シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
←ハレブル作品へは、こちらからどうぞ。
2014年より、転生ネタ、連載中ですv
←悪戯っ子な本家ぶるぅのお話へは、こちらから。
最新のお話は一番下になりますv
シャン学アーカイブへようこそ!
こちらではアルト様のサイトにありますシャングリラ学園番外編の続きを連載中です。
最新作へは上のバナーからどうぞ。
基本は 「毎月第3月曜」 更新、 「第1月曜」 にオマケ更新することも…。
オマケ更新は前月に予告いたしますので、お話の最後の御挨拶をチェックなさって下さいv
バックナンバーはこちらの 「タイトル一覧」 から全て見られます。
※上記の 「タイトル一覧」 も含めて、青文字の個所は全てにリンク先有りです
そして、ここはシャングリラ学園シリーズのアーカイブでもあります。
アルト様の特設掲示板で連載しました本編と、只今連載中の番外編、及び「そるじゃぁ・ぶるぅ」誕生秘話とも言うべき『シャングリラのし上がり日記』が置いてあります。
こちらの閲覧方法ですが、下記に「タイトル一覧」への御案内がございます。
シリーズごとに設置してありますので、アーカイブへはそちらからお出かけ下さい。
「とりあえずサクッと解説を!」な方はこちらへどうぞ→シャングリラ学園・解説編
また、アルト様が書いて下さった「ぶるぅのお話」及びシャングリラ学園番外編とのコラボ作品が幾つかございます。
そちらは「アルト様からの頂き物」として収録させて頂きましたv
クリックでタイトル一覧に飛びますので、そこから御覧下さいませ。
各シリーズの中のお話については「タイトル一覧」で簡単な解説をつけてあります。
タイトルをクリックで本文に飛べますから、御自由に散策なさって下さいv
ただ、ブログの構造上、「全3話分などを一括表示」が出来ません。
お手数をおかけしますが、一番下までスクロールして2話目、3話目と移動をお願いします~。
重要なオリキャラ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」を御存知ない、と仰る方は→こちらをクリック
『シャングリラのし上がり日記』←クリックで「タイトル一覧」に飛べます。
アルト様の2007年クリスマス企画掲示板での連載作品。
成人検査に脱落し、シャングリラに拾われ…な日記であります。
ひたすらバカなお気楽コメディ。
なお、完結後の番外編としてブルー生存EDがあります。
「赤い瞳 青い星」がそれですv
『シャングリラ学園・本編』←クリックで「タイトル一覧」に飛べます。
普通の学生としてシャングリラ学園で3年間を過ごす…筈だったのですが。
入学早々、大変なことになってしまいます。
サイオンに目覚め、一度卒業して特別生になるまでの間に起こるドタバタ。
こればっかりは「順番に読んでみて下さい」としか言えません、というほど実は伏線だらけのお話だったり…。
そこで「細かいことはどうでもいいから外せないポイントを!」な方へのオススメをば。
「入学式」と「クラス発表」。シャン学の仲間たちが集結です。
「夏休み」第1話。キース君の家はお寺だった! しかも生徒会長が実は高僧?
「二学期始業式」。教頭先生の紅白縞トランクスの由来が此処に…。
「二学期終業式」第2話&第3話。生徒会長の過去が語られます。
「冬休み」第1話。シャン学のみんながサイオン持ちな事実が明らかに。
「三学期始業式」第3話。ドクター・ノルディが初登場です。
「卒業旅行」第3話。グレイブ先生とミシェル先生の結婚式。
「就職活動」全3話。シャングリラ号に乗り込み、特別生として再入学!
『シャングリラ学園・番外編』←クリックで「タイトル一覧」に飛べます。
本編終了後、特別生として再びシャングリラ学園に入学を果たしたジョミー君たち。
出席義務すら無いと言われる特別生のお気楽な学園ライフです。
そこへ別の世界のシャングリラ号から生徒会長のそっくりさんが乱入してきて…。
登場人物が増えた分、本編以上にカオスと化した番外編。
完結しておりますが、その後も何故か現在進行形で連載中ですv
『シャングリラ学園・場外編』
こちらはブログ『シャングリラ学園生徒会室』にて毎日更新で連載中です。
シャングリラ学園の本編と番外編でお馴染みのメンバーのお気楽、極楽、学園ライフ。
番外編との繋がりは無く、季節ネタをメインに勝手気ままに綴っております。
「もはや文章とも言えない」形式での連載ですが、「1日1分で読める」が売りです。
『シャングリラ学園シリーズ豆知識』
御存知なくても全く問題ございません。
書き出してみれば大部分がお寺と坊主ネタでした。文字通り『寺へ…』という世界です。
そもそもブルー生徒会長の正体が「ソルジャーで高僧」な段階からして間違っています(笑)
学校からの帰りに、バス停から家まで歩いていたブルー。いつものように通学鞄を提げて。
其処へ、道沿いの家から声を掛けられた。顔馴染みの奥さんが庭に立っている。
「こんにちは!」
元気よく挨拶をして、頭をピョコンと下げたのだけれど。
「おかえりなさい。丁度良かったわ」
「え?」
何のことだろう、とキョトンとした。「丁度良かった」の言葉に、心当たりが無いものだから。
奥さんと顔を合わせる日は多いけれども、何が「丁度いい」のか、本当にまるで分からない。
「ブルー君、ちょっと待っててね」
直ぐに戻るわ、と奥さんは家に入っていって…。
(何なんだろ…?)
お使いを頼まれるのだろうか。母に渡したいものがあるとか、奥さんが関わっている催しなどのチラシを預かることになるのか。
(どっちかだよね…?)
きっとそうだ、と考えていたら、奥さんが家の中から出て来た。庭を横切り、道路との境にある生垣の側までやって来ると…。
「はい、お待たせ」
どうぞ、と手のひらに乗せられた瓶。高さは六センチくらいだろうか、小さくて丸っこいガラス瓶。薄いレモン色の液体が中に閉じ込めてある。
「えっと…?」
母への届け物だろうか、と瓶を見詰めた。それに中身は何なのだろう、と首を傾げて。
「あら、分からない? 書いてあるでしょ、高原ハチミツって」
とても小さなラベルだけれど、と奥さんが小さな瓶を指差す。「其処の金色よ」と。
「ホントだ!」
これって、蜂蜜の瓶なんだ…。
高原ハチミツって書いてあるものね、このラベルに。…これが蜂蜜…。
薄いレモン色だから分からなかった、と眺めた瓶と「高原ハチミツ」と書かれたラベル。金色の地に赤い文字で。小さな瓶の飾りみたいに、ラベルも小さい。
蜂蜜色をしていない蜂蜜。「高原ハチミツ」と謳うからには、高原の蜂蜜はこうなのだろうか?
分かんないや、という疑問を読み取ったように、奥さんは蜂蜜の話をしてくれた。
「薄い色だけど、これも蜂蜜よ。ミツバチが何の蜜を集めるかで、蜂蜜の色が変わってくるの」
蜂蜜専門のお店に行ったら、色々な色の蜂蜜の瓶が並んでいるわよ。蜂蜜色だけじゃなくて。
これは高原の花の蜜なの、リンゴの花の蜜なのかしらね?
高原にはリンゴ畑が沢山あるから、と奥さんは笑顔。「きっとリンゴの白い花よ」と。
「この蜂蜜…。買ったんじゃないの?」
買ったんだったら、説明がついていそうだけれど…。何の花なのか、紙が添えてあるとか。
「そうね。買った蜂蜜だったら、養蜂場の名前なんかも書いてありそうだけど…」
この蜂蜜は、お友達から送って来たの。旅行に出掛けて、見付けたらしいわ。…小さなお店で。
沢山あるのよ、瓶がとっても可愛いから、ってドッサリ送ってくれたから。
せっかく見付けた可愛い瓶だし、沢山の人にあげたいらしいわ。こういう瓶は珍しいのよ。
それにね、これは固まらない蜂蜜なんですって。
だから、これからの季節にお勧め、と奥さんは薄いレモン色をした瓶の中身に目を遣った。寒い季節には、白く固まってしまう蜂蜜。まるで砂糖の粒みたいになって、流れなくなって。
けれど、花の蜜で変わる性質。固まりやすい蜂蜜もあれば、その逆になる蜂蜜も。
この瓶の蜂蜜は固まらないらしい。固まりにくい蜂蜜は、リンゴの花やらアカシアやら。
「高原なんだし、アカシアよりはリンゴの花だと思うのよ。リンゴの木の方が多そうでしょ?」
貰って直ぐに一つ開けてみたけど、とても美味しい蜂蜜なの。
普通の蜂蜜よりサラサラしていて、クセが無いから。
それに珍しいし、持って帰ってみんなで食べてね。其処に行かないと買えない蜂蜜らしいから。
「ありがとう!」
ママも、とっても喜びそう。この瓶、とても可愛いから。
それに珍しい蜂蜜だものね、高原に行かないと買えない蜂蜜…。
いいもの、どうもありがとう!
奥さんに御礼を言って、「貰っちゃった」と眺めた瓶。コロンと丸くて可愛らしい瓶。
中に詰まった薄いレモン色の蜂蜜は、ハーブティーにも合うらしい。サラサラしていて、直ぐに溶けるから。…クセの無い蜜は、ハーブティーの風味を損なわないから。
(ぼくだと、ハーブティーじゃなくて、ホットケーキとか…?)
蜂蜜を味わうなら、ホットケーキが良さそうな感じ。メープルシロップの代わりに、たっぷり。明日の朝御飯はホットケーキを焼いて貰って、この蜂蜜をかけてみようか?
(パパとママも、蜂蜜、食べるだろうしね?)
みんなでホットケーキがいいかな、と考えた途端に思い出した。
朝の食卓に、いつも置かれるマーマレードの大きな瓶。トーストに塗ったり、紅茶に入れたり、両親もお気に入りのそれ。夏ミカンの実で出来た金色、夏のお日様のようなマーマレード。
それを持って来てくれる恋人の顔が、ポンと頭に浮かんで来た。
夏ミカンの実のマーマレードは、隣町に住むハーレイの母が作るもの。庭のシンボルだという、とても大きな夏ミカンの木。その実をハーレイの父がもいだら、洗って、皮を刻んだりして。
朝御飯と言ったら、そのマーマレード。切れてしまう前に、新しい瓶を届けてくれるハーレイ。
(この蜂蜜…。珍しいんなら、ハーレイにも…)
食べて欲しいと思うけれども、生憎と瓶は一つだけ。手のひらに乗るような、小さな瓶が。
それに「みんなで食べてね」と分けて貰ったからには…。
(家に帰ったら、ママに渡して、パパとママとぼく…)
その三人で食べるだけ。薄いレモン色の、固まらないらしい蜂蜜を。「高原ハチミツ」と金色のラベルが貼られた、リンゴの花の蜜らしいのを。
(蜂蜜の瓶って…)
朝食のテーブルには似合いそう。小さい瓶でも、マーマレードの瓶に負けない存在感。朝の光が射し込む中に置いてあったら、中の蜂蜜が輝いて。
トーストにも、焼き立てのホットケーキにも、良く合いそうなレモン色。
けれど、夕食の時には無さそうな出番。ハーレイも一緒に食べる夕食。そのテーブルの上に母が並べる料理は、蜂蜜なんかは必要としない。蜂蜜を味付けに使ってあっても、ただそれだけ。
トーストやホットケーキみたいに、それぞれの好みで蜂蜜をかけはしないから。
夕食のテーブルに蜂蜜の瓶が無いなら、この蜂蜜はハーレイには食べて貰えない。蜂蜜の出番が無い以上は。
そうなるんだ、と気付いた蜂蜜。夕食のテーブルに並びはしなくて、両親と自分が食べるだけ。朝食の時に瓶を開けては、トーストに、ホットケーキにと。
ハーレイにも食べて欲しいのに。…コロンと丸い瓶の中身を、ハーレイにも御馳走したいのに。
(蜂蜜、せっかく貰ったのに…)
呼び止められて渡されたほどに、珍しいのがこの蜂蜜。高原の小さな店に行かないと、買えないらしい高原ハチミツ。それをハーレイにも食べて欲しいのに、ハーレイの分が無いなんて。
(…晩御飯に蜂蜜なんかは無理だし…)
蜂蜜をかけるような料理を、母に注文するのも無理。あまりにも我儘すぎるから。
(仕方ないよね…)
ハーレイには食べて貰えなくても、と心の中で零した溜息。残念だけれど、それ以外に道は全く無い。夕食の時には出て来てくれない、蜂蜜の瓶。朝食だったら、当たり前のように似合うのに。
きっと自分は、見るからに元気が無かったのだろう。まるで自覚は無かったけれど。
「どうしたの?」と奥さんに訊かれた。「ブルー君、気分が悪くなったの?」と。
「ううん、なんでもない…。蜂蜜、ホントにありがとう。ママに渡すよ」
じゃあね、とペコリと頭を下げて、歩き出そうとしたら。
「待って、ブルー君」
「なあに?」
奥さんの声に引き止められた。まだ何か用事があるのだろうか、と不思議に思ったのだけど…。
「この蜂蜜、もっと欲しいんじゃないの?」
ブルー君は、と問い掛けられて仰天した。奥さんの言う通りだから。
「なんで分かったの!?」
そう叫んでから、慌てて押さえた自分の口。…正直に喋ってしまった、「お行儀の悪い」口を。
蜂蜜は一つ貰ったのだし、奥さんも最初から「一つ」のつもり。
いくら沢山あるにしたって、一人に二つも三つも渡しはしないだろう。そうするよりは、もっと大勢の人に。通り掛かった人や、奥さんの知り合いなんかに一つずつ。
その蜂蜜の瓶を「もっと欲しい」だなんて、これではまるで、ただの欲張り。
「欲しい」と言ってはいないけれども、「欲しいんじゃないの?」と訊かれた答えが、そのまま「欲しい」の意味だから。「なんで分かったの!?」と叫べば、そうだと分かるのだから。
大失敗、と口を押えて慌てているのに、奥さんはクスクス可笑しそう。「やっぱりね」と笑みを浮かべて、「大当たりだわ」と。
「ブルー君を見てれば分かるわよ。最初はとても喜んでたのに、しょげちゃったから」
蜂蜜、あげたい人がいるのね。お父さんとお母さんの他にも。
…あの学校の先生でしょう?
がっしりしていて大きな身体で、褐色の肌の。…金色の髪をしている男の先生。
そうじゃないの、と問い掛けられた。「ハーレイのことだ」と、ピンとくる言葉たちを並べて。
「…ぼくの先生、知ってるの?」
「ええ。…確かハーレイ先生よね?」
奥さんは名前まで言い当てた。ハーレイの姿を知っているばかりか、「ハーレイ」の名まで。
「ハーレイ先生って…。誰に聞いたの?」
「ブルー君のお母さんよ。あの先生のお話をしていた時にね」
お名前を教えて貰ったのよ、と返った返事。奥さんは、ハーレイが庭でお茶を飲んでいる姿を、何度も目にしていたらしい。
庭で一番大きな木の下、其処に置かれた白いテーブルと椅子。日向の芝生に運んでゆくことも。其処でハーレイとお茶を飲むのが、今ではすっかりお気に入り。生垣の向こうを通ってゆく人は、まるで気にしていなかった。
(ハーレイと話すのに夢中で、道の方なんか見ていなかったよ…)
もちろん挨拶もしていない。奥さんが通っていたことにさえも、全く気付いていないのだから。
そうは言っても、近所の人なら知っていること。
身体に聖痕が現れたことも、その再発を防ぐためにと「守り役」がついていることも。
この奥さんも、その中の一人。ハーレイが誰か、話さなくても、充分、承知。
「ブルー君、先生といつも、楽しそうにお話しているものね」
だから蜂蜜、先生の分が欲しかったんでしょう?
一つしか無いと、先生に渡す分が無いから。…ブルー君の家で食べる分だけで。
「そうだけど…。でも…」
蜂蜜、一個貰ったから…。パパとママには、これで足りるから…。
ごめんなさい、欲しそうな顔をしちゃって…。
失敗しちゃった、と謝ったけれど、奥さんは「いいのよ、正直なのが一番」と微笑んでくれた。
「ブルー君くらいの年の子供はね、遠慮していちゃいけないの」
そういうことはね、もっと大きくなってから。…今の学校を卒業してからで充分なのよ。
先生の分の蜂蜜、持って帰って。沢山送って来てくれたから、本当に山ほどあるのよ、蜂蜜。
其処で少しだけ待っててね、と家に入って行った奥さん。
戻って来た時は、ちゃんと蜂蜜の瓶を持っていた。コロンと丸っこい、可愛らしい瓶を。
それを「はい、これはハーレイ先生の分」と手のひらに乗せて貰って、本当に貰えたハーレイのための蜂蜜の瓶。さっき一つ目を貰っているのに、もう一個。
「ありがとう…! 二つも貰って、本当にいいの?」
「遠慮しちゃ駄目って言ったでしょ? 二つ目はハーレイ先生にあげてね」
気に入って貰えるといいんだけれど、と奥さんは蜂蜜の味の心配。ハーレイの口にも合うのか、そっちの方を。
「大丈夫! ハーレイ先生は、何でも美味しそうに食べる人なんだよ」
自分でお菓子も作ったりするし、蜂蜜だって、きっと大好き。いいもの、本当にありがとう!
先生が来たら、ちゃんと渡すね、と奥さんに何度も御礼を言って、足取りも軽く家に帰った。
「ハーレイの分も貰っちゃった!」と、小さな瓶を二つ、大切に持って。通学鞄を持っていない方の手で、しっかりと。
片手で二つ持てるくらいに、小さくて可愛らしい瓶。中身は薄いレモン色をした高原ハチミツ。家に帰り着いて、門扉を開ける所で「これじゃ落としちゃう」と鞄に仕舞った。
(このままでも、開けられるんだけど…)
鞄を持った方の手を使えば、なんとか開いてくれるだろう門扉。
けれど身体のバランスを崩してしまったりしたら、もう片方の手にある蜂蜜の瓶が落っこちる。落としたら瓶は呆気なく割れて、蜂蜜も地面に吸われておしまい。
(それじゃ大変…)
二つ貰った意味が無い。あの奥さんにも申し訳ない。
それに、門扉を開けて入ったら、次は玄関の扉もある。そっちも開けないと入れないから、瓶は仕舞っておかなければ。
割れないように、鞄の中に。教科書やノートが詰まっている中に、そうっと滑り込ませて。
玄関を開けて、入った家。「ただいま!」と靴を脱いで上がって、キッチンの母の所に行った。鞄から小さな蜂蜜の瓶を、二つ取り出して。
「ママ、これ…」
高原ハチミツなんだって。普通の蜂蜜よりも薄い色だけど、寒くなっても固まらない、って。
ほらね、と見せた「高原ハチミツ」と書かれたラベル。金色の地に、赤い文字で。
「あら、本当…。こんな蜂蜜、どうしたの?」
「帰って来る途中で貰っちゃった。えっとね、あそこの家の…」
母に話した、蜂蜜をくれた奥さんのこと。蜂蜜の瓶が何処から来たかも、忘れずに。
高原にある小さな店でしか買えない蜂蜜。奥さんの友達が旅行に出掛けて、沢山の蜂蜜を送って来てくれたみたい、と。
「まあ…。珍しい蜂蜜なのね。ママもリンゴの蜜だと思うわ、高原にはリンゴ畑が多いもの」
美味しいリンゴを作るためには、ミツバチも沢山いないと駄目だし…。
ブルー、いいもの頂いたわね。
「でしょ? それにね、蜂蜜は二つ…。一つはハーレイの分なんだよ」
ハーレイのこと、名前まで覚えていてくれて…。「こっちは先生に分けてあげてね」って。
得意顔で見せた瓶の片方。「一つはハーレイの分だからね」と、念を押すように。
「あらあら…。ハーレイ先生の分まで貰って来たのね?」
ブルーったら、無理を言ったんじゃないの?
「言ってないってば! ハーレイの分も欲しいだなんて、そんなお行儀の悪いことは!」
ぼくはしないよ、と叫んだけれども、ちょっぴり、しょげたことは本当。ハーレイの分の蜂蜜が無くて、元気を失くしてしまったこと。
それを正直に白状したら、母は「あらまあ…」と呆れながらも、「良かったわね」と笑んだ。
「ブルーは本当に、ハーレイ先生が大好きだものね」
ハーレイ先生の分が無いと思って、しょげてしまったのも仕方ないわ。珍しい蜂蜜なんだもの。
良かったわねえ、ハーレイ先生の分も貰えて。
「うんっ! ハーレイが来たら、これをプレゼントするんだよ」
ママ、あの家の前を通ったら、ママからも御礼を言っておいてね。
ぼくがとっても喜んでた、って。…蜂蜜、二つも貰えたから。ハーレイの分の御礼もお願い!
蜂蜜の瓶の一つを母に渡して、「おやつに食べたい」とホットケーキを注文した。蜂蜜が似合うホットケーキを。
もう一つの瓶は勉強机の上に飾って、それからダイニングに出掛けて、おやつ。
コロンと小さな瓶の蓋を開けて、高原ハチミツをスプーンで掬って、焼き立てのホットケーキにかけて。薄いレモン色をした、粘りの少ない蜂蜜を。
ホットケーキを口に含むと、甘い蜂蜜の味がする。確かにクセの無い蜂蜜。
(メープルシロップをかけて食べるのも、美味しいけれど…)
この蜂蜜も、とても美味しい。高原育ちのリンゴの花から、ミツバチたちが集めただろう蜂蜜。まるで高原の清々しい風が通ってゆくよう。白いリンゴの花を揺らして。
瓶は小さく見えるけれども、中身は案外、沢山詰まっているらしい。スプーンで掬ってしまった後にも、それほど減ってはいないから。
(この蜂蜜が、ハーレイの分もあるなんて…)
もう一つ貰って帰れただなんて、とても幸せ。
本当だったら、両親と自分の分だけで、一個。あの奥さんも、そのつもりで一個渡してくれた。他に渡したい人がいるなど、考えてもみなかっただろうから。
けれど、二つも貰えた蜂蜜。「待っててね」と、もう一度、家の中まで取りに入ってくれて。
それに何より嬉しかったのは、奥さんに分かって貰えたこと。
(二つ目はハーレイの分なんだ、って…)
そうだと気付いてくれた奥さん。「あの先生でしょう?」と、ハーレイの名前を口にして。
「よく見掛けるわ」とも話していたから、ハーレイと庭でお茶を飲む姿を、何度も見ていたのに違いない。…こちらは気付いていなかったけれど。挨拶さえもしなかったのだけど。
(学校の先生、って言ってたから…)
あの奥さんは、ハーレイとは「先生と生徒」の関係なのだと思っている。聖痕を持った生徒と、守り役の教師。それも事実だし、間違ってはいない。けれど本当は、前の生からの恋人同士。
(蜂蜜、ハーレイにもあげたいんだ、ってこと…)
分かって貰えたのが、もう嬉しくてたまらない。
今は誰にも話してはいない、恋人同士の二人の絆。それに気付いて貰えたみたいで、じんわりと胸が温かくなる。
二つ目の蜂蜜を貰えたことで。ハーレイに渡す分の蜂蜜まで、もう一つ分けて貰えたことで。
幸せ一杯で食べ終えた、おやつ。高原ハチミツをつけて頬張ったホットケーキ。母に空になったカップやお皿を返して、戻った二階の自分の部屋。
其処から何度も、窓の向こうを覗いてみた。「ハーレイが来てくれないかな?」と。
貰ったばかりの蜂蜜の瓶を、一刻も早く渡したい。出来るのなら、貰った今日の間に。
机に置いた蜂蜜の瓶も、眺めて、触って、「高原ハチミツ」と書かれたラベルを何回も読んだ。瓶の姿も、ラベルの字体も、そっくり覚えてしまうくらいに。
その内に聞こえたチャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、ハーレイが腰を下ろすのを待って、蜂蜜の瓶を取って来た。勉強机の上に置いてあったのを。
「はい、ハーレイ。…これ、あげる」
蜂蜜だよ、と差し出した瓶。ハーレイの前のテーブルにコトリと置いたら、ハーレイは丸っこい瓶をしげしげと見て…。
「なんだ、土産をくれるのか? 珍しいこともあるもんだ」
お父さん、旅行にでも行って来たのか、高原ハチミツと書いてあるしな?
蜂蜜なのか、とハーレイは「父の土産」だと勘違いした。学校がある期間に旅行するなら、父の他にはいないから。
「ううん、ぼくからだよ」
パパじゃなくって、ぼくからだってば。…ぼくから、ハーレイにプレゼント。
「プレゼントって…。お前が買って来たのか?」
この辺りじゃ見掛けない形の瓶だが、蜂蜜フェアでもやっていたのか、近所の店で…?
「違うよ、ぼくが貰ったんだよ」
買ったんじゃなくて、貰った蜂蜜。珍しいのは本当だけどね。高原のお店でしか買えない蜂蜜。
それを貰って、ハーレイの分も一緒に貰って来たんだけれど…。
だって、ハーレイの分が無いなんて、悲しいから…。せっかく珍しい蜂蜜なのに…。
瓶だってとても可愛いのに、と丸っこい瓶を指でつついた。「これはハーレイの分の蜂蜜」と。
「はあ?」
お前が貰ったというのは分かるが、どうして俺が出て来るんだ?
なんだって俺の分まで貰うと言うんだ、話がサッパリ分からんぞ。
第一、誰から貰った蜂蜜なんだ、これは…?
俺にも分かるように話してくれ、と首を捻るハーレイに説明をした。帰り道での出来事を。
呼び止められて、分けて貰った蜂蜜の瓶は、最初は一個。それだけしか無いと、ハーレイの分の蜂蜜が無い。そうと気付いてしょげてしまったら、もう一個分けて貰えたのだ、と。
「ちゃんとこうして貰えたんだよ、ハーレイの分も」
くれる時には、「ハーレイ先生の分」って言ってたよ。ハーレイのこと、よく知ってるんだよ。大きな身体で、褐色の肌で、金髪の男の先生だ、って。
「…そんなに有名人だったのか、俺は…」
この家の近所では良く知られていて、お前と庭でお茶を飲んでいたら、通ってゆく人たちが俺を見ている、と。…あれがハーレイ先生なんだ、と。
俺は挨拶をしてもいないのに、向こうじゃ俺の名前まで知っているってか…?
この蜂蜜をくれた奥さんの家も名前も知らないんだが…、とハーレイは少し困り顔。照れているような顔にも見える。「参っちまうな」と頭を掻いて。
「ぼくも気付いていなかったけど…。ハーレイ、有名人みたいだよ」
きっとハーレイが思っている以上に、沢山の人が顔と名前を覚えているんじゃないかと思うな。
ぼくと一緒に庭に出てたら、ハーレイ、うんと目立ちそうだから。
身体が大きくて、スポーツ選手みたいだし…。古典の先生には見えていないかも…。
「それはあるかもしれないなあ…。教師とだけしか知らないならな」
よく勘違いをされちまうから。
教師ばかりが集まる所に行っても、俺の担当は体育だ、とな。
「体育って…。先生同士でも間違えちゃうんだ、ハーレイが何を教えているのか…」
ハーレイみたいな体格だったら、誰でも間違えそうだけど…。でも、先生まで間違えるって…。
信じられない、と瞳を瞬かせたら、「仕方ないだろ」とハーレイは苦笑い。
「首から札でも下げれば別だが、そういうのは特に無いからなあ…」
何の教師か分からなかったら、大抵は勘に頼っちまう、と。
もっとも、体育の担当というのも、まるで間違ってはいないんだが…。
体育の教師をやっていないだけで、何処の学校でも、俺に回って来るのは柔道部か、水泳部かの顧問ってヤツだ。…それも名前だけの顧問じゃなくて、指導力を期待されているってな。
俺が顧問になったからには、大会に出るのも、賞を取るのも夢じゃない、と周りの先生たちに。
この家の近所だと、どうだろうな、と窓の向こうを見ているハーレイ。「体育でもいいが」と、何の教師にされているかを考えるように。
「古典の教師じゃないかもなあ…。見た目だけで判断しているんなら」
そうだった時は、お前とは実に似合っていない組み合わせだが。
お前の身体が丈夫じゃないこと、近所の人なら昔から知っているんだろうし…。バスで通学している辺りも、弱いってことの証明だしな。
そんなお前の守り役の俺が、体育の教師となったなら…。授業じゃロクに会えんだろうが。
「ホントだ。ぼくは体育、見学の方が多いから…。授業に出たって、途中で見学…」
ハーレイがぼくを教えたくても、ぼく、グラウンドにいないのかもね。…体育館で授業の時も。
見学用の場所にポツンと座って、みんなの授業を見ているだけ。
そんなの嫌だな、ハーレイが教えているんなら。…ハーレイの授業、ぼくだけ仲間外れなら…。
つまらないよ、と想像してみただけでも分かる。
学校では教師と生徒だけれども、その関係さえ希薄になってしまいそうだから。ハーレイが体育担当だったら、そうなってしまっていただろうから。
「俺も、そいつは大いにつまらん。せっかくお前を教えられるのに、見学ばかりの授業じゃな」
体育の教師の道に進んでいなくて良かった。古典の教師になったからこそ、お前にも俺の授業を休まずに受けて貰えるんだから。…病気で休んだ時は駄目だが。
「ぼくも、ハーレイが古典の先生で良かったよ。…近所の人たちは間違えているかもだけど…」
この蜂蜜をくれた人も、もしかしたら勘違いをしているのかもしれないけれど。
何の先生かは訊かれなかったし、どうなってるかは分からないけどね。
でも、蜂蜜は美味しかったよ、ハーレイの分も貰えて良かった。
体育の先生だと思われてたって、ハーレイの分には違いないもの。ぼくが貰った、二つ目の瓶。
ハーレイも家に帰ったら食べてね、とコロンと丸い瓶を指先でつつく。「美味しいよ?」と。
「美味いって…。お前、もう蜂蜜を食ったのか?」
今日の帰りに貰って帰って、早速に味見したってか…?
すばしっこいヤツだな、食べられる量は小鳥みたいに少ないくせに。
食事もしょっちゅう残しちまっては、「お腹一杯」ばかり言ってるくせにな…?
「だって、おやつだもの。…おやつくらいは平気だよ」
いつも学校から帰った後には、おやつの時間。その時に蜂蜜、食べたんだってば。
蜂蜜をおやつに食べたわけではないけれど、と付け加えた。蜂蜜だけでは、流石に足りない。
「ママにホットケーキを焼いて貰って、それにつけたよ」
メープルシロップをかける代わりに蜂蜜。…サラサラしていて、クセが無いから美味しくて…。
リンゴの味はしなかったけれど、高原の風が吹いてるような気がして来ちゃった。
「ホットケーキか…。お前らしいな」
前のお前の夢だったからな、地球に着いたらホットケーキの朝飯を食うというヤツが。
合成品のメープルシロップじゃなくて、砂糖カエデから採れた本物をたっぷりかけてやって。
それと地球の草で育った牛のミルクのバターだ、そいつがお前の夢だった。地球に着いて平和な時代が来たなら、朝飯にはホットケーキがいい、と。
今のお前は、ホットケーキにデカい夢を見てはいないんだが…。それでもホットケーキが浮かぶくらいに、前のお前の夢のホットケーキは、憧れってヤツが大きかったのかもしれないな。
お前が蜂蜜、そうやって食っていたんなら…。
俺もホットケーキを焼いて食うべきだろう。お前が貰ってくれた蜂蜜、明日の朝にでも早速に。
ホットケーキの材料は家にある筈だよな、とハーレイは指を折っている。卵に砂糖…、と必要なものを挙げながら。
「ハーレイの朝御飯、普段はホットケーキじゃないんでしょ?」
トーストとか、田舎パンだとか…。バゲットを食べてることもあるよね、パンでなければ御飯を炊いて食べてたり。
ぼくが聞いてるハーレイの朝御飯は、いつだって量がたっぷりだから…。
ホットケーキには合いそうにないよ、オムレツも、焼いたソーセージとかも。
蜂蜜の食べ方は色々なんだし、ホットケーキにこだわらなくてもいいと思うな。ハーブティーに入れはしないだろうけど、ハーレイが好きな食べ方で食べてくれればいいよ。
この蜂蜜はハーレイのだから、と瓶をハーレイの方に押しやる。「好きなように食べて」と。
「それはまあ…。俺も全部をホットケーキに使おうとまでは思っていないが…」
しかし、同じ蜂蜜を食うんだったら、じっくり味わって食いたいじゃないか。
お前がホットケーキにつけていたなら、その真似もきちんとしておきたい。お前が食ってた時の味わい、俺だって知りたいと思うしな?
こういう味か、と最初はホットケーキと一緒に食っておくべきだ。お前に貰ったからにはな。
それに量だって、そんなに無いぞ、とハーレイの手が小さな瓶を包んだ。コロンとした丸っこい蜂蜜の瓶は、大きな手だと隠れてしまいそう。
「なんたって、この大きさだから…。ホットケーキが最優先だ」
他の食い方をして減った後だと、そう沢山はつけられんだろう。ホットケーキを焼いたって。
だから最初がホットケーキで、それから別のも試してみる、と。蜂蜜をつけて食うのが似合いのヤツを、あれやこれやと。
しかし、この瓶…。お前の家だと、中身は直ぐに無くなっちまうな。
お前の他に、お父さんとお母さんも食うわけだから。
「あっ…!」
本当だ…。パパもママも蜂蜜、食べるんだよね…。朝御飯の時にはスプーンで掬って、たっぷり果物にかけたりもして。…ホットケーキを焼いても、蜂蜜たっぷり…。
パパたちも食べるなら、ホントに直ぐに無くなっちゃうよ。この瓶、うんと小さいんだもの。
おやつのホットケーキの時には、そんなに減った気、しなかったけど…。
でも…、と考えてみれば分かること。ハーレイが言うまで、まるで気付いていなかったけれど。
(ぼくの家だと、パパもママも食べて、三人だから…)
みるみる減っていくだろう蜂蜜。薄いレモン色の、高原から来たリンゴの花のものらしい蜂蜜。とても小さくて可愛らしい瓶の中身は、日ごとに減って、じきにおしまい。
三人もが食べる家のテーブルに置いておいたら、それこそアッと言う間にでも。
(おんなじ蜂蜜、ハーレイが持って帰っても…)
ハーレイは一人暮らしなのだし、減ってゆく量はハーレイが食べてしまった分だけ。
ホットケーキにつけて食べても、果物にかけても、蜂蜜はハーレイが食べた分しか減らない。
この家だったら、三人分が減ってゆくのに。…ホットケーキでも、果物でも。
(瓶の大きさは同じなんだし、中に入ってる蜂蜜も…)
当然、同じ量になる。詰める時には、きちんと量っているだろうから。
そっくり同じな瓶の蜂蜜を三人で食べるのと、一人きりで食べるハーレイと。その差は大きい。
この家の蜂蜜の瓶が空っぽになって、母が「可愛い瓶だから」と洗って乾かしている頃だって、まだハーレイは楽しんで味わっていそうな感じ。
一人だけしか食べないのだから、瓶には残りが充分にあって。「あと何回か食べられるな」と。
そうなっちゃうんだ、と目を丸くして蜂蜜の瓶を見下ろした。まだハーレイが開けていない瓶。薄いレモン色が蓋の所まで一杯に詰まった、「高原ハチミツ」のラベルが貼られた瓶を。
「…この蜂蜜…。ハーレイの方が沢山食べられるんだ…」
ぼくの家だと三人家族で、パパもママも蜂蜜、食べるんだから…。スプーンで掬って。
でも、ハーレイの家の方なら、ハーレイだけしか食べないんだし…。
減るのも遅くて、食べられる量も、ぼくよりも、ずっと多いよね。ぼくの三倍は食べられそう。
…ううん、四倍くらいかも…。それよりも、もっと多いかも…。
パパとママが沢山掬っちゃったら、ぼくが食べられる量は、その分、少なくなっちゃうから。
ずっと少ない量になりそう、と悲しくなった高原ハチミツ。
せっかくハーレイの分まで貰って来たのに、その蜂蜜を沢山食べることは出来ないらしい。父と母にも食べられてしまって、みるみる内に残り少なくなって。
ある日、気付いたら、「もう空っぽね」と、母が洗うために瓶を運んで行って。
コロンと丸っこい可愛らしい瓶は、綺麗に洗われて、別の何かが詰められるのだろう。丁度いい量のジャムを大きな瓶から移し替えるとか、そんな具合に。
(……ぼくの蜂蜜……)
ハーレイのよりも先に無くなっちゃう、と零れた溜息。同じだけの量の蜂蜜だったら、そういう結果が待っているから。
三人で食べる家の瓶が先に空っぽになって、一人しか食べない家の瓶の中身の方が長持ち。この家の瓶の中身が蜂蜜からジャムに変わった後にも、ハーレイは蜂蜜を食べ続けていそう。
「これは美味い」と、スプーンで掬って。
果物の上にかけて食べたり、もしかしたらホットミルクに混ぜてみたりもして。
(ハーレイ、いいな…)
ホントにいいな、と羨ましくてたまらない。
同じ蜂蜜を貰って来たのに、この差はいったい何だろう?
父にも母にも食べられて減ってゆく蜂蜜。…高原の小さな店でしか買えない、可愛らしいガラス瓶に入った蜂蜜。
ハーレイの家なら、ハーレイが食べた分しか減らないのに。
この家の瓶がすっかり空っぽになっても、ハーレイの家には、まだ蜂蜜がありそうなのに…。
それって酷い、と見詰めてしまう蜂蜜の瓶。どうして差が出てしまうのだろう、と。
貰ったのは同じ瓶なのに。「これはハーレイ先生の分」と、もう一つ分けて貰って来たのに。
「…ハーレイの家だと、蜂蜜、減るのが遅いのに…」
ぼくの家のは、ホントに、じきに空になりそう。小さな瓶だし、パパもママもきっと、朝御飯の度に食べるだろうから…。
無くなっちゃうのも早いよね、と嘆いた瓶の中身の蜂蜜。薄いレモン色の蜂蜜が詰まった瓶。
「なんだ、お前、惜しくなったのか? …美味い蜂蜜だったらしいしな?」
それなら、こいつは置いて帰るが。
俺はまだ蓋を開けてはいないし、お前が貰っておけばいい。そうすりゃ、蜂蜜、増えるだろう?
もう一個あれば、お前もたっぷり食えるだろうしな。
ほら、とハーレイが瓶をこちらに寄越そうとするから、慌てて止めた。
「駄目だよ、それはハーレイのだから!」
ハーレイ先生に分けてあげてね、って渡して貰って、家まで持って帰ったんだから…!
ママにもきちんと話しておいたよ、これはハーレイの分なんだから、って。
貰った御礼を言いに行く時は、ハーレイの分の御礼も言っておいてね、って頼んだんだもの…!
「しかしだな…。お前は蜂蜜に未練たっぷりのように見えるんだが?」
お前の家のは早く減るぞ、と言った途端に、なんだかションボリしちまって。
そんな顔をされると、俺だって…、とハーレイは蜂蜜を置いて帰ってしまいそう。それでは全く意味が無くなる。
「ハーレイの分も欲しい」と思って、運よく、それを貰えたのに。
「これはハーレイ先生の分」と、二つ目の瓶を貰って来たのに。
だから、蜂蜜はハーレイに渡さなくてはいけない。最初からハーレイの分の蜂蜜なのだし、この家には置いておかないで。
ハーレイに持って帰って貰って、美味しく食べて貰わなければ。
ホットケーキにつけるのもいいし、果物にかけて食べたっていい。ホットミルクに溶かすのも、そのままで舐めて味わうのも。
どうやって食べるのもハーレイの自由で、それがハーレイの分の蜂蜜。
一人しか食べる人がいなくて、減るのがとても遅いとしても。この家のよりも、長持ちしても。
ちゃんとハーレイに渡さなければ、と蜂蜜の瓶をハーレイの前に置き直した。これはハーレイの分なんだから、とハーレイと自分に言い聞かせるように。
「ぼくのじゃなくって、ハーレイのなんだよ。…こっちの瓶は」
ハーレイのために貰ったんだし、ちゃんと忘れずに持って帰って。…ぼくは、いいから。
でも、ぼくの家の分に貰った蜂蜜、パパとママには…。
あんまり沢山食べないでね、って頼もうかな…。
そしたら、減るのが遅くなるから。…ハーレイの分のが無くなる頃まで、残ってるかも…。
そうしようかな、と大真面目な顔で考え込んだ。両親は自分に甘いのだから、「これが好き」と言っておいたら、食べる量を控えてくれるだろう。あるいは、食べずにいてくれるとか。
御礼を言うための味見で済ませて、残りは全部、「可愛い一人息子」に譲って。
「ははっ、お前も、とんでもないことを考え付くな」
俺には瓶ごと大盤振る舞いで、お母さんたちには「食べないで」とケチケチするってか?
酷いヤツだな、美味い蜂蜜らしいのに…。
「いいでしょ、ぼくが貰ったんだから!」
あの家の前を通ったのは、ぼくで、パパやママとは違うんだから…!
ぼくが貰って、ハーレイの分の二つ目の瓶も貰ったんだし…。大盤振る舞いするのも、ケチケチするのも、ぼくの自由だと思うんだけど…!
通らなかったら貰えないしね、と自分の正しさを主張する。いくら沢山の瓶が届いたとはいえ、この家にまでは「どうぞ」と配りに来ないだろうから。せいぜい、隣とお向かいまで。
他の瓶は「出会った人」が優先、きっとそうなる。そして自分も、「出会った人」の一人。
「まあなあ…。お前が言うのも、一理はある」
こいつは有難く頂いておこう、俺のためにと貰って来てくれた蜂蜜なんだし…。
お前はお母さんたちにもケチケチするほど、大切に食べるようだから…。俺も大事に食うことにするさ。最初はホットケーキを焼いてだ、お前と同じ食べ方からで。
其処の所は譲れんな、とハーレイの明日の朝御飯はホットケーキになるらしい。貰ったばかりの蜂蜜をつけて、ホットケーキの朝御飯。
「ありがとう、ハーレイ…。蜂蜜、ちゃんと美味しく食べてあげてね」
ぼくも大事に食べるから。…パパとママには、食べ過ぎないようにお願いして。
明日の朝御飯は、ぼくもホットケーキにしようかな、と考えてみる。ハーレイがホットケーキを焼くなら、同じものを食べてみたいから。…同じ高原ハチミツをつけて。
(…この瓶は、ハーレイが持って帰る瓶で…)
ぼくの家のとお揃いだよね、と眺めたコロンと丸っこい瓶。高原ハチミツが詰まった瓶。
とても小さいから、本当に直ぐに空っぽになってしまいそうだけれども…。
(でも、幸せ…)
思いがけなく、ハーレイの分まで貰えたから。「これはハーレイ先生の分」と。
蜂蜜の瓶を二つ貰えて、ハーレイと自分の間の絆に、気付いて貰えたような気がするから。
今は「先生」と「生徒」だけれども、いつか結婚する二人。
遠く遥かな時の彼方で、恋をして生きていた二人。
白いシャングリラで、誰にも明かせない恋を。
そんな二人の分を貰えた、可愛らしい瓶に入った薄いレモン色の蜂蜜。高原から来た、リンゴの花のものだろう蜂蜜。
それを二人で、大切に食べる。お揃いの蜂蜜の瓶の中身を、それぞれの家で。
本当に小さな瓶だけれども、ハーレイの分まで貰えた蜂蜜。
きっと中には、幸せがたっぷり詰まっている筈。
「ハーレイ先生の分」と貰えた幸せ、二人の絆が蜂蜜の瓶の中を満たしているだろうから…。
二個目の幸せ・了
※ブルーが貰った蜂蜜の瓶。ハーレイの分も欲しいと願った気持ちが通じたようです。
思いがけず貰えた、ハーレイの分の瓶。学校の先生と生徒に見える仲でも、二人の絆は本物。
ハレブル別館は、このお話で終了ですけど、サイトの構造上、更新が無いと広告が出ます。
放っておけるのは三カ月が限度らしくて、それを超えたら、TOPに広告がベッタリ。
そうならないよう、たまに書くかもしれません。
ハーレイ先生とブルー、「その後の二人」のお話を、とても短い形で…。
長い間、ありがとうございました。
おバカなシャングリラ学園生徒会室は、これからも今まで通りです。
他の二つのサイトも、書ける間は、続けてゆこうと思います。
此処も、増える時があるかもしれませんので、時々、覗いてみて下さい。
素敵だよね、とブルーが手に取った本。学校の休み時間に、図書室で。
生徒の注目を浴びるようにと、表紙を見せて置いてあった一冊。大きめの本で、目に入ったのはカラーで刷られた古代の遺跡。それが表紙になっている。
遺跡なのだし、遠い昔に地球と一緒に滅びたもの。
大気汚染による劣化を免れた遺跡も、地球が燃え上がった時の地殻変動で全て壊れてしまった。今は何一つ残ってはいない。「此処にあった」と復元されたものはあっても。
(えーっと…?)
ページを繰ったら、遺跡の写真と、それに添えられた解説など。遠い昔の「地球」が一杯。
前の自分が焦がれた地球。青い星だと信じていた頃、地球というだけで憧れた。自然にも、人の営みにも。この写真のような、遥か昔の遺跡などにも。
(人間が住めない星になっても…)
遺跡は残っていたかもしれない。そう思ったのが前の自分。
SD体制を敷いたお蔭で、地球が青い星に戻ったのなら、その遺跡たちを訪ねる人も何人も。
(昔みたいに写真を撮ったり、観光したり…)
そういう平和な光景だってあるのだろう、と夢を見ていた。いつか自分も行けたらいい、と。
(だけど、何もかも無くなっちゃった…)
今はもう、何処を探しても無い古代の遺跡。遠い昔の人が築いた、都市や神殿などが崩れた跡。かつて其処にも人がいたのだ、と教えてくれる加工された石や、壊れてしまった柱やら。
(この本の写真は、全部本物…)
遺跡があった頃に撮られた写真で、データを元に印刷されたものばかり。
気が遠くなるほどの時を越えて来て、この本の中に収まっている。SD体制に入る前の滅びと、SD体制の終わりと共に訪れた地球の炎上を、ちゃんと生き延びて。
恐らくノアや他の惑星に、データが残してあったのだろう。
地球が蘇る時に備えて、動植物を保護し続けたように。「かつての地球の姿」も同じに、けして失われてしまわないように。
復元するつもりは無かったとしても、「人が生きた証」を残そうとして。
母なる地球でどう「生きた」のか、どんな文化を築いたのかと。
SD体制の時代は様々な文化が消されたけれども、この遺跡たちの写真は残った。二度の滅びを立派に乗り越え、こうして編まれて本にもなって。
(せっかくだから…)
此処でパラパラ眺めているより、家に帰ってゆっくり読みたい。自分の部屋で、気の向くままにページを繰って。
勉強机で読むのもいいし、ベッドに腰掛けて読むのもいい。こんなに素敵な本なのだから。
(借りて帰ろうっと!)
いそいそと抱えて、早速借りることにした。図書室の貸し出しカウンターに行って、その一冊を差し出して。「お願いします」と、係の人に。
手続きは直ぐに済んだけれども、借りられる期間は三日だという。三日だけしか借りられない。たったの三日で、今週の内に返却期限が来てしまう。
(…なんで?)
三日だなんて、と目を丸くした。図書室の本は、普通は一週間借りられるのに。本によっては、もっと借りられるものもあるのに。
(どうしてなの…?)
係の人に尋ねてみたら、教えて貰えた貸し出し期間が短い理由。
この本は人気が高いけれども、それと同じに値段の方も高かった。裏表紙に刷られている値段。
(お小遣いで買うには、ずいぶん高くて…)
よほど惚れ込んだ生徒くらいしか、この値段で本は買わないだろう。これだけあったら、色々なものが買えるから。安い本なら、何冊も。お菓子は山ほど、他にもあれこれ買えそうな額。
遊びたい盛りの生徒たちだと、こういった本は買いもしないで、お小遣いを使うなら違う目的。本屋に行っても、別の棚へと出掛けて行って。「これと、これ」などと選び出して。
そうなるだろう本を、少しでも多くの生徒に読んで貰いたい、と短くされた貸し出し期間。
読み終えた生徒が返しに来たなら、次の生徒の所に行く。
(一日あったら読める生徒でも…)
貸し出し期間が一週間だと、なかなか返しに来ないもの。「図書室に行くのは面倒だ」などと。
けれど三日なら、急いで返しにやって来る。ウッカリしていて延滞したなら、次に借りる時に、面倒なことになってしまうから。「遅れた罰」と、暫くの間、何も貸し出しては貰えないとか。
三日間しか貸して貰えない本。図書室の他の本と違って。
(ぼくが病気で休んじゃったら…)
もちろん返しに来られないから、自動的に返却期限が延びるけれども、他には延長方法は無い。三日間借りて返せばおしまい、次の生徒に回るだけ。
(続けて貸して下さい、って…)
頼みたくても、それは出来ない。係の人に返した本は、その場では棚に戻らない。貸した間に、本が傷んだりしていないかとチェックするから。傷んでいたなら、補修もする。
(奥に運んで、ちゃんと調べて…)
それから棚に戻すのだから、早くても次の休み時間までは出て来ない。そうやって棚に置かれたならば、図書室に来た生徒が手に取り、貸し出し手続きを始めてしまう。
こうして自分がやっているように、「この本を貸して下さい」と。
係の人は、貸し出し記録が書いてあるノートを広げてくれた。「この本は、これ」と指差して。
(…本当だ…)
見せて貰った貸し出し記録は、日付がビッシリ詰まっていた。三日間ずつ借りた生徒が、次々に本を借りて行った結果。
(ぼくが今、これを借りたけど…)
自分の名前の前の記録は、今日の日付になっている。朝一番に返した生徒がいたのだろう。
返却された本は奥に運ばれ、傷んでいないかチェックを済ませて、あそこに置かれた。カラーの表紙がよく見えるように、目立つ所に。
きっと自分は、たまたま運よく出会えただけで…。
(もうちょっと遅く来ていたら…)
他の誰かが借りてしまって、この本はもう無かったのだろう。誰かの家で三日を過ごして、また戻っては来るけれど…。
(今日まで、一度も見てないんだから…)
次に戻って来た時だって、存在にさえも気付かないまま。他の誰かが借りて帰って、あの棚には置かれていないから。…其処に無ければ、「ある」とも思いはしないから。
目の前で誰かが借りて行ったら気付くけれども、今日まで一度も出会ってはいない。もう本当に運の問題、出会えもしないで終わっていたかもしれない本。
そうだったんだ、と気付かされたら、本との出会いの重みが増す。三日間しか一緒にいられないだけに、とても大切で素敵な出会い。
大事に家に持って帰って、おやつの後に部屋で広げた。勉強机の前に座って。
図書室で一目で惹き付けられた、古代遺跡が刷られた表紙をめくったら…。
(ホントに地球だ…)
どれも地球だよ、と載っている遺跡たちの写真に心が温かくなる。遥かな昔の、汚染される前の地球で撮られた写真たち。何処までも青く澄んだ空やら、遺跡の向こうに広がる海や。
(SD体制の開始を決めた頃には…)
この空も海も、とうに無かった。大気は汚れて濁ってしまって、海からは魚影が失われて。
残っていた遺跡も、くすんでしまっていたことだろう。有毒の塵や、砂漠化した場所から飛んでくる砂に包まれて。白かった石の柱なんかも、元の色など分からないほどに。
(そうなる前の、青かった地球…)
其処で撮られた、何枚もの写真。撮影時期は二十世紀だと書かれたものまでがある。
二十世紀は、本当に遠い昔のこと。SD体制が始まった時代より、千五百年は優に遡る。そんな頃なら、地球は文字通り青かったろう。蘇った今の地球と同じに、空も海も青い水の星。
(この写真も、二十世紀ので…)
ホントに綺麗、と見惚れた遺跡。
他の写真も、どれも本物。古代の遺跡を彩る植物、それは確かに「生えていた」もの。写真家がカメラを構えた時に、其処に息づいていた植物たち。
白い遺跡に映える赤いケシも、砂漠の中の遺跡の池で花開いている睡蓮も。
遺跡の上を飛んでゆく姿が写った小鳥も、崩れた遺跡の庭で昼寝をしている猫も、全てが本物。
遠い昔に其処に「いた」もの、写真の中には幾つもの命。
(遺跡は崩れちゃってても…)
もっと昔に其処で暮らした人の営み、それは壊れて廃墟になっても、別の命が息づいていた。
砂漠だろうと、遺跡を覆って飲み込んでゆく熱帯雨林だろうと。
地球はそうして命を紡いで、また新しい国や文化があちこちに出来ていったのだろう。
全ての命は地球から生まれて、地球へと還ってゆくべきもの。
前の自分が夢見た世界が、写真の中に詰まっている。母なる地球の真の姿が。
ページをめくれば、遺跡と其処に息づく命。一枚の写真を見詰めてゆくと、色々なものが見えてくる。隅っこの方に小さな花が咲いているとか、猫の尻尾だけが写っているとか。
古代の遺跡は、廃墟とも言える。其処で暮らした人間たちは消えてしまって、建物なども崩れてしまった後なのだから。
それでも新たな命が見える。人間ではなくて、植物でも。遥か上空を飛ぶ鳥たちでも。
(いいな…)
本当に本物の地球が一杯、と見れば見るほど惹き付けられる。この本が欲しくなってくる。
三日しか貸して貰えないなら、自分で買えばいつでも見られる。次に借りられる機会を狙って、図書室通いをしなくても。
(貸し出し記録が、あんなにビッシリ…)
それなのに今日まで出会えなかったし、借りたいと思って通い続けても、出会えるかどうか。
ほんの少しの時間の差だけで、他の生徒が借りてしまうとか。「あった!」と見付けて、棚へと歩いて行った途端に、他の生徒が先に掴んでしまうとか。
(…そういうことって、ありそうだよね…)
運にはあまり自信が無いから、悲しい目に遭ってしまう時だって来そう。「今日も無かった」と別の本の貸し出しを頼んでいたら、他の生徒が「お願いします!」と隣で手続きを始めるだとか。
(一度に何冊も借りる子だっているんだから…)
この本を借りようと決めた後にも、他の本を探してウロウロしても不思議ではない。山のようにカウンターに差し出した中に、この本が一緒に混じっていても。
(それって、悔しい…)
せっかく会えても、別の生徒が「借りる権利」を持っているなんて。
自分よりも先に見付けてしまって、家へと持って帰るだなんて。
(そんなの、嫌だよ…)
とても素敵で、飽きない遺跡の写真たち。本物の地球が詰まっている本。
前の自分が此処にいたなら、きっと抱き締めることだろう。「地球だ」と、それは嬉しそうに。
自分の場合は地球に生まれたから、其処までのことはしないだけ。
けれど惹かれて、離したくない。
三日間の貸し出し期間が過ぎたら、返さなくてはいけない本でも。
返した後にも読みたいのならば、目の前で誰かに掻っ攫われても、この本を手にしたいなら…。
(自分で買うしかないんだよね?)
それよりも他に方法は無くて、買えばこの本は自分のもの。本棚に仕舞って、いつでも読める。見たいページを好きに広げて、遥かな昔の地球へと飛べる。二十世紀の世界にだって。
(…いつの本かな?)
そんなに古くはなさそうだけど、と奥付を見ると、初版は何年か前だった。それから何刷も版を重ねて、この本が刷られたのは去年。
こんなに何度も重版している人気の本なら、街の大きな書店に行ったら買えそうだけれど…。
(…お金……)
生憎と、本を買うためのお金が足りない。子供が買うには高すぎる本。
お小遣いの一ヶ月分をはたいてみたって、とても買えない。お小遣いを貯めて買おうにも…。
(んーと…?)
この本の他にも、欲しいものなら色々とある。お小遣いを使うべき場面。
学校で食べるランチ代は貰っているのだけれども、それ以外に何か食べる時にはお小遣いから。そう両親と約束したから、友達と休み時間にジュースを買ったら、お金は減る。その分だけ。
ちょっとした本などが欲しくなっても、同じこと。払った分だけ、減るお小遣い。
(この本、買うには…)
お金を貯めていかないと無理。お小遣いの中から、少しずつ。
一ヶ月分を取っておくのは無理だし、毎月、残った分だけを貯める。引き出しの中に別の財布を入れておくとか、「本を買うお金」と書いた封筒を作るとかして。
一ヶ月分のお小遣いでは買えない値段の本を買うなら、その方法で何ヶ月かかることだろう?
余った分だけ貯める方法、それでお金を貯めてゆくなら。
今すぐに買いに行けはしないし、どう頑張っても三ヶ月以上かかりそう。三ヶ月だって、多分、ギリギリ。友達とジュースを飲む回数を減らしてみるとか、工夫が必要。
(貯金を使えば、直ぐに買えるけど…)
小さい頃から貯めている貯金は、本に使うより、もっと大切な何かの時に使いたい。ハーレイの誕生日のプレゼントにさえ、貯金は使わなかったのだから。
もっとも、あれは「背伸びして」買っても、喜んで貰えないだろうと思ったせいなのだけど。
誰よりも好きな、ハーレイに贈りたかった羽根ペン。お小遣いでは買えない値段だった品。
あれを贈った時にも貯金は使っていないのだから、本を買うのに使うのは自分が納得できない。本が欲しいのは自分の我儘、そんなものに貯金を使うだなんて。
そうなってくると、この本は…。
(諦めるしかないんだよね…?)
いくら欲しくても、買うためのお金が無いのだから。お小遣いではとても買えなくて、頑張って貯めてゆくしかない。何ヶ月もかけて、節約のための工夫もして。
(そうやって、お金を貯めたって…)
本当に先が見えない計画。「今月はこれだけ貯めなくちゃ」と思っていたって、ウッカリ何かを買ってしまったら、それで狂ってしまう計画。ジュースを飲むのを我慢したって、使ってしまった分の穴を埋められないままで。
三ヶ月くらい、と目標を立てて貯めようとしても、果たして貯まっているのかどうか。三ヶ月の筈が四ヶ月になって、四ヶ月から五ヶ月、更に六ヶ月。…そういったことも、充分、ありそう。
(貯めて買うのは無理そうだから…)
お小遣いで買うのは、諦めるのが正しいと思う。計画倒れに終わってしまいそうだから。貯めるために封筒を用意したって、専用の財布を引き出しに入れておいたって。
父に「買って」と強請りたくても、本の中身は遠い昔の遺跡の写真。前の自分が生きた時代とは無縁のもので、シャングリラとも何の関係も無い。
(シャングリラの写真集は買って貰えたけれど…)
豪華版のそれは、この本よりもずっと高いけれども、父は気前よく買って来てくれた。「お前が欲しがってたヤツだ」と、頼んでから何日も経たない内に。
(前のぼくのこと、パパは知っているから…)
懐かしい白い鯨の写真を集めて編まれた本を、ポンとプレゼントしてくれたけれど。高価な本をくれたけれども、この本はそうはいかないだろう。
(いくら前のぼくがソルジャー・ブルーでも…)
地球に惹かれることを父が知っていても、この手の本を端から買ったらキリが無い。青い地球の本は沢山あるから、あれも、これも、と強請られて。
学校の図書室や新聞の紹介欄で見る度、「これが欲しいな」と言うだろうから。
いくらでもある地球の本。この本は古代の遺跡だけれども、自然の風景を収めた本も多い筈。
他にも色々、滅びる前の地球に関する本たちがあって、これからも出版されるだろうし…。
(この本よりも、もっと欲しい本が出ちゃった時に…)
強請れなかったら、とても困るから、父に「欲しい」とは頼めない。買って貰って喜んだ後に、別の本に出会って欲しくなっても…。
(この前、買ってやっただろう、って…)
きっと言われて、それでおしまい。「欲しいなら、お小遣いを貯めて買うんだな」などと。
そうなった時に後悔しても遅いし、諦めるしかなさそうな本。お小遣いを貯めて買うという道で挫折しそうなら、今の間に、潔く。
(…三日間だけ…)
三日しかない、この本を読んでいられる期間。買うのは無理で、父に買っても貰えないなら。
返却の日がやって来たなら、其処でお別れ。またいつか借りることが出来るかは、運次第。運が良ければ出会えるだろうし、悪かったならば出会えないまま。
(三日しか持っていられないんだし…)
学校に行く時も持って出掛けようか?
返却の日はまだ来ていなくても、休み時間に広げて楽しめるように。
家ではもちろん、寸暇を惜しんで。…食事やお風呂や寝る時間以外は、この本に充てて。
(…ハーレイが来ちゃったら、駄目だけど…)
本を読むより、ハーレイと話す方がいい。だからその間は本はお休み、と思った途端に閃いた。
「ハーレイだよ!」と、それは素晴らしいアイデアが。
(お土産、たまにくれるんだから…)
いつも食べ物ばかりだけれども、貰えるお土産。「美味そうだから」などと、提げて来て。
そのハーレイに、「この本が欲しい」と強請ってみよう。
プレゼントしてはくれないだろうし、代わりに本の代金を借りる。お小遣いのように。
(ママには前借り、頼めないけど…)
お小遣いの前借りなどは無理。「何に使うの?」と訊かれて、「駄目ね」と返ってくるだろう。
「充分、渡してある筈よ」と言われた上に、「それで買えないなら、貯めなさい」と。
「貯めて買えるだけは渡してあるのに、前借りだなんて、無駄遣いでしょ」などと叱られて。
母に頼めば、「前借りなんか、絶対に駄目」と言われておしまい。母の考えは正しいから。
(ぼくの友達、お小遣いを前借りした時は…)
誰もが、きちんと約束をする。「来月の分は要らないよ」だとか、「三ヶ月、お小遣いは無しでいい」とか。そう約束して、誓約書だって書く友達もいるけれど…。
(…みんな、絶対、守らないんだよ…)
お小遣いを貰っている日がやって来たなら、当たり前のように頼む「お小遣い」。その月の分は前に貰って、使ってしまった後なのに。場合によっては、三ヶ月も先のお小遣いまで。
それでも「ちょうだい」と手を差し出しては、自分のピンチを訴えるもの。お小遣いが無いと、何処にも遊びに行けないだとか、じきに発売の新商品を買いに行けないだとか。
そういうケースは母も充分、知っている筈。同じ年頃の子供の親から聞いたり、新聞などで目にしたりして。「お小遣いの前借り」を頼んだ子供が、その後で何をしでかすかは。
(ぼくはきちんと守るから、って言ったって…)
きっと信用して貰えない。今までに一度もやっていないだけで、「初の前借り」をして踏み倒すことは大いに有り得る。母から見たなら、自分も「子供」に違いないから。
(ママは絶対、駄目って言うよね…?)
どんなに頭を下げてみたって、「無駄遣いでしょ」と切り捨てられるだけ。
けれど、ハーレイになら借りられそう。
なんと言っても恋人なのだし、前の生からの信用だって大きい筈。ソルジャー・ブルーはお金を使わなかったけれども、約束は守る人間だった。…メギドに向かって飛んで行った時を除いては。
(あれが例外で、他の時には約束を守っていたんだし…)
頭ごなしに「踏み倒すだろう」と、決めつけたりはしないと思う。世間の母親たちのようには。
それに、少しずつ返してゆくことも出来そうな感じ。
お小遣いを貰う日がやって来た時に、前の月のが残った分だけ。「今月はこれだけ」と、本当に僅かな額にしたって、ハーレイなら、きっと叱らない。
(お小遣いが残っていた分だけ…)
精一杯の額を返す形でも、「返した」ことは間違いない。踏み倒さずに、ちゃんと。
そうやってハーレイに返していったら、いつかは全額返せるだろう。
塵も積もれば山となる。ジュースなどを無理に我慢しなくても、きっといつかは。
それがいいかも、とポンと打った手。まさに名案。
母に借りるのは無理だけれども、ハーレイなら貸してくれるかもしれない。恋人同士で、信用もあって、おまけに立派な大人なのだから。
(ハーレイだったら、貸してくれそうだよね?)
家に来てくれた時に頼もう、と考えていたら、聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、広げていた本をパタンと閉じた。ハーレイと過ごす時間に読みはしないし、次に開くのは、お風呂上がりになるだろう。
けれど、その前に大切なことをしなければ。…あの本を手に入れたかったら。
本は勉強机に残して、ハーレイと向かい合わせで座ったテーブル。其処で早速、切り出した。
「あのね、お願いがあるんだけれど…。ぼくにお金を貸してくれない?」
これだけほど、と口にした本を買うのに必要な額。お小遣いの一ヶ月分より、ずっと高い値段。
「はあ? 貸してくれって…」
俺にか、とハーレイは自分の顔を指差した。「お父さんたちは、どうなったんだ?」と。まずはそっちに頼んでみろ、という意見は当然なのだけど…。
「頼んでみたって、パパやママには借りられないから…」
ぼくみたいな年の子供が借りても、お金、絶対、返さないでしょ?
友達の話を聞けば分かるよ。前借りしたって、返す友達、いないから…。借りたまんまで、次のお小遣いを貰いに行くのが当たり前。…ぼくが聞くのは、そんな話ばかり。
ぼくは前借り、したこと無いけど、パパもママも「駄目」って言いそうだよ。返しに来ないの、何処の子供でも同じだから…。ぼくもそうだと思われちゃって。
だから貸しては貰えないのに、欲しいものがあって…。でも、お小遣いじゃ買えなくて…。
ハーレイは買ってくれないだろうし、お金だけ貸して。…それでいいから。
「ほほう…。プレゼントを寄越せと言うんじゃないんだな?」
お前の小遣いでは買えない何かを、俺にプレゼントして欲しいとは…?
「それは駄目だって言いそうだもの。…ハーレイがくれるの、いつも食べ物ばかりだし…」
プレゼントして、って頼んでも無駄でしょ、ぼくが欲しいのは食べ物じゃないから。
「よく分かってるじゃないか、チビの割には」
一度だけとか、今度だけとか、そう言わないのが。…プレゼントして、と頼まない辺りはな。
ガキの場合は、そいつの方も王道なんだが、とハーレイは可笑しそうな顔。確かに、それだって多そうではある。「今度だけだよ」と駄々をこねる子供も。
「ぼくは、そんなの言わないから…。我儘じゃないから、だから、お願い!」
お金を貸して欲しいんだってば、借りたいのはこれだけ…。それだけあったら買えるから。
借りたお金は、踏み倒さないで少しずつ返すよ、と頭を下げた。
ハーレイがお金を貸してくれたら、借用書を書いて、毎月、少しずつ返してゆく。その月の分のお小遣いの中から、残った分だけ、ハーレイに。
決まった額を返してゆくのは難しいけれど、無理なく返してゆくことは出来る。お小遣いが残り僅かな時には、少しだけ。多めに残っていた時だったら、その分だけ。
そうして返して、ハーレイに借りたお金と差し引きゼロになったら、それでおしまい。
何ヶ月かかるかは謎だけれども、その方法なら、必ず全額返せそうだから。
「ふむ…。借金を返す方法としては、現実的なヤツではあるな。お前が返せる分だけってのが」
その方法なら、お前も無理に我慢しなくても大丈夫だし…。返せない月があったっていいし。
だが、其処までして何が欲しいんだ?
食べ物じゃないというのは聞いたが、お前が買いたいヤツというのが気になるなあ…。
俺には尋ねる権利があるぞ、とハーレイに訊かれた、借りるお金の使い道。ハーレイも、其処は気になるだろう。無駄遣いをするというのだったら、とてもお金は貸せないから。
だから、素直に「本だよ」と答えた。
「図書室で借りた本なんだけど…。とても素敵で、それが欲しくて…」
だけど、お小遣いだと買えないんだよ。
…シャングリラの写真集みたいな豪華版とは違うけれども、子供が買うには高すぎる本。
貯金を使えば買えるけど…。でも、本を買うのに貯金を使うのは嫌だから…。
貯金はもっと大切な時に使うものでしょ、と話したら、ハーレイも否定しなかった。
「その考えは間違っていないぞ、うん。貯金ってヤツは、ここ一番って時に使ってこそだ」
少しずつ使って無くなったんでは、貯金していた意味が無い。もっとデカイことに使わんと。
それにしても、お前が其処まで欲しがるだなんて、珍しいなあ…。何の本なんだ?
俺も俄かに興味が出て来た。
図書室で借りた本だと言ったな、あるんなら見せてくれないか…?
まだ返却していないんならな、という注文。もちろん見せない理由など無い。お金を借りたいと頼むからには、欲しいものだって見せるべきだろう。
三日間しか貸して貰えない本だと言っても、見せたって減りはしないのだから。
「…この本だよ」
椅子から立って、勉強机から本を取って来た。古代の遺跡のカラー写真が表紙の本を。
その本をテーブルの上に置いたら…。
「ああ、これか。…如何にもお前が好きそうだよな」
本の中には、昔の地球が一杯だから。すっかり滅びてしまうよりも前の、元気だった頃の地球。
空も海も今と同じに青くて、それでいて、遠い昔の遺跡がドッサリだ。
二十世紀に撮られた写真も、山ほど入っているんだから。
実に見応えのある本だ、とハーレイがスラスラと語った中身。本の表紙をめくりもせずに。
「…知ってるの?」
ハーレイ、中を見ていないよね?
サイオンで覗きもしてないだろうし、この本の中身、見たことがあるの…?
「それはまあ…。図書室の目玉の本だしな。お前の学校の教師だったら、知ってるだろう」
図書室に行けば、誰でも一度くらいは見掛けるから。貸し出し前に、チェックをする所とか。
仕事柄、貸し出しカウンターの奥の世界も、教師には馴染みの空間だってな。
どの本がよく借りられているか、そういった話も耳にする。新しく入る本の情報なんかも。
もっとも俺は、そうでなくても知ってるんだが。…その本の中身。
「え?」
それって、先生じゃなくても知ってるってこと…?
何処かで見掛けたことがあるとか、前にいた学校の図書室にも置いてあったとか…?
それとも誰かに借りて読んだの、ちゃんと解説まで見てなかったら、二十世紀の写真なんかには気が付かないよね…?
ただの綺麗な写真だもの、と問い掛けた。「どうして中身を知っているの?」と。
「簡単なことだ、俺が持ってる。…その本は俺の家にあるんだ、俺の書斎の本棚にな」
「えーっ!?」
この本がハーレイの家にあるって、本当に?
それで中身を知っていたわけ、表紙を見ただけで中身が分かっちゃったんだ…?
嘘みたい、と目をパチクリと瞬かせたけれど、ハーレイの言葉は嘘ではなかった。
何年か前に出版されて、今でも版を重ねている本。それをハーレイは、前のハーレイだった頃の記憶が戻る前から、手元に置いているという。
本屋で見付けて、迷いもしないで手に取って。パラパラめくって、直ぐに買おうと決めて。
「いいな…。ハーレイ、この本、持っているんだ…」
ぼくは三日間しか貸して貰えないのに、ハーレイは家で好きに見られて、返さなくて良くて…。
それに、この本、ぼくが買ったら、ハーレイとお揃いになるんだよね。…この本だって。
お願い、ハーレイ、お金、貸してよ。
借用書だったら直ぐに書くから。次のお小遣いを貰った時から、ちゃんとお金を返すから…!
これだけ貸して、と本の値段をもう一度言った。ハーレイにそれを借りようと。
なのに…。
「いや、断る」
お前に金は貸してやれない。いい本を買いたいことは分かったが、駄目なものは駄目だ。
俺は貸さん、と断られてしまった「ハーレイにお金を借りる」こと。ついさっきまでは、貸してくれそうだったのに。
「貸してくれないって…。どうしてなの?」
ぼくはきちんと返すって約束をしたし、ハーレイだって、返せそうだって言ってたじゃない!
何に使うのかも訊いていたのに、どうして駄目だっていう方に行くの…?
この本はいい本だと思うんでしょ、と食い下がった。ハーレイも一目惚れをして買った本だし、スラスラと口にしていた中身。本の良さが分かっているのだったら、断らなくてもいいのに、と。
「いい本には違いないんだが…。俺だって持ってるんだしな? 其処の所が問題だ」
お揃いを買うって方に行っちまっただろ、お前の頭。…俺が持ってるのと、お揃いの本を。
俺とお揃いの本が欲しい気持ちで一杯なんだよな、今のお前は…?
「そうだけど…?」
だって、お揃いになるんだもの。この本を、ぼくが買いさえしたら。
ハーレイの家には、もうちゃんと買ってあるんだから…。何年も前から、あそこの書斎に。
後はぼくがハーレイから借りたお金で、この本を買いに行くだけだよ。
そしたら、お揃い。…シャングリラの写真集と同じで、お揃いの本がもう一冊。
新しいお揃いは地球の本だよ、と念を押すのも忘れなかった。
「前のぼくたちが行きたかった、地球」と、「滅びちゃう前の地球の遺跡の写真が一杯」と。
「本当に青かった頃の地球だよ、それに今では無くなっちゃった遺跡が沢山…」
海も空もホントに凄く青くて、植物もあって、空には鳥が飛んでて…。昼寝をしている猫だっているよ、命が溢れているんだってば。…遺跡は廃墟になっちゃっていても。
ぼくがどれほど欲しい本なのか、ハーレイに分からないわけがないでしょ…?
おまけにハーレイとお揃いの本になるんだから、と「お金を貸して」と頼んだけれど…。
「俺が持ってる本と、お揃いなあ…。それが無ければ貸したんだろうが…」
この本が欲しいと言うだけだったら、俺だって貸してやっただろう。借用書だなんて言わずに、それこそ口約束だけで。…お前が踏み倒して逃げちまっても、「子供だから」と許してやって。
だが、お揃いの本が欲しいだなんていう、不純な目的。
そいつのためには貸せやしないな、ビタ一文というヤツだって。
俺は貸さん、とハーレイは腕を組んでしまった。財布を取り出してくれる代わりに。
「そんな…!」
ハーレイが持っていることなんて、ぼくはさっきまで少しも知らなかったんだよ…?
この本が欲しいと思ってただけで、だけど、お金が足りなくて…。パパに強請っても、この本は買ってくれそうにないし…。ママはお小遣いの前借り、絶対、許してくれそうにないし…。
だからハーレイに頼んでいたのに、そんな理由でお金を貸してくれないだなんて…!
酷い、と悲鳴を上げたけれども、ハーレイの考えは変わらなかった。駄目なものは駄目で、腕を組んだまま。「貸してやろう」と財布を出してはくれずに。
「お前には気の毒ではあるが…。お揃いってヤツを増やす手伝いはしてやれん」
何かと言えば、お揃いを欲しがってるのがお前だ。
俺とお揃いのものが欲しくて、持っていないってわけじゃないのに、まだ欲しがってる。
そんなお前が大喜びする、俺とお揃いの本とやら。…そいつを俺が買ってどうする?
俺の金を貸してやるってことはだ、お前は俺の金で買うんだ。お揃いの本を。
借りた金を全部返さない限り、お前は俺の金で買った本を持ってるわけで…。
まるでプレゼントしたみたいじゃないか、俺がお前にお揃いの本を買ってやって。
本屋まで買いに出掛けて行くのは、お前だったとしたってな。
断固、貸さんぞ、と揺るぎもしないハーレイの答え。何度頼んでも、頭を下げても。
ハーレイにお金を借りられないなら、じきに本との別れの日が来る。貸し出し期間は三日だけ。それが過ぎたら、図書室に行って係に返すしか無いのだから。
「…それじゃ、この本、たったの三日…」
三日だけしか読めないって言うの、ぼくが自分で買えないんなら…?
図書室に返しておしまいになるの、他の誰かが借りてしまって、二度と借りられなくて…?
「そうなるな。休み時間の間だけしか、生徒は図書室にいられないんだし…」
返した後にまた借りようと、カウンターの前に立って待ってはいられんだろう。もう一度、棚に並ぶ時まで、あそこで待つのは無理ってもんだ。
授業の合図のチャイムが鳴ったら、生徒は出てゆく決まりだからな。
係の人に追い出されるぞ、というのは正しい。図書室に残っていることは無理で、生徒が授業を受けている間に、次の貸し出しのためのチェックが済む。必要だったら、補修なども。
そうして本は棚に並んで、授業が終わった生徒を待つ。「これを借りよう」と思う誰かが、手に取るのを。今日の自分がそうやったように、貸し出しカウンターに運んでゆくのを。
今日は運よく出会えたけれども、二度目のチャンスは無さそうな本。貸し出し期間は三日だけという短さの本で、貸し出し記録がビッシリ並んでいたのだから。
「やっぱり、次は借りられないんだ…。本の予約は出来ないし…」
凄く素敵な本なのに…。前のぼくなら、抱き締めそうなくらいの本なんだけどな…。
だけど、たったの三日でお別れ。…そういう決まりなんだもの…。
短すぎだよ、と嘆いた本の貸し出し期間。せっかく出会えた本だというのに、三日でお別れ。
これが特別な本でなければ、一週間は借りていられるのに。
もっと値段が安かったならば、街の大きな書店に出掛けて、同じ本を買って帰れるのに…。
「どうするんだ、チビ」
俺は金など貸してやれんが、頑張って金を貯めて買うのか?
計画的に貯めていったら、お前の小遣いでも、いつかは買えると思うがな…?
まだまだ絶版にはならない筈だし、本の方では、お前を待っていてくれそうなんだが…?
「どうしよう…?」
欲しいんだけど…。買いたいんだけど、でも、お金…。ぼくのお小遣い…。
そう簡単には貯まらないよ、と絶望的な気分。ハーレイが来る前に考えた結果が、お金を借りることだったほど。自分でそれだけ貯めてゆくのは、きっと難しいだろうから。
(…凄く欲しいけど、でも、高くって…)
ぼくのお小遣いじゃ買えやしない、と項垂れた。計画的に貯めようとしても、ウッカリ何処かで使ってしまう。友達とジュースを飲んでしまったり、他の本を買ってしまったりして。
お小遣いでは、貯められそうにない金額。どんなにこの本が欲しくても。どんなに素敵で、前の自分が出会っていたなら、胸に抱き締めそうな本でも。
(…お金が無ければ、本屋さんに行っても買えないし…)
三日だけでお別れなんだよね、とカラーで刷られた表紙を眺めて俯いていたら…。
「そうしょげるな。…心配しなくても、俺が貸してやる」
この本ならな、とハーレイが腕組みを解いた。気が変わったとでも言うのだろうか?
「貸してくれるって…。さっき、駄目って言わなかった?」
ぼくが何度もお願いしたのに、絶対に貸してやらない、って…。ぼくがお揃いを欲しがるから。
「それは金だろ、俺が貸さないと言ったのは。…本となったら話は別だ」
気に入ったんなら、俺が持ってるのを貸してやるから。俺の書斎に置いてある本。
お前が読みたがっているのに、貸さないと言うほどケチではないぞ。…本を買う金は、お前には貸してやれないがな。
本の方なら貸してやろう、と思いがけない言葉を貰った。ハーレイの蔵書を貸してくれると。
「ハーレイの本って…。ホントにいいの?」
ぼくが借りちゃっても本当にいいの、ハーレイ、後で後悔しない…?
貸しちゃっていたら、その間は、ハーレイ、この本を家で見られないのに…。
「そのくらいは別にかまわんさ。本なら他にもドッサリあるしな、違う本を読むというだけだ」
お前に貸してあったんだっけな、と別の本を出して読んでいればいい。…俺の方なら。
だが、無期限で貸すというわけじゃないぞ。金を貸すのとは話が別だ。
図書室みたいに三日とは言わんが、一週間といった所だな。次の週末に返してくれ、とでも。
それで良ければ、貸して欲しけりゃ、いつでも言え。…来る時に持って来てやるから。
「ありがとう…!」
一週間でもいいよ、借りられるんなら。…何度頼んでもいいんでしょ、それ…?
返して直ぐに読みたくなったら、その次にまた「貸して」って頼んでもいいんだよね…?
ハーレイは「いいぞ」と微笑んでくれた。「借りっ放しにはしてくれるなよ?」と言いながら。
「プレゼントするわけじゃないから、俺の家にも、たまには持って帰らんと」と。
けれど、貸しては貰えるらしい。
頑張ってお金を貯めて買わなくても、「買えやしない」とガッカリしなくても。
読みたい気分になった時には、ハーレイに頼めば借りられる。図書室で借りるより、ずっと長い間。三日どころか、一週間も。
(一週間もあれば、ぼくが持ってる本と同じで読み放題だよ)
良かった、と嬉しくなった本。…遠い昔の地球の写真が詰まった本。
その夜、ハーレイが夕食を食べて、「またな」と帰って行った後にも、勉強机で広げてみて…。
(ハーレイとお揃いの本もいいけど、ハーレイの本を貸して貰うのも…)
きっと素敵に違いない。
自分の本とは違うけれども、ハーレイの指がページを繰っていた本をめくるのも。
しかも中身は遠い昔の地球の遺跡を捉えた写真で、ハーレイだってお気に入りの本。記憶が戻るよりも前から、一目惚れして書斎に置いていたほどに。
(今日は、いい本、借りちゃった!)
うんとツイてる、と心が弾む。なんて素敵な本に出会えて、こうして家で読めるのだろうと。
貸し出し期間は短いけれども、三日間、これを楽しもう。空いている時間は、こうして広げて。
三日間が過ぎて、図書室にこれを返しに行っても、名残が尽きないままだったなら…。
(ハーレイに頼んで…)
同じ本をまた借りればいい。「あの本を貸して」と、頼んで家に届けて貰って。
そんな読み方が出来るだなんて、なんて幸せな出会いだろう、と嬉しくなる。ハーレイの書斎の本棚にある本、それを借りては読めるだなんて。
とても気に入った本だけれども、お小遣いを頑張って貯めて買うより、借りる方がずっと素敵で幸せ。ハーレイが持っている本を。
一週間しか借りられなくても、誰よりも好きなハーレイが貸してくれる本。
「ぼくに貸して」と頼みさえすれば、この本が家にやって来る。ハーレイの家の書斎から。
そうして本を貸して貰ったら、ハーレイの指が繰っていた本のページを開く。
ハーレイが何度も読み返した本を、今も大切にしている本を。
そんな風に本を借りられたならば、何度も貸して貰ったならば…。
(この本を読んだ、感想だって…)
ハーレイと二人でゆっくり話せる。貸して貰った本を間に、テーブルを挟んで向かい合わせで。
どのページがお気に入りだとか。
好きな遺跡の写真はどれで、好きな理由は何なのか、とか。
猫が昼寝をしている遺跡の写真もいいし、尻尾だけしか写っていない猫がいる写真もいい。赤いケシの花が咲いているのも、空をゆく鳥の群れがいるのも。
ハーレイはどれが好きなのだろうか、尻尾だけの猫にも気付いたろうか…?
そういったことを色々話して、二人で本を眺めていたら…。
(まるで一緒に暮らしてるみたい…)
二人きりの家にいるみたいだよね、と思えてくる。実際にいるのは、この部屋だとしても。
そういう時間も、うんと素敵、と本のページをめくってゆく。
自分で買って持つのも素敵だけれども、ハーレイに借りて読むのも素敵。
いい本に会えたと、三日間だけしか貸し出して貰えない本で良かったよね、と。
もっと長く借りられる本だったならば、こんな話は出なかったから。
ハーレイが持っている本を借して貰える約束などは、出来る筈さえなかったのだから…。
借りて読む本・了
※ブルーが気に入った、遠い昔に撮られた遺跡などの本。けれど、貸出期間は三日間。
買うには高すぎる値段ですけど、思いがけない方法で読めるのです。ハーレイの本を借りて。
ハレブル別館、いよいよ来月で終了となります。
「その後の二人」を書くかどうかは、気分次第としか言えません。
おバカなシャングリラ学園生徒会室の方は、今年も今まで通りです。
他の二つのサイトについては、続けられる間は、書き続けると思います。
知らなかった、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
印象的な蝶の写真が載っている。前の翅は黒地に白い模様で、後ろの翅は褐色の地に白い模様。もっとも記事の説明によると、黒と茶色の方が翅脈、そちらが模様らしいのだけど。
アサギマダラという名前。大型の蝶で、鮮やかな模様だけでも目を引いたのに…。
この蝶は海を渡るという。渡り鳥が海を渡ってゆくのと同じに。
遠い昔に在った小さな島国、日本を名乗る地域の中では、渡りをしてゆく唯一の蝶。
夏の間は此処で過ごして、寒い季節は南の方へと移動する。海を渡って、南の地域に向かって。冬の間を其処で過ごして、暖かくなったら、また戻ってくる。まるでツバメのような蝶。
(渡る前には、ちゃんと集合して…)
群れを作って、皆で南を目指す。陸がある間は、陸を伝って。
この地域の中には、渡ってゆく前のアサギマダラの群れに出会える所も多いという。その季節に其処へ出掛けて行ったら、群れているアサギマダラたち。好物の花の蜜を吸おうと。
一番南の場所を離れたら、海の上を飛んでゆく蝶たち。海の上に花は、もう無いのに。
遥か南へと飛ぶアサギマダラは、凄い距離を移動するらしい。場合によっては二千キロも。
鳥ではなくて蝶なのに。
いくら大型の蝶だと言っても、蝶の翅には違いないのに。
風切り羽根も持っていなければ、逞しい翼も持ってはいない。人の指が触れれば剥がれる鱗粉、それが模様を描いているだけの薄い翅。骨さえも中に入ってはいない。
(雨とか風に弱そうだよ…)
アサギマダラが持つ翅は。
雨が降る日は、蝶は飛ばない。鳥たちだったら飛びもするけれど、蝶は姿を潜めるもの。雨粒に翅を打たれないよう、大きな木の葉の裏に隠れて。…雨粒を防ぐ木などを隠れ家にして。
雨の中を飛ぶ蝶は、まずいない。降り始めたなら、直ぐに隠れるから。
風が強い日も、やはり蝶たちは飛んだりしない。
鳥の翼とは違った翅は、風に煽られるだけだから。まるで木の葉が舞い散るみたいに、吹く風に巻かれて飛ばされるだけ。
強い風には逆らえなくて、翻弄されてしまうのが蝶。鳥とは違った生き物だから。
雨にも風にも弱い蝶たち。普段だったら、姿を隠す。雨や風を避けて、安全な場所へ。
そういう翅を持っているのに、海を渡ってゆくアサギマダラたち。寒くなる前には南へ渡って、暖かくなれば戻ってくる。他の蝶よりも丈夫な翅を、持っているわけではないというのに。
(そう簡単には破れないとか、鱗粉が剥がれないだとか…)
とても強くて特別な翅を持つのだったら、渡りをしても不思議ではない。渡りに向くよう、進化している蝶だから。他の蝶とは違うのだから。
(でも、そうじゃなくて…)
アサギマダラが持っている翅は、他の蝶たちと変わらない。乱暴に捕まえようとしたなら、呆気なく破れてしまう翅。時には折れてしまったりもして、海を越えてはゆけなくなる。
これが鳥なら、網でバサリと捕らえられても、羽は折れたりしないのに。
(そんな翅でも飛んで行くんだ…)
二千キロも離れた所まで。
鳥よりもずっと小さな身体で、儚く脆くて薄い翅で。
地球が滅びてしまう頃には、もう無くなっていたアサギマダラの「渡り」。汚染されてしまった大気の中では、蝶たちも生きてゆけなかったから。
全て滅びてしまう前にと、人間が保護したアサギマダラ。他の動物たちを、そうしたように。
いつか青い地球が蘇ったならば、その上に再び戻してやろうと。
人間たちが地球を離れて、SD体制が敷かれた時代。機械が統治していた時代も、動植物たちは保護されていた。いつの日か地球に戻すためにと。
(SD体制が終わって、地球が燃え上がって…)
何もかもが壊れて、青い水の星が宇宙に戻った。炎の中から再生してくる不死鳥のように。
アサギマダラは地球に戻され、昔と同じに海を渡ってゆくようになった。個体数が増えて充分な数になった後には、前のように群れを組むようになって。
他の地域にも、アサギマダラのように渡りをする蝶がいるらしい。季節が移れば、凄い距離を。
(再生した地球に戻した後でも、渡りをするなら…)
渡り鳥たちと同じで、まさしく本能。「この季節には渡ってゆかなければ」と飛んでゆく蝶。
夜も眠らず、暗い海の上を飛ぶのだろう。
風に乗ってか、翅を使うのか、どちらにしても、眠れば海に落ちてしまうから。
なんという強い蝶なのだろう、と感心させられたアサギマダラ。雨にも風にも弱いだろう翅で、遥か南まで渡りをする蝶。
渡り鳥でも大変な旅を、鳥よりも弱い蝶の身体でするだなんて、と。
(渡り鳥かあ…)
そういえば、と思い出したこと。おやつを食べ終えて、二階の部屋に戻った後で。勉強机の前に座って、アサギマダラの渡りを考えていたら。
海を越えてゆく渡り鳥たち。
今のハーレイと、何度も話した。夜も眠らず、休憩する場所も無い海の上を、懸命に飛んでゆく鳥たちのことを。
(もしも、ぼくたちが鳥だったなら…)
渡りをする鳥に生まれたのなら、もちろんハーレイと一緒に飛ぶ。渡りの季節が訪れたならば、他の鳥たちと群れを作って。
そうして渡ってゆくのだけれども、眠くなったり、翼が疲れてしまった時には…。
(ハーレイが支えて飛んでくれるって…)
落っこちないよう、寄り添って。逞しい翼で横から支えて、群れから離れないように。遥か下に広がる大海原へと、真っ直ぐに落ちてゆかないように。
(渡り鳥なら、ちゃんと支えてくれるんだから…)
アサギマダラに生まれたとしても、きっとハーレイが守ってくれる。渡りの旅に出る時は。
他の地域の渡りをする蝶、それに生まれても同じこと。
ハーレイと二人で飛んでゆくなら、隣を飛んで支えてくれる。眠りそうになった時にも、海へと落っこちないように。
(鳥だったら、海に落っこちたって…)
羽根が濡れるだけで、塩辛い水を振り払いながら、また飛び立ってゆけばいい。
海に落ちたら目だって覚めるし、「落っこちちゃった」と大慌てで。沈んでしまう前に、力強く翼を羽ばたかせて。
けれど、蝶だとそうはいかない。
雨にも弱い蝶の翅だと、海に落ちたらそれでおしまい。水面に翅ごと縫い付けられて、どんなにもがいても、翅は自由にならないから。…水面に落ちた虫の末路は、そうなるだけ。
幼かった頃から、何度も虫を助けてやった。水たまりなどに落ちてしまって、自由を失くした虫たちを。水面に翅がペタリと貼り付き、逃れられない可哀相な虫を。
だからこそ分かる、海に落っこちたアサギマダラの行く末。もう一度空へと飛び立ちたくても、塩辛い水に捕まった翅はもう剥がせない。もがくほどに鱗粉が剥がれていって。
そうする間に波に飲まれて、命は消えてしまうのだろう。水の下へと引き込まれて。波を被って海の底へと、ゆっくり沈んでいってしまって。
(そうなっちゃったら、おしまいだから…)
ハーレイが支えて飛び続けてくれる。眠りそうになっても、落っこちそうになった時にも。
横に並んで、自分の翅で支えてくれて。「落っこちるなよ?」と呼び掛けてくれて。
(頼もしいよね…)
ぼくだけだったら落っこちちゃうよ、と分かっているから、渡ってゆくならハーレイと一緒。
蝶でも鳥でも、ハーレイと二人で飛んでゆけたら、無事に渡りを終えられる。休憩できる場所が無くても、何日も飲まず食わずでも。…気が遠くなるような長い距離でも。
ハーレイと一緒なら安心だよね、とアサギマダラの写真を思い浮かべたけれど。蝶になっても、きっと頼りになるんだから、と考えたけれど。
(えっと…?)
渡り鳥の方ならともかく、ハーレイには蝶は似合わないかも、と頭を掠めた考え。
ハーレイの姿に、蝶の姿が上手く重ならない。イメージが合わないとでも言うのだろうか。渡り鳥なら、綺麗に重なってくれたのに。
羽ばたく姿も、大海原の上を何処までも飛んでゆくのも。隣に並んだ鳥を支えて、落ちないよう守り続ける姿も。
(なんで蝶だと重ならないわけ…?)
蝶の姿は、儚く頼りないからだろうか。雨にも風にも弱いのが蝶で、そんな日は姿を隠すから。
それとも甘い蜜を吸うのが、ハーレイには似合わないのだろうか?
(パウンドケーキは、甘くても似合っているけれど…)
今のハーレイの「おふくろの味」だという、大好物のパウンドケーキ。母が焼いたら、見ている方まで嬉しくなるような笑顔で食べる。「俺はこいつが大好きなんだ」と。
幸せそうにパウンドケーキを頬張る姿は、何処もおかしいとは思わない。むしろ良く似合う。
パウンドケーキが似合っているなら、甘い蜜のせいではないだろう。蝶と重ならない原因は。
(…蜜じゃなくって、花の方かな?)
蝶が吸うのは花たちの蜜。人間が食べる、砂糖や蜂蜜などではなくて。
長い管のようなものを伸ばして、ストローみたいに吸い上げてゆく花の中の蜜。その辺りが駄目なのかもしれない。
瓶詰の蜂蜜をハーレイがスプーンで掬っていたって、ごくありふれた日常の光景。きっと瓶から掬い上げては、色々なことに使うのだろう。菓子の材料にしたり、果物の上に振りかけたりと。
そういう姿は普通だけれども、蜂蜜の元になる花たちの蜜。それを花から直接吸うのが蝶たち、同じことをハーレイがストローでやっていたならば…。
(…薔薇が似合わない、って言われてたのが前のハーレイだしね?)
白いシャングリラで囁かれた噂。「キャプテンに薔薇は似合わない」などと、女性たちの間で。
薔薇が似合わないキャプテンだから、薔薇の花びらのジャムも貰えなかった。希少なジャムは、いつもクジ引きで分けられたけれど、ハーレイの前だけはクジ引きの箱が素通りしたくらい。
(薔薇の花もジャムも似合わないなら、花の蜜だって駄目なのかも…)
ストローで蜜を吸おうとしていたならば、誰もが笑い出すかもしれない。あまりにも似合わない姿だからと、それは可笑しそうに。
(ぼくが見たって、笑わないけど…)
そういうハーレイも微笑ましい。ストローで花の蜜を吸っても。
ジュースをストローで飲んでいるのと、何処も変わりはしないから。透き通ったガラスで出来た器が、生きている花になるというだけ。
(変じゃないよね…?)
おかしくないよ、と思うけれども、それは自分が「ハーレイのことを好き」だから、そのように感じるだけかもしれない。「コップか、花かの違いだけだよ」と、単純に。
(…他の人たちが見たんなら…)
白いシャングリラの頃と同じに、今のハーレイでも「似合わない」と噂が立つのだろうか。
蜂蜜を食べているならともかく、花から直接、蜜を吸ったら。
花たちに集まる蝶さながらに、ハーレイがストローで吸っていたなら。蝶はそうして、花たちの蜜を吸って生きるもの。花の蜜を吸って、それを食事にしているのだから。
原因は其処にあるのだろうか、と考え込む。ハーレイの姿に、蝶が重ならない理由。
(渡り鳥なら、餌は虫とか…)
花の蜜が好きな鳥もいるけれど、そういった鳥は少数派。大抵の鳥の餌は虫や、木の実や穀物。魚を捕まえて食べる鳥も多いし、蝶よりは逞しいイメージがある。花の蜜で命を繋ぐ蝶より。
(やっぱり花の蜜を吸うせいかな…?)
それでハーレイには蝶が重なってくれないのかな、と思っていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合わせで訊いてみた。
「あのね、ハーレイ…。ちょっと訊きたいんだけど…」
花の蜜を吸うのが似合わない人って、あるのかな?
イメージしようと思ってみたって、ちっとも頭に浮かばないほど。
「はあ? 花の蜜を吸うのが似合わないって…。なんの話だ?」
どういったヤツに似合わないんだ、とハーレイは怪訝そうな顔。「心当たりがあるのか?」と。
「…ハーレイのことなんだけど…。似合わないかな、花の蜜…」
蜂蜜だったら似合うだろうけど、花から直接吸おうとしてたら駄目なのかな、って…。
前のハーレイ、薔薇の花もジャムも似合っていない、ってシャングリラで言われていたものね。
薔薇の花びらのジャムのクジ引きだって出来なかったし…、と挙げた例。
他の様々な花たちのことは知らないけれども、薔薇の花だけは「似合わない」と噂だったから。
「…失礼なヤツだな、お前ってヤツは。花の蜜なら吸ってたぞ」
「ええっ!?」
いつの間に、と目を丸くした。
白いシャングリラに幾つも設けられた公園。ブリッジが見える一番大きな公園の他に、居住区の中に憩いの空間。色々な花が植えられていたし、蜜を吸うのは自由だけれど…。
(…前のハーレイが花の蜜って…)
そんなの知らない、と前の自分の記憶を手繰る。
キャプテンとしての視察の合間に、公園で吸っていたのだろうか。一息つこうと入った時には、花の蜜で英気を養ったとか…?
「勘違いするなよ、前の俺だと思ったな、お前?」
前の俺じゃなくて、今の俺の方だ。…シャングリラじゃ、花の蜜なんか吸っていないしな。
第一、それを知らなかった、とハーレイが浮かべた苦笑い。
白いシャングリラの公園で咲いた花たち、その蜜はミツバチたちのもの。どの公園にも、巣箱が置かれていたものだった。ミツバチはせっせと蜜を集めて、その蜜を人間たちが集める。
そういう決まりで、約束事。あの船で人間が食べていたのは蜂蜜だけ。
「俺が思うに、子供たちだって吸っていなかっただろう。花たちを駄目にしちまうからな」
人間様が蜜を吸うには、花を毟らないと無理だから。…花は小さいのに、人間の身体は、ずっと大きく出来てるだろうが。幼稚園に通う子供にしたって、花たちから見ればデカすぎだ。
その子供たちの遊びだな、と教えて貰った、花を毟って蜜を吸うこと。
花の形が筒に似ていると、たっぷりと蜜が吸えるという。ツツジやサルビア、スイカズラなど。小さくてもかまわないのだったら、レンゲの蜜も美味らしい。
遠い昔は、おやつになった花たちの蜜。人間が地球しか知らなかった時代は、子供たちが遊びのついでに食べた。花を毟って、中に溜まっている蜜を。
「そうなんだ…。花の蜜なら、甘いだろうしね…」
ミツバチが集める蜂蜜の元で、それを直接食べるんだから。…味は薄いかもしれないけれど。
「蜂蜜に比べりゃ、味は薄いな。しかし、甘さは充分あるぞ」
だからこそ、おやつ代わりになっていたんだ。咲いてれば、ヒョイと毟って、吸って。
俺は親父に色々教えて貰ったなあ…。蜜がある花も、どうやって蜜を吸うのかも。
つまりだ、俺の親父も花の蜜を美味しく吸っていたわけで…。ガキだった俺の目の前で。
今でも釣りに出掛けた時には、吸ってるんだと思うがな?
俺の親父だし、俺とは全く似ていないってわけじゃない。今の時代は本物の親子で、親父の顔は俺にも似てる。…ついでに俺より年を食ってる爺さんで…。
その親父にも、花の蜜を吸うのは似合わないってことになるんだが…。
お前が言ってる、「前の俺には似合いそうにない」って理屈だと。親父は俺の親父なんだから。
「ごめんなさい…。ハーレイのお父さんの悪口を言う気は無かったんだよ」
花の蜜の吸い方、詳しいなんて知らなかったから…。
きっと似合っているんだろうね、釣りの合間に花を毟って蜜を吸っていたら。
側で見てても、のんびりしていて素敵な景色。
きっと真似する人もいるよね、「この花の蜜は美味しいらしい」って。
ハーレイの父には似合うのだろう、花を毟って蜜を吸うこと。今のハーレイがそれをやっても、充分、絵になりそうな光景。
(学校の花壇のを、ちょっと毟って…)
吸っていたなら、たちまち生徒が集まるだろう。「先生、何をしてるんですか?」と、好奇心に瞳を輝かせて。
そうなったならば、ハーレイは余裕たっぷりに…。
(こうやって中の蜜を吸うんだ、って…)
手本を見せつつ、「だが、学校の花でやるなよ?」と釘を刺すのに違いない。寄って来た生徒が花を毟ったら、花壇の花はすっかり消えてしまうから。次から次へと毟り取られて。
(一人や二人じゃないもんね?)
ハーレイを真似て、蜜を吸おうとする生徒たち。それに情報は直ぐに伝わり、其処にいなかった生徒たちまでが花壇を目指す。「あそこに咲いてる、この花の蜜が美味しいらしい」と。
そんな具合だから、誰もハーレイを笑いはしない。「似合わない」とも言ったりはしない。
でも…。
「…ハーレイには、やっぱり似合わないように思うんだけど…」
ちょっと無理そう、と頭の中にアサギマダラを描く。花の蜜を吸うハーレイだったら、ごくごく自然に浮かんでくるのに、アサギマダラは重ならない。…ハーレイの姿に似合いはしない。
「似合わないって…。俺に、花の蜜がか?」
ガキの頃には吸っていたって、今はデカすぎて似合っていないと言いたいのか、お前…?
まあ、昔ほどには似合わんだろうが…、とハーレイは勘違いをした。花の蜜を吸う姿だったら、今でも似合っているというのに。
「ううん、そうじゃなくて…。それかと思っていたんだけれど…」
花の蜜を直接吸っているのが、似合わないのかと思ったんだけど…。
蜂蜜だったら、ハーレイでもちゃんと似合いそうだから。
蜂蜜の瓶からスプーン掬って、お菓子の材料に混ぜていくとか、果物にかけて食べるとか。
そっちだったら似合うけれども、花から直接は駄目なのかな、って…。
「なんだ、どうした?」
俺と花の蜜がどうかしたのか、直接吸ったら何か問題でもありそうなのか…?
花の蜜は美味いものなんだがな、とハーレイは蜜にこだわるけれど。花の蜜の話だと思い込んでいるのだけれども、そうではない。
事の起こりはアサギマダラで、それがハーレイと重ならないこと。同じように海を渡る鳥なら、自然にピタリと重なるのに。
だから…。
「似合わないのは花の蜜じゃなくて、アサギマダラが似合わないんだよ」
蝶の名前だけど、それがハーレイと重ならなくて…。ハーレイには似合っていないよね、って。
そう思うんだけど、と打ち明けた。自分の頭を悩ませている原因を。
「アサギマダラだと? そいつなら俺も知ってるが…」
有名な蝶だし、本物を見掛けたこともある。親父と一緒に出掛けた先の山の中でな。
だが、あれが俺に似合わないとは…。何処からそういうことになるんだ、他の蝶より俺向けだ。
蝶の中ではデカイ方だし、華奢な印象ではないからな。蝶の世界では、デカブツだから。
色合いだって俺に似てるぞ、黒と茶色がよく目立つんだ。白い部分のせいで、引き立って。
俺の色に似ているだろうが、とハーレイが指差す自分の顔。褐色の肌と鳶色の瞳は、黒と茶色の蝶に似ていないこともない。アサギマダラが持っている色に。
「そうなのかも…。大きな蝶だって書いてあったし、色もハーレイに似ているかも…」
でもね、あの蝶は海を渡るでしょ?
アサギマダラは、渡り鳥みたいに渡りをするって、新聞に載っていたんだよ。寒くなってしまう前に、南の地域へ。…群れを作って、海を渡って。
暖かくなったら、それとは逆に戻って来るって…。もう一度、海の上を越えてね。
「渡りの話は有名だよな。…それのお蔭で名前が知られているんだから」
この地域では、渡りをする蝶はアサギマダラしかいないんだ。それこそ、ずっと昔から。人間が地球しか知らなかった頃から、あの蝶は渡りを続けていた。
今の時代も、記録を取っている愛好家たちが多いよな。何処まで飛んだか、調べてるんだ。翅に記号を書き込んだりして、移動してゆく距離やルートを。
アサギマダラと言えば渡りだが、渡ってゆく話がどうだと言うんだ?
俺に似合わないと言うんだったら、それも大いに心外だな。
アサギマダラほどの距離は無理だが、長距離を走るのも、泳ぐのも俺は得意なんだし。
俺に似合いの蝶だと思うが、とハーレイが言うアサギマダラ。共通点は確かに多い。
けれど、重ならないのも事実。これだけ色々と並べられても、ハーレイの姿とアサギマダラは、やはり重なってはくれないから。
「えっとね…。渡りをするのが問題なんだよ、飛んでゆく距離とかは別にして」
ハーレイと何度も渡り鳥の話をしたでしょ、海を越えて飛んでゆく鳥たち。…夜も寝ないで。
ぼくとハーレイが渡り鳥だったら、渡りの時には、ハーレイがぼくを守ってくれるって…。
疲れちゃったり、眠くなったりしちゃった時でも、落ちないように支えてくれるって。
ハーレイが一緒に飛んでくれるから、とても頼もしいんだけど…。
うんと遠くまで飛ばなくちゃ駄目で、休む場所なんか何処にも無くても、ハーレイとだったら、きっと落ちずに飛んでゆけるから。
渡り鳥なら、そうなるんだし…。アサギマダラでも大丈夫だよね、って思っていたら…。
ぼくとハーレイがアサギマダラに生まれていたなら、一緒に飛べると思っていたんだけれど…。
ハーレイと上手く重ならないんだよ、アサギマダラが。…ぼくの頭の中で、ちっとも。
今もやっぱり重ならないよ、と瞳を瞬かせた。渡り鳥なら、無理なく重なるのに。
「アサギマダラが俺と重ならないって…。色なら俺とよく似ているが?」
さっきも言ったが、黒と茶色で、俺の色に似てると思うがな?
蝶の中ではデカブツってトコも、俺に似てると言えるだろう。…他所の地域には、もっとデカイ蝶もいるんだが…。この地域なら、あれでも充分デカイんだし。
俺に似てるぞ、とハーレイは繰り返した。「アサギマダラは、蝶の中では俺に似てるな」と。
「そうかもだけど…。似てる所はあるんだけれど…」
それよりも前に、蝶そのものだよ。…色だけじゃなくて、大きさの方も問題じゃなくて。
渡り鳥なら、どんな鳥でも、ハーレイを重ねられるんだけど…。
ハーレイ、自分にアサギマダラが似合うと思う?
アサギマダラになって、飛ぶこと。
あの蝶になって、海を渡って、ずうっと南の遠い所まで飛んでゆくことが…?
「なんだって…?」
色や大きさは問題じゃなくて、この俺が蝶になることだってか?
アサギマダラになって飛んで行く姿が問題なんだな、海の上を越えて渡りをして…?
俺が蝶か、とハーレイは腕組みをして考え込んだ。「アサギマダラが、俺そのものか」と。
それからフウとついた溜息。「似合わんな」と、呆れた風に。
「俺らしい色だし、蝶の中ではデカブツなんだが…。似合っていないな、お前が言う通り」
確かに俺には似合わないようだ、アサギマダラというヤツは。
俺がそっくりアレになるなど、自分でも全く想像がつかん。「あれが俺だ」と思ってみたって、まるで重なってはくれないな。…共通点なら幾つもあるのに。
「でしょ? ハーレイとアサギマダラは、ちっとも重ならないんだよ」
ぼくが一人で考えてた時は、共通点には気付いていなかったけど…。色も、大きさも。
共通点を教えて貰った後でも、やっぱり重ならないけどね。
…それでね、ぼくが考えていた重ならない原因、花の蜜を吸ってることだったんだよ。花の蜜を吸って生きてる所が、ハーレイらしくないのかな、って。
前のハーレイには薔薇が似合わないって話があったし、花の蜜を吸うのが駄目なのかも、って。
渡り鳥なら、食べ物は花の蜜じゃないから…。虫とか木の実で、蝶とは全く違うもの。
しっかり食べているんだものね、と渡り鳥の食べ物を持ち出した。花の蜜だけで生きる蝶より、遥かに「生き物」らしい生き方。その辺りで違いが出るのだろうか、と。
「花の蜜なあ…。それだけで生きているとなったら、まるで精霊みたいだが…」
アサギマダラと俺が重ならない原因ってヤツは、花の蜜を吸うせいじゃないだろう。
それはどうやら、蝶そのものが駄目なんだ。…俺には全く似合わなくて。
「蝶そのものが駄目って…。どういう意味?」
ハーレイ、自分で言ってたじゃない。…アサギマダラはハーレイの色に似てる、って。
蝶の中では大きい所も、ハーレイにとても良く似てて…。
渡りで長い距離を飛ぶのも、今のハーレイなら同じようなことをしてるんだから。ジョギングで長い距離を走るし、遠泳だって得意なんでしょ…?
似ているじゃない、と改めて数えた、ハーレイとアサギマダラの共通点。…それだけあっても、今も重なってはくれないけれど。
ハーレイはハーレイで、アサギマダラの姿は重なって来ない。
渡り鳥なら、本当に無理なく重なるのに。
身体の小さなツバメだろうと、「あれがハーレイだよ」と、頭の中に浮かぶのに。
どうしてだろう、と首を傾げることしか出来ない。何故、ハーレイと重ならないのか、と。
「ねえ、ハーレイ…。蝶だと、何がいけないの?」
アサギマダラとハーレイだったら、似ている所も多いのに…。何処が駄目なの?
分からないよ、と鳶色の瞳を見詰めて尋ねた。ハーレイは「簡単だがな?」と自分の肩を指先でトンと叩いて、「答えは此処だ」と肩の後ろを指しながら…。
「一つ訊くがな…。俺の背中に、蝶の翅ってヤツは似合いそうか?」
どう思う、と投げられた問い。背後を指で示したままで。
「…背中?」
「ああ。俺の背中だ、今は後ろに壁くらいしか無いんだが…。想像力を働かせてくれ」
俺の背中に、天使の翼みたいな具合に、蝶の翅っていうヤツをくっつけてみろ。…頭の中で。
アサギマダラでも何でもいいから、蝶の翅だ。どういう感じになりそうなのか。
翅を広げたら、こうなるよな、とハーレイの指が描いた線。何もない空間に、スイと左に、次は右にと。見えない翅があるかのように。
線を描いたら、ハーレイは手をテーブルの上に戻して笑んだ。「想像力の出番だぞ?」と。
「えーっと…? 蝶の翅だよね…?」
アサギマダラでもいいし、他の蝶でもよくて…。ハーレイの背中に、蝶の翅…。
頭の中でくっつけなくちゃ、とハーレイを前にして、イメージしてみた蝶の翅。ハーレイの指がさっき描いていたように、まずは透明な翅の形から。
(右と左に、おんなじ翅…)
蝶の翅だとこんな感じ、と描こうとしても、翅の形が浮かんでこない。蝶の翅なら、いくらでも頭の中にあるのに。…アサギマダラの写真だったら、今日、新聞で見たばかりなのに。
(…蝶の翅…)
くっつかないよ、と何度もパチパチ瞬き。天使の羽なら、ちゃんとイメージ出来るのに。純白の翼も、ハーレイらしい茶色の羽根が生えた翼も。
なのに浮かばない、蝶の翅の方。どう頑張っても、天使の翼と置き換えたくても。
(全然駄目…)
まるで想像できない姿。蝶の翅を背中に持ったハーレイ。それが少しも浮かんでくれない。
色合いだったら似合いそうな筈のアサギマダラも、ただ透明なだけの蝶の翅さえ。
じっとハーレイの後ろを眺めて、くっつけようと試みた翅。蝶の翅なら片方に二枚、大きな翅と少し小ぶりの翅と。それを左右につけるだけのことが、少しも出来ない。
天使の翼はくっついたのに。…ハーレイらしい茶色の翼を、アサギマダラの翅にしたいのに。
(…ホントに翅がくっつかない…)
透明な翅さえ描けないなら、それは「似合っていない」ということ。ハーレイに似合いの天使の翼は、ちゃんと描けているのだから。真っ白な翼も、茶色の羽根に覆われた翼も。
悪戦苦闘している所へ、ハーレイの愉快そうな声。
「どうだった、おい?」
俺の背中に、蝶の翅を見事にくっつけられたのか?
アサギマダラでも何でもいいがだ、その翅、俺に似合っているか…?
どうなんだ、とハーレイには答えが見えているよう。蝶の翅など描けないまま、似合いそうにもないと思っていることが。
きっと隠しても無駄だろうから、素直に答えた。「くっつかないよ」と。
「うんと頑張ってみたんだけれど…。ハーレイの背中に、蝶の翅、くっつけられないんだよ」
天使の翼はくっついたけれど、蝶の翅は駄目。…アサギマダラも、透明なだけの翅だって。
ハーレイには似合わないみたい…。天使の翼はくっつくけれども、蝶の翅だと駄目なんだもの。
もしもピッタリ似合うんだったら、蝶の翅、くっついてくれそうでしょ…?
ハーレイに似合っている翅が、と天使の翼のことを話した。白い翼もくっつけられるし、茶色の羽根の翼も直ぐに浮かんでくるよ、と。「でも、蝶の翅は無理みたい」とも。
「そうか、頑張っても無理だったか。…そうなるだろうとは思ってたがな」
それだ、アサギマダラと俺が重ならない原因は。
俺の背中に、蝶の翅ってヤツは似合わない。…俺には似合いの色を持ってるアサギマダラでも。
どうやっても俺には似合わないのが蝶の翅でだ、だから蝶とも重ならない。
アサギマダラと共通点はあっても、俺は蝶にはなれないんだな。
なれないのならば、重なるわけがないだろう?
俺の姿と重ねたくても、アサギマダラは重なりはしない。…俺は蝶にはなれないから。
どんなに色合いが俺に似ていようと、デカブツな所がそっくりだろうと、無理な相談というヤツだな。アサギマダラを俺と重ねるのは。
努力するだけ無駄ってことだ、とハーレイは可笑しそうな顔。「蝶だしな?」と。
「お前、妖精、知ってるだろう?」
花の妖精とか、いろんなヤツがいるんだが…。妖精くらいは知っているよな?
「うん。見たことは一度も無いけどね」
今の地球なら、妖精だって戻って来ていそう。花が咲いてる野原に行ったら、きっといるよね。人間の目には見えなくっても、輪になって踊っていたりもして。
「フェアリーリングなあ…。そういう話も前にしたっけな、妖精が踊った後に出来る輪」
その妖精だが、あれには蝶の翅が似合いだ。そういう絵、幾つも描かれているだろ?
だがな、どの絵も女ばかりだ。…男の妖精に蝶の翅ってヤツはくっついてるか…?
背中に蝶の翅を背負った、男の妖精を知っているか、と問い掛けられて首を捻った。知っている知識を総動員して、妖精たちの姿を思い浮かべて。
「んーと…? 男の妖精だよね? それで背中に蝶の翅があって…」
どうだろう、と懸命に探すけれども、出て来ない。背中に蝶の翅を持っている、男の妖精。女の姿の妖精だったら、いくらでも頭に浮かぶのに。挿絵や絵画や、様々なものが。
けれど、男の妖精はいない。蝶の翅を持った妖精どころか、背中に翅が無いかもしれない。翅を持った妖精がいるとしたって、咄嗟には何も出て来てくれない。
(…男の妖精は、蝶の翅を持っていないわけ…?)
あれは女の妖精だけなの、と高い壁にぶつかってしまった思考。妖精といえば、背中にあるのが蝶などの翅。そうだと思い込んでいたのに、男の妖精は、それを持ってはいないようだから。
「どうだ、ブルー? …浮かばんだろうが、蝶の翅を持った男の妖精は」
女の妖精なら山といるがな、とハーレイは今度も先回りした。答えは知っているとばかりに。
「…そうみたいだけど…。いくら考えても、出て来ないけど…」
蝶の翅がある男の妖精、いないものなの?
誰も出会ったことがなくって、絵を描いた人もいなかったりする…?
「どうなんだかなあ…。俺も詳しくはないんだが…。妖精は日本のものじゃないから」
しかしだ、人魚なんかだと、男の人魚は醜いそうだぞ。女の人魚は、それは綺麗なのに。
それと同じで、男の妖精も醜いヤツが多いんだ。
妖精の世界じゃ、女は綺麗で、男は醜いのが普通なのかもな。
醜い姿の者が多いのが、妖精の男。よく知られているドワーフも、姿は醜いという。もちろん、背中に蝶の翅は無い。ただの小人で、とても醜く描かれたりもして。
「醜い姿に、蝶の翅なんぞは似合わんだろう? 蝶は綺麗なものなんだから」
そのせいなのか、蝶の翅をくっつけた男の妖精ってヤツは、俺だって思い浮かばんな。幾つもの資料を当たっていったら、何処かにいるかもしれないが。
だが、有名じゃないってことはだ、男には似合わないってこった。…蝶の翅がな。それは美しい姿をしてても、駄目なんだろう。そいつが男である限りは。
だから俺にも似合わないわけだ。お前がいくら頑張ってみても、蝶の翅は俺にはくっつかない。俺も男には違いないから、駄目ってことだな。
「…そうなっちゃうわけ?」
蝶の翅、男には似合わないから、ハーレイにも似合ってくれないの…?
それでハーレイとアサギマダラは、どうしてもイメージが重ならないわけ…?
「結論から言えば、それに尽きるな。どう転がっても、俺には蝶の翅は似合わん」
アサギマダラだろうが、真っ黒なカラスアゲハだろうが。…どれも俺には似合わないわけだ。
お前のイメージは間違っちゃいない、と言われたけれど。ハーレイと蝶は、重ならなくても何も不思議は無いらしいけれど、それならば鳥はどうなるのだろう?
渡り鳥の話で出て来たツバメは、鳥の中では可憐な方。けれどハーレイを重ねられるから。
「…ハーレイの話も分かるけど…。でも…。渡り鳥なら、ハーレイに似合っていたよ?」
ツバメは変だと思わなかったし、渡り鳥じゃないけど、鶴だって…。
ぼくたちを鶴に重ねて話してた時も、少しもおかしくなかったのに…。鶴とハーレイ、頭の中でピタリと重なってたのに…。
「そいつは、どれも鳥だからだろ」
うんと可憐な鳥も多いが、逞しい鳥も多いから…。翼を広げりゃ、鶴だってとてもデカイんだ。
だからだろうなあ、天使でなくても、翼のついてる男は昔からいるもんだ。
神話の中にも、伝説の中にも。
作り物の翼で空に舞い上がったイカロスにしても、鳥の翼で飛んだだろうが。
しかし、蝶の翅を持った男の話は、俺の知る中には無いからなあ…。
男にはよっぽど似合わないんだな、妖精だろうが、神話や伝説の人物だろうが。
致命的に似合わないんだろう、とハーレイは笑う。「俺でなくても駄目なようだ」と。
「其処へ持って来て、俺だしな? いかつい身体に蝶の翅はなあ…」
似合わないのが当然だろうし、アサギマダラの翅でも無理だ。あれだって蝶の翅なんだから。
もう絶対に無理ってもんだ、とハーレイが否定する蝶の翅。「俺には無理だ」と、手を広げて。
「それって、イメージの問題なの?」
ハーレイに蝶の翅が似合わないから、アサギマダラの姿と重ならないの…?
共通点が幾つもあっても、ハーレイの上にアサギマダラを重ねることは出来ないわけ…?
「そうなるんだろうな、相手が蝶の翅だけに。…女の妖精しか持っていないような翅」
前のお前でも無理だと思うぞ、蝶の翅を持つというのはな。…ソルジャー・ブルーでも。
どう思う、前のお前に蝶の翅は似合いそうなのか…?
そっちも、ちょいと考えてみろ、と促されなくても、答えは直ぐに弾き出された。今の時代も、人気を誇るソルジャー・ブルー。王子様扱いされるくらいなのだし、美しい容姿には違いない。
けれど、その背に蝶の翅をつけることが出来るかと問われたら…。
「前のぼくでも、駄目だと思う…」
なんだか変だよ、蝶の翅なんて。…アサギマダラでも、モンシロチョウでも、どんな蝶でも。
「ほら見ろ。…天使みたいだった前のお前にしたって、蝶の翅を持つのは無理なんだ」
それが男の限界ってヤツだな、どう頑張っても蝶の翅など持てやしない。…俺でなくても。
蝶の姿が重ならないのも仕方ないだろ、最初から違いすぎるんだから。
俺とアサギマダラじゃ月とスッポンどころじゃないぞ、とハーレイが指摘する両者の違い。幾つ共通点があっても、ハーレイの姿にアサギマダラは重ならないらしい。
「…じゃあ、アサギマダラになって、海を越えて飛んで行くっていうのは…」
ぼくとハーレイとでやるのは無理なの、二人で海は越えて行けない…?
「いや、その点なら大丈夫だろう。アサギマダラの世界にもオスはいるんだから…」
お互い、蝶になっちまったなら、姿のことは気にならんだろう。蝶の翅が普通なんだしな?
だが、今の俺の姿に、蝶の翅はどうにも似合わんぞ。アサギマダラの翅にしたって。
「…蝶の翅…。チビのぼくでも難しいよね…」
今の間なら似合うのか、って尋ねられても、似合わないと思う…。
子供のぼくでも似合わないなら、男の人には、本当に似合わないんだね…。蝶の翅って。
なるほど、と納得させられた。蝶の翅が似合わない、男性という種類の人間について。
そのせいで海を渡る蝶のアサギマダラは、ハーレイの姿に重ならなかったのか、と。
蝶の翅自体が似合わないなら、蝶が重なる筈もない。
もっとも、蝶の翅が全く似合わないのは、ハーレイだけではなくて、自分もだけれど。今よりも遥かに美しかった、ソルジャー・ブルーでも似合わないのだけれど。
そうは言っても、ハーレイと二人で海を渡って飛んでゆくことには憧れる。渡り鳥はもちろん、渡り鳥のように海を渡ってゆく蝶だって。
だから強請らずにはいられない。…蝶の翅が似合わない、褐色の肌の恋人に。
「ハーレイの背中に、蝶の翅は似合わないらしいけど…。でも…」
ぼくたちがアサギマダラになっちゃった時は、ハーレイ、一緒に海を渡ってくれるよね?
南まで飛んで行く旅の途中で、ぼくが落っこちちゃわないように。
眠りそうになったら、ちゃんと隣で支えてくれて…?
「もちろんだ。…その時はきっと、お前の目には俺が頼もしく見えるだろうさ」
翼の代わりに、蝶の翅を持った姿の俺でも。ひらひらと飛んでいるだけでも。
お前だってきっと綺麗に見えるぞ、他の誰よりも。
蝶の翅の模様はどれも同じにしたって、お前は、群れの中の誰よりも綺麗な蝶なんだろうな。
俺がすっかり参っちまうほど…、とハーレイが褒めてくれるから。
「そうだといいな…」
誰よりも綺麗だと思って貰えるアサギマダラになれたら、嬉しいんだけど…。
そして誰よりも強いハーレイと一緒に飛んでゆけたら、もう本当に最高だけど…。
二人一緒に飛んでゆこうね、と頼もうとしたら、「気が早いヤツだな」と返った返事。
「おいおい、アサギマダラになって二人で飛ぶのもいいが、だ…。蝶になるより前にだな…」
今の人生を楽しまないと、と諭された。「まずは二人で、其処からだろう?」と。
それは確かに間違っていないし、二人で今を生きてゆく。青い地球の上に生まれ変わった今を。
そうして、忘れないでいたなら、いつかハーレイとアサギマダラを見に行きたい。
雨にも風にも弱い筈の翅で、海を渡るという逞しい蝶を。
「あんな風にハーレイと飛んでみたいよ」と、今の自分にさえも似合わない翅を持つ蝶を。
きっとハーレイとなら、蝶になっても飛べるから。長い渡りも、二人なら飛べる。
弱い翅でも、海を渡って二人で飛んでゆける筈だから、海を渡る蝶をハーレイと見よう。
アサギマダラが海を渡る前に、群れを作るという場所に行って。
これから海を越えてゆく群れを、ハーレイと二人で見送ろう。
「元気に飛んで、帰って来てね」と。
長い旅でも、海に落ちずに、みんな揃って春に戻って来て欲しいから。
ハーレイの色を持ったアサギマダラの群れに向かって、懸命に手を振ってやりたい。
「行ってらっしゃい」と、「海の上でも頑張ってね」と…。
海を渡る蝶・了
※海を渡る蝶、アサギマダラ。渡り鳥のような長旅も、ハーレイならブルーを支えそう。
けれど、ブルーには想像出来なかった、蝶のハーレイ。蝶の翅は、男性には似合わないもの。
ハレブル別館ですが、年度末で終了することに決めました。
例年だったら訪問者がある年末年始も、pixiv に来た人はゼロのまま。
「その後の二人」を書くかどうかは、気分次第でしょう。
おバカなシャングリラ学園生徒会室の方は、今年も今まで通りです。
他の二つのサイトについては、続けられる間は、書き続けると思います。
ブリッジが見える公園には、とても大きなツリーが飾られ、小さなツリーも置かれている。
「うーん…。今年は、何を頼もうかな…」
サンタさんに、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、小さなツリーの側で考え込んでいた。
頼みたいプレゼントを書いたカードを、小さなツリーに吊るしておけば、クリスマスの夜、届く仕組みになっているらしい。
(サンタさんは、世界中の子供に、プレゼントを…)
届けることが仕事なのだし、ミュウの船にいる子供達でも、引き受けてくれる。
いつもプレゼントを貰っているから、今年も、いい子でいないといけないだろう。
(ツリーの季節に、悪戯してたら、プレゼントの代わりに鞭だもんね…)
我慢しなくちゃ、と生き甲斐の悪戯は、当分の間、封印しようと、心に誓う。
毎年恒例、この季節だけは、悪戯小僧が「いい子」に大変身だし、船の仲間たちも、ホッとしていることだろう。
(でもでも、悪戯…)
したらいけない船なんて、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、気分転換をしに、アタラクシアの街に出掛けることにした。
船からヒョイと瞬間移動で、クリスマスの飾りで華やいだ街に降り立つ。
(……んーと……)
美味しそうなもの、何かあるかな、と足の向くままに歩いていたら、甘い香りが漂って来る。
(焼き立ての、お菓子…)
そんな匂いだよね、と立ち止まる間に、小さな看板を抱えた人が出て来た。真っ白な服と、白い帽子は、きっとパティシエに違いない。
(お菓子屋さんかな?)
喫茶店かも、と眺めていると、その男性は、看板、いや、小さな黒板に似ているボードに、こういう文字をサラサラと書いた。
『アップルパイ、じきに焼き上がります』。
(大当たり!)
焼き立てだって、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、その店に決めた。
季節は冬だし、焼き立てのアップルパイとなったら、絶品なのに決まっている。
「えっと…。アップルパイ、お店で食べてもいいの?」
それともテイクアウトだけ、と初老のパティシエに尋ねたら、「いらっしゃいませ!」と、店の中へと案内された。
「お好きな席へどうぞ」と、言ってくれるし、遠慮なく、カウンター席を選んだ。
調理場が見える特等席だけに、食いしん坊には似合いのチョイスと言えるだろう。
アップルパイが焼けるまでには、まだ五分ほどあるらしい。
他のケーキも見せて貰って、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、素晴らしい店に入った幸運を知った。
(凄いや、リンゴで薔薇の花びら!)
本物みたい、と感動したケーキは、薄く切ったリンゴを、薔薇の花びらのように纏っている。
(こっちのケーキは、リンゴの形で…)
リンゴだらけ、と喜んでいたら、アップルパイが焼き上がった。
「お待たせしました。アイスを添えて、お召し上がり下さい」
熱いですから気を付けて、と出されたアップルパイは、まさに絶品。パイ皮はサクサク、中身のリンゴは、ジューシーで、火傷するほど熱くて、ほくほく。
(うわあ、最高!)
凄く美味しい、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はペロリと平らげ、二切れ、三切れ、と次のを注文、とうとうホールで平らげてしまった。
「坊や、お腹は大丈夫かい?」
店主は苦笑しているけれども、嬉しそうでもある。
「全然、平気! 薔薇の花みたいなケーキも、食べてみたいな!」
「いいとも。お腹を壊さないように、ほどほどにね」
こっちのケーキもお勧めだよ、と勧められるままに、いったい何個食べたことやら。
「美味しかったあ!」
ホットココアも美味しいよ、と締めのココアを口にしていて、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、店の雰囲気にそぐわないものに気が付いた。
(あれっ?)
レトロな店の端っこの方に、白いプレートが置かれている。其処に描かれた黒い模様は、まるで機械が書き付けたよう。
(黒い線が何本も並んでるとか、暗号みたいな模様の四角とか…)
何なのかな、と首を傾げていたら、どうやら店主も気付いたらしくて、「ああ、これかい?」と白いプレートを持って来た。
「そう、それ! おじさん、その模様、暗号なの?」
「暗号ねえ…。考えようによっては、そうなるのかな?」
ずっと昔の産地証明だよ、と店主は模様を指して教えてくれた。
人間が地球しか知らなかった時代に、そういう模様を使ったことがあるらしい。バーコードとかQRコードと呼ばれた模様で、情報がドッサリ詰まっていたようだ。
「ふうん…? 今の時代は、そういうのは無いの?」
「代わりのがあるよ。果物とかでも、此処のシールに書いてあるんだ」
専用の機械で読み取る仕組みさ、と店主は、真っ赤なリンゴの実に貼られたシールを見せる。
「お菓子とかでも、作られた場所を書くのが決まり事さ」
でないと、宇宙船での輸送は許可が出ないんだよ、とも店主は話した。同じ星の上なら、産地は書かないままでも大丈夫だけれど、他所の星へは運べないね、と。
(今日のお店は、当たりだったよ!)
うんと美味しくて、お勉強も出来ちゃった、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大満足で船に帰った。
お菓子や果物に、産地証明がついているなど、初めて耳にした話なのだし、とても嬉しい。
(宇宙船での、輸送許可が出ないんだ、って言っていたから…)
もしも、地球で作ったお菓子や、地球産の果物などが、手に入ったら、地球の座標が産地証明に含まれている可能性がある。
(座標そのものは、入ってなくても、何か、手がかり…)
今日の店の店主が見せてくれたプレートは、昔の地球の「青森県」で採れたリンゴや、リンゴのお菓子についていた模様の複製だった。
冬はリンゴのシーズンだから、リンゴのプレートを飾っているらしい。桃の季節は「岡山県」や「山梨県」のプレートで、どちらも昔の桃の名産地だった。
今の時代に、「青森県」や「岡山県」とかが、あるかどうかは謎だけれども、あるとしたなら、「青森産」だの「山梨産」だのと謳う「何か」が、きっとシールにくっついている。
(よし、コレだ!)
今年のクリスマスプレゼント、と「サンタクロースに頼みたいもの」は決まった。
リンゴでも、お菓子でも、青森産でなくてもいいから、「地球で作られた、お菓子か果物」。
それにしよう、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、早速、小さなツリーの所へ走って、頼みたい品を書いたカードを枝に吊るした。
「これでよし、っと…」
後はクリスマスを待つだけだよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、御機嫌で部屋に帰った。
上手くいったら、大好きなブルーを、憧れの地球まで、連れて行くことが出来るだろう。
そういうわけで、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、夕食とデザートを詰め込んだ後は、土鍋に入って眠ったけれども、気の毒な人が、重い足取りで、シャングリラの通路を歩いていた。
(…今年も、厄介なリクエストが…)
来てしまったか、と溜息を零すのは、キャプテン・ハーレイだった。
プレゼントに欲しいものを吊るすツリーを担当するクルーが、先ほど、カードを調べたところ、増えていたのが「そるじゃぁ・ぶるぅ」のカードで、大慌てで報告しに走って来た。
(…地球で作られた、菓子か果物…)
どうやって手に入れるんだ、とハーレイは胃がキリキリと痛み出しそう。
まずは、ソルジャー・ブルーに話して、対策を考えるしかないだろう。
「…ソルジャー、夜に申し訳ありません…」
ハーレイは、青の間に足を踏み入れ、深々と頭を下げて、炬燵のソルジャー・ブルーに詫びた。
「どうしたんだい? 何か深刻なトラブルでも?」
「いえ…。時期が時期だけに、お分かりだろうと思うのですが…」
今日の夕方、コレがツリーに吊るされました、と例のカードを、ハーレイは炬燵の上のミカンの隣に、そっと並べた。
「ぶるぅが書いた、今年のクリスマスに欲しいものです」
「ふうん…? ああ、これはなかなか…」
「難しいかと思われますが、どう対処すればよろしいでしょう?」
別の何かで誤魔化しますか、とハーレイの考えは、現実的なものだった。ほんの子供なのだし、他所で作った菓子を渡しても、まず気付かないだろう、というのは正しい。
「そうだろうけど…。ぶるぅがコレを思い付いた理由を、ぼくは聞いてみたいね」
考えるのは、それからでいいと思う、とブルーは、早速、思念波で、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に呼び掛けた。
『ぶるぅ、起きてる? もう寝てるかな?』
土鍋で寝ていた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、ピョンと跳ね起き、瞬間移動で、青の間に真っ直ぐ飛び込んで来た。
「ブルー、何なの? おやつくれるの!?」
起きて来ちゃった、と弾ける笑顔で、炬燵の上を見回している。
「そうじゃないけど…。ちょっと話を聞きたくってね」
これは何だい、とソルジャー・ブルーは、カードを手にして、首を傾げた。
「どうして、地球で作られた、お菓子か果物が欲しくなったのかな?」
アルテメシアのには飽きちゃったかい、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に問い掛ける。地球以外にも星は沢山あるから、そういう所のでは駄目なのかな、とも。
(…流石は、ソルジャー…)
誤魔化すよりも上手い策だ、とハーレイは、心の中で大きく頷く。これで注文の品が変われば、万事解決。少々値の張る果物だろうが、お菓子だろうが、手に入れることは可能だろう。
(盗み出して来るか、潜入班に買って貰うか、いずれにしても…)
プレゼントの品は調達出来る、と大喜びしたハーレイだけれど、直ぐに奈落に突き落とされた。
「えっと、えっとね…。地球で作ったお菓子や、採れた果物…」
輸送するには、シールを貼らなきゃ駄目なんでしょ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は問い掛けた。何処で作ったり、育てたりしたか、「産地証明」が要るんだよね、と真剣な顔で。
「えっ? そんな決まりを、誰に教えて貰ったんだい?」
ヒルマンの授業で出るのは、上級生クラスの筈だけど、とソルジャー・ブルーも驚いている。
「アップルパイとかが、とても美味しかった、お店のおじさん!」
昔の産地証明を書いたプレート、飾ってたよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、得意顔で語った。今の時代も必要なもので、シールに書いて貼っていないと、宇宙船には乗せられない、と。
「だから、地球の果物とかには、くっついていて…。それをサンタさんから貰えたら…」
地球の座標か、何か手がかり、入ってるよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は胸を張る。そういう理由で頼みたいから、カードに書いて吊るしたのだ、と。
「なるほどねえ…。いい考えだ、と思わないでもないけれど…」
よく考えてみたのかい、とソルジャー・ブルーは、炬燵の上のカードを手に取った。
「欲しいプレゼントは、このカードを読んだサンタクロースが、ちゃんと届けてくれるけど…」
サンタクロースは、何に乗って此処へ来るのかな、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の顔を見詰める。
「もちろん、トナカイが曳いてる橇!」
「うん、そうだね。ところで、トナカイの橇は、宇宙船とは、違いすぎると思わないかい?」
宙港を使って行き来しないし、宙港を通って来ない橇なら、産地証明は要らないよ、とシールが貼られる理屈を、ソルジャー・ブルーは、分かりやすく話した。
「サンタクロースからの贈り物には、シールは、きっと、ついていないね」とも。
「そうだったの!?」
「ぼくは、そういう気がするんだけど…。頼んでみないと、其処は、なんとも…」
一度、頼んでみることにするかい、とソルジャー・ブルーは、苦笑しながら畳み掛けた。今年のクリスマスプレゼントに賭けて、お菓子か果物を貰いたいかな、と。
「うーん…。シール、くっついていなかった時は、ただの果物か、お菓子だけ…」
そんなの悲しすぎるもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、注文の品を、こう書き換えた。
「歌いながら踊りまくっても、音割れのしない、うんと頑丈なカラオケマイクを下さい」。
そんなこんなで、やがて迎えたクリスマスの夜、ハーレイは、サンタクロースの衣装を纏って、白い袋に「カラオケマイク」だの、長老たちからの贈り物だのと、詰め込んで通路を歩いて行った。
(まったく、皆が甘いモンだから…)
悪戯小僧がのさばるんだ、と舌打ちしつつも、ハーレイからのプレゼントの箱も、白い袋の中に収まっている。それにソルジャー・ブルーが自ら買いに出掛けた、特注品のプレゼントなども。
(メリークリスマス!)
今年もサンタクロースの到着です、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋に入ったハーレイは、床にプレゼントの箱を、そっと幾つも並べていった。
土鍋で眠る「そるじゃぁ・ぶるぅ」を起こさないよう、物音一つ立てないように注意して。
翌朝、クリスマスを迎えたシャングリラの中で、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、飛び起きた。
「クリスマスだあ! えっと、プレゼント…!」
届いてるかな、と床を見るなり、躍り上がって大歓声。
「わぁーい! ぼくが頼んだカラオケマイク! それに、こっちは、凄い鍋敷き!」
土鍋の下に置くのに、ちょうどいいよね、と特注品の「大きな鍋敷き」を眺め回して、大感動。こんなに立派で頑丈な品は、お店ではお目にかかれない。
「サンタさん、最高!」
お菓子とか、果物にしなくて良かった、と喜んでいたら、大好きなブルーから、思念波が飛んで来た。
『メリークリスマス、ぶるぅ! それに、誕生日おめでとう!』
みんなが公園で待っているよ、と呼び掛けられて、「そうだっけ!」と、瞬間移動で、公園までパッと飛んだら、皆に拍手で迎えられた。
「「「ハッピーバースデー、そるじゃぁ・ぶるぅ!」」」
メリークリスマス、と大きなケーキが運び込まれて、賑やかなパーティーが始まった。
悪戯小僧には違いなくても、船の仲間たちも、この日ばかりは、心の底から祝ってくれる。
ハッピーバースデー、「そるじゃぁ・ぶるぅ」。今年もお誕生日、おめでとう!
産地と証明・了
※「そるじゃぁ・ぶるぅ」お誕生日記念創作、読んで下さってありがとうございます。
管理人の創作の原点だった「ぶるぅ」、いなくなってから、もう8年が経ちました。
出会いは2007年の11月21日でしたが、一目惚れして、二次創作スタート。
毎日シャン学では良い子の「ぶるぅ」ですけど、原点だった悪戯小僧も大好きです。
お誕生日のクリスマスには記念創作で、暮れの風物詩になっております。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」、19歳のお誕生日、おめでとう!
2007年のクリスマスに、満1歳を迎えましたから、18年目の今年で19歳です。
アニテラの教育ステーションだと、18歳で卒業なだけに、どうするんでしょう。
シャングリラで一緒に育った子たちが、立派なクルーになっているかも…。
※過去のお誕生日創作は、下のバナーからどうぞです。
お誕生日とは無関係ですけど、ブルー生存EDなんかもあるようです(笑)