのを作ってやるさ。
ミルクセーキのレシピも今は色々あるわけなんだが、前の俺のレシピでやっても美味い筈だぞ。
今は材料がいいからな。牛乳も卵も、それに砂糖も、地球のヤツを使うわけなんだし…。
シャングリラの頃とも、前のお前が奪ってた頃のヤツとも、まるで違った味わいだぞ、うん。
「そうだね…!」
ハーレイが作ってくれる野菜スープも、今はとっても美味しいんだし…。
レシピを変えてしまったのかな、って思ったくらいに、同じ野菜でも美味しいんだし。
牛乳も卵も、ずっと美味しいに決まっているよね、あの頃よりも。
ハーレイが作るミルクセーキも凄く美味しくなっているよね、ハーレイの腕が落ちてなければ。
「こら、俺の料理の腕前は前より凄いと何度言ったら分かるんだ…!」
前の俺よりも色々な料理を作っているのが今の俺だぞ、腕が落ちるわけないだろう。
あまりの美味さにお前の頬っぺたが落っこちるようなミルクセーキを飲ませてやろう。
頬っぺたが落ちて行方不明になっちまわんよう、しっかり押さえておくことだな。
「落っこちてもいいよ」
行方不明になっちゃってもいいよ、ハーレイが作るミルクセーキがまた飲めるなら。
美味しく全部飲み終わってから、落ちた頬っぺたを探しに行くよ。
だって、ハーレイも一緒に探してくれるに決まっているもの。
「押さえておけって言っただろうが」って、ぼくのおでこをコツンとやって。
シャングリラでハーレイが作った頃とは違って、白い鯨で注文していた頃とも違って、今ならば地球の食材で作ったミルクセーキ。牛乳も卵も、それに砂糖も、青い地球のものばかりだから。
前の自分が生きた頃には無かった贅沢な食材、ミルクセーキはきっと美味しいに違いない。
本当に頬っぺたが落っこちるほどに、行方不明になりそうなほどに。
前の自分がミルクセーキを飲まないようになってしまってから、長い長い時が流れたけれども、約束が叶う。青い地球の上で。
ハーレイがまた、ミルクセーキを作ってくれる。
最初のミルクセーキがいつになるかは分からないけれど、その後はもう何度でも飲める。
いつか結婚して二人で暮らす家で作って貰って、あの思い出のミルクセーキを。
ハーレイと二人、何度も何度も、「あの味だよね」と微笑み交わしながら…。
ミルクセーキ・了
※前のハーレイが厨房にいた頃、ブルーだけに作っていたミルクセーキ。贅沢だった飲み物。
けれど手作りはその時代だけで、それっきり。次に手作りして貰えるのは、青い地球の上で。
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