シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(えっ…?)
帰り道のバスでブルーが感じた視線。いつものように学校からの帰りに乗っているのだけれど。窓の外から、誰かに見られている感じ。今は信号待ちで停車中のバス。
(誰…?)
今日はたまたま、真っ直ぐ前を向いていた。一番前の席に座っているから、前の景色を見放題。これからバスが走ってゆく先も、前をゆく車や自転車なども。
自分で運転しているみたい、と前に夢中で、見ていなかった窓の方。そっちから感じる、誰かの視線。バスの車高は高いのに。
(なんで…?)
背伸びしたくらいじゃ覗けないよ、と視線の方へと顔を向けたら…。
「キャーッ!」
明るい叫びが弾けた気がした。バスの防音はしっかりしているから、聞こえなかったけれど。
隣の車線に、子供たちの顔がズラリと並んだ観光バス。下の学校の子供たち。誰もが見ている、こちらのバス。それも自分が座っている場所を。
ワイワイガヤガヤ、騒いでいる声が此処まで届きそう。指差している子や、見詰めている子。
(えっと…?)
ぼくの方を見ているんだよね、と浮かんだ苦笑。きっと誰かが偶然、気付いた。この顔に。赤い瞳に銀色の髪のソルジャー・ブルー。まだ少年ではあるけれど。
(ソルジャー・ブルーが乗ってるよ、って…)
それで騒ぎになったのだろう。「本物そっくり!」と指差したりして。
十歳になったか、ならないかくらいの子供たち。失礼だとか思いはしないし、あのバスの中は、きっと賑やかなのに違いない。先生の声も届かないくらいに。
伸び上がって見ている子も大勢いるから、手を振ってみた。どうなるのかな、と。ワッと歓声が上がったのだろう、子供たちのバス。小さな手が一斉に振られたけれど。
(あれ…?)
シャッとカーテンを閉めた女の子が一人。すぐ隣だから、よく分かる。カーテンを閉めた子供が誰だったのかも、ついさっきまでは開いていたことも。
(どうしちゃったわけ?)
手を振ったらカーテンを閉めちゃうなんて、とキョトンとしている間に、感じた視線。その方向から。よく見てみると、カーテンの隙間から覗いている子。こちらを、じっと。
顔は真っ赤で恥ずかしそうで、それでも視線。見るのをやめられないらしい。カーテンを閉めてしまったくせに。自分で慌てて閉めていたくせに。
(ソルジャー・ブルー…)
きっと、あの子の憧れの人。前の自分が、あの女の子が大好きな夢の王子様。
その王子様にそっくりなチビが今の自分で、隣のバスに乗っていた。ソルジャー・ブルーの服と違って、学校の制服を着た王子様。
(見ていたいけど、恥ずかしいんだ…)
ぼくに姿を見られちゃうのが、と思い至った女の子の気持ち。すぐ隣だから、余計なのだろう。少し離れた窓からだったら、気にしないで見ていられたろうに。他の大勢の子たちに紛れて。
(んーと…)
隠れながらも、その子はこちらを見ているから。「大丈夫」と視線を合わせて、また振った手。閉じたカーテンは開かなかったけれども…。
(ぼくの顔、見てる…)
嬉しそうな顔の女の子。隠れたままで小さく手を振りながら。
信号が変わって青になったら、動き始めた両方のバス。暫く並んで走った後で、観光バスの方が先に行ってしまった。あちらはバス停に止まらないから、速度を上げて。
乗っていた大勢の子供たちの方は、遠ざかるまで手を振っていた。後ろの窓に貼り付いてまで。はしゃぐ声が此処まで聞こえて来そうな勢いで。
それでも開かなかったカーテン。女の子が閉めてしまったままで。
(もう開けたとは思うんだけど…)
観光バスは見えなくなったし、また並ぶことは二度と無い筈。隣同士になってしまって、自分と顔を合わせることも。
(隠れなくてもいいのにね?)
カーテンの陰から見るくらいなら。こちらへと手を振り続けるのなら。
どうせだったら、しっかり見物すればいいのに、と思ってしまう自分の顔。ソルジャー・ブルーそっくりのチビ。遠慮しないでジロジロ眺めて、大きく手を振れば良さそうなのに。
動物園でゾウやキリンに手を振るみたいに、ライオンやカバを見詰めるみたいに。
そっちの方がお得だよね、と思うけれども、相手は憧れのソルジャー・ブルー。少しチビでも、夢の王子様に瓜二つの顔の「お兄ちゃん」。
恥ずかしくなって、隠れてしまう子もいるのだろう。
隣り合った別々のバスの中でも。挨拶すらも要らない場所でも、カーテンを閉めて。
可笑しかった、と思い返しながら帰った家。恥ずかしがり屋の子に会っちゃった、と。
ダイニングでのんびりおやつを食べて、部屋に戻ったら、また思い出した。カーテンをシャッと閉めていた女の子。十歳くらいの小さな子。
(あのバス…)
何処まで走って行ったのだろう。賑やかな子たちや、恥ずかしがり屋の女の子を乗せて。
もう学校が近かったのか、もっと遠くへ帰ってゆく途中だったのか。
(見忘れちゃった…)
バスのナンバープレートを。この町のバスか、他の町から来たバスなのかも分からない。何処へ走って行ったのかも。
窓のカーテンを閉めていた子は、自分の家に帰ったろうか。家で話しているのだろうか、バスの窓から見付けた小さなソルジャー・ブルーのことを。学生服のチビの王子様に出会ったことを。
(家でも恥ずかしがり屋の子なのかな?)
話したくても「えっと…」と何度も詰まってしまって、なかなか喋れないだとか。それとも逆に元気一杯、大はしゃぎで家族を捕まえているか。「ね、今日はね…」と。
まだ帰り着いてはいなかったとしても、夕食の頃には話題になりそう。もじもじしながらでも、頬を紅潮させての報告でも。
(こんな顔でも、役に立つなら嬉しいよね…)
きっと遠足のいい思い出になったろう。あの子にとっては。
ソルジャー・ブルーにそっくりの顔をした、学生服のチビの王子様を見た、と。
じっと見ていた女の子。バスの窓から見えなくなるまで、こちらを眺めていたのだろう。
(だけど、カーテン、閉めなくても…)
堂々と見てれば良かったのに、と今でも思ってしまうカーテン。他の子たちは見ていたのだし、一人だけ慌てて隠れなくても平気だと思う。こちらから見れば、大勢の中の一人なのだから。
(ホントに恥ずかしがり屋さんだよね…)
お蔭で印象に残ったけれども、其処まで計算するわけがない。咄嗟に隠れてしまっただけ。何も考えずに、大慌てで。恥ずかしいからと、カーテンを閉めて。
外が見えにくくなってしまうのに。見ていたい顔も見えなくなるのに。
(ぼくの顔、カーテンに隠れちゃって、あんまり見えない…)
視線はこちらを向いていたけれど、きっと見づらい、と思った途端。
(んーと…?)
意外に外が見えるんだよね、と浮かんだ考え。カーテンの隙間からでも良く見える、と。
自分もアレをやったのだろうか、観光バスの窓のカーテンを閉めて。その隙間から外を見ていたことでもあったのだろうか、小さな頃に。
良く見える、と思うからには、何処かで経験していた筈。カーテンの隙間から見るということ。あの女の子がやっていたように、そのカーテンの陰に隠れて。
いつだったろう、と遡り始めた記憶。カーテンの陰から外を覗いていた自分。
(学校の遠足…?)
観光バスなら、多分、遠足。幼稚園の時にも乗っていた。今日の子供たちと同じように。大勢の友達を乗せたバスで出掛けた、色々な所。学校からも、幼稚園からも。
(サルと目を合わせないように、って…)
そういう注意をされたことがあった。下の学校の時に行った遠足。野生のサルが道に出て来る、山の中の道路を走ってゆく間の注意事項。
気の荒いサルは、視線が合ったら襲い掛かって来るのだという。相手が窓の向こう側でも、車の中でも、かまうことなく。
その山の中を走っていた時、カーテンを閉めていた自分。サルの姿が見えたから。道のすぐ側、ガードレールに座っていたサル。あれに見付かったら、きっと大変、と。
(怖かったっけ…)
ボスザルなのかと思ったくらいに大きかったサル。視線が合ったら、襲って来そうだったサル。いくら自分がバスの中でも、歯をむき出して、飛び掛かって来て。
バスの窓枠をしっかり掴んで、振り落とされないように貼り付いていそう。バスが止まったら、中の自分を襲ってやろうと、何処までだって。
あの時はカーテンを閉めたけれども、相手はサル。人間を相手に閉めてはいない。姿が見えたと慌てて閉めて、隠れたことなど無かったと思う。
恥ずかしいからとカーテンに隠れてしまいたいほど、憧れていた人もいなかったから。瓜二つの人を窓から見付けて、慌ててカーテンを閉めるような人。
そうなってくると…。
(サルの時かな…?)
確かにカーテンの隙間から見ていたサル。ずいぶん大きいと、ボスザルだろうかと。カーテンの陰に隠れていたって、よく見えた。悠然と座っていたサルが。
きっとアレだ、と考えていたら、聞こえたチャイム。それを鳴らしているだろう人は…。
(ハーレイ…!)
恋人の来訪に気付いた瞬間、思い出した。サルじゃなかった、と。
カーテンの隙間から外を見ていたのは、自分ではなくて前の自分。視線の先には前のハーレイ。意外に見える、と思ったのだった。こんなに細い隙間からでも、と。
ハーレイの姿も、その動きも。何処へ行こうとしているのかも。
まだハーレイと恋人同士ではなかった頃。病気で寝込んでしまった自分。白い鯨は出来上がっていたから、あの大袈裟な青の間のベッドで。
大した病気ではなかったけれども、ベッド周りのカーテンをノルディがピッタリと閉めた。熱が下がるまで安静に、と。「ベッドから出ないで下さい」と。
(だから、ハーレイが来た時に…)
朝の報告に来たハーレイは、必要な報告だけを済ませて、直ぐに出て行った。ベッドを取り巻くカーテンの向こうへ、「では、これで」と一礼して。
野菜スープを作ってくるとも、帰るとも言わずに、たったそれだけ。
カーテンがふわりと揺れた後には、もうハーレイの姿は無かった。ベッド周りの空間には。
(いつもだったら、ちゃんと見えるのに…)
ハーレイが何処へ向かっているのか、ベッドに横になったままでも。カーテンさえ大きく開いていれば。…ピタリと閉められていなかったなら。
けれども、ノルディが閉めたカーテン。その向こう側は見えはしなくて。
(サイオンで透視しても良かったんだけど…)
何故か、覗こうとした前の自分。
「出ないで下さい」と言われたベッドから下りて、カーテンの隙間から外の様子を。ハーレイは奥のキッチンへ野菜スープを作りに行くのか、出口に向かっているのかを。
其処まで記憶を辿った所で、ハーレイが部屋にやって来た。キャプテンではない今のハーレイ。母が案内して来て、お茶とお菓子をテーブルに置いて行ったのだけれど。
(ハーレイだっけね…)
あの時もハーレイで今もハーレイ、と前の自分の記憶が重なった。カーテンの隙間、と。
「おい、どうした?」
俺の顔がどうかしたのか、と鳶色の瞳が見詰めるから。
「え、なんでも…。なんでもないよ、ホントだよ」
「そんな風には見えないが? バツが悪そうな顔をしてるぞ、今のお前は」
いったい何をやらかしたんだ、俺が来る前に。…それとも、悪戯を計画していた真っ最中か?
「そうじゃなくって…。サルかと思ったらハーレイだったんだよ」
サルだったっけ、って思っていたのに、サルじゃなくってハーレイで…。
「はあ? サルって…」
そりゃあ確かにバツが悪いな、俺がサルだってか。サルがチャイムを鳴らしたか?
でなきゃ、窓から見下ろした時に、俺がサルみたいに見えてたってか?
「ハーレイとサルが重なったんだよ、ぼくの頭の中」
そっくりって意味じゃないけれど…。ハーレイがサルに見えてたわけじゃないけれど。
ハーレイがサルだなんて言いはしないよ、サルに見えるわけないじゃない。
前のぼくだった時からずっと一緒で、ずっと恋人なんだから。
カーテンの記憶だったんだよ、と説明した。それを思い出した切っ掛けがサル、と。
「下の学校の時にバスで遠足に行って…。山の中にサルがいたんだよ」
サルと視線を合わせないように、って言われていたから、窓のカーテン、閉めちゃった。だけど気になって、カーテンの隙間からサルを見てたよ。大きかったから、ボスザルかな、って。
それを思い出す前は、今日の帰りに隣を走ってたバスに乗ってた女の子。十歳くらいの。
ぼくが乗ってたバスの隣に止まったら、大勢の子供がこっちを覗き込んでて…。きっとこの顔がお目当てだよね、って気が付いたから、手を振ったんだけど…。
その女の子だけが、カーテンを慌てて閉めちゃって…。なのに、陰から覗いてたんだよ。ぼくが隙間からサルを見ていた時みたいに。
「カーテンなあ…。たまにいるよな、シャッと閉めるヤツ」
好奇心一杯で見てたくせして、こっちが気付いたと分かった途端に。
「ハーレイも見るの、そういう子供を?」
慌ててカーテンを閉めちゃう子たちを、見たことがあるの?
「当たり前だろ、この姿だぞ。どう見てもキャプテン・ハーレイなんだから」
お前はチビだし、ソルジャー・ブルーにそっくりと言ってもまだマシだ。チビな分だけ。
ところが俺だと、そっくりそのままの姿だろうが。顔も、ついでに身体つきも。
お前以上に、もう格好の見世物だ。大勢で観光バスに乗ってる、ガキの団体に見付かったらな。
ヤツら、遠慮なくまじまじ見詰めて、賑やかに見物してるわけだが…。
俺が気付いて手を振ってやったり、笑い掛けたら、今日のお前と同じ末路だ。
ビックリしたようにカーテンを閉めるヤツらが多い、とハーレイが浮かべた苦笑い。あちこちの窓のカーテンがシャッと閉まって、隙間からガキどもが覗いてるんだ、と。
「俺としては、サービスしてやったつもりなんだが…。そのガキどもに」
手も振ってやったし、おまけに笑顔だ。サービスなんだが、カーテンが閉まる。
そんなに怖そうに見えるのか、俺は?
笑顔をサービスしてやってるのに、カーテンの陰に隠れるくらい。…お前が言ってたボスザルと同じ扱いなんだが、視線を合わせちゃ駄目だってヤツ。
「うん、多分…。小さな子供から見れば、そうなんじゃないかな」
ぼくだって、キャプテン・ハーレイの写真を初めて見た時は、怖そうだって思っていたし。
…実際、ハーレイ、怖いんだし。
「怖い? …俺がか、お前も俺が怖いのか?」
「そう。カーテンの隙間から見てるとね」
今日の女の子や、サルを見ていた時のぼくみたいに、カーテンの隙間からハーレイを見たら。
「なんだ、それは?」
何処からカーテンが出るって言うんだ、その窓のトコのカーテンか?
アレの隙間から俺を見てたら、怖い顔に見えるというわけなのか?
「違うよ、前のぼくの時だよ」
まだハーレイとは仲のいい友達だった頃…。もう青の間は出来てたけれど。
病気になって、ノルディがベッドの周りのカーテンをすっかり閉めちゃって…。
「アレか…!」
お前、隙間から見てたんだ。安静にしろと言われたくせにな。
ベッドから下りて、あのカーテンの隙間から…。簡単に透視出来ただろうに。
思い出したぞ、とハーレイの眉間に寄せられた皺。そういう事件があったっけな、と。
(ほらね、やっぱり今でも怖い顔になっちゃうし…)
前のぼくが怖い顔をされちゃったのも当然だよね、と竦めた首。キャプテンに叱られてしまったソルジャー・ブルー。あの時、隙間から覗いたばかりに。
(でも、ハーレイが気になったから…)
閉ざされたカーテンの向こう側に行ってしまったハーレイ。横たわったベッドからはハーレイの姿が見えなかったから、起き上がって裸足で床へと下りた。透視する代わりに。
裸足だから足音は聞こえない。丁度いい、とカーテンの側まで近付いて行って、隙間からそっと覗いてみたら。
(ハーレイ、帰っていくトコで…)
青の間の入口に続くスロープを下りてゆくところ。こちらを振り返りもせずに。ただ真っ直ぐに去ってゆく背中を、ハーレイのマントを、泣きそうな気持ちで見送っていた。
このまま行ってしまうのだ、と。今日はスープは駄目なんだ、と。
もしも時間があるのだったら、逆の方へと向かう筈だから。青の間の奥のキッチンへ。
(ハーレイのスープ…)
体調を崩して寝込んだ時に、よく作ってくれる野菜のスープ。何種類もの野菜を細かく刻んで、基本の調味料だけでコトコト煮込んだ優しい味。
何も食べたくなかった時でも、あのスープだけは喉を通った。それを作って欲しいと思うのに、今日はどうやら駄目らしい。ハーレイはスロープを下ってゆくから。奥の方へは向かわずに。
途中で引き返してくれないだろうか、と見詰めていたけれど、消えてしまったハーレイの背中。
スロープを下りて、青の間の外へ。見えなくなってしまったマント。後姿も。
(キャプテンだって、忙しいから…)
そのことは誰よりも分かっている。ブリッジで舵を握る他にも、キャプテンを待っている沢山の仕事。船の最高責任者だから。仕事の中身は、ソルジャーよりも多岐にわたるのだから。
けれど、寂しくて、独りぼっちで。
野菜スープは作って貰えない上に、ガランと広い青の間に一人。安静に、とノルディがピタリと閉めたカーテン、部屋付きの係も中に入って来はしない。そのために閉めてあるのだから。
(食事の時まで、誰も来ないよ…)
その食事だって、こう寂しくては食べたくもない。係に声を掛けられたとしても、中へ運べとは言わないだろう。「其処でいいよ」と、カーテンの向こうのテーブルに置かせておくのだろう。
(どうせ、食べたい気分じゃないし…)
ハーレイのスープとも違うのだから、放っておいてもかまわない。冷めてしまっても、柔らかい料理がすっかり固くなってしまっても。
(あのテーブルの上に置いて貰えば…)
それでいいのだ、と眺めたテーブル。具合のいい日はハーレイと朝食を食べるテーブル。其処にハーレイの姿は無いから、テーブルと椅子だけ。誰もいない部屋。
カーテンの隙間から順に視線を移していったら、色々なものが見えてくる。少し前にハーレイが消えた扉や、緩やかな弧を描いて下るスロープ。ぼんやりと青く浮かび上がる部屋も、カーテンの周りに据えられた灯りも。
そういった物を眺め回しながら、思ったのだった。「意外に外がよく見える」と、細い隙間から目を凝らして。透視しなくても、外の様子がこんなに見える、と。
それが今の自分が思い出した記憶。カーテンの陰からでも外は意外に見えるものだ、と。サルを見た時のことではなかった。カーテンの向こうに探していたのは、ハーレイだった。
(入って来たら、直ぐに分かるから…)
カーテンの隙間から、よく見える入口。其処が開いたら、きっとハーレイがやって来る。仕事が一段落したら。午後になるかもしれないけれども、夜まで待たなくても、きっと。
(…具合が悪いの、知ってるんだし…)
野菜スープを作る時間は取れないとしても、様子は見に来てくれるだろう。その時に、此処から覗けたらいい。「ハーレイが来た」と喜べたらいい。
この隙間からは、スロープも入口も見えるのだから。カーテンをピタリと閉められていても。
(何度も覗きに来よう、って…)
前の自分はそう考えた。カーテンの隙間から外を見ようと。何度も覗いてハーレイを待とうと。
けれども、今は独りぼっち。いつ来るのかも分からないハーレイ。
ベッドに戻れば、もうカーテンの隙間は見えない。こうして外を覗けはしない。ベッドに戻って眠らなければと思うけれども、「もう少し」とも思う、見ていたい外。
カーテンの陰からはよく見えるから。意外なくらいに、外の様子がよく分かるから。
もう少しだけ、と外を眺める間に、襲って来た眠気。元から具合が悪かったのだし、一つ小さな欠伸が出たら、重くてたまらなく感じた瞼。カーテンの向こうが遠くなってゆき、いつの間にやら捕まった睡魔。ベッドに戻ることも忘れて、其処でウトウト眠ってしまって…。
「ブルー?」
降って来た声で、浮上した意識。ぼんやりと目を開けたら、ハーレイの顔。
「…ハーレイ…?」
来てくれたんだ、と言おうとしたけれど、ハーレイの声に遮られた。それも慌てている様子。
「どうしてこんな所にいらっしゃるのです、ブルー?」
御気分でもお悪いのですか、と逞しい腕で抱き上げられた。眠り込んでいた床の上から。大股でベッドまで運ばれて行って、横たえられて、上掛けを被せられて。
それが終わったら、問いが降って来た。「何故、あんな所に倒れておられたのです」と。
「…倒れていないよ、眠かっただけ…」
あそこにいたら、急に眠くなってしまったから…。そのままウトウトしてしまって…。
「ベッドで眠っておられたのでは?」
私が出てゆく時はベッドにおられましたが…。あの場所に何か御用でも?
そういう時には、係の者をお呼び下さい。ご自分で行こうとなさらないで。
「…別に、用事があったわけじゃなくて…。カーテンの向こうが気になったんだよ」
君は帰るのか、それとも野菜スープを作ってからブリッジに出掛けるのか。
どっちなんだろう、と思ったけれども、透視するより、直接見たいと思ってしまって…。
それで起き上がって、カーテンの間から覗いてみたんだ。どちらなのかと。そうしたら…。
君は帰ってゆく所だったから、とベッドの上からハーレイを見上げた。まだ眠いような気がする瞼を押し上げながら、何度か瞬きをして。
「スロープを下りてゆく後姿が見えたから…。出て行くんだと分かったから…」
君が出てゆくのを見送った後は、寂しくて…。今日は野菜のスープも無しだ、と寂しくなって。
独りぼっちだ、と思って部屋をボーッと見てた。…テーブルや椅子や、灯りなんかを。
よく見えるんだよ、あんなカーテンの隙間からでも。
本当なんだよ、サイオンで透視しなくても充分、あの隙間からこの部屋が見える。スロープも、入口も、あそこから全部。
「…それで、そのまま見ておられたと?」
ベッドにお戻りにならないで。…あんな所に座り込んで?
「発見したからね、よく見えるんだと。…意外な発見は嬉しいだろう?」
君が入って来る時も此処から見える、と思ったんだよ。だから何度も覗きに来ようと。
それまではベッドに戻らなくちゃ、と頭では分かっていたんだけどね…。
ベッドに戻れば、もう隙間からは見えないだろう?
だから、もう少し、と覗いている間に、眠くなってしまって…。それであそこで…。
「あなたでしたら、カーテンの隙間から覗かなくても、此処から御覧になれる筈ですが?」
このカーテンを透視なさるくらいは、あなたには何でもない筈です。御病気の時でも。
それをわざわざベッドから起き出して、サイオンは抜きでカーテンの隙間からなどと…。
次からはサイオンで御覧下さい、ベッドから!
ノルディが安静にと閉めて行った意味が、あなたはお分かりにならないのですか?
どうかベッドでお休み下さい、あんな所から覗こうとしたりなさらずに…!
カーテンの隙間は二度と禁止です、と怖い顔で睨まれたのだった。ベッドから勝手に抜け出した上に、床で眠ってしまうなど、と。
「病気だという自覚がおありですか? なんという無茶をなさるのです…!」
まったく信じられません、とハーレイに酷く叱られた。床で眠るなど、元気な時でも風邪を引く元になるだろうに、と。
首を竦めて聞いているしかなかった自分。ハーレイの言うことは正しかったから。
そのハーレイに、野菜スープは作って貰えたけれど。叱られた後で昼の分を貰って、夕食の時も作りに来てくれたけれど…。
「あの日はずっと叱られたんだよ、夜になっても」
もっと具合が悪くなったらどうするんです、って睨み付けられて、何度も何度も叱られて…。
カーテンは本当に禁止ですから、って指を差しては怒るんだよ。
どんなに眺めが良かったとしても、次からはサイオンで透視して下さい、って。
「当前だろうが、お前の身体が大切なんだ。床なんかで寝られてしまっちゃたまらん」
忘れちまったか、あの日は夜中も監視していたが?
ブリッジで仕事をしていた間は行けなかったが、仕事が終わって暇になった後は。
「夜中って…。それに、監視って…?」
ハーレイ、ぼくを見張ってたわけ?
いったいそれって、なんのために…?
「決まってるだろう、お前が隙間から外を覗きに行かないようにだ」
意外な発見をしたなんて言うもんだから…。お前、気に入ったようだったからな、あの隙間から外を覗くのが。…サイオン抜きでも良く見えるんだ、と。
放っておいたら、またやりそうだから、ベッドの脇にだ…。椅子を置いて眠ることにした。
前のお前に妙な癖がついたら、どうにもならん。透視するより、此処から覗く、と。
「そういえば…」
ああいうのは癖になるから、ってハーレイ、怒ったんだっけ…。一度やったら、二度、三度って続けてやりたくなるものなんだ、って。…そしてすっかり癖になる、って…。
前のハーレイがベッドの脇に運んで来た椅子。キャプテンの仕事が終わった後で。
いつも朝食の時に使っている椅子を、ベッドの側にドンと据えられた。「此処で眠ります」と。
けして座り心地の悪いものではなかったけれども、ベッドと椅子とは違うもの。
それでは身体が休まらないだろうと、前の自分は懸命に止めた。「それは駄目だ」と。
「椅子で眠るなんて…。無茶だよ、身体が疲れてしまうよ」
君は一日、仕事をして来た後なのに…。明日も朝から仕事なのに。
操舵の間は立ちっ放しだし、ベッドで眠った方がいい。身体の疲れが取れないから。
ぼくなら、心配しなくても…。
起きて隙間から覗きはしないし、ちゃんとベッドで寝ているから…!
「いいえ、この椅子で大丈夫です。私は頑丈に出来ていますから」
弱くてらっしゃる、あなたが床で寝ておられたのです。しかも御病気でいらっしゃるのに。
それに比べたら、健康な私が椅子で眠るくらいは大したことではありません。
ベッドで寝るのと大して変わりはしませんからね。…制服のままでも、椅子で眠っても。
私の身体の心配などより、ご自分のお身体を大事になさって下さい、と譲らなかったハーレイ。
あなたのお身体が大切ですから、と本当に椅子に座って眠った。
前の自分が、ベッドから起きて行かないように。カーテンの隙間から覗く新鮮さを、ワクワクと味わいに行かないように。
夜中に何度か目が覚めたけれど、その度にハーレイも目を覚ましていた。
「どうなさいました?」と、「私なら此処におりますから」と。
カーテンの隙間から覗いて捜そうとなさらなくても、こうしてお側におりますからね、と。
心の底から申し訳ないと思った、前のハーレイを椅子で寝させたこと。自分には暖かなベッドがあるのに、ハーレイは毛布も無しで椅子だけ。腰掛けたままの姿勢で朝まで眠ったハーレイ。
何度目覚めても、ハーレイは椅子に座っていたから。気遣う言葉を掛けてくれたから…。
(ホントに、ハーレイに申し訳なくて…)
二度と隙間から覗こうとはしなくなったのだった。青の間のベッドの周りにあったカーテン。
それがピタリと閉められた時は、大人しくベッドに横になっていた。外の様子が気になった時も透視で眺めた。隙間から見えると分かってはいても、起きてゆかずに。
「…カーテンの隙間、よく見えたんだけどね…」
意外に外がよく見えるんだ、って思ったけれども、ハーレイに叱られちゃったから…。
あれっきりになって、忘れちゃってた。カーテンのことも、ぼくが隙間から見ていたことも。
今のぼくがサルを見てた時かな、って思うくらいに忘れていたよ。
「俺もだが…。いや、あの時は驚いたぞ」
ブリッジの仕事が一段落したから、野菜スープを作りに行くか、と入って行ったら…。
お前は多分寝てるだろうし、とカーテンを細めに開けて覗いたら、お前が床で寝てるんだから。
てっきり倒れたのかと思っちまって、慌てたもんだ。まさか床で寝るとは思わないからな。
「ごめんね、椅子で寝させてしまって…」
ぼくに妙な癖がつかないように、って一晩中、監視させちゃったなんて…。
いくらハーレイが頑丈に出来てても、椅子じゃ寝た気がしなかったよね。座ったままだし。
「なあに、お前が病気を悪化させるよりかはマシだからな」
病気の度にベッドから出ては、カーテンの隙間から外を眺めて床で寝ちまう。
そんなとんでもない癖がつくよりは、あそこでガツンとお仕置きだってな。
お前を叱っておくのはもちろん、俺にも迷惑をかけちまったと思わせるのが一番だ。前のお前は周りのヤツらに気を遣ってたし、そいつが一番効くんだ、うん。
今度のお前も、カーテンの隙間から覗くんじゃないぞ、と言われたけれど。
具合が悪い時にはベッドから出ないで、大人しく寝ていろと注意されたけれど。
(…今は覗いても仕方ないけど…)
いつかハーレイと二人で暮らすようになったら、覗きたくなる日が来るかもしれない。
ハーレイが仕事で出掛けてゆく日に、病気になってしまったら。
家で寝ているしかなくなったならば、ハーレイが「行ってくるぞ」と出掛けた後で。
ちょっと見ようと、少しだけだよ、と窓のカーテンの隙間から。
でも、ハーレイをまた椅子で寝させたら、悪いから。叱られるのも、悲しいから。
ハーレイを困らせてしまわないよう、怒らせないよう、急いでベッドに戻らなくては。
窓から外を見ている間に、ハーレイの車が行ってしまったら。
ガレージから通りに出て行った後に、見えなくなってしまったら。
(…そこまでで終わりにしなくちゃね?)
カーテンの隙間から見える景色が素敵でも。外の日射しが優しくても。
意外に外がよく見える、と覗いていないで、カーテンを閉めて、早く治しにベッドへと。
その方がきっと、ハーレイは喜んでくれるから。
一日も早く病気を治して、ハーレイと二人で、あちこち出掛けてゆきたいから…。
カーテンの隙間・了
※前のブルーが気付いた、カーテンの隙間から眺める外の光景。意外によく見えるものだ、と。
透視する代わりに眺め続けて、床で眠ってハーレイに叱られた上に、迷惑をかけた思い出。
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