シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(え…?)
雪、とブルーが見上げたもの。まだ早すぎ、と。雪が降るには。
学校からの帰り道。家の近所のバス停で降りて、のんびり歩いていたら、ふわりと。頭の上から雪のひとひら、でも落ちて来ない。白い欠片は浮かんだまま。
何故、と真っ白な雪をよく見たら…。
(羽根…)
何かの小鳥か、それとも鳩か。柔らかそうな白い一枚、ふんわりと宙に浮いているそれ。まるで重さが無いかのように。羽根だけで飛んでいるかのように。
(流れてく…)
風は吹いてはいないけれども、空気の流れがあるのだろう。目には見えない、触れない流れ。
白い羽根はそれに乗ってゆく。ふうわり、ふうわり、流れてゆく。落ちて来ないで。
捕まえることが出来るかな、と白い欠片を追い掛けたけれど。もう少し、と伸び上がって懸命に手を伸ばしたけれど。
(残念…)
生垣の向こうに消えてしまった。ふわりと越えて、行ってしまった。
気が早すぎた雪のひとひら。本当は小鳥の羽根だけれども。
(今の、本物の雪だったら…)
是非とも捕まえたかった、と思う。不器用なサイオンでは無理なのだけれど、その分、頑張って追い掛けて。さっきよりも、もっと。
もしも、本物の今年最初の雪だったら。
一番最初に空から降って来た白い欠片なら、この手で捕まえてみたかった。
掴んだら雪は溶けてしまうから、そうっと手のひらで受け止めるように。上手い具合に、自分の方へと来てくれるように。手のひらの真ん中に、ふわりと落ちて。
捕まえたいな、と見上げる空。まだ秋の空で、雪の季節には少し早すぎ。
けれども、いつかは雪が降るから。真っ白で軽い雪が舞うから、最初のひとひらを捕まえたい。一番最初に降って来た雪、それを上手に捕まえられたら…。
(幸せな気分になれそうだものね?)
ぼくが一番、と空からの手紙を貰った気分。高い空から舞い降りた手紙。神様が作って、天使が雲の間から降らせる真っ白な雪。最初のひとひらは、天からの手紙かもしれないから。
受け取った人には幸せをどうぞ、と書かれた幸運のメッセージ。それが欲しいな、と。
雪は冷たいものだけれども、綺麗だから。
小さな右手で受け止めたって、きっと凍えはしないから。前の生の終わりに、温もりを失くして凍えた右手。ハーレイの温もりが消えてしまった手。
それが冷たいと泣きじゃくりながら死んだけれども、雪を受け止めても、右手が凍えはしないと思う。悲しい記憶が蘇る代わりに、胸が温かくなるだろう。
最初の雪のひとひらだったら、捕まえられた幸運に酔って。
手の上でそれが溶けてゆくまで、幸せな気分で見ているのだろう。辺りに雪が降っていたって、白い雪が幾つも降って来たって。
これが一番最初の一つ、と溶けてゆくのを惜しむのだろう。もう少し待って、と。
雪に手紙が書いてあるなら、それを読ませて、と。幸せの手紙の中身はなあに、と。
空から舞い降りる幸せの手紙。一番最初の雪のひとひら。
手紙を書くのは神様だろうか、それとも小さな天使だろうか、と考えていたら。
(雪の妖精…)
そっちかもね、と思った最初の雪のひとひら。幸せの手紙も素敵だけれども、妖精が乗っかっているかもしれない。一番最初に舞い降りる雪には、雪の妖精。
(雪の季節の始まりだもの…)
一緒に降りて来るかもしれない。空の上から、この地上へと。一番最初のひとひらに乗って。
雪の妖精が乗って来たなら、幸運どころか、願いを叶えてくれるかも、と広がった夢。妖精には不思議な力があるから、雪の妖精がいるのなら。
(雪の結晶って、花みたいだし…)
とても小さな氷の結晶、それが組み合わさったのが雪。色々な形の六角形が。
一つ一つが花のように見える、雪を作っている氷の結晶。六角形をした雪の花が幾つも。
花には妖精がいると聞くから、雪の花にだって、小さな妖精。
残念ながら、妖精に会ったことは一度も無いけれど。前の自分も、今の自分も。
(だけど、いるよね?)
遠い昔から伝わるのだから、出会ったことが無いというだけ。出会うチャンスが無かっただけ。
運が良ければ、きっと妖精にも会えるのだろう。花の妖精や、雪の妖精。
雪に妖精がいるのなら。六角形をした氷の花にも、妖精が住んでいるのなら。
出会いたいな、と描いた夢。雪の妖精、と。
家に帰って、制服を脱いで、母が用意してくれた美味しいおやつを食べて。
二階の自分の部屋に戻ったら、思い出した夢。帰り道に雪だと思って眺めた羽根と、雪の妖精。
真っ白な羽根は捕まえ損なったけれど、雪なら上手く掴みたい。サイオンを上手く使えない分、頑張って手を差し出して。追い掛けて、一杯に手を伸ばして。
一番最初の雪のひとひらを、妖精が乗っていそうなそれを。空から舞い降りて来た幸運を。
(雪の妖精…)
受け止めた雪から、妖精がヒョイと現れたなら。本当に乗って来たのなら。
どんな姿をしているのだろう、会ったことがない雪の妖精。雪だるまが雪の妖精だろうか?
(…雪だるまだったら、何処でも作るし…)
この地域でも、他の地域でも。雪を丸めて、目や鼻をつけて。
(地域で違ってくるんだったら…)
遠い昔に日本だった此処では、雪ウサギのような姿だろうか。お餅のように固めた雪に、南天の実で出来た真っ赤な瞳。緑色をした南天の葉っぱで、長い耳を二つくっつけて。
雪ウサギだったら、とても親しみの湧く姿。幼かった頃は、ウサギになりたいと思ったくらい。それに、今では…。
(ぼくも、ハーレイもウサギ年…)
ハーレイに教えて貰った干支。今の自分もハーレイも、干支は同じにウサギ。正真正銘ウサギのカップル、白いウサギと茶色のウサギ。
本当に自分はウサギなのだし、雪の妖精が雪ウサギならば、きっと友達になれるだろう。ウサギ同士で、仲良くなって。
雪の妖精に出会えたら。可愛らしい雪ウサギが来てくれたなら。
本当に願いが叶うかも、と更に大きく膨らんだ夢。雪の妖精と友達になったら、きっと願い事も叶えてくれる。妖精が持っている不思議な力で、アッと言う間に。
雪の妖精が乗っていそうな、一番最初の雪のひとひらに出会えたら。上手く捕まえられたなら。
(ちゃんと会えたら…)
友達になれたら、願い事はもちろん背を伸ばすこと。前の自分と同じ背丈に、ハーレイとキスが出来る背丈に。
妖精だったら、きっと簡単なこと。南天の葉っぱの耳をピクンとさせたら、叶いそうなこと。
(雪の季節は、まだだけど…)
頑張りたいな、と思ってしまう。今日の羽根は捕まえ損なったけれど、本物の雪は捕まえたい。空から落ちて来た最初のひとひら、雪の妖精を乗せた真っ白な欠片。
この冬、最初の雪が降りそうな日に、空を見上げて。
今か今かとワクワクしながら、空からの最初の手紙を探す。いつ降って来るかと、降りる先はと首を長くして。捕まえなくちゃ、と心を躍らせて準備して。
ひらりと雪が降りて来たなら、失敗しないで手のひらに、そっと。上手く手のひらの真ん中に。
そうしたらきっと、雪の妖精が出て来るのだろう。
一番最初の幸運をどうぞと、願い事は何かありますか、と。
(会いたいよね…)
雪の妖精。この冬の最初の雪のひとひら、それに乗って降りて来そうな妖精。
どんな姿をしているだろうか、雪だるまか、可愛い雪ウサギなのか。雪ウサギだったら、きっと友達になれるんだよ、と夢を描いていたら、聞こえたチャイム。
仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、訊いてみることにした。今のハーレイは、沢山のことを知っているから。キャプテンだった頃とは違う知識で、言い伝えなどにも詳しいから。
テーブルを挟んで向かい合わせで、早速、ぶつけてみた質問。
「えっと…。ハーレイ、雪の妖精、知っている?」
「雪の妖精?」
それは雪のことか、冬になったら降って来る雪。…あの白い雪の妖精ってか?
「うん。今日、学校の帰りにね…」
バスを降りてから歩いていたら、真っ白な雪が浮かんでたんだよ。空にふんわり。
あれっ、と思ったら白い鳥の羽根で、本物の雪じゃなかったんだけど…。鳩か小鳥の羽根。
捕まえられるかな、って追い掛けてみたけど、他所の家の方に行っちゃった…。生垣を越えて。
今のぼくのサイオン、少しも上手く使えないから…。頑張ってたのに、掴めなかったよ。
それでね、その時に考えたんだけど…。
もしも本物の初雪が降って来た時、一番最初の雪を上手に捕まえられたら、凄くない?
雪の妖精に出会えそうだよ、一番最初の雪に乗っかっていそうだから。
雪の季節の始まりなんだもの、この雪に乗って下へ降りて行こう、って。
だから、雪の妖精が気になっちゃって…。どんなのかな、って。
妖精の姿が知りたいんだよ、と今の物知りなハーレイに頼んだ。雪の妖精を知っているのなら、ぼくに教えて、と。
「ハーレイも見たことは無いだろうけど…。雪の妖精も、他の妖精も」
会ったことがあるなら、とっくに話してくれただろうから。こんなのに会ったぞ、って。
「なるほど、雪の妖精か…」
一番最初の雪に乗って降りて来るんだな。雪の季節が始まる時に。
「そう! 普段は空の上で暮らしているけど、冬の間だけ降りて来る妖精」
雪の結晶って、花みたいな形をしてるから…。花には妖精がいるって言うから、雪にも妖精。
真っ白な雪の花と一緒に降りて来そうでしょ、これからは雪の季節だよ、って。
雪の妖精、ウサギだといいな、と思うんだけど…。ウサギの妖精。
「ウサギ?」
なんだって雪の妖精がウサギになるんだ、白いからか?
「雪ウサギだよ、雪と南天で作るでしょ? 南天の実の目と、葉っぱの耳と」
そういう妖精だったらいいな、って思わない?
ぼくたち、ウサギのカップルだもの。ウサギ年で、白いウサギと茶色のウサギ。
だから、雪の妖精が雪ウサギだったら、仲良くなれそう。おんなじウサギなんだから。
「ははっ、お前なら友達になれそうだな。チビの頃の夢はウサギになることだったと聞くし…」
ぼくもウサギだよ、と自己紹介をしそうだな、うん。ウサギ年だから本物のウサギ、と。
それで、友達になってどうするんだ?
雪の妖精と一緒に遊ぶのか、雪が降る度に?
お前の友達が一人増えるな、と腕組みをして頷くハーレイ。冬の間だけの友達か、と。
「友達が出来るのはいいんだが…。ちゃんと暖かくして遊ばないとな」
雪が降るほど寒いわけだし、風邪を引かんように。マフラーとかも、きちんと巻いて。
「そうじゃなくって…。友達になったら、一緒に遊びもするんだろうけど…」
願い事を聞いて貰うんだよ。妖精には不思議な力があるでしょ、そういうお話、沢山あるよ。
雪の妖精でも、きっと同じだと思うから…。ぼくの願い事を叶えてくれそう。
「願い事だと?」
「そう。ぼくの背、ちっとも伸びてくれないから…」
妖精に頼めばきっと伸びるよ、前のぼくと同じ背丈になるまで。凄い速さで。
ひょっとしたら、一日で大きくなるかも、パパもママもビックリしちゃうくらいに。
「ふうむ…。妖精の力ってヤツか…」
不思議な力はあると言うなあ、昔から。色々な薬を持っていたりもするし…。背を伸ばすための薬もあるかもしれないが…。
「ホント? だったら、余計にお願いしなくちゃ!」
背が伸びる薬を分けてちょうだい、って。雪の妖精と、うんと仲良くなって。
「こら、慌てるな。あるかもしれんと言っただけだぞ、背が伸びる薬」
それにだ、雪の妖精の場合はだな…。ちょっと問題がありそうだよなあ、雪だけにな。
この地域だと、雪の妖精は恐ろしいと言われているんだが…、とハーレイは難しそうな顔。
雪の妖精と友達になるどころではない、と。
「今はどうかは分からないが…。少なくとも、此処が日本って国だった頃のは駄目だな」
一緒に遊ぼうとも思わない筈だぞ、会っちまったら。…雪の妖精。
「雪の妖精…。やっぱりいるんだね、そういうのが。だけど…」
悪い妖精なの、雪の妖精は?
日本だった頃に住んでた妖精、人間に酷いことでもするの…?
「まあ、色々ではあるんだが…。酷いことをしない場合もあるが…」
お前、雪女を知らないのか?
日本で雪の妖精と言ったら、それは雪女のことなんだが。
「雪女…」
そういえばいた、と思い出した雪女の昔話。
雪の夜に出る雪女。出会った人間に冷たい息を吹きかけ、凍らせて命を奪ってしまう。
中には違うものもいるけれど、大抵は、そういう怖い伝説。雪の恐ろしさを語るかのように。
真っ白な雪は綺麗だけれども、時として荒れて、人を、家を埋めてしまったから。
サイオンを持たなかった時代の人には、雪は危険なものだったから。
雪の妖精に会って、友達になって…、と夢見ていたのに、ハーレイに聞かされた雪女。雪の降る夜に白い着物で現れ、人を凍らせて殺してしまう雪女。
「…雪の妖精って、雪女なの?」
あれだって言うの、雪の妖精。…雪ウサギじゃなくて。
「この地域ではな。雪女のお供に、雪のウサギもいるかもしれんが…」
満月の夜には、沢山の雪の子供を連れて遊ぶと言うから、雪のウサギも連れているかもしれん。子供たちと一緒に遊べるようにな。
しかし、雪ウサギも、雪女のお供をしているわけだし…。雪の子供の遊び友達だ。雪の妖精とは少し違うな、雪の妖精は雪女だから。
つまりだ、雪の妖精に会うとなったら、雪女なわけで…。会ったらロクなことにはならん。
願い事が叶うとか、妖精の薬を貰うだとか…。雪女が相手だと、かなり難しいぞ。
「うん、分かる…。大抵は死んじゃうらしいから。…雪女に会うと」
「そういうこった。たまに、宝物を貰った人の話もあったりはするが…」
普通は凍死しちまうんだから、欲張るのはやめておくんだな。雪の妖精に会おうだなんて。
ついでに、会ったら願い事をしようだの、薬だのと…。友達程度にしておけよ。友達だったら、雪女も殺しはしないだろうしな。
まあ、当分、雪は降りそうもないが…。まだまだ先の話なんだが…。
楽しみだな、いつか雪の季節が来るのが。
「…楽しみって…。何が?」
ハーレイ、雪の妖精は雪女だ、って言ったじゃない…!
そんなのに会いたいと思っているわけ、ぼくには「ロクなことにならない」って言ったくせに!
でも、ハーレイは楽しみだなんて、どういうこと…?
雪の季節が楽しみだ、とハーレイは待ち遠しそうな顔に見えるのだけれど。この地域では、雪の妖精は雪女。恐ろしい存在だと話したくせに、ハーレイは何を楽しむのだろう?
まるで分からない、と物知りな恋人を見詰めていたら…。
「俺が楽しみにしているものか? 雪の妖精に会いたいとまでは思わんが…」
雪が降るのも、雪景色もだ。どれも楽しみだな、俺は雪を全く知らないからな。
「えっ? 知らないって…」
ハーレイは隣町で育ったんでしょ?
この町と同じで雪が降ったり、積もったりすると思うけど…。雪は何度も見てる筈だけど。
それに、ぼくが生まれる前に、この町に引越しして来たって聞いたよ。ぼくは十四年しか生きてないけど、雪は何度も見ているし…。雪だるまだって作っていたよ?
ハーレイが雪を知らない筈がないじゃない。ぼくと同じ町にいたんだから。
「確かに、今の俺にとっては、雪は馴染みのものなんだが…」
冬になったら降って来るもので、たまにドカンと積もったりもするが…。
その雪、この目で見るというのは初めてだろうが。…前の俺だと。
生まれ変わった俺の目を通して見るわけなんだが、前の俺が見る初めての雪だ。肉眼ではな。
「そうだっけ…!」
前のハーレイ、雪の中には出なかったっけ…。
シャングリラの周りにも雪は舞ったけど、船の中には、絶対、入って来られないものね…。
前の自分とハーレイが暮らした白い船。遠く遥かな時の彼方の、白い箱舟。
シャングリラが潜んだ雲海の星、アルテメシアにもあった雪景色。テラフォーミングされていた星の上では、冬になったら雪が積もった。空気がキンと冷える季節は。
シャングリラを取り巻く雲の海からも、白い雪が無数に舞い降りて行った。遥か下へと。
白い鯨の周りで幾つも巻いていた渦。風に吹かれて舞い狂った雪。白い雪たちが作った渦。
けれど、前のハーレイが目にした雪は、いつもモニター越しだった。
雪雲の中を飛んでゆく船、それの周囲の状況は、と。
船首は、船尾はどんな具合かと、映し出されてゆく映像。ハーレイはそれでしか雪を知らない。船の外へは出ていないから、肉眼で眺める雪を知らない。
前の自分は、その雪の中へ出ていたこともあったけれども。
白いシャングリラと白い雪の渦、それを何度も外から眺めていたのだけれど。
雲海の星を追われた後に、シャングリラは宇宙を長く旅した。赤いナスカに辿り着くまで。
ナスカで雪が降っていたなら、前のハーレイも見ている筈。ナスカには降らなかったのだろう。降っていたとしても、入植地にまでは届かなかった。星の極点に近い所で降っていただけで。
だからハーレイは雪を知らない。アルテメシアでは見ていないから。けれど…。
「ハーレイ、雪を見てないの? ナスカでは見なかったみたいだけれど…」
前のぼくが死んじゃった後に、何処かで見てない?
地球に行くまでに、幾つもの星に降りた筈だよ。其処で雪景色を見なかったの?
…まさか、雪が降っていたのかどうかも、ハーレイにはどうでも良かったとか…?
前のぼくが死んでしまった後のハーレイ、抜け殻みたいになってたらしいし…。
「安心しろ。…魂はとっくに死んでいたがな、そこまで酷い状態じゃない」
たまには笑うこともあったし、周りのことはちゃんと見ていた。…キャプテンだからな。
お前が言う通り、ありこちの星に降りてはいたが…。
生憎と、雪が降っている星には出くわしていない。雪のシーズンじゃなかったんだな。
季節は色々と変わるからなあ、その星系にある恒星の気分次第で。
今の地球だって、暖かい冬があるかと思えば、やたらと寒い冬だってある。それと同じだ。
雪が降る筈の星に降りても、宙港があるような大都市にまで降らなかったら見られない。
そんなモンだろ、地球にしたって。
常夏が売りの地域もあるしな、雪なんか一度も降ってません、という。
どういう所に雪を降らせるか、そいつは恒星の気分次第で、惑星が周っている軌道次第だ。
前の俺が地球に着くまでの間に降りた星では、雪を一度も見てないし…。
シーズンを逃しちまったんだろう、と思うわけだが、其処までのデータはチェックしてないな。
ひょっとしたら、俺たちの滞在中に、何処かで降ったのかもしれないが…。
雪が降ったから見に行こう、と出掛けたヤツらの話は知らんし、雪の季節ではないと思うぞ。
雪見の旅をしていたわけじゃないから、見落としただけかもしれないが、とハーレイが浮かべた苦笑い。何処かの星で、雪は降ったかもしれないと。
「気象のチェックは、必要な場所しかしていないからな…。キャプテンはな」
だから、見たヤツはいるかもしれん。雪を見物に出掛けるんじゃなくて、たまたまな。
この星で集める物資はこれだ、と指示を出したら、色々な場所に散ってたわけだし…。その先で雪を眺めてたヤツも、中にはいたかもしれないってことだ。
しかし、雪見に行ったヤツらはいないし、俺も雪には出会っていない。ただの一度も。
前の俺が知っていた雪は、アルテメシアで見た分だけだ。…船の周りのを、モニター越しにな。
「そうだったんだ…。ハーレイ、最後まで雪を知らないままで…」
肉眼では一度も見ないまんまで、地球まで行ってしまったんだね。
アルテメシアで隠れてた間に、雪は何度も降ったのに…。幾つもの冬を越していたのに。
「…前のお前は見てたっけな。船の周りに舞っていた雪も、アルテメシアに雪が降るのも」
雪が積もってる中に出て行ったことも何度もあったし、珍しいモンでもなかったか…。
冬になったら雪が降るのも、特に寒い日は積もるというのも。
「うん…。だけど、そんなに長くは出てはいないよ」
雪を見たいから外に出よう、って思うくらいに我儘じゃないし。…船の仲間は出られないから。
外に出る用事があった時にね、積もっていたら見ていただけ。
これが雪だな、って触ったりして。…シャングリラの中には降らないよね、って。
わざわざ雪を見るためだけには、外へ出掛けはしなかったけれど。
アルテメシアに潜んでいた歳月は長かったから、何度も雪を眺めていた。雪が降る中に立ってもいた。空を見上げて、舞い降りて来る雪を手のひらで受けたりもして。
降り積もった雪を踏みしめて歩きもした。足跡が残るのもかまわずに。
そんな場所まで、人類は足を踏み入れたりはしなかったから。…雪の季節に、星の外れへは。
前の自分は何度も雪を見たのに、雪をサクサクと踏んで歩きもしたというのに…。
「ハーレイ、知らないままだったんだ…。本物の雪を」
そんなの、夢にも思わなかった。…ぼくは気付きもしなかったよ。
前のハーレイは、肉眼で雪を見なかったなんて。…最後まで見ないままだったなんて…。
「気にするな。お前のせいってわけじゃないしな、前の俺が雪を知らんのは」
たまたま運が悪かったのか、俺にその気が無かっただけか。
どっちにしたって、雪とは御縁が無かったってこった。前の俺はな。
今の俺には馴染みなんだが…。ガキの頃には、デカイ雪だるまも作ってたんだが。
そうは言っても、新しい目で見たいじゃないか。
これが雪かと、モニター越しにしか見たことがなかった前の俺の目で。…前の俺の視点で。
きっと新鮮だろうと思うわけだな、去年までのと同じ雪でも。
「それは分かるよ、ぼくもおんなじ」
前のぼくだと、雪を楽しむ余裕までは多分、無かったと思う。…見てはいたって。
雪が積もった上を歩いていたって、「どうせ人類は気付かないから」って考えてたもの。
それでも、いざとなったら消そうと思ってた。…ぼくの足跡。もしも人類が来そうだったら。
雪を巻き上げたら一瞬で消せるし、つむじ風を作り出すんだよ。サイオンで。
自然の風が吹いたように見せて、ぼくが歩いた後の雪を全部、混ぜてしまって。
…そういったことを考えてるのと、何も考えないで済む今とは違うよ。
降って来る雪を見るのにしたって、きっと全然違うんだよ…。
前の自分が降る雪の中で空を見上げる時、いつも何処かにシャングリラがあった。その場所から遠く離れていたって、空には白い鯨があるもの。雪を降らせる雲に包まれて。
けしてシャングリラを忘れなかったし、其処へ戻らねばと見上げていた。降る雪の向こうを。
(…今は、シャングリラはもう無いんだから…)
前の自分が守った船。ハーレイが舵を握っていた船。ミュウの世界を乗せた箱舟。
白いシャングリラは役目を終えて、時の彼方に消え去って行った。今の空の上に、もう守るべき船は無い。ソルジャーの役目も負ってはいない。
(…ただのチビになった、ぼくがいるだけ…)
アルテメシアではなくて、青い地球の上に。前の自分が焦がれ続けた水の星の上に。
今の自分が見上げる雪は、地球に降る雪。前の自分が生きた頃には、死の星だった地球の上に。青く蘇った星の上に降る、真っ白な雪。遥か上の空から、後から、後から。
その雪を降らせる空へ向かって飛んでゆく力は、持っていないけれど。雪が渦巻く中を飛んでは行けないけれども、今は飛べなくてもかまわない世界。
雪の空を駆けて戻るべき船は、何処にも浮かんでいないのだから。戻らなくてもいいのだから。
(…いつまでだって、見てていいんだよ…)
降りしきる雪を。一面に降って、辺りを真っ白に染めてゆく雪を。
冷えた木々の枝先や葉から白くなっていって、その内に地面にも積もってゆく。下がった気温で冷えてしまったら、地面の熱が奪われたなら。
そうして、しんしんと雪が全てを覆ってゆく。見渡す限りの白い世界が広がってゆく。
落ちてくる雪の一つ一つは、小さくて軽いものなのに。小鳥の羽根を雪だと見間違えたほどに、軽くて儚いものなのに。
けれど、幾つも降って来たなら、雪は町だってすっぽりと覆う。庭を、垣根を、家々の屋根を、すっかり白く染めてしまって。道路まで白く埋めてしまって。
遠い昔には、雪女が来ると恐れられたほどの地球に降る雪。何もかも白く覆い尽くす雪…。
怖い雪女に会いたくはないし、風邪も引きたくないのだけれども、突っ立っていたい。空の上に守るべき船が無い地球で、ソルジャーの務めが消え失せた地球で。
いつまでも、降りしきる雪の中に。積もってゆく雪を眺めていたい。
そうハーレイに話したら…。
「無茶なヤツだな、お前、シールドも張れないくせに…。前と違って」
アッと言う間に凍えちまうぞ、雪女に出くわさなくてもな。そして風邪だって引いちまう、と。
その日の夜にはベッドの住人になっていそうだが、お前、やりかねないからなあ…。
雪見をしたい気持ちは、俺にも分かる。…俺だって、同じ気分だからな。
初めての雪を思う存分堪能するなら、ボーッと立ってるのが一番なんだ。庭の真ん中に。
どうやら、俺とお前の考えは一致しているようだし…。雪、俺と見るか?
俺と一緒に積もるのを見るか、お前が見ていたい地球に降る雪。
「ハーレイと?」
いいの、ハーレイ、付き合ってくれるの?
ぼくは雪が積もるのを見ていたいだけで、きっとぼんやりしてるんだけど…。
「かまわんさ。お前、冬でも庭でお茶だと言っていただろ。…あそこの白いテーブルと椅子で」
お茶が冷めないようにポットに被せるティーコジーだとか、そんな物まで用意して。
「言ったけど…。冬の間は店じまいなんて嫌だから」
「お茶もいいがだ、そいつは抜きで二人で雪見だ」
雪が積もりそうな時に俺が来たなら、一緒に庭で見ようじゃないか。ド真ん中でな。
お前がすっかり凍えちまわないように、俺がサイオンで包んでやるから。
「ホント!?」
ハーレイのシールドで包んでくれるの、ぼくはシールド出来ないから…。
タイプ・ブルーって名前ばかりで、サイオン、とことん不器用になってしまったから…。
本当にいいの、と念を押したら、ハーレイは「任せておけ」と微笑んでくれた。
「俺が一緒に外へ出るなら、お母さんたちも許してくれるだろう?」
お前が一人で庭へ出ようとしてるんだったら、追い掛けて来て止めそうだが…。
でなきゃデッカイ傘を持たせて、直ぐに戻れと言い聞かせるとか。
しかし、俺と一緒なら大丈夫だぞ。タイプ・ブルー並みのシールドを張ってやれるんだから。
そいつの中に入っていればだ、お前は雪に濡れもしないし、風邪も引かんし。
「シールドの中に入るんだったら、くっついていても大丈夫だね!」
ぼくがハーレイに抱き付いていても、ハーレイがぼくを抱き締めていても。
その方がシールドを張りやすいものね、二人分なら。
「…そうなるな。離れていたんじゃ、張りにくいからな」
夏休みにお前と記念写真を写した時と同じだ、堂々とくっついていられるぞ。
お母さんたちが窓から見てても、俺は頼もしい守り役にしか見えないんだからな。チビのお前をシールドに入れて、我儘を聞いてやってる、と。
きっと恐縮されちまうんだぞ、「ハーレイ先生、すみません」とな。
俺はお前と一緒に雪を眺めてるだけで、前の俺には出来なかったことをしてるのに…。
ボーッと突っ立って雪を見たいな、という望みを叶えているだけなのにな。
お前のお母さんたちには申し訳ないが、とハーレイは苦笑しているけれど。
「お母さんたちが見ている前で、くっついてデートとは酷い教師だな」と唇を歪めるけれども、雪見だと言ったなら二人で出られるだろう。真っ白な雪が降りしきる庭に。
しんしんと雪が積もってゆく庭で、キスは出来なくても、ハーレイの腕の中にいられる。まるで恋人同士みたいに、抱き付いて、あるいは抱き締めて貰って。
「ふふっ、ハーレイと雪の中でデート…」
雪の妖精がお願いを叶えてくれたみたいだよね、ハーレイと一緒。
二人くっついて雪を見ていられて、どんどん真っ白に積もっていくのをボーッと眺めて。
「…雪の妖精は多分、雪女ってヤツで、お前が会いたがってた雪ウサギではないんだが?」
それに、最初に降って来た雪を捕まえたわけでもなさそうだしな。
お前の背丈は伸びやしないし、チビのままだと思うんだが…?
「でも、ハーレイとデートだよ! ちゃんとくっついて!」
キスは出来ないけど、ハーレイとくっついて二人きりでデート。雪を見ながら。
…前のぼくは本物の雪を見ていたけれども、ハーレイと一緒には見ていないから…。
今度、初めて見るんだよ。ハーレイと二人で眺める雪は。
そう思ったら、とても楽しみ。…ハーレイと二人きりで見る雪、前のぼくにも初めてだから。
「俺の楽しみも一つ増えたな、お前と一緒に見られるんだから」
一人で突っ立って見るのもいいが、お前と二人で見られるとなれば値打ちがグンと増すってな。
前の俺が一度も見ていない雪を、今度はお前と一緒に地球で見られるんだ、と。
「庭で二人で見るのもいいけど、この部屋の窓からも見ようね、雪」
きっと綺麗だよ、空から落ちて来て、窓の下へと落ちていくから。
シャングリラでハーレイがモニター越しに見ていた雪を、今度は窓のガラス越しに見ようよ。
雪雲の中とは違うけれども、その分、雪がずうっと綺麗に見える筈だよ、昼間も、夜も。
「それはかまわないが…。俺にくっつくのは部屋では駄目だぞ」
部屋の中じゃシールドは要らないわけだし、わざわざくっつかなくてもな…?
「普段と同じ程度だったら、いいじゃない!」
やっぱりくっついていたいもの。外が寒い分、くっつきたいもの…!
いいでしょ、と駄々をこねてやったら、ハーレイは「仕方ないな」といった顔。
きっと部屋でもくっつけるだろう、ハーレイの膝の上に座って、甘えて。いつものように。
窓の向こうの雪を見ながら、すっかり白くなった庭を見ながら。
庭が雪景色に変わる前には、二人で庭に立って眺める。辺りを真っ白に染めてゆく雪を、後から後から降って来る雪を。
いつか冷え込む冬の季節が、白い雪を連れて来たならば。
一番最初に舞い降りて来た雪のひとひら、それが雪の妖精を乗せて来たならば。
(…前のぼくたちが見ていない雪…)
ハーレイと二人で見上げる初めての雪を、幸せの中で眺めよう。
前の自分たちには出来なかったことを、青い地球の上で、ただ幸せに。
降ってくる真っ白な雪を眺める、ただそれだけのことだけれども。
前のハーレイは見られなかった雪を、前の自分はハーレイと一緒に見ていない雪を、降って来る雪を二人で見よう。
庭の真ん中で、二人、ぴったりとくっついて。
「綺麗だよね」と降る雪を見上げて、いつまでも二人。
庭がすっかり白くなるまで。
雪女が子供や雪ウサギを連れて遊びに来そうなくらいに、しんしんと雪が降り積もるまで…。
雪を見るなら・了
※前のブルーは見ていた雪。けれど、前のハーレイは雪を肉眼では見ていなかったのです。
今度は二人で眺めることが出来る雪。ハーレイのシールドの中に入って、降り積もるのを…。
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