忍者ブログ

シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

白い石のウサギ

(あれ?)
 こんな所に、とブルーの目に付いたもの。
 学校からの帰り、バス停から家まで歩く途中の道端で。舗装された道にコロンと落っこちていた真っ白な石。丸くて、小さくて、可愛らしい石。親指と人差し指とで作る輪っかより少し大きい、手のひらに載せたら真ん中にストンと収まりそうな。
(ちょっとウサギみたい?)
 そう思って屈んで拾い上げた。真ん丸ではなくて、卵にも似た楕円形。それが丸っこいウサギの身体みたいに思えたから。長い耳も尻尾も無いけれど。
(…やっぱりウサギ…)
 手のひらに載せてまじまじと見たら、一層ウサギに見えてくる。ただの真っ白な石だけれども、ペンか何かで耳や目などを描いてやったら立派なウサギになるだろう。そういう石の細工物を見たことがあった、丸い石に絵を描いて出来る動物。自分が見たのは猫だったけれど。
 両親と出掛けた時に覗いたギャラリー、ズラリと並んでいた石の猫たち。それと同じにこの石はウサギ、中にウサギが入っている石。白いウサギが中に一匹。
(絵を描かなくても、ウサギに見えるよ)
 ウサギみたい、と拾ったからにはウサギの石。耳も尻尾もついていなくても。
 きっと直ぐ横の石垣のある家、其処から落ちて来たのだろう。それほど高くはない石垣で、上に生垣。何かのはずみに生垣の外へと転がってしまって、そのまま道まで落っこちた。
 石は自分で戻れないから、道端でポツンと人が通るのを待っていたわけで…。



 拾った小石をチョンとつついて、滑らかな表面を撫でてみて。
(戻してあげなきゃ…)
 白いウサギが落ちて来たらしい、石垣の上の庭の中へ。生垣越しに覗いてみたら、丸っこい石が幾つも敷かれているようだから。庭の端っこを彩る飾りで、色も大きさも色々あるし…。
 石のウサギは間違いなく此処から落っこちた。通り掛かった猫のオモチャにされたか、カラスがつついて落っことしたか。生垣の向こうに押し出されてしまって、石垣をコロンと転がり落ちて。
 あんなに幾つも石があるなら、石のウサギには恋人がいるかもしれないから。
 落っことされて帰れなくなったと泣いているかもしれない小石。恋人と離れ離れになった、と。生垣の向こうでも石のウサギの恋人がオロオロとしていそうだから。いなくなってしまった恋人を探しに行こうとしたって、石垣からは降りられないから。
(恋人、茶色のウサギなのかも…)
 ハーレイと二人で何度も話した、ウサギの話。もしも自分がウサギだったら、ハーレイも茶色いウサギになるという話。そういう話を何度もした後、お互いウサギ年だと分かったから。ウサギの話はグンと身近になってしまって、白いウサギと茶色のウサギ。そういうカップル。
 この石のウサギの恋人も茶色い石かもしれない、見れば「ウサギだ」と思う石。この石よりかは大きい小石で、並べて見たならハーレイと自分に見えそうな石。
(ホントにそうかも…)
 そうだったとしたら面白い。石のウサギには茶色い石のウサギの恋人、いつも庭で一緒。
 仲良くしてね、と白い石のウサギを生垣の奥へと戻しておいた。茶色いウサギは生垣が邪魔して見えないけれども、きっと何処かにいるんだよね、と。
 ちゃんとくっついて、落っこちないように気を付けないといけないよ、と。



 石のウサギに「さよなら」と手を振って、家に帰って。
 着替えを済ませてダイニングでおやつの時間だけれども、庭を眺めたら思い出す石。石垣がある家の庭に戻した、真っ白でコロンと丸かった石。
(どうしてるかな、石のウサギ…)
 もう恋人と出会えただろうか、置いてやった場所から恋人の姿は見えただろうか?
 今はまだ少し距離があるかもしれないけれども、その内にまた寄り添い合えることだろう。元の通りに恋人同士で仲良く二人で。石のウサギでも二匹より二人、恋人同士に似合いの言葉。
 いいことをした、と嬉しくなった。
 道端で見付けて拾い上げて戻してあげた庭。落っこちていた石のウサギは庭に帰れた。
(ぼくとハーレイみたいに幸せ…)
 いつでも一緒で、これからも一緒。
 ずっと仲良くいられますように、と石のウサギの幸せを願う。茶色いウサギと仲良くしてねと、いつまでも二人で幸せでね、と。



 おやつを食べ終えて部屋に帰っても、忘れられない白い石のウサギ。
 あれは河原の石だったから。人間が削って丸く仕上げた石とは違って、川の流れが気の遠くなるような長い時間をかけて磨いた石だったから。
 そうやって生まれた石のウサギなら、ああいうウサギになったなら。
(ずっと仲良し…)
 石のウサギに恋人のウサギがいるのなら。茶色いウサギがいつも隣にいるのなら。
 同じ川の流れで一緒に生まれて、河原の石を集める人に拾われて、あの家の庭までやって来た。離れないまま、同じ袋に詰め込まれて。同じトラックか何かに乗って。
(運命の恋人…)
 ぼくたちみたい、と頬が緩んだ。ぼくとハーレイ、と。
 前の自分たちがそうだったから。生まれた時には別だったけれど、その頃の記憶は全く無くて。成人検査と人体実験で失くしてしまって、お互い覚えていなかった。養父母の顔も、育った家も。
 前の自分もハーレイも二人して、記憶の始まりはアルタミラにあった研究所。
 そのアルタミラがメギドの炎に滅ぼされた日に初めて出会って、同じ船で逃げて。長い長い時を共に暮らして、恋をして、いつも一緒にいた。
 互いの居場所が違う時にも、心はいつも寄り添っていた。白いシャングリラで、どんな時にも。
 本当に運命の恋人同士で、出会った時から特別だった。
 恋だと気付いていなかっただけで、あの瞬間から一目惚れ。誰よりも息が合った二人で、だからキャプテンを決める時にもハーレイを推した。その名が候補に挙がっていたから。前の自分の命を誰かに預けるとしたら、ハーレイがいいと思ったから。
 それでも恋だとまだ気付いてはいなかったけれど。ハーレイの方でもそうだったけれど。
 シャングリラが白い鯨になった後にもまだ気付かなくて、お互い、本当にのんびりで。
 けれども恋が実った後には、いつも一緒で、離れている時も心は寄り添い合っていたのに…。



(ぼく、落っこちちゃった…)
 帰り道に出会った石のウサギみたいに、石垣からコロンと。
 石垣ではなくてシャングリラからコロンと落ちてしまった、たった一人でメギドへと飛んで。
 いつまでも一緒だと誓ってくれたハーレイとも別れて、さよならのキスも出来ないままで。
 おまけに最後まで持っていたいと願ったハーレイの温もりも失くしてしまって、右の手が凍えて独りぼっちで迎えた最期。もうハーレイには会えないのだと泣きじゃくりながら死んでいった。
 石垣から落っこちてしまった自分。茶色い石のウサギと離れて、一人きりで。
 それを神様が拾い上げてくれた。落っこちたのだと気付いてくれて。
 白いシャングリラに戻す代わりに、ハーレイと一緒に元の河原へ戻してくれた。母なる地球へ。
 全ての生き物を生み出した星へ、青い水の星へ。
 前の自分も前のハーレイも、地球から生まれて来たのだから。SD体制が始まるよりも遠い昔に地球で生まれた誰かの子孫で、命の源は地球なのだから。
 前の自分が焦がれた星。石のウサギが生まれた星。



 白くて丸かった石のウサギ。石垣から落ちてしまったウサギ。
(あの石ころには、ぼくが神様?)
 茶色い石のウサギの恋人がいるのなら。落っこちてしまった石のウサギを心配していた、恋人のウサギが庭の石の中にいたのなら。
 きっといる筈だと思う。
 前の自分たちがそうだったように、あの石のウサギにも運命の恋人の石のウサギが。
(だって、ぼくよりも前に…)
 誰かが通って石のウサギに出会っていたなら、拾う代わりに蹴っていたかもしれない。靴の先でコンと蹴ってみるには丁度いい大きさだったから。たまには石蹴り、と考える人もいるだろう。
 蹴られていたなら、もうあの庭には帰れない。あそこから落ちたと分からなくなるし、また他の人にポンと蹴られてしまって、どんどん遠くへ行ってしまうこともあるだろうから。
 自分よりも幼い子供だったら、持って帰ってしまいかねない。宝物にしようと、石のウサギを。白くて綺麗な丸い石だし、宝物にはピッタリだから。
 石のウサギがそんな目に遭う前に、誰よりも早く通り掛かったのが自分。何もしないで通過した人もあっただろうけれど、それではウサギは元の庭には帰れない。
 上手い具合に自分が通って、拾って、石垣の上へと戻してやった。恋人のウサギが待っていると思って、あの庭へ。そういう気持ちになったからには、茶色いウサギはきっといる。あの庭に。
(…前のぼくと重なっちゃったから…)
 拾い上げたのかもしれない、石のウサギを。
 ウサギみたい、と何の気なしに拾ったけれども、心の底ではとうに重ねていたかもしれない。
 白いウサギは自分なのだと、茶色いウサギのハーレイもいると。
 落っこちてしまった石のウサギは、前の自分を見ているようだと。



 ただの石ころだったのだけど。本物のウサギではないのだけれど。
(でも、河原の石…)
 川で生まれた自然のウサギ。元は丸くはなかったろう石、それがウサギの形になった。長い耳も尻尾も無かったけれども、ウサギを思わせる形の石に。
 人が磨いたわけではなくて、川の流れが作り上げたウサギ。長い長い時をかけて何度も転がし、丸い形に磨き上げて。
(きっと魂が入ってるんだよ)
 川の流れが、神様が作ったウサギの形の石だから。真っ白なウサギだったから。
 恋人の茶色いウサギだっている、もちろん川から生まれたウサギ。白いウサギと一緒に流れて、川の中をあちこち転がりながら生まれた茶色いウサギ。
 同じウサギ年のハーレイと自分、恋人同士の自分たちのように。
 運命の恋人同士に生まれた石のウサギのカップルがきっと、あの庭に住んでいるのだろう。
 生まれた川から運ばれて来て、一緒に庭の飾りになって。
 石垣からコロンと落っこちてしまった白いウサギも無事に戻って、これからもずっと二人一緒に仲良く暮らしてゆくのだろう。
 石に二人は変だけれども、ウサギで二人も変なのだけれど。



 恋人同士の石のウサギたち。川の流れが生み出したウサギ。
(河原の石…)
 本当にとても不思議だと思う、硬い筈の石が丸くなる。ゴツゴツしていただろう石が川の流れに磨かれ、長い時をかけて滑らかになる。石のウサギも生まれてくる。
 人が磨くなら機械を使えば簡単だけれど、それをしないで自然が生み出す丸い石。
(地球だからだよね?)
 この地球は水の星だから。
 テラフォーミングされた星とは違って、本物の川が幾つも流れている星だから。
 前の自分が白いシャングリラで長く潜んだ雲海の星にも、川は流れていたのだけれど。青い海も存在していたけれども、地球のそれとは違ったもの。人間が暮らす都市の周りに築かれただけで、川の流域は長くはなかった。石のウサギを作れるほどには。
 今の時代はかなり技術が進んだけれども、やはり蘇った青い地球には敵わないという。どんなに整備しようとしたって、何処か作り物めいた川や海になると。その星で人間が生きてゆける範囲で海を作って、川を作ってゆくしかないと。
(…そんな川だと、石のウサギだって…)
 地球のようには簡単に生まれないだろう。川の長さが足りない分だけ、流れ下る水の量が少ない分だけ、石を磨くには時間がかかる。河原に自然と丸い石ころが積み上がるまでには、途方もない時が必要な筈。
 蘇った今の地球の上なら、石のウサギは川に行ったら見付かるだろうに。
 源流で探すのは無理だけれども、いくらか流れ下った川なら、河原に下りてゆける川なら、石のウサギは何処でも探して拾えるだろうに。
(白いウサギも、茶色いウサギも、拾い放題…)
 これがそうだと思う石を拾って持って帰れるし、耳や尻尾を描いたっていい。拾っては駄目だと言われはしないし、だからこそ帰り道で出会った石のウサギもあの家の庭にいたのだから。



 河原の丸い石を持って帰るのも、庭の飾りにしてしまうのも、地球ならば自由。
 流石にトラックで乗り付けたりして、物凄い量を積み込んでいたら「許可は貰いましたか?」と訊きに来る人があるだろうけれど。「景観を損ねてはいけませんよ」と。
 けれども、自分で持てるくらいなら幾つ拾ってもかまわない。許可を得ている石材店なら、川の見た目を損なわない範囲で沢山持っても帰れるのだし…。
(トラックに何台分も貰える時だってあるんだよね?)
 地球を流れる川は長いから、自然と石が溜まってしまう。放っておいたら川の流れが変わったりするから、そうならないよう、石を取り除く工事をする。そういう時には、河原の石は工事業者が大量にどけて、石材店などが貰ってゆく。それこそトラックに何台分も。
 地球の川ならではの贅沢な光景、自然が磨いた石を山ほど取っていい時。
(石のウサギが何百匹も…)
 もっと凄くて何千匹だろうか、あの家の庭の石のウサギはその中のカップルだっただろうか?
 一緒にトラックに積んでゆかれて、選り分けられた後もずっと離れずに。
 そう思ったら、ふと…。



(石…?)
 頭に浮かんだ河原の石を積んだトラック、そちらは何とも思わないけれど。
 荷台に積まれた石が問題、大量の丸い石ころの山。川で生まれた石のウサギたち、白いウサギや茶色のウサギ。それが混ざった河原の石ころ、地球の石たち。
 何故だか記憶に引っ掛かる。地球の石だ、と。
(なんで…?)
 それが欲しかったという記憶。河原の石なら拾い放題、いつでも拾いに行けるのに。幼い頃には両親と河原で遊んだ時などに拾ったのだし、幼稚園や学校の遠足でも。
 今だって拾いに行こうと思えば路線バスに乗って川の近くまで行きさえすれば好きに拾える。
 わざわざ欲しいと思わなくても、「欲しかった」と残念がらなくても。
 そうなってくると、この記憶は…。
(前のぼく…?)
 河原の石など欲しがったろうか、アルテメシアに川はあったけれども。テラフォーミングされた星の川だけに、地球の川とは違った筈。人工的だった堤や河原に特に惹かれはしなかった筈で。
 それなのに何故、と遠い記憶を手繰ってみて。
 欲しかったと思った河原の石ころ、それは何かと考えていて…。
(そうだ…!)
 あれだ、と蘇って来た遠い遠い記憶。
 前の自分がそれを見ていた。
 アルテメシアの博物館で。仰々しく展示ケースに収められたそれを、河原の石を。



 ソルジャー・ブルーだった頃の自分。ガラスケースの向こうの石。
(地球の石…)
 博物館で特別展示をされていた石。
 前の自分がどうやって知ったかは今では思い出せないけれども、「地球の石が博物館に来る」というから、閉館した後にコッソリ入った。警備システムなど、前の自分には存在しないも同然で。巡回してくる警備員にしても同じことだから、たった一人で展示ケースを覗き込んだ。
 昼の間は大勢の人類が行列していた「地球の石」。それを一人で独占しようと、心ゆくまで見て帰ろうと。今はまだ座標も掴めない地球、その地球から来た石を見ようと。
(…あれも石のウサギ…)
 ガラスケースの中にいたのはコロンと丸い石ころだった。川で磨かれた白い石のウサギ。
 あの頃の自分はウサギだとは思っていなかったけれど。
 説明文を読み、川の流れが磨き上げた石だと知って覚えた深い感動。これこそが青い地球からの恵みなのだと、水の星でしか生まれない石なのだと。
 草や木ならば、テラフォーミングした星でも同じに育つけれども。地球のそれと変わらない花を咲かせるけれども、川で生まれる石は出来ない。石をここまで丸く出来るだけの川の流れは、人の手ではまだ作り出せない。豊かに流れる川を生み出す技術は無いから。
 そう、あの時代はそうだった。どんなに時間をかけたところで、石を磨ける川は無かった。技術不足で足りない流量、川の長さも流れも充分ではなかったから。
 だから見入った、地球で生まれた真っ白な石に。水が磨いた丸い石に。
 なんと素晴らしい石だろうかと、地球にはこれほどに豊かな水があるのかと。
 地表の七割を海が覆う地球。
 その地球でなければ生まれない石、地球を初めて身近に見たと。



 一目で魅せられた地球の石。青い水の星が生み出した奇跡。
 それに焦がれた、白く丸い石に。青い地球ではないというのに、地球の欠片に過ぎないのに。
(欲しかったんだっけ…)
 ただ丸いだけの白い石なら要らないけれども、地球で生まれた石だから。地球を潤す川が磨いて丸く仕上げた石だったから。地球の記憶も、水の記憶も、その身に刻み付けた石。
 美しいと思った、まるで地球のように。青い母なる星のように。
 いくら眺めても飽きなかったから、何度も通った、博物館が閉館した後に。昼の間はごった返す特別展示を一人占めして、ケースの向こうを覗き込んで。
 いっそ盗もうかと思ったくらいに欲しかった石。地球の記憶を宿した石。
 あれはフィシスが来る前だった。地球へと向かう旅の映像はまだ持っていなくて、青い水の星はデータだけ。シャングリラのデータベースにあった分だけ、それが全てで。
 だから余計に石が欲しくなった、「あの石があれば地球に手が届くのに」と。
 もちろん本当に届きはしないし、人類はミュウを認めもしないけれども、行きたい地球。いつか行こうと夢見ている星。その地球の記憶を宿している石、それがあったら幸せだろうと。水の星の奇跡が生み出した石は、地球の大地に触れた気持ちをきっと運んでくれるのだろうと。



 欲しくて、欲しくて、手に入れたくて。
 けれど、人類の宝だから。人類もまた、地球に焦がれているのだから。選ばれた者しか行けない地球。それゆえに特別展示が人気で、地球の石を見たいと大勢の人類が博物館に行くのだから。
(諦めてた…)
 自分が奪ってしまっては駄目だと、あれは人類の宝だからと。
 それでも惹かれる、地球の石に。コロンと丸くて白い小石に、地球の川が磨いた白い石に。
 足を運んでは深く魅せられ、手に入れることは許されないと密かに何度も零した溜息。
 それをハーレイに見抜かれたのだった、もうすぐ展示が終わるという頃に。
「ブルー…。何かお気にかかることでも?」
 おありでしょうか、と尋ねられた青の間。ハーレイの勤務が終わった後に。
「なんでもないよ」
 気のせいだろう、と返したのだけれど。
「いえ、そうだとは思えません。この所、ずっと遠くを見ていらっしゃるような…」
 アルテメシアではなくて、もっと遠い所。宇宙でも御覧になっておられるかのようで…。
 心配事がおありでしたら、どんなことでも伺いますが。
 …あなたの恋人としてはもちろん、キャプテンの方の私にしても。



 ハーレイの鳶色の瞳は、前の自分への気遣いに溢れたものだったから。
 心配の色まで見えていたから、嘘はつくまいと打ち明けた。「地球の石だよ」と。毎日のようにそれを見ていると、シャングリラからも心の瞳で見てしまうのだと。
「サイオンを使えば、人類だらけの昼の間でも見えるからね。この船から」
 展示ケースだけに狙いを定めて、見ようと思いさえすれば。
 …でも地球の石は、もうすぐ他の星に運ばれて行ってしまうんだよ。
 見たいと思っても見られなくなる。シャングリラからも、博物館の中に行っても。
 そう考える度に、あの石が欲しいと思ってしまうんだ。
 だから余計に見てしまって…。心配かけてごめん。
「あなたの力なら奪えるでしょうに、地球の石など簡単に」
 持ってお帰りになればいいのです、こんな所で溜息をついていらしゃる間に。
 今は夜ですし、警備の者たちも朝まで気付きはしないでしょう。ケースから石が消えた所で。
「そうなんだけれど…。人類の夢が詰まった石だよ、それに希望も」
 元老だとか、メンバーズだとか。そういった一部のエリートだけしか地球には行けない。
 その夢の星の石を見たいと、人類だって行列してるんだ。子供を連れた養父母たちも、養父母としての義務が終わって引退している者たちも。
 …次に行く星でもそうなんだろうね、みんながあの石で夢を見るんだよ。地球にはこういう凄い石があると、川の水だけで石が磨かれて丸くなるんだと。
 その夢の石を、子供たちにとってはいつか行きたい希望の星の石を奪えるかい?
 ぼくの勝手な欲望だけで。
「それはそうかもしれませんが…」
 人類にとっても、地球は夢の星なのが普通のことで、養父母のコースを選んだ者には見ることが叶わない星なのでしょうが…。
 子供たちにしても、余程のエリートにならない限りは、地球に降りられはしないのですが…。
 ですから、人類の夢と希望が詰まった石だと仰るお気持ちは分からないでもないですが…。



 その人類に夢も希望も奪われたのが私たちでは、とハーレイは真実を口にした。
 今でこそシャングリラを手に入れたけども、アルタミラでは夢も希望も無かった筈だと。
「私たちから全てを奪って、人としてすら扱わなかったのが人類ですよ?」
 彼らの仕打ちに比べれば、地球の石くらい…。
 夢と希望の石だと仰るのでしたら、私たちが奪われた分を取り返したっていいでしょう。
 奪ってしまってもいいと考えます、キャプテンとしても、あなたの恋人としても。
 …ソルジャーが盗みを働くというのはどうかと思う、ということでしたら、秘密になされば…。
 船の者たちは地球の石すら知らないのですし、見ても「石か」と思うだけです。
 あなただけの宝物になさっておけば、地球の石だとはバレないでしょう。青の間の係が目にした所で、石は石でしかありませんから。
 そうなさるのなら、私は黙っておきますよ。白い石の正体が何なのかは。
「ううん…。いつか自分で手に入れるよ」
 奪うんじゃなくて、正々堂々と正面から。君と一緒に地球に行ってね。
 このシャングリラでいつか行くんだから、その時でいい。
 それまではぼくだけの夢にしておくよ、地球に行ったらああいう石があるんだから、と。
 川で生まれる石なんだからね、河原に出掛けて君と二人で拾えばいい。
 あの白い石にそっくりな石を、川の流れが磨き上げた石を。
「シャングリラの色の石ですね」
 この船と同じ色をしている石を拾いに、あなたと地球まで行くのですね。
「そうだよ、二人で幾つも拾おう」
 きっと地球には山のようにあるに違いないから。
 白い石だけを選んで拾っていっても、持ち切れないほど河原に落ちているんだろう。
 今は御大層にケースに入って、一つだけ展示してあるけれど。
 地球に行ったら、きっと珍しくもなんともないもので、拾っても拾ってもきりが無いんだよ。
「…それは確かにありそうですね」
 頑張って拾い集めることにしますが、何日経っても一向に終わらないような…。
 あなたも私もすっかり疲れてしまいそうですが、地球ならではの愉快な体験が出来そうですね。



 地球に着いたら、ハーレイと二人、河原で白い石を集める。丸く磨かれた自然の石を。
 まさか本気で全部拾おうとはしないだろうけれど、飽きるまで二人で幾つも幾つも拾おうと。
 そんな夢と希望が溢れる約束をした後、地球の石は旅立って行ったのだった。
 展示期間が終わって梱包されて、次の星へと。
 丸く白い石はもう見られなくなったけれども、ハーレイのお蔭で寂しい気持ちはなくなった。
 いつか拾えばいいのだからと、ハーレイと二人で河原へ行こうと未来への夢が出来たから。
 地球の石が欲しいと思う気持ちを、ハーレイに打ち明けられたから。
 「石が欲しいのなら奪えばいい」と言ってくれたハーレイ、その言葉が自分の力になった。
 奪うよりかは正面から堂々と手に入れてみせると、いつかは地球へ行くのだからと。
 ハーレイがそれを言わなかったら、きっと一人で最後まで悩んでいただろう。
 地球の石は欲しいけれども、手に入れることは許されないと。それでも欲しいと、一人きりで。
 あの地球の石を乗せた船が旅立つのを、悲しい気持ちで見送っただろう。
 もう永遠に見られなくなったと、あの白い石は自分の前から消えてしまったと。



 ハーレイと一緒に拾おうと決めた地球の石。地球の河原にあるだろう石。
 疲れ果てるまで二人で拾う筈だったのに。白い石ばかりを集めて回る筈だったのに。
(…白い石、一つも拾えなかった…)
 前の自分は、地球には辿り着けなかったから。
 寿命が尽きてしまったこともあるけれど、それよりもメギド。仲間たちの未来を、あの白い船を守るために自分はメギドで散った。地球への夢を抱えたままで。青い水の星を一目見たかったと、ハーレイと一緒に行きたかったと。
 地球への夢も、ハーレイとの恋も捨てるしかなかった前の自分の最期。
 白い石を拾いに行く約束などは、もう忘れていた。ハーレイの温もりを失くしてしまって、右の手が冷たいと泣いた自分は。独りぼっちになってしまったと泣きながら死んでいった自分は。
(…でも、前のぼくが地球に着いていたって…)
 メギドで死なずに、寿命が尽きずに母なる地球へと辿り着いても、其処に綺麗な川は無かった。
 前の自分があると信じた青い水の星は無かったから。フィシスが抱いていた青い地球ですらも、機械が作った幻の星に過ぎなかったから。
 あの頃の地球は赤い死の星で、澄んだ流れは何処にも無かった。
 どう転んだとしても、拾えなかった河原の石。
 前の自分が夢に見ていた、白くて丸い河原の石。川の流れが磨き上げた石。



 今日の帰り道、自分はそれに出会ったけれど。
 前の自分が欲しがった地球の石だとも知らず、石のウサギを石垣の上の生垣の向こうにヒョイと戻してやったけれども、ハーレイの方はどうだろう?
(…ハーレイ、覚えているのかな…)
 石を拾おうっていう約束、と考えていたら、来客を知らせるチャイムが鳴った。窓から見れば、門扉の向こうで手を振るハーレイ。
 訊かなくては、と部屋でテーブルを挟んで向かい合うなり、ぶつけた質問。
「あのね、地球の石、覚えてる?」
「はあ?」
 地球の石って…。その辺に幾つも落ちてるだろうが、俺たちは地球にいるんだから。
「そうじゃなくって…。前のぼくが欲しがってた地球の石のことだよ」
 ハーレイは本物を見ていないけれど、ぼくはきちんと話をしたよ?
 アルテメシアに特別展示で来ていた石だよ、川で生まれた丸い白い石。
 欲しかったけれど、人類の宝物だから…。
 奪えないよね、って言ったら、前のハーレイが「奪っていい」って…。人類はぼくたちから夢も希望も奪ったんだし、石くらい奪っていいじゃないか、って。
「ああ、あれなあ…!」
 あったな、そういう話がな。
 俺が奪えと唆したら、前のお前は「正々堂々と手に入れてみせる」と言ったんだっけな。
 いつかシャングリラで地球に着いたら、石は山ほど拾えるんだから、と。



 思い出した、とハーレイが浮かべた苦い笑み。
「…白い石…。拾い損なっちまったな、前の俺たちは」
 お前はいなくなっちまったし、それじゃ二人で石を拾えやしないんだからな。
「うん。…それに、とうに寿命も尽きていたしね」
 地球には行けない、って気が付いた時に、沢山の夢を諦めたけど…。
 あの石もその中の一つだったんだね、ぼくは綺麗に忘れていたよ。
 メギドに行く前に「地球を見たかった」って思ったけれども、白い石のことは忘れてた。
 ハーレイと拾おうって思ってたことも。
「俺もすっかり忘れていたなあ、地球に着いた時は」
 あの地球に川はあったわけだが、ちゃんと宇宙から海も川も見てはいたんだが…。
 それでも全く思い出さなかったな、地球の川に行ったら何があるのかは。
「…やっぱり死の星だったから?」
 赤い星にしか見えなかったから、ハーレイ、河原の石の約束、思い出せなかった…?
「いや。…お前がいなかったからだろう。俺の隣に」
 あの約束を交わしたお前がいないというのに、約束だけを思い出してもなあ…。
 意味が無いだろ、そんな約束。
 今だったらお前が此処にいるんだし、約束にも値打ちがあるってもんだ。
 その上、俺たちは二人で地球に来たんだ、石は幾つでも拾えるぞ?
 それこそお前が疲れ果てるまで、「もうやめようよ」と俺に言うまで、幾つでもな。



 いつか約束を果たしに行くか、とハーレイはパチンと片目を瞑った。
 シャングリラはもう無くなっちまったが、俺の車で、と。
「河原でもいいし、海辺でもいいぞ」
 好きなだけ拾って集めればいい、前のお前の憧れの石を。
 俺も一緒に拾うんだしなあ、デカい袋でも持って行くかな、うんと丈夫でデカいヤツを。
「えーっと…。河原はいいけど、海まで行ったら砂になっていない?」
 川の流れでどんどん砕けて、海に着く頃には砂なんでしょ?
 それじゃ白い石なんかは落ちていないよ、真っ白な砂は沢山あるかもしれないけれど…。
「そうでもないぞ。石ころだらけの海岸ってヤツもあるからな」
 多分、海辺の岩が砕けて波に磨かれるんだろう。
 もうゴロゴロと転がっているぞ、大きな石から小さな石まで、丸いのがな。



 海でも川でも俺の車で連れて行ってやろう、と指切りをして貰ったから。
 頼もしい約束をハーレイがしてくれたから。
 二人でドライブに行けるようになったら、前の自分たちの夢を叶えに出掛けて行こう。
 川の流れや海の波が磨いた丸い石ころ、それを二人で拾い集めに。
 前の自分が欲しかった石は白い石だったけれど、茶色い石も一緒に拾って。
 白い石を一個拾ったのなら、それに合わせて茶色いのを一個。
 そしてハーレイに「石のウサギだよ」と並べて見せよう、白い丸い石と、茶色い石を。
 「こうするとウサギのカップルみたいだよね」と。
 今の自分も、今のハーレイも、ウサギ年でウサギのカップルだから。
 ウサギになるなら白いウサギと茶色いウサギで、いつまでも一緒なのだから。
 だから丸い石も、白と茶色で。
 ハーレイと二人で幾つも集めて、今の幸せを石のウサギのカップルの数で確かめ合って…。




           白い石のウサギ・了

※前のブルーが出会った、地球の石。欲しくて、けれど「いつかは拾える」と考えた石。
 拾えないままで終わったのですけど、今は好きなだけ拾えるのです。青い水の星の上で。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv










PR
Copyright ©  -- シャン学アーカイブ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]