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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

シャングリラ学園番外編最新作は、こちらv

ハレブル別館
←ハレブル作品へは、こちらからどうぞ。
 2014年より、転生ネタ、連載中ですv


ぶるぅのお部屋
←悪戯っ子な本家ぶるぅのお話へは、こちらから。
 最新のお話は一番下になりますv                  





シャン学アーカイブへようこそ!

こちらではアルト様のサイトにありますシャングリラ学園番外編の続きを連載中です。
最新作へは上のバナーからどうぞ。
基本は 「毎月第3月曜」 更新、 「第1月曜」 にオマケ更新することも…。
オマケ更新は前月に予告いたしますので、お話の最後の御挨拶をチェックなさって下さいv
バックナンバーはこちらの 「タイトル一覧」 から全て見られます。

※上記の 「タイトル一覧」 も含めて、青文字の個所は全てにリンク先有りです




そして、ここはシャングリラ学園シリーズのアーカイブでもあります。
アルト様の特設掲示板で連載しました本編と、只今連載中の番外編、及び「そるじゃぁ・ぶるぅ」誕生秘話とも言うべき『シャングリラのし上がり日記』が置いてあります。

こちらの閲覧方法ですが、下記に「タイトル一覧」への御案内がございます。
シリーズごとに設置してありますので、アーカイブへはそちらからお出かけ下さい。
「とりあえずサクッと解説を!」な方はこちらへどうぞ→シャングリラ学園・解説編

また、アルト様が書いて下さった「ぶるぅのお話」及びシャングリラ学園番外編とのコラボ作品が幾つかございます。
そちらは「アルト様からの頂き物」として収録させて頂きましたv
クリックでタイトル一覧に飛びますので、そこから御覧下さいませ。
 


各シリーズの中のお話については「タイトル一覧」で簡単な解説をつけてあります。
タイトルをクリックで本文に飛べますから、御自由に散策なさって下さいv
ただ、ブログの構造上、「全3話分などを一括表示」が出来ません。
お手数をおかけしますが、一番下までスクロールして2話目、3話目と移動をお願いします~。


重要なオリキャラ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」を御存知ない、と仰る方は→こちらをクリック 


シャングリラのし上がり日記』←クリックで「タイトル一覧」に飛べます。


アルト様の2007年クリスマス企画掲示板での連載作品。
成人検査に脱落し、シャングリラに拾われ…な日記であります。
ひたすらバカなお気楽コメディ。

なお、完結後の番外編としてブルー生存EDがあります。
赤い瞳 青い星」がそれですv

 


シャングリラ学園・本編』←クリックで「タイトル一覧」に飛べます。


普通の学生としてシャングリラ学園で3年間を過ごす…筈だったのですが。
入学早々、大変なことになってしまいます。
サイオンに目覚め、一度卒業して特別生になるまでの間に起こるドタバタ。
こればっかりは「順番に読んでみて下さい」としか言えません、というほど実は伏線だらけのお話だったり…。
そこで「細かいことはどうでもいいから外せないポイントを!」な方へのオススメをば。


入学式」と「クラス発表」。シャン学の仲間たちが集結です。
夏休み」第1話。キース君の家はお寺だった! しかも生徒会長が実は高僧?
二学期始業式」。教頭先生の紅白縞トランクスの由来が此処に…。
二学期終業式」第2話&第3話。生徒会長の過去が語られます。
冬休み」第1話。シャン学のみんながサイオン持ちな事実が明らかに。
三学期始業式」第3話。ドクター・ノルディが初登場です。
卒業旅行」第3話。グレイブ先生とミシェル先生の結婚式。
就職活動」全3話。シャングリラ号に乗り込み、特別生として再入学!

 


シャングリラ学園・番外編』←クリックで「タイトル一覧」に飛べます。


本編終了後、特別生として再びシャングリラ学園に入学を果たしたジョミー君たち。
出席義務すら無いと言われる特別生のお気楽な学園ライフです。
そこへ別の世界のシャングリラ号から生徒会長のそっくりさんが乱入してきて…。
登場人物が増えた分、本編以上にカオスと化した番外編。
完結しておりますが、その後も何故か現在進行形で連載中ですv



シャングリラ学園・場外編

こちらはブログ『シャングリラ学園生徒会室』にて毎日更新で連載中です。
シャングリラ学園の本編と番外編でお馴染みのメンバーのお気楽、極楽、学園ライフ。
番外編との繋がりは無く、季節ネタをメインに勝手気ままに綴っております。
「もはや文章とも言えない」形式での連載ですが、「1日1分で読める」が売りです。



シャングリラ学園シリーズ豆知識
御存知なくても全く問題ございません。
書き出してみれば大部分がお寺と坊主ネタでした。文字通り『寺へ…』という世界です。
そもそもブルー生徒会長の正体が「ソルジャーで高僧」な段階からして間違っています(笑)








 

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今年も、シャングリラに、クリスマスシーズンがやって来た。
 ブリッジが見える公園には、とても大きなツリーが飾られ、小さなツリーも置かれている。
「うーん…。今年は、何を頼もうかな…」
 サンタさんに、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、小さなツリーの側で考え込んでいた。
 頼みたいプレゼントを書いたカードを、小さなツリーに吊るしておけば、クリスマスの夜、届く仕組みになっているらしい。
(サンタさんは、世界中の子供に、プレゼントを…)
 届けることが仕事なのだし、ミュウの船にいる子供達でも、引き受けてくれる。
 いつもプレゼントを貰っているから、今年も、いい子でいないといけないだろう。
(ツリーの季節に、悪戯してたら、プレゼントの代わりに鞭だもんね…)
 我慢しなくちゃ、と生き甲斐の悪戯は、当分の間、封印しようと、心に誓う。
 毎年恒例、この季節だけは、悪戯小僧が「いい子」に大変身だし、船の仲間たちも、ホッとしていることだろう。


(でもでも、悪戯…)
 したらいけない船なんて、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、気分転換をしに、アタラクシアの街に出掛けることにした。
 船からヒョイと瞬間移動で、クリスマスの飾りで華やいだ街に降り立つ。
(……んーと……)
 美味しそうなもの、何かあるかな、と足の向くままに歩いていたら、甘い香りが漂って来る。
(焼き立ての、お菓子…)
 そんな匂いだよね、と立ち止まる間に、小さな看板を抱えた人が出て来た。真っ白な服と、白い帽子は、きっとパティシエに違いない。
(お菓子屋さんかな?)
 喫茶店かも、と眺めていると、その男性は、看板、いや、小さな黒板に似ているボードに、こういう文字をサラサラと書いた。
『アップルパイ、じきに焼き上がります』。
(大当たり!)
 焼き立てだって、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、その店に決めた。
 季節は冬だし、焼き立てのアップルパイとなったら、絶品なのに決まっている。
「えっと…。アップルパイ、お店で食べてもいいの?」
 それともテイクアウトだけ、と初老のパティシエに尋ねたら、「いらっしゃいませ!」と、店の中へと案内された。
 「お好きな席へどうぞ」と、言ってくれるし、遠慮なく、カウンター席を選んだ。
 調理場が見える特等席だけに、食いしん坊には似合いのチョイスと言えるだろう。



 アップルパイが焼けるまでには、まだ五分ほどあるらしい。
 他のケーキも見せて貰って、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、素晴らしい店に入った幸運を知った。
(凄いや、リンゴで薔薇の花びら!)
 本物みたい、と感動したケーキは、薄く切ったリンゴを、薔薇の花びらのように纏っている。
(こっちのケーキは、リンゴの形で…)
 リンゴだらけ、と喜んでいたら、アップルパイが焼き上がった。
「お待たせしました。アイスを添えて、お召し上がり下さい」
 熱いですから気を付けて、と出されたアップルパイは、まさに絶品。パイ皮はサクサク、中身のリンゴは、ジューシーで、火傷するほど熱くて、ほくほく。
(うわあ、最高!)
 凄く美味しい、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はペロリと平らげ、二切れ、三切れ、と次のを注文、とうとうホールで平らげてしまった。
「坊や、お腹は大丈夫かい?」
 店主は苦笑しているけれども、嬉しそうでもある。
「全然、平気! 薔薇の花みたいなケーキも、食べてみたいな!」
「いいとも。お腹を壊さないように、ほどほどにね」
 こっちのケーキもお勧めだよ、と勧められるままに、いったい何個食べたことやら。

「美味しかったあ!」
 ホットココアも美味しいよ、と締めのココアを口にしていて、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、店の雰囲気にそぐわないものに気が付いた。
(あれっ?)
 レトロな店の端っこの方に、白いプレートが置かれている。其処に描かれた黒い模様は、まるで機械が書き付けたよう。
(黒い線が何本も並んでるとか、暗号みたいな模様の四角とか…)
 何なのかな、と首を傾げていたら、どうやら店主も気付いたらしくて、「ああ、これかい?」と白いプレートを持って来た。
「そう、それ! おじさん、その模様、暗号なの?」
「暗号ねえ…。考えようによっては、そうなるのかな?」
 ずっと昔の産地証明だよ、と店主は模様を指して教えてくれた。
 人間が地球しか知らなかった時代に、そういう模様を使ったことがあるらしい。バーコードとかQRコードと呼ばれた模様で、情報がドッサリ詰まっていたようだ。
「ふうん…? 今の時代は、そういうのは無いの?」
「代わりのがあるよ。果物とかでも、此処のシールに書いてあるんだ」
 専用の機械で読み取る仕組みさ、と店主は、真っ赤なリンゴの実に貼られたシールを見せる。
「お菓子とかでも、作られた場所を書くのが決まり事さ」
 でないと、宇宙船での輸送は許可が出ないんだよ、とも店主は話した。同じ星の上なら、産地は書かないままでも大丈夫だけれど、他所の星へは運べないね、と。



(今日のお店は、当たりだったよ!)
 うんと美味しくて、お勉強も出来ちゃった、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大満足で船に帰った。
 お菓子や果物に、産地証明がついているなど、初めて耳にした話なのだし、とても嬉しい。
(宇宙船での、輸送許可が出ないんだ、って言っていたから…)
 もしも、地球で作ったお菓子や、地球産の果物などが、手に入ったら、地球の座標が産地証明に含まれている可能性がある。
(座標そのものは、入ってなくても、何か、手がかり…)
 今日の店の店主が見せてくれたプレートは、昔の地球の「青森県」で採れたリンゴや、リンゴのお菓子についていた模様の複製だった。
 冬はリンゴのシーズンだから、リンゴのプレートを飾っているらしい。桃の季節は「岡山県」や「山梨県」のプレートで、どちらも昔の桃の名産地だった。
 今の時代に、「青森県」や「岡山県」とかが、あるかどうかは謎だけれども、あるとしたなら、「青森産」だの「山梨産」だのと謳う「何か」が、きっとシールにくっついている。
(よし、コレだ!)
 今年のクリスマスプレゼント、と「サンタクロースに頼みたいもの」は決まった。
 リンゴでも、お菓子でも、青森産でなくてもいいから、「地球で作られた、お菓子か果物」。
 それにしよう、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、早速、小さなツリーの所へ走って、頼みたい品を書いたカードを枝に吊るした。
「これでよし、っと…」
 後はクリスマスを待つだけだよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、御機嫌で部屋に帰った。
 上手くいったら、大好きなブルーを、憧れの地球まで、連れて行くことが出来るだろう。



 そういうわけで、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、夕食とデザートを詰め込んだ後は、土鍋に入って眠ったけれども、気の毒な人が、重い足取りで、シャングリラの通路を歩いていた。
(…今年も、厄介なリクエストが…)
 来てしまったか、と溜息を零すのは、キャプテン・ハーレイだった。
 プレゼントに欲しいものを吊るすツリーを担当するクルーが、先ほど、カードを調べたところ、増えていたのが「そるじゃぁ・ぶるぅ」のカードで、大慌てで報告しに走って来た。
(…地球で作られた、菓子か果物…)
 どうやって手に入れるんだ、とハーレイは胃がキリキリと痛み出しそう。
 まずは、ソルジャー・ブルーに話して、対策を考えるしかないだろう。



「…ソルジャー、夜に申し訳ありません…」
 ハーレイは、青の間に足を踏み入れ、深々と頭を下げて、炬燵のソルジャー・ブルーに詫びた。
「どうしたんだい? 何か深刻なトラブルでも?」
「いえ…。時期が時期だけに、お分かりだろうと思うのですが…」
 今日の夕方、コレがツリーに吊るされました、と例のカードを、ハーレイは炬燵の上のミカンの隣に、そっと並べた。
「ぶるぅが書いた、今年のクリスマスに欲しいものです」
「ふうん…? ああ、これはなかなか…」
「難しいかと思われますが、どう対処すればよろしいでしょう?」
 別の何かで誤魔化しますか、とハーレイの考えは、現実的なものだった。ほんの子供なのだし、他所で作った菓子を渡しても、まず気付かないだろう、というのは正しい。
「そうだろうけど…。ぶるぅがコレを思い付いた理由を、ぼくは聞いてみたいね」
 考えるのは、それからでいいと思う、とブルーは、早速、思念波で、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に呼び掛けた。
『ぶるぅ、起きてる? もう寝てるかな?』
 土鍋で寝ていた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、ピョンと跳ね起き、瞬間移動で、青の間に真っ直ぐ飛び込んで来た。
「ブルー、何なの? おやつくれるの!?」
 起きて来ちゃった、と弾ける笑顔で、炬燵の上を見回している。
「そうじゃないけど…。ちょっと話を聞きたくってね」
 これは何だい、とソルジャー・ブルーは、カードを手にして、首を傾げた。
「どうして、地球で作られた、お菓子か果物が欲しくなったのかな?」
 アルテメシアのには飽きちゃったかい、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に問い掛ける。地球以外にも星は沢山あるから、そういう所のでは駄目なのかな、とも。



(…流石は、ソルジャー…)
 誤魔化すよりも上手い策だ、とハーレイは、心の中で大きく頷く。これで注文の品が変われば、万事解決。少々値の張る果物だろうが、お菓子だろうが、手に入れることは可能だろう。
(盗み出して来るか、潜入班に買って貰うか、いずれにしても…)
 プレゼントの品は調達出来る、と大喜びしたハーレイだけれど、直ぐに奈落に突き落とされた。
「えっと、えっとね…。地球で作ったお菓子や、採れた果物…」
 輸送するには、シールを貼らなきゃ駄目なんでしょ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は問い掛けた。何処で作ったり、育てたりしたか、「産地証明」が要るんだよね、と真剣な顔で。
「えっ? そんな決まりを、誰に教えて貰ったんだい?」
 ヒルマンの授業で出るのは、上級生クラスの筈だけど、とソルジャー・ブルーも驚いている。
「アップルパイとかが、とても美味しかった、お店のおじさん!」
 昔の産地証明を書いたプレート、飾ってたよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、得意顔で語った。今の時代も必要なもので、シールに書いて貼っていないと、宇宙船には乗せられない、と。
「だから、地球の果物とかには、くっついていて…。それをサンタさんから貰えたら…」
 地球の座標か、何か手がかり、入ってるよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は胸を張る。そういう理由で頼みたいから、カードに書いて吊るしたのだ、と。



「なるほどねえ…。いい考えだ、と思わないでもないけれど…」
 よく考えてみたのかい、とソルジャー・ブルーは、炬燵の上のカードを手に取った。
「欲しいプレゼントは、このカードを読んだサンタクロースが、ちゃんと届けてくれるけど…」
 サンタクロースは、何に乗って此処へ来るのかな、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の顔を見詰める。
「もちろん、トナカイが曳いてる橇!」
「うん、そうだね。ところで、トナカイの橇は、宇宙船とは、違いすぎると思わないかい?」
 宙港を使って行き来しないし、宙港を通って来ない橇なら、産地証明は要らないよ、とシールが貼られる理屈を、ソルジャー・ブルーは、分かりやすく話した。
 「サンタクロースからの贈り物には、シールは、きっと、ついていないね」とも。
「そうだったの!?」
「ぼくは、そういう気がするんだけど…。頼んでみないと、其処は、なんとも…」
 一度、頼んでみることにするかい、とソルジャー・ブルーは、苦笑しながら畳み掛けた。今年のクリスマスプレゼントに賭けて、お菓子か果物を貰いたいかな、と。
「うーん…。シール、くっついていなかった時は、ただの果物か、お菓子だけ…」
 そんなの悲しすぎるもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、注文の品を、こう書き換えた。
 「歌いながら踊りまくっても、音割れのしない、うんと頑丈なカラオケマイクを下さい」。



 そんなこんなで、やがて迎えたクリスマスの夜、ハーレイは、サンタクロースの衣装を纏って、白い袋に「カラオケマイク」だの、長老たちからの贈り物だのと、詰め込んで通路を歩いて行った。
(まったく、皆が甘いモンだから…)
 悪戯小僧がのさばるんだ、と舌打ちしつつも、ハーレイからのプレゼントの箱も、白い袋の中に収まっている。それにソルジャー・ブルーが自ら買いに出掛けた、特注品のプレゼントなども。
(メリークリスマス!)
 今年もサンタクロースの到着です、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋に入ったハーレイは、床にプレゼントの箱を、そっと幾つも並べていった。
 土鍋で眠る「そるじゃぁ・ぶるぅ」を起こさないよう、物音一つ立てないように注意して。



 翌朝、クリスマスを迎えたシャングリラの中で、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、飛び起きた。
「クリスマスだあ! えっと、プレゼント…!」
 届いてるかな、と床を見るなり、躍り上がって大歓声。
「わぁーい! ぼくが頼んだカラオケマイク! それに、こっちは、凄い鍋敷き!」
 土鍋の下に置くのに、ちょうどいいよね、と特注品の「大きな鍋敷き」を眺め回して、大感動。こんなに立派で頑丈な品は、お店ではお目にかかれない。
「サンタさん、最高!」
 お菓子とか、果物にしなくて良かった、と喜んでいたら、大好きなブルーから、思念波が飛んで来た。
『メリークリスマス、ぶるぅ! それに、誕生日おめでとう!』
 みんなが公園で待っているよ、と呼び掛けられて、「そうだっけ!」と、瞬間移動で、公園までパッと飛んだら、皆に拍手で迎えられた。
「「「ハッピーバースデー、そるじゃぁ・ぶるぅ!」」」
 メリークリスマス、と大きなケーキが運び込まれて、賑やかなパーティーが始まった。
 悪戯小僧には違いなくても、船の仲間たちも、この日ばかりは、心の底から祝ってくれる。
 ハッピーバースデー、「そるじゃぁ・ぶるぅ」。今年もお誕生日、おめでとう!



             産地と証明・了


※「そるじゃぁ・ぶるぅ」お誕生日記念創作、読んで下さってありがとうございます。
 管理人の創作の原点だった「ぶるぅ」、いなくなってから、もう8年が経ちました。
 出会いは2007年の11月21日でしたが、一目惚れして、二次創作スタート。
 毎日シャン学では良い子の「ぶるぅ」ですけど、原点だった悪戯小僧も大好きです。
 お誕生日のクリスマスには記念創作で、暮れの風物詩になっております。
 「そるじゃぁ・ぶるぅ」、19歳のお誕生日、おめでとう!
 2007年のクリスマスに、満1歳を迎えましたから、18年目の今年で19歳です。
 アニテラの教育ステーションだと、18歳で卒業なだけに、どうするんでしょう。
 シャングリラで一緒に育った子たちが、立派なクルーになっているかも…。

※過去のお誕生日創作は、下のバナーからどうぞです。
 お誕生日とは無関係ですけど、ブルー生存EDなんかもあるようです(笑)








(今日はこっちに…)
 行ってみようかな、と歩き始めたブルー。学校からの帰りに、いつものバス停で降りて。
 たまには普段と違った道から帰るのもいいよね、と住宅街の中を歩いていたら…。
(あれっ?)
 夾竹桃だ、と目を丸くした。道沿いの家の庭に、ひときわ鮮やかなピンク。真夏の空が似合いの色。今の季節には咲かない花。
 見間違いかと思ったけれども、本当に夾竹桃だった。花も葉っぱも、夾竹桃そのもの。
(狂い咲き…)
 夏と間違えて咲いちゃったのかな、と見詰めた夾竹桃。ブルーの背よりも大きな木。家の庭には他にも夾竹桃があるのに、花が咲いているのは一本だけ。
(他の木は咲いていないなら…)
 変わった種類の夾竹桃ではないのだろう。何故か一本だけ、花の季節に出遅れて咲いた。今頃の季節に満開になって。
(別の道から帰って良かった…!)
 ちょっと得をしたような気分にもなる。珍しいものに出会えたから。
 温室でもないのに、季節外れのピンク色の花。他所の庭では、とうの昔に散った後。此処の庭の他の夾竹桃と同じに、夏の終わりに。
(ふふっ…)
 いいもの見付けた、と眺めて満足。花は好きだし、今の季節には見られない花は、なおのこと。植物園なら季節外れの花も咲くけれど、普通の場所で出会えるなんて、ツイている。
 御機嫌でたっぷり花を楽しみ、足取りも軽く家に帰った。「いいものを見たよ」と、弾む心で。
 制服を脱いで、おやつを食べに行ったダイニングで母にも話した。
 「夾竹桃が咲いていたよ」と、「ママも見に行くなら、この家だから」と。
「あらまあ…。運が良かったのねえ」
 ママも見に行ってみるわ、明日、お買い物に行くついでに。
「やっぱり見たくなっちゃうでしょ? ホントに綺麗だったんだよ!」
 今が満開。綺麗な間に行ってあげてね、せっかく素敵に咲いてるんだから…!



 母にも勧めた「真夏の花」。季節外れの夾竹桃は、一人占めしてはもったいない。母に話せば、近所の人にも伝わるだろう。
(知ってる人は、とっくに見に行ってるかもしれないけれど…)
 母が知らないなら、この辺りではまだ情報が回っていない。きっと明日には、見物人が増えて、夾竹桃も喜びそう。満開の花を見て貰えて。
 あの家の人も、きっと嬉しくなるに違いない。自分たちだけで見ているよりも、花のお裾分け。
 ホントにいいものを見付けちゃった、と上機嫌で二階の部屋に戻って、勉強机の前に座った。
 今の季節は花が咲かない夾竹桃。とうに咲き終わって、緑の葉っぱばかりになって。
 けれど、あの木は今が見頃で花が一番映える時期。
(季節外れでも、綺麗なものは綺麗だもんね?)
 狂い咲きしちゃった花だって、と思った途端に気が付いた。その言葉が持っている意味に。何の気なしに繰り返していた、花の咲き方。
(狂い咲き…)
 そう呼ぶほどだし、「尋常ではない咲き方」の意味。季節外れの、変な咲き方をした花のこと。今の季節に咲いた夾竹桃やら、冬の最中に花をつけている桜やら。
(…狂い咲きって、花の異分子?)
 仲間外れの夾竹桃。
 普通だったら夏に咲くのに、今頃の季節に咲いているなんて、夾竹桃の中の異分子。
 最初から季節外れに花をつけるよう、改良された品種だったら、何の問題も無いのだけれど…。
(だけど、あの木は違うよね…)
 夾竹桃は他にもあったし、あの木だけが違う季節に花を咲かせた。他の木たちが葉だけをつけている中で、鮮やかなピンクの色を纏って。
(一本だけ、違っているなんて…)
 まるでミュウのよう。
 今の時代のミュウとは違って、遠く遥かな時の彼方で生まれたミュウ。
 前の自分が生きた時代に、SD体制が敷かれた世界で。
 ミュウも人間だったというのに、異分子だからと忌み嫌われた。サイオンを持っていたせいで。…人類には無かった能力のせいで。



 嫌われ、排除されたミュウ。見付かれば端から殺されていって。
 その場で処分されずに済んでも、実験動物として扱われた。檻に入れられ、過酷な実験をされて奪われた命。人間扱いされることなく。
 それが「異分子」だったミュウたちの末路。すると、さっきの夾竹桃も…。
(うんと綺麗に咲いていたのに…)
 夾竹桃の仲間の中では、嫌われたりもするのだろうか?
 あの庭にあった、他の夾竹桃たちに。「あれは変だ」と、「今頃、咲いているなんて」と。
 声も掛けては貰えないまま、仲間外れの夾竹桃。異分子だからと、そっぽを向かれて。
(どんな花でも…)
 狂い咲きは異分子なのかもしれない。
 遠い昔のミュウたちのように、仲間たちから忌み嫌われて。
 サイオンは持っていないけれども、代わりに季節外れに咲く花。他の仲間とは違った能力、別の季節に「花を咲かせる」力。
 「普通ではない」と花を毟り取られたり、根こそぎ切り倒されてしまっても、仕方ないとか。
 他の仲間が嫌うのだったら、花も、存在も抹殺されて。
(植物は自分で動けないから…)
 そんなことにはならないだけで、動けたとしたら、滅ぼされるのが狂い咲きした植物たち。
 仲間外れにされた挙句に、「異分子だから」と処分されて。
 花を毟られ、二度と花など咲かないようにと、根元から切られて、それでおしまい。
(…そうなのかも…)
 植物は自分で動けはしないし、滅ぼされないというだけのことで、本当は嫌われる狂い咲き。
 「今頃、咲いた」と仲間外れで、口さえも利いて貰えない世界なのかもしれない。
 人の目には綺麗に映っても。
 珍しいから、と写真を撮る人たちが大勢いても。
(…植物の世界では、変なんだものね?)
 狂い咲きした植物は。
 帰り道に出会った、今が満開の夾竹桃も、雪の季節に花を咲かせる桜でも。



 植物の世界では異分子だろう、狂い咲きの花。仲間たちとは違った季節に咲かせる花。
(狂い咲きって、植物のミュウ…?)
 仲間たちから嫌われちゃうの、と考えていたら聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合わせで話してみた。
「あのね、帰りに夾竹桃を見たよ。花が一杯咲いてる木」
 今が満開で、とても綺麗なピンク色の花…。夏の夾竹桃と少しも変わらない色で。
「ほほう…。今の季節に夾竹桃とは、何処の温室だ?」
 この家の近所にあるんだろうが、変わった趣味だな。夾竹桃を温室で育ててるなんて。
 夾竹桃が好きな人なのかもな、とハーレイは勘違いをした。狂い咲きとは思いもしないで。
 そう考えるのが普通だろうし、ますます「狂い咲き」が異分子に思える。人間さえもが、変だと眺める現象。季節外れに咲いている花。
「温室じゃなくて、外なんだってば。狂い咲きだよ」
 普通の庭にあった夾竹桃でね、一本だけが今が満開…。他の木には花が咲いてないのに。
「そりゃ珍しいものを見たなあ…。綺麗だったろ?」
 季節外れでも満開だったら、とハーレイも褒める方へと行った。「夾竹桃は華やかだしな」と、「夏の青空にも負けないピンク色だから」と。
「うん。とても綺麗で、いいものを見付けたと思ったんだけど…」
 ママにも話して、ツイてると思っていたんだけれど…。
 おやつの後に部屋で考えていたら、「狂い咲き」っていう言葉が引っ掛かったんだよ。
 咲いてる季節が普通じゃないから、そういう呼び方になるんでしょ?
 変な花だ、って思われてるから「狂い咲き」。
 それって「変だ」っていう意味なんだし、花の世界の異分子みたいなものだから…。
 狂い咲きをしている花って、なんだかミュウに似てるよね、って…。
 今の時代のミュウじゃなくって、前のぼくたちが生きてた頃のミュウたち。
 異分子なんだ、って忌み嫌われてて、見付かったら処分されちゃって…。
 狂い咲きの花もそうじゃないかな、同じ仲間の目から見たなら。
 「あれは変だ」って嫌われちゃって、そっぽを向かれて、ミュウみたいに処分されるのかも…。
 植物は自分で動けないから、そんなことにはならないだけで。



 狂い咲きの花は嫌われ者かも、とハーレイに説明した考え。「植物の世界では異分子かも」と。
「もしも植物が動けるんなら、花を毟られちゃうだとか…。根こそぎ切られちゃうだとか」
 人類がミュウを端から殺したみたいに、花の世界から抹殺しちゃった方がいい、って…。
「なるほどなあ…。そういう考えになっちまったんだな、狂い咲きの花から」
 狂い咲きってヤツは、植物の世界じゃ嫌われ者かもしれない、と。
 植物が自分で動けたとしたら、狂い咲きしたヤツは仲間に滅ぼされるかも、と思うわけだな?
 前の俺たちが滅ぼされそうになっていたのと同じで…、とハーレイも分かってくれた考え。狂い咲きした花たちは全て、異分子扱いされるのでは、と。
「ぼくはそう思ったんだけど…。ハーレイはどう?」
 やっぱり異分子なんだと思う?
 人間の目には綺麗で珍しくっても、同じ仲間の植物からしたら、嫌われ者になっちゃうのかな?
「さてなあ…。植物の世界じゃ、特に気にしちゃいないんじゃないか?」
 人間みたいに戦争なんかはしないで、ずっと昔から、平和に生きて来たのが植物だしな。
 それに、どちらかと言えば、同情して貰えそうなんだが…。狂い咲きしている時なんかは。
 同じ仲間の植物からな、とハーレイが言うから首を傾げた。どうして同情されるのだろう、と。
「なんで同情?」
 変なヤツだ、って嫌うんだったら分かるけれども、同情するって…。どうしてなの?
「狂い咲きというヤツの仕組みのせいだ。…そうなっちまう原因だな」
 気温がおかしくなった時にも、狂い咲きすることは多いんだが…。そういう時は仲間も多い。
 他の木たちも狂い咲きしてて、一本だけではなくなるんだ。全部が狂い咲きではなくても。
 しかし、一本だけが狂い咲きなら、木が傷んでいるってことも少なくない。虫に食われて弱っているとか、病気になっているとかな。
 そういう理由が無かったとしても、狂い咲きしたら木は傷んでしまう。季節じゃないのに、花を咲かせるエネルギーを使ったわけだから。
 木が傷んでの狂い咲きにしても、これから傷んじまう方でも、植物にとっては大変なことだ。
 とても負担が大きいからな、と教えて貰った狂い咲きのこと。
 季節外れに花を咲かせた時には、植物は既に弱っているか、花を咲かせたことで弱ってゆくか。植物が受ける負担は大きく、弱った身体が更に弱るか、これから弱ってゆくことになるか。



 知らなかった、と目を瞬かせた「狂い咲き」。珍しいものに出会えて良かった、と夾竹桃の花を眺めたけれども、あの木は弱っていたのだろうか?
「じゃあ、ぼくが見た夾竹桃も…。木が弱ってたの?」
 そんな風には見えなかったけど、幹の中に虫がいるだとか…。何か病気にかかってるとか…?
「弱ってるとは限らないがな。何かのはずみで、花を咲かせる仕組みが狂ったのかもしれん」
 だが、狂い咲きをしたのは確かだ。しかも満開の花となったら、相当なエネルギーだから…。
 その木は弱っちまうだろう。…木そのものは弱らなくても、花を咲かせる力の方は。
 来年の夏には花が咲かないとか、咲いても少しだけになるってこともある。他の木にはドッサリ咲いているのに、その木だけ花が少ないとかな。
 狂い咲きというのは、そうしたモンだ、とハーレイはフウと溜息をついた。人間の目には珍しく映る現象だけども、その舞台裏は厳しいものだ、と。
「そうなんだ…。あの木、来年は花が咲かないか、花が少なくなっちゃうか…」
 せっかく綺麗に咲いたのに…。今の季節には珍しいよね、って得をした気分だったのに…。
 あの木が弱ってしまうだなんて、と木があった家の方に目を遣る。この部屋の窓から、あの家の庭は見えないけれど。
「お前だって、可哀相だと思うだろ? 弱っちまうと聞いたなら」
 だから植物の仲間同士でも、同じことだな。
 嫌うよりかは、同情の方になるだろう。狂い咲きする理由ってヤツを知っているんだから。
 弱った仲間や、これから弱りそうな仲間を嫌ったりはしない。
 狂い咲きした木は、異分子じゃなくて、病人みたいなものだしな?
 前の俺たちが生きてた時代の人類だって、ミュウには酷いことをしてたが、人類同士じゃ、全く事情が違ったろうが。
 俺が嫌いなキースの野郎も、友達のサムの病院にせっせと通っていた。…あんなヤツでもな。
 キースでさえもそうだったんだぞ、他の人類も病人には優しかっただろう。ミュウの子供を処分していた、ユニバーサルのヤツらにしたって、病気の人には親切だった筈だと思うぞ。
 もちろん、怪我で不自由している人にも親切に。荷物を持つとか、席を譲るとか。
 狂い咲きした植物だって、植物の世界じゃ、そんな具合に親切にして貰えるだろう。
 しかしだ…。



 狂い咲きを忌み嫌うヤツがいるとしたなら、人間だよな、とハーレイが言うから驚いた。
 嫌うだなんて、とても信じられない。
 帰り道に出会った、季節外れの夾竹桃は綺麗だったのに。母に話したら、母も見に行くつもり。母から話を聞いた人たちも、早速、出掛けてゆきそうなのに。
「嫌うって…。仲間の植物たちじゃなくって、人間が忌み嫌うだなんて、どうして嫌うの?」
 綺麗なんだし、珍しい季節に花が見られるんだし…。いいことずくめだと思うけど?
 木の持ち主の人は「弱ってしまう」ってショックだろうけど、それと嫌うのとは違うよね?
 あの夾竹桃が咲いてた家の人だって、頑張って世話をするんだと思うよ。
 咲いちゃったものは仕方ないから、弱らないように肥料を沢山あげたりもして。
 来年は駄目でも、次の年にはまた綺麗な花を咲かせるように…、とあの庭の持ち主の心を思う。きっと大切に世話してやって、木が弱らないよう、あれこれと手を尽くすだろうから。
「持ち主の人は頑張るだろうな。弱っちまってても、元気を取り戻してくれるように」
 もちろん、嫌うわけがない。自分の家の庭にある木が嫌いなヤツなんか、いやしないぞ。
 人間が狂い咲きを嫌うと言うのは、狂い咲きという言葉の通りだ。…ずっと昔の話なんだが。
 まだ狂い咲きの仕組みさえ分かっていなかった時代。人間が地球しか知らなかった頃だな。
 その花が咲く季節じゃないのに、花が咲いたりするもんだから…。
 不吉なことだと思われたりした。今じゃ喜ばれる、冬の桜も。
「ええっ!?」
 冬の桜って、とても人気が高いじゃない。冬にも花が咲く、冬桜まであるくらいだよ?
 あれは毎年花が咲くから、狂い咲きとは違うけど…。
 でも、本物の桜が狂い咲きしたら、みんなとっても喜ぶじゃない…!
 新聞にだって写真が載るよ、と直ぐに頭に浮かんだ写真。寒い季節に桜が咲いたら、新聞を飾るものだから。「此処で見られます」と地図などもつけて。
「今の時代はそうなんだが…。昔のことだと言っただろ?」
 季節外れの花は気味悪がられたらしい。天変地異の前触れだとか、不吉なことと結び付けてな。
 特に嫌われた花が桜だ。
 ずっと昔は、桜の季節は疫病が流行ると思われていた。花鎮めの祭りがあったくらいに、疫病を恐れていたんだし…。その桜が季節外れに咲いたら、怖いだろうが。



 遠い昔は、桜の花の頃に疫病が流行る年が多かったという。桜の花が散ると、疫病の神も一緒に舞い散るのだと恐れた人々。それを防ぐのが花鎮めの祭り。
 春に祭りで疫病を封じておいたというのに、季節外れの桜が咲いたらどうなるか。疫病が流行る前兆だ、と誰もが恐れおののいた。冬の桜を愛でる代わりに、「なんと恐ろしい花なのだ」と。
「…桜、そういう花だったんだ…」
 昔の人たちもお花見してたし、冬の桜は珍しいから、うんと喜びそうなのに…。
 違ったんだね、お祭りの用意もしていないのに咲いちゃった、って怖がられたんだ…。
 今だと見に行く人も沢山いるのに、と価値観の違いに驚くばかり。冬の桜は本当に人気で、冬に花が咲く品種を選んで植えている人も少なくないから。
「所違えば品変わる、っていうヤツかもなあ…。場所とは違って、時代なんだが」
 似たような例じゃ、竹の花だってそうだ。
 竹の花は滅多に咲かない上に、咲いた後には竹がすっかり枯れちまうから…。
 そいつが咲いたら、不吉なことの前兆なんだと言われてた。実際の所は、竹は自分の都合で花を咲かせていたのにな?
 そろそろ花を咲かせる頃だ、と何十年に一度とかの開花期がやって来る度に。
 季節外れの桜にしたって、竹の花にしたって、悪いことは何もしちゃいないんだが…。
 ただ咲いたというだけのことで…、とハーレイが浮かべた苦笑い。「人間ってヤツは勝手だな」などと、「人間が一番偉いわけでもないのになあ…」と。
「…狂い咲きの桜も、竹の花が咲くのも、どう捉えるかは人間の都合で決まっちゃったんだ…」
 気味の悪い花が咲いたから、って嫌っていたのが昔の人で、今だと珍しくて大人気。
 おんなじ花でも、それを見る人の考え方で変わってくるなんて…。
 狂い咲きの花、ホントにミュウとおんなじだね。…前のぼくたちが生きてた頃の。
 異分子だから処分すべきだ、って端から殺されちゃったけど…。滅ぼさないと、ってメギドまで二回も持ち出してたけど、あれは間違い。
 ミュウは進化の必然だったし、滅ぼす方が間違いだったのに。
 滅ぼしたりないで、人類はミュウと手を取り合わなきゃいけなかったのに…。
「まったくだ。…もっとも、前の俺たちにだって、それは分かっていなかったんだが…」
 異分子なんだ、と迫害されてりゃ、そういうモンだと思っちまうよな。…ミュウの方でも。



 前のハーレイたちも驚いたという、キースがスウェナ・ダールトンに託したメッセージ。
 全宇宙帯域で流されたメッセージの中で、キースは「ミュウは進化の必然だった」と明言した。それをユグドラシルの一室で見るまで、ハーレイたちでさえ夢にも思っていなかった。
 追われ続けたミュウが「異分子ではなかった」とは。
 人類の進化の次の段階、それが「ミュウ」という新しい人種だったとは。
 「あれは本当に驚いたんだ」と苦笑しながら、ハーレイは「そういえば…」と顎に手を当てた。
「人間の解釈次第だと言えば、文字通り、そういう花もあったっけなあ…」
 不吉なんだか、めでたい印の吉兆なんだか、意見が分かれちまった花。
 その花が咲いた当時でさえも、どう受け取るのか、人によって違ってしまった花が。
「意見が分かれたって…。その花も狂い咲きしたの?」
 それとも竹の花と同じで、滅多に咲かない花だったとか…?
 どっちの花、と興味津々。昔の人たちの考え方は、今と全く違うから。
 春になったら桜を愛でていたのに、その一方で恐れていた人々。花見の宴を催す傍ら、花鎮めの祭りを行ったほど。同じ桜の花だというのに、愛でたり、それを怖がったり。
 そんな人々の意見が分かれた花とは、いったいどんな花なのだろう…?
「狂い咲きではなかったな。咲いた季節は普通だったから」
 それに滅多に咲かない花でもない。毎年、季節になれば山ほど咲いた筈だぞ。そいつが生えてる場所に行ったら。
 ただ、咲き方の方が問題になった。
 蓮の花だったが、双頭蓮と呼ばれるヤツでだな…。
「双頭蓮…?」
「名前の通りの蓮の花だ。一つの茎に二つの花をつけている蓮」
 茎が途中で分かれるんじゃなくて、天辺に蕾が二つ生まれて、二つとも咲く。頭が二つあるってことで、双頭蓮という名前になるんだな。
 蓮池があれば、たまにヒョッコリ現れるそうだ。
 今は幸せを呼ぶと言われて、皆が見に行くほどなんだがなあ…。
 うんと昔は嫌われたんだ。
 縁起が良くない、と歴史にまで書き残されたくらいに。…しかしだな…。



 今じゃすっかり幸せの花になっちまった、とハーレイは笑う。同じ双頭蓮なのに。
 その辺りは狂い咲きや冬の桜と同じだけれども、双頭蓮は当時に意見が分かれていたという。
 凶兆なのだと考えた人と、吉兆だと捉えていた人とに。
「飛鳥時代は知っているだろう? 歴史じゃお馴染みの時代だからな」
 古典の方だと、それほど中身は無いんだが…。せいぜい万葉集くらいってトコで。
 お前たちに授業で教えられるものは…、とハーレイが嘆く飛鳥時代。まだ日本では、物語などは書かれていなかった。古典の授業で扱えるものは、万葉集に編まれた歌くらい。
 その飛鳥時代、都が置かれた飛鳥に剣池と呼ばれる池があった。
 池には沢山の蓮が茂って、其処に現れた双頭蓮。一つの茎に二つの花をつけた蓮。
 日本書紀に書かれた最初の記録は、舒明天皇の時。
 なんとも不思議な蓮の花だから、恐れる人もいたのだけれども、何も起こりはしなかった。天変地異も、戦争なども。
 それでも珍しい花だったからこそ、日本書紀にも書かれたのだろう。当時の人が後世に残そうと思わなければ、記録は残らず、忘れ去られた筈だから。
 次に双頭蓮が現れたのが、女帝だった皇極天皇の時代。やはり前と同じ剣池で。
 時の権力者だった蘇我氏の長は、双頭蓮が出現したのを、自分に都合よく解釈した。
 世にも珍しい蓮の花だし、「蘇我氏が栄える吉兆だ」と。
 せっかくだからと、その花の絵を絵師に描かせた。それも高価な金泥を使って、贅沢に。
 出来上がった絵は、大仏があった寺に奉納して、「これで蘇我氏はますます栄える」と上機嫌。吉兆の蓮が咲いただけでも素晴らしいのに、その絵を奉納したのだから。
 けれど、それから丁度、一年が経った時。
 乙巳の変で、蘇我氏は滅びてしまったという。双頭蓮の絵を描かせた長の息子の入鹿は殺され、長の蝦夷は館に火を放った。全ては炎の中に飲まれて、蝦夷の命も其処で潰えた。
「…なんだか怖いね…」
 たったの一年で、全部滅びてしまったなんて。…まるで蓮の花に呪われたみたい…。
「そうだろう?」
 蘇我氏が滅びる前兆だったか、そうじゃないかは分からないがな。…ただの花だけに。
 とはいえ、当時の人間にすれば、不吉としか思えなかっただろう。あんな不吉な花を喜ぶから、余計に酷いことになった、と。



 立派な絵まで描かせたんだからな、と軽く両手を広げたハーレイ。「軽はずみだと思われても、仕方あるまい」と。
「昔の人間は、不吉なことが起こりそうだと考えた時は、大人しくしたものなんだが…」
 家に引きこもって外へ出ないとか、神仏に助けを祈るだとか。
 そうする代わりに、怪しげな蓮の絵まで描かせていたわけだから…。自業自得だ、と考える人も多かったろうな。「あれさえ描かせて奉納しなけりゃ、無事だったものを」と。
 そういう話があったお蔭で、双頭蓮を嫌う人間が多かったのに…。
 いつの間にやら、双頭蓮と言えば、縁起のいい花になっちまってた。咲いたと聞いたら、大勢の人が一目見ようと押し掛けるほどに。
 昔の人には凶兆だった花だというのに、後の時代だと吉兆なんだな。
 その辺りのことは、狂い咲きした冬の桜なんかも、似たようなものだと言えるんだが…。
 双頭蓮の場合は、咲いた当時に意見が分かれていたのがなあ…。
 あれは不吉な花なのでは、と思う連中と、「吉兆なんだ」と思った蘇我氏の方と、真っ二つに。
「…ホントは凶兆だったのに?」
 だってそうでしょ、蘇我氏は滅びちゃったんだから。
 不吉な花なんて、本当は存在しないんだけど…。その蓮の花も、今、咲いていたら、幸せを呼ぶ花が咲いてるから、って見に行く人がドッサリだけど…。
 でも、その頃だと、大真面目に信じていたんだよね?
 季節外れの桜の花は不吉だとか…。狂い咲きした花や、変な形で咲いてる花も良くないとか。
 そんな時代なら、双頭蓮も凶兆ってことになるんでしょ?
 蘇我氏が滅びてしまう予兆で、それを知らせるために咲いていたんだ、って…。
 なのに勘違いをしたんだよね、と確認した。蘇我氏が滅びる凶事の前兆、それが双頭の蓮の花。
 けれど蘇我氏の長は、吉兆だと捉えたから。絵まで描かせて、大仏に奉納したのだから。
「そうなるな。…権力者ってヤツには、ありがちなんだが」
 自分が一番偉いと思っているから、世の中のことは、全部自分のためにあるんだ。
 皆が「不吉だ」と恐れていたって、自分が「素晴らしい」と思っちまえば、不吉なことも吉兆になってしまうってな。権力者の頭の中でだけ。
 だから蘇我氏も、不吉な蓮が咲いているのに大喜びして、絵まで奉納しちまった、と。



 昔からよくある話だよな、とハーレイは頭を振っている。「この手の話は多いんだ」と。
 大きな権力を手にした者は、何も恐れはしないから。何もかも自分の意のままに出来て、不吉なことさえ覆せると思うほどだから。
「だがなあ…。前の俺たちを滅ぼそうとしていた、グランド・マザーの場合は、だ…」
 ミュウを吉兆とは思ってくれずに、せっせと殺していただけだったが。
 人類の中から出て来た異分子、邪魔なものだと考えるだけで。
 グランド・マザーは人間じゃなくて機械だったが、権力者には違いない。驕った考えってヤツを持っていたなら、ミュウも吉兆になりそうだがなあ…。
 「妙な連中が現れたようだが、上手く使えばきっと世の中の役に立つ」とでも考えて。
 自分なら使いこなせる筈だ、と役立てる方法をあれこれ検討してみたりもして。
 人類が何度も「ミュウは不吉です」と進言しようが、「いや、吉兆だ」の一点張りでな。
 しかし、そうなりはしなかった。…ミュウはSD体制の時代の中では、殲滅すべき生き物だ。
 最初からそうプログラムされていたから、グランド・マザーに他の考え方は無い。
 ミュウ因子の排除が不可能だっただけで、生まれて来たミュウは皆殺しにするのが仕事だから。
 グランド・マザーが、ああいう機械でさえなかったら…。
 権力者ってヤツには珍しくない、自分に都合のいい解釈をするタイプだったらなあ…。
 ミュウも吉兆になれていたかもしれないのに、と残念そうな顔のハーレイ。
 時の権力者が一つ間違えれば、凶兆でさえも吉兆になる。不吉なように思える花でも、双頭蓮の出現を蘇我氏が喜んだように、それは素晴らしい吉兆に。
 それと同じで異分子のミュウも、考え方次第で吉兆になれた。グランド・マザーが「吉兆だ」と判断していたら。
 人類たちが何と唱えても、聞く耳を持たなかったなら。
「…ミュウが吉兆になっちゃうんだ?」
 人類から見たら気味が悪くて、サイオンを持った異分子でも。
 とても不吉で、早い間に処分しなくちゃ、って誰もが思って、そう言っていても…?
「グランド・マザーが、自分勝手な思考の持ち主ならな」
 きちんとプログラムされた機械ではなくて、ミュウについての思考を一から始めていたら。
 ついでに、デカイ権力を握ったヤツらが陥りがちな、自分中心な世界を描いていたとすればな。



 前の俺たちは吉兆になり損ねたか、とハーレイは腕組みをした。「本当は吉兆だったのに」と。
「正真正銘の吉兆だったぞ、見た目は如何にも不吉そうでも」
 今の世の中ってヤツを見てみろ、それが証明されてるじゃないか。ミュウが吉兆だったこと。
 ミュウの時代がやって来たお蔭で、今じゃすっかり平和な世界になったってな。宇宙の何処にも戦争は無いし、武器も兵器も作られちゃいない。軍も無ければ、戦艦も無いし…。
 おまけに地球まで青く蘇って、俺たちがこうして住んでいられる。前の俺が辿り着いた時には、何も棲めない星だったのに…。毒の海と砂漠が広がっているだけだったのにな?
 その地球の姿を元に戻したのは、結局の所はミュウなんだぞ?
 キースの野郎が関わってはいても、ジョミーがいなけりゃ、青い地球には戻っていない。それを思うと、ミュウは吉兆だったんだがなあ…。
 どんなに人類に嫌われていても…、とハーレイが言いたくなるのも分かる。
 遠い昔には、季節外れの桜や狂い咲きの花たちは嫌われたのだけれども、今では喜ばれる存在。珍しい花が咲いているから、と新聞に写真が載ったりもして。
 前の自分たちも、それと似たようなものだったろう。
 サイオンという、人類には無い特殊な能力を持った人間。だから「異分子」だと忌み嫌われて、端から処分されていた。「生かしておいても、ろくなことはない」と。
 けれど、本当は「進化の必然」。
 ミュウの時代がやって来ないと、人間は先へ進めなかった。平和な時代も、青く蘇った地球も、人類の時代からミュウの時代へ移ったからこそ、此処にあるもの。
 それに気付かず、グランド・マザーは「ミュウの殲滅」を続けさせた。そうすることは、歴史に逆らうことなのに。…けして上手くは運ばないのに。
 もっとも、追われ続けたミュウの方でも、まるで気付いていなかったけれど。
 自分たちは「異分子」なのだと思い込んだままで、懸命にもがき続けていた。異分子を排除するマザー・システムから、なんとか逃れようとして。
 そのシステムを変えるためにと、地球を目指して。
(グランド・マザーが、勘違いをしてくれてたら…)
 ミュウは吉兆になれただろうか?
 人類の指導者が何と言おうと、滅ぼされない道を歩んで行けたのだろうか…?



 遥かな昔に、蘇我氏の長が犯した勘違い。不吉の前兆だった双頭蓮を、吉兆と思い込んだこと。わざわざ立派な絵まで描かせて、奉納させたという思い上がり。
 世間の人々は、その蓮の花を恐れていたのに。「不吉なことが起こらねばいいが」と、怖そうに眺めていたのだろうに。
 それと同じにグランド・マザーも、ミュウの存在を読み誤っていたならば。自分の治世に現れたミュウを、吉兆なのだと思い込んで保護していたのなら…。
(前のぼくたちは、アルタミラで星ごと滅ぼされずに…)
 生きて、どういう道を歩んだか。人類はミュウを嫌うわけだし、やはり戦いになっていたのか。人類との戦いが始まったならば、目指すべき場所は…。
(やっぱり地球になるんだよね…?)
 人類の指導者が誰であろうと、その後ろにはグランド・マザーがいる。それを倒してしまわない限り、ミュウの時代は手に入らない。…いつまで経っても異分子のままで。
(グランド・マザーが、「ミュウを滅ぼせ」って言っていなくても…)
 人類がそう考えるのなら、人類の世界を変えるしかない。地球に行き着き、グランド・マザーを破壊して。…SD体制を根幹から覆して。
 そうなった時は、グランド・マザーは蘇我氏と同じ。自分だけが「吉兆なのだ」と信じ続けた、不吉なものに滅ぼされるから。
 人類たちが「あれは不吉だ」と唱え続けた、ミュウが滅びを呼び込むのだから。
 そうなると、つまり…。
「えっと、ハーレイ…。前のぼくたち、本当は吉兆だったけど…」
 グランド・マザーにとっては、吉兆だろうと、不吉だろうと、結果は全く同じじゃない。
 吉兆だから、って保護されていても、人類がミュウを見る目は違うよ?
 サイオンを持っているっていうだけで気味が悪くて、やっぱり忌み嫌うんだろうから…。
 そういう世界を変えるためには、地球まで行って、グランド・マザーを倒すしか…。
 どっちにしたって、グランド・マザーはミュウに滅ぼされてしまって、おしまい。
 だから、グランド・マザーがミュウをせっせと排除してても、保護していても、最後は同じ。
 グランド・マザーにはミュウは凶兆なんだよ、どう転がっても。
 「吉兆なんだ」って喜ぶ方でも、前のぼくたちにやったみたいに、排除しようとする方でもね。



 どっちに転んでも不吉だったよ、とクスッと笑った。グランド・マザーにしてみれば、ミュウは不吉な存在だから。
 蘇我氏が不吉な双頭蓮を喜んだように、「吉兆」として捉えていても。
 実際の歴史がそうだったように、「異分子」として徹底的に排除していた方でも。
「そう思わない? 最後はミュウに壊されちゃうんだよ、グランド・マザーは」
 吉兆だから、って保護していたって、異分子として排除し続けたって。
 最後は同じで、ホントに蘇我氏の蓮みたい…。グランド・マザーは勘違いをしてくれなくって、ミュウは保護されなかったけれど…。嫌われ続けただけだったけどね。
「なるほどなあ…。どう転んだとしても、最後は同じになっちまうのか…」
 ミュウって種族は、地球や宇宙には吉兆だったが、グランド・マザーには凶兆だった、と。
 たとえ吉兆だと喜んでいても、蘇我氏みたいに滅びちまっておしまいなんだな…?
「うん。本当に双頭の蓮とおんなじだよね。…前のぼくたち」
 捉える人の心次第で決まっちゃうんだよ、吉兆なのか、凶兆なのか。
 グランド・マザーは機械だったから、人間とは全く違うけど…。とても驕った思考を持ってて、ミュウの殲滅をプログラムされてなかったら、ミュウを保護していたかもね。
 さっきハーレイが言ってたみたいに、自分に都合よく考えちゃって。
 吉兆のミュウを保護した可能性はあるよね、と可笑しくなる。機械がそういう思考をしたなら、歴史の流れが変わっていたかもしれないから。最後は同じ結末になっても、途中の道が。
「あったのかもなあ、そういう道も…」
 実際には有り得なかった道だが、そいつはプログラムのせいだ。
 グランド・マザーが、「ミュウを発見したら処分しろ」という命令を一切、組み込まれないで、自由に思考していたら…。
 権力ってヤツに酔っちまっていたら、ミュウの保護だって充分、有り得た。
 人類が何と言っていようと、「自分なら上手く使いこなせる筈だ」と思い込んで。
 そうやってミュウを放っておいたら、牙を剥かれるというわけだな。
 人類がミュウを忌み嫌うせいで、ミュウの堪忍袋の緒が切れちまって。
 「こんな世界が悪いんだ」とSD体制を倒しにかかって、グランド・マザーも倒されるのか…。
 役に立ちそうだと保護した筈の、ミュウに足元を掬われちまって、マザー・システムごと。



 それも面白かったかもしれん、とハーレイは感慨深そうな顔。「別の道か」と。
「前の俺たちは、その道を歩めはしなかったが…。捉えるヤツの心次第なんだな」
 ミュウが不吉か、そうでないかは。…吉兆には違いなかったんだが。
 そうか、前の俺たちは双頭の蓮だったのか…。剣池には咲いちゃいないが、蘇我氏の代わりに、グランド・マザーを滅ぼしちまった蓮の花。
「どうだろう? 狂い咲きだって、不吉なんだと思われていたって言うんだから…」
 双頭蓮じゃなくって、ぼくが見たような、狂い咲きしてる夾竹桃かもしれないよ?
 それとも冬の桜の花かな…、と言ったのだけれど。
「桜とかも悪くないんだが…。俺としてはだ、双頭の蓮の方が好みだな」
 そっちがいい、とハーレイは双頭の蓮の方。どの花だろうと、捉え方次第で、不吉なものにも、喜ばれる花にも変わるのに。
「…なんで双頭の蓮がいいって言うの?」
 蘇我氏を滅ぼしちゃった花だよ、縁起の悪さが他の花より凄くない…?
 今は、おめでたい花みたいだけど、あんな話を聞かされちゃったら、他の花の方が…。
「どう捉えるかは心次第だと、お前、自分で言ったじゃないか。そいつを忘れてくれるなよ?」
 双頭蓮をよく考えてみろ。一つの茎に二つの花だぞ、其処がいいんだ。
 お前と二人で一本の茎なら、前の俺たちにはピッタリじゃないか。
 生まれた時期こそ違ってはいたが、出会ってから後は、ずっと二人一緒に生きていたんだから。
 お前がメギドに行っちまうまでは…、とハーレイに言われて気が付いた。確かに双頭蓮の花は、前の自分たちの姿に良く似合う。一つの茎に二つの花をつける蓮なら。
「そうだね、ああいう花だったよね…。前のぼくたち」
 本当は花じゃなかったけれども、花だとしたなら、それだと思う。双頭の蓮…。
 今度も一緒に生きていけるよ、今度こそ、絶対に離れないで。
 ぼくはメギドに行ったりしないし、本当に、うんと幸せ一杯に…。
「一つの茎に二つの花か…。いつまでも離れないカップルの蓮というわけだな」
 そういったことを考えた人が、幸せの花にしたかもなあ…。双頭蓮を。幸せを運んで来てくれる花だと、仲のいいカップルなんかになぞらえて。
「きっとそうだよ、花のカップルだもの」
 最初から一つの茎に生まれて、二つ一緒に咲くんだものね。



 いつか本物の双頭蓮を見てみたいな、と強請ってみた。
 滅多に咲かない花だけれども、何処かで咲いたら見に行きたい、と。
「蓮の花が咲く場所、色々あるでしょ? その内に何処かで咲く筈だから…」
 ハーレイと二人で出掛けられるようになってから咲いたら、見に行きたいな…。
 前のぼくたちみたいな花を。
「よしきた、俺の車で行こうじゃないか。双頭蓮を見にドライブだな」
 前の俺たちだけじゃなくてだ、今の俺たちにも似合いの花を。
 一本の茎に二つの花だし、本当にお前と俺みたいに一緒の花だからなあ、離れずに咲いて。
 俺が蓮の花に見えるかどうかはともかくとして…、とハーレイは困り顔だけど。
「大丈夫! ぼくと一緒に咲いてるんなら、ハーレイだって蓮の花に見える筈だから!」
 だから約束、双頭蓮を見に連れて行ってね。…いつか咲いたら。
 咲いたっていうニュースが出たら…、と指切りをして約束した。「見に行こうね」と。
 珍しいという双頭蓮。何年かに一度、咲くか咲かないかも分からない花。
 それが咲いたら、いつかハーレイと二人で見に行こう。それが咲いている蓮池まで。
 狂い咲きの花も、双頭の蓮も、まるで異分子だったミュウのようでも、今の時代は幸せの花。
 ミュウが本当は吉兆だったように、その花たちも今は喜ばれる。
 「珍しいから」と写真を撮られて、ニュースにもなって。
 誰も不吉だと嫌わない花を、ハーレイと二人、いつか仲良く眺めにゆこう。
 一つの茎に二つの花の双頭蓮。生まれた時から、同じ茎で育った二つの花を。
 「ぼくとハーレイみたいだよね」と、しっかりと手を繋ぎながら。
 「いつまでも二人、一緒だものね」と、握り合った手にキュッと力をこめたりもして…。



            花たちの異分子・了


※ブルーが出会った季節外れの夾竹桃の花。違う季節に咲いているだけに、異分子かも。
 前の生の頃のミュウも、異分子でしたけど、実の所は進化の必然。吉兆と考えてもいい存在。

 ハレブル別館、長いこと書き続けて来ましたが、piixiv に置いている、アニテラ創作。
 ここ数ヶ月、全く読まれなくなりました。
 アニテラの時代は終わったようだ、と思いますので、年度末で、終了にするつもりです。
 最終回などは書きません。来年3月まで、今の調子で続けてゆきます。
 それ以降、どうするのかは、pixiv の動き次第でしょうか。
 まだ読む人が残っているなら、ごくごく短い「その後の二人」を書くかもしれません。
 
 おバカなシャングリラ学園生徒会室の方は、来年も今まで通りです。
 他の二つのサイトについては、続けられる間は、書き続けると思います。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv







「さてと…。今日は、ちょっぴり暑いしな?」
 季節外れな話をするか、と笑みを浮かべたハーレイ。
 今はブルーのクラスで授業の真っ最中。古典を教えているのだけれども、眠くなる生徒も次第に増える。いくらハーレイが人気者でも、それと授業は別のこと。勉強が好きな生徒は珍しい。
 生徒の集中力が切れて来た時、絶妙なタイミングで繰り出す雑談。ハーレイの人気が高い理由の一つは、それ。
(確かに今日は暑いよね?)
 夏ほどじゃないけど、とブルーも思う。日向に出たら汗ばむ陽気。
 クラスの誰もが「暑い」と感じているのだろうし、季節外れな怪談だったら、まさにピッタリ。きっと怪談なのだろう、とクラス中が考えただろうに…。
(…怪談じゃないの?)
 ハーレイが教室の前のボードに書いた文字。「扇」と大きく、一文字だけ。
 扇と言ったら扇子と同じで、扇いで風を送るもの。夏のものだし、季節外れには違いない。
「お前たち、怪談だと思っていただろう? 残念ながら、今日はこいつだ」
 古典の授業じゃ、お馴染みだよな。扇ってヤツは。…いわゆる扇子。
 その扇子だが、何処で生まれたか知ってるか?
 最初に作られた場所のことだな、というハーレイの問い。「分かったヤツは?」と。
(えーっと…?)
 ずっと昔の中国だっけ、と考えた扇子の生まれ故郷。歴史が古い道具の筈だし、遠い昔の日本に文化を輸出したのは中国だから。
「中国ですよね!」
 他の生徒に先を越された。何人もが「はいっ!」と元気に手を挙げ、「中国です!」。
 出遅れちゃった、と本当にガッカリしたのだけれど…。
「残念だったな、お前たち」
 扇という言葉は中国に昔から存在したから、間違いじゃないが…。
 言葉は中国生まれなんだが、扇子の方は違うってな。
 そう簡単に分かるようなことを俺が訊くか、とハーレイはフフンと鼻で笑った。勇み足で答えた生徒たちを。「お前たち、まだまだ甘すぎるぞ」と。



 お蔭で、ホッとつけた息。出遅れたけれど、恥はかかずに済んだから。
(怪我の功名…)
 ホントにそれだよ、と思ってしまう。もしも一番に手を挙げていたなら、今頃は耳まで真っ赤になっていただろう。「間違えちゃった」と俯いて。
 ハーレイは「中国です」と答えた生徒たちを見回し、「中国の扇は団扇なんだ」と「扇」の字を指でトンと叩いた。
 団扇は今の時代もある。扇子と同じで、復活して来た日本の文化。夏に使う風を作り出す道具、扇子との違いは「畳めない」こと。
 昔の中国で「扇」が意味していたものは団扇。そういう形の風を送る道具なら、古代エジプトの壁画などにもあるらしい。大きさや形、材料などは地域によって様々で。
 けれど、折り畳める扇子が最初に生まれた場所は…。
「中国じゃなくて、この日本なんだ。…今の日本とは違うがな」
「ええっ!?」
 日本ですか、とクラス中の生徒がどよめいた。
 SD体制の時代には文化ごと消された扇子だけれども、今は普通に見られるもの。
 遠い昔の小さな島国、この辺りにあったと伝わる日本。其処の文化として復活している、扇子や団扇。古典の授業でも挿絵などで見る扇子だけれど…。
(日本で作って、あちこちに輸出していただけで…)
 元は中国からやって来たのだ、と頭から思い込んでいた。他の生徒と全く同じに。
 日本人は手先がとても器用で、他所の国から伝わったものをアレンジするのを得意としていた。それは細かい細工物やら、美しい絵を描いたものやら、日本の品物は引っ張りだこ。
 扇子もそれだと考えた。日本の製品が美しいから、きっと人気が高かったのだ、と。
(だって、昔の他所の国にも…)
 広く知られていたのが扇子。
 ヨーロッパの貴婦人たちも持っていたのだし、肖像画にも描かれているほど。
 それほど有名だった扇子が日本生まれだなんて、俄かにはとても信じられない。そういった頃に世界に広がったものは、中国のものが多いから。
 紅茶に陶磁器、絹だって元は中国生まれ。だから扇子も中国だろうと思うのに…。



 なんとも解せない、日本生まれだという扇子。「中国生まれ」の方がしっくりくる。遥かな昔に中国で生まれて、日本に渡って、更に洗練されたのだ、と考える方が。
 けれどハーレイは「間違えるなよ?」と念を押した。
「勘違いしているヤツらは多いが、正真正銘、扇子ってヤツは日本生まれだ」
 歴史もうんと古いってな。平安時代には完成してたし、古典の中にも出てくるだろう?
 そんな具合に、日本には扇子の記録がある。折り畳んで使っていたってことも。
 ところが中国の方になったら、別の記録が残されている。日本から扇子が入ってくるまで、折り畳める形の扇は存在しなかった、とな。
 つまり本当に扇子は日本生まれで、面白いことに、お前たちも知っている通り…。
 高貴な女性は扇で顔を隠すものだ、とハーレイが交えた古典の復習。源氏物語などが描き出した当時の貴族の習慣。身分が高い女性の場合は、人前では顔を隠すもの。扇をかざして。
 それと同じに、扇子が伝わったヨーロッパでも…。
「顔を隠していたんですか!?」
 今度もクラスがざわめいた。「扇で顔を隠す」というのは、日本だけだと皆、思っていたから。
「日本ほどにルールは厳しくないがな。…それに自発的に隠していたわけだから」
 そうそう顔は見せてやらない、と半ば意地悪かもしれん。
 日本の場合は、扇で顔を隠さなかったら、「なんて行儀が悪いんだ」と思われちまって、縁談も来やしなかった。そういうマナーが定着していたもんだから。
 ヨーロッパの方だと、其処までは行かん。自分を安売りしないために顔を隠していただけだ。
 扇子は女性の大切な持ち物の一つでだな…。
 お蔭で扇言葉というのまであった、とボードに書かれた「扇言葉」の文字。
「…扇言葉ですか?」
 何だろう、と声があちこちで上がったけれど。
「書いた通りだ、言葉なんだ。一種の暗号みたいなモンだな、扇言葉は」
 気になるヤツは自分で調べろ、こっちの方まで話していたらキリが無いから。
 もう充分に聞いただろうが、扇子の話は。…眠かったヤツらも、目が覚めたな?
 授業に戻る、と終わった雑談。
 扇子の話は其処でおしまい、「扇」も「扇言葉」も消された。教室の前のボードから。



 ハーレイの授業で扇子の話を聞いた日の帰り。
 いつものようにバス停から家まで歩いていたら、この時間でも暖かすぎる日差しが降って来る。小春日和と言うのだろうか、季節外れの陽気だから。制服の上着を着ていると暑い。
(こういう時に、扇子があったら…)
 パッと広げて、パタパタと涼しい風を送れる。顔や首筋なんかに向けて。
(男の人でも、昔だったら扇子を持ってて…)
 粋に扇いでいたのだろう。今日のような日や、夏の暑い日は。
 今の時代も、お洒落な人なら紳士物を持っているのだけれども、滅多に見ない。だから自分も、鞄に扇子を入れてはいない。
 あったら便利なんだけど、と考えながら帰った家。「暑い日は、扇子が便利そう」と。
 そうは思っても、今ではすっかり女性の持ち物になっている扇子。
(ママだって、夏は使っているし…)
 出掛ける時には持って行くよね、とダイニングでおやつを頬張りながら扇子を思い浮かべる。
 小さい頃から、母の扇子はよく見ていた。暑い日には外で、扇いで貰っていたことも。
(公園の東屋なんかに入って…)
 パタパタと風を送って貰った。ジュースを飲んでいる時とかに。
 母の扇子は、日本の文化が復活して来た時に戻って来たものの一つ。女性用の方が断然多くて、父は扇子を持ってはいない。
(前のぼくたちが生きてた頃は…)
 SD体制の時代なのだし、無かった扇子。文化ごと消されてしまっていて。
 人類の輸送船から物資を奪って暮らした時代も、物資の中に扇子は混じっていなかった。扇子が作られていなかったのでは、存在するわけもないし、物資に紛れ込んでもいない。
(もしもあったら、うんとレトロなものだから…)
 前のハーレイが貰って行ったのだろうか、「これはいいな」と目を付けて。
 とてもレトロだった、羽根ペンや木で出来た机を好んだハーレイ。他の仲間は見向きもしない、遠い昔の文化の名残を。
 だから扇子が混じっていたなら、喜んで貰いそうではある。
 船にはきちんと空調があって、扇子なんかの出番は全く無い世界でも。



 ハーレイだったら貰ったかも、と思ったけれど。いそいそと扇子を貰いそうだけれど…。
(扇子、ヨーロッパじゃ女性用…)
 今の時代の日本でも同じ。主に女性が持っているもの。
 もしも扇子が混じっていたなら、明らかに女性用だったろう。花の模様だとか、ヨーロッパ風のレースで飾られた扇だとか。
(うーん…)
 それじゃ駄目だ、と頭を振って戻った二階の自分の部屋。空になったカップやケーキのお皿を、キッチンの母に返してから。
(前のぼくが奪った物資の中に、扇子が混じっていたとしたって…)
 男性用の扇子ならともかく、女性用だと、どうなったろう?
 勉強机に頬杖をついて考える。前のハーレイなら、扇子を見付けてどうしただろう、と。
 物資の中に紛れた扇子。誰も欲しがる者が無ければ、不要品として捨てられて終わり。倉庫には余計な物は置かずに、大切なものを仕舞っていたから。後で役立ちそうなものとか。
 船では使わない扇子。空調があれば、暑すぎたりはしないから。
 機関部などの暑い場所では、扇子で扇ぐ暇があったら、作業を早く済ませて立ち去るだけ。あの船の中では、扇子は要らない。
(いくらハーレイでも、使わないよね?)
 物資の中に混じった扇子を見付けて、「レトロなものだ」と見惚れていても。
 きっと女性用の扇子なのだし、「俺が貰う」とは言いそうにない。ハーレイは男なのだから。
 それとも、貰って使うのだろうか?
 女性用でも全く気にせず、「これはいいな」と手に取って。…他に希望者はいない扇子を。
(扇言葉とかって言ってたし…)
 扇ぐ他にも使い道があるのが扇子というもの。
 けれども、あれも女性の世界のものだろう。扇子は女性の持ち物なのだし、扇言葉も女性たちの間で交わしていたのに違いない。
 そういうことなら、前のハーレイが扇子を貰って行っても役に立たない。
 扇言葉を知っていたとしたって、男性はそれを使わないから。女性の間だけで使う言葉で。
 そんな扇子を欲しがるだろうか、レトロ趣味だった前のハーレイが…?



 羽根ペンと、それに木で出来た机。シャングリラの仲間たちが見向きもしなかったもの。
 あまりにレトロで時代遅れで、欲しがる者は誰もいなかった。前のハーレイを除いては。それを喜んで貰って行ったのが前のハーレイで、白い鯨になった船でも使っていたほど。
 あのハーレイが扇子と出会っていたなら、欲しがったのか、それとも見ていただけか。
(うーん…)
 物資の中に扇子があったら、どうしていたのか訊きたい気分。
 何処から見たって女性用でも、「俺が貰う」と持ち去ったのか。あるいは「誰も欲しがらない」まま、扇子は宇宙に廃棄されたか。
(いったい、どっちだったんだろう…?)
 知りたいな、と思っていたら聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、早速、訊いてみることにした。テーブルを挟んで向かい合わせに腰掛けて。
「あのね、ハーレイ…。扇子があったら欲しかった?」
「はあ? 扇子って…」
 いきなり何だ、とハーレイは怪訝そうな顔。「扇子がどうかしたのか?」と。
「今日の授業で言っていたでしょ、扇子は日本で生まれたんだ、って」
 扇子があったら、ハーレイ、欲しい?
 貰っちゃおうって思うのかな…?
「扇子なあ…。渋くてなかなかいいとは思うが、持っちゃいないな」
 あれを持つには、もう少し年を取らないと…。粋に使いこなせるようになるには。
「え? 年を取るって…。なんで?」
 どうして扇子に年が関係してくるわけ、と目を丸くした。扇子は風を送るための道具で、誰でも使いこなせそう。広げたり閉じたり、それさえ出来る年になったら。
「いや、男性用の扇子を持つには、俺の年だと、ちと若すぎて…」
 絵にならないしな、とハーレイは軽く肩を竦めた。「扇子が似合うだけの貫禄が無い」と。
「ハーレイ、やっぱり欲しいんだ…。扇子…」
「年を重ねた男の魅力はいいもんだしな。親父もたまに使っているし」
 あれが渋くていいんだ、うん。
 夏の盛りにヒョイと広げて、パタパタとやっているのがな。…団扇よりもずっと絵になるから。



 団扇だと余所行きの感じがしない、というのがハーレイの言い分。家で気楽に扇ぐのが団扇で、扇子は出掛けた先でお洒落に使うものらしい。
 今のハーレイの父は紳士物の扇子を持っているから、ハーレイもそれに憧れる。もう少しばかり年を取ったら、自分も扇子が似合うのに、と。
 今のハーレイの扇子に対する気持ちは分かったけれども、問題は前のハーレイの方。遠く遥かな時の彼方で、シャングリラで生きていたハーレイ。
「今のハーレイは、扇子が欲しいらしいけど…。そのために、年を取らないでよ?」
 もう止めるって約束したでしょ、年を取るのは。
 だから扇子が似合うような姿になるまで、年を取ったら駄目だからね。…いくら欲しくても。
 でも…。前のハーレイなら、どうだった?
 扇子があったら欲しかったのかな、うんとレトロな道具でしょ、扇子。
 風を送るんなら空調がちゃんとあったものね、と扇子のレトロさを強調した。羽根ペンや木製の机を愛用していた前のハーレイは、明らかにレトロ趣味だったから。
「扇子が欲しいかと訊かれても…。扇子なんか無いぞ、あの時代には」
 機械が文化を消しちまってたし、何処を探しても無いってな。前の俺たちが生きた頃には。
 無いものには出会いようがないってモンだろ、前の俺と扇子。いくらレトロな道具だとしても、出会いが無いなら話にならんぞ。
「そうだけど…。それは分かっているんだけれど…。でも…」
 もしも扇子が、前のぼくが奪った物資の中に混じっていたら、どうしてた…?
 あの時代に扇子は無かったんだし、あったとしたら、の話だけれど。
 扇子があったら、前のハーレイはどうするわけ…?
 貰って行くのか、要らないからって廃棄処分に回すのか、どっち?
 ハーレイくらいしか欲しがらないでしょ、とてもレトロな扇子なんかは…?
 船では要らない道具だものね、と重ねて言った。シャングリラでは出番のない道具、と。
「ふうむ…。うんとレトロな扇子と出会っちまった時か…」
 ちょいと手に取ってはみるんだろうなあ、「これが扇子というものか」と確かめに。
 大いに興味が湧くと思うぞ、風を送るための道具だなんて。
 しかも自分で扇ぐためのもので、空調みたいに自動になってはいないんだしな?



 まず間違いなく手に取るだろう、とハーレイは大きく頷いた。「前の俺なら、そうなるな」と。
「レトロ趣味だったのは本当なんだし、扇子もレトロなんだから…。手が伸びちまう」
 物資の分配を始める前に見付け出すのか、分配した後に残った中から掘り出すのか。
 どっちにしたって、触りもしないで廃棄処分に回しはしないぞ。使い心地ってヤツはどうかと、そいつを確かめない内は。
「使い心地って…。その扇子が女の人用のでも?」
 扇子、今も殆どは女の人のためのものでしょ、昔だってそう。…日本には男の人のための扇子もあったけれども、ヨーロッパだと女の人用ばかりだから…。
 前のぼくたちの時代に扇子があったら、女の人用だと思うんだけど…。
 花模様だとか、レースつきだとか。そういう扇子でも、ハーレイは触って使ってみた…?
 女の人用の扇子だよ、と念を押したけれど、ハーレイは「気にしないな」と直ぐに答えた。
「どんなに華やかな扇子だろうが、扇子は扇子だ。レトロなものには違いない」
 俺にしてみりゃ、大いに興味があるわけだから…。
 ちゃんと手に取って、広げてみたりするんだろう。広げたら畳んで、「こうなるのか」と扇子の凄さに感動もして。一本の棒がパッと広がるわけだしな?
 でもって、そいつで扇いだりもして、貰っておくか、どうすべきかを考えるんだ。
 女物だろうが、俺が自分の部屋の中だけで使う分には、誰も笑いやしないんだから。
 ただし、俺がゆっくり考える前に、エラが持って行ってしまわなければ、だが。
「エラ…?」
 なんでエラなの、エラはレトロな趣味なんか持っていなかったよ?
 木の机だって欲しがらなくて、羽根ペンも見向きもしていなくって…。なのにどうして、エラが扇子を持って行っちゃうの…?
 有り得ないでしょ、と指摘したのだけれども、ハーレイは「そうでもないぞ」と返した。
「レトロな趣味は持っていなくても、知識は豊富だったしな。調べ物だって好きだったから…」
 扇子があるような時代だったら、扇言葉を知っていそうだと思わんか?
 なにしろ相手は、あのエラだから。
「そうかも…!」
 本物の扇子は初めて見たって、色々なことを知っていそう…。扇言葉があることも。



 確かにエラなら、きっとピンと来たことだろう。物資の中に混ざった扇子を目にしたら。
 とてもレトロな扇子という道具も、それが使われた遠い昔の文化なども。
「あの時代でも、ちゃんと調べれば、扇言葉のデータなんかもあったよね?」
 扇子が消されちゃってた頃でも、扇子について調べていけば。…データは残っていたんだから。
「恐らくな。…扇子を持ってる肖像画なんかも、データの形で残っていたし」
 元の肖像画は、とうに失われてしまっていたって、どういう絵かは分かったんだ。絵に描かれた人が誰なのかも。
 だから扇子に興味さえあれば、いくらでも調べられただろう。何に使ったのか、どういう具合に発展していったのか。…扇言葉が作り出されたトコまでな。
 エラなら調べられただろう、と今のハーレイが言う通り。
 レトロ趣味ではなかったけれども、遠い昔の歴史などにも詳しかったエラ。扇子に興味を持っていたなら、扇言葉にも辿り着いただろう。
 そして本物の扇子に出会った時には、それを試そうと持って行ったりもして。
「ねえ、ハーレイ…。扇言葉って、どんなものなの?」
 授業では話していなかったけれど、ハーレイは知っているんでしょ?
 「これ以上はキリが無いからな」って、授業に戻ってしまったけれど…。
 一種の暗号みたいなヤツって、どうやって扇子で暗号になるの…?
 中に何か書いておくだとか、と問い掛けた。扇子の素材にもよるだろうけれど、文字などを中に書くことは出来る。だから暗号を其処に書くのか、と。
「おいおい、それじゃ無粋だろうが。まあ、暗号としては使えそうだが…。そのやり方でも」
 だがな、よくよく考えてみろよ?
 扇言葉を使っていたのは貴婦人なんだぞ、本物の暗号を使うと思うか?
 本当に秘密のやり取りだったら、そういったヤツも使ったりはしていたんだが…。命が懸かった脱出劇とか、そんなのもあった時代だから。
 しかし、扇言葉を使ってた場所じゃ、物騒なことは起こらなかった。
 舞踏会とか、皆で集まっての晩餐会とか、華やいだ席で優雅に扇を持ってたんだぞ?
 扇言葉は、扇の動きだけで色々なことを伝えるための手段だってな。
 こう動かしたら、この意味だとか。声は出さずに、扇子だけで言葉を伝えられた、と。



 扇子の動きだけで言葉を伝えた、遠い昔の貴婦人たち。確かに、ある意味、暗号のよう。扇子の動きに意味があるとは、知らないと気付きもしないから。
 大勢の貴婦人たちが扇子で言葉を交わしていたって、傍目には扇子が優雅に動いているだけ。
 働いたことなど一度もない手に操られて。彼女たちだけの秘密の暗号、それを語るために。
「扇言葉って、そういうものだったんだ…。ホントに暗号みたいだね」
 ぼくが見たって、暗号だなんて思いもしないよ。扇子を持ってる、って眺めるだけで。
 …前のぼくたちが生きた頃には、扇子は存在しなかったけれど…。
 前のハーレイも出会えないままになっちゃったけれど、もしも出会えることがあったら。
 エラが本物の扇子に出会っていたなら、どうなったかな?
 前のハーレイよりも先に持ってっちゃうかな、きっと女の人用の扇子だろうし…。
「間違いなく持って行ったと思うぞ、俺が「どれ」と扇子に手を伸ばすよりも前に」
 これは私が貰っておきます、と掻っ攫う姿が目に浮かぶようだ。前の俺には触らせもしないで。
 そうやって持って行っちまった後は、女性の間で流行ったんじゃないか?
 扇言葉というヤツが。…それこそ船で扇子を作る所から始めて。
 その気になれば作れただろう、とハーレイが言う扇子。構造自体は単純なのだし、最初の一つが手に入ったなら、真似て作ってゆけばいいだけ。
 船の中でも揃う材料、それを使って。折り畳める扇子の形に仕上げて、欲しい女性たちに配ってゆくことも出来た。扇言葉を使いたい女性は、扇子を貰って扇言葉を使う。
「本当に?」
 流行ったのかな、扇子を使う言葉だなんて…。暗号なんかを使わなくてもいい世界なのに。
 こっそり話をしたいんだったら、思念波だってあったんだけど…?
「扇言葉は貴族の習慣だったんだぞ。ずっと昔の、本物の貴婦人たちが使った言葉だ」
 そいつを真似て話せるんだぞ、扇子が一本ありさえすれば。
 お姫様みたいなドレスは無くても、贅沢な宝石だって無くても。
 それでも言葉は共通だってな、貴婦人たちと。扇子を使って話しさえすれば。
「…夢が一杯で、流行りそうだね…。あの船の中で、お姫様ごっこ…」
「そうだろう? だから流行ると言ったんだ」
 エラが扇子と出会っちまったら、扇言葉があったと思うぞ。…あのシャングリラに。



 白い鯨じゃなかった船でも、とハーレイは笑う。人類の船から物資を奪って、皆が懸命に生きていた船。名前だけが「楽園」だった時代のシャングリラ。
 そんな船でも、扇子があったら扇言葉が流行ったろう、と。扇子を手にした女性たちは皆、遠い昔の貴婦人気分で。
「うん、本当に流行っていそう…。貴婦人なんて、あの船じゃ誰もなれなかったから」
 ミュウは見付かったら殺されるだけで、人間扱いさえもされてなくって…。
 だから余計に夢を見たいよね。…扇子を一本持っているだけで、貴婦人の言葉を喋れるんなら。
 ずっと昔に、地球にいた本物のお姫様たち。その人たちと同じ言葉を使えるんなら…。
 とても素敵で、みんなが喜びそうだけど…。エラのアイデア、みんなが飛び付きそうだけど…。
 どんなのがあるの、扇言葉って?
 扇子の動きで伝えられること、中身はどういう風になるわけ…?
 普通の言葉と同じなのかな、と投げ掛けた問い。暗号めいた扇の言葉で会話が出来たか、遊びに過ぎなかったのか。なにしろ使うのは扇子だけだし、語彙が多そうには思えないから。
「扇言葉の中身ってか? そりゃあ、色々あったってな」
 なんと言っても言葉なんだし、伝えられることは多いに越したことはない。
 「はい」と「いいえ」は基本の中の基本ってヤツだな、これが無ければ始まらん。質問されたら答えるのが会話の基本だろうが。
 そして本当に凄かったらしいぞ、扇言葉で伝えられる中身というヤツは。
 「あなたが好きです」とか、そんなのはまだマシな方でだ…。「あなたは残酷です」なんていう言葉もあったらしいから。
 声に出さなくても、扇子だけでそれを伝えるんだぞ。男の方も大変だってな。
「男の人って…。なんで?」
 扇言葉は、女の人が使うものでしょ。女の人しか扇子は持っていないんだから。
 女の人の言葉だよね、とキョトンと首を傾げていたら、ハーレイは「甘いぞ」と可笑しそう。
「男も、そいつを知らなきゃいけなかったんだ。女性がそれで話す以上は、読み取らないと」
 扇言葉の意味ってヤツを。…自分は使う方でもないのに、あれはどういう意味なのか、とな。
「えーっ!?」
 男の人も覚えなくっちゃ駄目なの、とても沢山の言葉があるのに?
 自分は扇子を持ってないのに、扇言葉を覚えていないと駄目だったなんて…!



 酷すぎだよ、と叫んだけれども、それは本当にあったこと。
 人間が地球しか知らなかった時代に、東洋の小さな島国で生まれた扇子が海を渡って行って。
 ヨーロッパで貴婦人たちに愛され、必須の持ち物に変身を遂げて。
 扇子の動きで意味を表す扇言葉は、紳士淑女のための教本までが作られていた。貴婦人が持った扇子がこう動いたら、こう、と意味を詳しく書き記して。
 それをきちんと覚えていないと、舞踏会などで気持ちを伝えられない。相手の気持ちを読み取ることも出来ない。しかも…。
「その教本を持って話をするなど、論外だからな? 場の雰囲気がブチ壊しになる」
 とにかく中身を覚えるしかなくて、そいつが社交のルールってヤツだ。
 「好きです」と言ってくれているのに気付かないなら、自業自得で悲しいことになるんだが…。
 「あなたを追い払いたい」ってヤツもあるんだ、そう言ってるのに側を離れなかったら…。
 周りから見れば非常識なヤツで、評判までが地に落ちちまう。「あいつは駄目だ」と噂が流れて命取りってな。
 だから男もきちんと覚えておかないと、と言われれば分かる。貴族の世界は社交が大切、人との関わり方が重要。彼らの仕事は、社交そのものだったから。
「なんだか凄いね…。男の人まで巻き込んじゃってた言葉だなんて」
 扇子を持つのは女の人だし、女の人同士でお喋りするんだと思ってたのに…。
 そうじゃなくって、男の人にも扇言葉で話すだなんて。…男の人まで扇言葉を覚えたなんて…。
 本まで出ていたくらいなんだし、みんな頑張って覚えたんだと思うけど…。
 働く必要が無かった分だけ、時間はたっぷりありそうだけど…。でも…。
 扇言葉を覚えて使っていたのは、機械じゃなくって人間だよ?
 人間に「絶対」なんかは無くって、ミスすることも多いんだけど…。うっかりミスとか。
 そんな風にして、間違えちゃったらどうなるんだろう?
 扇子を持ってる女の人も、それを読み取る男の人も…。
「間違いなあ…。扇言葉で伝え損なったり、読み損なったりするってか…?」
 確かに無いとは言い切れないよな、なにしろ人間なんだから。
 「あなたが好きです」と言われてるのに、「嫌いなのか…」と諦めて去っていくヤツだとか。
 逆に「好きです」と伝えたつもりで、「追い払いたい」と言っちまうとか…。



 ありそうだよな、とハーレイも頷く「扇言葉の間違い」。きちんと声で話していたなら、そんな間違いは起こらないのに。…自分の気持ちを伝えるために、人間は声を持っているのに。
「ね、間違えちゃうことも起こりそうでしょ?」
 扇言葉は厄介そうだよ、見た目はとても優雅でも。…扇子の動きだけで気持ちを伝えられても。
 間違えちゃったら、それでおしまいになっちゃうこともありそうだもの。本当は上手くいく筈の恋が、間違えたせいで壊れてしまって。
 良かったね、前のぼくたちが生きてた時代に、扇子が無くて。
 シャングリラには扇子も扇言葉も無くって、声と思念波だけの世界で。
 もしもシャングリラに扇言葉があったら、ぼく、間違えてしまいそうだから…。
 ホントにやりそう、と舌をちょっぴり覗かせた。何か悪戯して、叱られた時の子供みたいに。
「なんだって?」
 お前が何を間違えるんだ、シャングリラに扇言葉があったら…?
 エラたちが喋っているのを眺めて、まるで違うことをやったりするのか?
 「ソルジャーがおいでになった」と話してるのに、「来ないで下さい」と間違えちまって、何も言わずにそそくさと消えてしまうとか…?
「ううん、それならまだいいけれど…。間違いの中ではマシだと思う」
 ぼくが扇言葉を読み取り損ねて、何か失敗してるくらいは。…ぼくが恥をかくだけだから。
 だけど、扇言葉を使っているのが、ぼくだったら…?
 エラが船の中で扇言葉を流行らせていたら、ぼく、面白がって扇子を貰っちゃうかも…。
 女の人しか持っていなくても、「ぼくにも一本貰えるかな?」って。
 白い鯨になった後なら、扇子を作るの、ずっと簡単になっていそうだし…。
 扇言葉の詳しい本も、船の中で刷られていそうだし…。
 そういう頃でしょ、前のぼくがハーレイのことを好きになったの。…一番古い友達だったのが、恋人同士に変わった頃って。
 その大切な時に間違えてしまいそう。
 ハーレイに「好き」って気持ちを伝えるのがとても恥ずかしくって、扇子を貰って…。
 扇言葉の本で勉強して、「好きです」っていう時はこうするんだ、って…。
 青の間で何度も練習してから、ハーレイに伝えに行くんだけれど…。



 扇子を持って、とクスッと笑った。「其処で失敗するんだよ」と。
「失敗って…。お前が俺に扇言葉で伝えようとしてか?」
 俺の部屋まで来たのはいいが、わざわざ扇子を使って「嫌い」と俺に言っちまって…?
 嫌われた俺は酷いショックで、お前に「帰って頂けますか」と返事するのか?
 お前と話す理由が無いしな、とハーレイが唸る「言葉を伝え損ねた」結果。「嫌いだ」と告げにやって来た人と、ゆっくり話しはしないだろう。酷い喧嘩になるだけだから。
「そう。…そしたら、おしまい…」
 ぼくは「好き」って伝えたつもりで、間違えたなんて思わないもの。とても緊張していて、胸もドキドキだろうから…。「やっと言えた」ってホッとするだけ。
 それの返事が「帰って頂けますか」だったら、ぼくの方だって大ショックだよ。
 「好き」の返事が「帰れ」だなんて、どう考えても「俺の方は好きだと思っていない」っていうことだもの。…振られちゃった、って泣きそうな気分。
 だけどホントに振られたんだし、仕方ないよね…。
 青の間に帰って泣くしかなくって、ハーレイとの恋は始まりさえもしないんだよ。…ハーレイは「嫌われた」と思ってぼくを避けるし、ぼくは「振られた」と思っているし…。
 それじゃ二人で話しもしなくて、いつまでも間違えちゃったまま。
 ホントはお互い、大好きなのに…。ぼくが扇言葉を間違えなければ、恋が実っていたのにね…。
 そういう失敗、起こりそうでしょ、と自分の顔を指差した。
 前の自分も、人間だから。ソルジャー・ブルーでも、失敗することはあったのだから。
「お前の方が失敗なあ…。それも無いとは言えないが…」
 それとは逆に、お前が正しく送っていたって、俺が間違えるかもしれないぞ?
 「好きだ」と伝えてくれているのに、「大嫌いだ」と読み取っちまって、その後のことは、今の話と全く同じで。…お前に向かって「帰って頂けますでしょうか?」と言っちまって。
「ハーレイだったら間違えないでしょ。ぼくと違って」
 キャプテンだものね、知識も沢山あったもの。シャングリラの中のことだったら。
 扇言葉も完璧なんだよ、わざわざ勉強しなくったって。
「はてさて、そいつはどうなんだか…」
 扇言葉は、ブリッジじゃ使わないからな?
 あそここそ声と思念波の世界だ。優雅に扇子を使って話す余裕なんかは、誰も全く無いってな。



 エラだって扇子は封印だろう、とハーレイが苦笑する「ブリッジ」という場所。
 ブリッジは白いシャングリラの心臓なのだし、どんなに空気が和やかな時も、「正しく伝える」ために努力をするべき所。
 船の周りの観測データも、航路設定などの数値も。
 キャプテンからの指示はもちろん、機関長やら、航海長やらが発する声も、どれも正確に、皆の持ち場に伝わってこそ。
 伝え損ねれば船が傷つき、最悪の場合は沈むこともある。人類軍から船を守っている、システムなどがダウンして。…ステルス・デバイスが作動しないとか、シールドも張れなくなるだとか。
 そんな場所では、扇言葉は使えない。
 「面舵」や「取舵」を扇言葉で伝えてみたって、誰も瞬時に動けはしない。
 もっとも、キャプテンは男なのだし、扇子で指示は出さないけれど。
 航海長のブラウだったら、扇子を持てる女性だけれども、扇言葉でカウントダウンは出来ない。数字を表すことは出来ても、ブリッジクルーは、そちらを向いてはいられないから。
「そっか…。扇言葉は、ブリッジには向いていないよね…」
 普段に使っていないんだったら、ハーレイも詳しくなさそうだから…。
 ぼくが「好きだよ」って扇言葉で伝えていたって、間違えちゃいそう。「嫌われたんだ」って。
 それにハーレイが詳しくっても、ぼくが間違えちゃったらおしまい。
 「ハーレイが好き」って伝えたつもりで、「大嫌いだよ!」ってやっちゃうとか。
 そんなのホントに悲しすぎだよ、ちゃんと伝わったら恋人同士になれたのに…。
 扇言葉を間違えちゃって、「振られたんだ」とか、「嫌われた」って思い込んじゃって…。
 一度そうなったら、話しに出掛けて、また傷付きたくないものね…。
 ぼくはハーレイを避けるんだろうし、ハーレイもぼくを避けるだろうから…。
 きっと誤解は解けないままだよ、二人きりで話さないんなら。
 ソルジャーとキャプテンとしての話だけしか、しようと思わないんなら…。
「まったくだ。多分、そうなっちまうしな…」
 船の仲間たちに、俺たちのことで迷惑なんかはかけられん。
 距離を置くのが一番いい、と俺だって思うことだろう。…傷口を広げたくないのなら。
 お前に嫌われちまったってことを、直視したくはないからなあ…。



 遠く遥かな時の彼方で、お互い、間違えたかもしれない言葉。
 恋が実るか実らないかの、とても大切な局面で。
 間に扇子が入っていたなら、扇言葉の「好き」と「嫌い」を取り違えて。
「…ぼく、ハーレイに扇言葉は使わないよ」
 ママの扇子は家にあるけど、間違えちゃったら大変だから。
 扇子の動きで色々な言葉が伝わるだなんて、ちょっぴり面白そうだけど…。扇言葉のことが沢山書いてある本、学校の図書室にあったら借りるかもだけど。
 でも、読むだけで使わないからね、と宣言した。
 扇言葉を間違えたならば、大変なことが起こるから。
 せっかく来てくれたハーレイに向かって、「大嫌い!」と扇子で伝えてしまいそうだから。
「扇言葉なあ…。お前の場合は、使うまでもないと思うがな?」
 あれは声を出さずに気持ちを伝えるための言葉で、今のお前には必要ないぞ。
 思念波の方はサッパリにしても、お前からは「好き」が溢れているから。
 心の欠片が零れてなくても、顔だけを見れば充分、分かる。…俺を嫌いじゃないってことが。
「ホントだね!」
 ハーレイのことが、誰よりも好きでたまらないから、きっと顔にも出てるよね。
 わざわざ扇子を使わなくても、黙っていたって、伝わっていそう。
 ぼくがどんなにハーレイが好きか、前のぼくだった頃よりも好きか。
 ハーレイは分かってくれているから、扇言葉で伝えなくてもいいんだものね…!



 遠い昔の扇の言葉。
 貴婦人たちが扇子で伝えて、男性もそれを読み取った。本まで読んで、扇言葉の勉強をして。
 とても頑張って勉強したのに、間違った人もいたかもしれない。
 たった一度の間違いのせいで、恋が壊れた人だって。
(でも、ぼくたちなら大丈夫…)
 大丈夫だよ、と自信を持って言えそうな気分。
 遥かな昔の恋人たちは、間違えたかもしれないけれども、自分たちは間違えたりしない。
 扇言葉なんかは使わないから、それが無い時代に恋をして、生まれ変わって来たから。
 宇宙の何処にも扇子が無かった時代に生きて、扇子がある今の時代に来たから。
 死の星だった地球が青く蘇るほどの時が流れても、今も変わらず恋人同士。
(ぼくが、ママの扇子を借りて来ちゃって…)
 間違えて「嫌い」と出していたって、ハーレイは「好きだぞ」とプロポーズしてくれる。
 扇言葉を使っても。
 好きなのに「嫌い」と間違えていても。
 その程度のことで、恋が壊れはしないから。
 今度こそ幸せに生きてゆくために、ハーレイと二人、地球に生まれて来たのだから…。



            扇の言葉・了


※遠い昔の貴婦人たちの言葉。扇を使って伝えるもので、男性にも扇言葉の知識は必須。
 間違えて使ってしまいそうだ、と心配なブルーですけど、相手がハーレイなら、伝わる言葉。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv










(あれ…?)
 どうしたんだろ、とブルーは首を傾げた。学校からの帰りに、バス停から家まで歩く途中で。
 道沿いの家の庭に、その家の御主人の姿。家と庭を囲む生垣からは、少し離れた奥の方。其処で大きな木を見上げながら、難しい顔。困ったようにも見える表情。
(あの木が、どうかしたのかな?)
 木の葉や枝を眺めたけれども、弱っているという感じは受けない。むしろ生き生きしている木。本当に元気そうだけれども、素人だから元気に見えているだけで…。
(ホントは病気になっちゃってるとか?)
 しかも簡単には治らない病気。木の姿がすっかり変わるくらいに、枝を何本も切り落とさないと駄目だとか。
(そういう病気もあるらしいものね…)
 治療した後は、太い幹には似合わない細い枝が数本、そんな姿になってしまう木。元通りに枝が茂るまでには何年もかかる、荒療治とも言える治療法。
 それが必要な病気の兆しを発見したなら、難しい顔にもなるだろう。もちろん困るし、御主人が悩んでしまうのも分かる。あの木は庭のシンボルツリーなのだから。
(…どうしたの、って訊いてみたいけど…)
 御主人の気持ちを考えてみると、黙っている方がいいかもしれない。声を掛けようか、このまま通り過ぎようか、と迷っていたら…。
 御主人がこちらに顔を向けたから、慌ててピョコンとお辞儀した。
「こんにちは!」
「おや、ブルー君。今、帰りかい?」
 身体もこっちに向けた御主人は、両腕で猫を抱いていた。白地に黒のブチがある猫。しっかりと胸に抱いているから、服と混じって気付かなかった猫の存在。
(白と黒のブチ…)
 この家に猫はいただろうか?
 いなかったように思うけれども、もう子猫とは呼べない大きさ。滅多に外に出ない猫なら、いることも分からないだろう。知らない間に飼われ始めて、育っていても。



 初めて出会った猫にも驚いたけれど、それよりも木の方がずっと気になる。物心ついた時には、もうこの家の庭にあった木。自分も馴染みのシンボルツリー。
「おじさん、その木…。どうかしちゃったの?」
 弱っているようには見えないけれども、病気になっちゃってるだとか…?
「この木かい? ちょっぴり困ったことになってねえ…」
 其処からだと見えないだろうから…。入って見てやってくれるかい?
 どうぞ、と入れて貰った庭。御主人が門扉を開けに来てくれて。
 其処まで来るのも、門扉を開けるのも、御主人は猫を抱いたまま。使わない方の腕にしっかり。
(よっぽど可愛がっているんだね)
 少しも離さないんだもの、と猫にも挨拶。「こんにちは」と。返事は「ミャア!」。
 御主人は木の側に案内してくれて、猫を抱いていない手で木を指差した。
「ほら、見てごらん。…可哀相なことになっちゃったんだ」
「えっと…?」
 側で見ても、やっぱり元気そうな木。病気のことは分からないから、何処を見ればいいのか謎。葉っぱに妙な斑点なんかもついてはいない。枝の茂り具合が変なのだろうか?
(可哀相なことになったんだったら、病気だよね…?)
 何処で分かるの、と上から下まで何度見たって、元気そのものに思える木。立派な幹も、幹から伸びた枝たちも。
「ブルー君は気が付かないかな? これだよ、これ」
 この通り、苔がすっかり剥げちゃってね。この間までは、綺麗な緑だったんだがねえ…。
「本当だ…!」
 あちこち剥げてる、と目を丸くした。太い木の幹を覆うようにして、濃い緑の苔が生えている。まるで上等の絨毯みたいにフカフカに見える、薄い割には存在感のある苔たち。
 それが無残に剥がれた場所が、幹に幾つも。
(何かで無理やり、剥がしたみたい…)
 削り取られたように、長い線になって剥げている苔。剥がれた跡は直線だったり、少し曲がっていたりと色々。剥げてしまった場所は木の皮がむき出しになって、痛々しいくらい。
 本当だったら、木の幹はそれでいいのだけれど。…苔が無くても、木の皮だけで充分。



 普通の木ならば、幹に苔など生えてはいない。生えていたって、ほんの少しだけ。家の庭の木を思い浮かべても、幹にビッシリ苔を生やした木などは無い。
(この木も、普通の木なんだけどな…)
 ありふれた木で、珍しくない木。けれども、苔がよく似合う。こんな風に剥がれてしまった姿を目にした途端に、「可哀相だ」と感じるほどに。
「剥げちゃったって…。この木、どうなっちゃったの?」
 病気じゃないよね、苔が剥げちゃう病気なんかは知らないし…。
 それに無理やり剥がしたみたいで、虫なんかだと、こんな風にはならないだろうし…。
 いったい何が起こったわけ、と御主人の顔を見上げたら。
「この子だよ。…気付かなかった私も悪いんだがね」
 御主人がコツンと軽く叩いた、腕の中にいる猫の小さな頭。「駄目じゃないか」と。
 猫の方では「ニャア…」と鳴いたものの、謝ったりするわけがない。猫は言葉を話さない上に、元が気ままな生き物だから。
「剥がしちゃったの、猫だったの?」
 おじさん、この子、前から飼ってた?
 ぼくは初めて会ったんだけど…。子猫の時から、家の中だけで飼ってたとか…?
「いや、この子は孫が飼ってる猫でね…。孫の家は別の所なんだよ」
 暫く旅行に行くと言うから、ウチで預かることにしたんだが…。お蔭で、こういう有様なんだ。
 庭で遊んで、あちこちの木に登っていたんだろうね。きっと最初は、片っ端から。
 それで気に入ったのがこの木で、今じゃすっかり遊び場になって…。
 庭に飛び出しては、これに登ったり、下りて来たりするのさ。猫には爪があるからねえ…。
 そのせいで剥げてしまったんだ、と御主人が溜息をついている苔。
(猫の爪なら、こうなっちゃうよね…)
 登る時にも剥げるだろうし、下りる時にも爪に引っ掛かりそう。そうやって苔が剥げてゆくのも遊びの一つなのかもしれない。「面白いよね」と、わざと爪を余計に出したりして。
(爪の幅だけ、剥がれちゃうから…)
 爪を広げて、滑り下りたりもするのだろう。苔を一緒に引き剥がしながら、体重をかけて上からズルズル。如何にも猫が好きそうな遊び。



 猫には楽しい遊びだけれども、苔にとっては大いに迷惑。木の幹から無理やり引き剥がされて、その後は枯れてしまっただろう。水分も栄養も摂れなくなって。
 苔に覆われていた木の幹だって、みっともない姿にされてしまった。あちこちが剥げて、自慢の服がボロボロだから。
 御主人は苔が剥がれた跡を見詰めて、フウと溜息。
「弱ったよ…。今じゃすっかり、こうなんだから。…一目で分かるハゲだらけでね」
 せっかく綺麗に生えていたのに、台無しだ。見た目も悪いし、どうにもこうにも…。
「苔はくっつけられないの?」
 剥がされた苔は、根っこ…って言うのか、そういうのが駄目になっているから無理だろうけど。
 でも、苔だって売っているでしょ、苗とかを扱うお店に行けば…?
 苔を買って来て、剥がれちゃった所にくっつけたら、と提案してみた。同じ種類の苔が売られているのだったら、問題は解決しそうだから。…くっつける手間はかかるけれども。
「苔ねえ…。もちろん店にはあるだろうけど、それじゃ不自然になるからね」
 後からくっつけてやった場所だけ、変に目立ってしまうんだよ。人間の手が加わるから。
 自然に生えるのを待つのが一番いい方法で、この木の苔もそうなんだ。苔なんか一度も植えてはいないよ、勝手に生えて来ただけさ。暮らしやすい条件が揃ったんだろうね。
 しかし、これだけ剥げてしまうと、元の通りに戻るには…。
 下手をしたら何年もかかるんじゃないかな、と御主人が言うから驚いた。相手は苔だし、じきに元通りに生えて来そうなのに。
「何年もって…。何ヶ月とかの間違いじゃなくて?」
 苔って、そんなに分厚くないでしょ。剥げたのが此処で、剥げてないのが此処だから…。
 ほんのちょっぴり、と眺めた厚み。数ミリくらいしか無さそうに見える苔の層。
「それが何年もかかるのさ。…こういう風になるにはね」
 毎年、毎年、少しずつ育って厚くなるのが苔なんだよ。とても小さな胞子を飛ばしては、自分の仲間を増やしながら。
 人間の手で植えてやるには、気難しすぎて手に負えないのが苔ってヤツかな。
 庭に植えても、なかなか思うようには育ってくれなくてね。
 それを木の幹に植えるとなったら、厄介だろうと思わないかい…?



 「盆栽が趣味の人なんかだと、頑張るらしいよ」と御主人は教えてくれた。
 大きく育つ筈の木たちを、小さなサイズに育てる盆栽。とても小さいのに、樹齢の方は一人前。何十年とか、百年だとか、そういう木たちを楽しむ世界。
 けれど最初から「丁度いい木」は無いわけだから、育て始めて直ぐの間は木だって若い。樹齢は一年、二年とかで。
 そういう木たちを少しでも立派に見せたいから、と生やすのが苔。年ふりた木にも負けない幹を作り出そうと、せっせと苔をつけてやる。
 ただし、自然に見えないと駄目。年数を経て生えたかのように、色々な苔を枝や幹に。
「幹につく苔と、枝とでは違うらしくてねえ…」
 趣味の人たちはうるさいらしいよ、苔の生え具合や種類なんかに。…少しでもいい木に見せたいからねえ、自分の大切な盆栽を。
「そうなんだ…。盆栽って、苔も大事なんだね」
 木の形だとか、大きさだけかと思ってた…。小さくても立派に花が咲くとか、そんなので。
「盆栽の趣味は無いんだけどね…。この木の幹は好きだったんだよ」
 勝手に苔が生えてくれたお蔭で、堂々として見えるじゃないか。…森の中にある木みたいにね。
 友達が来ても、とても羨ましがってくれるから…。
 庭の自慢にしていた木なのに、気が付いたらこうなってたんだよ。この子が登ってしまってね。
 今ではすっかりお気に入りだし、この子がウチに泊まっている間に、丸禿げじゃないかな。
 残っている苔も剥がされちゃって、と御主人は本当に困り顔。御自慢の木の幹を前にして。
「猫を繋いでおくのは駄目?」
 そうでなきゃ、家から出さないとか…。
 繋いでおいたら、この木に勝手に登りはしないし、家から出なけりゃ登れないよ?
 苔を守るのにはいいと思う、と言ったのだけれど。
「それだと、この子が可哀相じゃないか。好きなように遊べないなんて」
 庭が大好きで、「出して」と頼みに来るんだよ?
 だから何度も出してやっていたら、こうなっていたというわけさ。この木が最高の遊び場で。
 この木に登って遊んじゃ駄目だ、と覚えてくれればいいんだけどねえ…。
 おっと!



 御主人の腕の中にいるのに退屈したのか、遊びたい気分になったのか。ピョンと飛び出した猫が木にスルスルと登って行った。
 それは身軽に、アッと言う間に上の方まで。きっと爪だって出ていた筈。爪を立てないと、猫の足では木に登れない。人間みたいに長い指など持っていないから。
「…また剥がれちゃった?」
 木についてる苔、今ので剥がれちゃったのかな…?
 どうなんだろう、と見上げた木の上。猫は大きな枝の一つで遊んでいる。枝から伸びている枝や葉っぱを、足でチョンチョンつついたりして。
「苔ねえ…。よく分からないけど、剥げたんだろうね。あの勢いで登ったんだから」
 それに木の上で楽しく遊んで、下りてくる時に、また剥げるんだよ。
 わざわざ幹にへばりつくようにして、ズルズル滑って下りて来るのも大好きだしね…。
 もう諦めるしかなさそうだ、と御主人は両手を大きく広げて、お手上げのポーズ。
 きっとその内に、苔は丸禿げになるのだろう。白と黒のブチ猫、お孫さんの猫が全部剥がして。この木に登って、また下りて来ては、生えている苔を爪で引っ掛けて。
(なんだか気の毒…)
 御自慢の木の幹を駄目にされそうで、困った顔をしている御主人が。
 今も木の上にいる猫を呼んでは、「下りる時には、気を付けてくれよ?」と叫んでいるほど。猫さえ注意してくれたならば、苔はそれほど剥げないから。少しは剥げても、全部は剥げない。
(猫が登るの、やめさせちゃったら剥げないんだけど…)
 それが一番だと承知していても、猫を繋ごうとはしない御主人。家に閉じ込めないのも分かる。猫を自由にさせてやりたいから、どちらもしない。
 お孫さんから預かった猫を、繋ぐのも、家に閉じ込めるのも。
 そうしたならば、御自慢の木の幹は丸禿げになったりしないのに。丸禿げよりかは、あちこちが剥げた今のままの方が、元に戻るのも早いだろうに。
(でも…)
 御主人はそうしないのだから、猫に任せるしかないだろう。あんまり苔を剥がさないように。
 木に登る時も、下りて来る時も、出来るだけ爪を立てないで。
 もっとも、猫はその逆のことが好きらしいから、絶望的な状況だけど。



 御主人に「さよなら」と挨拶してから、帰った家。庭の木たちを見回したけれど、幹をすっかり苔が覆っている木は無かった。庭で一番大きな木だって、幹に苔など生えてはいない。
(おじさんが自慢するわけだよね)
 盆栽が好きな人たちだったら、頑張って生やすらしい苔。まるで自然に生えたかのように。
 そういった苔が勝手に幹を覆っていたのが、御自慢のあの木。何の手入れもしてはいなくても、森の奥の木のように見えた風格。緑色の苔が幹を覆っていただけで。
(だけど、あちこち剥げちゃって…)
 このままだと丸禿げになりそうな苔。猫が遊んで剥がしてしまって、苔の欠片も無くなって。
 そうなったら、あの木は「ただの大きな木」でしかない。庭のシンボルツリーと言っても、ただそれだけ。「立派な木ですね」と褒めてくれる人も減るのだろう。
 あれ以上は剥げないといいんだけどね、と玄関を開けて家に入った。「ただいま!」と、元気に奥に向かって呼び掛けて。
 二階の部屋で制服を脱いだら、おやつの時間。ダイニングの窓から庭の木を見て、さっきの木と似たような大きさのを探す。その幹に苔が生えていたなら、どんな風だろうと。
(…此処から見たら、ただの緑色だけど…)
 庭に出て側に立ってみたなら、とても立派に違いない。木の皮だけに覆われているより、緑色の苔を纏った方が。…それも剥げてはいない苔で。
(剥げてしまったら、木の皮が見えて…)
 痛々しいし、見た目も悪い。
 その原因は病気ではなくて、猫が悪戯した結果でも。「こうすれば剥がれて面白いんだよ」と、爪を立てて登り下りされたせいでも。
(絶対、カッコ悪いよね…)
 ああして剥がされてしまった苔。
 御主人の友達がやって来たなら、皆、驚いて眺めるのだろう。「どうなったんだ?」と。
 その頃にはもう、あの猫はいない。お孫さんの家に帰ってしまって、知らん顔。
 御主人は苔が丸禿げになった木だとか、あちこち剥げてみっともないのを、「実は…」と溜息を幾つも交えて、友達に説明するのだろう。
 御自慢の苔がどうして剥げてしまったか、犯人は何処の誰だったのかを。



 おやつの間は、木と苔のことを考え続けて、食べ終えてからは二階の自分の部屋に戻って、また考える。勉強机の前に座って。
 猫が登る度に木の苔は剥げて、下手をしたなら丸禿げになってしまいそう。お孫さん一家が旅行から帰って、あの猫を迎えにやって来る前に。
 苔が生えた木は、猫の一番好きな遊び場。苔を剥がすのが面白いのか、木そのものもお気に入りなのか。せっせと登って下りて来る度に、御自慢の苔が剥げてゆく。猫の爪のせいで。
(おじさんは登って欲しくないけど、猫は登りたくて…)
 庭に出たいと駄々をこねては、あの木に向かってまっしぐら。その度に剥がれてしまう苔。
 御主人が気付いた時には、とうにああなっていた。あちこちが剥げて、無残なことに。
(おじさん、困っていたけれど…)
 それでも猫を繋ぐつもりは無いらしい。家に閉じ込めておくこともしない。
 「可哀相じゃないか」と言っていた御主人。猫を力ずくで止めないだなんて、凄いと思う。猫は御自慢の木とは知らずに、これからも登り続けるだろうに。
 「駄目じゃないか」と頭をコツンとされても、きっと分かっていないだろうに。
 お手上げのポーズをしていた御主人。猫が登った木を見上げて。
(とっても優しい人だよね…)
 御自慢の木が駄目になっても、猫を繋ごうとはしない人。家の中に閉じ込めることも。
 猫にとっても、本当に優しい人なのだけれど、問題はあの木。
 このままだったら、苔は丸禿げ。
 御主人の自慢の苔とも知らない、あの猫がすっかり剥がしてしまって。
 爪を立てては上まで登って、苔を剥がしながら幹にしがみ付いてズルズル下りて来たりもして。
(あちこち剥げただけの苔でも…)
 元の姿に戻るまでには、何年もかかるかもしれない。苔は気難しいと教わったから。
 剥げた所に、買って来た苔をペタリと貼っても駄目らしいから。
(丸禿げなんかになっちゃったら…)
 御自慢の苔が幹を覆うまでには、どのくらいかかることだろう。ほんの数日で丸禿げになって、戻るまでには年単位。…三年も四年もかかるのだったら、あの御主人が気の毒すぎる。
 いくら御主人は承知でも。「仕方ないよ」と、猫の悪戯を許していても。



 放っておいたら、苔が丸禿げになってしまいそうな幹。元の通りに苔が生えるまでには、何年もかかってしまうのだから…。
 いいアイデアは無いのだろうか、そうなる前に猫を止める方法。
 繋いだり、家に閉じ込める以外に、猫が木に登らないようにする方法が何かあればいいのに。
(あの木の周りに柵をしたって、猫じゃ登って越えちゃうし…)
 木の幹に何か巻いたりしたなら、今度は苔が駄目になる。太陽の光や、雨の雫が当たらなくて。ほんの短い期間にしたって、小さな苔には致命的な時間だろうから。
(何かあの木を守る方法…)
 猫の爪から、と考えていたら聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、いつものテーブルを挟んで向かい合わせで訊いてみた。
「あのね、ハーレイ…。猫が木に登らない方法を知っている?」
 知ってるんなら教えて欲しいな、その方法を。
「はあ? 木に登らない方法って…。木に登らせない方法のことか?」
 どうすれば猫が木に登らないように、止められるか。…お前はそいつを知りたいのか?
 そうなのか、と尋ねられたから頷いた。知りたい方法はそれだから。
「ハーレイの家にはミーシャがいたでしょ?」
 隣町の家に住んでた頃には、真っ白なミーシャ。…登らせないようにしていた木は無い?
 この木は駄目、ってハーレイのお父さんが決めていたとか、お母さんが大事にしていた木とか。
「俺の家には、そういった木は無かったなあ…」
 だからもちろん、ミーシャは好きに登っていたが?
 誰も止めたりしないもんだから、勝手気ままに登って遊んで、飽きたら下りて。
 そうやって好きに登った挙句に、下りられなくなっちまった木の話をしたと思うがな?
 下りられない、とミャーミャー鳴くから、親父が梯子で登って助けてやったんだが。
「そういえば…。前に聞いたね、その話…」
 どの木にも好きに登っていいから、ミーシャ、自分じゃ手に負えない木に登っちゃったんだ…。
 登る時には楽しい気分で、どんどん登って行っちゃったけど…。
 上に着いたら、下りる方法、ミーシャには分からなかったんだものね。
 高い木に登ったまではいいけど、どうすれば下に下りられるのか。



 そうだったっけ、と蘇って来た記憶。ミーシャは自分の好きに登って、酷い目に遭った。登った木から下りられなくなって、「助けて」と人間を呼ぶしかなくて。
 そんな騒ぎが起こっていたのに、ハーレイの両親は、ミーシャの木登りを止めてはいない。どの木も好きに登れるようにと、そのまま放っておいたのだろう。何の工夫もしないままで。
 ならば、ハーレイも策を持ってはいない。あの木の苔を守ってやれる方法。
「そっか、駄目かあ…。ハーレイなら、って思ったのに…」
 ぼくだと何にも思い付かないけど、ハーレイは知っているかもね、って…。
「なんだ、どうしたんだ?」
 猫を木に登らせない方法だなんて、お前、いったい何をしようとしてるんだ?
 この家に猫はいない筈だぞ、友達の誰かが困ってるのか?
 しょっちゅう下りられなくなる猫ってヤツもいるそうだから、とハーレイは至極、真面目な顔。登ったら自分では下りられないのに、繰り返す猫がいるらしい。同じ木に何度も登る猫。
「えっと…。そういう猫の話じゃなくって…」
 ちゃんと上手に下りられるんだよ、登った後は。…お気に入りの木だから、登るのも上手。
 だけど、登る木が問題で…。
 今日の帰りに、ぼくも見せて貰ったんだけど…。
 苔が丸禿げの危機なんだよ、とハーレイにあの木の説明をした。
 帰り道に出会った御主人の自慢の、幹に緑の苔が生えた木。その木の苔を猫が剥がすのだ、と。
 剥がれた苔が元の通りに生えるまでには、何年もかかるものらしい、とも。
「なるほどなあ…。猫には爪があるからな」
 木に登ったら剥げちまうだろうな、幹に生えてる苔なんかは。
 それに猫には、楽しいオモチャになるんだろう。剥がしながらズルズル下りて来るなら。
「やっぱり、遊んでるんだよね…?」
 おじさんが大事にしてる苔なのに、そんなの、猫には分かんないから…。
 どんどん剥がして、今のままだと丸禿げになってしまいそう。
 でもね、おじさんは猫を繋ぐつもりは無いんだよ。…家に閉じ込めたりもしない、って。
 それは猫には可哀相だから、苔は丸禿げでも仕方ない、って…。
 すっかり諦めているみたいだけど、でも、何か方法があるんなら…。



 いいアイデアがあるなら教えて、とハーレイの鳶色の瞳を見詰めた。
 ミーシャには使っていなかったとしても、誰かから聞いた方法があるとか、そういったケースもまるで無いとは言い切れないから。
「お願い、ハーレイ。…何か知らない?」
 知ってるんなら、ぼく、おじさんに教えに行くから…!
 ううん、ママに頼んで通信を入れて貰うよ、今日の間に…!
 おじさんの大事な苔を守れる方法、少しでも早く教えてあげたいもの…!
 このままだとホントに丸禿げになっちゃう、とハーレイの知識に縋ったのだけれど。三十八年も生きている分、アイデアも持っていそうだと期待したのだけれど…。
「生憎と、俺は知らないなあ…。お前が知りたがってるような方法は」
 苔の大切さなら分かるんだがな、俺だって。…親父もたまに気にしてたから。
 庭の木の幹、調べてみては、ちょっと溜息をついたりもして。
「ハーレイ、それって…。ミーシャのせいで剥げちゃった?」
 木に登るためには爪を出すから、剥がすつもりは無かったとしても。…お気に入りの木っていうほどじゃなくても、登れば剥げちゃいそうだから…。
「うむ。登る時にも、下りる時にも、爪を立てるのが猫だしな?」
 たまにツルッと滑りでもしたら、いつもより派手に剥がれちまう。爪を広げてた幅の分だけ。
 もっとも、ミーシャはとっくにいないし、今じゃすっかり元通りに苔が生えてるが…。
 その苔、たまに剥げるそうだぞ、とハーレイが言うからキョトンとした。
「え? 剥げるって…?」
 ミーシャがいないのに、なんで剥げるの?
 新しい猫は飼ってないでしょ、それとも何処かで貰って来たの…?
 今は別の猫が飼われているの、と高鳴った胸。もしも別の猫を飼い始めたなら、知りたいことは山のよう。どんな猫なのか、名前は何か。今はどのくらいの大きさなのか、と。
「おいおい、慌てるんじゃない。俺はまだ何も話していないぞ」
 たまに剥げると言っただけでだ、犯人の名前も出しちゃいないが…?
 とはいえ、お前の勘もまるっきり外れているわけじゃない。
 犯人は猫には違いないしな、親父たちの猫じゃないってだけで。



 他所の猫だ、とハーレイが教えてくれた犯人。ハーレイの両親が暮らす隣町の家で、緑色の苔が生えた木に登って、苔を剥がしてしまう猫たち。
「お前が出会った猫と違って、犯人は一匹じゃないようだがな…?」
 ふらりと庭を通り掛かって、登って遊んで剥がしていくんだ。少しだけとか、派手にとか…。
 親父に言わせりゃ、もう明らかに木登り失敗、といった感じのハゲも見つかるらしいな、うん。
 猫が滑って落ちた跡だ、とハーレイは可笑しそうな顔。「そういう時には派手にハゲるぞ」と。
「派手にハゲるって…。ハーレイのお父さん、怒らないの?」
 生えている苔、お父さんも大事にしている苔でしょ、ミーシャの頃から…?
 他所の猫なんかに剥がされちゃっても、許しちゃうわけ…?
 入って来たら叱ればいいのに、と思った庭に入って来る猫。追い出されたなら、木登りなんかはしていかない。木の幹に生えた苔は無事だし、派手に剥がれもしないのに。
「追い出すって…。親父も、おふくろも、そんなことは考えもしないだろうなあ…」
 俺も同じだ、仮に大事な木があったって。…その木に悪戯されちまっても。
 猫が平気で遊べる庭があるっていうのは、いいもんだろ?
 公園と同じで、車も走っていないんだから。…猫にとっては、人間様の庭が公園なんだ。
 本当に困る理由が無いなら、遊ばせておいてやりたいじゃないか。猫に食われちまうような鳥がいるとか、そういう庭でないのなら。
「そうなんだ…。人間の家にくっついてる庭は、猫の公園…」
 猫のための公園なんかは無いから、そう言われたら、そうなのかも…。
 車も来ないし、安心して遊べる場所だもの。…木の幹に生えた、苔が剥げるのは困るけど…。
 だけど、猫たちが幸せに遊んでいるなら、叱ったりしない方がいいよね…。
 その方が猫も嬉しいものね、と口にしたら思い出したこと。
(…遊んでて、それで叱られちゃうって…)
 あったっけ、と心が遠く遥かな時の彼方へと飛ぶ。
 白いシャングリラにあった、広い農場。あそこに植えていた、沢山の木たち。
 自給自足で生きてゆく船には、様々な木々が必要だった。オリーブや果樹や、他にも色々。
 その大切な農場の木たちに、子供たちが登って叱られていた。
 農場の木たちは、公園の木とは違って、作物を育てるために植えられたものばかりだから。



 オリーブオイルを採るためのオリーブ。果樹はもちろん、チョコレートの代用品だったイナゴ豆だって、木に実っていた。
 農場の木たちは、船の暮らしに欠かせないもの。眺めて楽しむ公園の木とは、まるで違っていた目的。けれど、子供たちの目から見たなら、どちらも木には違いないから…。
「猫の公園で思い出したよ。…シャングリラの木を」
「シャングリラだと?」
 前の俺たちが暮らしてた船か、木なら山ほど植えてたもんだが…。白い鯨の方ならな。
「そう、そっち。あの船の農場に植えていた木は、どれも大切な作物ばかりだったから…」
 公園と違って、木登りは禁止だったんだよ。作物が傷んだりしたら大変だから、って。
 でも、子供たち…。
 あの木に登っちゃっていたよね、木の苔を剥がす猫じゃないけど…。遊ぶために。
「登ってたなあ、そういえば…!」
 思い出したぞ、あのシャングリラの悪ガキどもを。…猫より酷い連中だったな。
 猫には言葉が通じないから、「その木は駄目だ」と怒鳴るだけ無駄というヤツなんだが…。
 あいつらは立派に人間だったし、思念波も持っていたってな。「駄目」が通じる連中だった。
 なのに、言うことを少しも聞きやしないんだ。農場の木には登るんじゃない、と何度言っても。
 何度注意を繰り返そうが、「登るな」と教え続けようが。
 まるで聞いてはいなかったよな、とハーレイが浮かべた苦笑い。シャングリラに迎えたミュウの子たちは、農場にあった木に関して言うなら、悪ガキだった。
 大切な作物を育てるための木なのだから、と口を酸っぱくして教えたって、彼らは聞かない。
 公園とは違った木が植わっていて、面白そうだと考えるだけ。
 けれど大人は「駄目だ」と叱るし、登って遊べば大目玉。「駄目だと言われた筈だろう」と。
 それを承知で、コッソリ出掛けていた子供たち。
 「バレては駄目だ」と、船の仲間たちの目を盗んでは、農場に向かう通路に入って。
 農場に着いたら、見張りも立てた。大人が来た時は、直ぐに逃げないと叱られるから。
 そうやって入り込んだと言うのに、子供というのは無邪気なもの。
 木登りの遊びに夢中になったら、もう何もかもを忘れてしまう。自分たちが何処にいるのかも。
 その内に、見張りの子までが持ち場を離れて登り始めて、ワイワイ騒いで…。



 子供たちの末路は、もう見えていた。彼らが農場に向かった時から、どうなるのかは。
 農場に向かう姿には、誰も気付かなくても。…途中の通路ですれ違った仲間がいなくても。
 白いシャングリラの食生活を支える農場、其処が終日、無人のままの筈がない。夜はともかく、人工の光が煌々と照らす昼の間は。
 収穫のために出掛ける者とか、作物の世話に向かう者とか。
 いずれ大人が現れるわけで、彼らの耳には直ぐに届いた。木登りに興じる、子供たちの賑やかな歓声が。それは楽しそうに遊ぶ声が。
「あれって、いつでもバレちゃったんだよ。逃げる前に大人に見付かっちゃって」
 いつだってバレて、それでお説教…。猫と違って、言葉がちゃんと通じるから。
「その説教。…俺も駆り出されてたぞ、ヒルマンに」
 あいつだけでは話にならん、とキャプテンの俺を引っ張り出すんだ。船の最高責任者だから。
 「農場の大切さを説いて、大目玉を食らわせてくれ」というのが、ヒルマンの注文だったが…。
 俺が大声で怒鳴ってみたって、シュンとするのは、その時だけで…。
 何日か経ったら、また同じことを繰り返してた。農場に出掛けて、木登りをして、見付かって。
 まるで駄目だから、ソルジャーの出番になったんだがなあ…。
 前のお前を呼んだ効果はどうだったんだ、とハーレイの鳶色の瞳が瞬く。「効果、あったか?」などと、確かめるように。
「ううん…。前のぼく、子供たちとは、しょっちゅう一緒に遊んでたから…」
 農場で木登りはしなかったけれど、でも、子供たちの心は分かるし…。
「何の役にも立たなかったってな、肝心のソルジャーは子供の味方で」
 叱るどころか、悪党どもの肩を持つんだ。「許してやってもいいだろう?」と寛大な顔で。
「そう…。ああやって遊べる場所があるのがいいじゃないか、って言っていたっけね」
 農場は大事な場所だけれども、人類に見付かって撃たれもしないし、安全だから、って…。
 だってそうでしょ、本当に安全なんだから。…人間の家の庭が、猫の公園なのと同じで。
「猫の公園なあ…。前のお前はそうは言わなかったが、アレを言われると弱かった」
 子供たちにとっては安全な場所だ、と言われちまうとグウの音も出ない。
 前の俺はもちろん、俺を担ぎ出したヒルマンもな。
 ゼルは元々、子供好きだし、叱ろうって気はまるで無かったわけだから…。



 何度叱られても、子供たちは農場の木たちに登り続けた。徒党を組んで出掛けて行って。
 船の大人たちの目を盗んでは、白いシャングリラの食生活を支える、大切な木に。
 オリーブの木も、イナゴ豆の木も、他の木や果樹も、子供たちに狙われ、登られていた。梯子は使わず、手と足だけで。…サイオンも、木から滑った時くらいしか使っていなかった。
 彼らがせっせと登るものだから、そのせいで収穫量が減ったりしないようにと、農場の係たちは頑張っていた。悪ガキたちと遭遇したなら、叱り飛ばすのは基本だったけれど…。
 それと同時に、「この枝には足を掛けるな」だとか、「今の季節は、この木に登るな」だとか、出来る限りの指図をして。「木が傷んだら、お前たちも食えなくなるんだぞ!」などと。
(…前のぼくが、本気で止めてたら…)
 木登りは直ぐに止んだだろう。
 白いシャングリラを導くソルジャー、その人が「駄目だ」と叱ったら。登ってもいい木は公園の木だけで、農場の木には登るんじゃない、と。
 けれども、一度も叱ってはいない。
 ヒルマンに請われて出掛けて行っても、前のハーレイまでが腕組みをして子供たちを睨み付けていても。…農場は大切な場所だとはいえ、安心して遊べる所だったから。
「ねえ、ハーレイ…。前のぼくたち、今日のおじさんと同じだね」
 木の幹に生えてる苔が丸禿げになってしまったとしても、猫を繋いだりするよりはいい、って。
 庭に出さずに閉じ込めるよりも、好きに遊ばせてやりたいから、って…。
 農場の木だって、それと同じだよ。木登りさせなきゃ、収穫が増えたかもしれないのにね。
 …きっと増えたよ、木が傷むことは無いんだから。
「それは分かっちゃいたんだが…。キャプテンとして見ていた、報告書とかで」
 あのガキどもを止めさえしたなら、もう少しくらい増えるだろう、と書かれていたから。
 しかし、所詮は「もう少し」だ。誤差の範囲と呼べるくらいの違いでしかない。その量が減って誰が飢えるというわけでもなし、目くじら立てても仕方あるまい。
 その程度のことで縛っちまうよりは、自由にのびのびさせてやりたかったしな、子供たちを。
 「絶対に駄目だ」と叱るのも俺の仕事だったが、其処まででいい。
 規則まで作って徹底させるとか、立ち入り禁止にしちまうよりかは、あれで良かった。
 お蔭で逞しく育ってくれたさ、どの子たちもな。…農場で悪事を働きながら。



 シドもリオも…、とハーレイが懐かしむ子供たち。白いシャングリラで育った子たち。
 後に最後のキャプテンになったシドも、地球で命尽きた英雄のリオも、みんな木登りをしながら育った。公園にある木とは違って、農場に植えられた大切な木で。
「みんな登っていたんだっけね…。子供だった頃は」
 大人に見付かって叱られたって、農場に何度も出掛けて行って。…色々な木に。
 オリーブの木にも、イナゴ豆の木にも、と子供たちの姿が目に浮かぶよう。前の自分は、何度もサイオンで覗き見たから。「また登っている」と笑みを浮かべて、青の間から。
「公園の木にも登ってはいたが、農場の方が良かったらしいな。…同じ木登りするのなら」
 収穫を控えた木には登れなかったし、盗み食いが出来たわけでもないのに…。
 リンゴの一つも食えやしないのに、なんだって農場が良かったんだか…。
 叱られてエライ目に遭うだけなんだが、とハーレイが顎に手を当てる。何のメリットも無かった農場、どうして其処で木登りなどを…、と。
「きっとスリリングだったんだろうね。農場の木には、苔が生えてはいなかったけど」
 登る時とか、下りる時とかに派手に滑って、苔がハゲるわけじゃなかったけれど…。
 だけどスリルはあったと思うよ、農場だもの。見張りを立てなきゃいけないような場所だから。
「叱られるのと、背中合わせのスリルってヤツか…」
 苔でツルリと滑っちまうか、大人に見付かって怒鳴り付けられるか。…その違いなんだな。
 お前が出会った猫の場合は、苔の手ごたえを楽しんでいる、というトコだ。頑張って爪を立てたつもりでも、滑る時だってあるんだし…。その跡がお前の見て来たハゲだな。
 シャングリラの農場で木登りしていたガキの場合は、見付かって怒鳴られるスリルをワクワクと楽しみにしていた、と。苔で滑ってしまうのを楽しむ猫みたいに。
 まあいいだろうさ、シャングリラの方では、船の役に立つ子たちが立派に育ったんだから。
 前のお前が「安全な場所で遊ばせてやれ」と、何度も許してやったお蔭で。
 本当にいい子たちだった、とハーレイが挙げてゆく名前。白いシャングリラの悪ガキたち。
「そうだね、みんな立派に育ってくれたよ。でも…」
 今日の猫は、どうなっちゃうんだろう?
 苔を剥がして登ってもいい、って許して貰って、立派な猫になれるのかな…?
「そっちは役に立ちそうにないな、猫だけに」
 第一、子猫じゃなかったんだろうが。既に育った後の猫だぞ、それ以上、どう育つんだ…?



 「たとえ立派に育ったとしても、猫の手だからな」とハーレイが笑う、猫の木登り。
 御主人の自慢の苔を剥がして、せっせと登り続ける猫。お孫さんが迎えにやって来るまで。
(…猫の手どころか、大迷惑だよ…)
 苔が丸禿げになりそうだ、と御主人がしていた、お手上げのポーズ。
 猫の手は役に立たないものだし、あの木登りで立派に育っても、どうしようもない厄介な猫。
 けれど、白いシャングリラの思い出を連れて来てくれたから、役には立った。
 御主人の与り知らない所で、今の自分とハーレイのために。
 それに、御主人の役には立たないようでも、ああやって猫が庭で楽しんでいるのなら…。
(お孫さん、きっと喜ぶよね?)
 旅行から帰って迎えに来た時、「お気に入りの木が出来たようだよ」と聞かされて。
 もしかしたら、あの木の上から下りて来るかもしれない。お孫さんの声で、大喜びで。
 木の幹に生えた苔の最後の欠片を、爪でズルズルと引き剥がしながら。
 丸禿げになってしまった幹で溜息をつく御主人だって、お孫さんの笑顔で、きっと御機嫌。
 「旅行は楽しかったかい?」と訊いたり、猫を眺めて「いい子にしてたよ」と微笑んだり。
 猫が最後の苔の欠片を剥がしても。…本当に丸禿げにされてしまっても。
(あの木の苔も、早く元に戻るといいんだけれど…)
 今はまだ丸禿げになってはいなくて、あちこちが剥がれてしまっていた苔。
 元の緑色を取り戻すまでには、何年もかかるかもしれない苔。
(やっと生えて来ても、あの猫が来て…)
 また剥げるかもしれないけれども、それもいい。
 子供は未来の宝だから。
 白いシャングリラの農場の木で、木登りしていた子供たち。彼らは立派な大人になった。
 あの御主人のお孫さんだって、いつか大きく成長する。
 苔を剥がしてしまった猫は育たなくても、お孫さんは立派に育ってくれる。
 だから御主人も、きっと怒りはしないのだろう。
 ようやく元に戻った木の幹の苔を、お孫さんの猫がすっかり丸禿げにしてしまっても…。



           苔が生えた木・了


※ブルーが見掛けた猫の遊び。木の幹を覆っている苔を、剥がしてしまうような木登り。
 御主人は困り顔で見守るだけ。止めようとしないのですけど、シャングリラでも事情は同じ。
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