シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「ほほう…」
こいつは今が旬だしな、とブルーの向かいでハーレイが箸でつまんだもの。二人きりで過ごせる週末の昼食、ブルーの部屋のテーブルで。
両親も一緒の夕食とは違って、二人でゆっくり食べられる昼食。ブルーの母が作った茶碗蒸しの中から出て来たユリ根。
これの時期だ、とハーレイがユリ根を頬張ったから。
「ユリ根、今なの?」
今頃の時期に採れるものなの、ユリの根っこだよね?
「根っこと言うか、球根と言うか…。旬は今だな、もっと遅くに出荷することもあるようだが」
おせち料理に人気の食材なんだ、ユリ根はな。その時期に合わせて出荷したなら高値で売れる。だから貯蔵しておいて、その時期に合わせて売りに出す、と。
それに年中、売ってはいるしな…。旬と言ってもピンと来ないかもしれないが。
「ふうん…? でも、採れるのは秋なんだね」
百合の根っこだから、普通の野菜とはちょっと違うけど…。
同じ地面の中にあるものでも、ジャガイモとかとは違うよね、ユリ根。
これを採っちゃったら、来年は花が咲かないどころか、その場所に百合は無いんだもの。
どういう仕組みになっているのか、謎なのがユリ根。
球根を人間が食べてしまったら、百合は絶滅しないだろうか、と考え込んでいたら、ハーレイに教えられたこと。
球根があれば百合は何年でも同じ場所から咲くものだけれど、花から種も出来るのだと。それに茎から球根の子供が生まれる種類の百合もある。ムカゴと呼ばれる球根の子供。
「つまりだ、何がなんでも球根が無ければ駄目だというわけじゃない」
人間様の方でも、それを承知で球根を頂戴するって仕組みだ。百合がすっかり消えちまったら、ユリ根どころじゃないだろうが。
「それはそうかも…。絶滅するまで食べていたんじゃ駄目だよね」
地球を滅ぼしてしまった人たちがやっていたことと変わらないものね。人間の都合で、どんどん自然を駄目にしちゃって、最後は地球まで…。
今の時代は、滅びそうになってた植物だって、きちんと増やして地球に戻っているけれど…。
そういう技術を持ってるからって、百合を絶滅させちゃ駄目だね、食べてしまって。
球根を掘り上げて食べてしまっても、別の方法で子孫を増やせるらしい百合。
その百合の球根が出回るのが秋だと言うなら、百合の花の季節が終わってからだろう。夏の間に百合の花をあちこちで見掛けていたから、百合は夏の花。
(テッポウユリも、鬼百合も夏…)
いろんな百合が咲くんだっけ、と思い出していたら、ポンと頭に浮かんで来た花。遠い昔に前の自分が眺めていた百合。白いシャングリラにも百合の花はあった、と蘇った記憶。真っ白な百合。
「えーっと…。シャングリラでも食べればよかったね」
せっかく食べ物があったのに…。前のぼくたち、見逃しちゃってた…。
「はあ?」
いったい何を食べると言うんだ、食えるものは食うのがシャングリラだったと思ったが?
無駄なものなど乗せていない船だ、食べられる物に気付かなかったとは思えんが…。
「百合だよ、公園に咲いていた百合」
ブリッジから見える公園にもあったし、他の公園にもあったじゃない。真っ白な百合が。
「…あの百合か…。だが、あの百合の球根は食えないぞ」
見た目は同じようなものかもしれんが、食用じゃないな。
あの百合からはユリ根は採れんぞ、たとえユリ根の存在を知っていたとしても。
百合の種類が違うんだ、と笑うハーレイ。白い鯨で咲いていた百合と、ユリ根の採れる百合は。
シャングリラの百合の根に毒は無いけれど、食べようとすると苦いらしい、と。
「そうだったの?」
百合なら何でもいいわけじゃないんだ、ユリ根って…。
「ユリ根を採るのは鬼百合とかだな、お前も鬼百合は知ってるだろう?」
それと山百合といった所か、ユリ根用に栽培されてる百合は。
「んーと…。シャングリラの百合は、根っこが食べられなかった百合だってことは…」
食べようとしなかったわけじゃなくって、食べられないから食べなかっただけで…。
消されちゃってた食材じゃないんだね、ユリ根。SD体制の時代でも。
「いや、消されていたんだと思うがな?」
食えるものなら、そういう百合を植えてた筈だぞ。食えない百合を植える代わりに。
今の時代だから食ってるだけだろ、こいつを食うのは日本の食文化らしいしな。
俺たちには馴染みの食材なんだが、他の地域に出掛けて行っても無いんじゃないか?
文化が似ている中国だと、百合は薬だし…。
食う楽しみって言うよりも前に、まずは薬としての効き目だ。
遥かな昔の日本と中国、それが百合を食用にしていた地域。料理に使うか、薬にするか。
どちらの文化も、SD体制の時代に統一された文化の基本に選ばれることは無かったから。
「…日本と中国だったら、消されちゃってるね…」
百合の根っこは食べられるってこと、前のぼくたちは知らなかったんだね。
「そうなるな。前の俺たちが生きた頃には、百合と言ったら観賞用だ」
綺麗な花を眺めて楽しむ。そいつが百合を植える意味だな、公園とかに。
「一年に一度しか咲かないけどね」
今と同じで夏に咲いたら、次の年まで花は咲かなくて…。冬になったら茎も枯れるし。
「うむ。何処にあったのかも分からなくなるほど、何も残っちゃいないんだ」
そういう花なのに、あったんだよなあ、シャングリラにも。
…よく考えたら、なんとも不思議な話だが。
「シャングリラの花、四季咲きが基本だったのにね」
実が食べられる木の花とかは別だったけれど、眺めるだけの花の方は。薔薇もそうだったし…。
でなきゃ丈夫で、花が咲いてない時も葉っぱが艶々してるとか。
「そうなんだよなあ…。百合は全く当てはまらんな」
年に一度しか咲かない上に、姿すらも無い季節がある、と…。
なんだってアレが色々な所に植わっていたのか、謎だとしか言いようがないってな。
「言い出しっぺは誰だっけ?」
誰かが百合って言わなかったら、きっと植わっていないよ、百合は。
もっと別の花を選んで植えたと思うんだけど…。四季咲きで綺麗な花が咲くのを。
「さて…。しかし、誰かが言った筈だよな」
そうでなければ、百合があんなにあちこちにあった筈がない。
一ヶ所だけならまだ分かるんだが、百合は本当に色々な場所で咲いてたからなあ…。
観賞用の花の中には、四季咲きではない花も無くはなかった。例えばエーデルワイスとか。
特別な目的で植えられた花なら、それでもいい。ただし、一ヶ所くらいなもの。
けれども、そうではなかった百合。
ブリッジが見えたシャングリラで一番大きな公園はもとより、居住区域に鏤めてあった幾つもの公園でも咲いていた。白い百合の花が。
誰が植えようと言ったのだったか、二人揃って考え込んでいたのだけれど。不意にブルーの頭に浮かんだ、懐かしい顔。
「そうだ、ヒルマン…!」
ヒルマンだったよ、百合を植えようって言い出したのは。
一年に一度しか咲かないけれども、人間にとっては、とても大切な花だから、って…!
「それか…。うん、ヤツだっけな、人の歴史には欠かせない花だと主張したんだ」
ただの花とは違う花だと言ったんだった。
…聖母の百合だと、聖母マリアの象徴は百合の花なんだと。
受胎告知の天使は必ず百合を持っているし、ずっと昔には教会を飾った花だった、とな。
「うん…。だから白い百合…」
白でなくっちゃいけなかったんだよ、百合の花の色は。聖母の百合は白だったから。
「シャングリラの百合は白しか無かったっけな」
いろんな公園に植えてあったのに、全部白い花で。
「今は百合の花の色、色々あるよね」
白だけじゃなくて、ピンクも黄色も、赤い百合も。
「前の俺たちが生きてた頃でも、人類の世界にはあったんだが?」
今と同じに色とりどりの百合が揃っていた筈だがな?
「そうだっけ…。前のぼくたちが白を選んだだけだったよね」
白でなくちゃ、って。聖母の百合は白なんだから、って…。
一年に一度しか花が咲かないのに、シャングリラにもあった百合の花。
SD体制の時代にも消されることなく残っていた神、その神の母のシンボルの百合。聖母の花。
どうせならば、とマドンナ・リリーにこだわった。名前の通りに聖母の百合。
その花よりも美しいから、と後の時代にもてはやされた白い百合を選びはしなかった。美しさを取るより、聖母の象徴そのものの百合が欲しかったから。
ただ、公園にマドンナ・リリーは咲いていたけれど…。
「あの百合の花…。飾れなかったね、教会には」
シャングリラに教会は作らなかったし、あの百合を飾るための特別な場所は無かったよ。
「そうだな、本当にあれを飾るべき場所には飾らなかったな…」
教会が無いんじゃ仕方ないんだが、薔薇とかと同じ扱いだったな、百合の花も。
切って飾るなら眺めるためでだ、神様にお供えするための花じゃなかったっけな…。
個人的に供えて祈ってたヤツなら、中にはいたかもしれないが。
部屋に飾りたいと貰って帰って、神様にお供えしていたヤツがな。
そういう仲間はいたかもしれない、と口にしてから「待てよ?」と顎に手を当てたハーレイ。
SD体制にも最後の良心はあったのか、と。
「最後の良心?」
…なんなの、それは。最後の良心って、どういう意味…?
「SD体制そのものと言うより、SD体制を創り上げたヤツらのお蔭だろうが…」
ミュウ因子を排除出来ない仕組みになっていたことは、今のお前も知ってるだろう。
マザー・システムにはそのためのプログラムが存在しなかった。因子は特定出来ていたのに。
人間の進化ってことを思えば、ミュウ因子を排除出来ないようにするのは当然だが…。そいつが賢明な判断ってヤツだが、その他に、だ。
神にもなれないようにプログラムしてあったんだな。
「え? 神様って…」
神様になれないって、マザー・システムが?
「グランド・マザーだ、SD体制を支え続けた諸悪の根源だ」
前の俺も直接見てはいないが、あの機械。
その気になったら、聖母になれていた筈だぞ。
自分こそが神の母だと名乗って、宇宙に君臨していたならば、どうなったろうな?
「あ…!」
やって出来ないことはないよね、グランド・マザーなんだから。
国家主席よりも偉い機械で、機械だから寿命も尽きることはないし…。
神様なんだと言われちゃったら、きっと人類は素直に信じて、機械に従っていたんだろうね。
これは神様の命令だから、って、どんなことでも。
神様の考えはいつでも正しいものだし、それが正しいんだと思い込んで…。
前の自分たちが生きた時代には、聖地だった地球。
グランド・マザーはその聖地にいた。死の星だった地球の深い地の底に。
地球の本当の姿を知る者は限られ、グランド・マザーに会える者となったら更に少なかった。
正体は機械なのだと分かってはいても、グランド・マザーは全ての母。
SD体制の時代に生まれた人間の全てを把握していて、出生の鍵も握っていた。どう交配して、人工子宮に送り込むかの指示を出せた機械。末端のマザー・システムに。
全ての人間の母を気取っていた機械だから、聖母だと自ら名乗ることさえも出来た筈。
あの時代にも生き残った唯一の神を生み出した聖母。
自分はそれと同じなのだと、自分こそが神の母なのだと。
神になっていたかもしれない機械。
聖母を名乗って、あの時代に生きた人間たちの心の拠り所だった神の母の座に就いてしまって。
「…ねえ、ハーレイ。もしも、グランド・マザーが聖母だったら…」
前のぼくたちはどうしたと思う?
神様のお母さんが決めたことなら仕方がない、って諦めて殺されていたんだと思う…?
アルタミラから脱出しようとしないで、神様を怒らせちゃった自分が悪かったんだ、って。
「まさか。それでも俺たちは逆らったろうさ」
いくら神様の命令だろうが、黙って殺される馬鹿はいないぞ。
死に物狂いで逃げ出したろうな、前の俺たちがやったのと全く同じように。
「そうだよね?」
ハーレイだって諦めないよね、生き残ろうって頑張るでしょ?
それなら別に、グランド・マザーが聖母でもかまわなかったんじゃあ…。
神様のお母さんだと名乗っていたって、前のぼくたちにとっては同じことだよ。
グランド・マザーでも、聖母だとしても、必死に逃げるしかないってだけで。
だからあんまり変わらないよ、と言ったのだけど。
グランド・マザーの呼び名が変わるだけだと考えたのだけれど。
「いいや、呼び名の問題じゃない。…それだと俺たちは神を失う」
聖母に逆らう以上は、そうなる。
神様のお母さんに逆らったヤツらを、神様が守って下さると思うか?
どんな顔をして神様に祈ればいいと言うんだ、神様のお母さんに逆らって生き延びた人間が。
「そっか、神様がいなくなるんだ…」
…そうなっちゃうよね、神様のお母さんが「殺せ」と命令したんだから。
神様だって、それが正しいって思ったわけだし、殺したつもりの人間がお祈りしてたって…。
どうしてこいつは生きているんだ、って考えるだけで、お願い、聞いてはくれないよね…。
「もちろん、聞いてはくれないってな」
祈っても無駄とか、そういう以前の問題だ。俺たちは神様に振り向いてなんか貰えない。
お前、その状態でも戦えたか?
ミュウを滅ぼそうとしている機械の裏をかいては、仲間を助け出せたのか?
アルテメシアで前のお前が助け出して来た、ミュウの子供たち。
子供たちの救出にしてもそうだし、アルテメシアに着くよりも前。前のお前が物資を奪って命を繋いでいた頃にしたって、お前はきちんと頑張れたのか…?
「…神様がいないわけだよね?」
助けて下さい、ってお祈り出来る神様。
ぼくも出来るだけ頑張るけれども、ぼくに力を貸して下さい、ってお願い出来る神様が。
「ああ。縋れる神様は何処にもいない」
神様のお母さんに逆らったからには、もう助けては貰えないんだ。
「…とても辛いかも…」
どんなにお祈りしてみた所で、神様には届かないなんて。
力を貸しては貰えないなんて…。
悲しすぎると思った、神からの救いが来ない人生。神の母に逆らってしまった報い。
奇跡は起こらず、ほんの小さな手助けさえもして貰えないのかと考えていたら。
「それどころじゃないぞ、心の支えが何も無いんだ」
俺たちの方を向いて下さらない神様なんだぞ、あれは殺しておくべき人間だったのだから、と。
神様にとっては、前の俺たちはゴミでしかないというわけだ。
祈る声は決して届きやしないし、下手に祈れば殺されちまうということもある。
まだ生き残っていやがったのかと、祈りの声で見付かっちまって。
祈ればそういう結果を招きかねない、それではウッカリ祈れもしない。神様に祈りたい気持ちになった時にも、見えない力に縋りたい時も。
…人類には神様がいるのにな?
俺たちが祈れる神様はいなくて、目に見える世界が全てってことだ。これはキツイぞ。
「…ミュウの神様を作るしかない?」
ぼくたちの神様はこれなんだよ、って、人類とは別の神様を。
ぼくには神様の姿が見えるし、声だってちゃんと聞こえるから、って言えばなんとか…。
今のぼくが言ったら「嘘っぱちだ」と思われるけれど、前のぼくなら信じて貰えそうだよ。
「確かに、前のお前だったら、ミュウの神様をでっち上げることは出来ただろうな」
なにしろ唯一のタイプ・ブルーだ、普通のミュウには全く見えない神様の姿を見ていたとしても不思議ではない。そういう神様が存在するんだと、お前が言えば仲間たちは信じていただろう。
だがな、他のヤツらはそれで良くても、作ったお前はその神様に縋れるのか?
仲間たちがいくら祈っていたって、像や祭壇を作っていたって、その神様は偽物なんだ。
お前が作った偽物の神で、本当は何処にもいやしない。
そんな神様に縋れるというのか、前のお前は…?
神に見放された世界が辛いというなら、自分たちのための神を作るしかないけれど。
前の自分ならば作れただろうと思うけれども、自分が作った偽物の神。その神に自分が縋れるかどうかと尋ねられたら、答えは否で。
「…無理かも…」
他のみんなが祈っている時に、一緒にお祈りは出来るだろうけど…。しなきゃ駄目だけど。
そうじゃない時はお祈りなんかは出来ないよ。…だって、偽物の神様なんだから。
ぼくが勝手に作ったんだよ、信じることなんて出来やしないよ。
「無理で当然だ、それが普通の反応だ」
自分が作った偽物の神に祈って縋れるようになったら、お前の心は病んでしまっている。
その状態では人類には勝てん。
偽物の神様に縋る指導者と、それに従う者たちばかりじゃ、とても人類には勝てないだろうな。
強い意志ってヤツを持てない指導者なんぞは、何の役にも立たないんだから。
「…ジョミーをシャングリラに連れて来ても?」
ジョミーだったら、前のぼくより意志が強かったと思うんだけど…。
「そのジョミーを指導するのは誰なんだ、ってトコが問題だろうが」
自分で作った神様を信じるようなお前の後継者となれば、ジョミーの資質も生きてはこない。
せいぜい教会の跡継ぎだろうさ、偽物の神様を崇めるためのな。
「そうなっちゃうの?」
ジョミーは強い子だったけれども、教会の跡を継いでおしまい?
「恐らくはな」
きっとナスカにも行けてはいないぞ、アルテメシアでシャングリラごと沈められちまって。
偽物の神様に祈ることだけしか出来ない船だと、あそこで持ち堪えはしなかったろう。
前の俺だって、お前と一緒に神様を拝んでいたわけだしな?
存在しない神様に「助けて下さい」と祈るばかりで、脱出手段も考え出せないキャプテンだ。
もちろん、お前もワープなんかは考えもせずに、ジョミーと一緒に礼拝だな。
生き延びるための策も講じられないまま、沈んだのだろうシャングリラ。
偽物の神に縋るしかなくて、それが全てになっていた船。
そうならないよう、グランド・マザーには神になれないプログラムが組まれていたのだろう、と語るハーレイ。
いつか生まれてくるミュウたちが神を失わないよう、人類と同じに神に救いを求められるよう。
神が救いを与えるかどうかは別だけれども、心の支えは必要だから。
「最初からプログラムがそうなっていた、と考えた方が辻褄が合うんだ、こいつはな」
グランド・マザーは自分で思考する機械だった。誰にも命令されることなく。
あれだけの年数を統治し続けていたんだからなあ、神になることを思い付かない筈がない。
自分の置かれた状況ってヤツを計算していけば、聖母を名乗るのが上策だと。
神様の母親になれるものなら、グランド・マザーは間違いなくその道を選んでいたぞ。
「そうなのかも…」
ただの機械より、神様のお母さんの方が強いに決まっているしね。
神様のお母さんだと名乗ってしまえば、人類はグランド・マザーの正体も忘れてしまいそう。
地球には神様のお母さんが住んでるらしい、って考えるだけで…。
「そう思うだろう? そうなっちまえば、もう文字通りにグランド・マザーの天下だったんだ」
人類は大人しく従い続けるし、それとは逆に逆らっちまったミュウに未来は無かっただろう。
心の支えを失くしちまった人間ってヤツは弱いんだから。
…しかし、グランド・マザーは聖母にはなれなかったんだ。
そいつが出来ない仕組みだったんだろうな、ミュウ因子の排除が出来なかったのと同じでな。
今となっては分からないが…、とハーレイが浮かべた苦い笑み。
あくまで俺の想像に過ぎん、と。
「…データとかは無いの?」
グランド・マザーのプログラムがどうなっていたのか、そういうデータ。
SD体制が倒れた後なら、そういうデータも手に入れられたと思うんだけど…。
「それがだな…。肝心のデータは、地球と一緒に燃えちまったらしい」
マザー・システム自体は宇宙に広がるネットワークで、何処の星にも端末があった。
アルテメシアで言えばテラズ・ナンバー・ファイブがそうだな、あれが支配をしていたわけだ。
端末さえ無事なら、グランド・マザーが倒されたとしても、システムは破壊出来ない筈だったと言われているんだが…。生憎とそうはならなかったってな、端末が壊されちまったから。
そういうシステムになっていたせいか、グランド・マザーのプログラムに関するデータは全て、地球に置かれていたようだ。万一の時に代わりを作ろうっていう発想が無かったんだな。
だからすっかり燃えちまった、と聞かされたグランド・マザーに関するデータ。
どういう構造になっていたかは他のデータから分かったけれども、それを動かしたプログラムの詳しい部分は謎のままだったという。どんな仕掛けが施されていたか、プログラムを作った人間は誰だったのかも。
キースが全宇宙に向かって流させた映像、その中で語っていた真実。グランド・マザーにミュウ因子を排除するプログラムは無い、ということくらいしか、今も明らかになってはいない。
他にも隠されたプログラムが幾つも組み込まれていたかもしれないのに。
ハーレイが話した、「神になれない」ような仕掛けも。
「…グランド・マザーが神様になれないプログラム…」
組み込んでくれた人がいたのかな?
どう思考しても、神様になることを絶対に思い付かないように。
「多分な。…少なくとも、俺はそういう気がする」
いつか必ずミュウが生まれてくるっていうのを知っていたのが、アレを作った人間たちだ。
そのミュウが進化の必然だったら、心の支えが必要になる。
人類はミュウを排除しようと必死なんだし、生き延びるためには力も心の強さも要るんだ。
しかしだ、いくら心を強く持とうと思っていたって、時には神にも祈りたくなる。
そんな部分も持っていてこそ、本当の人間らしさが持てる。…力だけでは駄目だってな。
だから、神様を失くしちまったら、ミュウの未来は真っ暗ってわけだ。
ミュウがそういう目に遭わないよう、グランド・マザーは神にはなれないプログラムだった。
お蔭で前の俺たちも神様に祈ることが出来たし、マドンナ・リリーだって植えられたんだ。
シャングリラに教会は作らなかったが、神様にゆかりの百合の花をな。
「…そうだね、神様を失くしちゃったら、マドンナ・リリーを植えるどころじゃなかったね…」
神様のお母さんはグランド・マザーそのもので、前のぼくたちはそれに逆らったんだから。
白い百合を植えてお祈りしたって、絶対に聞いては貰えないものね。
「…祈る気持ちは大切だからな、前の俺たちに神様を残してくれたことには感謝すべきだろう」
もっとも、他の神様は全部纏めて消してしまっていたんだが…。
太陽の神様も月の神様も、ありとあらゆる神様をな。
「うん…。前のぼくたちが生きてた時代の神様は一人しかいなかったものね」
だけど、SD体制を敷いて人間を支配するなら、そういう風にするしかなかっただろうし…。
文化を幾つも消してしまったのも、色々な神様を消したのも同じ。
でも、そのプログラムをグランド・マザーに組み込んでくれた人に、会って御礼を言いたいね。
前のぼくたちのために、神様を残す仕掛けをしてくれた人。
「俺もお前と同じ気持ちだな、会える筈など無いんだが…」
きっと神様をよく知っていた学者か、とても詳しい研究者というヤツだったんだろう。
人間にとって神様がどれほど大切なものか、それを本当に知っていた人だな。
全ての母を名乗る機械が、聖母だと名乗らないように。
自分自身が神になることを、決して考え付かないように。
そういうプログラムが必要なことに気付けたほどに、神という存在に詳しかった人。人間の心の支えになることも、力だけでは人間は生きていけないことも知っていた誰か。
学者だったのか、研究者だったか、その人物が関わっていたから、グランド・マザーは最後まで神になることは出来ずに終わった。神の母を、聖母を名乗ることなく。
グランド・マザーが聖母だと自称していなかったから、前の自分たちも神を持つことが出来た。人類と同じ神に祈って、白いシャングリラに白い百合を植えた。
人の歴史には欠かせない花だと、これは聖母の花なのだから、と。
白い鯨の公園に幾つも咲いていた純白のマドンナ・リリー。
遥かな昔は教会を飾った、聖母の象徴だった白百合。
その百合を植えることが出来た自分たち、神を失わずに済んだミュウたち。
ミュウの心を守るプログラムを、グランド・マザーに組み込んでくれた人間は…。
「…誰だったんだろうね?」
神様に詳しかった人。…前のぼくたちのために、神様を残してくれた人…。
「さあなあ…。そいつも地球と一緒にすっかり燃えちまったしな…」
グランド・マザーに直接関係していた人間が誰か、そのデータも地球にあったようだし…。
もう分からないな、グランド・マザーのプログラムがどうなっていたかと同じで。
聖母になれない仕掛けをした人が誰だったのかも、もう調べようがないってな。
礼を言いたい気持ちになっても、会えるわけもない人なんだがな…。とうの昔に死んじまって。
「そうだけど…。そのプログラムはホントに凄いよ」
ミュウ因子の排除を禁止するより、よっぽど凄いね。
そっちの方なら、大抵の学者や研究者は思い付いたんだろうし…。
SD体制が始まるよりも前に、ミュウは生まれていたんだから。ミュウ因子が存在するんだってことに、人間がちゃんと気付いたほどに。
ミュウの因子を見付けさえすれば、排除出来ないようにすることも簡単に思い付くけれど…。
機械が神様になっちゃいけないっていうのは、誰でも気が付くことじゃないよ?
グランド・マザーを動かし始めて、それから「しまった」と思いそうだよ。
「確かにな…。神様は目には見えないからな」
データとして出てくるミュウ因子と違って、計算したって何も出てきやしないだんだし…。
こういう風になったらマズイ、と見抜く頭脳を持っていなけりゃ、無理だったかもな。
ついでに、神様が人間にとって、どれほど大切な存在なのか。
それを知っていた人にだけしか、出来ない発想だったかもしれないなあ…。
SD体制の時代の幕が開く前に、滅びゆく地球でグランド・マザーを作った人間たち。
多くの研究や会議を重ねて、プログラムを組んだのだろう人たち。
ミュウ因子の排除を禁止していたプログラムの存在は今でも広く知られるけれども、機械が神にならないようにと組まれたプログラムは知られていない。本当にあったか、無かったのかも。
けれど、あの時代に生きた自分たちだから、分かること。
そういうプログラムは存在したのに違いないと。誰かが作って組み込んだのだと。
今では名前も分からない誰か。
神に詳しく、人の心にどう働くかも、よく知っていた学者か研究者。
その人間が神になることを禁止したから、グランド・マザーは最後まで機械のままだった。神の母だと名乗ることなく、聖母の名前を騙ることなく。
お蔭で神を失くさずに済んだ、前の自分たちとシャングリラ。
白いシャングリラのあちこちに咲いていた花、聖母の百合のマドンナ・リリー。
前の自分たちを救ったプログラムを、グランド・マザーに組み込んだ誰か。
神に詳しかった学者か、それとも研究者だったのか。
その人物は何処へ行ったのか、今も何処かで暮らしているのか。宇宙の何処かで新しい身体で、新しい人生を生きているのだろうか…。
「グランド・マザーのプログラムを組んでくれた人…」
今も神様を大切にしている人なんだろうね、きっと何処かで。
神様の所に今はいるのかもしれないけれども、生きてる時には神様を大事に思っている人。
「だろうな、自分じゃ何も覚えちゃいないだろうがな…」
グランド・マザーに関わったことも、そういうプログラムを組み込んだことも。
綺麗に忘れて生きてるんだろうが、神様を大切にしてることだけは多分、間違いないだろう。
そういう人にしか出来んプログラムだ、「神になるな」というプログラムは。
もしかしたら、この町に住んでいる人かもしれないが…。
会った所で、向こうは何も覚えちゃいないし、俺たちだって「あの人だ」と分かりはしない。
実に残念だが、こいつは今更、どうしようもないことだってな。
ハーレイが言う通り、あのプログラムを組んでくれた人には出会えない。
会って御礼は言えないけれども、前の自分たちの未来を救ってくれた人だから。
心の支えを失わないよう、神を失くしてしまわないよう、グランド・マザーが聖母になることを禁じてくれた人だから。
「…えっと…。会いに行くことは出来ないけれども、御礼、言おうよ」
気持ちだけでも、きちんと御礼を言っておきたいよ。
顔も名前も分からなくても、その人に御礼。
「ふうむ…。聖母の百合って話をしながら、ユリ根を食ってしまったんだが…」
茶碗蒸しを食べ終えてしまったわけだが、まあ、いいか…。
ユリ根が採れる百合と聖母の百合とは、別物だしな。
「ぼくも食べちゃったよ、茶碗蒸し。ユリ根ごと全部…」
だけど、ユリ根のお蔭でシャングリラの百合を思い出したし、聖母の百合だって気付いたし…。
きっと許して貰えるよ。
マドンナ・リリーの球根を掘って、食べちゃったっていうわけじゃないしね。
だから御礼、とハーレイと二人、窓の向こうに頭を下げた。
この町にいるか、宇宙の何処かか、天国にいるのだろう人に。
「ありがとう」と。
前の自分たちに、神を残してくれた人。
グランド・マザーが聖母になってしまわないよう、プログラムしてくれた優しい人。
その人のお蔭でミュウが生き残り、白いシャングリラが地球まで辿り着けたから。
青く蘇った地球の上まで、ハーレイと一緒に来られたから。
いつまでも、何処までも、二人で生きてゆける場所。
前の自分が夢に見た地球で、ハーレイと二人、手を繋ぎ合って何処までも歩いてゆけるから…。
聖母の百合・了
※神になることが出来なかった、グランド・マザー。恐らくは、プログラムのせいで。
真相は今も謎ですけれど、ミュウたちが神を失わないよう、手を打った人がいたのでしょう。
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