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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

(ふうむ…)
 珍しいな、とハーレイが覗き込んだショーケース。
 いつもの食料品店に設けられている特設売り場、ブルーの家には寄れなかった金曜日。こういう日には買い出しなんだ、と店に入って来たけれど。そこで出会った菓子を並べたショーケース。
 何の気なしに「ケーキの店だな」とザッと眺めたその中にあった、様々なベリーで飾られた白い菓子。最初は普通のケーキと間違えかけた菓子だけども。
 その菓子の前にだけ、特に目立つ札。商品名が大きく書かれた札。「パブロワ」の名が。
 パブロワといえば、焼き上げたメレンゲに生クリームとベリーを乗せたもの。ケーキさながらに大きく焼いたメレンゲを使うものやら、一人前の量に丁度いいサイズに作るものやら。
(どっちにしたって、メレンゲだからな…)
 卵白と砂糖で出来たメレンゲ、生クリームとベリーを乗せたら、時間が経つほど湿るもの。形はさほど崩れなくても、失われてしまうサクッとした食感。
 つまり日持ちがしない菓子だから、作ったその日に食べてしまわないと美味しくないから、店に並ぶことは殆ど無い。ベリーの季節ならばともかく、今の時期は特に。



 ところがバッタリ出会ったパブロワ、それも一人用のサイズに作られたもの。小さめのカップを思わせる形、真っ白なメレンゲで焼かれたカップ。生クリームとベリーが詰まったメレンゲ。
 これならデザートにピッタリだから。夕食の後にコーヒーを淹れて…。
(久しぶりに…)
 食べてみよう、と店員に「一つ」と頼んで買った。滅多に出会えはしない菓子だし、見た目にも美味しそうだから。
 特設売り場は日曜日までで、明日来ても確実に買えるパブロワ。期待通りの出来だったならば、明日はブルーへの土産に買って持ってゆこうと。
 小さなブルーは何か貰うと、それは幸せそうな顔をするから。
 食べれば消えてしまうものでも、「お土産なの?」と本当に嬉しそうだから。
(…いつかは食べ物じゃないプレゼントも持って行きたいもんだが…)
 今は出来ない、ブルーは子供で、まだ幼くて。
 前世の記憶を持ってはいても、キスさえ出来ない十四歳にしかならない子供。恋人への贈り物は持ってゆけない、色々とマズイことになるから。
 ブルーの両親さえも知らない、誰にも秘密の恋人同士。この辺りは前の自分たちの恋と似ているけれど。隠さねばならない恋なのだけれど。
(今度は結婚出来るんだからな?)
 そこが違う、と頷いた。いずれは明かせる、祝福されて結婚出来る。隠すことなく、堂々と。
 プレゼントも贈れる、幾つも、幾つも。
 それまでは食べ物で我慢して貰おう、小さなブルーへの贈り物は。家に届けてやる土産物は。



 特設売り場のパブロワの他にも、あれやこれやと買って帰った食料品。仕分けが済んだら夕食の支度、料理をするのは好きだから。手際よく作って満足の食卓、一人暮らしでも豊かな彩り。
 「御馳走様」と合掌した後はキッチンで片付け、ついでに熱いコーヒーも淹れた。愛用の大きなマグカップ。それにたっぷり、例のパブロワも紙箱から出してケーキ用の皿に。
 何処で食べるか少し思案して、書斎へと。懐かしい菓子には似合いの部屋だから。本棚に並んだ本と同じで、パブロワにも思い出が詰まっているから。



 机の前に座って、まずはコーヒー。淹れたての味と香りを一口、それからパブロワ。
(こいつは、行儀よく食うのも美味いんだが…)
 綺麗な形が崩れないよう、端の方からフォークで切っては口に運ぶのもいいのだけれど。それが本来の食べ方だけれど、こうして書斎に持って来た菓子。
 俺は断然、こっちだな、とザックザックと崩していった。カップのように焼かれたメレンゲを。フォークを手にしてザックザックと、メレンゲとベリーと生クリームが混ざるように。
 もう原型は無いけれど。すっかり崩れてグシャグシャだけれど。
(パブロワは、これに限るってな!)
 混沌とした皿の上のパブロワをフォークで掬って、一口食べて。頬が緩んだ、その味わいに。
 崩れたメレンゲと、それに絡んだ生クリームと、ベリーの味と。絶妙に絡み合ったそれ。上品に端から食べていっても、決してこうはならないパブロワ。
 学生時代に教えて貰った、柔道や水泳の先輩たちに。「パブロワはこう食べるべきだ」と。
 運動部員ならイートン・メスだと、この食べ方が相応しいのだと。



 遠い遥かな昔の地球。SD体制が始まるよりも遠い遠い昔、イギリスと呼ばれていた島国。
 その国にあったメレンゲの菓子がイートン・メス。伝統ある名門、イートン校の名がつけられた菓子。それの由来はパブロワだったと教わった。先輩たちから、誇らしげに。
 イートン校のクリケット試合で供されたパブロワ、それを生徒たちがグシャグシャに崩したのが始まりなのだと、実に由緒ある食べ方なのだ、と。
 だから運動をやる者だったら、パブロワを食べるならイートン・メス。
 こうして崩せと、豪快にやれと、行儀よく端から食べてゆくなど論外だぞ、と。
 ベリーの季節に習った食べ方、「こうやって食え」とパブロワを崩した先輩たち。それは驚いたものだけれども、恐る恐る食べたら違う意味でもっと驚かされた。
 なんと美味しい食べ方だろうと、崩すだけでこうも違うのかと。それに…。



(イートン・メスってヤツはだな…)
 別のものだと思っていた。そういう名前の菓子があるから、パブロワとはまるで違うから。
 新鮮なベリーが出回る季節に母が作っていたイートン・メス。ガラスの器に盛られたデザート。指でヒョイとつまめるサイズに焼かれた小さなメレンゲ、それとベリーと生クリーム。順に入れて重ねて、それの繰り返し。
 メレンゲとベリー、ふわりとホイップされた生クリーム、重なったそれはパフェにも見えて。
 けれどパフェほど冷たくはなくて、スプーンで掬って食べていた。ベリーとメレンゲが意外にも合うと、生クリームが味を引き立てていると。
(よく考えたら、材料は同じなんだよなあ…)
 パブロワも、それにイートン・メスも。
 ベリーの季節に家で食べた菓子、パフェを思わせたイートン・メス。それがパブロワのふざけた食べ方から生まれたと聞けば、素直に納得出来たから。
 最初にそれをやらかしたと伝わるイートン校の生徒とやらも、自分たちのように運動が好きで、やんちゃ盛りだったのだろうと嬉しくなってしまったから…。



 それ以来、パブロワを見掛けたら食べる、こうやってグシャグシャにフォークで潰して。
 学生時代を懐かしみながら、先輩たちや仲間たちの顔を思い浮かべて微笑みながら。
 パブロワを食べるならイートン・メス。どんなに綺麗に作られていても、崩して食べるのが運動部員。遠い昔のイートン校の生徒たちのように、行儀なんぞは知ったことかと。
(こいつにはコレが一番なんだ)
 それに美味いし、とザックザックと混ぜるパブロワ、元の形はもう分からない。売っていた店の者が見たなら、これを作ったパティシエが見たら、きっと唖然とするだろう。
 けれども、これが醍醐味だから。パブロワはこうして食べたいから。
 知ったことかと、買ったからには俺のものだとザックザックと混ぜていて。
 パブロワを食うなら崩してこそだと、こうでないと、と崩す楽しみを満喫していて…。
(ん…?)
 こんなトコか、と最後にグシャリとやった所で引っ掛かった記憶。
 前にも崩して混ぜたのだった、こんな具合に。
 大きなパブロワをフォークでグシャグシャに壊して、混ぜたベリーと生クリームと。
 運動部員たちと食べたものより、もっと立派なパブロワを。
 何人前だか分からないほど、それは大きく作り上げられた見事で綺麗なメレンゲの菓子を。



 崩して食べたパブロワの記憶、あんなものを売る店があるだろうかと首を傾げてしまう大きさ。いったい何人で食べたというのか、あまりに大きなパブロワの記憶。
 けれど自分は確かに崩した、それを大勢で賑やかに。焼き上げられたメレンゲを壊してベリーや生クリームと混ぜた、これはこうやって食べるものだと。
(何処でだ…?)
 記憶の彼方の大きすぎるパブロワ、何処で崩して食べたのだろう?
 遠征試合で出掛けた先で出されただろうか、歓迎の印に。それくらいしか思い浮かばない。普段行かないような何処かで、けれどもパブロワが出て来そうな場所。
(…運動部員の食い方は確かにアレなんだが…)
 だからと言って、柔道や水泳と縁のある菓子ではないパブロワ。元々はクリケットの試合で出た菓子、遠い遥かな昔の地球で。イギリスという国のイートン校が出ていた試合で。
 かつてイギリスがあった地域なら、今の時代は色々な試合でパブロワなのかもしれないけれど。クリケットでなくても、パブロワが出るかもしれないけれど。
 今の自分が暮らす地域や、遠征試合で出掛けて行った先。柔道や水泳のためにと訪れた選手に、あの菓子を振舞ってくれるだろうか?
 超特大だと思えるパブロワ、それをわざわざ作ってまで。グシャグシャにして食べられてしまう菓子を、パブロワとは縁の無い運動をしに来た選手のために。
(…いくらなんでも…)
 気前が良すぎないかと思う。それくらい大きかったパブロワの記憶、あれは凄いと。



 けれどもまるで思い出せない、あのパブロワを食べた場所。何処だったろうか、あんなに大きなパブロワを崩して食べていた場所は?
 地球の上では無かっただろうか、宇宙船で出掛けた先だったろうか?
(宇宙船なあ…)
 シャングリラも宇宙船だった。それも巨大な白い船。今の時代も伝説の船で、ミュウたちの箱舟だった船。白い鯨に似た、楽園という名を持っていた船。
 まさかシャングリラには無かったろうに、と思った途端。
 同じ宇宙船でも違いすぎると、今の自分が遠征試合で乗った船とはまるで違うと思った途端。
(違う…!)
 それだ、と蘇ったパブロワの記憶。超特大だった見事なパブロワ。
 あの船で食べた、白いシャングリラで、白いパブロワを。純白のメレンゲを焼き上げた菓子を。
 ベリーと生クリームをたっぷりと乗せて、美しいそれを惜しげもなくフォークで突き崩して。
 原型を留めないほどに壊して、混ぜて。
 白いシャングリラのブリッジが見える大きな公園、あそこで皆で食べたパブロワ。
 こうやって食べるための菓子だと、崩して食べるのが正しいのだと。



 遠い記憶が蘇って来た、前の自分が食べたパブロワの。白い鯨のメレンゲの菓子の。
 公園に設けられた大きなテーブル、其処に置かれていたパブロワ。ベリーと生クリームで飾ったメレンゲの菓子、崩される前は芸術品のようだった菓子。
 絞り出された形そのままに焼き上げられた白いメレンゲが。上に盛られた様々なベリーが、その周りを囲む生クリームが。
 厨房のスタッフが腕を奮った会心の作。
 どうせ壊れてしまうのに。フォークでグシャグシャにされてしまって、形が残りはしないのに。
 それでも腕を奮ったスタッフ、素晴らしい出来栄えだったパブロワ。
 壊されるために生まれて来たのに、食べる前には崩されるのに。



(あれは祝いの菓子だったんだ…)
 そうだった、と前の自分の記憶に残ったパブロワを眺める、壊される前の。崩される前の見事な姿を、厨房のスタッフたちの誇らしげな顔を、パブロワが置かれていたテーブルを。
 自給自足の生活を始めたシャングリラ。白い鯨への改造が済んで、奪うことをやめて。
 そのシャングリラでの鶏の飼育が軌道に乗って、かつて貴重だとされた卵がいつでも好きなだけ食べられるようになったから。卵白だけを使うメレンゲまでもが作れるようになったから。
 野菜もベリーも充分に採れて、白い鯨は本物の楽園になったから…。
(卵に不自由しない生活ってヤツを祝おうってことで…)
 どういうわけだか、卵を祝おうということになった。他の食べ物も色々あるというのに、白羽の矢が立ったのが何故だか卵。それを贅沢に使って何かと、素敵な何かが作れないかと。
 祝いに似合いの卵の菓子。お祭り騒ぎにもってこいの菓子、そういったものが何か無いかと。
 話を持ち掛けられた厨房のスタッフが、「メレンゲでしょうか」と答えたから。
 卵白だけで作るメレンゲ、黄身は使わないのが贅沢だろうと言ったから。
 かつて厨房にいた前の自分も、それが良さそうだとメレンゲに賛成したものだから…。



 ヒルマンとエラがデータベースであれこれ探した、伝統あるメレンゲの菓子というのを。
 祝いはともかく、お祭り騒ぎ。皆でワイワイと食べることが出来て、思い出にもなるメレンゲの菓子を。卵白と砂糖から作る特別な何か、誰もが喜びそうな菓子。
 二人が懸命に調べて探して、見付かったのがパブロワだった。パブロワそのものは普通の菓子で珍しくもなく、祝いの菓子でもないけれど。ごくごく平凡なのだけれども、その食べ方。
 遠い昔にイートン校の生徒たちが壊して食べたパブロワ、そこから生まれたイートン・メス。
 これぞ伝統とお祭り騒ぎの融合だろう、とヒルマンとエラが自信に溢れて提案して来た。
 パブロワを作って、崩して食べる。
 それに限ると、その食べ方から新しい菓子が生まれたくらいに美味らしいからと。
 おまけに地球のイートン校。遥かな昔の小説を読めば、名前が出て来るほどの名門。真似るには充分すぎる食べ方、今は何処にも残ってはいない名門校の生徒たちの悪ふざけ。
 お祭り騒ぎにはピッタリだから。
 出来上がった菓子を崩すというのも、贅沢すぎる食べ方だから。
 パブロワにしようと決めたのだった、前の自分やブルーや、ヒルマンたちが。パブロワを作って卵が食べられる時代を祝おうと、美しい菓子をグシャグシャに崩せる贅沢な時代を楽しもうと。



 こうして決められ、厨房のスタッフが作り上げた大きくて見事なパブロワ。
 純白のメレンゲの上にベリーと生クリームを乗せ、それは美しく飾られたパブロワ。テーブルに置かれて皆に披露され、誰もが惜しみなく拍手を送った。
 こんな菓子が作れる時代になったと、シャングリラは本物の楽園なのだと。
(せっかくだからと、クリケットの代わりに…)
 パブロワを崩して食べる前には、クリケットの試合があったと言うから。
 あの公園でサッカーをしたのだったか、希望者を募って、疲れない程度に。他の仲間が応援する中、公園の芝生で真似事のようなサッカーの試合。
 それが終わったら、パブロワの食べ方をヒルマンとエラが由緒も含めて説明をして。
 「壊してから食べるものなのか」と酷く驚いた仲間たち。こんなに美しい菓子なのに、と。
 けれど、全員にフォークが配られ、「こうなのだがね?」とヒルマンがグサリと加えた一撃。
 続いてエラが、ゼルが、ブラウが、それにブルーと前の自分が、パブロワにフォークをお見舞いしたら、ワッと上がった皆の歓声。
 もうその後は、誰も遠慮はしなかった。グサリ、グサリと刺さったフォーク。
 美しかった菓子はみるみる壊れて、メレンゲもベリーも生クリームもグシャグシャに混ざった、元の形がどうだったのかも想像出来ないほどに無残に。
 破壊の限りを尽くした宴は、皆の笑顔を連れて来た。見た目は酷い形だけれども、混ざり合ったメレンゲとベリーと生クリームはとても美味しいと、別々に食べるよりずっと素敵だと。
 この食べ方を考え付いたイートン校の生徒に感謝せねばと、悪ふざけも時には素晴らしいと。



(そうだ、あの船にあったんだ…)
 白いシャングリラにはパブロワがあった、美味しいと皆が喜んだから。
 ベリーが採れるシーズンになったら、超特大とはいかないまでも作られていたメレンゲの菓子。真っ白なケーキさながらの姿に出来上がるけれど、壊される菓子。そのままで食べはしない菓子。
 パブロワはいつもグシャグシャにされた、食べようとしていた仲間たちの手で。
 いわゆる本物のイートン・メスの方も、いつの間にやら誕生していた。ガラスの器にメレンゲとベリー、生クリームを順に重ねて入れるもの。
 そちらの方が簡単だから。壊さなくても混ぜるだけでいいし、手軽に味を楽しめるから。
(…あのシャングリラに、パブロワなあ…)
 まさかあったとは思わなかった、とグシャグシャになったパブロワを頬張り、笑みを浮かべた。前の自分も食べた味かと、白いシャングリラで食べていたかと。
(こいつは、ブルーに…)
 持って行かねばならないだろう。
 そうするつもりでいたのだけれども、グンと重みを増したパブロワ。白いシャングリラで食べていた味、前のブルーとフォークで崩して食べたパブロワ。
 明日は買ってゆこう、パブロワを二つ。
 遠い記憶の超特大には及ばないけれど、一人用のケーキのサイズだけれど。



 次の日はよく晴れていたから、歩いて出掛けたブルーの家。
 途中で昨日の食料品店に寄って、パブロワを二つ、詰めて貰った小さな紙箱。出店している店のロゴが入った箱を受け取りながら思った、「崩して食うとは思うまいな」と。
 朝一番から綺麗に作ったパティシエには申し訳ないけれど。ショーケースに並べた店員にも少し悪いけれども、これはそういう菓子だから。
 学生時代の自分も先輩からそう教わったし、白いシャングリラでもそうだったから。
(…俺のせいではないんだ、うん)
 文句を言うならイートン校の生徒に言ってくれ、と心の中でクックッと笑う、彼らが諸悪の根源だからと。遥かな昔のイートン校だと、何不自由なく育ったヤツらの悪ふざけなんだ、と。



 紙箱を提げて、生垣に囲まれたブルーの家に着いて、門扉の脇のチャイムを鳴らして。
 迎えに出て来たブルーの母に、「買って来ました」とパブロワが入った箱を渡した。前の自分も食べた菓子だから、ブルー君へのお土産です、と。
 パブロワは早速、ケーキ皿に載せられ、ブルーと二人で向かい合わせに着いたテーブルに運んで来られたから。紅茶のポットやティーカップなども揃ったから。
 小さなブルーは母の足音が消えるのを待ちかねたように、ケーキ皿の上を指差した。
「えーっと…。これ、ハーレイのお土産だよね?」
 なんでパブロワなの、ハーレイのお勧めのお店でも来てた?
「いや、そうじゃなくて…。懐かしいだろ?」
「えっ?」
 何が、とキョトンとしているブルー。やはり忘れてしまったのだろう、自分と同じで。
 白いシャングリラにあったパブロワを、あの日の派手なお祭り騒ぎを。
「忘れちまったか、こいつの食べ方?」
 こうなんだがな、とフォークで端を突き崩したら。もう一撃、とグシャリとやったら。
「食べ方って…。ハーレイ、壊しちゃうの?」
 こんなに綺麗に出来ているのに、とブルーの瞳が真ん丸になる。「酷くない?」と。
 それにお行儀も良くないけれど…、と赤い瞳が見ているから。
「いいから、崩して食ってみろ。美味いんだから」
 こうだ、すっかり壊しちまって、こうグシャグシャに混ぜてだな…。
「うん…」
 なんだか信じられないけれども、ハーレイがそう言うのなら…。
パブロワ、そういう食べ方じゃないと思うんだけど…。
 


 壊すなんて、と不思議そうにパブロワをフォークで崩したブルーだけれど。
 おっかなびっくりといった様子で混ざったそれを口へと運んだけれど。
「本当だ…!」
 ホントに美味しい、と顔を輝かせたブルー。
 パブロワのままよりずっと美味しいと、「ハーレイの食べ方、とても凄いね」と。
「だろう…!」
 でなけりゃ、やってみろとは言わんさ。崩した挙句に不味い菓子になってしまうんならな。
 学生時代はこうやってパブロワを食っていたもんだ、先輩たちに教えられてな。
 「運動部員が食うならこうだ」と、柔道でも水泳でも言われていたなあ、崩して食えと。
 しかし、お前も食ってたんだぞ、こうやって。
 前のお前もグシャグシャにしてたな、パブロワを食ってた時にはな。
「え…?」
 ぼくが、とブルーが首を傾げるから。
 前の自分はそんな食べ方をしていたろうか、とフォークを持つ手も止まったから。
「これよりも遥かにデカかったなあ、もう桁外れの大きさだったが」
 公園に置いても、少しも小さく見えなかったぞ、あのパブロワは。公園は広いというのにな。
 それとサッカーの試合だ、サッカー。
 やりたいヤツらを集めてサッカーをさせて、それをみんなで応援してから食ったんだが…。
 覚えていないか、デカいパブロワ。
 前のお前もフォークでグサリとやっていたがな、ヒルマンが最初にグサリとやって。
「ああ…!」
 あったね、凄く大きなパブロワ。
 みんなでフォークで壊したんだっけね、とても綺麗に出来たパブロワだったのに…!



 思い出した、と手を打ったブルー。
 シャングリラで特大のパブロワを食べたと、あれは卵のお祝いだった、と。
「そっか、イートン・メス、シャングリラの頃にもあったんだ…」
 あれが切っ掛けでパブロワが流行って、いつの間にかイートン・メスも出来てて…。
 ベリーの季節にはメレンゲを作って食べていたよね、生クリームと一緒に器に盛って。
「イートン・メス…。今のお前も知っているのか?」
 シャングリラの頃にも、と言い出すってことは、今のお前も知ってるんだな?
 こうして壊して食う方じゃなくて、混ぜて食う方のイートン・メスを?
「うん。ママが作ってくれることがあるよ」
 今年も夏の頃に食べたよ、ハーレイとは食べていないけど…。
 ぼくのおやつに作って貰って、ぼくが一人で食べてたんだけど…。
 でなきゃ、ママと一緒。ママと二人で混ぜて食べたよ、イートン・メスを。



 ハーレイにお行儀の悪いお菓子は出さないものね、と言われて気付いた。
 ベリーが出回るイートン・メスのシーズンの頃はまだ、小さなブルーと出会ったばかり。
 この家を訪ねて来てはいたけれど、今よりもずっと客扱いだった、あの頃の自分。
 そんな自分にイートン・メスを出しはしなかったろう、ブルーの母は。器に盛られたメレンゲとベリー、生クリームをスプーンで混ぜるイートン・メスは。
 来客に出すには些か行儀の悪い食べ物、美味しいけれども食べ方が絵にはならないから。
 イートン・メスは普段着の菓子で、それくらいならば綺麗なパブロワの方がいいだろうから。
 そして自分も、ブルーの家に来てパブロワが出たら、それを崩そうとはしなかったろう。崩して食べたい気持ちであっても、崩しはしないで、行儀よく。
 けれど…。
「なあ、ブルー。あの頃に食ってりゃ、俺たちは思い出せたのか?」
 イートン・メスは行儀が悪いと出なかったとしても、パブロワの方。
 お前のお母さんがパブロワを出してくれていたなら、シャングリラのパブロワ、思い出せたか?
 あのとてつもないデカいパブロワ、みんなで崩して食ったってことを。
「どうだろう…?」
 思い出せたのかな、ママがパブロワを作っていたら…。
 ハーレイと二人で食べていたなら、あの時のヤツだって気付いたのかな…?



 二人、考えてみたけれど。
 パブロワを食べたら思い出せたか、お互い、自分の遠い記憶を手繰ったけれど。
 白いシャングリラの頃の記憶は、沢山ありすぎるものだから。
 超特大のパブロワがあった記憶も、思い出す前には掠めたことさえ一度も無かったものだから。
「…無理だったかもね…」
 ママがパブロワを作ってくれてても、イートン・メスを出してくれたとしても。
「俺も無理だったような気がするな、お前の家で出して貰ったら、壊せはしないし…」
 行儀が悪くてとても出来んぞ、あの頃の俺でなくても無理だ。
 今日のパブロワは壊すつもりで買って来たから、こうして崩して食ってるわけだが…。
 お前のお母さんが作ってくれたヤツなら、壊すなんてことは出来ないな。
 そうなってくると、俺の記憶が戻る切っ掛けにはならないだろう。
 イートン・メスが出て来ていたって同じことだな、ただ混ぜるだけじゃ俺の記憶は戻らんしな。



 もしも、あの頃にパブロワが出ても、イートン・メスが出されていても。
 きっと食べながら別の話をしていただろう。メレンゲの菓子は話題にもならず、ただ食べられて終わりなだけ。空になった器が残るだけ。
 あの頃はブルーも今と違って、やたらとくっつきたがっていたし…。
 こうして向かい合わせで座っているより、膝の上に乗っている方が多かったブルー。ベッタリと胸に甘えたがっては、「温めてよ」と右手を出したりもして。
「…今だから思い出せたんだろうな、あのパブロワ」
 前の俺たちが食ったパブロワ、とてつもなくデカいヤツだったがな。
「うん、きっと…」
 今だからだよね、ぼくだって思い出さなかったし…。
 イートン・メスをおやつに食べていたって、スプーンで混ぜながら食べていたって。
 どうして今まで思い出さなかったのか、とっても不思議な気がするけれど…。
 ハーレイがいきなり思い出したのも、凄く不思議な感じだけれど。
「全てのわざには時がある、って言うからな」
 ヒョッコリ浮かんで来たってわけだな、時が来たから。
「えーっと…?」
 なにそれ、時が来るって、なあに?
「聖書の言葉さ、全てのわざには時がある、ってな」
 生まるるに時があり、死ぬるに時があり…、って感じで続いてゆくんだ、色々と。
 泣くに時があり、笑うに時があり、愛するにも、語るにも時がある。
 そんな具合で、思い出すにも時ってヤツがあるんだろう。
 時が来るまでは出て来ないんだな、どんなに条件が揃っていても。記憶を呼び戻せる切っ掛けが幾つ揃っていたとしたって、ヒョイと戻ってはくれないってことだ。時が来ないと。



 今がその時だったんだろう、と微笑んだ。イートン・メスに関しては、と。
 パブロワが売られているのを見付けて、それを買おうと思い立って。自分用にと買って帰って、崩した一個。そのパブロワが俺の記憶を運んで来た、と。
「つまりは時が来たってことだ。こいつで思い出すがいい、と」
 俺は先輩に教わった通り、パブロワを崩していただけなんだが…。
 こうして食うのが美味いんだから、と運動部員ならではの食い方をしていただけなんだがな。
「そうだね、ハーレイはいつも通りに食べてただけだね、こうでなくちゃ、って」
 思い出そうとして頑張ったわけでもなんでもなくって、思い出が勝手に出て来ただけで…。
 ホントに時が来たってことだね、神様のせいか、そうじゃないかは分からないけど。
 …パブロワは崩して食べるもんだ、って言ってたハーレイの先輩たち、どうしてるんだろ?
 今でもこうやって食べているのかな、壊してグシャグシャに混ぜてしまって。
「多分な。実際、美味いんだから」
 俺と同じで、人前では普通に食うんだろうが…。
 自分の家だとやってるだろうな、グシャグシャと。パブロワはこれが美味いんだ、とな。
「ゼルたちも何処かで食べてるといいね、パブロワに会って」
 これはこうして壊すんだった、って崩してパブロワ、食べてるといいね…。
「そうだな、「懐かしいのう」なんて言いながらな」
 今じゃすっかり若くなっちまって、「懐かしいのう」なんて言いはしないかもしれないが。
 うんと若いゼルが「懐かしいぜ!」とフォークでグシャグシャやってるかもなあ、何処かの星で運動部員になってしまって、何かのはずみで思い出して。
「あははっ、それって最高かも…!」
 ゼルだと何の運動だろうね、何をやるのが似合うんだろう?
 サッカーとかかな、それとも陸上部員とかになって、思い切り走ったりしちゃうのかな…?



 偶然出会った、学生時代の思い出の菓子。崩して食べろと教えられたパブロワ。
 それがシャングリラの懐かしい記憶を連れて来た。時の彼方から、超特大だったパブロワを。
 きっと他にもあるのだろう。
 その時がまだ来ていないだけで、今と昔が繋がるものが。
 今の自分たちも前の自分たちも知っているものが、パブロワの他にも、きっと幾つも。
「俺たちの思い出、もっと見付けていかんとなあ…」
 時が来ないと駄目なようだが、まだまだ幾つもある筈だからな。
「うん、ハーレイと二人でね」
 ぼくが思い出すか、ハーレイが先に思い出すのか。
 それとも同時か、ちょっと楽しみ。
 ホントに沢山ありすぎるものね、前のぼくたちが作った思い出の数。
「そうだな、山ほどあるからなあ…」
 三百年以上だ、こいつは多いぞ。ちょっとやそっとじゃ拾い切れんな、俺とお前と二人がかりで拾い集めて回るにしてもな。



 前の自分たちが生きた記憶と、今の自分たちが生きている今と。
 思い出を繋いでくれる切っ掛けは、きっと幾つもあるだろうから。
 結婚するまでも、結婚した後も、それを二人で見付けてゆこう。
 幾つも幾つも思い出しては、幸せな記憶を拾い上げながら歩いてゆこう。
 この地球の上で、何処までも二人、手を繋ぎ合って。
 思い出を拾ってはキスを交わして、今の幸せを二人で何度も確かめ合って…。




           メレンゲの菓子・了

※シャングリラにもあった、パブロワの不思議な食べ方。グシャグシャに崩したメレンゲ菓子。
 遠い昔の地球の真似ですけど、今では素敵な思い出の一つ。他にも沢山の思い出がある筈。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv







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(あれ…?)
 オレンジの匂い、とブルーが覗き込んだバスルーム。お風呂に入ろうとパジャマを抱えてやって来たのだけれど。
 洗面台がある部屋との境の扉を開けた途端に、湯気と一緒にオレンジの香り。さっきより強くてオレンジそのもの、まるでお風呂にオレンジの木でも生えているよう。
 湯気の向こうのバスタブを見たら、ぽっかりと袋が浮かんでいるから。直ぐに分かった、あれが匂いの正体だと。母が浮かべておいたオレンジ。
(ふうん…?)
 今日はオレンジ風呂の日なんだ、と納得して扉をパタンと閉めた。
 たまにある、オレンジの香りのお風呂。本物のオレンジを浮かべたバスタブ。これからの季節は身体が温まるから、と母が入れておくことがある。バスエッセンスやバスソルトと同じ感覚で。
 ただし、オレンジは丸ごと浮かべても駄目だから。せっかくの成分が何の役にも立たないから。二つに切られて薄い袋に入れられて浮かぶ、熱いお風呂に。
 役に立つ成分は袋を通り抜けてお風呂に、お湯を濁らせてしまう種や皮などは袋の中に。だから濁らない、お風呂のお湯。オレンジの香りが強くても。オレンジを溶かしたようであっても。



 服を脱いで入ったバスルーム。いい匂いのお湯を早速かぶった、シャワーよりも先に。ふわりと身体に纏い付く香り、柑橘系のフレッシュな匂い。
 バスエッセンスではこうはいかない、本物のオレンジにはとても敵わない。母が入れたような、本物のオレンジの香りには。切ったばかりの実から立ち昇る匂いには。
(いい匂い…)
 身体を洗って、浸かったバスタブ。たっぷりのお湯。そこに浮かんだオレンジの袋。手に取るとツンとオレンジの香り、持ってみた手にも香りが移った。アッと言う間に。
(ふふっ)
 ぼくの手がオレンジになったみたい、と眺めた手。その手がツルリとしているから。オレンジの袋から出て来る果汁か皮の成分か、触ってみるとツルツルだから。
 これは面白い、と顔やら肩やら腕に塗ってみた、そのツルツルを。するりと滑りそうな肌。
 見た目に光ったりはしていないのに。ただ濡れているというだけなのに。何故だかツルリとしている手触り、目には見えないオレンジの膜。オレンジの香りの透明な膜。
(傷とかがあったら、しみて痛いんだろうけど…)
 これだけの香りがしていれば、きっと。小さな傷でも、このオレンジの膜をすり込んだなら。
 そういう傷は全く無いから、顔も腕も肩も、塗り付けた分だけ本当にツルツル、スベスベの肌。
 オレンジ風呂は身体が温まるお風呂だけれども、美肌効果もあるのだったか。前に母から聞いた気がする、「肌が綺麗になるお風呂なのよ」と。



 このツルツルを塗り付けていると、オレンジの袋を触っていると、肌が綺麗になるのも分かる。如何にも効きそうなオレンジのお風呂、お風呂上がりの肌もツルツルなのだろう。
(今は関係無いけどね?)
 チビの自分の肌がツルツルでも、スベスベでも誰も喜ばない。褒めてもくれない。せいぜい父か母に頬っぺたをチョンとつつかれる程度、「お餅みたいに柔らかい」と。
 けれど、大きくなったなら。前の自分と同じ背丈に育ったら…。
 美肌効果もきっと必要、オレンジ風呂にも入らなくてはいけないだろう。肌がスベスベになってくれるよう、オレンジを浮かべたバスタブに。
(だって、結婚するんだもんね?)
 前の生から愛したハーレイ、結婚出来る年の十八歳になったら結婚しようと決めているから。
 結婚したなら、今度こそハーレイと二人きりで暮らして、身体中に幾つもキスを貰って…。
 そのためにはきっと、艶やかな肌がいいのだろう。
 ハーレイがキスを落としてくれる時に、優しい感触がするように。手触りだっていいように。
 同じキスなら、同じ手触りなら、ハーレイが喜びそうな肌。



(ガサガサよりかは…)
 荒れてガサガサの肌は論外、乾燥しすぎた肌だって。
 ハーレイと二人で暮らす時には、断然、スベスベの肌がいい。「吸い付くような」とか、磁器のようだとか、そんな風に表現される肌。滑らかで、いつまでも触っていたくなるような肌。
(…お風呂にも気を付けなくちゃ…)
 肌の手入れをしたいけれども、化粧水は自分には似合わないから。使いたい気もしないから。
 前の自分も化粧水など、まるでつけてはいなかった。青の間に化粧水の瓶などは無くて、一度も使いはしなかった。それと同じで今の自分も使いたいとは思わないけれど。
 それでも綺麗にしておきたい肌、スベスベにしたい自分の肌。
 化粧水の類を使わないなら、頼りになりそうなものはお風呂で、今のように身体ごと浸かるバスタブ。そのお湯に工夫をするのが一番、浸かるだけで美肌効果があるお風呂。
(バスソルトとか…)
 バスタブに垂らすバスエッセンスとか、お風呂に入れる様々なもの。オレンジ風呂もその一つ。
 今は母任せで、香りのするお湯が入っている日も、入っていない日もあるけれど。
 母の気分で透明だったり、色がついたりするお風呂。
 オレンジ風呂だと透明だけれど、効果は抜群、スベスベの肌。それに香りもいいお風呂。



 いつかハーレイと結婚したなら、お風呂のお湯を何にするかは自分で決めることになるから。
 ハーレイに「俺はこれだ」というこだわりが無いのだったら、お風呂は好きに決められるから。
(きちんとお手入れ…)
 肌がしっとりとするお風呂。ツルツルのスベスベ、艶々の肌になるお風呂。
 オレンジ風呂だとか、美肌効果のあるバスエッセンスとか、バスソルトとか。そういうお風呂に浸かって肌の手入れをしなければ、と考えていて。
 それに限ると、ハーレイもきっと喜んでくれると、未来の自分の肌を思い描いていて…。
(でも、待って…!)
 自分の肌を磨くお風呂はいいけれど。大切だけれど、ハーレイも入るのだった、そのお風呂に。
 二人一緒に住んでいるのだし、お風呂も同じバスルーム。バスタブも同じ。
 白いシャングリラで暮らしていた頃、「薔薇のジャムが似合わない」と言われていたハーレイ。面と向かってそう言った者はいなかったけれど、ハーレイにだけは「如何ですか?」と尋ねる者が無かったクジ引き、シャングリラの薔薇で作られたジャムが当たるクジ引き。
 クジを入れた箱はブリッジにも持ってゆかれたけれど。ゼルでさえもが「どれ、運試しじゃ」とクジを引いていたけれど、そのクジの箱はハーレイの前をいつも素通りして行った。ただの一度も止まることは無くて、「如何ですか?」と声も掛からなかった。
 誰も不思議だと思いもしなくて、変だとも失礼だと言いもしなくて、クジは素通り。ハーレイに薔薇のジャムは似合わないから、皆がそうだと思っていたから。



 白いシャングリラがあった頃から、長い長い時が流れたけれど。二人で青い地球に来たけれど。
 前と少しも変わらないハーレイ、仕事や立場が変わっただけ。姿は前とそっくり同じで、背丈も顔立ちもキャプテン・ハーレイそのままで。
 つまりは今でも薔薇のジャムが似合わないハーレイ。乙女心の結晶のようなジャムは似合わず、薔薇の花だって似合わない。自分にはそうは思えないけれど、ハーレイ自身もそう考えている。
 そんなハーレイが入るお風呂に、バスエッセンスだの、バスソルトだの。
 肌を綺麗に保ちたいからと、オレンジ風呂もやってみようと思ったけれど…。
(ハーレイに似合うの…?)
 艶やかな肌を保つためのお風呂、肌を滑らかにしてくれるお湯。香りも花やらオレンジやらで。
 自分の肌がスベスベになるのはいいことだけれど、ハーレイの方はどうだろう?
 嫌がられるかもしれない、そんなお風呂は。
 滑らかな肌を作るお風呂で磨いた身体は好きだろうけれど、ハーレイ自身がその巻き添えで同じお風呂に入るのは。花やオレンジの香りのお湯は。



 そうなってくると、お風呂に入る順番を決めるしかないだろう。ハーレイが花などの香りが漂う変なお風呂に入らなくても済むように。被害を及ぼさないように。
(…ぼくの方が先に入ったら駄目…)
 お風呂に花の香りのバスエッセンスやバスソルトを入れてしまうから。
 母が入れているバスエッセンスなどの類は大抵、ふうわりと花の香りがするから。でなければ、今日のオレンジ風呂。そういう香りの柑橘系。
 ハーレイがそれを嫌がりそうなら、お風呂に入るのは、自分が後で。ハーレイがのんびり入った後で、バスソルトとかをポチャンと入れて。たまにはオレンジも浮かべたりして。
 でも…。
(ハーレイが先にお風呂って…!)
 ゆっくり入って、ゆったり浸かって。「お風呂、空いたぞ」と言ってくれるのだろうけれど。
 お前も早く入るといい、と笑顔を向けてくれるだろうけれど、そのハーレイ。お風呂から出て、冷たい水でも飲んでいるかもしれないハーレイ。
 バスローブかパジャマかは知らないけれども、水かコーヒーでも飲みながら…。
(…待っているんだよね?)
 空いたバスルームに向かった自分を、お風呂に入りに行った自分を。
 肌を磨きに出掛けた自分が、お風呂から出て戻って来るのを。



(それって、とっても…)
 恥ずかしいかも、と思ったけれど。
 ハーレイが待っている間に肌を、身体を磨くというのは恥ずかしすぎると思ったけれど。
 先に入っても、それはそれで違う恥ずかしさ。
 バスエッセンスだのバスソルトだのを入れたお風呂に、ハーレイが入りに出掛けても。そういうお風呂でもかまわないから、と後から入ってくれたとしても…。
(待ってるの、ぼくが?)
 ハーレイがお風呂から戻って来るのを、ベッドに腰掛けて、パジャマ姿で。
 それともバスローブを羽織ってだろうか、いい匂いをさせて。磨いたばかりのスベスベの肌で。
 早くハーレイが戻らないかと、まだ少し上気している身体で。
(…ハーレイのために磨いたって感じ…)
 それに間違いは無いけれど。ハーレイが喜んでくれるようにと、自分の肌を磨くのだけれど。
 いい匂いをさせて待つ自分。
 スベスベの肌で、花やオレンジの香りを纏って、「美味しいですよ」と言わんばかりに。



 それでは恥ずかしすぎるから。
 いくらハーレイに食べて貰おうと待っているにしても、頬が真っ赤になりそうな気分。
 そんな思いで待っているのは恥ずかしいから、やっぱり後に入ろうか?
 ハーレイに先に入って貰って、「空いたぞ」と笑顔で声を掛けられたら、バスエッセンスなどは入っていないお湯に「今日はこれ」と美肌効果のあるものを入れて。その日の気分でオレンジでもいい、ゆったりと浸かって、肌が綺麗になるように。
(…でも、やっぱり…)
 お風呂から出たら、「磨いて来ました」という感じ。いい香りをさせて、スベスベの肌。
 考えると顔が熱くなるから、恥ずかしくて火が出そうだから。
 ここはやっぱり、ハーレイも同じ香りを漂わせるお湯で、先に入って貰うべきだろうか。薔薇のジャムが似合わないハーレイだけれど、バスエッセンスが似合わなくてもかまわないから。



 ハーレイは嫌かもしれないけれど。「俺に似合うと本気で思っているのか?」と顔を顰めるかもしれないけれども、ハーレイを先にバスルームへ。ハーレイの身体も同じ香りをさせていたなら、恥ずかしさが少し紛れるから。
(ハーレイが入るのを嫌がったって…)
 その上、ハーレイまでがスベスベの肌になったとしたって、同じ香りを纏って欲しい。二人とも同じ香りがするなら、恥ずかしさも減ってくれるから。
 同じ香りを纏うだけなら、自分が先でもいいのだけれど。先に入ってバスエッセンスを入れて、「お風呂、空いたよ」とハーレイに言えば、ハーレイの身体も同じ香りになるけれど。
 自分が先にお風呂に入って、そのお湯を残しておいたなら。
 それだと、自分がベッドに腰掛けてハーレイを待つことになってしまうから。
 とても恥ずかしい、如何にも準備を整えて待っているようで。
 肌を綺麗に磨いて来ましたと、早く食べてねと、ベッドという名のお皿にチョコンと乗っかっているかのようで。
 ナイフもフォークも準備したからと、後はハーレイが食べるだけだよ、と頬を染めながら、甘い時間を過ごすための大きなお皿の上に座っている自分。
 どう食べるのも好きにしてねと、ナイフとフォークでも、手づかみでも、と。



 そう考えたら、お風呂の順番。ハーレイと暮らす家でお風呂に入る順番。
(やっぱり、ぼくが後の方が…)
 恥ずかしくないだろうか、肌を磨くためのバスエッセンスなどを入れるなら。
 磨いた身体でベッドという名のお皿に座って、食べて貰おうと待っていなくて済むのだから。
 そうでなければ、恥ずかしさが薄らいでくれるようにと、ハーレイも自分と同じ香りを纏う道。先にハーレイに入って貰って、その時に、お湯にバスエッセンス。
 たとえハーレイが「俺はちょっと…」と腰が引けていようが、ハーレイの身体まで上から下までスベスベになってしまおうが。
 薔薇のジャムが似合わないハーレイだけれど。バスエッセンスも無理がありそうだけれど。
(花の香りも似合わないけど、オレンジだって…)
 オレンジ風呂も似合いそうにないんだけどね、と思ったら。
 ぽっかりとお湯に浮かんだ袋はともかく、オレンジの香り、とハーレイの顔を思い浮かべたら。



(えーっと…?)
 オレンジの香りがするお風呂。今、浸かっているオレンジ風呂。
 何かが記憶に引っ掛かる。
 今の自分の記憶ではなくて、もっと遥かに遠い何処かで。流れ去った遠い時の彼方で。
 そういう記憶があるとしたなら、そのオレンジの香りがしていたお風呂は…。
(シャングリラ…?)
 白い鯨でしか有り得ない。アルタミラではお風呂などは無かったのだから。シャングリラの名を持っていた船も、白い鯨になるよりも前は、オレンジ風呂など多分、無い筈。
 けれども白い鯨にしたって、オレンジ風呂などあっただろうか?
 オレンジは栽培していたけれども、それをお風呂に入れただろうか?
 自給自足の船の中では、オレンジも大切な食べ物だから。余ったにしても、お風呂だなんて、と記憶を探って、オレンジの香りを辿っていって…。
(…そうだ!)
 これだ、と捕まえた遠い遠い記憶。前の自分が持っていた記憶。
 あったのだった、白いシャングリラにオレンジのお風呂。
 いつもあったというわけではなくて、備蓄していたオレンジが傷んでしまった時に。廃棄処分にするには惜しい、と考案したのはエラだったか。データベースであれこれ調べて。
 食べるには難のあるオレンジとはいえ、オレンジ風呂なら食べるわけではないから。その成分をお湯を通して貰うだけだから、傷んだ時にはオレンジ風呂。



 傷んだオレンジを切って袋に入れて浮かべるオレンジ風呂。
 女性に人気のお風呂だったけれど、入りたいからと貰ってゆくのは圧倒的に女性だったけど。
(肌がスベスベになるって聞いて…)
 前の自分が貰いに出掛けて行ったのだった。「オレンジ風呂は身体が温まると聞いたから」と。
 もちろん本当の目的は違った、身体を温めたいというわけではなかった。
(だって、スベスベ…)
 女性たちの間で評判だったオレンジ風呂。入れば肌がスベスベになると、綺麗になると。
 だから試してみたいと思った、ハーレイのために。
 ブリッジでの勤務を終えたら訪ねて来てくれる優しい恋人、そのハーレイが喜ぶように。
 オレンジ風呂で肌を磨いて待っていようと、スベスベになって待っていようと。
(でも、今と同じで恥ずかしくって…)
 磨き上げた身体で、オレンジの香りを纏わせた肌で、ハーレイが来るのを待っているのが。
 食べて下さいと言わんばかりに、お風呂上がりで待つ自分。
 そんなことは一度もしていなかったし、恥ずかしすぎて出来そうになくて。
 けれどオレンジ風呂に入って磨きたい肌、ハーレイのために磨き上げたい身体。スベスベの肌で恋人を迎えて喜ばせたいのに、ちゃんとオレンジも貰って来たのに…。



 どうしようかと悩んでいる内にハーレイがやって来たんだった、と思い出した所で。
「ブルー、のぼせるわよ!」
 いつまでお風呂に入っているの、と扉を開けて覗いた母。何分経ったと思っているの、と。
「はーい!」
 直ぐに上がるよ、と慌ててバスタブから出た。危うく、のぼせそうだったお風呂。お湯の温度が丁度良かったから、ついつい浸かり続けてしまった。考え事をしながら、切ったオレンジが幾つも入った袋を「ツルツルになるよ」と両手で揉んだりしながら。
 身体はすっかりオレンジの香り、頭の天辺から足の爪先まで。
 タオルで身体をしっかり拭いても、パジャマを着ても消えない香り。
 オレンジが入った袋が浮かんだバスルームから離れて、二階へと続く階段を上り始めても。足を進めても、オレンジの香りが自分と一緒についてくる。
 消える代わりに、纏い付いて。まるで身体中の細胞に染み込んでしまったかのように。



 部屋に帰ってもオレンジの香り、身体からふわりと立ち昇る香り。
 オレンジの香水をつけたかのように、手からも、パジャマの下の肌からも。
(…この香り…)
 ベッドの端に座って考える。あの時のオレンジの香りと同じ、と。
 「身体が温まると聞いたから」と大嘘をついて、肌をスベスベにしようと手に入れたオレンジ。前の自分がお風呂に浮かべようとしていた、傷んだオレンジ。
 それを入れるための袋まで用意して貰って、後はオレンジを切って袋に入れるだけ。バスタブに熱いお湯を満たして浮かべるだけ。
 そう、この香りを纏いたかったのだった、ハーレイのために。スベスベの肌で待つために。
 けれど恥ずかしくて、入る決心がつかなくて。
 オレンジ風呂の用意も出来ずに、バスタブにお湯を張ることも出来ずに一人で迷い続ける内に。
 勤務を終えたハーレイが何も知らずに来てしまって…。



 青の間のテーブルの上に置かれたままだったオレンジ、五つくらいはあったと思う。他でもないソルジャーの御希望だから、と係の者が多めにくれた。オレンジ風呂用の袋もつけて。
 白い薄布で出来た袋は小さく畳まれていたから、ハーレイの目には入っていなかったようで。
「なんですか、このオレンジは?」
 お召し上がりになるのですか、ブルー?
 それにしては少し皮が乾いているようですが…。このオレンジは傷んでいませんか?
「そうなんだけれど…。君が言う通り、傷んでしまったオレンジなんだけどね」
 貰って来たんだ、お風呂に入れるといいと聞くから…。
「ああ、オレンジ風呂になさるのですか。女性たちに人気のようですね」
 それに身体が温まるとか。ゼルとヒルマンもたまに入っているそうですし…。
「うん。…だから、ハーレイに…」
 喜んで貰いたかったから、と言おうとして、それが言えなくて。「ハーレイに」までで止まった言葉で、ハーレイは見事に勘違いをした。
「私にですか?」
 下さるのですか、身体が温まるようにと、これを…?
 お気遣い下さるほどに冷えていますか、私の身体は、そこまで酷く…?
 一緒にお休みになる時に寒いのでしたら、遠慮なさらずにパジャマをお召し下されば…。
「そうじゃなくて…!」
 君の身体が冷たいだなんて言っていないよ、これはぼくが…。
 オレンジ風呂は、ぼくが入ろうとして…。



 肌が綺麗になると聞いているから、と打ち明けた。
 君のために肌を磨こうと思って貰って来たのだけれど、と。
「…オレンジを貰いに行った時には、身体が温まるらしいから、と言ったんだけれど…」
 本当のことは言わなかったし、係も疑いもしなかったし…。そこまでは良かったんだけど…。
 そこから後がね、どうしても駄目で…。
 磨き上げた身体で君を待ちたかったけど、決心がつかなくて入れなくて…。
 オレンジも切れずにそのままなんだよ、バスタブにお湯も張っていないし…。
 何度も入ろうと思ったけれども、恥ずかしくなって全く駄目で…。
 ぼくの決心がつくよりも先に、君が来てしまって、オレンジ風呂には…。
 入るどころか準備も出来ていない状態、と頬を真っ赤にして俯いた。ぼくは駄目だ、と。
「…そのためのオレンジ風呂でしたか…」
 私のためにと仰ったのは、そういう意味だったのですね。…嬉しいですよ、ブルー。
 あなたが肌を磨こうとなさってらっしゃったなんて…。今でも充分、滑らかな肌を毎晩のように楽しませて頂いているというのに。
「でも、ぼくは…。そうしたいと思ったというだけで…」
 結局、何も出来てはいないし、オレンジだってそのままで…。
 こうして此処に置いておいても、明日の夜にも入れそうにないよ、恥ずかしくて。
 君に打ち明けても、まだ恥ずかしくて入れないんだ、君を待つだけの勇気が無くて。
 肌は綺麗にしたいけれども、君が来る前にお風呂に入っておくなんて、とても…。



 出来ない、と耳まで赤く染まった、恥ずかしさで。
 ハーレイとは何度も身体を重ねているのに、毎晩、逞しい腕に抱かれて眠っているのに。
 けれど、それとオレンジ風呂に入って身体を磨いて待つのとは別で。
 やがて来るだろう恋人のために、先に一人でお風呂に入って肌を美しく磨くのは別で…。
 出来るわけがない、と俯いていたら。無駄になりそうなオレンジたちさえ見られずにいたら…。
「それなら、一緒に入りましょうか?」
 私の肌まで磨く必要は無いと思いますが、あなたがお入りになれないのなら…。
 先に入るのは恥ずかしいからと仰るのでしたら、ご一緒させて頂きますが。…オレンジ風呂。
「…君と?」
 君と一緒に入るのかい、と目を丸くしたら。
 君までオレンジ風呂だなんて、と驚いていたら。
「お風呂でしたら、たまに入っているでしょう?」
 オレンジ風呂ではなくて、普通のお風呂。
 あなたと一緒に入っていることも、特に珍しくはないですからね。此処のバスルームは大きめに出来ておりますし…。バスタブも充分、広いですから。
 あなたと二人で浸かっていたって、まだたっぷりと余裕があるのは御存知でしょう?
 オレンジ風呂でも同じことです、お湯の質が変わるというだけですよ。



 切って来ます、とオレンジを切りに奥のキッチンに行ったハーレイ。切ったオレンジを入れる、例の薄布の袋も一緒に持って。
 その前にバスタブにお湯を張りに行くのも忘れなかった。二人で入るならこの量で、と。お湯が縁から溢れすぎないよう、無駄遣いになってしまわないよう、普段より幾分、控えめの量で。
 間もなくキッチンから戻ったハーレイの手には、オレンジを詰めた袋があって。その袋を笑顔で掲げてみせて、バスルームへと姿を消した。袋をバスタブに浸けておくために。早めに浮かべて、オレンジの成分がたっぷりとお湯に溶け込むように。
 お湯は自動で張れるから。張り終わったら、知らせる音が届くから。
 それを捉えたハーレイがバスルームを確認しに出掛け、穏やかな笑みを湛えながら。
「ブルー、用意が出来ましたよ?」
 あなたの御希望のオレンジ風呂。
 湯加減も丁度いいようです。オレンジの香りがとても爽やかで、気持ち良さそうなお湯ですよ。
 ほら、お入りになるのでしょう?
 行きましょう、ブルー。
「う、うん…」
 君が一緒に入ってくれると言うのなら…。
 ぼくが一人で入るよりかは遥かにマシかな、別の意味で少し恥ずかしい気もするけれど…。



(あの時のお風呂…)
 それからどうなったんだっけ、と記憶を手繰り寄せて真っ赤になった頬。
 思わず両手で押さえてしまった、これ以上、赤くならないように。鏡を見たなら、きっと小さなトマトがいるのだろうけれど。自分の顔をした赤いトマトが、鏡の向こうに。
(…ハーレイ、ぼくを磨いてくれるって…!)
 ゴシゴシと磨き上げられたのだった、柔らかな肌触りの布袋で。オレンジが詰まった布の袋で。
 「此処も磨かないといけませんね」と、身体中を隈なく磨いたハーレイ。
 それは恥ずかしくて、でも気持ち良くて。
 ウットリと身体を委ねている内に、悪戯を始めたハーレイの手と指。
 「ツルツルですよ」と、「オレンジ風呂は本当に肌がスベスベになりますね」と。
 オレンジの袋で磨き上げながら悪戯するから、磨いた場所を確かめるように触れてゆくから。
「ハーレイ、それは磨いているんじゃなくて…!」
 やめて、と触れる手を剥がそうとしたら、「いいんですか?」と覗き込まれた顔。
 「本当にやめていいのですか」と、「まだ磨き足りない場所がこんなに」と滑ってゆく指。
 拒める筈など無かったから。もう気持ち良くて、もっと、もっと、と強請りそうだから。
「馬鹿っ…!」
 ハーレイの馬鹿!
 ぼくを磨くと言ったんだったら、ちゃんと仕事を…。だから、そうじゃなくて…!



 二人で入ったオレンジ風呂。ふざけ合ったバスタブ。
 お湯の中で二人、何度、唇を重ねたことか。お湯が縁から溢れて、零れて、それでもかまわずに腕を、足を絡めて、絡み合って。
 すっかりのぼせそうになるまで戯れ、バスタブの中で愛を交わして。
 茹だりそうになった前の自分をハーレイが逞しい両腕で抱き上げて運んで、ひんやりと肌を包むベッドに下ろされた後は、そのまま眠ってしまったのだったか。
 口移しで水を飲ませて貰って、コクリ、コクリと喉を潤したら、それっきりで。
 オレンジの香りに包まれたままで、ハーレイの腕に抱かれたままで…。



(…オレンジのお風呂…)
 思い出した、と思うけれども、もしもハーレイに話したならば。
 次に会えた時、「オレンジ風呂のこと、覚えている?」と訊いたなら。
(きっと知らんぷり…)
 「なんのことだ?」と問い返す声が聞こえて来そうだ、ハーレイは此処にいないのに。
 「俺は知らんな」と、「オレンジ風呂なら知っているがだ、そいつは今の俺でだな…」と。
 でなければピシャリと叱られて終わり、「チビのくせに」と。
 お前にはまだ早すぎるんだ、と指で額を弾かれて終わり。
(絶対、そう…)
 相手はハーレイなのだから。
 「キスは駄目だ」と叱るハーレイ、何度叱られたか分からない。
 チビの自分は、子供の自分は、恋人だというだけだから。キスも貰えないチビの恋人、いつでも子供扱いの自分。
 オレンジのお風呂は内緒にしておこう、そうして次はゆっくり浸かろう。
 母がまたオレンジ風呂にしたなら、前のハーレイと二人で浸かったバスタブを思い出して。
 オレンジ風呂で磨いて貰った記憶はぼんやりしているけれども、それでも充分に幸せだから。



 ついでに、結婚した後は…。
(お風呂、どっちが先でなくてもいいんだよ)
 小さな頭を悩ませていたことは、綺麗に解決してくれた。オレンジ風呂の記憶のお蔭で。
 肌を磨くのなら、スベスベにするなら、一緒にお風呂。二人でお風呂。
 そのお風呂が自分に似合わなくても、ハーレイは付き合ってくれるのだから。
 前のハーレイがそうだったように、「一緒に入るか?」と尋ねてくれて。
 言葉遣いは変わったけれども、誘いは同じ。「俺と入るか」と、「それでいいだろ」と。



(薔薇のお風呂でもいいのかな…?)
 母のお気に入りの薔薇の香りのバスエッセンス。
 薔薇が似合わないハーレイだけれど、あのエッセンスでも、一緒に入ってくれるだろう。
 父も気にしていないようだし、ハーレイも、きっと。
 薔薇の香りがするバスエッセンスでも、それが自分に似合わなくても…。
(スベスベの肌のぼくがいいよね?)
 しっとりとした肌の恋人の方がいいだろう。スベスベの肌の恋人を愛したいだろう。
 そう思うから、そうに違いないと思ってしまうから。
 ハーレイも恋人の肌を磨きたがるに決まっているから、結婚したなら、二人でお風呂。
 肌が綺麗になるように。スベスベの肌に、ハーレイが喜ぶ肌の持ち主になるように。
 思い出のオレンジ風呂から始めて、二人でお風呂。
 何度も何度もキスを交わして、磨かれて、ふざけて、愛を交わして…。




            オレンジ風呂・了

※オレンジ風呂で肌を磨くべきかどうかで、悩んだブルー。実は前の生でも悩んだのです。
 そして答えは出たのですけど、今のハーレイとオレンジ風呂に入れる日は、ずっと先。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









(今夜は豪華にステーキなんだ)
 よし、とハーレイが取り出したステーキ用の牛肉。夜のキッチンで。
 今日はブルーの家には寄れなかったけれど、学校の休み時間に少し話せた。校舎の廊下を歩いていたら、「ハーレイ先生!」と後ろから呼び止められて。
 学校では自分は「ハーレイ先生」、ブルーも必ず敬語で話す。ブルーの家で言葉を交わす時とはまるで違って。いつもながら見事な言葉の切り替え、その健気さがいじらしくなる。自分から声を掛けなかったら、敬語で話さずにいられるのに。挨拶だけで済ませばいいのに。
(それでも、あいつは話したいんだ)
 教師と生徒の会話でも。恋人同士の会話でなくても、日常の些細な話題であっても。
 「ハーレイ先生!」と笑顔で呼び止めるブルー、「話せるだけで嬉しい」と書いてある顔。もう本当に嬉しそうだから、幸せそうな顔をしているから。
 ブルーの家に寄れなかった日でも、心の中にブルーの笑顔。それが愛おしくて、ついつい笑みが零れるから。いい日だったと、ラッキーだったと自分の心も温かいから。
 たまにはこんな夕食もいい、と買って来た肉。分厚いステーキ用の牛肉。



 やはり熱々を食べたいから。ステーキは焼き上げて直ぐにナイフを入れたいから。
 スープなどから先に作った、メインのステーキが霞まないよう、それでいてバランスが崩れないよう。栄養バランスと、食卓の見栄えと。料理の腕の見せ所。披露する相手はいないけれども。
 準備が出来たら、いよいよステーキ。
 フライパンにオリーブオイルとガーリックのスライス、パチパチとはぜる音がして来たら、肉の出番で。今日の焼き加減はミディアムレアといった所か、もう少し焼くか。
(でもって、仕上げに…)
 ウイスキーを軽く注いでフランベ、上がる焔が気分を高める。肉の焼ける匂いと、青い焔と。
 火が消えた所で、温めておいた鉄板つきの木のプレートに移してやって。ガーリックを乗せて、フライパンの肉汁で手早くソース。
(わさび醤油でもいいんだがな?)
 おろしたてのワサビと醤油で食べるステーキも美味ではある。ステーキと醤油は相性がいいし、ソースの隠し味にもするから。
 前の自分が生きた時代には無かった醤油とワサビを味わう文化。今の時代ならではのお楽しみ。それも悪くはないのだけれども、今夜のソースは正統派で。
 白いシャングリラで暮らした頃と違って、材料は全て本物だけれど。ソースに加えた赤ワインもそうだし、フランベに使ったウイスキーだって合成などではないのだから。



 焼き上がったステーキ、シャングリラの時代とそう変わらない筈のレシピのソース。今夜はその味で食べてみたかった、ブルーと食べているつもりで。
 小さなブルーの家でも夕食にステーキは出て来るのだから、その光景を思い浮かべて。
 ダイニングのテーブル、まだジュウジュウと音を立てるステーキにナイフを入れて口に運んで。
(あいつの肉は小さいんだよなあ…)
 これの半分くらいだろうか、とブルー用のステーキ肉のサイズを考えた。いつ見ても小さすぎるステーキ、ブルーの皿に置かれたステーキ。ブルーの両親が食べるものよりずっと小さな子供用。あれで本当に食べた気がするのだろうかと思うくらいに可愛らしいサイズ、ミニサイズ。
 だから何かとからかってしまう、小さなブルーと食事の量の話になってしまった時は。
 「デカいステーキ肉は食えるか?」だとか、「デカいステーキ肉でもか?」とか。
 からかわれる度に「無理!」と叫んでいるブルー。
 とても食べられるわけなどがないと、自分の小ささを考えてくれと。胃袋もそうだし、十四歳の子供の小さな身体。それでは無理だと、大きな肉など食べ切れないと。
 「チビ」と呼んだら膨れるくせに、そんな時だけ子供だと主張するのが可笑しい、愛らしい。
 子供扱いは嫌いなくせに、一人前の恋人気取りでいるくせに。



 とはいえ、いつかは育つ筈のブルー。前のブルーと同じ背丈に、同じ姿に。
 もう子供だとは言えない姿になるだろうけれど、気高く美しいブルーを再び見られるけれど。
(育ったって、だ…)
 こんなデカいステーキを食うのは無理だな、と頬張る熱々の肉。鉄板のお蔭で少しも冷めない。火傷しそうな熱さがそのまま、口の中に広がる肉汁とソースの絶妙な味。
 半分ほどは食べたけれども、まだ半分もあるステーキ。小さなブルーならとうに悲鳴で、大きく育った後でもそろそろ「まだあるの?」と言いそうな量で。
(前のあいつだって…)
 ソルジャー・ブルーだった頃のブルーも、大きなステーキ肉を食べてはいなかった。これよりも小さな量のステーキ、それがソルジャー・ブルーの好み。
 「もっと大きく」と希望したなら、肉は大きく出来たのに。前の自分がそうだったように、他の者より大きめのサイズ。
 肉の量は個人の好みだから。自給自足の船の中でも、その程度の融通は利いたから。
 前のブルーがそれをしなかった理由は、ソルジャーだったからではないだろう。食べ物のことで色々と遠慮はしていたけれども、ステーキに関しては絶対に違う。
 なにしろ、ソルジャーの肉が一番小さいのでは駄目だろう、と思うような場面であっても、肉はいつでも小さかったから。「この量でないと食べ切れなくて」と。
 残すよりかはこの方がいいし、と小さかった前のブルーのステーキだけれど。



(待てよ…?)
 今も記憶に残るステーキ、前のブルーが好んだ小さなステーキ肉。
 けれども、それを前のブルーと二人で食べたことがあっただろうか。白いシャングリラで、あの懐かしい船で、ブルーと一緒に。
(ステーキは何度も…)
 食べていたが、と蘇る記憶、鮮明なのがソルジャー主催の食事会。前のブルーの名前で出された招待状を貰った者やら、様々な部門の責任者たちとの交流会やら。
 ソルジャー専用のミュウの紋章入りの食器が使われるのが売りで、エラが有難さを説いていた。他の場所では出ない食器だと、此処でしか使われないものなのだと。
(そういう時でも、あいつの肉は小さくて、だ…)
 自分も含めた他の者たち、そちらの肉の方が明らかに大きめ。招待客たちを思い遣るなら、肉のサイズは同じにしておくべきなのに。「遠慮しないで食べるように」と。
 それでも小さい肉にしていたソルジャー・ブルー。「ぼくはこの量しか無理だから」と。



 ソルジャー専用の立派な食器を割らないように、マナー違反もしないようにと、コチコチだった食事会に招かれた仲間たち。見ている方が気の毒になるほどに。
 ブルーも充分に承知していたから、よく目配せをされていた。「頼むよ」と。
 それが来たなら、わざとやっていた大失敗。ナイフをガシャンと取り落としたり、ステーキ肉が皿から飛んで行ったり。エイッとナイフで切ったはずみに皿の外へと、勢いよく。
 そんな具合で、前のブルーとは何度も食べたステーキだけれど…。
(…あれだけなのか?)
 食事会の席だけだったかもしれない、前のブルーと一緒にステーキを食べたのは。
 前のブルーは青の間で食事をするのが普通だったし、そうでなくても自給自足のシャングリラでステーキは貴重だったから。
 同じ肉なら、もっと大勢が揃って食べられる料理。シチューにするとか、他にも色々。
(シャングリラ中が揃ってステーキってことは…)
 無かったのだった、ミュウたちの箱舟だった白い鯨では。
 たまにステーキも食べたくなるから、そういったものも食べたいから。食堂でステーキの食事を提供する時は、仲間たちを希望や都合に合わせて何組かに分けて、順番に。今日はこの組、というグループのために焼かれたステーキ、せっかくなのだし、各自の好みの焼き加減を訊いて。



(それよりも前は、だ…)
 白い鯨が完成する前、食料も何もかも人類の船から奪っていた頃。前のブルーが輸送船から瞬間移動で奪い取っては、持って帰って来ていた頃。
 食料が詰まったコンテナの中に入っていた肉で、ステーキだったこともあったけれども。何度も食べてはいたのだけれども、その時のステーキ。
(二人きりでは食っていないぞ!)
 みんな揃って食堂で食べた、今日はステーキだと賑やかに。
 前の自分がまだ厨房にいた頃はもちろん、ブルーがソルジャーになった後にも。青の間は出来ていなかったから。前のブルーの偉大さを演出するための部屋は、何処にも存在しなかったから。
 ソルジャーもキャプテンも、長老と呼ばれ始めていたゼルたちも、揃って食べていたステーキ。他の仲間たちと一緒に、あの頃の船の食堂で。
 つまりは、ブルーと二人きりではなかったステーキの食事、白い鯨が出来上がる前も、それから後も。ただの一度も二人で食べてはいなかった。常に誰かが同じテーブル、ステーキの時は。



 どんなに記憶を手繰り寄せてみても、他には無かったステーキの記憶。
 前のブルーと二人きりでステーキを食べてはいない。三百年以上も同じ船で共に暮らしたのに。
(…気付かなかった…)
 まるで気付いていなかった、とステーキを眺めてついた溜息。
 小さなブルーと再会してから、何度ステーキを食べただろうか。家でも食べたし、ブルーの家で御馳走になったことも何度もあるけれど。ブルーとステーキを食べたけれども、そのテーブルにはブルーの両親、家族が揃う夕食の席。
 それはそうだろう、ブルーの部屋での昼食にステーキを焼いて出すより、家族団欒の夕食の方が似合いだから。誰に訊いても、同じ答えが返るだろうから。
 そうなってくると…。



(二人きりで食うのは結婚するまで無理なのか?)
 ブルーと二人きりでのステーキ。自分の皿には大きなステーキ、ブルーの皿には小さめのもの。それぞれ好みの焼き加減の肉を、切って食べるというだけなのに。
 たったそれだけのことが叶わないらしい、二人きりで食べるということが。
(結婚までにはデートもするし…)
 その時に二人で食べに行く手もあるけれど。自分の家にブルーを招いて、「今日はこれだぞ」と御馳走してもいいのだけれど。
 それが出来る日がやって来るまで、二人きりでステーキはどう考えても無理そうで。
(うーむ…)
 俄かに重みを増したステーキ、思った以上に貴重なもの。
 白いシャングリラにいた頃と違って、今はそれほど肉は貴重ではないけれど。食料品店へ行けば常にあるものなのだし、食べたいと思えば専門の店も幾つも幾つもあるのだけれど。
(前のあいつとも食ってないんだ…)
 二人きりで食べる機会は一度も無かったから。いつも誰かが一緒だったから。
 今のブルーも、小さい間は二人きりでは食べられないのだし、この先、何年待つことになるか。大きなステーキと小さなステーキ、それを二人きりで食べられる日が来るまでに。
(たかがステーキなんだがなあ…)
 先は長い、と心で零しながら食べた、今も熱さを保ったままのステーキを。木のプレートの上の鉄板、それが温めているステーキを。
 美味いんだが、と。
 しかしブルーと二人きりでは、当分、食べられそうにもないな、と。



 少し寂しかったステーキの夕食、次の日、仕事を終えた帰りにブルーの家に寄れたから。
 小さなブルーにも教えてやろうと、ステーキの話を持ち出した。
「なあ、ブルー。ステーキ、貴重だったんだな」
「えっ?」
 なんでステーキ、とキョトンとしている小さなブルー。赤い瞳を真ん丸にして。
「いや、珍しいって意味ではなくて、だ。…お前の家でも何度も食わせて貰っているし」
 昨夜も一人で焼いて食ってたが、その時にハタと気が付いたんだ。
 前の俺たち、ステーキを二人で食ってはいないぞ、お前と俺との二人きりでは。
「そうだっけ?」
 シャングリラのステーキ、確かに貴重品だったけど…。ステーキは珍しかったけど…。
 でも、ハーレイとは何度も食べたよ、ハーレイの肉はぼくのよりずっと大きかったよ。あんなに沢山食べられるんだ、って感心しながら見ていたもの。凄いよね、って。
「そのステーキだが…。いいか、よく状況を思い出してみろ」
 テーブルにはお前と俺の二人だけしかいなかった、ってことは一度も無い筈だがな?
 食堂で仲間がゾロゾロいたとか、ソルジャー主催の食事会とか。そんなのばかりだ、前のお前と一緒に食べたステーキ。
 二人きりでステーキを食った思い出、お前にも一つも無いだろうが。
「本当だ…!」
 ちっとも気付いていなかったけれど、ホントに一度も食べなかったね、二人きりでは…。
 ステーキ、とっても貴重なんだね、ハーレイと二人きりで食べたことが一度も無いなんて…。



 知らなかった、とブルーも驚いているステーキの貴重さ、一度も二人きりで食べていないもの。前の生では三百年以上も共に生きたのに、同じ船で暮らしていたというのに。
「…いつになったら食えるやらなあ、お前と二人で」
 三百年以上も食い損なったままで来ちまったんだし、今更、大した待ち時間でもないんだが…。せいぜい数年ってトコなんだろうが、気付いちまうと辛いな、うん。
「いつって…。土曜日でいいんじゃないの?」
「はあ?」
 土曜日っていつだ、土曜日にデートに出掛けて食おうというのか、俺と二人で?
 その土曜日が何年先になるのやら、って話を俺はしてるんだがな…?
「違うよ、土曜日は今度の土曜日!」
 今週の土曜日、それでいいんだと思うけど…。ママに頼むから、「お昼にステーキ」って。
 そしたら二人で食べられるじゃない、お昼御飯は此処のテーブルで食べるんだから。
「昼飯に二人でステーキって…。なんて言う気だ、お母さんに!」
 俺が食いたがっているとでも言う気か、確かにそれで間違いは無いが…。
 厚かましいにも程があるだろうが、ステーキを食いたいと俺がリクエストをするなんて!
「ちゃんと言っておくよ、シャングリラの頃の思い出だよ、って」
 ハーレイと話をしていて思い出したから、二人で食べてみたいんだけど、って。
 シャングリラのステーキは貴重品だったし、その頃の気分に浸りたいから二人で食べたい、って言えばママだって納得するよ。
 大丈夫だよ、と笑ったブルー。
 ママならきっと、と。「ぼくの我儘、聞いてくれるよ」と。



 そして土曜日、いつものようにブルーの家を訪ねたら。生垣に囲まれた家まで歩いて行ったら、満面の笑顔で待っていたブルー。二階の部屋で。
「あのね、ママがステーキ、焼いてくれるって!」
 ハーレイと二人で食べられるんだよ、今日のお昼御飯にステーキ!
「ステーキって…。お前、本気で言ったのか?」
 お母さんを騙して注文したのか、これはシャングリラの思い出だから、と嘘八百で?
「だって、食べたい…」
 ハーレイと二人で食べてみたいよ、まだ何年も待つだなんて我慢出来ないもの…。
 シャングリラの思い出には違いないんだし、貴重品だったのも本当だし…。
 ちょっと黙っておいただけだよ、前のハーレイと二人きりで食べたことがないっていうことを。それでステーキが食べられるんなら、もう充分だと思うけど…。
 ハーレイだって、食べたいって言っていたじゃない。…二人きりでステーキ。
「そりゃまあ、そうだが…」
 言い出したのは俺なわけだが、良心が痛まないでもないなあ…。
 とはいえ、お前のお母さんは支度をしてくれてるわけで、昼前になったらステーキの焼き加減を訊きに来てくれるんだろうし…。
 申し訳ない気持ちはするがだ、此処は有難く御馳走になるのがいいんだろうな。
 四の五の言わずに感謝の気持ちで、「頂きます」と。



 ブルーの母が運んで来てくれた昼食。鉄板つきのプレートに載せられたステーキが二枚。熱々のそれは、ハーレイの分の肉が大きくて、ブルーの分は…。
「相変わらずだな、お前のステーキ」
 いつも小さいと思って見てたが、こうして改めて目にしてみると…。
 お子様ランチとまでは言いはしないが、お前の年の男の子用とも思えんサイズだ、小さすぎだ。お前くらいの年のガキなら、それだけだと腹が減りそうだがな?
「ぼくはこれだけしか食べられないよ!」
 もっと大きい肉になったら、もう絶対に食べ切れないから!
 どんなに美味しく焼いてあっても、残してしまうに決まってるから!
「前のお前は、もう少し大きい肉を食えたが?」
 小さめがいい、と言ってはいたがだ、今のお前の肉よりはなあ…?
 そこまで小さな可愛らしい肉ではなかった筈だぞ、前のお前が食ってたステーキ。
「いつか食べられるようになるよ!」
 前のぼくと同じくらいの量なら、大きくなったら食べられるから!
 ちゃんと育ったら食べられるんだよ、前のぼくと同じ姿になるまで育ったら。
 今みたいにコッソリ二人きりじゃなくて、ハーレイと二人で堂々とステーキを食べられるようになる頃には、きっと…!



 ハーレイと本当に二人きりで食べる時なら、もっと大きいステーキ肉でも大丈夫、と無茶としか思えない主張をするから。「このくらいでも」と、ハーレイの皿の肉と変わらない大きさを両手で作ってみせるから。
「おいおい、そんなデカイのを食べ切れるのか?」
 前のお前でも食えなかったぞ、そこまでデカいステーキ肉は。
 まさか忘れちゃいないだろうなあ、前のお前の胃袋のサイズの限界ってヤツを?
「忘れていないよ、だけど大きいのも試してみたいよ」
 ハーレイと二人でステーキなんだよ、三百年以上も一緒にいたのに二人きりでは一度も食べてはいなくって…。
 やっと二人で食べられるんだよ、ちょっぴり欲張ってみたいよ、お肉のサイズ。
 それに、大きすぎて駄目だった時は、ハーレイが食べてくれるでしょ?
 ぼくが残してしまったステーキ、前に学校の大盛りランチを綺麗に食べてくれた時みたいに。
「…俺に残りを食えってか?」
 美味い肉ならいくらでも食えるが、俺が残りを片付けることが大前提なのか、デカイ肉は?
 前のお前はそんな無茶は一度も言わなかったが、デカイ肉に挑戦したいだなんて。
「あの頃は、みんなで食べてたからだよ」
 残りはハーレイに食べて貰うなんてこと、みんなの前では言えないじゃない…!
 そんなの一度も考えてないよ、思い付きさえしなかったよ!
 前のぼくたちが恋人同士なことは誰にも秘密で、ハーレイに甘えることなんか無理で…。
 我儘だって言えやしなかったよ、みんなが周りにいる時には…!



 二人きりなら我儘が言える、と嬉しそうな笑みを浮かべるブルー。
「今度はハーレイと二人きりだよ、周りに誰もいないんだよ?」
 ぼくが我儘を言っていたって、変に思う人はいないんだから。
 ママにだって我儘が通ったんだもの、ハーレイに我儘言ってもいいでしょ、今度のぼくは…?
「お母さんに我儘なあ…。確かに通っちまったな」
 そして何年先になるのか分からなかったステーキ、こうして二人で食ってるってか?
 結婚どころかデートにも一度も行かない内から、お前の部屋で。
「うん。ちゃんと二人きりで食べられたでしょ?」
 パパもママもいなくて、ハーレイと二人。
 思い出の味だよ、ってママに言ったら、また食べられると思うけど…。シャングリラだと貴重品だったんだよ、って言ってあるから、頼まなくても、また焼いてくれるかもしれないけれど…。
 でも、ハーレイとホントのホントに二人きりでステーキ、食べたいなあ…。
 こんな風にコッソリ二人きりじゃなくて、ちゃんと二人で美味しいお店に出掛けて行って。
「俺もそうだな、思いがけなく早く二人で食べられはしたが…」
 お前のお蔭で食べられたんだが、お前の我儘な注文が聞けるステーキってヤツを食いたいな。
 俺のと変わらないほどデカイ肉がいいとか、そういう我儘を聞きながら。
 ついでに、店に行くのもいいが…。
 俺が自分の家で焼くステーキ、自慢の腕も披露したいもんだな、今度の俺は一味違うぞ?
 前の俺も厨房にいた頃に焼いてはいたがだ、あの頃より腕は確かだってな。
 ステーキが身近になっている分、経験値ってヤツが上なんだ。もう段違いだ、ステーキを焼けば前より断然美味いって自信を持ってるぞ、俺は。



 焼き加減はもちろん、ソースも色々…、と挙げていった。
 シャングリラでは合成だった酒が本物になったことやら、前の自分たちが生きた頃には無かった食材が使えることやら。
「一番なのは多分、わさび醤油だな」
 あの時代には考えられなかった食べ方じゃないか、ステーキの。
 ワサビも醤油も無かったからなあ、マザー・システムに文化ごと消されちまってな。
「無かったね…。わさび醤油で食べてみたくても」
 試してみたい、って思ったとしても、お醤油もワサビも無かったんだし…。
 ワサビっていう植物は何処かにあったんだろうけど、海藻と同じで、食べられるものだと思っていなかったものね。
 今だとワサビが無いなんて考えられないけれど…。お刺身もお寿司も、ワサビだけれど…。
「そうだな、ワサビはあったのかもなあ、シャングリラには植えていなかったがな」
 アルテメシアの植物園に行けばあったかもしれんな、ワサビという名前で植えられていて。
 誰も食べ物だと思わなかっただけで、そりゃあいい匂いがしていたかもなあ、美味いワサビの。



 いつか二人でワサビ醤油でステーキを食べてみるのなら…、と提案してみた。
「ステーキ肉を買いに行く前にだ、ちょっとドライブと洒落込まないか?」
 新鮮なワサビを手に入れに出掛けようじゃないか、俺の車で。
「ワサビって…。何処へ?」
 ハーレイ、いいお店、知ってるの?
 其処へ行ったら、新鮮なワサビが買えるお店を?
「店じゃなくてだ、産地直送っていうヤツだな。ワサビ農園までドライブだ」
 ワサビ農園、写真くらいは見たことがないか?
 あれは綺麗な湧き水を使って育てるからなあ、普通の畑とはちょっと違うぞ。
 いいか、湧き水だ、地球の水だ。そいつが沢山湧いていないとワサビは育たないってな。地球の恵みだ、青い地球だからこそ美味いワサビが育つんだ。
 そういう所へ行ってみないか、俺と二人でワサビを買いに。
 前の俺たちが二人きりでは食い損なったステーキ、それを美味しく食べる前にな。



 二人きりでステーキを焼いて食べるなら、地球の水で育った新鮮なワサビ。
 湧き水が育てたワサビを二人で買いに出掛けて、それで作ったワサビ醤油をたっぷりとつけて。
「美味しそう…!」
 買って来たばかりのワサビだったら、きっと素敵な匂いがするね。
 ツンと鼻まで抜けるみたいなワサビの匂い。ワサビ農園もおんなじ匂いがするかな、綺麗な水で育ったワサビが沢山生えているんなら。
「ワサビ、好きか?」
 俺たちに好き嫌いってヤツは無いがだ、お前、ワサビは好きな方なのか?
 前の俺たちは全く知らない味だからなあ、ワサビの味は。
「好きだよ、小さい頃から平気」
 子供向けのお寿司はワサビを抜くでしょ、でもね、ぼくは平気だったんだって。
 幼稚園の頃に、パパとママのお寿司を間違えて食べちゃったことがあってね、二人とも、ぼくが泣き出すと思ったらしいんだけど…。
 ぼくはビックリしたみたいに目を真ん丸にしていただけで、そのまま全部食べちゃった、って。
 「ピリピリするね」ってニコニコしたから、パパもママもポカンと見ていたらしいよ。
「…ほほう、そいつは武勇伝ってヤツだな」
 お前にもあったか、武勇伝が。
 それは誇っていいと思うぞ、幼稚園の頃から大人用の寿司を平気で食えたんならな。
 俺も食ったと親父たちに聞いたが、まさかお前が食ってたとはなあ…。幼稚園に通ってたチビのくせにだ、大人用のワサビたっぷりの寿司。



 小さなブルーはワサビが好きだと言うから。買わねばなるまい、ワサビ農園まで車で出掛けて、採れたばかりの新鮮なものを。ドライブを兼ねて、二人で行って。
「ワサビを買って帰って来たなら、サメ皮のおろしの出番だな」
 おろすにはアレが一番だってな、ワサビにはな。
「サメ皮も地球の海のサメだね、海で獲れるサメ」
 青い地球だからサメもいるんだよね、サメ皮のおろしが作れるサメ。
「サメ皮のおろし、前の俺たちの頃には無かったぞ」
 地球の青い海も無かったわけだが、サメ皮のおろしを作る文化も使う文化も無かったからな。
 ワサビとセットの文化なんだぞ、サメ皮のおろし。
「そういえば…!」
 あるわけないよね、サメ皮のおろし…。
 ワサビを食べようって文化が無いのに、ワサビ用のおろしがあっても使えないものね…。



 前の自分たちが生きた頃には、ワサビも無かったし、醤油も無かった。
 ステーキ肉はあったけれども、二人きりでは食べられなかった。白いシャングリラでステーキは何度も食べたけれども、二人きりで食べたことは一度も無かった。本当にただの一度でさえも。
「ねえ、ハーレイ。二人きりで食べる最初のステーキ、わさび醤油?」
 わさび醤油なの、ハーレイと二人きりで初めて食べるステーキには?
「今、二人だが?」
 俺と二人きりで食ってるじゃないか、お前の我儘とやらのお蔭で。
「本当の意味での二人きりだよ!」
 ハーレイと二人でデートに出掛けて、ワサビ農園でワサビを買って帰って…。それでステーキを食べるんでしょ?
 わさび醤油で、ハーレイと二人きりの初めてのステーキ。
「そいつもいいが…。わさび醤油で食べるステーキも美味いんだが…」
 本当の意味での初めてとなったら、そこはやっぱり伝統の味にしたいじゃないか。
 前の俺たちが何度も一緒に食っていたのに、二人きりではなかったステーキ。
「じゃあ、シャングリラ風にしてみるの?」
 前のハーレイが焼いてた時のレシピでソースを作ってくれるの、ステーキ用の?
 シャングリラにあったステーキ用のソース、元はハーレイのレシピだものね。
「うむ。特に凝ったソースってわけでもなかったがな」
 おまけに材料の方も単純だったな、今みたいに色々と手に入る時代じゃなかったからな。
 あの船でも充分に美味く食えるよう、俺なりに工夫を凝らしてはいたが…。
 そのせいかどうか、俺が厨房から消えた後にも、ソースのレシピを変えようってヤツはゼロで、新しいレシピを作ったヤツさえいなかったってな。



 前の自分が厨房にいた頃、考案したステーキ用のソースのレシピ。
 ブルーと本当に二人きりで食べる初めてのステーキにはそれを使おう、遥かな昔の古いレシピで白いシャングリラのレシピだけれど。今の自分なら、使わないようなレシピだけれど。
 それでも懐かしい味を出したい、前のブルーと二人きりでは食べ損なったステーキだから。
 今度は二人で、二人きりでステーキを食べるのだから。
「…あのレシピだと、今の俺たちには物足りないかもしれないが…」
 材料が本物の地球のヤツだし、案外、変わってくるかもな。
 ステーキにしたって、地球で育った牛の肉を焼き上げるわけなんだし…。
「きっと美味しいよ、ハーレイが焼いてくれるステーキ」
 シャングリラで食べていた頃よりも、ずっと。
 材料もそうだし、ハーレイのステーキを焼く腕もグンと上がってるんでしょ、前よりも?
 それで美味しくならない方が変だよ、とても美味しく出来上がるよ、きっと。
「そうだな、おまけにお前と二人きりだしな」
 前の俺たちは二人きりでは食えなかったが、今度は二人で食えるんだ。
 二人きりで食う最初のステーキは俺の家で焼いて、俺の家でゆっくり食べるとするか。
 シャングリラのソースを作れる人間、俺の他にはいないんだからな。



 いつかは本当に二人きりで食べよう、ステーキを焼いて。
 最初のステーキはシャングリラで食べていた頃のソースを使って、その後は色々工夫して。車でワサビ農園に出掛けて買ったワサビでわさび醤油や、他にも様々なステーキの食べ方。
 今度は二人きりで食べられるから。
 前の自分たちが食べ損なった分まで、何度も、何度も、二人きりで。
 小さな肉しか食べられないくせに、大きな肉でも大丈夫だと我儘を言うらしいブルーに、大きな肉を焼いて熱々のを鉄板に載せてやって。
「えっと…。大きなお肉を食べ切れなかったら、ハーレイ、食べてよ?」
 ぼくがステーキを残しちゃったら、大盛りランチの時みたいに。
「もちろんだ。俺がすっかり残さず平らげてやるさ」
 それでだ、そいつを食い終わったら…。
 その後はお前を食うとするかな、と片目を瞑った。
 極上のステーキよりも柔らかくて美味いお前をな、と。
 ブルーは「ハーレイっ…!」と真っ赤になったけれども、たまにはこういう冗談もいい。
 今はまだキスも出来ない小さなブルーを、ステーキよりも美味しく食べてもいい日。
 その日はずっと先だけれども、小さなブルーはその日を夢見ているのだから。
 いつか、その日もきっと訪れる。
 二人きりでステーキを食べられる日も、ブルーを美味しく食べられる日も…。




           二人で食べたい・了

※前の生では、二人きりで食べたことが一度も無かったステーキ。船で何度も食べたのに。
 初めて二人で食べられましたが、いつかは本当に二人きりで、ワサビ醤油などで美味しく…。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。




今年も夏休みがやって来ました。例によって柔道部三人組は合宿、ジョミー君とサム君は璃慕恩院への修行体験ツアーに旅立ち、スウェナちゃんと私がお留守番です。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」、それにフィシスさんとのんびり、まったり。
「かみお~ん♪ 今日のプールも楽しかったね!」
「やっぱり穴場は違うわねえ…」
空いてて良かった! とスウェナちゃん。この時期、何処のプールもイモ洗いですが、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は穴場探しが得意技。遠い所でも瞬間移動でヒョイとお出掛け。今日はアルテメシアから少し離れた町の町営プールへと。
「町営プールでもけっこういいだろ、設備とかがさ」
会長さんが言うだけあって、広くて綺麗なプールでした。もっと流行っていてもいいのに、と思ったら。
「あそこはねえ…。今はシーズンオフなんだな」
「「シーズンオフ?」」
なんで、と驚くスウェナちゃんと私。プールからは瞬間移動で帰りましたし、今は会長さんの家のリビングです。フィシスさんはエステに行くとかで先に帰ってしまいました。
それはともかく、シーズンオフとはこれ如何に。プールは今が書き入れ時では?
「あそこのプール。何処よりも早いプール開きと、遅くまでの営業が売りだからねえ…」
「少しでも長く水と遊ぼう、ってコンセプトだって!」
そして水泳の上手い子になるの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。町の外れを流れている川の水が綺麗で、夏本番には地元の子供はそっちへお出掛け。其処でウッカリ溺れないよう、町営プールでしっかり鍛えろと営業期間が長めだそうで。
「つまりね、川の水が冷たくて駄目な時期にはプールなんだな」
ゆえに只今シーズンオフ、と会長さん。お客さんは健康のために泳ぎに来る人が中心、「夏休みだからプールに行こう」と思う輩は少ないとかで。
「その代わり、他所のプールが営業終了してからは混むよ? ドカンとイモ洗いで!」
「「うーん…」」
なんとも不思議なプール事情もあったものです。まあ、お蔭で楽しく泳げましたが…。ちょっぴりお腹も空いて来ました、そういえばおやつの時間かな?



町営プールにはお弁当持参で出掛けて行って、プールサイドの出店でタコ焼きなんかも食べはしたものの。帰ってからおやつを食べていないな、とグーッとお腹が。
「あっ、いけない! おやつ、おやつ~!」
ちょっと待ってね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が駆けて行って。
「はい、今日は木苺のミルフィーユなの!」
「「美味しそう!」」
合宿中の男の子たちには悪いですけど、これもまたお留守番組の特権。「そるじゃぁ・ぶるぅ」はフィシスさんへのお届け用に、とミルフィーユを二切れ、箱に詰めて。
「よいしょ、っと…!」
パッと姿を消した箱。瞬間移動でフィシスさんのお宅へ配達です。さてこの後はティータイム。アイスティーが出て来て、会長さんたちと食べ始めたのですが。
「えっとね、昨日、ブルーに会ったんだっけ…」
「「ブルー?」」
ブルーといえば会長さん。でも「そるじゃぁ・ぶるぅ」がわざわざ報告するわけがなくて、何より元から同居人。では、ブルーとは…?
「ブルーだよ!」
いつものブルー、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「そうだよね、ブルー?」
「うん。あれはどう見てもブルーだったねえ…」
声を掛けてはいないんだけどね、と会長さん。
「なんだか真剣に買い物中でさ、ああいう時に声を掛けたら祟られそうでさ」
「「祟る?」」
いつものブルー、それはすなわち会長さんのそっくりさん。いわゆるソルジャーのことですけれども、何処で買い物をしていたのやら。祟られそうだなんて、漢方薬店…?
「違うよ、ぼくもぶるぅも漢方薬店には用が無いしね」
「うん、サフランを買う時だけだよ」
「「サフラン?」」
「サフラン・ライスとかに使うサフラン! 漢方薬店だとお得なの!」
あれってとっても高いから、と言われてみればお高いサフラン。ところが漢方薬店へ行けばお薬扱い、同じ値段で多めに買えるとはビックリかも~!



話のついでに、と見せて貰ったサフラン入りの漢方薬店の瓶。お値段は教えて貰えませんでしたが、二百五十ミリリットル入りのペットボトルがガラス瓶になったらこんなものか、と思うほどの大きさ。それにサフランがドッサリで…。
「凄いでしょ? お薬だからお得に買えるの!」
だからコレだけは漢方薬店、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。けれど昨日はサフランを買いに出掛けたわけではないそうで…。じゃあ、怪しげな下着売り場とか?
「昨日は百貨店には行っていないよ、ぼくもぶるぅも」
「スーパーで買い出しだけだもんね!」
「「スーパー!?」」
どうしてソルジャーがスーパーなんぞに、と驚きましたが、其処は会長さんたちにしても同じらしくて。
「スーパーでブルーを見かけたのなんかは初めてかな…」
「ぶるぅのおやつを買いに行くとは聞いてるけどね…」
だけど今まで会ってないよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。一緒に行ったとか、そういう機会はあるそうですけど、偶然バッタリは皆無だとか。
「おまけに表情が真剣過ぎてさ…」
「とっても真面目に選んでたものね…」
「「何を?」」
スウェナちゃんと私の声がハモッて、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も。
「「納豆!」」
「「納豆!?」」
何故にソルジャーが納豆を、と引っくり返ってしまった声。ソルジャー、納豆、好きでしたっけ?
「いや、そんな話は聞いてないけど…」
「ぼくも知らないよ?」
好きなんだったら出しているもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ソルジャーは厚かましさが売りと言っても過言ではなく、食べたいものには貪欲です。もしも納豆が好物だったら、とっくの昔に納豆尽くしの昼食か夕食になっていた筈で。
「…なんで納豆なのかしら?」
スウェナちゃんが首を捻って、会長さんも。
「さあ…?」
健康にいいとでも聞いたんだろうか、という推測ですけれど。健康にいいと聞いたからって、あのソルジャーがスーパーに出掛けて納豆を…?



納豆の謎を解きたかったらソルジャーに訊くしかありません。とはいえ、それは自殺行為で、ほぼ百パーセント死を招きそうなコマンドだけに、会長さんも放置の方向で。納豆のお買い物は何だったのか、と悩む間に男の子たちが合宿などから御帰還で。
「「「納豆!?」」」
キース君たちの反応も私たちと全く同じでした。慰労会の焼き肉パーティーの席で出て来たソルジャーの話題に、みんなビックリ仰天です。
「あいつ、納豆好きだったのか…?」
知らなかったぞ、とキース君が言えば、シロエ君が。
「どっちかと言えば嫌いそうなタイプだと思うんですけど…」
「だよねえ、甘いものが大好きだしね?」
ついでに好き嫌いも多かった筈、とジョミー君。
「こっちの世界のは何でも美味しい、って食べまくってるけど、自分の世界じゃお菓子と栄養剤さえあったら生きて行けるって言ってたような…」
「そいつで間違いねえ筈だぜ」
だから何かとこっちに来るんだ、とサム君も。
「ぶるぅの菓子と料理があるだろ、それに外食はエロドクターがせっせと面倒見てるしよ…。待てよ、そういう所で納豆の味に目覚めたとか?」
「その可能性はぼくも考えたんだけど…」
それだとスーパーと噛み合わない、と会長さん。
「ノルディが贔屓にするような店で納豆の味に目覚めたんなら、スーパーなんかじゃ買わないよ。それ専門の店に行くとか、ノルディの紹介で気に入った店のを分けて貰うとか」
「「「あー…」」」
それはあるな、と納得です。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がソルジャーを目撃したという店、高級スーパーではあるのですけど、所詮はスーパー。ちょっとお高い納豆があっても、特別な納豆なんかではなくて。
「ある程度まとめて仕入れられるヤツしか置いていないよ、スーパーではね」
なにしろモノが納豆だから…、と言う会長さんはあれから納豆の棚を確認しに出掛けたそうです。どんな品揃えか、凄い何かがあるのかと。
「ごくごく普通に納豆だったよ、チーズとかならレアものも入荷するんだけどねえ…」
どうして納豆だったんだろう、と尋ねられても分かりません。ソルジャーがスーパーで納豆だなんて、何処で納豆の魅力に目覚めたんだか…。



サッパリ解けない納豆の謎。まるで謎だ、と焼き肉パーティーが終了した後も話題は納豆。リビングに移動し、冷たいミントティーをお供に納豆談義で。
「やはりだ、健康志向が有力説だと俺は思うが」
それしか無かろう、とキース君。でも…。
「その情報を何処で仕入れたのさ?」
ジョミー君が即座に切り返しました。情報をゲットしないことにはソルジャーは納豆に走りません。私たちの世界は何かと言えば健康にいいと色々なものが流行りますけど、情報源に触れない限りは何が流行りかも分からないわけで。
「…納豆、今はブームでしたか?」
ぼくは知らないんですけれど、とシロエ君が訊くと、会長さんが。
「それは無いと思う。ブームだったら棚にあれだけ揃っていないよ」
仕入れた端から売り切れる筈、と言われてみれば、それがお約束。これがいい、と噂になった食品、スーパーの棚が空になるのが普通です。納豆が豊富に揃っていたなら、ブームではないという証明で…。
「じゃあ、何処から納豆が出たのかしら?」
「「「うーん…?」」」
スウェナちゃんの疑問はもっともなもの。納豆のブームが来ていないのなら、ソルジャーと納豆の出会い自体が無いわけで…。謎だ、と考え込んでいた所へ。
「こんにちはーっ!」
「「「!!?」」」
飛び込んで来た噂の張本人。トレードマークの紫のマントの代わりに私服で、手にはしっかりスーパーの袋。これはもしかして、もしかすると…。
「あっ、これは差し入れじゃないからね?」
ぼくのだからね、とソルジャーは袋をしっかり抱え込んで。
「今日も色々仕入れて来たんだ、夫婦円満の秘訣なんだよ!」
「「「はあ?」」」
納豆の何処が、とウッカリ揃って反応してしまった私たち。ソルジャーは「あっ、知りたい?」と嬉しそうに袋を開いて中身を披露し始めました。あれも納豆、これも納豆。次から次へと納豆ばかりが出て来ますけれど、それのどの辺が夫婦円満の秘訣だと…?



リビングのテーブルにズラリ並んだ納豆いろいろ。夫婦円満の秘訣と言われても謎は一層深まるばかりで、どうしろと、と思った時。
「…キャプテン、納豆、お好きでしたか?」
シロエ君の口から出て来た言葉に目から鱗がポロリンと。そっか、キャプテンの好物だったら夫婦円満に役立つでしょう。ソルジャーと違って空間移動が出来ないキャプテン、納豆を買いに来られません。ソルジャーの世界に納豆なんかは無いでしょうから、好物を贈って夫婦円満。
「うん、嫌いじゃないみたいだねえ?」
最初は腰が引けていたけど、とソルジャーは笑顔。
「腐っているんじゃないですか、とか、臭いだとか…。だけど今ではバクバクと!」
もう喜んで食べているよ、という話。なんだ、やっぱりキャプテンの好物が納豆でしたか。そりゃあソルジャーもせっせと仕入れに来るであろう、と思ったのですが。
「ハーレイの好物って言うよりは…。夜の生活にお役立ちかな」
「「「えっ?」」」
夜の生活って…大人の時間のことですか? なんでそんなモノに納豆が…?
「ノルディの家で調べてたんだよ、ハーレイが絶倫になりそうなモノ! そうしたら!」
「「「…そうしたら…?」」」
「納豆です、って書いてあったわけ! ドロドロのネバネバが絶倫に効くと!」
山芋も効果的らしいんだけど…、と語るソルジャー。
「でもねえ、山芋はすりおろしたり手間がかかるしね? その点、納豆だったら合格! 買って帰ってパックを開ければ、即、食べられるし!」
かき混ぜる手間はハーレイ任せで、と流石の面倒くさがりっぷり。
「納豆に入れると美味しいらしいネギだって精がつくと言うから、刻んだヤツを買って冷凍してある。それと生卵を入れれば完璧!」
納豆を食べて絶倫なのだ、とソルジャーは威張り返りました。納豆ライフを始めたキャプテン、普段にも増してパワフルだそうで。
「もうね、疲れ知らずと言うのかな? 漲ってるねえ、毎日毎晩!」
だから納豆は欠かせないのだ、とソルジャーは自分が並べた納豆のパックをウットリと。
「これさえ食べればハーレイは絶倫、ビンビンのガンガンの日々なんだよ!」
もちろん基本の漢方薬も欠かせないけれど…、と列挙しまくるスッポン、オットセイ、その他もろもろ。それに加えて納豆パワーも導入するとは、ソルジャー、何処まで貪欲なんだか…。



「えっ、欲張ってもかまわないだろ?」
夫婦生活の基本は夜の生活、夫婦円満の秘訣もソレだ、とソルジャーの主張。
「そのためだったら納豆の買い出しくらいはね! それでさ、ちょっと訊きたいんだけど…」
「何を?」
会長さんの冷たい口調と視線は「早く帰れ」と言わんばかりで、それを向けられたのが私たちだったら真っ青ですけど、相手は図太いソルジャーだけに。
「納豆と言えばコレだ、っていうのを聞いたんだけれど…。藁苞納豆」
「…それが何か?」
「どんなのかなあ、って…。藁苞納豆」
「買えば分かるだろ!」
買いに行くなら本場は此処で…、と会長さんは地名を挙げました。納豆と言えば其処であろう、と誰もがピンと来る場所を。
「其処に行ったら色々あるから! それこそ駅の売店でも売っているかって勢いで!」
「それは分かっているんだけど…。そうじゃなくって…」
「お取り寄せなんかしなくていいだろ、瞬間移動で直ぐだから!」
お出掛けはあちら、と指差す会長さん。
「あの方向へね、ヒョイと移動すれば店もあるから! 君の力ならピンポイントで店の前でも飛べるだろ? 初めての場所でも!」
「もちろん簡単に飛べるけれどさ、ぼくが訊いてるのは其処じゃなくって…」
「じゃあ、何さ?」
「藁苞納豆の仕組みなんだよ!」
其処が気になる、とソルジャーの質問は斜め上でした。もしやキャプテンのために納豆の手作りを目指していますか、それも本格派の藁苞で…?



キャプテンに絶倫のパワーを与える食べ物を探して納豆を見付けたらしいソルジャー。本当に効くのかどうかはともかく、今の所は夫婦円満の日々のようです。スーパーで納豆を買い漁る内に藁苞納豆も知ったらしくて、仕組みを知りたいみたいですけど…。
「…作るのかい?」
君が藁苞納豆を、と会長さんが問い返すと。
「どうだろう? 仕組みによるけど、あれはどういうものなんだい?」
「簡単に言うなら、藁苞の藁に納豆菌が住んでいるから…。それを利用してってことになるかな、藁苞の中で熟成だね」
「やっぱり熟成?」
「そうだけど? 納豆はそういう食べ物だから」
藁苞の中で熟成させれば立派な納豆の出来上がり、と会長さん。ソルジャーは「ふうん…」と頷きながら。
「あの藁苞を手作りするのって難しいのかな?」
「藁苞かい? 流石のぼくも其処までは…。待てよ、ぶるぅは知ってたかな?」
どうだっけ、と訊かれた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は。
「前に行ったよ、納豆教室! 子供向けのイベントでやってたから!」
其処で作った、とエッヘンと。
「ちゃんと藁苞から作ったんだよ、だから作り方は知っているけど…。作りたいの?」
「それって、ぼくでも作れそうかい?」
どうなんだろう、と心配そうなソルジャーはといえば、不器用を絵に描いたような人物で。私たちは端から「無理であろう」と即断したのに、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の答えはさにあらず。
「出来ると思うよ、ぼくが行ったの、子供向けの教室だったしね!」
小さな子供も作っていたよ、と「大丈夫」との太鼓判。
「作るんだったら教えてあげるよ、藁苞納豆」
「いいのかい? それじゃ是非ともお願いしたいな」
「任せといてよ! えっとね…」
何か書くもの…、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は説明を書こうとしたのですが。
「それは勘弁! ぼくはとにかく不器用だからさ、サイオンで技術を教えて欲しいと…」
「そっか、そっちが安心かもね!」
じゃあ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の手がソルジャーの手をキュッと握って情報伝達。これでソルジャーも藁苞納豆の達人になれる筈ですけれども、キャプテンのために其処までするとは、ああ見えて愛情が深かったりして…。



藁苞納豆の作り方を教わったソルジャーはいそいそと帰ってゆきました。おやつも食べずに、納豆を詰めたスーパーの袋を抱えて。それに…。
「本気らしいね、藁苞納豆…」
まさか作るとは、と会長さんが感心しています。夫婦円満の秘訣とかいうアヤシイ目的に向かってとはいえ、キャプテンのために納豆手作り、それも本格派の藁苞納豆。藁は何処で手に入るのか、と訊かれた会長さんはマザー農場から取り寄せて渡していましたし…。
「あいつが納豆を手作りするのか…」
しかも藁苞から作るだなんて、とキース君も意外そうな顔。
「まさかと思うが、あいつのシャングリラの厨房に丸投げじゃないだろうな?」
「「「………」」」
それがあったか、と今頃になって気が付きました。ソルジャー自ら作らなくても、料理のプロなら厨房に大勢いるのです。作り方さえ教えてしまえば大量生産だって可能で。
「ひょっとして、それが目的だったとか…?」
大量生産、とジョミー君。
「買い出しに来るのが面倒になって、自分の世界で作ってしまえ、って…」
「それなら藁苞納豆になってくるからな…」
多少面倒でも納豆菌はもれなくいるし、とキース君がフウと溜息を。
「俺はそっちの方に賭けるぞ、愛情の手作り納豆よりもな」
「…そうなんだろうか?」
感心したぼくが馬鹿だったかな、と会長さんも。
「確かにキースの意見の方が当たっているって気がするよ。こっちの世界へ買いに来るより大量生産、それも本格派の藁苞で、って…」
「そうだろう? 藁の調達までしやがったんだし、俺はそっちの方と見た」
「「「うーん…」」」
愛の手作り納豆転じて、面倒だからと丸投げ納豆。如何にもソルジャーがやりそうなことで、そうなってくると買い出しに来ていた日々の方がまだ愛情が深そうで。
「でもねえ、スーパーで納豆を物色しているブルーを見かけた時には、まさかそういう目的だなんて思わなかったよ」
「ねえねえ、ブルー、ゼツリンってなあに?」
「あっちのブルーが喜ぶことだよ!」
「良かったあ! ぼくって役に立てたんだあ!」
藁苞納豆でゼツリンだよね、と無邪気に飛び跳ねる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。お子様はいいな、と思いますけど、とりあえず納豆は一件落着かな…?



翌日からは夏休みのお約束。私たちは遊び回って、キース君はお盆に備えて卒塔婆書き。三日間ほどアルテメシアでワイワイ過ごして、それからマツカ君の山の別荘へ旅立つことに。
「卒塔婆の方は目途が立ったな…」
後は帰ってからこんなもので、とキース君が残りの卒塔婆を数える山の別荘への出発前夜。会長さんの家でのスパイシーなエスニック料理の夕食目当てにキース君は夕方からの合流です。卒塔婆書きばかりだと消耗するとか言ってますけど…。
「此処に来ないで書いていればさ、もう何本かはいけただろう?」
なんでサボるかな、と会長さん。
「副住職たるもの、遊ぶ前には全力投球すべきじゃないかと…。どうせ明日から山の別荘だし、卒塔婆は追い掛けて来ないんだしさ」
「いい加減、気が滅入って来たんだ! 朝から晩まで卒塔婆だからな!」
此処で無理をすれば当然ミスも…、というのも一理あります。卒塔婆は墨での一発書き。失敗したなら削るしかなく、消しゴムや修正液でパパッと済ませるわけにはいきませんし…。
「俺は余計な手間をかけるより、ノーミスで走りたい主義だ!」
だから今夜はもう書かない、とキース君。
「出がけに親父が「もう逃げるのか?」と言ってやがったが、その親父も昨日はゴルフだしな!」
学生の俺が遊んで何処が悪い、と開き直り。まあ、卒塔婆を書くのはどうせキース君で、遊んだ分の尻拭いは自分でするしかないわけですから、どうぞご自由に、という気分。
「くっそお、早くサムとジョミーがモノになればな…」
そうすれば手伝って貰えるんだが、とキース君は捕らぬ狸の皮算用。
「嫌だよ、ぼくは棚経だけで沢山だってば!」
「俺は文句は言わねえけどよ…。まだ住職の資格もねえのに、本格的な卒塔婆はなあ…」
プロにはプロの技ってモンが、とサム君が「まだまだ無理だぜ」と言った所へ。
「プロの技ーっ!」
「「「は?」」」
何がプロだ、と振り返ってみれば紫のマントがフワリと揺れて。
「どうかな、プロが作った藁苞!」
こんな感じで! と出ました、ソルジャー。右手に納豆が入っているらしき藁苞を持って、ブンブンと振っていますけど。見せびらかしに来たかな、それともキャプテンに食べさせる前の試食ですかね、納豆っていう存在自体がこっちの世界のものですしね…?



夕食はもう終えていましたから、食後の飲み物にラッシーなんかを楽しんでいた私たち。ソルジャーは抜け目なくマンゴーラッシーを注文した後、藁苞をズイと差し出して。
「本格派だろう? この藁苞!」
「うん。でも…」
納豆は? と会長さん。藁苞は見事に完成していますけれど、どうやら中身が無いようです。肝心の納豆が詰まっていない藁苞なんかをどうしろと?
「ああ、これはね…。ぼくのお目当ては藁苞だったものだから!」
「「「えっ?」」」
藁苞で納豆を作るんじゃなくて、市販の納豆を詰めて気分だけとか、そういう話? 器も料理の一部だなんてよく言いますから、あながち間違いではないでしょうけど…。
「ううん、詰めるのは納豆じゃなくて!」
「豆だろ、さっさと帰って大豆を茹でる!」
サボッてないで、と会長さんが追い立てました。
「其処のキースも褒められたものじゃないけどねえ…。君も大概だよ、藁苞が出来たと自慢しに来るなら中身もちゃんと詰めて来ないと!」
「だから、これから詰めるんだってば! こっちの世界で!」
「…君は豆さえ買ってなかったと言うのかい?」
その上、ウチの台所で茹でる気なのかい、と会長さんが顔を顰めると。
「違うよ、君の家じゃなくって、こっちの世界のハーレイの家!」
「「「ええっ!?」」」
納豆用の大豆を茹でるのに、何故に教頭先生の家になるのか。確かに料理はしてらっしゃいますが、「そるじゃぁ・ぶるぅ」みたいに大きな鍋とか各種取り揃えておられるわけではなかったように思います。そんな台所に何のメリットがあると…?
「台所の仕様云々以前に、ハーレイに用があるんだよ!」
そして藁苞の出番が来る、と力説されても何のことやら。会長さんも意味が掴めないようで。
「…ハーレイは藁苞納豆なんかは作っていないと思うけどねえ?」
「でも、こっちのハーレイの協力が要るんだ、この藁苞には!」
「なんで?」
「だって、ジャストなサイズだから!」
そうなるように作ったんだから、と藁苞を手にして胸を張っているソルジャーですが。ジャストなサイズって、いったい何が…?



「藁苞だよ!」
この藁苞、とソルジャーは手作りの藁苞をズズイと前へ。
「これにピッタリの筈なんだ! こっちのハーレイ!」
「…ハーレイが大豆を茹でてるのかい?」
それを失敬して詰めるつもりかい、と会長さんが尋ねれてみれば。
「失敬するって言うより、お願いだねえ…」
「分けて下さいって? 君にしては殊勝な心掛けだね、珍しく」
でもハーレイはなんで大豆を茹でてるんだろう、と会長さん。すると「そるじゃぁ・ぶるぅ」が横から。
「お酒のおつまみに煮豆とか? お豆腐だったら大豆を潰してから茹でるしね!」
「なるほど…。それなら急いで行ってこないと味付けされちゃって台無しになるよ?」
さっさと行く! とソルジャーに発破をかけた会長さんですが。
「…あんまり急いで出掛けて行っても、ハーレイの気分が乗らないんじゃないかと…」
「やっぱり手伝わせるつもりじゃないか!」
納豆作りを、と呆れ顔の会長さんに、ソルジャーは。
「うん、ハーレイの協力が要るって言っただろう? だから行くんだ、って!」
「其処でサボらずに自分で作る! 愛の手作り納豆だったら!」
「ぼくが目指すのはその先なんだよ!」
「「「は?」」」
愛の手作り納豆の先とは、何なのでしょう? 試食だったら完成品を持って来ないと全く話になりません。藁苞だけを手にして出て来て、愛の手作り納豆の先…?
「だから、絶倫!」
「そのための手作り納豆だろう!」
話が前後しすぎているし、と会長さんはソルジャーに向かって右手を振ってシッシッと。
「早く出掛けて頼まないとね、本当に豆が無くなっちゃうから! 味付けされて!」
「その心配だけは無いんだよ! 味付けも何も、初心者以前の問題だから!」
「とにかく、豆が無くなる前にね、頼んで分けて貰ってくる!」
「詰めて貰わなきゃ駄目なんだってば、本当にジャストサイズだから!」
その筈だから、とソルジャーは藁苞をチョンとつついて。
「ぼくのハーレイので型取りしたしね、もうピッタリなサイズの筈!」
「「「…型取り…?」」」
藁苞作りに型取りなんかが要るのでしょうか? それに「ぼくのハーレイ」って、キャプテンで藁苞の型を取ったと…? 胃袋サイズのことでしょうかね、食べ切れる量の…?



キャプテンで型を取って来たから教頭先生にピッタリの筈、という藁苞。ジャストサイズの藁苞とやらはキャプテンの胃袋に丁度いい量の納豆が入るという意味でしょうか?
「そうじゃなくって! 絶倫パワーを熟成なんだよ!」
「「「…熟成?」」」
ますます分からん、と頭の中には『?』マーク。絶倫パワーは納豆を食べて得られるものだと聞いています。熟成するなら中身は納豆、藁苞の中に詰めて熟成。けれどソルジャーは「違う!」と一声、藁苞をグッと握り締めて。
「此処にハーレイを詰めて熟成! 藁苞にはきっとそういうパワーが!」
「「「へ?」」」
教頭先生を詰めるですって? それにしては小さすぎですよ? もっと巨大な藁苞でなくちゃ、と誰もが思ったのですが。
「肝心の部分を藁苞に詰めればオッケーなんだよ! ハーレイのアソコ!」
アソコで分からなければ息子で大事な部分、と聞いた瞬間、ゲッと仰け反る私たち。そ、それは教頭先生の思い切り大事な部分のことですか? まさか、まさかね…。
「そういう部分のことだってば! 其処に藁苞を!」
そして熟成させるのだ、とソルジャーは極上の笑みを浮かべて。
「ぼくのハーレイで型取りしたから完璧なんだよ、サイズの方は! これにアソコを入れて貰ってじっくり熟成、絶倫パワーを育てようと!」
「そういうのは君の世界でやりたまえ!」
こっちのハーレイなんかじゃなくて、と会長さんが怒鳴りましたが。
「ダメダメ、ぼくのハーレイ、忙しいしね? こんなのを着けてキャプテンの制服は着ていられないし、休暇中でないと熟成できない。海の別荘行きに備えて実験なんだよ!」
どんな感じに熟成するのか、そのタイミングを見定めないと…、とソルジャーは「そるじゃぁ・ぶるぅ」直伝の藁苞納豆の知識を滔々と披露。腐ってしまったのでは意味が無いとか、腐りかけが一番美味しいのだとか、喋りまくって一息ついて。
「ぼくとしてはね、腐りかけの一番美味しい所を狙いたいんだよ!」
絶倫パワーも其処がMAXに違いない、というのがソルジャーの読みで。
「どのくらいの期間で熟成するのか、いつが一番食べ頃なのか! それをこっちのハーレイで!」
「迷惑だから!」
「でもねえ、ホントのホントに知りたいわけだよ、藁苞納豆の秘めたパワーを!」
この藁苞に詰まったパワーを、とソルジャーは本気。教頭先生のアソコに藁苞だなんて、しかも熟成させようだなんて、それは無茶とか言いませんか…?



どう考えてもカッ飛び過ぎている藁苞納豆の使い道、いえ、藁苞の使い方とやら。けれどソルジャーは全く譲らず、挙句の果てに。
「熟成パワーはぼくが面倒見るからさ! とにかく一緒に!」
「「「えっ?」」」
「君たちも一緒に来て欲しいんだよ、ぼくの納豆へのこだわりっぷりをアピールするには人数も不可欠!」
大勢で行けば説得力が…、という台詞と共にパアアッと溢れた青いサイオン。ソルジャー得意の大人数での瞬間移動に有無を言わさず巻き込まれてしまい、フワリと身体が浮いたかと思うと教頭先生の家のリビングに落っこちていて。
「な、なんだ!?」
ソファから半分ずり落ちかけた教頭先生に向かって、ソルジャーが。
「こんばんは。実は君に折り入ってお願いが…」
「何でしょう?」
「藁苞納豆は知っているかな、こういうのに詰める納豆だけど」
ソルジャーの手には例の藁苞、教頭先生はそれを見るなり「知っております」と頷きました。
「納豆も美味いものですが…。それが何か?」
「君のサイズで作ったんだよ、是非協力して欲しくってね!」
「…私のサイズと仰いますと…?」
「君の男のシンボルだよ!」
其処にピッタリの筈なのだ、とソルジャーは藁苞を教頭先生に突き付けると。
「はめてくれれば、きっと絶倫パワーが満ちてくるだろうと思うんだ! 藁苞で熟成!」
「…じゅ、熟成…?」
「そう! 腐りかけが一番美味しいと言うから、そのタイミングを見極めたくって…。ぼくのハーレイは忙しいから、海の別荘でしか熟成している暇が無いんだよ」
その時に一番美味しい状態で味わいたいから実験台として是非協力を、とソルジャーの舌が自分の唇をペロリと。
「もちろんタダとは言わないからさ! 一番美味しい時が分かったら、君にはぼくから素敵な御礼をドカンとね!」
恥ずかしい写真の詰め合わせセットでどうだろうか、と訊かれた教頭先生、唾をゴクリと。ソルジャーは更に。
「君さえ良ければ、御奉仕くらいはさせて貰うよ、絶倫パワーを持て余すならね」
「…ご、御奉仕…」
教頭先生の鼻から赤い筋がツツーッと。いつもの鼻血なコースでしたが、ぶっ倒れる代わりにグッと持ち堪えて「やりましょう!」と力強い声が。教頭先生、藁苞に詰まって熟成コース…?



「まさかあそこで承知するとは…」
頭痛がする、と会長さんが額を押さえるマツカ君の山の別荘。教頭先生は藁苞をアソコに装着なさって熟成コースを爆走中です。私たちは山の別荘に来ちゃいましたが、ソルジャーの方は来ていませんから、熟成具合の確認のために教頭先生の家に足を運んでいるようで…。
「納豆はともかく、藁苞なんかにパワーがあるとは思えないのに…」
馬鹿じゃなかろうか、と会長さんが呻けば、キース君が。
「それで、あいつはどうなったんだ? あれから通っていやがるんだろう?」
「うん、ウキウキとね…」
朝、昼、晩の三回コースでご訪問、と会長さん。
「いい感じに熟成しつつあるようなんだよ、困ったことに…」
「どういう意味です?」
シロエ君の問いに、会長さんは。
「ブルーが来た時の反応ってヤツ! ブルーの感想をそのまま述べれば、もうグッと来るという感じかな? しゃぶりつきたい気分になるとか…。おっと、失言」
今の台詞は忘れてくれ、と言われなくても今一つ意味が分かっていません。ともあれ、ソルジャーお望みの熟成とやらは順調に進んでいるわけですね?
「そうなんだよねえ、このまま行ったら最高に美味な腐りかけとやら…。ん…?」
ちょっと待てよ、と会長さんの手が顎へと。
「ブルーはハーレイの熟成どころか、藁苞納豆自体が初心者…。でもってタイミングを実験中で調査中だということは…。もしかしなくても、熟成しすぎになるってことも…」
「それは無いとは言えないな」
むしろ有り得る、とキース君が相槌を。
「熟成しすぎたらどうなるんだ? 俺にはサッパリ分からないんだが」
「ぼくにもサッパリ分からないけど、やり過ぎちゃったら面白いことになる…かもしれない」
そっちの方向に期待するか、と会長さんの口から恐ろしい台詞が。
「ハーレイが話を受けた時には腹が立ったけど、熟成しすぎになったなら! ぼくも一気に気分爽快、笑って踊って万歳かも!」
「「「…ば、万歳って…」」」
いったい何が起こるというのだ、と震え上がった私たち。熟成も美味しさも意味不明なだけに、その面白い結末とやらも理解不能だろうと思ったのですが…。



「素晴らしいねえ、納豆と藁苞のパワーはね!」
今夜が食べ頃、とソルジャーが舌なめずりをするプライベート・ビーチ。あれから日が過ぎ、お盆も終わってマツカ君の海の別荘です。ソルジャー夫妻と「ぶるぅ」も一緒で、キャプテンはアソコに藁苞を装着なさっているそうで。
「ブルー、私も楽しみですよ。装着している間は禁欲ですが、これを補ってなお余りある…」
「そう! 今夜は藁苞を外してガンガン!」
最高の夜になるに違いない、とキスを交わしているバカップル。その一方で…。
「そろそろか、マツカ?」
「あっ、そうですね! ウッカリしてました、流石です、キース」
時間ですね、とビーチで立ち上がる男の子たち。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が今年もバーベキューをしていて、獲れたてのサザエやアワビなんかも焼かれていますが、海で獲物を探す面子は今回、一名、欠けてしまっていて。
「教頭先生、こんな感じで如何でしょう?」
シロエ君が尋ねると「うむ」と返事が。
「…ほどほどの熱さといった所か…。世話になるな」
「いえ、ぼくたちにはこれくらいしか…。早く治るといいですよね」
砂蒸しがけっこう効くそうですから、とシロエ君。教頭先生は首から下が砂に埋まった状態で。
「かみお~ん♪ お日様で焼けた砂の入れ替え、またするんだよね?」
「そうなるねえ…。此処で全快すればいいけど?」
恥ずかしい病気、と会長さんが情けなさそうにボソリと。
「腐りかけを過ぎたら、何とは言わないけど皮膚病だなんて…。白癬菌には砂蒸しなんだよ」
それで水虫が全快したって人もいるから、と教頭先生の方をチラチラと。
「あんな所に白癬菌ねえ…。藁苞にそういう菌はいないと思うんだけどね?」
きっと元からキャリアだったに違いないんだ、と酷い決め付け。けれども実際、教頭先生、痒くてたまらないのだそうで…。
「かぶれたんじゃないの?」
ジョミー君が声をひそめて、マツカ君が。
「ええ、多分…。ですが…」
「会長がそうだと言い切る以上は白癬菌になるんですよね…」
お気の毒です、とシロエ君。バカップルの納豆生活のために身体を張った教頭先生、別荘ライフは砂蒸し三昧で終わりそう。これに懲りたらソルジャーの口車には乗らないことだと思うんですけど、藁苞パワー、恐るべし。まさか本当に絶倫だなんて、やっぱり禁欲効果なのかな…?




             納豆を買いに・了

※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 納豆を食べれば絶倫なのだ、と思い込んだソルジャーの欲望は藁苞の方へまっしぐら。
 毎度のように実験台にされた教頭先生、気の毒な結末に。砂蒸しで治るといいですけど…。
 シャングリラ学園シリーズ、4月2日で連載開始から11周年を迎えます。
 12周年に向けて頑張りますので、これからも、どうぞ御贔屓に。
 次回は 「第3月曜」 4月15日の更新となります、よろしくです~! 

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、3月は、お馴染みの春のお彼岸。今年も法要をするわけで…。
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv









(シャングリラ…)
 こんなにあるんだ、とブルーが覗き込んだ新聞。
 学校から帰っておやつを食べながら、ダイニングで。母が焼いてくれたケーキはすっかり食べてしまったから、残るは紅茶だけだから。新聞を見ていても行儀が悪いわけではないし、と。
 其処に載っていたシャングリラ。前の自分が暮らした船。
 白いシャングリラが、懐かしい鯨が幾つも幾つも並んでいた。カラー写真が、紙面にズラリと。
 けれど本物のシャングリラではなくて、インテリア用のシャングリラ。家を彩るためのもの。
 額装された写真や様々な素材で出来たレリーフ、ポスターもジグゾーパズルもあって。
 精巧な模型も色々とあるし、凝ったものだと手織りのタペストリーまで。



 驚いてしまったシャングリラの数、値段の方にも驚かされた。本物そっくりに作ってある模型も高いけれども、タペストリー。織り上げるまでに手間がかかるから、ポスターや写真とは桁違いに高価。こんなものを誰が買うのだろうか、と思うくらいに。かつて暮らした自分でさえも。
(…シャングリラは飾りじゃないんだけどな…)
 あの白い船はミュウの箱舟、人類から逃れて生きてゆくために造った船。
 優美な姿の白い鯨は好きだったけれど、誇りに思っていたけれど。人類軍の戦艦などよりずっと綺麗だと、美しい船だと、いつも眺めていたけれど。
 飾りではなかったシャングリラ。自給自足で全てを賄い、船の中だけで一つの世界。仲間たちの命を乗せていた船、飾りどころか実用品。無ければ生きてはゆけなかった船。
 それが飾りになっているのが今の世界で、平和の証拠。
 高い模型やタペストリーまでが作られるほどに。そういったものを欲しがる人がいるほどに。



(高いのは別に…)
 シャングリラを織り上げたタペストリーは欲しくないけれど。精巧な模型も要らないけれど。
 前にハーレイと約束をした。いつか二人で暮らす家には、シャングリラの写真を飾ろうと。
 白いシャングリラの写真集はお揃いで持っているけれど、それとは別に。
(雲海の写真…)
 写真集の何処にも載っていない写真、きっと誰一人、撮らなかった写真。
 雲海に浮かぶシャングリラ。それを捉えた写真は一枚も無かった、きっと美しかっただろうに。
 白い雲の海の上に浮かんだ白い鯨は、太陽の光を受けて輝いていたのだろうに。
 雲海の星、アルテメシアに長く潜んでいたけれど。雲の上には出なかった船。いつも雲海の中に隠れていた船、浮上することは死を意味していたから。
 シャングリラの存在を人類に知られ、沈むまで追撃されるだろうから。
 ジョミーを救いに浮上するまで、シャングリラは雲から出なかった。ただの一度も。



 そんな過去を持った船だったから。雲の海といえば隠れ住むもので、それが常識だったから。
 アルテメシアを後にしてからも、人類軍との戦いに勝ってアルテメシアに戻った後にも、雲海は突き抜けてゆくだけのもの。宙港に出入りするために。その惑星の空を飛ぶ時に。
 そのせいかどうか、トォニィがソルジャーだった時代も、何枚もの写真が撮られた時代も、誰も思い付きはしなかった。雲海の上を飛ぶシャングリラを撮影するということを。雲の海の上をゆく白い鯨を、眩く輝く白いシャングリラを写真に収めておくことを。
 宇宙の何処にも残されていない、雲海に浮かぶシャングリラの写真。
 白いシャングリラが時の彼方に消えた今では、もう撮ることすら叶わない写真。
 その幻の写真を作ろうと決めた、いつかハーレイと二人で雲海の写真を撮りに出掛けて。雲海が出来やすい季節に朝早く起きて、暗い内から待ち構えて。
 これだと思う写真が撮れたら、シャングリラの写真と合成して作る。雲海に浮かぶ白い鯨を。
 誰一人として思い付かなかった、白いシャングリラの美しい姿を。



 夢の雲海のシャングリラ。昇る朝日に輝く船。
 そういう写真を飾ろうと決めていたのだけれども、世間にはもっと色々なものがあるらしい。
 模型はともかく、タペストリー。それも高価な手織りだなんて。
(写真集があるくらいだものね…)
 ハーレイとお揃いで持っている写真集。自分のお小遣いでは買えない値段の豪華版だったから、父に強請って買って貰った。それの他にも写真集は様々、手頃な値段のものも沢山。
 ミュウの歴史の始まりの船は、今の時代も一番人気の宇宙船。
 遊園地に行けば遊具もある。幼い子供向けのものから、スリリングな大人向けのものまで。
 自分が幼かった頃には、青い海を走るバナナボートのシャングリラだって見たのだし…。
(…写真を飾るくらいは普通?)
 額装された立派な写真や、貼るだけの安価なポスターやら。
 手織りのタペストリーまであるくらいなのだし、シャングリラに憧れる人なら欲しいのだろう。この新聞に載っているような、インテリアに出来るシャングリラが。
 本物のシャングリラは飾りなどではなかったけれども、飾りになったシャングリラが。



(こんなにあるなら…)
 売り物になっている白いシャングリラが、こんなに沢山あるのなら。
 いつかハーレイと暮らす家にも一つくらいは欲しい気がする、雲海に浮かぶ白いシャングリラの写真の他にも。高価なものではなくていいから、人気のものを。新聞に載るような人気商品を。
 何種類もある大きなポスターでもいいし、大きなジグゾーパズルでも。
 きっと素敵なことだろう。リビングだとか、ダイニングの壁に飾る大きなシャングリラ。
(…でも…)
 それもいいな、と想像してみてハタと気が付いた。
 ハーレイと二人で住んでいるのなら、同じ家で暮らしているのなら。
 その家にはハーレイの教え子たちがやって来る。顧問をしているクラブの部員たちが。
 彼らは家中、端から探検すると言うから。家探しのように、どの部屋も覗いてゆくと聞くから。
 シャングリラの大きなポスターが飾ってあったら、変だと思われるだろうか?
 もしかしたら、この家の住人は生まれ変わりかもしれないと。
 ハーレイと自分の姿が姿なだけに、懐かしい船の写真を飾っているのだと。
(…雲海の写真なら趣味で済むけど…)
 趣味で合成してみたのだと、綺麗だろうと、ハーレイが鼻高々で披露出来そうだけれど、大きなポスターはマズイだろうか?
 自分たちは実は生まれ変わりだと、このシャングリラで生きていたのだと言わんばかりの飾りになってしまうのだろうか、部屋の壁にデカデカと貼ってあったら。
 そうは思うけれど、そんな気持ちもするのだけれど。
 これだけの数のシャングリラを見たら、幾つも並べて載せてあったら…。



 やっぱり、どれか欲しくなる。一つくらい、と思ってしまう。
 白いシャングリラのポスターもいいし、ジグゾーパズルも。懐かしい白いシャングリラ。それが欲しいと、大きな写真を飾ってみたいと。
 見れば見るほど欲しくなるから、欲が出て来てしまうから。新聞を閉じて、空になったカップやお皿をキッチンの母に返して、部屋に戻って来たけれど。勉強机の前に座ったけれど。
(…ぼくたちの船…)
 前の自分が守り続けた白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
 ハーレイと出会った場所はアルタミラだったけれども、燃える地獄で出会ったけれど。それから二人、懸命に逃げて、あの船で暮らして恋をした。
 きっと出会った時からの恋で、それと知らずに一目惚れで。
 恋と気付かず、長い長い時を一番の友達同士で過ごして、白い鯨が出来上がってから結ばれた。キスを交わして、愛を交わして。



 だからシャングリラは思い出の船。忘れられない、大切な船。
 飾り物の船ではなかったけれども、インテリアではなかったけれど。
 仲間たちの命を守っていた船、ミュウという種族を乗せた箱舟。
 それは充分に、誰よりも分かっているのだけれども、ハーレイと恋をしていた船。甘い思い出も乗せていた船、誰にも言えない恋だったけれど。
 そんな船だから、前の自分たちが恋を育み、共に暮らした船だったから。
 雲海に浮かぶ写真の他にも、白いシャングリラを飾ってかまわないのなら…。
(飾りたいよ…)
 大きなシャングリラのポスターを。でなければ大きなジグゾーパズル。
 それが実現するかどうかは、ハーレイ次第なのだけど。
 生まれ変わりかと疑われそうだ、と止められてしまったら駄目だけれども。



 でも欲しい、と思う気持ちは消えてくれない。二人で暮らす家に飾ってみたい、と。
 それを頭から追い払えないままで考えていたら、チャイムが鳴って。
 仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、部屋のテーブルで向かい合うなり切り出した。
「あのね…。ハーレイ、シャングリラのタペストリーって知っている?」
 手織りなんだって、タペストリー。凄く高いけど、シャングリラが綺麗に織ってあったよ。
 新聞にいろんな写真が載ってたんだよ、インテリアになってるシャングリラの特集。模型とか、額に入った写真だとか…。レリーフになってるヤツも色々。
「ああ、あるらしいな、手織りのタペストリー」
 とんでもない値段の飾り物だな、酔狂なヤツもいるもんだ。
 同じシャングリラなら、写真の方が実物そっくりだと思うんだがなあ、織物にするより。
「そうだよねえ? ぼくもポスターの方がいいんだけれど…」
 ぼくたちの家に飾ってもいい?
 いつかハーレイと結婚したなら、シャングリラ、飾りたいんだけれど…。
 ハーレイと作ろうって約束している雲海の写真も飾るけれども、大きなポスター。
「はあ?」
 ポスターって、お前…。
 なんだってポスターなんかを飾ろうって言うんだ、雲海の写真じゃ駄目なのか?
 前にお前が言っていたとおり、雲海に浮かぶシャングリラの写真は綺麗だぞ、きっと。
 最高の雲海を撮りに行く所から始めるんだろうが、俺たちの家に飾る写真は。



 それじゃ駄目か、と問われたけれど。雲海の写真もいいのだけれど。
「思い出の船だから何か欲しいよ、ぼくたちで作る写真の他にも」
 あんなに色々売られてるんだし、シャングリラの何かが欲しいんだよ。
 前のぼくたちが暮らしてたんだ、って思い出せるように大きなポスターとか、ジグゾーパズル。
 大きなジグゾーパズルもあったし、そういうのでもいいんだけれど…。
「…シャングリラ・リングじゃ足りんのか?」
 当たるかどうかは申し込まないと分からないがだ、もしも当たったら、シャングリラから作った指輪が手に入るんだぞ?
 それこそシャングリラそのものなんだが、それじゃお前は足りないのか?
「シャングリラ・リングは欲しいけど…。確かにシャングリラそのものだけど…」
 だけど形が残っていないよ、見た目は結婚指輪なんだよ?
 ぼくはシャングリラの姿を見たいよ、白い鯨の。
 ハーレイと暮らした船を見たいんだよ、この船でハーレイと生きていたんだ、って。
「ふうむ…」
 あの船の形が残っていないか、結婚指輪になっちまったら。
 シャングリラの名残の金属で出来た結婚指輪ってだけで、形が違うと言うんだな、お前。



 俺はシャングリラの外見にはさほどこだわらないが…、と続いた言葉。
 お前と違って外側からはあまり見ていない、と。
「いつもモニター越しだったんだ。俺が見ていたシャングリラは」
 アルテメシアに着いてから後は、ずっと雲海の中だったし…。
 前のお前が元気だった頃には、数えるほどしか見ていない。キャプテンの俺が外に出ることは、本当に滅多に無かったからな。
 白い鯨に改造していた最中だったら、視察に出ることも多かったんだが…。
 作業の進捗状況はどうか、何処まで出来上がって来ているのか。俺がこの目で確かめないとな、キャプテンだしな?
 だが、改造が済んじまったら、俺の仕事場は船の中なんだ。新しい船を上手く纏めて、効率よく動かしてやらんといかん。外に出ている暇があったら中で仕事をしろってな。
 ステルス・デバイスのオーバーホールとか、そんな時しか見てはいないな、外からはな。
「あ…!」
 ホントだ、ハーレイ、見ていないんだ…。
 前のぼくは何度も外へ出ていたけれども、ハーレイは外には出なかったっけ…。



 雲海の星に長く潜んでいた間には、ハーレイが肉眼でシャングリラの姿を見ることは無かった。船の外へ出る機会があっても、雲海の中では白い鯨の姿そのものは見られない。
 前の自分がやっていたように、雲の中を透視しない限りは。白い雲の粒を消さない限りは。
 白い鯨が雲海から出て、赤いナスカの衛星軌道上にあった時。
 前のハーレイはシャングリラとナスカを何度も往復していたのだから、乗ったシャトルから白い鯨を目にしていたのだろうけれど。
 その頃にはもう、前の自分は深い眠りに就いていた。十五年間もの長い眠りに。
 ようやく眠りから覚めた時には、あの惨劇が待っていたから。
 ナスカはメギドの炎に焼かれて、前の自分はメギドへと飛んでしまったから…。
 それから後のシャングリラにはもう、前の自分の姿は無かった。
 地球へと向かって旅立った船に、ハーレイは一人きりだった。多くの仲間を乗せた船でも、前の自分たちの約束の地へと向かう船でも。
 幾つもの星を陥落させては、シャングリラは其処に降りたけれども。
 ハーレイも船から降りてシャングリラを仰いだけれども、その船に前の自分はいなくて。
 白い鯨をいくら眺めても、何の感慨も無かっただろう。ハーレイの魂はとうの昔に、前の自分を喪った時に、死んでしまっていただろうから。
 ただの船にしか見えなかったろう、白い鯨の形をした。巨大な白い船だとしか…。



「…じゃあ、ハーレイが知ってるシャングリラは…」
 白い鯨の形をしていた時のシャングリラは、殆どの時は…。
「前のお前が眠っちまっていたか、いなかったかだ」
 元気だった頃のお前とはあんまり結び付かんな、そのせいでな。
 お前が元気だった頃にも見た筈なんだが、寂しかった時代と悲しかった時代。そっちの方が多いわけだな、前のお前が目覚めないままか、いなくなっちまった後ってことでな…。
「…それじゃ、あの船、好きじゃない?」
 ハーレイはあんまり好きじゃないのかな、白い鯨だったシャングリラ…。
「いや、好きだが…」
 キャプテンなんだぞ、嫌いなわけがないだろう。俺が動かしてた船なんだから。
 前のお前が逝っちまった後は、少し複雑だったがな…。
 あれを地球まで運ばんことには、俺の役目は終わってくれない。前のお前の所へ行けない。
 そう考えたら、俺を縛っている厄介な船で、おまけにお前も乗ってはいない。
 好きな船だが好きじゃなかった、誰にもそうは言わなかったが。
 …それでも好きではあったんだろうな、前のお前と一緒に暮らした船だったからな…。



 お前ほどにはこだわらない、と苦笑いされた白いシャングリラの姿そのもの。白かった鯨。
 思い出は船の中なんだ、と。前のお前との思い出も船の中だろうが、と。
「だったら、写真は…。シャングリラの大きなポスターは…」
 やっぱり駄目?
 ハーレイがそれほどこだわらないなら、ぼくが欲しいからって貼ったら駄目かな?
 そんなの貼ったら、生まれ変わりだと思われそうだし…。
 キャプテン・ハーレイとソルジャー・ブルーだから、飾ってるんだと思われそうだし…。
「誰にだ?」
 俺たちが生まれ変わりだと誰が思うんだ、そのデカいポスターとやらのせいで?
「…ハーレイの学校の生徒たちだよ」
 顧問をしているクラブの生徒は、家に呼ぶんだって言ってるじゃない。
 今の学校でも、柔道部の子たちが何度も遊びに行ってるんだし…。
「あいつらか…」
 家中を走り回って騒ぐヤツらだな、部屋の扉を端から開けては中を覗いて。
 シャングリラのポスターが貼ってあったら、もちろん発見されるんだろうが…。
 しかしだ、相手はあいつらだしな…。



 甘く見るなよ、とハーレイは一旦、言葉を切って。
「そんな代物を飾ってなくても、あいつらは勝手に話を作っていそうだが?」
 たとえポスターが無かったとしても、格好の餌食というヤツだ。
「え?」
 餌食って…。なんなの、なんで餌食になるの?
 話を作るって、どういう話を勝手に作られてしまうわけ…?
「よく考えてみろよ、お前と俺だぞ?」
 しかも結婚して一緒に暮らしてるんだぞ、結婚指輪まで嵌めて同じ家でな。
 あいつらは寝室だろうが容赦しないで覗くわけだし、そりゃもう派手に騒ぐだろうなあ…。
 本当に結婚しているらしいと、生まれ変わったから今度は結婚したらしいとな。
「今度は、って…。ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイも恋人同士だったって?」
 そういう話にされてしまうの、ぼくとハーレイが結婚したら?
 見た目がそっくり同じだからって、生まれ変わりだと決め付けられちゃって…?
「うむ。その上、適当に尾びれもくっついちまって」
 実は記録に残っていないだけで、ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイも本当は結婚していただとか。新婚旅行に行っていたとか、結婚記念日はこの日だとか。
「新婚旅行に結婚記念日って…。そんなの、出来っこなかったのに…!」
 結婚記念日の方はともかく、新婚旅行はどう考えても無理そうなのに…。
 そうなってしまうの、ハーレイの学校の生徒が話を作っちゃったら…?
「ガキなんていうのは、そんなもんだ」
 根も葉もない噂で盛り上がるのが好きで、話を大きく膨らませるのも大好きで。
 ヤツらにかかれば、俺たちの過去は楽しく捏造されるんだろうな、それはとんでもない方向へ。



 シャングリラのデカいポスターが飾ってあろうが無かろうが、と笑うハーレイ。
 この姿だけでとっくに話の種だと、前も結婚していたことにされちまう、と。
「どうするの、それ…」
 大変じゃないの、キャプテン・ハーレイとソルジャー・ブルーが恋人同士だっただなんて。
 おまけに結婚していただなんて、そんな話になっちゃったら…!
「どうもしないさ、他にも噂は色々流れていそうだからな」
 義務教育中のガキどもなんかは可愛いもんだぞ、今のお前と中身は大して変わらないしな。
 結婚の意味もそれほど分かっちゃいないさ、一緒に暮らしているって程度で。
 だがな、俺の友達やら、お前が結婚する頃のお前の友達。
 そういったヤツらはもっと手強い相手になるなあ、結婚ってことになったらな。
 同じ家で仲良く暮らしてるんです、というだけでは済まないと百も承知なんだし…。
 手を繋いで二人で出掛ける程度じゃないってことも充分知っているしな?
「…結婚の中身…。そっか、その頃なら、ぼくの友達でも分かるかも…」
 ぼくの友達には分からなくっても、ハーレイの友達だったら分かるよね…。
 結婚したら何をするのか、一緒に暮らして何をしてるのか。
 それで生まれ変わりだって思われちゃったら、バレちゃうの、前のぼくたちのことも?
 前のぼくたちが最後まで言わずに隠していたこと、今頃になってバレてしまうの…?
「まさか。本物だと名乗らない限りはな」
 俺たちが本当に生まれ変わりだと言わない限りは、似ているってだけの赤の他人だ。
 面白おかしく噂が立っても、前の俺たちへの評価は揺るがん。
 まるで関係無いカップルが一組いるだけなんだし、むしろ気の毒がられるかもなあ…。
 紛らわしいのが結婚したお蔭で、前の俺たちが墓の中で迷惑していると。
 変な噂を立てられちまって、ソルジャー・ブルーもキャプテン・ハーレイも、いい迷惑だと。



 友人たちが無責任な噂を立てていようが、変わらないという前の自分たちへの視線。
 世間の評価は何も変わらず、ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイに瓜二つのカップルがいるというだけ。
 自分たちが公にしない限りは、本当に本物の生まれ変わりだと言わない限りは。
「で、どうするんだ。…名乗るのか?」
 いつか言うのか、本当はソルジャー・ブルーなんだと。
 お前がそうだと明かすんだったら、もちろん俺も付き合うが…。キャプテン・ハーレイだったと名乗る覚悟は出来てるんだが。
 そのせいでどんな噂が立とうが、どんな目で見られることになろうが、俺はお前を全力で守る。今度は守ると決めたからには、相手が何であろうがな。
「まだ決めてない…」
 考えていないよ、まだ少しも。…だって、ぼくはまだ子供だから。
 ハーレイにチビって言われるくらいに小さいんだから、きっと考えも子供なんだよ。子供の頭で考えてみても、正しいかどうかは分からないから…。
 どうしようかな、って考えはしても、そこまでだけ。…こうするんだ、って決めてはいないよ。
 ハーレイが本当のことを話すんだったら、付き合おうとは思うけれども。
「ゆっくりでいいさ、大事なことだ」
 チビのお前には重すぎるしなあ、前のお前の人生ってヤツは。
 いくら記憶を持っていたって、前のお前と同じようには決断出来んし、する必要も無いってな。
 今度は俺がお前を守ってやるんだ、難しい判断を一人でしなくていいんだ、今のお前は。
 俺に相談すればいいのさ、どんなことでも。…お前が本当は誰だったのかを話すかどうかも。
 学者どもに囲まれて、もみくちゃにされたくないって言うなら、黙っているのも一つの手だ。
 俺たちには何の責任も無いんだからなあ、前の俺たちのことに関してはな。



 責任があるのは今の自分の人生だけだ、と微笑むハーレイ。
 今の時代を生きてゆくだけなら、前の自分たちは何の関係も無いと。
「思い出だけを持ってりゃいいんだ、大切にな。前の俺たちが生きた思い出」
 そいつを大事に持ったままでだ、今の幸せをその上に積んでいけばいい。幾つも、幾つも、俺と二人で。
 前の幸せの上に今の幸せ、実にお得な話じゃないか。二人分の幸せを積めるんだからな。普通は一つの人生の上に一人分しか乗せられないだろ?
 今の自分が生きてる分だけ、それしか無いのが普通なんだ。ところが俺たちは前の分まで持って生まれて来たってな。その有難さだけを貰えばいいんだ、前の俺たちの人生からは。
 責任なんかは持たなくていいし、誰も持てとも言わんしな。
 放っておいても噂は勝手に立つものなんだし、それでかまわん。
 噂は所詮噂だからなあ、学者なんぞは見向きもしないさ、真面目に相手をしやしない。
 俺たちが本当に本物なんだと言わない限りは、ただの他人の空似だからな。



 どんな噂が流れていようが、ハーレイの学校の教え子たちが勝手に話を作ろうが。
 今の自分たちは笑って聞き流しているだけでいいと、前の自分たちのことまで気にする必要など何処にも無いと、ハーレイが太鼓判を押してくれたから。
 好きに生きていいと、今を生きろと優しい笑みを浮かべるから。
「じゃあ、シャングリラの写真…」
 ハーレイも嫌いじゃないんだったら、前のぼくたちの船の思い出に飾ってもいい?
 リビングとかダイニングの壁にポスター、貼ってもいい?
「もちろんだ。お前の気に入ったヤツを飾ればいいさ。うんとデカイのを」
 雲海の写真だと、シャングリラはそれほど大きくないしな、主役は雲海なんだから。
 シャングリラの姿を見たいんだったら、ポスターの方がいいだろう。
 お前が欲しいなら、ポスター並みにデカい写真を買うのもいいなあ、きちんと額に入ったヤツ。俺の給料で買えそうだったら、もっと立派なパネルとかでも。
「ううん、普通のポスターでいいよ」
 今のぼくでも買えそうな値段のポスターでいいよ、シャングリラをいつでも見られるんなら。
 壁に飾って、こんな船だった、って懐かしく眺められるんなら。
「そうなのか?」
 あるだけでいいのか、シャングリラの写真が。
 額入りのだとか、立派なパネルに仕立てたヤツとか、そういうのじゃなくてポスターだけで。
「うん」
 あの船の写真を飾れるんなら、それだけで幸せ。
 ハーレイと二人で暮らしてた船を、今のぼくたちが暮らしてる家で一緒に見られるんなら…。



「ふうむ…。俺と一緒に見ようって言うのか、シャングリラの写真」
 だったら、デカいポスターもいいが、ジグゾーパズルにするのはどうだ?
 とびきりデカくて、作るのに床を占領しちまいそうなほど、ピースが多いジグゾーパズル。
「…ジグゾーパズル?」
 それもいいよね、って思ってたけど、ハーレイ、ジグゾーパズルが好きなの?
 前のハーレイが作っていたって覚えはないけど、今のハーレイは好きだったとか…?
「いや。特に好きだということは無いし、ガキの頃に作った程度だが…」
 相手がシャングリラの写真となったら、そいつもいいなと思ってな。
 お前が俺に教えてくれ。
 山ほどの真っ白なピースの中から、これは此処だ、と。シャングリラの此処になるんだ、と。
 お前、そういう見分けをするのは得意だろうが。
 前の俺と違って、あの船を外から何度も見ていたのが前のお前なんだからな。
 ほんの小さな違いだけでも気付く筈だぞ、同じ白でもこれは此処だ、と。
「それを言うなら、ハーレイだってモニター越しに見ていたじゃない!」
 センサーを通した画像で見てても、シャングリラはおんなじシャングリラだよ?
 肉眼で見るか、モニターで見るかの違いしかなくて、条件は同じだと思うんだけど…!



 それにハーレイはキャプテンだった、と言ってやったら。
 前の自分よりもシャングリラの構造に詳しかった筈で、どの角度からの画像であっても、何処の部分が映っているのか分かった筈だ、と指摘したら。
「そうだっけなあ…。言われてみれば、俺の方が詳しかったのかもな」
 小さな傷でも宇宙船には命取りだし、発見したなら補修させないといけなかったし…。
 作業完了と報告が来たら、直ぐに確認していたし…。
 シャングリラの何処の部分がこのピースなのか、と訊かれたら、即答出来るのは俺かもしれん。
 だがな、俺とお前の共同作業で出来るシャングリラもいいもんだぞ。
 床いっぱいにピースを広げて、これは此処だと、これはこっちだと、お前と二人で。
「そうかもね…!」
 あっちだ、こっちだ、って喧嘩になるかもしれないね。
 ぼくは絶対此処だって言うのに、ハーレイは違う場所だって言って。
 二人とも少しも譲らないままで、他のピースを嵌めてって…。
 頑張ってパズルを作っていったら、喧嘩してたピースが嵌まる所を二人とも間違えてたとかね。



 いつか二人で暮らす家には、シャングリラのポスターもいいけれど。
 ジグゾーパズルの白いシャングリラもいい、大きくてピースも沢山のパズル。
 山ほどのピースを床に広げて、ハーレイと一緒にせっせと嵌めて。
 シャングリラを二人で作ってゆこうか、自分たちの手でシャングリラを。白い鯨を。
「ねえ、ハーレイ。ジグゾーパズルなら、シャングリラ、ぼくたちで作れるね」
 ぼくとハーレイのためのシャングリラを、ぼくとハーレイ、二人だけで。
 本物のシャングリラは大勢の仲間が造り上げたけど、今度はハーレイとぼくの二人で。
「おっ、いいな!」
 出来上がったら号令するかな、「シャングリラ、発進!」と景気よくな。
「発進なんだね、ジグゾーパズルのシャングリラの」
 ハーレイが言ってくれるんだったら、本当にぼくたちのシャングリラになるよ。
 ぼくとハーレイ、二人だけのためのシャングリラに。
 シャングリラ、二人で作ってみようよ、ジグゾーパズルで。
 ぼくたちの船を、本物のシャングリラの頃とは違って、飾って眺めるための船をね。



 白いシャングリラは、白い鯨は、大勢の仲間と造ったけれど。
 飾り物の船ではなかったけれど。
 家に飾るための思い出の船は二人で作ろう、ジグゾーパズルのピースを嵌めて。
 床いっぱいにピースを広げて、これは此処だと、それは違うと喧嘩し合って、笑い合って。
 そんな幸せな時間もいい。ジグゾーパズルのピースで喧嘩。
 結局、二人とも間違えていたり、分からないと揃って悩んでみたり。
 いつか結婚したならば。二人一緒に暮らせるようになったなら。
 二人だけで眺める飾り物の船を、白いシャングリラを作ってみよう。
 今の時代は、もう箱舟は要らないから。
 ハーレイと二人、青い地球の上に生まれ変わって、何処までも歩いてゆけるのだから…。




            飾り物の船・了

※今の時代は、白いシャングリラはインテリア。ハーレイと暮らす家にも何か欲しいのです。
 どうせ飾るのなら、ジグゾーパズルがいいのかも。二人で作ったシャングリラの雄姿を。
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