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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

隠していた恋

「ね、ハーレイ」
 温めてよ、と小さなブルーが頼んだ休日。ちょっと温めて欲しいんだけど、と。
 よし、とハーレイが差し出した大きな手。「ほら」と右手を包み込もうと、心得たように。頼む時はいつも、そうだから。「温めてよ」とハーレイに強請る日は、いつも。
 前の生の最後に凍えた右手。撃たれた痛みで失くしてしまった、右手に持っていた温もり。最後まで持っていたかったのに。ハーレイの温もりを持っていたなら、一人ではない筈だったのに。
 独りぼっちだと泣きじゃくりながら、前の自分は死んだから。
 冷たかった右手を覚えているから、今もハーレイに温めて貰う。右の手が冷えていない時でも、その温もりが欲しくなるから。
 けれども、今日は欲しいものが違う。温めて欲しいのは右手ではなくて…。
「どうしたんだ、ブルー? 手を寄越さないと温められないぞ?」
 早くしろよ、と鳶色の瞳が促すから。
「それじゃなくって…!」
 こっち、と乗っかったハーレイの膝。自分の椅子から立って行って。テーブルを挟んだ向こうへ回り込んで。
 膝の上に座って、両腕でギュッと抱き付いた大きな身体。広くて逞しい胸にピタリとくっつく。
(ふふっ、あったかい…)
 ぼくのハーレイ、と頬を、身体を擦り寄せる。ハーレイはぼくのものなんだから、と。



 甘える仕草に途惑いながらも、ハーレイは腕を回して抱き締めてくれた。落っこちないように。
 それから溜息交じりの声が降って来た、頭の上から。
「お前なあ…。温めてくれって、手じゃないのか?」
 いつだって右手ばかりだろうが。何なんだ、これは。俺にお前をどう温めろと?
「全部に決まっているじゃない! ハーレイにくっついているんだから!」
 たまには丸ごと温めてよ。右手だけだなんて、ケチなことをしないで。
 ぼくたち、恋人同士だけれども、キスをするのは駄目なんでしょ?
 キスは頬っぺたと額だけだぞ、ってハーレイ、いつも言ってるから…。唇は駄目、って。
「当然だろうが。お前はまだまだチビで子供だ」
 前のお前とそっくり同じ背丈になるまで、キスは駄目だと言った筈だぞ。
 あと二十センチだ、頑張って伸ばせ。…俺としては急いで欲しくないがな、子供時代を思い切り楽しんで貰いたいからな。
「いつだって、そう言うんだから…。ゆっくり大きくなるんだぞ、って」
 キスが駄目なら、ぼくを丸ごと温めるくらいのことはいいでしょ?
 ほんのちょっぴりくっつくだけだよ、ぼくはそんなに重たくないと思うから…。
 それに身体ごと、もっとしっかり温めて欲しいと思っても…。
 本物の恋人同士になるのも駄目みたいだし、と言ったらコツンと小突かれた。額を、軽く。
「そういう魂胆なら降りて貰うぞ。俺を誘惑しようってか?」
 チビのくせして、一人前に…。降りて自分の椅子に戻るんだな。
「駄目!」
 一人で座るより、二人がいいよ。ハーレイと一緒に座っている方が、断然いいよ。



 もうくっついた、と抱き付いていたら。降りてたまるかと甘えていたら…。
(嘘…!)
 慌てて離れたハーレイの身体。膝からピョンと飛び降りた。有り得ない音が聞こえたから。扉の向こうで母の足音。階段を上ってやって来る音。
 大急ぎで自分の椅子に戻って、何食わぬ顔でカップも手にした。飲んでるんです、といった風になるよう、紅茶のカップを。中身は少しは減っているから。
 でも…。
(…違った…)
 階段を上がって来た母の足音は、違う方へと。こちらへは来ずに、遠ざかってゆく。母の部屋に用事があったのだろう。何かを取りにやって来たとか、置きに行くだとか。
 紅茶のカップを手にしたままで息を詰めていたら、暫くしてから下りてゆく音。さっきとは逆に階段を下へ、トントンと。
 母の足音が消えてしまってから、安堵の息と一緒に零れた言葉。
「ビックリした…」
「実は俺もだ」
 俺としたことが驚いちまった、心臓がドキンと跳ね上がったぞ。
 柔道の試合の真っ最中でも、落ち着いてるのが自慢なんだが…。そうでなきゃ俺が負けちまう。相手のペースに持ち込まれたら負けだ、勝負ってヤツは。
 思いもよらない技で来たって、冷静に対処出来てこそだが…。
 どうやら一本取られちまったな、お前のお母さんに。見事な一本背負いってヤツで。



 試合だったら俺は今頃床の上だ、とハーレイは両手を広げて降参のポーズ。負けちまった、と。
(…ママ、ハーレイを投げ飛ばしちゃった…)
 なんだか凄い、と思うけれども、さっきの母は本当にハーレイを心底驚かせたのだろう。試合中なら、母のペースに持ち込めるような勢いで。
(ぼくもビックリしちゃったもんね…?)
 ハーレイのように上手い例えは見付からないけれど、自分も母にしてやられた。油断していて、隙だらけ。柔道だったら投げ飛ばされて、床に転がされていたのだろう。
(…ママが二階に来るなんて…)
 こんな時間に、と眺めた時計。反則だよね、と。
 ハーレイとこの部屋で過ごすようになって、いつの間にか二人で気付いていたこと。二人きりでゆっくり過ごせる時間は此処、と。
 母が扉を軽く叩いて、「お茶のおかわりは如何?」と現れない時間。
 最初の間は階段を上る音がしないかと、常に気にしていたのだけれど。何度も二人で会っている内に、母のルールというのを覚えた。この間ならば来ないようだ、と。
 今の時間もそういう時間。母が扉をノックしない時間。
 知っていたせいで、安心し切っていたものだから。ハーレイもそれが分かっていたから、甘えていたって許してくれた。膝の上に座って抱き付いていても。



 母は来ないと二人揃って思い込んでいたら、とんだ不意打ち。いきなり聞こえた母の足音。行き先は別の部屋だったけれど、扉を叩きはしなかったけれど。
 縮み上がってしまった心臓、自分も、それにハーレイだって。
「…ホントにビックリしちゃったけれど…。ママの足音」
 でも、間に合ったね、ぼくの逃げ足。ママが来てても、絶対にバレなかったと思う。ハーレイの膝に座ってたことも、抱き付いてくっついてたことも。
「まったくだ。鮮やかだったな、チビだけにすばしっこいってか?」
 座るだけじゃなくて、カップまで持って。何処から見たって、椅子から動いちゃいないってな。
「ぼくも上出来だったと思う。顔だって普通だったと思うよ」
 ビックリした、って顔じゃなくって、普通の顔。ドキドキしてるのは心臓だけで。
 だからね、きっとホントに来ちゃった時でも大丈夫だよ。
 ハーレイにくっついて甘えてる時にママが来たって、ちゃんと元通りに椅子に座って。
「悪いヤツだな、お母さんに内緒の恋人か」
 べったりくっついて、キスだの何だの言ってるくせに…。お母さんには秘密なんだな?
「ハーレイだって、おんなじじゃない!」
 ぼくがホントは恋人だってこと、ママもパパも少しも知らないんだから…!
 ずうっと秘密で隠してるでしょ、ぼくと同じで内緒じゃない!
「まあな。…バレちまったら、色々と困るんだろうしなあ…」
 お前が大きくなっていたなら、何の問題も無いんだが。
 生憎と、恋をするには早すぎる年で、立派にチビの子供だからなあ…。誰が見たって。



 俺の方が大人な分だけ、お前よりもタチが悪いかもな、と苦笑するハーレイ。同じように隠しているにしたって、お前はチビだからまだマシだが、と。
「…そういうものなの?」
 おんなじ秘密を抱えているのに、ハーレイの方が悪いってことになってしまうの?
 先生だからっていうんじゃなくって、大人だから…?
「大人だからというのもあるし、俺の方が遥かに年上だしな?」
 こういった秘密の恋ってヤツはだ、見付かった時には年上の方が分が悪いもんだ。
 責任はお前にあるんだろう、と責められるのは年上の方だってことさ。長く生きてりゃ、知恵もつくしな。甘い言葉でたぶらかしたとか、巧みにたらしこんだとか。
 隠さなければいけないような恋の道へと、若いヤツを引き摺り込んだ悪党なんだからな。
「そうなんだ…。責任を問われちゃうんだね。バレちゃった時には、年上の方が」
 だったら、前のぼくたちだと…。
 ハーレイと恋人同士だったのがバレちゃっていたら、悪者にされてしまうのは…。
「お前の方ってことになるのかもなあ、俺より遥かに年上だったし」
 見た目はともかく、本当の年。…お前の方が俺よりもずっと年上だったんだから。
「中身はそうじゃなかったけどね」
 ぼくの中身は年下だったよ、ハーレイよりも。
 記憶をすっかり失くしてしまって、成長も止めてしまっていたから…。身体も、心も。
「最初だけはな」
 俺の後ろにくっついて歩いてたチビで、中身も見た目と同じだったが…。
 外見そのものの子供だったが、それは最初の内だけだろうが。俺よりも年下だったのは。



 後の時代は違うだろ、というハーレイの指摘。ちゃんと成長して行ったから、と。
「物資を奪いに行っていたチビが、リーダーと呼ばれるようになっていって…」
 立派にソルジャーになったわけだし、あの頃にはもうチビじゃない。…俺の前では違ったが。
 後ろにくっついて歩かないだけで、俺に甘えていたのがお前だ。昔と同じで。我儘も言ったし、弱さも見せた。…俺の方がずっと年上なんだ、とお前は思っていたからな。心の中身。
 しかしだ、皆の前では違った。俺を従えて歩くソルジャーで、誰よりも年上の長だってな。
「…ブラウたちはそれまで通りだったよ?」
 エラは「ソルジャーは誰よりも偉いのですから」って言っていたけど、ブラウとかゼル。それにヒルマンも、ちゃんと分かってくれていたけど…。
 ぼくはちっとも変わっていない、って。責任が増えた分、頑張っているだけなんだ、って。
 だから前のぼくを支えてくれたし、ぼくよりも年を取っている分、力になってくれたけど…。
 本当の年はずっと上でも、心の中身はブラウたちの方が年上みたいなものだったから。
「それは確かにそうなんだが…。前の俺にも分かっちゃいたが…」
 船のヤツらも、アルタミラから一緒だったヤツらは知っていたろう。チビだったお前が頑張って育って、ソルジャーをやっていたことを。…本当のお前は年下なんだということを。
 最初から船に乗ってたヤツらは、全員、年上だったんだからな。見かけだけなら、お前よりも。
 つまりはお前より大人だったわけで、チビだったお前も当然、知ってる。
 だが、アルテメシアに着いてから増えた仲間は違うぞ。あいつらはソルジャーしか知らない。
 追われていた自分を助けてくれたのは誰か、誰のお蔭でシャングリラまで逃げて来られたか。
 一番最初に教わることだぞ、ソルジャー・ブルーの偉大さってヤツは。
「うーん…。ヒルマンの係だったっけね、それ…」
 シャングリラに来た子が落ち着いて来たら、船の仲間たちを紹介して。
 前のぼくに会うのは一番最後で、「ソルジャーに御礼を言いなさい」だっけ…。
 それよりも前に養育部門で会っていたって、ぼくと一緒に遊んでいたって、あの時だけは別。
 偉い人なんだ、って緊張しちゃって、御礼も言えずにピョコンと頭を下げるだけの子とか。



 確かにハーレイの言う通り。雲海の星、アルテメシアで救出されたミュウの子供たち。
 新しく船に加わった仲間は、前の自分が子供の姿だった時代を全く知らない。あの船やミュウの歴史を学ぶ時には教わるけれども、たったそれだけ。子供だった前の自分に会ってはいない。
 彼らが見たのは、ソルジャーとして完成された姿だけ。誰よりも年上で、青の間で暮らす偉大なソルジャー。その人生はミュウの歴史そのもの。
「…じゃあ、ハーレイと恋人同士だっていうことがバレてたら…」
 悪者扱いされてしまうの、どっちだったわけ?
 本当の年はぼくの方が上で、中身はハーレイの方が年上だったんだけど…。
「さてなあ…。お前の方が遥かに年上なんだし、分が悪いのか…。それとも俺の方なのか」
 どちらが相手をたぶらかしたということになったか、大いに悩むトコではあるな。
 ゼルたちだったら、俺を悪者にしそうだが…。場合によっては殴られちまいそうなんだが。
 若いヤツらは、どうだったんだか。…年上なのはお前だしなあ、偉いのもな。
「…悪者になるの、ぼくなのかな?」
 退屈で恋の相手が欲しくて、ハーレイを青の間に引っ張り込んで…。
 キャプテンの仕事で忙しいのに、ぼくのお相手までさせていたってことになるのかな?
「そうなのかもなあ、若いツバメというヤツで」
 薔薇のジャムは似合わないと言われちまった、この顔だがな。
 なんて物好きなソルジャーだろうと、お前の趣味まで疑われるぞ。もっと若くて顔のいい仲間は大勢いるのに、なんだってアレを選んだんだ、と。
「そうなっちゃうかもね…。バレてしまったら、シャングリラの危機だと思ってたけど…」
 深刻な話になるよりも前に、笑い物にされちゃっていたのかも…。
 前のぼくの趣味が酷すぎる、って船中の話題になってしまって、針の筵になってたかもね。
「有り得るなあ…。そういう情けない結末も」
 お前の趣味の悪さばかりが問題になって、格好の話題を提供して。
 俺たちが心配していたようなことは、誰も言いさえしなかったかもな。もっとマシな恋人を探すようにと、前のお前に進言するヤツが次から次へと現れるだけで。



 前の自分との恋がバレたら、若いツバメになるらしいハーレイ。年の差が大きすぎるから。前の自分の方が遥かに年上、ハーレイの立場は若いツバメに違いないから。
 そうなっていたら、と二人して笑い転げた。実際は誰にもバレはしなくて、今の時代もバレてはいない。前のハーレイは航宙日誌に書かなかったし、前の自分も記録を残しはしなかったから。
 誰も気付きはしなかった恋。ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイの恋。
(あれ…?)
 確かに隠し続けた恋。誰にも知られてはならないと。
 白いシャングリラが出来上がった後、アルテメシアに辿り着いてから芽生えた恋。アルタミラの地獄で出会った時から、ずっと互いを特別に思っていたくせに。
(…ぼくもハーレイも、恋だと気付いてなかったから…)
 恋に落ちた時は、船に新しい仲間が増えていた。ソルジャー・ブルーしか知らない仲間。チビの頃の自分をまるで知らなくて、ハーレイとの恋がバレた時には若いツバメだと思いそうな仲間。
 そういう仲間たちが大勢いた船、その船でハーレイと恋をしていて…。
(前のぼく、必死に隠してた…?)
 今日の自分がやったみたいに。
 母の足音を聞いて、大慌てで椅子に戻った自分。あんな具合に、危機一髪といった状況。
 上手に隠して振舞わないとバレるから、と。
 そうなってしまったら大変だからと、とても慌てたような気がする。白いシャングリラで。



 前の自分が懸命に隠していたらしい恋。若いツバメかどうかはともかく、ハーレイとの恋。
(隠すって、誰から…?)
 皆の前では、あくまでソルジャーとキャプテンだった二人。言葉遣いも、仕草も、全部。
 恋人同士の時間を過ごした青の間や、前のハーレイの部屋。其処から一歩外へ出たなら、全てをきちんと切り替えていた。互いを見る時の表情までも。
 そこまで徹底していたのだから、自分たちの仲を見破れるような仲間はいなかった筈。
 恋人同士になるよりも前から、ハーレイと二人で朝食を食べていたから、なおのこと。早朝から青の間にハーレイがいても、あくまでキャプテンの仕事の一環。報告する事項が多かっただけ。
 キャプテンが夜に青の間に行くのも、一日の報告をしに出掛けるわけだし、問題はない。報告を終えてキャプテンの部屋に帰ったかどうか、監視するためのカメラも無かった。監視カメラを常に見ている者だって。
 白いシャングリラは、管理社会だった人類の世界とは違ったから。皆の生活を尊重したから。
 そのせいで、後にキースが逃亡した時、対応が後手に回ったけれど。捕虜の部屋を監視していたカメラはあっても、逃げ出した先の通路などには監視カメラが無かったから。
 そういう船だったシャングリラ。恋人同士で過ごす時間を隠すくらいは簡単なこと。
(別に必死に隠さなくても…)
 人のいない通路でハーレイとキスをしていたほどだし、苦労をしていた筈がない。普段の行動に気を付けていれば、決してバレはしないのだから。
(でも、慌ててた…?)
 バレてしまう、と慌てた記憶。さっき自分が慌てたように。
 しかも、一度や二度ではなかったような気までしてきた。何度も慌てふためいていた、と。
 そんなことなど有り得ないのに。上手く隠して、平然と振舞っていた筈なのに。



 何か変だ、と首を傾げてしまった記憶。前の自分たちは本当に上手くやっていたのに。
(…慌てるなんてこと、一度も無かった筈なんだけど…)
 記憶違いか何かだろうか、と考え込んでいたら、ハーレイに「おい」と声を掛けられた。
「どうかしたのか、黙り込んじまって」
 可笑しそうにコロコロ笑っていたのに、いきなり黙ってしまったぞ、お前。
 お母さんの足音がした時みたいに、それこそピタリと。
「それなんだけど…。前のぼくも慌てていたような気がして…」
 変だよね、慌てることなんか一度も無い筈なのに。…いつもきちんとしてたのに。
「何の話だ?」
 慌てるだとか、前のお前だとか。俺にはサッパリ分からないんだが…?
「若いツバメの話だよ」
「はあ?」
 ますます謎だぞ、若いツバメの話で笑っていただろうが、お前。…慌てるどころか。
「本物の若いツバメだってば、前のハーレイとぼくのことだよ」
 バレたら大変、って慌ててたような気がするんだよ。前のぼくが。
 それも一回や二回じゃなくって、何回も…。バレちゃいそうだ、って大慌てで。
「それは無いだろ、俺たちは注意してたんだから」
 お前の部屋と俺の部屋でしか、恋人同士の会話はしない。…そいつが基本だ。
 外で会ったらソルジャーとキャプテン、表情にだって気を付けてたぞ。慌てるも何も、そういう場面が無いと思うが?
 青の間も、前の俺の部屋も、許可を得てから入るというのがシャングリラの約束事だったし。
「そうだよねえ?」
 今のぼくの部屋と違って、うんと特別な部屋だったから…。青の間も、前のハーレイの部屋も。
 挨拶もしないで入る仲間はいないし、ベッドに入っていたとしたって、時間はたっぷり…。
 少し待って、って返事しておいて、起きて着替えればいいんだから。
 中の様子は覗けないもの、シャワーを浴びる間だって待たせておけるよ。ぼくもハーレイも。



 今の自分の部屋と違って、閉じ籠もれた上に、証拠隠滅のための時間も取れた部屋。前の自分が暮らしていた部屋、青の間の守りは完璧だった。キャプテンの部屋も似たようなもの。
(…部屋付きの係も、留守の時しか黙って入りはしなかったから…)
 不意打ち出来るような仲間は誰もいなかった筈、と思った途端に気が付いた。たった一人だけ、いたことを。不意打ちして来た例外が一人。
「そうだ、ジョミーだ…!」
 ジョミーだったんだよ、前のぼくを慌てさせてたの…!
 ぼくとハーレイが一緒にいる時に、何度も青の間に入って来て…!
「あいつか…!」
 そういや、あいつがいたんだっけな。…俺も何度も慌てたんだった、いきなり来るから。
 何の前触れも無いんだよなあ、なまじっかタイプ・ブルーなだけに。
 おまけに、入室許可なんか取りはしなくて、いつも突進して来やがるんだ。自分の都合で。
 あのタイプ・ブルーの厄介者は…、とハーレイも顔を顰めたジョミー。
「…前のぼくもウッカリしてたんだけどね…」
 ジョミーが船にやって来た頃には、何も問題無かったから。…ぼくたちのことに関しては。
 他の件だと、問題は山積みだったけど…。ジョミーは少しも船に馴染もうとしなかったしね。
「喧嘩は起こすわ、ヒルマンの言うことも聞きはしないわ…」
 そんな調子だから、そもそも青の間に来なかったしな。お前の方針でもあったわけだが…。
 自分の意志で来ようとするまで放っておけ、と。
 あれじゃ作法を学ぶことさえ無いってな。青の間に入る時には入室許可を貰うこと、と。
「うん…。それを教えるのは、ヒルマンだし…」
 そのヒルマンの講義だってロクに聞きやしないし、エラの出番は無かったし…。
 ソルジャーに敬語で話すどころか、青の間に行く時の礼儀作法を教わる場面も無かったよね…。



 それも良かろう、とジョミーを放っておいたのが前の自分。挙句にジョミーは、船に慣れなくて逃げ出したほど。「ぼくをアタラクシアに、家に帰せ」と言い放って。
 もっとも、全て計算ずくではあったけれども。
「ジョミーが船で暮らしてた間、ぼくは弱っていたけれど…」
 成人検査を妨害するのに力を使いすぎてしまって、身体を起こすのも辛かったけれど…。
 でも、ハーレイはちゃんと毎晩、ぼくの所に来てくれていたし…。
「何も変わりはしなかったからなあ…。俺たちが二人で過ごす時間は」
 弱っちまったお前を抱き締めて、「早く治せよ」って言ってやって。
 時間がある日は野菜スープも作っていたんだ、お前のために。…お前が寝込んだ時と同じに。
「うん…。たまにジョミーの強い思念が飛び込んで来たけど…」
 夜はジョミーも眠っていたしね、ぼくたちの邪魔にはならなかったよ。ほんの少しも。
 だから…。



 二人して安全だと思い込んだジョミー。他の仲間たちと同じで問題無し、と。
 ソルジャー候補としての前途は多難だけれども、それはそれ。自分たちの恋が脅かされる心配は無いと、今までと何も変わりはしないと。
 いずれジョミーが一人立ちしたら、ソルジャー・ブルーは不要になる。ソルジャーはジョミーに代替わりをして、前の自分の負担も減るかもしれない、と思ったくらい。
 そうなったならば、残り少ない寿命が尽きるまで、ハーレイとゆっくり過ごせるだろう。二人でいられる時間の長さは変わらなくても、自分の負担が減った分だけ。
(そんな夢まで見てたんだけどな…)
 きっと幸せに違いない、とその日を夢見た。いつかソルジャーではなくなる日を。



 ジョミーが船から出て行った後も、直ぐに戻ると考えていた。自分の居場所が無いという現実、それをアタラクシアで知ったら。空っぽになった家を見たなら。
 船に戻れば、ジョミーはソルジャーを継ぐしかない。そして自分はいずれ引退。
 そう思ったのに、一筋縄ではいかなかったジョミー。船には戻らず学校に出掛け、幼馴染たちに会ったりしたから、直ぐに追手がかかってしまった。
 ジョミーはユニバーサルに捕まり、それからはもう大変な騒ぎ。前の自分は命懸けでジョミーを追う羽目になった。自分は生きて戻れなくても、ジョミーだけは、と。
(だけど、なんとか戻って来られて…)
 思った以上だったジョミーのサイオン、それに救われて戻った自分。力は尽きていたけれど。
「お前が無事に戻ってくれてホッとしたんだ、あの時は…」
 ジョミーには散々振り回されたが、とハーレイが今でも呻くくらいの命の瀬戸際。死んでいても不思議ではなかった状況。ハーレイはきっと、気が気ではなかったのだろう。
「…ぼくも嬉しかったよ、生きて戻れて」
 もう戻れないと思っていたもの、シャングリラを離れて飛び立った時は。
 …こんな所で死んじゃうんだな、って。ハーレイに「さよなら」も言えないままで。
 それなのに、生きて戻って来られたから…。ハーレイが「大丈夫ですか」って来てくれたから。
 幸せだったよ、またハーレイと生きてゆけるんだ、って。
 いつかジョミーがソルジャーになったら、もっと幸せに残りの時間を過ごせるよね、って…。



 思いがけなく手に入れられた、命の続き。ハーレイと一緒に生きてゆける時間。
 その幸せを噛み締めながら日々を過ごして、ある夜、青の間で抱き合っていたら。
「ソルジャー・ブルー!」
(えっ!?)
 突然響いた声に、慌てて離れた。ハーレイの胸から。
 すっかり身体が弱っていたから、本当にただ抱き合っていただけ。ソルジャーの衣装もマントも着けたまま、ハーレイもキャプテンの制服のままで。ベッドの端に腰を下ろして。
 前の自分は座り直して、ハーレイはベッドの側に控えた。其処へ駈け込んで来たジョミー。息を切らせてスロープを上がって。
 そして、ようやく二人いることに気が付いたらしく。
「あれっ、ハーレイ?」
 何故、とキョトンとしているジョミーに、ハーレイは穏やかな笑みを浮かべて返した。
「どうなさいました、ジョミー?」
 こんな時間に…。居住区や通路は、とうに暗くなっていると思いますが…?
「ううん、ちょっと…」
 特に用事は無かったんだけど…。その…。ちょっとだけ…。



 腹が立ってとても眠れないのだ、と零したジョミー。昼間の訓練で長老たちに小言を言われて、横になるとそれを思い出すから。ゼルの怒鳴り声やヒルマンの渋面、エラの顰めっ面などを。
 誰かに愚痴を言いたくなっても、ジョミーの周りにまだ友はいない。船の仲間たちは、人類軍に攻撃された時のことを覚えているから。
 それがジョミーのせいだったことも、ソルジャー・ブルーまで喪いかねなかったことも。
 だから駆け込んで来たジョミー。愚痴を言うなら此処が一番、と。ハーレイがいたことに驚いたものの、ジョミーは一息に不平不満をぶちまけて…。
「…ごめん、遅くに文句ばかりで。でも、全部言ったらスッキリしたから…」
 また明日からは頑張れそう。おやすみなさい!
「あ、うん…。おやすみ、ジョミー」
「キャプテンも遅くまでご苦労様! お互い、毎日大変だよね!」
 無理しないでね、と元気に駆け出して行ったジョミー。さっきまでとは打って変わって、明るい笑顔でスロープを降りて。その姿が扉の向こうに消え失せてから…。
「…ご苦労様じゃない…んだけどね?」
 君は仕事に来たわけじゃなくて、ただ単に…。
「ええ…。仕事はとうに終わりましたし…」
 あなたのお側にいるというだけで、これから寝ようかという所ですが…。
 おやすみのキスをあなたに贈って、あなたを腕にしっかりと抱いて。
 まさかジョミーがやって来るとは…、とハーレイを嘆かせた、とんでもなかった闖入者。
 安全だとばかり思っていたのに。他の仲間と全く同じで、何の心配も無いと信じていたのに。



 それから後も何度もやられた。ハーレイと二人で過ごしている時、何の前触れもなく飛び込んで来たジョミー。普段は思念で分かるというのに、この時ばかりは分からなかった。
(…腹が立ってた分、遮蔽の力が逆に強かったとか…?)
 誰にも言えない愚痴を抱えて怒っていたから、そのせいで。筒抜けにならずに、胸の中だけ。
 「ブルー!」と叫ぶ声を聞く度、何度慌てたか分からない。早くハーレイから離れなければと、きちんとジョミーに向き合わねばと。
 前の自分が深く眠ってしまうまで。ハーレイと二人で眠っていた夜が無くなるまで。
「…前のぼく、ジョミーのせいで、とっても苦労してたよ…」
 いつ飛び込んで来るか分からないから、いつだって、とても大慌てで。
「俺もそういう気がしてきた。…苦労したんだ、と」
 あいつはお前のお母さん以上に、パターンが読めなかったしな…。
 今日は来そうだ、と身構えていたら、来ないで終わって肩透かしを食らうし、その逆も、だ。
 おまけに足音がするわけでもなくてだ、いつもいきなり「ブルー!」なんだ。
「タイプ・ブルーな上に、元気は余っていたからね…」
 変な時だけ、遮蔽が完璧だったんだよ。愚痴を零しながら走って来たら分かるのに…。
 全部溜め込んで、少しも漏らさずに走って来るから、余計に始末が悪かったんだよ。
 そんなジョミーに、「青の間に入る時には、許可を取ること」って言っても怒るだけだから…。
 今更教えても仕方ないよね、って諦めるしか無かったんだよ…。



 何度も慌てさせられたけれど、それでもジョミーには気付かれないで済んだ恋。青の間に夜遅くキャプテンがいても、仕事なのだとジョミーは勘違いをしてくれたから。
 とはいえ、危うい橋を渡っていたのだろうか、今から思えば。
 ジョミーが来てからは、自分たちの恋は。
 一つ間違えたら、二人一緒にベッドの中だとか、キスの最中かもしれなかったから。
「…前のぼくの後継者、危険が一杯…」
 ミュウの未来のためには必要だけれど、凄く危険な存在だったかも…。
「前の俺たちにとってはな。いきなり飛び込んで来るんだから…」
 どんなはずみでバレてしまうか分からないじゃないか、俺たちがどういう関係なのか。
 俺はいつだって青の間にいたし、お前と抱き合っていた真っ最中だし…。
「…バレてないんだよね?」
 前のぼくとハーレイが、恋人同士だったこと。…ジョミーは知らなかったんだよね?
「そうだと思うぞ。…お前がいなくなっちまった後に、何も言われていないからな」
 気付いていたなら、きっと慰められただろう。俺は恋人のお前を失くしちまったんだから。
「それが根拠なの? だったら、どうかな…」
 ジョミー、人が変わったみたいになってたんでしょ、ナスカから後は。
 わざわざハーレイに言いに来るかな、「大丈夫かい?」って。
 ハーレイを慰めているような暇があったら、とにかく進め、ってことにならない…?
「そういえば、そうか…」
 俺の魂が死んでしまっていたのと同じで、あいつは感情をすっかり殺しちまってた。
 例外なんかがあるわけがないな、たとえ前のお前の恋人でもな…。



 結局、ジョミーは気付いていたのか、いなかったのか。
 何度も不意打ちされたけれども、前の自分とハーレイとの恋に。いつも二人で迎えたけれど。
「…謎だね、ジョミーがどっちだったか…」
 知っていたのか、知らないままか。…なんにも記録は残ってないし…。
「うむ。気付いていたのに、秘密を抱えて死んじまったのか、それとも知らなかったのか…」
 謎ではあるなあ、あいつのこと。
 今となっては確かめようもないんだが…、とハーレイも首を捻っているけれど。
 前の自分たちの恋に、気付いていたかもしれないジョミー。何度も青の間に飛び込む内に。
 もしもそうなら、ジョミーに礼を言っておかねばならないだろう。
 前のぼくたちの秘密を守ってくれてありがとう、と。お蔭で幸せな恋が出来たよ、と。
「…ハーレイ、どうする? ジョミーが秘密にしてくれてたなら…」
 お礼を言わなきゃ駄目だと思うよ。前のぼくたち、ジョミーに見逃して貰ったんだから。
 シャングリラ中に思念波で喋られてたって、何も文句は言えないのに…。
 あの頃のジョミーの勢いだったら、本当に全部、筒抜けなのに。
「…一応、言うか? ありがとう、と」
「言っておきたいと思わない? だって、ジョミーはジョミーだもの」
 ぼくたちの恋には気付いてなかったとしても、地球まで行ってくれたソルジャー。
 命懸けで前のぼくの願いを叶えてくれたよ、だから御礼を言っておこうよ。
「そうだな、あいつも本当に最後まで頑張ったしな…」
 よし、とハーレイが頷いてくれたから、二人で窓の向こうの空に向かって御礼を言った。
 ありがとう、と。
 ぼくたちはとても幸せだからと、ジョミーも何処かで幸せに、と。
 前の自分たちの秘密の恋を、知っていたかもしれないジョミー。
 それならば、本当にありがとうと。今度の恋は秘密にしないで、結婚して幸せになるからと…。




             隠していた恋・了


※前のブルーとハーレイの恋に、気付いていたかもしれないジョミー。何度も二人を見る内に。
 けれど、どうだったかは分からないまま。ジョミーは気付いていたのでしょうか、本当は。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv










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